第5話:魔法の国へようこそ
帝国に二つ目の屋敷を建ててから、数日が経った。
……いやぁ。
家が二つあるだけで、生活ってずいぶん変わるものだね。
王国邸では巴さんがみんなの食事を気にかけ、帝国邸ではメイドたちが雑貨屋とサロンの準備を進めている。
そして、その間を行き来するのが――。
「……リアリス様」
目の前の、小さな少女。
白から桃色へ変わる短い髪。
杏子だ。
「……おはよう、杏子」
「……おはようございます」
杏子は、私の隣へちょこんと座った。
ここはシルク王国邸の食堂。
今朝も巴さんの作ったパンとスープが並んでいる。
……あれ。
杏子、昨日もこっちにいたよね?
「帝国のお屋敷は、大丈夫?」
「……はい。楓が、守っています」
「……そっか」
「……お仕事も、引き継いであります」
……うん。
そこまで言われたら、何も言えない。
そのくせ、私の袖をちょん、と摘まんでいるんだから。
……かわいいなぁ。
「お父さん!」
今度はカトレアが駆け寄ってきた。
「今日は、どこか行くの?」
「うん。今度は、フォーサイド魔法国へ行ってくるよ」
「……まほうの、くに?」
「そう。魔法の研究が盛んな国なんだって」
カトレアは、少し考えてから首を傾げた。
「……お父さんの魔法も、研究するの?」
「……されるかもしれないねぇ」
帝国で出会った、あの魔法学者さんを思い出す。
カインさん。
直径十キロメートルの隕石を見て、最後には膝から崩れ落ちそうになっていた人だ。
……元気にしてるかな。
ひょっとして、まだ空を見上げていたりして。
私は小さく笑った。
「まあ、今日はまず、ご挨拶だね」
カバディ王から預かった、魔法国宛ての書状。
《収納》にしまってあるそれを、届けに行かないと。
……今度は、決闘にならないといいなぁ。
「リアリスちゃん。行くなら、お昼のことも考えておきなさいね」
巴さんがスープを運びながら言った。
「……はい」
「昨日みたいに、気がついたら夕方になっていた、なんて困るでしょう?」
「……そ、それは」
……うん。
否定できない。
帝国邸を作った日も、家の中を見たりメイドたちに仕事を教えたりしていたら、いつの間にか夕食の時間になっていた。
「今日も、桜花ちゃんと一緒ね?」
「はい。私が同行いたします」
桜花が静かに答えた。
いつもの銀髪のおかっぱ頭。
まっすぐに切り揃えた前髪も、きれいに整っている。
……うん。
頼れる相棒だ。
「カトレアは、今日は巴さんたちと一緒にいてね」
「……うん」
「モフ太もいるし、安心だね」
「ご主人様。カトレアの安全は、何より優先してお守りいたします」
足元にいた小さな熊が、きっぱり答えた。
……すごいね。
見た目は五十センチくらいのぬいぐるみみたいなのに、誰より頼もしい返事だ。
カトレアが、モフ太の頭を撫でる。
「でも、お花のお世話も一緒にしてね」
「もちろんです」
……うん。
そっちも大事だね。
杏子はというと、私の袖をまだ摘まんでいる。
「……杏子?」
「……はい」
「今日は、こっちにいるの?」
「……はい。楓と相談済みです」
「……そっか」
楓と杏子。
二人とも口数は少ないけれど、相談はちゃんとできているらしい。
……まあ、仕事に支障がないなら構わないか。
「ただし、休憩も取ること」
「……承知しました」
杏子が少しだけ目を細めた。
……うん。
今度のお屋敷にも、こういう子を迎えよう。
私は朝食を終え、桜花と立ち上がった。
◇
王国邸の門を出て、私は頭の中の地図を広げた。
目的地は、フォーサイド魔法国。
中央大陸の北西に位置する、人間の国だ。
首都は法都ルミナスカ。
……おお。
法都、って呼び方なんだ。
帝都トリテアとは、また違う響きだね。
地図を拡大し、城壁の外側で人通りの少ない場所を探す。
新しい国に入るなら、まずは門で挨拶したい。
いきなり城の前へ現れたら、衛兵さんたちが驚いちゃうから。
「桜花。準備はいい?」
「はい、リアリス様」
「じゃあ、行こうか」
「かしこまりました」
「《転移》」
景色が、ふっと切り替わった。
目の前に現れたのは、白い石畳の街道。
その先には、淡い青色の装飾を施した大きな城壁が見える。
城壁の向こうには、細い塔がいくつも空へ伸びていた。
……おお!
「……あれ、何だろう」
私が指さした先では、塔の先端に取り付けられた丸い石が、ほのかに光っている。
桜花も、その光を見上げた。
「魔力を利用した設備でしょうか」
「そうかもね」
帝都の壁はどこか武骨で、頼もしい印象だった。
でも、この町は違う。
細かな彫刻が入った柱。
幾何学模様の飾り。
青い屋根が朝日にきらきらしている。
……うん。
魔法の国らしい雰囲気だ。
「これは、町を歩くのが楽しみだね」
「はい。初めて見るものが多そうでございます」
……あ。
そうそう。
桜花も、ここへ来るのは初めてだもんね。
「じゃあ、用事が終わったら一緒に見て回ろう」
「ぜひ、ご一緒させてください」
私たちは顔を見合わせ、城門へ向かった。
法都の城門では、旅人たちが順番に入国の確認を受けていた。
馬車の荷物を調べる兵士の横には、魔法陣の刻まれた石柱が立っている。
通りかかった人の荷物に、淡い光が一度だけ走った。
……おお。
あれ、何だろう。
「お次の方、どうぞ!」
衛兵さんに呼ばれ、私たちは前へ進んだ。
「お名前と、ご用件を」
「シルク王国から来ました。リアリスと申します。法師長へ書状をお届けしたくて」
私は、カバディ王から預かった封筒を差し出した。
衛兵さんが封印を確かめる。
その顔が、少し真剣になった。
「……シルク国王の印章ですね。少々お待ちください」
「はい」
私は近くの石柱を眺めた。
……やっぱり、魔法陣がある。
この世界の魔法って、こんなふうに生活の中で使われているんだ。
私の場合は、想像したら終わりだからね。
ちょっと新鮮だ。
「何か気になりますか?」
衛兵さんが戻ってきた。
「あっ。あの石柱、何に使うんですか?」
「危険な魔力の反応がないか、荷物を確認する装置ですよ。持ち主の許可を得て使います」
「へえ!」
……便利だなぁ。
「ただし、すべてを見抜けるわけではありません。最終的には私たちが確認します」
「なるほど」
……うん。
魔法があっても、人の仕事がなくなるわけじゃないんだね。
衛兵さんは封筒を丁寧に返した。
「法師長の庁舎へご案内するよう、連絡が入りました。こちらへ」
「ありがとうございます!」
私は桜花と並び、法都ルミナスカの門をくぐった。
法都の大通りは、思っていた以上に賑やかだった。
黒板のような板を抱えた若者。
分厚い本を積んだ荷車。
店先で小さな魔法道具を手に取り、熱心に説明を聞く人たち。
……おお。
本が多い町だね。
帝都では武器屋が目立ったけれど、ここでは書店や道具屋がたくさん見える。
看板に刻まれた文字も、少し凝っている。
「魔法国では、研究者や学生が多いんですか?」
私が尋ねると、案内の衛兵さんが頷いた。
「はい。国のあちこちから、魔法を学びたい者が集まります。もちろん、研究をしない住民も大勢おりますが」
「……なるほど」
魔法が好きな人にとっては、暮らしていて楽しい場所なんだろうな。
私は、通りの端で古い本を並べている露店へ目を向けた。
……うん。
あとで覗いてみたい。
「リアリス様」
桜花が小さく声をかけた。
「ん?」
「あちらには、魔法道具のお店もございますね」
「ほんとだ!」
青い布の看板の下に、手のひらほどの小さな道具がいくつも並んでいた。
使い方は分からないけど、見ているだけで楽しい。
「帰りに見ようか」
「はい」
……よし。
今日こそ、ゆっくり観光しよう。
……まあ、法師長とのお話が早く終われば、だけど。
ほどなくして、広場へ出た。
その奥に、ひときわ大きな建物が建っている。
石造りの正面玄関。
青い旗。
窓の上には、魔法陣にも見える紋章が飾られていた。
「こちらが、法師長の執務庁舎です」
衛兵さんが立ち止まる。
……おお。
さすがに、国の中心だね。
庁舎の中は、静かだった。
……いや、正確には、静かにしようとしている人たちでいっぱいだった。
長い廊下を、書類を抱えた職員さんが足早に行き交っている。
開いた扉の向こうでは、何人かの研究者が円卓を囲んで議論していた。
「ですから、その術式では魔力の流れが……」
「いや、こちらの計算では……」
……おお。
何だか、学校みたいだね。
いや、ここは国の偉い人がいる建物なんだけど。
「少々こちらでお待ちください」
案内の衛兵さんが小さな応接室へ通してくれた。
棚には本が並び、窓際には背の高い観葉植物が置かれている。
私は椅子へ腰を下ろし、桜花にも座るよう手で示した。
「桜花。ここ、好きかも」
「研究の盛んな国らしい、落ち着いた雰囲気でございますね」
「うん。知らないことがいっぱいありそう」
……そう。
私には《想像魔法》があるけど、こっちの世界の魔法の仕組みはほとんど知らない。
魔力をどうやって流すのか。
魔法陣に意味はあるのか。
そもそも、みんなはどうやって魔法を練習するのか。
カインさんから少し聞いただけでも、面白かったからね。
私は目の前の本棚を見た。
「……一冊、読んでみたいなぁ」
「許可をいただいてからにいたしましょう」
「……はい」
桜花に先回りされた。
……うん。
私のこと、よく分かってるね。
そのとき。
廊下の向こうから、何やら慌ただしい足音が聞こえてきた。
「……こ、こちらですか!?」
聞き覚えのある声だ。
私は扉の方を見た。
……あれ。
まさか。
「リアリスさん!」
扉が開くと同時に、茶色い髪を後ろへ撫でつけた若い男性が飛び込んできた。
……おお!
「カインさん!」
「や、やっぱり……! 本当にいらしたんですね!」
その目は、帝都で会ったときと同じくらい丸くなっていた。
……うん。
元気そうでよかった。
「お久しぶりです。無事に帰れたんですね」
「は、はい。学会が終わってから、急いで帰国しまして……」
カインさんは息を整える。
「今朝、シルク王国から使者が来ると聞いて、まさかとは思ったのですが……」
「その使者、私です」
「……ですよね!」
……あはは。
まだ驚いてるんだ。
桜花が静かに立ち上がった。
「ご無沙汰しております、カイン様」
「桜花さんも! 先日は本当にありがとうございました!」
「お元気そうで何よりでございます」
カインさんは一瞬、言葉を詰まらせた。
「……元気、です。たぶん」
「……たぶん?」
私は首を傾げた。
カインさんが小さく咳払いをする。
「実は、その……帰り道でも、何度か空を見上げてしまいまして」
……あっ。
やっぱり!
「……隕石を?」
「……はい」
……ごめんなさい。
私は思わず苦笑した。
「でも、あれからずっと考えていたんです。どうしてあんな現象が起きたのか。どうして、あれほど巨大なものを消せたのか」
「……なるほど」
「当然、結論は出ませんでしたけど……」
カインさんは、少しだけ笑った。
「それでも、魔法の可能性を考えるのは、楽しかったです」
……ああ。
その言葉を聞けて、ちょっと安心したな。
「またお話しできて、嬉しいです」
「わ、私もです!」
カインさんが勢いよく頭を下げた。
……うん。
相変わらず、丁寧すぎる人だね。
「それで、カインさんはここでお仕事を?」
「はい。父から、今日の謁見には私も同席するようにと言われておりまして」
「……お父さん?」
「法師長のキリア・レイムです」
……ああ。
帝都で聞いた名前だ。
「じゃあ、今日お会いする方が、カインさんのお父さんなんですね」
「はい!」
カインさんが頷いたあと、少しだけ目を泳がせた。
「……ただ、その……」
「ん?」
「先日のお話を、父にも少しだけいたしまして」
……おお。
もう伝えたんだ。
「何て言ってました?」
私が尋ねると、カインさんは遠い目をした。
「……『今すぐ会いたい』と」
「……あはは」
「昨夜も、資料を開いたまま眠ってしまったようです」
……お父さんも、研究が好きなんだね。
親子で似ているなぁ。
「でも、今日は正式なお話が先ですから」
「……そうなんです!」
カインさんが、いきなり真剣な表情になる。
「リアリスさん。父が魔法の話を始めたら、遠慮なく止めてください!」
「……えっ」
「政治のお話が終わらなくなってしまいますから!」
……そんなに?
彼が両手をぎゅっと握った。
「私も、止める努力をしますので!」
……うん。
何だか、ガラントさんを思い出すなぁ。
あちらは決闘を止めるのが仕事。
こちらは魔法談義を止めるのが仕事。
……国が違うと、苦労の種類も変わるんだね。
そんなことを考えていると、扉が軽く叩かれた。
「リアリス殿。法師長がお待ちです」
「はい。ありがとうございます」
私は立ち上がった。
カインさんも、大きく息を吸う。
……あれ。
謁見するのは私なのに、どうしてカインさんの方が緊張してるんだろう。
◇
案内された部屋は、王城の謁見室というより、立派な会議室だった。
中央には長い卓。
壁一面に本棚。
窓際には、魔法陣の刻まれた石板がいくつも並んでいる。
……うん。
やっぱり、魔法の国だね。
卓の奥には、眼鏡をかけた年配の男性が座っていた。
六十歳くらいかな。
頭はすっきりしていて、身なりはきちんとしている。
その隣には、茶色い髪を肩のあたりで整えた女性。
こちらは四十代半ばくらいだろうか。
静かに座っているのに、何だか堂々としている。
……おお。
この二人が、国をまとめている人たちなのかな。
「ようこそ、フォーサイド魔法国へ」
男性が立ち上がった。
「私が法師長、キリア・レイムです」
「初めまして。シルク王国から来ました、リアリスです」
私も軽く頭を下げる。
キリア法師長は、私の隣へ視線を移した。
「そちらは?」
「桜花と申します。リアリス様にお供しております」
桜花が礼をした。
「ほう。カインから話を聞いておりますよ」
……あ。
桜花のことも?
キリア法師長が、ちょっと嬉しそうに笑う。
「ローズ皇帝を剣で破ったという、あの方ですな」
「……はい」
桜花は静かに頷いた。
……おお。
魔法の国にまで、模擬戦の話が届いてるのか。
「そして、こちらが妻のモースです。宰相を務めています」
女性が椅子から立ち上がった。
「モース・レイムです。ようこそお越しくださいました」
よく通る、はっきりした声。
……ああ。
この人、たぶん仕事ができるタイプだ。
「よろしくお願いします、モースさん」
「こちらこそ。どうぞお掛けになって」
モースさんは、桜花にも椅子を勧めた。
……うん。
思っていたよりずっと、くつろいだ雰囲気の謁見だね。
「さて、まずは正式なお話から始めましょう」
モースさんが、机の上を整えた。
……おお。
助かった。
キリア法師長は、さっきから私の方をじっと見ている。
研究者として何か聞きたそうなのが、顔に出ているんだよね。
でも、先に用事を済ませないと。
「シルク王国のカバディ王から、書状を預かっています」
私は《収納》から封筒を取り出した。
モースさんが受け取り、封印を確認する。
「……確かに、国王の印ですね」
丁寧に封を開き、まずキリア法師長へ渡した。
法師長が文字を追う。
読み進めるにつれ、その表情が真剣になっていった。
「……なるほど。噂だけの話ではなかったのですな」
……ん?
何の噂だろう。
隣でカインさんが、小さく姿勢を正した。
モースさんも書状を読み、静かに頷く。
「リアリス殿。ご説明を補足してもよろしいですか?」
「はい。お願いします」
「あなたが極めて特殊な魔法を持ち、その力を一国のために独占させることは望まない、という趣旨です」
「……そうですね」
……というより。
私は、どの国かの専属魔法使いになるつもりがないんだよね。
好きな場所へ出かけて、好きなものを食べて、家族と暮らす。
そのための自由がほしい。
「シルク王国では、私が自由に暮らせるよう認めていただいてます」
私は答えた。
「ローズ帝国でも、同じお話をしてきました」
「存じております。帝国側からも、連絡を受けておりますので」
……おお。
国同士で、ちゃんとやり取りしてるんだ。
「では、我が国も基本的には同じ方針といたしましょう」
モースさんの声は、落ち着いていた。
……ほっ。
出だしは順調そうだね。
「取り決めの内容を、明確にしておきます」
モースさんは、紙を一枚取り出した。
「まず、フォーサイド魔法国は、リアリス殿と友好的な関係を築くことを望みます」
「はい。私もです」
「次に、正当な理由なく、あなたの生活や魔法の研究へ干渉しないこと」
「……それは助かります」
「国のために働くことを、強制しないこと」
「……はい」
「そして、国内の居住地を自由に選べること。ただし、土地の権利や他の住民への配慮は必要です」
「もちろんです」
……うん。
帝国と同じだ。
好き勝手に何でもしていい、という話じゃない。
誰かが暮らしている場所には、その人たちのルールがある。
それを守るのは当たり前だよね。
「以上が、我が国からの提案です。リアリス殿の自由を保証し、そのうえで友好を願いたいと考えています」
「ありがとうございます。ぜひ、お願いします」
私は素直に頭を下げた。
キリア法師長も、にこやかに頷いた。
「うむ。それなら異存はありません」
「……あなた」
モースさんが、法師長の方を見る。
「何でしょう?」
「今の取り決めが終わるまでは、魔法の質問をしないでくださいね」
……あ。
まだ何も聞かれてないのに、釘を刺された。
「分かっていますとも」
キリア法師長は、穏やかに笑う。
……うん。
なんだか、少しだけ怪しい返事だ。
カインさんが、父親の横で小さく頷いている。
……親子って似るんだなぁ。
「正式な書類は、庁舎で整えてお渡しします」
「はい。ありがとうございます」
……よし。
これで、魔法国でも家を建てられる。
ほっとした、そのときだった。
「では、リアリス殿!」
キリア法師長が、急に身を乗り出した。
……おっと。
「あなたの《想像魔法》について、少々伺ってもよろしいでしょうか!」
……来た。
カインさんの予告どおりだ。
「ええと……答えられる範囲でしたら」
「まず、魔力消費がないという話は本当ですかな?」
「はい」
「発動する際の術式も、必要ない?」
「そうですね」
「詠唱は?」
「特に必要ありません」
「作用範囲の上限は?」
「今まで、意識したことはないです」
「なるほど! では、対象を消失させる場合の条件は――」
「あなた」
モースさんの声が、すっと割って入った。
キリア法師長の口が止まる。
「……はい」
「一度に質問しすぎです」
「……そうでしたな」
……おお。
一言で止まった。
ガラントさんも、これくらい皇帝を止められたらいいのに。
……いや。
あの人、止めても皇帝に笑い飛ばされてたな。
「申し訳ありません、リアリス殿」
キリア法師長が、少し恥ずかしそうに眼鏡を直した。
「魔法のこととなると、どうも夢中になってしまいまして」
「いえ。好きなことなら、仕方ないですよ」
私が笑うと、隣でカインさんが妙に安心した顔になった。
……うん。
あなたも、似たようなことしてましたけどね。
「ただ、私自身も仕組みを全部理解しているわけではないんです」
「……理解していない?」
「はい。想像した結果が、そのまま実現するんですよ」
「……結果が、そのまま」
キリア法師長は、呟くように繰り返した。
モースさんが、腕を組んでこちらを見ている。
「……なるほど。でも、それを政治的な判断の根拠にするには、実際のお力を確かめる必要がありますね」
……あれ。
今度は、モースさんの番?
「失礼なことを申し上げますが」
モースさんが、まっすぐ私を見た。
「書状に記された力について、何らかの形で確認させていただけますか?」
「……ああ。構いませんよ」
私は頷いた。
そりゃそうだよね。
いきなりやって来た相手のことを、国の宰相が何も確かめず信用するのも難しい。
「小さな魔法でもよろしいでしょうか」
「……そうですね。できれば、こちらが止めたときに解除できるものがいいです」
……なるほど。
安全な実演がいいんだね。
私は少し考えた。
「《完全拘束》という魔法はどうですか?」
部屋が、一瞬静かになった。
……あれ。
カインさんの顔色が変わった。
「……あ、あの魔法、ですか?」
「うん。帝国でガラントさんに使ったやつ」
「……ああ……」
……うん。
カインさん、何か嫌なこと思い出したみたいだ。
モースさんは、少しだけ眉を上げた。
「無傷で動けなくなると聞いています」
「はい。任意のタイミングで解除できます」
「では、私が受けましょう」
「……えっ」
今度は、私が驚いた。
……宰相さん、自分で?
キリア法師長が、少し身を乗り出す。
「モース。私が代わっても――」
「いいえ。あなたは観察をお願いします」
「……分かりました」
……おお。
決断が早い。
「本当に大丈夫ですか?」
「ええ。こちらからお願いしているのですから」
モースさんは、卓から少し離れた場所へ立った。
「……お願いします、リアリス殿」
私は一度だけ頷いた。
「では、短い時間だけ」
……安全第一、だね。
「《完全拘束》」
言葉にした、その瞬間。
モースさんの身体が、ぴたりと動かなくなった。
特別な光は出ない。
床に魔法陣も現れない。
ただ、そこに立ったまま、動けなくなった。
「……っ」
モースさんが目だけを動かす。
「……なるほど。指先ひとつ動かせませんね」
声は出せる。
でも、足は動かない。
腕も上がらない。
……うん。
ちゃんと《完全拘束》が働いてる。
「痛みはありませんか?」
「ええ。まったく。ただ、自分の意思で動けないというのは、少々不思議ですね」
……おお。
怖がる様子がない。
むしろ、興味を持ってる。
キリア法師長は、慌てて眼鏡を直した。
「詠唱がない……魔力の起こりも……!」
カインさんも、父親の横で真剣に見ている。
……うん。
研究者の顔だね。
「モース。今から、こちらの術で解除を試してもよいか?」
「……あなた。無理に触らないでください」
「……分かりました」
……あ。
お父さん、止められた。
「この魔法は、私が解除するまで続きます。ほかの人では外せない仕組みなんです」
私がそう説明すると、キリア法師長の顔がさらに真剣になった。
「……術者本人以外には、解除不能?」
「はい」
「……とてつもない術ですな」
……ああ。
たしかに。
便利だから気軽に使ってたけど、改めて考えるとすごい魔法だね。
「では、解除しますよ」
「お願いします」
私は意識を向け、《完全拘束》を解いた。
モースさんの腕が、ふっと動いた。
彼女は指を握り開きしてから、ゆっくりこちらへ向き直った。
「……ありがとうございます。痛みも後遺症もありません」
「よかったです」
……ほっ。
何も問題なく終わったね。
モースさんは、自分の手のひらを見ながら言った。
「なるほど。書状にある力を、実際に確認できました」
「……ご納得いただけましたか?」
「ええ。十分に」
……おお。
早い!
キリア法師長はというと、まだ何かを考えているらしい。
「不思議ですな……。拘束の瞬間に、術式の組み立てがまったく見えなかった」
「私も、分かりませんでした」
カインさんも頷く。
……うん。
親子揃って、困った顔をしてる。
「だから申し上げたでしょう、お父様。既存の理論だけでは、説明できません」
「……お前が帝都で言っていたことは、本当だったのだな」
「……はい」
その会話に、私は少しだけ首を傾げた。
「……帝都で話したこと?」
カインさんが、途端に背筋を伸ばした。
「い、いえ! その……」
「そうそう、例の《星落とし》ですな」
キリア法師長が、ぽつりと言った。
……あっ。
それも話したんだ。
モースさんが、じっと夫を見る。
「……《星落とし》?」
「カインが、帝国の外で見たと言っていた魔法だ」
「……何を落とすのです?」
「直径十キロメートルの隕石です」
カインさんが、ものすごく小さな声で答えた。
…………。
部屋が、静かになった。
モースさんは、しばらくカインさんを見つめていた。
それから、ゆっくり私へ顔を向けた。
「……リアリス殿」
「……はい」
「いま、十キロメートル、と?」
「……はい」
「……落下は?」
「地上へ来る前に、消しました」
モースさんが、静かに椅子へ腰を下ろした。
……ああ。
この人でも、さすがに驚くんだね。
「カイン」
モースさんが、低い声で呼んだ。
「……は、はい!」
「その話を、どうして昨日の報告で詳しくしなかったの?」
「……母上。その……長くなりそうでしたので……」
「……そう」
……おや。
これは、何だか親子の反省会みたいになってきた。
「それと、国に危険が及ぶ場所ではなかったのね?」
「はい! 帝都から十分離れた、人も建物もない平原でした。リアリスさんが周囲を確認してから実演してくださいました!」
「……なら、少し安心しました」
モースさんが、ようやく息を吐いた。
私は慌てて頭を下げる。
「驚かせてしまって、すみません」
「いえ。実際に被害がなかったのなら、今ここで責めるつもりはありません」
……ああ。
よかった。
その隣では、キリア法師長が両手を組んでいた。
「しかし……一度だけでも実物を……」
「あなた」
「……はい」
「今、この国で星を落としてもらおうとは、考えていませんよね?」
「……考えておりませんとも」
……あっ。
その間は何?
カインさんが、父親の横で深く頷いている。
「お父様。私も、絶対におすすめしません」
「お前まで……!」
……うん。
親子で理解があって、いいことだ。
「大丈夫ですよ。今日はあれを使う予定はありませんから」
私が言うと、モースさんはやっと笑った。
「それを聞いて安心しました」
……おお。
何だか、宰相さんの苦労も少し分かってきた気がする。
ガラントさんは決闘を止め、モースさんは大規模魔法を止める。
……各国の宰相って、本当に大変だね。
「リアリス殿。もう一つだけ、質問しても?」
キリア法師長が、遠慮がちに手を上げた。
「はい」
「その《想像魔法》という力は、他人にも教えられるのでしょうか」
……ああ。
そこが、一番気になるんだろうね。
「残念ですが、そのまま教えることは難しいです」
「……やはり」
法師長の肩が、少し落ちた。
「私の中にある、特殊な力なんです。普通の魔法と同じやり方ではないので」
「……なるほど」
「だからといって、こちらの研究が無意味になるとは思いませんよ」
私は、机の上に積まれた本へ目を向けた。
「魔力をどうやって使うか、どんな術式なら安全なのか。そういう知識って、たくさんの人の役に立つでしょう?」
カインさんが、少し顔を上げた。
……うん。
帝都でも、似たような話をしたね。
「私の力は、私が使えるだけですから」
私は続けた。
「でも、皆さんが作った魔法や道具なら、もっとたくさんの人が使えるかもしれません」
キリア法師長は、黙って聞いていた。
やがて、ゆっくり頷く。
「……確かに。そのとおりですな」
「それに、私は現地の魔法をほとんど知らないので、皆さんのお話を聞くのは楽しいんですよ」
「……ほう!」
あっ。
目が輝いた。
「では、魔法理論の初歩からご説明を――」
「あなた」
……また止められた!
モースさんは、笑顔のままだった。
「いまは、お茶をいただく時間にしましょう」
……うん。
その提案には、私も大賛成だ。
ほどなくして、温かい紅茶が運ばれてきた。
小さな焼き菓子も添えられている。
……ああ。
いい香りだなぁ。
「どうぞ、召し上がって」
モースさんが、自分の茶器を手に取った。
私は一口飲んだ。
「……おいしいですね」
「そうでしょう。法都のお茶は、香りを楽しむ人も多いんです」
……なるほど。
剣の国の皇帝はクッキーを勧めてくれたけど、こちらは紅茶か。
それぞれ、好みが違うんだね。
キリア法師長は茶器の横へ、分厚い本を一冊置いていた。
……あっ。
飲みながら読むつもり?
「あなた。お茶にこぼさないでくださいね」
「……はい」
モースさんに言われ、本は少しだけ遠くへ移動した。
カインさんは、その光景を見ても驚いていない。
……ああ。
普段からこうなんだろうな。
「そういえば、カインさん。帝国の学会では、どんな発表をしたんですか?」
私が尋ねると、彼はぱっと顔を上げた。
「術式の安定化についてです! 魔力の流れが乱れたとき、効率よく補正する方法を……」
そこから始まった説明は、なかなか難しかった。
でも、面白い。
たとえば同じ火を出す魔法でも、安定させる技術が違えば、使う人の負担を減らせるらしい。
……へえ。
結果が同じでも、その道のりにはいろんな工夫があるんだね。
「カインさん、すごいですね」
「……えっ」
「そこまで丁寧に考えてるなんて、私にはできませんよ」
カインさんは、少しだけ顔を赤くした。
「……そんな。まだ、未熟な研究ですから」
キリア法師長が満足そうに頷いている。
……ああ。
この人、自分の息子が褒められると嬉しいんだ。
研究者であり、お父さんでもあるんだね。
お茶を飲み終えたころ、モースさんが書類を持って戻ってきた。
「リアリス殿。先ほどの取り決めを文書にしました」
「ありがとうございます」
私は内容を確かめた。
友好関係。
不必要な干渉をしないこと。
国への奉仕を強制しないこと。
国内の居住地を自由に選べること。
……うん。
お話ししたとおりだね。
「一点だけ、お願いがあります」
「何でしょう?」
「ここにも、私の家を建てたいんです」
モースさんが頷く。
「カインから、帝国にも屋敷を建てられたと聞いています」
「はい。シルク王国とローズ帝国に一軒ずつ」
「では、法都の近くで土地をご案内しましょう」
「……いいんですか?」
「もちろん。ただし、街道や水路を塞がない場所を選んでくださいね」
「分かりました」
……おお。
やっぱり、この国でもちゃんと手続きしてくれるんだ。
モースさんは壁の地図を広げた。
「このあたりなら、国が管理する空き地があります。城門からも近く、周囲に民家はありません」
私は地図を覗き込んだ。
法都の北側。
緩やかな丘の近くに、広い草地が描かれている。
……うん。
よさそうだ。
「それでは、その場所をお願いします!」
「承知しました。利用できる範囲を記した許可書を整えます」
キリア法師長が、そこで口を開いた。
「ところで、リアリス殿。建築には何か特別な魔法を?」
「はい。《建築》です」
「……建築、ですか」
「建物を想像したら、すぐに作れるんですよ」
キリア法師長は、静かに眼鏡を外した。
……あれ。
「……モース。私は、午後の予定を少し変更しても――」
「できません」
……即答!
「法師長のお仕事は、まだ終わっていません」
「……そうでしたな」
……ああ。
また一つ、宰相さんの仕事が増えたらしい。
「リアリスさん。よろしければ、私もあとで屋敷を拝見していいでしょうか」
カインさんが、控えめに尋ねた。
「もちろんですよ」
「ありがとうございます!」
……うん。
この人なら、家の設備を見ても楽しんでくれそうだ。
……いや。
私の家電を見て、また魔法の理屈で悩むかもしれないな。
「ただ、先に少し町を歩きたいんです」
「……観光、ですか?」
「はい。せっかく初めて来たので」
するとモースさんが、少し嬉しそうに笑った。
「それなら、書店街がおすすめですよ。珍しい本や古い術式の資料が集まります」
「おお! 見てみたいです」
「それと、魔法道具の職人が集まる通りもございます」
……そっちも面白そう!
私は思わず身を乗り出した。
「両方行ってみます!」
桜花が、隣で小さく頷く。
「よろしいかと存じます」
「カイン。よければ案内して差し上げたら?」
モースさんが息子へ声をかけた。
「……えっ。私が?」
「研究室と宿ばかりではなく、たまには町を歩きなさい」
……あっ。
お母さんに言われちゃった。
カインさんは少しだけ迷ったあと、背筋を伸ばした。
「は、はい! では、ご案内します!」
「ありがとう、カインさん」
私は笑った。
キリア法師長は、まだ少し名残惜しそうにこちらを見ている。
「……リアリス殿。後日、また魔法のお話を」
「もちろん。時間のあるときに」
「約束ですぞ!」
……おお。
研究者さんって、約束を取り付けるのが早いね。
私はモースさんにも頭を下げ、庁舎を出た。
……さて。
法都の観光、始まりだ。
書店街には、細い路地が何本も伸びていた。
石造りの建物の一階に、古い本屋が並んでいる。
窓辺には巻物。
木箱には手書きのノート。
大きな本棚には、ずっしりした魔法の専門書。
……おお。
本好きにはたまらない場所だね。
「こちらは、術式の歴史を扱う店です」
カインさんが、一軒目を指さした。
「昔の魔法陣の写しなどもありまして」
「へえ!」
私は棚を覗き込んだ。
丸い図形の中に、細かな文字がたくさん書かれている。
「……すごいなぁ」
「この形式は、同じ効果を少ない魔力で発動させる研究にも使われます」
「なるほど」
……うん。
説明を聞いていると、ただの図形も少し違って見えてくる。
桜花は、古い本の背表紙を静かに眺めていた。
「リアリス様。こちらは植物の魔法を扱う書物のようです」
「……植物?」
私は思わず近づいた。
ページには、花の絵が描かれている。
……ああ。
カトレアが喜びそう。
「これ、買って帰ろうかな」
「お嬢様も、お喜びになるかと存じます」
……うん。
新しい国に来るたびに、娘へのお土産が増えちゃうね。
私は本を一冊選んだ。
魔法で作った方が早いかもしれないけど。
知らない国の人が作ったものを買うって、やっぱり楽しい。
カインさんは、私の選んだ本を見て少し驚いていた。
「……魔法の研究書より、植物の本ですか?」
「はい。娘が花を好きなんです」
「……そうでしたね」
カインさんは小さく笑った。
「……あれほどの魔法を使われても、お土産は普通なんですね」
「娘が喜ぶものなら、普通が一番ですよ」
……うん。
それは、私の本音だ。
次に向かったのは、魔法道具の職人が集まる通りだ。
細い店先に、小さな道具が並んでいる。
水を温める道具。
夜道を照らす灯り。
荷物の重さを量る板。
……おお。
便利そうなものばかりだ。
「この国では、生活で使う魔法道具の研究も盛んなのです」
カインさんが説明した。
「強い魔法を使えない方でも、道具なら扱える場合があります」
「……なるほど」
そういうところ、いいな。
誰にでも使えるよう工夫する。
さっき法師長に話したことと同じだね。
店先では、年配の職人さんが小さな明かりの道具を調整していた。
工具を使い、慎重に魔法陣へ線を足していく。
……すごい。
私なら、想像して終わりだ。
でも、この人は細かい作業を一つずつ積み重ねている。
「カインさん。こういう道具を作るのって、大変なんですね」
「ええ。安全に使い続けられるようにするには、かなりの試行錯誤が必要です」
「……そっか」
私は、しばらくその作業を眺めた。
職人さんは最後に道具へ魔力を流し、明かりを灯す。
小さく、あたたかな光。
……ああ。
綺麗だな。
「すごいですね!」
私が思わず声をかけると、職人さんが驚いた顔をした。
「……おお。ありがとうよ」
「ずっと見てました。丁寧な仕事ですね」
「ははっ。まだまだ修行中さ」
……何だか、いいなぁ。
強さや魔法の規模だけじゃない。
こういう、日々を便利にする力も好きだ。
私は、小さな灯りの道具を一つ買った。
……うん。
王国邸のカトレアの机に置いてあげようかな。
職人街を抜けたところで、小さな食堂を見つけた。
窓から、温かい料理の香りが漂ってくる。
……おお。
お腹が空いてきた。
「カインさん。お昼にしません?」
「……そうですね。ちょうどいい時間です」
私たちは店へ入り、空いている席へ座った。
注文したのは、香草を使った肉料理と柔らかなパン。
温かいスープも付いてくる。
……おいしそう!
私は一口食べた。
「……あっ。これ、おいしい」
香草の香りが、肉とよく合っている。
桜花も静かに頷いた。
「ほどよい香りでございますね」
「うん。巴さんにも教えてあげたいな」
カインさんは料理を一口食べ、少し安心したように笑った。
「……よかった。お気に召したようで」
「はい! こういうお店、もっと知りたいです」
……うん。
魔法の話を聞くのも楽しいけど、おいしいものを食べるのも大事。
カインさんは、少し迷ってから口を開いた。
「……あの、リアリスさん」
「はい?」
「このあと建てられるお屋敷、私が住んでいる町にも近いのでしょうか」
「法都の外側に、土地をいただいたので」
「……そうですか!」
カインさんが、ぱっと顔を明るくした。
「それなら、ぜひ研究のお話を……」
……ああ。
そう来るんだね。
「構いませんけど、お茶を飲みながら、ゆっくりお願いしますね」
「……は、はい!」
……うん。
カインさん相手だと、こちらからペースを決めておかないと。
気がつけば、夕飯の時間まで理論の話になりそうだからね。
私はスープを一口飲んだ。
……あ。
巴さんに言われた、お昼の心配は無事解決だ。
◇
昼食のあと、カインさんは研究室へ戻ることになった。
「夕方までに、まとめる資料がありまして……」
「じゃあ、またあとで」
「はい! 新しいお屋敷が完成したら、見に伺います!」
私は手を振って、彼を見送った。
……うん。
律儀な人だね。
桜花と二人になったところで、私たちは法都の北側へ向かった。
モースさんから渡された地図には、利用を認められた土地の範囲が書かれている。
城門の外に出て、しばらく歩く。
町から少し離れると、人の声も静かになった。
丘の向こうには、広い草地。
見晴らしもいい。
「……ここだね」
「はい。地図の位置と一致しております」
桜花が、周囲を見回した。
私も、近くに住民の家や道がないことを確かめる。
……よし。
ここなら、誰の邪魔にもならない。
「三軒目かぁ」
私は、思わず呟いた。
「最初は一人暮らしのつもりだったのにね」
「にぎやかな暮らしを、お望みだったのではありませんか」
桜花が穏やかに答える。
「……そうだね」
家を建てること自体が目的じゃない。
みんなで帰ってこられる場所を、少しずつ増やしているんだ。
王国邸。
帝国邸。
そして、魔法国邸。
……うん。
この先も、知らない土地へ行けるなら。
その国で暮らす人と仲良くなって、家族で遊びに来られたらいいな。
「よし。今回も、同じ間取りで行こう!」
私は王国邸を思い浮かべた。
間取りも設備も、これまでの屋敷と同じでいい。
「今回は、青がいいね」
法都で見た淡い青色の屋根や、魔法道具の光を思い出す。
白い壁と木の温かみはそのままに、屋根や調度品へ青を取り入れよう。
……うん。爽やかな感じになりそうだ。
「桜花、準備はいい?」
「はい、リアリス様」
「じゃあ、作るよ」
私は敷地の範囲を改めて確認し、手を前へ向けた。
「《建築》」
次の瞬間、広い草地に屋敷が姿を現した。
白い壁。
淡い青色の屋根。
三階へ続く大きな窓。
玄関まで伸びる石畳。
庭と花壇も、きれいに整っている。
……おお!
「できた!」
私は思わず両手を上げた。
桜花が静かに微笑む。
「今回も、素敵なお屋敷でございますね」
「ありがとう!」
中へ入ると、見慣れた広い玄関ホール。
ただし、赤い敷物でも黒い手すりでもない。
落ち着いた青の飾りが、光を受けて柔らかく見える。
……うん。
これも、いいなぁ。
「……ただいま」
私は試しに言ってみた。
まだ誰もいない玄関は、当然静かだ。
でも、それも今日だけだ。
「おかえりなさいませ、リアリス様」
桜花が、隣で微笑んだ。
「……あはは。ありがとう」
私は、そっと笑い返した。
さて。
この家の管理を任せられる子を、迎えようか。
その前に、家の安全を確かめておこう。
屋敷を中心に半径五百メートル。
王国邸や帝国邸と同じ条件の《結界》を張る。
魔獣だけを通さず、家族やお客様は出入りできる。
……うん。これで大丈夫。
「《結界》、よし!」
私は玄関へ戻った。
さて。
この国のお屋敷を任せる、新しい家族。
どんな子にしようかな。
楓は静かで優しい。
杏子は無表情のまま、仕事の段取りをきっぱり決める。
だったら今度は、少し違う性格がいい。
……そうだ。
物事をよく観察して、気になることは自分で確かめたがる子。
難しい話も嫌がらず、最後まで聞ける子。
この魔法の国にぴったりかもしれない。
外見は十三歳くらい。
背丈は百五十センチほど。
髪は、淡い紫色のショートヘア。
表情は、楓や杏子と同じように控えめ。
仕事と警備をきちんとこなせて、仲間には協力的。
……よし。
「桜花。もう一人、家族を迎えるよ」
「はい。楽しみでございますね」
私は目の前へ意識を向けた。
「《ホムンクルス作成》」
柔らかな光が、玄関ホールに集まった。
光は人の輪郭になり、やがて一人の少女の姿へ変わっていく。
淡い紫色の短い髪。
落ち着いた瞳。
ほとんど表情の変わらない、小さな顔。
……おお。
今回も、思ったとおりにできたね。
少女は、私を見るなり小さく頭を下げた。
「……初めまして、リアリス様」
「初めまして。私はリアリス。こちらは桜花だよ」
「桜花と申します。よろしくお願いいたします」
「……よろしくお願いします」
少女は桜花へ一礼した。
それから、もう一度私へ向き直る。
「……ここが、私の担当するお屋敷ですか?」
「そうだよ。でも、一人で全部背負わなくていいからね」
「……承知しました」
……おお。
まず仕事の確認からなんだ。
「それと、名前を考えてきたんだ」
私は淡い紫色の髪を見た。
どこか、藤の花を思わせる色だ。
「藤。ふじ、っていうのはどうかな」
「……ふじ」
少女は、静かに繰り返した。
「……藤」
「うん。どう?」
少しの沈黙。
それから、少女はごくわずかに目を細めた。
「……綺麗な名前です。ありがとうございます」
……ああ。
気に入ってくれたみたいだ。
「よろしくね、藤」
「……はい、リアリス様」
私は頭を撫でようとして、少しだけ手を止めた。
「……撫でてもいい?」
藤が、一瞬だけ私を見上げる。
「……なぜ、お聞きになるのですか?」
「いや。嫌なことはしたくないなと思って」
藤は、ほんの少し考えた。
「……嫌ではありません」
「そっか」
「……むしろ、希望します」
……おお。
はっきり言ったね!
私は思わず笑った。
「じゃあ、遠慮なく」
頭をそっと撫でると、藤は静かに目を細めた。
表情の変化は、それだけ。
でも、嬉しいことはちゃんと伝わってきた。
「……ありがとうございます」
……うん。
この子も、可愛いなぁ。
「それじゃあ、屋敷を一緒に見て回ろうか」
私が言うと、藤はすぐに頷いた。
「……はい。間取りを確認したいです」
「……おお。しっかりしてるね」
玄関を出て、庭と外壁を一周する。
藤は、窓の位置や出入り口をひとつずつ確かめていた。
「……警備の死角は、ここでしょうか」
「ん?」
彼女が指さしたのは、屋敷の裏手にある細い通路。
……ああ。
確かに、正面からは見えないね。
「ここにも巡回する人を置こうか」
「……はい。それが適切だと思います」
……うん。
この子、観察が細かい。
「藤。何か気になるところがあったら、遠慮なく言ってね」
「……承知しました。確認したいことがあります」
「何?」
「……花壇には、まだ何も植えないのですか」
……あ。
そこに気づいたんだ。
「うん。カトレアっていう、私の娘がいるんだけどね。その子に好きな花を選んでもらおうと思って」
「……娘さん」
「そう。花が大好きなんだ」
藤は、何かを考えるように花壇を眺めた。
「……では、土を整えておきます」
「……えっ」
「……植えるとき、困らないように」
……ああ。
いい子だなぁ。
「ありがとう。カトレアも喜ぶよ」
藤が、ほんの少しだけ目を細めた。
屋敷の中へ戻ると、今度は厨房やサロンを確認する。
藤は必要な設備を静かに点検し、時々短い質問をしてきた。
……うん。
あまり喋らないけれど、よく見て、よく考える。
楓とも杏子とも違う個性だね。
続いて、この屋敷で働く一般メイドたちを迎える。
人数は十人。
王国邸や帝国邸と同じように、十八歳から三十歳ほどの人間種の姿にする。
掃除や洗濯、料理、接客。
それぞれ得意な仕事を生かしながら、協力して暮らせる人たち。
「藤。一緒に働く人を作るよ」
「……分かりました」
藤が一歩下がった。
「《ホムンクルス作成》」
ホールに、十の柔らかな光が現れた。
光が人の姿へ変わっていく。
髪型も背丈も、それぞれ違う。
やがて光が消えると、十人のメイドが並んでいた。
「初めまして、リアリス様」
「初めまして!」
私は笑って挨拶する。
「これから、この家をよろしくお願いします。仕事はみんなで相談して分担してね」
「はい!」
揃った返事が返ってきた。
……うん。
これで、屋敷が一気ににぎやかになったね。
私は全員へ《不老不死》と《状態異常無効》を永続付与した。
藤にも、もちろん。
……よし。
身内の安全は、何より大事だからね。
「藤。みんなに一言、お願いしていい?」
「……はい」
藤は十人の前へ進み出た。
「……藤です。警備と管理を担当します」
静かな声が、ホールによく通った。
「……皆さんの得意なことを教えてください。役割は、それを聞いて決めたいです」
……おお。
先に希望を聞くんだ。
杏子なら、まず必要な仕事を並べていたかもしれない。
どちらも、いい方法だよね。
「承知しました、藤様」
十人のメイドたちが頭を下げた。
藤は小さく頷いた。
「……よろしくお願いします」
……うん。
上手くやっていけそうだ。
雑貨屋の準備も、始めよう。
屋敷の敷地の端にある店は、王国邸や帝国邸と同じ造りだ。
入口の向こうには、棚がいくつも並んでいる。
奥には帳場と小さな倉庫。
「ここでは、日用品やお菓子、筆記具、ぬいぐるみなんかを売る予定なんだ」
私はメイドたちへ説明した。
「営業時間は朝九時から夜七時まで。お店の担当は三人で交代してもらうつもり」
「承知しました」
藤は棚を見てから、私へ向き直った。
「……商品は、どこから補充するのでしょうか」
「うん。そのための道具があるよ」
私は、〔取り寄せマシーン〕を用意した。
今回は、以前の箱型を改良したタブレット型だ。
画面に商品一覧を表示して、欲しい品物と数量を選べるようにした。操作も分かりやすいし、補充の記録も残る。
使えるのは、私と登録されたホムンクルスだけ。魔力の消費はなく、生き物は対象外。
……うん。これなら、みんなも扱いやすそうだ。
「王国と帝国の雑貨屋にある旧型も、あとで新型に交換しておこう」
「試してみようか」
私は商品一覧から、紙の束を選んだ。
数量は二つ。
……ぽん。
帳場の上に、きれいに揃った紙の束が現れた。
「……おお。成功」
藤が、じっと端末を見つめた。
「……記録は、残りますか」
「残るようにしてあるよ。誰が何を何個出したか、分かるんだ」
「……便利です」
……おっ。
気に入ったみたいだね。
「でも、便利だからって、無駄に出しすぎないようにね」
「……はい。必要数だけ補充します」
メイドたちも、操作方法を順番に確認した。
……よし。
これで、商品の準備もできる。
法都なら、研究に使う筆記具も喜ばれそうだなぁ。
次は、邸内のサロン。
大きな鏡と椅子が並ぶ、落ち着いた部屋だ。
私はメイドたちに、予約の受け方を説明した。
「普通の髪のお手入れは、担当のみんなにお願いするね」
「はい」
「それから、《エステ》という特別な施術もあるんだけど……」
そこで、藤が小さく手を上げた。
「……リアリス様が、直接なさるのですか」
「そう。これは私だけが使うことにしてるんだ」
若返りのような効果がある魔法。
便利だけど、悪用されたら困るからね。
「施術の日は事前に決めて、予約を受けてもらいたいな。上限は一日十人」
「……承知しました。通常の予約と分けます」
藤が、すぐに頷いた。
……おお。
話が早い。
「あとね、藤」
「……はい」
「全部、自分で管理しようとしなくていいんだよ」
藤が、少しだけ首を傾げた。
「……私は、管理のために生まれたのでは?」
「うん。でも、みんなで協力してほしいんだ。藤だって休んでいいし、遊んでいい」
藤は少しの間、私を見ていた。
表情はほとんど変わらない。
やがて、小さく答えた。
「……分かりました。確認してから、遊びます」
「……あはは」
やっぱり、確認から入るんだね。
でも、それが藤らしい気もする。
「ちなみに、何して遊びたい?」
「……リアリス様と、お茶を飲みたいです」
……おお。
それ、私も好きだよ。
「いいね。今度ゆっくり飲もう」
「……約束です」
藤が、ごくわずかに目を細めた。
……うん。
また、約束が一つ増えたね。
さて、屋敷もお店も準備が進んだ。
あとは、みんなが各国の家へ行き来できるようにしないと。
「桜花。巴さんを迎えに行こうか」
「はい、リアリス様」
私は藤とメイドたちへ声をかけた。
「少し王国邸へ戻るね。すぐ帰ってくるから」
「……はい。お待ちしています」
藤が、静かに頭を下げた。
私たちは屋敷の門を出て、《転移》でシルク王国邸へ戻った。
玄関では、巴さんがちょうどメイドと話しているところだった。
「ただいま、巴さん!」
「あら、おかえりなさい。魔法国はどうだった?」
「楽しかったです! それで、三つ目のお屋敷ができました」
「……まあ。もう?」
巴さんが、少し驚いた顔になった。
「はい。今度は青い家です」
「ふふ。それじゃ、見に行きましょうか」
……おお。
話が早い!
私は、巴さんと桜花を連れて魔法国邸へ戻った。
藤が玄関で出迎えてくれる。
「……おかえりなさいませ、リアリス様」
「ただいま、藤。こちらが巴さんだよ」
「……藤と申します。よろしくお願いします」
「あら。可愛い子ね。巴です。よろしくね」
巴さんが藤の頭を、そっと撫でた。
藤は一瞬だけ目を上げる。
「……ありがとうございます」
……うん。
この子も、撫でられるのが好きなんだね。
「それでね、巴さん。例の《簡易転移》の行き先を、一つ増やしたいんです」
「もちろんよ」
……よし。
これなら、すぐにつなげられそうだ。
魔法国邸にも、管理用の扉を設けてある。
場所は、王国邸や帝国邸と同じ一階の通路。
普段は普通の扉だけど、《簡易転移》で接続先を選ぶと、別の家へつながる仕組みだ。
「巴さん。まずは帝国邸につないでもらえますか?」
「ええ。やってみるわね」
巴さんが扉に手を添え、行き先を指定した。
扉を開けると、向こうに黒をアクセントにした廊下が見えた。
「おお、ちゃんとつながった!」
「ふふ。これで三つのお屋敷を行き来できるわね」
向こうの廊下から、橙色の短い髪が覗いた。
「……リアリス様」
「楓! ちょうどよかった。少しこっちに来てくれる?」
「……うん」
楓は扉をくぐり、魔法国邸の廊下へ出てきた。
青い敷物を眺めていた楓が、私の隣にいる藤に気づいた。
「……新しい、子?」
「うん。今日生まれたんだ。杏子も呼んで、一緒に紹介するね」
「……うん」
楓は小さく頷いて、私のそばに立った。
「巴さん、今度は王国邸をお願いします」
「ええ」
巴さんが一度扉を閉め、行き先を切り替えた。
開いた先には、王国邸の赤い敷物が見える。
「杏子ー! ちょっと来てもらえる?」
少しすると、奥から白と桃色の髪の少女が歩いてきた。
「……リアリス様。何かございましたか?」
「新しい仲間を紹介したくてね。こっちに来てくれる?」
「……承知しました」
杏子が扉をくぐると、私たちは三人を玄関ホールへ案内した。
「楓、杏子。こちらが藤だよ。今日新しく生まれたんだ」
楓と杏子が、藤をじっと見た。
藤も、二人をじっと見返している。
橙色、桃色、淡い紫色。
髪の色こそ違うけれど、背丈も顔立ちもよく似ている。
……長い沈黙。
何だろう。
まるで鏡を三枚、並べたみたいだ。
「……藤」
「……楓」
「……杏子」
三人は、ゆっくり名前を告げ合った。
「……よろしく」
楓が言う。
「……よろしくお願いします」
杏子が答えた。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
最後に、藤がぺこりと頭を下げた。
……うん。
短いけど、ちゃんと挨拶できたね。
それにしても。
三人揃うと、本当の姉妹みたいだなぁ。
「……みんな、静かだね?」
「……何か、話す?」
楓が私を見上げた。
「いや、無理に話さなくてもいいけど!」
私が笑うと、藤が小さく首を傾げる。
「……では、何からお話しすればよろしいでしょうか」
「……まずは、お仕事の引き継ぎが必要です」
杏子が真面目な顔で答えた。
……えっ。いきなり仕事の話?
「……藤。困ったら、言って」
楓が藤の袖をちょん、と引いた。
「……はい。ありがとうございます」
藤の目元が、わずかに緩んだ。
……ああ。
言葉は少なくても、ちゃんと仲良くなれそうだね。
私は三人を見比べて、ふと思いついた。
「そうだ。三人のこと、まとめて呼べる名前があってもいいかも」
「……名前?」
杏子が首を傾げた。
「うん。楓も杏子も藤も、植物にちなんだ名前でしょう? だから……フラワーズ、なんてどうかな」
「……ふらわーず」
楓が小さく繰り返した。
「そう。これから仲間が増えても、みんなまとめてフラワーズ!」
「……分かりやすいと思います」
杏子が頷く。
「……私たちの、名前ですね」
藤も、ほんの少し目を細めた。
「……好き」
楓は、短くそう言った。
……おお。
三人とも、気に入ってくれたみたいだ。
「じゃあ、決まり! よろしくね、フラワーズ!」
「……はい」
「……承知しました」
「……よろしくお願いします」
返事は少しずつ違うけれど、三人とも私を見てくれていた。
……うん。
こうして並ぶと、本当に可愛いなぁ。
そのあと、扉を使って王国邸と帝国邸の雑貨屋へ行き、古い〔取り寄せマシーン〕を新型に交換した。
メイドたちにも操作してもらったけれど、前より分かりやすいと好評だった。
楓は帝国邸へ、杏子は王国邸へ戻った。
最後に扉を閉じると、藤が私の袖をそっと摘まんだ。
「……リアリス様」
「ん?」
「……私も、ときどき別のお屋敷へ行ってよろしいでしょうか」
「もちろん。仕事と警備をみんなで引き継げるなら、好きに行き来していいよ」
「……承知しました。確認しておきます」
……あはは。
藤らしい返事だね。
家が三つになって、フラワーズも三人。
これからは、どのお屋敷へ帰っても、誰かが迎えてくれるんだろうな。
……ちょっと楽しみだ。
◇
夕方、魔法国邸へ戻ると、入口に見覚えのある三人が立っていた。
「リアリスさん!」
カインさんだ。
その隣には、キリア法師長とモースさんもいる。
……おお。
まさか、親子揃って?
「いらっしゃいませ。皆さん、どうされたんですか?」
「屋敷が完成したと聞きましてな」
キリア法師長が、建物を見上げる。
「……これは、実に立派です」
「ありがとうございます!」
モースさんは、周辺の道と敷地の境を確かめていた。
「……申請された範囲からはみ出していませんね。問題ありません」
「よかったです」
……うん。
この人、さすがに仕事が丁寧だ。
カインさんは、屋敷の外観をじっと眺めている。
「……今日の昼に、まだ建てていないと仰っていましたよね?」
「そうですね」
「……それが、もう……」
……あっ。
また固まった。
「中も見ます?」
「ぜひ!」
……おお。
即答だった。
玄関では、藤が静かに頭を下げた。
「……いらっしゃいませ」
「こちらが藤です。今日からこの屋敷を守ってくれる子ですよ」
「……藤と申します。よろしくお願いいたします」
キリア法師長が、興味深そうに目を細めた。
「……この少女も、特殊な魔法で?」
「はい。私の家族の一人です」
「……なるほど」
藤は表情をほとんど変えないまま、私の隣へ一歩寄った。
「……リアリス様。お茶を、ご用意してもよろしいでしょうか」
「うん。ありがとう」
……ああ。
さっきの約束、ちゃんと覚えてるんだ。
お客さんが帰ったら、今度は二人でも飲もうね。
応接室へ入ると、モースさんが青い調度品を見て笑った。
「落ち着いた内装ですね。うちの国らしい色です」
「ありがとうございます」
……おお。
褒められると嬉しいな。
やがて藤とメイドたちがお茶を運んできた。
モースさんは紅茶を一口飲み、満足そうに頷いた。
キリア法師長は、棚の本を見ている。
カインさんは、何やら見慣れない飲み物を眺めていた。
「……それは?」
私が尋ねると、カインさんが慌てて顔を上げた。
「す、すみません。こちらの飲み物、泡が……」
「ああ。それ、炭酸飲料です」
私は一本手に取り、器へ少し注いだ。
細かな泡が、次々と浮かぶ。
カインさんが、目を丸くした。
「……飲んでも?」
「もちろん!」
彼は一口飲んだ。
「……っ!」
……あ。
驚いた。
でも、嫌そうじゃない。
「……お、おいしいです!」
「よかった!」
カインさんは、もう一口飲む。
「……不思議な刺激ですね。どういう仕組みなのでしょう」
……ああ。
飲み物でも、研究が始まるんだね。
私は思わず笑った。
「よかったら、今度雑貨屋にも並べておきますよ」
「……ぜ、ぜひ!」
モースさんも、店の場所を尋ねてきた。
キリア法師長はというと、科学の本に興味があるらしい。
……うん。
それぞれ好きなものがあるんだね。
魔法の国で、新しいお客様ができた。
そして、今日新しく生まれた藤は。
お客さんたちの様子を、静かに、でも熱心に観察している。
……ああ。
この家も、きっと賑やかになるだろうな。
お客様たちを見送ったあと、私は庭へ出た。
夕方の空は、ほんの少しだけ紫色になっている。
法都ルミナスカの塔の明かりが、遠くでぽつぽつと灯り始めていた。
……綺麗だなぁ。
「リアリス様」
振り向くと、藤がいた。
「……お茶の、お約束」
……あっ。
そうだった。
「もちろん! 一緒に飲もうか」
私たちは庭の椅子へ腰を下ろした。
藤が用意してくれたお茶は、温かくて香りがよかった。
「……おいしいね」
「……はい」
藤が、ごく僅かに目を細めた。
……うん。
言葉は少ないけれど、楽しんでくれているみたいだ。
「これから、よろしくね。藤」
「……はい。こちらこそ」
少しの間、二人で静かに空を眺めた。
……ああ。
こういう時間がほしかったんだ。
国と国の取り決めも、魔法の研究も、家を作ることも。
どれも大事だけど。
最後には、こうしてのんびりお茶を飲めたら、それで十分かもしれない。
「リアリス様」
「ん?」
「……明日は、どこへ行かれるのですか」
「そうだねぇ。せっかく魔法国に来たし、冒険者ギルドでも覗いてみようかな」
「……冒険者ギルド」
「うん。魔法使いが多い国のギルドって、ちょっと気になるんだ」
藤は、しばらく考えた。
「……お気をつけて」
「ありがとう。桜花も一緒だし、大丈夫だよ」
「……はい」
藤は、小さく頷いた。
青い屋根の下に、また一つ帰ってこられる場所ができた。
――魔法の国にも、私たちの家ができたんだ。




