第2話:転移者の可能性
居間には、まだ笑い声が残っていた。
自分のことを『規格外』と言われても、リアリスさんは笑って認めてしまう。
……やっぱり、この人はすごい。
「あはは! ご自分で認めちゃうんですね!」
「いやぁ、シルベスターさんにそう言われるとねぇ。反論する材料が見つからないんだよ」
「ふふっ。リアリス様でしたら、そうおっしゃると思っておりました」
桜花さんも、隣で楽しそうに笑っている。
……うん。
何だか、いつもの居間だ。
世界を救った英雄と、その英雄よりずっと落ち着いている銀髪の女性。
そんな二人を前にしても、今では普通に笑っていられる。
三か月前の僕が見たら、きっと驚くだろうな。
……そうだ。
シルベスターさんの話で、まだ伝えていないことがあった。
「あの、リアリスさん。そういえば、もう一つ聞いたことがあるんです」
「うん? 何かな?」
「シルベスターさんが言ってたんですけど、Sランク冒険者の中に、僕と同じ自然発生転移者がいるみたいなんですよ」
「……えっ?」
リアリスさんの手が止まった。
ちょうど紅茶のカップを持ち上げようとしていたところだったらしい。
「そうなの!?」
「はい。シルベスターさんが一人知っているそうです」
「へぇー! それは初耳だね!」
……おお。
本当に知らなかったんだ。
リアリスさんなら、この世界のすごい人は全員知っているような気がしていた。
でも、そうだよね。
いくら何でも、世界中の人と知り合いなわけじゃない。
桜花さんが、何かを思い出したように口を開いた。
「そういえば、シルベスター様のお話では、Sランク冒険者は世界に三人いらっしゃるのでございましたね」
「うん。そう聞いてるよ。でも私は、その三人にはまだ会ったことがないんだよね。名前も知らないし」
「そうなんですか……」
やっぱり、あの人のことはリアリスさんも知らないらしい。
……ちょっと残念。
もし知り合いだったら、紹介してもらえるかもしれないと思ったんだけど。
「世界は広いからねぇ。それで、そのSランク冒険者がどうしたの?」
「あっ、はい!」
僕は膝の上に置いていた手を握った。
さっき、冒険者ギルドで話を聞いてから、ずっと考えていたこと。
それを、ちゃんと言葉にしてみたかった。
「僕と同じように、突然この世界へ来た人なんですよね?」
「うん。シルベスターさんの話がそうならね」
「なのに、Sランク冒険者になったんですよね」
「そうみたいだね」
「……だったら」
僕は一度、息を吸った。
「僕も、冒険者になれるかもしれないって思ったんです」
口にすると、ちょっと照れくさかった。
でも。
……これは、本当の気持ちだ。
転移してきたばかりの頃、僕には何もなかった。
言葉も通じない。
魔法も使えない。
剣なんて、まともに握ったこともない。
学校で習っていたことも、この世界ではどれだけ役に立つのか分からなかった。
……それでも。
僕と同じ境遇の人が、世界でも三人しかいないSランク冒険者になった。
その事実だけで、何だか胸の奥が熱くなる。
リアリスさんは、しばらく考え込んでいた。
「……そうだね」
さっきまでの笑顔が、少し真剣なものになる。
「私も、そこまでは深く考えてなかったよ。晴斗君が何も持たずにこの世界へ来たって聞いて、それならまずは安心して暮らせるようにって思ってたから」
「はい。僕も、それがすごくありがたかったです」
「うん。でも、そうかぁ。自然発生転移者がSランクになれるなら、もしかすると……」
リアリスさんは自分の顎に手を当て、何かを考え始めた。
……あれ?
何だろう。
さっきまで僕の話を聞いていたのに、今は頭の中で何かを組み立てているみたいだ。
桜花さんも、静かにその様子を見守っている。
……こういうときのリアリスさん。
何だか、ちょっと怖いんだよね。
もちろん、顔が怖いって意味じゃない。
何かとんでもないことを思いつきそうで。
「……あっ!」
「は、はい!」
思わず背筋が伸びた。
「晴斗君、ちょっと鑑定魔法を使ってみてもいいかな?」
「……鑑定?」
……。
…………。
……鑑定!?
「鑑定ましょう!」
「……えっ?」
「あっ、違います! お願いします!」
……また噛んだ!
今日だけで何回噛むつもりなんだ、僕は!
リアリスさんが、きょとんとしたあと笑い出した。
「あはは! ずいぶん乗り気だね!」
「だ、だって、鑑定ですよ!? 異世界ものの定番のやつじゃないですか!」
……そう。
鑑定。
異世界ものの主人公が、最初に自分の能力を確認するために使う、あの魔法だ。
僕も日本にいた頃は、そういう小説やアニメを何度も見ていた。
でも、実際に異世界へ来てみたら、そんな便利な画面は一度も現れなかった。
……まあ、そんなものだよね。
そう思って、半分諦めていたんだけど。
まさか、今になってその名前を聞くなんて!
「よーし。じゃあ、見てみようか」
「お願いします!」
「《鑑定》」
リアリスさんが、僕に向かって短く言った。
……それだけ。
手を振るわけでもない。
長い呪文を唱えるわけでもない。
本当に、いつもの調子だった。
……あれ?
何も起きてない?
僕が首を傾げた、そのとき。
「……おや?」
リアリスさんが、少し驚いたような顔をした。
「どうですか!?」
僕は思わず身を乗り出した。
「あっ、ごめん。晴斗君にも見えるようにするね」
「……え?」
次の瞬間。
僕の前に、半透明の画面が現れた。
……っ!
本当に、出た。
ゲームのステータス画面みたいな、文字の並んだ表示。
僕は思わず、息を止めた。
◇
名前:春原晴斗
年齢:17歳
種別:自然発生転移者
所持スキル:成長限界突破/成長率向上/《言語理解》
◇
「……えっ?」
僕は、画面を見たまま固まった。
名前。
年齢。
自然発生転移者。
……うん。
そこまでは分かる。
でも、その下。
「……スキル?」
もう一度、目をこすってみた。
……消えない。
書いてある。
確かに、そこに。
「……僕にも、スキルがあったんですね……」
自分で言った言葉なのに、まだ信じられなかった。
だって。
僕は何の特別な力も持たずに、この世界へ来たはずだった。
それは、リアリスさんからも聞いている。
神様が確認してくれたけど、勇者みたいな加護はないって。
……それが。
成長限界突破。
成長率向上。
何だか、ものすごく強そうな名前じゃないか。
「あっ、《言語理解》もありますね!」
「うん。それは私が晴斗君に使った魔法だね。今こうして話せているのも、そのおかげ」
「……そうですよね」
あの日のことが、ふっと頭をよぎった。
知らない町で、何を言っても誰にも通じなかった。
リアリスさんが日本語で声をかけてくれたとき、どれほど安心しただろう。
それから、この屋敷で《言語理解》を使ってもらった。
……ああ。
そうだった。
あのときの僕は、特別な力なんて欲しいとも思えなかった。
ただ、誰かと話せることが嬉しかった。
「でも、この二つは……」
僕は画面の上の方を指さした。
「成長限界突破と、成長率向上。これって、リアリスさんが何かしてくださったんですか?」
「ううん。私は何もしてないよ」
「……えっ?」
「だから、私もちょっと驚いてる。神様からは、特別なスキルはないって聞いてたんだけどねぇ」
リアリスさんは、画面を眺めながら首を傾げた。
「それに、もし最初から持っていたなら、あのとき神様が見落としたってことになるし……」
……あっ。
それは、ありそう……。
……いや。
神様なんだから、そんなことは……。
……うーん。
まだ神様と直接会ったことがないから、何とも言えない。
「うん。直接、あのポンコ……神様に聞いてみよう!」
「……今、ポンコツって言おうとしました?」
「……えっ?」
リアリスさんが、何とも言えない顔をした。
「……あはは。何のことかなぁ?」
……絶対、言おうとした。
桜花さんが、口元に手を当てて小さく笑っている。
「……ふふっ」
……あれ?
もしかして、桜花さんもそう思ってる?
ちょっと待って。
神様って、そんな感じの人なの!?
◇
「《映像通話》」
リアリスさんが、いつもと変わらない声で魔法の名前を口にした。
すると、空中に小さな画面が現れた。
……おお。
これも何度か見たことはあるけど、やっぱり便利だなぁ。
家族や各国の人たちと連絡を取るときにも使われている魔法だ。
……でも、今日は相手が違う。
神様。
……神様に、電話するの?
そんなこと、できるんだっけ?
……いや。
今までもリアリスさんはいろいろ普通じゃないことをしていた。
でも、いくら何でも……。
画面が切り替わった。
そこに映ったのは、年配の男の人だった。
……えっ?
あれが、神様?
長い髪に、ちょっと丸い身体。
神殿にあるような、厳かな像を想像していたものだから、正直ちょっと驚いた。
『おー、リアリス。その後どうじゃ?』
……。
…………。
……普通に話してる。
リアリスさんも、特にかしこまることなく答えた。
「こんにちは、神様。転移者の晴斗君は、ちゃんと私が保護しましたよ」
『それは何よりじゃ。元気にしておるかの?』
「はい。今、すぐそばにいます」
『おお、そうかそうか』
……ええっ。
何、この会話。
神様に連絡したっていうのに、近所の知り合いに電話したみたいになってる。
僕は隣のユリさんを見た。
ユリさんは、落ち着いた様子で会話を聞いている。
……うん。
どうやら、驚いているのは僕だけらしい。
リアリスさんが続けた。
「それで神様、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
『なんじゃ?』
「晴斗君には、特別なスキルはないって言ってましたよね?」
『そうじゃな』
「さっき《鑑定》で確認したら、スキルが付いてたんです」
『おー、そうか。それはよかったのぅ』
「……えっ?」
……あれ?
そこで喜ぶんだ。
リアリスさんも、少し困ったような顔をしている。
「成長限界突破と、成長率向上ってスキルなんですけど」
『おー。それはよかったのぅ』
「……いや、よかったのぅじゃなくて!」
……おお。
リアリスさんが、神様に突っ込んだ。
いいの!?
そんな話し方していいの!?
僕が目を白黒させている間にも、二人の会話は続いていた。
「そもそも、どうして急にスキルが増えたんですか?」
『しらんよ?』
……。
…………。
……知らないの!?
僕は、画面を二度見した。
……いや。
神様だよね?
この世界を作った、偉い神様なんだよね?
「……しらんよって。神様が知らないんですか?」
『自然発生転移者というものは、何かと分かっておらんからのぅ。わしが呼んだわけでもないし』
「……そうですか」
『まあ、そのスキルがあれば、ステラでも十分暮らしていけるじゃろう。いろいろ教えてやればよいのじゃ』
……それは、ありがたい話なんだけど。
何だか、想像していた神様とずいぶん違う。
もっとこう……。
何でも知っていて、ずっしり構えていて、神々しい光に包まれているような。
……いや、今の人も神様なんだろうけど。
リアリスさんが、少し考えたあと口を開いた。
「そうだ。今、近くにエレサリアさんっていらっしゃいますか?」
『おぉ、隣におるぞい。エレサリアー、リアリスじゃぞー』
……エレサリア?
誰だろう。
しばらくして、画面の向こうに別の人が現れた。
長い金色の髪をした、優しそうな女性だった。
『こんにちは~、リアリスちゃん』
「こんにちは、エレサリアさん!」
……おお。
さっきの神様とは、またずいぶん雰囲気が違う。
話し方も、笑顔も、普通に優しいお姉さんみたいだ。
……いや。
この人も、もしかして神様なのかな?
「エレサリアさん、ちょっと聞いてもいいですか?」
『もちろんよ。さっきのスキルの話でしょう?』
「そうです! 晴斗君が《鑑定》で見たら、成長系のスキルを持ってたんです」
『ああ、なるほどね』
「こういうのって、勇者みたいに最初から与えられるものじゃないんですか?」
エレサリアさんは、少し考えてから答えた。
『詳しい仕組みまでは分かっていないのだけれど、自然発生転移者は召喚された勇者よりも、後からスキルを取得しやすいっていう話は聞いたことがあるわね』
「後から、ですか?」
『ええ。そういう例があるの。本人が知らない間に、スキルが自然発生することもあるみたいよ』
……。
…………。
僕は、思わず画面を見つめた。
後から。
自然に。
……じゃあ。
僕が最初に何も持っていなかったことと、今スキルがあることは、矛盾しないんだ。
「なるほど……。じゃあ、神様が後から付けてくださったわけじゃないんですね」
『そうよ。少なくとも、今のお話は私たちが意図して与えたものではないわ。ただ、どうしてそうなるのかは、まだはっきり分かっていないの』
「ありがとうございます。やっぱり、エレサリアさんの方が頼りになりますね!」
『ふふっ。お役に立てたなら嬉しいわ』
『……リアリスよ。わしも、ちゃんと答えたじゃろう?』
画面の端から、さっきの神様の声が聞こえた。
「はい! 『知らない』って教えてくれましたね!」
『……うむぅ』
……。
…………。
……ええっと。
今、神様がちょっとしょんぼりした?
気のせいかな。
桜花さんが、さっきより少しだけ大きく微笑んでいる。
……ああ。
完全にいつもの空気なんだ。
リアリスさんって、本当に神様ともこんな感じで話すんだなぁ。
「エレサリアさん、ありがとうございました!」
『こちらこそ。晴斗君にも、よろしく伝えてね』
「はい!」
リアリスさんが頭を下げると、通話が終わった。
空中の画面が、ふっと消える。
……。
…………。
……終わった。
本当に、普通の通話みたいに終わった。
◇
「……あの」
僕は、何から聞けばいいか分からず、少し間を置いた。
「今の……神様、ですよね?」
「うん。オリミスっていう神様と、その奥さんのエレサリアさんだよ」
「……奥さん!?」
……そこも驚くところなんだけど!
でも、それ以上に。
「リアリスさん、ものすごく普通に話してましたけど……」
「あはは。いろいろやらかすけど、話しやすい神様だよ」
……やらかす。
神様が。
……うん。
詳しくは聞かない方がいい気がしてきた。
リアリスさんは、楽しそうに笑ったあと、少し真面目な顔に戻った。
「それで晴斗君、今の話は聞こえてた?」
「はい。自然発生転移者は、あとからスキルが増える場合もあるんですよね」
「うん。仕組みまでは分からないみたいだけどね」
「僕のスキルも……そういうことなんでしょうか」
「たぶんね。私が付けたのは《言語理解》だけだし、神様も知らなかったわけだから」
……そうか。
僕は、もう一度《鑑定》の結果を見た。
画面の文字は、まだ目の前に浮かんでいる。
成長限界突破。
成長率向上。
僕が、この世界へ来てから得た力。
……もちろん。
それがあるからといって、いきなり剣が上手くなるわけじゃない。
魔法の使い方だって知らないし、魔獣と戦えるわけでもない。
そもそも僕は、学校の体育だって普通の成績だった。
……でも。
できることが、最初から決まっているわけじゃないんだ。
そう思っただけで、胸の奥が少し明るくなった。
「それにしても、Sランクの自然発生転移者かぁ」
リアリスさんが、腕を組んだ。
「一度、本人に話を聞いてみたいね。どうやって強くなったのかとか、スキルのこととか」
「そうですね!」
「まあ、名前も居場所も分からないんじゃ、今すぐは難しいかな」
「……はい」
……残念だけど、そうだよね。
向こうにも生活があるはずだし、僕たちが勝手に探し回るわけにもいかない。
……あれ。
そういえば、Sランクって。
「リアリスさん、学校の授業では、Sランクが冒険者の最高ランクだって聞きました」
「うん。普通はそうだね」
「……普通は?」
リアリスさんは、ちょっと遠い目をした。
「……私だけ、SSランクになっちゃったからね」
「……あっ」
……そうだった。
この前、聞いたんだった。
この世界には本来なかったランクが、リアリスさんのために新しく作られたって。
……うん。
そう考えると、Sランクがすごいって話をしているのに、その上の人が目の前で紅茶を飲んでいる。
……本当に、比較しちゃいけない相手なんだなぁ。
「……シルベスターさんのお話、やっぱり正しかったんですね」
「……何の話かなぁ?」
「規格外っていう……」
「……あはは!」
また笑い声が上がった。
……ああ。
さっきから何度、同じ話をしているんだろう。
でも。
こんなふうに笑っていると、少しずつ肩の力が抜けていく。
僕は、目の前の画面をもう一度見た。
◇
「……リアリスさん」
「うん?」
聞きたいことが、あった。
本当はさっきから、ずっと。
でも、声に出すのが少し怖かった。
もし、無理だって言われたら。
この二つのスキルがあっても、冒険者なんて向いてないって言われたら。
……いや。
リアリスさんは、そんなふうに決めつける人じゃない。
それは、三か月一緒に暮らしてきて分かっている。
僕は、そっと膝の上で手を握った。
「……僕でも、強くなれますか?」
リアリスさんは、すぐには答えなかった。
さっきのように笑ってごまかしたりもしない。
ちゃんと僕の顔を見て、少し考えてくれている。
……そのことが、何だか嬉しかった。
「……そうだね」
やがて、リアリスさんが口を開いた。
「同じ自然発生転移者でSランクになった人がいるんでしょう? 晴斗君には成長系のスキルもある。だから、強くなれる可能性は十分あると思うよ」
「……本当ですか?」
「うん。ただし、スキルがあるからって、何もしなくても強くなるわけじゃないと思う。そこは少しずつ、練習したり、覚えたりしないとね」
「……はい」
当たり前のことだった。
でも、その当たり前が嬉しかった。
無理だとは言われなかった。
努力すれば、少しずつでも変われるかもしれない。
……僕にも。
そう思えた。
リアリスさんは、穏やかな声で続けた。
「それに、冒険者にならなきゃいけないわけでもないんだよ。学校に通って、好きなことを見つけるのもいいし。晴斗君がどうしたいか、そこが一番大事だからね」
……ああ。
この人は、やっぱり変わらない。
三か月前も、そうだった。
行く場所のない僕に、ここで暮らしていいと言ってくれた。
帰れないことを隠さずに教えてくれて、それでも一緒に考えようって言ってくれた。
無理に何かをさせようとはしなかった。
……だから。
今度は、自分で決めたい。
何もできないまま、この家に来た。
初めは、言葉さえ通じなかった。
だけど今は、学校に通えて、王都を歩けて、いろんな人と話せる。
シルベスターさんという、頼れる大人にも出会えた。
そして、自分と同じように転移してきた人が、立派な冒険者になっていることも知った。
……それなら。
僕にも、やってみたいことができた。
怖いことがなくなったわけじゃない。
魔獣だって怖いし、剣を握って戦うなんて、まだ想像もつかない。
でも、だからこそ。
少しずつ学んで、自分の足で歩いてみたい。
僕は、顔を上げた。
「……リアリスさん!」
「はい!」
「僕、決めました!」
「おお!」
「僕、冒険者になりましゅ!」
……。
…………。
……あっ。
まただ。
また噛んだ!
どうして、一番大事なところで!
一瞬だけ、居間が静かになった。
その静けさの中で、桜花さんがぽつりと言った。
「……大事そうなところで、噛みましたね」
「……っ!」
……聞こえてた!
当たり前だけど、みんなに聞こえてた!
僕の顔が、一気に熱くなる。
隣では、リアリスさんが桜花さんへ顔を寄せ、小声で何か言っていた。
「……桜花、それは言っちゃ駄目なやつだよ。真剣なんだから」
……。
…………。
……全部、聞こえてます!
桜花さんが、少しだけ目を丸くした。
「……申し訳ございません」
「い、いえ! 僕も何であそこで噛んだのか……!」
ああ、恥ずかしい!
ギルドマスターのときも噛んだし、鑑定のときも噛んだし。
今日は、本当にどうなってるんだろう。
……でも。
さっきまでの緊張が、何だか少しほどけた。
リアリスさんが、優しく笑ってくれたからだ。
「うん。晴斗君が自分で決めたことなら、私から反対することはないよ」
「……ありがとうございます」
「ただ、冒険者は危ないこともあるからね。そこはちゃんと覚えておいてほしいかな」
「はい。分かっています」
……いや。
まだ本当の意味では、分かっていないのかもしれない。
この世界の魔獣がどれくらい危険なのかも、冒険者がどんな仕事をしているのかも。
授業で聞いただけのことが、ほとんどだ。
でも、だからこそ調べなきゃいけない。
今の勢いだけで登録して、あとから困るのは嫌だから。
「まずは、冒険者のことをもっと聞いてみようと思います。ギルドでも、いろんな人に話を聞いて、それから何をするか考えます!」
「おお、いいね! それなら私も安心だよ」
リアリスさんが、大きく頷いた。
「私にできることがあれば手伝えると思うから、何でも言ってね」
「……はい!」
僕は、もう一度深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
リアリスさんも、桜花さんも笑っている。
隣のユリさんが、小さく頷いてくれた。
……ああ。
よかった。
何だか、すごくほっとした。
この世界に来てから、僕はずっと誰かに助けてもらってきた。
もちろん、それが悪いことだとは思わない。
あのとき助けてもらえなかったら、今の僕はここにいない。
だけど。
今日、初めて。
自分のこれからを、自分で選んでみたいと思った。
シルベスターさんに聞かれた言葉が、もう一度頭に浮かぶ。
『この世界で、何かやりたいことは見つかったのか?』
……はい。
少しだけ、見つかりました。
本当に冒険者になれるのかは、まだ分からない。
Sランクになった人のように強くなれるとも限らない。
でも、そこを目指して努力することは、きっとできる。
僕は、目の前の《鑑定》の文字を見た。
成長限界突破。
成長率向上。
……うん。
何だか、すごく頼もしく見える。
今まで何もないと思っていた僕の中にも、可能性がある。
それが分かっただけで、今日は十分すごい日だ。
僕は笑って、リアリスさんたちを見た。
「……あの。明日から、少しギルドに通ってみてもいいですか?」
「もちろん! ユリにも相談して、安全に気をつけてね」
「はい!」
「モフ太にも一緒に行ってもらおうか」
足元から、丁寧な声が返ってきた。
「承知いたしました。晴斗の安全は、私にお任せください」
……あっ。
そうだった。
僕の護衛って、Sランクの魔獣なんだった。
……。
…………。
冒険者になる前から、こんなに心強い護衛がついているのって、どうなんだろう。
……うん。
やっぱり、リアリスさんの家は普通じゃない。
でも。
そのおかげで、僕は安心して新しい一歩を踏み出せる。
窓の外では、柔らかな風が庭の花を揺らしていた。
三か月前は、何も分からない世界だった。
今は、明日が少し楽しみになっている。
……よし。
僕に何ができるのか。
まずは、自分の目で確かめてみよう。




