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第6話:本物の勇者に会いました

 翌朝。


 魔法国邸の食堂に入ると、焼きたてのパンの香りがした。


 ……おお。


 昨日できたばかりの家なのに、もうすっかりいつもの朝だね。


「おはようございます、リアリス様」


「おはよう、桜花!」


 席に着くと、桜花が温かい紅茶を注いでくれた。


 その隣では、藤がメイドたちと朝食の準備を確認している。


「……おはようございます」


「おはよう、藤。昨日はよく眠れた?」


「……はい。問題ありません」


「そっか。それならよかった」


 藤は小さく頷くと、私の隣の椅子を見た。


「……本日は、冒険者ギルドへ?」


「うん。昨日の約束どおり、ちょっと覗いてこようかなって」


「……依頼を、お受けになるのですか」


「いや、今日は見学だけのつもりだよ」


 魔法国の冒険者ギルド。


 名前だけ聞くと、魔法使いがずらっと並んでいそうだよね。


 普通のギルドとは違った依頼もあるのかな。


 ……うん。


 何だか、楽しみになってきた。


「リアリス様」


 桜花が静かに声をかけた。


「はい?」


「ギルドへ向かわれるのでしたら、私もご一緒いたします」


「もちろん! 一緒に行こう」


 私がそう答えると、藤が少しだけこちらを見た。


「……お気をつけて」


「ありがとう。藤も、あまり働きすぎないでね」


「……はい」


 少し間を置いて、藤が続ける。


「……お帰りになったら、お茶を」


 ……あっ。


 昨日の約束、もう気に入ってくれたんだ。


「うん。今日はお菓子も用意しようか」


「……承知しました」


 藤の目元が、ほんの少しだけ緩んだ。


 ……可愛いなぁ。


 私は朝食のパンを一口かじった。


 外はいい天気。


 さて、今日はどんな出会いがあるんだろう。


     ◇


 法都ルミナスカの通りは、朝から賑わっていた。


 青い旗が風に揺れ、店先には見慣れない魔法道具が並んでいる。


 歩いている人たちの中にも、杖を持つ人の姿がちらほら。


 ……おお。


 さすが魔法国。


 王国や帝国とは、ちょっと雰囲気が違うね。


「あ、桜花。あれ見て」


 通りの脇で、一人の男性が荷車の前に立っていた。


 杖を向けると、箱がふわりと浮き上がって荷台に積まれる。


 ……へぇ。


 運搬にも魔法を使うんだ。


「便利そうですね」


「うん。ああいう魔法って、生活に役立つよね」


 私なら《想像魔法》で一瞬だけど。


 ……いや。


 そういうことじゃない。


 自分の手で工夫して、毎日の生活を少し便利にする。


 それって、すごくいいことだと思う。


 店先で子どもたちが空を見上げていた。


 上の方では、小さな光がくるくる回っている。


「……あれも、魔法かな」


「そのようでございます」


 ……うん。


 観光しているだけでも面白い。


 しばらく歩くと、大きな建物が見えてきた。


 入口の上には、見慣れた冒険者ギルドの紋章。


「ここだね」


「はい」


 私は少しだけわくわくしながら扉を開けた。


 中は、思った以上に賑やかだった。


 依頼掲示板の前には冒険者たちが集まり、受付には何人かの列ができている。


 剣を背負った人。


 弓を持った人。


 そして、やっぱり杖を持った人が多い。


 ……おお。


 いかにも魔法国のギルドだ!


「リオン様。あちらに依頼掲示板がございます」


「本当だ。ちょっと見てみようか」


 貼られた依頼を順番に眺める。


 薬草採取。


 商人の護衛。


 街道付近の魔獣討伐。


 そのほかには、魔法道具に使う素材の採取依頼もあった。


 ……なるほど。


 魔法が盛んな国だから、材料を集める仕事も多いのかな。


 依頼の説明には見知らぬ素材の名前がいくつか並んでいる。


 ……うん。


 知らないもの、まだまだあるね。


「リオン様。何かお気になられますか」


「いやぁ。こういうのを眺めてるだけでも勉強になるなと思って」


「左様でございますか」


 桜花が穏やかに微笑む。


 ……あっ。


 そういえば、ここで依頼を受けることもできるんだよね。


 せっかくだし、受付で少し話を聞いてみようかな。


 列が短くなるのを待って、私たちは窓口へ向かった。


「いらっしゃいませ。ご依頼でしょうか?」


「こんにちは。今日は見学なんですけど、ほかの国で登録した冒険者も、ここで依頼を受けられるんですよね?」


「はい。ギルドの登録証があれば、どの国の支部でもご利用いただけます」


「ありがとうございます!」


 私は冒険者カードを取り出した。


 受付の女性がそれを確認する。


「リオン様ですね。ランクはF……」


 そこで、彼女の手が止まった。


「……あの」


「はい?」


「こちら、依頼受注制限がないのですが」


「ああ。そういう登録なんです」


「……そういう登録、ですか?」


 受付の女性が、もう一度カードを見た。


 ……あれ。


 王国では何度か説明したけど、やっぱり珍しいのかな。


「シルク王国のギルドマスターに、こうしてもらったんです」


「……少々、お待ちいただいても?」


「どうぞ!」


 女性は奥へ歩いていった。


 ……うん。


 ただ見学に来ただけなのに、ちょっと面倒なことになりそうな気配がする。


「リオン様」


「……言わないで、桜花」


「まだ何も申し上げておりませんが」


「顔に書いてある気がして」


「ふふ」


 ……ああ。


 笑ってる!


 私は頭をかいた。


 しばらくすると、受付の女性が戻ってきた。


「お待たせいたしました。確認できましたので、ほかの支部でもそのままご利用いただけます」


「よかった!」


「ただ、このような登録は初めて拝見しました」


「……あはは。私も、ちょっと変わってるなとは思います」


 ……本当は、かなり変わってるんだろうな。


 でも、これで依頼を受けるたびにギルドマスターを呼び出さずに済む。


 シルベスターには感謝しないとね。


 私は礼を言ってカードをしまった。


 さて。


 ほかに面白そうなものはないかな。


 そう思って振り返った、そのときだった。


「勇者様だ!」


 入口の方から、誰かの声が響いた。


 ……ん?


 勇者?


 ギルド内の視線が、一斉に扉へ向かう。


 入ってきたのは、剣を腰に下げた若い男性だった。


 黒い髪。


 すらっとした体格。


 顔立ちは、どこか見覚えのある雰囲気だ。


 ……あれ。


 私、この人を知ってる?


 いや、初めて見る顔のはずなんだけど。


「お疲れさまです、勇者様!」


「今日もお元気そうですね!」


「この前は助けていただいて、ありがとうございました!」


 周囲の人たちが、次々に声をかけている。


 男性は少し照れたように笑って、手を振った。


「いやいや、俺はできることをしただけですから!」


 ……おお。


 爽やかだねぇ。


 しかも、周りには若い女性が何人か集まっている。


 そのうちの一人が、持っていた荷物を落としかけた。


「きゃっ!」


「あっ、危ない!」


 男性が、とっさに手を伸ばす。


 倒れそうになった女性を支えた。


 ……おお!


 さすが勇者。


 反応が速い!


 ところが。


「……あ」


「……えっ」


 二人の顔が、思いのほか近かった。


 女性の頬が、みるみる赤くなる。


「す、すみません!」


「こ、こちらこそ!」


 慌てて離れようとした男性が、今度は自分の足を引っかけた。


「うわっ!」


 ……あっ。


 今度は自分が転びかけてる!


 どうにか踏みとどまったけれど、周りの女性たちはくすくす笑っている。


「もう、勇者様ったら」


「わ、わざとじゃないですからね!?」


 ……うん。


 なんだろう。


 あの人、すごく主人公っぽい。


 いや、実際に勇者なのか。


 ……でも。


 何だか、懐かしい感じがするんだよね。


 男性が私たちの方を見た。


 そして、ぴたりと足を止める。


「……え?」


 視線の先には、桜花がいた。


 ……あ。


 嫌な予感。


「あの!」


 男性が、まっすぐこちらへやってきた。


「はい?」


「その、そちらの方は……」


 ……やっぱり桜花かぁ。


 桜花は一歩前へ出て、静かに頭を下げた。


「桜花と申します」


「お、桜花さん! 綺麗なお名前ですね!」


「ありがとうございます」


 ……おお。


 初対面なのに、ぐいぐい来るね。


 男性は少しだけ姿勢を正した。


「あっ、俺は山凪雪彦です。よろしくお願いします!」


 …………。


 山凪、雪彦。


 ……あれ?


 今、ものすごく聞き慣れた響きがしたんだけど。


「……やまなぎ、ゆきひこ?」


「はい。山凪雪彦です」


 ……日本人の名前だ!


 私は思わず彼の顔を見直した。


 黒い髪。


 何となく日本人っぽい顔立ち。


 さっき感じた懐かしさの正体は、これか。


 ……もしかして。


「失礼ですが、勇者さん……ですか?」


「はい! 俺、この国に召喚された勇者なんです!」


 ……おおお。


 出た!


 異世界召喚の勇者!


 転生した私が言うのも何だけど、こっちも王道だね!


 雪彦は胸を張ったあと、ふと首を傾げた。


「お二人は、こっちの方ですか?」


「私はリオン。シルク王国から来た冒険者だよ」


「リオンさんですね。よろしくお願いします!」


「うん。こちらこそ」


 雪彦君。


 十九歳くらいかな。


 見た目だけなら、普通の大学生って感じだ。


 ……いや。


 実際、そうだったりして。


「それにしても、桜花さんって、冒険者なんですか?」


「はい。リオン様の護衛を務めております」


「護衛! なるほど!」


 雪彦が私を見る。


「じゃあ、リオンさんって、結構偉い人なんですか?」


「……うーん。普通の冒険者、かな?」


「リオン様」


 桜花が隣で小さく声をかけた。


「……何?」


「それは少々、無理があるかと」


「……ですよねぇ」


 雪彦は目をぱちぱちさせた。


 ……あはは。


 さて、どう説明したものかな。


「まあ、ちょっと特殊な登録をしてるだけだよ」


「へぇ! そうなんですね!」


 ……おお。


 納得が早い!


 いや、納得してくれるなら助かるけどさ。


 雪彦は、ふと後ろを振り返った。


 そこでは、さっき助けられた女性が友人たちと楽しそうに話している。


 女性が小さく手を振ると、雪彦も慌てて手を振り返した。


 ……うん。


 なんだか、すごいな。


「勇者様、今日の訓練も頑張ってくださいね!」


「はい! 頑張ります!」


 ……訓練?


 私は首を傾げた。


「雪彦君、これから訓練なの?」


「はい。ここの訓練場を借りられるので」


「へぇ。勇者でも訓練するんだね」


「もちろんです! もっと強くならないといけませんから!」


 雪彦が笑う。


 ……うん。


 真面目な子なんだね。


「実は、こっちに来てから結構強くなったんですよ!」


「そうなんだ」


「最初は剣なんてまともに振れなかったんですけど、今では魔獣相手でも戦えるようになって!」


 ……おお。


 それはすごい。


 召喚されて、知らない世界へ連れてこられて。


 それでも、ちゃんと努力してきたんだ。


 私は素直に感心した。


「頑張ったんだね」


「へへ。ありがとうございます!」


 雪彦は嬉しそうに笑った。


 ……あれ。


 ちょっと、子どもっぽいところもあるのかな。


「そういえば、リオンさん」


「ん?」


「シルク王国から来たってことは、あっちの魔獣とも戦ったりするんですか?」


「まあ、たまにはね」


「へぇ! じゃあ、剣も使うんですか?」


「うん。剣も魔法も使うよ」


「おお! 両方使えるんですね!」


「まあね」


 雪彦が、ぱっと顔を明るくした。


「俺も魔法、使えるんですよ!」


「おお、いいね!」


「剣だけじゃなくて魔法も使えるって、勇者っぽいでしょう?」


 ……自分で言うんだ!


 私は思わず笑ってしまった。


「うん。すごく勇者っぽい」


「ですよね!」


 ……うん。


 この子、分かりやすいなぁ。


     ◇


 雪彦に誘われて、私たちはギルドの訓練場を見に行くことになった。


 建物の裏側には、広い土の広場がある。


 端には練習用の木剣や盾が並び、数人の冒険者が稽古をしていた。


 雪彦の姿を見つけると、稽古中だった人たちが挨拶する。


「勇者様、お疲れさまです!」


「お疲れさまです!」


 ……おお。


 人気者だねぇ。


 雪彦は照れながら返事をした。


「いやぁ、そんなにかしこまらなくてもいいですよ!」


 そう言ってから、こちらを向く。


「リオンさん、よかったら俺の魔法、見ていきません?」


「いいの?」


「はい! ちょうど練習するところでしたし」


 ……それは、ちょっと見てみたい。


 この世界の勇者がどんな戦い方をするのか、気になるんだよね。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 私と桜花は、訓練場の端へ移動した。


 雪彦が広場の中央に立つ。


 練習用の標的が、少し離れた場所に並んでいた。


「行きます!」


 雪彦が片手を前に向ける。


 その先に、小さな炎が現れた。


 ……おお。


 次の瞬間。


 炎が勢いよく飛び、標的に命中した。


 乾いた音が響く。


「どうですか!」


「すごいね!」


 私は素直に拍手した。


 魔力を集める動きが、思ったより滑らかだった。


 ……うん。


 ちゃんと練習してるんだろうな。


「ふふ。なかなかでございますね」


 桜花も微笑んだ。


 雪彦は少し照れくさそうに頭をかく。


「いやぁ。まだまだですけどね!」


 そう言いながら、今度は腰の剣を抜いた。


「次は剣です!」


 ……おお。


 本当に両方使うんだ。


 雪彦が地面を蹴った。


 思ったより速い。


 標的へ一気に近づくと、何度か剣を振る。


 最後に大きく踏み込んで、一撃。


 標的が、がたんと揺れた。


 周りの冒険者たちから歓声が上がる。


「さすが勇者様!」


「すごいな!」


 雪彦は剣を納めて、こちらへ戻ってきた。


「どうでした?」


「うん。剣も魔法も上手だったよ」


「本当ですか!」


「本当、本当」


 ……うん。


 この世界で、あれだけ動けるなら十分強いと思う。


 何より、攻撃を当てる位置もきちんと考えていた。


 ただ勢いだけで振り回しているわけじゃないんだね。


「そうだ、リオンさん」


 雪彦が、思いついたように声を上げた。


「何?」


「俺と模擬戦しませんか?」


 …………。


 ……え?


「……私と?」


「はい! リオンさんも剣が使えるんですよね?」


「まあ、一応ね」


「俺、最近は訓練場でもほとんど負けなくなったんです。魔獣だって倒せるようになったし、結構いい勝負になると思います!」


 ……おお。


 ずいぶん自信があるね。


 確かに、さっきの動きはよかった。


 でも、周りに勇者様と呼ばれるたび、胸を張る角度が少しずつ大きくなっている気がする。


「雪彦君。勝ち負けだけが訓練じゃないよ?」


「分かってます! でも、俺も勇者ですし、そう簡単には負けませんよ!」


 ……ああ。


 これは、ちょっと天狗になってるかな。


 私は桜花を見る。


「リオン様。お受けになられてもよろしいかと」


「……桜花。楽しんでるでしょう?」


「何のことでございましょう」


 ……うん。


 いつもの笑顔だね。


 まあ、雪彦君に悪気があるわけじゃない。


 力を身につけたら試してみたくなる気持ちも、分からなくはないし。


「分かった。一度だけね」


「本当ですか!」


「ただし、模擬剣で。怪我はさせたくないから」


「はい! もちろんです!」


 ……よし。


 これなら大丈夫かな。


     ◇


 訓練場の端から、木製の模擬剣を二本借りた。


 雪彦も私も、同じ剣だ。


 刃の部分は丸めてあるけれど、もちろん強く当てれば痛い。


 ……うん。


 力加減には気をつけないとね。


「魔法は使います?」


「今回は剣だけにしようか」


「分かりました!」


 近くにいた冒険者たちが、ぞろぞろと集まってきた。


「勇者様が模擬戦だって?」


「相手は知らない奴だな」


「Fランクらしいぞ?」


 ……あれ。


 見物人が増えてる。


 できれば、目立たず終わらせたいんだけど。


「勇者様、頑張ってください!」


「任せてください!」


 雪彦が声援に手を振った。


 ……おお。


 余裕だねぇ。


 私は向かいに立ち、模擬剣を軽く構えた。


「遠慮はいりませんよ、リオンさん!」


「……うん。ほどほどにね」


「え?」


「いや、こっちの話」


 審判を務めるギルド職員が、二人を見比べる。


「準備はよろしいですか?」


「はい!」


「いつでもどうぞ」


 雪彦の表情が真剣になる。


 ……うん。


 しっかり集中できてる。


 それじゃ、怪我をさせずに終わらせよう。


「――始め!」


 雪彦が勢いよく踏み込んだ。


 肩を狙って、模擬剣が振り下ろされる。


 ……速い。


 でも。


 私は半歩だけ横へずれた。


 空を切った雪彦の剣へ、自分の模擬剣を軽く当てる。


 角度を変えられた剣が、雪彦の手からすっぽ抜けた。


 からん、と音がして地面に落ちる。


 次の瞬間、私の模擬剣が雪彦の首の手前でぴたりと止まった。


 …………。


「……え?」


 雪彦が、目を丸くする。


 審判も動かない。


 ……あれ。


 もう終わったんだけどな。


「……これで、終わりかな?」


「しょ、勝者、リオン!」


 その声が響いた途端、訓練場がざわめいた。


「何だ、今の!?」


「勇者様が、一瞬で……?」


「剣を振ったところまでは見えたんだけど……」


 ……うん。


 ちょっと速すぎたかな。


 私は剣を下ろし、雪彦から一歩離れた。


「雪彦君、大丈夫? 痛いところはない?」


「……はい。全然、ありません」


「よかった!」


 ……うん。


 無傷で勝てたなら、何よりだね。


 私は雪彦の模擬剣を拾い、柄を向けて渡した。


「最初の踏み込みはよかったよ。でも、一撃に力が入りすぎたかな。避けられたあとに、体勢を戻せなくなっちゃったね」


「……はい」


 雪彦は剣を受け取ると、少し俯いた。


 周囲からはまだ驚きの声が聞こえている。


 ……ああ。


 この人数の前じゃ、落ち着いて話せないな。


「雪彦君、少し静かなところに行かない?」


「……いいんですか?」


「うん。桜花も一緒にね」


「かしこまりました」


 私たちは模擬剣を職員へ返し、訓練場をあとにした。


     ◇


 ギルドの裏手から人通りの少ない路地へ出る。


 私は周囲に誰もいないことを確かめた。


「雪彦君、ちょっと驚くかもしれないけど」


「……はい?」


「《転移》」


 景色が一瞬で変わった。


 目の前には草原が広がり、遠くに法都の塔が見える。


 《サーチ》でも確認する。


 ……うん。


 近くに人も魔獣もいない。


 ここなら、誰にも話を聞かれずに済むね。


「……えっ!?」


 雪彦が、きょろきょろと辺りを見回す。


「今、ギルドの近くにいましたよね!?」


「うん。ちょっと移動したんだ」


「ちょっとって、これ……どうやって!?」


「《転移》だよ」


「そんな魔法まで!?」


 ……おお。


 模擬戦のときより驚いてない?


 私は草の上に腰を下ろした。


「まあ、座ろうか」


「……はい」


 雪彦も向かいに座る。


 桜花は私の隣に立った。


 静かな風が吹く。


 しばらくして、雪彦が口を開いた。


「……リオンさん」


「ん?」


「俺、調子に乗ってました」


 ……ああ。


 やっぱり気にしてたんだ。


「勇者って呼ばれるようになって、剣も魔法も上達して。魔獣に勝てるようになったら、自分が一番強いような気になってたんです」


「うん」


「リオンさんにも、勝てるって決めつけてました。まだどんな人なのかも知らないのに」


 雪彦は、膝の上で拳を握った。


「……なのに、剣を一回振っただけで負けた」


「そうだね」


「すみませんでした。相手を甘く見てました」


 雪彦が、深く頭を下げた。


 ……うん。


 ちゃんと反省できるんだね。


「いいよ。でも、君の剣はちゃんと上達してると思う。最初の一撃も速かったしね」


「……本当ですか?」


「うん。ただ、自分の攻撃が外されたときのことも考えておいた方がいいかな」


 雪彦は、何度も頷いた。


「分かりました。次から、気をつけます!」


 ……ああ。


 やっぱり、素直な子だ。


 雪彦は顔を上げ、私を見つめた。


「でも、リオンさんって何者なんですか? あんなに強くて、《転移》まで使えて……」


 ……うん。


 そろそろ、話してもいいかな。


 私は桜花を見た。


 桜花が、静かに頷いた。


「実はね。誰にも聞かれない場所に来たのには、もう一つ理由があるんだ」


「……はい」


「まず、名前のことから話そうか」


「名前?」


「リオンは、冒険者のときに使ってる偽名なんだ。本当の名前は、リアリスっていうんだよ」


 雪彦が、目をぱちぱちさせる。


「……えっ!? 偽名だったんですか?」


「うん」


「どうして、わざわざ偽名を?」


「本名だと、ちょっと有名になりすぎちゃってね。私は静かに暮らしたいから、冒険者として活動するときだけ別の名前を使ってるんだ」


「……有名?」


「ほら。君も勇者って呼ばれて、外を歩くだけで人が集まるでしょう?」


「……あっ」


 雪彦が、小さく頷いた。


「確かに、一人でゆっくりしたいときもありますね」


「そうでしょう? そういうこと」


 ……うん。


 理解してもらえてよかった。


「だから、ほかの人の前では、今までどおりリオンって呼んでね」


「分かりました! 秘密にします!」


「ありがとう」


 私は、一度だけ息をついた。


「それと、もう一つ。こっちの方が大事な話なんだけど」


「はい」


「雪彦君。君は日本から召喚されたんだよね?」


「……はい」


「実は、私も日本から来たんだ」


 …………。


「……え?」


 雪彦の表情が止まった。


「私は召喚じゃなくて、転生だけどね。日本で一度死んで、神様にこの世界へ生まれ変わらせてもらったんだ」


「……に、日本?」


「うん。日本」


「……あの、日本ですか?」


「コンビニがあって、電車が走ってて、学校でテストがある日本だよ」


「えええええっ!?」


 ……おお!


 今までで一番大きな声が出た!


 雪彦は立ち上がりかけて、慌てて座り直した。


「リアリスさんも、日本人だったんですか!?」


「元はね」


「……うわぁ。信じられない……」


 雪彦は、両手で顔を覆った。


「……俺、こっちに来てから、日本の話ができる人なんて、いなかったんです」


 ……ああ。


 そっか。


 突然知らない世界に呼ばれて、帰る方法もないと言われたんだもの。


 きっと、寂しかっただろうね。


「……本当に、コンビニを知ってるんですよね」


「もちろん。夜中にお腹が空いて、買い物に行ったこともあるよ」


「肉まんとか、売ってましたよね」


「うん。冬に食べるとおいしいよね」


 雪彦の目元が、少し赤くなった。


「……俺、大学に入って、これから色々楽しむつもりだったんです」


「うん」


「友達と遊ぶ約束もあって……。なのに、急にこっちに来ちゃって」


 雪彦は、草を見つめた。


「帰るための魔法も失われたって聞いて……」


 私は、すぐには言葉を返さなかった。


 この子は、戻りたい場所を残してきたんだ。


 私とは違う。


 安易に、分かるよとは言えない。


「……リアリスさん」


「ん?」


「同じ国の人に会えて、嬉しいです」


「……うん。私もだよ」


 雪彦が、少し笑った。


 ……よかった。


 顔が明るくなったね。


 そのとき、隣の桜花が口を開いた。


「リアリス様。お茶でもご用意いたしましょうか」


「あ、そうだね。お願いできる?」


「かしこまりました」


 雪彦が、はっと顔を上げた。


「……桜花さん、リアリス様って」


「うん。桜花は本名も、転生のことも知ってるよ」


「私はリアリス様の家族であり、護衛でございます。もちろん、以前から存じております」


「……そうだったんですね」


 桜花が静かに微笑む。


 ……うん。


 雪彦君、今日は驚きっぱなしだね。


 私は《取り寄せ》でお茶とお菓子を用意した。


 桜花が器を並べてくれる。


「……え?」


 雪彦が、お茶と私の顔を交互に見た。


「今の、どうやったんですか?」


「……あっ」


 そうだった。


 これも説明してなかった。


「実は、転生するときに神様から特別な力をもらったんだ」


「……神様から?」


「うん。《想像魔法》っていうんだけどね」


「……そうぞう、まほう?」


「自分で想像した魔法を作って使えるんだ。さっきの《転移》も、こうして物を用意する《取り寄せ》もね」


 雪彦は、器を持ったまま固まった。


「……えっ」


「いわゆる、チート能力ってやつかな」


「……いや、そんな簡単に言われても!」


 ……おお。


 いいツッコミだね。


「想像した魔法が作れるって……それ、何でもできちゃうんじゃないですか!?」


「……まあ、ちょっと反則だとは思ってる」


「ちょっとじゃないですよ!」


 ……あはは。


 それは、そうだね。


「ただ、秘密にしてるんだ。色々な人に知られたら、落ち着いて暮らせなくなるから」


「……なるほど」


 雪彦が真剣に頷いた。


 それから、私の前で姿勢を正した。


「リアリスさん」


「はい?」


「俺、さっきまで、自分が勇者だから特別なんだって思ってました。でも、世界にはこんな人もいるんですね」


「……うん?」


「それに、そんなに強いのに、俺を怪我させないように戦ってくれて。話まで聞いてくれて……」


 雪彦は、まっすぐこちらを見た。


「尊敬します。俺も、リアリスさんみたいになりたいです!」


 ……えっ。


 いや、私みたいにって。


「……雪彦君。私は、できれば働かずにのんびりしたいだけなんだけど」


「……え?」


「本当に。戦闘より、おいしいご飯とお茶の方が好きだよ」


 雪彦が、ぽかんとした。


 そして。


「……あはははっ!」


 いきなり笑い出した。


「な、何がおかしいの?」


「そんなに強いのに、のんびりしたいんですか!?」


「……悪い?」


「いえ! むしろ、すごくいいと思います!」


 ……おお。


 それなら、よかった。


 雪彦は笑い終えると、今度は真剣に頭を下げた。


「リアリスさん! 俺の師匠になってください!」


 …………。


 ……師匠?


「……えっ。何でそうなるの?」


「剣も魔法も、考え方も、もっと勉強したいんです。俺、勇者だからって慢心してました。今度はそうならないようにしたいんです!」


 ……うーん。


 気持ちは分かるけど。


「私は、剣術の先生でもないよ?」


「分かってます! でも、たまに手合わせしてもらえたら、それだけでも勉強になります!」


 私は桜花を見る。


「桜花、どう思う?」


「雪彦様のお気持ちは、十分に伝わってまいりました。ただ、リアリス様はご自身の時間を大切になさいますので」


 ……おお。


 桜花、それ大事なところ!


「もちろんです! 毎日なんて言いません!」


 雪彦が、勢いよく頷いた。


「たまにでいいんです! お願いします!」


 ……うん。


 この子、本気なんだな。


 それなら。


「……分かった。たまにならいいよ」


「本当ですか!?」


「うん。お互いに時間があるときだけね」


「ありがとうございます、師匠!」


 ……ああ。


 師匠って呼び方、もう決定なんだ。


 早いなぁ。


「あと、桜花さんにもお願いがあります!」


 雪彦が桜花へ向き直った。


「いつか、俺と手合わせしてもらえませんか?」


 桜花が、小さく微笑んだ。


「もちろんでございます。リアリス様がお許しくださるのでしたら、私も喜んでお相手いたします」


「やった!」


 ……あっ。


 桜花も承諾しちゃった。


 ……うん。


 次は私が見守っておこうかな。


 あの子が本気を出したら、ちょっと大変なことになるからね。


「ただし、一つ約束して」


「はい!」


「今日話したことは、全部秘密。本名も、日本から転生したことも、《想像魔法》のこともね」


 雪彦は、姿勢を正した。


「はい。誰にも言いません!」


「外ではリオンって呼んでね。師匠も、ちょっと目立つから」


「……じゃあ、人前ではリオンさん。三人のときだけ師匠って呼びます!」


「……うん。それでお願い」


 ……よし。


 これなら、少しは静かに暮らせるかな。


「そうだ、雪彦君」


「はい!」


「私は普段、シルク王国の王都クーラルの近くに住んでるんだ」


「王都ですか?」


「うん。家族も一緒に暮らしてるよ。たまには遊びに来てね。のんびりお茶でも飲もう」


 雪彦の顔が、ぱっと明るくなった。


「行きます! 絶対に行きます!」


 ……おお。


 即答!


「でも、勇者の仕事もあるだろうし、無理はしないでね」


「はい! ちゃんと休みを取って行きます!」


 ……うん。


 それなら、いいね。


 同じ日本から来た人に、こんなところで会えるなんて。


 本当に、異世界は何が起こるか分からない。


     ◇


 私たちは再び《転移》で人目のない路地へ戻り、ギルドの方へ歩いた。


 雪彦は何度も辺りを見回している。


「……やっぱり、《転移》ってすごいですね」


「……うん。便利だよ」


 ……あはは。


 まだ驚いてる。


 途中、雪彦が小声で尋ねてきた。


「……あの、師匠」


「ん?」


「日本のラーメンって、こっちじゃ食べられないですよね……」


「……ああ。恋しくなるよね」


「はい。すっごく」


 ……そっか。


 十九歳の男の子だもんね。


「今度、家に遊びに来たら食べる?」


「……えっ!?」


「用意できるよ」


「本当ですか!?」


 ……おお。


 今日一番の反応かもしれない。


「ただし、あんまり大声で師匠って言わないこと」


「……はいっ!」


 ……うん。


 小声でも元気だね。


 ギルドの入口が見えると、雪彦はいつもの明るい顔になっていた。


「リオンさん!」


「はい?」


「今日は、本当にありがとうございました!」


 ……おお。


 ちゃんと名前を切り替えてるね。


「こちらこそ。楽しかったよ」


「また会いましょう!」


「うん。またね」


 雪彦は桜花にも頭を下げた。


「桜花さんも、ありがとうございました!」


「こちらこそ。またお会いできる日を楽しみにしております」


 雪彦が手を振って、ギルドへ戻っていく。


 私と桜花は、その背中を見送った。


「桜花」


「はい」


「……弟子ができちゃったね」


「ふふ。素直な方でございますね」


「そうだね」


 少し天狗になっていたけれど、負けを認めて反省できた。


 それに、知らない世界で勇者として頑張っている。


 ……うん。


 応援したくなる子だよ。


「でも、リアリス様」


「ん?」


「本名も、転生のことも、お話しになってよろしかったのですか?」


「……うん。大丈夫だと思う」


 私は青い空を見上げた。


「雪彦君、同じ日本の話ができる人に会えて、嬉しそうだったしね」


「左様でございますか」


「私もちょっと、嬉しかったから」


 桜花が、静かに微笑む。


 ……うん。


 もちろん、秘密を話したのは軽い気持ちじゃない。


 でも、あの子ならきっと、守ってくれると思う。


「さて。そろそろ帰ろうか」


「はい」


「藤とお茶の約束もあるしね」


 ……あっ。


 お菓子も用意するって言ったんだった。


 魔法国邸へ戻ると、玄関に藤が立っていた。


「……おかえりなさいませ、リアリス様」


「ただいま、藤」


「……お茶の、準備ができています」


「おお! ありがとう」


「……お菓子も、あります」


 ……あれ?


「私が用意するつもりだったんだけど」


「……巴様に、ご相談しました」


 ……おお。


 いつの間に!


 桜花が、隣で静かに笑っている。


 ……うん。


 今日は、本当に色々あった。


 本物の勇者に会って、模擬剣で手合わせをして。


 日本の話までして。


 そのうえ、師匠と呼ばれることになっちゃった。


 ……ああ。


 のんびり暮らしたいだけなのに、また一つ、お約束が増えたね。


 でも、せっかくできた縁だ。


 大事にしていこう。


 ――本物の勇者は、ちょっとお調子者で、まっすぐな、私の新しい弟子になった。

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