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第5話:Sランクの巨大な猫

 獣人国の町に降り立って、まず思ったことがある。


 ……暑い。


 いや、季節のせいもあるんだけどね?


 王国とは、やっぱり空気が違う。


 通りには獣耳や尻尾を持った人たちが行き交い、遠くからは商人たちの呼び声が聞こえてくる。


 荷車を引く大柄な獣人。


 買い物袋を抱えた小さな子供。


 屋台の前では、尻尾を揺らしながら料理の出来上がりを待っている人もいた。


 ……ああ。


 こうして歩いていると、何だか旅行に来たみたいで楽しいねぇ。


「リアリス様、お時間はよろしいのでございますか?」


 隣の桜花が尋ねてきた。


「うん! 晴斗君も楓と稽古してるし、カトレアはモフ太とお庭にいるからね。夕食までには帰れると思うよ」


「承知いたしました」


 桜花が小さく頷いた。


 ……よし。


 今日の目的は、ジャイアントサーベルタイガーの依頼を探すこと。


 晴斗君が猫好きだって分かったから、頼りになる相棒を探してあげたい。


 ただし、その候補は体長五メートルのSランク魔獣。


 ……あれ?


 口に出さなくても、何だかちょっとおかしくない?


 普通なら、猫好きの人には猫を紹介するよね。


 私は何で、五メートルの猛獣を探してるんだろう。


 ……いやいや!


 護衛も兼ねてるんだから、強い方がいいに決まってる!


 それに、モフ太だって元は大きな魔獣だし。


 今では立派な家族なんだから、同じようにできる可能性はある。


 ……うん。


 たぶん、間違ってない。


 ……たぶんね。


「……ふふっ」


 隣から小さな笑い声がした。


「……桜花?」


「いえ。何でもございません」


 ……その笑顔。


 絶対、何か思ってるよね?


 まあ、いいか。


 とりあえず、ギルドへ行こう!


     ◇


 獣人国の冒険者ギルドは、今日も賑わっていた。


 大きな扉を開けると、依頼を探す冒険者たちの声が一斉に飛び込んでくる。


 受付へ並ぶ人。


 壁際で装備を確かめる人。


 仲間と地図を広げて相談している人。


 ……おお。


 どこの国でも、この雰囲気は変わらないねぇ。


 ちょっと懐かしい。


 そう思いながら中へ入ったところで、近くの話し声がふっと途切れた。


 ……ん?


「……おい」


「……あれ、もしかして……」


 何人かの冒険者が、こちらを見ている。


 ……ああ。


 そっか。


 今の私は、名前も顔も知られてるんだった。


 世界中に映像を流されたときから、もう隠すのは無理になっちゃったんだよね。


 ……自分でやった魔法なのに、ちょっと複雑だなぁ。


「おい、あれ英雄じゃねぇか?」


「え? 英雄って……あのリアリス様?」


「いや、王都にいらっしゃるんじゃないのか?」


「銀髪の方も一緒だぞ。桜花様じゃないか?」


 ……うん。


 間違いなく、私たちの話をしている。


 しかも、結構大きな声だ。


 ……あのさ。


 聞こえてるよ?


 めちゃくちゃ聞こえてるよ?


 私は苦笑しながら、桜花の方を見た。


「……ちょっと目立っちゃったね」


「左様でございますね」


 桜花はいつもどおり、落ち着いている。


 ……ああ。


 こういうとき、本当に頼りになるなぁ。


 私は周囲へ軽く会釈してから、依頼掲示板へ向かった。


 ……よし。


 用事を済ませよう。


 お仕事を探しに来ただけなんだからね。


 掲示板には、たくさんの依頼書が貼られていた。


 薬草の採取。


 荷物の運搬。


 町の周辺で見かけられた魔獣の討伐。


 ……おっ。


 このあたりは、王国のギルドと似てるね。


 さすがにSランクの依頼は、あまり多くないみたいだけど。


 ……さて。


 ジャイアントサーベルタイガー。


 ジャイアントサーベルタイガー……。


 私は掲示板の端から順番に目を走らせた。


 ……んー。


 ないかなぁ。


 そもそも、対象がいなかったら依頼も出ないだろうし。


 今日は空振りかもしれない。


 ……あっ。


「……あった!」


 思わず声が出た。


 掲示板の上の方に、一枚の依頼書が貼られている。


 大きく記されているのは、Sランク。


 そして、対象の名前。


 ジャイアントサーベルタイガー。


 ……おおお!


 あったよ!


 本当にあった!


 私は思わず、にんまりしてしまった。


 ……いや。


 依頼が出ているってことは、困っている人がいるってことだから、喜んじゃ駄目なんだけどね。


 でも、目的の魔獣が見つかる可能性が出てきた。


 ……うん。


 まずは、内容を確認しよう。


 依頼には、獣人国南部の町ジズマの周辺で確認された個体への対応が書かれていた。


 町の近くにまで姿を現し、住民が危険を感じているらしい。


 ……なるほど。


 それは、早く何とかしないとね。


「桜花、これ!」


 私は依頼書を指さした。


「……ジャイアントサーベルタイガー。Sランクの依頼でございますね」


「うん! これを受けようと思うんだ」


「承知いたしました」


 桜花は、わずかに目を細めた。


 ……おや。


 何だか、もう結末を予想しているような顔だね。


 私は依頼書を掲示板から取り、受付へ向かった。


     ◇


 受付にいたのは、犬の耳を持った若い女性だった。


 ふさふさの耳が、頭の上でぴんと立っている。


 ……ああ。


 獣人国ならではだねぇ。


 王国のギルドにもいろんな種族の人はいるけど、こうして犬の獣人さんが受付をしている光景には、何だかちょっと新鮮な感じがする。


「いらっしゃいませ! ご依頼のご相談でしょうか。それとも受注でしょうか?」


 受付嬢さんが、明るい笑顔で迎えてくれた。


「こんにちは。これを受注したいんですけど、大丈夫ですか?」


「かしこまりました。確認いたしますね」


 私は依頼書を差し出した。


 受付嬢さんが、慣れた手つきで内容を確かめる。


 ……おっ。


 さすが、仕事が早いね。


 と思った、そのとき。


 ぴくっ。


 受付嬢さんの耳が動いた。


「……ジャイアントサーベルタイガーの討伐依頼、でございますね」


「はい」


「こちらはSランクの依頼となっております。恐れ入りますが、冒険者カードのご提示をお願いできますでしょうか?」


「……あっ!」


 ……そうだった!


 冒険者カード!


 すっかり忘れてたよ。


 王国のギルドではシルベスターさんもリリーナさんも顔なじみだから、つい油断しちゃうんだよね。


「ごめんなさい。これです」


 私は《収納》からカードを取り出した。


 ……うん。


 新しいカード。


 世界で一枚しかない、ちょっと特殊なやつだ。


 正直、まだ見慣れない。


 私は以前、Fランクのままでいいって言ってたのになぁ。


 シルベスターさんたちが、どうしてもって言うから。


 ……まあ。


 世界中に名前が知られちゃった以上、今さら偽名のFランクカードにこだわっても意味はないのかもしれないね。


 受付嬢さんがカードを受け取った。


 そして。


 ……ぴたり。


 動きが止まった。


「……えっ?」


 ……ん?


 どうしたんだろう。


 受付嬢さんは、もう一度カードを見た。


 それから私の顔を見る。


 そして、またカードを見た。


 ……あの。


 何かおかしいですか?


「……SSランク……?」


 受付嬢さんの声が、少し上ずった。


「……あっ、はい」


「……世界で唯一の、SSランク……?」


「……はい」


 耳が、ぴんと立ち上がる。


 次の瞬間。


「ええっ!? 英雄リアリス様でいらっしゃいますか!?」


 ……おおっ!


 声、大きい!


 ギルド中に響いたんじゃない!?


 そして案の定、周囲から一斉に視線が集まった。


「やっぱり本物じゃねぇか!」


「SSランクって、あの人だけだろ!?」


「まさか、うちのギルドに来るなんて……!」


「何の依頼を受けるんだ?」


 ……ああ。


 完全に、騒ぎになっちゃったねぇ。


 私は苦笑いした。


「……あはは。はい、リアリスです」


「し、失礼いたしました!」


 受付嬢さんが、勢いよく頭を下げた。


 ……いやいや。


 そんなに謝らなくてもいいのに。


「大丈夫ですよ。普通に手続きをしていただければ」


「は、はい! かしこまりました!」


 ……うん。


 ちょっと緊張させちゃったかな。


 桜花が、隣で小さく微笑んだ。


「少々、騒ぎになってしまいましたね」


「……うん。なんとなく、そうなる気はしてたんだけどねぇ」


 ……でもさ。


 だからといって、毎回こそこそするのも変だし。


 私は普通に冒険者の仕事がしたいだけなんだよね。


 ……まあ。


 その依頼がSランクの巨大な虎っていう時点で、普通じゃないかもしれないけど。


 ……そこは考えないことにしよう。


 受付嬢さんは、少し落ち着きを取り戻してから手続きを始めた。


 書類を確認し、私のカードと依頼書を照らし合わせる。


 ……うん。


 仕事ぶりは、さっきと変わらず丁寧だ。


 よかった。


 しばらくすると、依頼書をこちらへ向けた。


「お待たせいたしました。受注のお手続きが完了いたしました」


「ありがとうございます!」


「対象は、ジズマ南西の密林で生息が確認されているジャイアントサーベルタイガーでございます」


 ……ジズマ。


 確か、獣人国の南の方にある町だったよね。


 森林と湖のある、避暑地としても知られている場所。


 ……おお。


 景色もよさそうだねぇ。


「近頃は、町の周辺まで姿を現して暴れることがあり、住民への危険が懸念されております」


「……それは困りますね」


「はい。大型の魔獣でございますし、非常に凶暴です。高い知能も確認されておりますが、交渉は不可能とされています」


 受付嬢さんは真剣な表情で続けた。


「くれぐれも、ご注意くださいませ」


「分かりました」


 ……うん。


 危険な魔獣だっていうのは、アンナからも聞いた。


 だからこそ、放ってはおけない。


 ……あっ。


 そうだ。


 大事なことを確認しないと。


「すみません。一ついいですか?」


「はい、何でしょうか?」


「これ、討伐じゃなくて捕獲でも大丈夫ですか?」


 ……ぴくっ。


 受付嬢さんの耳が、また動いた。


「……ほ、捕獲でございますか?」


「はい。生きたまま、安全に捕まえられたらと思って」


 ……あれ?


 また変なことを言ったかな。


 受付嬢さんは、しばらく口を開けたまま固まっていた。


 ……うん。


 気持ちは分かる。


 普通、Sランクの魔獣を捕まえようなんて思わないよね。


 ……でも。


 ここは大事なところだから、確認しておきたいんだ。


「依頼の目的は、町の周辺から危険を取り除くことでございます。対象を確実に捕獲し、今後その地域へ脅威を及ぼさないよう管理いただけるのであれば、達成として扱えますが……」


「おお! それなら大丈夫そうですね」


「……ただ、相手はジャイアントサーベルタイガーでございます。通常の使役は極めて困難で、そもそも交渉が……」


「はい。そこは、ちゃんと確認します!」


 私は笑顔で頷いた。


 ……うん。


 交渉ができないなら、別の方法を考えればいい。


 そもそも、あのモフ太だって普通の魔獣じゃなかったんだから。


 ……まあ。


 我が家の熊と比較するのも、ちょっと変か。


「どうもありがとうございました。気をつけて行ってきます!」


「……か、かしこまりました。どうぞ、お気をつけて……」


 受付嬢さんは、まだ少し心配そうだった。


 ……ああ。


 せっかく親切に説明してくれたんだ。


 無事に依頼を終えて、安心してもらわないとね。


 私は桜花と一緒に受付を離れた。


「リアリス様」


「うん?」


「先ほどのお話ですと、やはり討伐ではなく捕獲をお考えなのですね」


「……あはは。分かっちゃった?」


「はい。昨日からのお考えを伺っておりましたので」


 桜花が、楽しそうに笑った。


 ……うん。


 隠すまでもないか。


「晴斗君の相棒にできるなら、そうしたいんだ。もちろん、無理なら無理で諦めるけどね」


「承知いたしました」


 ……よし。


 方針も決まったし、さっそく行こうか!


     ◇


 ギルドを出て、人通りの少ない場所へ移動した。


「それじゃ、ジズマへ行こう!」


「はい」


「《転移》」


 景色が、ふっと切り替わる。


 ……おお。


 さっきまで賑やかな町にいたのに、今度は風の音がよく聞こえる。


 遠くに見えるのは、青々とした森。


 その手前には、きらきらと光る大きな湖が広がっていた。


 湖畔に沿うように町並みが続いている。


 ……へぇー!


「桜花、見て! すごく綺麗だよ!」


「はい。たいへん素晴らしい景色でございますね」


 私たちは、しばらくその景色を眺めた。


 湖から吹いてくる風は、先ほどの町より少し涼しい。


 水面に日の光が反射して、小さな光がいくつも揺れている。


 森の向こうからは、鳥のような鳴き声も聞こえた。


 ……ああ。


 いいねぇ。


 こういう場所、大好きだ。


 昔、日本にいた頃も、休日に自然の多い場所へ行くことがあった。


 仕事のことを忘れて、ただ景色を眺める。


 そういう時間は、やっぱり大切だよね。


 ……まあ。


 今日は仕事をしに来たんだけど。


「ジズマって、森林湖畔の町だって聞いてたけど……」


 私は周囲を見渡した。


「これ、完全に密林湖畔だね!」


 桜花が、小さく笑った。


「ふふっ。確かに、森が非常に深うございますね」


「でも、すごく綺麗だよ。今度、カトレアも連れてきてあげたいなぁ」


「きっと、お喜びになるかと存じます」


「うん! カトレア、こういう景色も好きだと思うんだ」


 ……ああ。


 湖畔でお茶を飲んで。


 森を散歩して。


 おいしいものを食べて。


 ……うん。


 いい旅行になりそうだねぇ。


 ……おっと。


 いけないいけない。


 今日は観光じゃなかった!


「……危ない。完全に旅行気分になってた」


「たいへん楽しそうでございました」


「……あはは。桜花もでしょう?」


「はい。リアリス様とご一緒ですので」


 ……うっ。


 ……そういうこと、さらっと言うんだよねぇ。


 私は少し照れながら笑った。


「ありがとう、桜花」


「どういたしまして」


 ……うん。


 いい天気だし、いい相棒もいるし。


 今日は、何だかいい日になりそうだ。


 ……さて。


 私たちは町の外へ向かい、南西に広がる密林の手前まで移動した。


 背の高い木々が、行く手を覆うように並んでいる。


 ……おお。


 近くで見ると、迫力があるね。


 枝と葉が何重にも重なって、森の奥は昼間でも少し暗い。


 地面には太い根が張り巡らされていて、普通に歩くだけでも注意が必要そうだ。


 ……うん。


 確かに、ここなら大きな魔獣が隠れていてもおかしくない。


「よし。じゃあ、探してみようか」


「はい」


「《サーチ》、ジャイアントサーベルタイガー」


 私の頭の中に、いつもの地図が浮かび上がる。


 現在地を示す赤い点。


 その周囲に、対象の位置を示す青い光。


 ……おっ!


 あった!


 しかも、思っていたより近い。


「桜花、ラッキーだよ! すぐ近くにいるみたい!」


「左様でございますか」


「この距離なら、そんなに歩かなくても会えそうだね」


 ……よかったぁ。


 密林の中を何時間も歩くことになったら、ちょっと大変そうだったからね。


 もちろん、《転移》で近くまで行くこともできるけど。


 せっかくだから、少しは歩いてみたい。


 ……うん。


 観光じゃないって、さっき言ったばかりなんだけどね。


「リアリス様」


「うん?」


「本日は《テイム》をお使いになるのでございますか?」


「うん。まず《完全拘束》で安全に止めて、そのあと《テイム》かな。モフ太のときと同じような感じで」


「かしこまりました」


 桜花が頷いた。


 ……うん。


 これなら、相手を傷つけずに済む。


 依頼の目的も果たせるし、ちゃんと従ってくれるなら晴斗君の相棒にできるかもしれない。


 ……ただ。


 Sランクだからね。


 攻撃性が高いっていう話も聞いたし、油断はしないようにしよう。


 私には《絶対防御》がある。


 桜花にも同じような守りがある。


 だけど、万が一にでも周囲の人を巻き込んだら困る。


 ……よし。


 まずは、慎重に。


     ◇


 密林へ足を踏み入れてから、五分ほど。


 私たちは、脳内マップの青い点へ向かって歩いていた。


 葉の隙間から差し込む日差しが、地面にまだら模様を作っている。


 時折、どこかで枝の折れる音がした。


 ……ああ。


 いかにも何かがいそうな森だねぇ。


 私はマップを確認した。


 ……おっ。


 もうすぐだ。


 青い点は、すぐ目の前の木々の向こうにある。


 私たちは少し歩調を落とし、茂みの隙間から向こうを覗いた。


 ……おお。


 でっか!!


 思わず、声が出そうになった。


 そこにいたのは、巨大な虎のような魔獣だった。


 全長は、確かに五メートルほどありそうだ。


 太い四肢。


 筋肉の盛り上がった肩。


 長い尾。


 そして何より、口元から大きく伸びた二本の牙。


 ……おおお。


 すごい迫力だ。


 虎というより、何だか古代の怪獣みたいじゃない?


 ……いや。


 サーベルタイガーなんだから、そりゃそうか。


 魔獣は、近くの木の幹に身体を擦りつけるようにしていた。


 その身体が少し動くたび、周囲の枝がばさばさと揺れる。


 ……うん。


 五メートルって、近くで見ると本当に大きいね。


 モフ太が元の姿に戻ったときも相当な迫力だけど。


 こっちも負けてない。


「桜花、見える?」


「はい。立派な個体でございますね」


「ねぇ! 牙なんて、すごく長いよ!」


「確かに、美しい形でございます」


 ……うん。


 あれだけ立派なら、噛まれたら大変だろうなぁ。


 ……あっ。


 そういえば、晴斗君は猫好きって言ってたけど。


 あの姿を見たら、どう思うだろう?


 ……怖がるかな。


 うん。


 普通は怖がるよね。


 何しろ、五メートルの巨大な肉食獣だし。


 ……よし。


 ちゃんと小さくしてから見せよう。


 そんなことを考えていた、そのときだった。


 ぴくり。


 魔獣の耳が動いた。


 ……あれ?


 次の瞬間、巨大な頭がこちらを向いた。


 鋭い目が、まっすぐ私たちを捉える。


 ……おっ。


 気づかれたみたいだね。


 私は一歩前へ出ようとして――。


「……グルルルルッ!!」


 低い唸り声が響いた。


 魔獣が、地面を蹴る。


 ……えっ?


 ちょ、ちょっと待って!


 速っ!!


 あの大きな身体が、ものすごい勢いで迫ってきた。


 ……いやいや!


 いきなり!?


 私は反射的に手を向けた。


「うぉっ! 《完全拘束》!」


 ――ぴたり。


 巨大な身体が、私の目の前で止まった。


 前脚を上げたまま。


 長い牙をむき出しにしたまま。


 ……。


 危なかったぁ。


 いや、実際には《絶対防御》があるから、私も桜花も大丈夫なんだけどね。


 でも、目の前に五メートルの虎が飛びかかってくると、さすがにびっくりするよ!


「……はぁ。びっくりしたー!」


「お見事でございます、リアリス様」


 桜花が、いつもの落ち着いた声で言った。


 ……いやぁ。


 桜花、全然驚いてないね?


「急に来たねぇ。この子、なかなか気が強いなぁ」


「たいへん攻撃的な魔獣でございますので」


「……あっ。そうだった」


 アンナも受付嬢さんも、ちゃんと教えてくれてたんだよね。


 ……うん。


 説明どおりだ。


 私は、目の前で動きを止めた魔獣を見上げた。


 ……おお。


 近くで見ると、さらに大きい。


 牙なんて、私の腕より長いんじゃない?


 ……いや。


 比較してどうするんだ、私。


 でも、ちょっと触ってみたいなぁ。


 ……おっと。


 その前に、ちゃんと安全にしないと。


「よし。じゃあ、《テイム》しちゃおうか」


「はい」


 私は魔獣へ手を向けた。


 ……うん。


 この魔法は、以前に使ったものだ。


 魔獣を永続的に従わせることができる。


 本人の意思とは別に命令へ従わせることになるから、使いどころは考えないといけない。


 でも、このまま放っておけば町の人たちが危険にさらされる。


 討伐するより、安全に使役できるなら、その方がいいと思うんだ。


 ……もちろん。


 晴斗君へ押しつけるつもりはないよ。


 私が責任を持って管理する。


 まずは、そこからだ。


「《テイム》」


 魔獣の身体が、ほのかに光った。


 淡い光が全身を包み、しばらくして静かに消えていく。


 ……おっ。


 できたかな?


 私は魔獣の様子を見た。


 ……うん。


 見た目は何も変わってないね。


 相変わらず大きいし、牙も立派だ。


 ……まあ。


 《テイム》しただけで小さくなったら、逆にびっくりするけど。


「……桜花、ちょっと離れててね」


「承知いたしました」


 桜花が、一歩下がった。


 私は、魔獣の前に立ったまま軽く息を整えた。


 ……よし。


 《テイム》が成功しているなら、もう襲ってこないはず。


 失敗していたら?


 ……そのときは、また止めればいい。


「《完全拘束》、解除」


 魔獣の身体が、ゆっくり動き出した。


 ……動いた。さあ、どうかな。


 魔獣は、しばらくこちらを見つめていた。


 さっきまでの唸り声は聞こえない。


 上げていた前脚を静かに下ろすと、大きな頭を近づけてきた。


 ……おっ?


 そして。


 ……ぐりっ。


「……うわっ!」


 巨大な頭が、私の身体へ押しつけられた。


 ……えっ?


 ちょっと待って。


 甘えてる!?


 魔獣は、もう一度頭を寄せてきた。


 ……ぐりぐり。


 ……おお。


 完全に甘えてるね、これ!


「……あはは! よしよし!」


 私は大きな頭に手を伸ばした。


 毛並みは、思っていたより滑らかだ。


 筋肉のついた首元を撫でると、魔獣は目を細めた。


 ……うん。


 さっきまで襲いかかってきた相手とは思えないねぇ。


「桜花、見て! すごくおとなしくなったよ!」


「はい。お見事でございます」


「よかったぁ。これなら、安全に連れていけそうだね」


 ……うん。


 《テイム》は成功だ。


 依頼の対象も、もう町へ勝手に襲いかかることはない。


 きちんと管理することができる。


 ……よし。


 次は、問題の大きさだね。


 私はもう一度、魔獣を見上げた。


 ……五メートル。


 ……でっかい。


 いや、さっきから何回も言ってるけど、本当に大きいんだよ!


「モフ太も大きかったけど、この子もすごいねぇ」


「はい。筋肉量でしたらモフ太の方が多いかと存じますが、体格の大きさは近いものがございますね」


「……うん。迫力は十分だよね」


 ……でも。


 このまま連れ歩くわけにはいかない。


 ギルドへ連れて帰ったら、建物に入れないし。


 町の人たちだって、腰を抜かしちゃうよ。


 ……というわけで。


「よし。ちょっと小さくなってもらおうか」


 私は魔獣の頭をもう一度撫でた。


 ……さて。


 モフ太と同じくらいがいいかな。


 大きすぎず、小さすぎず。


 抱っこもできるくらい。


 ……うん。


 五十センチ!


「《縮小》、五十センチ!」


 次の瞬間。


 大きな身体が、みるみる小さくなっていった。


 目の前にそびえていた五メートルの巨体が、半分、さらにその半分へ。


 太い前脚も、小さくなる。


 長い尻尾も、小さくなる。


 そして。


 ……おお!


 可愛い!


 そこに立っていたのは、五十センチほどの小さなサーベルタイガーだった。


 ……いや。


 サーベルタイガーというより。


 ちょっと大きめの猫?


 ……うん!


 これは、猫だね!


 前脚はしっかりしているし、牙も長い。


 でも、さっきまでの怪獣みたいな迫力はなくなった。


 身体の模様も、こうして近くで見るとなかなか綺麗だ。


 私はしゃがみ込んで、そっと手を差し出した。


 小さくなった魔獣が、すり寄ってくる。


 ……あああ。


 可愛い!


「桜花、見て! ほら!」


「……まあ」


 桜花も、少し嬉しそうに目を細めた。


 ……おっ。


 やっぱり可愛いよね?


「これなら、晴斗君も喜んでくれるんじゃない?」


「たいへん愛らしい姿でございますね」


「うんうん!」


 桜花が膝を折り、そっと魔獣の背中を撫でた。


 ……ああ。


 桜花も、やっぱり動物は好きなんだねぇ。


 そう思っていたら。


「……ただ」


「……ん?」


 桜花が、少しだけ首を傾げた。


「モフモフ感が、あまりございません」


 ……そこ!?


「……桜花、そこが気になるの?」


「はい。モフ太の毛並みとは、少々異なりますので」


 ……あはは!


 いや、そりゃあ熊と虎だもんね!


 毛の感じは違うでしょうよ!


 でも。


 桜花の手は、魔獣の背中から離れていない。


 ……うん。


 何だかんだ、気に入ってるじゃない。


 私は小さく笑った。


「まあ、モフ太はモフ太だしね。この子にはこの子の可愛さがあるよ!」


「おっしゃるとおりでございます」


 桜花も微笑んだ。


 ……ああ。


 よかった。


 無事に、相棒候補を見つけることができた。


 しかも、当の魔獣はすっかりおとなしくなっている。


 ……うん。


 これなら、まずは第一段階クリアかな。


 ……ただ。


 問題は、これからだ。


 ギルドへの依頼完了報告。


 そのあと、町で一緒に過ごせるようにするための手続き。


 晴斗君に紹介するのは、それからだね。


 ……大丈夫。


 順番に進めていけばいい。


「さてと。まずはギルドへ報告しようか」


「はい、リアリス様」


 桜花は、小さな魔獣をそっと抱き上げた。


 ……おっ。


 抱っこされても、全然暴れないね。


 むしろ、落ち着いた顔をしている。


 ……うん。


 こんな姿を見たら、誰もSランクの魔獣だとは思わないかもしれない。


 ……まあ。


 長い牙があるから、普通の猫ではないって分かると思うけど。


 ……よし。


 まずは依頼完了だ!


     ◇


 私たちは、転移で獣人国の冒険者ギルドの近くへ戻ってきた。


 ……ふぅ。


 移動は本当に楽だねぇ。


 ジズマまで馬車で行こうと思ったら、きっと何日もかかるだろうに。


 私たちは、ほんの短い時間で往復できてしまう。


 ……うん。


 便利なものは、便利。


 だけど、こういうことができる人は、ほとんどいないんだよね。


 ……そこは、ちゃんと覚えておかないと。


 私は桜花の腕の中を見た。


 小さくなったサーベルタイガーが、静かにこちらを見ている。


 ……おお。


 可愛いねぇ。


 今にも、にゃあと鳴きそうだ。


 ……いや。


 実際には、まだ何も声を出してないんだけど。


 私は軽く笑って、ギルドの扉へ手をかけた。


 ……さーて。


 受付嬢さんに、無事に終わったって報告しよう。


 そう思いながら、建物の中へ入った。


 ……すると。


「……あっ!」


 近くにいた冒険者が、こちらを指さした。


「英雄様が戻ってきたぞ!」


「……えっ? もう?」


「さっき出ていったばっかりじゃなかったか?」


 ……うん。


 また注目されちゃったね。


 まあ、これは仕方ないかな。


 さっきあれだけ騒ぎになったんだから、顔を覚えられていて当然だ。


 私は軽く会釈をして、受付へ向かった。


 隣では、桜花が小さなサーベルタイガーを抱えている。


 そういえば。


 この姿で依頼完了の報告をしたら、どうなるんだろう。


 ……まあ。


 見れば分かってもらえるよね?


 ……たぶん。


「こんにちはー!」


 私は、さっきの受付嬢さんへ声をかけた。


「あら、リアリス様!」


 受付嬢さんは、すぐにこちらを向いた。


 犬の耳が、ぴんと立つ。


「どうかなさいましたか? 何かお忘れ物でしょうか?」


「いえ。依頼が終わったので、その報告に来ました」


 ……ぴたっ。


 受付嬢さんの動きが止まった。


「……はい?」


「依頼、終わりました!」


 私は、にっこり笑ってもう一度言った。


 ……うん。


 ちゃんと説明できた。


 ……はずなんだけど。


「……終わった、でございますか?」


「はい!」


「……先ほど受注なさった、ジャイアントサーベルタイガーの依頼を……?」


「そうです!」


 受付嬢さんが、壁の時計を見た。


 それから、私の顔を見た。


 もう一度、時計を見る。


 ……あれ?


 何だろう。


 変な時間に戻ってきちゃったかな。


「……あの、リアリス様」


「はい?」


「まだ、受注のお手続きから一時間ほどしか経っておりませんが……」


 ……あっ。


 そっか。


 そういうことか。


 私は、ようやく気づいた。


 普通は、ジズマまで行くだけでも時間がかかる。


 そこから魔獣を探して。


 戦って。


 討伐か捕獲をして。


 そのあと戻ってくるんだもんね。


 ……一時間。


 確かに、ちょっと早すぎるかも。


 ……でも。


 終わったものは、終わったんだから仕方ない。


「はい。でも、終わりましたよ」


 私は、桜花の腕の中を指さした。


「ほら、あそこに」


「……えっ?」


 受付嬢さんが、桜花の方を見た。


 桜花は、いつもの穏やかな笑顔で小さな魔獣を抱えている。


 その腕の中で、サーベルタイガーが静かに瞬きをした。


 ……おお。


 何だか、すごくお行儀がいいねぇ。


「……あの」


 受付嬢さんが、ゆっくり口を開いた。


「そちらの……猫、でございましょうか?」


 ……おっ!


 猫!


 猫って言ってくれたよ!


 ……うん。


 私の感覚、間違ってなかった!


「……えっと。そう見えますよね!」


「……はい?」


 受付嬢さんが、首を傾げた。


 桜花が小さく微笑む。


「ジャイアントサーベルタイガーでございます」


 ……。


 受付嬢さんが、止まった。


 耳も、尻尾も。


 ……ぴたり。


 これは、かなり驚いてるね。


「……ジャイアント、サーベル、タイガー……?」


「はい」


 桜花は、静かに頷いた。


「先ほどの依頼の対象でございます」


 ……うん。


 説明は間違ってない。


 ちょっとサイズが違うだけだ。


 ……だいぶ違うか。


 受付嬢さんは、もう一度小さな魔獣を見た。


 それから私の顔を見る。


 再び、魔獣を見る。


 ……ああ。


 さっきカードを見たときと、同じ動きだ。


「……えっと。その、体長は五メートルと……」


「元はそのくらいありましたね。大きいと危ないので、小さくしました!」


「……小さく……?」


「はい。ちゃんと捕獲できたので、もう町の周辺を荒らすことはありませんよ」


 私は笑顔で答えた。


 ……よし。


 これで、安心してもらえるかな?


 すると、近くで話を聞いていた冒険者が、大きな声を上げた。


「……おい、待て!」


 ……ん?


「それ、本当にSランクのジャイアントサーベルタイガーなのか!?」


「はい。そうですよ」


「……はあっ!?」


 別の冒険者が、桜花の腕の中を覗き込んだ。


「……ただの猫に見えるぞ」


「いや、牙が……!」


「……あのSランクの魔獣だって言うのか!?」


 ……うん。


 驚く気持ちは分かる。


 私だって、あの五メートルの姿から、こんなに小さくなったところを初めて見たら驚くもん。


 ……まあ。


 小さくした本人なんだけどね。


 私は、少し困ったように笑った。


「安全にはしてあるので、心配しなくて大丈夫ですよ」


 ……うん。


 それが、一番大切だ。


 ただでさえ、町の人たちはこの魔獣に困っていたんだから。


 捕まえたからといって、別の人を怖がらせてしまったら意味がない。


 ……そうだ。


 ギルドにも、ちゃんと伝えておこう。


「この子が勝手に人を襲うことはありません。私がきちんと管理してます」


「……は、はい……」


 受付嬢さんが、何度か頷いた。


 その顔には、まだ驚きが残っている。


 ……うん。


 そりゃそうだよね。


 いきなり現れて、Sランクの魔獣を抱っこしてるんだから。


 ……あれ?


 こうして考えると、私たち、かなり変なことをしてない?


 ……いやいや!


 危険を取り除いたんだから、ちゃんとしたお仕事だよ!


 私は心の中で、少しだけ自分に言い聞かせた。


 受付嬢さんは、しばらく無言で書類とカードを見比べていた。


 それから、何かを決心したように顔を上げる。


「……はい!」


 ……おっ。


「それでは、依頼完了のお手続きをいたしますね!」


 ……おお!


 笑顔に戻った!


 よかったぁ。


 ……いや。


 ちょっと待って。


 その笑顔。


 何だか、目が遠くなってない?


 もしかして。


 この人、考えるのをやめちゃった?


 ……うん。


 たぶん、そうだね。


 私は桜花の方をちらりと見た。


 桜花は、何も言わずに微笑んでいる。


 ……ああ。


 絶対、同じこと考えてるね。


 まあ。


 手続きが進むなら、それでいいか。


 ……いいのかな?


 受付嬢さんは、慣れた手つきで依頼書の内容を確認した。


 途中で何度か小さな魔獣へ視線を向けていたけど、そのたびに何も見なかったように書類へ戻る。


 ……うん。


 気持ちは分かるよ。


 分かるんだけど。


 ……ちょっと面白いね。


 やがて、受付嬢さんが丁寧に頭を下げた。


「お待たせいたしました。ジャイアントサーベルタイガーの依頼は、完了として処理いたしました」


「ありがとうございます!」


「こちらが報酬となります」


 私は報酬を受け取った。


 ……おお。


 無事に終わったね!


 これで、ジズマの人たちも安心できる。


 それに、晴斗君の相棒候補も見つかった。


 ……うん。


 一石二鳥!


 私は、もう一度小さなサーベルタイガーを見た。


 桜花の腕の中で、おとなしくしている。


 ……可愛いなぁ。


 ……あっ。


 そうだ。


 まだ、すぐに王国邸へ連れて帰るわけにはいかないんだった。


 王都で魔獣を連れ歩くなら、モフ太のときと同じように許可をもらわないとね。


 ……よし。


 その手続きも、ちゃんとしておこう。


「今日はありがとうございました!」


 私は受付嬢さんへ頭を下げた。


「こ、こちらこそ、誠にありがとうございました!」


 受付嬢さんが、深々と頭を下げ返してくれた。


 ……おや。


 さっきより、ちょっと緊張してる?


 ……うん。


 まあ、仕方ないかな。


 私たちは、冒険者たちの視線に見送られながらギルドをあとにした。


 外へ出ると、暖かな風が頬を撫でた。


 ……ふぅ。


 何だか、いろいろあったねぇ。


 といっても、まだ一時間くらいしか経ってないんだけど。


 桜花が、小さなサーベルタイガーを抱え直した。


「リアリス様。無事に依頼を終えられて、何よりでございます」


「うん! 桜花もありがとう!」


 私は、桜花の腕の中にいる小さな魔獣を見た。


 ……おお。


 こんなに可愛い顔をしてるけど、元はSランクなんだよねぇ。


 ……うん。


 安全な相棒候補を見つけられたのは、嬉しい。


 ただ。


 晴斗君に会わせる前に、まだやることがある。


 この子が町を歩いても、周りの人に迷惑がかからないようにして。


 屋敷でも安心して暮らせるようにして。


 そのうえで、晴斗君にもどうしたいか聞こう。


 ……よし。


 まだ少し時間もあるし。


 今日は、もう一仕事できそうだね。


 私は桜花と顔を見合わせ、笑った。


 ……それにしても。


 猫が好きだと聞いたから、相棒を探しに来たんだけど。


 まさか、ほんの一時間でSランクの虎を抱えて帰ることになるとはねぇ。


 ……あれ?


 これ、シルベスターさんが見たら何て言うかな。


 ……うん。


 たぶん、また「お前はイカレてる」って言われるんだろうなぁ。


 ……まあ。


 今回は、人助けもしたんだから。


 少しくらいは、褒めてくれるといいんだけどね!

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