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第1話:魔族領へ行ってみよう

 翌朝。


 いつもより、少しだけ早く目が覚めた。


 窓の外は、まだ朝日が昇り始めたばかり。


 薄い光が、シルク王国邸の庭に差し込んでいる。


 ……うん。


 いい天気になりそうだね。


 私は、ベッドから起き上がった。


 今日の行き先は、ドルステン魔国。


 魔王から人間の四か国へ宣戦布告が届いた、その翌日だ。


 ……ああ。


 昨日は、みんなでこれからどうするかを話し合ったんだった。


 国王さんも、皇帝も、法師長さんも、教皇さんも。


 戦いを避けられるなら、交渉の場を設けることには賛成してくれた。


 だから今日は、その可能性を確かめに行く。


 魔族の国を治める、魔王のところへ。


 …………。


 ……魔王、かぁ。


 こうして口にすると、やっぱり少し怖い響きだね。


 でも、まだ会ったこともない人だ。


 どんな顔をして、どんなことを考えているのか。


 決めつけるのは、会ってからでも遅くない。


 ……いや。


 できれば、会ったあとも決めつけない方がいいかな。


 私は服を着替え、窓の外をもう一度見た。


 穏やかな朝。


 この国では、まだ人々がいつものように朝を迎えられている。


 できれば、このままでいてほしい。


 ……うん。


 そろそろ、行こう。


     ◇


 食堂へ行くと、巴さんが朝食の準備をしていた。


「おはよう、巴さん」


「あら、リアリスちゃん。おはよう」


 いつもと同じ、優しい声。


 ……ああ。


 何だか、安心するね。


「今日は早いのね」


「うん。ちょっと目が覚めちゃって」


「そう。緊張してる?」


 …………。


 ……あっ。


 いきなり見抜かれた。


「……少しだけ」


「ふふ。そうよね」


 巴さんは、焼きたてのパンを皿へ乗せてくれた。


「ちゃんと食べてから出かけるのよ」


「もちろん!」


 ……うん。


 大事な仕事の前こそ、朝ご飯。


 そこは、巴さんの教えを守らないとね。


 ほどなくして、桜花も食堂へやってきた。


「おはようございます、リアリス様。巴様」


「おはよう、桜花!」


「おはよう、桜花ちゃん」


 桜花は、今日もいつもの服装だ。


 ……うん。


 何だか、昨日までと変わらないね。


「桜花。準備は?」


「すべて整っております」


「そっか。ありがとう」


 私が笑うと、桜花も静かに微笑んだ。


「ただし、リアリス様」


「……ん?」


「本日は、これまでの訪問とは事情が異なります。どうか、私のそばをお離れになりませんよう」


 …………。


 ……ああ。


 そっか。


 王国や帝国を訪ねたときは、少なくとも向こうから宣戦布告されていたわけじゃなかった。


 でも今回は違う。


 魔王国の人たちにとって、私たちは敵国から来る人間なんだ。


「うん。気をつけるよ」


「ありがとうございます」


 ……うん。


 桜花も真剣だね。


 私も、ちゃんと気を引き締めよう。


 巴さんが、温かいスープを運んでくれた。


「二人とも。今日は特に、無理をしないでちょうだいね」


「……はい」


「桜花ちゃんも、リアリスちゃんのことだけじゃなく、自分のことも考えるのよ」


「承知いたしました」


 ……ああ。


 巴さんは、いつでもお母さんだなぁ。


 私がどれだけ強い魔法を使えても。


 桜花がどれだけ強くても。


 こういうことを言ってくれる人がいるのは、本当にありがたいね。


     ◇


 朝食を終えたころ。


「……お父さん」


 食堂の入口から、小さな声が聞こえた。


 ……おっ。


 カトレア!


「おはよう!」


「……おはよう」


 カトレアが、ゆっくり歩いてきた。


 いつもなら走って抱きついてくるのに、今日は少し大人しい。


 ……ああ。


 昨日の話を、覚えてるんだね。


「お父さん。今日、遠くへ行くんだよね」


「うん。桜花と一緒にね」


「……そう」


 カトレアは、私の隣へ来た。


 そして、私の袖をぎゅっと握る。


「……こわい人、いる?」


 …………。


 ……ああ。


 昨日も、同じようなことを聞いていたね。


「いるかもしれない。でも、優しい人もいると思うよ」


「……ほんと?」


「うん。まだ会ったことがないから、どんな人たちか確かめてくるんだ」


 カトレアは、少し考えた。


「……お父さん、けんかする?」


 …………。


 ……その質問。


 ちょっと、胸に刺さるなぁ。


「……できれば、したくないな」


「……うん」


「お話しして、仲良くなれたらいいと思ってる」


 カトレアが、私を見上げた。


「……じゃあ、ちゃんとお話ししてね」


「うん。約束する」


 ……ああ。


 そうだね。


 それを忘れちゃ駄目だ。


 私は、しゃがんでカトレアを抱きしめた。


 小さな腕が、私の背中に回る。


「お父さん」


「ん?」


「……帰ってきたら、お花、見ようね」


「もちろん!」


 ……うん。


 またお花だ。


 昨日も一緒に見たのに。


 でも、何度だっていいよね。


「それとね」


 カトレアが、小さな手を開いた。


 手のひらには、庭で咲いていた白い花が一輪。


「……これ」


「……おお」


「……おまもり」


 …………。


 ……ああ。


 ずるいなぁ。


 こんなの、泣いちゃうじゃないか。


「ありがとう。大事に持っていくね」


 私は花を受け取り、折れないよう小さな布に包んだ。


 《収納》へ入れる前に、もう一度見ておく。


 小さな白い花。


 どんな立派な宝物より、今はこれが嬉しい。


「……絶対、帰ってくるよ」


「……うん!」


 カトレアが、ようやく笑った。


 ……うん。


 約束したからね。


 必ず帰ってこよう。


     ◇


 玄関では、楓とモフ太も見送ってくれた。


「……お気をつけて」


「ありがとう、楓!」


「ご主人様。カトレア様のことは、私にお任せください」


「うん。お願いね、モフ太」


 ……ああ。


 この子たちがいてくれれば、留守の間も安心だ。


 巴さんからは、お昼に食べられるよう軽い食事も持たせてもらった。


「ちゃんと休憩して食べるのよ」


「はい!」


「それから、リアリスちゃん」


 巴さんが、少し声を落とす。


「相手の話を聞くのは大事よ。でも、自分たちを危険にさらしてまで、無理に分かり合おうとしちゃ駄目」


 …………。


 ……うん。


 そうだね。


「話せないと思ったら、一度帰ってきてもいいんだから」


「……分かりました」


 巴さんは、ほっとしたように頷いた。


 私は、桜花と並んで庭へ出た。


 カトレアが、玄関から大きく手を振る。


「お父さん! 桜花ちゃん! いってらっしゃい!」


「行ってきます!」


「行ってまいります、カトレア」


 私はもう一度、小さな白い花のことを思い出した。


 ……うん。


 大丈夫。


 何をしに行くのか、ちゃんと覚えてる。


「桜花。行こうか」


「はい」


 ……さて。


 魔族の国。


 どんなところなんだろう。


     ◇


 ドルステン魔国は、中央大陸から離れた北東の大陸にある。


 国を治めるのは、魔王ドルステン。


 首都は、魔都ヴァルキア。


 ……うん。


 まずは、魔都の外れに出てみよう。


 いきなり魔王のお城へ現れたら、確実に警戒されるだろうし。


 いや。


 城どころか、街の真ん中へ出ても騒ぎになりそうだ。


 私は地図を思い浮かべ、魔都から少し離れた街道沿いの場所を探した。


 人の気配が少ない、森の外れ。


 ……うん。


 ここなら大丈夫そうだ。


「桜花。準備はいい?」


「はい」


「それじゃ……《転移》」


 視界が、ふっと切り替わった。


 次の瞬間、足元には黒っぽい土。


 周囲には、背の高い木々が広がっていた。


 ……おお。


 着いた!


 空には雲が少し多い。


 風はひんやりしていて、湿った土の匂いがする。


 ……うん。


 魔族の国って聞いて、もっと暗い場所を想像してたんだけど。


 森もあるし、草も生えてる。


 普通に鳥の声まで聞こえる。


 ……いや。


 考えてみれば、当たり前だよね。


 国なんだから、そこで暮らしている人たちがいるんだ。


「リアリス様」


 桜花が、周囲へ目を向けた。


「ん?」


「東側に街道がございます」


「おお。あれだね」


 木々の間から、踏み固められた道が見えていた。


 遠くには、山の稜線。


 その向こうに、黒い石で造られた高い塔がいくつか見える。


 ……あっ。


 あれが魔都かな。


 白い聖都とは、また違う雰囲気だね。


「まずは、道に沿って歩いてみようか」


「かしこまりました」


 私たちは、森を抜けて街道へ向かった。


     ◇


 街道には、荷車の轍が残っていた。


 道の脇には畑が続き、少し離れたところには小さな家が並んでいる。


 ……おお。


 農業もしてるんだ。


 私は、畑で作業する人影を見つけた。


 近づいて見てみると。


 …………。


 ……あっ。


 角がある。


 作業着を着た男性の額には、短い角が二本生えていた。


 その隣の女性には、長い尻尾がある。


 でも、二人とも普通に畑仕事をしている。


 ……うん。


 そういうところは、私たちと変わらないんだね。


 さらに先では、小さな子どもが家の前を走っていた。


 背中には、小さな翼のようなものが見える。


「……あっ、待ってー!」


 子どもが、転がっていく木の輪を追いかけた。


 …………。


 ……おお。


 楽しそうだなぁ。


 つい、笑ってしまう。


 でも。


 その子の母親らしい女性が、私たちに気づいた瞬間。


 表情を変えた。


「……人間?」


 …………。


 小さな声だった。


 けれど、確かに聞こえた。


 女性は子どもの手を取り、家の中へ引き寄せた。


「……お母さん?」


「……中へお入り」


 扉が、静かに閉まる。


 …………。


 ……ああ。


 そうか。


 今の私たちは、ここでは歓迎されるとは限らないんだ。


 魔王国は、人間の国々へ宣戦布告したばかり。


 人間が突然現れたら、怖いと思われても仕方ないよね。


「……リアリス様」


 桜花が、私の隣へ並ぶ。


「……うん」


「お気になさらず」


「……ありがとう」


 私は、閉まった扉を見つめた。


 ……あの子も、怖がらせちゃったかな。


 さっきまで、楽しそうに遊んでいたのに。


 ……うん。


 私たちは、争いを止めに来たんだ。


 でも、相手の人たちから見れば、争いを運んできた人間に見えるのかもしれない。


 ……難しいね。


     ◇


 魔都へ続く道には、しばらく人影がなかった。


 遠くから、荷車の音が聞こえてくる。


 ……ああ。


 商人さんかな。


 曲がり角の向こうから、一台の荷車が現れた。


 荷台には、布をかぶせた箱が積まれている。


 引いているのは、大きな角を持つ魔族の男性だった。


 男性は私たちを見るなり、足を止めた。


「……お前たち、人間か」


 声が低い。


 ……うん。


 やっぱり、すぐ分かるよね。


「はい。そうです」


 私は、なるべく穏やかに答えた。


「魔王にお会いしたくて、こちらへ来ました」


「……魔王様に?」


 男性の顔が、険しくなった。


「今がどういう時期か、分かって言ってるのか?」


「……はい。宣戦布告があったことは、知っています」


「だったら、なおさらだ!」


 男性が、荷車の取っ手を強く握った。


「人間が、こんなところへ何しに来た! 偵察か!?」


「違います。話し合いができないかと思って」


「……話し合い?」


 男性は、私の顔をじっと見た。


 その目には、怒りというより、不安が浮かんでいる気がした。


 ……ああ。


 この人も、怖いんだね。


「戦争になれば、私たちの国だけじゃなく、この国の人たちも困るでしょう?」


 私は、ゆっくり話した。


「できれば、誰も傷つかずに済む方法を探したいんです」


 男性は、しばらく黙っていた。


 そして、短く息を吐いた。


「……言うだけなら、誰でもできる」


「……そうですね」


 ……うん。


 そのとおりだ。


 突然現れた人間の言葉なんて、簡単に信じられないよね。


「でも、私は本当に、そのつもりで来ました」


 男性は、何も答えなかった。


 ただ、荷車を道の端へ寄せる。


「……魔都へ行くなら、まっすぐだ」


「……ありがとうございます」


「だが、気をつけろ。今の兵士たちは、人間を見たら黙って通さんぞ」


 …………。


 ……おお。


 教えてくれたんだ。


「分かりました。ありがとうございます」


 私は、深く頭を下げた。


 男性は、少し驚いたような顔をした。


 それから、何も言わずに荷車を引いていった。


 ……うん。


 厳しいことを言われたけど。


 道は、教えてくれた。


 それだけでも、少し嬉しかった。


     ◇


「リアリス様」


 歩き始めてしばらくすると、桜花が口を開いた。


「はい?」


「この先に、複数の武装した方々がおられます」


 …………。


 ……あっ。


「兵士さん?」


「おそらくは」


 私は、道の向こうを見た。


 まだ姿は見えないけれど、桜花の言うことなら間違いないだろう。


 ……うん。


 ついに、来たね。


「桜花。できれば、戦わずに通してもらいたいな」


「承知しております」


「相手が攻撃してきても、怪我はさせないでほしい」


 桜花が、まっすぐ私を見た。


「……はい。峰打ちにて対応いたします」


 ……ああ。


 頼もしいね。


「ただ、桜花も無理しないでね」


「お気遣い、ありがとうございます」


 桜花は、静かに微笑んだ。


 ……うん。


 私たちが無事に帰ることも、大事だからね。


 しばらくすると、道の先から金属の擦れる音がした。


 木々の影から、鎧を着た魔族の兵士たちが現れる。


 全部で六人。


 角のある人。


 背中に翼を持つ人。


 長い尻尾を揺らしている人。


 それぞれ姿は違うけれど、持っている武器は剣や槍だ。


 ……うん。


 ちゃんとした警備の人たちみたいだね。


「止まれ!」


 先頭の兵士が、鋭い声を上げた。


 私たちは、すぐに足を止めた。


「何者だ!」


「シルク王国から来ました。リアリスと申します。こちらは桜花です」


 私は、両手を見える位置に上げた。


「武器を使うつもりはありません。魔王に、話し合いをお願いしたくて」


 …………。


 兵士たちの表情が変わった。


「……人間だと?」


「しかも、魔王様に会いたいだと?」


 槍の穂先が、こちらへ向く。


 ……ああ。


 やっぱり、すぐには信じてもらえないか。


「人間の四か国は、魔王国との和平交渉を検討しています。その橋渡しに来ました」


 私は、ゆっくり続けた。


「よければ、魔王への取り次ぎをお願いできませんか?」


「……ふざけるな!」


 先頭の兵士が、剣を抜いた。


 ……あっ。


 まずい。


「宣戦布告を受けた人間が、和平の使者だと? そんな話が通ると思うか!」


「……急に来てしまって、すみません。でも、本当なんです」


「黙れ!」


 …………。


 ……うん。


 今は、聞く余裕がないみたいだ。


「桜花」


「はい」


「……お願い。怪我をさせないようにね」


「かしこまりました」


 私は、もう一度兵士たちへ声をかけた。


「戦うつもりはありません。できれば、武器を下ろしてください」


 けれど。


「人間を捕らえろ!」


 先頭の兵士が叫んだ。


 六人の兵士たちが、一斉に動いた。


     ◇


 最初に突き出されたのは、長い槍だった。


 まっすぐ私へ向かってくる。


 ……っ。


 速い!


 でも。


 私の隣にいた桜花が、すっと前へ出た。


 きんっ。


 澄んだ金属音が鳴る。


 槍の穂先は、桜花の刀に受け止められていた。


 ……おお。


 やっぱり、桜花はすごいね。


 いや。


 今は、感心している場合じゃない!


「桜花、気をつけて!」


「はい」


 桜花の返事は、いつもどおり落ち着いていた。


 次の瞬間。


 彼女の刀が、静かに動いた。


 刃ではなく、背の部分。


 峰を使って、兵士の肩口を正確に打つ。


「……がっ」


 槍を持っていた兵士が、膝から崩れた。


 ……あっ。


 大丈夫かな!?


 倒れた兵士の呼吸を、《サーチ》で確かめる。


 ……うん。


 怪我はない。


 気を失っているだけだ。


 ……よかった。


「なっ……!」


 残りの兵士たちが、息をのんだ。


 だが、すぐに二人目が剣を振り上げた。


「貴様ぁ!」


 桜花が、半歩だけ横へずれる。


 剣が空を切った。


 そのまま、刀の峰が鎧の隙間へ軽く当たる。


 兵士は声も出せずに崩れ落ちた。


 …………。


 ……おお。


 ほんの一瞬だ。


 でも。


 桜花は、ひとつも無駄な動きをしていない。


「くそっ! 魔法を使え!」


 後方の兵士が、手をかざした。


 赤い光が集まっていく。


 ……あっ。


 火の魔法!?


 ここは街道。


 近くには森がある。


 火が飛び散ったら、危ない!


「《結界》!」


 私は、火の魔法を放とうとしている兵士の前に、見えない壁を作った。


 放たれた火球が、その壁へぶつかる。


 ぼふっ。


 熱と光が広がる前に、閉じ込めて消した。


 ……ほっ。


 これなら、森にも火が移らないね。


「……何だと!?」


 魔法を使った兵士が、目を見開いた。


 その隙に、桜花が距離を詰める。


 とんっ。


 刀の峰が、首の後ろへ軽く触れた。


 兵士が、静かに崩れる。


 ……うん。


 これで三人。


 でも、まだ三人いる。


「囲め!」


 残る兵士たちが、左右へ散った。


 ……ああ。


 挟み撃ちにするつもりなんだ。


 桜花は、私の前に立ったまま動かない。


 そして、三人が同時に踏み込んだ瞬間。


 すっ。


 ……えっ?


 桜花の姿が、少しだけぶれた。


 いや。


 速すぎて、そう見えただけかもしれない。


 きんっ、きんっ。


 二つの武器が地面へ落ちた。


 続いて、軽い打撃音が三つ。


 ……あっ。


 もう、終わった。


 三人の兵士が、ほとんど同時に倒れた。


 桜花は、静かに刀を納めた。


「……リアリス様。全員、峰打ちでございます」


 …………。


 ……おお。


 本当に、誰も斬ってない!


「ありがとう、桜花!」


「当然の務めでございます」


 桜花は、いつもどおり微笑んだ。


 ……うん。


 頼もしいなぁ。


 でも。


 目の前には、倒れた六人の兵士。


 これ、どうしよう。


 私は、全員の様子を《サーチ》で確かめた。


 呼吸も、心臓の動きも、問題ない。


 ……よかった。


 ちゃんと、みんな生きてる。


「……桜花」


「はい」


「このまま道に寝かせておくのは、危ないよね」


「おっしゃるとおりでございます」


 ……うん。


 荷車に轢かれたりしたら大変だ。


 私たちは、道の端の安全な場所へ兵士たちを運んだ。


 頭をぶつけないよう、そっと寝かせる。


 ……うん。


 これで、大丈夫かな。


 ……いや。


 人の国へ来て、最初にやったことが兵士を六人も倒すことだなんて。


 私、和平の使者としては、ちょっと失敗してない?


 …………。


 ……でも。


 誰も傷つけずに済んだ。


 まずは、それでよかったと思うことにしよう。


     ◇


 しばらく、兵士たちのそばで待っていた。


 ……うん。


 このまま先へ進むこともできる。


 《転移》を使えば、魔王城へ直接向かうことだってできるだろう。


 でも。


 それをしたら、きっともっと大きな騒ぎになる。


 兵士たちを倒して、街を無視して城へ押しかける人間。


 ……うん。


 どう考えても、和平の使者には見えないね。


「桜花。少し待とうか」


「はい」


「この人たちが起きたら、もう一度話してみたい」


 桜花が、静かに頷いた。


「リアリス様のお望みのとおりに」


 ……うん。


 ありがとう。


 私は、目を閉じて小さく息をついた。


 ……ああ。


 さっきの兵士たちも、怖かったんだろうな。


 相手は、人間。


 しかも、宣戦布告の直後に突然現れた二人組。


 武器を向ける理由は、分かる。


 ……でも。


 できれば、次は話を聞いてほしいな。


 私は、兵士たちの近くに腰を下ろした。


 桜花は、少し離れた場所で周囲を警戒してくれている。


 ……うん。


 こんなときでも、ずっとそばにいてくれる。


 ありがたいね。


 やがて。


「……う、うぅ……」


 一人の兵士が、目を開けた。


 さっき、最初に槍を突き出してきた人だ。


 ……おっ。


 目が覚めた!


「大丈夫ですか?」


 私は、少し離れた場所から声をかけた。


 兵士は、私の顔を見るなり飛び起きようとした。


「……っ!」


「ちょ、ちょっと待って!」


 ……ああ。


 また驚かせちゃった。


「攻撃するつもりはありません。怪我がないか、確認していただけです」


 兵士が、周囲を見回した。


 地面には、ほかの五人の仲間が横になっている。


 でも、みんな呼吸は穏やかだ。


「……お前たち……!」


 兵士は、私を睨んだ。


「何をした!」


「……すみません。攻撃を止めるため、少し気を失ってもらいました」


 …………。


 ……うん。


 説明としては、ちょっと変かな。


 でも、本当のことだ。


「誰も斬ってません。皆さんに怪我がないことも確認しました」


 兵士は、ほかの仲間を見た。


 一人ずつ、顔を確かめている。


 その表情が、少しだけ変わった。


「……全員、生きている……?」


「はい」


 …………。


 しばらく、沈黙。


 兵士は、ようやく私へ視線を戻した。


「……なぜ、とどめを刺さなかった」


 …………。


 ……えっ?


 その質問。


 何だか、悲しいな。


「だって、殺したくないからです」


「……何?」


「私は、魔王に話を聞きに来ただけです。誰かを傷つけに来たわけじゃありません」


 兵士が、じっと私を見た。


「……本当に、人間の使者だと言うのか」


「はい。四つの国の代表と話し合い、和平の可能性を確かめる役目を引き受けました」


「……和平……」


 兵士が、低く呟いた。


「それなら、なぜ兵を倒した?」


 ……うん。


 もっともな質問だね。


「攻撃されたから、止めました。でも、戦いたくはありません」


 私は、はっきり答えた。


「できれば、ここからは話し合いたいです」


 …………。


 兵士は、少しだけ視線を落とした。


 それから、仲間の一人へ声をかけた。


「……おい。起きろ」


 ……あっ。


 ほかの人も、目が覚め始めてるみたい。


 よかった。


     ◇


 兵士たち全員が意識を取り戻すころには、日が少し高くなっていた。


 誰も怪我をしていないと確認できて、私はほっとした。


 ……うん。


 よかった。


 ただ。


 六人とも、私たちを警戒している。


 当然だよね。


 さっきまで、敵だと思っていた相手なんだから。


「……リアリス、と言ったな」


 先頭の兵士が、低い声で言った。


「はい」


「人間の国から来て、魔王様に会わせろなどと。普通なら、即座に捕らえられる」


「……そうですね」


「お前たちは、その気になれば我々を殺せたはずだ」


 …………。


 ……ああ。


 そう思われるのも、仕方ないか。


「でも、しませんでした」


 私は答えた。


「それが、私の考えです」


 兵士は、黙っていた。


「……魔王国が宣戦布告したことは、知っています」


「……ならば」


「でも、宣戦布告した理由を、私はまだ知りません」


 私は、一歩だけ前へ出た。


「人間の国々がどう考えているのかは、聞いてきました。今度は、魔族の方々がどう考えているのかを聞きたいんです」


 ……うん。


 どちらか一方の話だけじゃ、分からないことがある。


「魔王に、直接お会いできませんか」


 兵士は、しばらく私を見つめていた。


 そして。


「……その場で答えられる話ではない」


「……はい」


「我々には、魔王様との面会を勝手に認める権限はない」


「もちろんです」


 ……うん。


 そりゃ、そうだよね。


 国の一番偉い人に会うんだから。


「だが、報告はできる」


 …………。


 ……おお!


「本当ですか!」


「勘違いするな。お前たちを信用したわけではない」


「はい。分かっています」


「このことは、上官に伝える。そこから先は、その判断だ」


「ありがとうございます!」


 私は、深く頭を下げた。


 兵士は、少しだけ眉をひそめた。


 ……あれ。


 また、変なことしたかな。


 いや。


 ありがとうって言いたかっただけなんだけど。


「……なぜ、頭を下げる」


「えっ? 取り次いでもらえるからです」


「……我々は、つい先ほどお前たちを攻撃したんだぞ」


「……そうですね」


 …………。


 ……うん。


 確かに。


 でも。


「それでも、話を聞いてもらえるなら、嬉しいですから」


 兵士は、何も言わなかった。


 ただ、少しだけ目を伏せた。


     ◇


 兵士の一人が、魔都の方へ報告に向かった。


 残る兵士たちは、私たちを取り囲むように立っている。


 ……うん。


 護衛なのか、監視なのか。


 ……まあ、両方かな。


「リアリス様」


 桜花が、小さく声をかけた。


「はい?」


「皆様は、まだ警戒しておられます」


「うん。分かってる」


「……それでも、お待ちになりますか?」


「うん」


 私は、魔都の方を見た。


 遠くには、高い城壁が見えている。


 ……ああ。


 もう、あそこまで来てるんだね。


 ただし、無理に進むつもりはない。


 今は、向こうの返事を待とう。


 私は、街道の端へ移動して立った。


 桜花も、隣へ並ぶ。


 ……うん。


 少しだけ、風が冷たいな。


 そのとき。


 さっきの先頭の兵士が、こちらへ来た。


「……お前たち」


「はい?」


「なぜ、二人だけで来た」


 …………。


 ……ああ。


 そういえば。


 和平の使者って聞いて、もっと大勢来ると思ったのかな。


「大人数で来たら、軍隊みたいに見えちゃうかと思って」


「……軍隊?」


「はい。話し合いに来たのに、武装した人たちを大勢連れてきたら、怖いでしょう?」


 兵士の表情が、少しだけ変わった。


「……それで、二人か」


「うん。桜花が一緒に来てくれるって言ったので」


 私は、隣の桜花を見る。


 桜花は、静かに一礼した。


「リアリス様の護衛を務めております」


 ……うん。


 私は本当に、桜花がいてくれて助かってるんだよね。


「……その護衛一人に、我々六人が倒されたわけだが」


 …………。


 ……あっ。


 そうだった。


 兵士たちにとっては、ちょっと複雑だよね。


「……ごめんなさい」


 私が謝ると、兵士は困ったような顔をした。


「……謝るな。我々が先に仕掛けた」


 …………。


 ……おお。


 ちゃんと分かってくれてる。


「ただ、ひとつ聞きたい」


「はい」


「もし魔王様が、和平を拒んだらどうする?」


 …………。


 ……うん。


 大事な質問だね。


 私は、少し考えた。


「その理由を聞いて、いったん人間の国々へ持ち帰ります」


「……それだけか?」


「はい。それだけです」


 兵士が、目を細めた。


「力ずくで従わせようとは思わないのか」


「……思いません」


 私は、首を振った。


「相手が納得していないのに、無理やり約束させても、きっと長続きしませんから」


 …………。


 ……うん。


 そう思うんだ。


 大切なのは、戦争を一度止めることだけじゃない。


 そのあとも、安心して暮らせること。


 それがなければ、同じことの繰り返しになっちゃう。


「……そうか」


 兵士は、短く答えた。


 まだ疑っている顔だったけれど。


 さっきより、少しだけ声が柔らかくなった気がした。


     ◇


 しばらくして、魔都の方から馬の蹄の音が聞こえてきた。


 ……おっ。


 誰か戻ってきたみたい。


 道の向こうに、数人の兵士が現れた。


 その中央には、ひときわ立派な鎧を着た魔族の男性がいる。


 角は一本。


 肩には、濃い色の布がかけられていた。


 ……おお。


 偉い人かな。


「この者たちか」


 男性が、私たちを見た。


「はい。人間二名です。魔王様との面会を求めています」


 先ほどの兵士が、背筋を伸ばして報告する。


「六名で制圧を試みましたが、返り討ちに遭いました」


 …………。


 ……あっ。


 そこも、ちゃんと報告するんだ。


「ただし、負傷者はありません。こちらが先に攻撃したことも、確認しています」


 ……おお。


 それも言ってくれた!


 男性は、私と桜花を交互に見た。


「……人間が、魔王様に和平を申し入れに来たと?」


「はい。リアリスと申します。こちらは桜花です」


 私は、丁寧に頭を下げた。


「人間の四か国の代表と話し合い、魔王国の意思を確かめる役目を引き受けました」


 男性は、しばらく私を見つめていた。


「……証拠は?」


 …………。


 ……ああ。


 そりゃ、そうだよね。


 口で言うだけなら、何とでも言える。


「昨日、人間の四か国の代表に、正式に役目を任せてもらいました。必要なら、《映像通話》で確認していただくこともできます」


「……映像通話?」


「離れた場所にいる相手と、顔を見ながら話せる魔法です」


 …………。


 男性が、少しだけ眉を上げた。


 ……あっ。


 また変な魔法って思われたかな。


「……そんなものが、あるのか」


「はい。よければ、ここでも使えます」


 男性は、一瞬考えた。


 そして、首を横に振った。


「……必要なら後で確認する。まずは、こちらの報告を聞け」


「……はい」


「お前たちが兵士を殺さず、逃げもせずに待っていたことは、上へ伝わっている」


 …………。


 ……おお。


 そうなんだ。


「だからといって、すぐに信用するわけにはいかん。ここから先は、我々の監視下で同行してもらう」


「分かりました」


 ……うん。


 当然の対応だよね。


「武器を抜いたり、勝手に移動したりしないこと」


「はい。こちらからは何もしません」


 男性は、桜花へ目を向けた。


「そちらの護衛もだ」


「承知いたしました」


 桜花が、静かに答えた。


 ……うん。


 これで、話は進みそうだね。


「では、魔都へ向かう」


 男性が、歩き出した。


 私たちは、兵士たちに囲まれる形で、そのあとに続いた。


     ◇


 魔都ヴァルキアの城壁は、近くで見ると想像以上に大きかった。


 黒い石を積み上げたような壁。


 その上には、いくつもの見張り台。


 門には、重厚な鉄の飾りがついている。


 ……おお。


 聖都の白い建物とは、全然違うね。


 でも、これはこれで綺麗だ。


 ……あっ。


 今、観光してる場合じゃないか。


 私は、もう一度気を引き締めた。


 門の近くには、多くの兵士が配置されていた。


 武器を持った人たちが、行き交う荷車を確認している。


 ……うん。


 宣戦布告の直後だから、警備が厳しくなってるんだね。


 私たちの姿を見た門番の一人が、目を見開いた。


「……人間!?」


 …………。


 周囲の視線が、一斉に集まる。


 ……ああ。


 やっぱり、そうなるよね。


 案内してくれた男性が、一歩前へ出た。


「この二名は、魔王様への面会を求めている。上の判断を仰ぐため、連れていく」


「……しかし、人間を中へ入れるのですか?」


「命令だ。武器を抜くな」


 …………。


 ……おお。


 ちゃんと止めてくれた。


 私は、男性に小さく頭を下げた。


「ありがとうございます」


「……礼は、まだ早い」


 ……あっ。


 そうか。


 まだ、面会できると決まったわけじゃないもんね。


 私たちは、重い門をくぐった。


 その向こうには、魔都の街並みが広がっていた。


     ◇


 魔都の街は、思っていたよりずっと賑やかだった。


 黒い石造りの建物。


 赤茶色の屋根。


 広い道の両側には、食料や道具を売る店が並んでいる。


 ……おお。


 普通の街だ。


 いや。


 普通っていうのも、変かな。


 魔族の人たちには、これが普通の暮らしなんだよね。


 角のある人。


 翼を持つ人。


 尻尾を揺らして歩く人。


 姿はさまざまだけれど、買い物をしたり、荷物を運んだり、誰かと笑い合ったりしている。


 ……うん。


 やっぱり、人間の国と変わらないところがいっぱいある。


 ただ。


 私たちが通ると、人々の声が小さくなった。


「……人間?」


「どうして、こんなところに……」


 子どもを抱き寄せる女性。


 店の奥へ引っ込む商人。


 遠くから、険しい顔で見つめる若い男性。


 …………。


 ……ああ。


 街道の人たちと、同じだ。


 今は、敵だと思われているんだね。


「……リアリス様」


 桜花が、隣から小さく声をかけた。


「……うん」


「お気持ちは、分かります」


「……そっか」


 桜花には、私の考えていることが分かるらしい。


 ……いや。


 顔に出てるのかな。


 私は、通りの先を見た。


 小さな店の前で、子どもが母親の服を引っ張っている。


 何かをねだっているみたいだ。


 …………。


 ……あっ。


 カトレアを思い出しちゃった。


 あの子も、可愛いものを見つけると、あんな顔をするんだよね。


 ……いや。


 今は、買い物の話をしてる場合じゃない。


 でも。


 この街にも、ああして暮らす家族がいる。


 それを、忘れちゃいけない。


 ……うん。


 今日ここに来て、よかったと思う。


 まだ魔王には会っていないけれど。


 戦争を止めたい理由が、ひとつ増えたね。


     ◇


 案内されたのは、街の中心にある大きな城だった。


 高い石壁。


 重厚な門。


 その向こうには、いくつもの塔が見える。


 ……おお。


 これが、魔王城かぁ。


 ……いや。


 今までの王城や皇帝の宮殿とは、また違う雰囲気だね。


 どこか、戦うための城という感じがする。


 案内の男性が、門の前で足を止めた。


「ここで待て」


「はい」


 ……うん。


 いよいよだね。


 男性は、城の中へ入っていった。


 私たちは、門の前で待つことになった。


 周囲には、武装した兵士が何人もいる。


 視線は、まだ厳しい。


 ……ああ。


 そりゃ、そうだよね。


 誰も、簡単に人間を信用できない。


 私は、静かに立っていた。


 しばらくすると、城の奥から足音が近づいてきた。


 さっきの男性が戻ってきた。


 その表情は、先ほどより少しだけ固い。


「……リアリス、と言ったな」


「はい」


「魔王様への報告は済ませた」


 …………。


 ……おお。


 いよいよ。


「……それで?」


 男性は、少し間を置いた。


「面会を許可する、とのことだ」


 …………。


 ……おおお!


 会ってもらえるんだ!


「ありがとうございます!」


 私は、思わず頭を下げた。


 男性は、しばらく私を見た。


 そして、低い声で続けた。


「ただし、我らが魔王様は、簡単に言いくるめられるお方ではない。妙な真似をすれば、ただでは済まんぞ」


「……はい。分かっています」


 ……うん。


 これも、当然だ。


 私だって、軽い気持ちで来たわけじゃない。


 私は、桜花を見た。


「桜花。いよいよだね」


「はい。リアリス様」


 桜花が、静かに頷いた。


「私は、いつでもおそばにおります」


 …………。


 ……ああ。


 ありがとう。


 私は、小さく息を吸った。


 ここまで来る間に、兵士を六人も倒してしまった。


 それでも、誰も傷つけずに済んだ。


 魔族の人たちの暮らしも、少しだけ見ることができた。


 あの畑仕事をしていた人たち。


 荷車を引いていた男性。


 お店の前で、母親に甘えていた子ども。


 …………。


 ……うん。


 みんな、戦争が始まったら困る人たちだ。


 私が何かを決める権利はない。


 でも、話を聞いて、それを人間の国々へ届けることはできる。


 ……まずは、そこからだね。


「では、案内する」


 男性が、魔王城の大きな扉へ手をかけた。


 ごごごっ。


 重い音を立てて、扉が開いていく。


 暗い廊下の奥に、灯りが見えた。


 ……おお。


 いよいよ、魔王との面会だ。


 私は、カトレアがくれた白い花を思い出した。


 ……うん。


 ちゃんと帰るからね。


 そして。


 できれば、いい報告を持って帰りたい。


 私は、桜花と並んで一歩を踏み出した。


 ――争いを始めるためではなく、終わらせるために。

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