第3話:勇者の仲間たち
魔都ヴァルキアの冒険者ギルドは、今日も賑わっていた。
……おお。
久しぶりに来たけど、相変わらず活気があるねぇ。
扉を開けると、あちこちから話し声が聞こえてくる。
受付で依頼の報告をしている人。
掲示板の前で腕を組み、どの依頼を受けるか相談している人。
奥のテーブルでは、冒険者らしい男女が地図を広げて何か話し込んでいた。
……うん。
王都の冒険者ギルドと、そんなに変わらないね。
ただ、ここにいる冒険者さんたちは魔族の人が多い。
立派な角がある人もいれば、身体の大きな人もいる。武器や鎧の形も少し違うから、眺めているだけで結構面白い。
晴斗君は、入口で立ち止まったまま目を輝かせていた。
「うわぁ……本当にギルドだ……!」
「ははは。そうだね」
「人は違いますけど、王都のギルドと似てますね!」
「うん。やってることは基本的に同じだからね」
依頼を受けて、仕事をして、報酬をもらう。
冒険者のお仕事は、国が違ってもそんなに変わらない。
……まあ。
魔都の場合は、依頼書を読んでいる人の腕が私の脚より太かったりするけど。
そこは、ちょっと違うかな。
ルナが晴斗君の足元から、興味深そうに顔を出した。
「いっぱい人がいるにゃー!」
「ルナ、ちゃんとそばにいてね」
「分かってるにゃー!」
……元気だねぇ。
私は桜花と顔を見合わせ、思わず笑った。
さて。
雪彦君は、どこかな?
午後からここで待っていてくれると聞いている。
……あっ。
そういえば、寄り道しちゃったんだった。
きのこ串、美味しかったなぁ。
いやいや。
今は、それより雪彦君を探さないと。
私はギルドの奥へ目を向けた。
すると。
「師匠ーっ! こっちです、こっちー!」
……おお!
聞き慣れた声がした。
視線の先、奥のテーブルで、一人の青年が大きく手を振っている。
……いた!
雪彦君だ!
相変わらず元気そうで、何よりだねぇ。
「雪彦君、お待たせー!」
私も手を振り返した。
その途端、近くにいた冒険者さんたちが何人か振り返った。
……あれ?
今、ちょっと注目された?
……まあ、いいか。
私は桜花と晴斗君を連れ、雪彦君の席へ向かった。
雪彦君は立ち上がると、嬉しそうに笑った。
「師匠! 来てくれたんですね!」
「うん。誘ってくれてありがとう。ごめんね、少し遅くなっちゃった」
「いえいえ! そんな、全然大丈夫ですよ!」
「実は途中で、ゴリアテさんに物理的につかまっちゃってね」
雪彦君が、きょとんとした。
「……物理的に?」
「うん。持ち上げられちゃった」
私は両手で自分が抱え上げられる様子を示してみせた。
……うん。
思い出すと、やっぱりちょっと恥ずかしい。
ところが雪彦君は、すぐに吹き出した。
「あはははっ! ゴリアテさんらしいですね!」
「笑いごとじゃないんだけどねぇ」
「すみません! でも、想像できちゃって!」
……ああ。
この反応。
雪彦君も、あの将軍さんをよく知ってるんだね。
「大通りで急に抱え上げられたから、何事かと思っちゃったよ」
「ははは! 俺も会うたびに手合わせを誘われますし、本当に元気な人ですよね!」
「そうそう。今日も誘われたよ」
「……やっぱり!」
私たちは顔を見合わせて笑った。
……うん。
こうして話してると、何だか久しぶりって感じがしないね。
「あっ、雪彦さん!」
横から晴斗君が顔を出した。
「こんにちは!」
「おおっ、晴斗君!」
雪彦君の顔が、ぱっと明るくなった。
「晴斗君も来てくれたんだね!」
「はい! リアリスさんに誘ってもらって、初めて魔国に来たんです!」
「どうだった? 魔都は!」
「すごかったです! 魔族の人たちも普通に暮らしてるし、ご飯も美味しいし……それに、さっきは大きな将軍さんがリアリスさんを持ち上げてて……!」
「はははっ! そこも見たんだ!」
……おや。
晴斗君。
最後のは、別に魔都の名物じゃないんだけど。
いや、あの人なら誰かを持ち上げること自体はありそうか。
……うん。
考えるのはやめておこう。
「雪彦さん、お久しぶりです」
晴斗君が丁寧に頭を下げると、雪彦君は笑って肩を叩いた。
「うん! 元気そうだね。冒険者になったって聞いたよ!」
「はい! まだFランクですけど、少しずつ頑張ってます」
「いいじゃん! 最初は誰だって初心者なんだからさ」
……おっ。
いいこと言うねぇ。
雪彦君も、以前より少しお兄さんらしくなったかな。
……まあ、もう二十代半ばだからね。
晴斗君より、いくつも年上なんだし。
「……あれ? 晴斗君、その子は?」
雪彦君が、晴斗君の足元にいるルナへ目を向けた。
「あっ、紹介しますね! この子はルナです。僕の相棒になってくれたんですよ」
「にゃーはルナにゃー! よろしくにゃー!」
「うわっ!? しゃべった!?」
雪彦君が目を丸くした。
……おお。
そういえば、二人は初対面だったね。
「ははは。驚くよね。ルナは魔獣なんだ」
「魔獣!? こんなに小さいのに!?」
「今は小さくなってるだけなんです。実は……Sランクなんですよ」
「えっ、Sランク!?」
……ああ。
晴斗君が初めてルナの正体を知ったときと、似たような反応だねぇ。
「にゃーは強いにゃー!」
ルナが得意げに尻尾を立てた。
「……すごい相棒ができたんだね、晴斗君」
「はい! いつも助けてもらってます」
雪彦君は晴斗君の顔を見てから、そっとしゃがみ込んだ。
「それじゃ、よろしくね、ルナ」
「よろしくにゃー!」
雪彦君が頭を軽く撫でると、ルナは満足そうに目を細めた。
……うん。
初対面だけど、すぐに仲良くなれそうだねぇ。
「桜花さんも、お久しぶりです!」
雪彦君が立ち上がり、桜花に頭を下げた。
「はい。お久しぶりでございます、雪彦様」
「お変わりなさそうでよかったです!」
「雪彦様も、お元気そうで何よりでございます」
桜花が、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。
……うん。
挨拶だけなら、ものすごく平和な再会だ。
私は満足して頷きかけた。
……そのとき。
雪彦君のすぐ後ろから、何とも言えない視線を感じた。
……ん?
あれ?
さっきから、誰かに見られてる?
私は、雪彦君の隣へ目を向けた。
そこには、三人の女性冒険者さんがいた。
緑色の長い髪をした女の子。
金色の髪を肩のあたりまで伸ばした女の子。
それから、茶色い髪をきれいに編み込んだ女の子。
みんな、装備がきちんとしている。
……おお。
この人たちが、雪彦君の仲間かな?
そういえば、最初に雪彦君と会った頃も、女の人たちと一緒だった気がする。
ただ、あのときは模擬戦やら何やらで、ちゃんと挨拶する機会がなかったんだよね。
「ところで雪彦君、そちらの女性たちは?」
「あっ、そうでした!」
雪彦君が、ぽんと手を打った。
「紹介しますね! 俺と一緒に冒険してくれてる仲間です!」
そう言って、最初に緑髪の女の子を示した。
「こちらがフィース。魔法が得意で、すごく頼りになるんですよ」
「……フィースよ。よろしく」
女の子が、腕を組んだまま短く答えた。
……おや。
ちょっと気が強そうだね。
でも、ちゃんと挨拶はしてくれた。
「よろしく、フィースさん」
私が笑って頭を下げると、彼女は少しだけ目を細めた。
……あれ?
何だか、警戒されてる?
まあ、初対面だから仕方ないか。
「こっちがソラリスです。弓を使うんですけど、これがまた上手で!」
「……よ、よろしくお願いします」
金髪の女の子が、小さな声で頭を下げた。
……おお。
こちらは、ちょっとおとなしい感じかな。
緊張しているのか、視線が私と雪彦君の間を行き来している。
「よろしく、ソラリスさん」
私は、なるべく優しく声をかけた。
ソラリスさんは、ほっとしたように小さく頷いた。
……うん。
こちらは大丈夫そうだね。
「最後がメリンダ。剣が得意で、俺も普段から助けてもらってます」
雪彦君が、茶色い髪の女の子へ顔を向けた。
メリンダさんは、私をちらりと見た。
……。
…………。
……あれ?
「……」
……ん?
挨拶は?
メリンダさんは何も言わず、雪彦君の方へ視線を戻した。
…………。
……えっ。
最後の子、無視!?
あれ?
私、何かしたかな?
……いや。
今日、初めて会ったよね?
「あ、あはは。初めまして。リアリスです」
私は、気を取り直してもう一度挨拶した。
メリンダさんは、やっぱり黙ったままだった。
……おお。
なかなか手ごわい。
雪彦君が困ったように笑う。
「ごめんなさい、師匠。メリンダは、ちょっと人見知りというか……」
「別に人見知りじゃないわよ」
……おっ。
喋った!
「雪彦様に用がある人が、あまり好きじゃないだけ」
……なるほど。
いや、なるほどじゃないか。
それって、私にどうしろと?
「ははは。まあ、よろしくね」
私が笑うと、メリンダさんは小さく鼻を鳴らした。
……うん。
なかなか独特な子だねぇ。
私は、隣に立っていた晴斗君へ声をかけた。
「晴斗君も、挨拶しておこうか」
「あっ、はい!」
晴斗君が、慌てて姿勢を正した。
「初めまして! 春原晴斗です。よろしくお願いします!」
「……晴斗?」
フィースさんが、彼を上から下まで眺めた。
「冒険者なの?」
「はい。まだFランクですけど……」
「ふうん」
……おや。
何だか、反応が薄いね。
ソラリスさんは、申し訳なさそうに微笑んだ。
「……よろしくお願いします、晴斗さん」
「こちらこそ!」
晴斗君が、少しほっとしたように笑った。
その横で、メリンダさんは相変わらず雪彦君しか見ていない。
……うん。
分かりやすいねぇ。
それにしても。
三人とも、雪彦君の周りに自然と集まっている。
フィースさんは彼の隣を譲る気がなさそうだし、ソラリスさんも何だか気にしているみたいだ。
メリンダさんに至っては、もう完全に雪彦君しか視界に入っていないように見える。
……ああ。
もしかして、そういうこと?
私が一人で納得しかけた、そのときだった。
「……リアリスさん」
晴斗君が、私の袖をちょんと引いた。
「ん? どうしたの?」
彼は、三人に聞こえないようにしたつもりなのか、顔を少し近づけてきた。
「……なんか、皆さん……胸、大きいですね……」
…………。
……。
……晴斗君?
今、何て?
私は一瞬、返事に困った。
いや、確かに、みんなスタイルはいいと思うけど。
そういうことを初対面の人に向かって言うのは、ちょっと……。
……まずいんじゃないかなぁ。
そう思った次の瞬間。
ガンッ!
テーブルが、大きな音を立てた。
「ひっ!?」
晴斗君が肩を跳ねさせた。
私も、思わずそちらを見る。
メリンダさんが、椅子に座ったままテーブルの脚を蹴ったらしい。
……おお。
さっきまで、あんなに静かだったのに。
「おい、クソガキ」
……ひぇっ。
何だか、ものすごく低い声がした。
「聞こえてんぞ」
…………。
……えっ。
怖っ!
いやいや。
晴斗君。
だから、やめた方がいいって思ったんだよ。
……思っただけで、言う前だったけど!
「すっ、すみません!」
晴斗君が、勢いよく頭を下げた。
耳まで赤くなっている。
……ああ。
この子。
緊張してるときに限って、変なことを口にしちゃうのかな。
雪彦君が、慌てて間に入った。
「まあまあ、メリンダ! 落ち着いて!」
「雪彦様がそう仰るなら」
……おっ。
早い。
さっきまで睨んでいたのに、もう落ち着いた。
雪彦君への効果、すごいね。
「晴斗君、ごめんね。メリンダは、ちょっとこういうところがあってさ」
「い、いえ! 僕が悪かったです!」
晴斗君は、まだ顔を赤くしたまま首を振った。
……うん。
それは、まあ、そうだね。
私は彼の肩に軽く手を置いた。
「晴斗君、今後は気をつけようね」
「はい……」
……反省しているみたいだ。
よし。
これで一件落着かな。
……と思ったけど。
メリンダさんは、まだじっと晴斗君を見ていた。
……うん。
あんまり長引くとかわいそうだし、ここは話題を変えよう。
「それで、雪彦君。今日はどんなお話だったのかな?」
「あっ、そうですね! とりあえず座ってくださいよ!」
雪彦君が、空いている席を勧めてくれた。
……うん。
ようやく落ち着いて話せそうだ。
◇
私たちは、雪彦君たちと同じテーブルについた。
私は空いている椅子へ腰を下ろし、隣には桜花。
晴斗君は、少し遠慮がちに私の反対側へ座った。
ルナは晴斗君の膝にぴょんと飛び乗り、そのまま丸くなる。
……おお。
すっかり定位置だね。
「ルナ、静かにしてようね」
「分かったにゃー」
晴斗君が頭を撫でると、ルナは満足そうに目を細めた。
さっきまでの騒ぎが嘘みたいだ。
……いや。
この子が静かにしていられるかどうかは、ちょっと怪しいけど。
テーブルの向こうでは、フィースさんとソラリスさんが雪彦君の左右に座っている。
メリンダさんも、彼の近くに椅子を寄せていた。
……うん。
やっぱり、そういうことかな。
まあ、人の恋愛事情に首を突っ込むつもりはないけどね。
「雪彦君、元気そうで何よりだよ」
「ありがとうございます! 師匠も元気そうで安心しました!」
「うん。毎日、のんびり暮らしてるよ」
私がそう言うと、晴斗君がこちらを見た。
……あれ。
何か言いたそうだね?
「……リアリスさんって、本当にのんびりしてますよね」
「そう?」
「はい。世界を救った方だって、たまに忘れそうになります」
「はははっ。それが理想なんだけどねぇ」
……そう。
のんびり暮らすことが、私の夢なんだから。
世界を救うとか。
英雄として持ち上げられるとか。
そういうのは、別に目指してなかったんだけど。
……まあ。
結果的にいろいろやっちゃったのは、事実だけどね。
雪彦君が、うんうんと頷いていた。
「師匠らしいですね!」
「ははは。そうかな」
「はい! でも、今日はちょっとお願いがあって……」
……おや。
来たね。
私は、カップに入った飲み物をひと口飲みながら、雪彦君の言葉を待った。
「前に、魔国へ来てくださいって話したじゃないですか」
「うん。覚えてるよ」
「あれ、実は俺からお願いしたいことがあったんです!」
「何かな?」
雪彦君が、椅子に座り直した。
いつもより背筋が伸びている。
……おっ。
何だか、真剣だね。
「師匠! 俺に、剣の稽古をつけてもらえませんか!」
……おお。
なるほど!
「もちろん、いいよ」
「本当ですか!?」
「うん。私でよければね」
雪彦君が、ぱっと笑顔になった。
……ああ。
相変わらず、分かりやすいねぇ。
「ありがとうございます! 俺、師匠と会ってない間も、ずっと修行してたんですよ!」
「そうなんだ。偉いね」
「前に負けたとき、全然相手にならなかったのが悔しくて……。あれから、剣の振り方も足運びも、毎日見直してきました!」
……ほほぅ。
いいねぇ。
雪彦君は、最初に会った頃よりずっと素直になったと思う。
あのときは勇者という立場に、少し気負っているところがあった。
でも、私との模擬戦をきっかけに、自分の力を見直してくれたんだよね。
今も、悔しかったことをそのままにせず、こうして努力を続けている。
……うん。
師匠としては、嬉しい話だ。
「それなら、どれくらい強くなったか見てみたいね」
「はい!」
雪彦君が、勢いよく頷いた。
「俺も、今の自分がどこまで通用するのか、確かめたいんです!」
……ああ。
真面目だねぇ。
私は思わず微笑んだ。
「師匠の足元にも及ばないのは分かってます。でも、前よりは強くなってるはずなんです!」
「うんうん」
「だから……今度こそ、一撃くらいは入れられたらなって!」
……おお。
それは、なかなか頼もしい目標だ。
私は頷いた。
「いいと思うよ。目標があるのは大事だからね」
「ありがとうございます!」
その隣で、晴斗君が目を丸くしていた。
「……ちょ、ちょっと待ってください」
「ん? どうしたの、晴斗君?」
晴斗君は私と雪彦君を交互に見た。
「雪彦さんって、リアリスさんと戦うんですか!?」
「うん。剣の稽古だね」
「いや、でも! 相手、リアリスさんですよ!?」
……うん?
どういう意味かな。
私は、そんなに怖い人じゃないと思うんだけど。
「ははは。大丈夫だよ。稽古だから」
「そういう問題なんでしょうか……」
晴斗君は、あまり納得していないみたいだった。
……おや。
あの子、楓と毎日稽古してるから、少し慎重になったのかな。
それはいいことだね。
ただ、今回は雪彦君が自分から頼んできたんだし。
本人の成長を確かめるのも、師匠の役目だろう。
……うん。
せっかくだし、ちゃんと見てあげたい。
私は雪彦君へ顔を向けた。
「それじゃあ、後で場所を――」
「ちょっと待ちなさいよ」
……おっ?
フィースさんが、腕を組んだまま口を挟んできた。
「雪彦様が、こんな人にわざわざ稽古をつけてもらう必要なんてないわ」
…………。
……えっ。
こんな人?
……私のこと?
私は思わず自分の顔を指差した。
「私?」
「そうよ」
フィースさんは、きっぱりと答えた。
……おお。
言い切られちゃった。
「雪彦様は勇者なのよ。そんな方が、普通の冒険者に負けるわけないじゃない」
……なるほど。
そういうことか。
この人たち、雪彦君が前に私と戦ったことを、ちゃんとは知らないのかな。
まあ、最初の模擬戦は一瞬で終わっちゃったからね。
知らなくてもおかしくない。
でも、雪彦君は困ったような顔をしている。
「フィース、だから前にも言っただろ。師匠には一度、完敗してるんだって」
「それは雪彦様が手加減しただけでしょう?」
「いや、そういう話じゃなくて……」
……おや。
話が噛み合ってないね。
フィースさんは、雪彦君が負けたということ自体を、どうしても認めたくないらしい。
……まあ。
大切な人が強いって思いたい気持ちは、分からないでもないけど。
そのとき、ソラリスさんも、おずおずと口を開いた。
「……そ、そうです。雪彦様は、勇者ですから……」
……うん?
ソラリスさんまで?
「冒険者の方に負けるなんて、そんなこと……ないと、思います……」
最後の方は、少し声が小さくなった。
……おお。
言い切るには、ちょっと自信がないのかな。
でも、雪彦君のことを信じているのは伝わってくる。
私は思わず頷いた。
「うんうん。雪彦君、すごく信頼されてるんだねぇ」
「師匠、そこは感心しないでくださいよ!」
雪彦君が、思わず声を上げた。
……えっ。
どうして?
仲間から信頼されるのは、いいことじゃない?
私は不思議に思いながら、もう一人へ目を向けた。
メリンダさんは、相変わらず雪彦君の顔を見ていた。
……おや。
この子は何て言うんだろう。
そんなことを考えていたら、ふいに目が合った。
「……何よ」
「えっ。あ、いや、何でもないよ」
メリンダさんが、眉を寄せた。
「雪彦様に勝てるはずないでしょ」
……うん。
やっぱり、そうだよね。
私は微笑んだ。
すると、彼女は続けた。
「馬鹿なの!? 死ぬの!?」
…………。
……。
…………。
……おおおおおおっ!
……来た!
来たよ、これ!
私、今、すごい台詞を聞いちゃった!
『馬鹿なの!? 死ぬの!?』
……うわぁ。
日本にいた頃、何度も目にした言い回しだ。
まさか異世界で、それも目の前の人から生で聞けるなんて!
……ちょっと、感動しちゃった。
いや。
ここで笑ったら、さすがに失礼だよね。
……我慢。
我慢だ。
私は、慌てて口元へ手を当てた。
……だめだ。
笑いそう。
「……師匠?」
雪彦君が、こちらを見ていた。
「う、うん? 何かな?」
「……何か、嬉しそうじゃないですか?」
「えっ、そんなことないよ?」
……ある。
ものすごくある。
でも、言ったら絶対に変な顔されるよね。
私は必死に笑いを堪えた。
「リアリスさん……?」
晴斗君まで、不安そうに私を見ている。
……あっ。
まずい。
ちょっと表情に出てたかな。
桜花が隣で、静かに微笑んでいた。
……桜花。
もしかして、もう気づいてる?
「ほら、みんな! そんな言い方しないでよ!」
雪彦君が、慌てて三人へ声をかけた。
「師匠は、本当にすごい人なんだから!」
……おお。
雪彦君、ちゃんとフォローしてくれるんだね。
「この世界を救った英雄だよ? 俺が負けたって言ってるんだから、信じてくれよ!」
…………。
……あっ。
英雄。
その単語は、できれば小さな声でお願いしたかったなぁ。
周囲のテーブルから、また何人かの視線が集まった。
……ほら。
目立ってる。
私は苦笑したが、雪彦君は三人を説得するのに夢中らしい。
「でまかせよ!」
フィースさんが、きっぱりと言った。
……おっ。
強いねぇ。
「世界を救ったなんて、誰が言い出したか知らないけど! そんな話、簡単に信じられるわけないでしょ!」
……ああ。
なるほど。
信じられないって、そういうことか。
でも、実際に世界中へ放送されちゃったからねぇ。
あれは、私の意思じゃなかったんだけど。
私は、少しだけ遠い目をした。
「……私も、最初は信じられませんでした……」
ソラリスさんが、おずおずと続けた。
「……国が一緒になって、英雄のお話を広めているのかなって……」
……おお?
国ぐるみの情報操作?
なるほど、そう来たか。
私は思わず、身を乗り出しそうになった。
……いや、待って。
何を期待してるんだ、私。
これ、普通なら怒る場面なんじゃない?
……でも。
何だか、ちょっと楽しくなってきちゃった。
雪彦君は、完全に困り果てている。
「いや、だから! 国がどうとかじゃなくて、俺が実際に戦ったんだって!」
「雪彦様が優しいから、相手に合わせてあげただけよ!」
フィースさんが、譲らない。
……おお。
これは、なかなか手強いねぇ。
私は、そっとメリンダさんを見た。
……さて。
次は、どんな台詞が来るんだろう。
……いや。
ちょっと楽しみにしちゃってる時点で、私も大概だね。
「ただのハッタリでしょ」
メリンダさんが、面倒くさそうに言った。
…………。
……あれ?
……普通だ。
いや、十分失礼なんだけど。
さっきの『馬鹿なの!? 死ぬの!?』が強すぎたせいか、何だか物足りなく感じてしまった。
……うん。
感覚がおかしくなってるね。
私は、気を取り直して三人へ笑いかけた。
「そうだよねぇ。私なんかが勇者に勝てるわけないよね」
雪彦君が、ぎょっとした顔をした。
「師匠!?」
「うん?」
「そこ、認めちゃ駄目ですって!」
「えっ、そうかな?」
私は、首を傾げた。
まあ、三人が納得できないのなら、言葉で説明しても仕方ない。
実際に見てもらうのが一番早いだろう。
……うん。
それなら、ちょうどいい。
「でも、やるならちゃんとやらないとね」
私は、にっこり微笑んだ。
「せっかく雪彦君が頑張って修行したんだから、私も――」
雪彦君が、わずかに身を引いた。
……あれ?
「ぜ・ん・りょ・く、で相手しないと駄目かなぁ」
…………。
……。
…………。
あれ。
何だか、テーブルが静かになった?
雪彦君が、口を半開きにして私を見ている。
晴斗君も、固まった。
フィースさんたちは、怪訝そうな顔をしていた。
……うん?
みんな、どうしたの?
「リアリス様」
桜花が、穏やかに声をかけてきた。
「とても嬉しそうでございますね」
「えっ、そうかな?」
「はい」
桜花は、ふふっと微笑んだ。
……おお。
そんなに顔に出てた?
まあ、確かに。
努力してきた弟子と手合わせするなんて、師匠として嬉しいじゃない?
……それに。
雪彦君の仲間たちにも、私がどんなふうに稽古をするのか見せてあげられる。
うんうん。
いい機会だね。
「桜花さん!」
晴斗君が、隣から小声で呼んだ。
「はい、晴斗様」
「そこは、ちゃんと止めましょうよ!」
……おや。
何で?
桜花は、少しだけ首を傾げた。
「リアリス様は、雪彦様の成長を楽しみにされているのでございます」
「いや、そうなんですけど! そうなんですけどね!?」
晴斗君が、言葉に詰まった。
……うん。
どうしたんだろう。
何だか、すごく心配されてる気がする。
「……師匠」
雪彦君が、恐る恐る口を開いた。
「ん?」
「……今の『全力』って、その……どのくらいの全力ですか?」
……おお。
いい質問だね。
私は、少し考えた。
あまりに派手なことをすれば、周りの人が驚くだろう。
……いや。
驚くくらいなら、別にいいか。
何より、稽古なんだから、怪我をさせるわけにはいかない。
それだけは、きちんと考えておこう。
「大丈夫だよ。ちゃんと安全にするから」
「……安全、ですか」
「うん!」
私は、元気よく頷いた。
雪彦君は、ますます不安そうになった。
……あれぇ?
安心してもらおうと思ったのに。
◇
「じゃあ、場所を変えようか」
私が立ち上がると、雪彦君が一瞬びくっとした。
「……場所、ですか?」
「うん。さすがにここで剣を振ったら、みんなの迷惑になっちゃうからね」
私は、ギルドの中を見回した。
冒険者さんたちは依頼の相談をしているし、受付では仕事中だ。
ここでいきなり模擬戦を始めるのは、さすがにまずい。
……昔、ギルドで雪彦君と手合わせしたことはあったけどね。
あのときは、あのとき。
今は、もっと安全で広い場所がある。
「私の魔国邸なら、ここからそんなに遠くないでしょ?」
「あっ、あの屋敷ですか?」
「そうそう。そこの庭から亜空間に入れば、周りを気にせず稽古できるからね」
雪彦君の表情が、少し引きつった。
「……師匠」
「うん?」
「今、その……『やろうかな』って、言いました?」
……おや。
言ったかな?
「うん。手合わせ、やろうかなって」
「……その『やろう』って、もしかして『殺ろう』の意味じゃ……」
…………。
……えっ!?
「違うよ!?」
私は、思わず声を上げた。
「何でそうなるの!? 稽古だよ、稽古!」
「ですよね! ですよね!?」
「もちろん! 怪我もさせないから大丈夫!」
……もう。
雪彦君ったら。
私が弟子を殺すわけないでしょ。
そんなことしたら、師匠失格だよ。
私は、ちょっと呆れながら笑った。
すると、晴斗君が桜花へ近づき、何やら小声で話し始めた。
「桜花さん……これ、本当に大丈夫なんでしょうか」
「ご安心ください。リアリス様には、何かお考えがあるのだと思います」
「……あの、何かお考えがあるときの方が、怖くないですか?」
「ふふっ。どうでしょう」
……あれ?
桜花。
今、ちょっと楽しそうだった?
「晴斗様も、見ておかれた方がよろしいかもしれません」
「……何をですか?」
「リアリス様が本格的に剣をお使いになるところは、そう何度もご覧になれるものではございませんので」
……おっ。
桜花、分かってるねぇ。
そうそう。
せっかくなら、晴斗君にも見てもらうといいかもしれない。
あの子は楓と稽古しているし、何か参考になることがあるかもしれないからね。
……まあ。
まだ基本の動きを練習している段階だから、ちょっと難しいかもしれないけど。
「……余計に心配になってきました」
晴斗君が、ぽつりと呟いた。
……えぇ。
そんなに?
私は肩をすくめた。
「とにかく、安全には気をつけるよ。それじゃ、みんなで行こうか」
「はい!」
桜花が、いつものように返事をしてくれた。
雪彦君は、少し遅れて頷いた。
「……はい、師匠」
……ん?
何だか、元気がないね。
さっきまで、あんなにやる気だったのに。
大丈夫かな。
「雪彦君、疲れてるなら無理しなくてもいいんだよ?」
「い、いえ! やります! やらせてください!」
「うん。それならよかった」
私は安心して微笑んだ。
……うん。
努力してきた成果を見せてもらえるのが、楽しみだねぇ。
雪彦君の仲間たちも立ち上がった。
フィースさんは、あからさまに不満そうな顔をしている。
「わざわざ場所まで変えるなんて、大げさじゃない?」
「まあまあ。安全のためだからね」
「ふん。雪彦様が怪我をするわけないでしょ」
……ああ。
そういう心配か。
そこは大丈夫。
私がちゃんと守るからね。
私は笑顔で頷いた。
ソラリスさんは、雪彦君の装備を気にしていた。
「……雪彦様、どうかお気をつけて……」
「大丈夫だよ、ソラリス。師匠は本当に強いからさ」
……おっ。
雪彦君。
私のこと、ちゃんと強いって思ってくれてるんだね。
ありがとう。
「雪彦様、どうかお気をつけて」
そのとき、桜花がソラリスさんの口調を真似て、そっと声をかけた。
……おっ。
桜花も心配してあげてるんだねぇ。
「えっ、ちょっ、桜花さん!? 大丈夫ですよね!?」
雪彦君が勢いよく桜花を振り返った。
「もちろんでございます。リアリス様が雪彦様にお怪我をさせることはございません」
「そ、そうですよね! ……でも、それなら何で桜花さんまで同じことを言うんですか!?」
「ふふっ」
桜花は柔らかく笑うだけだった。
……でも。
言った本人が一番不安そうな顔をしているのは、何でかな。
メリンダさんは、何も言わずに私を睨んでいた。
……うん。
こちらは、相変わらずだね。
私は苦笑しながら、一行を出口へ案内した。
◇
魔都の門へ向かう道は、先ほどと変わらず賑やかだった。
私たちは、来た道を引き返すように歩いている。
雪彦君の仲間三人も加わったので、人数は増えた。
……うん。
ちょっとした集団だね。
先頭を歩く私は、何だか楽しくなってきてしまった。
久しぶりの雪彦君。
初めてちゃんと会った彼の仲間たち。
そして、初めて魔国へ来た晴斗君。
……ああ。
今日は、賑やかな一日だねぇ。
私は思わず鼻歌を口ずさんだ。
すると、後ろからフィースさんの声が聞こえた。
「ねえ。あの人、なんか鼻歌歌ってない?」
……おっと。
聞こえてた?
私は、少し恥ずかしくなって口を閉じた。
でも、すぐに別の声が続いた。
「……きっと、雪彦様が勝ちます……」
ソラリスさんだ。
……うん。
信頼されてるねぇ、雪彦君。
「当たり前でしょ。あいつ、気持ち悪い」
メリンダさんが、ばっさり言った。
…………。
……おお。
すごいね。
何というか。
遠慮がない。
私は、思わず感心してしまった。
いや、感心するところじゃないんだけど。
「……すっごい毒吐きますね」
晴斗君が、小声で呟いた。
「ははは。元気な子たちだね」
「……リアリスさん、元気で済ませるんですか?」
「うん?」
……そうかな。
まあ、言葉はちょっときついけど。
雪彦君のことを大切に思っているのは、よく分かる。
私は、そういう気持ちを否定したくはない。
……ただ。
相手の実力を知らずに決めつけるのは、ちょっと危ないかな。
冒険者さんなら、そこは覚えておいてほしいところだ。
そんなことを考えていると、横から雪彦君が並んできた。
「師匠。本当に、今日はありがとうございます」
「ん? どうしたの、急に」
「いや、俺が急に稽古をお願いしたのに、こうして時間を取ってもらって……」
「ははは。気にしなくていいよ」
私は、雪彦君へ笑いかけた。
「頑張ってる弟子からのお願いなら、できるだけ聞いてあげたいからね」
「……師匠!」
雪彦君が、嬉しそうに目を輝かせた。
……ああ。
本当に、いい子だねぇ。
「でも、無理はしないでね。自分の今の力を知るのも、大事な稽古だから」
「はい!」
雪彦君は、真面目な顔で頷いた。
「前みたいに、一瞬で負けないように頑張ります!」
……おっ。
そうだね。
前より成長していたら、きっといい勉強になる。
私は、心からそう思った。
……うん。
楽しみだなぁ。
すると、少し後ろで晴斗君が桜花に耳打ちする声がした。
「……桜花さん。雪彦さん、さっきより覚悟決めてませんか?」
「はい。そのようでございますね」
「……何か、嫌な予感がします」
「ふふっ」
……おや。
晴斗君。
また心配してる。
大丈夫だって言ったのに。
まあ、実際に見れば分かってもらえるかな。
私は鼻歌の続きを口の中で転がしながら、魔都の門を抜けた。
そこから魔国邸までは、もう少しだ。
晴斗君は何度か振り返り、遠ざかる街並みを眺めていた。
「魔都って、楽しいところですね」
「でしょ?」
「はい。もっと怖い場所なのかなって思ってたので……来てよかったです」
……うん。
それなら、私も嬉しい。
そう思った、そのとき。
「師匠」
雪彦君が、また声をかけてきた。
「ん?」
「……俺、ちゃんと成長したところを見せますから!」
……おお。
いい目をしてるね。
私は頷いた。
「うん。楽しみにしてるよ」
雪彦君も、笑顔で頷き返した。
その隣で、フィースさんが満足そうに笑っている。
ソラリスさんも、安心したように微笑んだ。
メリンダさんは……。
……うん。
やっぱり、私を睨んでるね。
……ははは。
何だか、面白いことになりそうだなぁ。
◇
やがて、魔国邸が見えてきた。
門の向こうにある、見慣れた屋敷。
庭も、いつもどおりきれいに整えられている。
……うん。
朝顔たちが丁寧に管理してくれているんだね。
私は、少し嬉しくなった。
「到着ー!」
私がそう言うと、晴斗君がほっと息をついた。
「……戻ってきたんですね」
「うん。さっき来たばかりだけどね」
「あはは。そうでした」
雪彦君たちも、庭へ入ってきた。
フィースさんが、屋敷を見上げる。
「……ここが、あの人の屋敷?」
「そうだよ。魔国邸って呼んでるんだ」
「ふうん……」
……おっ。
ちょっと興味があるみたいだね。
ソラリスさんは、花壇を見て小さく微笑んだ。
「……きれいなお庭ですね」
「ありがとう。家族が手入れしてくれてるんだ」
「……そうなんですか」
彼女は、ほっとしたように表情を緩めた。
……うん。
こういう話なら、普通にできるんだねぇ。
メリンダさんも一応、庭を見回していた。
でも、雪彦君が先へ進むと、すぐにその後ろへついていく。
……徹底してるなぁ。
私は、思わず苦笑した。
「さて。それじゃあ、稽古場を用意しようか」
私は庭の空いている場所へ進んだ。
ここで剣を振るつもりはない。
屋敷を傷つけたり、周りの人を驚かせたりしたら困るからね。
……まあ。
庭にいる朝顔なら、何が起きても驚かないかもしれないけど。
それでも、場所は分けておいた方がいい。
「師匠、ここでやるんですか?」
「ううん。ここから別の場所に入るんだよ」
雪彦君が首を傾げる。
晴斗君も、不思議そうに私を見ていた。
「別の場所……?」
「うん。いつもの亜空間だよ」
「……あっ!」
晴斗君が、何か思い出したように顔を上げた。
「ルナとモフ太が戦ったときの!」
「そうそう。あそこなら、どれだけ派手に動いても周りに迷惑をかけないからね」
「……どれだけ派手に……」
……あれ。
晴斗君、何で今、そんなに不安そうな顔をしたの?
大丈夫だよ。
今日は、ちゃんと安全にやるからね。
私は、雪彦君たちへ向き直った。
「みんな、少し離れててね。入り口を出すから」
フィースさんが、腕を組んだ。
「亜空間って……本当にそんなものがあるの?」
「うん。あるよ」
「そんな話、聞いたことないわ」
「ははは。まあ、普通はそうかもしれないね」
私は、笑顔で答えた。
雪彦君が、ちょっと困ったように頭を掻く。
「フィース、師匠の魔法は本当にすごいんだって」
「……だから、そういうのが信じられないのよ」
……おお。
まだ疑ってるんだね。
でも、別にいいか。
今から見てもらえば分かるんだから。
ソラリスさんは雪彦君の近くで、少し緊張した様子だ。
メリンダさんは、早く終わらせてほしそうな顔をしていた。
……うん。
何だか、それぞれ反応が違って面白いねぇ。
私は、そっと片手を前へ出した。
想像するのは、いつもの稽古場へ続く扉。
庭から入れて、外の世界とは切り離された場所。
そこなら、誰にも迷惑をかけずに身体を動かせる。
……うん。
準備はできた。
「《亜空間生成》」
私が魔法名を口にすると、庭の空いた場所に扉が現れた。
何もなかった空間に、静かに立つ一枚の扉。
……よし。
いつもどおりだね。
「……えっ?」
フィースさんが、目を見開いた。
ソラリスさんも、口元へ手を当てる。
メリンダさんの視線が、初めて雪彦君から扉へ移った。
……おや。
ちゃんと見てくれた。
「それじゃあ、みんなで入ろうか」
私は振り返り、笑顔で声をかけた。
「中は広いから、安心してね」
雪彦君は、扉をじっと見ていた。
そして。
「……師匠」
「ん?」
「……本当に、怪我はしないんですよね?」
「もちろん!」
私は、大きく頷いた。
「ちゃんと見てるから、大丈夫だよ」
……うん。
これで安心してもらえたかな。
でも、雪彦君は何故か、さっきより顔色が悪くなったように見えた。
……あれぇ?
晴斗君が、隣でそっと呟く。
「……雪彦さん、頑張ってください」
「……ありがとう、晴斗君」
……おや。
何だか、出陣する人みたいな会話になってるね。
稽古なんだけどなぁ。
私は首を傾げた。
桜花は、そんな私たちを見て、静かに微笑んでいる。
……うん。
きっと、いい稽古になるね。
私は扉へ手を伸ばし、ゆっくりと開いた。
その向こうに広がるのは、私たちがいつも使っている亜空間だ。
……さて。
久しぶりの弟子との手合わせ。
雪彦君がどれだけ強くなったか、しっかり見てあげよう。
……何だか、わくわくしてきちゃったねぇ。




