第1話:魔族領へ行ってみよう
翌朝。
いつもより、少しだけ早く目が覚めた。
窓の外は、まだ朝日が昇り始めたばかり。
薄い光が、シルク王国邸の庭に差し込んでいる。
……うん。
いい天気になりそうだね。
私は、ベッドから起き上がった。
今日の行き先は、ドルステン魔国。
魔王から人間の四か国へ宣戦布告が届いた、その翌日だ。
……ああ。
昨日は、みんなでこれからどうするかを話し合ったんだった。
国王さんも、皇帝も、法師長さんも、教皇さんも。
戦いを避けられるなら、交渉の場を設けることには賛成してくれた。
だから今日は、その可能性を確かめに行く。
魔族の国を治める、魔王のところへ。
…………。
……魔王、かぁ。
こうして口にすると、やっぱり少し怖い響きだね。
でも、まだ会ったこともない人だ。
どんな顔をして、どんなことを考えているのか。
決めつけるのは、会ってからでも遅くない。
……いや。
できれば、会ったあとも決めつけない方がいいかな。
私は服を着替え、窓の外をもう一度見た。
穏やかな朝。
この国では、まだ人々がいつものように朝を迎えられている。
できれば、このままでいてほしい。
……うん。
そろそろ、行こう。
◇
食堂へ行くと、巴さんが朝食の準備をしていた。
「おはよう、巴さん」
「あら、リアリスちゃん。おはよう」
いつもと同じ、優しい声。
……ああ。
何だか、安心するね。
「今日は早いのね」
「うん。ちょっと目が覚めちゃって」
「そう。緊張してる?」
…………。
……あっ。
いきなり見抜かれた。
「……少しだけ」
「ふふ。そうよね」
巴さんは、焼きたてのパンを皿へ乗せてくれた。
「ちゃんと食べてから出かけるのよ」
「もちろん!」
……うん。
大事な仕事の前こそ、朝ご飯。
そこは、巴さんの教えを守らないとね。
ほどなくして、桜花も食堂へやってきた。
「おはようございます、リアリス様。巴様」
「おはよう、桜花!」
「おはよう、桜花ちゃん」
桜花は、今日もいつもの服装だ。
……うん。
何だか、昨日までと変わらないね。
「桜花。準備は?」
「すべて整っております」
「そっか。ありがとう」
私が笑うと、桜花も静かに微笑んだ。
「ただし、リアリス様」
「……ん?」
「本日は、これまでの訪問とは事情が異なります。どうか、私のそばをお離れになりませんよう」
…………。
……ああ。
そっか。
王国や帝国を訪ねたときは、少なくとも向こうから宣戦布告されていたわけじゃなかった。
でも今回は違う。
魔王国の人たちにとって、私たちは敵国から来る人間なんだ。
「うん。気をつけるよ」
「ありがとうございます」
……うん。
桜花も真剣だね。
私も、ちゃんと気を引き締めよう。
巴さんが、温かいスープを運んでくれた。
「二人とも。今日は特に、無理をしないでちょうだいね」
「……はい」
「桜花ちゃんも、リアリスちゃんのことだけじゃなく、自分のことも考えるのよ」
「承知いたしました」
……ああ。
巴さんは、いつでもお母さんだなぁ。
私がどれだけ強い魔法を使えても。
桜花がどれだけ強くても。
こういうことを言ってくれる人がいるのは、本当にありがたいね。
◇
朝食を終えたころ。
「……お父さん」
食堂の入口から、小さな声が聞こえた。
……おっ。
カトレア!
「おはよう!」
「……おはよう」
カトレアが、ゆっくり歩いてきた。
いつもなら走って抱きついてくるのに、今日は少し大人しい。
……ああ。
昨日の話を、覚えてるんだね。
「お父さん。今日、遠くへ行くんだよね」
「うん。桜花と一緒にね」
「……そう」
カトレアは、私の隣へ来た。
そして、私の袖をぎゅっと握る。
「……こわい人、いる?」
…………。
……ああ。
昨日も、同じようなことを聞いていたね。
「いるかもしれない。でも、優しい人もいると思うよ」
「……ほんと?」
「うん。まだ会ったことがないから、どんな人たちか確かめてくるんだ」
カトレアは、少し考えた。
「……お父さん、けんかする?」
…………。
……その質問。
ちょっと、胸に刺さるなぁ。
「……できれば、したくないな」
「……うん」
「お話しして、仲良くなれたらいいと思ってる」
カトレアが、私を見上げた。
「……じゃあ、ちゃんとお話ししてね」
「うん。約束する」
……ああ。
そうだね。
それを忘れちゃ駄目だ。
私は、しゃがんでカトレアを抱きしめた。
小さな腕が、私の背中に回る。
「お父さん」
「ん?」
「……帰ってきたら、お花、見ようね」
「もちろん!」
……うん。
またお花だ。
昨日も一緒に見たのに。
でも、何度だっていいよね。
「それとね」
カトレアが、小さな手を開いた。
手のひらには、庭で咲いていた白い花が一輪。
「……これ」
「……おお」
「……おまもり」
…………。
……ああ。
ずるいなぁ。
こんなの、泣いちゃうじゃないか。
「ありがとう。大事に持っていくね」
私は花を受け取り、折れないよう小さな布に包んだ。
《収納》へ入れる前に、もう一度見ておく。
小さな白い花。
どんな立派な宝物より、今はこれが嬉しい。
「……絶対、帰ってくるよ」
「……うん!」
カトレアが、ようやく笑った。
……うん。
約束したからね。
必ず帰ってこよう。
◇
玄関では、楓とモフ太も見送ってくれた。
「……お気をつけて」
「ありがとう、楓!」
「ご主人様。カトレア様のことは、私にお任せください」
「うん。お願いね、モフ太」
……ああ。
この子たちがいてくれれば、留守の間も安心だ。
巴さんからは、お昼に食べられるよう軽い食事も持たせてもらった。
「ちゃんと休憩して食べるのよ」
「はい!」
「それから、リアリスちゃん」
巴さんが、少し声を落とす。
「相手の話を聞くのは大事よ。でも、自分たちを危険にさらしてまで、無理に分かり合おうとしちゃ駄目」
…………。
……うん。
そうだね。
「話せないと思ったら、一度帰ってきてもいいんだから」
「……分かりました」
巴さんは、ほっとしたように頷いた。
私は、桜花と並んで庭へ出た。
カトレアが、玄関から大きく手を振る。
「お父さん! 桜花ちゃん! いってらっしゃい!」
「行ってきます!」
「行ってまいります、カトレア」
私はもう一度、小さな白い花のことを思い出した。
……うん。
大丈夫。
何をしに行くのか、ちゃんと覚えてる。
「桜花。行こうか」
「はい」
……さて。
魔族の国。
どんなところなんだろう。
◇
ドルステン魔国は、中央大陸から離れた北東の大陸にある。
国を治めるのは、魔王ドルステン。
首都は、魔都ヴァルキア。
……うん。
まずは、魔都の外れに出てみよう。
いきなり魔王のお城へ現れたら、確実に警戒されるだろうし。
いや。
城どころか、街の真ん中へ出ても騒ぎになりそうだ。
私は地図を思い浮かべ、魔都から少し離れた街道沿いの場所を探した。
人の気配が少ない、森の外れ。
……うん。
ここなら大丈夫そうだ。
「桜花。準備はいい?」
「はい」
「それじゃ……《転移》」
視界が、ふっと切り替わった。
次の瞬間、足元には黒っぽい土。
周囲には、背の高い木々が広がっていた。
……おお。
着いた!
空には雲が少し多い。
風はひんやりしていて、湿った土の匂いがする。
……うん。
魔族の国って聞いて、もっと暗い場所を想像してたんだけど。
森もあるし、草も生えてる。
普通に鳥の声まで聞こえる。
……いや。
考えてみれば、当たり前だよね。
国なんだから、そこで暮らしている人たちがいるんだ。
「リアリス様」
桜花が、周囲へ目を向けた。
「ん?」
「東側に街道がございます」
「おお。あれだね」
木々の間から、踏み固められた道が見えていた。
遠くには、山の稜線。
その向こうに、黒い石で造られた高い塔がいくつか見える。
……あっ。
あれが魔都かな。
白い聖都とは、また違う雰囲気だね。
「まずは、道に沿って歩いてみようか」
「かしこまりました」
私たちは、森を抜けて街道へ向かった。
◇
街道には、荷車の轍が残っていた。
道の脇には畑が続き、少し離れたところには小さな家が並んでいる。
……おお。
農業もしてるんだ。
私は、畑で作業する人影を見つけた。
近づいて見てみると。
…………。
……あっ。
角がある。
作業着を着た男性の額には、短い角が二本生えていた。
その隣の女性には、長い尻尾がある。
でも、二人とも普通に畑仕事をしている。
……うん。
そういうところは、私たちと変わらないんだね。
さらに先では、小さな子どもが家の前を走っていた。
背中には、小さな翼のようなものが見える。
「……あっ、待ってー!」
子どもが、転がっていく木の輪を追いかけた。
…………。
……おお。
楽しそうだなぁ。
つい、笑ってしまう。
でも。
その子の母親らしい女性が、私たちに気づいた瞬間。
表情を変えた。
「……人間?」
…………。
小さな声だった。
けれど、確かに聞こえた。
女性は子どもの手を取り、家の中へ引き寄せた。
「……お母さん?」
「……中へお入り」
扉が、静かに閉まる。
…………。
……ああ。
そうか。
今の私たちは、ここでは歓迎されるとは限らないんだ。
魔王国は、人間の国々へ宣戦布告したばかり。
人間が突然現れたら、怖いと思われても仕方ないよね。
「……リアリス様」
桜花が、私の隣へ並ぶ。
「……うん」
「お気になさらず」
「……ありがとう」
私は、閉まった扉を見つめた。
……あの子も、怖がらせちゃったかな。
さっきまで、楽しそうに遊んでいたのに。
……うん。
私たちは、争いを止めに来たんだ。
でも、相手の人たちから見れば、争いを運んできた人間に見えるのかもしれない。
……難しいね。
◇
魔都へ続く道には、しばらく人影がなかった。
遠くから、荷車の音が聞こえてくる。
……ああ。
商人さんかな。
曲がり角の向こうから、一台の荷車が現れた。
荷台には、布をかぶせた箱が積まれている。
引いているのは、大きな角を持つ魔族の男性だった。
男性は私たちを見るなり、足を止めた。
「……お前たち、人間か」
声が低い。
……うん。
やっぱり、すぐ分かるよね。
「はい。そうです」
私は、なるべく穏やかに答えた。
「魔王にお会いしたくて、こちらへ来ました」
「……魔王様に?」
男性の顔が、険しくなった。
「今がどういう時期か、分かって言ってるのか?」
「……はい。宣戦布告があったことは、知っています」
「だったら、なおさらだ!」
男性が、荷車の取っ手を強く握った。
「人間が、こんなところへ何しに来た! 偵察か!?」
「違います。話し合いができないかと思って」
「……話し合い?」
男性は、私の顔をじっと見た。
その目には、怒りというより、不安が浮かんでいる気がした。
……ああ。
この人も、怖いんだね。
「戦争になれば、私たちの国だけじゃなく、この国の人たちも困るでしょう?」
私は、ゆっくり話した。
「できれば、誰も傷つかずに済む方法を探したいんです」
男性は、しばらく黙っていた。
そして、短く息を吐いた。
「……言うだけなら、誰でもできる」
「……そうですね」
……うん。
そのとおりだ。
突然現れた人間の言葉なんて、簡単に信じられないよね。
「でも、私は本当に、そのつもりで来ました」
男性は、何も答えなかった。
ただ、荷車を道の端へ寄せる。
「……魔都へ行くなら、まっすぐだ」
「……ありがとうございます」
「だが、気をつけろ。今の兵士たちは、人間を見たら黙って通さんぞ」
…………。
……おお。
教えてくれたんだ。
「分かりました。ありがとうございます」
私は、深く頭を下げた。
男性は、少し驚いたような顔をした。
それから、何も言わずに荷車を引いていった。
……うん。
厳しいことを言われたけど。
道は、教えてくれた。
それだけでも、少し嬉しかった。
◇
「リアリス様」
歩き始めてしばらくすると、桜花が口を開いた。
「はい?」
「この先に、複数の武装した方々がおられます」
…………。
……あっ。
「兵士さん?」
「おそらくは」
私は、道の向こうを見た。
まだ姿は見えないけれど、桜花の言うことなら間違いないだろう。
……うん。
ついに、来たね。
「桜花。できれば、戦わずに通してもらいたいな」
「承知しております」
「相手が攻撃してきても、怪我はさせないでほしい」
桜花が、まっすぐ私を見た。
「……はい。峰打ちにて対応いたします」
……ああ。
頼もしいね。
「ただ、桜花も無理しないでね」
「お気遣い、ありがとうございます」
桜花は、静かに微笑んだ。
……うん。
私たちが無事に帰ることも、大事だからね。
しばらくすると、道の先から金属の擦れる音がした。
木々の影から、鎧を着た魔族の兵士たちが現れる。
全部で六人。
角のある人。
背中に翼を持つ人。
長い尻尾を揺らしている人。
それぞれ姿は違うけれど、持っている武器は剣や槍だ。
……うん。
ちゃんとした警備の人たちみたいだね。
「止まれ!」
先頭の兵士が、鋭い声を上げた。
私たちは、すぐに足を止めた。
「何者だ!」
「シルク王国から来ました。リアリスと申します。こちらは桜花です」
私は、両手を見える位置に上げた。
「武器を使うつもりはありません。魔王に、話し合いをお願いしたくて」
…………。
兵士たちの表情が変わった。
「……人間だと?」
「しかも、魔王様に会いたいだと?」
槍の穂先が、こちらへ向く。
……ああ。
やっぱり、すぐには信じてもらえないか。
「人間の四か国は、魔王国との和平交渉を検討しています。その橋渡しに来ました」
私は、ゆっくり続けた。
「よければ、魔王への取り次ぎをお願いできませんか?」
「……ふざけるな!」
先頭の兵士が、剣を抜いた。
……あっ。
まずい。
「宣戦布告を受けた人間が、和平の使者だと? そんな話が通ると思うか!」
「……急に来てしまって、すみません。でも、本当なんです」
「黙れ!」
…………。
……うん。
今は、聞く余裕がないみたいだ。
「桜花」
「はい」
「……お願い。怪我をさせないようにね」
「かしこまりました」
私は、もう一度兵士たちへ声をかけた。
「戦うつもりはありません。できれば、武器を下ろしてください」
けれど。
「人間を捕らえろ!」
先頭の兵士が叫んだ。
六人の兵士たちが、一斉に動いた。
◇
最初に突き出されたのは、長い槍だった。
まっすぐ私へ向かってくる。
……っ。
速い!
でも。
私の隣にいた桜花が、すっと前へ出た。
きんっ。
澄んだ金属音が鳴る。
槍の穂先は、桜花の刀に受け止められていた。
……おお。
やっぱり、桜花はすごいね。
いや。
今は、感心している場合じゃない!
「桜花、気をつけて!」
「はい」
桜花の返事は、いつもどおり落ち着いていた。
次の瞬間。
彼女の刀が、静かに動いた。
刃ではなく、背の部分。
峰を使って、兵士の肩口を正確に打つ。
「……がっ」
槍を持っていた兵士が、膝から崩れた。
……あっ。
大丈夫かな!?
倒れた兵士の呼吸を、《サーチ》で確かめる。
……うん。
怪我はない。
気を失っているだけだ。
……よかった。
「なっ……!」
残りの兵士たちが、息をのんだ。
だが、すぐに二人目が剣を振り上げた。
「貴様ぁ!」
桜花が、半歩だけ横へずれる。
剣が空を切った。
そのまま、刀の峰が鎧の隙間へ軽く当たる。
兵士は声も出せずに崩れ落ちた。
…………。
……おお。
ほんの一瞬だ。
でも。
桜花は、ひとつも無駄な動きをしていない。
「くそっ! 魔法を使え!」
後方の兵士が、手をかざした。
赤い光が集まっていく。
……あっ。
火の魔法!?
ここは街道。
近くには森がある。
火が飛び散ったら、危ない!
「《結界》!」
私は、火の魔法を放とうとしている兵士の前に、見えない壁を作った。
放たれた火球が、その壁へぶつかる。
ぼふっ。
熱と光が広がる前に、閉じ込めて消した。
……ほっ。
これなら、森にも火が移らないね。
「……何だと!?」
魔法を使った兵士が、目を見開いた。
その隙に、桜花が距離を詰める。
とんっ。
刀の峰が、首の後ろへ軽く触れた。
兵士が、静かに崩れる。
……うん。
これで三人。
でも、まだ三人いる。
「囲め!」
残る兵士たちが、左右へ散った。
……ああ。
挟み撃ちにするつもりなんだ。
桜花は、私の前に立ったまま動かない。
そして、三人が同時に踏み込んだ瞬間。
すっ。
……えっ?
桜花の姿が、少しだけぶれた。
いや。
速すぎて、そう見えただけかもしれない。
きんっ、きんっ。
二つの武器が地面へ落ちた。
続いて、軽い打撃音が三つ。
……あっ。
もう、終わった。
三人の兵士が、ほとんど同時に倒れた。
桜花は、静かに刀を納めた。
「……リアリス様。全員、峰打ちでございます」
…………。
……おお。
本当に、誰も斬ってない!
「ありがとう、桜花!」
「当然の務めでございます」
桜花は、いつもどおり微笑んだ。
……うん。
頼もしいなぁ。
でも。
目の前には、倒れた六人の兵士。
これ、どうしよう。
私は、全員の様子を《サーチ》で確かめた。
呼吸も、心臓の動きも、問題ない。
……よかった。
ちゃんと、みんな生きてる。
「……桜花」
「はい」
「このまま道に寝かせておくのは、危ないよね」
「おっしゃるとおりでございます」
……うん。
荷車に轢かれたりしたら大変だ。
私たちは、道の端の安全な場所へ兵士たちを運んだ。
頭をぶつけないよう、そっと寝かせる。
……うん。
これで、大丈夫かな。
……いや。
人の国へ来て、最初にやったことが兵士を六人も倒すことだなんて。
私、和平の使者としては、ちょっと失敗してない?
…………。
……でも。
誰も傷つけずに済んだ。
まずは、それでよかったと思うことにしよう。
◇
しばらく、兵士たちのそばで待っていた。
……うん。
このまま先へ進むこともできる。
《転移》を使えば、魔王城へ直接向かうことだってできるだろう。
でも。
それをしたら、きっともっと大きな騒ぎになる。
兵士たちを倒して、街を無視して城へ押しかける人間。
……うん。
どう考えても、和平の使者には見えないね。
「桜花。少し待とうか」
「はい」
「この人たちが起きたら、もう一度話してみたい」
桜花が、静かに頷いた。
「リアリス様のお望みのとおりに」
……うん。
ありがとう。
私は、目を閉じて小さく息をついた。
……ああ。
さっきの兵士たちも、怖かったんだろうな。
相手は、人間。
しかも、宣戦布告の直後に突然現れた二人組。
武器を向ける理由は、分かる。
……でも。
できれば、次は話を聞いてほしいな。
私は、兵士たちの近くに腰を下ろした。
桜花は、少し離れた場所で周囲を警戒してくれている。
……うん。
こんなときでも、ずっとそばにいてくれる。
ありがたいね。
やがて。
「……う、うぅ……」
一人の兵士が、目を開けた。
さっき、最初に槍を突き出してきた人だ。
……おっ。
目が覚めた!
「大丈夫ですか?」
私は、少し離れた場所から声をかけた。
兵士は、私の顔を見るなり飛び起きようとした。
「……っ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
……ああ。
また驚かせちゃった。
「攻撃するつもりはありません。怪我がないか、確認していただけです」
兵士が、周囲を見回した。
地面には、ほかの五人の仲間が横になっている。
でも、みんな呼吸は穏やかだ。
「……お前たち……!」
兵士は、私を睨んだ。
「何をした!」
「……すみません。攻撃を止めるため、少し気を失ってもらいました」
…………。
……うん。
説明としては、ちょっと変かな。
でも、本当のことだ。
「誰も斬ってません。皆さんに怪我がないことも確認しました」
兵士は、ほかの仲間を見た。
一人ずつ、顔を確かめている。
その表情が、少しだけ変わった。
「……全員、生きている……?」
「はい」
…………。
しばらく、沈黙。
兵士は、ようやく私へ視線を戻した。
「……なぜ、とどめを刺さなかった」
…………。
……えっ?
その質問。
何だか、悲しいな。
「だって、殺したくないからです」
「……何?」
「私は、魔王に話を聞きに来ただけです。誰かを傷つけに来たわけじゃありません」
兵士が、じっと私を見た。
「……本当に、人間の使者だと言うのか」
「はい。四つの国の代表と話し合い、和平の可能性を確かめる役目を引き受けました」
「……和平……」
兵士が、低く呟いた。
「それなら、なぜ兵を倒した?」
……うん。
もっともな質問だね。
「攻撃されたから、止めました。でも、戦いたくはありません」
私は、はっきり答えた。
「できれば、ここからは話し合いたいです」
…………。
兵士は、少しだけ視線を落とした。
それから、仲間の一人へ声をかけた。
「……おい。起きろ」
……あっ。
ほかの人も、目が覚め始めてるみたい。
よかった。
◇
兵士たち全員が意識を取り戻すころには、日が少し高くなっていた。
誰も怪我をしていないと確認できて、私はほっとした。
……うん。
よかった。
ただ。
六人とも、私たちを警戒している。
当然だよね。
さっきまで、敵だと思っていた相手なんだから。
「……リアリス、と言ったな」
先頭の兵士が、低い声で言った。
「はい」
「人間の国から来て、魔王様に会わせろなどと。普通なら、即座に捕らえられる」
「……そうですね」
「お前たちは、その気になれば我々を殺せたはずだ」
…………。
……ああ。
そう思われるのも、仕方ないか。
「でも、しませんでした」
私は答えた。
「それが、私の考えです」
兵士は、黙っていた。
「……魔王国が宣戦布告したことは、知っています」
「……ならば」
「でも、宣戦布告した理由を、私はまだ知りません」
私は、一歩だけ前へ出た。
「人間の国々がどう考えているのかは、聞いてきました。今度は、魔族の方々がどう考えているのかを聞きたいんです」
……うん。
どちらか一方の話だけじゃ、分からないことがある。
「魔王に、直接お会いできませんか」
兵士は、しばらく私を見つめていた。
そして。
「……その場で答えられる話ではない」
「……はい」
「我々には、魔王様との面会を勝手に認める権限はない」
「もちろんです」
……うん。
そりゃ、そうだよね。
国の一番偉い人に会うんだから。
「だが、報告はできる」
…………。
……おお!
「本当ですか!」
「勘違いするな。お前たちを信用したわけではない」
「はい。分かっています」
「このことは、上官に伝える。そこから先は、その判断だ」
「ありがとうございます!」
私は、深く頭を下げた。
兵士は、少しだけ眉をひそめた。
……あれ。
また、変なことしたかな。
いや。
ありがとうって言いたかっただけなんだけど。
「……なぜ、頭を下げる」
「えっ? 取り次いでもらえるからです」
「……我々は、つい先ほどお前たちを攻撃したんだぞ」
「……そうですね」
…………。
……うん。
確かに。
でも。
「それでも、話を聞いてもらえるなら、嬉しいですから」
兵士は、何も言わなかった。
ただ、少しだけ目を伏せた。
◇
兵士の一人が、魔都の方へ報告に向かった。
残る兵士たちは、私たちを取り囲むように立っている。
……うん。
護衛なのか、監視なのか。
……まあ、両方かな。
「リアリス様」
桜花が、小さく声をかけた。
「はい?」
「皆様は、まだ警戒しておられます」
「うん。分かってる」
「……それでも、お待ちになりますか?」
「うん」
私は、魔都の方を見た。
遠くには、高い城壁が見えている。
……ああ。
もう、あそこまで来てるんだね。
ただし、無理に進むつもりはない。
今は、向こうの返事を待とう。
私は、街道の端へ移動して立った。
桜花も、隣へ並ぶ。
……うん。
少しだけ、風が冷たいな。
そのとき。
さっきの先頭の兵士が、こちらへ来た。
「……お前たち」
「はい?」
「なぜ、二人だけで来た」
…………。
……ああ。
そういえば。
和平の使者って聞いて、もっと大勢来ると思ったのかな。
「大人数で来たら、軍隊みたいに見えちゃうかと思って」
「……軍隊?」
「はい。話し合いに来たのに、武装した人たちを大勢連れてきたら、怖いでしょう?」
兵士の表情が、少しだけ変わった。
「……それで、二人か」
「うん。桜花が一緒に来てくれるって言ったので」
私は、隣の桜花を見る。
桜花は、静かに一礼した。
「リアリス様の護衛を務めております」
……うん。
私は本当に、桜花がいてくれて助かってるんだよね。
「……その護衛一人に、我々六人が倒されたわけだが」
…………。
……あっ。
そうだった。
兵士たちにとっては、ちょっと複雑だよね。
「……ごめんなさい」
私が謝ると、兵士は困ったような顔をした。
「……謝るな。我々が先に仕掛けた」
…………。
……おお。
ちゃんと分かってくれてる。
「ただ、ひとつ聞きたい」
「はい」
「もし魔王様が、和平を拒んだらどうする?」
…………。
……うん。
大事な質問だね。
私は、少し考えた。
「その理由を聞いて、いったん人間の国々へ持ち帰ります」
「……それだけか?」
「はい。それだけです」
兵士が、目を細めた。
「力ずくで従わせようとは思わないのか」
「……思いません」
私は、首を振った。
「相手が納得していないのに、無理やり約束させても、きっと長続きしませんから」
…………。
……うん。
そう思うんだ。
大切なのは、戦争を一度止めることだけじゃない。
そのあとも、安心して暮らせること。
それがなければ、同じことの繰り返しになっちゃう。
「……そうか」
兵士は、短く答えた。
まだ疑っている顔だったけれど。
さっきより、少しだけ声が柔らかくなった気がした。
◇
しばらくして、魔都の方から馬の蹄の音が聞こえてきた。
……おっ。
誰か戻ってきたみたい。
道の向こうに、数人の兵士が現れた。
その中央には、ひときわ立派な鎧を着た魔族の男性がいる。
角は一本。
肩には、濃い色の布がかけられていた。
……おお。
偉い人かな。
「この者たちか」
男性が、私たちを見た。
「はい。人間二名です。魔王様との面会を求めています」
先ほどの兵士が、背筋を伸ばして報告する。
「六名で制圧を試みましたが、返り討ちに遭いました」
…………。
……あっ。
そこも、ちゃんと報告するんだ。
「ただし、負傷者はありません。こちらが先に攻撃したことも、確認しています」
……おお。
それも言ってくれた!
男性は、私と桜花を交互に見た。
「……人間が、魔王様に和平を申し入れに来たと?」
「はい。リアリスと申します。こちらは桜花です」
私は、丁寧に頭を下げた。
「人間の四か国の代表と話し合い、魔王国の意思を確かめる役目を引き受けました」
男性は、しばらく私を見つめていた。
「……証拠は?」
…………。
……ああ。
そりゃ、そうだよね。
口で言うだけなら、何とでも言える。
「昨日、人間の四か国の代表に、正式に役目を任せてもらいました。必要なら、《映像通話》で確認していただくこともできます」
「……映像通話?」
「離れた場所にいる相手と、顔を見ながら話せる魔法です」
…………。
男性が、少しだけ眉を上げた。
……あっ。
また変な魔法って思われたかな。
「……そんなものが、あるのか」
「はい。よければ、ここでも使えます」
男性は、一瞬考えた。
そして、首を横に振った。
「……必要なら後で確認する。まずは、こちらの報告を聞け」
「……はい」
「お前たちが兵士を殺さず、逃げもせずに待っていたことは、上へ伝わっている」
…………。
……おお。
そうなんだ。
「だからといって、すぐに信用するわけにはいかん。ここから先は、我々の監視下で同行してもらう」
「分かりました」
……うん。
当然の対応だよね。
「武器を抜いたり、勝手に移動したりしないこと」
「はい。こちらからは何もしません」
男性は、桜花へ目を向けた。
「そちらの護衛もだ」
「承知いたしました」
桜花が、静かに答えた。
……うん。
これで、話は進みそうだね。
「では、魔都へ向かう」
男性が、歩き出した。
私たちは、兵士たちに囲まれる形で、そのあとに続いた。
◇
魔都ヴァルキアの城壁は、近くで見ると想像以上に大きかった。
黒い石を積み上げたような壁。
その上には、いくつもの見張り台。
門には、重厚な鉄の飾りがついている。
……おお。
聖都の白い建物とは、全然違うね。
でも、これはこれで綺麗だ。
……あっ。
今、観光してる場合じゃないか。
私は、もう一度気を引き締めた。
門の近くには、多くの兵士が配置されていた。
武器を持った人たちが、行き交う荷車を確認している。
……うん。
宣戦布告の直後だから、警備が厳しくなってるんだね。
私たちの姿を見た門番の一人が、目を見開いた。
「……人間!?」
…………。
周囲の視線が、一斉に集まる。
……ああ。
やっぱり、そうなるよね。
案内してくれた男性が、一歩前へ出た。
「この二名は、魔王様への面会を求めている。上の判断を仰ぐため、連れていく」
「……しかし、人間を中へ入れるのですか?」
「命令だ。武器を抜くな」
…………。
……おお。
ちゃんと止めてくれた。
私は、男性に小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
「……礼は、まだ早い」
……あっ。
そうか。
まだ、面会できると決まったわけじゃないもんね。
私たちは、重い門をくぐった。
その向こうには、魔都の街並みが広がっていた。
◇
魔都の街は、思っていたよりずっと賑やかだった。
黒い石造りの建物。
赤茶色の屋根。
広い道の両側には、食料や道具を売る店が並んでいる。
……おお。
普通の街だ。
いや。
普通っていうのも、変かな。
魔族の人たちには、これが普通の暮らしなんだよね。
角のある人。
翼を持つ人。
尻尾を揺らして歩く人。
姿はさまざまだけれど、買い物をしたり、荷物を運んだり、誰かと笑い合ったりしている。
……うん。
やっぱり、人間の国と変わらないところがいっぱいある。
ただ。
私たちが通ると、人々の声が小さくなった。
「……人間?」
「どうして、こんなところに……」
子どもを抱き寄せる女性。
店の奥へ引っ込む商人。
遠くから、険しい顔で見つめる若い男性。
…………。
……ああ。
街道の人たちと、同じだ。
今は、敵だと思われているんだね。
「……リアリス様」
桜花が、隣から小さく声をかけた。
「……うん」
「お気持ちは、分かります」
「……そっか」
桜花には、私の考えていることが分かるらしい。
……いや。
顔に出てるのかな。
私は、通りの先を見た。
小さな店の前で、子どもが母親の服を引っ張っている。
何かをねだっているみたいだ。
…………。
……あっ。
カトレアを思い出しちゃった。
あの子も、可愛いものを見つけると、あんな顔をするんだよね。
……いや。
今は、買い物の話をしてる場合じゃない。
でも。
この街にも、ああして暮らす家族がいる。
それを、忘れちゃいけない。
……うん。
今日ここに来て、よかったと思う。
まだ魔王には会っていないけれど。
戦争を止めたい理由が、ひとつ増えたね。
◇
案内されたのは、街の中心にある大きな城だった。
高い石壁。
重厚な門。
その向こうには、いくつもの塔が見える。
……おお。
これが、魔王城かぁ。
……いや。
今までの王城や皇帝の宮殿とは、また違う雰囲気だね。
どこか、戦うための城という感じがする。
案内の男性が、門の前で足を止めた。
「ここで待て」
「はい」
……うん。
いよいよだね。
男性は、城の中へ入っていった。
私たちは、門の前で待つことになった。
周囲には、武装した兵士が何人もいる。
視線は、まだ厳しい。
……ああ。
そりゃ、そうだよね。
誰も、簡単に人間を信用できない。
私は、静かに立っていた。
しばらくすると、城の奥から足音が近づいてきた。
さっきの男性が戻ってきた。
その表情は、先ほどより少しだけ固い。
「……リアリス、と言ったな」
「はい」
「魔王様への報告は済ませた」
…………。
……おお。
いよいよ。
「……それで?」
男性は、少し間を置いた。
「面会を許可する、とのことだ」
…………。
……おおお!
会ってもらえるんだ!
「ありがとうございます!」
私は、思わず頭を下げた。
男性は、しばらく私を見た。
そして、低い声で続けた。
「ただし、我らが魔王様は、簡単に言いくるめられるお方ではない。妙な真似をすれば、ただでは済まんぞ」
「……はい。分かっています」
……うん。
これも、当然だ。
私だって、軽い気持ちで来たわけじゃない。
私は、桜花を見た。
「桜花。いよいよだね」
「はい。リアリス様」
桜花が、静かに頷いた。
「私は、いつでもおそばにおります」
…………。
……ああ。
ありがとう。
私は、小さく息を吸った。
ここまで来る間に、兵士を六人も倒してしまった。
それでも、誰も傷つけずに済んだ。
魔族の人たちの暮らしも、少しだけ見ることができた。
あの畑仕事をしていた人たち。
荷車を引いていた男性。
お店の前で、母親に甘えていた子ども。
…………。
……うん。
みんな、戦争が始まったら困る人たちだ。
私が何かを決める権利はない。
でも、話を聞いて、それを人間の国々へ届けることはできる。
……まずは、そこからだね。
「では、案内する」
男性が、魔王城の大きな扉へ手をかけた。
ごごごっ。
重い音を立てて、扉が開いていく。
暗い廊下の奥に、灯りが見えた。
……おお。
いよいよ、魔王との面会だ。
私は、カトレアがくれた白い花を思い出した。
……うん。
ちゃんと帰るからね。
そして。
できれば、いい報告を持って帰りたい。
私は、桜花と並んで一歩を踏み出した。
――争いを始めるためではなく、終わらせるために。




