第3話:神の使徒になったらしい
…………。
……静かだ。
いや。
正確には、静かすぎる。
さっきまで、この部屋には神様の声が響いていたんだよね。
なのに今は、衣擦れの音すらほとんど聞こえない。
……うーん。
どうしようかなぁ。
私は、隣の桜花を見た。
「……桜花」
「はい、リアリス様」
「お茶でも飲もうか」
「よろしいかと存じます」
……うん。
こんなときは、まず落ち着こう。
ただし、ここは聖国の謁見の間。
勝手に飲み物を広げたら、それこそ失礼かもしれない。
……でも。
肝心の教皇さんが、まだ床に膝をついて泣いてるんだよね。
「……あの、教皇さん?」
もう一度声をかけてみる。
…………。
「……お、オリミス神様……」
……うん。
まだ駄目みたい。
私は、桜花が用意してくれた椅子に腰を下ろした。
……ああ。
まさか、こんなことになるなんて。
神様へ《映像通話》で連絡しただけなんだけどなぁ。
いや。
その「だけ」が、駄目だったのか。
「リアリス様。皆様のお気持ちが落ち着くまで、少々お待ちしましょう」
「そうだね」
……うん。
今日は、焦らず待つことにしよう。
何しろ、相手は神様。
大好きな人に会えたんだから、落ち着くまで時間がかかるのも当然だよね。
…………。
……いや。
それにしても、グレンさんは大丈夫かな。
私は、椅子に横たわるグレンさんの方へ目を向けた。
呼吸は穏やか。
顔色も、さっきより落ち着いている。
……うん。
よかった。
ただ驚きすぎただけみたいだね。
……あ。
そうだ。
私は《収納》から、水の入った器をいくつか取り出した。
桜花が、そっと受け取ってくれる。
「皆さんが落ち着いたら、渡してあげてね」
「かしこまりました」
……うん。
準備は万端。
あとは、皆さんが元に戻るのを待つだけだね。
◇
しばらくして。
「……あっ」
小さな声が聞こえた。
最初に動いたのは、シーリンさんだった。
両手で頬を押さえ、流れていた涙に気づいたらしい。
「……わ、私……」
私は、そっと近づいた。
「大丈夫ですか?」
「……は、はい……」
でも、その目はまだ赤い。
……ああ。
本当に感動してたんだね。
「よかったら、お水をどうぞ」
「……あ、ありがとうございます」
シーリンさんが、器を両手で受け取る。
……うん。
少しは落ち着いたみたいだ。
続いて、ケラーさんがゆっくり瞬きをした。
「……いま、神様が……」
「はい。お話ししてましたよ」
「……お話し……」
ケラーさんは、私と、さっきまで画面があった場所を交互に見た。
…………。
……あれ。
また固まっちゃった。
私は、そっと器を差し出す。
「お水、飲みます?」
「……いただきます」
……うん。
今度は受け取ってもらえた。
セドリックさんは、まだ立ったままだった。
私は少し離れたところから声をかける。
「……セドリックさん?」
彼は、ゆっくり私を見た。
「……リアリス、殿」
「はい」
「……私は……」
……うん?
セドリックさんが、何か言おうとしている。
でも、言葉にならないみたいだ。
「大丈夫ですよ。落ち着いてからで」
私がそう言うと、セドリックさんは唇を強く結んだ。
……ああ。
ちょっと苦しそうだなぁ。
さっきまで、嘘だと思っていたんだもんね。
そんな相手が、本当に神様と話してしまった。
……そりゃ、驚くよ。
いや。
私だって、同じ立場なら驚くと思う。
「……申し訳、ありません」
ようやく聞こえた声は、ひどく小さかった。
「え?」
「……私は、あなたを……」
セドリックさんが、深く頭を下げた。
「神の御名を騙る者だと、決めつけてしまいました」
……ああ。
そのことか。
「……うーん」
私は少し考えた。
「でも、普通は信じられないですよね」
「……は?」
「初めて会った人が『神様と話したことがある』なんて言い出したら、私だって疑うと思います」
……うん。
間違いなくね。
「それに、セドリックさんは神様のことが大切だったから、怒ったんでしょう?」
「……それは……」
「だったら、そんなに気にしないでください。もう分かってもらえたなら、それで十分ですよ」
セドリックさんが、顔を上げた。
その目には、驚きが残っている。
……あれ。
また変なこと言ったかな。
「……お許しいただけるのですか」
「えっ? もちろん!」
だって、怪我をさせられたわけでもないし。
私だって、急に驚かせちゃったんだから。
「……ありがとうございます」
セドリックさんは、もう一度深く頭を下げた。
……うん。
よかった。
ようやく話せるようになってきたね。
……さて。
あとは教皇さんとグレンさんかな。
◇
「……う、うう……」
椅子の方から声がした。
……おっ。
グレンさんが、目を開けた。
「グレンさん! 大丈夫ですか?」
「……ここは……」
「謁見の間ですよ」
グレンさんは、しばらく天井を見上げていた。
それから、ゆっくり身を起こす。
「……私は……」
……うん。
無理しなくていいんだけどなぁ。
「さっき、神様とお話ししていたところです」
「……神……」
グレンさんの目が、再び大きく開いた。
……あっ。
待って待って。
また倒れちゃう!?
「だ、大丈夫ですから! 今はもう通話を終えてますよ!」
「……通話……」
グレンさんが、震える手で額を押さえた。
…………。
……おお。
何だか、違う意味で心配になってきた。
桜花が、そっと水を渡す。
「どうぞ。ご無理なさらず」
「……あ、ありがとうございます……」
グレンさんは、少しずつ水を飲んだ。
……うん。
よかった。
今度こそ落ち着いたかな。
最後に、教皇さん。
……いや。
教皇さんは、最初からずっと泣いてるんだけど。
「……教皇さん?」
「……おぉ……」
「……あの。大丈夫ですか?」
ようやく、教皇さんが顔を上げた。
年齢を重ねた顔は、涙でくしゃくしゃだった。
「……リアリス、殿」
「はい!」
教皇さんは、私を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。
……うん。
何だろう。
ちょっと照れるね。
「……私は……」
声が、震えている。
「八十五年、生きてまいりました」
「……はい」
「その長い年月の中で、今日ほどの喜びを感じたことは……」
そこまで言って、また涙がこぼれた。
……ああ。
そんなに嬉しかったんだ。
「……オリミス神様が……この私に、直接お声をかけてくださった……」
教皇さんは、両手で顔を覆った。
「……『そうじゃろ、教皇』と……」
…………。
……あっ。
そこなんだね。
神様、普通に話しかけてたもんなぁ。
でも、あれが一番すごいことだったんだ。
神託は一方通行で、神様に返事をすることはできない。
それなのに今日は、神様が教皇さんを見て、直接声をかけた。
……うん。
ようやく、この人たちがどれほど驚いたのか分かってきた気がする。
「……教皇さん」
「……はい……」
「神様、皆さんが頑張ってるのを喜んでましたよ」
教皇さんの目が、さらに潤んだ。
…………。
……あっ。
泣き止んでもらおうと思ったのに。
逆効果だった!?
「……おおお……」
……うん。
また涙が増えちゃったね。
桜花が、近くの椅子に置いていた布を手に取った。
「教皇猊下。よろしければ、こちらを」
教皇さんが、ようやく布を受け取った。
「……かたじけない」
……ああ。
よかった。
ちゃんと受け取れるくらいには、落ち着いたみたいだ。
……それにしても。
神様のひと言って、すごいんだなぁ。
私が同じことを言っても、ここまで感動してもらえないと思う。
……いや。
比べること自体、おかしいか。
◇
それから、さらに少し時間が経った。
教皇さんはようやく椅子へ戻り、グレンさんも自分の足で立てるようになった。
セドリックさんとケラーさんも、さっきより表情が戻っている。
シーリンさんは、涙を拭いて静かに微笑んでいた。
……うん。
やっと、みんな元に戻ったね。
私は、ほっと息をついた。
すると、教皇さんが改めてこちらへ向き直った。
「……リアリス殿」
「はい」
「まずは、取り乱したことをお詫びいたします」
……えっ?
「いえいえ! そんな、謝らなくても」
「客人の前で、あのような姿を……」
「いやぁ、あれだけ嬉しいことがあったんですから。仕方ないですよ」
……うん。
むしろ、そこまで喜んでもらえるなんて、神様も嬉しいんじゃないかな。
「それに、急に《映像通話》をしたのは私ですし」
私が言うと、教皇さんは静かに首を振った。
「いいえ。あなたは、私どもが生涯望んできたものをお見せくださったのです」
…………。
……おお。
何だか、とても大きな話になってきた。
「本当に……ありがとうございました」
教皇さんが、深く頭を下げる。
四人の枢機卿も、それに続いた。
「……あっ。皆さん、顔を上げてください!」
私は、思わず慌てた。
……いや。
さっきまで偉い人とお話ししていたはずなのに。
今度は、全員に頭を下げられてるんだけど!?
「そんなに大げさにしなくていいですよ!」
すると。
「……いいえ、使徒様」
…………。
……ん?
今、何て?
「……ええと。教皇さん?」
「はい、使徒様」
…………。
……使徒様?
「……あの。私のことですか?」
「もちろんでございます」
……おお。
もちろんなんだ。
いやいや。
ちょっと待って。
どうして、そうなったの!?
「私は、ただ神様と話しただけなんですけど……」
教皇さんは、真剣な表情で頷いた。
「神オリミスと直接言葉を交わし、しかも自由に連絡を取れるお方。さらには、神自ら授けた力を持つと認められた」
「……はい」
「そのようなお方を、ほかに何とお呼びすればよいでしょう」
…………。
……うーん。
リアリス、でいいと思うんだけどなぁ。
私は桜花を見る。
桜花は、いつもの笑顔だ。
……あっ。
これ、助けてくれないやつだ。
「桜花……」
「ふふ。リアリス様」
「……何?」
「大変、慕われておいでですね」
…………。
……うん。
それは分かったんだけど。
私、神様の使いとして来たわけじゃないんだよね。
国王からのお手紙を届けに来ただけなんだけど!
「……あの、教皇さん」
「はい、使徒様」
「私は神様から、聖国で何かをするよう頼まれたわけじゃないですよ?」
「承知しております」
「それに、そんなに立派な人間でもないですし」
……ほら。
昨日だって、カトレアにお土産を買いすぎて巴さんに怒られたばっかりだ。
……いや。
あの話は、今はしなくていいか。
すると教皇さんが、穏やかに笑った。
「神に近しいお方であることと、ご自身がそれを誇られるかどうかは、別のことでございます」
……おお。
そう来たかぁ。
グレンさんも、静かに頷いた。
「使徒様が望まれなくとも、我々が受けた恩恵は変わりません」
……うん。
何だろう。
説得されてる気がする。
「私も、先ほどの非礼を深く反省しております」
セドリックさんが、まっすぐこちらを見て言った。
「使徒様。どうか、お許しください」
「……いや。本当に怒ってないですよ?」
「ありがとうございます」
……あれぇ。
何を言っても、話が大きくなっていく。
ケラーさんも頭を下げる。
シーリンさんも、にこやかに頷いた。
……うん。
五人とも、もう完全にそのつもりだね。
私は、小さくため息をついた。
……仕方ない。
ここは、無理に否定するより。
ちゃんとお願いしておこう。
「分かりました。でも、一つだけ約束してください」
教皇さんの表情が引き締まった。
「何なりと」
「私は、普通に暮らしたいんです。神様に会ったことも、《想像魔法》のことも、むやみに広めないでくださいね」
…………。
教皇さんが、少し驚いた顔をした。
私は続ける。
「家族と一緒にご飯を食べたり、お店をやったり、出かけたり。そういう生活を大切にしたいんです」
カトレアの笑顔が、頭に浮かぶ。
あの子と湖へ出かけた一日。
……うん。
あんな時間を、ずっと守りたいんだよね。
「もし、私がどこへ行っても『使徒様!』って人が集まってくるようになったら……」
…………。
……うん。
考えただけで疲れる。
「それは、ちょっと困っちゃうので」
教皇さんは、しばらく黙っていた。
それから、深く頷いた。
「……承知いたしました」
「本当ですか!」
「はい。我々があなたを敬うことと、あなたの自由を損なわないことは、両立させねばなりません」
……おお。
分かってもらえた!
「聖庁においても、知る者は必要な範囲にとどめましょう」
ケラーさんが、静かに付け加えた。
「それでしたら、私どもで情報を管理いたします」
「ありがとうございます!」
……ふう。
よかったぁ。
これで、街を歩くたびに拝まれる、なんてことは避けられそうだ。
……たぶん。
桜花が、隣で小さく笑った。
「……ふふ」
……あっ。
今、何を笑ったの?
◇
「それでは、改めて本題に戻りましょう」
教皇さんが、姿勢を正した。
……おお。
そうだった。
私、国王からの書状を届けに来たんだったね。
神様と話していたら、危うく忘れるところだった。
「カバディ王からの書状は、確かに拝見いたしました」
「はい」
「また、ローズ帝国とフォーサイド魔法国でも、同様の取り決めを結ばれたとうかがっております」
「そうですね」
「そこで、オリミス聖国としても、こちらから提案をさせていただきたい」
……うん。
いよいよ正式なお話だね。
教皇さんが、ケラーさんへ目配せをした。
ケラーさんが一枚の書類を広げる。
……おお。
ちゃんと準備してくれてたんだ。
「まず、オリミス聖国は、使徒様――リアリス殿と、友好的な関係を築くことを望みます」
「はい。私も仲良くしていただけたら嬉しいです」
……あ。
今、一瞬だけ呼び直してくれた。
頑張ってるんだね。
「次に、正当な理由なく、あなたの暮らしや活動へ干渉しないこと」
「ありがとうございます」
「あなたの意思に反して、国の仕事や宗教的な務めを強制しないこと」
「……あっ。それ、助かります!」
思わず声が大きくなった。
…………。
……いやぁ。
使徒様なんて呼ばれるようになったから、毎朝お祈りをする仕事とか、何か頼まれるのかなって心配だったんだよ。
私は、朝寝坊もしたいんです。
……いや。
それは、今ここで言わなくていいか。
「そして、国内の居住地を自由に選べること。ただし、土地の権利や周囲の住民への配慮は、これまでどおり必要となります」
「もちろんです」
……うん。
王国でも、帝国でも、魔法国でも同じだ。
住んでいる人たちの生活を邪魔していいわけじゃない。
そこは、ちゃんと守らないとね。
「以上を、我が国からお約束いたします」
教皇さんが、まっすぐ私を見た。
「あなたが神に近しいお方であることとは関係なく、一人の人間としての自由を尊重いたします」
…………。
……ああ。
それは、嬉しいなぁ。
「ありがとうございます。ぜひ、その条件でお願いします」
私は、深く頭を下げた。
すると。
「使徒様! どうか、お顔をお上げください!」
……おおっ!?
グレンさんが、慌てて声を上げた。
「……えっ。お礼を言ってるだけですよ?」
「い、いえ……その……」
……ああ。
また、使徒様扱いだ。
私は苦笑した。
「グレンさん。そういうときは、普通にしてもらえると助かります」
「……か、かしこまりました」
……うん。
この先、まだまだ慣れてもらう必要がありそうだね。
桜花は、相変わらず楽しそうにしていた。
「……桜花」
「はい?」
「……何だか、肩書きが増えちゃったね」
「おめでとうございます、リアリス様」
「……いや、おめでたいのかなぁ」
「ふふ」
……うん。
絶対、楽しんでる。
◇
取り決めがまとまると、ケラーさんが正式な書類を整えてくれた。
内容を一つずつ確認する。
友好。
不干渉。
強制的な奉仕の禁止。
そして、適切な手続きのもとでの居住の自由。
……うん。
ちゃんと書いてある。
難しい言い回しもあったけれど、分からないところは聞いて確認した。
……いや。
前世で書類仕事をしていた経験が、まさか異世界で役に立つとはね。
私は、最後の項目を読み終えた。
「ありがとうございます。これで大丈夫です」
「では、こちらへ」
教皇さんが、正式な印を押す。
私も、確認を求められた箇所へ署名した。
……うん。
これで、聖国でも安心して暮らせるようになったね。
私は書類を《収納》へしまった。
「……ところで、教皇さん」
「はい、使徒様」
「実は、もう一つお願いがあるんです」
教皇さんが、姿勢を正した。
「何なりと」
……あっ。
そんなに構えなくてもいいですよ。
「聖都の近くに、家を建てたいんです」
「……お住まいを?」
「はい。ほかの国にも家があって、家族と行き来できるようにしているので」
……うん。
これで四つ目のお屋敷だ。
最初は一軒あれば十分だと思っていたのに。
増えるものだねぇ。
「それと、家の中に美容院、敷地には小さな雑貨屋も作りたくて」
「……美容院と、雑貨屋」
ケラーさんが、小さく繰り返した。
「はい。どの国でも、同じようなことをしているんです」
……いや。
改めて言葉にすると、変わった暮らしだなぁ。
家を建てて、お店を作って、別の国へ出かける。
……うん。
冒険者なのか商人なのか、自分でも分からなくなってきた。
教皇さんは、少し考えた。
「それでしたら、聖都の外側にある土地をご案内いたしましょう」
「……いいんですか?」
「もちろんです。ただし、道や水路、近隣の暮らしを妨げない場所を選んでいただきます」
「はい!」
……よし。
そこは、いつもと同じだ。
「ケラー。適切な土地の候補を」
「承知しました」
ケラーさんが、すぐに地図を用意してくれた。
……おお。
仕事が早い!
いくつかの候補のうち、私が気になったのは、聖都の城壁から少し離れた草地だった。
緩やかな丘。
小さな花の群生。
そして、遠くに聖都の白い塔が見える場所。
……おお。
よさそう!
「この辺り、いいですね」
「そこでしたら、国が管理する空き地でございます」
「周りに家は?」
「少し離れたところに農地はありますが、利用できる範囲を明確にすれば問題ありません」
「じゃあ、そこをお願いします!」
「かしこまりました。土地の使用許可と、お店の営業に必要な手続きも進めましょう」
……ああ。
ありがたいなぁ。
しかも、ちゃんと通常の手続きで進めてくれている。
……うん。
使徒様だからって、何でも特別扱いされるのは困るもんね。
「本当にありがとうございます」
私が頭を下げると、教皇さんが、また少し困ったように笑った。
「使徒様。どうか、そう何度も頭を下げないでくだされ」
…………。
……あっ。
また言われた。
「……あはは。癖なので」
「……左様でしたか」
……うん。
これ、直した方がいいのかなぁ。
いや。
ありがとうって言うのは、悪いことじゃないよね。
◇
聖庁を出たのは、お昼を少し過ぎたころだった。
……いやぁ。
長かった!
謁見そのものも長かったけれど。
やっぱり、神様と話したあとの時間が一番長かった気がする。
私は、聖都の空を見上げた。
白い塔の向こうに、青い空。
広場では、何人かの人がお祈りをしている。
……うん。
街は、いつもどおりだ。
当然だけど、さっき謁見の間で起きたことは、まだ誰も知らないんだよね。
「リアリス様」
桜花が、隣に並んだ。
「はい?」
「お疲れ様でございました」
「桜花もお疲れ様!」
「いいえ。私は、たいへん貴重なものを拝見いたしました」
「……あっ。神様?」
「そちらもでございますが」
桜花が、ちょっとだけ笑った。
「リアリス様が、五人の方々から一斉に頭を下げられて困っていらっしゃるお姿も」
…………。
……桜花ぁ!
「それは、見なくてもよかったんじゃないかなぁ」
「ふふ」
……ああ。
完全に楽しんでる。
……まあ。
桜花が笑ってくれたなら、それはそれでいいか。
「さて、今日はまだやることがあるね」
「お屋敷でございますね」
「うん。土地の許可ももらえたし、作りに行こうか」
「かしこまりました」
ただ、その前に。
……ぐぅ。
…………。
……あっ。
お腹が鳴った。
桜花が、静かに私を見た。
「……お昼も、まだでございましたね」
「……うん」
……そうだった。
今日は朝から、神様に会って、教皇さんに謝られて、使徒様になって。
いろいろありすぎて、すっかり忘れてた。
「せっかくだし、街で何か食べようか」
「はい。よろしいかと存じます」
……よし。
神様の国で最初のご飯だ!
そう思って通りを歩いていると、朝に見かけた焼き菓子のお店が目に入った。
……おっ。
まだ、いい匂いがする。
桜花が、私の視線に気づいた。
「……リアリス様」
「……はい」
「まずは、しっかりお食事をなさってからにいたしましょう」
「……ですよねぇ」
……うん。
先にご飯。
お菓子はそのあと。
それに、今日は買いすぎないようにしないとね。
…………。
……あっ。
カトレアの分は、どうしよう。
いや。
まだ、何も買ってないんだけど!
◇
昼食を終え、私たちは聖都の外へ出た。
白い城壁を背にして、許可された土地へ向かう。
緩やかな丘の近くには、風に揺れる草が広がっていた。
小さな白い花が、ところどころに咲いている。
……おお。
これは、いいねぇ。
遠くに見える聖都の塔も綺麗だし。
少し歩けば街にも行ける。
何より、周りが静かだ。
……うん。
とってもいい場所だ!
私は、許可書に記された範囲を確かめた。
近くの道。
水の流れる場所。
農地との境。
……よし。
どれも避けて建てられるね。
「桜花。ここにしよう」
「はい。よい場所でございますね」
「でしょう?」
……うん。
それじゃ、作ろうか。
思い浮かべるのは、ほかの三軒と同じ間取りの三階建てのお屋敷。
ただし、国ごとに内装の色は変えたい。
聖都で見た白い建物が綺麗だったから、今回は白と淡い金色を中心にしてみよう。
落ち着いた色合いで、窓から光が入ったら柔らかく明るくなるように。
……うん。
いいね!
「よし。これでいこう」
私は、許可された土地をもう一度確認した。
「《建築》」
次の瞬間。
何もなかった草地に、大きな建物が姿を現した。
白い壁。
整った屋根。
三階建ての、見慣れた形のお屋敷。
庭には、花壇と歩道。
敷地の端には、小さな雑貨屋。
……おお。
できた!
いやぁ。
何度やっても、家が一瞬で建つのは不思議だね。
私は外から全体を眺めた。
……うん。
王国邸とは違った雰囲気だけど、ちゃんと「我が家」だ。
「桜花、どうかな?」
「大変、美しゅうございます」
「よかった!」
……おお。
褒められると、嬉しいな。
私は桜花と一緒に、中もひと回りしてみた。
玄関を開けると、白と淡い金色の内装が午後の光を受けている。
「ただいまー!」
「おかえりなさいませ、リアリス様」
桜花が、いつものように微笑んでくれた。
……ああ。
まだ誰も住んでいないけど、もう我が家なんだね。
間取りや設備は、ほかの邸と同じ。サロンも敷地内の雑貨屋も、必要なものは揃っている。
《簡易転移》の扉は、あとで巴さんにつないでもらえば大丈夫だ。
「うん、問題なさそう!」
「はい。あとは、こちらで暮らす皆様をお迎えするだけですね」
……あっ。
そうだった!
いくら立派な家でも、働く人がいなければ回らないもんね。
「じゃあ、まずは担当の子から迎えようか」
「かしこまりました」
◇
玄関ホールへ戻り、私は大きく息を吸った。
……さて。
聖国邸を任せる子は、どんな子にしようかな。
楓は、控えめで静かな子。
杏子は、仕事の段取りを考えるのが得意。
藤は、周りをよく観察する。
……うん。
みんな、それぞれ違う良さがある。
今回も、少し違った子にしよう。
人の話を丁寧に聞いて、落ち着いて行動できる子。
でも、家族の前では、ちょっとだけ甘えん坊でもいい。
……いや。
私がそういう子を可愛いと思ってるだけか。
…………。
……うん。
否定できない。
姿は、今までのフラワーズの子たちと同じくらい。
十三歳ほどに見える、小柄な少女。
背丈は百五十センチくらい。
髪は、柔らかな薄桃色のショートヘア。
表情は控えめだけれど、親しい相手には優しく笑う。
屋敷の警備や、メイドたちの仕事を取りまとめられるように。
必要な知識は、ほかのフラワーズの子たちと同じように持たせよう。
もちろん、不老不死と状態異常への備えも忘れずに。
……うん。
これでいいかな。
「桜花。新しい家族を迎えるよ」
「はい。楽しみでございますね」
私は、目の前の空間へ意識を向けた。
「《ホムンクルス作成》」
柔らかな光が集まった。
光は小さな人の形になり、やがて一人の少女の姿へ変わっていく。
薄桃色の短い髪。
落ち着いた瞳。
小さな手。
……おお。
今回も、無事にできたね。
少女は私を見ると、静かに一礼した。
「……初めまして、リアリス様」
「初めまして。私はリアリス。こっちは桜花だよ」
「桜花と申します。よろしくお願いいたします」
「……よろしくお願いいたします」
少女は、桜花にも丁寧に頭を下げた。
……うん。
礼儀正しいねぇ。
「ここは、聖国に新しく作ったお屋敷なんだ」
「……承知しております」
「これから、この家を中心に手伝ってもらえたら嬉しいな」
「……はい。お任せください」
……おお。
頼もしい!
「ただし、一人で全部やろうとしなくていいからね。ほかのメイドたちとも相談して、ちゃんと休憩も取ること」
少女が、少しだけ首を傾げた。
「……私の、休憩でございますか?」
「うん。もちろん!」
……あれ。
何か、そんなに不思議だった?
「働いてばかりだと、疲れちゃうでしょう?」
「……承知しました」
少女は、静かに頷いた。
……よし。
まずは、お互い無理しないことだね。
「それから、名前を考えてあるんだ」
私は、薄桃色の髪を見た。
柔らかい色合い。
どこか、春に咲く花みたいだ。
「蘭。らん、っていうのはどうかな」
「……らん」
少女が、小さく繰り返した。
「……蘭」
「うん。気に入ってくれると嬉しいな」
しばらく、静かな時間が流れた。
やがて、少女がほんの少し笑った。
「……綺麗な名前です。ありがとうございます、リアリス様」
……ああ。
よかった!
「よろしくね、蘭」
「……はい」
私は、そっと頭を撫でようとして、手を止めた。
「……蘭。撫でてもいい?」
蘭が、私の手を見上げる。
「……はい。お願いいたします」
……おお。
素直!
私は、薄桃色の髪をそっと撫でた。
蘭は目を細めて、少しだけ頬を緩める。
…………。
……ああ。
可愛い。
これは、反則だ。
……いや。
何の反則なのかは分からないけど。
「……リアリス様」
「ん?」
「……もう少し、お願いしてもよろしいでしょうか」
…………。
……おおお。
もちろん!
「いいよ。好きなだけね」
私は、もう一度頭を撫でた。
桜花が、隣で穏やかに笑っている。
「蘭。すっかりリアリス様に懐かれたようですね」
「……はい。安心いたします」
……ああ。
そんなこと言われたら、嬉しくなっちゃうよ。
…………。
……でも。
最近、こういう子が増えてきた気がする。
私の家は、いったいどこへ向かっているんだろう。
……いや。
嬉しいから、いいか!
◇
……さて。
蘭を迎えたから、これでひと安心。
…………。
……あれ?
私は、改めて広い玄関ホールを見渡した。
……いやいや。
全然、ひと安心じゃない!
このお屋敷には、暮らしの仕事だけじゃなくて、雑貨屋もサロンもある。
蘭ひとりに全部任せたら、休む時間なんてなくなっちゃうじゃないか。
「……桜花」
「はい、リアリス様」
「一般メイドさんたち、まだだったね」
「はい。ほかのお屋敷と同じく、十人ほどお迎えするのがよろしいかと」
……うん!
危ない危ない。
うっかり忘れるところだった。
「蘭。これから、みんなと一緒に働いてくれる仲間を迎えるよ」
「……はい。楽しみです」
蘭が、ほんの少し微笑んだ。
……ああ。
そうだね。
働く仲間が増えるのも、家族が増えるのも、嬉しいことだ。
私は、新しく迎える十人の姿を思い浮かべた。
外見は十八歳から三十歳くらいの女性。
家事が得意な人、接客が好きな人、庭仕事が得意な人。
それぞれに性格も得意分野も違って、自分で考えて行動できる人たち。
もちろん、ほかの邸の一般メイドたちと同じく、《不老不死》と《状態異常無効》を永続付与しておく。
……うん。
十人を同じ顔にするつもりも、同じ考えにするつもりもない。
一人ひとりが、違う人だからね。
「《ホムンクルス作成》!」
柔らかな光が、玄関ホールにふわりと広がった。
一人。
二人。
三人。
……うん。
十人、ちゃんと揃った!
光が消えると、髪の色も背丈も雰囲気も違う、十人の女性が並んでいた。
「初めまして! 私はリアリス。こちらが桜花で、こっちが蘭だよ」
「初めまして、リアリス様!」
十人が、揃って丁寧に頭を下げる。
……おお。
また一気に賑やかになったね!
「蘭。みんなと相談しながら、聖国邸のことを取りまとめてもらえる?」
「……はい。承知しました」
「皆さんも、蘭と協力してくれると嬉しいな。無理はしないで、仕事は分担してね」
「かしこまりました!」
……うん。
いい返事!
桜花が、隣で微笑んだ。
「これでお屋敷も、お店も、安心でございますね」
「うん! よかったぁ!」
……いやぁ。
蘭ひとりに頑張ってもらうところだった。
巴さんに知られたら、またお説教されてたかもしれないね。
……うん。
今回は、ちゃんと気づけてよかった!
◇
蘭と十人の一般メイドを迎えたところで、次はお屋敷の安全を確かめた。
敷地の周りを歩き、通り道を確認する。
草地の向こうには、農地が見える。
……うん。
近所の人たちが通る道は、ちゃんと避けてある。
あとは、魔獣が入ってこないようにするだけ。
私は、屋敷を中心に範囲を思い浮かべた。
半径五百メートル。
王国邸や帝国邸、魔法国邸と同じ規模だ。
道路や農地に影響しないよう、周囲の人々の通行は妨げない設定にしておく。
人間も、知性のある来客も、普通に出入りできる。
防ぐのは、危険な魔獣だけ。
……うん。
よし。
「《結界》」
静かな魔力の気配が、屋敷の周囲へ広がった。
……うん。
これで安心だね。
「蘭。みんなと相談しながら、警備の方もよろしくね」
「……はい。敷地内の確認をいたします」
「ありがとう」
蘭は、早速庭の端から建物を見回し始めた。
……おお。
真面目だなぁ。
少しすると、戻ってきた。
「……リアリス様」
「ん?」
「花壇の近くに、日陰が少ない場所がございます」
「……ああ。確かに」
「……花を増やすのでしたら、あちらにも植えられるかと」
……おお。
いきなり、お花の話だ。
……あれ?
もしかして、蘭もお花が好きなのかな。
「蘭は、お花が好き?」
「……はい。好きです」
……うん!
よかった!
「じゃあ、今度カトレアと一緒に花壇を考えようか」
「……カトレア様?」
「うん。私の娘なんだ。お花が大好きでね」
蘭が、少しだけ顔を上げた。
「……お会いしたいです」
「もちろん! あとで紹介するよ」
「……ありがとうございます」
……ああ。
また、楽しみが増えたね。
◇
さて。
次は、お屋敷をほかの家につなげないと。
……うん。
これは、私一人じゃできない。
《簡易転移》の管理をしてくれているのは、巴さんだからね。
「桜花。巴さんを呼んでこようか」
「はい」
「蘭も、一緒に王国邸へ行ってみる?」
「……よろしいのですか?」
「もちろん。家族にも紹介したいし」
蘭が、少しだけ笑った。
「……はい。お願いいたします」
……うん。
それじゃ、行こう。
私は桜花と蘭を連れ、人目のない場所を確認して《転移》した。
行き先は、シルク王国邸。
いつもの玄関の前だ。
「ただいまー!」
「あら、リアリスちゃん」
扉を開けると、ちょうど巴さんが食堂の方から出てきた。
「おかえりなさい。聖国はどうだった?」
「……うん。ちょっと大変だった!」
「……あら」
巴さんが、首を傾げる。
「今度は何をしたの?」
…………。
……あっ。
最初から、私が何かした前提なんだね。
「……ええと。神様に電話しただけなんだけど」
…………。
巴さんの手が、ぴたりと止まった。
「……神様に?」
「うん。《映像通話》で」
巴さんが、深くため息をついた。
「……リアリスちゃん」
「……はいっ!」
「また、人を驚かせたんでしょう?」
…………。
……何で分かるの!?
「……まあ。教皇さんが泣いて、グレンさんが倒れちゃったかな」
「……あらあら」
巴さんが、少し目を丸くする。
「……でも、誰も怪我してないよ!」
「それは、よかったわね」
……うん。
ほんと、それだけはよかった。
「それでね、聖国でも自由に暮らしていいって言ってもらえたんだ」
「まあ! それはよかったわ」
「うん。新しいお屋敷も作ってきたよ」
巴さんが、にっこり笑った。
「あら。もう四つ目ね」
「そうなんです!」
私は、隣に立っていた蘭を紹介した。
「それから、こっちが蘭。新しく生まれた子なんだ」
蘭が、静かに頭を下げる。
「……初めまして。蘭と申します」
「まあ、可愛い子!」
巴さんが、すぐに笑顔になった。
「私は巴よ。よろしくね、蘭」
「……よろしくお願いいたします」
「ふふ。これから、みんなで仲良くしましょうね」
……ああ。
よかった。
早速、受け入れてもらえたね。
「それで、巴さん。《簡易転移》の扉を、もう一軒増やしてもらいたいんです」
「もちろんよ」
……おお。
即答!
「助かります!」
「家が増えたら、行き来できた方が便利だもの」
……うん。
そのとおりです!
巴さんが、私たちと一緒に聖国邸へ向かってくれることになった。
……ああ。
頼もしいなぁ。
◇
聖国邸の一階にある転移用の扉。
巴さんは、その前に立つと、いつものように手を添えた。
「それじゃ、つないでみましょうか」
「お願いします!」
「ふふ。そんなに緊張しなくても大丈夫よ」
……いやぁ。
家が増えるたびに、ちょっとわくわくするんだよね。
巴さんが《簡易転移》の行き先を設定する。
扉を開くと、向こう側に王国邸の廊下が見えた。
「……おお!」
……うん!
ちゃんとつながった!
「これで王国邸へ行けるわね」
「ありがとう、巴さん!」
「ほかの二軒にもつなげておくわよ」
「お願いします!」
巴さんが一度扉を閉め、行き先を切り替える。
今度は、帝国邸。
続いて、魔法国邸。
どちらも、問題なくつながった。
……おおお。
これで、四つのお屋敷を自由に行き来できるんだね。
王国邸は赤。
帝国邸は落ち着いた黒。
魔法国邸は青。
そして、聖国邸は白と淡い金色。
同じ間取りなのに、色が違うだけで雰囲気もずいぶん変わる。
「蘭。どう?」
「……とても便利でございます」
「でしょう?」
……うん。
家族のみんなが、いつでも遊びに来られる。
もちろん、仕事の連絡にも使える。
……ああ。
便利って、素晴らしいね。
ただ。
「……リアリスちゃん」
巴さんが、手を腰に当てた。
「……はい?」
「またお屋敷を増やしたのはいいけれど、管理する子たちのことも考えてちょうだいね」
「……はい!」
……うん。
またお説教?
いや。
今度は、ちゃんと大事な話だね。
「一軒一軒、みんなが安心して働けるようにしないと」
「うん。蘭とは別に一般メイドも十人迎えたよ。仕事もみんなで分担してもらうつもり」
「それならよろしいわ」
……ほっ。
今回は、怒られずに済んだ!
「蘭ちゃんも、無理なことはすぐ相談するのよ」
「……はい。ありがとうございます、巴様」
巴さんが、蘭の頭をそっと撫でた。
蘭は、嬉しそうに目を細めた。
……ああ。
もう、すっかり家族だね。
◇
新しい家の案内をしていると、廊下の向こうから声がした。
「お父さーん!」
……おっ。
カトレア!
扉の向こうから、小さな足音が近づいてきた。
そして、水色のおかっぱ頭がひょこっと覗く。
「……お父さん!」
「カトレア! ただいま!」
「……おかえり!」
カトレアが、ぎゅっと抱きついてきた。
……ああ。
今日も可愛いなぁ。
「お父さん、お仕事終わった?」
「うん。聖国のお話は終わったよ」
「……よかった!」
……うん。
待っててくれたんだね。
「そうだ。カトレアに紹介したい子がいるんだ」
「……だあれ?」
私は蘭を呼んだ。
「こちら、蘭。新しく家族になった子だよ」
蘭が、そっと膝を折った。
「……初めまして、カトレア様。蘭と申します」
カトレアは、薄桃色の髪をじっと見た。
「……きれい」
「……ありがとうございます」
「……蘭ちゃん?」
「……はい」
カトレアが、にこっと笑った。
「……よろしくね!」
蘭の目元が、少しだけ柔らかくなる。
「……こちらこそ、よろしくお願いいたします」
……ああ。
よかった!
「蘭ちゃん、お花、好き?」
……おお。
そこから入るんだね。
「……はい。好きでございます」
「……わたしも!」
カトレアの顔が、ぱっと明るくなった。
「……いっしょに、お花見よ?」
「……はい。ぜひ」
……ああ。
これは、仲良くなれそうだね。
私は、二人の頭を順番に撫でた。
カトレアは嬉しそうに笑い、蘭もそっと目を細める。
……うん。
今日一日、いろいろあったけど。
こういう時間が、やっぱり一番落ち着くね。
「それにしても、リアリスちゃん」
巴さんが、少し笑った。
「ん?」
「また可愛い子が増えたわねぇ」
「……うん」
私は、蘭とカトレアを見る。
…………。
……ああ。
これ、何か買ってあげたくなるなぁ。
「……リアリスちゃん?」
「……は、はいっ!」
……あっ。
何も言ってないのに!
桜花が、静かに笑っていた。
「ふふ」
……うん。
やっぱり、全員に考えが読まれてるね。
◇
それからは、雑貨屋とサロンの開店準備だ。
……といっても、やり方はこれまでのお店と同じ。
細かい手順を最初から全部確認する必要はないよね。
私は、一般メイドたちに商品や接客の準備をお願いした。
雑貨屋では、さっそく棚へ品物を並べる人。
サロンでは、鏡を拭いたり、予約の案内を確認したりする人。
それぞれが相談しながら動いてくれている。
……おお。
仕事が早い!
「蘭。お店の方も、みんなと一緒にお願いね」
「……はい。お任せください」
「もちろん、蘭が全部やる必要はないからね?」
「……承知しております。皆と分担いたします」
蘭が、ほんの少し笑った。
……うん。
その言葉を聞けて安心した!
《エステ》の利用は本人の希望を大切にすること。
雑貨屋の値段や数は、ほかの店に迷惑をかけないようにすること。
その二つだけ改めて伝えて、あとはみんなに任せよう。
営業を始めるのは、聖国側の手続きが整ってから。
……うん。
これで大丈夫!
「リアリス様」
桜花が、小さく声をかけてきた。
「ん?」
「本日は、たいへん多くのお仕事をなさいましたね」
……ああ。そうだね。
謁見して、神様に電話して、使徒様になって。
お屋敷を建てて、蘭と十人の仲間を迎えて。
……おお。
振り返ると、結構やったね!
「じゃあ、今日はここまでにしようか」
「はい。それがよろしいかと存じます」
蘭が、そっと手を上げた。
「……リアリス様」
「ん?」
「……あの」
……おお。
どうしたのかな。
「……よろしければ、少しだけお茶のお時間をいただけますか?」
…………。
……ああ。
もちろん!
「いいよ! むしろ、私から誘おうと思ってた」
蘭が、ほんの少し笑った。
「……ありがとうございます」
……うん。
仕事の話は、ここまで。
今からは、家族のお茶の時間だね。
◇
聖国邸の食堂には、午後の柔らかい光が差し込んでいた。
蘭が準備してくれたお茶の香りが、ふわりと漂う。
私の隣にはカトレア。
向かいには桜花。
その隣に、蘭。
そして巴さん。
……うん。
いいねぇ。
こんなふうに、新しい家でみんなとお茶を飲めるなんて。
……ああ。
ついさっきまで、教皇さんの涙をどう止めればいいのか考えていたのに。
今は、何だかとっても平和だ。
「……お父さん」
「ん?」
「……ここ、きれい」
「うん。白くて明るいお家にしてみたんだ」
「……お花も、植える?」
「もちろん!」
カトレアが、ぱっと笑った。
「……蘭ちゃんと、いっしょに?」
「うん。蘭も、お花が好きなんだって」
蘭が、静かに頷いた。
「……はい。ぜひ、ご一緒させてください」
「……やったぁ!」
……うん。
楽しい予定が増えたね。
巴さんが、紅茶を一口飲んだ。
「ふふ。ここの厨房も使いやすそうね」
「本当ですか!」
「ええ。王国邸と同じ間取りだから、迷わないし」
……おお。
褒めてもらえた!
「それならよかった」
「でも、リアリスちゃん」
「……はい」
「お屋敷が増えても、ちゃんと帰ってきてご飯を食べるのよ?」
…………。
……あっ。
そこなんだね。
「もちろん! 巴さんのご飯、大好きだから」
「ふふ。それなら安心ね」
……うん。
本当に。
巴さんのご飯があれば、どこの国に行っても家に帰ってきた気持ちになれるんだよね。
「……あ、そうだ」
私は、カトレアを見る。
「今日の聖都、すごく綺麗だったよ。今度、一緒に歩こうね」
「……うん!」
「白い建物がいっぱいあって、お花も綺麗でね」
「……行きたい!」
「うん。次は観光しよう」
……そうだ。
あの焼き菓子のお店にも寄りたいな。
…………。
……いや。
巴さんの前で、お土産をいっぱい買う話はしない方がいいか。
私は、そっと紅茶を飲んだ。
「……リアリスちゃん?」
…………。
……あっ。
「……何か、また買ってあげようと思ってない?」
…………。
……どうして分かるんですか!?
「……いえ! まだ、何も!」
「……まだ?」
巴さんが、少し笑った。
桜花は、口元を押さえている。
蘭は、何が起きているのか分からないらしい。
小さく首を傾げていた。
……ああ。
蘭。
そのうち分かるようになると思うよ。
私が、カトレアに弱いってこと。
「……お父さん」
「ん?」
カトレアが、私の袖をちょんと引いた。
「……お菓子、いっしょに食べたい」
…………。
……ああ。
可愛い。
もう、駄目だ。
「うん! 今度、一緒に買いに行こうね!」
「……やったぁ!」
…………。
……あっ。
言っちゃった。
私は、おそるおそる巴さんを見る。
巴さんは、呆れたように笑っていた。
「……リアリスちゃん」
「……はい!」
「一緒に選ぶなら、いいのよ。何でも買い与えなければ、ね」
…………。
……おお!
今回は怒られなかった!
「……はい! 気をつけます!」
……うん。
ちゃんと、少しずつ学習しているつもりです。
……たぶんね。
◇
夕方。
聖国邸の窓から、遠くの聖都の塔が見えていた。
白い壁が、夕日に染まって淡い金色に光っている。
……うん。
本当に、綺麗だね。
今日一日、いろんなことがあった。
神様と話しただけで、教皇さんたちは大騒ぎ。
なぜか、私は「神の使徒様」になっちゃった。
それなのに、国との取り決めは無事に結べて。
四つ目の家までできた。
……ああ。
いろいろあったけど、よかったなぁ。
私は、窓の外を眺めた。
王国。
帝国。
魔法国。
そして聖国。
これで、中央大陸の人間国家には、それぞれ帰れる家ができた。
……いやぁ。
最初に草原へ降り立ったときには、こんな未来なんて想像してなかった。
《想像魔法》があっても、だよ。
だって。
家が増えるたびに、そこで暮らす人が増えて。
みんなで食事をしたり、お茶を飲んだり。
その時間が、どんどん大切になっていく。
……うん。
やっぱり、私の望んでいた暮らしだ。
「リアリス様」
後ろから、蘭が声をかけた。
「ん?」
「……明日からも、よろしくお願いいたします」
少女は、少しだけ微笑んでいる。
……ああ。
こちらこそ、だよ。
「うん。よろしくね、蘭」
「……はい」
私は、蘭の頭をそっと撫でた。
……うん。
この家も、きっと賑やかになるね。
それにしても。
神様と気軽に話せるようになっただけで、使徒様だなんて。
……いや。
教皇さんたちには、すごいことなんだろうけど。
私にとっては、気のいいおじいさんと話しただけなんだよね。
…………。
……でも。
使徒様って、何か特別な仕事が増えたりしないよね?
教皇さんは、自由にしていいって言ってくれたし。
……うん。
大丈夫。
大丈夫だよね?
私は、もう一度聖都の塔を見た。
その向こうには、まだ知らない国や場所が広がっている。
これからも、きっと色々なお約束が待っているんだろうなぁ。
……まあ。
何があっても、私は私だ。
家族と一緒に、おいしいご飯を食べて。
好きなところへ出かけて。
できれば、のんびり暮らしていこう。
――神の使徒になったらしいけれど、今日も私は、ただの親バカなお父さんだった。




