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第7話:湖畔の町のうわさ

 魔法国邸ができてから、数日が過ぎた。


 その間に、雑貨屋にも美容院にも少しずつお客さんが訪れるようになった。


 魔法の国だけあって、雑貨屋ではやっぱり魔法道具が気になるらしい。


 ……いや。


 正確には、魔法道具じゃないものまで「どんな魔法ですか?」って聞かれることが多いんだけどね。


 昨日なんて、取り寄せた筆記具を見たお客さんが、書き心地のよさに驚いていた。


「……これは、何属性の魔法ですか?」


 …………。


 ……ただのペンです。


 そのまま説明したら、今度はもっと驚かれた。


 ……うん。


 魔法の国って、なかなか面白いね。


 もちろん、店の仕事は藤やメイドたちがしっかり回してくれている。


 私がずっと様子を見ていなくても、問題なさそうだ。


 ……ということは。


 そろそろ、堂々と遊んでもいいのでは?


「リアリス様」


 魔法国邸の食堂で紅茶を飲んでいると、桜花が声をかけてきた。


「はい?」


「本日のご予定はいかがなさいますか?」


「……うーん」


 私は窓の外を見た。


 青い空。


 穏やかな風。


 庭には、植えたばかりの花が小さく揺れている。


 ……うん。


 いい天気だ。


「今日は、のんびり観光しようと思ってる」


「承知いたしました」


「桜花も一緒にどう?」


「もちろん、お供いたします」


 ……よし。


 それなら。


「あ、そうだ。カトレアも誘おうかな」


 桜花が、わずかに微笑んだ。


「きっと、お喜びになりますね」


「だよね!」


 カトレアは、今は王国邸にいる。


 帝国へ行ったり、魔法国で家を作ったり。


 最近、私の方が何かと忙しくしていた。


 ……いや。


 そもそも、のんびり暮らすために家を増やしているはずなんだけど。


 家を増やすたびに忙しくなるって、どういうこと?


 ……うん。


 深く考えるのはやめよう。


 今日は、カトレアと遊ぶ日!


     ◇


「カトレアー!」


 王国邸につながる《簡易転移》の扉をくぐり、玄関ホールから声をかけた。


 少しすると、二階から小さな足音が聞こえてくる。


「……お父さん?」


「おはよう!」


「お父さん!」


 カトレアが階段を下りてくると、私のところまで駆け寄ってきた。


 ふわりと揺れる淡い青色の髪。


 ……ああ。


 やっぱり、この子の顔を見ると落ち着くなぁ。


「おはよう、カトレア」


「うん! おはよう!」


 抱きついてきたカトレアの頭を撫でる。


 すると、カトレアは少しだけ顔を上げた。


「……お父さん。今日はお仕事?」


「今日はお休み!」


「……おやすみ?」


「そう。今日はカトレアと一緒に遊ぼうかなと思って」


 …………。


 カトレアの目が、まん丸になった。


「……わたしと?」


「うん。魔法国の街を見に行こうと思うんだけど、一緒にどう?」


「……行く!」


 返事が早い!


「本当に、いいの?」


「もちろん!」


「……お父さんのお仕事、ない?」


「今日はないよ。お店もお屋敷も、みんなにお願いしてあるから」


「……そっか」


 カトレアは、ほっとしたように笑った。


「じゃあ、わたし、お父さんといっぱい歩きたい!」


 ……ああ。


 そうだよね。


 最近は家を作るとか、王様に会うとか、そんな話ばっかりだったもの。


 私は、もう一度カトレアの頭を撫でた。


「今日は好きなところを見て回ろうね」


「うん!」


 そのとき、奥から巴さんが顔を出した。


「あら、リアリスちゃん。おかえりなさい」


「ただいま、巴さん!」


「ふふ。今日はカトレアとお出かけ?」


「はい。魔法国を観光しようと思って」


「いいわねぇ。お天気もいいし」


 巴さんが、カトレアの髪をそっと整えた。


「カトレア、歩きやすい靴を履いていくのよ」


「はーい!」


「それから、疲れたらちゃんと休むこと」


「うん!」


 ……おお。


 お母さんみたいだ。


 いや、今さらかな。


 巴さんは、みんなのお母さんみたいな存在だもんね。


「モフ太はどうする?」


 私が尋ねると、カトレアが少し考えた。


「……今日は、おるすばん」


「そっか。いいの?」


「うん。お父さんと、桜花ちゃんと、三人で行きたいの」


 ……ああ。


 なるほど。


 たまには、そういう日もいいよね。


 カトレアは二階の方を振り返った。


「モフ太ー! 今日はお父さんとおでかけしてくるねー!」


 奥から、小さく熊の声が聞こえた。


「……ぐぅ」


 ……うん。


 たぶん、分かってるね。


 モフ太、留守番よろしく!


 桜花も玄関へ来た。


「準備は整いました、リアリス様」


「ありがとう!」


「カトレア、お出かけが楽しみですね」


「うん! 桜花ちゃんも一緒!」


「はい。よろしくお願いいたします」


 ……うん。


 今日も護衛は、桜花。


 でも、今日は仕事というより、家族のお出かけだと思ってほしいな。


「じゃあ、行こうか!」


「うん!」


 カトレアが私の手を握った。


 小さな手は、ほんのり温かかった。


     ◇


 魔法国邸に戻ると、玄関で藤が出迎えてくれた。


「……おかえりなさいませ、リアリス様」


「ただいま、藤」


「……カトレアも、いらっしゃい」


「藤ちゃん、こんにちは!」


 カトレアが元気に挨拶すると、藤はほんの少しだけ目を細めた。


「……こんにちは」


 ……うん。


 藤も、だいぶこの家に慣れてきたみたいだね。


「今日はみんなで街を見てくるよ」


「……承知しました」


「お店の方はお願いしてもいい?」


「……はい。問題ありません」


 藤は、少し間を置いてから私を見上げた。


「……お帰りを、お待ちしております」


「うん。お土産、何か買ってこようか?」


「……いえ」


 ……あれ?


 遠慮してるのかな。


「……皆様が、楽しんでこられれば」


 ……ああ。


 そういうことね。


「ありがとう。藤も休憩はちゃんと取るんだよ?」


「……はい」


 それから、カトレアの方へ向き直る。


「……カトレア。お気をつけて」


「はーい! 藤ちゃんも、お仕事頑張ってね!」


「……うん」


 藤が、小さく頷いた。


 ……いいねぇ。


 こういうやり取りを見ていると、家族が増えたことを実感する。


 それにしても。


 今度も家を作る予定なんだよね。


 ……いやいや。


 今日は考えない!


 仕事の話は、ここまで!


「じゃあ、行ってきます!」


「……いってらっしゃいませ」


 私たちは、魔法国邸をあとにした。


     ◇


 法都ルミナスカは、今日も賑わっていた。


 石畳の通りを人や馬車が行き交い、店先からは楽しそうな声が聞こえてくる。


 青い旗が風に揺れ、通りの向こうには高い塔が見えている。


 魔法国に来てから何度か歩いた街だけれど、カトレアと一緒だと、目に入るものまで変わる気がする。


「……お父さん、あれ!」


「ん?」


 カトレアが指差した先には、小さな店があった。


 軒先に並んでいたのは、色とりどりの花。


 ……ああ。


 やっぱり、お花だね。


「見ていく?」


「うん!」


 手をつないだまま店先へ近づく。


 白い花。


 黄色い花。


 淡い紫色の花。


 見慣れた形もあれば、初めて見るものもある。


 ……おお。


 異世界の花屋さんだ。


 カトレアは、一つひとつ真剣に眺めていた。


「……お父さん。このお花、きれい」


「本当だね。何て名前なんだろう」


「そちらは、朝になると花びらが開く種類ですよ」


 店の女性が、声をかけてくれた。


「日が暮れると、また閉じるんです」


「へぇ!」


「お嬢ちゃんは、お花が好きなの?」


「うん! 大好き!」


「じゃあ、こっちも見てごらん」


 女性が見せてくれたのは、小さな鉢だった。


 細い茎の先に、淡い青色の花がいくつか咲いている。


「……わぁ」


 カトレアが、目を輝かせた。


 ……あ。


 この色。


 カトレアの髪に、少し似ているね。


「お父さん。これ、かわいい」


「うん。カトレアみたいな色だね」


「……わたし?」


「そう。似合いそう」


 カトレアが、自分の髪に触れた。


 それから、花をもう一度見る。


「……えへへ」


 ……ああ。


 その笑顔が見られただけで、連れてきた甲斐があったな。


「この鉢、いただけますか?」


「はい。ありがとうございます」


 私は代金を払い、鉢を受け取った。


「カトレア。おうちに持って帰ろうか」


「……いいの?」


「もちろん。王国邸のお部屋に飾ってもいいし、花壇に植えてもいいよ」


 カトレアは少し考えた。


「……おへやに置く」


「うん。それがいいね」


「毎日、見たいから」


 ……ああ。


 気に入ってくれたんだね。


 私は《収納》に鉢を入れた。


 もちろん、花が傷まないようにそっと。


 カトレアはその様子を見て、ふふっと笑った。


「……お父さんの魔法、便利」


「でしょう?」


「うん!」


 ……うん。


 こういう使い方が、一番平和でいいね。


 桜花も、楽しそうに見守っていた。


「お花のお世話は、楓にも相談してみましょうか」


「……うん! 楓ちゃん、お花に詳しいもんね!」


「そうだね。帰ったら聞いてみよう」


 ……ああ。


 帰ってからの楽しみも増えたね。


     ◇


 花屋を出て少し歩くと、今度は魔法道具の店が並ぶ通りへ出た。


 店先には、光る石や、不思議な形の器具が置かれている。


 ……おお。


 こういう場所は、私もちょっとわくわくする。


「お父さん、これなあに?」


 カトレアが、丸い石を指差した。


「……何だろうね」


 私も知らない。


 店の人に尋ねると、夜になると柔らかく光る照明用の魔法道具だそうだ。


「魔力を少し流しておくと、しばらく光りますよ」


「へぇ……」


 私は石を眺めた。


 青白い光が、表面にぼんやり浮かんでいる。


 ……うん。


 いい雰囲気だね。


 私の家にも明かりはあるけれど、こういう道具にはまた違った味わいがある。


「カトレア、どう?」


「……お星さまみたい」


「本当だ」


 カトレアが、そっと石を見つめた。


「これ、おへやにあったら、きれいだね」


「そうだね。これ、お部屋にあったら綺麗だろうね」


「……でも、お花、買ってもらったから」


 カトレアは石を見つめたまま、小さく首を振った。


 ……あっ。


 遠慮してる。


 さっき買ったお花のことを気にしてるんだね。


 …………。


 ……いや!


 今日は、久しぶりの親子のお出かけだ。


 しかも、この子のこんな嬉しそうな顔を見てしまったら。


 ……よし!


「カトレア。これ、欲しい?」


「……え?」


「気に入ったんでしょう?」


「……うん。でも……」


「じゃあ、買おう!」


 カトレアが、目をまん丸にした。


「……いいの?」


「もちろん! 今日は欲しいものがあったら、何でも言ってね!」


「……ほんとに?」


「本当、本当!」


 ……うん。


 決めた。


 今日はカトレアが欲しがるものを、何でも買ってあげよう。


 …………。


 ……あ。


 待てよ。


 これ、巴さんに怒られるやつだ。


 間違いなく怒られる。


 …………。


 ……うん!


 覚悟を決めよう!


 今日はお父さんの親バカ記念日だ!


「すみません。この光る石を一つください!」


「はい。ありがとうございます!」


 私は石を買い、カトレアに渡してみせた。


「ほら。帰ったら、お花の隣に置こうね」


「……わぁ!」


 カトレアが石と私の顔を交互に見て、ぱっと笑った。


「お父さん、ありがとう!」


 …………。


 ……ああ。


 これは、買ってよかった!


「リアリス様」


 桜花が、そっと声をかけてきた。


「ん?」


「……巴様に、お叱りを受けるかと」


 …………。


 ……やっぱり?


「……うん。分かってる」


「それでも、でございますか?」


「もちろん!」


 私は胸を張った。


「今日はカトレアに、いっぱい楽しんでもらいたいからね!」


 桜花が、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「……承知いたしました」


「……あれ? 止めないの?」


「リアリス様は、すでに覚悟をお決めになったようですので」


 ……うっ。


 それって、助けてくれないってこと?


「ふふ」


 ……ああ。


 桜花も楽しんでる!


 私は石を丁寧に《収納》へしまい、カトレアの手を握った。


 ……まあ、いいか。


 巴さんには、あとで素直に謝ろう。


 今は、この子の笑顔をいっぱい見たいんだ。


 そのまま歩いていると、今度はカトレアが桜花の袖を引いた。


「……桜花ちゃん」


「はい、カトレア」


「桜花ちゃんは、ほしいものないの?」


 桜花が、少しだけ目を丸くした。


「私でございますか?」


「うん。お父さんとわたしばっかり見てるから」


 ……あっ。


 そういえば。


 桜花はずっと、私たちについてきてくれているだけだ。


 せっかく三人で遊びに来てるんだから、桜花にも楽しんでほしいよね。


「桜花。今日は護衛だけじゃなくて、桜花も一緒に遊ぶ日だよ」


「……リアリス様」


「何か気になるお店があったら、寄ってみようよ」


 桜花はしばらく私たちを見てから、穏やかに微笑んだ。


「ありがとうございます。それでしたら、ひとつお願いしてもよろしいでしょうか」


「もちろん!」


「先ほどの花屋へ、帰りにもう一度立ち寄りたいと思います」


「お花?」


「はい。皆で楽しめるものがあれば、と」


 ……おお。


 さすが桜花。


 結局、みんなのことを考えてくれるんだね。


「じゃあ、帰りに寄ろうか」


「ありがとうございます」


「桜花ちゃんも、お花好き?」


「はい。好きですよ」


「……えへへ。いっしょ!」


 カトレアが、嬉しそうに笑った。


 ……ああ。


 この二人も、すっかり家族だね。


     ◇


 お昼が近づくにつれて、通りからいい匂いが漂い始めた。


 焼いた肉。


 温かいスープ。


 香辛料の香り。


 ……うん。


 お腹が空いてきた。


「カトレア、お昼は何がいい?」


「……うーん」


 カトレアが、真剣に考える。


 ……あれ。


 今日、何回目の真剣な顔だろう。


「……お父さんは?」


「私は、何でもいいかな。せっかくだし、魔法国らしいものを食べたいね」


「……じゃあ、わたしも!」


「……えっ。カトレアが食べたいものでもいいんだよ?」


「お父さんと、同じのがいい」


 ……ああ。


 そう言われると、嬉しくなっちゃうなぁ。


 私はカトレアの頭を撫でた。


「じゃあ、一緒に探そうか」


「うん!」


 少し先に、屋台が並ぶ場所が見えた。


 湯気を上げる鍋。


 焼き菓子を並べた台。


 果物を売る店。


 ……おお。


 これは、当たりだね。


「桜花、何か気になるものある?」


「……そうですね」


 桜花が、一軒の屋台を見た。


「あちらから、とてもよい香りがいたします」


 目を向けると、男性が炭火の前に立っていた。


 鉄の網の上では、串に刺した肉がじゅうじゅう焼けている。


 表面には、香ばしい焼き色。


 時々、脂が炭へ落ちて、小さく火が上がった。


 ……おおお。


 これは、反則だ。


 お腹が空いてるときに、あんな匂いを嗅がされたら。


 絶対に食べたくなるじゃないか!


「……お父さん」


 カトレアが、私の手をちょんと引いた。


「ん?」


「……あれ、おいしそう」


「……うん。私も同じこと考えてた」


 カトレアが笑った。


「桜花も食べたい?」


「はい。ぜひ」


 ……よし。


 全員一致!


「こんにちは。三本ください!」


「おう、いらっしゃい!」


 屋台の店主は、日に焼けた顔の気さくそうな男性だった。


 大きな串を三本取り、焼き具合を確かめてから皿に載せてくれる。


「焼きたてだぜ。熱いから気をつけな!」


「ありがとうございます!」


「……お父さん。いいにおい」


「ね!」


 私は代金を払って、少し離れた休憩用の腰掛けへ向かった。


 カトレアには、食べやすいように肉を串から外してあげる。


「ほら、カトレア。熱いから、ふーってしてね」


「うん」


 カトレアが、小さく息を吹きかける。


「……ふー。ふー」


 ……ああ。


 可愛い。


 何だか、それだけで幸せな気持ちになるね。


「いただきます!」


「いただきます!」


 私も、串の肉を一口。


 ……っ!


 おおっ!


 表面は香ばしく、中は柔らかい。


 噛むと肉汁が広がって、香辛料の香りが鼻に抜ける。


 少し甘みのあるたれが、これまたよく合っている。


 ……うん。


 おいしい!


「桜花、これ!」


「はい。とても美味しゅうございます」


 桜花が、上品に頷いた。


 カトレアも一口食べて、目を大きくした。


「……おいしい!」


「でしょう!」


「うん! すっごく!」


 ……ああ。


 三人とも気に入ったみたいだね。


 それにしても。


 この世界の食べ物って、当たり外れがあると思ってたけど。


 探せば、こんなにおいしいものもあるんだなぁ。


 私はもう一口食べた。


 ……うん。


 これは、もう一本買ってもいいかもしれない。


 そんなことを考えていると。


「お客さん、観光かい?」


 焼き台の向こうから、店主が声をかけてきた。


「はい! 最近この国に来たばかりで」


「そうかい! そりゃ、いいときに来たな!」


 店主が豪快に笑う。


「この辺はうまい店が多いからよ。たくさん食っていってくれ!」


「もう、この串だけでも十分おいしいですよ!」


「おっ、嬉しいこと言ってくれるねぇ!」


 店主は、嬉しそうに肉をひっくり返した。


 ……うん。


 こういう人、好きだなぁ。


「嬢ちゃんも気に入ったか?」


「うん! すっごくおいしい!」


「はっはっは! そうかそうか!」


 店主が、さらに笑った。


「だけどな、お客さん。この店の肉も旨いが、ルビドの飯もかなりいけるぜ~。俺の母ちゃんがやってる店もあるぜ!」


 …………。


 ……ルビド?


「ルビド、ですか?」


「おう。知らないか?」


「初めて聞きました」


「法都から南に行ったところにある町だ。森と湖に囲まれた、のんびりした場所でな」


 ……おお。


 森と湖。


 なんだか、いい響きだね。


「景色もいいが、何より飯が旨いんだ。この国で一番だって言う奴もいるくらいでさ!」


「……一番?」


 私は、思わず聞き返した。


 店主が、得意げに頷く。


「おう! 魚も肉も、うまいもんが揃ってる。湖の近くで食う飯は、また格別だぜ」


 ……おおお。


 それは、気になる!


 いや、すっごく気になる!


 もう串を食べてる場合じゃない気がしてきた。


 ……いや。


 これは最後まで食べるけど。


「ルビドって、遠いんですか?」


「馬車なら片道一時間くらいだな。街道を使えば、そんなに大変じゃないぜ」


 ……一時間。


 ちょうどいい距離じゃない?


 《転移》なら一瞬で行けるかもしれないけど。


 たまには馬車で景色を眺めるのも楽しそうだ。


 カトレアが、私の袖を引いた。


「……お父さん」


「ん?」


「……おみず?」


「うん。湖があるんだって」


「……おっきいの?」


「そうみたいだね。きっと、きれいだよ」


 カトレアは、少し考えた。


「……行ってみたい」


 ……ああ。


 そうだね。


 おいしいご飯に、湖の景色。


 この子も、きっと楽しめると思う。


「桜花はどう?」


「とてもよい場所のようですね」


「でしょう?」


「リアリス様とカトレアが楽しめるのでしたら、私もぜひ」


 ……うん。


 じゃあ。


 決まりだね。


「店主さん。ルビドって、明日でも行けます?」


「そりゃ行けるさ! 天気がよけりゃ、湖もきれいに見えるだろうよ」


「ありがとうございます!」


「母ちゃんの店を見つけたら、法都の串焼き屋の息子に聞いたって言ってくれ!」


「……それで、分かるんですか?」


「分かる分かる!」


 ……おお。


 随分、自信満々だなぁ。


 もしかして、親子揃って有名なのかな。


「ちなみに、店の名前は?」


「湖の近くの飯屋って聞けば、たぶん誰でも知ってるぜ!」


 ……名前を聞いたんだけどなぁ。


 まあ、いいか。


 行ってから探すのも、旅の楽しみだよね。


「カトレア、明日ルビドへ行ってみようか」


「……いいの!?」


「うん。三人で小旅行!」


「……やったぁ!」


 カトレアが、ぎゅっと抱きついてきた。


 ……ああ。


 こんなに喜んでくれるなら、絶対に行こう。


「桜花、明日は一日空けておいてね」


「かしこまりました」


 私は店主へ向き直った。


「明日、行ってみます!」


「おう! 楽しんできな!」


 店主が、豪快に笑って手を振った。


 ……うん。


 いい情報を教えてもらっちゃったなぁ。


 私は残りの肉を食べ終えると、ふと思いついた。


「あ、店主さん。持ち帰りでもう少しお願いできます?」


「もちろんだ!」


 ……よし。


 藤たちにも食べてもらおう。


 こんなにおいしいもの、三人だけで楽しむのはもったいないもんね。


     ◇


 昼食のあとも、私たちは街を歩いた。


 カトレアは、さっき聞いたルビドの話が気になるらしい。


「……お父さん」


「ん?」


「ルビドには、お魚いる?」


「うん。湖があるなら、きっといるんじゃないかな」


「……見られる?」


「どうだろう。行ってみてからのお楽しみだね」


「……うん!」


 ……ああ。


 もう明日のことを考えてる。


 早いねぇ。


 でも、私も同じだ。


 さっきの店主さんが「この国で一番」なんて言うから、何が食べられるのか気になって仕方ない。


「桜花、湖の近くでご飯って、よさそうだよね」


「はい。お天気にも恵まれますとよろしいですね」


「うん!」


 ……うん。


 天気がいいといいなぁ。


 そういえば。


 馬車の手配は、まだしてないんだよね。


 いつもなら《転移》で移動してしまうけど、今回はちょっと違う。


 私はカトレアを見た。


「カトレア、明日は馬車で行ってみる?」


「……馬車?」


「そう。景色を見ながら、ゆっくり一時間くらい」


 カトレアが、ぱっと顔を上げた。


「……乗りたい!」


「そっか。じゃあ決まり!」


 ……うん。


 こういう移動も、たまにはいいよね。


 何しろ、異世界に来てからというもの。


 行きたいところへ《転移》できるのが便利すぎて、普通の旅をあまりしていない。


 ……いや。


 便利なのは素晴らしいことなんだけどさ。


 道中の景色を見たり、揺れる馬車でおしゃべりしたり。


 そういう時間も、きっと思い出になると思う。


「リアリス様」


 桜花が、そっと声をかけた。


「ん?」


「それでしたら、帰りに馬車の手配も済ませてはいかがでしょうか」


「……あっ。そうだね!」


 ……うん。


 私一人だったら、明日の朝になってから思い出してたかもしれない。


 さすが桜花。


 いつも助かります!


     ◇


 午後は、通りに並ぶ小さなお店をのんびり見て回った。


「……お父さん、これ、かわいい」


 カトレアが手に取ったのは、小さな花の飾りがついた髪留めだった。


「おお。カトレアに似合いそうだね!」


「……えへへ」


「よし。これも買おう!」


「……いいの?」


「もちろん!」


 次のお店では、布でできた小さな動物の人形。


 その次は、色とりどりのリボン。


 カトレアが目を輝かせるたびに、財布の紐が緩んでしまう。


 ……いや。


 もう紐なんて、最初から結んでないかもしれない。


「……お父さん。いっぱい」


「うん! お土産が増えたね!」


 私はご機嫌で《収納》にしまっていく。


 その隣で、桜花が静かに微笑んでいた。


「……リアリス様」


「……はい」


「巴様には、私からもご報告いたしましょうか?」


「……そ、それは自分で言うよ!」


「ふふ。かしこまりました」


 ……ああ。


 これは、絶対に怒られるやつだ。


 でも、嬉しそうなカトレアの顔を見ると、後悔なんてできないよね。


 桜花が気にしていた花屋にも、もう一度立ち寄った。


「おかえりなさい。さっきのお嬢ちゃんね」


「こんにちは!」


 カトレアが、元気に挨拶する。


 店の女性も、嬉しそうに微笑んだ。


「お花は、気に入ってくれた?」


「うん! おへやに飾るの!」


「それはよかった」


 ……うん。


 また会いに来たみたいで、何だか楽しいね。


 桜花は、花の並ぶ棚をゆっくり眺めていた。


 そして、小さな白い花の束を指差す。


「こちらを、いくつかいただけますか?」


「はい。ありがとうございます」


 店の女性が花をまとめてくれる。


「桜花、それは?」


「屋敷の食堂に飾ろうかと思いまして」


「おお。いいね!」


「カトレアが選んだお花も素敵ですが、皆で眺めるものもよろしいかと」


 ……ああ。


 なるほど。


 桜花らしい選び方だね。


「それじゃあ、食堂のテーブルに飾ろう」


「はい」


 カトレアも、嬉しそうに頷いた。


「……おへやも、食堂も、お花!」


「ふふ。そうですね」


 ……うん。


 こうして、少しずつ家が明るくなっていくんだなぁ。


 桜花が花を受け取る。


 私は、ふと思いついて店の女性に尋ねた。


「この辺りで、馬車をお願いできるところってありますか?」


「馬車ですか? 行き先によって違いますけど……」


「明日、ルビドへ行こうかと思って」


「あら。湖畔の町ですね」


「ご存じですか?」


「もちろん。休日を過ごすにはいいところですよ」


 ……おお。


 ここでも評判がいい!


 女性は、馬車を頼める場所と、朝の出発について教えてくれた。


「ありがとうございます。助かりました!」


「ふふ。楽しんできてくださいね」


 ……よし。


 これで、馬車もお願いできそうだ。


 私たちは花屋をあとにして、教えてもらった場所へ向かった。


 そこでは、ちょうど空いている馬車があると分かり、翌朝の往復をお願いできた。


 ……おお。


 何だか、本当に旅行らしくなってきた!


 カトレアは、馬車の予定を聞いてから、ずっとそわそわしている。


「……お父さん。明日、朝?」


「うん。朝ご飯を食べてから出発しよう」


「……早起きする!」


「うん。でも、夜更かしは駄目だよ?」


「……しない!」


 ……本当かなぁ。


 今夜、楽しみすぎて眠れないんじゃない?


 まあ、それも旅行前のお約束か。


     ◇


 夕方。


 魔法国邸へ帰るころには、空が少しずつ橙色に染まり始めていた。


 カトレアは、朝より少し疲れたようだけれど、ずっとご機嫌だ。


「お父さん。今日、楽しかった!」


「私もだよ」


「……桜花ちゃんも?」


「はい。とても楽しかったですよ」


「……えへへ」


 カトレアが、私の手をぎゅっと握り直した。


 ……ああ。


 こういう一日が、欲しかったんだよね。


 国を訪問するのも、お店を開くのも、新しい家を作るのも。


 それはそれで楽しいけれど。


 何かを完成させるために出かけるんじゃなくて、ただ家族で歩いて、おいしいものを食べて、好きなものを見つけて。


 そういう日が、もう少しあってもいいと思う。


 ……うん。


 むしろ、こういう日を増やすために頑張ってるんだよ。


 私は、夕暮れの街を振り返った。


 魔法の国。


 初めて来たときは、魔法研究の話ばかりになるかと思ってたけど。


 花屋もある。


 おいしい屋台もある。


 優しい人たちもいる。


 ……やっぱり、来てよかったな。


 屋敷に戻ると、藤が玄関で迎えてくれた。


「……おかえりなさいませ」


「ただいま、藤!」


「藤ちゃん、ただいま!」


「……おかえり、カトレア」


 藤が少しだけ首を傾げる。


「……楽しかった?」


「うん! お花見たの! お肉も食べた!」


「……お花と、お肉」


「あとね、明日ルビドに行くの!」


 藤が、私を見上げた。


「……ルビド?」


「うん。南の方にある湖畔の町なんだって」


「……湖」


「そう。おいしいご飯もあるらしくてね。カトレアと桜花と、馬車で行ってくるよ」


「……承知しました」


 藤は静かに頷いた。


「……明日のご予定ですね」


「うん。お店はお願いできる?」


「……問題ありません」


「ありがとう」


 ……うん。


 藤たちがいてくれるから、安心して出かけられる。


「そうだ。これ、お土産!」


 私は《収納》から、昼に買った焼肉串を取り出した。


 もちろん、温かいうちに食べられるように用意してある。


「……これは?」


「すっごくおいしかった焼肉串。藤やメイドのみんなで食べてね」


 藤が串をじっと見た。


「……ありがとうございます」


「あと、桜花が食堂に飾るお花も買ってくれたよ」


 桜花が、小さな白い花束を見せる。


「こちらは、皆で楽しめるように」


「……きれいです」


 藤の目元が、ほんの少しだけ緩む。


 ……ああ。


 気に入ってもらえたみたいだね。


 カトレアも、得意そうに胸を張った。


「わたしも、お花買ったの!」


「……そうなんだ」


「青いの! あとね、お星さまみたいな石も、髪留めも、お人形も!」


 藤が、小さく瞬きをした。


「……たくさん」


「うん! お父さんが買ってくれたの!」


 カトレアが、嬉しそうに笑った。


 ……うん。


 たくさん買ったねぇ。


 藤が私を見上げる。


「……巴様は?」


 …………。


 ……あっ。


 藤。君まで気づいちゃったか。


「……うん。これから会ってくるよ」


「……がんばってください」


 …………。


 ……ありがとう。


 何を頑張るかは、聞かないでおくね。


 私は、そんな二人を見ながら苦笑した。


 そのあと、桜花とカトレアと一緒に王国邸へ戻った。


「ただいまー!」


「ただいま!」


 玄関ホールに入ると、奥から巴さんが顔を出した。


「あら、おかえりなさい。楽しかった?」


「うん! すっごく!」


 カトレアが元気に答える。


「お花も買ったの! 光る石も! お人形も!」


「あらあら。よかったわねぇ」


 巴さんが、カトレアの頭を優しく撫でた。


 ……うん。


 ここまでは、平和だ。


「それでね、お父さんが、欲しいもの全部買ってくれたの!」


 …………。


 ……あっ。


 カトレア。


 それは、今言わなくても。


「……全部?」


 巴さんが、ゆっくり私を見た。


「リアリスちゃん?」


「……は、はい」


「ちょっと、何を買ったのか見せてもらえるかしら?」


 …………。


 ……はい。


 覚悟はしていたけれど、やっぱり怖いね!


 私は《収納》から買ったものを順番に取り出した。


 青い花の鉢。


 光る石。


 花の髪留め。


 動物の人形。


 色とりどりのリボン。


 ……うん。


 並べてみると、結構あるなぁ。


「……リアリスちゃん」


「……はい」


「まさか、カトレアが欲しがるたびに、全部買ってあげたの?」


「……ええと。その」


「リアリスちゃん!」


「は、はいっ!」


 ……来た!


 巴さんのお説教だ!


「カトレアが可愛いのは分かるわよ? でも、欲しいものを何でも買い与えたら駄目でしょう!」


「……ごもっともです!」


「お金があるとか、ないとか、そういう問題じゃないの。欲しいと思ったものは何でも手に入るって、思わせちゃいけないのよ?」


「……はい」


 ……うん。


 まったく反論できません!


「今日は久しぶりのお出かけだから、いっぱい喜ばせてあげたくて……」


「その気持ちは分かるわ。でも、だからこそ、ちゃんと考えなくちゃ駄目よ」


「……はい。反省します」


 巴さんは、ふうっと息をついた。


 その隣で、カトレアが私の袖をぎゅっと握った。


「……巴ちゃん」


「あら、どうしたの?」


「……お父さん、怒られちゃった?」


「そうね。ちょっと怒ってるわ」


「……わたしが、いっぱい欲しいって言ったから?」


 ……あっ。


 そんな顔しなくていいんだよ、カトレア。


 巴さんは、しゃがんでカトレアと目を合わせた。


「違うのよ。カトレアは悪くないわ。ちゃんとお礼を言って、大切に使えばいいの」


「……うん」


「ただね。お父さんは、あなたが可愛くて、ついつい何でも買ってあげちゃうの。だから、少しだけ気をつけてもらいたいのよ」


「……お父さん、わたしのこと、好きだから?」


「ええ。大好きだからよ」


 …………。


 ……ああ。


 そんなこと言われたら。


「もちろん、大好きだよ!」


 私は思わずカトレアを抱きしめた。


「……えへへ!」


 カトレアが嬉しそうに笑う。


 ……うん。


 やっぱり可愛い。


「……リアリスちゃん?」


 …………。


 ……あっ。


「今、お説教してる途中なんだけど?」


「……はいっ! すみません!」


 横から、小さく笑う声が聞こえた。


 桜花だ。


「……ふふ」


「桜花! 助けて!」


「申し訳ございません、リアリス様。今回は巴様のおっしゃるとおりかと」


 ……ああ。


 味方がいない!


「桜花も、明日は見ていてちょうだいね。ルビドへ行くんでしょう?」


「かしこまりました」


 ……えっ。


 明日の買い物まで監視されるの!?


「リアリスちゃん。分かったわね?」


「……はい。今後は気をつけます」


「よろしい」


 巴さんが、ようやく微笑んだ。


「でも、三人で楽しく過ごせたのはよかったわ。明日の旅行も、楽しんでいらっしゃい」


「……はい!」


 ……ああ。


 怒ると怖いけど、やっぱり優しいんだよね。


 ただし。


 ……うん。


 娘に甘すぎるお父さんには、まだまだ修行が必要みたいだ。


     ◇


 そのあと、カトレアの部屋へ行って、買った鉢を一緒に飾った。


 カトレアは何度も位置を変えて、窓際の小さな台を選んだ。


「……ここがいい」


「うん。光も入るし、よさそうだね」


「……楓ちゃんに、育て方聞く!」


「そうだね。今度、一緒に聞こう」


 私は青い花の隣に、さっき買った光る石を置いてみた。


「……お星さまも、一緒」


「うん。夜になったら、光らせてみようか」


「……うん!」


 カトレアは鉢を眺めて、にこっと笑った。


 ……ああ。


 今日の思い出が、一つ増えたね。


「……お父さん」


「ん?」


「明日も、三人でおでかけ?」


「もちろん!」


「……やったぁ」


 小さく喜んでから、カトレアは私に抱きついてきた。


「……今日は、ありがとう」


 …………。


 ……ああ。


 こちらこそ、だよ。


 私はカトレアをそっと抱きしめた。


「私も楽しかったよ。明日も楽しもうね」


「……うん!」


 ……よし。


 明日は、湖畔の町ルビド。


 馬車で片道一時間。


 きれいな湖と、この国で一番おいしいという料理。


 そして、カトレアと桜花と過ごす休日。


 ……うん。


 楽しみだなぁ。


 ――魔法の国で見つけたのは、おいしいご飯と、小さな家族旅行の約束。それから、娘を甘やかすお父さんには巴さんのお説教が待っているという、忘れられない教訓だった。

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