第3話:Fランク冒険者、誕生!
晴斗君が「冒険者になりたい」と言い出してから、数日が過ぎた。
……いやぁ。
あのときは驚いたねぇ。
何しろ、ついこの間まで日本の高校生だった男の子が、この世界で冒険者になると決めたんだから。
私が転生してきたときとは、ずいぶん事情が違う。
私は最初から《想像魔法》があったし、魔力も無限。
危ない魔獣と出くわしても、何とかなる自信があった。
……うん。
自分で言っていて、何だか身も蓋もないなぁ。
でも晴斗君は、そうじゃない。
《鑑定》で見つかった成長系のスキルは、確かにすごい可能性を秘めていると思う。
けれど、それは今すぐ強くなれるという意味ではない。
剣を握ったこともない人が、明日から魔獣と戦えるようになるわけじゃないからね。
……そんなわけで。
私はちょっとだけ、心配していた。
いや、ちょっとだけだよ?
……たぶん。
◇
ここ数日、晴斗君は王都へ出かけることが増えた。
朝食を終えると、ユリとモフ太に声をかけ、楽しそうに玄関へ向かう。
行き先は、ほとんど冒険者ギルド。
最初は掲示板の依頼を眺めるだけだったらしいけど、最近では受付の人や冒険者たちに、いろいろと話を聞いているみたいだ。
……いいねぇ。
実際に仕事をしている人から聞く話は、学校の授業とは違うだろうからね。
しかも、晴斗君は帰ってくるたびに、その日に知ったことを嬉しそうに教えてくれる。
『採取依頼でも、どこに何が生えているか覚えないといけないんですね!』
『護衛の依頼って、魔獣だけじゃなくて道の状態も気にするそうです!』
『今日、薬草の見分け方を教えてもらいました!』
……うんうん。
ちゃんと、少しずつ勉強しているみたいだ。
それに、本人も楽しそうだし。
ただ、一つだけ気になることがある。
……あのさ。
王都の冒険者ギルドに、あの赤いリボンをつけた熊を連れて行ってるんだよね?
シルベスターさんたちには、もちろんモフ太のことを伝えてある。
王様からの正式な外出許可も出ている。
だから問題はないんだけど。
……毎日、Sランクの魔獣を抱えてギルドに通う新人候補って、なかなかすごい光景じゃない?
まあ、本人はあまり気にしていないみたいだし。
ユリが一緒だから、変な騒ぎになることもないと思う。
……。
…………。
うん。
私が考え始めると、どうも心配事ばかり増えてしまうね。
晴斗君は、ちゃんと自分で考えて行動している。
そこは、信じてあげよう。
私は居間のソファに腰を下ろし、桜花が淹れてくれた紅茶を飲んだ。
「……ああ。おいしい」
「ありがとうございます、リアリス様」
隣の桜花が、いつものように微笑んだ。
……うん。
こうして紅茶を飲んでいる時間は、本当に幸せだねぇ。
窓の向こうでは、庭の花が風に揺れている。
カトレアは学校へ行っているし、巴さんたちはそれぞれの仕事をしている。
今日はサロンの予約も、午後に急遽入った一件だけ。
……おお。
なかなか、のんびりできそうじゃない!
そう思って、二口目の紅茶を飲もうとしたときだった。
「ただいま戻りましたー!」
玄関の方から、聞き慣れた声が響いた。
……おっ。
晴斗君だ。
「晴斗君、おかえりー!」
私は居間から声をかけた。
ぱたぱたと、軽い足音が近づいてくる。
……あれ?
何だか、いつもより足音が速くない?
「リアリスさん!」
居間へ飛び込んできた晴斗君は、満面の笑みを浮かべていた。
後ろにはユリ。
その足元には、赤いリボンの小さな熊。
……うん。
いつもの三人組だ。
でも、今日の晴斗君は明らかに違う。
目がきらきらしている。
今にも何かを言い出しそうだ。
「どうしたの? 何かいいことあった?」
「はい! 見てください、リアリスさん!」
晴斗君が胸元から取り出したのは、一枚のカードだった。
……ん?
その形。
見覚えがあるぞ。
私は思わず身を乗り出した。
「……おおっ!」
晴斗君が、誇らしそうにカードを差し出す。
そこには、はっきりと名前とランクが書かれていた。
春原晴斗。
冒険者ランク、F。
……!
「おぉー! ついに晴斗君も冒険者になったんだね!」
「はい!」
返事と一緒に、晴斗君の笑顔がさらに大きくなった。
……ああ。
よかったねぇ!
あのとき、居間で真剣に「冒険者になりたい」と話していた姿を思い出す。
まずは自分で調べてみる。
仕事の内容を知ってから決める。
そう言って、何日もギルドへ通っていた。
……うん。
ちゃんと、その一歩を踏み出したんだ。
「おめでとう、晴斗君!」
「ありがとうございます!」
「晴斗様、おめでとうございます」
桜花も微笑み、晴斗君にお祝いの言葉をかける。
ユリも嬉しそうに頷いた。
「晴斗様は、受付の方からのご説明も熱心にお聞きになっておりました」
「あっ、ユリさん!」
……おや。
晴斗君、ちょっと照れてる?
「へぇー。ちゃんと説明を聞いてきたんだ」
「はい。受けられる依頼のこととか、気をつけることとか……。分からないところは何度か質問しちゃいましたけど」
「いいじゃない! 分からないままにしない方がいいよ」
「そうですよね!」
嬉しそうに答える晴斗君。
……ああ。
こういうところ、本当にしっかりしてるなぁ。
年齢はまだ十七歳なのに。
……いや。
私は転生前、四十三歳だったからね。
そう考えると、晴斗君くらいの年頃の子が頑張っている姿は、何だか応援したくなっちゃう。
「リアリス様」
桜花が小さく声をかけてきた。
「うん?」
「お顔が、ずいぶん嬉しそうでございますね」
「……えっ?」
……あっ。
顔に出てた?
「そりゃあ嬉しいよ。晴斗君が頑張ってたの、桜花も知ってるでしょう?」
「はい。よく存じております」
桜花が、少しだけ目を細めた。
……うん。
やっぱり、こういう報告は嬉しいね。
世界を救ったとか、SSランクになったとか。
そういう大きな話もあったけど。
目の前の誰かが、自分で決めたことを実現する。
私は、こういうことも同じくらい嬉しい。
◇
「それにしても、Fランクかぁ……」
「......いいなぁ」
私は晴斗君のカードを見ながら、少し懐かしい気分になっていた。
冒険者登録。
……うん。
私も、最初はFランクだったんだよね。
依頼を受けて、森へ行って、薬草を採って。
あの頃は、この世界のことなんてほとんど知らなかった。
……もっとも。
私の場合は、最初から大抵のことを魔法で解決できちゃったんだけど。
……そこは、参考にならないね。
「晴斗君、最初はどんな依頼を受けるつもりなの?」
「まずは薬草採取を考えています。ギルドで初心者向けだって聞いたので」
「おっ。いいね!」
……薬草採取。
新人冒険者らしい、堅実な選択だ。
もちろん、ちゃんと見分ける知識は必要だけど。
……ただね。
「でも、気をつけてほしいこともあるんだ」
「はい?」
「Fランクの依頼でも、王都の外での仕事は結構危ないからね」
私は、なるべく穏やかに言った。
薬草を採るだけ。
言葉にすると、何だか平和な仕事に聞こえる。
でも、薬草が生えている場所が、必ず安全とは限らない。
魔獣は、こっちの都合なんて考えてくれないからね。
採取に夢中になっていたら、いつの間にか近づいていた。
……そんなことだって、十分あり得る。
「魔獣に出会ったら、無理に戦わずに逃げること。危ない場所に入らないこと。最初は特にね」
「はい。そこはギルドでも教えてもらいました」
「うん。なら安心かな」
……よし。
ちゃんと聞いているなら、そこまで心配する必要はないか。
晴斗君は、私の話に真剣な顔で頷いていた。
それから。
……おや?
何だか、急に目が輝き始めた。
……あっ。
この顔。
さっきカードを見せてくれたときと、同じ顔だ。
「リアリスさん!」
「はい!」
「そこなんです!」
「……そこ?」
何がそこなんだろう。
私が首を傾げると、晴斗君は勢いよく頭を下げた。
「僕に、戦い方を教えてください!」
「……えっ?」
……戦い方?
……おお。
そうきたか。
私は、思わず目を丸くしてしまった。
「晴斗君、戦い方って……剣とか?」
「はい!」
「剣道とか、武術とか。日本で何か習ってたことはある?」
「ありません!」
……即答だ。
「体を動かすのは得意な方ですけど、剣道も武術もやったことないです。喧嘩だってしたことありません!」
「……そっかぁ」
私は、苦笑いした。
……うん。
まあ、日本の高校生だもんね。
剣を振り回す機会なんて、普通はない。
それに、喧嘩をしたことがないのは、別に悪いことじゃないよ?
むしろ、平和に暮らしてきた証拠だと思う。
……ただ。
冒険者として魔獣と向き合うなら、何もできないままでは困る。
武器を持つ方法。
相手との距離。
足の運び方。
危ないときに、どう身を守るか。
そういうことは、少しずつ覚えた方がいいだろうね。
……よし。
私にできることがあるなら、協力してあげたい。
……協力。
……。
…………。
あれ?
私が、直接教えるの?
……ちょっと待って。
私は自分の手を見た。
……うん。
普通の手だね。
外見だけなら、そこら辺にいる青年と大して変わらない。
……でも。
この手で、全力の一撃なんて放ったら。
……ああ。
それは、ちょっと。
……いや、かなり。
まずい。
「……リアリスさん?」
晴斗君が、不思議そうに私を見た。
「あっ、ごめんね。ちょっと考えてた」
「僕、何か変なこと言いましたか?」
「全然! 戦い方を覚えたいっていうのは、いいことだと思うよ!」
「よかったです!」
ぱっと表情が明るくなる。
……ううっ。
そんな期待した目で見ないで。
もちろん、助けたいんだけど!
でも、私の身体能力って、今さらながら本当に普通じゃないからね。
剣の稽古だって、自分で何度も練習して身につけたものだ。
何でも魔法一つで覚えられるわけじゃない。
ましてや、相手の身体の動きを見ながら、力を調節して教えるとなると……。
……うーん。
私、そこまで器用じゃないんだよね。
「一応、晴斗君には成長系のスキルもあるし、もし怪我をしたら私が《完全回復》で治せるとは思うんだけど……」
私は、そこで言葉を切った。
……うん。
治せるからって、怪我をさせていいわけじゃない。
まして、私の手加減が甘くて大怪我なんて、笑い話にもならないし。
……あっ。
そうだ。
いい人がいるじゃないか!
私は晴斗君の足元を見た。
赤いリボンをつけた小さな熊が、きちんと座っている。
「モフ太ー」
「はい、ご主人様」
「楓を呼んできてもらえるかな?」
「かしこまりました!」
モフ太は丁寧に頭を下げると、小さな身体でひょこひょこ歩き始めた。
廊下の角を曲がるときには、赤いリボンがぴょこんと揺れる。
……ああ。
可愛いなぁ。
……って。
いや、今はそこじゃないね。
「……楓さんですか?」
晴斗君が、少し首を傾げた。
「うん。楓にお願いしようと思って」
「リアリスさんが教えてくださるんじゃないんですね?」
……うっ。
そう言われると、ちょっと心苦しい。
「私が直接やってもいいんだけどねぇ……」
私は、そっと視線を逸らした。
「……その。最初からだと、ちょっと危ないかなって」
「危ない?」
「うん。私、手加減がちょっと苦手なんだよね」
……いやぁ。
自分で言っておいて、何だか情けない。
あれだけ強くなったのに、初心者に安全に剣を教えることが難しいなんて。
……でも。
大事なのは、相手を怪我させないことだからね。
晴斗君は、少し考えるように顎へ手を当てた。
「……なるほど。ちなみに、加減ができなかったらどうなっちゃいますか?」
「……えっ?」
……加減が、できなかったら?
私は想像してみた。
晴斗君が木剣を構える。
私も木剣を構える。
晴斗君の動きに合わせて、一歩踏み込む。
……。
…………。
あれ?
私が普段どおりに一歩踏み込んだら、その時点で……。
……うん。
駄目だ。
私は、遠い目になった。
「……今の晴斗君だと、死んじゃうかなぁ……」
「…………」
晴斗君が、固まった。
……。
…………。
あっ。
今の、ちょっと言い方が悪かった?
「いや、もちろん、そうならないようにするよ!? するけど……!」
「……そ、そうですよね」
晴斗君が、ゆっくり頷いた。
……何だろう。
さっきまであんなにきらきらしていた目が、急に慎重になっている。
……うん。
それでいいと思う。
冒険者には、慎重さも必要だからね。
……って、私が言うことじゃないかもしれないけど。
「ですから、まずは楓にお願いしようかなって」
「……はい。そちらでお願いします」
……即答!
うん。
そりゃそうだよね。
私でも、そうすると思う。
◇
少しすると、廊下の向こうから小さな足音が聞こえた。
ひょこ。
最初に現れたのはモフ太。
その後ろを、橙色の短い髪をした少女が歩いてくる。
楓だ。
外見はまだ幼い少女に見えるけど、我が家のフラワーズの一人。
……そして。
剣の腕は、そんじょそこらの冒険者とは比べものにならない。
……うん。
何だか、ちょうどいい先生が見つかったね!
「……呼んだ?」
楓が、いつもの無表情で私を見た。
「あっ、楓! 来てくれてありがとう」
小さく、こくり。
……うん。
今日もいつもの楓だ。
「ちょっとお願いしたいことがあるんだけど、いいかな?」
こくり。
……おお。
まだ内容を言ってないんだけど。
……まあ、楓らしいかな。
私は晴斗君へ視線を向けた。
「実はね、晴斗君が冒険者登録をしたんだ」
「……ん」
楓は、晴斗君を見る。
視線が、彼の手にあるFランクのカードへ向いた。
それから、また私の方へ。
「だから、少し戦闘訓練をつけてあげてほしいんだ。楓なら、初心者の相手も上手にできると思うから」
「……」
楓は少しだけ首を傾けた。
そして、晴斗君を見た。
「……大丈夫?」
「はい! お願いします!」
晴斗君が、勢いよく頭を下げた。
……おお。
気合いは十分だねぇ。
楓はしばらく晴斗君を見つめてから、こくりと頷いた。
……よし。
引き受けてくれたみたいだ。
「ありがとう、楓。ただね、一つ気をつけてほしいことがあるんだ」
私は、少しだけ声を落とした。
「晴斗君は、本当に戦ったことがないんだって。だから最初のうちは、昔の小さかった頃のカトレアを相手にするくらい、優しく教えてあげてほしいんだ」
……うん。
いくら楓が相手でも、ここはちゃんと伝えておかないと。
楓は、しばらく私を見上げていた。
「……わかった」
短い返事。
それから、静かに頷く。
……ああ。
この返事なら、安心だね。
私は楓の頭へ、そっと手を伸ばした。
橙色の短い髪を、軽く撫でる。
「よろしくね」
「……ん」
楓が、ほんの少しだけ目を細めた。
……うん。
やっぱり可愛い。
あまり表情は変わらないけど、こういう小さな反応があるんだよね。
「楓さん、お手柔らかにお願いします!」
晴斗君が、もう一度丁寧に頭を下げた。
楓は彼を見上げる。
「……ん」
……うん。
必要なことだけ話す。
まさに楓だねぇ。
「それじゃ、まずは庭でやってみようか」
「はい! 早速お願いします!」
楓は頷くと、居間の出口へ向かった。
晴斗君も、そのあとを追う。
……おっ。
何だか、すごく楽しそうだ。
剣の稽古って、そんなにわくわくするものだったっけ。
……ああ。
でも、そうか。
日本から突然転移してきた高校生なんだもんね。
本当に冒険者になって、これから初めて剣を習う。
そりゃあ、嬉しいだろうな。
私は二人の背中を見送った。
……。
…………。
「……大丈夫かなぁ」
つい、口から漏れた。
「リアリス様」
「うん?」
隣にいた桜花が、穏やかに微笑んでいる。
「楓であれば、問題ないかと存じます」
「……あっ。そうだよね」
……うん。
楓は強い。
それだけじゃなくて、相手の動きをよく見ている。
カトレアが小さかった頃にも、家族みんなで加減をしながら遊んでくれていたし。
……もちろん、今回は本格的な訓練だから、同じというわけにはいかないけど。
「私が相手するより、はるかに安全だよね」
「はい」
桜花が頷いた。
……よし。
それなら、安心して任せよう。
任せるって決めたんだから、私が口を出しすぎるのもよくない。
晴斗君だって、せっかく自分でやる気になったんだしね。
私は、ようやく冷めかけていた紅茶に手を伸ばした。
……ああ。
落ち着くなぁ。
窓の外では、明るい日差しが庭を照らしている。
……うん。
そうだ。
晴斗君の初めての稽古。
きっと、いい経験になると思う。
……。
…………。
……でも。
お願いだから、無理だけはしないでね?
◇
午後は、予定どおりサロンのお仕事をした。
予約のお客さんへ《エステ》をして、鏡を見てもらって。
喜んでもらえると、やっぱり私も嬉しい。
……うん。
こういう日常は、いつまでも続けたいねぇ。
お仕事が終わったあと、私は庭の方をちらりと眺めた。
……おっ。
やってるねぇ。
少し離れた場所に、晴斗君と楓の姿が見えた。
晴斗君は木剣を握り、真剣な顔で楓と向かい合っている。
楓は、いつもどおり落ち着いた様子。
……というか。
ほとんど動いてないように見えるんだけど。
晴斗君が踏み込む。
次の瞬間、楓がほんの少し身体をずらした。
……あっ。
空振り。
晴斗君がもう一度構える。
……おお。
今度は少し慎重だ。
また踏み込む。
……そして。
また、空振り。
……。
…………。
うん。
楓、すごいねぇ。
私から見れば、楓はほとんど何もしていない。
けれど、晴斗君の剣はまったく届いていない。
避ける位置も、間合いも。
全部、必要なだけ。
……ああ。
こうして見ると、やっぱり楓は剣の扱いが上手だなぁ。
そして何より、無理な反撃をしていない。
……うん。
ちゃんと、お願いしたとおり加減してくれている。
それにしても。
晴斗君、なかなか諦めないね。
何度も構え直している。
……いいじゃない。
初日からうまくいくなんて、誰も思ってないからね。
……まあ。
楓は少しも疲れてなさそうだけど。
そりゃそうだよねぇ。
相手が悪いんだよ。
……あっ。
お願いしたの、私だった。
……うん。
そこは考えないことにしよう。
「リアリス様?」
後ろから、桜花の声がした。
「……うん?」
「何をご覧になっていらっしゃるのですか?」
「晴斗君と楓だよ。すごく頑張ってるなぁって」
桜花も窓の外へ目を向けた。
「……ふふっ。楓も、丁寧に相手をしているようでございますね」
「うん。安心したよ」
私たちは、少しだけその様子を眺めていた。
晴斗君が踏み込む。
楓が、すっと横へ移る。
また、空振り。
……。
…………。
……あのさ。
もし私が晴斗君の立場だったら、ちょっと心が折れそうかもしれない。
でも。
晴斗君は、また木剣を構えた。
……ああ。
いいねぇ。
その気持ち、大切にしてほしいな。
◇
やがて、夕食の時間が近づいてきた。
私は居間で、ようやくいつもの席に腰を下ろしていた。
今日は、思っていたより充実した一日だったなぁ。
晴斗君が冒険者になって。
楓に訓練をお願いして。
私はサロンの仕事をして。
……うん。
大きな事件も起きていないし。
平和だねぇ。
「……ただいま、戻りました……」
……おっ?
廊下から声が聞こえた。
晴斗君だ。
……あれ?
何だか、朝とずいぶん元気が違うような。
私は立ち上がり、居間の入口へ目を向けた。
すると。
「……おお」
思わず声が漏れた。
そこに立っていたのは、晴斗君と楓だった。
楓は、いつもどおり。
橙色の短い髪も、服も、落ち着いた表情も変わらない。
……うん。
本当に、いつもの楓だ。
対して。
晴斗君は……。
……いやぁ。
すごいことになってるねぇ。
髪は汗で少し乱れている。
服には土がついている。
肩が大きく上下していて、立っているだけでも大変そうだ。
……あっ。
もちろん、大きな怪我をしているわけじゃないよ。
でも、全身で「疲れました」って言ってる。
「晴斗君、おかえり! 初めての戦闘訓練はどうだった?」
私が声をかけると、晴斗君は少し苦笑した。
「……あはは。触れることも、できませんでした……」
「……おお」
……やっぱり。
窓から見たときも、全然当たってなかったからねぇ。
晴斗君は、持っていた木剣を見つめた。
「楓さん、すごいですね……。僕が動く前から、どっちへ来るか分かってるみたいでした」
……なるほど。
晴斗君には、そう見えたんだ。
……うん。
まあ、楓なら実際にかなり読んでいたと思うけど。
「僕、何度もやってみたんですけど……全然駄目で……」
「うんうん」
「最後の方なんて、足が動かなくなってきちゃって……」
……ああ。
そっか。
慣れてない動きを何度もやっていたら、そりゃあ疲れるよね。
私は、にっこり笑った。
「初めてなんて、そんなもんだよ。楓はこれでもかなり強いからね」
「……そうなんですか?」
「うん。たぶん、晴斗君が思ってるより、ずっと」
……いや。
かなり、どころじゃないか。
Sランクの魔獣だって倒せる実力だからね。
でも、今それを説明しても、晴斗君にはよく分からないかもしれない。
……何しろ。
見た目は、十三歳くらいの小さな女の子なんだから。
晴斗君は、楓の方を見た。
「楓さん。本当に、ありがとうございました」
楓は小さく頷いた。
「……ん」
……うん。
今日も口数が少ないねぇ。
「僕、もっと練習します」
晴斗君が、もう一度しっかり頭を下げる。
「……精進します」
……おっ。
いいね!
あれだけ疲れているのに、もう次のことを考えてる。
桜花も、隣で静かに微笑んでいた。
「晴斗様、初めてのお稽古、お疲れさまでございました」
「ありがとうございます、桜花さん」
「無理のないよう、少しずつ続けてまいりましょう」
「……はい!」
……ああ。
いい感じだねぇ。
私は、晴斗君に向かって頷いた。
「急がなくていいからね。剣の練習も、冒険者の仕事も。一つずつ覚えていけばいいよ」
「はい。ありがとうございます!」
……うん。
やっぱり、前向きだ。
あのとき日本から来たばかりで、何も分からず不安そうにしていた男の子が。
今では、自分の冒険者カードを持って、こうして新しいことに挑戦している。
……ああ。
何だか、感慨深いなぁ。
……。
…………。
……って。
私、ちょっとお父さんみたいな気分になってない?
いやいや。
私にはカトレアという、大切な娘がいるんだけど。
……うん。
それとはまた違う感じかな。
頑張っている若い子を見ると、つい応援したくなる。
……まあ。
転生前の年齢で考えたら、そんなにおかしなことじゃないよね。
私は、晴斗君と楓を見た。
楓はいつもどおり、私のそばで静かに立っている。
晴斗君は、まだ少し息を整えていた。
……おっ。
そうだ。
「晴斗君、まずは座って休んだ方がいいよ。お水も飲もうか」
「……はい。助かります」
「楓も、ありがとうね」
こくり。
楓は小さく頷いて、私の袖をちょんとつまんだ。
……おや。
これは。
私は、楓の頭をもう一度撫でた。
「お疲れさま。上手に教えてくれてありがとう」
「……ん」
……うん。
よしよし。
今日も頼りになる家族だねぇ。
そのときだった。
「みんなー! ご飯ですよー!」
食堂の方から、巴さんの明るい声が聞こえてきた。
……おっ!
夕食だ!
何だか、急にお腹がすいてきちゃった。
……いや。
私は、さっきまで紅茶を飲んでただけなんだけど。
晴斗君に比べたら、全然運動してないよね。
……まあ、いいか。
「ご飯の時間だね。みんな、行こうか!」
「はい!」
晴斗君の返事に、少しだけ元気が戻っていた。
……ああ。
やっぱり、おいしいご飯は大事だ。
私は桜花と楓に声をかけ、食堂へ向かった。
その後ろを、晴斗君とユリがゆっくりついてくる。
……うん。
新しい冒険者の誕生。
そして、初めての剣の稽古。
本人にとっては、きっと忘れられない一日になっただろう。
……ただね。
晴斗君。
明日の朝、ちゃんと起きられるかなぁ。
……筋肉痛とか、大丈夫?
私は振り返り、まだ少しぎこちない足取りの晴斗君を見た。
……。
…………。
……あっ。
これ、明日はちょっと大変かもしれないね。
まあ、そのときはそのときだ。
何かあったら、私たちが手を貸せばいい。
……うん。
晴斗君の冒険者生活は、まだ始まったばかりなんだから。




