↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
21/150

第8話:正体がバレました

 森を抜けると、馬車のそばにいたビスクさんが真っ先にこちらを向いた。


「……リオン!?」


 弾かれたように走り出してくる。


 その後ろで、グリッドさんが立ち上がり、フレミーさんが両手を口元へ当てた。


「桜花さんも……! よかった……!」


 ……おお。


 心配してもらっていたらしい。


 いや、あんな大きな熊を前に残ってきたんだから、当然か。


「ただいま戻りました」


 私が手を上げると、ビスクさんは目の前で急停止した。


「『戻りました』じゃないわよ! もう、どれだけ心配したと思ってるの!」


「ご、ごめんなさい」


「二人とも怪我は? どこか痛いところはない?」


「ありません。桜花も無事です」


「はい。ご心配をおかけいたしました」


 桜花が優雅に会釈する。


 ……いや、その腕に熊を抱えている状態で、そんなに上品に挨拶しなくても。


 グリッドさんも駆け寄ってきた。


「リオン! よく帰ってきたな!」


「ありがとうございます」


「……それで、あいつはどうした?」


「あいつ?」


「さっきの熊だ! まだ近くにいるのか!?」


 ……ああ。


 そっちの話か。


 私は桜花を見た。


 桜花も私を見た。


 その腕の中で、小さな熊が首を傾げる。


 ……どう説明しようかな。


 そういえば、桜花は事実をそのまま伝えればいいって言ってたっけ。


「さっきの大きい熊ですね。魔法でペットにしました」


「…………は?」


 グリッドさんの表情が止まった。


 ビスクさんも、何度か瞬きをしている。


 ……うん。


 やっぱり、そうなるよね。


 私はもう一度、桜花を見た。


 桜花は何事もなかったように、熊の背中を撫でていた。


 ……相棒。


 やっぱり、もう少し説明が必要なんじゃないかな。


 そのとき、馬車の方からフレミーさんが走ってきた。


「本当に無事なんですね!? ……よかった、二人とも……」


「はい。ご心配をおかけしました」


 私は頭を下げた。


 フレミーさんはほっと胸を撫で下ろしてから、桜花の腕へ視線を移す。


「……ところで、その子は?」


「熊です」


 桜花が答えた。


「それは……見れば、分かりますけど……」


 フレミーさんが困ったように眉を寄せた。


「森の中で、拾ったんですか?」


「いえ、先ほどの熊です」


「…………え?」


 今度はフレミーさんまで固まった。


 ……まあ、あんな巨大な熊が全長五十センチになってるなんて、普通は想像しないよね。


 小さな熊は、桜花の腕の中で鼻をひくひく動かした。


 そして、私たちの様子など気にも留めず、あくびを一つ。


 ……おお。


 小さな牙が見えた。


 可愛いなぁ。


「リオン」


 グリッドさんが低い声で私を呼んだ。


「確認したいことがある」


「はい」


「お前、さっき『ペットにした』と言ったな?」


「言いました」


「魔法で?」


「はい」


「……どういう魔法だ」


「ええと。魔獣を使役する魔法です」


「使役……?」


 グリッドさんは私の顔を見つめた。


 視線が桜花の腕へ移り、また戻ってくる。


「つまり、あの熊が今はお前の命令を聞く、と?」


「そういうことですね」


「……そんな馬鹿な」


 ビスクさんが両手を広げた。


「ちょっと待ってよ。私たち、さっき本当に死ぬところだったのよ!?」


「……そうですよね」


「それが、こんな小さくなって抱っこされてるって……!」


 ビスクさんは熊を指さしかけて、ぴたりと手を止める。


 ……あ。


 まだ怖いんだ。


 当然だよね。彼女たちは、この子の大きかった姿を知ってるんだから。


 私は小さな熊へ目を向けた。


「大丈夫ですよ。この子には人を襲わないように命令してあります」


「……命令?」


「はい。ちゃんと聞いてくれます」


 熊はまるで話が分かっているかのように、小さく鼻を鳴らした。


「……くぅ」


 ……うん。


 なかなかいい相槌だね。


「魔法でそんなことはできませんよ。聞いたこともない魔法です」


 フレミーさんが、はっきりと言った。


 さっきまでの安堵とは違い、今度は魔法使いとしての疑問が顔に出ている。


「魔獣を従わせるなんて……ましてや、あれほど大きな相手を」


「そうなんですか?」


「そうなんですか、じゃありません!」


 ……おっと。


 怒られてしまった。


「相手の身体を小さくする魔法だって、私は聞いたことがありません」


「……ああ、そっちもか」


「そっちも、です!」


 フレミーさんが額を押さえた。


 グリッドさんは桜花の抱える熊を、遠巻きに観察している。


「しかし……大人しいぞ。……小さいし……」


「でしょ?」


「いや、そういう問題じゃない!」


 ……そういう問題じゃないらしい。


 私はもう一度熊を見た。


 茶色の毛並み。


 丸くなった背中。


 ちょこんと出ている耳。


 ……やっぱり可愛いと思うんだけどなぁ。


 そこで、馬車のそばにいたルックランさんが声を上げた。


「話はあとだ。レイストンさんの薬草は揃っているのか?」


 ……あ。


 そうだった。


 私たち、護衛採取依頼の途中なんだよね。


「一つ目は十分に採れたよ。二つ目も、必要な量は揃っている」


 レイストンさんが馬車の荷台から答えた。


「ただ……こんなことになるとは思わなかったな」


「今は戻るべきだ」


 ルックランさんが言う。


「必要量が揃っているなら、森に長居する理由はない。次の魔獣が来ないとも限らないからな」


「そうだな」


 グリッドさんは深く頷いた。


 ……うん。


 さすが、切り替えが早い。


「ビスク。周りに追ってくる気配はあるか?」


「……ないと思う。でも、さっきみたいなのがもう一匹いたら困るわ」


 ビスクさんは慎重に木立を見た。


 私は思わず、桜花の腕の中を見下ろす。


 ……さっきみたいなのなら、一匹ここにいるけどね。


 もちろん、言わない。


「ルックラン、馬を頼む。フレミー、レイストンさんの荷物を確認してくれ」


「分かった」


「はい!」


 グリッドさんの指示で、みんなが動き始めた。


 私は熊の耳をそっと撫でる。


「じゃあ、君も帰ろうか」


 熊は満足そうに、目を細めた。


     ◇


 馬車へ乗り込む前に、ちょっとした問題が発生した。


 ……いや、私としては大した問題だと思っていなかったんだけど。


「その熊も乗せるのか?」


 グリッドさんが聞いた。


「はい。一緒に帰るつもりなので」


「……馬は大丈夫なのか?」


 ……あ。


 そういえば。


 普通の馬は、熊を見ると怖がるんだろうか。


 たとえ今は小さくなっていても、匂いまでは分からない。


「ちょっと確認してみましょうか」


 私は桜花へ目を向けた。


「熊は抱っこしたままでいいから、馬の近くへ行きすぎないでね」


「承知いたしました」


 桜花が少し離れた場所で待つ。


 私は馬の様子を見ながら、ゆっくり近づいた。


 二頭とも耳を動かしている。


 ……うん。


 多少は気になっているみたいだけど、暴れるほどではない。


「ごめんね。ちょっと変わったお客さんが乗るけど、怖がらないでね」


 首のあたりを軽く撫でてみる。


 一頭が鼻を鳴らした。


 ……いい子だなぁ。


「桜花。少し近づいてみて」


「はい」


 桜花が歩み寄ると、馬は熊へ鼻先を向けた。


 熊はおとなしく腕の中に収まっている。


 ……よし。


 この距離なら、特に問題なさそうだ。


「馬が落ち着いているなら、乗せてもいい」


 ルックランさんが言った。


「ただし、急に騒ぎ出したら停めるぞ」


「もちろんです」


「……それと、熊は荷台の奥にいてくれ」


「はい。私たちで抱いています」


 ルックランさんは小さく頷き、御者台へ上がった。


 フレミーさんがその隣へ座る。


 私は桜花と一緒に荷台へ入り、端の方へ腰を下ろした。


 レイストンさんが籠を確かめ、グリッドさんとビスクさんも乗り込む。


 ……さて。


 出発できそうだね。


 そう思ったところで、ビスクさんが私の隣をちらりと見た。


「……ねえ、リオン」


「はい?」


「その子、名前は?」


 私は熊を見た。


 熊もこちらを見る。


「……まだ、決めてないんです」


「……そう」


 ビスクさんは、また少し熊を見た。


「……あんなのに名前をつける日が来るなんて、思わなかったわ」


 ……うん。


 私もです。


 しかも、つけるのは私じゃない方がよさそうな気がする。


 帰ったら、カトレアにも聞いてみようかな。


 ……あの子、どんな名前を考えるんだろう。


 馬車が動き出すと、荷台が小さく揺れた。


 行きよりも、ずっと静かだった。


 ……いや、みんなが暗いというわけじゃない。


 無事に帰れると分かった安心感はある。


 ただ。


 全員の視線が、何度も桜花の腕へ向いている。


 ……そりゃそうだよね。


 行きにはいなかった熊が、一匹増えているんだから。


 しかも、普通の熊ではない。


 さっきまでみんなを追いかけていた、あの大きな熊だ。


「……くぅ」


 熊が鳴いた。


 ビスクさんの肩が、ぴくりと動く。


「……今、鳴いた?」


「はい」


「……小さい声なのね」


「縮んだら声も可愛くなりました」


「……可愛い、かぁ」


 ビスクさんは複雑そうに笑った。


 どうやら、少しずつ怖さより興味が勝ってきているらしい。


 レイストンさんは籠を抱えながら、熊と私の顔を交互に見ている。


「リオン君。森で何をしたのか、よかったら詳しく聞かせてもらえないかな」


「もちろんです」


 私は頷いた。


 ……そういえば、まだ何も説明してないんだった。


 でも、どこから話せばいいんだろう。


 熊が襲いかかってきた。


 魔法で動けなくした。


 仲良くなりたくなったから《テイム》を作った。


 大きすぎたから《縮小》も作った。


 ……うん。


 話としては、すごく簡単だ。


 簡単なんだけど。


 これをそのまま説明したら、きっとまた驚かれるんだよね。


 私は少し考えてから口を開いた。


「森で、あの熊を魔法で止めたんです。誰もいなくなったので、少し試してみたいことができまして」


「……試してみたいこと?」


 グリッドさんが聞き返す。


「はい。魔獣をおとなしくさせる魔法です」


「……まさか」


「《テイム》って呼んでます」


 その名前を口にした瞬間、フレミーさんが御者台から振り向いた。


「《テイム》……?」


「はい。魔獣を使役する魔法ですね」


 しばらく、誰も何も言わなかった。


 ……あれ。


 説明、足りなかったかな。


「……それは、契約魔法みたいなものですか?」


 フレミーさんが尋ねた。


「契約魔法?」


「精霊と契約するという話なら、昔の文献で読んだことがあります。でも、魔獣を相手にしたものは……」


「うーん。似ているかもしれませんけど、たぶん違いますね」


 私は考えながら答えた。


「魔獣に使う魔法で、私の命令を聞いてもらえるようになります。私が解除しない限り、効果は続きます」


「……ずっと?」


「はい」


「……命令を破ったりは?」


「できないはずです」


 フレミーさんはしばらく考え込んだ。


 それから、何とも言えない表情で頷く。


「……そんな魔法、聞いたことがありません」


「そうなんですね」


「そうなんですね、ではないんですが……!」


 ……あ。


 また、その反応だ。


 どうやら、私は魔法使いの人と話すときに、何か気をつけた方がいいらしい。


 ビスクさんは桜花の腕を見ながら、小さくつぶやいた。


「じゃあ、この子はもう誰も襲わないの?」


「私がそう命令しています」


「……本当に?」


「確認しますか?」


「……えっ?」


 私は熊へ目を向けた。


「君。みんなに挨拶してごらん」


 熊はゆっくり顔を上げ、ちょこんと前脚を持ち上げた。


 ――くぅ。


 ビスクさんが口を開けたまま止まった。


「……今の、挨拶?」


「そうですね」


「……やだ。ちょっと可愛いかも」


 ……お。


 初めて、仲間が増えた気がする。


 私は思わず笑った。


 その横で、グリッドさんが深く息を吐く。


「……確かに、命令を聞いているようには見えるな」


「でしょう?」


「だが、問題はそこじゃない」


 ……え。


 まだ何かあるの?


「こんな魔法の話が広まったら、どうなると思う」


 グリッドさんの表情は、真剣だった。


 私は熊の頭を撫でる手を止めた。


 ……ああ。


 そういうことか。


 魔獣を、好きなように従わせられる。


 そんな力があると知られたら。


 珍しがられるだけで終わればいい。


 でも、実際にはどうだろう。


 自分のために使わせようとする人もいるかもしれないし、危険な魔獣を集めろと言われるかもしれない。


 ……何より。


 その秘密を知っている人たちにまで、厄介事が及ぶ可能性がある。


「……そうですね。あまり広めたい話ではありません」


 私は正直に答えた。


 グリッドさんが、少しだけ表情を緩める。


「分かっているならいい」


「はい。皆さんにも、お願いがあります」


 私は馬車の中を見回した。


 グリッドさん。


 ビスクさん。


 御者台のフレミーさんとルックランさん。


 そして、薬草の籠を抱えているレイストンさん。


 ……全員に聞いてもらわないとね。


「今の魔法については、そういうものだと理解だけしておいてもらえればいいですよ。ただ、この話は完全に秘匿としてください。命にかかわる可能性がありますので」


 自分で言っていて、ちょっと物騒だと思った。


 でも、冗談ではない。


 誰かが余計な詮索を受けるようなことには、なってほしくない。


 最初に頷いたのは、グリッドさんだった。


「分かった。俺たちからは話さない」


「ありがとう」


「今回の依頼で、二人に命を助けられた。それくらいは守れる」


 ビスクさんもすぐに手を上げた。


「私も言わないわ。あんなこと、広めたところで自分でも説明できないもの」


 ……ああ。


 それはそうかもしれない。


「私も、誰にも話しません」


 フレミーさんが真面目な顔で頷く。


「聞きたいことはたくさんありますけど、秘密にしてほしいと言われたなら、それを優先します」


「……ありがとう、フレミーさん」


 ルックランさんは手綱を持ったまま、短く答えた。


「了解した。森で危険に遭って、無事に戻った。それで十分だ」


 ……うん。


 さすが、言葉が短くて分かりやすい。


 最後に、レイストンさんが口を開いた。


「私も約束するよ。今日、薬草を持ち帰れたのは皆のおかげだ。恩人を困らせるようなことはしない」


「ありがとうございます」


 私は深く頭を下げた。


 ……よかった。


 ちゃんと話の分かる人たちで。


 最初のパーティ依頼で、この人たちに出会えたこと。


 それだけでも、今日は来てよかったと思える。


 秘密の約束が済むと、馬車の空気が少しだけ柔らかくなった。


 誰も何も聞かなくなったわけじゃない。


 特にフレミーさんは、時折こちらを振り返っては、何か言いたそうな顔をしている。


 ……うん。


 魔法使いなら、気になるよね。


 私も、前の世界で見たことのない機械を前にしたら、仕組みを知りたくなると思う。


「……リオンさん」


 やがて、フレミーさんが小さく手を挙げた。


「はい?」


「一つだけ、聞いてもいいですか?」


「答えられることなら」


「その《テイム》以外にも、そういう……特別な魔法を使えるんでしょうか」


 ……おっと。


 なかなか核心に迫る質問が来た。


 私は少し考えた。


 《縮小》を使ったことは、もうみんな分かっている。


 熊の大きさが変わっているんだから、隠しようがない。


 でも、ほかの魔法まで詳しく説明する必要はないよね。


「……いくつかあります。でも、ほかの魔法については、もっと秘匿性が高いのでお答えできません」


「……そう、ですか」


 フレミーさんは少し残念そうに目を伏せた。


「ごめんなさい」


「いえ。こちらこそ、無理を言ってしまいました」


「魔法の話が好きなんですね」


 私が言うと、彼女は少し照れくさそうに笑った。


「はい。勉強しても、知らないことばかりで……だから、つい」


「分かります。知らないことを知るのは、楽しいですから」


 ……まあ。


 私の場合、分からない魔法を思いつきで作ってしまうことがあるんだけど。


 そこは、言わないでおこう。


「いつか、話せることがあったらお話ししますね」


「はい。そのときはぜひ!」


 フレミーさんは嬉しそうに前へ向き直った。


 ……よかった。


 無理に踏み込まれなかったのも、彼女の優しさなんだろうね。


 私は隣の桜花を見た。


 桜花は、ずっと小さな熊を抱いている。


 熊は彼女の腕を枕にして、目を閉じかけていた。


「……寝ちゃうの?」


 私が小声で言うと、熊の耳だけがぴくりと動いた。


 ……ああ。


 どうやら、もう安心しきっているらしい。


 あんな大きな騒ぎを起こした張本人が、一番のんびりしている。


 ……何だかなぁ。


 しばらくして、ビスクさんが私の隣へ腰をずらした。


「ねえ、リオン。ちょっとだけ、いい?」


「はい。何でしょう」


 彼女は声を落として言った。


「……さっきは、ありがとう」


「さっき?」


「森で。私とグリッドを逃がしてくれたでしょう」


 ……ああ。


 そういうことか。


「いえ。護衛の仕事でしたから」


「それでも、よ」


 ビスクさんは膝の上で手を組んだ。


「私ね、グリッドが立ち止まって盾を構えたとき、本当はすごく怖かったの。足も震えてた」


「……そうでしたか」


「でも、あのままリオンたちを残して逃げるなんて、もっと怖かった」


 ……なるほど。


 敵の怖さだけじゃないんだな。


 仲間を置いていくことだって、怖い。


 私は少しだけ姿勢を正した。


「グリッドさんたちは、ちゃんと皆さんを守ろうとしてましたよ」


「……うん」


「私たちを心配してくれたことも、分かってます」


 ビスクさんは顔を上げた。


「だから、あんまり気にしないでください。誰も怪我をしなかったんですし」


 少しの間、馬車の音だけが響いた。


 やがてビスクさんが小さく笑う。


「……リオンって、変わった人ね」


「……えっ」


「だって、あんな大きな魔獣を見て、みんなが逃げる中でペットにしちゃうんだもの」


「……それは、まあ」


「でも、悪い意味じゃないわ」


 彼女はいつもの明るい笑顔に戻った。


「次に会ったら、また一緒に依頼を受けたいなって思ったの」


 ……おお。


 それは、嬉しい。


「私もです。皆さんと一緒に行動するの、楽しかったので」


「本当?」


「はい。すごく勉強になりました」


「……なら、よかった!」


 ビスクさんは、ほっとしたように笑った。


 ……いいなぁ。


 こういう出会いがあるなら、やっぱり冒険者の仕事は続けたい。


 私はそう思いながら、馬車の外へ目を向けた。


 森が遠ざかり、午後の光に照らされた草原が広がっている。


 王都までの道は、まだ少し続きそうだ。


「……なあ、リオン」


 向かいに座っていたグリッドさんが、何か考え込むように腕を組んだ。


「はい?」


「お前、いったい何者なんだよ……」


 ……あれ。


 その質問、まだ続いてたの?


「だから、Fランク冒険者ですって」


 私は笑って答えた。


「そんなわけあるか!」


 ……すごい勢いで否定された。


「Fランクが、あんな魔獣の攻撃を受け止めて、そのままペットにするか!」


「でも、本当にFランクですよ?」


「信じられるか!」


 ……うーん。


 どうしたら信じてもらえるんだろう。


 私は少し考えて、懐からギルドカードを取り出した。


「ほら。これです」


 グリッドさんへ差し出す。


 彼は眉をひそめながら、カードへ目を落とした。


「……リオン。Fランク……」


「でしょう?」


「……たしかにFランク……」


 私は満足げにうなずいた。


 ……よし。


 これで誤解は解けたかな。


「ちょっと! 待って!」


 横から覗き込んでいたビスクさんが、急に声を上げた。


「……え?」


「これ! 依頼受注制限なしになってるじゃない!」


 ……ああ。


 そこまでちゃんと見てくれたんだ。


 グリッドさんが目を丸くする。


「なんだそれ?」


 ビスクさんは大きなため息をついた。


「もう、グリッド! これは文字通り、どのランクの依頼でも受けられるの! つまり、Sランクの依頼でも受けられる実力ってことなの!」


「……Sランク!?」


 グリッドさんが、カードと私の顔を交互に見た。


 御者台では、フレミーさんが勢いよく振り返る。


「えっ!? Fランクなのに、Sランクの依頼もですか!?」


 ルックランさんまで、手綱を握ったままこちらへ視線を向けた。


「……そんな扱いのカードがあるのか」


 レイストンさんは薬草の籠を抱えたまま、ぽかんとしている。


「……リオン君、君はいったい……」


 ……あれ?


 何だか、みんなの疑問が増えてない?


「ええと。受けられる依頼に制限がないだけで、ランクはちゃんとFですよ?」


「だから、そこがおかしいって言ってるの!」


 ビスクさんのツッコミが、馬車の中に響いた。


 ……うん。


 これは、カードを見せても解決しないやつだね。


 私はそっとカードをしまった。


 隣では、桜花がいつもどおり静かに微笑んでいる。


 その腕の中で、小さな熊がのんびりとあくびをした。


 ……君は気楽でいいなぁ。


 夕方が近づくころ、王都クーラルの城壁が見えてきた。


 帰り道では、結局一度も魔獣に襲われなかった。


 街道の端を歩く小さな動物を見かけたくらいで、馬もずっと落ち着いている。


「もうすぐ着くぞ」


 御者台からルックランさんの声がした。


「……おお。無事に帰れそうですね」


 私が言うと、グリッドさんが隣で大きく息を吐いた。


「ああ。依頼を受けた時点では、あんなことになるとは思わなかった」


「私もです」


「……本当にそう思っているか?」


「……はい」


 ……ちょっとだけ、目を逸らしてしまった。


 グリッドさんはそれ以上追及せず、苦笑した。


「まあいい。全員帰れたんだからな」


 ……うん。


 そういうことにしておこう。


 城門の前には、入る人と出る人の列ができていた。


 商人の荷車。


 旅人の小さな馬車。


 そして、武装した冒険者たち。


 ルックランさんが手綱を引き、私たちも順番を待つ。


 やがて門兵さんが近づいてきた。


「お帰り。依頼帰りか?」


「はい。薬師の護衛採取依頼です」


 グリッドさんが答え、依頼書を示す。


 門兵さんはそれを確かめたあと、荷台へ目を向けた。


 ……あ。


 ちょうど桜花が熊を抱いている。


「……そっちのは?」


「ペットです」


 私が答えた。


「……熊?」


「はい。おとなしいですよ」


 熊は、ちょうどいいタイミングで目を細めた。


 ……うん。


 営業活動、上手だね。


 門兵さんはしばらく私たちを見比べた。


「……人に危害を加えないんだろうな?」


「私の命令に従います。勝手に襲ったりはしません」


「なら、くれぐれも目を離すなよ」


「はい。ありがとうございます」


 ……よかった。


 小さくしておいて本当によかったね。


 あの大きさのままだったら、門の前で大騒ぎになるところだった。


 馬車が城門をくぐる。


 見慣れた王都の道が、ゆっくりと目の前に広がった。


 城門を抜けたところで、馬車が停まった。


「ここで荷物を降ろそう」


 レイストンさんが言った。


「薬草は私の店へ持っていく。皆さんは先にギルドへ戻って構わないよ」


「分かりました。依頼完了の確認だけお願いします」


 グリッドさんが依頼書を差し出す。


 レイストンさんは籠を一度下ろし、受け取った紙へ丁寧に署名をした。


「これでいいかな」


「ありがとうございます」


 私は横から覗き込んだ。


 ……なるほど。


 護衛する相手が無事に戻ったことを、依頼人自身に証明してもらうんだね。


 帰って『終わりました』と言うだけでは駄目らしい。


 こういう手順も、覚えておこう。


「リオン君、桜花さん」


 レイストンさんが私たちへ向き直った。


「本当にありがとう。あのときは、どうなることかと思ったよ」


「こちらこそ、薬草のことをいろいろ教えていただいて」


「ははは。君は最後まで、薬草の勉強を楽しんでいたね」


「……あはは」


 ……そうだった。


 護衛として来たはずなのに、ずいぶん教わってしまった。


「また何か依頼を出すことがあったら、お願いするかもしれないよ」


「そのときは、ぜひ」


 グリッドさんも頭を下げた。


「無事に戻れてよかったです。お店まで気をつけて」


「ああ。皆もね」


 レイストンさんが、小さな馬車を用意していた知人らしい人へ荷物を引き渡すのを見届けてから、私たちはギルドへ向かった。


 ……うん。


 これで護衛の仕事は、きちんと終わった。


 薬草も揃ったし、依頼人も無事。


 あの熊も、今はおとなしくしている。


 ……完璧じゃない?


「リオン、何をそんなに嬉しそうにしてるの?」


 ビスクさんが聞いてきた。


「いやぁ。初めてのパーティ依頼、無事に終わりましたから」


「……そうね。無事に、ね」


 彼女の視線が、桜花の抱く熊へ向く。


 ……うん。


 ちょっと余計なお土産は増えたけど。


 それくらい、大目に見てもらおう。


     ◇


 冒険者ギルドへ戻ると、夕方の受付は朝より賑わっていた。


 依頼を終えて帰ってきた冒険者たちが、列を作っている。


 どこかで手に入れた素材を見せる人。


 疲れた顔で椅子へ座る人。


 酒場の方からは、もう笑い声も聞こえた。


 ……うん。


 やっぱりギルドって、独特の活気があるよね。


「お疲れ様です。依頼のご報告ですか?」


 受付にいたリリーナさんが顔を上げる。


「はい。レイストンさんの護衛採取依頼です」


 グリッドさんが署名入りの依頼書を差し出した。


「かしこまりました。確認いたしますね」


 リリーナさんは書類へ目を落とした。


 その隣には、どういうわけかシルベスターさんもいる。


 何かの書類を確認していたらしく、片腕で束を押さえていた。


「……おう。戻ったか」


「はい。無事に」


 私が返事をすると、シルベスターさんは軽く頷いた。


「よし。で、今回こそ普通の依頼で――」


 言いかけたところで、その目が止まった。


 桜花の腕。


 正確には、そこに抱かれている小さな熊だ。


 ……あ。


 何だか、ものすごく嫌な予感がする。


「…………」


 シルベスターさんは動かない。


 目だけが熊へ向いている。


 桜花は、いつもどおり涼しい顔で立っていた。


「お疲れ様でございます」


 熊が、その腕の中で小さく鼻を鳴らす。


 ――くぅ。


 ……ええと。


 挨拶してる場合かな、これ。


「……リア、いや、リオン」


 シルベスターさんの声が、いつもより低い。


「はい?」


「……ちょっと来い」


「えっ。報告の途中ですけど」


「いいから来い」


 ……ああ。


 この顔、知ってる。


 前にちょっと面倒なことがあったときと、同じ顔だ。


 私は助けを求めるようにリリーナさんを見る。


 リリーナさんは、困ったように微笑んで書類へ目を戻した。


 ……駄目だ。


 助け舟は来そうにない。


「お前の相棒もだ」


 シルベスターさんが桜花を指さした。


「来い。お前もだ」


「かしこまりました」


 桜花は素直に頭を下げた。


 ……うん。


 こうして、私たちの普通の依頼報告は、開始前に中断された。


 ギルドの奥にある応接室へ通されると、シルベスターさんは扉を閉めた。


 重たい音が響く。


 ……うわぁ。


 怒られるときの空気じゃないか、これ。


「座れ」


「はい」


 私は素直に椅子へ腰を下ろした。


 桜花は隣へ立ち、熊を抱えたまま頭を下げる。


「どうぞ、お構いなく」


「……お前の相棒が持ってるそれはなんだ……」


 シルベスターさんが、ようやく口を開いた。


「熊ですね」


 私が答える。


「熊でございます」


 桜花が続ける。


「……見れば分かる!」


 ……ですよね。


 でも、『それは何だ』って聞かれたら、熊と答えるしかないと思うんだよなぁ。


 シルベスターさんは深く息を吸った。


 それから、ゆっくり吐いた。


「……落ち着け、俺」


 ……あ。


 自分に言い聞かせてる。


「お前ら。今朝、何と言って出ていった」


「普通の依頼を受けてきます、って」


「そうだ。俺も、聞いた」


「はい」


「……で。帰ってきたら、熊を抱えている」


「はい」


「……なぜだ」


「森で出会ったので」


「……もう少し詳しく話せ!」


 ……怒られた。


 私は、今日の依頼の内容から説明した。


 薬師レイストンさんの採取護衛。


 トラストの四人と一緒に、王都とマリノアの間の森へ行ったこと。


 最初の採取は順調だったこと。


 二つ目の採取場所で、大きな熊に遭遇したこと。


 ……それから。


「この子をペットにしました」


「……その部分を飛ばすな!」


 ……え。


 そこが一番簡単に説明できるところなんだけど。


 シルベスターさんは眉間へ指を当て、長い間黙り込んだ。


「……分かった」


「おお」


「いや、分かってない。お前たちだけの話じゃ、どうにもならん」


 彼は扉の方を向いた。


「トラストの連中も呼べ。何があったか、最初から聞く」


 ……なるほど。


 第三者の証言が欲しいわけだ。


 うん。それなら、グリッドさんたちも説明してくれるだろう。


 ……私より上手に。


 しばらくして、グリッドさんたちが応接室へ入ってきた。


「……ギルドマスター。お呼びでしょうか」


「ああ。悪いが、全員座ってくれ」


 シルベスターさんが椅子を指した。


 グリッドさんは私の隣へ腰を下ろす。


 ビスクさんとフレミーさんも続き、ルックランさんは扉の近くの椅子へ座った。


 ……あれ。


 何だか、全員で先生に呼び出されたみたいだな。


 私は昔の学校を思い出して、少しだけ苦笑した。


「さて。今日の依頼について聞きたい」


 シルベスターさんが言った。


「途中で何が起きた。順番に話してくれ」


 グリッドさんは、私へ一度だけ目を向けた。


 ……ああ。


 秘密を守る約束のこと、覚えてくれているんだね。


 私は小さく頷いた。


「森で薬草を採取している最中に、大きな魔獣と遭遇しました」


 グリッドさんが話し始める。


「俺とビスクが周辺を警戒していたときです。足跡と折れた枝を見つけて、様子を確かめようとしたところ……」


 彼は手を握り直した。


「すぐ近くから、あの巨体が現れました」


 ビスクさんが表情を曇らせる。


「……本当に、急だったの。気づいたときには、逃げ道を塞がれそうになってて」


「それで?」


「依頼人を先に逃がしました。俺とビスクも一度戻って、リオンたちに退避を促したんですが」


 グリッドさんは、言いにくそうに口を閉じた。


 ……うん。


 ここからが難しいよね。


 その先を詳しく話したら、魔法のことになる。


「……二人が残って、こちらへ逃げるように言ってくれたんです」


 ビスクさんが静かに続けた。


「私たちは、全員無事に帰れました」


 シルベスターさんは頷き、私たちへ目を向けた。


「……で。お前たちは、どうやってその魔獣から逃げたんだ?」


「ええと……」


 私は口を開きかけた。


 しかし、グリッドさんの方が一歩早かった。


「ギルドマスター。リオンたちには事情があって、手段については伏せていただきたいのですが」


 ……おお。


 ちゃんと守ってくれてる。


「ただ、あのバイオレンスグリズリーから、二人が俺たちを救ってくれたことは確かです」


 ……ん?


 今、知らない名前が出てきたような。


 私は首を傾げた。


「…………何?」


 シルベスターさんが、動きを止めた。


 グリッドさんも、ようやく自分の言葉に気づいたらしい。


「あっ……」


 ビスクさんが両手で顔を覆う。


「……グリッドぉ……!」


 フレミーさんも額を押さえた。


「……言っちゃいましたね……」


 ……えっ。


 何、今の反応。


 私は桜花を見る。


 桜花も静かにこちらを見返した。


 ……うん。


 分かってないの、私たちだけ?


 その横でルックランさんは、平然と頷いていた。


「そうだ。あれから逃げ切れたのは、二人のおかげだ」


 ……どうやら、この人も気づいてないらしい。


 シルベスターさんは、ゆっくり私へ目を向けた。


 続いて、桜花の腕の中の熊へ。


「……バイオレンスグリズリー?」


「はい。そうです」


 グリッドさんが、観念したように頷く。


「……お前、本当にその名前を言っているのか?」


「間違いありません。あの体格と爪……以前資料で見た特徴と一致していました」


 シルベスターさんの顔が、見る見る青ざめた。


「……Sランクの……あれを?」


 ……あ。


 そういう名前の魔獣だったんだ。


 しかも、Sランク。


 私は小さな熊を見た。


 熊は、桜花の腕の中で気持ちよさそうにしている。


 ……君、そんなにすごい子だったの?


「リオン」


 グリッドさんが、少し困った顔をした。


「……黙っておくつもりだったんだが」


「いえ、大丈夫です。名前までは秘密にしてませんし」


「……そういう問題ではないぞ」


 シルベスターさんが低い声で言った。


 ……あ。


 また怒られそう。


 彼はしばらく黙ったあと、片手で額を覆った。


「……なるほど。理解した」


「……何をですか?」


「こいつがバイオレンスグリズリーを手懐けて小さくしたんだな」


 ……えっ。


 どうして分かったの?


 私は思わずグリッドさんの顔を見る。


 グリッドさんは首を横へ振っている。


 ビスクさんも、目を丸くしていた。


 ……すごいな、シルベスターさん。


 話を全部聞いてないのに、ほぼ正解じゃないか。


「……そのとおりです」


 私が答えると、シルベスターさんは椅子の背もたれへ深く身体を預けた。


「……お前というやつは」


 ……はい。


 何だか、申し訳ありません。


「……まず一つ、確認する」


 シルベスターさんが、声を低くした。


「そいつは、今も元の大きさに戻れるのか?」


「はい。私が魔法を解除すれば」


「……つまり、あれがこの部屋に収まらないほど大きくなる、と」


「そうですね」


「……頼むから、ここで試すなよ」


「試しませんよ!」


 ……さすがに。


 私だって、応接室の中で巨大な熊に戻すほど無茶じゃない。


 ……たぶん。


 シルベスターさんは、桜花の腕の中をじっと見た。


「見た目はずいぶんおとなしいが、Sランクの魔獣であることには変わりない。責任は持てるんだな?」


「はい。ちゃんと面倒を見ます」


「食事も、居場所も、周りの安全もだぞ」


「……はい」


 ……うん。


 完全に、ペットを飼いたい子供と、それを心配する大人の会話だね。


 いや、シルベスターさんが心配するのは当然か。


 この子、元に戻せば森の木を倒せるくらい大きいんだから。


「……分かった。それなら、まずはその力のことだ」


 シルベスターさんは部屋の全員を見回した。


「この場で聞いた話は、外へ漏らすな。ギルドマスターとして、口外を禁じる」


 グリッドさんが背筋を伸ばした。


「承知しています。俺たちも、リオンと約束しました」


「ならいい。ただし、仲間内の雑談でも口にするなよ」


「はい」


 ビスクさんとフレミーさんも頷く。


 ルックランさんは、短く「了解した」とだけ答えた。


 ……よかった。


 これなら、ひとまず安心だね。


 私は小さく息を吐いた。


 シルベスターさんも、ようやく少し落ち着いたように見える。


 ……ああ。


 これで終わりかな。


 お説教も、このくらいで済むならありがたい。


 ところが。


「……ところでリアリスよ。こいつらの記憶を消すような魔法はないのか……」


 シルベスターさんが、何気ない口調で言った。


 ……あ。


 私は一瞬、返事を忘れた。


 ……今、何て呼びました?


「……できそうではありますけど、必要ないと思いますよ」


 私は、なるべく平然と答えた。


 新しく魔法を考えれば、記憶をどうにかすることもできるかもしれない。


 でも、約束してくれた人たちの記憶を消すなんて、さすがにやりたくない。


「みんな、秘密にしてくれるって言ってますから」


「……まあ、そうだが」


 シルベスターさんは、まだ眉間に皺を寄せている。


 ……うん。


 どうやら、自分が呼び間違えたことには気づいていないらしい。


「……ねえ、リオン?」


 ビスクさんが、小さく手を上げた。


 ……あ。


 やっぱり来たか。


「はい?」


「さっきからギルマスに『リアリス』って呼ばれてるけど、何?」


 ……はい。


 そうですよね。


 気になりますよね。


 私はシルベスターさんを見た。


 シルベスターさんも、私を見た。


 そして、ようやく何かに気づいたように目を見開いた。


「……あ」


「……あ、じゃないですよ!」


 思わずツッコんでしまった。


 ビスクさんが首を傾げる。


「えっ。何かまずいこと聞いた?」


「いや、そうじゃなくて……」


 私は頭をかいた。


 ……まあ、仕方ないか。


 ここまできて誤魔化す方が、変に見えるだろうし。


「あー、ごめん。リオンって偽名なんだ」


「……え?」


「本当の名前はリアリス。こっちでも普通に依頼を受けられるように、登録名を変えたんです」


 ビスクさんの口が、ぽかんと開いた。


「……ええっ!?」


 グリッドさんも驚いた顔になった。


「待て、リオン。……いや、リアリス? お前、ギルドマスターと元から知り合いだったのか?」


「はい。登録のことも、シルベスターさんに相談しました」


「……なんだ、それは」


 グリッドさんが、深く息を吐いた。


 ……ごめんなさい。


 でも、嘘をついてみんなを困らせたかったわけじゃないんだ。


 静かに冒険者生活を送りたかっただけなんだよね。


 ……結果は、まったく静かじゃなかったけど。


 ビスクさんは、まだ納得できない顔をしていた。


「でも、リアリスって……どこかで聞いたことがあるような……」


「あ」


 フレミーさんが、小さく声を上げた。


「私、知ってます」


「えっ、本当に?」


「最近、王都で噂になっている人です。たしか……ヒュドラを倒して、ギルドへ持って帰ってきたって話ですよ」


 ……ああ。


 そんな噂になってたんだ。


 私は思わず、シルベスターさんを見た。


 シルベスターさんは、深くため息をついている。


「……それは、また」


 グリッドさんが私を見た。


 ビスクさんも、目をぱちぱちさせる。


「……あの噂の人?」


「……まあ、はい」


「でも、あれって作り話じゃなかったの? だって、ヒュドラよ?」


 ビスクさんが言った。


 フレミーさんも困ったように頷く。


「私も、本当だとは思っていませんでした。あんな魔獣を倒した人が、普通にFランクで依頼を受けているなんて……」


「……うん。私も、改めて言われると変だと思います」


 ……自分で言っちゃった。


「いや、お前が一番冷静なのが不思議だぞ」


 グリッドさんが苦笑した。


 ……確かに。


 でも、そこまで騒ぐことなのかなぁ。


 ……騒ぐか。


 熊をペットにして帰ってきたばかりだし。


「……まさか、ほかにも何か大きな魔獣を倒していたりしないだろうな」


 ルックランさんが、初めて少しだけ表情を変えた。


「……ええと」


 私は曖昧に笑う。


 ……この質問、答えづらいな。


 邪竜のことも、国王との約束も、軽々しく話す内容じゃない。


 あれは秘密にする必要がある。


 聞かれていないことまで、自分から説明するつもりもない。


「……そこは、内緒ということで」


「……分かった。もう聞かん」


 ルックランさんは、あっさり引き下がった。


 ……ありがたい。


 シルベスターさんは、また頭を抱えている。


 なんだか、この部屋に来てからずっとそうしている気がする。


「……だから俺は、目立つなと言ったんだ」


「……努力はしてますよ」


「結果が伴っていない!」


 ……ああ。


 それは、否定できないね。


「……いずれにせよ、だ」


 シルベスターさんが、改めて皆を見渡した。


「ここで聞いたことは、二つとも秘密だ」


「二つ?」


 ビスクさんが首を傾げた。


「こいつが魔獣に何をしたのか。そして、リオンという名前の裏に誰がいるのか。どちらも、外では話すな」


 ……おお。


 ちゃんと整理してくれてる。


 さすがギルドマスター。


「了解しました」


 グリッドさんが答える。


「もともと、魔法のことは守るつもりでした。名前のことも同じです」


「私も誰にも言わないわ」


 ビスクさんも頷いた。


 フレミーさんとルックランさんも、それぞれ同意してくれる。


 ……よかった。


 私はほっと息を吐いた。


 そのとき。


「……リアリス様」


 桜花が、静かに口を開いた。


 ……あ。


 名前が分かったから、もう外向きの呼び方に戻してる。


 私は振り向いた。


「何、桜花?」


「……全員殺しますか?」


「やめて!」


 反射的に答えてしまった。


 ……いやいやいや!


 何でそうなるの!?


 しかも、何の迷いもなく聞かないでよ!


「……秘密をお守りする、最も確実な方法かと」


「確実すぎるよ!」


 私が思わず声を上げると、桜花は静かに頭を下げた。


「かしこまりました」


 ……うん。


 何事もなかったみたいに納得したね。


 この子、こういうところだけは本当に怖い。


 グリッドさんたちは、全員固まっていた。


 ビスクさんに至っては、口元を引きつらせている。


「……えっと、今のって……冗談よね?」


「……うん。そういうことにしておこうか」


 私は笑って答えた。


 ……頼む。


 お願いだから、そういうことにしておいて。


 シルベスターさんは、疲れ切った顔で天井を見上げた。


「……お前の相棒が普通じゃないことは、今朝よく分かったと思ったんだがな」


「……あはは」


 ……今朝も、いろいろあったからね。


 新人つぶしの服が、見事に細切れになってたっけ。


 今日はもう十分、桜花の実力を見せたんじゃないかな。


「桜花」


「はい」


「こういうときは、まず私に相談してね」


「承知いたしました」


 ……よし。


 それでいい。


 全員、ちゃんと生きて帰る。


 それが一番だからね。


「……もういい。トラストの四人は、先に戻ってくれ」


 シルベスターさんが、深く息を吐いた。


「依頼はきちんと完了している。報酬も受付で受け取れるはずだ」


「承知しました」


 グリッドさんが立ち上がる。


 ビスクさんも椅子を引き、私の方へ向き直った。


「……ねえ、リオン。あ、リアリス、だったわね」


「どっちでも大丈夫ですよ。外ではリオンでお願いします」


「……分かったわ」


 ビスクさんが小さく笑った。


「今日のこと、いろいろ驚いたけど……助けてもらったことは、本当だから」


「はい」


「だから、また一緒に依頼を受けましょうね」


 ……おお。


 こんなに騒がせたのに、また誘ってくれるんだ。


 ちょっと嬉しい。


「ぜひ。次は、もう少し平和な依頼がいいですね」


「……本当に、お願いね!」


 ビスクさんは笑いながら答えた。


 その横で、フレミーさんが丁寧に頭を下げる。


「魔法のことは、絶対に口外しません。今日はありがとうございました」


「こちらこそ。いろいろ勉強になりました」


 ルックランさんも軽く手を上げた。


「次に組むなら、また護衛でもいい。判断は早かったからな」


「ありがとうございます」


 ……そう言われると、照れるな。


 最後に、グリッドさんが私の前へ来た。


「リオン……いや、今日はリアリスか。俺はお前たちを信用することにした。秘密は守る」


「ありがとう、グリッドさん」


「……ただし、次からは何か思いついたら、できれば先に相談してくれ」


「……はい」


 ……あれ。


 この台詞、どこかで聞いた気がする。


 巴さんだったかな。


「それじゃ、またな」


「はい。また!」


 四人が応接室を出ていく。


 扉が閉まる直前、ビスクさんがもう一度小さく手を振った。


 ……いい人たちだったなぁ。


 私は胸のあたりが、少し温かくなるのを感じた。


 初めてのパーティ依頼は、とんでもないことになったけど。


 それでも、また一緒に仕事をしたいと思える人たちに出会えた。


 ……うん。


 今日の一番の収穫は、もしかしたらそこかもしれない。


 応接室に残ったのは、私と桜花、そしてシルベスターさん。


 ……あと、小さな熊が一匹。


「……それで」


 シルベスターさんが、疲れた声で言った。


「お前、その熊をどうするつもりだ」


「家で飼うよ」


 私は即答した。


 シルベスターさんは、しばらく黙った。


「……即答か」


「はい。せっかく仲良くなれたので」


「……Sランクの魔獣だぞ」


「今は小さいですよ?」


「大きさの問題じゃない!」


 ……また怒られてしまった。


 でも、この子はもう私の命令を聞いてくれる。


 人を襲わないようにも言ってあるし、勝手に森へ戻って暴れることもないはずだ。


 もちろん、そこはちゃんと責任を持つつもりだ。


「大丈夫です。食事も私が用意しますし、周りに危険がないようにします」


「……本当だな?」


「はい」


「絶対に、町の中で元の大きさに戻すなよ」


「もちろんです」


「勝手に人の家へ入らせるな」


「はい」


「そのへんの冒険者に見せびらかすな」


「……はい」


 ……あれ。


 だんだん、子供へ言い聞かせるような口調になってきたな。


 でも、それだけ心配してくれてるんだよね。


「シルベスターさん」


「……何だ」


「いろいろありがとうございます」


 私が頭を下げると、彼は一瞬だけ目を丸くした。


 それから、小さく笑った。


「……礼はいい。次こそ、本当に普通の依頼を受けてこい」


「もちろんです!」


「……その返事が一番信用できん」


 ……ひどいなぁ。


 私、今日も普通の護衛依頼を受けてきただけなんだけど。


 途中で、ちょっと熊を拾っただけで。


 ……あ。


 それが駄目なのか。


「ほら、もう帰れ。報酬を受け取るのを忘れるなよ」


「はい!」


 私は立ち上がった。


 桜花も静かに頭を下げる。


「失礼いたします」


 熊が彼女の腕の中で、小さく鳴いた。


「……くぅ」


 シルベスターさんは、もう何も言わなかった。


     ◇


 受付へ戻ると、リリーナさんが待っていた。


「お疲れ様でした、リオンさん。依頼の完了を確認しました」


「ありがとうございます」


 渡された報酬を受け取り、ギルドカードも確認する。


 ……おお。


 ちゃんと、冒険者の仕事をした実感がある。


「……ところで、お二人とも」


 リリーナさんが少し声を落とした。


「ギルドマスターは、大丈夫でしたか?」


「……たぶん」


 私が答えると、彼女は何とも言えない笑顔になった。


「……そうですか。では、またお気をつけて」


 ……うん。


 この人、いろいろ察してるな。


 桜花が軽く会釈する。


「お世話になりました」


 私はギルドを出て、大きく伸びをした。


 夕方の風が、頬を撫でていく。


「……ふう。今日は楽しかったね」


「はい、リアリス様」


 桜花が微笑む。


 熊は、相変わらず彼女の腕の中だ。


「……くぅ」


「君も楽しかった?」


 私が声をかけると、熊は小さく鼻を鳴らした。


 ……まあ、君はちょっと大変な一日だったかもしれないけど。


 王都の通りを歩きながら、私は家のことを考える。


 巴さんに、まず事情を説明しないとなぁ。


 カトレアと楓は、どんな顔をするだろう。


 楓とは、帰ったら抱きしめる約束もしている。


 ……忘れてないよ。


 絶対に。


 やがて、見慣れた屋敷が見えてきた。


 門の向こうには、手入れされた庭。


 花壇には、カトレアの好きな花が咲いている。


「……帰ってきたね」


「はい」


 私は足を止め、桜花の腕の中を覗き込んだ。


「君も、今日からここが家になるんだよ」


 小さな熊は首を傾げた。


 ……さて。


 新しい家族が増えたことを、どう説明しようかな。


 私は少し笑って、屋敷の門へ手を伸ばした。


「リアリス様。その前に一つ」


「ん?」


「この子は、今の《結界》では中へ入れないかと」


「……あっ、そうだった」


 うちの《結界》は、許可していない相手を通さない。


 私はさっそく設定を調整し、この熊だけを通れるようにした。


「よし。これで大丈夫」


「ありがとうございます」


 桜花が熊を抱えたまま門をくぐる。


 ……うん。問題なし。


 さて、みんなはどんな顔をするかな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。