第6話:新人冒険者リオンの初依頼
朝、食堂の窓から庭を眺めていると、花壇のそばで二つの小さな頭が並んでいた。
橙色と、水色。
楓とカトレアだ。
カトレアはしゃがんで花を見つめ、楓が隣で何かを指さしている。
少し前なら、カトレアは外へ出るときも誰かの顔色をうかがっていた。今では自分から庭へ行きたがるし、昨日は巴さんに料理の手伝いまで申し出た。
……ちなみに、任されたのは葉物をちぎる作業だったらしい。
巴さんの判断は、いつだって堅実だなぁ。
「リアリスちゃん。今日はお出かけ?」
背後から声がして振り向くと、巴さんが朝食の皿を運んでいた。
「うん。桜花とギルドへ行こうと思ってる」
「あら、久しぶりね」
「お店の様子も落ち着いてきたし、そろそろ冒険者らしいこともしたくてさ」
雑貨屋にサロン。
思いつきで始めたわりには、どちらも順調だ。
とはいえ、私が毎日店番をする必要はない。雑貨屋はメイドたちが交代で回しているし、サロンも午前の予約に合わせて働けばいい。
……このままだと、肩書きが『冒険者』より『商店主』になりそうなんだよね。
「お昼はどうするの?」
「いい依頼があれば、そのまま出かけるかもしれない。何もなければ戻ってくるよ」
「分かったわ。じゃあ、持っていけるものも少し用意しておきましょうね」
「え、いいの?」
「もちろん。お腹が空いたまま出歩くのは、よくないでしょう?」
巴さんはにっこり笑った。
……この人は、どんな予定でも最後はご飯にたどり着く。
いや、ありがたいんだけど。
「巴さん、いつもありがとう」
「どういたしまして。帰ってきたら、ちゃんとお夕飯もあるからね」
「……それを聞くと、絶対に帰ってこようって思うなぁ」
「あらあら」
巴さんが楽しそうに笑う。
ちょうどそこへ、桜花が入ってきた。
銀色の短い髪は今日も綺麗に揃い、腰には日本刀。
いつものメイド服で、いつもの涼しい顔だ。
「おはようございます、リアリス様」
「おはよう、桜花。準備はいい?」
「はい。いつでもお供できます」
「よし。今日は普通の依頼を受けよう。普通のやつね」
「承知いたしました。普通の依頼でございますね」
……確認が妙に丁寧だな。
初日には竜。
次の日には大きなヒュドラ。
薬草採取に出かけたら、オークに襲われた馬車を発見。
……うん。
これまでが、ちょっと普通じゃなさすぎた。
今日こそは、できれば変わったことのない依頼がいい。
私はパンを口へ運びながら、そう心に決めた。
決めただけで何かが変わるなら、苦労しないけどね。
朝食が終わると、カトレアが廊下の向こうから駆けてきた。
「……リアリスさん!」
「おっと。どうしたの?」
私の前で立ち止まり、両手を胸の前で握る。
「……おでかけ、するの……?」
「うん。桜花と冒険者のお仕事に行ってくるよ」
「……おうかおねえちゃんも……?」
「はい。ご一緒いたします」
桜花がそっと微笑む。
カトレアは二人を交互に見て、小さくうなずいた。
「……いってらっしゃい……」
「うん。行ってきます」
私はしゃがんで目を合わせた。
「楓とお花の世話、よろしくね」
「……うん!」
その言葉を聞いたのか、楓が廊下の角から現れた。
「……リアリス様」
「楓、おはよう」
「……お仕事?」
「そう。今日はちょっと冒険者らしいことをしに行くんだ」
「……分かった」
楓はこくりとうなずいた。
それから、私の服の裾をつまむ。
「……帰ったら」
「うん?」
「……ぎゅって、する」
……はい。
約束ですね。
「もちろん。帰ってきたらね」
「……うん」
楓は満足したように手を離した。
カトレアも、そのやり取りを見て笑っている。
……というか。
出かける前から帰宅後の予定が決まっている冒険者って、どうなんだろう。
まあ、いいか。
私には待っていてくれる人がいる。
それだけで、帰る理由としては十分だ。
玄関を出ると、桜花が隣に並んだ。
「よろしいのでございますか、リアリス様」
「何が?」
「楓たちと、もう少しお過ごしにならなくても」
「うん。ずっと家にいるのも、それはそれで落ち着かないんだ」
私は王都へ続く道を見た。
「冒険者の仕事もしておきたいしね」
「かしこまりました」
少し歩いてから、私は声を潜めた。
「それと、桜花。今日はギルドでお願いがあるんだ」
「何でしょうか」
「新しい名前で登録し直そうかなって」
桜花が首を傾げた。
「……お名前を、でございますか」
「うん。本名だと、いろいろ目立つことが増えちゃったからね」
竜にヒュドラ、王様との謁見。
どれも、普通のFランク冒険者の経歴じゃない。
……自分で言っていて悲しくなるな。
「少しくらい気楽に依頼を受けられるように、名前を変えてみようと思うんだ」
「新しいお名前は、お決まりでございますか?」
「リオン」
「……リオン、でございますね」
「うん。短くて覚えやすいでしょ?」
桜花は、しばらく私の顔を見ていた。
そして。
「承知いたしました。では、外ではリオン様とお呼びいたします」
「助かる」
……うん。
頼もしい相棒だ。
ただ一つだけ。
「桜花」
「はい」
「ギルドで、いつもの癖でリアリス様って呼ばないでね」
「もちろんでございます」
自信満々だった。
……大丈夫だよね?
いや、桜花なら大丈夫だ。
問題は、私の方が『リオン』って呼ばれて反応できるかどうかだな。
◇
王都クーラルの冒険者ギルドは、今日も賑わっていた。
掲示板の前で依頼書を見比べる人。
装備を点検する人。
朝から酒場で何かを食べている人。
……最後の人は、これから仕事なのかな。
まあ、腹ごしらえは大事だよね。
「おはようございます」
受付へ向かうと、見覚えのある女性が顔を上げた。
リリーナさんだ。
「あら、リアリスさん。お久しぶりですね」
「おはようございます。今日はちょっとお願いがありまして」
「はい。何でしょう?」
私は周囲をちらりと見た。
ここは受付だから、全部が聞こえないようにするのは難しい。
でも、もともとシルベスターさんに事情を話しておけば、何とかなるだろう。
「別の名前で、登録し直したいんです」
「……登録し直す、ということでしょうか?」
「はい。できれば、普通の冒険者として依頼を受けたくて」
リリーナさんが、何とも言えない顔になった。
……うん。
そこは分かる。
『普通』と言うには、実績がちょっとおかしいからね。
「少々お待ちください。ギルドマスターに確認してまいります」
「お願いします」
しばらくすると、奥から聞き慣れた低い声がした。
「……お前、今度は何を始めるつもりだ」
シルベスターさんだった。
大柄な身体に、片腕。
今日も迫力がある。
「いやぁ。普通に依頼を受けたいだけですよ」
「その『普通』が信用できん」
「ひどい!」
シルベスターさんは深くため息をついた。
そこで初めて、隣に立っていた桜花へ目を向ける。
「そういやリアリス、そいつは誰だ?」
「ああ、桜花だよ。私の相棒」
「桜花と申します。よろしくお願いいたします」
「そうか。お前さんにも知り合いができたか」
「いや、魔法で作ったんですけど」
「……は?」
シルベスターさんが私を見る。
桜花を見る。
そして、もう一度私を見た。
「……人まで作れるのか、お前の魔法は」
「はい。ホムンクルスです」
「……そうか。じゃあ、その相棒も普通じゃないんだろうな」
「桜花はすごく頼りになりますよ」
「……だろうな。もう驚かん」
……いや、今ちょっと驚いてたよね?
シルベスターさんは、もう一度だけため息をついた。
「……まあ、身元は俺が把握している。登録名を変える程度なら、こちらで管理できるが」
「本当ですか?」
「ただし、何かあれば責任は取ってもらうぞ」
「もちろんです」
……やった。
これで念願の、普通の冒険者生活に一歩近づいた。
……近づいた、はず。
「それと、桜花も冒険者登録をお願いしたいんです」
私は隣を見た。
「私だけ登録してても、一緒に依頼を受けにくいでしょう?」
「……ああ。そっちも登録するのか」
シルベスターさんは桜花の腰の刀をちらりと見た。
「お前の相棒なら、今さら実力を疑う気にもならん」
「……それ、褒められてます?」
「さあな」
……うん。たぶん、褒め言葉じゃないね。
「リリーナ。二人の登録を頼む」
「かしこまりました」
「依頼の受注制限は、以前話したとおりにしておけ」
「はい」
私は首を傾げた。
「受注制限?」
リリーナさんが説明してくれた。
「通常、新しく登録された方は受けられる依頼に制限があります。でも、お二人のカードには特例として『依頼受注制限なし』と記載します」
「……えっ。Fランクのままで?」
「はい。階級はFランクですが、依頼の範囲は制限しません」
……おお。
それ、便利じゃない?
無理にランクを上げなくても、いろいろな依頼を試せるわけだ。
「ありがとうございます!」
私が頭を下げると、シルベスターさんは眉間を押さえた。
「……くれぐれも、騒ぎを起こすなよ」
「大丈夫ですって!」
「その台詞、何度聞いたか分からん」
……ごもっともです。
手続きを終え、私たちは新しいギルドカードを受け取った。
私の名前は『リオン』。
桜花も、今日からFランク冒険者だ。
二枚のカードには、同じように『依頼受注制限なし』と記されている。
……うん。
なかなかいい響きだ。
というか、Fランクなのに何でも受けられるのは、ちょっとだけ反則みたいな気もする。
「どうでしょう、リオン様」
「……ん?」
桜花が私を見る。
……あっ。
今、思いっきり反応が遅れた。
「……うん。いい感じだね」
「何よりでございます」
桜花の表情は、いつもどおり涼しい。
……絶対に気づいてるでしょ、今の。
私はカードを《収納》へしまおうとして、思い直した。
ギルドにいる間くらい、普通に持っていよう。
……新しい名前に慣れるためにもね。
「おい姉ちゃん、こんなのじゃなくて俺たちと遊ぼうぜ~」
……ん?
振り向くと、がっしりした体格の男が桜花に馴れ馴れしく声をかけていた。
後ろには、にやにや笑っている仲間が二人。
男の視線が、私たちのFランクのギルドカードへ向く。
「何だ、二人とも新人か? そんなひょろい男と一緒にいるより、俺たちがいろいろ教えてやるよ」
……ああ。
久しぶりに来たと思ったら、またこの手の人か。
私が口を開くより早く、男は桜花の肩へ手を伸ばした。
「お断りいたします」
桜花の声は、いつもどおり静かだった。
――しゅっ。
何かが空気を切った。
次の瞬間。
「……は?」
男の上着が、細い布切れになって床へ落ちた。
続いて、袖も、ズボンも、ぱらぱらと崩れ落ちる。
残ったのは、無傷の下着だけ。
もちろん、肌にはかすり傷一つない。
「うわああっ!? 俺の服がぁ!?」
男が慌ててしゃがみ込む。
後ろの二人も、笑うのを忘れて固まっていた。
……速っ。
私には何をしたか分かったけど、あの人たちには刀が動いたことすら見えなかっただろう。
桜花はすでに刀を鞘へ納め、何事もなかったように私へ向き直っていた。
「リオン様、参りましょう」
「……うん。行こうか」
……ええと。
さっき、シルベスターさんに騒ぎを起こすなって言われたばかりなんだけど。
受付の奥へ戻りかけていたシルベスターさんが、こちらを見ていた。
床に散らばった布切れ。
呆然と座り込む男。
そして、涼しい顔の桜花。
それらを見比べて、シルベスターさんは小さくうなずいた。
「……なるほどな」
……何に納得したか、聞かなくても分かる気がする。
私は苦笑して、桜花と一緒に歩き出した。
掲示板へ向かうと、いろいろな依頼が貼られていた。
荷物の運搬。
薬草の採取。
行方不明になった家畜の捜索。
町の外の魔獣の駆除。
そして、護衛。
……うん。
こういうのを見るだけで、ちょっとわくわくするな。
「桜花、どれがいいと思う?」
「リア……失礼。リオン様のお好みでよろしいかと」
「……今、危なかったね」
「はい。以後気をつけます」
……桜花も、さすがにすぐには慣れないらしい。
でも、言い直せたなら大丈夫だ。
私は掲示板へ視線を戻した。
薬草採取は、以前にも受けた。
今度は、誰かの護衛なんてどうだろう。
……冒険者らしいし。
ただ、あまり危険な相手だと普通じゃなくなるから、ほどほどでお願いしたい。
「……そこの二人」
隣から、声がした。
振り向くと、剣と盾を背負った男性が立っている。
日に焼けた顔。
落ち着いた目つき。
装備には使い込まれた跡があり、無駄に飾り立てたところがない。
……あ。
こういう人、いかにも冒険者って感じだ。
「はい。私たちですか?」
「ああ。さっき受付で『再登録』って聞こえたんだが」
……聞こえてたのか。
ちょっと恥ずかしいな。
「新しい名前で登録し直しただけです」
「なるほど。……その装備といい、まったくの新人ってわけじゃなさそうだな」
男性の視線が、私の腰の装備と桜花の刀へ移る。
なるほど。
ちゃんと見るところを見てるんだね。
「よかったら、少し話を聞いてもらえないか?」
「もちろん。何でしょう」
男性は、手を差し出した。
「俺はグリッド。Dランクパーティ『トラスト』のリーダーだ」
「リオンです。こちらは桜花」
「桜花と申します。よろしくお願いいたします」
グリッドさんは、しっかりと握手してくれた。
「よろしく。……俺たちは今、護衛の依頼を受けようとしてるんだが、ちょうど手を借りられそうな人を探していたところなんだ」
……護衛。
ちょうど気になっていた依頼じゃないか。
「詳しく聞いてもいいですか?」
「ああ。こっちだ」
グリッドさんが、掲示板の端に貼られた一枚の依頼書を指さした。
依頼書には、薬師の護衛と書かれていた。
薬草を採りに行く人に同行し、道中と採取中の安全を確保する仕事らしい。
目的地は、王都クーラルとマリノアの中間にある森。
Dランクの依頼だ。
「俺たち四人で受ける予定だったんだが、採取する薬草の種類が増えてな」
グリッドさんが説明する。
「森の中では薬師が手を離せない。護衛の目は多い方がいいんだ」
「なるほど。移動中だけじゃなく、採取している間も守るんですね」
「そういうことだ」
……うん。
いいじゃないか。
薬草採取も、護衛も、どちらも冒険者らしい。
危険な魔獣を倒すことが目的じゃないのも、なかなか私好みだ。
「でも、私たちでいいんですか? カードはFランクですよ」
グリッドさんは、私の手元のカードを見た。
「そうだな。だが、さっきの受付嬢は『再登録』と言っていた。お前の装備も、ただの駆け出しには見えない」
「……そうですか?」
「ああ。特に、そっちの彼女の刀だ」
桜花が目を向ける。
「私の刀でございますか」
「鞘や下げ方を見れば分かる。飾りじゃないだろう」
……おお。
なかなか鋭い。
桜花の刀は、普通の鍛冶屋さんが作ったものではない。
ただ、その辺りを説明するとややこしいので、私は笑ってごまかした。
「まあ、少しは戦えます」
「そうか。それなら助かる」
グリッドさんは、簡単に納得してくれた。
……いい人だなぁ。
強さを根掘り葉掘り聞かれるより、ずっと楽だ。
「ただし、無理をしてほしくはない。Dランクの依頼だから、危険がないわけじゃないからな」
「はい。そこは気をつけます」
……まあ、本当に危なくなったら桜花がいるしね。
私は、依頼書の下の方を読んだ。
依頼人は、薬師のレイストンさん。
薬草の種類と必要量は、現地で本人に確認すること。
往復の馬車は、依頼人が用意する。
「……馬車かぁ」
「苦手か?」
「いえ。この世界に来てから、あまり乗ったことがなくて」
「そうか。なら、いい経験になる」
……うん。
そうなんだよね。
《転移》なら一瞬で移動できるけれど、普通に馬車で旅をする機会は少ない。
せっかくの異世界だし、こういう移動も味わってみたい。
「桜花、どう?」
「リオン様がよろしいのであれば、私に異存はございません」
「じゃあ、参加させてもらおうか」
グリッドさんは嬉しそうに笑った。
「助かる。だが、まずは仲間を紹介させてくれ」
「はい。お願いします」
彼はギルドの奥の方へ手を振った。
「おーい。こっちだ!」
その声に、三人が振り返った。
最初にやってきたのは、身軽そうな若い女性だった。
腰には、左右に一本ずつ短剣。
身のこなしも軽い。
「あれ、グリッド。もう人を見つけたの?」
「ああ。こちらはリオンと桜花。今回の依頼に同行してもらうことになった」
「へえ!」
彼女は私たちを見比べた。
「私はビスク。短剣使いよ。よろしくね!」
「リオンです。よろしくお願いします」
「桜花と申します」
ビスクさんは桜花の刀を見て、口笛を吹いた。
「わあ、それかっこいいね! 抜くところも見てみたいな」
「必要となりましたら、お見せいたします」
「……わあ、怖いくらい落ち着いてるわね」
……うん。
桜花が本当に抜いたら、たぶん『かっこいい』だけでは済まない。
次に近づいてきたのは、弓を背負った細身の男性。
「ルックランだ。弓を使う。見張りと、遠くの様子を見るのが得意だ」
「よろしくお願いします」
「よろしく」
短い挨拶だった。
でも、こちらの装備だけでなく、掲示板や出口の位置まで自然に視線を向けている。
……なるほど。
周囲をよく見ている人なんだな。
最後は、杖を持った女性だった。
少し緊張したように姿勢を正している。
「フレミーです。火と水の下級魔法を使います。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
「よろしくお願いいたします」
桜花も丁寧に頭を下げた。
フレミーさんは、私たちのギルドカードを見て目を瞬かせる。
「あの……お二人とも、Fランクなんですか?」
「はい。今日登録したばかりです」
「えっ、今日?」
……しまった。
言い方が悪かったかな。
「私は再登録ですけど、桜花は今日が初めてです」
「ああ、そういうことなんですね」
グリッドさんが頷いた。
「俺も聞いたが、二人とも実力はありそうだ。もちろん、仕事中は俺の指示にも従ってもらう」
「分かりました」
「かしこまりました」
ビスクさんが腕を組んで、楽しそうに言った。
「へえ、六人になるのね。いつもより賑やかになりそう!」
「そうだな。ただし、これは一回の依頼だ。パーティへの加入を誘ってるわけじゃないぞ」
グリッドさんが、私たちへ確認する。
「そのつもりでいてくれ」
「もちろんです。私たちも普段は二人で動いてますから」
……うん。
ここは、はっきりしていた方がいい。
トラストは四人で一つのパーティ。
私たちは、今回の護衛を手伝う。
それだけで、十分だ。
ビスクさんが、私に手を差し出した。
「じゃあ、よろしくね。リオン」
「はい。こちらこそ」
私は握手を返した。
……しかし。
初めて会った人に普通に名前を呼ばれるのって、新鮮だな。
『リオン』としての一日が、いよいよ始まった気がした。
グリッドさんたちと一緒に受付へ戻ると、リリーナさんが依頼書を確認してくれた。
「薬師レイストン様の護衛採取依頼ですね」
「はい。二人、同行者を追加したい」
グリッドさんが答える。
リリーナさんは私と桜花を見て、何か言いかけた。
……あっ。
今、思いっきり『リアリスさん』って呼びそうにならなかった?
私は内心でちょっとひやひやした。
「……リオンさんと、桜花さんですね」
「はい!」
……よかった!
さすがリリーナさん。
こういうときの切り替えが早い。
「お二人のカードは……確認できました。受注制限もありませんから、問題ございません」
リリーナさんは依頼書に必要事項を書き込んだ。
「今回の依頼は、王都から目的地までの往復と、薬師様が採取されている間の護衛です」
「承知しています」
グリッドさんが頷く。
「採取作業の補助が必要な場合は、薬師様の指示に従ってください。魔獣の討伐は目的ではありませんので、安全第一でお願いいたします」
「分かりました」
私は素直に返事をした。
……うん。
魔獣を追いかけ回す必要がないのは、ありがたい。
あくまで、人を守って薬草を持ち帰る仕事だ。
リリーナさんは、私の顔をじっと見た。
「……リオンさん」
「はい?」
「くれぐれも、無茶なことはなさらないでくださいね」
「……はい」
……あれ。
これ、リオンに対する注意じゃないよね。
明らかに、普段の私を知っている人の言い方だった。
横でビスクさんが首を傾げる。
「受付のお姉さん、知り合いなの?」
「……ええ。以前、少しお世話になりまして」
「なるほど。それで再登録なのね」
……うん。
そういうことにしておこう。
リリーナさんは、最後にグリッドさんを見た。
「皆様、どうかお気をつけて」
「ああ。任せてくれ」
グリッドさんは依頼書を受け取り、仲間へ声をかけた。
「よし。依頼人とは城門の外で待ち合わせだ。出発しよう」
「了解!」
ビスクさんが元気よく返事をした。
ルックランさんは装備を確かめ、フレミーさんも杖を持ち直す。
桜花が私へ小さく会釈した。
「参りましょう、リオン様」
「うん。行こうか」
私はギルドの扉を押した。
……いいね。
誰かと一緒に依頼へ出かけるなんて、ちょっと本物の冒険者になった気分だ。
……いや。
一応、もう本物なんだけどね。
◇
城門へ向かう道を、六人で歩く。
王都の通りは今日も人が多い。
荷車を押す商人、朝の買い物をする人、店先で声を張る店主。
その間を、装備を身につけた冒険者たちが進んでいく。
……なんだか、それだけでちょっと楽しい。
「リオンって、どこの出身なの?」
ビスクさんが隣へ寄ってきた。
「え? ああ……遠いところです」
「へえ。どの辺り?」
「……かなり、遠いところですね」
……具体的には、別世界です。
もちろん、言わない。
「ふうん。じゃあ、この王都には来たばかり?」
「そうですね。まだ知らないことが多くて」
「だったら、あとでマリノアの話でもしようか。私たち、何度かあの辺りの依頼を受けてるの」
「ぜひお願いします」
……助かる。
この世界の土地勘は、まだまだ足りない。
頭の中の地図で場所を知ることはできても、そこがどんな町で、何が有名なのかまでは分からないからね。
少し前を歩いていたルックランさんが、振り返らずに言った。
「マリノアの話をするなら、道の状態も教えておけよ」
「ああ、そうそう。雨が降るとぬかるむんだよね、あの辺り」
「あと、馬車の車輪がはまる場所がある」
……ふむ。
こういう情報こそ、旅の経験なんだな。
「覚えておきます」
私は素直にうなずいた。
……まあ、私なら《転移》でどうにでもなりそうだけど。
でも、それは普通の冒険者の移動とは違う。
今日はみんなと同じやり方で行こう。
城門が近づくと、門兵さんが私へ軽く手を上げた。
「おっ、リア……」
……あ。
私は慌てて小さく首を振った。
「……おっと。今日はお仲間が多いな」
「はい。護衛の依頼で出かけるところです」
「そうか。気をつけてな」
「ありがとうございます」
門兵さんは、少し不思議そうな顔をしながら見送ってくれた。
……危なかった。
ギルドの人だけじゃなくて、門兵さんにも名前を知られてるんだった。
「知り合いが多いね、リオン」
ビスクさんが笑う。
「……まあ、いろいろと」
「顔が広いのはいいことよ」
「……そうですかね」
私は苦笑した。
……よし。
これからは、ちょっと気をつけよう。
その横で桜花が、何も言わずに微笑んでいた。
……この相棒、絶対に面白がってるよね。
城門を抜けたところに、一台の馬車が停まっていた。
丈夫そうな車輪。
屋根のついた荷台。
その横には、薬草を入れるためだろう、大きな籠がいくつも積まれている。
馬は二頭。
どちらも落ち着いていて、私たちが近づいても騒がなかった。
「お待たせしました、レイストンさん」
グリッドさんが声をかける。
馬車のそばから、荷物を整理していた男性が顔を上げた。
背は高くないが、どこか真面目そうな雰囲気だ。
指先には、薬草の汁が染みたような跡がある。
「おお、グリッド君。助かるよ」
男性は笑顔で近づいてきた。
「今日は人数が増えたんだね」
「ああ。二人、同行してもらうことになった。リオンと桜花だ」
「リオンです。よろしくお願いします」
「桜花と申します」
「私はレイストン。薬師をしている。今日はよろしく頼むよ」
握手をすると、レイストンさんの手は思ったより固かった。
……薬師さんって、ずっと薬を調合しているだけじゃないんだな。
自分で森へ行って材料を採るんだから、当然か。
「今回の薬草は、王都の近くではあまり採れない種類なんだ」
レイストンさんが籠を指さした。
「最初は街道からそう離れていない場所を探す。必要量が足りなければ、少し奥まで歩くことになると思う」
「分かりました。採取中は、私たちが周りを見ておきます」
グリッドさんが答える。
「薬草を探すために動き回ってもらって構わないが、声の届く範囲からは離れないでください」
「もちろん。そのために皆さんに頼んだんだからね」
……うん。
依頼人も協力的で、やりやすそうだ。
レイストンさんは荷台を開けると、小さな紙束を取り出した。
「必要な薬草の絵と、特徴をまとめておいたよ。よかったら見ておいてくれ」
「ありがとうございます」
私は一枚受け取った。
葉の形。
茎の色。
花が咲く季節。
似ている別の植物との違い。
……おお。
思ったより本格的だ。
「これ、分かりやすいですね」
「間違えて採ると、薬の効き目が変わってしまうからね。気をつけているんだ」
……なるほど。
便利な魔法があっても、こういう知識は大事だな。
グリッドさんが皆を見回した。
「よし。移動するぞ。ルックラン、御者を頼む」
「ああ」
ルックランさんが手綱を取る。
「フレミーは隣で道を見てくれ」
「はい」
フレミーさんは御者台の隣へ座った。
残りの私たちとレイストンさんは、荷台へ乗り込む。
私は板張りの座席へ腰を下ろし、隣に桜花が座った。
……わあ。
本当に、冒険者の馬車旅だ。
ちょっとした遠足みたいで、胸が弾んだ。
◇
馬車がゆっくり動き出した。
車輪が石を踏むたび、荷台がごとん、と揺れる。
「……おお」
私は思わず声を上げた。
前の世界で乗っていた車とは、ずいぶん違う。
当然、座席に柔らかいクッションがあるわけでも、振動をほとんど感じないわけでもない。
……お尻、ちょっと痛くなりそうだな。
「馬車は初めてか?」
グリッドさんが尋ねる。
「こうやって長く乗るのは、初めてです」
「だったら、荷物を背中の後ろに置くと少し楽だぞ。路面の悪いところでは揺れるからな」
「あ、ありがとうございます」
私は空いていた布袋を背もたれ代わりに置いた。
……おお。
これは確かに、ちょっと楽だ。
異世界での生活の知恵、ありがたいね。
「慣れたら寝られるようになるよ」
ビスクさんが笑った。
「私なんて、一度気づいたら町を通り過ぎてたのよ」
「……それは慣れすぎじゃない?」
「御者がちゃんとしてたから、大丈夫!」
前からルックランさんの声が飛んでくる。
「次は起こさずに置いていくぞ」
「ええっ、ひどい!」
フレミーさんが小さく笑った。
……いいなぁ。
長く一緒に依頼を受けてきた仲間なんだろう。
お互いに言いたいことを言えて、それでいてちゃんと信頼している。
私と桜花とは、また違った距離感だ。
「そういえば、リオンさんはどんな武器を使うんですか?」
フレミーさんが御者台から振り向いた。
「私ですか? 剣も少し使いますけど、基本は魔法ですね」
「魔法ですか!」
彼女の声が弾んだ。
「どの属性を?」
「……うーん」
……困った。
私の《想像魔法》には、火とか水とか、普通の分類があまり当てはまらない。
「いろいろ、状況に合わせて使う感じです」
「いろいろ……?」
「はい。得意なのは、どちらかというと補助ですね」
……嘘ではない。
防御も回復もできるし。
ただ、威力の話をすると面倒なことになるだけだ。
「へえ。補助魔法が使えるなら助かるな」
グリッドさんが頷いた。
「俺たちはフレミーに頼ることが多いから、選択肢が増えるのはありがたい」
「いえ、まだどんな状況になるか分かりませんけど」
「それでいい。無理に目立つ必要はない」
……この人、いいこと言うなぁ。
私も、できることなら目立ちたくない。
何だか気が合いそうだ。
馬車は街道を進み、王都の城壁が少しずつ遠ざかっていった。
左右には畑と草原。
その向こうには、低い丘が連なっている。
遠くを歩く旅人が、こちらの馬車に手を振っていた。
……うん。
こういう景色を眺めているだけでも、十分楽しい。
「そういえば、この辺りって魔獣は多いんですか?」
私が尋ねると、ビスクさんが先に答えた。
「街道沿いなら、それほどでもないよ。たまにF級とかFF級が出るけどね」
「へえ。そうなんですね」
「ただし、森の奥は別。あまり不用意に入らない方がいい」
グリッドさんが付け加える。
「今回は採取依頼だから、必要な量が揃えば長居はしないつもりだ」
「分かりました」
……その方針には賛成だ。
必要なものを採って、安全に帰る。
冒険者の仕事って、本来そういうものだよね。
「ところで、最近ちょっと変な噂があるんだよ」
ビスクさんが、声を落とした。
「魔獣を操る魔族がいる、って話」
「……魔獣を、ですか?」
私は思わず聞き返した。
「うん。森で魔獣の群れを見た旅人が、魔族らしい影も見かけたとか何とか」
フレミーさんが、御者台から言った。
「確かな話ではありませんよ。魔獣同士が同じ方向へ動いていただけかもしれませんし」
「でも、昔から魔族は魔獣を操るって話、あるじゃない?」
「それと今回の噂が本当かどうかは別だろう」
ルックランさんが短く返した。
「……まあ、そうなんだけどね」
ビスクさんは肩をすくめる。
……なるほど。
魔獣を操る、か。
こちらの世界では、そんな話があるんだね。
「もし本当に操れたら、便利そうですね」
私が何気なく言うと、グリッドさんが眉を上げた。
「……便利、か?」
「あ、いや。危険な魔獣じゃなくて、おとなしい動物みたいにできるなら、ですけど」
「なるほどな。まあ、実際には難しいだろう」
「ですよね」
私は笑って答えた。
……でも、ちょっと面白い話だな。
何となく、頭の隅に留めておこう。
桜花が隣から私を見ていた。
「……リオン様」
「ん?」
「何か、お考えでございますか?」
「いや、珍しい話だなって」
「左様でございますか」
桜花はそれ以上尋ねなかった。
……うん。
今は、おとなしく依頼に集中しよう。
しばらく進むと、街道の先でルックランさんが手綱を緩めた。
「……右の草むら」
短い声だった。
グリッドさんが、すぐに身体を起こす。
「何かいるのか?」
「小さいのが二匹。今は道へ出てこない」
私は荷台から顔を出してみた。
道の脇の草が、かさかさと揺れている。
その隙間から、丸い身体の小さな魔獣が顔を覗かせた。
……おお。
ちょっとした野生動物みたいだ。
「FF級だな」
ビスクさんがつぶやく。
「放っておけば大丈夫。こっちが近づかなければ、向こうも逃げるよ」
グリッドさんが頷いた。
「よし。そのまま進もう」
ルックランさんは馬を落ち着かせ、少し速度を落として通り過ぎた。
魔獣は草の向こうへ隠れていく。
……うん。
何も起きなかった。
それが一番いいね。
「退治しなくてもいいんですか?」
私は一応、確認してみた。
「街道を塞いでいるわけじゃないからな。余計な戦闘は避ける」
グリッドさんが答える。
「護衛の仕事は、魔獣を倒した数を競うことじゃない。レイストンさんと採取した薬草を無事に帰すのが目的だ」
「……なるほど」
私は素直に感心した。
強ければ全部倒せばいい、というものじゃないんだな。
いや、考えてみれば当然か。
……それに、戦ったら馬も驚くだろうし。
少し進むと、今度は左手の遠くに一匹、F級の魔獣が見えた。
四つ足で、こちらの馬車を見ている。
ルックランさんが道の反対側へ馬車を寄せると、魔獣は草原の方へ走り去った。
……はい。
こちらも戦闘なし。
ビスクさんが肩をすくめた。
「今日は平和で助かるね」
「まったくだ」
グリッドさんが頷く。
「この調子で終われば、言うことなしだ」
……うん。
私もそう思う。
私はこっそり、桜花の顔を見た。
桜花は穏やかに微笑んでいる。
「……普通でしょ?」
私が小声で言うと、桜花は同じように小さく答えた。
「はい。実に平穏でございます」
……よし。
今日は、今のところ順調だ。
このまま何も起きないなら、それが一番いい。
街道の景色が少し変わってきた。
畑は次第に減り、道の両側に低い木々が増えていく。
遠くには、大きな森が見えた。
「あそこですか?」
私は前方を指さした。
レイストンさんが頷く。
「ああ。王都とマリノアの間にある森だよ。目的の薬草は、あの辺りでよく見つかるんだ」
「へえ」
「ただ、木の下に生える種類もあるからね。日当たりだけで探すと、見つからないこともある」
私はもらった紙へ目を落とした。
細長い葉。
少し赤みのある茎。
根元の形にも、目印があるらしい。
……うん。
見分けられるかな、これ。
日本で暮らしていた頃、植物の名前なんてほとんど気にしてなかったからね。
「リオンさん、薬草には詳しいのかな?」
レイストンさんが尋ねる。
「いえ、まだまだです。以前、普通の採取依頼はやりましたけど」
「そうか。じゃあ、現地で説明しよう。実物を見るのが一番だからね」
「ありがとうございます」
……いい人だなぁ。
実は、私なら《サーチ》で探すこともできる。
でも、薬草の見分け方そのものを覚えられるなら、そっちも面白い。
毎回、魔法で全部済ませる必要はないからね。
ビスクさんが荷台の奥から身を乗り出した。
「ねえ、レイストンさん。今日の薬草って、そんなに珍しいの?」
「珍しいというほどではないが、状態のよいものを揃えるには場所を選ぶんだ」
「状態?」
「葉が傷んでいたり、根が細すぎたりすると、調合したときに効き目が安定しない」
「へえ、そういうものなのね」
レイストンさんは、取り出した見本の絵を指でなぞった。
「薬は、使う人の身体に入るものだからね。いい加減な材料では作りたくないんだよ」
……なるほど。
そう言われると、薬師という仕事にも興味が湧く。
私の《完全回復》とは、まったく違うやり方だ。
でも、誰かの具合をよくするという目的は、似ているのかもしれない。
「……かっこいい仕事ですね」
思ったままに言うと、レイストンさんは少し照れくさそうに笑った。
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいね」
ビスクさんが横から笑う。
「ねえ、グリッド。リオン、何でも楽しそうに聞くね」
「知らないことを聞くのは、いいことだ」
「……そうですね」
私はうなずいた。
うん。
知らないことばかりの異世界なんだから、楽しんで覚えていこう。
◇
森の手前で馬車が停まった。
街道から少し外れた、開けた場所だ。
木漏れ日が地面へ落ち、風が葉を揺らしている。
……いいね。
こういうところでお昼ご飯を食べたら、きっとおいしいだろうな。
「まず、馬車を動かせる状態にしておく」
グリッドさんが皆へ声をかけた。
「何かあれば、すぐ街道へ戻れるようにするぞ」
「了解」
ルックランさんが馬の様子を確かめ、荷物の位置を調整する。
ビスクさんは周囲の草むらを軽く見て回った。
……早い。
到着してすぐ、それぞれが自分の仕事を始めている。
私は、レイストンさんが降ろす籠を一つ持った。
「これ、こちらでいいですか?」
「ああ、ありがとう。助かるよ」
……うん。
力仕事くらいは、普通にやろう。
「リオン、桜花。二人は、レイストンさんの近くを頼む」
グリッドさんが言った。
「フレミーも一緒だ。何かあれば声を出してくれ」
「分かりました」
「承知いたしました」
「はい!」
フレミーさんも頷く。
「ルックランは、高い場所から周囲を見てくれ」
「分かった」
ルックランさんは森の端にある木を見上げた。
登りやすい枝を確かめ、するすると登っていく。
……おお。
身のこなしが軽い。
弓を背負ったままなのに、慣れてるなぁ。
「俺とビスクは、少し先まで見てくる」
「了解! 変なのがいたら、すぐ知らせるね」
ビスクさんが短剣の柄に触れる。
グリッドさんは、もう一度私たちを見た。
「離れすぎないようにしてくれ。見張りの目が届くところで動こう」
「はい」
……うん。
無理のない分担だ。
レイストンさんが籠を持ち、木陰へ向かった。
「それじゃ、最初の薬草を探そうか」
「お願いします」
私は桜花とフレミーさんに目を向けた。
桜花はいつもどおり、穏やかにうなずく。
フレミーさんは周囲を警戒しながら、杖を持ち直した。
……さて。
薬師さんの仕事、間近で見せてもらおう。
レイストンさんが足を止めたのは、一本の木の根元だった。
「ほら、これだよ」
しゃがみ込んだ先には、細長い葉の植物がいくつも生えている。
確かに、紙に描かれた薬草に似ていた。
でも、すぐ隣には、ほとんど同じ形の葉もある。
「……あれ。どっちですか?」
私が尋ねると、レイストンさんは笑った。
「よく気づいたね。こちらは似ているだけで、別の草だ」
「……えっ。そっくりじゃないですか」
「葉の裏を見てごらん」
私は指さされた方の葉をそっと裏返した。
小さな赤い筋が通っている。
「……あっ」
「こちらは、その筋がない。根元の形も少し違うんだよ」
「へえ……」
……なるほど。
これは、見ただけじゃ簡単には分からないな。
「間違えて採ってしまう人も多いんですか?」
「そうだね。初めて来る人は、よく間違える」
レイストンさんは小さな道具を取り出した。
「これを使って、根を傷つけすぎないように掘るんだ。次も採れるようにね」
「なるほど」
私は、手元を覗き込んだ。
土を少しずつ避け、根の周りを丁寧に掘り起こしていく。
引き抜くのではなく、必要な部分を確かめながら採る。
……うん。
派手さはないけど、こういう作業って結構好きかもしれない。
「リオンさん、試してみるかい?」
「いいんですか?」
「もちろん。傷つけないように、ゆっくりね」
私は道具を借り、隣に生えていた一本へ手を伸ばした。
根元を確かめて。
土を避けて。
……おっと。
思ったより根が深い。
焦らず、少しずつ掘っていく。
「……こんな感じですか?」
「うん。上手だよ」
……よし!
何だろう。
竜を倒したときより、ずっと普通の達成感がある。
……いや、比べる対象がおかしいかな。
私は採った薬草を籠へ入れた。
フレミーさんが少し離れたところから、こちらを見る。
「リオンさん、楽しそうですね」
「はい。こういうの、面白いです」
「ふふ。護衛の人が薬草採取に夢中になっちゃ駄目ですよ」
「……あっ」
……そのとおりです。
私は道具をレイストンさんへ返した。
「すみません。見張りに戻ります」
「いやいや、いい勉強になったなら何よりだよ」
レイストンさんが笑ってくれる。
私は立ち上がり、周囲へ目を向けた。
桜花は私の少し後ろで森の奥を見ていた。
「リオン様。周囲に目立った動きはございません」
「ありがとう、桜花」
……うん。
せっかく一緒に来たんだ。
ちゃんと、自分の役目も果たさないとね。
それから、しばらく採取が続いた。
レイストンさんは、薬草を見つけるたびに形や状態を確かめ、丁寧に籠へ収めていく。
私たちは近くを警戒しながら、必要なときだけ籠を運ぶのを手伝った。
フレミーさんは、ときどき森の外側へ目を向けている。
木の上では、ルックランさんがじっと弓を構えられる姿勢を保っていた。
少し離れたところでは、グリッドさんとビスクさんが周囲を見回っている。
……うん。
ちゃんと連携しているんだな。
「……よし。ここで採れる分は、十分かな」
レイストンさんが籠を覗き込んだ。
「お疲れ様です」
私は声をかける。
「ああ。ありがとう。これだけあれば、一つ目の薬には困らないよ」
「一つ目?」
「うん。もう一種類、欲しい薬草があるんだ」
レイストンさんは、見本の紙を裏返した。
そこには、丸みを帯びた葉の植物が描かれていた。
「こちらはもう少し湿った場所に生えるんだ。森の奥に、小さな水場があると聞いてね」
「なるほど」
……湿ったところか。
それなら確かに、街道のそばより森の中の方が見つかりそうだ。
そのとき、近くの茂みががさりと揺れた。
「……ん?」
私は振り向く。
出てきたのはビスクさんだった。
「ただいまー。こっちは問題なし!」
続いてグリッドさんが姿を見せる。
「大きな魔獣の気配はなかった。ルックランの方はどうだ?」
上から声が返ってきた。
「見える範囲は平穏だ。街道の方も問題ない」
「よし」
グリッドさんはレイストンさんの籠を見た。
「一つ目は採れましたか?」
「ああ。おかげさまで。次は、もう少し中へ入りたいんだが」
「分かりました。まず道筋を確かめましょう」
……おお。
その場の勢いで進まないんだね。
こういう慎重さ、勉強になる。
ビスクさんが私を見て笑った。
「どうだった、初めてのパーティ依頼?」
「まだ終わってませんけど、楽しいです」
「あははっ! それはよかった!」
「でも、皆さんが慣れているおかげですね。動き方が分かりやすいです」
私がそう言うと、ビスクさんはちょっと照れたように笑った。
「へえ、そう言ってもらえると嬉しいな」
グリッドさんも頷いた。
「冒険者は、一人だけ強くてもどうにもならない場面があるからな」
「……そうですね」
私は周囲を見た。
みんな、得意なことが違う。
それでも、一つの依頼のために動いている。
……こういうのが、パーティなんだな。
桜花と二人で動くのとは、また別の面白さがあった。
移動する前に、私たちは少しだけ休憩を取ることになった。
馬車へ戻り、木陰で水を飲む。
私は《収納》から、巴さんが持たせてくれた包みを取り出した。
中には、食べやすい大きさに切られたサンドイッチ。
……おお。
さすが巴さん。
これなら手も汚れにくいし、歩きながらでも食べられそうだ。
「……それ、おいしそうね」
ビスクさんが覗き込む。
「巴さんが作ってくれたんです」
「巴さん?」
「うちで料理を担当してくれている人です」
「へえ、いいなぁ。私たち、朝から固いパンしか食べてないのよ」
「……よかったら、一つどうぞ」
「いいの?」
「はい。多めに入ってますから」
……たぶん、巴さんならそう言うだろう。
ビスクさんが一つ受け取り、目を丸くした。
「……おいしい!」
「でしょう?」
なぜか、私が得意げになってしまった。
ほかのみんなにも勧めると、グリッドさんは礼を言って一つ取り、フレミーさんも嬉しそうに受け取った。
ルックランさんは、馬の世話を終えてから静かに手を伸ばした。
レイストンさんまで、一口食べて感心している。
「これはいいね。野菜が新鮮だ」
「ありがとうございます。作った本人に伝えておきます」
……うん。
やっぱり、巴さんの料理はすごい。
今度帰ったら、みんなが褒めてたって伝えよう。
桜花が隣で、静かに微笑んだ。
「巴さんも、きっとお喜びになります」
「だよね」
私は最後の一切れを食べ終え、立ち上がった。
「さて。もう一種類、採りに行きましょうか」
「ああ。少し奥へ入るぞ」
グリッドさんが答える。
レイストンさんが籠を持ち、ビスクさんが周囲を見回した。
ルックランさんは先の木々へ目を向け、フレミーさんも杖を持ち直す。
桜花はいつもどおり、私の隣に立っている。
「行こうか、桜花」
「はい、リオン様」
私は森の奥へ続く道を見た。
まだ知らない薬草。
初めて一緒に仕事をする仲間。
馬車での旅も、護衛の役割分担も、全部が新鮮だった。
……これだよ。
こういう冒険者生活を、私は楽しみにしていたんだ。
ひとまず、最初の採取は成功。
次の薬草を見つけたら、あとは王都へ帰るだけ。
帰ったら、楓との約束もあるしね。
私は軽い足取りで、みんなと一緒に歩き出した。
――森の奥へ向かって。




