第7話:新しい相棒、ルナ
居間の窓から、午後の日差しが差し込んでいた。
ソファでは桜花が小さなサーベルタイガーを膝に乗せ、その隣で楓が静かに頭を撫でている。
……うん。
何だか、すごく平和な光景だねぇ。
さっきまで巴さんに叱られていたことが、まるで嘘みたいだ。
……いや。
ちゃんと反省してるよ?
新しい家族を迎えるなら、相談と準備を忘れないこと。
食事も寝る場所も、きちんと考えること。
……うん。
覚えておこう。
それはそれとして。
私には、もう一つ大切な用事が残っていた。
「楓、ちょっとお願いしてもいいかな?」
楓が、ぴたりと手を止めた。
「……ん?」
「カトレアと晴斗君を、居間に呼んできてくれる?」
「……わかった」
こくり。
短く頷いた楓が、ソファから立ち上がる。
サーベルタイガーの頭を最後にひと撫でしてから、廊下へ出ていった。
……ああ。
あの子、すっかり気に入ってるね。
いつもはあんなに無表情なのに、撫でているときだけ少し楽しそうだった。
……うん。
可愛いものが好きなのは、いいことだ。
私は、桜花の膝の上にいる小さな魔獣を見た。
体長五十センチ。
背中には綺麗な模様があって、細長い尻尾がゆっくり揺れている。
そして、口元にはサーベルタイガーらしい二本の長い牙。
……いやぁ。
何度見ても、立派だねぇ。
……だけど。
この姿を見た晴斗君が、何て言うか。
それが、ちょっと気になる。
「桜花、どう思う?」
「何がでございましょうか?」
「晴斗君、この子を気に入ってくれるかなぁ」
桜花は魔獣の額を優しく撫でた。
「ふふっ。猫がお好きと伺っておりますし、お喜びになるかと存じます」
「だよね!」
……うん。
やっぱり、そう思うよね!
猫好きの晴斗君。
そして、見た目は大きめの猫。
……完璧じゃない?
◇
しばらくすると、廊下から足音が聞こえてきた。
「お父さん、呼んだ?」
先に顔を出したのはカトレアだった。
その後ろから、晴斗君もやってくる。
「リアリスさん、何かご用ですか?」
「うん! 二人にちょっと見てもらいたい子がいてね」
私は、にっこり笑った。
……よし。
いよいよ、ご対面だ!
カトレアが居間へ足を踏み入れる。
晴斗君もその隣へ並んだ。
そして。
二人の視線が、桜花の膝の上へ向いた。
「……あれ?」
晴斗君が、目を瞬かせた。
「……なんか、でかい猫がいる……」
……おっ。
猫!
やっぱり猫に見えるんだ!
……うん。
そうだよねぇ。
私の感覚、間違ってなかった!
その横で。
「……猫ちゃん!」
カトレアの声が弾んだ。
「お父さん! 猫ちゃんだ!」
「うん! 新しく保護した子なんだよ!」
「かわいい!」
カトレアが、ぱっと笑顔になる。
……ああ。
この反応。
連れてきてよかったぁ。
カトレアは桜花の前にしゃがみ込み、小さな魔獣をじっと見つめた。
「お姉ちゃん、触ってもいい?」
「はい。優しくお願いいたします」
桜花が笑顔で頷く。
カトレアはそっと手を伸ばした。
まずは、頭をひと撫で。
それから、首の下をくすぐるように撫でる。
……おお。
上手だねぇ。
魔獣は目を細め、気持ちよさそうに首を伸ばしていた。
「ふふっ。気持ちいい?」
カトレアが笑う。
……うん。
どう見ても、普通の猫を可愛がってる光景だ。
……いや。
牙は普通じゃないけど。
晴斗君も、少し離れたところから興味深そうに見ていた。
「……すごい。こんな猫、この世界にもいるんですね」
「あはは。まあ、そうだねぇ」
「牙が長いけど、怖がってる様子はないですね」
「うん。今はおとなしい子だよ」
晴斗君は、少し身をかがめた。
「……可愛いですね」
……おお!
出ました!
可愛いですね!
……うん。
これは、気に入ってくれたと見ていいでしょう!
私は思わず、桜花と顔を見合わせた。
桜花も、楽しそうに微笑んでいる。
……ああ。
よかった!
……そのとき。
ふと、カトレアの後ろに小さな影が見えた。
……ん?
あれは。
赤いリボン。
ふさふさの毛並み。
そして、何とも言えない表情。
……モフ太だ。
……あれ?
モフ太、いつ来たの?
カトレアについて、一緒に入ってきたみたいだね。
……うん。
いつも護衛を頑張ってくれてるもんね。
ただ。
……何だか、ちょっと不機嫌そう?
モフ太はサーベルタイガーを見ている。
その表情は、普段の穏やかなものとは少し違った。
……ああ。
そういえば。
カトレアがモフ太以外の動物を可愛がると、たまにあんな顔をするんだよね。
……うん。
もしかして、嫉妬してる?
……いやぁ。
モフ太も可愛いところがあるなぁ。
私は、小さく笑った。
………。
このとき、もう少し気にかけておくべきだったのかもしれない。
後から考えれば、だけどね。
◇
「さて、晴斗君」
「はい?」
私は、晴斗君の方へ向き直った。
……よし。
ここからが本題だ。
「実はね。この子を連れてきたのには、理由があるんだ」
「理由、ですか?」
「うん。晴斗君、昨日冒険者になったでしょう?」
「はい!」
晴斗君の顔が、ぱっと明るくなった。
……ああ。
いいねぇ。
自分で手に入れた冒険者カード。
あれが、本当に嬉しかったんだろうね。
「それでね。今は王都の中で勉強しているけど、いずれ町の外へ依頼を受けに行くこともあると思うんだ」
「……そうですね。まだ準備中ですけど、いつかは外の依頼にも挑戦したいです」
「うんうん。だから、そのときに一緒にいてくれる相棒がいたらいいなって思って」
晴斗君が、こくりと頷いた。
……おっ。
ちゃんと聞いてくれてるね。
「私には桜花がいるし、雪彦君にも仲間がいるでしょう?」
「はい」
「だから晴斗君にも、頼れる相棒がいていいんじゃないかなって」
私は、桜花の膝の上にいる魔獣を指さした。
「……そこで、この子です!」
晴斗君が、私を見た。
それから、魔獣を見る。
もう一度、私を見る。
……あれ?
「……えっ?」
「うん?」
「……もしかして……」
晴斗君の声が、少し高くなった。
「……僕の、相棒……ですか!?」
「うん! どうかな?」
……よし。
言えた!
晴斗君は、しばらく固まっていた。
……おや。
びっくりしちゃったかな。
私は、にっこり笑った。
「この子は強いんだよ。だから、晴斗君が依頼に出るとき、一緒にいてくれたら心強いと思うんだ」
「……強い……?」
晴斗君が、魔獣を見た。
カトレアに首を撫でられ、目を細めている。
……うん。
今の姿からは、ちょっと想像できないよね。
「……あの、リアリスさん」
「うん?」
「その……この子って、普通の猫じゃないんですよね?」
……おっ!
鋭いねぇ!
「うん。正確には魔獣だよ」
「……やっぱり」
晴斗君が、少しだけ困った顔をした。
……あれ?
どうしたんだろう。
「僕、まだ剣の練習も始めたばかりですし……」
「うんうん」
「こんなに強そうな子を、僕が連れて歩いても大丈夫なんでしょうか」
……ああ。
そっちを心配してたんだ。
……うん。
本当に、しっかりしてるなぁ。
ただ喜ぶだけじゃなくて、自分の力や責任まで考えてる。
……ああ。
こういう子なら、安心して任せられるかもしれない。
「大丈夫。王様から通行許可ももらってきたし、この子の管理は私が責任を持つからね」
「……王様から?」
「うん!」
……あれ?
晴斗君、また固まっちゃった。
「……リアリスさんって、猫を飼うために王様に会いに行くんですか……?」
「……えっ?」
……いや。
そう言われると、ちょっと変かも。
でも、魔獣だからね。
ちゃんと許可を取らないと駄目なんだよ?
「王都で魔獣を連れ歩くには、許可が必要だからねぇ」
「……そ、そうなんですね」
晴斗君が、ゆっくり頷いた。
……うん。
納得してくれたみたいだ。
……たぶん。
「もちろん、無理にとは言わないよ。晴斗君が嫌なら、私たちでお世話するから」
私は、魔獣の頭へ手を伸ばした。
……よしよし。
この子だって、私が連れてきた大切な命だからね。
「それに、晴斗君だけで決めることでもないと思うんだ。この子にも、ちゃんと気持ちを聞いてみたい」
「……この子の、気持ち……?」
「うん」
晴斗君は、少し考え込んだ。
カトレアは、まだ魔獣の首元を優しく撫でている。
桜花も、静かにこちらを見守ってくれていた。
……うん。
急がなくていい。
晴斗君がどうしたいのか、ちゃんと聞こう。
しばらくして。
「……僕は」
晴斗君が、顔を上げた。
「……もしこの子がいいって言ってくれるなら、ぜひ一緒に冒険したいです」
……おお。
いいねぇ。
「僕、まだ弱いですけど……。一緒に強くなれたら、嬉しいです」
……ああ。
そういう考え方、大好きだなぁ。
助けてもらうだけじゃなくて、自分も頑張ろうと思ってるんだね。
「うん! それじゃあ、まずはこの子に聞いてみようか!」
私は嬉しくなって頷いた。
……よし。
そのためにも、まずは会話ができるようにしないとね。
◇
私は、小さな魔獣へ向き直った。
……さて。
この子は人の言葉を理解できるらしい。
アンナも、獣人国の受付嬢さんも、そう説明してくれた。
ただ、今は自分の言葉で返事をすることができない。
……でも。
それなら、心当たりがある。
モフ太も、最初は熊の声しか出せなかったんだからね。
……うん。
あの魔法を使おう。
「桜花、ちょっとこの子を下ろしてもらえる?」
「かしこまりました」
桜花が、魔獣をそっと床へ下ろす。
魔獣は前脚を揃え、私を見上げた。
……おお。
お行儀がいいねぇ。
私は目線を合わせるようにしゃがんだ。
「まずは、この子にもモフ太と同じ守りを付けておこうか」
……そう。
晴斗君の護衛をお願いするなら、この子自身も危険な目に遭わないようにしたい。
魔獣としてはもともと強いけど、何が起きるか分からないからね。
私は、以前モフ太に付与した魔法を思い浮かべた。
永続効果の《絶対防御》と《不老不死》。
そして、魔力を消費せずに使える《結界》《全能力強化》《完全回復》《縮小》。
……うん。
既にある魔法を、同じ条件で使えるようにするだけだ。
私は魔獣の額へ軽く手を添え、必要な効果を付与した。
魔獣が、きょとんと私を見上げる。
……ああ。
分からないよね。
でも、これで安心だ。
……あっ。
そうだ。
大事なのは、次。
「さてと。今度は、話せるようにしてあげようか」
「……えっ?」
晴斗君が、目を丸くした。
「……話せる……ですか?」
「うん! モフ太と同じだよ」
私は、魔獣の頭を優しく撫でた。
「〔会話できる君〕」
以前に作ったマジックアイテムを、この子にも使う。
これで、喉や口の形に関係なく、人間の言葉を話せるようになるはずだ。
……うん。
モフ太のときも、ちゃんとできたからね。
私は、少し期待しながら待った。
魔獣が、首を傾げる。
それから、口を開いた。
「よろしくにゃー!」
……おお?……えっ?
「……にゃー?」
思わず、私は聞き返してしまった。
その横から。
「……語尾が、にゃー!?」
晴斗君の声が重なった。
……うん。
そこだよね!
そこ、気になるよね!?
だって。
モフ太のときは、普通に丁寧な話し方だったんだよ?
……いや。
熊が「ご主人様」って言うのも、考えてみれば普通じゃないんだけど。
でも、この子。
本当に猫みたいな喋り方をするんだね!?
「……何かおかしいかにゃー?」
魔獣が、少し不思議そうに首を傾げた。
……おお。
可愛い!
いや、待って。
可愛いけど、予想外すぎる!
「いや、変じゃないよ! ちょっとびっくりしただけで……」
「そうかにゃー? なら、よかったにゃー!」
……あはは!
すごいなぁ。
Sランクの魔獣が、こんな喋り方をするなんて。
しかも、ものすごく自然だ。
私は、思わず笑ってしまった。
「……お父さん、すごい!」
カトレアも目を輝かせている。
「猫ちゃんが喋ってる!」
「うん! モフ太にも使ったマジックアイテムだよ」
「ふふっ。可愛いね!」
……ああ。
よかった。
カトレアも喜んでくれてる。
桜花はというと。
「……ふふっ。これは、たいへん愛らしい口調でございますね」
……うん。
楽しそうだねぇ。
その横では、楓が無言で何度も頷いていた。
……おお。
楓まで気に入ってる。
……ただ。
ここで一つ、確認しておきたいことがある。
「ねぇ、この子」
「何かにゃー?」
「今の話、聞いてたよね。晴斗君の相棒として、一緒に過ごしてほしいって考えてるんだけど……どうかな?」
魔獣は、すぐに晴斗君の方を向いた。
大きな瞳が、じっと彼を見つめる。
晴斗君も、思わず背筋を伸ばした。
……おっ。
ちょっと緊張してるね。
……うん。
私も返事が気になる。
すると。
「ご主人、にゃーは晴斗の相棒になってもいいにゃー!」
……おおっ!
話が早い!
「……えっ!? もう決めちゃったの!?」
「晴斗は優しそうにゃー! にゃーのことを大事にしてくれると思うにゃー!」
……あっ。
なるほど。
そんなふうに思ってくれたんだ。
……うん。
分かるよ。
晴斗君、本当に優しい子だからね。
「……あの。僕、まだ何もしてないんですけど……」
晴斗君が、困ったように笑った。
「にゃーは見てたにゃー。晴斗、無理に触ろうとしなかったにゃー!」
「……あっ」
……そういえば。
晴斗君、ずっと少し離れたところにいたね。
カトレアが撫でているときも、無理に近づかなかった。
……うん。
ちゃんと相手のことを考えてたんだ。
魔獣にも、伝わるんだねぇ。
……いい話だなぁ。
私は、晴斗君の方を見た。
「晴斗君、どう?」
「……えっと」
晴斗君は、一度だけ目を閉じた。
それから、目の前の小さな魔獣へ向き直る。
「僕でよかったら、ぜひ相棒になってほしいです」
……うん。
いいね!
「こちらこそ、よろしくにゃー!」
決まったね!
……あれ。ちょっと待って。
何だか、想像していたよりずっとスムーズに話が進んじゃった!
……まあ。
二人が納得してるなら、それが一番だよね。
「リアリスさん……」
「うん?」
晴斗君が、私を見た。
何だか、少し呆然としている。
「……色々と、情報量が……」
……あはは!
分かる!
分かるよー、その気持ち!
さっきまで猫だと思ってた相手が喋り始めて。
しかも、いきなり相棒になるって決まっちゃったんだからね。
……うん。
普通なら、頭が追いつかないよね。
……まあ。
私も、ちょっと追いついてないけど。
◇
晴斗君が落ち着くまで、私たちは居間で少しお茶を飲むことにした。
嬉しそうなんだよねぇ。
目が合うと、小さく笑っている。
魔獣の方も、尻尾を揺らして応えている。
……うん。
何だか、もう仲良しだ。
私は紅茶をひと口飲んだ。
……ああ。
こういう時間、好きだなぁ。
新しい家族が増えるって、やっぱり嬉しい。
……あっ。
そうだ。
まだ、一つ決まってないことがある。
「ねぇ、晴斗君」
「はい?」
「この子に、名前を付けてあげたらどうかな?」
晴斗君が、目を丸くした。
「……えっ? 僕が付けてもいいんですか?」
「もちろん! 晴斗君の相棒なんだからね」
……うん。
せっかくだから、名前も本人に考えてほしい。
私が勝手に決めるより、その方がいいでしょう。
魔獣が、ぴんと耳を立てた。
「にゃーは女の子にゃー! ちゃんと考えてほしいにゃー!」
……えっ?
「……女の子だったんだ!?」
「そうにゃー!」
……おお。
なるほどねぇ。
……いや。
私は《鑑定》も使えるんだけど。
何だか、見た目が可愛くて、そこまで考えてなかった。
……うん。
ちゃんと聞けてよかった。
晴斗君が、少し考えるように魔獣を見た。
「……女の子で、猫みたいで……」
……うんうん。
悩むよねぇ。
名前って、一度決めたらずっと使うものだからね。
カトレアも、興味津々で見守っている。
モフ太はというと。
……あれ?
さっきから、ほとんど動いてないね。
カトレアの後ろで、じっと座っている。
……うーん。
まだ機嫌が悪いのかな。
……まあ。
後でちゃんと撫でてあげよう。
今は、名前が先だ。
晴斗君は、魔獣の口元へ目を向けた。
長く伸びた二本の牙。
少し曲線を描いた、綺麗な形をしている。
……おっ。
何か思いついた?
「……ルナ」
晴斗君が、小さく呟いた。
……ルナ?
……おお。いい響きだねぇ。
「ルナ、なんてどうかな?」
「おっ! いい名前だね!」
私が言うと、晴斗君は少し照れたように笑った。
「牙の形が、三日月みたいで綺麗だったので。月から取ってみました」
……なるほど!
三日月みたいな牙。
そこから、ルナ。
……いいねぇ!
意味もあるし、呼びやすい。
私が名付けるより、ずっと素敵な名前だ。
「どうかな? 気に入った?」
私が尋ねると、魔獣は晴斗君を見上げた。
そして。
「ルナ! いい名前にゃー! 気に入ったにゃー!」
……おおっ!
決定!
晴斗君の顔が、ぱっと明るくなった。
「よかった! じゃあ、よろしくね。ルナ!」
「よろしくにゃー、晴斗!」
ルナが、嬉しそうに尻尾を揺らす。
晴斗君も、ゆっくり手を伸ばした。
……うん。
ちゃんと、様子を見ながらだ。
ルナが自分から頭を寄せてきたのを確かめてから、晴斗君はそっと撫でた。
「……あはは。柔らかい……!」
「もっと撫でていいにゃー!」
「本当? じゃあ……」
……ああ。
いいねぇ。
私まで嬉しくなってしまう。
カトレアも、二人を見て笑っていた。
「晴斗さん、よかったね!」
「はい! ありがとうございます!」
……うん。
こういう光景が見たかったんだ。
冒険者として頑張り始めた晴斗君。
その隣に、頼りになる相棒。
……ああ。
何だか、胸が温かくなるなぁ。
……っと。
喜ぶ前に、一つだけ大事なことを話しておかないと。
「ルナ、ちょっといいかな?」
「何かにゃー、ご主人?」
……うん。
ちゃんと、こっちを見てくれる。
私は、少しだけ真面目な顔になった。
「これからは、晴斗君と一緒に行動してもらいたいんだ。冒険者の仕事でも、普段の暮らしでも、晴斗君の言うことをよく聞いてね」
「わかったにゃー!」
「それから、絶対に人を傷つけないこと。襲われたときは守ってほしいけど、危険を避けられるなら、まずはそっちを優先してね」
「任せてほしいにゃー!」
……うん。
よし。
これなら安心だ。
……あっ。
ただ、ここは一応説明しておこう。
「晴斗君。ルナは《テイム》で私に従っているんだ。だから、魔法そのものを晴斗君に譲ることはできないんだけど」
「はい」
「私から、これからは晴斗君と一緒に過ごして、晴斗君の指示を守るようにお願いしておくよ」
「……なるほど」
「もちろん、何か困ったことがあったら私にも相談してね。ルナのことは私も責任を持つから」
「ありがとうございます!」
晴斗君は、深く頭を下げた。
またそんなに丁寧に。
私たち、もう一緒に暮らしてるんだから、そこまでかしこまらなくてもいいのに。
……まあ。
そういうところも、晴斗君らしいね。
「じゃあ、ルナ。これからは晴斗君にいつも付き添って、しっかり守ってあげてね」
「了解にゃー!」
「ありがとう!」
……うん。
これで、正式に相棒だ。
晴斗君は、嬉しそうにルナの頭を撫でている。
……ああ。
よかったねぇ。
……私も、ちょっとだけ感動してきた。
◇
「……ところで、リアリスさん」
「うん?」
晴斗君が、ルナを撫でながら顔を上げた。
「ルナって、どのくらい強いんですか?」
……おっ。
いい質問だね。
……そうだなぁ。
どこから説明しよう。
「そうだねぇ。ルナは、もともとSランクの魔獣なんだよ」
「……えっ?」
晴斗君の手が止まった。
……あれ?
「……えす、らんく……?」
「うん。ジャイアントサーベルタイガーっていう種類なんだ」
晴斗君が、ゆっくりルナを見た。
それから、私を見る。
もう一度、ルナを見る。
「……Sランク……?」
「うん!」
……おお。
また固まっちゃった。
Fランクの冒険者になったばかりなんだから、当然かもしれない。
Sランクがどれだけ特別なのか、もうギルドで聞いているだろうし。
「……リアリスさん」
「うん?」
「……僕、Fランクなんですけど……」
「うん。知ってるよ!」
「……相棒が、Sランク……?」
「そうだねぇ」
晴斗君が、両手で顔を覆った。
さっきから驚きっぱなしだねぇ。
それだけ喜んでくれてる、ということにしておこう。
……違う?
「……何だか、すごいことになってませんか?」
「……あはは!」
……うん。
すごいことになってるね!
でも、私としては、晴斗君を安心して送り出せる方が大切なんだよね。
「ルナが強いからって、無茶な依頼を受けていいわけじゃないからね。晴斗君自身も、楓との稽古を続けよう」
「……はい! そこは、ちゃんと分かってます!」
……即答だね。
うん。
それなら安心だ。
私は、ルナへ目を向けた。
「ルナ、晴斗君をよろしくね」
「もちろんにゃー! にゃーは強いにゃー!」
……ずいぶん自信があるね。
まあ、Sランクなんだから、当然かな。
……と思ったら。
ルナが、ふいに顔を横へ向けた。
……ん?
そっちには。
カトレア。
そして、その後ろにいるモフ太。
「そこの毛玉よりは強いにゃー!」
……えっ、毛玉?
私は、ゆっくりモフ太を見た。
モフ太が、ぴくりと耳を動かした。
……今、何か嫌な予感がしたような。
「……なんだと?」
……あれ?
モフ太?
今の、モフ太の声?
普段は「私にお任せください」とか、すごく丁寧に話す子だよね?
……いま、なんだとって言った?
私は思わず目を瞬かせた。
「……モフ太?」
モフ太は、じっとルナを見つめていた。
赤いリボンが、いつもと同じように揺れている。
見た目は、いつものモフ太だ。
……だけど。
「……もっぺん言ってみろ」
モフ太!?
誰!?
いや、モフ太なんだけど!
……言葉が荒い!
いきなり、ものすごく荒い!
「モ、モフ太? 落ち着いて!?」
私は慌てて声をかけた。
……いやぁ。こんなモフ太、初めて見たよ!
桜花も、少し驚いたように目を見開いている。
晴斗君に至っては、完全に固まっていた。
カトレアも、きょとんとしている。
「……モフ太?」
……うん。
カトレアも驚くよね。
いつもの、優しい護衛の熊が。
突然、喧嘩を売り始めたんだから。
……ああ。
どうしよう、これ。
私はルナへ視線を向けた。
……お願い。
これ以上、刺激しないでね?
そう思った、その瞬間。
「毛玉より強いって言ったにゃー! 聞こえなかったかにゃー、毛玉!」
……言ったぁぁぁ!
しかも、二回!
いや、三回!?
完全に煽ってるよね!?
モフ太の毛並みが、ぶわっと逆立ったように見えた。
……いや。
あれ、気のせいじゃないかもしれない。
赤いリボンの下で、肩が小さく震えている。
……おお。
まずい。
これは、かなりまずい。
「……てめぇ……」
……ちょっと待って!
モフ太!?
「表でろぉぉぉぉぉ!!」
……おおおお!?
……えええええ!?
……モフ太が!
あのモフ太が!
……ブチギレてる!!
私は、思わず立ち上がった。
「二匹とも、やめなさい!!」
……あっ。
声、大きくなっちゃった。
でも、仕方ないでしょう!?
Sランクの魔獣が二匹揃って喧嘩し始めたら、笑い事じゃ済まないんだから!
……いや。
今は二匹とも小さいけどね?
小さくても、SランクはSランクだ。
モフ太が、はっとしたようにこちらを向いた。
そして。
「……大変失礼いたしました、ご主人様」
……戻った。
敬語に戻った!
……おお。
切り替えが早いねぇ。
いや、そうじゃなくて!
さっきのは何!?
私は、まだ少し驚きながらモフ太を見つめた。
……あのさ。
モフ太って、そんな喋り方もできたんだね。
……知らなかったよ。
……でも、あれは、怒るよねぇ。
大切な毛並みを毛玉って呼ばれたんだから。
……うん。
しかも、何度も。
私だって、ちょっとひどいと思う。
「ルナも、意地悪を言わないの」
「……わかったにゃー」
ルナが、少しだけ耳を倒した。
……うん。
反省してる……のかな?
……いや。
尻尾が、ちょっと楽しそうに動いてるんだけど。
……うーん。
この子、結構やんちゃなのかもしれないねぇ。
そのとき。
「モフ太、おいで」
カトレアが、小さく手を伸ばした。
モフ太が、ゆっくりカトレアへ近づく。
……おっ。
よかった。
カトレアの言うことは、ちゃんと聞いてる。
カトレアはモフ太を抱き上げ、優しく頭を撫でた。
「大丈夫だよ。モフ太も、いつもかっこいいよ」
……おお。
その一言。
すごく効いてるね。
モフ太の毛並みが、少しずつ落ち着いてきた。
「……ありがとうございます、カトレア」
……ああ。
声も元どおりだ。
よかったぁ。
カトレアは、もう一度モフ太を撫でる。
「ルナも、仲良くしようね」
「……分かったにゃー」
……うん。
これで仲直り……かな?
私は、ほっと息をついた。
……いやぁ。
まさか、初対面からこんな騒ぎになるとはね。
……びっくりした。
◇
しばらくして。
モフ太が、カトレアの腕から下りた。
……おっ。
もう大丈夫かな。
私は、少し安心して紅茶のカップへ手を伸ばした。
……ああ、落ち着くなぁ。
……と思ったら。
「ご主人様」
モフ太が、きちんと姿勢を正した。
「うん? どうしたの?」
「大変不躾ではございますが、一つお願いがございます」
……おや。
今度は、いつもの丁寧な口調だ。
……よかった。
「何かな?」
「……ルナと、少し手合わせをさせていただけないでしょうか」
……おお。
そう来たかぁ。
……いやぁ。
さっきの様子を見ると、そうなる気もしてたけど。
「……モフ太、まだ怒ってる?」
「いいえ。私は冷静でございます」
……うん。
顔は、あんまり冷静じゃないように見えるんだけど。
……いや。
熊の顔なんだから、よく分からないか。
でも、声にちょっと力が入ってる気がする。
「でもさ、モフ太もルナもSランクでしょう? 本気で戦ったら、屋敷が大変なことになっちゃうよ」
「承知しております。ご主人様の亜空間であれば、問題はないかと存じます」
……おっ。
そこまで考えてるんだ。
……まあ。
亜空間なら、確かに周りへの被害は心配ない。
外の世界へ影響が出ないようになってるからね。
……とはいえ。
モフ太もルナも、魔獣としては相当な実力だ。
しかも、二匹とも私が守りの魔法を付与している。
……うん。
ちょっと、すごい戦いになりそうだ。
「……それで、モフ太。本当にやりたいの?」
「はい。是非とも、お願いいたします」
……うーん。
ずいぶん真剣だねぇ。
私はルナの方を見た。
「ルナは、どう?」
「にゃーは負けないにゃー!」
……おお。
即答!
……いやいや。
聞きたいのは、そういうことじゃないんだけど。
……まあ。
やる気なのは、分かった。
晴斗君が、心配そうに二匹を見比べた。
「……あの。大丈夫なんですか?」
「うん。万が一にも怪我をしないよう、私が見てるからね」
「……そうですか。でも……」
……ああ。
心配になるよね。
いきなり相棒になったばかりのルナが、喧嘩を始めようとしてるんだから。
……うん。
そこは、ちゃんと説明しよう。
「実は、二匹とも《絶対防御》を付けてあるんだ。よほどのことがなければ、普通の攻撃では傷つかないよ」
「……そ、そうなんですね」
「それに、戦わせるなら、いつも稽古で使ってる亜空間にするから。屋敷も王都も安全だよ」
……うん。
もちろん、私もちゃんと見ている。
調子に乗って、危険なことにならないようにしないとね。
……でも。
考えてみれば、ちょうどいい機会かもしれない。
晴斗君は、ルナがどれだけ強いのか、まだよく分かってない。
Sランクだって説明しても、実際の力を見たことがないからね。
……うん。
それなら、安全な場所で見てもらうのも悪くないか。
……あっ。
ただし。
「モフ太、ルナ。手合わせをするなら、私の指示には必ず従ってね。途中で止めると言ったら、すぐにやめること」
「承知いたしました」
「わかったにゃー!」
「それから、勝ち負けで喧嘩を続けるのもなしだよ。終わったら、ちゃんと仲良くしてね」
……うん。
ここは大事。
Sランク同士の意地の張り合いが、いつまでも続いたら困っちゃうからね。
モフ太が、丁寧に頭を下げた。
「心得ております」
……うん。
言葉は、すごく礼儀正しい。
……ただ。
あの目、まだ燃えてる気がするんだけど。
……大丈夫かなぁ。
ルナも、胸を張るように前脚を揃えた。
「にゃーも約束するにゃー!」
……おっ。
こちらも、立派なお返事。
……なのに。
何で、まだモフ太の方を見て笑ってるの?
……絶対、何か考えてるよね?
……うーん。
まあ、いいか。
約束はしてくれたんだし。
「……よし!」
私は、立ち上がった。
「それじゃあ、少しだけ手合わせしてみようか!」
……おお。
自分で言っておいて、何だかわくわくしてきた。
……いや。
別に、怪獣同士の戦いが見たいわけじゃないよ?
あくまで、晴斗君にルナの実力を知ってもらうため。
……そう。
そのためなんだからね。
……たぶん。
「ありがとうございます、ご主人様」
モフ太が、深々と頭を下げた。
……うん。
礼儀正しいねぇ。
さっきの「表でろぉぉぉ」とは、同じ熊と思えない。
……本当に、何だったんだろう。
「毛玉には負けないにゃー!」
……あっ。
言った。
また言った。
モフ太の耳が、ぴくりと動く。
……おお。
駄目だ。
まだ終わってなかった!
「……ルナ」
私は、少しだけ低い声を出した。
ルナが、はっとこちらを向く。
「……分かったにゃー」
……うん。
今度こそ、お願いしますよ?
晴斗君は、何とも言えない顔で笑っていた。
「……リアリスさん。僕の相棒、すごい子ですね」
「……あはは。そうだねぇ」
……うん。
すごい子だと思う。
いろんな意味で。
カトレアも、少し心配そうにモフ太の頭を撫でている。
桜花は、静かに微笑んでいた。
楓は、相変わらず無表情。
……ただ、何となく。
このあと何が起きるのか、楽しみにしているようにも見える。
……おお。
楓まで。
……うん。
うちの家族、みんな結構たくましいねぇ。
私は、居間の窓から庭を眺めた。
いつもの花壇。
いつもの穏やかな午後。
……ああ、今日も、平和だねぇ。
Sランクの熊と、Sランクの巨大な虎が決闘しようとしてるんだけど。
……どこが平和なんだろう。
私は、思わず苦笑してしまった。
「じゃあ、みんな。庭へ行こうか!」
私たちは、居間を出て庭へ向かった。
……うん。
まずは、いつもの亜空間を用意しよう。
あそこなら、どれだけ派手に動いても屋敷には影響しない。
……でも。
何だか、ちょっと嫌な予感もするんだよね。
……今さら考えても仕方ないか。
だって、もう決まっちゃったんだから。
私は、晴斗君とルナを見た。
Fランクになったばかりの冒険者と、Sランクの相棒。
いい組み合わせだね。
……しかし、その相棒が、初日から我が家の熊に喧嘩を売るとは。
……さすがに、想像してなかったよ!
……さて。
モフ太。
ルナ。
お願いだから、ほどほどにしてね?




