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第4話:十一人の師匠

 扉の向こうへ足を踏み入れると、そこには広大なコロシアムが広がっていた。


 ……うん。


 我ながら、いい出来だねぇ。


 高くそびえる石造りの観客席。


 中央に設けた円形の闘技場。


 周囲を囲む壁も十分な高さにしてあるし、足元は踏み込みやすいように整えてある。


 見上げれば、どこまでも青い空が続いていた。


 ……もちろん、ここは亜空間だから、本物の魔都の空じゃないんだけどね。


 でも、せっかくなら気分が出る場所で稽古したいでしょ?


「さあ、みんな。入っていいよ」


 私は振り返り、扉の向こうで立ち止まっていた雪彦君たちに声をかけた。


 ……あれ?


 誰も動かない。


「……師匠」


「うん?」


「……これ、何ですか?」


 雪彦君が、コロシアムを指差した。


「ん? 稽古場だよ」


「……稽古場?」


「うん!」


 私は、にっこり笑った。


「広い方がいいかなと思って、コロシアムにしてみたんだ」


 ……ああ。


 こういう場所って、何だかわくわくするよねぇ。


 日本にいた頃なら、画面の中でしか見られなかった光景だ。


 それを自分で作れるんだから、想像魔法は本当に便利だと思う。


「……師匠、ちょっと待ってください」


「どうしたの?」


「俺、ただ剣の稽古をお願いしただけですよね?」


「そうだよ?」


「……何でコロシアムなんですか!?」


 …………。


 ……えっ。


 そこ?


 私は首を傾げた。


「だって、広いし。観客席もあるし」


「観客席まで必要なんですか!?」


「みんなも見たいかなと思って」


 ……うん。


 よく考えたら、今日は雪彦君の仲間たちも来ている。


 晴斗君だって、せっかくの機会だし。


 大人数で模擬戦を見学するなら、こういう場所の方がいいと思うんだよね。


 ……あれ。


 そんなに変かな?


「……すごい……」


 晴斗君が、目を丸くしていた。


「リアリスさん、これ全部……?」


「うん。亜空間の中に作ったんだよ」


「……コロシアムを?」


「そうそう」


「……」


 晴斗君が、何とも言えない顔で私を見た。


 ……おや。


 何だか、最近よく見る表情だね。


「……リアリスさんって、本当に……」


「ん?」


「……いえ。何でもないです」


 ……うん?


 言いかけたなら、最後まで言ってくれてもいいのに。


 まあ、いいか。


「……そんな馬鹿な」


 フィースさんが、ぽつりと呟いた。


 ……おっ。


 この子も驚いてるね。


「本当に、別の空間を作ったっていうの?」


「うん。そうだよ」


「……あり得ないでしょ」


 ……ああ。


 確かに、普通の魔法では難しいのかな。


 私にとっては、いつものことになっちゃってるからねぇ。


「フィースさん、危ないところじゃないから安心してね」


「そういうことを聞いてるんじゃないわよ!」


 ……おお。


 怒られちゃった。


 ソラリスさんも、恐る恐る辺りを見回していた。


「……そ、空もあります……」


「うん。空が見えた方が気持ちいいからね」


「……そ、そうなんですか……」


 ……あれ。


 何だか、会話が噛み合わない。


 メリンダさんは、腕を組んで私を睨んでいる。


「……くだらない見せびらかしね」


 …………。


 ……うん。


 相変わらず辛口だねぇ。


 雪彦君が、頭を抱えた。


「だから、みんな! 師匠は本当にすごいんだって!」


 ……雪彦君。


 ありがとうね。


 でも、そこまで必死に説明しなくても大丈夫だよ。


 私は、広い闘技場の中央を指差した。


「じゃあ、準備しようか。雪彦君は私と一緒に下へ。ほかのみんなは観客席で見ててね」


 桜花が、すぐに頷いた。


「かしこまりました」


「晴斗君も、ルナと一緒に観客席へ行っておいてね」


「……はい」


 ……あれ?


 返事に元気がないね。


 晴斗君は、雪彦君の顔をちらりと見た。


 雪彦君も、なぜか晴斗君を見ている。


 二人の視線が合った。


「……雪彦さん」


「……うん」


「……頑張ってください」


「……ありがとう」


 …………。


 ……おお。


 何だろう、この空気。


 これから稽古するだけだよね?


 私は不思議に思いながら、先に闘技場へ向かった。


     ◇


 見学する六人には、観客席の見晴らしのいい場所へ移動してもらった。


 桜花。


 晴斗君。


 ルナ。


 そして、フィースさん、ソラリスさん、メリンダさん。


 ……うん。


 ちゃんと全員いるね。


 私は観客席へ手を向けた。


「《結界》」


 透明な膜が、客席の前へ広がっていく。


 闘技場を見渡せるようにしてあるので、視界を遮ることはない。


 もちろん、衝撃や飛んできたものが客席へ届かないようにしてある。


 万が一にも、みんなを巻き込むわけにはいかないからね。


「これでよし!」


 私は、客席へ向かって手を振った。


「みんなー! 安全だから、安心して見ててねー!」


 桜花が、笑顔で手を振り返してくれた。


 ……うん。


 頼もしいねぇ。


 晴斗君は、何だか難しい顔をしている。


 フィースさんは結界へ手を伸ばし、見えない何かに触れたように動きを止めた。


「……えっ?」


 その手が、もう一度前へ伸びる。


 でも、そこから先へは進まない。


「……な、何なのよ、これ……」


 ……おお。


 興味津々だね。


 私は、ちょっと嬉しくなった。


 実際に触れると、結界のことも分かりやすいよね。


「師匠ー!」


 背後から、雪彦君の声がした。


「ん?」


 振り返ると、雪彦君が私の方へ歩いてきていた。


 先ほどまでの笑顔は、ちょっとだけ控えめになっている。


「……あの、師匠」


「どうしたの?」


「観客席は安全になったみたいですけど……」


「うん!」


「……俺の安全は?」


 …………。


 ……おや。


 そこを心配してたのか。


 私は、思わず笑った。


「大丈夫、大丈夫。ちゃんと考えてあるから」


「……その笑顔、全然安心できないんですけど」


「えぇ?」


 ……あれぇ。


 私、普通に笑ってるだけなんだけどなぁ。


「ちゃんと怪我をしないようにするよ。約束」


「……本当ですね?」


「うん!」


 雪彦君は、まだ少し不安そうだった。


 ……ふむ。


 口で言うだけじゃ、安心できないのかな。


 それなら、ちゃんと説明しておこう。


「まず、私が使うのは模造刀ね。斬れる刃じゃないから」


 私は、用意した刀を抜いて見せた。


 形や重さは普段の刀と同じだけど、実際に斬るための刃はつけていない。


 稽古で誰かを傷つけたら、意味がないからね。


「……模造刀」


「そう。あと、雪彦君にも防御の魔法を一時的に付与しておくよ」


「……防御の魔法?」


「うん。念のためね」


 私は、雪彦君へ手を向けた。


 付与するのは、いつも自分を守ってくれているあの魔法。


 ただし、今回は稽古の間だけ。


 終わったら、私が解除できるようにしておく。


「《絶対防御》」


 魔法が、雪彦君の身体を包むように定着した。


 ……うん。


 これで大丈夫。


 私は満足して頷いた。


「はい。もう大丈夫だよ」


 雪彦君は、自分の腕や胸元を確かめるように見下ろしていた。


「……これが、師匠の《絶対防御》ですか?」


「そうだよ。今は雪彦君にも効いてるからね」


「……そ、そうですか」


 ……おや。


 さっきより安心したかな?


 と思ったら、雪彦君が顔を上げた。


「……師匠」


「うん?」


「やっぱり、そんなに危険な技を使うんですか?」


 …………。


 ……あっ。


 逆に心配させちゃった?


「いやいや。もしものためだよ」


「もしも……」


「大丈夫、ちゃんと外すから」


「……何をですか?」


「斬撃」


 ……。


 …………。


 雪彦君が、ぴたりと動きを止めた。


「……えっ?」


「うん。刀も模造刀だし、防御魔法もあるし、怪我はさせないよ」


 私は、にっこり微笑んだ。


「肉体的にはね」


「…………」


 ……ん?


 雪彦君、何で固まったの?


 よく考えたら、模擬戦なんだから気持ちの面で悔しい思いをすることはあるかもしれない。


 だから、念のためそう付け足しただけなんだけど。


 ……あれ。


 言わない方がよかったかな。


     ◇


 観客席では、晴斗君が落ち着かない様子でこちらを見ていた。


 桜花はその隣で、穏やかに微笑んでいる。


「……桜花さん」


「はい、晴斗様」


「……本当に、大丈夫なんですよね?」


「はい。ご心配には及びません」


 ……うん。


 桜花がちゃんと説明してくれてるみたいだ。


 ありがたいねぇ。


 私は、二人へ手を振った。


 すると、桜花は微笑んだまま言葉を続けた。


「おそらく、双方とも無傷で終わるかと存じます」


「……よかった」


「肉体的には」


「肉体的には!?」


 ……おお。


 晴斗君の声、ここまで聞こえたよ。


 ……あれ?


 桜花も同じこと言ってる?


 私たち、考えることが似てるのかなぁ。


 私は、ちょっと嬉しくなった。


 客席では、フィースさんが腕を組んでいた。


「何よ、あんなの。わざわざ防御魔法をかけるなんて」


 ……うん。


 まあ、確かに少し大げさかもしれない。


 でも、安全第一だからね。


「……ゆ、雪彦様……」


 ソラリスさんが、手を胸の前で組んだ。


「……どうか、ご無事で……」


 ……おや。


 かなり心配してるね。


 雪彦君、仲間から大事にされてるなぁ。


「心配しすぎよ」


 メリンダさんが、苛立たしげに答える。


「雪彦様が、あんな奴に負けるわけないでしょ」


 ……うん。


 こちらは、相変わらずだねぇ。


 私は、ゆっくりと雪彦君へ向き直った。


「じゃあ、雪彦君。始めようか」


 彼は、一度大きく息を吸った。


 それから、剣を正面に構える。


「……はい!」


 ……おっ。


 いい構えだね。


 以前より重心が落ち着いている。


 肩も、変に力んでいない。


 ……なるほど。


 修行したっていうのは、本当みたいだ。


「遠慮しなくていいよ。今の雪彦君の全力を見せてね」


「分かりました!」


 雪彦君は、剣を握り直した。


「……全力で行きます! 師匠!」


「うん。おいで!」


 私が頷くと、雪彦君が動いた。


 地面を蹴り、一直線に距離を詰めてくる。


 ……おっ。


 速い!


 ……いや、私からすれば十分に見える速さだけど。


 それでも、以前と比べればずっといい。


 踏み込んだ瞬間、剣先がぶれない。


 最初の一撃は、右肩を狙った斬り下ろし。


 私は身体を半歩ずらしてかわした。


 剣が、すぐ横を通り抜ける。


 ……うん。


 悪くないね。


 ここから、どう続けるかな。


「はあっ!」


 雪彦君が、勢いを殺さず次の一歩を踏み込んだ。


 剣先が向きを変える。


 今度は横薙ぎ。


 私は少し後ろへ下がった。


 すると、雪彦君がさらに踏み込んでくる。


 ……おお。


 連続で攻めてくるようになったんだ。


 前に戦ったときは、最初の一撃だけで終わっちゃったからね。


 こうして、ちゃんと剣を交えるのは今回が初めてに近い。


 ……楽しいなぁ。


「いいよ、雪彦君。その調子!」


「……まだまだ!」


 雪彦君が、左足を軸に身体を回した。


 剣が、下から斜めに跳ね上がる。


 そのまま、さらに前へ。


 ……うん。


 いい連係だ。


 最初の攻撃を避けられたあとも、足が止まらない。


 以前なら、もっと大きな隙ができていたと思う。


 私は剣先を見ながら、少しずつ位置を変えた。


 雪彦君も、それに合わせて距離を詰める。


「はっ! せいっ!」


 斬り下ろし。


 突き。


 横薙ぎ。


 そこから、もう一度斬り上げ。


 ……おお。


 なかなか頑張るねぇ。


 息は上がっているけど、動きは大きく崩れていない。


 私は、一度だけ大きく後ろへ跳んだ。


 距離が開く。


 雪彦君が、そこで踏みとどまった。


 ……おっ?


 追ってこないんだ。


 いい判断だね。


 無理に飛び込んできたら、次の動きが読まれやすくなるからね。


「うん。ちゃんと考えて戦ってるね」


「……ありがとうございます!」


 雪彦君が、少し嬉しそうに笑った。


 でも、すぐに表情を引き締める。


「ただ……全然、当たる気がしません!」


「ははは。まだまだだね」


「……分かってます!」


 ……うん。


 その調子。


 悔しさをちゃんと次の行動につなげられるのは、いいことだ。


 私は、ゆっくりと模造刀を下げた。


「ちょっとだけ助言してもいい?」


「はい!」


「今の連続攻撃、すごくよかったよ。ただ、最後の一撃を出す前に、少し肩が上がる癖があるみたい」


「……肩、ですか?」


「うん。あれだと、次にどこを狙うか分かりやすくなっちゃう。もう少し肩を楽にしてみようか」


 雪彦君が、自分の肩を見下ろした。


 そのあと、もう一度剣を構えてみる。


 ……おっ。


 今度は、少し力が抜けたかな。


「……こうですか?」


「うん。いい感じ」


「ありがとうございます!」


 雪彦君が、嬉しそうに頷いた。


 ……ああ。


 やっぱり、教えるのは楽しいね。


 私も、桜花やフラワーズと稽古するたびに新しい発見がある。


 剣技というのは、ただ速く振れればいいわけじゃない。


 重心。


 足運び。


 相手との間合い。


 その全部が噛み合って、初めて意味のある一撃になる。


 ……うん。


 こういうところは、魔法に頼らず自分で磨いてきてよかったなぁと思う。


 もちろん、私の身体能力はとんでもないことになってるんだけどね。


 そこは、まあ。


 転生者の特権ということで。


「じゃあ、もう一度やってみようか」


「はい!」


 雪彦君が、再び踏み込んだ。


 さっき教えたことを、すぐに意識しているらしい。


 肩の動きが、少し小さくなっている。


 ……おお。


 飲み込みが早いねぇ。


 攻撃を避けながら、私は思わず頷いた。


 今までの稽古、ちゃんと身になってるんだ。


 ……それなら。


 そろそろ、私からも少し見せてあげようかな。


     ◇


 雪彦君が、一度距離を取った。


 呼吸を整えながら、私の動きを慎重に見ている。


 ……うん。


 頑張ってるね。


 でも、今日はそれだけじゃ終わらせないよ。


 私は、模造刀を鞘へ納めた。


 そして、腰を少し落とす。


 ……さて。


「じゃあ、次はこっちの番ね」


 私がそう言うと、雪彦君の表情が変わった。


 ……おっ。


 気づいた?


「……その構え」


「うん?」


「……師匠、それは……!」


 ……ああ。


 覚えてるんだね。


 最初に模擬戦をしたとき、雪彦君はこの構えを前にして、何もできずに負けた。


 私にとっては一瞬の出来事だったけど。


 雪彦君にとっては、忘れられない一撃だったらしい。


 ……うん。


 そこまで覚えてくれてるなら、教えた甲斐があるね。


「【一閃】の構えだよ」


「……っ!」


 雪彦君が、勢いよく後ろへ跳んだ。


 一歩。


 二歩。


 さらに距離を取る。


 ……おお。


 随分遠くまで下がったね。


「……今度こそ!」


 雪彦君が、剣を構え直した。


「この前みたいに、一瞬でやられたりはしませんよ!」


 ……おっ。


 いいねぇ。


 強い決意だ。


 ……でも。


 あんまり遠くへ下がっても、私なら一瞬で間合いを詰められるんだけどね。


 まあ、そこは今回は教えなくてもいいか。


「うん。その意気だよ」


 私は、にっこり笑った。


 ……さて。


 雪彦君も、今までより強くなった。


 それなら、私もとっておきの剣技を見せてあげたい。


 もちろん、当てるつもりはない。


 怪我もさせない。


 でも、一流の剣士がどんな世界を見ているのか、少しでも感じてもらえたら嬉しい。


 ……うん。


 せっかくなら。


 以前、邪神との戦いで使ったあれにしよう。


 あれなら、きっと印象に残る。


 ……あっ。


 ちょっと派手すぎるかな。


 ……まあ。


 観客席には結界を張ってあるし、雪彦君には《絶対防御》もかけてある。


 それに、斬撃が誰にも届かないようにすれば大丈夫だ。


 ……うん。


 よし。


「雪彦君」


「……はい!」


「今から、ちょっと面白いものを見せるね」


 ……あれ?


 雪彦君の顔が、また引きつった?


 何でだろう。


 私は、不思議に思いながら魔法名を口にした。


「《ドッペルゲンガー》」


 声に応じて、私の左右の空間が揺らいだ。


 一人。


 二人。


 三人。


 光が重なるように、人影が次々と現れる。


 赤い髪。


 見慣れた顔。


 私と同じ服。


 そして、同じ模造刀。


 ……うん。


 ちゃんとできてるね。


 四人。


 五人。


 六人。


 さらに、七人、八人、九人。


 最後の一人が、私の隣に立った。


 ……よし。


 全部で十人。


 私を含めれば、十一人のリアリスである。


 ……ああ。


 久しぶりに使ったなぁ、この魔法。


 私は、並んだ分身たちを見回した。


 みんな私と同じ顔で、同じように微笑んでいる。


 ……うん。


 自分がたくさんいる光景って、何度見ても変な感じだねぇ。


 ところが。


「…………」


 雪彦君が、完全に固まっていた。


 ……おや。


「雪彦君?」


 返事がない。


「……雪彦君?」


 私は、もう一度呼んでみた。


 ようやく彼が口を開く。


「……は?」


 ……うん?


「……え?」


 ……ん?


「……師匠?」


「うん?」


「……師匠が、増えたんですけど」


「ああ。十人増やしたんだよ」


 私は、何でもないことのように答えた。


 ……いや。


 実際、魔法を使っただけなんだけどね。


 でも、雪彦君は何故か、天を仰いだ。


「……ははは」


 ……おっ。


 笑ってる。


 よかった。


 楽しんでくれてるみたいだね。


「……はははっ……」


 ……あれ。


 何だか、ちょっと笑い方がおかしい?


「……無理ですって……」


 …………。


 ……えっ?


「……一人でも勝てないのに、十一人って……!」


 ……おお。


 なるほど。


 確かに、一人でも戦うのは大変かもしれない。


 でも、今から攻撃を当てるつもりはないんだよ。


 私は、笑って説明した。


「大丈夫、雪彦君。今日は見てもらうだけだから」


「……見てもらうだけ?」


「うん。十一人で剣技を使うところをね」


 ……あれ?


 雪彦君が、ますます青くなっていく。


 ……どうして?


 私は、分身たちと顔を見合わせた。


 十人とも、私と同じように首を傾げる。


 ……うん。


 ちょっと不思議だね。


     ◇


 観客席でも、何やら騒ぎになっていた。


「……えっ」


 フィースさんが、結界の向こうで目を見開いている。


「……えっ!? 何なの、あれ!?」


 ……おっ。


 驚いてくれたみたいだね。


 私は、客席へ手を振った。


 分身たちも、同じように手を振る。


 ……おお。


 十一人で手を振ると、ちょっと面白いね。


 でも、フィースさんは笑わなかった。


「……ふざけないでよ! 何で同じ人があんなにいるの!?」


 ……ああ。


 やっぱり、初めて見ると驚くよねぇ。


 ソラリスさんは、両手で口元を押さえている。


「……ひ、ひとが……増えました……」


 メリンダさんは、眉を吊り上げた。


「……幻術でしょ! そんなの!」


 ……うん。


 そう思うよね。


 でも、残念ながら、本物なんだよなぁ。


 《ドッペルゲンガー》で生み出した分身は、姿が似ているだけの幻じゃない。


 私と同じ身体能力を持ち、同じ剣技も使える。


 もちろん、傷つくこともあるし、私が消そうと思えば消せる。


 ……だからこそ、普段は滅多に使わないんだけどね。


 晴斗君は、声も出ない様子だった。


 口を半開きにしたまま、私たちを見つめている。


 ……おや。


 晴斗君、大丈夫かな。


「桜花さん……」


 ようやく、彼が声を絞り出した。


「……何ですか、あれ……」


「リアリス様の《ドッペルゲンガー》でございます」


 桜花が、穏やかに答えた。


 ……うん。


 さすが桜花。


 もうこの魔法のことを知っているから、落ち着いてるね。


「……そ、そうなんですか……」


「はい。あの方々は、皆リアリス様と同じ力をお持ちです」


 ……おっ。


 説明も正確だね。


 晴斗君の顔が、ゆっくりと桜花へ向いた。


「……同じ?」


「はい」


「……十一人とも?」


「はい」


 …………。


 ……あれ。


 晴斗君、何だか目が遠くを見てない?


「……もう、何が何だか……」


 ……うーん。


 ちょっと驚かせすぎちゃったかな。


 でも、まだこれからなんだよねぇ。


 桜花が、静かに闘技場へ視線を戻した。


 その横顔が、何だか嬉しそうに見える。


 ……ああ。


 そうか。


 桜花にとっても、あの剣技は特別なんだった。


 邪神との戦いで初めて見せた、私の切り札。


 今では桜花も自分なりに修練を続けているけど、まだ本家を何度も見る機会はなかった。


 ……うん。


 せっかくだし、よく見ておいてもらおう。


 私は、分身たちへ視線を向けた。


 みんな、もう準備できている。


 ……さて。


 始めようか。


     ◇


「雪彦君」


「……はい……」


 返事が、ずいぶん小さい。


 私は、なるべく優しく微笑んだ。


「ここからは見学でいいからね。攻撃は全部、雪彦君のいない方向へ流すよ」


「……はい」


「それに、さっき付与した《絶対防御》もあるから」


「……はい」


 ……うん。


 ちゃんと返事してくれてる。


 私は安心した。


 雪彦君は、剣を構えたまま、周囲に立つ十一人の私を見回している。


 さっきまでの勢いは、もうほとんどない。


 ……あれ。


 どうしたんだろう。


 稽古の途中なんだけどなぁ。


 私は、胸の内で首を傾げた。


 でも、ここでやめるのも中途半端だ。


 それに、一度見てもらえば、剣技の速さがどういうものか分かるはずだ。


「じゃあ、いくよ」


 私は一歩下がり、模造刀を鞘へ納めた。


 残る十人も、それぞれ間合いを取る。


 雪彦君へ向けた攻撃線は作らない。


 狙うのは、誰も立っていない闘技場の外周側。


 斬撃の軌道をあらかじめ分けておけば、雪彦君にも客席にも触れずに済む。


 ……うん。


 これなら安全だね。


 十一人の私が、同時に腰を落とした。


 鞘を少し前へ。


 重心を低く。


 次の動きを、ほんの一瞬先に置く。


 ……ああ。


 やっぱり、この感覚はいいなぁ。


 刀を振る速さだけでは、百連撃には届かない。


 ひと振りを終える前に、次の動きが始まっている。


 それを百回、淀みなくつなげる。


 ……何度も練習した技だ。


 桜花やフラワーズとの組手を重ねながら、少しずつ形にしてきた。


 だから、魔法を使えば勝手にできるというものじゃない。


 私自身が、刀を振り続けて作り上げた剣技なんだ。


 ……うん。


 せっかくだし、ちゃんと見せてあげよう。


 私は、短く息を吐いた。


「【一閃 乱れ桜】!」


 その瞬間。


 十一人が、動いた。


 音が追いつかない。


 抜刀。


 踏み込み。


 次の抜刀。


 さらに、その次。


 一本の模造刀が描く軌跡は、あっという間に無数の線へと変わる。


 百。


 その連撃が、十一人分。


 合計、一千百。


 ……千百の斬撃が、誰もいない空間へ一斉に走った。


 風が鳴る。


 鋭い音が重なり、闘技場の空気が震える。


 けれど、一つとして雪彦君には向けていない。


 模造刀の軌道はすべて、誰もいない外周へと抜けていく。


 観客席の前には《結界》。


 雪彦君には《絶対防御》。


 そして、何より。


 私たちは、誰も斬らない。


 ……うん。


 そこは、絶対に守らないとね。


 斬撃の軌跡が重なるたび、淡い桜色が空中へ広がっていく。


 一枚。


 二枚。


 やがて、数えきれないほどの花びらになった。


 私たちの周囲で、桜が舞っている。


 風に乗り、ふわりと浮かび上がり、ゆっくりと落ちていく。


 ……ああ。


 きれいだねぇ。


 私は、最後の一撃を振り終えた。


 十人も、ほとんど同時に動きを止める。


 そして、十一人が静かに納刀した。


 ――カチン。


 小さな鍔鳴りが、重なって響いた。


 それを合図にしたように、桜色の花びらが一斉に広がる。


 闘技場の上空が、淡い春の色に包まれた。


 ……うん。


 やっぱり、いい技だね。


 私は、ちょっと満足して微笑んだ。


 さて。


 雪彦君にも、楽しんでもらえたかな?


「……雪彦君?」


 私は、彼の方を向いた。


 雪彦君は、剣を構えたまま固まっていた。


 ……おや。


「雪彦君、どうだった?」


 返事がない。


 ……あれ?


 よく見ると、目が少し泳いでいる。


 口も開いたままだ。


 ……大丈夫?


「……し、しょう……」


 ようやく、小さな声が聞こえた。


「うん?」


「……はは……」


 ……おっ。


 また笑った。


 ……いや。


 さっきと同じ笑い方だね。


「……無理……」


 雪彦君の剣先が、ゆっくり下がった。


「……こんなの……無理……ですって……」


 ……えっ。


 そんなに?


 私は、慌てて一歩近づいた。


「雪彦君?」


「……じゅう……いち……にん……」


 ……あっ。


 十一人いるのが、そんなに衝撃だったのかな。


「……いっせん……ひゃく……?」


 ……うん。


 計算は合ってるよ。


 すごいね、ちゃんと数えてたんだ。


 ……いや。


 そういうことじゃないか。


 雪彦君の身体が、ぐらりと傾いた。


「……あっ」


 ……おっと。


 危ない。


 私は、すぐに近づいて身体を支えた。


 雪彦君は、そのまま目を閉じてしまった。


 …………。


 ……えっ。


 ちょっと待って。


「雪彦君!?」


 私は、慌てて顔を覗き込んだ。


 呼吸は落ち着いている。


 脈も、問題なさそうだ。


 身体には傷一つない。


 《絶対防御》も、ちゃんと効いている。


 ……よかった。


 怪我じゃないんだね。


 でも。


 ……。


 …………。


 ……気絶しちゃった?


 ……えぇぇ。


 まだ、斬撃を一つも当ててないんだけど!?


     ◇


 私は、雪彦君を静かに地面へ寝かせた。


 闘技場の床は硬いけど、今は仰向けに休めるように少し柔らかい敷物を用意してある。


 ……うん。


 これなら、目を覚ますまで待てるかな。


 十一人のままだと、起きたときにまた驚かせてしまいそうだ。


 私は、十人の分身たちを消した。


 景色の中に残ったのは、いつもの私一人。


 ……よし。


 桜色の花びらだけが、まだゆっくり舞っている。


 私は、客席へ向かって手を振った。


「みんなー! 終わったよー!」


 ……。


 …………。


 返事がない。


 ……あれ?


 もう一度、手を振ってみる。


「大丈夫だよー! 怪我はしてないからねー!」


 すると、ようやく晴斗君が身を乗り出した。


「……えっ!?」


 ……おや。


 何だか、ずいぶん驚いてるね。


 晴斗君は、闘技場と雪彦君と、舞っている花びらを交互に見ていた。


 ……うん。


 気持ちは分かる。


 ちょっと派手だったもんねぇ。


「……何、今の……」


 フィースさんが、呆然と呟いた。


「……あんなの、見たことない……」


 ソラリスさんも、口元を押さえたまま動かない。


 メリンダさんは、何か言いかけたように口を開いたが、そのまま閉じてしまった。


 ……おお。


 あの三人まで静かになっちゃった。


 ……あれ?


 もしかして、本当に派手すぎたかな。


 そんな中。


 パチ、パチ、パチ。


 拍手が聞こえてきた。


 ……おっ。


 桜花だ!


 桜花が、静かに手を叩いていた。


 いつもの穏やかな表情だけど、目元は少し潤んでいるように見える。


 ……ああ。


 喜んでくれたんだね。


「お見事でございました、リアリス様」


 桜花の声が、闘技場へ届いた。


 ……うん。


 ありがとう。


 私は、嬉しくなって笑った。


 この技を作ったときから、桜花にもいつか見せてあげたいと思っていた。


 実際には、邪神との戦いで初めて披露することになっちゃったけど。


 あのときは、ゆっくり眺めてもらう余裕なんてなかったからね。


 今日は誰も傷つかずに見せられた。


 ……それだけでも、よかったと思う。


 私は桜花へ軽く頭を下げた。


 桜花は、もう一度小さく拍手した。


 ……うん。


 やっぱり、褒められると嬉しいねぇ。


「……ちょっと!」


 そのとき、フィースさんの声が響いた。


「……何なのよ、今の!?」


 ……おっ。


 復活した!


 私は顔を上げた。


「今の? 【一閃 乱れ桜】だよ」


「そんなこと聞いてるんじゃないわよ!」


 ……おや。


 また怒られちゃった。


 フィースさんは、結界越しにこちらを指差していた。


「十一人に増えて、あんな斬撃を出して……そんなの、反則でしょ!」


 ……ああ。


 反則かぁ。


 うーん。


 模擬戦のルールは、特に決めてなかったんだけどね。


 でも、雪彦君に怪我をさせてはいけないという約束は、ちゃんと守ったよ?


「……ま、魔法です……」


 ソラリスさんが、震える声で呟いた。


「……剣なのに、魔法みたいで……」


「うん。魔法と剣技を組み合わせたんだよ」


 私が答えると、彼女はますます目を丸くした。


 ……うん。


 そういう反応、ちょっと新鮮だね。


「……でまかせに決まってるわ」


 メリンダさんが、ようやく口を開いた。


 ……おや。


 まだ認めてくれないのかな。


「雪彦様が気を失うほどの剣技なんて……」


 そこで、彼女は言葉を止めた。


 ……ああ。


 そっか。


 雪彦君、まだ寝てるんだった。


 私は、慌ててそちらへ目を向けた。


 ……うん。


 呼吸は落ち着いているね。


 それに、意識も戻りそうかな。


「みんな、ちょっと待ってね」


 私は、一度客席の《結界》を解除した。


 観客席からこちらへ降りて来られるようになった。


 ……うん。


 もう危険な動きはしないからね。


 晴斗君たちが、階段を降り始める。


 ルナは、晴斗君の腕の中で耳をぴくぴく動かしていた。


 ……さて。


 雪彦君はどうかな。


 私は、彼のそばにしゃがみ込んだ。


「雪彦君?」


 返事はない。


 ……うん。


 でも、顔色は悪くない。


 私は肩を軽く揺すってみた。


「雪彦君、起きられる?」


「……ん……」


 ……おっ。


 反応があった。


 よかった。


「……はっ!」


 雪彦君が、ぱっと目を開けた。


 ……おお。


 早いねぇ。


「おはよう、雪彦君」


「……し、師匠……?」


「うん。私だよ」


 雪彦君が、ゆっくり身体を起こした。


 それから、辺りを見回す。


 ……おや。


 何か探してるのかな。


「……あれ?」


「どうしたの?」


「……何か……桜が舞ってたような……」


 ……あっ。


 覚えてるんだね。


 私は嬉しくなって頷いた。


「うん。きれいだったでしょ?」


「……きれい……?」


 雪彦君が、しばらく考え込んだ。


 ……そして。


「……はっ!」


 今度は、勢いよく顔を上げた。


「師匠!!」


「うん!?」


「さっきの、何ですか!? 増えるとか聞いてないですよ!!」


 ……おお。


 元気になった!


 私は、思わず笑った。


「ふふふ。あれはね、邪神を倒したときに使った剣技だよ」


 …………。


 ……。


 …………。


「……邪神?」


「うん」


「……倒したときの?」


「そうそう」


 雪彦君が、ぱちぱちと瞬きをした。


 ……おや。


 また驚いてる?


 私は、軽い調子で続けた。


「《ドッペルゲンガー》で十人増やして、十一人で【一閃 乱れ桜】を使ったんだ。今日は見せるだけだったから、誰にも当ててないけどね」


「……ちょっと待ってください」


 雪彦君が、両手で顔を覆った。


「……師匠」


「うん?」


「……俺、師匠に一撃入れたいって言いましたよね?」


「うん。言ってたね」


「……なのに、邪神を倒した技を見せるんですか……?」


 …………。


 ……あっ。


 確かに、言われてみれば。


 ちょっと張り切りすぎちゃったかな。


 私は、頬をかいた。


「……ははは。せっかくだし、成長の目標になるかなって」


「……目標が遠すぎますって……」


 ……うーん。


 そこまでかなぁ。


 確かに、百連撃は簡単にはできないけど。


 雪彦君は、まだ二十代半ばだ。


 勇者として成長できる余地もたくさんあるし、今から諦めなくてもいいと思う。


 ……うん。


 頑張れば、きっともっと強くなれるよ。


 そんなことを考えていたら、晴斗君たちが闘技場へ降りてきた。


「雪彦さん!」


「あっ、晴斗君……」


「大丈夫ですか!?」


「……うん。怪我はないみたい」


 晴斗君が、ほっと息を吐いた。


 それから、私へ顔を向ける。


 ……おや。


 何だか、ものすごく真剣な顔だね。


「リアリスさん」


「ん?」


「……僕、分かりました」


「何が?」


 晴斗君は、一度大きく頷いた。


 そして、はっきりと言った。


「リアリスさんは、規格外です」


 …………。


 ……あれ?


 何だか、すごく真面目に断言された。


「……そうかな?」


「はい。もう、そうとしか言えません」


 ……おお。


 そこまで言う?


 私は、ちょっと困って笑った。


 桜花が、私の隣へ歩いてきた。


「リアリス様」


「うん?」


「見事でございました。まさか、あの剣技を再び拝見できるとは思っておりませんでした」


 ……あっ。


 やっぱり、桜花も嬉しかったんだね。


「ありがとう、桜花。久しぶりだったけど、ちゃんとできてよかったよ」


「はい。とても美しゅうございました」


 桜花は、花びらの残る空を見上げた。


 その横顔が、何だかいつもより柔らかく見える。


 ……ああ。


 こうして平和な場所で剣技を見せられるのって、いいねぇ。


 以前は、世界を守るために使った技だった。


 今は、弟子の稽古のために使っている。


 ……うん。


 そういう変化は、悪くないと思う。


 私は、静かに頷いた。


 ……そのとき。


「インチキよ!!」


 フィースさんの声が、コロシアムに響き渡った。


 ……おお。


 また元気になったねぇ。


 フィースさんは、私を真っすぐ指差していた。


「あんなの、絶対におかしいわ! 人が十一人に増えるなんて、聞いたことないもの!」


「そ、そうです……。普通じゃ、ありません……」


 ソラリスさんも、珍しく強く頷いている。


 メリンダさんは、雪彦君の前へ出るように立った。


「雪彦様を驚かせて気絶させるなんて、卑怯でしょ!」


 ……あれ。


 何だか、みんな怒ってる。


 私は、困って頬をかいた。


「……あらぁ」


 ……いや。


 怪我はさせてないんだけどねぇ。


 それに、雪彦君が自分から稽古を頼んできたんだし。


 ……でも。


 確かに、ちょっと派手すぎたのかもしれない。


 私は、雪彦君へ視線を向けた。


 彼は、まだ敷物の上に座り込んでいる。


 でも、さっきより顔色はよさそうだ。


 ……うん。


 よかった。


 私は、なるべく優しく声をかけた。


「雪彦君」


「……はい、師匠」


「まだ動ける?」


 雪彦君が、ぴたりと固まった。


 ……おや。


 何だか、嫌な予感がしたみたいな顔だね。


 ……あれぇ?


 私は、首を傾げた。

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