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第2話:その決闘、桜花が受けます

「実はな――」


 ヴァリロッサ皇帝は、そこでわざとらしく言葉を切った。


 大きな椅子の前に立ったまま、私を見て笑っている。


 ……うん。


 何だろう、この目。


 王様というより、面白い玩具を見つけた子供みたいなんだけど。


「リアリス! 俺と決闘しろ!」


「……はい?」


 思わず聞き返した。


 皇帝はにやりと笑い、私の方へずいっと身を乗り出した。


「お前ほどの強者を目の前にして、剣を交えずに帰すなどできるか! 訓練場は空いている! 今すぐ勝負だ!」


 ……ああ。


 嫌な予感、的中。


 しかも、お誘いじゃなくて命令になってません?


「ええと……私、今日は書状を届けに来たんですけど」


「その話は終わった!」


「……終わりましたね」


「ならば次は決闘だ!」


「……次って、そういう予定でしたっけ?」


「今決めた!」


 ……強引すぎる!


 私は思わずガラントさんを見た。


 ガラントさんは、すでに眉間を押さえていた。


「陛下! 先ほどリアリス殿の完全な自由を保証したばかりでしょう!」


「分かっている! 無理やり戦わせるつもりはない!」


「では、まずご本人の意思を確認なさってください!」


「おお、そうだったな!」


 ……あ。


 ようやく聞いてくれるんだ。


 皇帝が、改めて私を見た。


「リアリス! 俺と一勝負、付き合ってくれるな!」


「……それ、質問の形をした決定事項ですよね?」


「はっはっは! そんなことはない! 断る自由はあるぞ!」


「……じゃあ、お断りを――」


「待て! せめて俺の話を最後まで聞け!」


 ……いや、まだ続くんだ!?


 ガラントさんが大きく息を吐いた。


「陛下。そこまで迫れば、相手は断りにくいでしょう」


「……む。そうか?」


「そうです」


「ならば、条件をつけよう!」


 皇帝が、ぱっと顔を明るくした。


「一度戦ってくれるなら、帝都で一番うまい菓子の店を教えてやる!」


 ……えっ。


 そこで、お菓子?


「陛下! 今度は菓子で釣らないでください!」


「はっはっは! 何が悪い! うまいぞ、あの店の菓子は!」


 ……ああ。


 この人、剣もお菓子も本当に好きなんだね。


 私は思わず苦笑した。


 そういえば、楓へのお土産においしいものを探すつもりだった。


 ……少し気になる。


 いやいや。


 お菓子につられて決闘を引き受ける父親って、どうなんだろう。


「……皇帝陛下」


 私は少し考えてから口を開いた。


「申し訳ありませんが、私がお相手するのは、あまりお勧めできません」


「ほう?」


「力の加減を間違えたら、大変なことになりますから」


 決して、皇帝を弱いと言いたいわけじゃない。


 むしろ、私から見ても隙の少ない人だと思う。


 だけど、私自身の力は、ちょっと常識から外れているらしい。


 自分で言うのも何だけど。


 ……もし勢い余って城の壁でも壊したら、その後の修理が面倒だ。


「はっはっは! 気遣いは無用だ!」


「……いえ、私が気にしているのは、陛下だけじゃなくて周りの建物もなんですけど」


「建物?」


 皇帝が首を傾げた。


 ……ああ。


 説明しづらいな、これ。


 そのとき、横から静かな声が聞こえた。


「皇帝陛下」


 桜花だ。


「もしよろしければ、そのお相手は私が務めさせていただきます」


 ……ん?


 私は思わず振り向いた。


「……桜花?」


「はい、リアリス様」


 桜花は私へ小さく会釈した。


 その表情は、いつもと変わらない。


「その決闘、私が受けます」


 ……おお。


 ずいぶん、はっきり言ったね。


 皇帝が目を細めた。


「お前が?」


「はい」


「俺と剣を交えたい、と?」


「陛下がリアリス様の実力にご興味をお持ちなら、まずは相棒である私をご覧いただくのも一案かと」


 ……なるほど。


 確かに、桜花の剣の腕は申し分ない。


 私の方が上とはいえ、あの子も普通の剣士が相手になるような強さじゃない。


 ……いや。


 代役を頼んでも、皇帝には厳しい勝負になるかもしれないけど。


「リアリス様。いかがでしょうか」


 桜花が私を見る。


 ……うん。


 そう尋ねられると、ちゃんと考えないといけない。


「危険なことはしない?」


「もちろんでございます」


「相手に怪我をさせるようなことも?」


「必要のない傷は負わせません」


 ……『必要のない』か。


 ちょっとだけ引っかかる言い方だけど。


 桜花なら、私との約束は守ってくれるだろう。


「……じゃあ、お願いします。あくまで模擬戦としてね」


「承知いたしました」


 桜花が、珍しくにやりと笑った。


 ……あ。


 やっぱり、楽しみなんだ。


「はっはっは! 面白い!」


 皇帝が豪快に笑った。


「俺を相手に、本人の代わりに立つとはな。気に入ったぞ、桜花!」


「恐れ入ります」


 桜花は静かに頭を下げた。


 ……うん。


 どちらも、ずいぶん乗り気だ。


 むしろ私だけが心配している気がしてきた。


 ガラントさんが一歩前へ出る。


「陛下。模擬戦をなさるのでしたら、条件を明確にしてください」


「無論だ。命の取り合いではない」


「真剣での勝負もお控えください」


「……む」


 皇帝が、わずかに不満そうな顔をした。


 ……いやいや。


 そこは即答してほしいんですけど。


「陛下」


 ガラントさんが、もう一度呼ぶ。


「分かった。訓練用の剣を使う!」


「観戦者と訓練場の安全確保も必要です」


「それも任せる!」


 ……全部ガラントさん任せなんだ。


 私は思わず、同情の目で宰相を見た。


 すると目が合ってしまった。


「リアリス殿」


「はい?」


「できれば、桜花殿の力量を少し伺っておきたいのですが」


「……うーん」


 ……どう答えたものかな。


 桜花はかなり強い。


 それは間違いない。


 ただ、何人倒せるとか、どこまでの魔獣に勝てるとか、そういう説明は難しい。


「私が知っている限り、剣の腕は相当ですよ」


「……相当、ですか」


「はい。私とちゃんと戦えるくらいには強いです」


 ガラントさんが、すっと目を細めた。


「……リアリス殿と、ですか?」


「ええ。私も剣は得意ですから、桜花の腕は保証しますよ」


「……なるほど」


 ……あれ。


 今の説明で、何だかかえって警戒された?


 皇帝はというと、満足そうに笑っている。


「ならば、なおさら楽しみだ!」


 ……うん。


 もう、止めるのは無理そうだね。


 私は小さくため息をついた。


「ところで、皇帝陛下」


「何だ?」


「お菓子のお店、私が戦わなくても教えてもらえます?」


 一瞬、謁見室が静かになった。


 そして皇帝が吹き出した。


「はっはっは! 無論だ! それとこれとは別だからな!」


 ……よかった。


 今日のお土産は、ちゃんと確保できそうだ。


     ◇


 帝城の訓練場は、想像していたよりずっと広かった。


 城の奥にある中庭を抜けた先。


 高い石壁に囲まれた敷地には、踏み固められた土が広がり、隅には木剣や盾がきれいに並んでいる。


 中央は何も置かれておらず、多少激しく動いても十分な広さがあった。


 ……おお。


 ちゃんとした訓練場だ。


「ここを使うのは久しぶりだな!」


 ヴァリロッサ皇帝が、上機嫌で肩を回した。


 謁見のときに着ていた飾りの多い服は脱ぎ、今は動きやすい訓練着に着替えている。


 その腕が、すごい。


 ……いや、本当に。


 私が前の世界で知っていた筋肉という概念を、少し考え直したくなるくらいだ。


 とはいえ、無駄に大きいわけじゃない。


 歩き方にも、足の置き方にも、迷いがない。


 ……なるほど。


 この人がS級の剣士だという話、たぶん間違いないんだろうね。


 桜花は、いつもの服装のまま。


 銀色のおかっぱ頭が風に揺れる。


 腰の刀に手を添えて、静かに訓練場を見渡していた。


「桜花、動きやすい?」


「問題ございません、リアリス様」


「……そっか」


 まあ、そうだよね。


 普段から、あれで魔獣と戦えるんだから。


 ガラントさんが、訓練場の端にいた兵士たちへ指示を出している。


「観戦者は壁際へ。中央には誰も近づかせるな。万一の場合に備え、治療担当も待機させろ」


「はっ!」


 兵士たちが一斉に動いた。


 ……おお。


 この人が指示すると、空気が変わるね。


 普段から、こういう場を取り仕切っているんだろう。


 しばらくして、訓練場の周囲には数人の近衛兵と文官が集まってきた。


 どうやら、皇帝自ら手合わせするという話が、もう広まっているらしい。


 ……いや。


 広まるの、早くない?


 この国の人たち、どれだけ戦いが好きなんだろう。


「リアリス様」


 桜花が、私へ向き直った。


「少し、お伺いしてもよろしいでしょうか」


「ん?」


「陛下への加減は、どの程度がよろしいでしょう」


 ……ああ。


 そこ、大事だね。


 私は皇帝の方をちらりと見た。


 すでに木剣を何度か振り、調子を確かめているところだった。


「最初は、相手の様子を見て合わせてあげて。危険な攻撃だけは避けてね」


「承知いたしました」


「それから、勝つとしても、大きな怪我をさせないこと」


「かしこまりました」


 ……よし。


 これで大丈夫。


 たぶん。


「桜花殿」


 ガラントさんがやってきた。


「訓練用の剣はこちらにございます。扱いやすいものをお選びください」


 差し出されたのは、刃を潰した訓練用の片手剣だった。


 長さの違うものが、何本か並べられている。


 桜花は一本を手に取り、軽く重さを確かめた。


「……よく整備されておりますね」


「それはどうも」


「ただ、恐れ入りますが、慣れた刀を使用してもよろしいでしょうか」


 ガラントさんの視線が、桜花の腰へ向いた。


「……真剣でしょうか」


「はい。ですが、刃で傷つけることはいたしません」


 ……うん。


 私には分かる。


 桜花なら、ちゃんとやってくれる。


 でも、初対面の人には、やっぱり心配だよね。


「桜花。今回は、こっちを使おう?」


 私が訓練用の剣を一本手に取ると、桜花は少しだけ考えるように目を伏せた。


「……かしこまりました」


 腰の刀から手を離し、訓練用の剣を受け取る。


 ……おお。


 素直だ。


「リアリス様のご指示であれば」


 桜花が、わずかに微笑んだ。


 ……うん。


 可愛い。


 ただ、その剣を持っただけで妙に似合っているのが、ちょっと怖い。


 ガラントさんは少し安心したようだった。


「ありがとうございます。互いに訓練用の武器を使う形にしましょう」


「承知いたしました」


 皇帝の方を見ると、あちらも同じような訓練用の剣を手にしている。


 ……よかった。


 ちゃんとルールは守る人らしい。


 ……戦いが始まるまでは、だけど。


「リアリス殿」


 ガラントさんが私の隣へ立った。


「こちらの観戦場所へどうぞ」


「ありがとうございます」


「……一つ、お願いがございます」


「何でしょう」


「もし桜花殿の力が、私どもの予想を大きく超えているようでしたら……」


 そこでガラントさんは言い淀んだ。


 ……うん。


 もう、予想してるんだ。


「止めた方がいいときは、私が声をかけますよ」


「……助かります」


 ガラントさんが、心底安心したように息を吐いた。


 ……いやぁ。


 頼られてしまった。


 でも、考えてみれば当たり前か。


 桜花を一番よく知っているのは、私なんだから。


 ……それにしても。


 さっき《完全拘束》したばかりなのに、もう私へ頼んでくれるなんて。


 案外、器の大きい人だね。


 訓練場の中央で、皇帝と桜花が向かい合った。


 片方は、がっしりした体格の皇帝。


 もう片方は、銀髪の小柄な女性。


 体格差だけを見れば、大人と子供ほどではないにしても、かなり違う。


 ……でもね。


 私は桜花のことを知っている。


 この子の強さは、見た目じゃ分からない。


「桜花!」


 皇帝が、訓練用の剣を肩へ担ぐようにして笑った。


「準備はいいか?」


「いつでも」


「……余裕だな!」


「リアリス様のご指示を守るだけでございます」


 ……うん。


 桜花にとっては、そうだよね。


 でも、皇帝はますます嬉しそうだ。


「いいぞ。強い者はそうでなくてはな!」


 ……あれ。


 今の返事だけで、強いって分かるものなのかな。


 ガラントさんが、両者の間へ入った。


「本日の試合は、あくまで模擬戦です。勝敗は降参、武器の喪失、または私の停止宣言で決定いたします」


 ……おお。


 ちゃんと決めてある。


「急所への打撃は認めません。訓練用の武器を使い、互いに傷つけないこと。陛下、よろしいですね?」


「無論だ!」


「桜花殿」


「承知いたしました」


「……では、双方構えてください」


 皇帝が剣を正面へ向けた。


 ……おっ。


 空気が変わった。


 さっきまで、ずっと笑っていた人とは思えない。


 肩の力が抜け、重心がわずかに落ちる。


 動かない。


 でも、どこへでも動けそうな姿勢だ。


 ……うん。


 やっぱり、強いんだね。


 一方の桜花は。


 ……あれ。


 構えた、のかな?


 剣を自然に下げ、少しだけ身体を斜めにしている。


 見た目には、ただ立っているようにも見えた。


 でも、足元はきちんと整っている。


 ……ああ。


 この子は、この子のやり方で準備ができてるんだ。


 ガラントさんが一歩下がった。


「――始め!」


 静かな声と同時に、場の空気が張り詰めた。


 最初に動いたのは、皇帝だった。


 ……速い。


 地面を強く蹴ったかと思えば、もう桜花の間合いに入っている。


 剣が横へ振り抜かれた。


 風を切る音が、私の立つ場所まで届く。


 でも。


 桜花は、ほんの半歩だけ後ろへ下がった。


 刃先が空を切る。


 皇帝は間髪入れず、次の一撃を上から振り下ろした。


 桜花が剣を上げる。


 かん、と乾いた音。


 訓練用の剣同士が触れた。


 ……おお。


 軽い音なのに、動きが速い。


 皇帝が踏み込み、桜花が受け流す。


 そのまま距離を詰めようとする皇帝に対して、桜花は必要な分だけ位置を変える。


 右。


 左。


 ほんの一歩。


 ……何だろう。


 鬼ごっこで、絶対に捕まらない子みたいだ。


「……ほう!」


 皇帝の口元が、わずかに上がる。


 そのまま斜め下から切り上げた。


 桜花は剣の腹で軌道を逸らし、一歩横へ抜ける。


 ……あ。


 今、皇帝の右側が空いた。


 私にもそう見えた。


 桜花は、そこへ踏み込まなかった。


 代わりに、もう一度距離を取る。


 ……なるほど。


 手加減してるんだ。


 言われたとおり、相手の様子を見ている。


 けれど。


 次の瞬間、皇帝が踏み込みを止めた。


「……ふむ」


 剣を構えたまま、桜花をじっと見ている。


「どうなさいましたか」


 桜花が尋ねた。


「……いや。面白い」


 皇帝は、嬉しそうに笑った。


「今の隙、見えていたのだろう?」


「はい」


「なぜ打たなかった?」


「まだ、始まったばかりですので」


 ……あ。


 正直に答えた。


 皇帝の笑みが、少し深くなった。


「はっはっは! そうか!」


 そして、再び剣を構えた。


「ならば、もう少し楽しませてもらおう!」


 皇帝の攻撃は、そこからさらに鋭くなった。


 大きく踏み込んで斬る。


 桜花がかわす。


 かわした先へ、追いかけるように次の一撃。


 ……おお。


 ただ力任せに振っているわけじゃない。


 相手の逃げる場所を狭めながら、少しずつ追い込んでいる。


 なるほどなぁ。


 剣の上手い人って、こういうところが違うんだ。


「……ガラントさん」


 私は隣へ小声で話しかけた。


「皇帝陛下って、いつもあんなに速いんですか?」


「陛下は、帝国随一の剣士です」


 ガラントさんの視線は、試合から離れない。


「S級の実力を持ち、若い頃から実戦を重ねてこられました。相手の攻撃を読むことにも長けています」


「……なるほど」


「……もっとも、戦うことがお好きすぎるのが難点ですが」


 ……ああ。


 そこは、何となく分かります。


 私は思わず頷いた。


 目の前では、皇帝が連続で三度剣を振った。


 一撃目を、桜花が避ける。


 二撃目は、わずかに剣を触れさせて軌道を変える。


 三撃目。


 ……あ。


 桜花が、皇帝の懐へ入れる位置にいる。


 でも、攻めない。


 また、少し離れた。


 皇帝の眉が、ぴくりと動いた。


 ……おっと。


 さっきから、同じことが続いてるね。


「……あの、ガラントさん」


「はい?」


「ちょっと、怒られそうな気がするんですけど」


「……奇遇ですね。私も同じことを考えておりました」


 ……うん。


 やっぱりそうだよね。


 皇帝は、剣をゆっくり下げた。


 桜花も動きを止める。


 ……ああ。


 来るな、これは。


 私がそう思ったとき、皇帝が口を開いた。


「桜花」


「はい」


「お前……俺に合わせているな?」


 ……あ。


 見抜かれた。


「……はい」


 桜花は隠すことなく頷いた。


 訓練場の端から、小さなどよめきが起きる。


 ……まあ、そうなるよね。


 皇帝は剣を持ったまま、桜花を見つめていた。


「俺が踏み込む先を、最初から読んでいる。避けようと思えば避けられるのに、わざわざ剣で受けているな」


「仰るとおりでございます」


「先ほどから、打てる場面がいくつもあった」


「はい」


「……なぜ打たん?」


「リアリス様より、相手のお力を確かめながら、安全に戦うよう申しつかっておりますので」


 ……ああ。


 そのまま説明しちゃったか。


 皇帝の視線が、こちらへ向いた。


「リアリス!」


「……はい?」


「お前が指示したのか!」


「そうですね。怪我をさせないように、とはお願いしました」


「なるほど!」


 皇帝が一度だけ頷く。


 それから、にやりと笑った。


「ならば、頼みがある」


 ……何でしょう。


 嫌な予感しかしないんだけど。


「俺を、もう少し本気で相手にさせてくれ」


 ……おっと。


 そう来たか。


「桜花は今、手加減しているだけではない。俺の動きをきっちり見た上で、勝てる機会を捨てている」


 皇帝の声が、訓練場によく通る。


「腕を見せてもらいたいと頼んだのは俺だ。それで気を遣わせていては、何の意味もない!」


 ……うん。


 言いたいことは分かる。


 剣士としての誇りがあるんだろう。


 でもね。


 そのお願いを受けたら、試合がすぐ終わっちゃう気がするんだ。


「……陛下。今でも相当な速さですよ?」


「それは承知している! それでもだ!」


 ……うーん。


 困ったなぁ。


 ガラントさんが、私と皇帝の間へ入るように立った。


「陛下。無理に実力を引き出そうとするのはおやめください」


「無理は言わん。リアリスが嫌だと言うなら、ここまでだ」


 皇帝は、はっきりそう答えた。


 ……あ。


 そこはちゃんと守るんだ。


 私は少しだけ、驚いた。


 私は桜花の方を見た。


 桜花もこちらを見ている。


 何も言わずに、私の返事を待っていた。


 ……うん。


 この子が、誰かを傷つけたいから戦っているわけじゃないことは分かっている。


 皇帝だって、本気で命を奪い合いたいと言っているわけじゃない。


 ただ、剣士として相手の力を知りたいんだ。


「桜花」


「はい、リアリス様」


「……どう思う?」


 桜花は少し考えてから、静かに答えた。


「ご希望でしたら、可能な限り真剣にお相手いたします」


「……そうだね」


 私は息を吐いた。


「じゃあ、これからはちゃんと勝ちにいっていいよ。でも、怪我をさせないことは絶対に守ってね」


「承知いたしました」


「それと、訓練場も壊さないこと」


「はい」


 ……うん。


 ここ、大事。


 城を壊したら外交どころじゃなくなっちゃうからね。


「皇帝陛下」


 私は声を張った。


「桜花に、勝ちにいってもらいます。それでもよろしいですか?」


「望むところだ!」


 即答だった。


 ……まあ、そうだろうね。


「ただし、怪我はさせないという約束です。私からも桜花へ強く言ってあります」


「承知した。俺も同じつもりだ!」


 ……よし。


 ガラントさんも、小さく頷いた。


「では、念のため一度仕切り直しましょう」


 宰相が中央へ歩み出る。


 皇帝と桜花は、互いに距離を取った。


「武器はそのまま。勝敗条件も変更しません」


「分かった」


「承知いたしました」


 ……うん。


 これで、準備は整った。


 私は桜花へ向けて、少しだけ手を上げた。


 桜花が、小さく頷く。


 いつもどおりの顔だった。


 ……でもね。


 さっきとは、立ち方が少し違う。


 体重のかけ方が、ほんのわずかに変わっている。


 ……ああ。


 これは、ちょっと早く終わるかもしれないな。


 ガラントさんが、片手を上げた。


「――再開!」


 その瞬間。


 ……何が起きたのか、よく分からなかった。


 さっきまで桜花が立っていた場所には、もう誰もいない。


 銀色の髪が、視界の端でわずかに揺れた。


 次に聞こえたのは、かん、と乾いた音。


 そして。


「……っ!?」


 皇帝が目を見開いていた。


 その手から、訓練用の剣が離れている。


 剣は宙を回り、少し離れた土の上へ落ちた。


 からん。


 ……えっ。


 私は思わず瞬きをした。


 桜花は、すでに皇帝のすぐ横に立っている。


 訓練用の剣の先端を、皇帝の肩口から少し離れた位置で止めていた。


 ……うん。


 ちゃんと当てずに止めたね。


 皇帝の身体にも、傷はない。


 壁も無事。


 地面も、大して傷んでいない。


 ……おお。


 完璧じゃない?


「……そこまで!」


 ガラントさんの声が響いた。


 少し遅れて、周囲の兵士たちがどよめいた。


「……え?」


「い、今の……」


「……見えたか?」


 ……うん。


 そうだよね。


 私だって、ほとんど見えなかった。


 でも、桜花がやったことは分かる。


 踏み込みと同時に、皇帝の剣を弾いて。


 反撃を受けない位置へ身体を運び、そのまま武器を向けた。


 ……たぶん、それだけ。


 それだけなんだけど。


 あまりにも速かった。


 皇帝は、まだ動かない。


 目の前に何もない空間を、じっと見つめている。


 桜花はゆっくり剣を下ろし、一歩引いた。


「勝負あり、でございますね」


 ……うん。


 そうだね。


 ほんの一瞬で終わっちゃった。


 私は遠くの訓練用の剣を見た。


 土の上に転がっている。


 ……ああ。


 皇帝陛下、さっきまであんなに楽しそうだったのに。


 ……大丈夫かな。


 しばらくして、皇帝がゆっくり息を吐いた。


「……なるほどな」


 その声は、さっきまでの豪快さとは少し違っていた。


 落ち着いている。


 でも、どこか嬉しそうだ。


「……見えなかった」


 皇帝が、ぽつりと言った。


 ……えっ。


 S級の剣士が?


「踏み込む気配は感じた。だが、次の瞬間には剣が手から離れていた」


 皇帝は自分の手を見つめた。


 指を一度、ゆっくり握り直す。


「力でねじ伏せられたのではない。こちらが対応する前に、終わっていた」


 ……おお。


 ちゃんと、何が起きたか分析してるんだ。


 ガラントさんが、慎重に声をかけた。


「陛下。お怪我は」


「ない」


「……本当に?」


「ないと言っている。見ろ」


 皇帝は肩を回し、腕を振ってみせた。


 ……うん。


 確かに大丈夫そうだ。


 訓練用の剣も、ただ落ちただけ。


 桜花が約束を守ってくれたことに、私はほっとした。


「……桜花」


 皇帝が、彼女へ向き直った。


「はい」


「今の動き、どうやった?」


「陛下の剣筋を見て、先に間合いを詰めました」


「……それだけか?」


「はい。それだけでございます」


 ……あ。


 桜花、それは説明になってないと思うよ。


 案の定、皇帝が少しだけ目を細めた。


「……はっはっは」


 ……お。


 笑った。


「はっはっはっは! 面白い! 本当に面白いぞ!」


 また、大きな笑い声が響いた。


 ……よかった。


 怒られるかと思ったけど。


 どうやら、気に入ってもらえたらしい。


「見事だ、桜花!」


「ありがとうございます」


「俺がこれまで交えた剣の中でも、とびきりの速さだった!」


 ……ああ。


 嬉しそうだなぁ。


 負けたことより、強い相手に出会えたことの方が大きいんだろうね。


 私は少しだけ、皇帝のことが分かった気がした。


 ガラントさんが、落ちた剣を拾って戻ってきた。


「……陛下」


「何だ、ガラント」


「これで、お気が済みましたか」


「うむ! 十分だ!」


 ……おお。


 素直だ。


「でしたら、これ以上の試合はお控えください。観戦していた兵たちも、まだ状況を理解できておりません」


 私は周囲を見回した。


 確かに、近衛兵たちはまだ小声で何か話している。


 中には、桜花へ驚いた目を向けている人もいた。


 ……うん。


 突然現れた銀髪の女性が、皇帝を一瞬で負かした。


 これは、かなりの衝撃だろうね。


「……なあ、リアリス」


 皇帝が私を呼んだ。


「はい?」


「お前の相棒は、普段からあれほどの剣を振るうのか」


「そうですね。桜花はいつも練習していますから」


 ……あれ。


 私の返事、ちょっと変だったかな。


 皇帝が目を丸くしている。


「……練習?」


「はい。本人も、もっと強くなりたいみたいですし」


「……これほどで、まだ上を目指すのか」


 皇帝が桜花を見る。


 桜花は静かに頷いた。


「まだまだ至らぬところがございます」


 ……うん。


 これは、謙遜じゃないんだよね。


 桜花は、本当にそう思っている。


 私が以前教えた技のことも、ずっと研究しているし。


 まだ使いこなせていないものだってある。


 ……努力家なんだ、この子。


「……素晴らしい!」


 皇帝が、また満面の笑みになった。


「強さを得ても慢心しない! いい剣士だ!」


 ……おお。


 今度は、剣だけじゃなく中身まで褒められた。


 桜花のことを褒めてもらえると、私まで嬉しい。


 私は思わず、隣の桜花を見た。


 銀髪の相棒は、いつもよりほんの少しだけ口元を緩めていた。


 ……ああ。


 本人も、嬉しいみたいだね。


「しかし、リアリス」


 皇帝が、今度は私へ向き直った。


「お前も、相当な腕なのだろうな?」


 ……あ。


 嫌な予感、第二弾。


「いやぁ。私は桜花ほど剣が上手いわけじゃありませんよ」


「そういうことを聞いているのではない!」


 ……そうですか。


「お前が今朝、ガラントを動けなくした魔法。あれだけでも、十分に恐ろしい」


「……まあ、便利ではありますね」


「その上で、これほどの剣士を相棒にしている。お前がどれほどの力を持つのか、ますます気になるではないか!」


 ……ああ。


 やっぱり、そうなるんだ。


 私は頭をかいた。


「でも、さっきの試合を見ても分かるとおり、私が出る必要はないと思いますよ?」


「……む」


「それに、皇帝陛下が怪我をしたら困るでしょう。ガラントさんにも申し訳ないですし」


 ガラントさんが、すぐさま頷いた。


「おっしゃるとおりです」


 ……おお。


 即答だった。


 皇帝が、宰相へ目を向ける。


「ガラント。お前はどう思う?」


「私は、今日は十分に実力を拝見できたと考えております」


「……つまり、やめろと?」


「はい」


 ……言い切った!


 私は思わず笑いそうになった。


 ヴァリロッサ皇帝は、少しだけ不満そうな顔をした。


 でも、しばらく考えたあと、大きく頷いた。


「分かった。今日のところは、ここまでにしよう!」


 ……おお。


 ちゃんと引き下がった。


 ……ガラントさん。


 この人の言うことだけは、素直に聞くんだね。


 皇帝が笑う。


「ただし、次に来たときは、もう一度頼むかもしれんぞ!」


「……できれば、そのときも桜花にお願いしたいです」


「はっはっは! 考えておこう!」


 ……うん。


 どうやら、完全には諦めてないらしい。


 私は内心で苦笑した。


 今後、この国に来るたびに決闘を申し込まれたりしないよね。


 ……いや、ありそうだなぁ。


 訓練場の片隅で、兵士の一人が桜花へ話しかけていた。


「……あの、桜花殿」


「はい」


「差し支えなければ、先ほどの足運びを教えていただけませんか」


 ……おお。


 弟子入りの申し込み?


 いや、そこまで大げさじゃないか。


「一瞬で陛下の側面へ入られたように見えたのですが、どうしても動きが追えず……」


 兵士は、少し困った顔をしている。


 桜花は静かに首を傾げた。


「相手の重心の移動に合わせて、最短で踏み込んだだけでございます」


「……最短、ですか」


「はい」


 ……うん。


 桜花。


 それ、たぶん説明が難しいやつだね。


 兵士の表情を見れば分かる。


 本人にとっては簡単なことでも、ほかの人には同じようにできない。


 私も魔法でよくやってしまうから、気持ちは少し分かる。


「ええと、桜花」


 私は近くへ寄った。


「ちょっと動きをゆっくり見せてあげたら?」


「承知いたしました」


 桜花が訓練用の剣を持ち直す。


「では、ほんの少し動きます」


 彼女はゆっくり一歩踏み込んだ。


 ……おお。


 これなら、私にも分かる。


 肩の向きと腰の動きが、綺麗につながっている。


 兵士がじっと足元を見る。


「……なるほど。足を出す前に、身体の向きを……」


「はい。余分に踏ん張る必要はございません」


 ……うん。


 あれ、意外とちゃんとした指導になってる。


 桜花は二度ほど、同じ動きを繰り返してみせた。


 兵士も真似してみる。


 もちろん、さっきのような速さにはならない。


 でも、少しだけ滑らかになったように見えた。


「ありがとうございます!」


 兵士が深く頭を下げる。


「お役に立てたなら幸いでございます」


 ……ああ。


 桜花が誰かへ剣を教えている。


 何だか、新鮮な光景だなぁ。


 皇帝が、その様子を眺めて嬉しそうに笑っていた。


「……強いだけではないか。実にいい相棒を持ったな、リアリス!」


「はい。自慢の相棒です」


 ……あ。


 ちょっと素直に言いすぎたかな。


 でも、本当のことだから、いいか。


     ◇


 模擬戦が終わると、私たちは訓練場の脇にある休憩室へ案内された。


 大きな窓からは、先ほどの訓練場が見える。


 兵士たちはすでに普段の訓練へ戻り始めていた。


 ……おお。


 切り替えが早いね。


 皇帝が出てきたからといって、一日中騒いでいるわけじゃないらしい。


「茶を用意させた。せっかくだ、少し休んでいけ」


 ヴァリロッサ皇帝は、まるで昔からの知り合いに話しかけるように言った。


「ありがとうございます」


 私は席へ座った。


 桜花は隣に立ったままだったので、椅子を引いてあげる。


「桜花も座っていいんだよ」


「……では、お言葉に甘えて」


 桜花が静かに腰を下ろす。


 ……うん。


 こういうとき、普通に一緒に休んでほしいんだよね。


 少しして、温かいお茶が運ばれてきた。


 その横には、小さな焼き菓子。


 ……おっ。


 美味しそう。


「この菓子は、帝都の職人が作っている」


 皇帝が言った。


「俺のお気に入りだ」


「おお。いただいても?」


「無論!」


 私は一つ手に取った。


 表面はこんがり焼けていて、ほんの少し甘い香りがする。


 一口かじる。


 さくっ。


 ……あ。


 これ、好きだ。


「……美味しいですね!」


「だろう!」


 皇帝が、実に嬉しそうに頷いた。


 ……あれ。


 剣の話をしているときと、あまり変わらない顔なんだけど。


 この人、戦いとお菓子が本当に好きなんだなぁ。


 桜花も静かに一つ食べた。


「……上品なお味でございますね」


「うむ! よく分かっている!」


 ……おお。


 桜花も褒めた。


 やっぱり、いいお菓子みたいだ。


 私は心の中で、楓へのお土産候補に大きく丸をつけた。


 ガラントさんが、何やら書類を抱えて戻ってきた。


「陛下。取り決めの文書の準備が整いました」


「おう。見せてくれ」


 皇帝は差し出された紙へ目を通し、満足そうに頷いた。


「よし。これでいい」


 ……おお。


 もうできたんだ。


 仕事が早いなぁ。


 ガラントさんは私の方へ向き直る。


「リアリス殿。先ほど合意した内容を記したものです。お持ち帰りください」


「ありがとうございます」


 受け取って目を通す。


 友好関係の維持。


 帝国からの不必要な干渉の禁止。


 居住地の選択と、移動の自由。


 そして、帝国側が私の行動を強制しないという保証。


 ……うん。


 ちゃんと、さっき話したとおりだね。


「これなら安心です」


 私が言うと、ガラントさんは丁寧に頭を下げた。


「こちらとしても、末永くよい関係を築ければ幸いです」


「こちらこそ。よろしくお願いします」


 私は、もう一度紙へ目を落とした。


 ……そうだ。


 一つだけ確かめておこう。


「ガラントさん。今後、帝国内で家を建てることになったら、どこに相談すればいいでしょう?」


 宰相の片眼鏡が、光を反射した。


「……家、ですか」


「はい。まだ決めてませんけど、帝都にも拠点があると便利かなと思いまして」


「土地や建築に関する手続きでしたら、こちらで担当部署を紹介できます」


「おお。それは助かります」


「ただし、場所によっては城壁や道路との調整が必要になりますので」


「もちろんです。迷惑にならない場所を選びますよ」


 ……うん。


 帝国にも家を作るなら、ちゃんと周りのことを考えないとね。


「必要になったら、また相談させてください」


「承知いたしました」


 私は書類を丁寧に畳んで、《収納》へしまった。


 ……今度は、ガラントさんに一度目を向けてから。


 彼は少しだけ眉を動かしたけれど、何も言わなかった。


 ……よし。


 どうやら、さっきより慣れてくれたみたいだ。


「……それにしても、リアリス」


 皇帝が、お菓子を一つ摘まんだまま私を見た。


「よくあれほどの相棒を見つけたな」


「……ああ。桜花ですか?」


「そうだ。剣の腕が立つだけでなく、指示も正確に理解し、余計な怪我を負わせない。戦う者として、理想的だ」


 ……おお。


 褒めすぎじゃない?


 でも、言われてみれば全部本当だ。


「私も、桜花にはいつも助けてもらってます」


 私は笑った。


「家でも外でも、気がつくと隣にいてくれるんですよ」


「……そうか」


 皇帝が、少しだけ穏やかな表情になる。


「それは、よいことだ」


 ……うん。


 急にどうしたんだろう。


 すると皇帝は、隣の宰相を指さした。


「俺にとってのガラントも、似たようなものだな!」


「……陛下」


 ガラントさんが、何とも言えない表情になった。


「私は相棒というより、政務を代行しているだけですが」


「はっはっは! 何を言う! お前がいなければ帝国は回らん!」


「それを理解していらっしゃるなら、もう少し執務室にいてください」


「うむ! 善処する!」


 ……あ。


 絶対、善処しない人の返事だ。


 私は思わず桜花を見た。


 桜花は、ほんの少しだけ口元を緩めている。


 ……うん。


 似たようなもの、と言われると。


 確かに、そうなのかもしれない。


 片方は自由すぎる皇帝で、片方は有能な宰相。


 私と桜花も、違う意味で似たような関係かもしれないな。


「……桜花」


「はい、リアリス様」


「いつもありがとう」


 私は、何となく言ってみた。


 桜花の瞳が、ほんの少しだけ柔らかくなる。


「もったいないお言葉でございます」


 ……ああ。


 やっぱり、この子が相棒でよかったな。


「ところで、陛下」


 ガラントさんが、テーブルの端に置いた菓子皿を見た。


「それは、私の分も含まれているのですが」


「うむ。実にうまいな!」


「……はい。存じております」


 ……あれ。


 よく見ると、皇帝の前には空になった小皿が二つ。


 ガラントさんの前には、まだお茶しかない。


 ……もしや。


 宰相のお菓子、食べられちゃった?


「皇帝陛下。私の分をどうぞ」


 私は手元に残っていた焼き菓子を一つ差し出した。


 ガラントさんは、少し驚いた顔をした。


「いえ、リアリス殿。お気遣いなく」


「でも、まだ食べてないでしょう?」


「……そのとおりですが」


「じゃあ、一つどうぞ」


 私は笑って皿を差し出した。


 ガラントさんは一瞬ためらったあと、丁寧に受け取った。


「……ありがとうございます」


 ……うん。


 何だか、こっちまで嬉しくなるね。


 皇帝はそのやり取りを見て、大きく頷いた。


「リアリス! お前は気が利くな!」


「……いや、皇帝陛下が全部食べなければ済む話だと思いますけど」


 ……あ。


 言っちゃった。


 一瞬、室内が静かになる。


 ガラントさんが、口元を手で隠した。


 ……えっ。


 笑ってる?


 皇帝は数秒だけ目を丸くしてから、大声で笑い出した。


「はっはっは! まったくだ!」


 ……おお。


 認めた!


「次からは気をつけよう!」


「ぜひ、そうしてください」


 ガラントさんが即答した。


 ……うん。


 この二人、仲がいいんだな。


 皇帝と宰相だということを忘れそうになるくらい。


 私は、温かいお茶を一口飲んだ。


 ……いい国かもしれないね、ここ。


 しばらくして、ガラントさんが席を立った。


「陛下。そろそろ午後の政務へお戻りいただく時間です」


「……もうそんな時刻か」


 皇帝が、窓の外を見た。


 ……おお。


 だいぶ時間が経っていたらしい。


 私としては、お茶を飲んで少し話しただけのつもりだったんだけど。


 そういえば、模擬戦もあったんだよね。


「リアリス。今日は面白かったぞ!」


 皇帝が立ち上がった。


「お前も桜花も、また帝国へ遊びに来い!」


「はい。ぜひ」


 私は笑って答えた。


「今度は、ゆっくり観光してみたいですし」


「うむ! 帝都にはいい店が山ほどあるぞ!」


 ……ああ。


 そうだった。


「皇帝陛下。さっきのお菓子の店、教えてもらってもいいですか?」


「もちろんだ!」


 皇帝はすぐに、ガラントさんへ声をかけた。


「おい、あの店の場所を伝えてやれ!」


「……陛下。先ほどから、私の仕事を増やしてばかりではありませんか」


「はっはっは! 頼りにしているぞ!」


 ……うん。


 やっぱり、そうなるんだ。


 ガラントさんは深くため息をつき、近くの文官へ店の場所を書いた小さな紙を用意するよう頼んだ。


 ……おお。


 どこまでも仕事が早い。


「こちらです。帝城から南へ向かい、大通りを二つ越えたところにございます」


「ありがとうございます!」


「混雑していることもありますので、お時間に余裕を持ってどうぞ」


「はい。助かります」


 私は受け取った紙を確かめた。


 ……うん。


 これなら迷わず行けそうだ。


 桜花も横から覗き込んでいる。


「楽しみでございますね」


「うん! 楓も喜んでくれると思う」


 ……カトレアの分も、もちろん買って帰ろう。


 娘にお土産を選ぶ。


 ……なんだか、そういうことが当たり前になってきたなぁ。


 私は少し嬉しくなった。


「桜花」


 皇帝が、彼女へ向き直った。


「最後に一つ、聞かせてくれ」


「はい。何でございましょう」


「先ほどの勝負。お前は俺を相手にして、何を感じた?」


 ……おっと。


 急に真面目な質問だね。


 桜花は少しだけ考えた。


「剣筋に迷いがなく、よく鍛錬されたお方だと感じました」


「……ほう」


「間合いの詰め方、連撃へのつなぎ方、いずれも非常に洗練されておりました」


 皇帝が、ゆっくり頷いた。


 ……うん。


 これは、桜花の本音だと思う。


 相手が誰であっても、剣の技術を正しく評価する。


 そういうところが、この子らしい。


「しかし」


 桜花が、静かに続けた。


「速さに対する対応には、まだ余地があるかと存じます」


 ……あ。


 言った。


 皇帝は一瞬だけ目を丸くした。


 それから、にやりと笑う。


「……そうか!」


 その声は、何だか嬉しそうだった。


「ならば、次に会うまでに鍛え直しておこう!」


 ……おお。


 前向きだなぁ。


 桜花が一礼した。


「次の機会を、楽しみにしております」


 ……あれ。


 今、さりげなく次の試合を約束してない?


 私は桜花を見る。


 桜花は涼しい顔をしている。


 ……うん。


 もしかして、わざと?


 ガラントさんが、私の方へ目を向けてきた。


「……リアリス殿」


「……はい?」


「次回も、どうか安全第一でお願いいたします」


 ……ああ。


 分かります。


 私も、そう思います。


「もちろんです」


 私たちは、何となく顔を見合わせた。


 その横で、皇帝と桜花が楽しそうに話を続けている。


 ……うん。


 どうやら、ここにもシルベスターさんに似た境遇の人が一人増えたみたいだ。


 私は心の中で、ガラントさんへそっと同情した。


     ◇


 休憩室を出ると、廊下には午後の日差しが差し込んでいた。


 城の窓から見える帝都は、まだまだ賑やかだ。


 私は桜花と並んで、先ほど通った廊下を歩いていく。


「……いやぁ。すごい人だったね、皇帝陛下」


「はい。剣に対して、真摯なお方でございました」


「うん。勝ち負けより、相手の強さを喜べるのはすごいと思うよ」


 私は小さく笑った。


「……まあ、付き合う側は大変そうだけど」


「ガラント様のご苦労も、よく理解できました」


 ……ああ。


 桜花も同じことを考えてたんだ。


「……それにしても、桜花」


「はい?」


「最後の一撃、すごかったね」


 桜花が、少しだけ目を伏せた。


「リアリス様のご指示に従い、勝負を終わらせただけでございます」


「それがすごいんだよ。怪我をさせないようにして、剣だけ弾き飛ばしたんだから」


「……ありがとうございます」


 桜花の口元が、ほんの少し緩んだ。


 ……ああ。


 照れてる。


 分かりにくいけど、私には分かる。


「今度、落ち着いたらまた稽古しようか」


「……よろしいのでしょうか」


「もちろん。私も、少しは身体を動かさないとね」


「承知いたしました。楽しみにしております」


 ……あっ。


 言っちゃった。


 桜花との稽古って、結構大変なんだよね。


 でも、自分で言ったんだから、ちゃんと約束は守ろう。


 ……まあ、今日じゃなくていいよね。


 今は、帝都のお菓子だ。


「とりあえず、さっき教えてもらったお店に行ってみよう!」


「はい、リアリス様」


 桜花は、いつものように私の隣へ並んだ。


 ……うん。


 やっぱり、二人で知らない町を歩くのは楽しいな。


 帝城の門を出るころには、空が少しだけ傾き始めていた。


 通りには、朝とは違う人の流れができている。


 仕事を終えた職人。


 買い物をする人々。


 路地から漂ってくる、焼きたてのパンの香り。


 ……ああ。


 お腹が空いてきた。


 さっきお菓子を食べたばかりなんだけど。


「リアリス様。お店の場所は、こちらで間違いないようでございます」


 桜花が、受け取った案内の紙を私へ向けた。


「うん。行ってみようか」


 私は一歩踏み出した。


 ……そのとき。


「……あ、あの!」


 背後から、少し慌てた声が聞こえた。


 私は足を止めた。


「……ん?」


 振り返る。


 そこには、茶色い髪を後ろへ撫でつけた若い男性が立っていた。


 年頃は二十代半ばくらい。


 手には、何冊もの本と書類。


 服装も、冒険者というより学者さんみたいだ。


 ……あれ。


 どこかへ急いでいたのかな。


 男性は私と桜花を交互に見て、少しだけ息を整えた。


「す、すみません。突然、お声をかけてしまって」


「いえ、大丈夫ですよ。どうされました?」


 私が尋ねると、男性は、何かを確かめるように小さく頷いた。


「……もしかして、あなたがリアリスさんでしょうか?」


 ……えっ。


 何で私の名前を?


 思わず桜花を見る。


 桜花も男性へ視線を向けている。


 ……うん。


 どうやら、帝国でのんびり観光するには、まだ少し早いらしい。


 私は苦笑しながら答えた。


「……はい。リアリスですけど」


 男性の目が、大きく見開かれた。


 ――こうして、帝国での思いがけない出会いが、もう一つ始まった。

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