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第5話:勇者一行、心が折れる

「雪彦君、まだ動ける?」


 私がそう尋ねると、雪彦君はぴたりと固まった。


 ……おや。


 難しい質問だったかな。


 さっきまで気絶していたけど、怪我はないし、顔色も戻っている。


「……師匠。まだ、続くんですか?」


「うん。もちろん疲れているなら、今日はここまででもいいよ」


 雪彦君はしばらく考え込んでいたが、やがてゆっくり立ち上がった。


「……はい! まだ動けます!」


「そっか。よかった」


 ……おお。


 さすが勇者だねぇ。


 あんな光景を見ても、ちゃんと立ち直れるんだ。


「どこか痛くない? 気分が悪かったりしない?」


「身体は大丈夫です。……身体は」


 ……おや。


 最後、少し強調した?


 でも、怪我がないならよかった。


「じゃあ、今度は四人で勝負してみようか」


「……四人?」


「うん。雪彦君のパーティ全員で。せっかく三人も来てくれたんだし、連携も見てみたいな」


 私はフィースさんたちへ目を向けた。


 全員Aランクの冒険者と聞いている。


 勇者を含めた四人なら、かなり腕の立つパーティのはずだ。


「……相手は、師匠ですか?」


「ううん。今度は桜花だよ」


 私は、隣に立つ桜花を示した。


 雪彦君が、また固まった。


 ……あれ。


「桜花、お願いしてもいい?」


「はい。喜んでお相手いたします」


 桜花が、嬉しそうに微笑んだ。


 ……おっ。


 私の【一閃 乱れ桜】を見て、身体を動かしたくなったのかな。


「ちょっと待ちなさいよ!」


 フィースさんが杖を握り直した。


「今度は、その銀髪の子一人が相手なの?」


「うん」


「だったら勝てるわ! 雪彦様、私も戦います!」


「……わ、私も頑張ります……!」


 ソラリスさんも弓を確かめた。


 メリンダさんは剣を抜き、雪彦君の隣へ並ぶ。


「雪彦様、私がお守りします」


「みんな、ありがとう」


 ……うん。


 さっきまでの絶望が嘘みたいに元気になったねぇ。


 それにしても、雪彦君のことになると三人とも目の色が変わる。


 ……やっぱり、愛情の力ってすごいなぁ。


「じゃあ、安全の準備をしようね」


 私は先ほどの模造刀と同じ仕様の刀を用意して、桜花へ渡した。


「桜花、これを使ってね」


「かしこまりました」


「それと、今日は全力でいいよ。雪彦君たちには、ちゃんと防御魔法をかけておくから」


「……よろしいのでございますか?」


「うん。桜花の剣も、みんなに見てもらいたいしね」


 桜花の銀色のおかっぱ髪が、風に揺れた。


「ありがとうございます。精一杯、努めさせていただきます」


 ……おお。


 いつもより少し嬉しそうだ。


 私も何だか楽しみになってきた。


「さて。まずは三人にも《絶対防御》を一時的に付与するね」


「そんなの必要ないわよ!」


 フィースさんが鼻を鳴らした。


「怪我なんてしないもの!」


「でも、私はみんなに無事で帰ってほしいからね。そこだけは譲れないよ」


 私は笑顔で答えた。


 雪彦君もすぐに頷く。


「フィース。師匠の言うとおりにしよう。俺もさっき守ってもらったから」


「……雪彦様がそう仰るなら」


 ……おっ。


 納得してくれた。


 ほかの二人も了承したので、三人へ《絶対防御》を付与した。


 雪彦君には、先ほどかけた効果が残っている。


 これで四人とも安全だね。


「それじゃあ、晴斗君。私たちは観客席へ行こうか」


「……はい」


 ……おや。


 晴斗君、何だか元気がないね。


 ルナを抱き上げた晴斗君と一緒に、私は観客席へ向かった。


 桜花が闘技場の中央へ進む。


 その向こうでは、勇者パーティが何やら作戦会議を始めていた。


 ……おお。


 本格的だねぇ。


     ◇


 観客席に戻り、《結界》を張り直した。


 これで矢や魔法が飛んできても問題ない。


 晴斗君の膝には、いつもの小さなルナ。


「にゃーも見てるにゃー!」


「うん。一緒に応援しようね」


 私は笑いながら闘技場を見下ろした。


 雪彦君とメリンダさんが前衛。


 後ろにはソラリスさん。


 さらに離れた位置で、フィースさんが杖を構えている。


 ……うん。


 きれいな陣形だ。


「リアリスさん、本当に桜花さん一人で大丈夫なんでしょうか……」


「うん。大丈夫だよ」


「でも、四人とも強そうですし……」


 晴斗君が心配するのも分かる。


 勇者に、Aランク冒険者が三人。


 並の相手なら、簡単には勝てないだろう。


 ……でも。


 相手は桜花だからねぇ。


「じゃあ、始めようか!」


 私は、闘技場へ向かって声をかけた。


「みんな、準備できたー?」


「はい! いつでも!」


 雪彦君が剣を構える。


 桜花も静かに頷いた。


「問題ございません。いつでも、いらしてください」


 ……ああ。


 頼もしいね。


「では、始め!」


 私の声と同時に、雪彦君が踏み込んだ。


「みんな、行くよ!」


「はい!」


 その声に合わせ、メリンダさんが反対側から斬り込んでいく。


 ……おっ。


 いいね!


 雪彦君の剣を避けた桜花へ、すかさずメリンダさんの一撃が迫る。


 桜花は身体をひねってかわした。


 次の瞬間、背後から矢が飛んでくる。


 ……おお。


 ソラリスさん!


 狙いが正確だ。


 桜花が避けようとした先へ、もう一射。


 さらに別の角度から、三本目。


 ただ当てるためじゃない。


 逃げ道を狭めるために撃っているんだね。


 ……うん。


 上手いなぁ。


「フィース、今だ!」


「分かってるわよ!」


 フィースさんが杖を振った。


 すでに詠唱を終えていたらしい。


 炎の塊が、桜花の進路を塞ぐように飛んでいく。


 ……なるほど。


 近接の二人が動きを誘導し、弓で逃げ道を狭め、魔法で仕留める。


 四人が、それぞれの役割をきちんと果たしている。


 しかも、一人の攻撃が終わる前に、次の攻撃が始まっている。


「おーっ! すごいね、勇者パーティ!」


 私は思わず身を乗り出した。


「これならSランクのパーティって言われても納得しちゃうかも!」


「えっ、それほどですか!?」


 晴斗君も、目を丸くしている。


「うん。個々の強さもそうだけど、あの連携は見事だよ」


 ……ああ。


 雪彦君、いい仲間に恵まれたねぇ。


 フィースさんたちは口が悪かったり、ちょっと気が強すぎたりするけど。


 戦闘では、ちゃんと頼れる仲間なんだ。


 私は感心して、もう一度闘技場へ目を向けた。


 雪彦君の剣が、横薙ぎに走る。


 桜花がわずかに身を引く。


 そこへ、メリンダさんが踏み込んだ。


「もらった!」


 ……おお。


 いい位置だね。


 桜花が鞘で剣の向きを逸らすと、今度はソラリスさんの矢が迫る。


 すぐ後ろでは、フィースさんが次の魔法を用意していた。


 ……うん。


 隙が少ない。


「リアリスさん……」


「ん?」


「桜花さん、避けるので精いっぱいに見えるんですけど……」


 ……おや。


 そう見えるんだ。


 確かに、桜花はまだ一度も自分から攻撃していない。


 でも。


 あの子は、ただ逃げ回っているわけじゃないんだよね。


 雪彦君たちの動き。


 攻撃の順番。


 魔法の発動までの時間。


 全部を見て、必要なだけ動いている。


 いつでも反撃できるのに、しない。


 ……ああ。


 桜花らしいねぇ。


「ははは。晴斗君には教えてなかったかな」


「……何をですか?」


「桜花はね、多分、この世界で私の次に強いよ」


「……えっ?」


 晴斗君が、ゆっくり私を見た。


「……世界で、二番目?」


「多分ね」


 もちろん、世界中の人と戦って確かめたわけじゃない。


 でも、桜花がどれほど強いかは、私が一番よく知っている。


 ずっと一緒に稽古をしてきたんだから。


「……桜花さんが強いのは分かってましたけど……」


 晴斗君が、闘技場へ顔を戻す。


「そこまでとは……」


「うん。ほら、見てごらん」


 私は、にっこり微笑んだ。


「桜花が動くよ」


     ◇


 桜花が、大きく一歩引いた。


 追いかけようとした雪彦君たちの足が、わずかに止まる。


 ……おっ。


 距離ができたね。


「雪彦様、今です!」


 メリンダさんが叫んだ。


 雪彦君が頷き、剣を構える。


 その背後ではソラリスさんが弓を引き絞り、フィースさんの杖の先には光が集まっていた。


 ……うん。


 四人が同時に攻め込むつもりだね。


 でも。


 桜花は、もうその場から動かなかった。


 ゆっくり腰を落とし、鞘へ手を添える。


 ……ああ。


 その構え。


 私は、思わず微笑んだ。


 少し前に、桜花へ教えた剣技だ。


 【一閃 乱】を、分身との連携で発展させた技。


 ……まさか、ここで使ってくれるとはねぇ。


「みんな、防御!」


 雪彦君が、鋭く叫んだ。


 ……おっ。


 気づいたんだ。


 メリンダさんは剣を引き、フィースさんは魔法の構えを変える。


 ソラリスさんも矢を放つのをやめ、身を低くした。


 ……いい判断だ。


 でも、もう少し早く気づいていたら、よかったかな。


 桜花の手が、柄へかかった。


 そして、抜刀する直前。


「《分身》」


 二つの人影が、彼女の左右へ現れた。


 銀色のおかっぱ髪。


 同じ顔。


 同じ服。


 そして、同じ刀。


 ……うん。


 桜花が三人だ。


「……えっ!?」


 雪彦君が目を見開く。


 さっきまで一人だった桜花が、抜刀の瞬間に二人増えた。


 十連撃に備えていた相手からすれば、一瞬で攻撃の数が三倍になったということだ。


 ……でも。


 気づいた頃には、もう間に合わない。


「【一閃 若桜】」


 静かな声が響いた。


 ――銀色の線が、走る。


 一人が十連撃。


 さらに二人の分身が、それぞれ十連撃。


 合わせて三十。


 三十本の銀の軌跡が、ほとんど同時に四人へ迫った。


「うわっ!?」


「きゃっ!」


「……っ!」


 ……おっと。


 四人の体勢が、一斉に崩れた。


 《絶対防御》が斬撃を防いでいるので、身体に傷はつかない。


 倒れ込むときの衝撃も、ちゃんと守られている。


 だけど、反応が追いつかなかった四人は、全員その場に座り込んでしまった。


 その頭上を、桜色の花びらが舞う。


 銀の軌跡が消えても、花びらだけはゆっくり落ちてくる。


 ……ああ。


 きれいだねぇ。


 桜花が、静かに納刀した。


 二人の分身も、同じ動きをしてからふっと消える。


 残ったのは、いつもの桜花一人。


 その周囲には、淡い桜の花びら。


 ……おお。


 見事!


「桜花、すごい!」


 私は思わず拍手した。


 桜花が客席へ向かって、丁寧に一礼する。


 ……おっ。


 少し嬉しそうだね。


 以前、教えたばかりの技を、四人相手に実際に使ってみせるなんて。


 しかも、相手の連携を見て間合いを測った上での発動だ。


 ……うん。


 しっかり身についている。


 【一閃 舞桜】は、まだ完成していない。


 あれは本人と分身二人で、それぞれ百連撃を目指す別の技だ。


 でも、今の【一閃 若桜】は、すでに立派な奥義だね。


「……リアリスさん」


 隣から、晴斗君の声がした。


「ん?」


「……僕、何も見えなかったんですけど!?」


 ……あっ。


 そっか。


 かなり速かったからねぇ。


「ははは。桜花だからね」


「いや、桜花さんだからって……!」


 ……おや。


 何だか、また呆れられてる?


 ルナが晴斗君の膝で大きく欠伸をした。


「終わったのかにゃー?」


「うん。終わったよ」


「早いにゃー!」


 ……うん。


 ルナも驚いたみたいだ。


 私は笑いながら、闘技場へ目を向けた。


 桜花は倒れた四人の前で一礼している。


「ありがとうございました」


 ……ああ。


 礼儀正しいねぇ。


 ……でも。


 あれ?


 誰も立ち上がらない。


     ◇


 私は観客席の《結界》を解除し、晴斗君とルナを連れて闘技場へ降りた。


「桜花、お疲れさま!」


「ありがとうございます、リアリス様」


「いやぁ、すごかったね! 四人の連携を見て、ちゃんと反撃のタイミングを選んでたでしょ?」


「はい。皆様の攻撃は、とても見事でございました」


「うんうん。本当に強かったねぇ」


 私は頷いた。


 あの四人の連携は、確かに実力があった。


 だからこそ、桜花の剣技が際立ったんだと思う。


「それに、【一閃 若桜】もきれいに決まってたね」


「ありがとうございます。リアリス様に教えていただいた技を、皆様の前で使うことができました」


 桜花が、嬉しそうに微笑んだ。


 ……ああ。


 その顔を見ると、私まで嬉しくなるねぇ。


 剣技は魔法を使えば勝手に身につくものじゃない。


 桜花が毎日努力しているから、あんな動きができるようになったんだ。


 ……うん。


 本当に頑張り屋さんだね。


「……リアリスさん」


 晴斗君が、そっと私の袖を引いた。


「ん?」


「……雪彦さんたち、まだ動いてませんよ」


 ……あっ。


 そうだった。


 私は慌てて振り返った。


 雪彦君は座り込んだまま、遠くを見ている。


 フィースさんは杖を握りしめて呟いていた。


 ソラリスさんは、両膝をついたまま。


 メリンダさんも剣を下げて固まっている。


 ……おお。


 あの三人娘が、揃って静かになっちゃった。


「雪彦君、大丈夫?」


「……師匠」


「うん?」


「……大丈夫です。肉体的には何ともありません……」


 …………。


 ……あっ。


 また『肉体的には』だ。


 今日は、その言葉をよく聞くねぇ。


「怪我がなくてよかったよ」


 私は、ほっと胸を撫で下ろした。


「フィースさんも大丈夫?」


「……何なのよ……」


 ……おや。


「……あんなの、聞いたことない……」


 ……うん。


 やっぱり驚いたみたいだね。


「ソラリスさんは?」


「……強すぎ、です……」


 ……おお。


 こちらも、ずいぶん衝撃を受けている。


「メリンダさん?」


「……無理……」


 …………。


 ……えっ。


 あのメリンダさんが『無理』って?


 ……おお。


 何だか、ちょっと珍しいものを見ちゃった。


 私は笑って声をかけた。


「みんな、連携はすごくよかったよ。あの動きなら、普通の相手にはなかなか負けないと思う」


 雪彦君が、ゆっくり顔を上げた。


「……普通の相手……」


「うん。ちゃんと強くなってるよ。自信を持っていいと思う」


 ……うん。


 本心だ。


 相手が桜花だったから、一瞬で決着がついちゃったけど。


 それまでの動きは、十分に評価できると思う。


「それじゃあ、今日はここまででいいかな?」


 私が尋ねると、雪彦君は少しだけ首を振った。


「……師匠」


「ん?」


「……もう少し弱い相手って、いないんですか……?」


 …………。


 ……ああ。


 なるほど。


 いきなり私と桜花を相手にしたから、段階を踏んだ稽古がしたいんだね。


 ……うん。


 それは大事なことだと思う。


 私は腕を組んで考えた。


 私より弱くて。


 桜花よりも弱くて。


 でも、雪彦君たちよりは、ちょっと強い相手。


 ……うーん。


 屋敷の家族は、みんな結構強いんだよねぇ。


 楓も、朝顔も、牡丹も。


 ……あっ。


 そうだ!


「いるよ!」


 私は、思わず手を打った。


 雪彦君の表情が、ぱっと明るくなった。


「本当ですか!?」


「うん。私より弱くて、桜花よりも弱い。でも雪彦君たちよりは、ちょっと強いと思うよ」


「それ! それでお願いします!」


 ……おお。


 元気が戻ったね。


 でも、ちょっと心配だなぁ。


「うーん。大丈夫かなぁ……」


「師匠! これでも俺、勇者ですから!」


 ……おっ。


 力強い返事だ。


 さすが雪彦君!


「そっか。じゃあ、やってみよう!」


 私は、満面の笑みで頷いた。


「リアリス様、とても楽しそうでございますね」


 桜花が、隣で微笑んでいる。


「あはは。そうかな?」


「はい」


 ……うん。


 だって、弟子がやる気になってくれたんだもの。


 嬉しいじゃない?


 私は、晴斗君へ顔を向けた。


「晴斗君」


「……は、はい?」


「ちょっとお願いがあるんだけど」


 晴斗君が、なぜか後ずさった。


「ぼ、僕ですか!? 無理無理無理! 絶対無理ですよ!」


 …………。


 ……おや?


「まだ剣を持ってそんなに経ってないんですよ!? 相手、勇者とAランクの方々ですよね!?」


 ……あっ。


 そういうことか。


 私は慌てて手を振った。


「違う違う。晴斗君に戦ってほしいわけじゃないよ」


「……えっ?」


「さすがに、そんな無茶なことは言わないって」


 晴斗君が、大きく息を吐いた。


「……よかったぁ……」


 ……うん。


 そんなに安心しなくても。


 私は、晴斗君の足元を指差した。


「お願いしたいのはルナだよ」


「……あっ。なるほど」


 ……おっ。


 すぐ分かったね。


 そう。


 ルナは、Sランクのジャイアントサーベルタイガー。


 いつもは五十センチの可愛い猫みたいな姿だけど、本当はとっても強いんだ。


「ルナ、少し運動しようか」


「運動にゃー?」


「うん。雪彦君たちと、ちょっと手合わせしてみない?」


「いいにゃー!」


 ……おお。


 即答だね。


 私が笑うと、桜花も嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあ、ルナ。全力でお願いね。あっ、食べちゃ駄目だよ?」


 ……うん。


 念のため、そこは確認しておかないとね。


「……食べる?」


 雪彦君が、低い声で呟いた。


 ……おや?


「食べちゃ駄目って、どういう意味ですか……?」


「うん? そのままの意味だけど」


「……えっ」


 雪彦君が、また固まった。


 晴斗君も、じっと私を見ている。


 ……あれ?


 変なこと言ったかな。


「にゃーは食べないにゃー!」


 ルナが、少し不満そうに尻尾を揺らした。


「あはは。ごめんね、ルナ」


 私はルナの頭を撫でた。


 ……うん。


 この子は晴斗君の言うこともちゃんと聞いてくれるし、普段は優しい子だ。


 ちょっと心配しすぎたかな。


     ◇


 私と桜花、晴斗君は、もう一度観客席へ戻った。


 ルナは闘技場の中央へ。


 雪彦君たち四人も、それぞれ武器を構えている。


 《絶対防御》はそのまま維持してあるし、ルナにも危害を加えないように伝えてある。


 ……うん。


 安全だね。


「師匠ー!」


 雪彦君が、客席へ声をかけてきた。


「はーい!」


「……本当に、相手はルナですか?」


「そうだよ!」


「……さっき頭を撫でた、小さい子ですよね?」


「うん!」


 ……あっ。


 そういえば雪彦君、ルナの本当の姿を見るのは初めてだったね。


 さっき初めて会ったばかりだし。


 ……ふむ。


 ちょっと驚くかもしれないなぁ。


「……猫一匹じゃない」


 フィースさんが、杖を握って呟いた。


 ソラリスさんも、小さなルナを見つめている。


「……あんなに小さいのに……」


 メリンダさんは、雪彦君の前へ立った。


「雪彦様。今度こそ、私がお守りします」


 ……うん。


 仲間思いで、いい子たちだねぇ。


 私は桜花へ顔を向けた。


「楽しみだね、桜花」


「はい。ルナの本来の姿をご存じない皆様は、さぞ驚かれることでしょう」


「そうだねぇ」


 ……おっ。


 桜花も、ちょっと楽しそうだ。


 晴斗君は、なぜか苦笑している。


「……リアリスさん、本当に大丈夫ですかね……」


「うん。怪我はさせないからね」


「……そういうことではなくて……」


 ……おや。


 何だろう。


 でも、みんな準備できたようだし。


「ルナー! 元の姿に戻っていいよー!」


「はいにゃー!」


 ルナが、嬉しそうに返事をした。


「《縮小》、解除にゃー!」


 小さな身体が、みるみる大きくなっていく。


 一メートル。


 二メートル。


 さらに、三メートル。


 太い前脚が地面を踏み、背中が雪彦君たちの頭より高くなる。


 そして。


 全長五メートルのジャイアントサーベルタイガーが、闘技場の中央に立った。


 ……おお。


 久しぶりに見ると、やっぱり大きいねぇ。


 力強い四本の脚。


 大きな頭。


 そして、口元から伸びる三日月のような二本の牙。


 ……ああ。


 晴斗君は、あの牙を見て『ルナ』って名付けたんだよね。


 改めて見ると、いい名前だなぁ。


「にゃー!」


 ルナが元気よく声を上げた。


 ……おお。


 さっきまでの小さい姿とは、声の迫力まで違うねぇ。


 私は、思わず笑った。


「元気だね、ルナ!」


「元気にゃー!」


 ……うん。


 すごく楽しそうだね。


 ところが。


 雪彦君たちは、誰一人動かなかった。


「……えっ?」


 雪彦君が、ようやく口を開いた。


「……えっ?」


 ……おや。


 同じことを二回言った?


 フィースさんの杖が、ゆっくり下がっていく。


「……ちょっと……何よ、あれ……」


 ソラリスさんは、口元へ手を当てて固まった。


 メリンダさんも剣を握ったまま、足が止まっている。


 ……おお。


 やっぱり、びっくりしたんだね。


「……師匠」


「うん?」


「……あれが、さっき俺が頭を撫でたルナなんですか?」


「そうだよ!」


「……あんなに大きくなるんですか……?」


「うん。Sランクのジャイアントサーベルタイガーだからね」


 …………。


 ……。


 …………。


「……Sランク?」


 雪彦君が、ぽつりと呟いた。


 フィースさんも、その言葉を繰り返す。


「……S、ランク……」


 ……うん。


 その反応を見ると、やっぱりSランクってすごいんだねぇ。


 私は、笑顔で頷いた。


「さあ、雪彦君! 本気でやらないと食べられちゃうぞー!」


 ちょっと冗談めかして声をかけてみた。


 もちろん、本当に食べることはない。


「食べないにゃー!」


 ルナも、すぐに否定してくれた。


 ……あはは。


 いい子だねぇ。


 でも。


 ルナが大きな口を開いた瞬間、雪彦君たちは一斉に後ずさった。


 ……おや。


 そこまで怖いかな。


 いや、確かに五メートルの魔獣に牙を見せられたら、普通は怖いか。


「……無理です」


 雪彦君が、静かに言った。


「……えっ?」


「……師匠。すみません。無理です」


 ……おお。


 まだ始まってもいないんだけど。


「……私も、無理……」


 フィースさんが、杖を下ろす。


「……た、戦えません……」


 ソラリスさんも、震える声で続けた。


 メリンダさんは、雪彦君の前に立ったまま動かない。


 ……おっ。


 この子は、まだやる気かな?


「……雪彦様」


「……うん」


「……撤退しましょう」


 …………。


 ……ああ。


 なるほど。


 自分たちより明らかに強い相手を前にして、撤退を選んだんだね。


 それも冒険者としては、大事な判断だと思う。


 ……うん。


 無理に戦う必要はないからね。


「ルナ、お疲れさまー!」


「もう終わりにゃー?」


「うん。今日はここまでだよ」


「分かったにゃー!」


 ルナは、少し残念そうに尻尾を下げた。


 ……ああ。


 身体を動かしたかったんだねぇ。


「《縮小》、五十センチにゃー!」


 ルナの身体が、みるみる小さくなっていく。


 そして、いつもの五十センチほどの姿に戻った。


 ……うん。


 やっぱり、可愛い。


 さっき、勇者一行を戦う前に諦めさせた魔獣とは思えないね。


「……リアリスさん」


 隣で晴斗君が、深いため息をついた。


「……ルナって、勇者パーティが戦意喪失するほどの魔獣だったんですね……」


「うん。Sランクだからね」


「……僕、いつもこんな子に守ってもらってるんだ……」


 晴斗君が、少し複雑そうに笑った。


 ……ああ。


 そうだね。


 ルナは、頼もしい相棒だ。


 私は頷いた。


「うん。大切にしてあげてね」


「……もちろんです」


 ……うん。


 いい返事だねぇ。


     ◇


 私たちは闘技場へ降り、雪彦君たちの元へ向かった。


「雪彦君、お疲れさま!」


「……師匠」


「うん?」


「……駄目だ……」


 ……おや。


「……師匠の周りには、まともな人がいない……」


 …………。


 ……えっ。


 何を言ってるんだろう。


「えー。みんなまともだよ?」


 桜花は優しくて真面目だし。


 晴斗君も毎日勉強と修行を頑張っているし。


 ルナだって、ちゃんと約束を守れるいい子だ。


 ……うん。


 全然おかしくないよね。


「……まとも……」


 雪彦君が、遠い目をした。


 ……あれ。


 元気がないねぇ。


 フィースさんも、ソラリスさんも、すっかり静かになっている。


 メリンダさんは、雪彦君のそばを離れようとしなかった。


 ……うん。


 ちょっと疲れちゃったかな。


「みんな、怪我はないよね?」


 念のため確認すると、四人とも小さく頷いた。


 ……よかった。


 私は一人ずつ状態を確かめてから、一時的に付与していた《絶対防御》を解除した。


 ……よし。


 これで、元どおりだね。


「じゃあ、今日はここまでにしようか」


 私が言うと、四人が揃って大きく頷いた。


 ……おお。


 息ぴったりだ。


 やっぱり、いいパーティだなぁ。


     ◇


 亜空間から戻ると、そこはいつもの魔国邸の庭だった。


 まだ空は明るい。


 ……うん。


 ずいぶん長く稽古していた気がしたけど、まだ夕方前なんだねぇ。


「雪彦君、今日は少しは稽古になったかな?」


「……はい……」


 雪彦君が、ゆっくり頷いた。


「……この世界には、絶対に勝てない人がいるって、身をもって分かりました……」


 …………。


 ……あれ?


 何だか、ちょっと違う方向に学んじゃった?


 でも、上には上がいるって知るのは大事なことだ。


 雪彦君は、これからもっと強くなれると思うしね。


「そんなに落ち込まなくても大丈夫だよ。雪彦君、ちゃんと強くなってたから」


「……本当ですか?」


「うん。剣の動きもよかったし、四人の連携もすごかったよ」


 私は、笑って頷いた。


 ……うん。


 本心だ。


「だから、次は稽古じゃなくて特訓にしようか」


 …………。


 ……あれ。


 雪彦君の表情が、また消えた。


「……師匠」


「うん?」


「……特訓、ですか……」


「うん。今度はもう少しじっくり教えてあげたいなって」


 ……いい案だと思うんだけど。


 私が力になれるなら、弟子にはできるだけ教えてあげたいからね。


 でも。


「……この世界には、絶対に勝てない人がいるんですね……」


 雪彦君が、さっきと同じことを呟いた。


 ……おや。


 聞こえてなかった?


「雪彦さん!」


 晴斗君が、慌てて肩を揺すった。


「しっかりしてください!」


「……」


「雪彦さん!」


「……はっ!」


 ……おっ。


 戻ってきた!


 雪彦君は、何度か深呼吸してから私へ向き直った。


「師匠! 今日は本当にありがとうございました!」


 勢いよく頭を下げる。


「もっと精進します! まだまだ足りないって、よく分かりました!」


「うん。でも、あんまり頑張りすぎるのもよくないよ」


 私は、優しく声をかけた。


「適度に息抜きもしないとね。身体を休めるのも、大事な修行だから」


「……はい!」


 ……うん。


 いい返事だねぇ。


 すると。


「……リアリスさん」


 晴斗君が、ものすごく疲れた声で呼んだ。


「ん?」


「……リアリスさんは、鬼ですか……」


 …………。


 ……えっ。


 鬼?


 私は、思わず自分の頭へ手をやった。


 ……うん。


 角は生えてないね。


「えっ、私、鬼じゃないよ?」


「……そういう意味じゃないです……」


 ……おや。


 そうなの?


 私は、思わず首を傾げた。


 桜花が隣で、口元へ手を当てて笑っている。


「ふふっ。リアリス様は、本当にお優しい方でございますから」


 ……おっ。


 ありがとう、桜花。


 やっぱり桜花は、ちゃんと分かってくれてるねぇ。


「ほら、晴斗君。みんな怪我してないでしょ?」


「……はい。肉体的には……」


 ……あっ。


 また、それ。


 今日は本当によく聞く言葉だなぁ。


「それじゃあ、また遊びに来てね。次は一緒にご飯でも食べようよ」


 私が笑うと、雪彦君も少しだけ笑顔を取り戻した。


「はい! ぜひ!」


 ……おお。


 ご飯の話なら元気なんだね。


 よかった。


 フィースさんは私の顔を見て、何か言いかけた。


「……ふん」


 ……あれ。


 それだけ?


 今日は、もう毒舌は終わりみたいだ。


 ソラリスさんは、小さく頭を下げた。


「……ありがとうございました……」


「うん。お疲れさま、ソラリスさん」


 ……おっ。


 ちゃんとお礼を言ってくれた。


 嬉しいねぇ。


 メリンダさんは、雪彦君のそばに立っていた。


「……雪彦様がもっと強くなったら、今度こそ負けないから」


 ……おお。


 いいねぇ。


 私は、笑顔で頷いた。


「うん。楽しみにしてるね」


 メリンダさんは、ぷいっと顔を背けた。


 ……うん。


 まだまだ元気そうだね。


 雪彦君が、もう一度私へ頭を下げる。


「師匠。またお願いします!」


「うん。いつでも声をかけてね」


「……はい!」


 ……あれ。


 ちょっと返事が詰まった?


 まあ、いいか。


 雪彦君たちは、少し肩を落としながら魔都へ帰っていった。


 その背中を、三人の仲間たちが囲んでいる。


 ……ああ。


 いいパーティだねぇ。


 私は、四人の姿が見えなくなるまで手を振った。


     ◇


「さて。私たちも帰ろうか」


 私は桜花と晴斗君へ声をかけた。


「はい、リアリス様」


「……はい」


 ……おや。


 晴斗君、まだ少し疲れた顔をしている。


 今日はいろいろ見たから、無理もないかな。


 ルナは、もういつもの小さな姿だ。


「晴斗、帰るにゃー!」


「うん。そうだね」


 晴斗君がルナを抱き上げた。


 その腕の中で、ルナが気持ちよさそうに丸くなる。


 ……ああ。


 可愛いねぇ。


 さっき、勇者一行を戦う前に諦めさせた子とは思えない。


 私は朝顔へ挨拶し、《簡易転移》の扉へ向かった。


「また来るね、朝顔」


「はい。お待ちしております、リアリス様」


 ……うん。


 今度はゆっくりお茶でも飲もう。


 扉を開くと、向こうにはシルク王国邸の廊下が続いている。


「リアリス様」


「ん?」


 桜花が、柔らかく微笑んでいた。


「本日は、ありがとうございました」


「えっ?」


「リアリス様に教えていただいた剣技を、皆様の前でお見せできましたので」


 ……ああ。


 そっか。


 桜花も、嬉しかったんだね。


「うん。私も嬉しかったよ。桜花、すごく格好よかった」


 桜花の表情が、少しだけ明るくなった。


「……ありがとうございます」


 ……ああ。


 その笑顔を見られただけでも、いい一日だったなぁ。


「……リアリスさん」


 晴斗君が、後ろから声をかけてきた。


「うん?」


「……明日は、普通に過ごせますよね?」


 ……おや。


 何だか、ずいぶん心配そうだ。


「うん。明日はいつもどおりの予定だよ」


「……よかったぁ……」


 ……あはは。


 そんなに安心しなくても。


 私は、ちょっと笑った。


 ……まあ。


 明日は、晴斗君の稽古の様子も見てあげようかな。


 楓と一緒に頑張っているみたいだし、今日のことを聞いてみたい。


 それに、たまには私が直接教えてあげるのもいいかもしれないねぇ。


 ……うん。


 いい考えだ。


 私は、桜花と晴斗君、それからルナを連れて扉をくぐった。


 ……さて。


 明日も、平和な一日になるといいなぁ。

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