第3話:邪竜ヴィクサスとの遭遇
城門を出て、私は少し歩いたところで立ち止まった。
……ドラゴン、か。
ギルドでも山の方で目撃したという噂を聞いたし、門兵からも会ったら逃げろと言われた。
こんなに立て続けに話題になるなんて、何かの前振りとしか思えない。
「いやいや、私は薬草を採りに行くだけだからね?」
誰にともなく言ってみる。
もちろん返事はない。
手元には、さっき受け取った薬草採取の依頼書。細長い葉と根元の白い模様を目印にすればいいらしい。
これを採って帰れば、ようやく今日の宿代が手に入る。
夕飯だって食べられるはずだ。
ああ、お肉が食べたい。
……じゃなくて。
本当にドラゴンが近くにいるなら、街は大丈夫なんだろうか。
あそこには大勢の人が暮らしている。屋台で元気に客を呼んでいた人も、親切に道を教えてくれた門兵もいる。
その人たちが危険な目に遭うのは、できれば避けたい。
「……場所だけ調べてみようかな」
会いに行くわけじゃない。とりあえず、どこにいるのか確認するだけだ。
私は街道から少し外れ、周りに誰もいないことを確かめた。
探し物の居場所を教えてくれる魔法があれば便利だな。
どうせなら、神様がくれた脳内マップに表示されるようにしよう。
「探しているものの位置を、青い点滅で知らせる……名前は《サーチ》でいいかな」
『《想像魔法》にて《サーチ》が完成しました。』
「よし。じゃあ使ってみよう」
魔法は、作っただけじゃ意味がない。
これはさっきの安全対策で学んだことだ。
「《サーチ》。この近くにいるドラゴンを探して」
頭の中に地図を浮かべる。
すると、王都から離れた山の辺りに、青い光が点滅した。
「……いた」
しかも、ほとんど動いていない。
寝ているのかな。
地図を拡大してみると、光は山の斜面にある。
徒歩で行こうとすれば、かなり時間がかかりそうだ。
今すぐ街のそばにいるわけじゃない。それなら安心……と言いたいところだけど、ドラゴンなら空を飛べるんだろうし、このくらいの距離はすぐなんだろうなぁ。
……ちょっと様子を見てみるか。
「って、何を考えてるんだ私は」
声に出してしまった。
さっきFランクになったばかりの新人が、わざわざドラゴンを見に行くってどうなの?
普通なら絶対にやめておくべきだ。
でも、もし街を襲うつもりなら、話をしてやめてもらえるかもしれない。
……そもそもドラゴンと会話できるのか?
まあ、見に行くだけなら。
「よし。遠くから確認して、危なそうなら帰ろう」
そう決めて歩き出しかけたが、すぐに足を止めた。
いや、だから遠いんだって。
あの山まで歩いていたら、薬草採取どころじゃない。
「……あっ、《転移》があるじゃないか!」
正確には、まだ作っていないけど。
行きたい場所を指定して、一瞬で移動する魔法。
脳内マップで行き先を選べるようにすれば、知らない場所にも行けるはずだ。
『《想像魔法》にて《転移》が完成しました。』
相変わらず、あっさり作れてしまう。
もう何度目か分からないけど、すごいな、この魔法。
「じゃあ、山の入り口あたりへ……《転移》」
次の瞬間、景色が変わった。
「うわっ!」
つい声が出た。
さっきまであった街道が消え、目の前にはごつごつした岩と山道が広がっている。
足元には乾いた土。振り返っても、王都の城壁は見えない。
「……本当に移動した」
当たり前だけど、驚いた。
一歩も歩かず、ここまで来てしまったのだ。
これ、旅行するときに便利すぎない?
……いや、今はドラゴンだった。
私は再び《サーチ》を使い、青い点滅を頼りに山道を進んだ。
新しい身体は本当に調子がいい。少しくらい坂を上っても息が切れないし、足取りも軽い。
しばらく歩くと、妙な場所に出た。
「……何だ、これ」
木が何本も倒れ、岩肌が黒く焼けている。
地面には大きな溝が刻まれていた。
しゃがんで見てみると、どうやら爪の跡らしい。
……爪一本でこの大きさ?
私の身体が入りそうなんだけど。
「ちょっと待って。相当大きいんじゃないの、このドラゴン」
嫌な予感がした。
今なら引き返せる。
けれど、地図の光はもうすぐそこだ。
私は足音を抑えながら岩場を抜けた。
そして、目の前が開けた瞬間――。
「…………」
言葉が出なかった。
いた。
岩場の中央に、巨大なドラゴンが横たわっている。
背中は赤く、腹は黒い。たたまれた翼は家の屋根ほどもあり、頭から尻尾まで、ざっと二十メートルくらいだろうか。
腹がゆっくり上下していた。
どうやら眠っているらしい。
「……大きすぎない?」
思わず小声でつぶやいた。
ドラゴンが大きいことくらい知っていたつもりだ。
でも、実物を見ると全然違う。
これが街へ飛んでいったら、あの城壁なんてひとたまりもないんじゃ……。
私はしばらく、その姿を見つめていた。
寝ているだけなら、今のところ危険はなさそうだ。
いったん戻って薬草採取を済ませようか。
そう思ったとき、ドラゴンの片目が開いた。
「……あっ」
金色の瞳と、ばっちり目が合った。
『……人間か』
「えっ?」
低い声が岩場に響く。
しゃべった!
ドラゴンって、普通にしゃべれるんだ!?
『何をしている。ここは我の寝床だぞ』
「あ、すみません。起こしちゃいました?」
巨大な頭が持ち上がった。
それだけで小石がぱらぱらと転がり、私は思わず一歩下がった。
……怖い。
普通に怖い。
でも、いきなり襲ってくる様子はない。
話ができるなら、まずは話してみよう。
「私はリアリスといいます。王都の近くでドラゴンが出たって噂を聞いたので、気になって見に来たんです」
『ふん。人間どもが騒いでいるのか』
「まあ、そんな感じです」
『我はヴィクサス。この地で我を知らぬ者がおるとはな』
「ヴィクサスさんですね。初めまして」
『……さん?』
何だろう、その反応。
初対面なんだから、さん付けくらいするでしょう。
『妙な人間よ』
そうかもしれません。
そこはあまり否定できない。
「それで、ヴィクサスさん。ちょっと聞いてもいいですか?」
『何だ』
「街を襲うつもりは、あります?」
ドラゴンの目が細くなった。
『人間の街か』
「はい。あそこには、たくさん人が住んでいるんです。できれば危ないことはしないでほしいなぁ、と」
『人間どもの都合など、我の知ったことではない』
……うん。
雲行きが怪しくなってきた。
「今はここで寝てるだけですよね?」
『今はな。だが、いずれ気の向くままに飛び立つ。その先に人間の街があれば、焼き払うこともあろう』
「そこを何とか、やめてもらえませんかね?」
『なぜ我が人間の願いを聞かねばならぬ』
ごもっとも……と言いたいところだけど。
街を焼かれたら、困る人が大勢いる。
別に戦いたいわけじゃない。どこか人のいない場所でのんびり暮らしてくれたら、それでいいのに。
「人の住んでいない山も、ほかにあると思うんですよ。ですから――」
『くどい!』
低い声が響いた。
びりびりと空気が震え、私は口を閉じた。
『小さき人間の分際で、我に指図するか』
「いや、指図じゃなくてお願いなんですけど……」
『ならば消えるがよい』
「……え?」
ヴィクサスが口を大きく開いた。
喉の奥が、赤く光る。
あっ。
これ、まずい。
身構えるより早く、視界が炎で埋まった。
「うわあああっ!」
轟音が響く。
目の前の岩が真っ赤に染まり、熱風が地面をえぐっていく。
……はずなのに。
「……あれ?」
熱くない。
痛くもない。
私は恐る恐る目を開けた。
周りでは炎が渦を巻き、岩肌が黒く焼けている。
それなのに、私の服も髪も無事だった。
「もしかして……《絶対防御》?」
そうか。
さっき自分にかけた魔法が、ちゃんと効いているのか。
「……よかったぁ」
思わず胸をなで下ろす。
いや、よくない!
今、ドラゴンに焼き殺されかけたんだぞ、私は!
炎が収まると、ヴィクサスが私を見下ろしていた。
『……なぜ生きている』
「私が聞きたいくらいですよ!」
つい言い返してしまった。
いや、理由は分かってるんだけどさ。
それにしても、話している途中でいきなり炎を吐くなんて。
『ならば次は、骨まで焼き尽くしてくれる』
再び口の奥が赤く光り始めた。
……だめだ。
このドラゴン、話を聞く気がない。
私だけなら《絶対防御》が守ってくれるだろう。
でも、王都の人たちは違う。
さっき見た賑やかな通りが炎に包まれるところを想像して、背筋が冷たくなった。
「ヴィクサスさん。最後にもう一度だけ聞きます」
『ほう?』
「人間の街を襲うのは、やめてくれませんか?」
『断る』
即答だった。
『我の行く手にあるものは、すべて灰となる。それだけだ』
「……そうですか」
残念だ。
言葉が通じる相手なのに。
でも、このまま逃げたら、いずれ誰かが襲われるかもしれない。
私は争いが好きじゃない。
できれば、何事もなく帰りたかった。
けれど――。
「……ごめんなさい」
私は魔法を思い描いた。
相手の命を、確実に終わらせる魔法。
苦しませることなく、一瞬で。
名前は《即死》。
『《想像魔法》にて《即死》が完成しました。』
頭の中に、いつもの女性の声が響いた。
私は目の前のヴィクサスを見上げる。
巨大な口の奥では、炎が今にも放たれようとしていた。
「《即死》」
それだけだった。
赤い光が、ふっと消える。
『……な……』
ヴィクサスの瞳が大きく見開かれた。
そして、巨大な身体が前のめりに倒れた。
ドォォン!
岩場にすさまじい音が響き、地面が揺れる。
舞い上がった土埃に、私は思わず顔を覆った。
しばらくして周囲が静かになる。
ドラゴンは、もう動かなかった。
「……本当に倒しちゃった」
近づいて確かめると、あれほど重々しかった呼吸も止まっていた。
魔法を一つ作って、使っただけ。
それで、こんな巨大なドラゴンが死んでしまった。
《想像魔法》がとんでもない力だということは、分かっていたつもりだ。
でも、こうして目の前にすると、さすがに言葉が出てこない。
私がしたかったのは、街を襲わないようお願いすることだけだったのに。
「……はぁ」
大きく息を吐く。
誰かが炎に焼かれる前に止められたのなら、それでよかったと思いたい。
そう考えてから、改めてドラゴンの死体を見た。
……ところで。
「これ、どうしよう」
二十メートルほどの巨大な身体が、岩場の真ん中に転がっている。
このまま放っておいていいんだろうか。
かといって、持って帰れる大きさじゃない。
しかも、よく考えたら。
「……あれ? 私、薬草を採りに来たんだよね?」
依頼書はちゃんと持っている。
薬草は、まだ一本も採っていない。
それなのに、目の前には巨大なドラゴンの死体がある。
……うん。
転生初日の初仕事としては、明らかに何かがおかしい。




