第9話:番外編!桜花、新たな剣技
雪彦君、元気そうでよかったなぁ。
夕食を終え、自室へ戻る途中。私は今日の出来事を思い返していた。
久しぶりに会ったけど、あの子は相変わらずだった。
大きな声で「師匠!」と呼んで、よく笑って、よく食べる。
……あはは。
勇者なんだから、もう少し落ち着いていてもいい気はするけどね。
でも、昔のように力を過信しているわけじゃない。魔国でも冒険者として地道に頑張っているみたいだし、自分にできないことも、ちゃんと分かっている。
……うん。
成長したんだねぇ。
それに、晴斗君が雪彦君と会えて、本当に嬉しそうだった。
召喚された勇者と、突然やって来た転移者。
二人とも日本から来たことは同じだけど、ここへ来るまでの事情は全然違う。
それでも、日本の話をして笑い合える相手ができたことは、晴斗君にとって大きかったんじゃないかな。
……よかった。
あの子を雪彦君に紹介して、正解だったね。
私は廊下の窓から外を眺めた。
庭はすっかり暗くなっている。
遠くの木々が、夜の風に静かに揺れていた。
……ああ。
こうして、みんなが安心して夜を迎えられる。
それだけで、十分幸せだねぇ。
……さて。
私もそろそろ寝ようかな。
そう思ったところで、ふと桜花の顔が浮かんだ。
そういえば、今日も剣の話をしたなぁ。
雪彦君がまた稽古をしたいって言ってたし、晴斗君も冒険者ギルドに興味を持ってた。
……うん。
剣の話題が多い一日だったね。
そして、剣といえば桜花だ。
あの子、【一閃 舞桜】の練習を頑張ってるんだよねぇ。
少し前に聞いたときは、三十八連撃までできるようになったって言ってたっけ。
……三十八。
十連撃の【一閃 乱】を超えるだけでも大変だったのに、そこから三十八撃まで伸ばしたんだ。
前に私が伝えた、腰を落とすことや、次の動作を先回りして意識すること。
そういう小さな助言も、桜花は一つひとつ自分の剣に取り入れていたらしい。
……ああ。
本当に真面目だなぁ。
しかも、本人が三十八連撃まで伸びたからといって、【一閃 舞桜】が完成するわけじゃない。
あの技は、桜花と二体の《分身》が、それぞれ百連撃を放つことを目指している。
合計三百連撃。
分身は本体より少し能力が低いし、三人の息も合わせなくちゃいけない。
まだまだ、先は長い。
……でも。
桜花が頑張ってるのに、私だけのんびりしてるのも何だかねぇ。
……まあ、私も剣技を考えるときは、何度も刀を振って動きを確かめてるんだけどね。
さすがに、思いついた技がそのまま完成するわけじゃない。
ただ、私の場合は身体性能そのものが、とんでもないことになっている。
普通の人なら到底できない速さで動けるし、十連撃だって実際に刀を振って放てる。
……いやぁ。我ながら、反則みたいな身体だねぇ。
でも、どの瞬間に踏み込んで、どう刀を振れば狙いどおりの技になるかは、やっぱり自分で試して調整しないと分からない。
以前から、桜花のために考えて何度も試していた剣技。
あれも、そろそろ仕上げておきたい。
……うん。
「よし。桜花には負けてられないな」
小さく呟いて、私は踵を返した。
……いや。
別に勝負するつもりじゃないんだけどね。
頑張ってる桜花に、何か一つくらい新しいものを渡してあげたいってだけだよ。
でも、まだ本人に見せるつもりはない。
ちゃんと調整して、これなら使えるって思えるようになったら。
そのとき、驚かせてあげよう。
……ふふっ。
反応が楽しみだなぁ。
◇
私は、家族の邪魔にならないように静かに庭へ出た。
夜風が、頬を撫でる。
……おお。
思ったより涼しいねぇ。
空を見上げると、雲の間に月が浮かんでいた。
辺りは暗いけど、歩くのに困るほどじゃない。
私は花壇の横を通り、庭の隅にあるいつもの場所へ向かった。
……そう。
ここなら、少しぐらい夜に出入りしても目立たないはず。
何しろ、剣技の練習は派手だからね。
庭で大岩を砕くわけにもいかないし、カトレアが育てている花なんて、絶対に傷つけたくない。
この前だって、あの子は花壇の記録を楽しそうに見せてくれたばかりだ。
……うん。
平和な家の庭は、平和なままにしておこう。
私は、目の前の空間へ手をかざした。
「《亜空間生成》」
すうっと、空気が揺らぐ。
何もなかった場所に、見慣れた扉が現れた。
……よし。
いつもの亜空間だ。
ここなら、どれだけ剣を振っても誰にも迷惑はかからない。
扉を開けると、ひんやりした空気が流れてきた。
私は中へ入り、後ろ手に扉を閉める。
目の前には、広い草原が続いていた。
……うん。
いつもの景色だねぇ。
遠くまで平らな地面が広がり、草が風に揺れている。
ただ、今日はずいぶん暗い。
……あっ。
そういえば、この亜空間を作ったとき、時間の設定なんてしてなかったっけ。
外が夜なら、こっちも夜の景色になってるんだね。
……まあ、いいか。
月明かりがあるから、少し離れたところもはっきり見える。
むしろ、夜の草原ってなかなかきれいだ。
私は扉から少し離れた場所まで歩いた。
……この辺りでいいかな。
頭の中に、巨大な岩を思い描く。
背が高く、幅も十分。
表面に余計な凹凸がなく、斬撃の跡が見やすいもの。
「《亜空間生成》」
目の前の草地が、ぐっと盛り上がった。
地面から押し出されるように、巨大な岩が姿を現す。
……おお。
我ながら、立派な岩だねぇ。
高さも幅も申し分なし。
……ただし。
誰かがこの光景を見たら、夜中に大岩を作って何をしてるんだって言われそうだ。
……いや。
実際、何をしてるんだろうね。
私は少し笑い、岩から距離を取った。
腰に下げた刀の位置を確かめる。
……よし。
まずは、いつもの【一閃 乱】。
十連撃。
それを一人で放つなら、特に難しいことはない。
問題は、相手に十連撃が来ると思わせたまま、直前に分身を増やすこと。
ただ三人で斬ればいいという話じゃない。
最初から三人並んでたら、相手だって三人分の斬撃を警戒する。
だから、刀を抜く寸前まで一人のままでいる必要がある。
……うん。
そこが、この技の一番面白いところなんだよね。
私は刀の柄へ手を添え、目を閉じた。
呼吸を整える。
足の位置。
腰の高さ。
刀を抜くまでのわずかな間。
そして、二体の分身を呼び出す、その一瞬。
……。
…………。
夜風の音が、少しずつ遠くなっていく。
目の前の大岩だけを意識する。
……よし。
もう一度、頭の中で動きを確かめよう。
桜花がこの技を使えるようになったら、どんなふうに驚くだろうねぇ。
……ふふっ。
今から、ちょっと楽しみだ。
◇
入浴を終えたわたくしは、髪の水気を拭きながら廊下を歩いておりました。
夜も更け、屋敷はすっかり静かになっております。
皆様も、それぞれのお部屋でお休みになる頃でしょう。
今日は、雪彦様がお越しになり、ずいぶん賑やかな一日でございました。
晴斗様も終始嬉しそうで、お帰りの際にはまたお話をしたいとおっしゃっていました。
……よいご縁になったようで、何よりでございます。
リアリス様も、たいそう楽しそうでいらっしゃいました。
もっとも、カトレア様の話題になると、いつにも増して嬉しそうになさっていましたけれど。
……ふふっ。
あのようなお顔を拝見できることが、わたくしには何より嬉しいのです。
わたくしは、自室へ戻る前に、ふと庭へ目を向けました。
月明かりを受け、花壇の花が静かに揺れております。
……あら。
庭の隅に、何かが見えました。
普段は何もない場所。
そこに、一枚の扉が立っております。
……扉?
わたくしは、思わず足を止めました。
見間違いではございません。
月明かりの下に、見覚えのある扉がございました。
……もしかして。
あれは、リアリス様の《亜空間生成》で作られた扉ではないでしょうか。
以前にも、リアリス様と一緒に亜空間へ入ったことがございます。
何もない広い大地。
周囲の物音から切り離された静かな空間。
剣の稽古をするには、申し分のない場所でございます。
……ですが。
なぜ、このような夜更けに?
もしかすると、何かお一人でなさっているのでしょうか。
邪魔をしてはいけないと思いながらも、少し気になってしまいました。
もちろん、リアリス様に限って危険なことなどございません。
それでも、屋敷の庭に突然扉が現れていたら、確認したくなるのは自然なことだと思います。
……そう、自分に言い聞かせます。
わたくしは、身支度を整え、いつもの刀を手に取ってから庭へ向かいました。
外へ出ると、夜の風が髪を揺らしました。
入浴後の身体には、少しひんやりと感じられます。
扉の前まで歩き、そっと手をかける。
……開いております。
やはり、リアリス様が中にいらっしゃるのでしょうか。
声をおかけするべきか、少し迷いました。
しかし、もし稽古の最中であれば、集中を乱してしまうかもしれません。
……まずは、少しだけ中を確認いたしましょう。
そう考え、わたくしは静かに扉を開きました。
◇
扉の向こうには、広い草原が続いておりました。
……暗い。
最初に感じたのは、そのことでございます。
ですが、空には月が浮かんでおり、草原の遠くまで見渡すことができました。
ここも、外と同じ夜のようです。
……ああ。
とても静か。
風に揺れる草の音だけが、わずかに耳へ届きます。
わたくしは扉をそっと閉め、周囲を見渡しました。
そして、すぐに見つけました。
少し離れた場所に、リアリス様がいらっしゃいます。
腰に刀を下げ、岩の方を向いて立っておられました。
……岩?
よく見ると、リアリス様の前には大きな岩がございます。
亜空間へ入ったときには見たことのない、大きなもの。
おそらく、リアリス様がお作りになったのでしょう。
その岩と向き合ったまま、リアリス様はじっと動きません。
……瞑想、なさっているのでしょうか。
わたくしは、その場で足を止めました。
呼吸は静か。
肩にも余計な力が入っておりません。
けれど、そこから伝わる気配には、隙がございませんでした。
……剣の稽古でございますね。
わたくしは、思わず姿勢を正しました。
リアリス様の剣技を間近で拝見できる機会は、決して多くございません。
以前、一度だけ、少し動きを見せていただいたことがございます。
あのときの鮮やかな抜刀を、今も忘れておりません。
わたくしの技は、すべてリアリス様がお考えくださったもの。
【一閃】も。
【一閃 乱】も。
そして、わたくしが今修練を続けている【一閃 舞桜】も。
ですが、同じ技をお使いになっても、リアリス様の方がはるかに美しく、鋭いのです。
……当然でございます。
創造主でいらっしゃるのですから。
わたくしは、少しだけ距離を保ち、声をかけずに見守ることにいたしました。
リアリス様は、こちらに気づいておられないようです。
瞑想に集中していらっしゃるのでしょう。
……ご迷惑でなければ、ほんの少しだけ。
そう思い、わたくしは静かに息を整えました。
月明かりの下で、赤い髪がかすかに揺れます。
リアリス様の手が、刀の柄に添えられております。
まったく動いていらっしゃらないのに、その次の一瞬がとても大切なものに思えました。
……不思議でございます。
わたくしも、毎日のように刀を振っております。
先日、ようやく三十八連撃まで届くようになりました。
ですが、三十九撃目へ進むことは、まだできておりません。
腰の位置。
足の運び。
次の一撃を意識すること。
教えていただいたことを繰り返し、自分なりに考えております。
ほんの少しずつでも前へ進めているなら、それだけで嬉しゅうございます。
そして。
いつか、あの方と並んで戦えるようになりたい。
……いえ。
今も相棒として、そばに立たせていただいております。
それでも、もっと力になりたいのです。
邪神との戦いでは、リアリス様がどれほどのものを背負っていらっしゃるか、思い知らされました。
あれほどの力をお持ちであっても、お一人ですべてを抱える必要はないはずです。
わたくしに、できることがあるのなら。
……そのために、剣を磨き続けたい。
そんなことを考えながら、リアリス様を見つめておりました。
やがて。
リアリス様の肩が、ほんのわずかに動きました。
……っ。
わたくしは、思わず息を止めました。
刀の柄にかけた指が、わずかに沈む。
腰が落ちる。
鞘が、ほんの少し前へ出る。
……間違いございません。
これは――。
【一閃 乱】。
わたくしが何度も繰り返してきた、十連撃の奥義でございます。
リアリス様が、地面を蹴られました。
そして、その一瞬。
銀色ではなく、赤い髪の影が、月明かりの中を走りました。
……速い。
いつ拝見しても、見事な抜刀でございます。
わたくしは反射的に、十の斬撃を追おうとしました。
一撃。
二撃。
……三撃。
……?
何かが、おかしい。
舞い散るものが、あまりにも多いのです。
普段の【一閃 乱】でも、斬撃の軌跡は桜の花びらのように美しく広がります。
ですが。
いま目の前に広がっているものは、その比ではございません。
月明かりを受けた無数の花びらが、岩の周囲に渦を巻いております。
まるで、そこに大きな桜の木があって、一度に花を散らしたかのように。
……なぜ?
わたくしは、剣の動きを追うことをやめ、リアリス様へ視線を戻しました。
そして。
……え?
思わず目を見開きました。
リアリス様が――三人、いらっしゃいます。
左に一人。
正面に一人。
右に一人。
同じ赤い髪。
同じ刀。
同じ構えから、三方向へ駆け抜けておられました。
……分身?
先ほどまで、間違いなくお一人だったはずです。
いつの間に。
……いえ。
いつ分身を呼び出されたのか、それすら分かりませんでした。
轟音。
大岩が、無数の亀裂を刻まれたまま崩れ落ちます。
岩の破片が地面へ散り、淡い桜色の花びらが月明かりの中でゆっくり消えていきました。
……。
…………。
わたくしは、ただ立ち尽くしておりました。
あまりにも美しく。
あまりにも速く。
そして、今まで見たことのない技でございました。
リアリス様が刀を鞘へ納められる。
その瞬間、左右のお二人の姿がふっと消えました。
残されたのは、いつものリアリス様お一人。
……ああ。
やはり分身だったのですね。
ですが、あれは本当に【一閃 乱】だったのでしょうか。
動きは、確かに同じでした。
しかし、十連撃では説明がつきません。
三人のリアリス様が、それぞれ同じ動きをなさったのなら。
……十、十、十。
合計、三十……。
そこまで考えたところで、リアリス様がこちらを振り向かれました。
「あれ? 桜花どうしたの?」
……っ。
しまった。
わたくしは、反射的に背筋を伸ばしました。
「リ、リアリス様……!」
どうしましょう。
お一人で稽古をなさっていたところへ、許可も得ず入ってしまいました。
しかも、声もかけずに見つめていたなど。
……失礼なことをしてしまったかもしれません。
「申し訳ございません。庭に扉がございましたので、気になりまして……」
「ああ、そっか。そういえば扉、出したままだったねぇ」
リアリス様は、困ったように笑っておられます。
……お怒りでは、ないのでしょうか。
「お稽古の邪魔をしてしまいましたでしょうか」
「いやいや、全然! もう終わったところだから」
……ああ。
よかった。
わたくしは、ほっと胸を撫で下ろしました。
ですが。
どうしても、目の前の光景が頭から離れません。
……あの技。
あの分身。
そして、夜の草原に舞った桜の花びら。
どうしても、知りたくなってしまいました。
「あの、リアリス様……」
「うん?」
「今のは、【一閃 乱】ではないのでしょうか……?」
リアリス様は、一瞬だけ目を丸くなさいました。
それから。
「あちゃー、見られちゃったか」
少し照れたように笑われました。
……見られちゃった?
その言い方が、何だか気になりました。
何か、秘密にしていらしたのでしょうか。
「……申し訳ございません」
「いや、謝らなくていいって! 別に隠し事ってほどじゃないんだけどさ」
リアリス様は、岩のあった場所へ目を向けられました。
そして、もう一度こちらを見て、優しく笑われます。
「今のは【一閃 若桜】。桜花のために、少し前から考えて調整してた剣技なんだ」
……。
…………。
……え?
わたくしは、思わず耳を疑いました。
いま、何とおっしゃいました?
【一閃 若桜】。
初めて聞く名前でございます。
……ですが。
それよりも。
「……わたくしの……ため、でございますか……?」
「うん、そうだよ」
リアリス様は、何でもないことのように頷かれました。
「桜花が【一閃 乱】を超えることができたら、教えるつもりだったんだけどね」
……。
…………。
「三十八連撃まで行けるようになったって聞いて、びっくりしたよ。桜花の成長が早すぎて、こっちの調整が追いつかなかったんだ」
そうおっしゃって、苦笑なさいました。
……わたくしの、成長。
リアリス様が、お一人で剣を磨いておられたのではなく。
わたくしのために、技を考えてくださっていた。
……ああ。
胸の奥が、急に温かくなりました。
わたくしが【一閃 舞桜】の稽古を続けていることも。
三十八連撃まで届くようになったことも。
ちゃんと、見ていてくださったのです。
しかも、その先を考えて。
わたくしに、新しい剣技まで……。
「……リアリス様」
「うん?」
気づけば、わたくしは一歩前へ出ておりました。
……いけません。
落ち着かなければ。
そう思うのに、足が止まりません。
「……ぜひ、ご教示いただきたく存じます!」
……。
…………。
……あっ。
少し、前のめりになってしまいました。
リアリス様が、ぱちぱちと瞬きをなさいます。
それから、声を上げて笑われました。
「ははは、分かったよ!」
……!
「桜花になら、喜んで教えるよ」
その言葉を聞いた瞬間、わたくしの胸がさらに温かくなりました。
……ありがとうございます。
ありがとうございます、リアリス様。
わたくしは深く頭を下げました。
「お願いいたします!」
リアリス様は、笑いながら刀の柄へ手を添えられました。
「じゃあ、まず仕組みから説明しようか」
「はい!」
……ああ。
いけません。
わたくし、今、とても嬉しいのです。
◇
「この剣技、【一閃 若桜】はね」
リアリス様は、わたくしに分かりやすいよう、ゆっくりお話しくださいました。
「一見すると、普通の【一閃 乱】に見えるでしょう?」
「……はい。先ほども、最初はそう思いました」
「うん。それが狙いなんだ」
……狙い?
わたくしは、首を傾げました。
「相手が【一閃 乱】を知っていたら、十連撃が来るって考えるよね」
「はい」
「だから、最初は一人のまま【一閃 乱】を撃つように見せる」
リアリス様は、刀を抜く姿勢をなさいました。
「それで、撃つ直前の一瞬に、分身を二体出すんだよ」
……あっ。
先ほどの光景が、頭の中でつながりました。
「それから三人で同時に【一閃 乱】。一人十撃だから、三人で三十連撃になる」
……十撃、三人。
三十撃。
やはり、そうだったのですね。
「相手が『十連撃なら防げる』と思って待ち構えていたところに、いきなり三倍の斬撃が飛んでいくわけ」
リアリス様が、楽しそうに笑われます。
「一度【一閃 乱】を見破られた相手でも、こっちまでは対応しきれないはずだからね」
……なるほど。
わたくしは、思わず頷きました。
単に、三人で攻撃する技ではございません。
分身をあらかじめ見せないこと。
相手が十連撃に備えた、その一瞬を狙うこと。
そこが、この技の本質なのでございます。
たとえば、十撃を見切ったつもりの相手が、刃の軌道を予測したといたしましょう。
その防御は、当然ながら一人分の斬撃を基準にしたもの。
ところが、刀が届く寸前に相手が三人へ増える。
正面だけではなく、左右からも同時に斬撃が飛んでくる。
……十撃を防げたとしても、残る二十撃をどう処理するのでしょう。
しかも、それを考える時間すら与えられない。
……これは。
とても、恐ろしい剣技でございます。
「相手に悟られずに、分身を……」
「そうそう! 分身を出すタイミングが大事なんだ」
「……なるほど」
わたくしは、頭の中で動きを思い描いてみました。
いつもの【一閃 乱】。
その構え。
抜刀の一瞬。
そこで、わたくしの左右へ《分身》を二体。
そして、三人で【一閃 乱】を放つ。
……。
…………。
……できる、でしょうか。
《分身》は、すでにリアリス様から永続付与していただいております。
魔力を持たないわたくしでも、魔力を消費することなく二体を呼び出せる魔法です。
ですが、分身の能力はわたくし本人より少し低くなっております。
【一閃 舞桜】の修練では、その差が問題になっておりました。
わたくし自身は三十八連撃まで届いても、分身と百連撃ずつ合わせるには、まだ時間が必要です。
……けれど。
十撃なら。
《分身》も、すでに繰り返し練習してきた動きでございます。
……もしかしたら。
「今の桜花なら、できるんじゃないかな?」
その声に、はっと顔を上げました。
「……え?」
リアリス様が、にこっと微笑んでおられます。
「【一閃 舞桜】の三百連撃と違って、こっちは一人十撃でいいからね」
……一人、十撃。
「桜花はもう三十八撃まで進んでるんでしょう? だったら、三人で十撃ずつなら十分狙えると思うんだ」
……。
…………。
わたくしは、思わずリアリス様を見つめました。
そんなふうに言っていただけるとは、思っておりませんでした。
「……リアリス様」
「うん?」
「……わたくしにも、可能でございましょうか」
「うん。やってみようよ」
迷いのないお返事でした。
「じゃあ、順番に試してみようか」
リアリス様は、岩の破片が散っていた場所へ手をかざされました。
すると、新たな大岩が現れます。
……先ほどと同じくらいの大きさ。
月明かりに照らされた岩肌が、白く浮かび上がっておりました。
「いきなり難しいことをしなくていいからね。まずは、三人で【一閃 乱】を撃てるか確認しよう」
「……はい!」
わたくしは、刀の位置を確かめました。
……落ち着いて。
教えていただいたことを、一つずつ。
リアリス様が、少し離れた場所に立たれました。
「まずは《分身》で、二体呼び出してみて」
「かしこまりました」
わたくしは、静かに呼吸を整えました。
「《分身》」
ふわり。
左右の空気が揺れます。
そして、わたくしと同じ姿をした二人が現れました。
銀色の短い髪。
同じ刀。
同じ姿勢。
……はい。
いつもどおりでございます。
「うん。いいね!」
リアリス様が、嬉しそうに頷かれました。
「じゃあ三人同時に、あの大岩へ【一閃 乱】を使ってみようか」
「承知いたしました」
わたくしは、左右の分身へ意識を向けました。
二人とも、すでに刀へ手を添えております。
……十撃。
それぞれが十撃。
三人で三十撃。
いまは、分身を出すタイミングを気にする必要はございません。
まずは、三人が同時に技を放つこと。
……それだけに集中いたしましょう。
わたくしたちは、同じように深呼吸いたしました。
夜風が、草をそっと揺らします。
大岩までは、十分な距離。
間に障害物はございません。
……腰を落とす。
鞘をわずかに前へ。
次の動作を、意識する。
……今です。
「「「【一閃 乱】!」」」
銀色の線が、三方向から走りました。
正面へ。
左へ。
右へ。
十の斬撃が三つ。
同じ瞬間に大岩へ届きます。
……っ。
轟音。
大岩が、無数の亀裂を刻まれたまま砕け散りました。
岩の破片が草原へ落ち、夜空へ桜の花びらが舞い上がります。
……。
…………。
……できた?
わたくしは、刀を振り抜いた姿勢のまま固まりました。
いま、確かに。
三人とも、【一閃 乱】を……。
……三十撃。
左右の分身へ目を向けます。
二人とも刀を振り終え、同じようにこちらを見ておりました。
……本当に。
できて、しまいました。
ぱち、ぱち、ぱち。
拍手が聞こえました。
リアリス様でございます。
「うん、出来るね!」
にこにこと笑っておられます。
まるで、最初から分かっていたとでもいうように。
「すごいよ、桜花。三人とも、きれいに十撃ずつできたね!」
……ああ。
リアリス様。
「……はい……出来ました……」
わたくしは、ようやく声を出しました。
何だか、自分の声ではないように感じられます。
頭の中では何度も思い描いていたのに。
実際に、三人で【一閃 乱】を放てるとは。
……こんなにも、嬉しいことなのですね。
「よし。それじゃ、いよいよ本番だね」
……本番。
その言葉で、わたくしは我に返りました。
……そうでした。
いまのは、ただ三人で技を放っただけ。
本来の【一閃 若桜】は、そこからさらに一歩進んだ剣技なのでございます。
◇
リアリス様は、もう一つ大岩を作られました。
先ほど砕いた岩の破片は、いつの間にか片付けられております。
月明かりの下に、新しい岩が一つ。
……先ほどと同じ。
ですが、今度は最初から分身を出しておくことはできません。
「じゃあ、一度分身を消してみて」
「はい」
わたくしは、左右の二人へ意識を向けました。
ふっと空気が揺れ、二人の姿が消えます。
……一人。
いつもの、わたくし一人でございます。
リアリス様が、隣から声をかけてくださいました。
「今度は、【一閃 乱】を撃つ直前に《分身》を使うんだ」
「……はい」
「最初から三人いると、相手に分かっちゃうからね。刀を抜くその瞬間、二人増やして同時に放つ」
……はい。
理解しております。
理解している、はずでございます。
「やってみよう。桜花なら大丈夫だと思うよ」
……リアリス様。
そのお言葉に、胸が温かくなりました。
「……承知いたしました」
わたくしは、岩の正面へ進みました。
距離を確かめる。
足場は、先ほどと同じ草地。
月明かりが、岩肌を照らしております。
……さて。
ここからでございます。
わたくしは、目を閉じました。
まずは、いつもの【一閃 乱】。
腰を落とす。
刀へ手を添える。
足を踏み込む。
……それから。
抜刀する、その直前。
《分身》。
二体のわたくしが現れ、左右へ並ぶ。
三人とも、同じ瞬間に技を放つ。
……できるでしょうか。
先ほどは、分身を呼び出してから構えました。
その方が、三人の動きを合わせやすいのです。
ですが、今回は違います。
抜刀するまで、一人。
そして、一瞬で三人。
……難しい。
わたくしは、いつもより深く息を吸いました。
……けれど。
できないと決めつける理由など、ございません。
リアリス様は、わたくしのために、この剣技をお考えくださいました。
しかも、わたくしが【一閃 乱】を超える日を、ずっと見据えて。
あの方は、わたくしならできるとおっしゃってくださいました。
……ならば。
その期待に、応えたい。
わたくしが、わたくし自身の剣で。
……やってみたいのです。
目を開けると、リアリス様が少し離れたところで見守っておられました。
「桜花、準備はいい?」
「……はい!」
……よし。
「行きます!」
わたくしは深く腰を落としました。
鞘をわずかに前へ出し、柄へ手を添えます。
……いつもの構え。
相手から見れば、ただの【一閃 乱】。
そう見せたまま。
……踏み込む。
足裏が地面を蹴りました。
刀が鞘を離れようとする、その直前。
……今。
「《分身》」
抜刀の息に紛れるほど小さく唱えました。
左右へ二体。
わたくしと、同じ動きを。
同じ一瞬に。
「【一閃 若桜】!」
銀色の線が、夜の草原を走りました。
……正面。
……左。
……右。
三方向の斬撃が重なります。
十。
十。
十。
……あっ。
わたくしには、分かりました。
三人の刃が、それぞれ十撃を放ち終える感覚。
遅れた者は、おりません。
迷った者も、おりません。
……三十撃。
一つの大岩へ、同じ瞬間に届きました。
轟音。
巨大な岩が、内側から砕け散るように崩れ落ちます。
岩の欠片が宙へ跳ね、月明かりに無数の線が閃きました。
そして。
……桜。
花びらが、舞っております。
いつもの十連撃よりも、ずっと多く。
さきほど三人で斬ったときと同じように。
けれど、今度は最初から三人で構えたのではございません。
最後の一瞬まで、わたくし一人だったのです。
そのことが、何より嬉しくて。
……ああ。
わたくしは、刀を振り終えたまま、しばらく動けませんでした。
ふわり。
桜の花びらが、風に乗って消えていきます。
……できた。
本当に、できたのでございますか。
わたくしが。
リアリス様からいただいた、新しい剣技を。
……自分の手で。
「……出来ました……」
声が、かすれてしまいました。
わたくしは、目の前の岩があった場所を見つめたまま呟きました。
……夢では、ございません。
砕けた岩が、地面に散らばっております。
左右には、まだ二人のわたくしが立っておりました。
……そう。
間違いなく、わたくし自身の斬撃でございます。
「……すごい!」
後ろから声が聞こえました。
「すごい! すごいよ桜花!」
……っ。
振り返ると、リアリス様が目を丸くしておられます。
そのまま、ぱちぱちと大きな拍手をくださいました。
「ええっ、本当に一回でできちゃった! いやぁ、びっくりしたよ!」
……ああ。
リアリス様。
驚いて、いらっしゃるのですね。
「まさか、ここまできれいにつながるとは思わなかったなぁ。最後の瞬間に分身が出て、そのまま三人で十連撃!」
リアリス様は、嬉しそうに両手を広げられました。
「完璧だったよ、桜花!」
……完璧。
その一言が、胸に染み込みました。
わたくしは、ゆっくり刀を鞘へ納めます。
二体の分身を消すと、夜の草原に残るのは、わたくしとリアリス様だけになりました。
……先ほどまで、ここに三人のわたくしがいたのですね。
まだ少し、信じられません。
「……ありがとう、ございます……」
ようやく、それだけ申し上げました。
リアリス様は、こちらへ歩いてこられます。
そして、わたくしの前で足を止め、いつもの優しい笑顔を向けてくださいました。
「これで【一閃 若桜】習得だね!」
……。
…………。
……習得。
そうなのですね。
あの技は、もう。
……わたくしのものに、なったのでございますね。
◇
胸の奥で、何かが静かにほどけていくような気がいたしました。
ずっと剣を振ってまいりました。
リアリス様のお役に立ちたくて。
いただいた力を、少しでも活かしたくて。
【一閃 乱れ桜】を初めて拝見したとき、その圧倒的な美しさに心を奪われました。
いつか、わたくしも。
そう願って始めた修練は、思っていた以上に難しいものでございました。
【一閃 舞桜】は、まだ完成しておりません。
百連撃を安定して放つだけでも遠く、分身との連携も、これから磨いていかなければなりません。
……ですが。
あの方は、それをただ見守ってくださっていたわけではなかったのです。
わたくしが努力を重ねる、その少し先に。
別の新しい剣技まで、用意してくださっていた。
わたくしには知らせず、夜の亜空間で調整を重ねておられたのですね。
……ああ。
何と、ありがたいことでしょう。
「桜花?」
リアリス様が、少し不思議そうに顔を覗き込まれました。
「大丈夫? 驚かせすぎちゃった?」
……あっ。
わたくし、黙り込んでしまっていたようでございます。
「申し訳ございません。少し……驚いてしまいまして」
「あはは。そりゃそうだよね。私も一回で完成するとは思わなかったもん」
……そうでございましたか。
リアリス様も、驚かれていたのですね。
何だか、少し嬉しゅうございます。
「三十八連撃まで伸ばしたのもそうだけど、桜花は本当にすごいねぇ」
「……とんでもございません」
反射的に、いつもの言葉が出てしまいました。
ですが、リアリス様は首を横に振られます。
「いやいや。これは桜花が頑張った結果だよ」
……。
…………。
「私も何度も刀を振って技を調整したけど、実際にあの一瞬で分身を出して、三人で十撃ずつ放ったのは桜花でしょう?」
……ああ。
そう、なのでしょうか。
確かに、刀を振ったのはわたくしでございます。
けれど。
「リアリス様が、この技をお作りくださらなければ……」
「でも、桜花が練習してなかったら、今日すぐには使えなかったと思うよ」
リアリス様は、まっすぐにわたくしを見ておられました。
「【一閃 乱】を超えようって頑張ってたからこそ、できたんじゃないかな」
……。
…………。
何を申し上げればよいのか、分からなくなってしまいました。
ただ、胸がいっぱいで。
リアリス様が、わたくしの努力を認めてくださっている。
そのことが、とても嬉しくて。
「……ありがとうございます」
わたくしは、深く頭を下げました。
リアリス様が、少し困ったように笑われます。
「そんなにかしこまらなくてもいいのに」
「……いえ」
わたくしは、顔を上げました。
きちんとお伝えしたかったのです。
「本当に、嬉しゅうございます」
言葉にすると、胸の奥がまた温かくなりました。
「わたくしのために、少し前からお考えくださっていたことも」
……はい。
「わたくしが【一閃 乱】を超えられると、お信じくださっていたことも」
……そして。
「こうして、教えていただけたことも」
リアリス様は、何も言わずに聞いてくださいました。
月の光が、赤い髪を淡く照らしております。
わたくしは、もう一度深く頭を下げました。
「……ありがとうございます、リアリス様」
頭を上げると、リアリス様がにっこり笑っておられました。
「どういたしまして!」
……ああ。
その笑顔を見た瞬間。
わたくしも、自然と笑っておりました。
いつもなら、少し微笑むだけでございます。
けれど、今夜は。
胸の奥に湧き上がる喜びを、どうしても抑えられませんでした。
……ふふっ。
自分でも、驚いてしまいます。
きっと、普段はあまりお見せしない顔なのでしょう。
リアリス様が、少し目を丸くなさいました。
それから、同じように嬉しそうに笑われます。
「……桜花」
「はい」
「よかった。気に入ってもらえたみたいだね」
……気に入る、などという言葉では足りません。
わたくしは、この剣技を大切にいたします。
教えていただいたことを忘れずに。
そして、いつか。
もっともっと、リアリス様のお役に立てるように。
……ですが。
その前に、一つだけ。
「リアリス様」
「うん?」
「この技も、これから大切に磨いてまいります」
「うん。そうしてくれると嬉しいな」
「そして、【一閃 舞桜】の修練も、引き続き続けたいと存じます」
「もちろんだよ!」
リアリス様は、すぐに頷かれました。
「そっちはそっちで、楽しみにしてるからね。焦らず、少しずつやっていこう」
……はい。
焦る必要など、ないのでございますね。
今夜、わたくしには新しい剣技が一つ増えました。
それでも、目指す先が変わったわけではございません。
これからも、剣を磨いてまいります。
……リアリス様。
わたくしのためにお考えくださった【一閃 若桜】。
その最初の一撃を、今夜、こうしてお見せできたこと。
何よりの喜びでございます。
夜風が、ふわりと草を揺らしました。
先ほどまで大岩があった場所に、今は何もございません。
舞い散った桜の花びらも、もう消えております。
けれど、あの光景は、きっと忘れないでしょう。
最初にリアリス様の剣技を見たときの驚きも。
あれが、わたくしのための技だと知ったときの温かさも。
そして、自分で【一閃 若桜】を放てたときの喜びも。
すべて、わたくしの大切な思い出でございます。
「それじゃ、そろそろ屋敷に戻ろうか。もう遅いしね」
「……はい!」
リアリス様が、扉の方へ歩き始められました。
わたくしも、その隣へ並びます。
……ああ。
夜の亜空間。
静かな草原。
そして、新たな剣技。
たまたま扉を見つけて、気になって入ってきただけのはずでした。
それが、こんなにも嬉しい夜になるとは。
……思ってもおりませんでした。
わたくしは、もう一度リアリス様へ目を向けました。
そして、普段より少しだけ大きく微笑みます。
「リアリス様」
「うん?」
「……本当に、ありがとうございました」
リアリス様は、優しく笑われました。
「うん。桜花が喜んでくれて、私も嬉しいよ」
……はい。
わたくしも。
……とても、とても嬉しゅうございます。
「……次は【一閃 若桜 乱】かなぁ」
リアリス様が、ぼそりと呟かれました。その声が、わたくしの耳に届いてしまいました。
「……えっ……?」
――思わず、言葉を失ってしまいました。




