第1話:強面ギルドマスターとの遭遇
この世界に来てから、三か月ほどが過ぎた。
……三か月。
日本にいた頃なら、長いようで短い時間だったと思う。
学期が一つ終わる頃には、次のテストがどうとか、休みに何をしようとか、そんな話をしていたはずだ。
でも、今は違う。
朝、目を覚ますと見知らぬ世界にいる。
窓の外には、日本では見たことのない景色が広がっている。
食堂へ行けば、優しい人たちが「おはようございます」と迎えてくれる。
……うん。
見知らぬ世界、というのはもう少し違うかもしれない。
少なくとも、この屋敷は僕のよく知っている場所になった。
「晴斗様、お出かけのご準備はよろしいでしょうか?」
「あっ、はい! 大丈夫です」
声をかけてくれたのは、ユリさんだ。
僕がここへ来たときから、いろいろと世話をしてくれている。
最初は何か頼むたびに申し訳なくなっていたけど、今では分からないことがあれば、素直に相談できるようになった。
……もちろん、まだちょっと遠慮はするけど。
「本日は、どちらへ向かわれますか?」
「特に決めてないんです。王都を少し歩いて、気になるお店があったら寄ってみようかなって」
「かしこまりました。では、ゆっくりご案内いたしますね」
「ありがとうございます!」
今日は学校の授業も、僕が参加したいものはない。
せっかくなので王都を散歩してみようと思ったのだ。
そういえば、出かける前にもう一人……いや、一匹、声をかけておかないと。
「モフ太君、行こうか!」
「承知いたしました」
足元から、ものすごく落ち着いた返事が聞こえてきた。
赤いリボンをつけた、五十センチほどの熊。
ふわふわの毛並みと、丸い耳。
ちょこんと座っている姿は、どう見ても可愛いぬいぐるみだ。
ただし、中身はSランクの魔獣。
しかも、普通に人の言葉を話す。
……本当に、この家はすごい。
「抱っこしてもいい?」
「はい。問題ございません」
僕が両腕を伸ばすと、モフ太君は慣れた様子で収まってくれた。
ふわっ。
……ああ。
やっぱり、この毛並みは反則だと思う。
初めて触ったときも驚いたけど、何度抱っこしても気持ちいい。
「モフ太君、今日もふわふわだね」
「お褒めにあずかり光栄です」
……うん。
熊から返ってくる言葉じゃないよね、これ。
ユリさんが、僕たちを見て微笑んだ。
「それでは、参りましょうか」
「はい!」
僕はモフ太君を抱えて、屋敷の玄関を出た。
◇
王都の大通りは、今日も賑やかだった。
石畳の道を馬車が行き交い、道の両側にはいろいろな店が並んでいる。
行商人らしい人が荷物を運んでいたり、鎧を着た冒険者が仲間と笑いながら歩いていたり。
遠くからは、屋台のおじさんの大きな声も聞こえてきた。
「焼きたてだよー! おいしい串焼き、どうだい!」
……あっ。
そういうの、ずるい。
まだ昼には少し早いのに、焼けた肉の香ばしい匂いがしてくる。
「ユリさん、あの屋台を見てもいいですか?」
「もちろんでございます」
僕は、串焼きの屋台へ近づいた。
鉄板の上では、ひと口大に切られた肉がじゅうじゅう音を立てている。
表面には甘辛そうなタレが絡んでいて、見ているだけでお腹が空いてきた。
「いらっしゃい! ……おっ?」
店のおじさんが、僕の腕の中を見た。
モフ太君だ。
……ああ。
やっぱり珍しいよね。
「その熊、もしかして英雄様んとこの?」
「えっ? あ、はい。そうです」
「やっぱりな! 赤いリボンをつけた小さな熊って聞いてたんだ。後ろのメイドさんも、英雄様の屋敷の人だろ?」
おじさんがユリさんを見る。
ユリさんは、きれいに一礼した。
「はい。いつもお世話になっております」
「いやぁ、こちらこそだよ! 英雄様には王都のみんなが世話になってるからな!」
……うん。
リアリスさん、相変わらずすごいなぁ。
世界を救った人だから当然なのかもしれないけど、こういう何気ない場所でも話題になるんだ。
僕が感心している間に、おじさんは串焼きを一本持ち上げた。
「兄ちゃん、食ってくかい?」
「あっ、はい! 二本ください!」
「毎度!」
僕はお金を渡して、串焼きを受け取った。
一口かじる。
……あっつ!
でも、うまい!
表面は香ばしくて、中のお肉は柔らかい。
タレもちょうどいい甘さで、思わずもう一口食べたくなる。
「……おいしい!」
「はっはっは! そうだろう!」
おじさんが嬉しそうに笑う。
僕はもう一本をユリさんへ差し出した。
「ユリさんも、よかったらどうぞ」
「まあ。よろしいのですか?」
「はい! 一緒に食べましょう」
「ありがとうございます。では、いただきますね」
ユリさんが嬉しそうに受け取ってくれた。
……よかった。
実は今日、リアリスさんからお小遣いをもらっている。
『せっかく王都に行くんだし、気になるものがあったら買っておいで!』
って、笑いながら渡してくれたのだ。
最初は遠慮したんだけど、『そのためのお小遣いだから!』と言われてしまった。
……本当に、あの人には何から何までお世話になっている。
だからせめて今日は、ユリさんと一緒に楽しもうと思った。
「モフ太君は……食べる?」
「お気遣いありがとうございます。私は結構でございます」
相変わらず丁寧だ。
「そっか。じゃあ、次のお店に行こうか」
「はい」
僕たちは、おじさんにお礼を言って歩き出した。
……そういえば。
さっきのおじさん、僕のことを初めて見たはずなのに、普通に話しかけてくれた。
他の通行人も、モフ太君を見て驚くというより、何だか納得したような顔をしている。
「あの、ユリさん」
「はい?」
「モフ太君を連れていると、みんなリアリスさんの関係者だって分かるんですね」
「そうでございますね。王都ではモフ太のことをご存じの方も増えましたから」
「なるほど……」
しかも、ユリさんの服装も目印になっているらしい。
……そう考えると。
この世界に来たばかりの僕が、一人で王都を歩いているわけじゃないんだ。
少し前なら、知らない人に声をかけられるだけで緊張していたと思う。
言葉が通じなかった頃のことは、今でも忘れられない。
でも今日は、こうして笑って買い物ができている。
……ありがたいなぁ。
◇
串焼きを食べ終えた僕たちは、さらに大通りを歩いた。
途中で、蒸したてのまんじゅうを売っている屋台を見つけた。
「……まんじゅう?」
思わず二度見してしまった。
いや、ここ異世界だよね?
……まあ、リアリスさんがいる時点で、日本っぽい食べ物があっても不思議じゃないか。
ふっくらした生地を割ると、中にはほくほくした具が詰まっていた。
……うん。
これもおいしい。
ユリさんは、熱そうに少しずつ食べながら笑っている。
「いろいろなお料理がありますね」
「そうですね。なんだか、食べ歩きが楽しくなってきました」
そのあと見つけたのは、薄い生地に果物とクリームを包んだお菓子。
……クレープだ!
僕は思わず屋台の前で立ち止まった。
「こんなのまであるんですか!?」
「晴斗様のお国にも、似たものがございますか?」
「あります! すごくあります!」
……いや。
すごくありますって、何だよ。
嬉しすぎて、変な返事をしてしまった。
ユリさんが、くすっと笑う。
「では、召し上がってみましょうか」
「はい!」
甘い果物とクリームの味が口いっぱいに広がる。
……ああ。
これは、懐かしい。
日本にいた頃、友達と買い食いしたときのことを思い出した。
……。
…………。
ちょっとだけ、胸の奥が痛くなった。
今頃、みんなはどうしているんだろう。
僕の席は、まだ教室にあるんだろうか。
……いや。
考えても、日本へ帰れるわけじゃない。
分かっている。
それでも、たまにこうして思い出してしまう。
「晴斗様?」
「あっ、すみません。何でもないです」
僕が笑うと、ユリさんはそれ以上聞かず、そっと頷いてくれた。
……うん。
今は、目の前のことを楽しもう。
この世界には、まだ知らないことがたくさんある。
せっかくこうして出歩けるようになったんだから。
「ユリさん、あっちのお店も見ていいですか?」
「はい。もちろんでございます」
モフ太君が僕の腕の中で、少しだけ姿勢を変えた。
「足元にはお気をつけください。こちらの道は人通りが多くなっております」
「ありがとう、モフ太君」
……本当に頼もしい護衛だ。
いや、護衛というより。
ちょっと厳しい、優しい先生みたいな感じかもしれない。
◇
もう少し歩こうとした、そのときだった。
「おい、そこの坊主」
「……えっ?」
低い声が、すぐ近くから聞こえた。
振り返る。
……。
…………。
えっ。
誰!?
そこに立っていたのは、ものすごく強面の男の人だった。
背が高い。
身体も大きい。
服の上からでも分かるほど、がっしりした筋肉がついている。
しかも、顔が怖い。
目つきも鋭いし、低い声も迫力がある。
……ええっと。
これは、もしかして。
異世界ものの、あれ?
主人公が町を歩いていると、突然怖い冒険者に絡まれるっていう……。
……いやいやいや!
まさか、そんな定番の展開が本当に来る!?
僕は、思わずモフ太君を抱える腕に力を込めた。
「……あ、あの。何かご用でしょうか?」
なるべく普通に答えたつもりだった。
……たぶん、声が少し裏返ったけど。
男の人は、僕をじっと見た。
「お前はリアリスの関係者か?」
「……えっ?」
リアリスさん?
……あっ。
知り合いなんだ。
その名前を聞いた瞬間、肩に入っていた力が少し抜けた。
「はい。今、リアリスさんの家でお世話になってます」
「そうか」
男の人は短く答えると、今度はユリさんを見た。
ユリさんは落ち着いた表情で、小さく頷いた。
……あれ?
ユリさんが、全然警戒してない。
ということは、本当に知り合いなんだろうか。
男の人は、もう一度僕の方へ顔を向けた。
……うっ。
やっぱり怖い。
睨まれているわけじゃないと分かっていても、迫力がすごい。
「お前、時間はあるか?」
「……じ、時間ですか?」
「ああ」
……ええっと。
これはどう答えたらいいんだろう。
別に急ぐ用事はないけど。
でも、まだ名前も知らない人についていくのは……。
僕は、ちらっとユリさんを見た。
ユリさんは、穏やかな顔で頷いてくれた。
……うん。
大丈夫、なのかな。
「はい。特に急ぐ用事はありません」
「そうか。ここで立ち話もなんだ。少し落ち着けるところへ行こう」
「……はい」
男の人が歩き出した。
僕はユリさんと顔を見合わせてから、そのあとをついていく。
……あれ?
よく考えたら、僕って結構すごいことしてない?
異世界で見知らぬ強面のおじさんについていく高校生。
……日本だったら、絶対やめろって言われるやつだ。
でも、ユリさんも一緒だし。
何より、腕の中にはモフ太君がいる。
……うん。
何かあっても、大丈夫な気がする。
いや、気がするどころじゃないか。
Sランクの魔獣が護衛についてるんだから。
◇
少し歩くと、大きな建物が見えてきた。
入口には剣や槍を持った人たちが行き交っている。
中からは大勢の話し声。
……あっ。
ここ、知ってる!
前にリアリスさんと来た場所だ。
冒険者ギルド。
あのときは、建物の中に並んでいる依頼の掲示板を見て、ものすごく興奮したんだよね。
異世界ものではおなじみの場所。
それが本当に存在するんだから。
……いや、僕自身が異世界にいるんだから、今さらかもしれないけど。
「……こちらにお勤めなんですか?」
僕が尋ねると、男の人は振り返った。
「ああ。そんなところだ」
……そんなところ。
ということは、冒険者なのかな?
こんなに強そうなんだから、きっとベテランだろう。
僕たちは、そのままギルドの中へ入った。
受付の近くでは、何人もの冒険者が順番を待っている。
奥の掲示板では、紙を眺めながら相談している人たちもいた。
……いいなぁ。
何度見ても、ちょっとわくわくする。
すると、通りがかった職員の人が、男の人に頭を下げた。
「お疲れさまです!」
「ああ」
さらに、別の冒険者も軽く会釈する。
……おお。
やっぱり、偉い人なのかな?
もしかして、すごくランクの高い冒険者とか。
そう考えているうちに、僕たちは建物の奥へ進んでいた。
「こっちだ」
「はい」
案内されたのは、静かな応接室だった。
大きな机とソファ。
壁には整えられた飾りがあり、外の賑やかな声は少し遠くなっている。
……あれ?
普通の冒険者が、こんな部屋を使っていいの?
僕が戸惑っていると、男の人は向かいの席に腰を下ろした。
「座ってくれ」
「し、失礼します」
僕はモフ太君を膝に乗せ、ソファへ座った。
ユリさんも隣に座る。
……うん。
これ、絶対にただの冒険者じゃないよね。
男の人は、少し困ったように笑った。
「突然すまなかったな。その熊を見て、リアリスの関係者なのが分かってな」
「……あっ」
僕は膝の上のモフ太君を見る。
赤いリボン。
丸い耳。
相変わらず可愛い顔。
……この子、本当に目印になってるんだ。
「名乗りが遅れた。俺はシルベスター。王都冒険者ギルドのギルドマスターをしている」
「……えっ?」
……今、何て?
ギルドマスター?
……ええっ!?
「ギルドましたー!?」
……。
…………。
噛んだ。
思いっきり噛んだ。
何でこんなときに!
シルベスターさんは一瞬きょとんとしたあと、豪快に笑った。
「はっはっは! そんなに驚くことか?」
「あっ、いえ! す、すみません!」
僕は慌てて背筋を伸ばした。
「失礼しました。僕は春原晴斗と言います!」
「晴斗か。よろしくな」
「はい!」
……ああ。
まさか、あの怖そうな人がギルドマスターだったなんて。
そりゃあ職員の人も頭を下げるよね。
僕がまだ少し緊張していると、シルベスターさんがじっと僕を見た。
……うっ。
まただ。
やっぱり、その顔で見つめられるとちょっと怖い。
「……お前、リアリスと同郷か?」
「……えっ!?」
今度は、別の意味で驚いた。
僕が日本から来たことなんて、一言も話していない。
どうして分かったんだろう。
名前?
それとも、見た目?
……でも、この世界の人にも黒髪の人はいる。
僕は少し考えてから、ユリさんを見る。
ユリさんは僕の視線に気づき、静かに口を開いた。
「シルベスター様は、リアリス様とご縁が深い方でございます。お話ししても問題ないかと存じます」
「……そうなんですね」
リアリスさんのことを知っている。
しかも、ユリさんがそう言うほど信頼されている人。
……なら、大丈夫かな。
僕は頷いて、シルベスターさんへ向き直った。
「はい。僕はリアリスさんと同郷です」
「やっぱりそうか」
「ただ、僕は……ある日突然、この世界に来てしまった転移者なんです」
言ってから、少しだけ息を吐く。
三か月前。
日本の教室にいたはずなのに、次の瞬間には知らない町の近くにいた。
言葉も通じなかった。
どうすればいいか分からなかった。
……あのときのことを思い出すと、今でも少し怖い。
シルベスターさんは、僕の話を聞いて小さくため息をついた。
「そうか。自然発生転移者か……」
「……えっ?」
……自然発生転移者。
その言葉を、知っているんだ。
「ご存じなんですか?」
「ああ。詳しくはないがな。ただ、俺も一人、自然発生転移者を知っている」
「……えっ!?」
思わず声が大きくなった。
……待って。
僕以外にもいるの?
リアリスさんは転生者。
雪彦さんは召喚された勇者。
でも、僕みたいに突然この世界へ来た人も、ほかにいるんだ!
「その人って、今どこにいるんですか?」
気づけば、前のめりになっていた。
シルベスターさんは、少し申し訳なさそうに首を振った。
「すまん。そこまでは分からん。今どこにいるか、俺も把握してねえんだ」
「……そう、ですか」
……残念。
同じ境遇の人がいるなら、一度会ってみたかった。
僕が肩を落としかけた、そのとき。
「ただな。そいつはSランク冒険者だ」
「……はい?」
……。
…………。
えっ。
Sランク?
Sランクって、あのSランク?
「し、自然発生転移者で、Sランク冒険者なんですか!?」
「ああ、そうだ」
「えええっ!?」
思わずソファから腰を浮かせた。
……すごい。
すごすぎる!
だって、僕と同じように突然この世界へ来た人なんだよね?
勇者として呼ばれたわけじゃなくて。
リアリスさんみたいに、何でもできる魔法を持っているわけでもなくて。
それなのに、Sランク冒険者になったってこと?
……そんなことが。
本当に、できるんだ。
「……あっ! すみません!」
僕は慌てて座り直した。
シルベスターさんが、少し驚いた顔をしている。
「……そんなに気になるのか?」
「はい! 僕、こちらへ来たときは何もできなくて……」
……あっ。
興奮して、ついしゃべりすぎた。
僕は少し落ち着いてから尋ねた。
「あの、リアリスさんはその方をご存じなんですか?」
「……ん?」
シルベスターさんは少し考えるように視線を上げた。
やがて首を横に振る。
「いや。あいつには話したことがないな」
「そう……ですか……」
じゃあ、リアリスさんも知らないんだ。
……うーん。
名前も分からない。
今どこにいるかも分からない。
すぐに会うのは難しそうだ。
でも。
……Sランク冒険者。
その言葉だけが、頭の中に残っていた。
◇
少しして、部屋にお茶が運ばれてきた。
僕の前には、温かいお茶。
シルベスターさんの前には、見覚えのある緑色のお茶が置かれる。
……あれ、緑茶?
この世界にもあるんだ。
……いや、リアリスさんの屋敷では普通に出てくるか。
シルベスターさんは湯のみを持ち上げ、ゆっくり一口飲んだ。
「ところで晴斗。リアリスのところに世話になって、どのくらいだ?」
「三か月くらいですね」
「そうか。なら、はっきり言っておこう」
「……はい?」
……何だろう。
さっきまでより、少し真面目な顔になった気がする。
……あっ。
いや、元から怖い顔なんだけど。
「あいつは、この世界じゃ何もかもが規格外だ。あいつを基準にはするな」
「……あはは」
僕は、思わず笑ってしまった。
「はい。一緒に過ごして、何となくはそう感じてました」
「そうだろうな」
シルベスターさんは、呆れたように笑った。
「あいつは剣も魔法も、この世界の住人とは比べようもねえ。……イカレてる」
……。
…………。
……うん。
それは、ちょっと分かる。
言葉が通じなくて困っていた僕に、魔法一つで会話ができるようにしてくれた。
別の国へ行くのも、一瞬。
大きな屋敷も、学校も、普通じゃ考えられない方法で作ってしまう。
しかも、世界を救った英雄。
……ああ。
改めて考えると、規格外って言葉しか出てこない。
僕は、つい何度も頷いてしまった。
「……お前も、もう十分分かってるみてえだな」
「……すみません。つい」
「いや、いい。俺だって同じ気持ちだ」
シルベスターさんは、また緑茶を飲んだ。
……何だか。
さっきまであんなに怖かったのに、今は普通に話せている。
いや、見た目はやっぱり怖いけど。
「ただな」
シルベスターさんが、少し声を落とした。
「あいつは面倒見がいい。悪いやつでもない。安心して世話になればいい」
「……はい」
僕は、自然と頷いていた。
それは、僕もよく知っている。
何も分からずに困っていた僕を助けてくれて。
家に迎えてくれて。
ご飯を食べさせてくれて。
学校に通うことだって、応援してくれた。
しかも、何かを押しつけられたことは一度もない。
……本当に。
僕は、運がよかったんだと思う。
「ありがとうございます」
そう言って、軽く頭を下げる。
シルベスターさんは、僕を見てにやりと笑った。
「それとな。あいつのことで困ったら、いつでも俺のところに来い。説教くらいならしてやれる」
「……えっ」
……リアリスさんに、説教?
あの人に?
……いや。
確かに、誰かに止めてもらわないといけないときはありそうだけど。
「ははは。困ったときは、お願いします」
「おう。任せとけ」
……ああ。
この人、すごくいい人だ。
初めて会ったときは、完全にチンピラだと思っちゃったけど。
……失礼なこと考えて、ごめんなさい。
もちろん、口には出してない。
……出してないよね?
僕は、念のため自分の口元を押さえた。
「……どうした?」
「い、いえ! 何でもありません!」
シルベスターさんは不思議そうな顔をしたけど、追及はしてこなかった。
……よかった。
◇
「さて。長く引き留めて悪かったな」
シルベスターさんが湯のみを置いた。
「いえ! この世界のことも聞けて、嬉しかったです」
「そうか」
少しだけ、柔らかく笑ってくれた。
……うん。
最初に思っていたような怖い人じゃない。
それに、さっきの話。
自然発生転移者でも、Sランク冒険者になった人がいる。
まだ頭の中が少し興奮している。
「それじゃあ、僕はこれで」
僕は立ち上がり、シルベスターさんへ頭を下げた。
モフ太君も、僕の腕の中できちんと顔を向ける。
「お前さん、これからどうするんだ?」
「……えっ?」
僕は、立ったまま首を傾げた。
「どう……とは?」
「この世界で、何かやりたいことは見つかったのか?」
……。
…………。
あっ。
そういうことか。
僕は、少し考えた。
三か月前、この世界に来たばかりの頃は、とにかく怖かった。
どうしてこんな場所にいるのか。
日本には帰れるのか。
これから、どうやって生きていけばいいのか。
……そんなことばかり考えていた。
リアリスさんに助けてもらってからは、毎日が忙しくて、でも楽しかった。
学校へ行って。
みんなと食事をして。
知らないことを一つずつ覚えて。
それだけで、十分だった。
だけど。
この世界で、何をしたいか。
そう聞かれると……。
「……まだですね」
正直に答えた。
シルベスターさんは、それを聞いて頷いた。
「そうか。ゆっくり考えればいい」
そう言って、もう一度緑茶を飲む。
……ゆっくり、か。
何だか、リアリスさんみたいなことを言うんだな。
「……ありがとうございます」
「おう」
「それでは、失礼します!」
僕はもう一度頭を下げて、ユリさんとモフ太君と一緒に応接室を出た。
外の廊下へ出ると、遠くから冒険者たちの声が聞こえてきた。
ギルドの大広間は、さっきと変わらず賑わっている。
依頼の紙を手にして相談している人。
受付で報酬を受け取っている人。
仲間同士で笑い合っている人。
……ああ。
これが、冒険者の世界なんだ。
僕は、少しだけ足を止めた。
掲示板には、いろいろな依頼が並んでいる。
前に来たときは、ただ「本物の冒険者ギルドだ!」って喜んでいた。
でも、今日は少し違う。
……もし。
もし、僕にも何かできるとしたら。
そういう場所で、自分の力を試すことだってできるのかな。
「晴斗様?」
「あっ、すみません」
「何か気になるものがございましたか?」
「……はい。ちょっとだけ」
僕は笑って、掲示板から目を離した。
まだ、何をしたいのかは分からない。
でも、考えてみよう。
自分はこの世界で何がしたいのか。
何ができるのか。
いつまでもリアリスさんに助けてもらってばかりじゃなくて、自分で何かを見つけたい。
……うん。
それくらいは、考えてもいいよね。
僕たちは賑やかなギルドをあとにした。
◇
王国邸に戻る頃には、すっかり歩き慣れた道が見えていた。
敷地のそばにある雑貨屋には、今日もお客さんが大勢来ている。
紅茶やクッキーを買い求める人。
棚の商品を楽しそうに眺める人。
……あのお店も、リアリスさんが作ったんだよね。
何というか。
この世界で暮らしていると、いろんなところにリアリスさんの存在を感じる。
屋敷の門をくぐると、きれいに手入れされた庭が広がっていた。
色とりどりの花が、風に揺れている。
カトレアさんと、この屋敷のみんなが大切に世話をしている花だ。
……ああ。
帰ってきた、って感じがする。
日本にあった僕の家とは全然違う。
それでも。
今はここが、僕の帰ってくる場所なんだ。
「ただいま戻りましたー!」
玄関の扉を開けて声をかける。
すると、居間の方から明るい声が返ってきた。
「晴斗君、おかえりー!」
……おっ。
リアリスさんだ。
僕は抱えていたモフ太君をそっと床へ下ろした。
「モフ太君、ありがとう!」
「とんでもございません。お疲れさまでございました」
モフ太君は丁寧に頭を下げる。
……熊なのに。
いや、もう慣れたけどね。
ユリさんと一緒に、僕は居間へ向かった。
「リアリスさん、いらっしゃったんですね」
「うん! 今日はのんびりだねー」
居間には、いつものようにリアリスさんが座っていた。
赤い髪。
優しそうな顔。
とてもじゃないけど、世界を救った英雄には見えない。
……いや。
英雄って、本当はこういう人なのかな。
隣には桜花さんが座っている。
銀色の短い髪が、窓からの光を受けてきらきらしていた。
「おかえりなさいませ、晴斗様」
「ただいま戻りました!」
僕はユリさんと一緒にソファへ腰を下ろした。
……ああ。
落ち着く。
さっきまで王都を歩いていたのに、ここへ来ると何だかほっとするんだよね。
「晴斗君、王都はどうだった?」
リアリスさんが、楽しそうに尋ねてきた。
「すごく楽しかったです! 今日は屋台をいろいろ見てきました」
「おお! 何を食べたの?」
「串焼きと、まんじゅうと、クレープです!」
「いいねぇ! 王都の食べ歩き、楽しいよね!」
「はい! ユリさんとも一緒に食べました」
リアリスさんが嬉しそうに笑う。
「そっかそっか。楽しめたならよかった!」
……本当に。
この人は、僕が楽しそうにしていると、自分のことみたいに喜んでくれる。
「あっ、それから……」
「うん?」
「散歩してたら、冒険者ギルドの人に声をかけられたんです」
「へぇー?」
「シルベスターさんっていう方で……」
「おっ! シルベスターさんに会ったのかー!」
リアリスさんは少し驚いたあと、何だか面白そうに笑った。
「最初、びっくりしちゃいました。すごく怖そうな方だったので」
「あはは! まあ、初対面だとそうかもしれないね!」
「でも、お話ししてみたら優しい方でした。ギルドにも案内してもらって」
「うんうん。いい人でしょう?」
「はい!」
……ああ。
やっぱり、本当に仲がいいんだ。
そのとき、リアリスさんが少しだけ笑みを深くした。
「……ところで。シルベスターさん、何か言ってなかった?」
「……えっ?」
……何か。
あっ。
そういえば、あの話。
「はい。リアリスさんは規格外だから、普通の人と比較するなって」
僕は笑いながら答えた。
……すると。
リアリスさんが、一瞬だけ動きを止めた。
隣の桜花さんが、小さく笑う。
「……ふふっ」
……あっ。
これは、もしかして。
怒られる?
……いやいや、違うよね?
僕が少し心配していると、リアリスさんは大きく頷いた。
「……否定できない!」
「……えっ」
思わず、僕も笑ってしまった。
「あははは!」
「いやぁ、シルベスターさんも相変わらずだねぇ!」
リアリスさんも、楽しそうに笑っている。
桜花さんは隣で、相変わらず優しく微笑んでいた。
……ああ。
こういうところ、すごく好きだな。
普通なら、自分のことを規格外って言われたら、嫌がったりすると思う。
でも、この人は笑ってしまう。
世界を救った英雄なのに。
誰もかなわないような力を持っているのに。
……何というか。
やっぱり、リアリスさんはリアリスさんなんだ。
僕は、さっきシルベスターさんに聞かれたことを思い出した。
『この世界で、何かやりたいことは見つかったのか?』
……まだ、分からない。
だけど、今日の王都では、少しだけ新しいことを知った。
僕と同じようにこの世界へ来て、Sランク冒険者になった人がいる。
その人のことを、リアリスさんはまだ知らないらしい。
……そうだ。
あとで、その話もしてみよう。
きっと、リアリスさんも驚くと思う。
僕は、まだ笑っているリアリスさんを見た。
そして、もう一度心の中で呟いた。
……この世界で、僕にできること。
それを、ちゃんと見つけてみたい。
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