第4話:異世界でお店を始めました
カトレアが屋敷に来てから、何日か経った。
実りの多い時期の朝は、空気が気持ちいい。
庭の花壇には朝露が残り、遠くの草原を渡る風には、ほんの少し果実の甘い香りが混じっていた。
……いや、果実の香りは気のせいかな。
近くに果樹なんてあったっけ。
「……リアリス様」
「ん?」
しゃがんで花壇を眺めていた私の袖を、楓がちょん、と引いた。
橙色の短い髪。
いつもの無表情。
反対の手には、小さなじょうろを持っている。
「……こっち、お水、まだ」
「あ、そうなんだ。じゃあお願いね」
「……うん」
楓は丁寧に水を注ぎ始めた。
その隣では、カトレアが花の葉をそっと持ち上げている。
水色の髪はまだ肩にかかるくらいで、朝の風にふわりと揺れていた。
「……リアリスさん」
「うん?」
「……このお花、昨日より、大きくなった……」
「ほんと?」
言われて覗き込むと、赤い花のつぼみが、昨日より少し開いていた。
「おお、本当だ。よく気づいたね」
「……うん」
カトレアは、ほんの少しだけ笑った。
まだ、突然寂しそうな顔をすることはある。
夜にお父さんとお母さんを思い出して、泣く日だってあった。
でも、朝はこうして庭へ来るようになった。
楓と一緒に花へ水をやり、巴さんのご飯を食べて、桜花の後ろをついて歩く。
そんな日が、少しずつ増えている。
「……楓ちゃん」
「……なに?」
「……こっちも、あげていい?」
「……うん。順番」
楓はじょうろをカトレアへ渡した。
カトレアは両手で受け取り、そろそろと水を注ぐ。
……うん。
二人とも、なかなかいい園芸係だ。
私はのんびり眺めていた。
すると。
「リアリスちゃーん!」
屋敷の方から、よく通る声が響いた。
「朝ご飯よー! 手を洗って、いらっしゃーい!」
……来た。
我が家の絶対に逆らえない号令。
「はーい!」
私は反射的に返事をした。
楓が、こちらを見る。
「……リアリス様」
「何?」
「……おてて、洗う」
「はい。分かっております」
……まったく。
うちの子たちは、どうしてこんなにしっかりしているんだろう。
カトレアが、小さく笑った。
その声を聞いて、楓の口元もほんの少し緩む。
……いい朝だなぁ。
◇
食堂へ入ると、焼きたてのパンとスープが並んでいた。
席は、最近すっかり決まってきた。
私の左に桜花、右にカトレア。その先に楓。
向かい側には巴さんが座り、ほかのメイドたちも長い卓に集まる。
十四人の生活にカトレアが加わって、今は十五人。
……うん。最初に一人暮らしをしようと思っていた人間の食卓じゃないね。
「リアリスちゃん、今日もちゃんとお野菜を食べましょうね」
「……巴さん、まだ一口も食べてないよ?」
「あら。先に言っておいた方がいいでしょう?」
「……信用されてない!」
桜花が涼しい顔でスープを飲む。
楓は私の皿を見つめる。
カトレアまで、こっそり覗いていた。
「……リアリスさん、おやさい、きらい……?」
「嫌いじゃないよ! ただ、最後に食べることがあるだけ!」
「……そうなんだ……」
カトレアは真面目な顔でうなずいた。
……なんだか、ものすごく恥ずかしい説明をした気がする。
「ふふ。さあ、食べましょう」
巴さんの声に、みんなで手を合わせた。
食事が一段落したところで、巴さんが湯気の立つお茶を運んできた。
「そういえば、リアリスちゃん」
「うん?」
「庭の端にあるお店、いつまで空っぽにしておくつもり?」
「……あっ」
完全に忘れてた。
屋敷を建てたとき、勢いで作った小さな雑貨屋。
棚も、カウンターも、ちゃんと揃っている。
ただし、並んでいる商品は一つもない。
つまり。
「……立派な空き家です」
「胸を張って言うことじゃないわねぇ」
巴さんに笑われた。
桜花が静かに口を開く。
「以前、面白い品物を扱うお店にしたいと仰っていましたね」
「ああ、そうそう。日本のものとか、この世界で珍しそうなものとか」
「では、開店なさいますか?」
「……そんな簡単に言う?」
「建物は、すでにございますので」
……それはそうなんだけど。
お店って、商品を並べたら終わりじゃないよね。
値段を決めたり、接客したり、在庫を数えたり。
それに私、一応、冒険者なんだけど。
Fランク冒険者なんだけど!
「……店番はどうしようかな」
私がつぶやくと、巴さんが微笑んだ。
「そちらは私たちに任せてちょうだい」
「え?」
「みんな、得意なことを分担しているでしょう? お店の担当も決めればいいのよ」
「……いいの?」
「あら。当然よ。リアリスちゃんが全部やる必要はないでしょう?」
頼もしい。
頼もしすぎる。
……この人、私より経営者に向いてるんじゃないだろうか。
「それと、屋敷の中のサロンも使えるようにしたらどうかしら」
「ああ、あの鏡と椅子が並んだ部屋?」
「ええ。せっかくの設備ですもの」
私は天井を見上げた。
雑貨屋に、サロン。
普通の冒険者になりたいと言いながら、商売まで始めるのか。
……まあ。
やってみて面白ければ、それでいいか。
「よし。開けてみよう!」
「ふふ。決まりね」
巴さんがにっこり笑った。
「それじゃ、まずは何を売るか決めましょう」
「……今から?」
「ええ。思い立ったら、準備は早い方がいいわ」
……あの。
のんびり暮らす予定は、どこへ行きました?
桜花が私を見て、微笑んだ。
「楽しそうで何よりでございます」
「……桜花、絶対にちょっと面白がってるでしょ」
「そのようなことは」
ほんの少しだけ、口元が上がっている。
……隠せてないよ。
◇
朝食を終えると、私たちは庭の雑貨屋へ向かった。
扉を開けた途端、木の棚がずらりと並ぶ光景が目に入る。
建てたときのまま、綺麗に整っていた。
……けれど。
「……うん。何もない」
我ながら、見事な空っぽ具合だ。
「はい。商品を置けば、すぐにでも営業できそうでございます」
桜花はそう言うと、棚の幅やカウンターの位置を見て回った。
巴さんは帳面を開き、さっそく何かを書き始めている。
「リアリスちゃん。売りたいもの、思いつく?」
「うーん……食べ物とか、日用品とか、ぬいぐるみとか?」
「幅広いわねぇ」
「雑貨屋って、そういうものじゃない?」
私が答えると、巴さんは楽しそうに笑った。
……あれ。
もしかして、また大雑把すぎた?
とりあえず、何が置けるか考えてみよう。
日本で見かけたお菓子。
筆記用具。
石鹸やタオル。
ちょっとした玩具やぬいぐるみ。
この世界にはないものも多そうだ。
でも、実物をどうやって用意するか。
……ああ、そうか。
私には《想像魔法》があるんだった。
「ちょっと、試してみるね」
私は手のひらを上に向けた。
思い描くのは、日本でよく見かけた、小さな袋入りのクッキー。
ただし、今いるのはステラ。
日本のお店から本当に持ってくるわけじゃなく、同じ品物をこの世界で作り出す。
形も、味も、包装も。
……うん。これなら、できそう。
「《取り寄せ》」
『《想像魔法》にて《取り寄せ》が完成しました。』
頭の中に、聞き慣れた女性の声が響く。
次の瞬間、私の手の上に小さな袋が現れた。
「……おお!」
「成功ですね、リアリス様」
「本当にできた!」
袋を開けると、甘い香りが広がった。
一枚取り出して、かじってみる。
さくっ。
「……あ。これ、懐かしい味だ」
日本で食べていたお菓子と、ほとんど変わらない。
……いや、まさか異世界でこんな普通のクッキーを食べる日が来るとは。
異世界転生って、もっとこう、森で魔獣と戦って……。
あれ。
すでにやってたね、それ。
「リアリスちゃん。商品としてはどうなの?」
巴さんが尋ねる。
「うん、おいしいよ。食べてみる?」
「ええ、いただくわ」
巴さんは一枚、丁寧に口へ運んだ。
「あら。甘くておいしいわね。お茶に合いそう」
「でしょ!」
桜花も一枚食べる。
「軽い食感でございますね。保存もしやすそうです」
……この二人、試食しながらもう販売方法を考えている。
私の方はただ、懐かしいお菓子が食べられて喜んでいただけなのに。
「……リアリス様」
背後から、小さな声がした。
振り返ると、楓が立っている。
その隣には、カトレア。
二人とも、じっと袋を見つめていた。
「……食べる?」
私が差し出すと、楓がこくりとうなずいた。
「……うん」
カトレアも、少し遠慮がちに手を伸ばす。
「……いただきます……」
二人で一枚ずつ口へ運んだ。
さくっ。
「…………」
「…………」
なぜか、二人そろって無言になった。
「……どう?」
尋ねると、楓が私を見た。
「……もっと」
……おお。
すごく分かりやすい感想!
カトレアも、小さく頷いた。
「……おいしい……」
……よし。
第一号の商品は、これで決まりだな。
それから、商品の候補は次々に増えていった。
クッキー。
小さな袋入りの飴。
石鹸。
手触りのいいタオル。
ノートと鉛筆。
花柄のハンカチ。
そして、ふわふわのぬいぐるみ。
「……あっ、これもいいな」
私は白い兎のぬいぐるみを一つ作り、棚の上へ置いた。
耳が長くて、抱えるのにちょうどいい大きさだ。
「リアリスちゃん。作るのはいいけど、置ける数には限りがあるのよ?」
巴さんから、もっともな指摘が飛んできた。
「……はい」
「それに、値札も必要ね」
「……はい」
「品物ごとに数を控えて、補充も考えなくちゃ」
「……はい」
……店を開くって、大変だなぁ。
《想像魔法》で何でも作れるからといって、お店の仕事まで全部消えるわけじゃない。
私は帳面を覗き込んだ。
クッキー、何袋。
石鹸、何個。
タオル、何枚。
同じものを何度も作れるから、商品そのものには困らない。
ただし、今は私が《取り寄せ》を使わないと増やせない。
「しばらくは、私がまとめて補充するよ」
「ええ。足りなくなったらお願いするわね」
「在庫の数は任せていい?」
「もちろん。そちらはみんなで管理しましょう」
巴さんがそう答えると、桜花が静かにうなずいた。
「では、会計の練習も必要でございますね」
「……あっ」
……お釣り。
そうだよね。
お店を開くなら、お金の計算がある。
「この世界の貨幣、銅貨と銀貨と金貨があるんだよね」
「はい。もちろん白金貨もございます」
「うん。そうだった」
私は少し考えた。
普通の人が買える小物も置きたい。
一方で、珍しい品物なら、貴族が高いお金を出してくれるかもしれない。
「じゃあ、日用品やお菓子は買いやすい値段にして、珍しいものは少し高めにしようか」
巴さんが帳面に印をつける。
「いいわね。みんなに値段を覚えてもらいましょう」
「うん。……あ、そうだ」
私は手を叩いた。
「お菓子の試食も置こう!」
「試食?」
「小さく割って、味を知ってもらうんだよ。知らない食べ物って、買うのに勇気がいるでしょ?」
「あら。それはいい考えね」
「でしょ!」
……よかった。
久しぶりに店長っぽい提案ができた気がする。
すると、隣から楓が袖を引いた。
「……リアリス様」
「何?」
「……試食、する」
「……さっき食べたよね!?」
「……練習」
真顔だった。
……うん。
それは、なかなか便利な言葉だね。
カトレアが、くすっと笑った。
桜花も口元を緩めている。
巴さんは、笑いながらクッキーの袋をしまった。
「試食係は、もう十分みたいね」
「……しょんぼり」
楓が、文字どおりしょんぼりした声を出した。
……顔、ほとんど変わってないけど。
私は思わず頭をなでた。
「開店したら、また一緒に食べようね」
「……うん」
……こうしていると、本当に普通の家族みたいだな。
いや。
みんなが一緒に暮らす仲間なのは、もう間違いないか。
◇
雑貨屋の棚がだいぶ賑やかになった頃、今度は屋敷のサロンへ向かった。
大きな鏡。
ゆったりした椅子。
清潔な卓と、落ち着いた照明。
ここも、屋敷を建てたときに用意した部屋だ。
ただし、雑貨屋と違って、普通の美容院にするつもりはない。
「……せっかくだし、《想像魔法》でしかできないことをやってみたいな」
「たとえば、どのようなことでしょう」
桜花が尋ねる。
「若返りとか」
「……若返り、でございますか」
「うん。肌とか、手とか、身体の一部分だけでも若い頃の状態に戻せたら、喜ぶ人がいるかもしれない」
もちろん、誰でも勝手に変えるわけじゃない。
本人が望んだ部分だけ。
怪我の治療とは違うから、見た目や年齢に関わる美容の魔法として考える。
「……よし」
私は目を閉じた。
思い描くのは、身体の指定した部分の年齢を巻き戻す力。
効果も、戻す範囲も、私が調整できるようにする。
それに、お店で提供するなら、定期的に手入れを受ける形の方がいいかな。
「《エステ》」
『《想像魔法》にて《エステ》が完成しました。』
「……うん。できた」
「おめでとうございます、リアリス様」
「ありがとう、桜花」
……しかし。
これ、普通に考えたら、とんでもない魔法だな。
肌の年齢を巻き戻すって。
前の世界の美容関係の人が聞いたら、ひっくり返りそうだ。
「でも、施術するのは私だけにしておくよ」
私は桜花に言った。
「誰にでも使えるようにして、勝手に人の身体を変えられたら困るし」
「妥当なご判断かと存じます」
「だよね」
巴さんはすでに受付用の帳面を持ってきていた。
「それなら、予約制にしましょうか」
「うん。あんまり一日に何十人も来られたら、のんびりできないし」
「何人くらいがいい?」
「一日十人までかな。施術そのものは、一人五分くらいでできると思う」
「それでは、朝九時半から十一時までにしましょう」
「いいね。午後はどうしよう?」
「通常の受付は午前中だけにして、相談のある方は私が事情を聞くわ」
「うん。任せる」
……決まるのが早い。
私が『若返りとか』って言ってから、まだそんなに経ってないよね?
「値段はどうなさいますか?」
桜花に聞かれ、私は考えた。
「普通の人には高いだろうけど、貴族の人にとっても安すぎない値段がいいな。危ない使い方をする人がいたら困るし」
巴さんが、静かにうなずいた。
「それなら、予約するときに説明をきちんとしましょう。お客様のご希望を聞いてから、無理のない範囲でね」
「うん。それと、事情によってはお金を取らなくてもいいと思う」
「そこも、相談してから決めましょう」
……なるほど。
商売の話をしているのに、巴さんと話すと不思議と落ち着く。
「……巴さん。本当に、何でもできるね」
「あら。そんなことないわよ」
笑顔で首を横に振る。
「みんなで分担すればいいの。リアリスちゃんは、あなたにしかできないことをしてちょうだい」
……はい。
そんなふうに言われたら、頑張らないわけにはいかないね。
といっても。
一人五分で終わる予定なんだけど。
サロンの準備が整いかけたとき、扉の向こうから小さな声がした。
「……リアリスさん……」
「ん? カトレア?」
振り向くと、カトレアが楓の隣に立っていた。
手には、白い兎のぬいぐるみ。
……あれ?
それ、さっき棚に置いたやつだよね?
「……おうかおねえちゃん……」
「はい。どうされましたか?」
桜花が膝を折って目を合わせる。
カトレアは少し迷ってから、自分の髪に触れた。
「……かみ、きってみたい……」
「髪、でございますか?」
「……うん……」
カトレアは桜花の銀色の髪を見つめる。
「……おうかおねえちゃんみたいに、してみたい……」
……おお。
そう来たか。
今のカトレアの髪は、肩にかかるくらいの長さだ。
少し整えてはいるけれど、前髪も伸びて、目にかかりそうになっている。
「いいじゃない。さっぱりするわよ」
巴さんが笑った。
「私が切ってあげましょうか?」
カトレアは、ぱっと顔を上げた。
「……いいの……?」
「もちろん。お店を開ける前に、綺麗に整えましょう」
私は桜花を見た。
「桜花みたいな髪型かぁ。おそろいになるね」
「光栄でございます」
「……桜花、ちょっと嬉しそう?」
「はい。嬉しく存じます」
……素直!
こういうとき、案外隠さないんだよね。
巴さんは椅子を一つ用意し、カトレアに座ってもらった。
肩へ布を掛け、櫛でゆっくり髪を整えていく。
「長さは、このくらいでいい?」
「……うん」
「前髪も、まっすぐにする?」
「……うん。おうかおねえちゃんと、いっしょ……」
少し時間をかけて、丁寧に。
巴さんの手で、髪が少しずつ短くなっていった。
肩にかかっていた水色の髪は、顎のあたりで綺麗に揃えられる。
前髪も、まっすぐ。
最後に鏡を向けると、そこには水色のおかっぱ頭の女の子が座っていた。
「……どうかしら」
巴さんが尋ねる。
カトレアは鏡を見つめた。
右を向いて、左を向いて。
それから、後ろにいる桜花を振り返った。
「……おそろい……!」
小さな声が、弾んだ。
桜花が優しく微笑んだ。
「とてもお似合いでございます」
……うん、可愛い。
すごく可愛い。
「いいね! よく似合ってるよ」
私が言うと、カトレアの頬がほんのり赤くなった。
「……ありがとう、ございます……」
楓が、無言で二人を見比べた。
そして、私の袖をちょん、と引く。
「……リアリス様」
「ん?」
「……私も、かわいい?」
「もちろん。楓もすごく可愛いよ」
「……うん」
楓は満足そうに、ほんの少しだけ笑った。
……ああ。
この子、本当に分かりやすいな。
桜花が、なぜか私をじっと見ていた。
「……桜花?」
「いえ。皆様、可愛らしいかと」
「……うん。それは間違いないね」
すると、巴さんが手を叩いた。
「はいはい。可愛いのは分かったから、床のお掃除をお願いね」
「……はーい!」
……最後は、やっぱり私の仕事でした。
◇
準備には、それから数日かかった。
まずは、店に並べる品物を揃える。
それから値札を作る。
会計の練習をする。
どの商品が何個売れたか、帳面に記録する方法も決める。
そして、屋敷の外へ向かう道に、小さな案内板を立てた。
王都の城門から歩いて少し。
草原のそばに、新しい雑貨屋ができます。
そんな内容の案内だ。
もちろん、看板があればお客さんが来るとは限らない。
それでも、何もしないよりはいいだろう。
「……よし。これで一通り準備できたかな」
私は雑貨屋の中を見回した。
以前は空っぽだった棚に、お菓子や日用品がずらりと並んでいる。
ぬいぐるみは、窓際の低い棚にまとめた。
子供の目にも入りやすい高さだ。
小さな食べ物を入れた籠も、見やすく並べてある。
「リアリス様。こちらの帳面も、準備が整いました」
桜花が、会計用の帳面を見せてくれた。
「ありがとう、桜花」
「いえ。計算そのものは、巴さんが皆様にご指導なさっていましたので」
「……そっか。やっぱり巴さんすごいなぁ」
「はい。大変頼りになる方です」
「……私、いつか仕事を全部取られそう」
「それは、リアリス様のご希望ではございませんか?」
……そうだった。
私は、のんびりしたいんだった。
「うん。じゃあ遠慮なくお願いしよう」
「承知いたしました」
桜花が微笑む。
……こういう会話をしていると、経営者として大丈夫なのか不安になる。
いや、私は経営者になりたかったわけじゃないんだけど。
それでも、一つだけ決めたことがある。
お店は、朝九時から夜七時まで。
メイドたちに三人ずつ、交代で店番に入ってもらう。
専任の店長は置かず、全体の管理は巴さん。
もちろん、休む時間はちゃんと確保する。
「みんな、無理しないでね。何か困ったら、すぐ言って」
「はい、リアリス様」
三人のメイドたちが揃って答えた。
……うん。
仕事の手際、私よりずっとよさそうだ。
私は少し考えてから、念のため付け加えた。
「ちなみに、商品を勝手に食べるのはなしだからね」
「……はい?」
メイドたちがきょとんとする。
その後ろで、楓がぴくっと動いた。
……楓。
今、反応したね?
「……試食、なら?」
「……試食は、お客様のためです!」
「……しょんぼり」
……だめだ。
可愛すぎて、怒る気になれない。
巴さんに見られたら、また何か言われそうだなぁ。
◇
そして、開店当日。
朝九時。
庭の端にある雑貨屋の扉が、静かに開いた。
「……いらっしゃいませ!」
三人のメイドたちが、揃って声を出す。
……うん。
練習どおり。
店内は綺麗で、商品も整っていて、会計の準備も完璧。
あとはお客さんが来るだけ。
……来るだけ、なんだけど。
「…………」
「…………」
しばらく、何も起きなかった。
私たちは店の中で、静かに待っていた。
外では鳥が鳴いている。
草原には、風が吹いている。
……平和だなぁ。
「リアリス様」
桜花が、隣から声をかけてきた。
「……うん?」
「本日は、いいお天気でございますね」
「……そうだね」
私は窓の外を見た。
青い空。
穏やかな風。
のんびりした朝。
……あれ。
これ、私が望んでいた暮らしじゃない?
「……お客さん、来ないね」
「開店して、まだ間もございませんので」
「そうか。そうだよね」
私は、少しだけ安心した。
……焦ってないよ?
ただ、せっかく準備したから、一人くらい来てくれたら嬉しいなって。
そのとき。
からん、と扉の小さな鈴が鳴った。
「……おっ!」
私は思わず顔を上げる。
入ってきたのは、街道を歩いてきたらしい中年の女性だった。
手には買い物籠。
きょろきょろと店の中を見回している。
「……あの、ここが新しいお店ですか?」
「はい。いらっしゃいませ!」
私が答えると、女性は少し驚いた顔になった。
「まあ。こんな立派なお店ができるなんてねぇ」
「よかったら、見ていってください」
「ええ。何があるのかしら」
女性は棚の間を歩き始めた。
石鹸を手に取り、香りを確かめる。
それから、タオルを触った。
「……あら。これ、ずいぶん柔らかいのね」
「はい。肌触りがいいんですよ」
「ふうん……」
女性は、もう一度タオルを撫でる。
「うちの孫に、いいかもしれないわ」
……お孫さん。
なるほど。そういう使い方もあるんだ。
やがて女性は、タオルを一枚とクッキーを一袋、カウンターへ持ってきた。
「これ、いただける?」
「はい。ありがとうございます!」
担当のメイドが値段を告げ、銀貨と銅貨を受け取る。
お釣りを返して、商品を丁寧に包む。
……おお。
普通に、お店として成立してる!
何だろう。
魔獣を倒したときとは、全然違う達成感がある。
「また来るわね」
女性はそう言って、笑顔で店を出ていった。
鈴がもう一度、小さく鳴る。
私は、しばらく扉を見つめた。
「……売れた」
「はい、リアリス様」
「本当に、売れたね」
「はい」
桜花が、少しだけ微笑む。
「開店、おめでとうございます」
「……ありがとう!」
……そうか。
自分で作った物を誰かが気に入って、買ってくれる。
こんなに嬉しいものなんだな。
私は、思わずにやけてしまった。
最初のお客さんが帰ってから、私は一度、サロンへ向かった。
開店前に出しておいた案内を見て、すでに何人か予約を入れてくれていたらしい。
……何というか。
若返りって言葉の力、すごいね。
雑貨屋は少しずつ人が来るのを待つのに、こちらは先に予約が入るんだから。
午前九時半。
私が椅子の前で待っていると、巴さんが一人目のお客様を案内してきた。
上品な服を着た、中年くらいの女性だ。
付き添いの女性も、少し離れたところにいる。
「初めまして。リアリスと申します」
「まあ、ずいぶんお若い方なのね」
「……はは。よく言われます」
……いや、実際の中身は四十三歳なんだけど。
今の私の見た目は二十五歳くらいだ。
その辺りを説明し始めると、面倒なことになりそうなので黙っておこう。
「どのあたりを整えたいですか?」
私が尋ねると、女性は頬へ手を当てた。
「目元の皺が、少し気になっているの」
「分かりました。では、その辺りを自然な範囲で整えましょう」
私は女性の希望を確かめた。
急に別人のような顔になるのではなく、少し若い頃の状態へ戻す。
それで十分だろう。
「では、始めますね」
女性がうなずく。
私は《エステ》を発動した。
淡い光が、目元をそっと包む。
光はすぐに消えた。
「……はい。終わりました」
「……え?」
「鏡をどうぞ」
私は手鏡を渡した。
女性は顔を覗き込む。
右から。
左から。
それから、もう一度正面を見た。
「……まあ……!」
目元にあった細かな皺が、自然に目立たなくなっていた。
女性は頬へ手を当て、目を丸くする。
「本当に……? たったこれだけで?」
「はい。ご希望の部分だけ、整えました」
「……信じられないわ」
しばらく鏡を見つめていた女性が、ふっと笑った。
「……若い頃の自分を思い出すわね」
私は笑い返した。
「気に入っていただけたなら、よかったです」
「ええ。とても。……また、お願いしてもいいかしら」
「もちろんです。ただ、一つだけご説明させてください」
私は女性がこちらを見るのを待ってから続けた。
「今回の施術の効果は、一週間で切れます。ずっと若いままになるわけではないので、その点だけご了承ください」
「まあ、そうなのね」
女性はもう一度鏡を見て、それから楽しそうに笑った。
「でも、一週間もこんな気分で過ごせるなら十分だわ。また来たくなったら、お願いするわね」
「はい。そのときは受付でご相談ください」
巴さんが横から丁寧に会釈した。
「次のご予約も承れますよ」
「そうさせてもらうわ」
女性は、来たときより少しだけ足取り軽く、部屋を出ていった。
……うん。
これなら、喜んでもらえそうだ。
ただし、効果の扱いは私が管理している。
お店では定期的に手入れを受ける形にして、施術の範囲も慎重に決めるつもりだ。
便利な魔法だからこそ、何でも好き放題に使うわけにはいかない。
……まあ。
その判断が私に任されている時点で、ちょっと大変ではあるけどね。
その後も、サロンには予約のお客様が二人来てくれた。
一人は手の甲。
もう一人は首元。
どちらも、本人が気にしている部分だけを少し整えた。
施術は予定どおり、五分ほどで終わる。
……魔法って、つくづく便利だな。
もっとも、受付や案内、予約の管理を含めたら、私一人ではこうもいかない。
巴さんとメイドたちの働きあってこそだ。
十一時前には、その日の予約がすべて終わった。
「……お疲れ様、リアリスちゃん」
巴さんがお茶を持ってきてくれた。
「ありがとう。……って、まだほとんど疲れてないけど」
「あら、いいことじゃない」
「うん。思ったより、のんびりできそう」
私はお茶を飲んだ。
窓の外から、かすかに店の鈴の音が聞こえる。
雑貨屋も、少しずつお客さんが来ているようだ。
「今からお店の様子を見てくるよ」
「ええ。でも、邪魔しすぎないようにね」
「……私、一応お店の持ち主なんだけど!」
「分かってるわよ。ふふ」
……巴さんには、一生勝てない気がする。
◇
雑貨屋へ戻ると、最初に聞こえてきたのは子供の笑い声だった。
「ねえ、お母さん! これ、すごくふわふわ!」
棚の前で、小さな女の子が白い兎のぬいぐるみを抱いている。
隣には、お母さんらしい女性。
女の子は兎の長い耳を持ち上げ、嬉しそうに笑っていた。
「まあ、本当ね。でも、ほかのものも見てからにしましょう」
「はーい!」
私は少し離れたところから見守った。
ぬいぐるみって、やっぱり子供に人気があるんだな。
……私が思いついて作ったものを、こんなに喜んでもらえるなら。
これは、なかなか楽しい。
「……リアリス様」
小さな声がした。
見ると、カトレアが棚の陰から顔を出している。
その横には楓。
二人とも、開店前に約束したとおり、店の仕事を邪魔しない場所から様子を見ていたらしい。
「……あのこ、うさぎ、すき……」
「そうみたいだね」
私が答えると、カトレアは頷いた。
「……かわいい、もん……」
「カトレアも好き?」
「……うん……」
カトレアは白い兎を見つめた。
……あ、そうだ。
「カトレアも、お気に入りがあったら教えてね」
「……いいの?」
「うん。ただし、売り物だからお店の人に言ってからにしようね」
そう言うと、楓がこくりと頷いた。
「……ちゃんと、買う」
「……楓も欲しいの?」
「……うん」
「何がいい?」
楓は、迷わずクッキーの棚を指さした。
「……あれ」
……ぬいぐるみじゃないんかい!
「……楓は本当に、あれが気に入ったんだね」
「……うん」
私は笑いながら、棚からクッキーを一袋取った。
きちんと代金を払おうとすると、会計担当のメイドが少し困った顔をする。
「リアリス様。ご自身のお店でございますが……」
「……うん。でも、売れた数と合わなくなると巴さんが困るでしょ?」
「……なるほど。承知いたしました」
メイドは丁寧に代金を受け取り、帳面につけた。
……よし。
これで在庫管理は問題なし。
楓が私の袖を引いた。
「……リアリス様」
「何?」
「……ありがとう」
小さな手が、私の手を握る。
……うん。
クッキー一袋でこんなに喜んでくれるなら、安いものだね。
でも、その顔を見ていたカトレアが、ふと口を開いた。
「……かえでちゃん……」
「……なに?」
「……はんぶんこ……する……?」
楓は、少しだけ目を見開いた。
それから、いつもの無表情に戻る。
「……うん」
二人が並んで、そっと手をつないだ。
……ああ。
こういうの、いいなぁ。
私は自然と笑っていた。
昼を過ぎると、お客さんの数は少しずつ増えていった。
街道を通りかかった人。
案内板を見て、王都から歩いてきた人。
最初に来た女性から話を聞いたという人までいた。
……口コミって、意外と早いんだな。
石鹸の香りを確かめる人。
鉛筆を手に取って、不思議そうに眺める人。
菓子の袋を裏返して、何が入っているのか首を傾げる人。
みんな反応が違うから、見ているだけでも面白かった。
「……これは、どうやって使うんです?」
小さなノートを手にした若い男性が尋ねた。
「紙を一枚ずつめくらずに、こうしてまとめて書いておけるんですよ」
私は試しに鉛筆で文字を書いて見せた。
「……へえ。字を書く道具なのに、削るんですね」
「はい。先が丸くなったら、こうやって」
……そうか。
鉛筆一つでも、初めて見る人には新鮮なんだ。
なんだか、日本の暮らしの便利さを改めて実感する。
「じゃあ、このノートと鉛筆を一つずつ」
「ありがとうございます!」
メイドが会計を終えると、男性は上機嫌で帰っていった。
……うん。
こういう、ちょっとした道具が喜ばれるのは嬉しい。
私は桜花の方を見た。
「ねえ、桜花。案外、商売って面白いね」
「はい。リアリス様も、楽しんでいらっしゃるようで何よりです」
「……ただ、ずっと店に立つのは大変そう」
「ですので、皆様で交代しているのでございます」
「……そうだった」
私は、またもや納得してしまった。
……ほんと、よくできた仕組みだ。
でも、昼過ぎになって一度店の裏へ戻ると、少し困ったことが分かった。
「リアリス様。クッキーが、予定より早く売れております」
担当のメイドが帳面を見せてくる。
「えっ、もう?」
「はい。お味見をなさったお客様が、そのまま複数お買い求めになりまして」
……試食、効果抜群だな!
私は棚を確かめた。
確かに、朝にはたくさん並べたはずのクッキーが、半分近く減っている。
「……よし。追加で作ろうか」
私は《取り寄せ》で、同じ袋をいくつか作った。
商品は《収納》へまとめて入れ、必要な数だけ取り出す。
棚へ補充するのは、メイドたちにお願いした。
「これでしばらく大丈夫かな」
「ありがとうございます。助かります」
……うん。
必要になったら、私が補充すればいい。
少し手間はかかるけど、それも今のところは悪くない。
ただ、遠出している日に品切れになったら困るか。
……その辺りは、いつかもっと便利な方法を考えよう。
今は、せっかくの開店初日を楽しみたい。
「リアリス様」
桜花が声をかけた。
「はい?」
「そろそろ、お昼を召し上がりませんか」
「……あ」
時計を見る。
……うん。すっかり食べるのを忘れてた。
「巴さんに怒られる前に、戻ろう!」
「賢明かと存じます」
……桜花、返事が早いよ!
◇
夜七時。
雑貨屋の扉が閉まり、最後のお客様を見送った。
今日一日の売上をまとめるのは、巴さんと担当のメイドたちだ。
私は横で帳面を覗き込んでいた。
「……おお。ちゃんと数字になってる」
「当たり前でしょう、リアリスちゃん」
巴さんがくすっと笑う。
「今日売れた数と、残った数。それから受け取ったお金を合わせているのよ」
「……うん。知ってる。理屈は知ってるよ?」
「ふふ。そういうことにしておきましょう」
……なぜだろう。
また完全に負けた気がする。
桜花が、売上の記録を見ながら言った。
「初日としては、まずまずの結果ではないでしょうか」
「うん。思ってたよりお客さんが来てくれたね」
「お菓子と日用品が、特に好評だったようです」
「やっぱり、その辺りは使いやすいもんね」
私はうなずいた。
これから、何が喜ばれるか少しずつ分かってくるだろう。
全部を一度に揃える必要はない。
お客さんに聞きながら、少しずつ増やしていけばいい。
「明日は少し、ノートと鉛筆を多めにしてみようかな」
「では、そのように記録しておきますね」
巴さんは帳面を閉じた。
「はい。今日のお仕事はここまで。みんな、お疲れ様」
「お疲れ様でした!」
メイドたちの声が重なる。
私は、しみじみと店内を見回した。
今朝開けたばかりの雑貨屋。
お客さんが一人も来ない時間には、ちょっとだけ落ち着かなかった。
でも、最初のタオルが売れて。
お菓子を気に入ってもらえて。
ぬいぐるみを抱いて笑う子供がいて。
……いい一日だったな。
「さて、リアリスちゃん」
巴さんが手を叩いた。
「今度は夕ご飯よ」
「……はい!」
……結局、私の一日は巴さんの号令で始まり、号令で終わるんだね。
◇
夕食の食卓は、今日も賑やかだった。
……うん。
こうして座ると、一日が終わったって感じがするね。
「リアリスちゃん、今日はお疲れ様」
「ありがとう、巴さん。……でも、一番忙しかったのは巴さんじゃない?」
「あら。私はいつもどおりよ」
さらっと言う。
……いや、今日だけで店の準備、予約管理、会計の確認までしてたよね?
それでいつもどおりなの?
「……巴さん、働きすぎないでね」
「あなたこそ、お昼を忘れないようにね」
「……はい」
……見事に返された。
桜花が隣で、静かに微笑んでいる。
「リアリス様。お店を始められたご感想は?」
「うん。予想より楽しかったよ」
「それは何よりでございます」
「ただ、ずっと店番するのは無理かも。冒険者の仕事もしたいし」
「もちろんでございます。お店は皆様にお任せください」
「……助かる」
私はスープを一口飲んだ。
温かくて、おいしい。
そのとき。
「……リアリスさん……」
隣から、小さな声がした。
「ん?」
カトレアが私を見上げている。
短く揃えた水色の髪が、頬の横でふわりと揺れた。
「……あしたも、おみせ、あく……?」
「うん。明日も開くよ」
「……じゃあ、また、みててもいい……?」
「もちろん。楓と一緒に遊びにおいで」
「……うん」
カトレアが、小さく笑った。
楓もこくりとうなずいた。
「……いっしょ」
「うん。一緒だね」
すると、楓が私の袖をつまんだ。
「……リアリス様」
「何?」
「……明日も、クッキー?」
「……楓!」
思わず声が出た。
カトレアが、くすくす笑い始める。
巴さんまで、声を上げて笑った。
「あらあら。楓ちゃんったら。本当にお気に入りなのね」
「……うん」
「じゃあ、明日もちゃんとご飯を食べてからよ」
「……分かった」
……うん。
このやり取り、どこかで聞いたことがあるな。
お菓子の前に、ご飯。
野菜を残さず食べなさい。
……結局、私たちは全員、巴さんにしっかり面倒を見てもらっているわけだ。
私は笑いながら、残っていた野菜を口へ運んだ。
……よし。
今日は言われる前に食べきったぞ。
「リアリスちゃん、えらいわね」
「……見てたの!?」
食堂に、また笑い声が広がった。
◇
夕食が終わる頃、私はふと、昼間の雑貨屋を思い出していた。
ぬいぐるみの棚の前で立ち止まっていたカトレア。
あの子も、何かお気に入りが見つかったら嬉しいだろうな。
「……よし。ちょっと作ってみよう」
みんなが片づけをしている間に、私はそっと自分の部屋へ戻った。
思い描くのは、前の世界で見かけたような、大きくてふかふかの猫のぬいぐるみ。
丸い耳に、柔らかい前足。抱きしめると腕が少し沈むくらいの、もちもちした手触り。
大きさは、九十センチ。
……うん。ちょっと大きいかもしれないけど、抱き枕にもできそうだ。
「《取り寄せ》」
目の前に、灰色と白の大きな猫のぬいぐるみが現れた。
「……おお。いいじゃない!」
私は両腕で持ち上げてみた。
ふわふわ。
ものすごく、ふわふわ。
……これ、私もちょっと欲しいな。
でも、今日のところはカトレアへの贈り物だ。
驚いた顔を見るのが楽しみで、私はこっそり《収納》へしまった。
夜になり、カトレアが眠ったあと。
私は桜花と一緒に、そっと部屋を覗いた。
カトレアは布団にくるまり、静かな寝息を立てている。
短く揃えた水色の髪が、枕の上に広がっていた。
「……ぐっすりだね」
「はい、リアリス様」
私は《収納》から猫のぬいぐるみを取り出した。
そして、カトレアを起こさないように、枕元の横へそっと置く。
小さな寝台の上で、大きな猫が丸くなっているみたいだ。
「……よし。これで明日の朝が楽しみだ」
桜花がぬいぐるみを見て、静かに微笑んだ。
「きっと、お喜びになります」
「だといいなぁ」
私たちは足音を立てないよう、そっと部屋を出た。
◇
翌朝。
「……きゃっ!?」
二階の方から、小さな声が響いた。
……おっ。起きたかな?
私は廊下へ出て、カトレアの部屋を覗いた。
寝台の上で、カトレアが目を真ん丸にしていた。
目の前には、自分の身体とあまり変わらないくらい大きな猫。
……もちろん、ぬいぐるみだけど。
「……ねこ……!?」
カトレアが恐る恐る前足を触る。
むにっ。
それから、もう一度。
むにむにっ。
「……ふわふわ……!」
さっきまで驚いていた顔が、みるみる明るくなった。
私は扉のところで声をかけた。
「おはよう、カトレア。びっくりした?」
「……リアリスさん! これ……!」
「うん。カトレアへのプレゼントだよ」
「……わたしに……?」
「そう。気に入ってくれた?」
カトレアは、猫の大きな身体へぎゅっと抱きついた。
ぬいぐるみに顔が半分埋まる。
「……うんっ! すっごく、ふわふわ……!」
……おお。
そんなに喜んでもらえるとは。
九十センチにして正解だったかな。
カトレアは、顔を上げて私を見た。
「……ありがとう、リアリスさん……!」
「どういたしまして」
私は笑って答えた。
そのとき、私の袖がちょん、と引かれた。
「……リアリス様」
楓だ。
「おはよう、楓。どうしたの?」
楓は大きな猫を見た。
それから私を見た。
「……私も、ぎゅってしたい」
「ふふ。じゃあ、カトレアに聞いてみようか」
カトレアは猫のぬいぐるみを抱えたまま、こくりとうなずいた。
「……かえでちゃんも、いっしょ……!」
「……うん」
楓が隣へ座り、二人で猫をぎゅっと抱きしめる。
大きなぬいぐるみに、小さな女の子が二人。
……ああ、これ、可愛すぎない?
私は桜花の方を見る。
桜花も、ほんの少しだけ口元を緩めていた。
「……ねえ桜花」
「はい」
「もう一匹、作ろうか」
「……お気持ちは分かりますが、まずは朝食へ参りましょう」
……はい。
危うく猫だらけにするところだった。
◇
こうして、私の異世界生活には新しい日課が増えた。
朝はサロン。
庭では雑貨屋。
時間があれば冒険者の仕事もして、夜はみんなでご飯を食べる。
……忙しそうに見える?
いやいや。
面倒なところは、みんなに頼れる。
何より、楽しい。
これくらいなら、私の望んだ『のんびり異世界生活』の範囲内だろう。
……たぶん。
少なくとも今日のところは、そう思っていた。
この雑貨屋に、思いがけないお客様が現れることになるなんて。
そのときの私は、まだ知る由もなかった。




