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第5話:雑貨屋に来た王子様

 雑貨屋を開いて、三日ほど経った。


 朝の庭には、いつものように楓とカトレアがいた。


「……ここ、お水」


「……うん」


 二人が花壇の前でしゃがみ込み、小さなじょうろを順番に使っている。


 カトレアの髪は、巴さんに切ってもらってからすっかり見慣れてきた。真っ直ぐな前髪に、水色のおかっぱ。桜花と並ぶと、姉妹と言われても違和感がない。


 ……いや、髪の色は全然違うんだけどね。


「おはよう、二人とも」


「……リアリス様。おはよう」


「……おはようございます、リアリスさん」


「おはよう。今日も早いね」


 カトレアが両手でじょうろを持ち上げる。


「……お花、みたかったから……」


「そっか。花も喜んでるよ、きっと」


 私は楓の方を見る。


「楓は今日、何か予定ある?」


「……カトレアと、お花。あと、お店」


「お店?」


「……クッキー」


 ……だよね。


 予想どおりすぎて、思わず笑ってしまった。


「カトレアは?」


「……わたしも、お店、見たい……」


「うん。ご飯のあとに行こうか。お仕事の邪魔にならないようにね」


「……うん!」


 二人の返事が重なった。


 少し前まで、カトレアは何かをするたびに、ここにいていいのか確認するような顔をしていた。


 最近は、楓に誘われて自分から庭に出る。


 ぬいぐるみを抱きながら本を眺めたり、巴さんの料理を横から見たり。


 知らない場所だった屋敷が、少しずつ普段の生活になっている。


 ……いいことだ。


「リアリス様」


 後ろから桜花が声をかけてきた。


「おはよう、桜花」


「おはようございます。朝食の支度が整ったそうです」


「了解。二人とも、戻ろうか」


「……うん」


「……はーい……」


 楓とカトレアはじょうろを片づけ、手をつないで屋敷へ向かった。


 私はその後ろ姿を見ながら、ふと思った。


 ……そういえば。


 今まで、二人が雑貨屋で何かを欲しがるたび、私がお金を出している。


 別に、それは構わない。


 大した額でもないし、私が作った商品なんだから。


 でも、せっかくなら、自分で選んで買い物をする楽しさも味わってもらいたいな。


 うん。


 ちょっと考えてみよう。


     ◇


 食堂へ入ると、巴さんの焼いたパンの香りがした。


「おはよう、リアリスちゃん」


「おはよう、巴さん。今日もいい匂いだね」


「あら、ありがとう。さあ、手を洗ったら座ってちょうだい」


「はいはい」


「お返事は一回でいいのよ」


「はい!」


 ……うん。


 今日も我が家は平和です。


 朝食にはパンと卵料理、それから温かいスープ。


 カトレアは大きな猫のぬいぐるみを部屋に置いてきたらしい。


 あの九十センチの猫を連れてくると、椅子がもう一つ必要になりそうだからね。


「……ねこさん、おへやで、おるすばん……」


「うん。お留守番してもらおう」


「……ごはん、たべないの?」


「ぬいぐるみだからねぇ」


 私が笑うと、カトレアも小さく笑った。


 楓が真面目な顔で口を開く。


「……クッキーは、食べない」


「……うん。そうだね」


 猫の話から、どうしてクッキーになるのか。


 楓の頭の中は、とても平和らしい。


 私はパンを一口食べ、巴さんへ声をかけた。


「ねえ、巴さん。あとでちょっと相談があるんだけど」


「あら、何かしら?」


「カトレアと楓のことで」


 楓の手が止まった。


 カトレアも、こちらを見る。


「……わたし……?」


「うん。悪い話じゃないよ。ご飯のあとでね」


 二人は顔を見合わせた。


 ……おや。


 ちょっと気になるのかな。


 でも、今は朝食が先。


 せっかく巴さんが作ってくれた料理を、冷ましてしまうのはもったいない。


 朝食のあと。


 私は居間で巴さんに向き合っていた。


「お小遣い?」


「うん。二人に毎月、少しずつ渡してみようかなって」


 巴さんは目を瞬かせ、それからふんわり笑った。


「あら、いいじゃない」


「でしょ? お店で買いたいものがあったら、自分で選べるし」


「お金の使い方を覚える練習にもなるわね」


「そうそう。それ!」


 ……よかった。


 巴さんから、ちゃんとした理由が出てきた。


 私の頭の中では『二人が喜びそうだから』が九割くらいを占めていたからね。


「それで、いくらにするつもりなの?」


「一人、月に金貨一枚」


「……まあ」


 巴さんが一瞬、動きを止めた。


「……多かった?」


「リアリスちゃんにとっては大した額ではないでしょうけど、子供のお小遣いとしては、なかなか立派ねぇ」


「そうなんだよねぇ」


 金貨一枚。


 日本の感覚なら一万円くらいだ。


 九歳のカトレアには、確かに多いかもしれない。


 でも、二人とも雑貨屋くらいでしか使わないだろうし。


 クッキーは一袋、銅貨三枚。


 毎日一袋買っても、三十日で銅貨九十枚。金貨一枚より少ない。


 残りで好きなものを一つ買ったり、貯めたりできる。


 ……いや。


 私は完全に、毎日クッキーを買う前提で考えてるな。


 楓の影響、恐るべし。


「使い切らなくてもいいし、何に使うかは二人に決めてもらおうと思うんだ」


「それなら、最初に使い方だけ教えましょうね」


「うん。お願いしていい?」


「もちろんよ」


 巴さんは私をじっと見た。


「でも、リアリスちゃん」


「はい?」


「欲しがるたびに、別のお金を渡してしまうのはなしよ?」


「……うっ」


 なぜ分かった。


 いや、実際にやりそうだなとは思ったけど。


「お小遣いを渡す意味がなくなってしまうでしょう?」


「はい。気をつけます」


「ふふ。よろしい」


 ……これ、もしかして私への教育でもある?


     ◇


 居間へカトレアと楓を呼ぶと、二人は並んで私の前に立った。


 カトレアの腕には、小さく折りたたんだハンカチ。


 楓はいつもの無表情で、私の顔を見上げている。


「二人に、お話があります」


「……はい……」


「……うん」


「今日から毎月、お小遣いを渡そうと思います」


 カトレアが首を傾げた。


「……おこづかい……?」


「うん。自分で使っていいお金のことだよ」


 私はテーブルに金貨を二枚置いた。


 小さな金色の硬貨が、こつん、と音を立てる。


「カトレアに一枚。楓に一枚。毎月これだけ渡すから、好きなものを買ったり、貯めたりしていいよ」


 カトレアは目を丸くした。


「……これ……?」


「うん」


「……きんか……?」


「金貨だよ」


「……いちまい……?」


「一枚ずつ」


 質問が一つずつ増えていく。


 ……ちゃんと伝わってるかな。


 カトレアは金貨をじっと見つめてから、少し困った顔になった。


「……でも、わたし……おしごと、してない……」


「仕事のお給料じゃないよ。お小遣いだから」


「……いいの……?」


「もちろん。二人とも、ここで暮らしてるんだからね」


 私は笑って、金貨をそれぞれの前へ滑らせた。


「自分で選んで買うのって、楽しいからさ。やってみてほしいんだ」


 カトレアはまだ迷っているようだった。


 その横で、楓がゆっくり口を開いた。


「……リアリス様」


「ん?」


「……クッキー、買っていい?」


 ……予想どおり!


「もちろん。自分のお小遣いで買うならね」


「……一袋、銅貨三枚」


「うん。よく覚えてるね」


「……毎日?」


「毎日買ってもいいよ。でも、ほかに欲しいものができたら、残しておくんだよ」


「……うん」


 楓は、金貨を大事そうに両手で包んだ。


 そして、ほんの少し笑った。


 ……ああ。


 この子、本当に可愛いな。


 巴さんが、小さな布袋を二つ持ってきた。


「はい。お金は、こちらに入れておきましょうね」


「……これも、もらっていいの……?」


「もちろんよ。大事なものをなくしたら困るもの」


 カトレアは布袋を両手で受け取り、中に金貨を入れた。


 きゅっと紐を結んで、胸の前で抱える。


 楓も同じように袋へ硬貨をしまった。


 ……ところが。


「……リアリス様」


「ん?」


「……お金、足りる?」


「えっ。何に?」


「……クッキー、三十個」


 ……一か月分!?


 仕事が早いなぁ。


「うん。足りるよ。一袋が銅貨三枚だから、三十袋なら銅貨九十枚。金貨一枚は銅貨百枚分だからね」


「……十枚、残る」


「そう。銅貨十枚、つまり銀貨一枚が残るね」


 楓がこくりとうなずいた。


「……大丈夫」


「……何が?」


「……一か月、安心」


 ……君、生活費を計算するお父さんみたいなこと言うね。


 いや、私の方が先に毎日クッキーを買う計算をしてたか。


 巴さんが、くすくす笑い出した。


「楓ちゃん。お菓子は毎日食べてもいいけど、ご飯もしっかり食べるのよ?」


「……うん」


「それに、一度に全部買わなくてもいいのよ。毎日、お店へ行けるんだから」


「……うん。毎日、行く」


 ……そういう意味じゃないと思う。


 桜花が口元に手を当て、静かに笑いをこらえていた。


 カトレアは二人の話を聞きながら、袋を見下ろしている。


「カトレアは、欲しいものある?」


 私が尋ねると、しばらく考えてから答えた。


「……えっと……おかあさんに、もらった……」


 そこまで言って、言葉が止まった。


 私は急かさず待った。


「……小さい、袋……」


「うん」


「……なくしちゃった、から……」


 カトレアは、巴さんから受け取った袋をそっと撫でた。


「……これ、うれしい……」


「そっか。よかった」


 それだけ答えると、カトレアは安心したように微笑んだ。


 今のあの子には、欲しいものをすぐに決めなくてもいい。


 金貨だって、今日使う必要はないからね。


「じゃあ、好きなときにお店へ行こう。楓と一緒でもいいし、私と一緒でもいいよ」


「……うん」


「……私は、今」


 楓が即答した。


「……クッキー、買う」


「……はい。分かりました!」


 思わず敬語になってしまった。


 ここまで真っ直ぐな欲望は、なかなか気持ちがいい。


 私は立ち上がって、二人へ手を差し出した。


「じゃあ、開店したら行こうか」


 カトレアが片手を伸ばし、楓も反対側の手を握る。


 ……あれ。


 両手をつないで歩くの、ちょっと楽しいな。


 何だか、子供を連れて買い物に行く保護者みたいだ。


 いや、カトレアの保護者なのは間違いないんだけど。


 そして、もう一人が無表情の最強メイドなのも、我が家ならではだろう。


     ◇


 朝九時。


 雑貨屋の扉が開いた。


「いらっしゃいませ!」


 三人のメイドたちが、今日も元気に挨拶する。


 開店して三日目。


 最初は慣れない様子だった会計も、今ではすっかり手際がいい。


 私の仕事は、朝の棚を見回って、足りなくなりそうな商品を補充することくらいだ。


 ……あれ。


 店長っぽいこと、ほとんどしてないな。


「リアリス様、こちらの菓子類は残りが少なくなっております」


「了解。あとで用意するね」


 ……うん。


 仕事はあった。よかった。


 私は《取り寄せ》で菓子をいくつか作り、《収納》から必要な分だけ取り出して棚へ並べた。


 もちろん、作るときに余分な魔法の声が聞こえることはない。


 すでに完成している魔法は、いつもどおり使える。


 そんなことをしていると、楓とカトレアが店へやってきた。


 楓は布袋をしっかり握っている。


 カトレアも少し後ろからついてきた。


「いらっしゃいませ、お客様」


 私はちょっと大げさに頭を下げてみた。


 楓がじっと私を見る。


「……リアリス様」


「はい、何でしょう」


「……クッキー、ひとつ」


「かしこまりました」


 ……このやり取り、楽しいな。


 私は棚から一袋取り、楓へ渡そうとした。


 すると。


「リアリス様。会計はこちらで承ります」


 担当のメイドが、にっこり笑った。


「……あ。そうだよね」


 危うく、私が直接渡して終わらせるところだった。


 楓はきちんとカウンターへ向かい、金貨を一枚差し出した。


「……これで」


 会計担当のメイドが、一瞬だけ目を見開いた。


「……金貨一枚、でございますか?」


「……うん」


 ……そりゃ驚くよね。


 クッキー一袋に金貨一枚だもん。


「お釣りをお返しいたしますね」


 メイドは金貨を受け取り、銀貨九枚と銅貨七枚を数えて返した。


 楓は一枚ずつ目で追っている。


「銀貨が九枚、銅貨が七枚です。合わせて金貨一枚から銅貨三枚を引いた額になります」


「……うん」


 楓は丁寧に硬貨を袋へ戻し、クッキーを受け取った。


 ぱたん、と袋の口を閉じる。


 ……初めてのお買い物、大成功!


「楓、どうだった?」


「……買えた」


「うん。ちゃんと買えたね」


「……自分で」


「そう。自分のお金で」


 楓は袋とクッキーを交互に見た。


 そして、いつもよりはっきり笑った。


「……うれしい」


 ……っ。


 ちょっと待って。


 そんな顔されたら、私まで嬉しくなるじゃないか。


 その横で、カトレアが小さく拍手した。


「……かえでちゃん、すごい……!」


「……うん」


 得意げにうなずく楓。


 ……可愛いなぁ、二人とも。


 楓の買い物が終わると、カトレアは棚の間をゆっくり歩き始めた。


 最初に立ち止まったのは、ぬいぐるみの棚。


 白い兎を手に取り、耳をそっと撫でる。


「……ふわふわ……」


「うん。でも、お部屋には大きな猫がいるよね」


「……うん!」


 カトレアは嬉しそうに頷いた。


 昨日の夜も、あの九十センチの猫を抱いて眠っていたらしい。


 あんな大きいの、寝返りを打つとき邪魔じゃないのかな。


 ……いや、本人が気に入ってるならいいか。


 カトレアは兎を棚へ戻すと、別の棚を覗いた。


 ノート。


 鉛筆。


 小さな花模様のハンカチ。


 しばらく、ノートの前で足が止まる。


「カトレア、それ気になる?」


「……うん。おはな、かいてもいい……?」


「もちろん。好きな絵を描いていいんだよ」


「……でも、へたかも……」


「私なんて、前の世界じゃ絵を描くの苦手だったよ。花が丸にしか見えなくなるんだ」


 私は空中へ、人差し指で丸を描いてみせた。


「……こんな感じ」


 カトレアがくすっと笑った。


「……それ、おはな……?」


「……うん。本人はそう主張してます」


 楓が横から私を見た。


「……まる」


「……はい。丸です」


 ……君たち、遠慮がないねぇ。


 でも、カトレアが笑ったならよし。


「……じゃあ、これ……」


 カトレアは小さなノートと鉛筆を選んだ。


 少し離れたところから、私はその様子を見守った。


 お金の計算はメイドが一緒にしてくれる。


 カトレアは布袋から金貨を取り出し、カウンターへ置いた。


 楓のときと同じように、お釣りを受け取る。


 一枚ずつ数えてから、丁寧に袋へしまった。


 ……うん。


 初めてでも、なかなかしっかりしてる。


 店の外に出ると、カトレアがノートを胸へ抱き寄せた。


「……リアリスさん……」


「ん?」


「……これ、わたしの……?」


「うん。カトレアが自分で買ったものだよ」


「……そっか……」


 カトレアは、ノートの表紙を指でなぞった。


 その顔が、ゆっくりほころぶ。


「……おはな、いっぱい、かく……!」


「いいね。描けたら見せてほしいな」


「……うん!」


 楓が隣から言った。


「……私も、見る」


「……いっしょに、かこう……?」


「……うん」


 二人で顔を見合わせる。


 楓はクッキーを抱え、カトレアはノートを抱えた。


 まったく違う買い物なのに、二人ともすごく満足そうだ。


 ……いやぁ。


 お小遣い、渡してよかったな。


 私は二人を屋敷へ送り、店へ戻ることにした。


 まだ、今日の仕事はこれからだ。


     ◇


 サロンの午前の予約は、今日は四人だった。


 昨日も一昨日も、十人の上限までは達していない。


 まあ、開店して間もないんだから、そんなものだろう。


 最初のお客様が椅子に座る。


「おはようございます。今日はどちらを整えますか?」


「手の甲を、お願いしたくて」


「分かりました。見せていただいてもいいですか?」


 私は女性の希望を聞き、手の甲だけに《エステ》を使った。


 ほんのわずかな光。


 女性は自分の手を裏返し、しばらく眺めている。


「……本当に、変わりましたね」


「ええ。効果は一週間ほどですから、その点だけ覚えておいてください」


「はい。受付でも伺いました」


 女性は笑って会釈した。


 ……うん。説明はちゃんと伝わってる。


 施術は一人あたり五分程度。


 それ以外の時間は、本人の希望を聞いたり、受付で次の予定を確認したりする。


 魔法そのものより、そちらの方がよほど普通のお店らしい。


 最後のお客様が帰ったとき、まだ十一時前だった。


 私は手を伸ばして背中をほぐした。


「ふぅ。今日も終わりっと」


「お疲れ様でございます」


 桜花が近くの卓から立ち上がった。


「桜花もお疲れさま。……でも、私ばっかり座ってたね」


「施術はリアリス様にしかできませんので」


「そうなんだよねぇ。もしも私が寝坊したら、全員待つことになるのか」


「その場合は、私がお起こしいたします」


「……絶対起こしてね」


「承知いたしました」


 返事が即答すぎる。


 ……あれ。


 私の睡眠時間、実は桜花の管理下にある?


 巴さんが予約帳を閉じ、近づいてきた。


「今日の分はこれでおしまいね。お昼はどうするの?」


「雑貨屋をちょっと覗いて、それから決めようかな」


「あら。ご飯はちゃんと食べるのよ」


「分かってるって。今日は忘れないよ」


 ……昨日のこと、まだ言われるんだ。


「私がご一緒いたしますので、ご安心ください」


 桜花まで真面目な顔でうなずく。


「……二人とも、私を何だと思ってるの?」


「リアリスちゃんよ」


「リアリス様でございます」


 ……うん。


 間違ってないね。


 何も言い返せない。


 私は笑いながらサロンを出た。


 目指すのは、すっかり見慣れた庭の雑貨屋だ。


 扉の外では、小さな鈴が時々鳴っている。


 どうやら今日も、ほどほどに賑わっているらしい。


 その『ほどほど』が、一番ありがたいんだよね。


 人が来なければ寂しいけれど、忙しすぎるのも困る。


 ……わがままかな?


 まあ、のんびり暮らすためのお店なんだから、それくらいの贅沢は許してほしい。


     ◇


 店の中では、ちょうど数人のお客さんが棚を見て回っていた。


 新しい石鹸を試している女性。


 ノートの紙質を確かめている男性。


 そして、菓子の棚の前で首を傾げている若い男の子。


 少し離れた文具棚では、先に買い物に来た楓とカトレアが並んでノートを見比べていた。


 ……ああ、二人も楽しんでいるみたいだね。


 ……ん?


 私は足を止めた。


 その子の茶色い髪は、少し長めで、毛先がふわりと跳ねている。


 年頃は高校生くらい。


 身なりはいいけれど、あまり堅苦しい服装ではない。


 どこかで見たような……。


 ……あ。


 思い出した。


 王城の廊下だ。


 あのとき、シルベスターさんに連れられて謁見に向かっている途中、声をかけてきた少年じゃないか。


 確か、名前を聞きそびれたんだよね。


「この前王城であったよね?」


 私は何気なく声をかけた。


 少年が振り返る。


 私の顔を見ると、すぐに目を輝かせた。


「あっどうも。私はコモドと申します。王国の第二王子です。」


 ……。


 …………。


 ……王子様かよ!


 私は思わず、もう一度その顔を見た。


 王城で会ったときは、ちょっと育ちのよさそうな少年だと思っていた。


 たしかに、あんな場所を普通に歩いていたんだから、貴族の子供くらいは想像できたけれど。


 まさか、王子様だったとは。


 ……いや。


 よく考えたら、あの王城は王様の家だった。


 王子が歩いていたって、何もおかしくない。


 おかしくないんだけど。


 ……名乗り方、軽くない!?


 文具棚では、カトレアが楓にノートを見せながら、何やら楽しそうに話している。


 ……うん。今の自己紹介は、二人の耳には入っていないみたいだ。


「……ああ、これは失礼しました。リアリスです。先日はどうも」


 私は少し姿勢を正した。


 すると、コモド君は楽しそうに笑う。


「そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。今日はお店を見に来ただけですから」


「……そうなんですか」


「はい。新しいお店ができたと聞いたので」


 ……噂、もう王城まで届いてるの?


 開店して、まだ三日ほどなんだけど。


 王都って、意外と狭いのかもしれないな。


 コモド君は、棚を指さした。


「ここ、見たことないものばかりですね~。非常に面白いです!」


 その声は、見た目の年齢らしく弾んでいた。


 王子様だからといって、珍しいものが気になるのは普通なんだね。


 ちょっと安心した。


 私は自然に笑った。


「ありがとう、気に入ってもらえて何よりだよ。これからもご贔屓にね」


 コモド君は嬉しそうにうなずいた。


 ……そうか。


 あの廊下で、何となく『また会えるといいね』と言って別れた相手と、こんなところで再会するとはね。


 しかも、まさかの第二王子。


 ……異世界って、本当に何が起きるか分からないな。


 そこへ、楓とカトレアがノートを手に近づいてきた。


「……リアリス様」


「……リアリスさん! このノート、楓ちゃんと選んだの!」


「おお、いいのを見つけたね」


 コモド君も二人に気づいて、気さくに声をかけた。


「こんにちは。コモドです」


「……こんにちは、コモドさん」


「……こんにちは」


 二人は普通に挨拶を返した。


 ……うん。カトレアも楓も、さっきの『第二王子』は聞いてなかったらしい。


 私はノートを大事そうに抱える二人を見送った。


 コモド君は、もう一度菓子の棚へ向き直った。


 並んでいる袋の中から、一つを手に取る。


 薄く切った芋を揚げた、塩味のお菓子。


 ……ああ、ポテトチップスだ。


 数日前に《取り寄せ》で試しに作って、昨日から棚に置き始めたものだった。


 コモド君は袋をしげしげと眺め、面白そうに目を細める。


 そして、その袋を持って会計へ向かった。


 ……なんだか、普通のお客さんだな。


 いや、もちろん普通のお客さんとして来ているんだけど。


 王子様が雑貨屋でお菓子を買う光景なんて、前の世界でもあまり見られなかったと思う。


 店番のメイドは、ほかのお客様と変わらない様子で商品を受け取り、会計を済ませた。


 コモド君は袋を手に、こちらへ軽く会釈してから扉を出ていった。


 小さな鈴が、からん、と鳴る。


 ……うん。


 あっさりしたものだ。


 でも、私はしばらく扉を見つめてしまった。


「リアリス様」


 桜花に呼ばれて振り向く。


「……うん?」


「コモド様とお知り合いだったのでございますね」


「知り合いってほどじゃないよ。王城で、一度話しただけ」


「左様でございましたか」


「……桜花、さっきの人が王子様って知ってた?」


「はい。先ほどご本人が仰っておりましたので」


「……そうじゃなくて!」


 桜花が、わずかに首を傾げる。


「事前に存じ上げていたか、ということでございますか?」


「そうそう」


「いいえ。本日初めてお目にかかりました」


「だよねぇ」


 私は肩の力を抜いた。


 ……なんだか、自分だけ妙に驚いた気がする。


 そりゃ、桜花が動揺するところなんてほとんど見たことがないけど。


「王子様が来るって、普通は大騒ぎにならない?」


「ご本人は、そのようなことをお望みではないようでした」


「……うん。たしかに」


 店にいた人たちも、気づかなかったのか、気づいてもあえて触れなかったのか。


 大きな騒ぎにはならなかった。


 ……よかった。


 お店の初めての大事件が『王子様来店で営業中止』なんてことになったら、ちょっと笑えないからね。


 ふと外を見ると、少し離れた道端に、身なりのいい男性が立っていた。


 コモド君が歩き出すと、その人も距離を保って歩き始める。


 ……ああ。


 付き添いの人かな。


 第二王子が完全に一人で出歩いてるわけじゃないんだ。


 そのくらいの備えは必要だろう。


「……しかし、すごいね。うちのお店」


「何がでございましょう」


「開店三日目で、王族のお客さんが来ちゃったよ」


「喜ばしいことかと存じます」


「……うん。そうなんだけど」


 私は笑った。


「とりあえず、あの人にも普通に買い物を楽しんでもらえたなら、それでいいや」


「はい」


 桜花は、静かに微笑んだ。


 ……うん。


 それ以上考えても仕方ないし、お昼にしようかな。


     ◇


 昼食は、屋敷で食べることにした。


 今日は巴さんが、焼きたてのパンに野菜と肉を挟んだものを用意してくれていた。


 ……ああ。


 こういうの、好きなんだよなぁ。


「いただきます!」


 私が一口かじると、桜花も静かに食事を始めた。


 巴さんは向かいで、朝のうちに控えていた商品一覧を確認している。


「巴さん。お昼くらい休んだら?」


「あら。これは、ちょっと見ているだけよ」


「……本当に?」


「ええ。だって、面白いんですもの」


 にっこり笑う。


 ……うん。


 巴さんが楽しいなら、いいか。


「そうそう。今日、お店に面白い人が来たよ」


「あら、どんな方?」


「この前、王城で会った人なんだけどさ。実は……第二王子だった」


 私は声を落として言った。


 巴さんは一度目を瞬かせた。


「まあ。それは珍しいお客様ね」


「でしょ? びっくりしたよ」


「でも、お買い物を楽しんでいただけたのならよかったわ」


「うん。お菓子を一袋買って帰った」


「ふふ。そうなの」


 ……あれ?


 もっと驚くと思ってたんだけどな。


 桜花も巴さんも、王子様の一人や二人で大騒ぎしないらしい。


「……二人とも落ち着いてるね」


「あら、リアリスちゃん」


 巴さんが優しく笑う。


「どんな方でも、うちにお買い物に来てくださったお客様でしょう?」


「……うん」


「だったら、気持ちよく帰っていただければいいのよ」


 ……なるほど。


 この人、本当に接客業にも向いてるなぁ。


「そのとおりだね。私も、今度来たら普通に迎えるよ」


「ええ。そうしてあげて」


 私はもう一口、パンを食べた。


 ……おいしい。


 王族が来店しても、ご飯はいつもどおりおいしい。


 それで十分だ。


「ところで、リアリスちゃん」


「うん?」


「お店の売上帳は、夕方に見てもらうからね」


「……えっ」


「経営者なんですもの。数字くらいは一緒に確認しましょう」


「……はい」


 ……ああ。


 やっぱりそうなるよね。


「王子様より、巴さんの方が怖いかもしれない」


 私が小声でつぶやくと、桜花が平然と言った。


「リアリス様。聞こえております」


「……っ!」


 巴さんがくすくす笑う。


「大丈夫よ。怖くなんかしないわ」


 ……そう言う人ほど、帳面には厳しいんだよね。


 私は笑いながら、最後の一口を食べた。


 午後は、少し時間が空いた。


 サロンの施術は午前中で終わっているし、雑貨屋もメイドたちがきちんと回してくれている。


 ……そうだ。


 私は庭の方へ足を向けた。


 花壇の近くには、楓とカトレアが並んで座っていた。


 カトレアの膝には、今朝買ったばかりのノート。


 横には鉛筆が一本。


 楓は、その紙をじっと覗き込んでいる。


「何してるの?」


「……リアリスさん!」


 カトレアが顔を上げた。


「……おはな、かいてた……」


「見てもいい?」


「……うん」


 私は隣へしゃがみ込んだ。


 ノートには、丸い花がいくつも描かれていた。


 花びらは大きかったり小さかったり。


 茎はちょっと曲がっている。


 でも、ちゃんと庭の花を見て描いたことが分かる。


「おお。いいじゃない」


「……ほんと……?」


「うん。どれがどの花か分かるよ」


 私は目の前の赤い花と、ノートに描かれた花を見比べた。


「この子なんて、そっくりだ」


 カトレアの顔が、ぱっと明るくなる。


「……やった……!」


 楓が、静かにうなずいた。


「……上手」


「……ありがとう、かえでちゃん……」


 それからカトレアは、ページの端を指さした。


「……これ、ねこさん……」


「……え?」


 見ると、花の横に大きな丸があった。


 その上に、三角形が二つ。


 ……ああ。


 耳か。


「……なるほど。あの猫のぬいぐるみだね」


「……うん!」


 ……ちょっと待って。


 私がさっき『どれがどの花か分かる』って言った中に、猫が混じってたの?


 危なかった。


 あの丸い生き物を『このお花、そっくりだね』なんて褒めていたら、何とも微妙な空気になるところだった。


 楓が猫の絵を指さす。


「……ひげ」


「……あ、そうだね」


 カトレアは鉛筆を持ち直し、丸の両側に線を三本ずつ描いた。


 おお。


 一気に猫らしくなった。


「……かえでちゃん、すごい……」


「……うん」


 楓が少し得意げな顔をした。


 ……表情の変化、ほとんどないんだけどね。


 私は二人を見て笑った。


「じゃあ、描き終わったら巴さんにも見せてあげようか」


「……うん!」


 カトレアは、また紙へ向き直った。


 私はその隣で、しばらく庭を眺めていた。


 お小遣いで買ったノートが、さっそくこんなふうに使われている。


 うん。


 これはなかなか、いい買い物だったね。


 楓はというと。


「……リアリス様」


「ん?」


「……クッキー、たべる?」


「お、いいの?」


「……半分」


 楓が袋を開け、一枚を割ってくれた。


 ……ありがとう。


 自分で買ったクッキーを分けてくれるなんて、ちょっと嬉しいね。


 カトレアにも半分。


 二人で顔を見合わせて、さくっと食べる。


 私はその横で、一口分の欠片を受け取った。


 ……うん。


 今日もおいしい。


 そして、自分の店の商品を、店の近くで食べている。


 ……なんだろう。妙に贅沢な気分だな。


     ◇


 夕方、店を覗くと、メイドたちが棚を整えていた。


 忙しい時間帯が過ぎたのか、お客さんは二人ほど。


 私が声をかけると、会計担当のメイドが帳面を差し出した。


「リアリス様。本日は菓子類がよく売れております」


「へえ。やっぱり?」


「はい。新しく並べた芋のお菓子も好評でして」


 ……おお。


 コモド君が手に取っていた、あのポテトチップスだ。


「じゃあ、明日は少し多めに用意しておこうか」


「お願いいたします」


「ほかに足りないものは?」


「石鹸の一部と、柔らかい布製品が残り少なくなっております」


「了解。今のうちに作っておくね」


 私は《取り寄せ》で必要な品を用意し、《収納》へ入れた。


 あとは、メイドたちが必要な数を棚へ運んでくれる。


 私は帳面を覗き込み、売れ行きのよい商品に小さく印をつけていった。


 ……うん。


 少しずつ、店のことが分かってきた気がする。


 最初はただ、面白そうだから始めた商売。


 でも、来てくれた人の好みを考えたり、次に何を並べるか相談したりするのは、意外と楽しい。


 もちろん、これに毎日一日中かかりきりになるつもりはない。


 そこは、ちゃんと守りたいところだ。


「リアリス様」


 桜花がすぐ隣で声をかけた。


「……はい」


「難しいお顔をなさっていますが」


「えっ。そう?」


「はい。お店のことを考えていらっしゃるように見えます」


「……バレた?」


「はい」


 私は笑った。


「いや、やっぱり面白いなって。でも、そろそろ冒険者の仕事もしたい」


「もちろんでございます。明日はギルドに参りますか?」


「うん。いい依頼があればね」


「承知いたしました」


 ……よし。


 商売も楽しい。


 だけど、私がこの世界でやりたかったのは、やっぱり普通の冒険者生活だ。


 薬草を採ったり、知らない場所へ行ったり。


 ついでに、その土地のおいしいものを食べたり。


 ……最後の方が重要な気もするけど。


「……あ。そうだ」


 私はメイドへ振り向いた。


「今日は、カトレアと楓も買い物に来たよね」


「はい。お二人とも、ご自身で代金をお支払いになりました」


「うん。ありがとう。これからも、普通のお客さんと同じようにお願いね」


「承知いたしました」


 私は、ちょっと嬉しくなった。


 特別扱いしないで買い物できる場所が、あの二人に一つ増えた。


 ……それは、なかなかいいことじゃないか。


 もっとも、最初から毎日来る気満々なのが一名ほどいるけれど。


 まあ、そこは巴さんがうまく見てくれるだろう。


 ……うん。


 やっぱり、最後は巴さん頼みだな。


     ◇


 夕食が始まる少し前。


 カトレアが、ノートを抱えて巴さんのところへ行った。


「……ともえさん……」


「あら、カトレアちゃん。どうしたの?」


「……これ……」


 カトレアはノートを開いた。


 昼間に描いていた花と猫の絵だ。


「……きょう、おこづかいで、かったの……」


「まあ! 自分でお買い物したのね」


「……うん。それで……」


 カトレアは、描いたページを指でそっと押さえた。


「……ともえさんに、みせたくて……」


 巴さんは膝を折り、カトレアと目を合わせた。


「見せてくれてありがとう。とっても上手ね」


「……ほんと……?」


「ええ。このお花、うちのお庭の花でしょう?」


「……うん!」


「よく見て描けているわ。こっちの猫ちゃんも、可愛いわねぇ」


 ……よかった。


 ちゃんと猫って分かってもらえた。


 私がこっそり安心していると、桜花が横から囁いた。


「リアリス様。何かお困りでございましたか?」


「……ううん。何でもないよ」


 あの絵を最初に見たとき、花だと思ったことは、黙っておこう。


 カトレアはノートを閉じ、大事そうに胸へ抱きしめた。


 巴さんがその頭をそっと撫でる。


「また描けたら、見せてちょうだいね」


「……うん!」


 ……いいね。


 ノート一冊で、こんなに楽しそうにできるなんて。


 そう思うと、私まで嬉しくなる。


 その横で、楓が小さな布袋を抱えていた。


「……リアリス様」


「ん?」


「……お金、しまった」


「ちゃんと片づけた?」


「……うん。引き出し」


「そっか。偉いね」


「……明日も、使う」


「……うん。クッキーだよね」


 楓が迷いなくうなずいた。


「……うん」


 私は思わず笑ってしまった。


 ……金貨一枚のお小遣い。


 渡す前はちょっと多いかなと思ったけど、二人が自分で買い物を楽しめているなら、いいじゃないか。


 もちろん、巴さんの言うとおり、追加のお金をほいほい渡したりはしない。


 ……しない、つもりだ。


「リアリスちゃん」


 巴さんに呼ばれて顔を上げる。


「……はい?」


「お小遣い、ちゃんと使い方を覚えてもらいましょうね」


「……はい!」


 ……やっぱり、心を読まれてるんじゃないかな。


 桜花が静かに微笑んでいる。


 カトレアが小さく笑い、楓もほんの少し口元を緩めた。


 ……うん。


 今日も、いい一日だった。


 王城で会った少年が第二王子だったり。


 楓が自分のお金で初めてクッキーを買ったり。


 カトレアが、買ったばかりのノートへ一生懸命に花を描いたり。


 思いがけないことも、何気ないことも、少しずつ増えている。


 こういう暮らしなら、悪くない。


 ……いや。


 かなり、いい。


 私は席へ着き、目の前の温かい料理を見た。


 明日は、久しぶりにギルドへ行ってみようか。


 面白い依頼があれば、桜花と一緒に受けてみよう。


 もちろん、夕飯にはちゃんと帰るつもりだ。


 何しろ、帰ってきたら巴さんのご飯が待っているんだから。


「さあ、ご飯を食べて明日も元気に!」


 巴さんの明るい声が、食堂に響いた。


「いただきます!」


 みんなの声が重なる。


 ……さて。


 明日はどんな一日になるだろう。


 少なくとも、今日はこれで十分だ。


 私は笑いながら、スープを一口飲んだ。

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