↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
151/178

第1話:強面ギルドマスターとの遭遇

 この世界に来てから、三か月ほどが過ぎた。


 ……三か月。


 日本にいた頃なら、長いようで短い時間だったと思う。


 学期が一つ終わる頃には、次のテストがどうとか、休みに何をしようとか、そんな話をしていたはずだ。


 でも、今は違う。


 朝、目を覚ますと見知らぬ世界にいる。


 窓の外には、日本では見たことのない景色が広がっている。


 食堂へ行けば、優しい人たちが「おはようございます」と迎えてくれる。


 ……うん。


 見知らぬ世界、というのはもう少し違うかもしれない。


 少なくとも、この屋敷は僕のよく知っている場所になった。


「晴斗様、お出かけのご準備はよろしいでしょうか?」


「あっ、はい! 大丈夫です」


 声をかけてくれたのは、ユリさんだ。


 僕がここへ来たときから、いろいろと世話をしてくれている。


 最初は何か頼むたびに申し訳なくなっていたけど、今では分からないことがあれば、素直に相談できるようになった。


 ……もちろん、まだちょっと遠慮はするけど。


「本日は、どちらへ向かわれますか?」


「特に決めてないんです。王都を少し歩いて、気になるお店があったら寄ってみようかなって」


「かしこまりました。では、ゆっくりご案内いたしますね」


「ありがとうございます!」


 今日は学校の授業も、僕が参加したいものはない。


 せっかくなので王都を散歩してみようと思ったのだ。


 そういえば、出かける前にもう一人……いや、一匹、声をかけておかないと。


「モフ太君、行こうか!」


「承知いたしました」


 足元から、ものすごく落ち着いた返事が聞こえてきた。


 赤いリボンをつけた、五十センチほどの熊。


 ふわふわの毛並みと、丸い耳。


 ちょこんと座っている姿は、どう見ても可愛いぬいぐるみだ。


 ただし、中身はSランクの魔獣。


 しかも、普通に人の言葉を話す。


 ……本当に、この家はすごい。


「抱っこしてもいい?」


「はい。問題ございません」


 僕が両腕を伸ばすと、モフ太君は慣れた様子で収まってくれた。


 ふわっ。


 ……ああ。


 やっぱり、この毛並みは反則だと思う。


 初めて触ったときも驚いたけど、何度抱っこしても気持ちいい。


「モフ太君、今日もふわふわだね」


「お褒めにあずかり光栄です」


 ……うん。


 熊から返ってくる言葉じゃないよね、これ。


 ユリさんが、僕たちを見て微笑んだ。


「それでは、参りましょうか」


「はい!」


 僕はモフ太君を抱えて、屋敷の玄関を出た。


     ◇


 王都の大通りは、今日も賑やかだった。


 石畳の道を馬車が行き交い、道の両側にはいろいろな店が並んでいる。


 行商人らしい人が荷物を運んでいたり、鎧を着た冒険者が仲間と笑いながら歩いていたり。


 遠くからは、屋台のおじさんの大きな声も聞こえてきた。


「焼きたてだよー! おいしい串焼き、どうだい!」


 ……あっ。


 そういうの、ずるい。


 まだ昼には少し早いのに、焼けた肉の香ばしい匂いがしてくる。


「ユリさん、あの屋台を見てもいいですか?」


「もちろんでございます」


 僕は、串焼きの屋台へ近づいた。


 鉄板の上では、ひと口大に切られた肉がじゅうじゅう音を立てている。


 表面には甘辛そうなタレが絡んでいて、見ているだけでお腹が空いてきた。


「いらっしゃい! ……おっ?」


 店のおじさんが、僕の腕の中を見た。


 モフ太君だ。


 ……ああ。


 やっぱり珍しいよね。


「その熊、もしかして英雄様んとこの?」


「えっ? あ、はい。そうです」


「やっぱりな! 赤いリボンをつけた小さな熊って聞いてたんだ。後ろのメイドさんも、英雄様の屋敷の人だろ?」


 おじさんがユリさんを見る。


 ユリさんは、きれいに一礼した。


「はい。いつもお世話になっております」


「いやぁ、こちらこそだよ! 英雄様には王都のみんなが世話になってるからな!」


 ……うん。


 リアリスさん、相変わらずすごいなぁ。


 世界を救った人だから当然なのかもしれないけど、こういう何気ない場所でも話題になるんだ。


 僕が感心している間に、おじさんは串焼きを一本持ち上げた。


「兄ちゃん、食ってくかい?」


「あっ、はい! 二本ください!」


「毎度!」


 僕はお金を渡して、串焼きを受け取った。


 一口かじる。


 ……あっつ!


 でも、うまい!


 表面は香ばしくて、中のお肉は柔らかい。


 タレもちょうどいい甘さで、思わずもう一口食べたくなる。


「……おいしい!」


「はっはっは! そうだろう!」


 おじさんが嬉しそうに笑う。


 僕はもう一本をユリさんへ差し出した。


「ユリさんも、よかったらどうぞ」


「まあ。よろしいのですか?」


「はい! 一緒に食べましょう」


「ありがとうございます。では、いただきますね」


 ユリさんが嬉しそうに受け取ってくれた。


 ……よかった。


 実は今日、リアリスさんからお小遣いをもらっている。


『せっかく王都に行くんだし、気になるものがあったら買っておいで!』


 って、笑いながら渡してくれたのだ。


 最初は遠慮したんだけど、『そのためのお小遣いだから!』と言われてしまった。


 ……本当に、あの人には何から何までお世話になっている。


 だからせめて今日は、ユリさんと一緒に楽しもうと思った。


「モフ太君は……食べる?」


「お気遣いありがとうございます。私は結構でございます」


 相変わらず丁寧だ。


「そっか。じゃあ、次のお店に行こうか」


「はい」


 僕たちは、おじさんにお礼を言って歩き出した。


 ……そういえば。


 さっきのおじさん、僕のことを初めて見たはずなのに、普通に話しかけてくれた。


 他の通行人も、モフ太君を見て驚くというより、何だか納得したような顔をしている。


「あの、ユリさん」


「はい?」


「モフ太君を連れていると、みんなリアリスさんの関係者だって分かるんですね」


「そうでございますね。王都ではモフ太のことをご存じの方も増えましたから」


「なるほど……」


 しかも、ユリさんの服装も目印になっているらしい。


 ……そう考えると。


 この世界に来たばかりの僕が、一人で王都を歩いているわけじゃないんだ。


 少し前なら、知らない人に声をかけられるだけで緊張していたと思う。


 言葉が通じなかった頃のことは、今でも忘れられない。


 でも今日は、こうして笑って買い物ができている。


 ……ありがたいなぁ。


     ◇


 串焼きを食べ終えた僕たちは、さらに大通りを歩いた。


 途中で、蒸したてのまんじゅうを売っている屋台を見つけた。


「……まんじゅう?」


 思わず二度見してしまった。


 いや、ここ異世界だよね?


 ……まあ、リアリスさんがいる時点で、日本っぽい食べ物があっても不思議じゃないか。


 ふっくらした生地を割ると、中にはほくほくした具が詰まっていた。


 ……うん。


 これもおいしい。


 ユリさんは、熱そうに少しずつ食べながら笑っている。


「いろいろなお料理がありますね」


「そうですね。なんだか、食べ歩きが楽しくなってきました」


 そのあと見つけたのは、薄い生地に果物とクリームを包んだお菓子。


 ……クレープだ!


 僕は思わず屋台の前で立ち止まった。


「こんなのまであるんですか!?」


「晴斗様のお国にも、似たものがございますか?」


「あります! すごくあります!」


 ……いや。


 すごくありますって、何だよ。


 嬉しすぎて、変な返事をしてしまった。


 ユリさんが、くすっと笑う。


「では、召し上がってみましょうか」


「はい!」


 甘い果物とクリームの味が口いっぱいに広がる。


 ……ああ。


 これは、懐かしい。


 日本にいた頃、友達と買い食いしたときのことを思い出した。


 ……。


 …………。


 ちょっとだけ、胸の奥が痛くなった。


 今頃、みんなはどうしているんだろう。


 僕の席は、まだ教室にあるんだろうか。


 ……いや。


 考えても、日本へ帰れるわけじゃない。


 分かっている。


 それでも、たまにこうして思い出してしまう。


「晴斗様?」


「あっ、すみません。何でもないです」


 僕が笑うと、ユリさんはそれ以上聞かず、そっと頷いてくれた。


 ……うん。


 今は、目の前のことを楽しもう。


 この世界には、まだ知らないことがたくさんある。


 せっかくこうして出歩けるようになったんだから。


「ユリさん、あっちのお店も見ていいですか?」


「はい。もちろんでございます」


 モフ太君が僕の腕の中で、少しだけ姿勢を変えた。


「足元にはお気をつけください。こちらの道は人通りが多くなっております」


「ありがとう、モフ太君」


 ……本当に頼もしい護衛だ。


 いや、護衛というより。


 ちょっと厳しい、優しい先生みたいな感じかもしれない。


     ◇


 もう少し歩こうとした、そのときだった。


「おい、そこの坊主」


「……えっ?」


 低い声が、すぐ近くから聞こえた。


 振り返る。


 ……。


 …………。


 えっ。


 誰!?


 そこに立っていたのは、ものすごく強面の男の人だった。


 背が高い。


 身体も大きい。


 服の上からでも分かるほど、がっしりした筋肉がついている。


 しかも、顔が怖い。


 目つきも鋭いし、低い声も迫力がある。


 ……ええっと。


 これは、もしかして。


 異世界ものの、あれ?


 主人公が町を歩いていると、突然怖い冒険者に絡まれるっていう……。


 ……いやいやいや!


 まさか、そんな定番の展開が本当に来る!?


 僕は、思わずモフ太君を抱える腕に力を込めた。


「……あ、あの。何かご用でしょうか?」


 なるべく普通に答えたつもりだった。


 ……たぶん、声が少し裏返ったけど。


 男の人は、僕をじっと見た。


「お前はリアリスの関係者か?」


「……えっ?」


 リアリスさん?


 ……あっ。


 知り合いなんだ。


 その名前を聞いた瞬間、肩に入っていた力が少し抜けた。


「はい。今、リアリスさんの家でお世話になってます」


「そうか」


 男の人は短く答えると、今度はユリさんを見た。


 ユリさんは落ち着いた表情で、小さく頷いた。


 ……あれ?


 ユリさんが、全然警戒してない。


 ということは、本当に知り合いなんだろうか。


 男の人は、もう一度僕の方へ顔を向けた。


 ……うっ。


 やっぱり怖い。


 睨まれているわけじゃないと分かっていても、迫力がすごい。


「お前、時間はあるか?」


「……じ、時間ですか?」


「ああ」


 ……ええっと。


 これはどう答えたらいいんだろう。


 別に急ぐ用事はないけど。


 でも、まだ名前も知らない人についていくのは……。


 僕は、ちらっとユリさんを見た。


 ユリさんは、穏やかな顔で頷いてくれた。


 ……うん。


 大丈夫、なのかな。


「はい。特に急ぐ用事はありません」


「そうか。ここで立ち話もなんだ。少し落ち着けるところへ行こう」


「……はい」


 男の人が歩き出した。


 僕はユリさんと顔を見合わせてから、そのあとをついていく。


 ……あれ?


 よく考えたら、僕って結構すごいことしてない?


 異世界で見知らぬ強面のおじさんについていく高校生。


 ……日本だったら、絶対やめろって言われるやつだ。


 でも、ユリさんも一緒だし。


 何より、腕の中にはモフ太君がいる。


 ……うん。


 何かあっても、大丈夫な気がする。


 いや、気がするどころじゃないか。


 Sランクの魔獣が護衛についてるんだから。


     ◇


 少し歩くと、大きな建物が見えてきた。


 入口には剣や槍を持った人たちが行き交っている。


 中からは大勢の話し声。


 ……あっ。


 ここ、知ってる!


 前にリアリスさんと来た場所だ。


 冒険者ギルド。


 あのときは、建物の中に並んでいる依頼の掲示板を見て、ものすごく興奮したんだよね。


 異世界ものではおなじみの場所。


 それが本当に存在するんだから。


 ……いや、僕自身が異世界にいるんだから、今さらかもしれないけど。


「……こちらにお勤めなんですか?」


 僕が尋ねると、男の人は振り返った。


「ああ。そんなところだ」


 ……そんなところ。


 ということは、冒険者なのかな?


 こんなに強そうなんだから、きっとベテランだろう。


 僕たちは、そのままギルドの中へ入った。


 受付の近くでは、何人もの冒険者が順番を待っている。


 奥の掲示板では、紙を眺めながら相談している人たちもいた。


 ……いいなぁ。


 何度見ても、ちょっとわくわくする。


 すると、通りがかった職員の人が、男の人に頭を下げた。


「お疲れさまです!」


「ああ」


 さらに、別の冒険者も軽く会釈する。


 ……おお。


 やっぱり、偉い人なのかな?


 もしかして、すごくランクの高い冒険者とか。


 そう考えているうちに、僕たちは建物の奥へ進んでいた。


「こっちだ」


「はい」


 案内されたのは、静かな応接室だった。


 大きな机とソファ。


 壁には整えられた飾りがあり、外の賑やかな声は少し遠くなっている。


 ……あれ?


 普通の冒険者が、こんな部屋を使っていいの?


 僕が戸惑っていると、男の人は向かいの席に腰を下ろした。


「座ってくれ」


「し、失礼します」


 僕はモフ太君を膝に乗せ、ソファへ座った。


 ユリさんも隣に座る。


 ……うん。


 これ、絶対にただの冒険者じゃないよね。


 男の人は、少し困ったように笑った。


「突然すまなかったな。その熊を見て、リアリスの関係者なのが分かってな」


「……あっ」


 僕は膝の上のモフ太君を見る。


 赤いリボン。


 丸い耳。


 相変わらず可愛い顔。


 ……この子、本当に目印になってるんだ。


「名乗りが遅れた。俺はシルベスター。王都冒険者ギルドのギルドマスターをしている」


「……えっ?」


 ……今、何て?


 ギルドマスター?


 ……ええっ!?


「ギルドましたー!?」


 ……。


 …………。


 噛んだ。


 思いっきり噛んだ。


 何でこんなときに!


 シルベスターさんは一瞬きょとんとしたあと、豪快に笑った。


「はっはっは! そんなに驚くことか?」


「あっ、いえ! す、すみません!」


 僕は慌てて背筋を伸ばした。


「失礼しました。僕は春原晴斗と言います!」


「晴斗か。よろしくな」


「はい!」


 ……ああ。


 まさか、あの怖そうな人がギルドマスターだったなんて。


 そりゃあ職員の人も頭を下げるよね。


 僕がまだ少し緊張していると、シルベスターさんがじっと僕を見た。


 ……うっ。


 まただ。


 やっぱり、その顔で見つめられるとちょっと怖い。


「……お前、リアリスと同郷か?」


「……えっ!?」


 今度は、別の意味で驚いた。


 僕が日本から来たことなんて、一言も話していない。


 どうして分かったんだろう。


 名前?


 それとも、見た目?


 ……でも、この世界の人にも黒髪の人はいる。


 僕は少し考えてから、ユリさんを見る。


 ユリさんは僕の視線に気づき、静かに口を開いた。


「シルベスター様は、リアリス様とご縁が深い方でございます。お話ししても問題ないかと存じます」


「……そうなんですね」


 リアリスさんのことを知っている。


 しかも、ユリさんがそう言うほど信頼されている人。


 ……なら、大丈夫かな。


 僕は頷いて、シルベスターさんへ向き直った。


「はい。僕はリアリスさんと同郷です」


「やっぱりそうか」


「ただ、僕は……ある日突然、この世界に来てしまった転移者なんです」


 言ってから、少しだけ息を吐く。


 三か月前。


 日本の教室にいたはずなのに、次の瞬間には知らない町の近くにいた。


 言葉も通じなかった。


 どうすればいいか分からなかった。


 ……あのときのことを思い出すと、今でも少し怖い。


 シルベスターさんは、僕の話を聞いて小さくため息をついた。


「そうか。自然発生転移者か……」


「……えっ?」


 ……自然発生転移者。


 その言葉を、知っているんだ。


「ご存じなんですか?」


「ああ。詳しくはないがな。ただ、俺も一人、自然発生転移者を知っている」


「……えっ!?」


 思わず声が大きくなった。


 ……待って。


 僕以外にもいるの?


 リアリスさんは転生者。


 雪彦さんは召喚された勇者。


 でも、僕みたいに突然この世界へ来た人も、ほかにいるんだ!


「その人って、今どこにいるんですか?」


 気づけば、前のめりになっていた。


 シルベスターさんは、少し申し訳なさそうに首を振った。


「すまん。そこまでは分からん。今どこにいるか、俺も把握してねえんだ」


「……そう、ですか」


 ……残念。


 同じ境遇の人がいるなら、一度会ってみたかった。


 僕が肩を落としかけた、そのとき。


「ただな。そいつはSランク冒険者だ」


「……はい?」


 ……。


 …………。


 えっ。


 Sランク?


 Sランクって、あのSランク?


「し、自然発生転移者で、Sランク冒険者なんですか!?」


「ああ、そうだ」


「えええっ!?」


 思わずソファから腰を浮かせた。


 ……すごい。


 すごすぎる!


 だって、僕と同じように突然この世界へ来た人なんだよね?


 勇者として呼ばれたわけじゃなくて。


 リアリスさんみたいに、何でもできる魔法を持っているわけでもなくて。


 それなのに、Sランク冒険者になったってこと?


 ……そんなことが。


 本当に、できるんだ。


「……あっ! すみません!」


 僕は慌てて座り直した。


 シルベスターさんが、少し驚いた顔をしている。


「……そんなに気になるのか?」


「はい! 僕、こちらへ来たときは何もできなくて……」


 ……あっ。


 興奮して、ついしゃべりすぎた。


 僕は少し落ち着いてから尋ねた。


「あの、リアリスさんはその方をご存じなんですか?」


「……ん?」


 シルベスターさんは少し考えるように視線を上げた。


 やがて首を横に振る。


「いや。あいつには話したことがないな」


「そう……ですか……」


 じゃあ、リアリスさんも知らないんだ。


 ……うーん。


 名前も分からない。


 今どこにいるかも分からない。


 すぐに会うのは難しそうだ。


 でも。


 ……Sランク冒険者。


 その言葉だけが、頭の中に残っていた。


     ◇


 少しして、部屋にお茶が運ばれてきた。


 僕の前には、温かいお茶。


 シルベスターさんの前には、見覚えのある緑色のお茶が置かれる。


 ……あれ、緑茶?


 この世界にもあるんだ。


 ……いや、リアリスさんの屋敷では普通に出てくるか。


 シルベスターさんは湯のみを持ち上げ、ゆっくり一口飲んだ。


「ところで晴斗。リアリスのところに世話になって、どのくらいだ?」


「三か月くらいですね」


「そうか。なら、はっきり言っておこう」


「……はい?」


 ……何だろう。


 さっきまでより、少し真面目な顔になった気がする。


 ……あっ。


 いや、元から怖い顔なんだけど。


「あいつは、この世界じゃ何もかもが規格外だ。あいつを基準にはするな」


「……あはは」


 僕は、思わず笑ってしまった。


「はい。一緒に過ごして、何となくはそう感じてました」


「そうだろうな」


 シルベスターさんは、呆れたように笑った。


「あいつは剣も魔法も、この世界の住人とは比べようもねえ。……イカレてる」


 ……。


 …………。


 ……うん。


 それは、ちょっと分かる。


 言葉が通じなくて困っていた僕に、魔法一つで会話ができるようにしてくれた。


 別の国へ行くのも、一瞬。


 大きな屋敷も、学校も、普通じゃ考えられない方法で作ってしまう。


 しかも、世界を救った英雄。


 ……ああ。


 改めて考えると、規格外って言葉しか出てこない。


 僕は、つい何度も頷いてしまった。


「……お前も、もう十分分かってるみてえだな」


「……すみません。つい」


「いや、いい。俺だって同じ気持ちだ」


 シルベスターさんは、また緑茶を飲んだ。


 ……何だか。


 さっきまであんなに怖かったのに、今は普通に話せている。


 いや、見た目はやっぱり怖いけど。


「ただな」


 シルベスターさんが、少し声を落とした。


「あいつは面倒見がいい。悪いやつでもない。安心して世話になればいい」


「……はい」


 僕は、自然と頷いていた。


 それは、僕もよく知っている。


 何も分からずに困っていた僕を助けてくれて。


 家に迎えてくれて。


 ご飯を食べさせてくれて。


 学校に通うことだって、応援してくれた。


 しかも、何かを押しつけられたことは一度もない。


 ……本当に。


 僕は、運がよかったんだと思う。


「ありがとうございます」


 そう言って、軽く頭を下げる。


 シルベスターさんは、僕を見てにやりと笑った。


「それとな。あいつのことで困ったら、いつでも俺のところに来い。説教くらいならしてやれる」


「……えっ」


 ……リアリスさんに、説教?


 あの人に?


 ……いや。


 確かに、誰かに止めてもらわないといけないときはありそうだけど。


「ははは。困ったときは、お願いします」


「おう。任せとけ」


 ……ああ。


 この人、すごくいい人だ。


 初めて会ったときは、完全にチンピラだと思っちゃったけど。


 ……失礼なこと考えて、ごめんなさい。


 もちろん、口には出してない。


 ……出してないよね?


 僕は、念のため自分の口元を押さえた。


「……どうした?」


「い、いえ! 何でもありません!」


 シルベスターさんは不思議そうな顔をしたけど、追及はしてこなかった。


 ……よかった。


     ◇


「さて。長く引き留めて悪かったな」


 シルベスターさんが湯のみを置いた。


「いえ! この世界のことも聞けて、嬉しかったです」


「そうか」


 少しだけ、柔らかく笑ってくれた。


 ……うん。


 最初に思っていたような怖い人じゃない。


 それに、さっきの話。


 自然発生転移者でも、Sランク冒険者になった人がいる。


 まだ頭の中が少し興奮している。


「それじゃあ、僕はこれで」


 僕は立ち上がり、シルベスターさんへ頭を下げた。


 モフ太君も、僕の腕の中できちんと顔を向ける。


「お前さん、これからどうするんだ?」


「……えっ?」


 僕は、立ったまま首を傾げた。


「どう……とは?」


「この世界で、何かやりたいことは見つかったのか?」


 ……。


 …………。


 あっ。


 そういうことか。


 僕は、少し考えた。


 三か月前、この世界に来たばかりの頃は、とにかく怖かった。


 どうしてこんな場所にいるのか。


 日本には帰れるのか。


 これから、どうやって生きていけばいいのか。


 ……そんなことばかり考えていた。


 リアリスさんに助けてもらってからは、毎日が忙しくて、でも楽しかった。


 学校へ行って。


 みんなと食事をして。


 知らないことを一つずつ覚えて。


 それだけで、十分だった。


 だけど。


 この世界で、何をしたいか。


 そう聞かれると……。


「……まだですね」


 正直に答えた。


 シルベスターさんは、それを聞いて頷いた。


「そうか。ゆっくり考えればいい」


 そう言って、もう一度緑茶を飲む。


 ……ゆっくり、か。


 何だか、リアリスさんみたいなことを言うんだな。


「……ありがとうございます」


「おう」


「それでは、失礼します!」


 僕はもう一度頭を下げて、ユリさんとモフ太君と一緒に応接室を出た。


 外の廊下へ出ると、遠くから冒険者たちの声が聞こえてきた。


 ギルドの大広間は、さっきと変わらず賑わっている。


 依頼の紙を手にして相談している人。


 受付で報酬を受け取っている人。


 仲間同士で笑い合っている人。


 ……ああ。


 これが、冒険者の世界なんだ。


 僕は、少しだけ足を止めた。


 掲示板には、いろいろな依頼が並んでいる。


 前に来たときは、ただ「本物の冒険者ギルドだ!」って喜んでいた。


 でも、今日は少し違う。


 ……もし。


 もし、僕にも何かできるとしたら。


 そういう場所で、自分の力を試すことだってできるのかな。


「晴斗様?」


「あっ、すみません」


「何か気になるものがございましたか?」


「……はい。ちょっとだけ」


 僕は笑って、掲示板から目を離した。


 まだ、何をしたいのかは分からない。


 でも、考えてみよう。


 自分はこの世界で何がしたいのか。


 何ができるのか。


 いつまでもリアリスさんに助けてもらってばかりじゃなくて、自分で何かを見つけたい。


 ……うん。


 それくらいは、考えてもいいよね。


 僕たちは賑やかなギルドをあとにした。


     ◇


 王国邸に戻る頃には、すっかり歩き慣れた道が見えていた。


 敷地のそばにある雑貨屋には、今日もお客さんが大勢来ている。


 紅茶やクッキーを買い求める人。


 棚の商品を楽しそうに眺める人。


 ……あのお店も、リアリスさんが作ったんだよね。


 何というか。


 この世界で暮らしていると、いろんなところにリアリスさんの存在を感じる。


 屋敷の門をくぐると、きれいに手入れされた庭が広がっていた。


 色とりどりの花が、風に揺れている。


 カトレアさんと、この屋敷のみんなが大切に世話をしている花だ。


 ……ああ。


 帰ってきた、って感じがする。


 日本にあった僕の家とは全然違う。


 それでも。


 今はここが、僕の帰ってくる場所なんだ。


「ただいま戻りましたー!」


 玄関の扉を開けて声をかける。


 すると、居間の方から明るい声が返ってきた。


「晴斗君、おかえりー!」


 ……おっ。


 リアリスさんだ。


 僕は抱えていたモフ太君をそっと床へ下ろした。


「モフ太君、ありがとう!」


「とんでもございません。お疲れさまでございました」


 モフ太君は丁寧に頭を下げる。


 ……熊なのに。


 いや、もう慣れたけどね。


 ユリさんと一緒に、僕は居間へ向かった。


「リアリスさん、いらっしゃったんですね」


「うん! 今日はのんびりだねー」


 居間には、いつものようにリアリスさんが座っていた。


 赤い髪。


 優しそうな顔。


 とてもじゃないけど、世界を救った英雄には見えない。


 ……いや。


 英雄って、本当はこういう人なのかな。


 隣には桜花さんが座っている。


 銀色の短い髪が、窓からの光を受けてきらきらしていた。


「おかえりなさいませ、晴斗様」


「ただいま戻りました!」


 僕はユリさんと一緒にソファへ腰を下ろした。


 ……ああ。


 落ち着く。


 さっきまで王都を歩いていたのに、ここへ来ると何だかほっとするんだよね。


「晴斗君、王都はどうだった?」


 リアリスさんが、楽しそうに尋ねてきた。


「すごく楽しかったです! 今日は屋台をいろいろ見てきました」


「おお! 何を食べたの?」


「串焼きと、まんじゅうと、クレープです!」


「いいねぇ! 王都の食べ歩き、楽しいよね!」


「はい! ユリさんとも一緒に食べました」


 リアリスさんが嬉しそうに笑う。


「そっかそっか。楽しめたならよかった!」


 ……本当に。


 この人は、僕が楽しそうにしていると、自分のことみたいに喜んでくれる。


「あっ、それから……」


「うん?」


「散歩してたら、冒険者ギルドの人に声をかけられたんです」


「へぇー?」


「シルベスターさんっていう方で……」


「おっ! シルベスターさんに会ったのかー!」


 リアリスさんは少し驚いたあと、何だか面白そうに笑った。


「最初、びっくりしちゃいました。すごく怖そうな方だったので」


「あはは! まあ、初対面だとそうかもしれないね!」


「でも、お話ししてみたら優しい方でした。ギルドにも案内してもらって」


「うんうん。いい人でしょう?」


「はい!」


 ……ああ。


 やっぱり、本当に仲がいいんだ。


 そのとき、リアリスさんが少しだけ笑みを深くした。


「……ところで。シルベスターさん、何か言ってなかった?」


「……えっ?」


 ……何か。


 あっ。


 そういえば、あの話。


「はい。リアリスさんは規格外だから、普通の人と比較するなって」


 僕は笑いながら答えた。


 ……すると。


 リアリスさんが、一瞬だけ動きを止めた。


 隣の桜花さんが、小さく笑う。


「……ふふっ」


 ……あっ。


 これは、もしかして。


 怒られる?


 ……いやいや、違うよね?


 僕が少し心配していると、リアリスさんは大きく頷いた。


「……否定できない!」


「……えっ」


 思わず、僕も笑ってしまった。


「あははは!」


「いやぁ、シルベスターさんも相変わらずだねぇ!」


 リアリスさんも、楽しそうに笑っている。


 桜花さんは隣で、相変わらず優しく微笑んでいた。


 ……ああ。


 こういうところ、すごく好きだな。


 普通なら、自分のことを規格外って言われたら、嫌がったりすると思う。


 でも、この人は笑ってしまう。


 世界を救った英雄なのに。


 誰もかなわないような力を持っているのに。


 ……何というか。


 やっぱり、リアリスさんはリアリスさんなんだ。


 僕は、さっきシルベスターさんに聞かれたことを思い出した。


『この世界で、何かやりたいことは見つかったのか?』


 ……まだ、分からない。


 だけど、今日の王都では、少しだけ新しいことを知った。


 僕と同じようにこの世界へ来て、Sランク冒険者になった人がいる。


 その人のことを、リアリスさんはまだ知らないらしい。


 ……そうだ。


 あとで、その話もしてみよう。


 きっと、リアリスさんも驚くと思う。


 僕は、まだ笑っているリアリスさんを見た。


 そして、もう一度心の中で呟いた。


 ……この世界で、僕にできること。


 それを、ちゃんと見つけてみたい。

毎日お読みいただき本当にありがとうございます!


もし「面白い!」「完結まで駆け抜けてほしい!」と思っていただけたら、

ページ下部の【ブックマーク追加】や【⭐⭐⭐⭐⭐(評価ポイント)】で応援していただけると、執筆の最大の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。