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第3話:空から星を落としてみた

「……はい。リアリスですけど」


 私が答えた途端、若い男性の目が大きく見開かれた。


「や、やっぱり……!」


 ……ん?


 何だろう。


 まだ何もしてないのに、ものすごく驚かれてる。


 男性は抱えていた本を落としかけ、慌てて持ち直した。


 その拍子に、紙が一枚、ひらりと宙を舞う。


「あっ!」


「おっと」


 私は落ちてきた紙を拾って差し出した。


「はい。落としましたよ」


「す、すみません! ありがとうございます!」


 男性は両手で紙を受け取り、何度も頭を下げた。


 ……そんなに謝らなくてもいいんだけどなぁ。


 隣では桜花が、いつもの落ち着いた表情で様子を見守っている。


「ところで、どうして私の名前を?」


「あっ、申し遅れました!」


 男性は背筋を伸ばした。


「私はカイン・レイムと申します。フォーサイド魔法国から参りました!」


「……フォーサイド?」


 聞いたことのある国名だ。


 確か、魔法の研究が盛んな国だったはず。


 カバディ王からの書状も預かっている、次の訪問先だね。


「魔法国の方なんですね」


「はい! 父は法師長のキリア・レイムです」


 ……法師長。


 ええと。


 魔法国の、かなり偉い人……だよね?


「……そうなんですか。私はリアリスです。こちらは桜花」


「桜花と申します」


 桜花が軽く頭を下げた。


 カインさんは、今度は桜花を見て固まった。


「あ、あの……ひょっとして、先ほど皇帝陛下と模擬戦をなさった方ですか?」


「はい」


「……やっぱり!」


 ……おお。


 もう噂になってる!


 さっき終わったばかりなのに、情報の回る速度がすごいなぁ。


「それで、私に何かご用でしょうか?」


 私が尋ねると、カインさんは腕の中の本をぎゅっと抱え直した。


「実は……ぜひ、魔法についてお話を伺いたくて!」


 ……魔法?


 私は思わず首を傾げた。


 剣の模擬戦をしてきたばかりなのに、今度は魔法の話なんだ。


 ……今日は、なかなか忙しい一日だね。


「あの、少しだけお時間をいただけませんか?」


 カインさんは、期待と不安が入り交じった目でこちらを見ていた。


「構いませんけど……道の真ん中で話すのも何ですし、どこか座れるところに行きましょうか」


「は、はい!」


 返事が大きい。


 ……そんなに気合いを入れなくても。


 通りの向こうには小さな広場があった。


 木陰に腰掛けられる場所もあるし、屋台からは甘い匂いが漂ってくる。


 ……おお。


 さっきからお菓子に縁があるね、今日は。


「桜花、あそこでいいかな?」


「はい。人通りの妨げにもならないかと存じます」


「カインさんも?」


「も、もちろんです!」


 私たちは広場へ移動した。


 噴水のそばに腰を下ろすと、カインさんはようやく本を膝の上へ置いた。


 ずいぶん古い本から、新しく綴じたばかりの冊子まで。


 表紙には見慣れない記号や図形が描かれている。


 ……魔法の専門書なのかな。


「カインさんは、帝国へお仕事で?」


「はい。帝都で魔法学会の会合が開かれておりまして、そのために滞在しています」


「魔法学会!」


 思わず身を乗り出した。


「そういうものがあるんですね」


「はい。各国の研究者が集まり、新しい術式の理論や研究結果を報告する場です」


 ……おお。


 前の世界の学会みたいな感じだ。


「面白そうですね」


「お、面白いですよ! ただ……私は発表のたびに緊張してしまって」


 カインさんが、苦笑する。


「昨日も質問にうまく答えられず、先輩方に助けられました」


「……ああ。大勢の前で話すのって、難しいですよね」


「そうなんです!」


 ……よかった。


 ちょっとだけ緊張が解けたみたいだ。


 さっきまで、私と目を合わせるたびに固まっていたからね。


「それで、どうして私のことを?」


 カインさんは膝の本を開いた。


 そこには複雑な円と、いくつもの文字が書かれている。


「ここ数日、帝国の魔法使いたちの間で、シルク王国のリアリスという方が話題になっているんです」


「……私が?」


「はい。既存の魔法体系では説明できない術を、魔力の消耗もほとんどなく行使なさると」


 ……おっと。


 随分詳しい噂だな。


「それに、今日の謁見ではガラント宰相を一瞬で拘束されたとか……」


「……ああ」


 そこまで広まってるの?


 私は思わず額を押さえた。


 ……ガラントさん、ごめんなさい。


「危ないことはしてないですよ。怪我もなかったですし」


「そ、それは分かっています! ですが、私が気になるのはその術式なんです!」


 カインさんは勢いよく顔を上げた。


「完全な拘束を、詠唱も魔法陣もなしに発動するなんて……。しかも宰相ほどの方が、一歩も動けなかったと!」


「……まあ、そういう魔法なので」


「そういう……!」


 カインさんは何か言おうとして、口を閉じた。


 ……あれ。


 説明が足りなかった?


 隣で桜花が、静かにお茶を勧めてくれる。


 いつの間に買ってきたんだろう。


 木製の小さな器から、温かい香りがした。


「どうぞ、リアリス様」


「ありがとう、桜花」


 カインさんにも一杯差し出す。


「……え、あ、ありがとうございます!」


 カインさんは両手で器を受け取った。


 ……うん。


 落ち着いてお話しした方が、きっと分かりやすい。


「私は、普通の魔法使いとは少し違うんですよ」


「……違う、とは?」


「思い描いたことを、そのまま実現するような魔法を使います」


 カインさんが、ゆっくり瞬きをした。


「……思い描く、だけで?」


「はい」


 ……おお。


 また固まっちゃった。


「……すみません。少し整理させてください」


 カインさんは本を膝に置き、指を組んだ。


「一般的な魔法では、術式に必要な魔力を込め、定められた現象を起こします」


「はい」


「火なら火。水なら水。たとえ無詠唱であっても、術式そのものを正しく組み立てなければなりません」


「……なるほど」


 私、そこまで詳しく知らなかったなぁ。


「ところがリアリスさんは、現象を想像するだけで成立させる、と」


「そうですね」


「……そこに、術式の構築は?」


「してませんね」


「魔力の配分は?」


「特に考えてません」


「……消費する魔力は?」


「ありません」


「…………」


 カインさんが、静かに空を見上げた。


 ……あっ。


 また、何か変なこと言っちゃった?


「カインさん?」


「……すみません。今、私が学んできたものの半分くらいが、頭の中で崩れました」


 ……ええっ。


 そんな大ごと!?


「いやいや! カインさんの研究が間違っているわけじゃないと思いますよ!」


 私は慌てて手を振った。


「私の魔法が、ちょっと特殊なだけで!」


「……特殊、という言葉で済ませてよいものなのでしょうか……」


 カインさんの声が、小さくなっていく。


 ……困った。


 私は魔法の理屈を知りたいわけじゃない。


 ただ、できることが増えたら楽しいなと思っているだけだ。


「カインさん。ちょっと実際に見てみます?」


「……えっ」


「説明するより早いかなって」


 その途端、カインさんの目に光が戻った。


「ぜ、ぜひ!」


 ……立ち直りも早いんだね。


 研究者さんって、そういうものなのかな。


 私は掌を差し出した。


「じゃあ、まず簡単なところから」


 近くの石畳に落ちていた小さな葉へ視線を向ける。


 落ち葉に付いた土だけを落とすように想像して、《クリーン》を使った。


 葉の表面から汚れが消える。


 ……うん。いつもどおり。


「……今の、見えましたか?」


「は、はい。ですが……!」


 カインさんが、葉を見つめた。


「術式が、どこにも……」


 ……ああ。


 そっちなんだ。


「これは……浄化の魔法、でしょうか」


 カインさんが、汚れのなくなった葉をそっと摘んだ。


「いえ、対象を綺麗にする《クリーン》という魔法です」


「対象を、綺麗に……」


「はい。服でも食器でも、使えますよ」


 カインさんが、ぴたりと動きを止めた。


「……食器にも?」


「ええ。便利なんです」


 すると、カインさんは真剣な顔で自分の袖を見下ろした。


「……魔法学会の会場には、毎年かなりの量の食器が……」


 ……おっと。


 そこが気になるんだ。


「もしかして、片づけが大変なんですか?」


「それはもう! 研究者は議論を始めると食事の後片づけなど忘れてしまう者が多くて……!」


 ……ああ。


 魔法使いも、生活は大変なんだね。


「では、この魔法も誰にでも教えられるのでしょうか?」


「……うーん」


 私は少し考えた。


 《想像魔法》そのものは、ほかの人へ教えられるような仕組みじゃない。


 同じ結果を起こすことはできても、現地の術式を使っているわけじゃないから。


「残念ながら、私の使い方をそのまま教えるのは難しいと思います」


「……そうですか」


 カインさんの肩が、少し落ちた。


 ……あ。


 期待させちゃったかな。


「でも、カインさんたちが研究すれば、普通の魔法で似たようなことはできるかもしれませんよ?」


「……なるほど」


 カインさんは、葉を見つめたまま呟く。


「結果が明確なら、そこへ至る術式を考えることはできますね……」


 ……おお。


 研究者の顔になった。


 さっきまで、完全に絶望していたのに。


 やっぱり魔法が好きなんだろうなぁ。


「カインさんは、どういう魔法を研究しているんですか?」


「私は主に、魔力の効率的な運用と術式の安定性を……」


 そこまで言って、彼は止まった。


「……あっ」


「どうしました?」


「いえ。魔力消費がない方に、魔力の効率についてお話しするのも、どうかと思いまして……」


 ……いや。


 むしろ、聞いてみたいんだけどなぁ。


「私は魔法の理屈を勉強したことがないので、カインさんのお話、結構面白いですよ」


 そう答えると、カインさんは驚いたように顔を上げた。


「……本当ですか?」


「はい」


「でしたら……少しだけ」


 彼は本を開き、紙に描かれた図を指さした。


 円の中心に文字があり、そこから線がいくつも伸びている。


「術式を安定させるには、魔力の流れを一定に保つ必要があります。特に大規模魔法では、途中で均衡が崩れると効果が乱れてしまうんです」


「へえ」


「ですから、発動できる魔法の規模には、術者の魔力量だけでなく、制御能力も関係してきます」


「なるほど」


 ……うん。


 普通の魔法って、やっぱり大変なんだな。


「たとえば、広場全体を覆う結界を張るとなると、複数の術者で術式を維持する必要がある場合もあります」


「……ああ。私の《結界》とは、仕組みが全然違うんですね」


「《結界》もお使いに……?」


「はい。屋敷の周りとか」


「……屋敷、全体を?」


「ええ」


「……常時、ですか?」


「はい」


 カインさんが、静かに本を閉じた。


 ……おや。


「……すみません。もう一度だけ整理させてください」


「……どうぞ」


 彼は深く息を吸い、ゆっくり吐いた。


「……どうして、結界を常時維持して、消耗しないのでしょう……」


「……消費しない仕組みなので」


「……ですよねぇ……」


 ……ああ。


 何だか、申し訳ない。


 でも、私だって自分の能力の仕組みを全部理解しているわけじゃない。


 できることは分かるけど、どうしてそうなるのかは、神様に聞いても説明が難しそうだ。


「でも、カインさんが積み重ねてきた研究も、ちゃんと意味があると思いますよ」


 私は笑った。


「私の魔法は特殊ですけど、世の中の魔法使いが全員同じことをできるわけじゃないですし」


 カインさんは、しばらく黙ったあと。


「……ありがとうございます」


 小さく、そう答えた。


 ……うん。


 少しは元気が出たかな。


 しばらく魔法の話をしていると、広場に午後の鐘が響いた。


 カインさんが、慌てて懐の時計を取り出す。


「……あっ。こんな時間に!」


「何かご予定が?」


「い、いえ! 今日は学会の討論が早めに終わりまして。明日まで時間はあります」


 ……なるほど。


 だから、あんなに大量の本を持って歩いていたんだね。


「リアリスさんは、これからどうされるのですか?」


「皇帝に教えてもらったお菓子のお店へ行こうかと思ってます」


「……皇帝陛下に、お菓子の店を?」


「はい。すごくおいしいらしいんですよ」


 カインさんが、また少し固まった。


「……皇帝陛下と、そのようなお話を……」


「……あはは。何だか、話が合いまして」


 ……剣の話より、こっちの方が落ち着くんだけどね。


「カインさんも、よかったら一緒にどうですか?」


「……よ、よろしいのですか?」


「もちろん。魔法のお話も、もっと聞きたいですし」


 カインさんの顔が、ほんの少し明るくなった。


「ぜ、ぜひ!」


 ……おお。


 また、大きな返事。


 私たちは席を立ち、通りへ戻った。


 桜花は、空になった器を返しに行ってくれている。


 私はカインさんと並んで、帝都の大通りを歩いた。


 鎧を着た兵士たち。


 荷車を押す商人。


 果物の入った籠を抱える子供たち。


 ……うん。


 この町、本当に活気があるなぁ。


「カインさんは、帝都には何度も?」


「魔法学会のときに何度か来ています。でも、普段は会場と宿を往復するばかりで……」


「……それは、もったいない」


 私は思わず言ってしまった。


「せっかく別の国へ来たなら、おいしいものを探したり、知らない景色を見たりしたいじゃないですか」


「……そ、そうですね」


 カインさんは少し考え、ぎこちなく笑った。


 ……うん。


 この人、研究室に籠もっている方が落ち着くタイプなのかもしれない。


 皇帝から教えてもらった店は、すぐに見つかった。


 大通りを二つ越えた先。


 木製の看板が揺れる、小さな焼き菓子の店だった。


 扉を開くと、香ばしい甘い匂いがふわっと広がる。


「……おお!」


 これは、絶対おいしいやつだ。


 棚には、大小さまざまな焼き菓子が並んでいた。


 丸いもの。


 薄く伸ばしたもの。


 小さな木の実が入ったもの。


 見た目は素朴だけど、丁寧に作られているのが分かる。


「いらっしゃいませ!」


 店員さんの声が明るい。


「お土産ですか? ご自宅用ですか?」


「両方です!」


 ……あ。


 ちょっと勢いよく答えちゃった。


 桜花が、ほんの少しだけ目を細めている。


「リアリス様。お嬢様と楓様のお好みを考えて選ばれますか?」


「うん。そうしよう」


 ……といっても。


 楓は、たぶん何でも喜んでくれる気がする。


 特にクッキーなら。


 私は、香ばしい小さな焼き菓子を一つ指さした。


「これは、どんな味ですか?」


「木の実と蜜を使っています。甘さは控えめですよ」


「じゃあ、それをいくつか。あとは、こちらの薄いお菓子も」


 店員さんが手際よく袋へ詰めていく。


 ……うん。


 お土産を選ぶって、楽しいね。


 カトレアには、花の形をしたものがいいかな。


 ちょうど、棚の端に可愛い形の焼き菓子が並んでいる。


 ……おお。


 これ、ぴったりじゃない?


「桜花は、何か食べたいものある?」


「リアリス様のお選びになるもので十分でございます」


「……そう言わずに」


 私が笑うと、桜花は少し考えた。


「では、あちらを一つ」


「了解!」


 ……うん。


 ちゃんと選んでくれると、私も嬉しい。


 カインさんは、少し離れた棚の前でまだ迷っているようだった。


「カインさん、気になるものありました?」


「あっ、いえ……どれもおいしそうで……」


 ……おお。


 分かる。


 私も今、すごく悩んでるからね。


 結局、三人でいくつか焼き菓子を買うことになった。


 店の外に置かれた小さな腰掛けへ座り、さっそく一つ味見する。


 さくっ。


 ……ああ。


 これは、おいしい。


 口に入れると、木の実の香りがふわっと広がる。


 甘さは控えめで、いくらでも食べられそうだ。


「……うん。皇帝が気に入るのも分かるなぁ」


「皇帝陛下が……これを?」


 カインさんが、手元のお菓子をじっと見た。


「そうみたいですよ」


「……そうですか」


 カインさんも一口かじった。


 それから、少しだけ目を細めた。


「……おいしいです」


「ですよね!」


 ……よかった。


 やっぱり、おいしいものは共通の話題になるね。


「カインさん。魔法国にも、こういうお店はありますか?」


「ええ。王都には菓子職人の店がいくつかあります。ただ、私はあまり詳しくなくて……」


「じゃあ、今度教えてくださいよ」


「……え?」


「私、次は魔法国へ行く予定なんです。カバディ王から、そちらの君主への書状も預かっていて」


 カインさんが、急に背筋を伸ばした。


「……ま、魔法国へ?」


「はい。少し観光もしたいですし」


「……父が、驚くと思います」


「……そうでしょうか」


「はい。間違いなく」


 ……あれ。


 そこまで言い切らなくても。


 カインさんは、しばらく考えたあと、小さな声で付け加えた。


「……父は魔法のこととなると、寝食を忘れて調べ始める人でして」


「……おお」


「リアリスさんのお話を聞いたら、きっと何時間でも質問すると思います」


 ……ああ。


 親子で、似てるんだね。


 私は笑って頷いた。


「そのときは、分かる範囲でお話ししますよ」


「……本当ですか!」


「はい」


 カインさんの目が、一気に明るくなった。


 ……うん。


 さっきまでの緊張が、だいぶ抜けたみたいだ。


「……ところで、リアリスさん」


 カインさんは、残りのお菓子を食べ終えてから尋ねた。


「一つだけ、学者としてお聞きしたいことがあります」


「何でしょう?」


「その《想像魔法》というのは、規模にも制限がないのですか?」


 ……規模?


「どのくらい大きな魔法を使えるか、ということですか?」


「はい。たとえば、建物一つを覆う結界と、町全体を覆う結界では、必要な魔力量がまったく違います」


「なるほど」


「火球一つと、数百の火球を同時に扱う場合でも同じです」


 ……うん。


 それは分かりやすい。


「普通なら、術者の魔力量や制御能力によって限界があります。リアリスさんにも、何かそのような上限は?」


「……うーん」


 私は少し考えた。


 少なくとも、今まで魔力が足りなくて発動できなかったことはない。


 魔法の規模だって、想像すればかなり自由に変えられる。


「今のところ、特に上限は感じてないですね」


「……上限を、感じていない?」


「はい」


 カインさんは、また静かに空を見上げた。


 ……あ。


 この反応、今日何度目だろう。


「……それは、どの程度まで?」


「そうですねぇ……」


 私は空を見た。


 晴れた青空。


 白い雲が、ゆっくり流れている。


 ……大きいもの。


 それなら。


「たとえば、空から星を落とすとか?」


 ……何となく、思いついたことを口にしてみた。


 カインさんが、ぴたりと動きを止めた。


 桜花も、私を見た。


「……リアリス様」


「ん?」


「星、でございますか」


「うん。隕石みたいなものかな」


 ……あれ。


 何だか、二人とも静かになったね。


「……星を、落とす?」


 カインさんが、かすれた声で繰り返した。


「はい。空から大きな隕石が落ちてくる感じです」


「……隕石……」


 カインさんは、ゆっくり手元の本を見た。


 それから私を見た。


 もう一度、空を見る。


 ……ああ。


 また、何かを整理しているのかな。


「……リアリスさん」


「はい?」


「いま、非常にさらっと恐ろしいことを仰いませんでしたか?」


「……そうですか?」


「そうです!」


 ……おお。


 今日一番の大きな声だ。


 周囲の人が少しだけこちらを見る。


 カインさんは慌てて声を下げた。


「す、すみません……。ただ、もし本当に天から巨大な岩石が落下すれば、周囲に甚大な被害が出ます」


「……それは、そうですね」


「しかも、規模が大きくなればなるほど、地上への影響は計り知れません」


 ……うん。


 ちゃんと理解してるよ。


 私だって、本当に地面へ落とすつもりはない。


「落ちる前に消せば、問題ないと思うんですけど」


 カインさんが、また固まった。


「……消す?」


「はい。空に出して、見せたら消すんです」


「……そんなことが?」


「できると思いますよ」


 カインさんは両手で顔を覆った。


 ……おっと。


 今度は、ちょっと具合が悪そうだ。


「……カインさん、大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫……では、ないかもしれません」


 ……ああ。


 この人、魔法の研究が好きなだけに、衝撃が大きいんだね。


 でも、私は少しだけ気になった。


 ……本当に、どこまでできるんだろう。


 自分の魔法なのに、考えるとわくわくする。


「……ちょっと、試してみましょうか」


「えっ」


 カインさんの声が裏返った。


 ……うん。


 今、すごく嫌な予感がしたんだろうな。


「た、試すとは、今ここでですか!?」


「いやいや、こんな人の多い場所ではやりませんよ」


 私は慌てて手を振った。


「帝都から十分離れたところへ行って、人も建物もない場所で試すつもりです」


「……それでも、危険では?」


「落下する前に消しますから」


「で、ですが、万一……」


 カインさんは、真剣な顔で言葉を探している。


 ……うん。


 心配するのも、もっともだよね。


 私は少し考えた。


「カインさん。不安なら、無理についてこなくていいですよ」


「……いえ!」


 即答だった。


「実際に見られる機会など、もう二度とないかもしれません! 研究者としては……ぜひ……!」


 ……おお。


 見たいんだ。


 怖いけど、見たい。


 何だか、複雑な顔をしている。


「では、無理のない範囲で」


 私は笑った。


「こちらで安全を確保して、危険だと判断したら、すぐに中止します」


「……本当に、すぐに……?」


「はい。約束します」


 カインさんは、何度か深呼吸した。


 それから、ぎゅっと拳を握る。


「……お願いします」


 ……うん。


 勇気を出したみたいだ。


「桜花も、それでいい?」


「はい。ただし、周辺への影響がない場所を選びましょう」


「もちろん」


 私は頷いた。


 魔法で何でもできるからこそ、そこはきちんとしないとね。


 ……よし。


 まずは、安全な場所探しだ。


「カインさん。移動は《転移》でいいですか?」


「……転移?」


「目的の場所へ、一瞬で移動する魔法です」


 カインさんは一度、空を見た。


 それから、ゆっくり私へ向き直った。


「……いまさら、何を聞いても驚かないつもりでおります」


 ……おお。


 頼もしいね。


 ……でも、たぶん。


 このあと、もっと驚くと思う。


 その場でいきなり移動すると目立つので、私たちは帝都の門から少し離れた場所へ向かうことにした。


 お菓子のお店で買った包みは、きちんと《収納》へ。


 ……ああ。


 つぶれないようにしまわないとね。


 カインさんは相変わらず本を抱えたまま、私たちの後ろを歩いている。


「……カインさん。荷物、重くないですか?」


「だ、大丈夫です。これくらいなら……」


「よかったら、預かっておきますよ」


「……えっ」


「《収納》へ入れるだけですから」


 カインさんは、一瞬迷った。


 それから、大切そうに本を差し出した。


「……お願いします。中には貴重な資料もありますので……」


「了解です」


 私は丁寧に受け取って、まとめて収納した。


 カインさんの腕が、一気に軽くなる。


「……あ」


 彼は自分の両手を見つめた。


「……本当に、何もなくなりました」


「はい。帰る前には返しますから」


「……そ、そういうことではなくて……」


 ……あれ。


 また、驚かせちゃった?


 桜花が、小さく咳払いをした。


「リアリス様。そろそろ人通りの少ない場所へ」


「あっ。そうだね」


 私たちは城壁の外へ出て、街道から少し離れた林の手前で足を止めた。


 周りに人影はない。


 私は頭の中の地図を広げる。


 帝都から遠く離れた平原。


 住居も道路もなく、人が訪れることも少なそうな場所を選ぶ。


 そのうえで、《サーチ》を使い、周辺の人や動物、魔獣がいないかを確かめた。


 ……うん。


 少なくとも、これから使う場所の近くに生き物はいない。


 でも、大きな魔法を試すんだから、それだけでは足りない。


 影響が出そうな場所からも十分離れていることを、地図でも確認する。


 ……よし。


 念には念を、だね。


「桜花。周辺に不審な動きは?」


「ございません。安全を確保できるかと」


「ありがとう」


 私はカインさんへ向き直った。


「では、行きましょうか」


「……は、はい」


 カインさんは、覚悟を決めたように頷いた。


「《転移》」


 私が言うと同時に、周囲の景色が変わった。


 さっきまで見えていた帝都の城壁が消え、目の前に広い平原が現れる。


 遠くには低い丘。


 草が風に揺れ、鳥の声すら聞こえない。


 ……うん。


 地図で見たとおりだ。


「……着いたね」


 私は周囲を見回した。


 桜花も、静かに頷く。


「はい。付近に人影はございません」


「ありがとう」


 ……さて。


 カインさんはどうかな。


 振り返ると、彼はさっきまで本を抱えていたはずの両手を、胸元へ寄せたまま固まっていた。


「……あの」


「はい?」


「……いま、私たちは……」


「帝都から、かなり離れた平原にいます」


「……えっ」


 カインさんは後ろを振り向く。


 もちろん、城壁は見えない。


 左を見る。


 草原。


 右を見る。


 草原。


 ……うん。


 どこから見ても、草原だ。


「……馬車で何日もかかりそうな距離を……」


「一瞬でしたね」


 私が笑うと、カインさんはふらりと膝を曲げた。


「……うわっ」


 私は慌てて支えた。


「大丈夫ですか!?」


「だ、大丈夫です……。頭が、少々……」


 ……ああ。


 情報量が多すぎたかな。


「少し休みましょうか」


「……お願いします……」


 私たちは近くの緩やかな丘へ移動し、草の上に腰を下ろした。


 空は、澄んだ青色。


 地平線が、ずっと遠くまで続いている。


 ……静かだなぁ。


 帝都では人の声が絶えなかったから、余計にそう感じる。


「……綺麗な場所ですね」


 カインさんが、小さく呟いた。


「うん。私もそう思います」


 私は笑った。


 ……こういう場所、好きだなぁ。


 何もないけど、何もないのがいい。


 少し休んだあと、私はもう一度周囲を確かめた。


 丘の向こうにも、人影はない。


 《サーチ》の反応も、変わっていない。


「……よし」


 私は立ち上がった。


「カインさん。始める前に、一つだけ説明しますね」


「……はい」


「これから見せるのは、空に大きな物体を出す魔法です。でも、地上へぶつけるつもりはありません」


 私は手で空を示した。


「危険な高さまで下りてくる前に、必ず消します。なので、あくまで空に現れるところだけを見てください」


「……それなら、まだ……」


 カインさんが小さく頷いた。


 ……いや。


 顔色は、まだちょっと悪い。


「無理なら、すぐに中止しますよ」


「い、いえ! ここまで来たのですから……!」


 研究者としての意地、かな。


「……それに、何が起こるのか、見届けたいんです」


 その目は真剣だった。


 ……うん。


 カインさんのそういうところ、少し好きだな。


「では、お願いします」


 桜花が、私の隣へ立った。


「リアリス様。観測中も、周囲の状況を確認しておきます」


「ありがとう、桜花」


「万一の際は、カイン様と共に離脱いたします」


「うん。お願い」


 ……よし。


 安全のための準備は整った。


 私は、改めて空を見上げた。


 青い空。


 薄い雲。


 どこまでも広い空間。


 ……そうだ。


 まずは、どんなものを呼び出すか、しっかり決めよう。


 形は、巨大な岩石の塊。


 表面はごつごつしていて、遠くからでも分かるくらい大きい。


 空高く現れ、ゆっくり落下を始める。


 ただし、地上へ危険が及ぶ前に必ず消去する。


 ……うん。


 これなら、目的は果たせる。


 私は意識を集中させた。


「大きさは……そうだね」


 私は、頭の中で距離を思い浮かべた。


 十メートル。


 百メートル。


 千メートル。


 ……いや。


 どうせなら、もっと大きく。


 それこそ、遠くから見ても分かるくらい。


「……直径十キロメートル、くらいかな」


「…………」


 隣で、何かが止まった気がした。


 振り向く。


 カインさんが、口を開けたまま動かない。


「……カインさん?」


「……いま、何と?」


「直径十キロメートルくらいの隕石を出してみようかなと」


「じゅ……じゅっ……」


 ……あ。


 言葉が出てこないみたいだ。


「……十キロメートル!?」


 叫び声が、平原に響いた。


 ……うん。


 気持ちは分かる。


「そんなものが落ちたら、国どころではありません! 大陸規模の被害が……!」


「落としませんって!」


 私は慌てて手を振った。


「見せたら消します。さっき約束しましたよね?」


「……そ、そうでした……!」


 カインさんは、胸を押さえた。


 ……大丈夫かなぁ。


 でも、正直なところ。


 私も、十キロメートルの隕石を実際に見たことなんてない。


 前の世界で、映像や図鑑で見たことはあるけど。


 あれが、本当に空に現れたら……。


 ……ちょっと、見てみたい。


「桜花は、どう思う?」


「リアリス様のお力ならば、可能かと存じます」


 ……おお。


 即答だ。


「危険が及ぶ前に消去なさるのであれば、問題はございません」


 ……うん。


 桜花は、私の魔法をよく知ってくれているからね。


 私はもう一度空を見た。


 ……さて。


 どんな景色になるのかな。


 私は、頭の中で巨大な岩石を組み上げていった。


 直径十キロメートル。


 表面には幾重もの凹凸。


 青空の高いところへ、空を覆うほどの巨体が現れる。


 落下を始めても、地上へ影響が出る前には消えてなくなる。


 ……うん。


 必要なのは、そんな魔法だ。


 名前は、分かりやすく。


「《星落とし》」


 そう口にした瞬間、頭の中に聞き慣れた女性の声が響いた。


『《想像魔法》にて《星落とし》が完成しました。』


 ……おお。


 できたみたいだ。


 私は、もう一度条件を確かめた。


 出す場所。


 大きさ。


 落下前の消去。


 ……よし。


 自分で決めた条件だ。


 きちんと守ろう。


「カインさん。準備はいいですか?」


「……は、はい!」


 声が裏返っている。


 ……大丈夫かな。


 私は桜花へ目を向けた。


「桜花。もしカインさんが倒れそうになったら、お願いね」


「かしこまりました」


「……えっ、倒れる前提なのですか!?」


 カインさんが、また青ざめた。


「いやいや、念のためですよ!」


 ……うん。


 余計に不安にさせちゃったかもしれない。


 私は、少しだけ笑った。


「それじゃあ、始めますね」


 手を空へ向ける。


 特別な詠唱は要らない。


 魔力を溜める必要もない。


 ただ、空に現れる光景を想像するだけ。


「……では」


 私は静かに呟いた。


「《星落とし》」


 ……その瞬間。


 広い青空の、一角が暗くなった。


 最初に見えたのは、小さな黒い点だった。


 ……ん?


 あれかな。


 そう思った次の瞬間。


 黒い点は、みるみる大きくなった。


 雲よりもずっと高い場所に、巨大な岩石が姿を現していく。


 ごつごつした表面。


 長い影。


 空に、山が一つ浮かんでいるみたいだ。


 ……おお。


 これは……。


「……でっか」


 思わず、声が漏れた。


 いや、十キロメートルって自分で決めたんだけど。


 実際に見ると、想像以上だ。


 雲の向こうに、岩石の輪郭が広がっていく。


 さっきまで青かった空が、その部分だけ暗く見える。


 ……すごいなぁ。


 こういう景色、前の世界でも映画でしか見たことがない。


「……リ、リアリスさん……」


 隣から、細い声が聞こえた。


「はい?」


「……あ、あれは……」


「隕石です」


「そ、それは見れば分かります!」


 ……おお。


 カインさん、まだちゃんと話せるね。


 よかった。


「……ま、本当に……直径……十キロ……」


「はい。想定どおりですね」


 カインさんが、膝から崩れ落ちた。


「……あっ!」


 私は慌てて手を伸ばす。


 でも、その前に桜花が彼の身体を支えた。


「カイン様。お気を確かに」


「……そ、空に……大陸を壊すようなものが……」


「まだ落下はさせておりません。ご安心ください」


 桜花が落ち着いた声で答える。


 ……うん。


 本当にそうなんだけど。


 やっぱり、あんなものが頭上に見えたら怖いよね。


「カインさん。気分が悪かったら、空を見ない方がいいですよ」


「……それは……そうかも、しれません……」


 ……ああ。


 今日は何度目の休憩になるんだろう。


 巨大な岩石が、ゆっくり動き始めた。


 空の高いところから、ほんの少しずつ地上へ向かっていく。


 ……おお。


 確かに、落下してる。


 でも、まだ十分に高い。


 私の想像した条件どおり、地上へ影響が及ぶ前に消せる。


「……あ、ああ……!」


 カインさんが空を見上げた。


 桜花に支えられたまま、震える指を伸ばしている。


「……落ちて……」


「はい。落ちてきてますね」


「……そ、そんな、平然と……!」


 ……うん。


 あれが普通の隕石なら、私も慌ててると思う。


 でも、これは私が作った魔法だ。


 どの瞬間に消すかも、自分で決められる。


「カインさん。あと少しだけ見ていてくださいね」


「……あ、あと……少し……?」


「はい。それで終わりです」


 私は空を見上げた。


 空いっぱいに広がる、ごつごつした岩石。


 すごい迫力だ。


 でも、これ以上近づける必要はない。


 見せたかったのは、規模の大きさ。


 落下させたいわけじゃない。


 ……そうだね。


 もう十分かな。


「よし」


 私は両手を胸の前へ持ってきた。


 カインさんが、それを見て目を見開く。


「……えっ、何を……?」


「終わりにします」


 私は笑った。


 そして。


 ――ぱんっ。


 小さく、両手を打ち鳴らした。


 拍手。


 ただ、それだけ。


 次の瞬間。


 空に浮かんでいた巨大な岩石が、跡形もなく消え去った。


 ……おお。


 ちゃんと消えたね。


 さっきまで空を覆っていた巨大な岩石は、もうどこにもない。


 雲が、いつもどおりゆっくり流れている。


 風も変わらない。


 地面が揺れることもなかった。


 ……うん。


 想像したとおりにできたみたいだ。


「……よかった。何も壊れてないね」


 私は周囲を見回した。


 草も、丘も、遠くの地平線も。


 全部、元のままだ。


「桜花。そっちは?」


「影響は見受けられません。周囲も変わらず静かでございます」


「ありがとう」


 ……よし。


 成功だ。


 私は嬉しくなって、もう一度空を見上げた。


「いやぁ。あんなに大きいものが出せるんだね」


 桜花が静かに頷く。


「さすがでございます、リアリス様」


「……ありがとう」


 ……うん。


 それにしても、本当に大きかったな。


 昔、映画で見た隕石よりも、ずっと迫力があった。


 ……まあ、映画と現実を比べるものじゃないか。


「……カインさん?」


 私は隣へ目を向けた。


 カインさんは、桜花に支えられたまま、空を見つめている。


 まばたきも忘れたような顔だ。


「……カインさん、大丈夫ですか?」


 返事がない。


 ……えっ。


 ちょっと心配になってきた。


「桜花、水をお願いしていい?」


「かしこまりました」


 桜花が携帯していた水を差し出す。


 カインさんは、それをぼんやり受け取った。


「……あ……」


「はい?」


「……消えた……」


「はい。拍手したら消えるようにしたので」


 カインさんが、ようやく私を見た。


 その顔は、何だか泣きそうだった。


「……あんなものを……一瞬で……」


 ……うん。


 見てもらったとおりだね。


 私は小さく頷いた。


「とりあえず、実験は成功です」


 ……あっ。


 カインさんが、また空を見上げてしまった。


「……リアリスさん」


 しばらくして、カインさんが口を開いた。


 さっきまでの勢いは、すっかり消えている。


「……私たち魔法学者は、何百年にもわたって、魔法の限界を調べてきました」


「……そうなんですか」


「より多くの魔力を、より少ない損失で扱う方法。術式を安定させる方法。危険な現象を抑える方法……」


 彼は、ゆっくり自分の手を見つめた。


「……その積み重ねが、魔法を進歩させてきたのだと思っていました」


 ……うん。


 たぶん、間違ってないと思う。


「……けれど、今の魔法は……」


 カインさんが、苦笑する。


「……私たちの研究が、まるで小さなものに思えて……」


 ……ああ。


 そっか。


 そう感じさせちゃったんだね。


 私は、少し考えてから口を開いた。


「カインさん」


「……はい」


「それは、違うと思いますよ」


 カインさんが、ゆっくり顔を上げた。


「私の魔法がどれだけ大きくても、それをほかの人が使えるわけじゃありません」


「……ええ」


「でも、カインさんたちが研究している魔法なら、いつかもっとたくさんの人が使えるようになるかもしれないでしょう?」


 私は笑った。


「料理を温めたり、重い荷物を運んだり、怪我をした人を助けたり。そういう魔法が便利になったら、きっと嬉しい人は多いと思います」


「…………」


 カインさんは、じっと私を見ていた。


「……だから」


 私は続けた。


「私みたいに変なことができる人がいても、カインさんの研究の価値がなくなるわけじゃないと思います」


 ……うん。


 本当にそう思う。


 私の魔法は、かなり特別なものだ。


 だからこそ、普通の人が使うために積み重ねてきた知識は、大切なんじゃないかな。


 カインさんは、少しだけ俯いた。


「……ありがとうございます」


 その声は、さっきより落ち着いていた。


「……ただ」


 カインさんが、ぽつりと付け加えた。


「……あの大きさは、さすがに……」


「……あはは」


 私は苦笑した。


「ちょっとやりすぎでしたかね?」


「ちょっと、ではありません!」


 カインさんが、思わず声を上げる。


 ……おお。


 元気が戻ってきた。


「十キロメートルですよ!? 直径十キロメートル! 魔法学会で発表したら、誰一人信じません!」


「……それは、そうかもしれませんね」


「しかも、落下する前に拍手で消したんです! 理論も魔力量も、何もかも……!」


 そこまで言って、カインさんは大きく息を吐いた。


「……すみません。また取り乱しました」


「いえ、大丈夫ですよ」


 私は笑った。


「研究者としては、驚きますよね」


「驚くどころでは……」


 彼は言いかけて、また空を見上げた。


 ……うん。


 しばらく、この話題を思い出すだけで大変そうだ。


「……リアリス様」


 桜花が、小声で話しかけてきた。


「はい?」


「カイン様のご負担も大きいようです。そろそろ戻られてはいかがでしょう」


「……そうだね」


 私は頷いた。


 魔法はちゃんと成功した。


 危険もなく終わった。


 それなら、これ以上続ける必要はない。


「カインさん。帝都へ戻りましょうか」


「……はい。お願いします」


 彼は、ゆっくり立ち上がった。


 私はもう一度、周囲を確認する。


 草原は静かで、何も変わっていない。


 ……よし。


 これで、片づけまで完璧だ。


「それじゃあ、戻りますね」


 私はカインさんと桜花へ声をかけた。


「《転移》」


 景色が、ふっと変わった。


 私たちが戻ってきたのは、帝都の城壁から少し離れた、先ほどの街道脇だった。


 遠くに見える城門は、出かける前と変わらない。


 行商人の馬車が、ゆっくり道を進んでいる。


 ……ああ。


 戻ってきたなぁ。


「カインさん、大丈夫ですか?」


 尋ねると、彼は自分の足元を見た。


 それから、遠くの城壁を見上げる。


「……はい」


「よかった」


「……ですが、今日一日で私の常識が何度も書き換えられた気がします」


 ……おお。


 それは、大変だ。


「魔法学会へ提出する研究の整理が、まだ終わっていないのですが……」


 カインさんが、困ったように笑った。


「今夜、眠れる自信がありません」


「……そこまでですか?」


「はい。目を閉じると、あの隕石が浮かびそうで……」


 ……ああ。


 確かに、あれは迫力があったね。


「……カインさん」


「はい?」


「今度から、大きい魔法を見せる前には、もっと詳しく説明しますね」


「……ぜひ、そうしてください」


 ……うん。


 反省しよう。


 私は、少しだけ頭を下げた。


「怖い思いをさせて、すみませんでした」


 カインさんは慌てて手を振った。


「い、いえ! こちらこそ、無理を言ってお願いしたのですから!」


「でも、心配になったでしょう?」


「……それは、確かに……」


 カインさんは頷いた。


 それから、小さく笑う。


「……ただ、怖かっただけではありません」


「……ん?」


「本当に、すごいものを見せていただきました」


 彼の声は、まだ少し震えていた。


 でも、今度ははっきりと私の顔を見ている。


「魔法には、私の知らない可能性があるのだと……そう思えました」


 ……ああ。


 それなら、よかった。


 私は自然と微笑んだ。


「あっ、そうだ!」


 私は思い出して、《収納》からカインさんの本と書類を取り出した。


「お預かりしていたものです」


「……ああ! ありがとうございます!」


 カインさんは、慌てて両腕を広げた。


 私が本を一冊ずつ渡すと、彼は表紙を確かめながら大切そうに抱えた。


 ……うん。


 研究者にとって、本って宝物みたいなものなんだろうね。


「全部ありますか?」


「……はい。間違いありません」


「よかった」


 ……さて。


 カインさんとも、そろそろお別れかな。


 と思ったところで。


「リアリスさん。最後に、ひとつだけ……」


 ……おっと。


 まだ何かあるらしい。


「何でしょう?」


「……今の《星落とし》について、少しだけ書き残してもよろしいでしょうか」


 ……ああ。


 研究者だもんね。


「個人的な研究記録としてなら、構いませんよ」


「……本当ですか!」


「はい。ただ、危険な魔法ですから、大勢の人へ無闇に広めるのは避けてほしいです」


 カインさんが真剣な顔で頷いた。


「承知しました。誰にでもできるような魔法ではないことも、よく分かりましたので……」


 ……そうだね。


 さっきのを真似されても、普通は危ないだけだ。


「それから」


 私は少し考えて続けた。


「魔法の規模だけじゃなくて、最後にちゃんと消したことも書いておいてくださいね」


「……もちろんです」


 カインさんは、ふっと笑った。


「それを忘れたら、ただの恐ろしい話になってしまいますから」


 ……ああ。


 それは、確かに。


 私は思わず笑ってしまった。


「研究記録、楽しみにしてます」


「……が、頑張ります!」


 ……うん。


 この人、ちょっと話すとすぐ研究者の顔に戻るんだね。


 何だか、可愛いところがある人だ。


「それにしても……」


 カインさんが、ふと首を傾げた。


「リアリスさんは、普段は何をなさっているのですか?」


「私ですか?」


「はい。あれだけの魔法を使われる方が、どのように研究されているのか、少し気になりまして」


 ……ああ。


 研究、ね。


「私は……家でのんびりしていることが多いです」


「……えっ」


「娘と遊んだり、庭の花を見たり、おいしいものを食べたり」


「…………」


 カインさんが、また固まった。


 ……あれ。


 今日はもう驚かせることはないと思ったのに。


「……魔法の研究は?」


「思いついたときに、試してみるくらいですね」


「……そう、ですか……」


 カインさんは、静かに目を閉じた。


 ……ああ。


 また、何か考え込んでいる。


「リアリス様」


 桜花が、私の袖をそっと引いた。


「はい?」


「カイン様には、少し刺激が強すぎたのかもしれません」


「……そうかなぁ」


「はい」


 ……うん。


 私だって、あんなものを見せられたら驚くと思うし。


 ちょっと、普通の感覚を忘れかけていたかもしれない。


「カインさん」


 私は、彼の肩を軽く叩いた。


「大丈夫ですよ。私は、世界を壊したくて魔法を使っているわけじゃありませんから」


「……はい」


「むしろ、今は娘へのお土産を無事に持って帰る方が大事です」


 カインさんが、少しだけ目を丸くする。


「……お土産?」


「ええ。さっき買った焼き菓子です」


「……ああ」


 彼は小さく息を吐いた。


「……リアリスさんは、本当に不思議な方ですね」


「……よく言われます」


 ……うん。


 我ながら、否定しづらいなぁ。

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