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第4話:帝国にも我が家を

 翌朝。


 シルク王国の自分の寝室で目を覚ました私は、天井を見上げながら昨日の出来事を思い返していた。


 皇帝陛下との謁見。


 桜花の模擬戦。


 魔法学者のカインさんとの出会い。


 そして、直径十キロメートルの《星落とし》。


 ……うん。


 改めて並べると、ものすごい一日だったね。


 帝都から帰る前には、カインさんともちゃんとお別れした。


 あの人、何度もお礼を言ってくれたけど……。


 最後まで、時々空を見上げていたんだよなぁ。


 ……ちょっとやりすぎたかな。


 まあ、怪我人も被害も出なかったんだから、実験としては成功だ。


 私は身体を起こし、大きく伸びをした。


「……さて!」


 今日は、帝国にもう一つ家を建てる予定だ。


 昨日、カインさんと別れたあと。


 帝都の城壁を見上げながら考えたことが、まだ頭に残っている。


 ――あの国にも、帰ってこられる場所があったらいいな。


 皇帝は自由に暮らしていいと言ってくれたし、ガラントさんも土地の相談に乗ってくれるそうだ。


 だったら遠慮する理由はないよね。


 ……もちろん、勝手に他人の土地へ建てるわけにはいかないけど。


 まずは、そこからだ。


「リアリス様。お目覚めでございますか」


 扉の向こうから桜花の声がした。


「うん。おはよう、桜花!」


「おはようございます。本日の予定について、巴様からご相談があるそうです」


「……あれ?」


 まだ誰にも細かく話していないはずだけど。


「帝国のお屋敷の件かと」


「……もう伝わってるんだ」


「昨夜、リアリス様がお話しになっておりましたので」


 ……ああ。


 そうだった。


 夕食で帝国のことを話したとき、つい『家を建てようかな』って言っちゃったんだっけ。


 ……うん。


 どうやら、今日ものんびりはできなさそうだ。


 食堂へ向かうと、巴さんがすでにお茶を用意して待っていた。


 その隣では楓が、焼きたてのパンをじっと見つめている。


 ……うん。


 今日も平和だね。


「リアリスちゃん、おはよう」


「おはよう、巴さん」


「……おはよう、リアリス様」


「おはよう、楓」


 楓が小さく頷く。


 いつもの無表情だけど、私の隣の椅子をちょん、と指さした。


「……ここ」


「うん。座るよ」


 私が腰を下ろすと、楓はほんの少し目を細めた。


 ……ああ、可愛い。


「お父さん!」


 今度はカトレアが駆け寄ってきた。


「おはよう! 今日はお出かけするの?」


「うん。帝国の家を作ってくるよ」


「……いえ?」


「そう。みんなで泊まれる、もう一つのお家」


 カトレアはしばらく考えてから、ぱっと笑った。


「じゃあ、わたしのお部屋もある?」


「もちろん。今の部屋と同じくらい広いのを用意するよ」


「……お花、飾っていい?」


「好きなだけ」


「やった!」


 ……うん。


 この子にとって、家が増えるというのは花を飾る場所が増えることなのかもしれない。


 可愛らしい理由だね。


「……お父さん」


「ん?」


「きのうのお菓子、おいしかった!」


「よかった。皇帝陛下に教えてもらったお店なんだ」


「……また食べたい」


 楓が、ぼそりとつぶやいた。


「……うん。わたしも」


 カトレアもすかさず頷く。


 ……ああ。


 昨日買ってきた分、あっという間になくなりそうだ。


「また今度、買ってこようね」


「……約束」


「うん、約束」


 私は二人の頭を順番に撫でた。


 その様子を見て、巴さんが笑っている。


「ふふ。リアリスちゃん、すっかりお父さんね」


「……そうですか?」


「ええ。とっても」


 ……いやぁ。


 そう言われると、ちょっと照れるな。


「それでね、リアリスちゃん」


 巴さんがお茶を一口飲んでから、仕事の顔になった。


「帝国にもお屋敷を建てるんでしょう?」


「はい。そのつもりです」


「そこにも、私たちと同じように働く人を用意するのかしら」


「そうですね。お屋敷が大きいから、管理してくれる人がいないと」


 私は、王国邸を見回した。


 三階建ての家。


 庭に花壇。


 建物の中にはサロン、敷地には雑貨屋。


 これだけのものを一人で維持するのは、かなり大変だと思う。


「……というわけで、ホムンクルスを作るつもりです」


「ふふ。でしょうね」


「あと、お店の運営もお願いしたいので、王国邸でやっていることを参考にしようと思って」


 巴さんは頷いた。


「それなら、先に役割を決めた方がいいわね。誰が接客をして、誰が掃除をして、誰が在庫を管理するのか」


「……はい」


「それから、食事。道具の補充。帳面の付け方」


「……はい」


「お客様を迎えるときの言葉遣いも、きちんと教えておきたいわ」


「……はい」


 ……あれ。


 私、家を建てるだけのつもりだったんだけど。


 巴さんの頭の中では、すでに開業まで進んでいるらしい。


「ふふ。難しく考えなくていいのよ」


 巴さんが穏やかに笑う。


「でも、せっかく作るなら、住む人にもお客様にも使いやすい場所にしましょうね」


「……うん。そうですね」


 そう言われると、そのとおりだ。


 私は何でも想像して作れる。


 でも、できあがってからの生活を考えるのは、ちょっと苦手だ。


 そこを巴さんが支えてくれる。


 ……本当に助かるなぁ。


「巴さん、完成したら一緒に見てもらえますか?」


「もちろんよ。お料理の設備も確認したいもの」


「ありがとうございます!」


 ……よし。


 頼れる人がいるって、素晴らしい。


 朝食を終えたあと、私は桜花と帝国へ向かう準備をした。


 もちろん、持ち物はほとんど《収納》の中にある。


 ……本当に便利だね、これ。


 玄関へ向かうと、楓とカトレアが待っていた。


「……いってらっしゃい」


「お父さん、いってらっしゃい!」


「うん。行ってくるね」


 私は笑って手を振った。


 その後ろには、巴さんとモフ太。


「リアリスちゃん。お昼はどうするの?」


「帝国で食べてきます。帰る前に連絡しますね」


「分かったわ。楽しんでらっしゃい」


「はい!」


「ご主人様。カトレアのことはお任せください」


 モフ太が、丁寧に頭を下げた。


 ……うん。


 朝から熊が礼儀正しく喋っている。


 もう慣れてきたけど、改めて考えると面白い光景だ。


「頼んだよ、モフ太」


「はい」


 カトレアがモフ太の頭を撫でた。


「モフ太、お花のお世話に行こうね!」


「承知しました」


 ……ああ。


 どうやら今日の護衛任務は、花壇の見回りから始まるらしい。


 私は桜花と顔を見合わせた。


「じゃあ、行こうか」


「はい、リアリス様」


 屋敷の門を出て、《転移》で帝都トリテアの郊外へ向かう。


 景色が切り替わる。


 昨日と同じ、大きな城壁。


 通りへ続く街道を、朝の馬車が進んでいた。


「……おお。やっぱり、立派な町だね」


 昨日は皇帝やカインさんに会って、ほとんど観光できなかった。


 今日は少し余裕があるといいなぁ。


 ……まあ。


 これから家を建てるんだけどね。


 帝都に入り、私たちは帝城の窓口へ向かった。


 昨日の文官さんが、私たちを見つけてくれた。


「リアリス殿。本日もお越しでしたか」


「はい。ガラントさんに土地の相談をしたくて」


「少々お待ちください」


 しばらくして、片眼鏡の宰相が地図を手に現れた。


「リアリス殿。おはようございます」


「おはようございます。昨日はありがとうございました」


「こちらこそ。……帝国にお住まいをお探しとか」


「はい。帝都の近くに家を建てたいと思っています」


 ガラントさんは、地図を広げた。


「昨日のお話を受けて、候補地を確認しておきました」


 ……えっ。


 そこまで準備してくれたの?


「ありがとうございます!」


「陛下からも、便宜を図るよう指示がありましたので」


 指さされたのは、帝都の城門から少し離れた平原。


 周りに住民の家はなく、街道からも入りやすい。


 ……うん。


 よさそうな場所だね。


「ただし、周囲の道や水路を動かす場合は、事前に相談してください」


「分かりました。そのまま使います」


「こちらの範囲でしたら、使用を認める手続きを進められます」


 ガラントさんは用意していた書類を見せてくれた。


 ……おお。


 ちゃんと土地の権利まで考えてくれてる。


「じゃあ、そこにします!」


「承知しました」


 私は書類へ目を通し、認可された範囲を改めて確かめた。


 ……よし。


 これなら、勝手に人の土地へ建てたことにはならないね。


「……ちなみに」


 ガラントさんが地図を畳みながら言った。


「建築には、どれほどの期間をお考えですか?」


 ……あ。


 そっか。普通はそう聞くよね。


「《建築》の魔法を使うので、一瞬です」


「…………」


 ガラントさんが、静かに眼鏡を直した。


「……一瞬、ですか」


「はい」


「……そうでしたね。昨日も、そういう方だと伺いました」


 ……あれ。


 話したときより、疲れた顔になってません?


「せ、説明が足りませんでした?」


「いえ。むしろ十分です」


 ガラントさんは深呼吸を一つ。


「完成後、確認だけさせていただいても?」


「もちろんです!」


「では、周囲に影響が出ないようお願いいたします」


「はい!」


 ……うん。


 やっぱり、この人は仕事が丁寧だ。


「ありがとうございます、ガラントさん!」


 私が頭を下げると、彼はようやく少し笑った。


「……どういたしまして」


 そのあと私たちは、帝都の門を出て指定の土地へ向かった。


 今日は、景色を楽しみながら歩くことにする。


 道端には草が揺れ、遠くの城壁が朝日に照らされている。


 ……いい町だなぁ。


 皇帝はちょっと強引だけど、こうして親切にしてくれる人も多い。


 あの豪快な笑い声を思い出して、私はくすりと笑った。


「リアリス様?」


「ううん。何でもない」


 桜花と並んで、平原へ歩いていく。


 ……さて。


 今度は、どんな家ができるかな。


 案内された土地に着くと、私はまず周囲を歩いてみた。


 平らな草地。


 少し離れた場所には低い丘。


 城壁の上が見えるほど帝都に近いけれど、街の喧騒はここまで届かない。


 ……おお。


 これなら、のんびり過ごせそうだ。


「桜花。どう思う?」


「地盤も平坦で、建物とお庭を設けるには十分な広さがございます」


「うん。水路も街道も、敷地の外だね」


 私は、ガラントさんから受け取った図面と足元を見比べた。


 目印を越えて建築しないよう、位置を慎重に決める。


 ……そこはね。


 魔法で何でもできるからって、何でも勝手にしていいわけじゃない。


 きちんと許可された場所に建てたいからね。


「よし、ここ!」


 私は中央に立った。


 思い浮かべるのは、シルク王国のリアリス邸。


 三階建て。


 広い玄関と階段。


 みんなで使う食堂と厨房。


 大浴場に、サロン。


 庭と花壇。


 敷地の端には、雑貨屋。


 寝室は私が二十畳で、メイドやカトレアの部屋は十畳ずつ。


 予備室は五つ。


 ……うん。


 間取りは王国邸と同じだ。


 ただ、色は少し変えよう。


 王国邸は赤をアクセントにしたから、帝国邸は黒。


 ……とはいえ、全部真っ黒だとちょっと怖い。


 白っぽい壁と木の床を基調にして、手すりや調度品、敷物に黒を使う。


 差し色には、落ち着いた金属の色を少しだけ。


「……何だか格好よくなりそう」


「はい。帝国の雰囲気にも合いそうでございますね」


 桜花が穏やかに頷いた。


 私は大きく息を吸った。


「それじゃあ、作ろうか」


 想像は、もう固まっている。


「《建築》」


 次の瞬間、草原の一角に大きな屋敷が姿を現した。


 何もなかった場所へ、三階建ての建物が静かに立ち上がる。


 白い壁。


 落ち着いた黒い屋根。


 広い窓。


 玄関へ続く石畳。


 周囲には芝生と花壇が整い、敷地の端には雑貨屋も建っている。


 ……おお。


 できた!


「……うん。いいね!」


 私は思わず声を上げた。


 桜花は、いつものように静かに微笑んでいる。


「王国邸とよく似ておりますが、印象は随分違いますね」


「そうでしょ?」


 黒い色は思ったより重くならず、上品にまとまっている。


 窓から差し込む光も明るそうだ。


 ……よし。


 中を見よう。


 玄関の扉を開くと、広々としたホールが現れた。


 正面には二階へ続く階段。


 左右には廊下。


 柱や手すりには黒が使われているけれど、壁は明るく、圧迫感はない。


 ……うん。


 なかなか気に入った。


「おかえりなさいませ、リアリス様」


 桜花が、隣で小さく頭を下げた。


「……えっ」


「せっかくですので」


 ……ああ。


 まだ誰も住んでいないのに、お出迎えしてくれたんだね。


「ただいま、桜花」


「はい」


 ……うん。


 こういうやり取り、好きだなぁ。


 王国の屋敷も、最初は誰もいなかった。


 でも今は、帰ればたくさんの声が聞こえる。


 この家も、きっとそうなるんだろうね。


「……さて。まずは設備を確認しようか」


 私は一歩踏み出した。


 ……あ。


 そうだ。


 この屋敷も、《結界》を忘れないようにしないとね。


 私は玄関先へ戻り、屋敷を中心に《結界》を設定した。


 範囲は半径五百メートル。


 条件は、すでに調整済みの王国邸と同じ。


 魔獣は侵入できず、人間やエルフ、ドワーフ、獣人など、知性のある来客は問題なく出入りできる。


 ……最初に《結界》を作ったときは、『人間以外は入れない』なんて大雑把に設定して、桜花まで入れなくなったんだよね。


 でも、王国邸ではもう直してある。


 今回は最初から、その設定を使えば大丈夫だ。


「よし。王国邸と同じ設定で、《結界》完成!」


「ありがとうございます」


 桜花が軽く頭を下げた。


「王国邸と同じ設定だから、桜花も安心して入れるね」


「ふふ。承知しております」


 ……あ。


 笑われた。


「最初のこと、まだ覚えてる?」


「もちろんでございます」


「……忘れてくれてもいいのに」


「リアリス様との大切な思い出ですので」


 ……ああ。


 そう言われると、何も返せないな。


 私は少し照れくさくなりながら、庭を見回した。


 花壇には、まだ花を植えていない。


 ……うん。


 ここは、カトレアに何を植えるか選んでもらおうと思っていたんだ。


 花壇だけ先に作って、花は一緒に選ぼう。


 喜んでくれるといいな。


「花は、今度カトレアと一緒に決めようかな」


「お嬢様も、お喜びになるかと」


「うん。きっとね」


 次に確かめるのは、屋敷の中だ。


 食堂は王国邸と同じ広さ。


 長い卓と椅子が並び、窓から庭が見える。


 厨房には、日本で使っていたような調理設備が揃っていた。


 もちろん、この世界の電気に頼っているわけじゃない。


 魔力で動くように調整したものだ。


 ……うん。


 巴さんに見せたら、まずここを確かめるだろうな。


「冷蔵庫も、ちゃんと動くね」


 扉を開けてみる。


 ひんやりとした冷気。


 棚は空っぽ。


 ……あ。


 まだ食材を用意してなかった。


「……桜花」


「はい」


「また、ご飯のこと忘れそうになった」


「今回は巴様もご確認くださると存じます」


「……それはそれで、怒られそう」


 桜花が静かに微笑んだ。


 ……うん。


 後で忘れずに補充しよう。


 続いて、大浴場。


 広い湯船に、洗い場。


 水洗トイレも、魔法の廃棄物処理も問題なさそうだ。


 サロンには大きな鏡と椅子。


 客を迎えるための待合室もある。


 ……うん。


 設備は、ちゃんと揃っている。


 二階へ上がると、広いホールと寝室が並んでいた。


 私の部屋は二十畳。


 ほかの部屋は十畳ずつ。


 もちろん、カトレアの部屋もある。


 扉を開くと、まだ飾りのない机と寝台が並んでいた。


「……あれ?」


 私は首を傾げた。


「ここ、少し寂しいかな」


「お嬢様のお好みで整えられてはいかがでしょう」


「……うん。それがいいね!」


 ……というわけで、ひとまずそのままにしておこう。


 カトレアが好きな花や小物を選んだ方が、きっと楽しいから。


 ……よし。


 家の形は整った。


 あとは、この家を守ってくれる人だね。


 私は一階の広いホールへ戻った。


 ……さて。


 この家には、王国邸の楓のように、頼れる守り手がほしい。


 そして、ここを訪れる人が気持ちよく過ごせるようにしてくれる人。


 どんな子にしようかな。


 思い浮かんだのは、楓と同じくらいの年頃の少女。


 でも、まったく同じ性格にするつもりはない。


 楓は、言葉が少ないけど優しい子だ。


 この子も、普段は無表情。


 ただ、もう少し物事をはっきり言う、そんな子がいいかもしれない。


 そして、色。


 ……そうだ。


 白から桃色へ、柔らかく変わっていく髪。


 短い髪が、動くたびに少し揺れる。


 身長は百五十センチほど。


 外見は十三歳くらい。


 屋敷の警備も、仕事の管理も任せられる実力。


 私がいないときも、きちんと判断できる子。


 ……うん。


 想像は、まとまった。


「桜花。新しい仲間を迎えるよ」


「かしこまりました」


 桜花が静かに一歩下がった。


 私は目の前の空間へ意識を向けた。


「《ホムンクルス作成》」


 淡い光が集まり、人の姿を形作っていく。


 少しして、光が静かに消えた。


 そこに立っていたのは、小柄な少女だった。


 白い髪の毛先へ、淡い桃色が溶け込んでいる。


 短い髪が、頬の横で揃っていた。


 大きな瞳。


 そして、ほとんど表情の変わらない顔。


 ……おお。


 想像どおりだ。


 少女は私を見上げ、ゆっくり頭を下げた。


「……お呼びでしょうか。リアリス様」


 声は静かで、よく通る。


 ……うん。


 何だか、楓より少しきっぱりした話し方だね。


「こんにちは。今日から一緒に暮らそう」


「……はい」


 少女がこくりと頷いた。


「お名前を、いただけますか」


 私はその髪を見た。


 白から桃色へ変わる、柔らかな色。


「……杏子。あんず、って名前はどうかな」


「……あんず」


 少女は小さく繰り返した。


 そして、ほんの少しだけ目を細めた。


「……気に入りました。ありがとうございます」


 ……うん。


 これからよろしくね、杏子。


「杏子。まずは、この屋敷を案内するね」


「……はい。お願いします」


 私は杏子と桜花を連れて、玄関から食堂へ向かった。


 杏子は歩きながら、廊下や窓の位置を丁寧に見ている。


 ……おお。


 もう警備の確認をしてるみたいだ。


「ここが食堂」


「……はい」


「その奥が厨房」


「……はい」


「で、こっちがサロン。お客さんが来る場所だから、いつも綺麗にしておきたいんだ」


「……承知しました」


 杏子は、サロンの入口で足を止めた。


「……入口から、こちらへの動線は分かりやすいです」


「……動線?」


「お客様が迷わないよう、案内係を置くとよいかと」


 ……おお。


 いきなり、仕事の提案が出てきた。


「うん。それ、いいね!」


 杏子がこくりと頷く。


「……では、手配します」


「……えっ。もう?」


「……必要ですので」


 ……ああ。


 物事を決めるのが早い子だ。


 私は思わず笑った。


「頼もしいなぁ」


「……ありがとうございます」


 杏子は、ほんの少しだけ視線を落とした。


 ……あ。


 照れた?


 表情はほとんど変わらないけど。


 楓とはまた違う、可愛らしさがあるね。


 二階では住人の部屋を案内し、三階まで一通り見回った。


 杏子は階段の位置、窓の鍵、裏口まで確認している。


「……警備の巡回路は、私が考えてもよろしいですか」


「もちろん。杏子に任せるよ」


「……はい」


 その返事は、どことなく嬉しそうだった。


 ……うん。


 この子、任せてもらうことが好きなのかもしれないね。


「それと、杏子」


 私は玄関ホールへ戻り、少女と向き合った。


「この家を守ってほしいんだけど、お願いできるかな?」


「……はい」


 即答だった。


「リアリス様のお住まいです。必ずお守りします」


「ありがとう。でも、無理はしないでね」


「……必要な判断はいたします」


 ……うん。


 そこは信頼してる。


 私は杏子へ、これからの仕事を説明した。


 不審な人や魔獣が侵入しないよう、屋敷を守ること。


 ここで働く人たちと連携し、家の中を整えること。


 お客様へは、きちんと礼儀を尽くすこと。


 そして。


「困ったことがあったら、一人で抱え込まないでね」


 杏子が、少しだけ首を傾げた。


「……私が、ですか?」


「うん。桜花も巴さんもいるし、もちろん私に聞いてもいいから」


「……承知しました」


 ……おお。


 今、ちょっとだけ意外そうだったね。


「桜花」


「はい」


「杏子に、屋敷のことをいろいろ教えてあげて」


「かしこまりました」


 桜花が微笑む。


 杏子は桜花の方へ向き直り、丁寧に一礼した。


「……よろしくお願いします、桜花様」


「こちらこそ。分からないことがあれば、何でもお尋ねください」


「……はい」


 ……うん。


 これなら安心だ。


 私は杏子の頭へそっと手を伸ばした。


「よろしくね」


 杏子は一瞬だけ私を見上げた。


 それから、頭をほんの少し下げた。


「……もっと」


「……ん?」


「……もう少し、撫でていただけますか」


 ……ああ。


 やっぱり、そういうところは楓と似てるんだね。


「もちろん!」


 私はゆっくり頭を撫でた。


 杏子が、ごく僅かに目を細める。


 ……うん。


 可愛いなぁ。


 さて。


 杏子が来てくれたところで、次は一緒に働く人たちだ。


 王国邸には、十人のメイドがいる。


 帝国邸も同じようにしたい。


「杏子。このお屋敷には、あと十人ほど働く人を用意するつもりなんだ」


「……はい」


「仕事の分担は、みんなで相談して決めてほしい。杏子だけに任せっきりにはしないからね」


「……承知しました」


 杏子は静かに頷いた。


 私は広いホールの中央へ立つ。


 作りたいのは、十人の一般メイド。


 外見は十八歳から三十歳ほどの人間種。


 それぞれ少しずつ見た目や性格が違い、接客や掃除、料理などを協力して行う。


 ……うん。


 王国邸と同じ考え方だ。


「《ホムンクルス作成》」


 私の前に、十の淡い光が現れた。


 光が人の姿へ変わっていく。


 髪型も、背丈も、それぞれ違う。


 やがて光が消えると、十人の女性たちが並んでいた。


「お呼びいただき、ありがとうございます」


 その一人が代表して頭を下げる。


 ほかのメイドたちも、それに続いた。


 ……おお。


 何だか、一気に賑やかになったね。


「皆さん、こんにちは。リアリスです。今日から、この屋敷で一緒に働いてもらえたら嬉しいな」


「はい!」


 声が揃う。


 ……うん。


 いい感じだ。


「杏子。みんなに自己紹介をお願いしてもいい?」


「……承知しました」


 杏子は、一歩前へ出た。


「……私は杏子。この屋敷の警備と管理を担当します。よろしくお願いします」


 十人のメイドが一斉に頭を下げた。


 ……おお。


 杏子、すっかり責任者の顔だね。


 ……まあ、表情はいつもどおりなんだけど。


「みんなに、先に伝えておきたいことがあるんだ」


 私は杏子と十人のメイドへ声をかけた。


 王国邸でも同じことをしたけれど、ここでも忘れてはいけない。


 みんなは、私が作ったホムンクルスだ。


 だからといって、使い捨ての道具として扱うつもりはない。


 この家で暮らす仲間なのだから。


「安心して仕事ができるように、いくつか効果を付けておくね」


 私は全員へ《不老不死》と《状態異常無効》を永続付与した。


 杏子も、十人のメイドも。


 身体の状態を確かめると、効果はきちんと定着している。


 ……よし。


 これで、ひとまず安心だ。


「ありがとう、リアリス様」


 メイドたちが、口々に礼を言った。


「こちらこそ。これからよろしくね」


 私は笑って答えた。


 ……うん。


 こうして誰かに頼れるのは、とてもありがたい。


 杏子が私の前へ進み出る。


「……リアリス様」


「ん?」


「……この力は、屋敷の安全のために使います」


「ありがとう。でも、みんな自身のためにも使っていいんだよ」


 杏子は、ほんの少し考えるように目を伏せた。


「……承知しました」


 ……うん。


 真面目な子だね。


「それから、お仕事の分担は無理なくね。休みもちゃんと取ること」


「……はい」


「特に杏子。一人で全部片づけようとしないように」


 杏子の視線が、ちらりとメイドたちへ移る。


「……皆で、分担します」


「うん。お願いします!」


 桜花が隣で頷いた。


「王国邸の皆様とも情報を共有いたしましょう」


「そうだね。巴さんに相談すれば、いろいろ教えてくれると思う」


 ……そう言えば。


 そのための移動手段も、考えないとね。


 まずは雑貨屋から見てみよう。


 庭の端に建てた店は、王国邸のものとほぼ同じ造りだ。


 正面に大きな窓。


 店内には木製の棚。


 奥には小さな倉庫と帳場。


 ……うん。


 見慣れた景色だね。


「ここに、食べ物や日用品を並べるんだ」


 私はメイドたちへ説明した。


「筆記具に、石鹸やタオル。あとは、お菓子や小さな玩具なんかもいいかな」


「承知しました」


 何人かが棚の間隔を測り始める。


 別のメイドは、帳場の奥を確認していた。


 ……おお。


 私があれこれ言わなくても、仕事を見つけてくれるんだ。


「商品は、どこから仕入れますか?」


 一人が尋ねる。


 ……あ。


 そこ、大事だね。


「基本は《取り寄せ》という魔法で、この世界に品物を作り出すんだ」


「魔法で、ですか?」


「うん。日本で見たものと同じ品物を、こっちの世界で作る感じかな」


 ……まあ、日本のお店から本当に持ってくるわけじゃないんだけどね。


 王国邸では、私が商品を用意していた。


 でも、これから各国でお店が増えるなら、毎回私が補充するのは大変だ。


 何かいい方法はないかな。


 私は棚の前で腕を組んだ。


 ……うーん。


 《取り寄せ》を、道具として使えるようにすればいいんじゃない?


 必要な品名と数を指定すれば、商品の準備ができる。


 誰でも勝手に使うのではなく、店を任せた人だけが操作できる。


 ……うん。


 それなら、便利そうだ。


 私は帳場に、小さな箱型の魔道具を作ることにした。


 中には、商品名を選べる表示と、必要な数を指定する仕組み。


 操作できるのは、私と登録した店の担当者だけ。


 《取り寄せ》と同じように、この世界で品物を生成する。


 魔力の消費はゼロ。


 ただし、生き物は対象にしない。


 危険なものも、勝手に作らないようにしておこう。


 ……よし。


 これなら、在庫の管理もしやすいはずだ。


 私は必要な仕組みを想像して、魔道具を完成させた。


 目の前の台へ、落ち着いた色の小さな箱が現れる。


「……おお」


 試しに操作してみる。


 商品一覧から、袋入りのクッキーを選択。


 数は五つ。


 ……ぽん。


 箱の横に、五袋のクッキーが現れた。


「……うん。成功!」


 メイドたちから、小さな歓声が上がる。


「これなら、品切れを防げそうですね」


「そうだね。でも、数は帳面と合わせて管理してね」


「はい!」


 杏子が、魔道具の前に立った。


「……こちらの使用者を、記録しておくべきです」


「……おお。確かに!」


「……補充する人と、数を確認する人を分けます」


 ……うん。


 細かいところまで見てくれるね。


「杏子、お願いしていい?」


「……はい。任せてください」


 表情はほとんど変わらない。


 でも、声が少しだけ力強くなった気がした。


 ……何だか、頼もしいなぁ。


 私は魔道具の操作方法を教え、担当者がいつでも安全に補充できることを確認した。


 ……これで、帝国の雑貨屋も動かせそうだ。


 雑貨屋の準備が一段落すると、次はサロンだ。


 屋敷の中へ戻り、鏡が並ぶ部屋へ入る。


 手入れの行き届いた椅子。


 洗髪用の設備。


 道具を並べる棚。


 ……うん。


 王国邸のサロンと同じだね。


「こちらは、美容院として使う予定なんだ」


 私は杏子とメイドたちへ説明した。


「髪を切ったり、整えたり。お客さんに気持ちよく過ごしてもらえる場所にしたい」


「承知しました」


 杏子が室内を一周する。


「……入口で予約の確認をする者が、必要です」


「そうだね。待っている人が迷わないようにしよう」


 メイドの一人が手を挙げた。


「でしたら、受付は私が担当します」


「ありがとうございます!」


 ……おお。


 心強い。


 私は道具の位置を確かめ、どの席からも通路が見えるように少し調整した。


 ……よし。


 これなら、動きやすそうだ。


「それとね」


 私は、もう一つ大切なことを伝えた。


「王国邸では、《エステ》という魔法も扱っているんだ」


 メイドたちが、こちらを見る。


「若返りのような効果があるんだけど、施術は私がすることになっている。勝手に使ったり、できると約束したりしないでね」


「承知しました」


「私が帝国に来られる日に予約をまとめてもらえたら助かるな」


 杏子が、静かに頷く。


「……施術日と通常の美容院の予約を分けます」


「うん。それがいいね」


 ……ああ。


 杏子、仕事が早いなぁ。


 私の頭の中でまだまとまってないことを、すぐ形にしてくれる。


 ……でも。


 これ、また私の仕事が増えるのでは?


 ……いや、気づかなかったことにしよう。


 店の外へ出ると、帝都の方向から風が吹いてきた。


 芝生が、さらさらと揺れる。


 私は新しく建てた屋敷を見上げた。


 ……うん。


 家はできた。


 みんなも揃った。


 お店の準備も、だいたい整った。


 あとは、各拠点の連絡手段だね。


 王国邸と帝国邸を、そのたびに《転移》で往復するのは、私なら簡単だ。


 でも、巴さんやメイドたちはそうはいかない。


 王国邸の設備を教えに来るときも、私が毎回迎えに行くことになる。


 ……それは、ちょっと不便だな。


「桜花。何かいい方法ないかな」


「……そうですね」


 桜花は、少し考えてから答えた。


「扉を通るだけで、別のお屋敷へ移動できれば便利かと存じます」


 ……扉?


 私は玄関の方を見た。


 木製の大きな扉。


 鍵も、蝶番も普通に付いている。


 ……ああ。


 それ、いいかもしれない。


「ドアを開けたら、向こうのお屋敷につながる……ってこと?」


「はい」


「おお。それなら、荷物も運びやすいね!」


 私は思わず手を叩いた。


 扉をくぐるだけなら、特別な操作を覚えなくてもいい。


 メイドたちも使えるし、巴さんだって行き来しやすい。


 しかも、これから先、ほかの国に家が増えても同じ仕組みを使える。


 ……うん。


 何だか、いいものを思いついたぞ。


「ただ……誰でも勝手に入ってこられるのは困るな」


 私は少し考えた。


 屋敷の人だけが使えて、目的の家を選べるようにしたい。


 しかも、通るときに魔力は要らない方がいい。


 ……そうだね。


 扉の接続先を、巴さんに管理してもらうのはどうだろう。


 巴さんなら、各屋敷の状況も気にかけてくれるし。


「桜花。巴さんに、お願いしてみようか」


「きっと、お喜びになるかと存じます」


 ……うん。


 では、さっそく戻ろう。


     ◇


 王国邸へ《転移》で戻ると、ちょうど昼食の支度が始まっていた。


 厨房から、いい匂いが漂ってくる。


 ……ああ。


 こういうとき、いちいち帰ってきたくなるんだよね。


「ただいまー!」


「あら、リアリスちゃん。おかえりなさい」


 巴さんが、台所から顔を出した。


「早かったのね。お屋敷は?」


「できました!」


「……まあ」


「今から、少し見に来てもらえませんか?」


 巴さんが鍋の方を見る。


「そうねぇ。お昼の支度は、みんなに引き継いでもらえば大丈夫かしら」


 近くのメイドが、すぐに頷いた。


「こちらはお任せください」


「ふふ。ありがとう」


 ……おお。


 連携がいいね。


 巴さんはエプロンを外し、手を拭いた。


「それじゃあ、見せてもらおうかしら」


「お願いします!」


 玄関ホールへ向かう途中、楓が通りかかった。


「……リアリス様」


「ただいま、楓」


「……もう、帰った?」


「うん。ちょっと巴さんを迎えにね」


「……そう」


 楓は頷いた。


 そのあと、私の服の裾を軽く掴む。


「……お屋敷、できた?」


「できたよ。今度、見に来る?」


「……うん」


 ……ああ。


 興味があるみたいだね。


「じゃあ、次は楓も一緒に行こうね」


 楓が、ほんの少し目を細めた。


「……約束」


「うん。約束」


 ……さて。


 今度は巴さんと二人で、もう一度帝国へ向かおうか。


 帝国邸へ戻ると、玄関で杏子が迎えてくれた。


「……おかえりなさいませ、リアリス様」


「ただいま、杏子!」


 私は隣の巴さんを紹介した。


「こちらが巴さん。王国邸で、みんなの仕事をまとめてくれている人だよ」


 杏子はすっと姿勢を正した。


「……初めまして。杏子と申します」


「あら、可愛らしい子ね。巴です。よろしくね」


「……よろしくお願いします」


 巴さんは杏子の頭を優しく撫でた。


 杏子が、ほんの少しだけ目を細める。


 ……あ。


 巴さん、初対面でも自然に撫でるんだね。


「ふふ。いい子ね」


「……ありがとうございます」


 その後、巴さんは館内を一通り見て回った。


 食堂。


 廊下。


 各部屋。


 そして、厨房。


「……あら」


 冷蔵庫を開けた巴さんが、こちらを振り向いた。


「リアリスちゃん」


「……はい?」


「食材がまだ入っていないわね」


「……あっ」


 忘れてた!


 いや、完全に忘れたわけじゃないよ?


 あとで用意しようと思ってたんだよ?


「ふふ。でしょうね」


 ……笑ってる。


 これは、全部見透かされている顔だ。


 巴さんは、近くのメイドへ手を差し出した。


「お買い物と在庫管理の担当を、一緒に決めましょうね」


「はい、巴様」


 ……おお。


 早速、指導が始まった。


 私は少し離れた場所から、その様子を見守った。


 ……うん。


 この家も、きっと上手く回る気がする。


 誰かが何でもやってくれるからじゃない。


 みんなで相談して、役割を決めているからね。


「さて、巴さん」


 私は厨房での説明が一段落するのを待って、声をかけた。


「もう一つ、お願いしたいことがあるんです」


「あら、何かしら」


「今後、王国邸と帝国邸を行き来することが増えると思うんです」


「ええ。そうね」


「そこで、扉を通るだけで別のお屋敷へ移動できるようにしたいなって」


 巴さんが、少しだけ目を丸くした。


「……扉で?」


「はい!」


 私は笑った。


「王国邸の扉を開けたら、帝国邸の扉につながるんです。これから家が増えたら、そこも選べるようにして」


「……便利ねぇ」


 巴さんは少し考えてから、頷いた。


「それなら、お料理を運ぶのも、仕事を手伝いに行くのも楽になるわ」


「そうなんです!」


 私は自分の手を見た。


 必要なのは、扉の接続先を選んでつなぐ能力。


 同じ家の扉を全部転移口にするわけじゃなくて、屋敷ごとに決めた管理用の扉だけを使う。


 ほかのお客様が、知らないうちに別の国へ行ってしまったら困るからね。


 接続先は、巴さんが指定できるように。


 通れる相手は、屋敷の住人と、巴さんたちが許可した人。


 魔力の消費はゼロ。


 そして、次に家が増えたら、新しい扉もつなげられる。


 ……うん。


 これなら、ほかの国に屋敷が増えても管理できるはずだ。


「《簡易転移》」


 私は、その仕組みを想像した。


 頭の中に、聞き慣れた声が響く。


『《想像魔法》にて《簡易転移》が完成しました。』


 ……よし。


 新しい魔法ができた。


 私は巴さんへ向き直る。


「巴さん。この能力、使ってもらってもいいですか?」


「ふふ。もちろんよ。任せてちょうだい」


 私は巴さんへ、魔力がなくても使える特別な能力として《簡易転移》を永続付与した。


 ……うん。


 これで準備完了だ。


 試すなら、やっぱり実際に扉を開けてみるのが早い。


 私は巴さんと杏子、桜花を連れて、一階の管理用通路へ向かった。


 そこには、普段使わない小さな扉がある。


 王国邸にも、同じ位置に扉があったはずだ。


「巴さん。王国邸を選んでみてください」


「ええ。……こうかしら」


 巴さんが、扉へそっと手を添える。


 ……すっ。


 何かが、静かにつながる感覚がした。


 見た目は普通の扉のまま。


 でも、開けると。


「……あら!」


 向こう側には、見慣れた赤い敷物と手すりが見えた。


 ……おお!


 王国邸だ!


「成功だ!」


 私は思わず声を上げた。


 桜花が静かに頷く。


「お見事でございます」


 巴さんも、少し嬉しそうだ。


「ふふ。本当に、扉一枚で行けるのね」


「はい。試しに向こうへどうぞ!」


 巴さんが扉をくぐる。


 次の瞬間、王国邸の廊下へ立っていた。


「……まあ、便利!」


 ……うん。


 この反応が見たかった!


 私も桜花と一緒に通り抜ける。


 足元には、王国邸の見慣れた床。


 ……すごいね。


 さっきまで帝国にいたなんて、全然感じない。


「杏子も、おいで」


 私が呼ぶと、杏子が静かに一歩踏み出した。


 扉を越え、初めて王国邸へ入る。


「……こちらが、シルク邸」


「そうだよ」


 杏子は周囲を見回した。


 壁の色。


 廊下の飾り。


 玄関の方から聞こえる、人の声。


「……落ち着きます」


 その小さな声に、私は笑った。


「でしょ? ここも、みんなの家だからね」


 杏子はほんの少しだけ目を細めた。


 王国邸の廊下を歩いていると、小さな足音が近づいてきた。


「……リアリス様」


 楓だ。


 私の姿を見つけると、いつものように小さく頭を下げた。


「ただいま、楓」


「……おかえり」


 楓の視線が、私の隣へ動く。


 杏子と目が合った。


 ……あ。


 そうだった。


 二人は、まだ初対面だ。


「楓。この子が杏子。今日、帝国の家で生まれたんだ」


 楓は杏子をじっと見た。


 杏子も、楓をじっと見返した。


 ……長い沈黙。


 何だろう。


 まるで鏡を二枚、向かい合わせたみたいだ。


「……楓」


「……杏子」


 二人は、ゆっくり名前を呼び合った。


「……よろしく」


 楓が言う。


「……よろしくお願いします」


 杏子が答えた。


 ……うん。


 短いけど、ちゃんと挨拶できたね。


 そのとき、階段の上からカトレアが顔を出した。


「……お父さん?」


「あ、カトレア。ただいま!」


 カトレアは私の隣にいる杏子を見て、首を傾げた。


「……あれ。知らない子?」


「うん。新しい仲間の杏子だよ」


「……あんず?」


「はい。杏子と申します」


 杏子は、カトレアへ丁寧に頭を下げた。


「……よろしくお願いします、カトレア様」


「……さま?」


 カトレアが私を見る。


「……お父さん。わたし、さまじゃなくていいよ?」


「……そうだね」


 私は笑った。


「杏子。カトレアって呼んでいいよ。この子もその方が嬉しいと思う」


「……承知しました」


 杏子は改めて、カトレアへ向き直った。


「……よろしくお願いします、カトレア」


「うん! よろしくね、杏子ちゃん!」


 ……ああ。


 何だか、家族が増えていく感じがするね。


「……リアリス様」


 今度は、杏子が私の袖を引いた。


「ん?」


「……楓様と、少しお話をしてもよろしいでしょうか」


「もちろん。仲良くしてね」


「……はい」


 杏子と楓は、並んで廊下の端へ歩いていった。


 二人ともほとんど表情を変えない。


 でも、何やら小さな声で話している。


「……そっちの、おうち」


「……黒いです」


「……ここ、赤」


「……はい」


 ……おお。


 建物の色の話?


 私は思わず笑ってしまった。


 桜花が、静かに声をかける。


「お二人とも、興味津々のようでございますね」


「そうだね。性格はちょっと違うけど、仲良くなれそうだ」


 そのとき、巴さんが奥から戻ってきた。


「リアリスちゃん。扉の行き先、切り替えられたわよ」


「おお! 試せました?」


「ええ。王国邸から帝国邸へも、帝国邸から王国邸へも行けたわ」


 ……うん。


 これで、片道だけつながって帰れない、なんてこともない。


「ほかのお屋敷ができたら、同じように行き先を増やせるようにしてあるので」


「ふふ。これから忙しくなりそうね」


「……あはは。よろしくお願いします」


 巴さんは穏やかに笑った。


「大丈夫よ。みんなで手分けすればいいんだから」


 ……うん。


 そうだね。


 これなら、私がいないときでも拠点同士で助け合える。


 ……ああ。


 それにしても。


 二つ目の家を建てたばかりなのに、もう三つ目のことを考え始めてるんだなぁ。


 最初は一人暮らしの予定だったのにね。


 異世界生活って、本当に分からない。


 その日の午後、私たちはもう一度帝国邸へ戻った。


 巴さんは新しい厨房の確認を終え、杏子とメイドたちへ仕事の分担を伝えている。


 雑貨屋では、最初の商品が棚へ並べられた。


 食器や筆記具。


 石鹸に、タオル。


 可愛らしい玩具や、袋入りの焼き菓子。


 ……うん。


 王国邸の店とよく似ているけど、少しだけ品揃えも違う。


「帝国のお客様には、どんなものが喜ばれるかな」


 私が尋ねると、杏子が即座に答えた。


「……まず、売れた商品を記録します」


「……おお。堅実!」


「……そのうえで、次の品を選びます」


「うん。それがいいね!」


 ……私みたいに思いつきで棚を埋めるより、ずっと確実かもしれない。


 サロンも予約の受付を始めることにした。


 案内の看板を立て、通常の髪の手入れと、私が来る日に行う《エステ》の受付を分けておく。


 もちろん、正式な施術は私が担当する。


 ……よし。


 これで、どちらのお店も営業を始められる。


「杏子。あとはお願いできる?」


「……はい。問題ありません」


 杏子は静かに頷いた。


「……皆様と協力して、ここを守ります」


「ありがとう。これからもよろしくね」


 私が頭を撫でると、杏子はほんの少しだけ目を細めた。


「……リアリス様」


「うん?」


「……私は、いつ王国邸へ行ってもよろしいでしょうか」


 ……あれ。


 さっき行ったばかりだよね?


「もちろん。杏子の仕事が回るなら、いつでも行っていいよ」


「……承知しました」


 ……おお。


 何だか、ちょっと気になる返事だったな。


 私は首を傾げたけれど、深く考えないことにした。


 夕方近く、ガラントさんが屋敷の確認に来てくれた。


「……こちらが、本日建築された屋敷ですか」


「はい!」


 私は玄関前で胸を張った。


「……本当に、一日で……」


 ガラントさんが、建物を見上げる。


 それから、広い庭を見る。


 敷地の端には、もう雑貨屋の看板が立っている。


「……店舗まで、ですか」


「はい。今日から準備を始めてます」


 ガラントさんは、しばらく黙っていた。


 ……あれ。


 また、何かまずかった?


「……リアリス殿」


「はい?」


「一つ伺いたいのですが」


「どうぞ!」


「あなたにとって、『建築』とは、いったい何なのでしょう」


 ……えっ。


 改めて聞かれると、難しいな。


「……住みたい家を想像して、作ることですかね」


「……なるほど」


 ガラントさんが、ゆっくり頷いた。


「……私の知っている建築とは、随分違います」


 ……うん。


 それは、そうかもしれない。


 桜花が隣で静かに微笑んでいる。


 巴さんも、少し笑っていた。


「でも、街道と水路には影響を出していません。敷地の範囲も守っていますよ」


 私が説明すると、ガラントさんは地図を開いて確認した。


 その表情が、少しだけ柔らかくなる。


「……確かに。場所については問題ありません」


「よかった!」


「ただし、今後増築される場合は、その際にもご相談を」


「はい。分かりました」


 ……うん。


 事前に相談するのは、ちゃんと大切だね。


 ガラントさんは最後に、帝都の方を振り返った。


「陛下にも、無事完成したとお伝えしておきます」


「ありがとうございます!」


「……恐らく、すぐ見に来たいと仰るでしょうが」


 ……あっ。


 皇帝かぁ。


 また決闘の話にならないといいな。


 ……ガラントさん。頑張ってください。


 その夜、私たちは新しい屋敷の食堂で夕食を取ることにした。


 巴さんとメイドたちが作ってくれた料理が、大きな卓に並ぶ。


 ……おお。


 これ、王国邸と同じ味だ。


 当たり前か。


 巴さんが作ってくれたんだもんね。


「さあ、今日も一日お疲れさま!」


 巴さんの声が響く。


「……いただきます!」


 私は手を合わせた。


 桜花も、杏子も、メイドたちも席に着いている。


 ……うん。


 この屋敷も、もう賑やかだなぁ。


「杏子、今日一日どうだった?」


 私が尋ねると、杏子は少し考えた。


「……忙しかったです」


「……そっか。ごめんね」


「……でも、楽しかったです」


 杏子は、ほんの少し目を細めた。


 ……ああ。


 よかった。


「今日はいっぱい働いたから、ゆっくり休んでね」


「……はい」


 巴さんが微笑む。


「そうよ。頑張りすぎないようにね」


「……承知しました」


 ……うん。


 これなら、安心だ。


 食事のあと、私は《簡易転移》の扉を使って王国邸へ戻ることにした。


 帝国邸のメイドたちには、明日からの仕事を任せてある。


 杏子も、ちゃんと屋敷を守ってくれる。


 ……ああ。


 本当に、二つ目の家ができたんだなぁ。


 私は玄関先で、屋敷を見上げた。


 黒い屋根。


 明るい窓。


 庭の花壇。


 そして、入口に立つ杏子。


「……いってらっしゃいませ、リアリス様」


「うん。行ってくるね。また来るよ」


「……はい。お待ちしております」


 私は杏子へ手を振り、桜花と一緒に扉をくぐった。


 向こうに見えたのは、見慣れた王国邸の廊下。


 ……うん。


 家を出たはずなのに、もう家に帰ってきた。


 何だか、不思議な感じだね。


 王国邸の玄関ホールには、カトレアと楓がいた。


「お父さん! おかえり!」


「……おかえり、リアリス様」


「ただいま!」


 カトレアが、私の腕にぎゅっと抱きつく。


「帝国のおうち、できた?」


「うん。今度、一緒に見に行こうね」


「……お花、もう咲いてる?」


「まだなんだ。カトレアと一緒に選ぼうと思って、花壇だけ作ってあるよ」


「……わたしが、選んでいいの?」


「もちろん! 好きなお花を一緒に探そう」


「……うん!」


 ……ああ。


 この子は、本当に花が好きなんだな。


 楓も近づいてきて、私の袖をちょんと引いた。


「……杏子、どうしてる?」


「元気だよ。今は帝国邸を守ってくれてる」


「……そっか」


 楓が、ほんの少しだけ目を細めた。


 そのあと、何やら巴さんの方を見ている。


 ……あれ?


 何か相談でもあるのかな。


 その答えが分かったのは、翌朝のことだった。


     ◇


「……おはようございます、リアリス様」


 階段を下りた私を出迎えたのは、白から桃色に変わる短い髪だった。


 ……ん?


「……杏子?」


「……はい」


「……あれ? 帝国邸は?」


「……楓が、います」


 …………。


 ああ。


 そういうことか。


「……もう入れ替わったの?」


「……はい。巴様に扉をつないでいただきました」


 ……早い!


 まだ二つ目の家ができたばかりなのに!


「帝国邸の仕事は?」


「……引き継ぎました。警備も、問題ありません」


「……そっか」


 それなら、別にいいんだけど。


 私は杏子を見下ろした。


「で、王国邸で何かしたいことがあるの?」


 杏子は、ほんの少しだけ私を見上げた。


「……リアリス様に、会いに来ました」


 ……ああ。


 そうですか。


 私は思わず笑ってしまった。


「……はいはい。じゃあ、おはようの挨拶をしようか」


 手を伸ばして頭を撫でる。


 杏子は、ほんの少しだけ目を細めた。


「……おはようございます」


 ……うん。


 どうやら、この家族はこれからも賑やかになりそうだ。


 家が増えれば、帰る場所も増える。


 そして、迎えてくれる人も増えていく。


 ――帝国にも、私たちの家ができた。

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