第2話:魔王ドルステンとの出会い
魔王城の大きな扉が、重い音を立てて開いた。
その向こうに続いていたのは、黒い石で造られた長い廊下。
壁に並んだ灯りが、床を鈍く照らしている。
……おお。
いかにも魔王城、って感じだね。
でも、実際に足を踏み入れてみると、ただ恐ろしいだけの場所じゃなかった。
床は丁寧に磨かれているし、柱には細かな彫刻が施されている。
飾られているのは、魔族の歴史を描いたと思われる大きな絵。
剣を掲げる戦士たち。
その後ろで、荷車を引く人々。
さらに奥には、子どもを抱く母親の姿まであった。
……ああ。
この城も、誰かが暮らしてきた国の中心なんだね。
「止まるな」
前を歩く魔族の兵士が、振り返らずに言った。
「……はい」
……あっ。
見学してる場合じゃなかった。
私と桜花は、数人の兵士に前後を挟まれて歩いていた。
もちろん、監視されていることは分かっている。
でも、逃げようとは思わない。
ここまで来たのは、魔王に話を聞いてもらうためだからね。
「リアリス様」
隣を歩く桜花が、小さな声で言った。
「ん?」
「城内には、相応の実力をお持ちの方々がおられます」
「……うん。私も感じるよ」
……おお。
確かに、さっきまでの兵士たちとは違うね。
廊下の先から伝わってくる魔力の気配。
それだけで、城を守る人たちが相当強いことが分かる。
ただ。
……うん。
それで私たちがどうにかなるかと言えば、そんなことはない。
剣でも魔法でも、そう簡単に負けるつもりはないし、そもそも私には《想像魔法》がある。
必要なら自分も桜花も守れる。
……これは、ちゃんと自覚しておかないとね。
強い力を持ってるのに、いざというとき使い方を間違えたら、それこそ危ないんだから。
「桜花。もし何かあっても、まずは私が守るよ」
「……ふふ」
「……あれ?」
「頼もしいお言葉でございますね」
桜花は、嬉しそうに微笑んだ。
「ですが、私にもお守りさせてくださいませ」
「……うん。もちろん!」
……ああ。
そうだよね。
私たちは、どちらか一人が守られるだけの関係じゃない。
二人で、ちゃんと帰る。
カトレアとの約束もあるもんね。
◇
廊下の突き当たりで、兵士たちが足を止めた。
その先には、さらに大きな扉。
両側に立つ衛兵は、槍を床へまっすぐ立てている。
……おお。
ここが謁見の間かな。
「人間の使者二名を連れてまいりました」
案内役の兵士が声を上げる。
扉の前にいた衛兵が頷き、奥へ取り次いだ。
しばらく待つ。
……うん。
何だか、今まで訪れた国のことを思い出すなぁ。
王国では国王さん。
帝国では皇帝。
魔法国では法師長さん。
聖国では教皇さん。
みんな、それぞれ個性的だった。
……特に、教皇さんはね。
「……リアリス様」
桜花の声で、我に返った。
「ん?」
「お迎えの方がお見えです」
扉の奥から、一人の魔族が歩いてきた。
背が高い。
……いや、かなり高い!
私よりもずっと大きく、細身なのに不思議な迫力がある。
頭には髪がなく、額には三つ目の目。
そして、服の後ろから牛のような尻尾が伸びていた。
…………。
……おお。
三つ目。
魔族って、本当にいろんな姿の人がいるんだね。
「そなたが、リアリス殿か」
落ち着いた低い声。
「はい。リアリスです。こちらは桜花と申します」
私が頭を下げると、相手も丁寧に一礼した。
「吾はグリンヒルダ。ドルステン魔国の宰相を務めておる」
……おお!
宰相さんだった!
「初めまして、グリンヒルダさん」
「……さん?」
グリンヒルダさんが、わずかに眉を動かした。
……あっ。
まずかったかな。
「ええと、宰相様の方がいいですか?」
「……いや。好きに呼ぶがよい」
……ほっ。
よかった。
グリンヒルダさんは、桜花にも視線を向けた。
「そちらが護衛か」
「桜花と申します。リアリス様の護衛を務めております」
「……ふむ」
三つの目が、静かに細められる。
「街道で兵六名を制圧したと聞いたが」
「はい。攻撃を受けましたので、峰打ちにて対応いたしました」
「全員、無傷であったとも」
「そのとおりでございます」
…………。
……あっ。
ちゃんと報告が届いてるんだね。
「こちらから攻撃するつもりはなかったんです」
私も口を開いた。
「ただ、兵士さんたちが止まってくれなかったので」
「……事情は聞いておる」
グリンヒルダさんは、しばらく私たちを見た。
「死者も負傷者も出なかった。それは事実だ」
「……はい」
「だが、六人を一方的に倒せる相手を、無警戒に迎えるわけにもいかぬ」
……うん。
そのとおりだね。
「だから、こちらへ来るまで監視していたんですね」
「そういうことだ」
「分かります。私が同じ立場でも、警戒すると思います」
グリンヒルダさんの三つの目が、少しだけ大きくなった。
……あれ。
そんなに変なこと言ったかな。
「……なるほど。少なくとも、礼節はわきまえておるようだ」
……おお。
褒めてもらえた?
私は、少し安心した。
けれど、次の言葉は重かった。
「ただし、この扉の先におられるのは我らが魔王。何を言うか、よく考えることだ」
「……はい」
……うん。
そうだね。
魔王に会うからって、必要以上に怯えることはない。
でも、国を背負う相手への敬意は忘れちゃ駄目だ。
「お話しするために来ました。ちゃんと、そうするつもりです」
グリンヒルダさんは、静かに頷いた。
「……では、参ろう」
◇
謁見の間の扉が開く。
最初に見えたのは、広い石の床だった。
壁に掲げられた旗。
天井から吊るされた大きな灯り。
そして、部屋の奥に据えられた巨大な椅子。
……いや。
椅子というより、玉座だね。
その前に、一人の大きな魔族が立っていた。
…………。
……おおお。
大きい!
今まで会った人の中でも、相当大きな方だ。
身長は、二メートル半くらいあるんじゃないかな。
分厚い肩。
鍛え上げられた腕。
髪のない頭からは、立派な二本の角が伸びている。
背中には、大きな翼。
そして。
……魔力が、すごい。
まるで、そこにいるだけで空気が重くなるような気配だった。
……うん。
この人、強いね。
剣の間合いの取り方も、魔力の扱いも、隙が少ない。
皇帝もとんでもなく強い剣士だったけど、この人は剣だけじゃなく、魔法まで一流なんだ。
……なるほど。
これが、魔王かぁ。
私は、静かに息を吸った。
けれど、怖くて足がすくむことはなかった。
……うん。
勝つか負けるかだけで考えるなら、私には十分な自信がある。
剣でも魔法でも、全力で戦える。
必要なら、ここからカトレアのところへ一瞬で帰ることだってできる。
ただ。
今ここで誇示したいのは、そういう力じゃない。
……うん。
まずは、ご挨拶だね。
「人間の使者をお連れいたしました」
グリンヒルダさんが、一歩前へ出て報告した。
大きな魔族が、ゆっくりこちらを見る。
その目が、私と桜花を捉えた。
「……ふむ」
低い声が、広間に響いた。
そして。
「がっはっはっは!」
…………。
……おおっ!?
急に笑った!
「よくぞ来た、人間よ! 吾輩の城へ、二人きりで来るとはな!」
……うん。
声も大きい!
でも、何だろう。
いきなり怒鳴られるかと思ったのに、笑ってくれた。
「初めまして。シルク王国から来ました、リアリスと申します」
私は、丁寧に頭を下げた。
「こちらは桜花です」
「桜花と申します。よろしくお願いいたします」
桜花も、一礼する。
大きな魔族は、満足そうに頷いた。
「吾輩はドルステン。この国を治める魔王である!」
……おお。
やっぱり!
「初めまして、魔王」
「うむ! 顔を上げるがよい!」
……うん。
思ってたより、話しやすそうだね。
ただ、横に立つグリンヒルダさんの顔は、まだ真剣だった。
……ああ。
当然か。
ここからが本題なんだもんね。
◇
「さて、リアリス殿!」
魔王が、腕を組んだ。
「聞けば、おぬしらは街道の兵六名を、あっという間に倒したらしいな!」
「……はい」
「しかも、ひとりの死者も出さず!」
「はい。桜花が、峰打ちで止めてくれました」
私が答えると、魔王の目が桜花へ向いた。
「ほう! そなたが!」
「はい。攻撃を止めるため、必要な限りで対応いたしました」
「がっはっは! よい腕だ!」
……おお。
褒めてくれた。
でも、次の瞬間。
魔王の表情が変わった。
「……ただし」
…………。
「我が国の兵を倒したことに、変わりはない」
……うん。
そうだよね。
「……はい。その件は申し訳ありません」
私は、素直に頭を下げた。
「ですが、攻撃される前に、こちらは話し合いを求めました。それでも剣を向けられたので、身を守りました」
魔王は、じっと私を見つめている。
……うん。
ここは、曖昧にしない方がいい。
「もし同じことが起きても、私たちは自分の身を守ります」
私は、はっきりと言った。
「ただし、必要以上に傷つけるつもりはありません」
……うん。
逃げるだけじゃ、相手も守れない場面がある。
だから、自分たちを守る力は使う。
でも、その力で何をするかは、自分で決めたい。
「……ふむ」
魔王が、少しだけ笑った。
「随分とはっきり申すではないか」
「……そうでしょうか」
「吾輩の前で、自分は身を守ると堂々と言う人間は、そう多くないぞ」
……ああ。
そうなのか。
でも、そこは譲れないかな。
「私にも、大切な人がいますから」
魔王の目が、少し細くなる。
「……大切な者、か」
「はい。待ってくれている家族がいるんです」
私は、カトレアがくれた白い花を思い出した。
……うん。
約束したからね。
ちゃんと帰るって。
「……ほう」
魔王は、ゆっくり頷いた。
「その気持ちは、吾輩にも分かる」
…………。
……おお。
今、少しだけ顔が柔らかくなったね。
◇
「しかし、ひとつ確かめたい」
魔王が、玉座の前から一歩踏み出した。
どんっ。
重い足音が、床へ響く。
「そなたは、吾輩を前にしても、怯えぬのだな」
…………。
……あっ。
そこを聞かれるんだ。
「……正直に言ってもいいですか?」
「構わん!」
「魔王が強いことは、よく分かります。剣も魔法も、すごい人なんだろうなって」
魔王が、満足そうに頷いた。
「うむ!」
「ただ、私も自分の強さは分かっています」
…………。
広間が、少し静かになった。
私は続ける。
「私は剣にも魔法にも自信があります。もし戦いになっても、簡単に負けるつもりはありません」
……うん。
これは、別に強がりじゃない。
今まで何度も自分の力を確かめてきた。
できることも、危ないことも。
……いや。
《想像魔法》の方は、まだ自分でも全部を把握できていないけど。
少なくとも、誰かを守るために使うなら、十分すぎるくらいの力がある。
「でも、今日はそれを確かめに来たわけじゃないんです」
私は、魔王を見上げた。
「魔王と、ちゃんと話したくて来ました」
…………。
魔王が、私を見つめる。
その後ろで、グリンヒルダさんの三つの目が細くなった。
……あっ。
また、変なこと言っちゃったかな。
でも。
私は、剣と魔法に自信があることまで隠すつもりはない。
この人も強い。
私も強い。
それなら、なおさら、戦わない選択ができるはずだ。
すると。
「……がっはっはっは!」
魔王が、大きく笑った。
「よい! 実によい!」
…………。
……おお。
笑ってくれた!
「己の力を知りながら、振るうことを急がぬか!」
「……はい」
「面白い人間よ!」
……うん。
何だか、気に入ってもらえたみたいだね。
ただ、魔王の目はまだ真剣だった。
「では、その言葉が虚勢でないことを、少しだけ見せてもらおうか」
…………。
……あっ。
やっぱり、そうなる?
◇
魔王が、右手をゆっくり持ち上げた。
その掌に、濃い紫色の魔力が集まる。
……おお。
すごい量だね。
人間の魔法使いだったら、これだけ集めるのも大変そうだ。
ただ。
……うん。
何をするつもりかは、分かる。
魔法の圧力を、こちらへ向けているんだね。
「……魔王様」
グリンヒルダさんが、低い声で言った。
「分かっておる。傷つけるつもりはない」
……おっ。
ちゃんと手加減してくれるんだ。
それなら、こっちも落ち着いて対応しよう。
紫の魔力が、広間へ広がった。
床に置かれた小さな飾りが、かたかたと揺れ始める。
兵士たちが、わずかに身を固くした。
……うん。
強い圧力だ。
普通の人なら、立っていられないかもしれない。
でも、私と桜花は動かなかった。
「……ほう?」
魔王が、少し目を細めた。
私は、静かに周囲を見渡した。
……あっ。
兵士さんたちまで苦しそうだ。
せっかく誰も怪我させずに済んだのに、ここで倒れられたら困るね。
「魔王。少し、魔法を使ってもいいですか?」
「……よいぞ」
「ありがとうございます」
私は、部屋全体を壊さないように魔力の流れを捉えた。
魔王の魔力そのものを消し去る必要はない。
ただ、人に圧力がかからないよう、間に境界を置くだけ。
「《結界》」
淡い光が、一瞬だけ広間に広がった。
次の瞬間、かたかたと揺れていた飾りが止まる。
兵士たちの肩から、力が抜けた。
魔王が放った魔力は、そのまま残っている。
けれど、もう誰にも重さは伝わらない。
……うん。
これで大丈夫。
「……なっ」
グリンヒルダさんが、初めてはっきりと声を漏らした。
「魔王様の魔力を……」
…………。
……あれ。
そんなに驚くことかな。
いや。
この魔力、結構強かったもんね。
「消してはいませんよ。誰かが苦しくならないようにしただけです」
私は、簡単に説明した。
「魔王の魔力自体は、まだここにあります」
…………。
魔王が、私をじっと見た。
そして。
「……がっはっは!」
今度は、さっきよりも大きく笑った。
「なるほどな! ただ耐えるだけではなく、周りの者まで守ったか!」
「……はい。誰も怪我しない方がいいので」
「しかも、吾輩の魔力を乱さずに!」
……おお。
そこまで気づいたんだ。
やっぱり、この人は魔法に詳しいんだね。
魔王は、ゆっくり右手を下ろした。
紫の魔力が、静かに消えていく。
私は《結界》を解除した。
……うん。
これで終わり。
剣を抜く必要も、攻撃魔法を使う必要もなかった。
よかった。
「リアリス殿」
魔王が、まっすぐ私を見た。
「そなたの言葉、虚勢ではなかったようだ」
「ありがとうございます」
「吾輩も、そなたが簡単に倒せる相手でないことは分かった」
……うん。
それなら、よかった。
「……ですが、私も魔王の実力をちゃんと感じました」
「ほう?」
「本当に強いですね。全力で戦ったら、きっと周りに大きな被害が出ます」
……うん。
そういう相手なんだ。
でも、だからこそ。
「お互い、戦わずに話せるなら、それが一番だと思います」
魔王が、しばらく私を見つめた。
そして、重々しく頷いた。
「……よかろう。武器も魔法も、ひとまず脇に置こう」
…………。
……おお!
よかったぁ。
「ありがとうございます!」
私は、もう一度頭を下げた。
……うん。
今度こそ、本題に入れそうだね。
◇
魔王は、玉座へ腰を下ろした。
その隣に、グリンヒルダさんが立つ。
私と桜花にも、椅子を用意してくれた。
……おお。
ありがたい。
「まずは座るがよい」
「はい。失礼します」
私は椅子に腰を下ろした。
桜花も隣へ座る。
……うん。
よし。
ちゃんと、お話ししよう。
「さて、リアリス殿」
魔王が、腕を組む。
「そなたは、人間の四か国の使者だと申したな」
「はい」
「四か国すべて、か?」
「はい。シルク王国、ローズ帝国、フォーサイド魔法国、オリミス聖国です」
魔王の表情が、わずかに変わった。
「……四つとも」
「はい。昨日、代表の方々に集まっていただきました」
「……そうか」
魔王は、少し考え込んだ。
グリンヒルダさんが、口を開く。
「リアリス殿。その四か国の首脳が、同じ場で話し合ったと?」
「はい。私の家に来てもらいました」
…………。
グリンヒルダさんの三つの目が、同時に細くなった。
「……それは、いつの話だ」
「昨日です」
「……昨日?」
「はい」
…………。
……あれ。
今度は、グリンヒルダさんが固まっちゃった。
「昨日、宣戦布告の知らせが届いたはずだが」
「はい。それで、急いで集まってもらいました」
「……どうやって?」
「《映像通話》で連絡して、《転移》でお迎えに行きました」
…………。
グリンヒルダさんが、そっと額に手を当てた。
……あっ。
これ、何だか見覚えがある。
シルベスターさんやミキサーさんも、たまにこういう顔をするんだよね。
……いや。
魔法の説明をしただけなんだけど。
「……がっはっはっは!」
魔王は、楽しそうに笑った。
「なるほど! だから、四か国の使者が今日もうここにいるというわけか!」
「はい!」
「面白い! 何とも面白い男だ!」
……あはは。
褒められた、のかな。
でも、すぐに魔王の表情が引き締まった。
「……だが、そなたが四か国と話したことと、吾輩が和平に応じることは別だ」
「……はい。もちろんです」
……うん。
そこは、ちゃんと分かってるよ。
「今日は、魔王国の考えを聞きたくて来ました。こちらの都合だけを押しつけるつもりはありません」
魔王は、静かに頷いた。
「……では、聞こう。そなたは何を望む?」
「できれば、戦争を始めないことです」
私は、はっきり答えた。
「でも、そのためには、魔王国が何を望んでいるのかも知りたいんです」
……うん。
ここからが、本当の話し合いだね。
◇
「魔王。ひとつ聞いてもいいですか?」
「申してみよ」
「なぜ、宣戦布告をしたんですか?」
…………。
広間が、静かになった。
グリンヒルダさんの尻尾が、わずかに揺れる。
魔王は、玉座の肘掛けへ手を置いた。
「……そなたは、ずいぶん真正面から聞いてくるな」
「……すみません」
「よい。むしろ、それを聞かずに来る使者の方が信用ならん」
……おお。
そっか。
それなら、よかった。
魔王は、ゆっくり口を開いた。
「人間との争いは、長い。吾輩が生まれる、はるか以前から続いておる」
「……はい」
「魔族の中にも、人間を憎む者はおる。人間の国にも、魔族を憎む者がおるのだろう」
……うん。
街道の兵士たちを思い出した。
怖がっていた人。
怒っていた人。
どちらも、いたね。
「時が過ぎても、互いへの疑いは消えぬ。相手がいつ攻めてくるか分からぬと思えば、守りを固める」
「……そうですね」
「そして、向こうが守りを固めれば、こちらは攻めてくる準備だと考える」
…………。
……ああ。
なるほど。
そういうことが、ずっと続いてきたんだ。
魔王は、低い声で続けた。
「吾輩が宣戦布告をしたのは、人間諸国に、魔族が黙って脅威を受け入れるつもりはないと知らせるためでもある」
……うん。
でも。
それって、向こうから見たら攻撃する宣言に聞こえるんじゃないかな。
私は、少し考えた。
「……魔王。その宣戦布告を受けて、人間の国々も軍を動かそうとしています」
魔王の目が、わずかに動いた。
「……そうであろうな」
「向こうも、魔王国が攻めてくると思っています」
…………。
魔王は、何も言わない。
「それでお互いに兵士を増やして、もっと怖くなって……」
……うん。
これ、終わりがないよね。
「……本当は戦いたくない人まで、戦わなきゃいけなくなるかもしれません」
魔王の指が、玉座の肘掛けを一度叩いた。
……あっ。
怒らせたかな。
でも。
ここは、言わなきゃいけないと思う。
「魔王国の人たちも、きっと困ると思います」
私は、魔王を見上げた。
「今朝、魔都へ来る途中で、畑仕事をしている人を見ました。荷車を引いている人も、家の前で遊んでいる子どもも」
魔王の視線が、私から離れない。
「人間の国と、あまり変わりませんでした」
……うん。
あの子も、カトレアと同じように笑っていた。
「私は、その人たちにも安心して暮らしていてほしいです」
…………。
しばらく、誰も口を開かなかった。
◇
「……リアリス殿」
グリンヒルダさんが、静かに言った。
「そなたの言葉は理解した。しかし、魔族の国のことを、今日来たばかりのそなたがすべて分かるわけではあるまい」
「……はい。そのとおりです」
私は、素直に頷いた。
「まだ、分からないことだらけです」
「ならば、軽々しく和平を口にするのは危険ではないか」
……うん。
厳しいけど、正しい指摘だ。
「でも、分からないからこそ、聞きに来たんです」
グリンヒルダさんの三つの目が、静かに私を見る。
「……ふむ」
「私がここへ来なかったら、魔族の人たちが何を心配しているのかも知らないままだったと思います」
……ああ。
それで、人間側の話だけを聞いていたら。
私は、魔王国を悪者だと決めつけていたかもしれない。
でも、それは嫌なんだ。
「それに」
私は、少しだけ笑った。
「魔族の人たちも、今日会った人はみんなそれぞれ違いました」
「……違う?」
「はい。私たちを怖がる人もいましたし、怒る人もいました。でも、道を教えてくれた人もいたんです」
……うん。
あの荷車の男性。
厳しい顔をしていたけど、最後に道を教えてくれた。
「魔王国の人は、みんな同じ考えじゃないと思います」
グリンヒルダさんが、静かに頷いた。
「……なるほど」
魔王も、腕を組んでいる。
……うん。
どうだろう。
少しは伝わっているかな。
すると。
「……リアリス殿」
魔王が、低い声で口を開いた。
「そなたには、家族がおると言ったな」
「はい。娘がいます」
「……娘」
魔王が、少し目を細めた。
「何歳だ」
「九歳です」
……おっ。
カトレアの話?
「お花が大好きな子で、とっても可愛いんです!」
…………。
……あっ。
つい、声が大きくなっちゃった。
グリンヒルダさんが、一瞬だけ目を丸くした。
……いや。
今は、親バカの話をする場面じゃなかったね。
「……失礼しました」
「がっはっはっは!」
魔王が、腹の底から笑った。
「よいよい! 娘を大切にする父親というわけだな!」
「……はい!」
……うん。
そこは、自信を持って答えられるよ!
魔王は、笑い終えると、少しだけ声を落とした。
「……吾輩にも、守らねばならぬ者たちがおる」
…………。
……ああ。
そうだよね。
「この城だけではない。街で暮らす者、畑で働く者、国境を守る兵士たち。皆、吾輩の民だ」
「……はい」
「魔族が力を持つのは、弱い者から奪うためではない。守るためでもある」
その言葉は、とても静かだった。
さっきまでの豪快な声とは違う。
……うん。
この人、本当に国のことを考えているんだね。
「吾輩が判断を誤れば、民が死ぬ」
…………。
魔王が、ぐっと拳を握った。
「それだけは、避けねばならん」
……ああ。
分かる気がする。
私も、カトレアを危険にさらしたくない。
魔王も、自分の国の人たちを危険にさらしたくない。
立場は違うけど、大切にしたいものは似ているのかもしれないね。
◇
グリンヒルダさんが、静かに口を開いた。
「魔王様。ひとつ、申し上げてもよろしいでしょうか」
「うむ」
「この者たちをここへ通したことは、危険を伴う判断でした。ですが、今のところ、こちらへ害を与える意思は見られません」
……おお。
それは、嬉しいなぁ。
「街道の兵を殺さず、城の中でも攻撃を控えました。実力は、先ほどの魔法でも示しております」
魔王が、頷く。
「分かっておる」
「ならば、交渉の余地を探るだけの価値はあるかと」
…………。
……おおお。
グリンヒルダさんが、味方してくれてる!
いや。
味方っていうのは、ちょっと違うかな。
魔王国のことを考えて、そう判断してくれたんだね。
「……ただし」
グリンヒルダさんが、私を見た。
「ひとつ、確認したい」
「はい」
「人間の四か国は、我らと対等に話す用意があるのだな?」
…………。
……うん。
ここは、大事。
「はい。昨日の会談では、まず魔王国の意思を確かめたいということで一致しました」
「……ふむ」
「ただし、和平の条件まで決まったわけではありません。人間の国々にも、譲れないことがあると思います」
グリンヒルダさんが、静かに頷いた。
「……その点は、正直でよい」
「ありがとうございます」
「聞こえのよい約束だけを並べる者よりは、信用できそうだ」
……あはは。
確かに。
私だって、勝手に四か国の約束を増やすわけにはいかないもんね。
「魔王国側にも、譲れないことがあるでしょう?」
「当然だ」
「だから、同じ場所で話し合ってほしいんです」
…………。
魔王とグリンヒルダさんが、顔を見合わせた。
……うん。
ここまで来たら、もう少しだ。
◇
「……同じ場所、か」
魔王が、腕を組んだ。
「そなたは、吾輩に人間の国へ来いと言うのか?」
「……はい」
…………。
広間の空気が、少しだけ重くなった。
……うん。
そりゃ、そうだよね。
宣戦布告した相手の国へ、魔王本人が行くんだから。
普通なら、危険すぎる。
私は、慌てずに続けた。
「ただ、人間の王城や宮殿へ来てくださいという話じゃありません」
「……ほう?」
「私の家に、会談用の部屋があるんです」
…………。
魔王が、ゆっくり瞬きをした。
「……家?」
「はい。シルク王国にある私の屋敷です」
グリンヒルダさんの三つの目が、同時に細くなった。
「……そなたの私邸に、人間四か国の首脳と、魔王様を集めるというのか」
「はい。そのつもりです」
…………。
……あれ。
やっぱり、変かな。
いや。
自分で言っておいて何だけど、変だよね。
王様も皇帝も法師長も教皇も、みんな私の家へ来て。
そこに魔王まで来るんだもん。
……うん。
改めて考えると、すごい顔ぶれになりそうだ。
「そなたの家に、そんな大勢が入るのか?」
魔王が、真顔で聞いてきた。
…………。
……あっ。
そこ!?
「はい。お部屋は十分あります」
「……そうか」
魔王が、深く頷いた。
……うん。
納得してくれたみたい。
いや。
まだ、一番大事なところが残ってるね。
「会談中は、私が安全を確保します」
私は、はっきり言った。
「《結界》を使えば、会場を外から守ることも、誰かが不意に攻撃することを防ぐこともできます」
グリンヒルダさんが、静かに口を開く。
「……先ほどの魔法か」
「はい」
「そなた一人で、魔王様を含む会談の場を守れると?」
「守れます」
私は、迷わず答えた。
…………。
……うん。
ここは、自信を持っていい。
私の剣と魔法なら、少なくとも会談の場で不意に誰かが傷つけられる事態は防げる。
《転移》を使えば、危険が迫ったときに人を逃がすこともできる。
そして、桜花もいる。
「ただし、話し合いの内容までは私が決めません」
「……ほう」
「みんなが納得できるかどうかは、話してみないと分かりませんから」
……うん。
そこは、力でどうにかすることじゃない。
無理やり「和平成立!」って言わせたって、意味がないもんね。
「……面白い」
魔王が、低く呟いた。
「自分の力には迷いがない。だが、その力で他人の意思まで決めようとはせぬか」
私は、頷いた。
「はい。そうしたくないんです」
……うん。
たぶん、それが一番伝えたいことだね。
◇
魔王は、しばらく黙っていた。
その間、グリンヒルダさんも口を挟まない。
……うん。
待とう。
この人たちにとっては、簡単に決められることじゃない。
私が強い魔法を使えるからって、今すぐ承諾してもらえるとは思ってない。
……いや。
むしろ、相手の国へ行くんだから、慎重になるのが当然だ。
やがて、魔王が口を開いた。
「……リアリス殿」
「はい」
「吾輩が和平の席へ赴くとして、そなたは本当に我が身の安全を保証できるのだな」
「はい。そこは約束します」
「吾輩に味方するという意味ではないな?」
「そうですね。人間側にも、同じように安全を約束します」
魔王が、静かに頷いた。
「……よかろう」
…………。
……おっ。
「グリンヒルダ」
「はっ」
「吾輩は、この話を聞いてみたい」
…………。
……おおお!
「ただし、正式な会談に出るかは、細かな条件を確認してからだ」
「……はい!」
……うん。
それで十分!
今ここで全部決める必要なんてないんだ。
「ありがとうございます!」
私は、思わず立ち上がって頭を下げた。
魔王は、また大きく笑った。
「がっはっは! 礼を言うのはまだ早いぞ! 吾輩は、話し合いの可能性を認めただけだ!」
「……はい。それでも、嬉しいです!」
……ああ。
よかったぁ。
少なくとも、いきなり門前払いにはならなかった。
これなら、四か国の代表にも前向きな報告ができる。
もちろん、魔王国側の希望や不安も、ちゃんと伝えよう。
「グリンヒルダ。必要な条件を整理しておけ」
「承知いたしました」
宰相さんが、深く頭を下げる。
……うん。
仕事が早そうだね。
「リアリス殿」
グリンヒルダさんが、こちらを見た。
「人間諸国にも、確認すべきことがある」
「はい。何でしょう?」
「魔王様の安全、同行する者の人数、会談の場所、帰還の手段。少なくとも、その四つだ」
「分かりました。全部、確認しておきます」
……うん。
大事なことばかりだね。
「移動については、私の《転移》でお迎えできます。帰りも同じようにお送りします」
「……転移魔法、か」
「はい。もちろん、ご本人の同意を得てからです」
グリンヒルダさんが、静かに頷く。
「……なるほど。ならば、移動中の危険は少ないか」
……うん。
そういうことだね。
「でも、どこへ連れていかれるか分からないままじゃ、不安ですよね。先に《映像通話》で会場を見てもらうこともできますよ」
…………。
魔王が、少しだけ身を乗り出した。
「……映像通話とは、先ほど申していた魔法か!」
「はい!」
「離れた場所と話せる、というやつだな?」
「そうです!」
……おお。
興味を持ってくれたみたい。
「では、次にご連絡するときに、実際にお見せしますね」
「うむ! 楽しみにしておこう!」
……あはは。
魔王って、こういう魔法が好きなんだね。
ちょっと、皇帝に似てるかも。
……いや。
皇帝は、すぐに戦いたがるけど。
魔王は、今のところちゃんと話を聞いてくれてる。
……うん。
少なくとも、話せない人ではなかったね。
◇
話し合いがひと区切りついたころ。
広間の横の扉が、そっと開いた。
入ってきたのは、盆を持った給仕の魔族だった。
……おっ。
何だろう。
「魔王様。少し、お休みを」
グリンヒルダさんが、穏やかな声で言った。
「……む」
魔王が、少しだけ咳払いした。
盆の上には、お茶と小さなお皿が並んでいた。
……おお。
お菓子だ!
しかも。
白いクリーム。
ふわふわの生地。
上には、赤い果物が乗っている。
…………。
……あっ。
イチゴのショートケーキ!?
こんなところで出会うとは!
魔王は、少しだけ胸を張った。
「……これは、客人へのもてなしである」
「……あっ。ありがとうございます!」
……うん。
そういうことか。
私と桜花の前にも、お茶と小さなケーキが置かれた。
……おお。
美味しそうだねぇ。
私は、魔王を見る。
……あれ?
魔王、ケーキを見てる。
すっごく見てる。
……何だか、カトレアがお菓子を前にしたときみたいな目だ。
…………。
……もしかして。
「魔王、甘いものが好きなんですか?」
…………。
グリンヒルダさんの尻尾が、ぴたりと止まった。
魔王は、少しだけ目を丸くした。
「……何故、そう思う」
「……ええと。美味しそうに見ていたので」
…………。
魔王が、ぐっと背筋を伸ばした。
「……うむ。悪くはない」
……おお。
悪くはない、か。
私は、一口食べてみた。
…………。
……あっ。
美味しい!
クリームが軽くて、生地もふわふわだ。
イチゴの甘酸っぱさが、ちょうどいい。
……おお。
魔族の国でも、こんなケーキが食べられるんだね。
「すっごく美味しいです!」
私が言うと、魔王の表情が、ぱっと明るくなった。
「そうであろう!」
…………。
……あっ。
今、すごく嬉しそうだった。
「魔都の菓子職人が作ったものだ。腕は確かでな!」
「本当ですね! 家族にも食べさせたいなぁ」
……ああ。
カトレア、きっと喜ぶだろうな。
…………。
……いやいや。
今日は、お土産を買いに来たんじゃない。
まずは、ちゃんと帰ること!
「リアリス様」
桜花が、隣で静かに笑った。
「……はい?」
「カトレアへのお土産を、お考えでございますね」
…………。
……あっ。
やっぱり、ばれた!
「……少しだけ」
「ふふ」
……うん。
こういうときの桜花って、本当に容赦ないなぁ。
魔王が、私たちを見て大きく笑った。
「がっはっは! 娘に甘い父親か!」
「……はい。そこは、否定できません」
……うん。
巴さんに怒られるくらいには、甘いよ!
「よいではないか! 大切な者が喜ぶ顔を見たいのは、当然であろう!」
…………。
……おお。
魔王!
分かってくれるの!?
「そうですよね!」
「うむ!」
私と魔王は、思わず笑った。
その横で、グリンヒルダさんが深く息を吐いた。
……あれ。
何だか、巴さんに似た反応だね。
……うん。
魔王の国にも、お母さんみたいな人がいるんだなぁ。
いや。
宰相さんなんだけどね。
◇
お茶を飲み終えると、魔王はもう一度表情を引き締めた。
「……リアリス殿」
「はい」
「今日は、そなたらを迎えてよかったと思っておる」
…………。
……おお。
それは、嬉しいな。
「ただ、ひとつ忘れるでないぞ」
「……はい」
「吾輩は、魔族の王だ。人間と仲良くすることだけを考えているわけにはいかん」
……うん。
そのとおりだね。
「我が民が安心して暮らせぬような和平なら、吾輩は受け入れぬ」
「……はい。分かっています」
私は、まっすぐ魔王を見た。
「私も、人間の国の人たちに無理をしてほしくはありません」
……うん。
どちらかが一方的に我慢する和平では、いつか壊れてしまうと思う。
「みんなが納得できるか、話してみたいんです」
「……うむ」
魔王が、ゆっくり頷く。
「その言葉、覚えておこう」
……ああ。
何だか、少しだけ信頼してもらえた気がするね。
グリンヒルダさんが、こちらへ目を向けた。
「リアリス殿。会談に向けた条件が整理でき次第、連絡を取りたい」
「もちろんです」
「こちらが人間の国へ出向くことも含め、慎重に決めねばならぬ」
「はい。急がず、でも遅くなりすぎないようにしましょう」
……うん。
宣戦布告が出ている以上、時間が無限にあるわけじゃない。
慎重にしながら、少しずつ進めないとね。
「必要なら、私が各国へ確認しておきます。何でも言ってください」
グリンヒルダさんは、静かに頭を下げた。
「……感謝する」
……おお。
この人に、お礼を言ってもらえた。
何だか、ちょっと嬉しいな。
◇
帰り際。
魔王が、玉座から立ち上がった。
大きな翼が、ゆっくり広がる。
……おお。
やっぱり、近くで見ると迫力があるね。
「リアリス殿!」
「はい!」
「次に会うときには、互いの国の話を、もっと詳しく聞かせてもらおう!」
「……もちろんです!」
「がっはっは! 楽しみにしておるぞ!」
……うん。
大きな声。
でも、最初に聞いたときより、ずっと親しみを感じる。
「魔王。今日はありがとうございました」
「うむ。こちらこそだ!」
私は、丁寧に頭を下げた。
桜花も隣で一礼する。
「本日は、貴重なお時間をいただきありがとうございました」
「よいよい! そなたの腕も、見事であった!」
……おお。
桜花も褒められた!
「身に余るお言葉でございます」
桜花が、穏やかに微笑んだ。
……うん。
よかったね。
グリンヒルダさんが、私たちを出口まで案内してくれた。
廊下へ出る直前。
私は、ふと思い出した。
「……そういえば、魔王」
「何だ?」
「街道で私たちを止めた兵士さんたちにも、怪我がなかったことを、もう一度伝えておいてもらえますか?」
魔王が、少しだけ目を細めた。
「……気にしておるのか」
「はい。こちらも、申し訳なかったので」
…………。
魔王は、しばらく私を見つめた。
「……承知した。吾輩からも、よく言っておこう」
「ありがとうございます!」
……ああ。
これで、少しは安心かな。
私は、桜花と顔を見合わせた。
「それじゃ、帰ろうか」
「はい。リアリス様」
◇
魔王城を出ると、魔都の空は少し明るくなっていた。
朝より雲が薄くなっている。
城の前では、兵士たちが私たちを見送っていた。
さっきまでの険しい視線は、少しだけ和らいだ気がする。
……うん。
もちろん、まだ信頼されているわけじゃない。
でも。
今日、ちゃんと話せたことは、大きかったと思う。
「桜花」
「はい」
「魔王、どんな人だった?」
桜花は、少し考えた。
「大変な実力をお持ちで、ご自身の国を大切になさる方かと」
「……うん。私もそう思う」
「そして、リアリス様のことも、よく見ておられたようでございます」
……おお。
そうだね。
私がどんな人間か、ちゃんと確かめようとしていた。
魔力の試しも、あくまで力を見るためだった。
……いや。
普通の人だったら、かなり怖かっただろうけど。
私には、十分に対処できる力があった。
そこは、ちゃんと分かっている。
「……桜花。私、今日改めて思ったよ」
「何をでございましょうか」
「剣も魔法も強いって、便利なだけじゃないね」
私は、魔王城を見上げた。
「戦いを避けるために、強さが必要なこともあるんだなって」
……うん。
相手の攻撃を止められる。
自分の身を守れる。
だからこそ、落ち着いて話を続けられた。
力がなければ、ここまで来られなかったかもしれない。
でも。
力だけで、話し合いができたわけでもない。
「……やっぱり、難しいね」
「はい。ですが、今日のリアリス様は、ご自身のお力を正しくお使いになったと思います」
…………。
……ああ。
ありがとう。
「……そう言ってもらえると、嬉しいな」
桜花が、柔らかく微笑む。
……うん。
今日は、少し胸を張って帰ってもいいかな。
◇
私たちは、人通りのない場所へ移動した。
帰る前に、私は《収納》から、小さな布包みを取り出した。
カトレアがくれた、白い花。
……うん。
ちゃんと、無事に帰れそうだね。
花は、まだ綺麗なままだった。
私は、そっと布を包み直した。
「リアリス様」
「ん?」
「カトレアへのお約束でございますね」
「……うん」
私は、小さく笑った。
「ちゃんと帰るって約束したからね」
それに。
あの子と、またお花を見る約束もしてる。
……うん。
約束がいっぱいだ。
でも、どれも大事なものばかり。
「桜花。帰ろうか」
「はい」
「《転移》」
景色が、ふっと切り替わった。
次の瞬間には、見慣れたシルク王国邸の庭が広がっていた。
……ああ。
帰ってきた。
「ただいまー!」
私は、玄関へ向かって声を上げた。
すると。
「……お父さん!」
中から、小さな足音が聞こえてきた。
……あっ。
カトレア!
「おかえり!」
「ただいま!」
私は、駆け寄ってきたカトレアを抱きしめた。
……ああ。
よかった。
本当に、帰ってこられたね。
「……お父さん、だいじょうぶ?」
「うん。ちゃんと帰ってきたよ」
「……お話、できた?」
…………。
……ああ。
そうだったね。
出かける前に、ちゃんとお話ししてねって言われたんだった。
「うん。魔王と、たくさん話せたよ」
「……けんか、しなかった?」
「……うん。魔王とは、けんかしなかったよ」
……あっ。
途中の兵士さんたちとは、ちょっとあったけど。
でも、誰も怪我してないからね。
「……よかった!」
カトレアが、にこっと笑った。
…………。
……ああ。
その笑顔が、一番嬉しい。
「それに、魔王も大切な人たちを守ろうとしてたよ」
「……そうなの?」
「うん。私と同じだね」
カトレアは、少し考えた。
「……じゃあ、やさしい人?」
…………。
……うーん。
難しい質問だね。
でも。
「……優しいところもある人だと思うよ」
私は、そう答えた。
カトレアが、ほっとしたように笑う。
「……よかった!」
……うん。
よかったね。
◇
その日の夕方。
王国邸の食堂では、巴さんが温かいご飯を用意してくれた。
桜花も、カトレアも、いつもの席にいる。
……ああ。
落ち着くなぁ。
「リアリスちゃん。魔王さんとは、ちゃんとお話しできた?」
巴さんが、私を見る。
「うん。思ってたより、ずっと話ができる人だったよ」
「そう。よかったわね」
「ただ、まだ和平が決まったわけじゃないんだ」
……うん。
そこは、忘れちゃ駄目だね。
魔王は、話し合う可能性を認めてくれた。
でも、魔王国が何を求めるのか。
人間の四か国が、何を守りたいのか。
それを、これからちゃんと確かめないといけない。
「……これから、忙しくなりそうだね」
私が言うと、巴さんが微笑んだ。
「そうね。でも、今日はよく頑張ったわ」
「……ありがとう」
「ご飯を食べて、ちゃんと休みなさい」
「はい!」
……うん。
やっぱり、巴さんには勝てないなぁ。
……いや。
勝ち負けじゃないけどね。
「お父さん!」
カトレアが、私の袖を引いた。
「ん?」
「……あした、お花、見ようね!」
…………。
……ああ。
そうだった。
「うん! 約束!」
……うん。
そういう時間は、ちゃんと大事にしよう。
魔王国のことも、人間の国々のことも、まだ分からないことがいっぱいある。
でも。
今日、魔王と話してみて、ひとつ分かったことがある。
あの人も、誰かを守ろうとしている。
それなら、きっと。
話し合うことはできる。
……うん。
次は、人間の四か国と魔王国が、同じ場所に集まる番だね。
私は、温かいご飯を口に運んだ。
……ああ。
おいしい。
こういう当たり前の時間を、どこの国の人たちにも過ごしてほしい。
そのために、私ができることをしよう。
――魔王ドルステン。強さだけではなく、国と民を背負う覚悟を持った、ひとりの王だった。




