第8話:勇者と転移者と親バカ
……ふぅ。
ようやく落ち着いた。
私は少しぬるくなった紅茶を飲み、そっとカップを置いた。
雪彦君と晴斗君の質問大会。
いやぁ、まさかあんなことになるとは思わなかったねぇ。
日本での仕事から、転生するときにもらった能力、今の屋敷のことまで。
聞かれるままに答えていたら、最後には桜花の容姿が私の潜在意識から生まれたことまで話されてしまった。
……ああ。
思い出すだけで、少し恥ずかしい。
隣を見ると、桜花はいつもどおり優雅に紅茶を飲んでいる。
……うん。
この落ち着きよう。
あの話をした本人とは、とても思えないねぇ。
「リアリス様。お茶のお代わりはいかがですか?」
「あっ、ありがとう。お願いするよ」
「かしこまりました」
桜花が、静かな手つきでカップへ紅茶を注いでくれる。
……ああ。
いい香り。
ここは居間だし、窓からは暖かな日差しも入ってくる。
せっかくの午後なんだから、そろそろ普通の話をしよう。
……うん。
そうしよう。
「それにしても、師匠!」
……おっ。
雪彦君。
まだ何かあるの?
「今日、めちゃくちゃ勉強になりました!」
「……そう?」
「はい! 俺、師匠のことを全然知らなかったんだなって!」
雪彦君は、屈託なく笑った。
……ああ。
そうだよね。
私たちは模擬戦をしたり、魔法の話をしたりしたけど、昔の私についてはほとんど話していなかった。
勇者と師匠。
気づけば、そんな関係になっていたけど。
そもそも、同じ日本から来た人間同士なんだよね。
「私も雪彦君のこと、まだ知らないことが多いと思うよ」
「えっ。そうですか?」
「うん。勇者として頑張ってる話は聞いてるけど、普段はどんなふうに過ごしてるのかとかね」
「……ああ、なるほど!」
雪彦君が、少し嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、次は俺のことも話します!」
……おお。
それはいいね。
「僕も聞いてみたいです!」
晴斗君が、元気よく手を上げた。
……うん。
昨日までは、異世界に来たこと自体が不安で仕方なかったはずの晴斗君。
今は、目の前にいる同郷の人の話を聞くのが楽しみになっている。
……ああ。
来てもらってよかったねぇ。
「そういえば、雪彦さん」
「うん? 何かな?」
「勇者って、召喚されたときに何か特別な能力をもらったりするんですか?」
……おっ。
なるほど。
さっきは私の魔法の話ばかりだったからね。
勇者の能力も気になるよねぇ。
雪彦君は「ああ」と声を上げ、少し考えた。
「そうですね。召喚されたときに、勇者には特別な能力が付くみたいなんです」
「……やっぱり!」
晴斗君が身を乗り出す。
……おお。
食いつきがいいねぇ。
「まず、身体がすごく丈夫になるんですよ。普通の人より、ずっと頑丈で」
「へえ!」
「あと、一番大きいのが《成長限界突破》ですね」
……ああ。
それだね。
勇者にしかない、特別な力。
晴斗君は、ちょっと首を傾げた。
「……成長限界突破?」
「うん。簡単に言えば、レベルの上限がなくなるようなものかな」
「……レベル上限がない!?」
晴斗君の顔が、ぱっと明るくなった。
「それって、ものすごい能力じゃないですか!」
「まあ、そうなんだけどね」
雪彦君が、苦笑いした。
……おや?
珍しく、少し困った顔だね。
「でも、上限がないからって、いきなり強くなるわけじゃないんですよ」
「……あっ」
「鍛えないと、結局は何も変わらないですから」
……うん。
そこが大事だよね。
私の《想像魔法》とは、仕組みが違う。
雪彦君の能力は、どこまでも成長できる可能性を与えてくれる。
でも、その可能性を力に変えるのは、雪彦君自身の努力なんだ。
「魔法も剣術も、最初から全部できたわけじゃないですし」
雪彦君が、自分の手を眺めた。
「魔法の練習をして、剣も振って、ようやく少しずつできるようになったんです」
……ああ。
そうだよねぇ。
勇者と呼ばれるのは簡単でも、その名に見合うだけの力を身につけるのは、大変なはずだ。
「使える魔法も、覚えるためには勉強しないといけないんだよね?」
「そうなんですよ、師匠!」
雪彦君が、大きく頷いた。
「想像しただけで魔法を作れる師匠が、うらやましいくらいです!」
「……あはは」
……うん。
そこは、ちょっとずるい能力をもらっちゃったかもしれない。
「しかも俺、最初は『勇者なら剣も魔法も余裕だろ!』って思ってたんですよ」
「……ああ」
……そういえば。
最初に会った頃は、そんな感じだったねぇ。
「でも、師匠に負けてから考え直しました」
雪彦君は、少しだけ笑った。
「強くなるには、ちゃんと練習しなきゃ駄目なんだって」
……おお。
いいこと言うねぇ。
「雪彦君は、本当に努力したと思うよ」
「……師匠?」
「だって、ちゃんと魔法も剣技も使えるようになったんでしょう? それは雪彦君自身が頑張った結果だよ」
……うん。
私が少し手合わせしたくらいで、急に強くなれるわけじゃない。
あれから、どれだけ練習を重ねたんだろう。
想像するだけでも、大変だったと思う。
「……いやぁ」
雪彦君が、照れくさそうに頭をかいた。
「師匠に言われると、何だか変な感じですね」
「どうして?」
「だって師匠、俺よりずっと強いじゃないですか!」
……あはは。
そういう話じゃないと思うんだけどねぇ。
隣で桜花が、穏やかに微笑んだ。
「雪彦様が積み重ねてこられた鍛錬は、雪彦様ご自身のものでございます」
「……桜花さん」
「リアリス様も、そこをお褒めになっていらっしゃるのかと」
……ああ。
そうそう!
言いたかったのは、それだよ。
「うん。桜花の言うとおりだね」
雪彦君は少し黙り、それから大きく頷いた。
「……ありがとうございます!」
……ああ。
いい笑顔だねぇ。
晴斗君も、何だか嬉しそうに見ていた。
◇
「でも、すごいですねぇ」
晴斗君が、感心したように呟いた。
「僕なんて、何の特別な力もありませんから」
……あっ。
そうだよね。
晴斗君は、勇者として呼ばれたわけじゃない。
自然にこの世界へ転移してしまっただけで、何の加護も能力もなかった。
言葉だって、私が《言語理解》を使うまでは通じなかったんだ。
「晴斗君は、まだこっちへ来て間もないんだから」
私は、笑って声をかけた。
「今は、いろんなことを知るだけで十分だと思うよ」
「……そうですね」
「冒険者にならなきゃいけないわけでもないし、無理して魔法を覚えなくてもいいんだからね」
……うん。
これは、ちゃんと伝えておきたい。
異世界へ来た日本人だからといって、みんなが戦わなきゃいけないわけじゃない。
普通に勉強して、好きな仕事を見つけて、楽しく暮らす。
それだって、立派な生き方だよね。
「……リアリスさん」
「うん?」
「僕、しばらくは学校に通ってみたいです」
……おお!
いいじゃない!
「そうなんだ!」
「はい。昨日と今日、授業を受けてみて、知らないことを知るのがすごく面白くて」
「うんうん」
「まだ何をしたいかまでは分からないんですけど……」
晴斗君は、少し照れたように笑った。
「まずは、この世界のことをちゃんと勉強したいです」
……ああ。
いいねぇ。
私が何かを決めてあげなくても、自分で興味のあることを見つけ始めてる。
「アンナさんにも伝えておくよ。無理のない範囲で通ってみようか」
「ありがとうございます!」
……うん。
嬉しいなぁ。
雪彦君も、うんうんと頷いていた。
「いいと思うよ、晴斗君! 俺も最初、こっちのことが全然分からなくて困ったから」
「やっぱり、そうですか?」
「うん。勇者だからって、町のことまで全部知ってるわけじゃないしね」
……あはは。
それはそうだよねぇ。
「俺なんか、こっちの国の名前もなかなか覚えられなくてさ」
「分かります! 僕も昨日、地図を見せてもらってびっくりしました!」
……おお。
同じ悩みで盛り上がってる。
私は、二人のやり取りを見ながら紅茶を飲んだ。
……うん。
やっぱり、こういう時間はいいねぇ。
同じ日本人だからって、全部の考えが同じになるわけじゃない。
でも、分かり合えることもある。
それだけで、少し気持ちが軽くなるんじゃないかな。
「そういえば、雪彦君」
「はい、師匠!」
「最近は魔国で、どんな依頼を受けてるの?」
……そうだ。
午前中に来たとき、魔国での冒険者の仕事が終わったって言ってたよね。
詳しいことは、まだ聞いてなかった。
「今は、護衛とか魔獣の討伐とかですね」
「おお。冒険者らしいね!」
「そうなんですよ。魔国でもギルドができて、仕事がいろいろ増えたんです」
……ああ。
いいことだねぇ。
魔国の人たちが、以前より安心して暮らせるようになったなら、私も嬉しい。
「もちろん、危ない依頼もあるから、気は抜けませんけどね」
「うん。怪我には気をつけてね」
「はい!」
雪彦君が、明るく返事をした。
……うん。
元気で何より。
けれど、そのあとで雪彦君は、少し困ったように笑った。
「でも、正直なところ、俺なんてまだまだですよ」
「……どうして?」
「いやぁ……たぶん今でも、魔王には勝てないと思います」
……。
…………。
「……倒さないであげて」
思わず、そう言ってしまった。
晴斗君が、目を丸くする。
雪彦君が、きょとんとした顔でこちらを見る。
……いや。
だって。
今、魔国の話をしてたよね?
ドルステンさんとだって、仲良くなったんでしょう?
「師匠! 俺、倒すなんて言ってないですよ!」
「……あっ。そうか」
「強さの話ですって!」
……あはは!
そうだったね。
私は、思わず笑ってしまった。
「ごめんごめん。昔の勇者と魔王の話を思い出しちゃったよ」
「もう! 今は仲良くやってますから!」
「うん。それなら安心だね」
……ああ。
よかった。
それにしても。
以前なら、勇者が魔王の国で依頼を受けるなんて、考えられなかっただろうね。
今は同じ場所で働いて、同じ町で食事もできる。
……うん。
和平を進めて、本当によかった。
「……ちょっと待ってください」
晴斗君が、ふと首を傾げた。
「勇者って、魔王を倒す人じゃないんですか?」
……おっ。
そりゃ気になるよね。
私も日本にいた頃だったら、そう思ってたはずだ。
「昔は、人間と魔族が長いこと争っていたからね」
私は、なるべく分かりやすく話した。
「だから、魔王を倒す勇者を呼ぼうって考えた国もあったんだよ」
「……それで、雪彦さんが召喚されたんですね」
「そうそう」
雪彦君が頷く。
「でも、師匠たちがいろいろ動いてくれて、今は戦争する理由もなくなりましたから」
「……へえ」
「だから、勇者として魔王を倒す必要もないんですよ」
……うん。
そのとおりだ。
今はもう、昔のような戦争を続ける必要はない。
もちろん、全部の問題が一度に消えたわけじゃないだろうけど。
それでも、以前よりずっと穏やかになったと思う。
「雪彦君も、今は冒険者としていろんなところへ行けるんだもんね」
「はい! せっかく異世界へ来たんですから、いろんな景色を見たいです!」
……おお。
それ、いいねぇ。
私も、この世界のいろんな場所を見て回るのが好きだ。
もちろん、旅先で事件に巻き込まれるのは遠慮したいけどね。
「勇者って、魔王を倒すためだけにいるわけじゃないんですね」
晴斗君が、少し感心したように言った。
「そうだね」
私は頷いた。
「雪彦君は雪彦君の人生を、好きなように歩けばいいと思うよ」
「師匠……!」
雪彦君が、ぱっと笑顔になった。
「やっぱり師匠はいいこと言いますね!」
「……いやぁ。そんな大げさな話じゃないよ」
……あはは。
そういうの、ちょっと照れちゃう。
桜花が、隣で静かに微笑んでいる。
……うん。
ここまでは、実に平和なお話だねぇ。
このまま、楽しい午後が続くといいな。
◇
それからしばらく、三人でこの世界の話をした。
雪彦君は、魔国での生活を楽しそうに教えてくれる。
街の人たちのこと。
ギルドで知り合った冒険者のこと。
依頼の帰りに立ち寄ったお店のこと。
……うん。
ちゃんと、あの国で自分の居場所を見つけているんだねぇ。
最初に会った頃は、勇者として何でもできると思っていた少年が。
今では、周りの人と協力して働いている。
……ああ。
成長したんだなぁ。
「師匠、どうしました?」
「……うん?」
「何か、にこにこしてますけど」
「……ああ。雪彦君も、ずいぶん立派になったなぁって」
「……ええっ!?」
雪彦君が、急に顔を赤くした。
「ちょ、ちょっと師匠! そういうこと、急に言わないでくださいよ!」
「……あはは。ごめんごめん」
……おお。
こんな反応するんだねぇ。
晴斗君も、くすくす笑っている。
「雪彦さん、リアリスさんに褒められると照れるんですね」
「そりゃ照れるよ! だって、師匠だし!」
……おや。
私、そんなに特別なことを言ったかな。
ただ、頑張ってるんだなぁって思っただけなんだけど。
……うん。
まあ、喜んでくれたならいいか。
「晴斗君は、今後どんなところに行ってみたい?」
私は、話を振ってみた。
「えっ、僕ですか?」
「うん。せっかくこの世界にいるんだし、興味のある場所があったらね」
……もちろん、すぐに出かける必要はない。
まずは王都の暮らしに慣れてもらいたい。
でも、いつか落ち着いたら、一緒に旅をするのも楽しそうだ。
「……そうですね」
晴斗君は、少し考えた。
「昨日見た王城もすごかったですし、他の国のお城も見てみたいです」
「おお! いいねぇ」
「あと、魔法国ってどんなところなんだろうって」
「魔法国も面白いよ。魔法を研究している人たちがたくさんいるからね」
魔法国では、いろいろなことがあったなぁ。
勇者の雪彦君と初めて手合わせしたのも、あの国だった。
……ああ、懐かしい。
晴斗君と一緒にもう一度訪ねたら、今度はどんな景色が見られるだろう。
それを考えるだけでも、ちょっと楽しみだねぇ。
「魔国にも来てよ!」
雪彦君が、楽しそうに声を上げた。
「こっちに来てからの話なら、俺が案内するから!」
「本当ですか!?」
「もちろん!」
……おお。
いいねぇ。
私は、二人のやり取りを見ながら微笑んだ。
「そのときは、私も一緒に行こうかな。まだまだ見てない場所もあるし」
「師匠も!?」
「うん。久しぶりに、のんびり旅がしたいなぁって」
……ああ。
言葉にすると、ますます行きたくなってくるね。
魔国には屋敷もあるし、扉で行き来できる。
日程さえ合えば、日帰りでも遊びに行けるんだよね。
「……リアリスさん」
晴斗君が、少しだけ目を細めた。
「うん?」
「また、のんびり系の異世界もののお話が始まりそうですね」
……。
…………。
「……その話は、もう解決したよ!?」
思わず言い返してしまった。
……もう!
晴斗君、覚えてたんだね!
雪彦君が、きょとんとした。
「……のんびり系?」
「はい。リアリスさん、異世界に来たらのんびり暮らしたかったそうなんです」
「……えっ」
雪彦君が、私を見た。
「師匠が?」
「そうだよ?」
「……本気で?」
「もちろん!」
……あれ。
何で二回も確認するのかな。
「師匠、世界を救ってるじゃないですか!」
「……うっ」
「しかも、いろんな国の人たちと知り合いで、ギルドでも特別なランクになってて!」
「……それは、まあ」
「それで、のんびり暮らしたかったんですか!?」
……ああ。
痛いところを突いてくるねぇ。
私は、紅茶のカップをそっと持ち上げた。
「……今も、ちゃんとのんびりしてるから」
……うん。
カトレアと巴さんに教えてもらったんだ。
忙しい日があっても、家族との穏やかな時間があれば、それでいい。
……うん。
そのはずだ。
「……なるほど」
雪彦君が、急に何か納得したように頷いた。
……おっ?
分かってくれたかな?
「……師匠ののんびりって、規模が違うんですね!」
……。
…………。
「……違わないよ!?」
……ああ。
もう駄目だ。
この二人、すっかり意気投合しちゃってる。
晴斗君が笑い、雪彦君まで笑い出す。
桜花も、隣で口元を隠していた。
……ああ。
味方がいない。
……いや。
そもそも、誰と戦ってるわけでもないんだけどね。
「……まあ、楽しそうで何よりだよ」
私は、苦笑いしてカップを置いた。
……うん。
実際、楽しいんだから仕方ない。
◇
そんな話をしていると、居間の扉が控えめに叩かれた。
「お父さん、入っていい?」
……おっ!
カトレアだ!
「もちろんだよー!」
扉が開くと、薄青色のおかっぱ頭が覗いた。
……ああ。
可愛いねぇ。
学校から帰ってきたあと、昼食を食べて、少し休んでいたはずだけど。
今度はどうしたんだろう。
「お父さん、桜花お姉ちゃん」
「うん?」
「はい、カトレア様」
カトレアが、にこっと笑った。
「これからニーナと、学校の花壇のお世話をしてくるね!」
……おお!
なるほど!
「今日も花壇の手入れ?」
「うん。朝見たら、少し土が乾いてたの。ニーナと相談して、お水をあげに行くことにしたんだ」
……ああ。
そうだったね。
カトレアは最近、学校の花壇にずいぶん熱心だ。
ニーナちゃんと一緒に花を選んで、育て方を調べて。
家に帰ってからも、絵や記録をつけている。
……うん。
立派だねぇ。
「もちろん、行っておいで!」
「やった!」
「日が暮れる前には帰ってくるんだよ。気をつけてね」
「うん。分かってる!」
カトレアは、嬉しそうに頷いた。
……あっ。
そうそう。
忘れちゃいけない。
「モフ太も一緒に連れていってね」
「はーい!」
……よし。
これで安心。
……あれ?
さっきまでなら、ここから私の心配性が始まるところだったのかな。
……いや。
今日は、大丈夫。
昨日、あの子が一人で王都を歩けるところを見たからね。
……うん。
ちゃんと信じて送り出そう。
「ご主人様」
居間の入口から、丁寧な声が聞こえた。
小さくなったモフ太だ。
赤いリボンをつけた熊が、きちんと座っている。
「カトレアの護衛は、私にお任せください」
「うん。よろしくね!」
「承知いたしました」
……ああ。
頼もしいねぇ。
「晴斗さん、雪彦さんも、行ってきます!」
カトレアが二人へ手を振った。
「行ってらっしゃい、カトレアさん!」
「いってらっしゃい!」
晴斗君と雪彦君も、笑顔で応える。
……うん。
いいねぇ。
「桜花お姉ちゃん、帰ったら今日のお花の記録を見てね」
「もちろんでございます。楽しみにしております」
「えへへ!」
カトレアは、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、いってきまーす!」
「いってらっしゃい!」
カトレアとモフ太が、廊下の向こうへ歩いていく。
小さな足音が遠ざかった。
……うん。
今日も元気だ。
私は、安心してソファへ座り直した。
……あれ。
何だか、静かになったねぇ。
……いや。
まだ、目の前に賑やかな二人がいるんだった。
◇
「……師匠?」
雪彦君が、妙に真剣な顔でこちらを見ていた。
……おや?
どうしたんだろう。
「うん? 何かな?」
「……今の子」
「カトレア?」
「はい」
雪彦君が、少し言葉を探すように口を開いた。
「……お父さんって、呼んでましたよね?」
……。
…………。
……おっ?
「うん。そうだよ」
私は、普通に答えた。
……あれ。
そんなに驚くことかな。
「……娘!?」
雪彦君の声が、一段と大きくなった。
……あっ。
そこ!?
「師匠、娘がいたんですか!?」
「うん」
「……えええっ!?」
……おお。
すごい驚き方だねぇ。
雪彦君が、ソファから腰を浮かせた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「……うん?」
「師匠って、こっちで結婚してたんですか!?」
……。
…………。
「……あはは!」
思わず笑ってしまった。
……いやぁ。
そう思うよね。
十四歳の娘がいたら、普通は結婚してるって考えるかもしれない。
「結婚はしてないよ」
「……えっ!?」
「カトレアは、私の養女なんだ」
……あっ。
雪彦君が、ぴたりと動きを止めた。
「……養女?」
「うん。いろいろあって、私が保護した子なんだよ」
私は、自然と笑った。
……ああ。
もうずいぶん前のことになったねぇ。
今では、カトレアが最初から私の娘だったみたいに感じる。
……うん。
大切な家族だ。
「……そうだったんですね」
雪彦君が、ようやく座り直した。
その隣で、晴斗君も頷いていた。
「実は僕も、ちょっと気になってました」
「……おっ?」
晴斗君まで?
「はい。カトレアさん、ずっとリアリスさんのことをお父さんって呼んでますし」
「うんうん」
「でも、このお屋敷で奥さんらしい人を見かけなかったので……」
……ああ。
なるほどねぇ。
そういうことか。
私と桜花を見て、何か考えてたのかな。
……いや。
そこまでは分からないけど。
晴斗君が、少し慌てたように手を振った。
「すみません! 変なこと聞いちゃって!」
「いやいや。別に聞かれて困ることじゃないよ」
私は、笑って答えた。
……うん。
カトレアが私の娘なのは、隠すようなことじゃない。
血がつながっていなくても、親子には変わりないんだから。
「……そういえば」
雪彦君が、少し考え込んだ。
「師匠とカトレアさん、顔も髪の色も全然違いますもんね」
「そうだねぇ。私の髪は赤いし、カトレアは水色だからね」
「……ああ、なるほど」
雪彦君は、少し納得したように頷いた。
……うん。
ようやく理解してくれたみたいだね。
「……養子、か」
雪彦君が、ぽつりと呟いた。
……おっ。
何か気になること、あるのかな。
私は、ちょっとだけ身を乗り出した。
「……一応言っておくけど、誘拐じゃないからね!?」
……。
…………。
「……誰もそんなこと思ってませんよ!?」
雪彦君が、思わず声を上げた。
……あっ。
そうだよねぇ。
「ごめんごめん。さっき、異世界誘拐って話してたから、つい」
「それとこれは違いますって!」
……あはは。
確かに。
晴斗君も、笑いながら頷いていた。
「僕たちだって、ちゃんと分かってますよ」
……うん。
よかった。
……いや。
私、何を心配してたんだろう。
そもそも、そんな誤解をするような二人じゃないのにねぇ。
雪彦君が、少し表情を落ち着かせた。
「……でも、師匠」
「うん?」
「カトレアさんとは、どうやって知り合ったんですか?」
……あっ。
そこも気になるよね。
私は、窓の外へ目を向けた。
庭の花が、風に揺れている。
……ああ。
あの子と初めて会ったのも、こんな穏やかな日だったかな。
……いや。
天気は穏やかでも、起きたことは全然穏やかじゃなかったんだよね。
「……少し前の話になるんだけど」
私は、ゆっくり口を開いた。
「桜花と一緒に、王都の近くの森へ薬草採取に行ったことがあってね」
「薬草採取!?」
雪彦君が、また驚く。
……おや?
そこ?
「師匠が薬草採取の依頼を!?」
「うん。昔は普通にFランク冒険者だったからね」
「……そうだったんですか!」
……ああ。
雪彦君、私がSSランクになる前のこと、あまり知らないもんね。
……まあ。
Fランクのまま世界を救っちゃったのも、かなりおかしい気がするけど。
「でね、帰ろうとしていたら、街道の方から助けを求める声が聞こえてきたんだ」
雪彦君の表情が、少し変わった。
晴斗君も、静かに聞いている。
「行ってみたら、馬車がオークに襲われててね。護衛の冒険者さんたちも、必死に戦ってた」
「……オーク」
雪彦君が、ゆっくり頷く。
……うん。
魔獣と戦った経験があるから、どんな状況だったか少しは分かるんだろう。
「桜花がオークを倒してくれたんだ。私も、怪我をしていた冒険者さんを治療した」
「……さすが桜花さん」
雪彦君が、桜花を見た。
「とんでもございません」
桜花は、静かに頭を下げた。
……ああ。
あのときの桜花、本当に頼もしかったなぁ。
私は、少しだけ息を吐いた。
「でもね、間に合わなかった人たちもいたんだ」
……。
…………。
居間が、少し静かになった。
私は、あの日の馬車を思い出した。
壊れた車輪。
散らばった荷物。
必死に盾を構えていた冒険者さん。
そして、荷台の奥にいた小さな女の子。
「……カトレアの両親も、亡くなっていたんだよ」
雪彦君と晴斗君が、何も言わずに私を見ている。
……うん。
こういう話は、軽く扱うことじゃない。
でも、今のカトレアのことを知ってもらいたいから、ちゃんと話そう。
「カトレアは馬車の中で、とても怖がっていたんだ」
私は、ゆっくり続けた。
「桜花が話しかけてくれて、ようやく一緒に来てくれた。最初は、ほとんど何も話さなかったね」
……ああ。
今の元気なカトレアを見ていると、あの頃のことが遠く感じる。
でも、忘れたわけじゃない。
たぶん、カトレア自身だって同じだと思う。
「生き残った冒険者さんも二人いてね。二人にはギルドへ報告してもらって、私はカトレアを連れて帰ったんだ」
「……そうだったんですか」
雪彦君が、小さく呟いた。
「それから、ずっと一緒に?」
「うん。屋敷で暮らすうちに少しずつ慣れてくれてね」
……そう。
最初は、安心して眠ることだって難しかった。
それでも、桜花や巴さんたちがそばにいてくれて。
楓も、何気ないところで気遣ってくれた。
カトレアは少しずつ笑うようになって、花壇に興味を持って。
それから。
「私のことを『お父さん』って呼びたいって言ってくれたんだよ」
……。
…………。
……ああ。
思い出しちゃった。
あのときの声。
ちょっと遠慮がちで、でも、一生懸命だった。
私は嬉しくて、どう答えたらいいのか分からなくなったんだっけ。
……うん。
懐かしいねぇ。
「それで、正式に娘として迎えたんだ」
私は、少し笑った。
「だから、カトレアは私の娘。大切な家族なんだよ」
……ああ。
やっぱり、こう言うのが一番しっくりくるね。
◇
しばらく、誰も口を開かなかった。
……あっ。
ちょっと重い話になっちゃったかな。
私は、二人の顔を見た。
雪彦君は、いつもの元気な表情ではなく、何かを考えるような顔をしている。
晴斗君も、静かに頷いていた。
……うん。
無理に明るくする必要はないんだろうけど。
でも、今のカトレアのこともちゃんと話したいな。
「……まあ、今ではね」
私は、少しだけ声を明るくした。
「庭の花のことなら、私よりずっと詳しくなってるんだよ!」
……おっ。
二人が、顔を上げた。
「そうなんですか?」
「うん。ニーナちゃんっていう友達もできてね。学校の花壇を二人で育ててるんだ」
私は、窓の外の庭を指した。
「うちの庭でも、どの花がいつ咲くか、ちゃんと記録してるんだよ」
「……へえ!」
雪彦君が、少し笑った。
……うん。
いい反応。
「最近は、私が知らない花の名前まで教えてくれるんだ」
「すごいですね!」
「でしょう!?」
……あっ。
嬉しくなって、つい声が大きくなっちゃった。
私は、慌てて咳払いをした。
「……こほん。まあ、そういうわけでね」
……いや。
まだまだ話したいことは、いっぱいある。
ニーナちゃんとの出会い。
初めて友達の家へ遊びに行ったこと。
花の絵を描くときの真剣な顔。
それから、昨日の初めての一人王都。
……ああ。
どれも、いい思い出だねぇ。
「昨日なんてね、カトレアが初めて大人の付き添いなしで、ニーナちゃんの家へ行ったんだよ」
「……おお!」
雪彦君が、ぱっと顔を明るくした。
「それは、いいですね!」
「うん! すごいでしょう!」
……ああ。
分かってくれる人がいると、嬉しい。
……ただし。
その隣で、晴斗君が妙に楽しそうな顔をしている。
……あれ。
嫌な予感。
「リアリスさん、昨日は大変でしたよね」
……。
…………。
「……晴斗君?」
……あっ。
まさか!
「変装して、ずっとカトレアさんのあとをついて行ってましたもんね」
……。
…………。
「……あああっ!」
言っちゃった!
雪彦君が、ものすごい勢いでこちらを向いた。
「……変装!?」
……うっ。
「師匠、何してたんですか!?」
「い、いやぁ……ちょっとだけね」
「ちょっとだけ!?」
……ああ。
その反応、正しいよね。
私は、諦めて肩を落とした。
「カトレアが無事に友達の家へ着くか、心配だったんだよ」
……うん。
それだけ。
それだけなんだけどね。
「でも、モフ太くんが一緒だったんですよ?」
晴斗君が、笑いながら付け加える。
……ああ。
そこまで言う?
「モフ太……?」
雪彦君が、少し首を傾げた。
「さっき一緒に出かけていった、小さい熊だよ」
「……ああ! あの可愛い熊!」
「うん」
……おお。
可愛いって言ってくれた。
そこは嬉しいねぇ。
「本当の姿は全長五メートルのSランク魔獣でね。今は小さくなってるんだ」
……。
…………。
「……Sランク!?」
雪彦君が、目を丸くした。
……あっ。
今日は、驚かせてばかりだねぇ。
「しかも、いろいろな防御魔法を使えるから、カトレアの護衛には十分なんだけど」
「……じゃあ、何を心配してたんですか!?」
……。
…………。
……ぐはっ。
そこ!
そこを突かれると、困るんだよぉ。
「だって、初めてだったんだよ!?」
私は、思わず身を乗り出した。
「今までは私かセバスが一緒に行ってたのに、昨日は大人の付き添いなしだったんだから!」
「……なるほど」
雪彦君が、何だか納得したように頷いた。
……おっ?
分かってくれた?
「師匠、親バカなんですね!」
……。
…………။
「……うん。否定しないよ」
私は、がっくりとソファにもたれた。
……ああ。
昨日も晴斗君に言われたねぇ。
世界を救った英雄で、心配性の親バカ。
……うん。
言い返せない。
隣で、桜花が小さく微笑んだ。
「リアリス様は、カトレア様をとても大切になさっております」
「……桜花」
「ええ。大切になさりすぎて、昨日は街の皆様にまで応援されていらっしゃいました」
……。
…………。
「……桜花ぁ!?」
……追い打ち!?
雪彦君が、とうとう吹き出した。
「……あはははっ! 師匠、町の人に応援されたんですか!?」
「……うん」
「世界の英雄が、娘の尾行で応援されるって!」
……ああ。
笑われてる。
ものすごく笑われてる。
……でも、仕方ないよねぇ。
私だって、他の人の話だったら笑っちゃうと思う。
「しかも、結局カトレアさんにはバレてましたからね」
晴斗君が、にこっと笑う。
「……そこは言わないでぇ!」
……ああ。
もう。
さっきまで、いいお父さんの話をしてたはずなのに!
どうしてこうなっちゃったんだろう。
……いや。
大体、私が悪いんだけど。
雪彦君が、しばらく笑ってから、目元を拭った。
「……いやぁ、すみません。笑っちゃいました」
「……いいよ。私も今なら笑えるしね」
……うん。
カトレアが無事に帰ってきて、夕食で『ありがとう』って言ってくれた。
それだけで、十分だよ。
私は、少しだけ笑った。
「でもね、雪彦君」
「はい?」
「カトレアが元気に笑ってくれてると、本当に嬉しいんだ」
……そう。
昔のことを思い出すたびに、その気持ちは強くなる。
あの子が、今は自分の足で学校へ行って。
友達と花の世話をして。
家に帰ったら、今日あったことを楽しそうに話してくれる。
……うん。
それが一番、幸せだ。
「だから、今はカトレアのお父さんとして、いっぱい甘やかしてまーす!」
私は、思い切り笑った。
……ああ。
言っちゃった。
晴斗君が、すぐに笑い出した。
「……あはは! やっぱり、親バカですね!」
「そうだねぇ!」
雪彦君まで、楽しそうに頷いている。
「師匠があんなに嬉しそうな顔するの、初めて見た気がします!」
……おっ。
そんなに?
私は、頬に手を当てた。
……ああ。
自分でも、にやけてるのが分かる。
桜花が、穏やかに頷いた。
「リアリス様にとって、カトレア様の幸せが何より大切なのでございます」
「……うん。そうだね」
私は、素直に答えた。
……ああ。
家族が元気で、楽しく暮らしてくれる。
私は、それを守りたいだけなんだよねぇ。
「……なんか、いいですね」
晴斗君が、ぽつりと呟いた。
「リアリスさんが、カトレアさんのお父さんで」
……おっ。
私は、晴斗君を見た。
少し照れくさそうに笑っている。
「カトレアさんも、楽しそうですし」
……ああ。
ありがとう。
そう言ってもらえると、すごく嬉しい。
「……うん。私もそう思うよ」
私は、ゆっくり頷いた。
……そうだね。
血のつながりはなくても、あの子は大切な娘だ。
私は、これからもお父さんでいたい。
◇
それからも、居間での話は尽きなかった。
雪彦君の魔国での暮らし。
晴斗君が学校で習ったこと。
私が、この世界へ来て最初に驚いた食べ物や道具のこと。
話題が変わるたびに、誰かが驚いて、誰かが笑う。
……うん。
最初は、二人を紹介するだけのつもりだったんだよ。
それが、いつの間にかこんなに賑やかになってる。
……ああ。
来てもらってよかったねぇ。
「そういえば、晴斗君」
雪彦君が、焼き菓子を一つ手に取った。
「明日も学校へ行くんだっけ?」
「はい! アンナ先生の授業、また受けたいです」
「へえ、楽しそうだね」
「雪彦さんも、時間があったらどうですか?」
「……えっ。俺も!?」
雪彦君が、目を丸くした。
……おっ。
面白そうな話だねぇ。
「いいんじゃない?」
私は、思わず口を挟んだ。
「雪彦君も、知らないことがあったら勉強できるんだし」
「……師匠まで!?」
「うちの学校、大人も通ってるからね」
……あはは。
そう考えると、勇者が授業を受けてるところも見てみたいなぁ。
……いや。
先生が困っちゃうかな。
「……でも、面白そうですね」
雪彦君が、少し考えるように笑った。
「魔国でも勉強することはあるんですけど、こっちの学校はまた違うんでしょうね」
「そうだね」
私は頷いた。
「興味があったら、いつでも来ていいよ」
「ありがとうございます!」
……うん。
こうやって、少しずつ交流が増えていくのもいいね。
日本人が三人集まった。
でも、今の私たちが暮らしているのはステラだ。
ここで知り合った家族や友達も、もちろん大事にしたい。
……ああ。
なんだか、いい関係になりそうだねぇ。
「ところで、師匠」
雪彦君が、少し笑った。
「まだ質問してもいいですか?」
……。
…………။
「……まだあるの!?」
私は、思わずソファへ沈み込んだ。
……ああ。
もう質問大会は終わったはずじゃない?
「いやぁ、せっかくですし!」
「……何かな?」
「師匠、次に魔国へ来る予定はあります?」
……あっ。
普通の質問だった。
私は、少しだけ安心した。
「まだ決めてないけど、近いうちに顔を出したいねぇ」
「本当ですか!?」
「うん。ドルステンさんにも会いたいし、魔国邸のみんなの様子も見たいからね」
……ああ。
あの国にも、大切な家族がいる。
最近は任せきりになってたから、少し顔を出したいな。
「それなら、ぜひ連絡してください!」
「うん。今度はちゃんと知らせるよ」
……あっ。
前に連絡しなかったこと、まだ気にしてるのかな。
雪彦君が、嬉しそうに笑った。
「約束ですよ!」
「約束」
私は、笑って頷いた。
……うん。
今度は忘れないようにしよう。
……いや。
忘れてたわけじゃないんだけどね。
色々あって、時間が取れなかっただけで。
……まあ、いいか。
◇
話しているうちに、窓から差し込む光が少し赤みを帯びてきた。
……おや。
もう、こんな時間?
私は、壁の時計を見た。
昼食のあとから、随分長いこと話していたらしい。
……ああ。
楽しい時間は、本当にあっという間だねぇ。
「そういえば、カトレアは帰ってきたかな」
ふと気になって、私は桜花へ声をかけた。
「リアリス様。少し前に、お戻りになっております」
「……おっ。そうなんだ!」
「はい。モフ太もご一緒でございます。今はお部屋で、本日のお花の記録をお書きになっております」
……ああ。
よかった。
ちゃんと帰ってきてるんだね。
……うん。
モフ太もお疲れさま。
「桜花、ありがとう」
「とんでもございません」
……ああ。
昨日の私なら、ここで『何時に帰ってきたの!?』なんて大騒ぎしていたかもしれない。
今日は安心して、桜花の報告を聞けた。
……うん。
私も、少しは成長したかなぁ。
「……リアリスさん」
晴斗君が、ちょっと楽しそうに笑った。
「今日は尾行しなかったんですね」
「……しないよ!」
……ああ。
その話、まだ続くの!?
「カトレアを信じてるからね」
私は、少し胸を張った。
……うん。
今日は本当に、ちゃんと送り出せた。
桜花が、小さく頷いた。
「はい。リアリス様は立派にお見送りになられました」
……。
…………。
「……桜花、そこまで褒めてもらうことかなぁ」
「ふふっ」
……あっ。
また笑われた。
雪彦君まで笑っている。
「師匠、やっぱりいいお父さんですね!」
「……ありがとう?」
……あれ。
これは褒められてる?
少しだけ自信がなくなってきたねぇ。
そうして笑い合っていたところで。
「……おっと!」
雪彦君が、ふと窓の外を見た。
「もう夕方じゃないですか!」
……あっ。
そうだね。
「そろそろ魔国の宿へ戻らないと」
雪彦君が、名残惜しそうに言った。
……ああ。
もう帰る時間なんだね。
「そっか。今日はわざわざ来てくれて、ありがとう」
「いえいえ! こちらこそ、ありがとうございました!」
雪彦君が、元気よく頭を下げた。
「異世界で、こんなふうに日本人同士で話せるなんて、夢にも思ってませんでした!」
……ああ。
その気持ち、分かるなぁ。
私も、こんな日が来るとは思っていなかった。
自分とは違う経緯でこの世界へ来た二人と、こうして楽しく話せたんだから。
「晴斗君も、今日はどうだった?」
「はい! 本当に楽しかったです!」
晴斗君が、少し照れたように笑う。
「雪彦さん、またお話ししてもらえますか?」
「もちろんだよ!」
雪彦君が、すぐに頷いた。
「今度は晴斗君の学校の話も、もっと聞かせてね」
「はい!」
……うん。
もうすっかり仲良しだねぇ。
私は、自然と笑顔になった。
「それじゃあ、雪彦君。また連絡するね」
「はい、師匠!」
私は、隣の桜花へ目を向けた。
「桜花、悪いんだけど、雪彦君を魔国邸の《簡易転移》の扉まで案内してもらえる?」
「かしこまりました」
桜花が、静かに立ち上がった。
「雪彦様。こちらへどうぞ」
「ありがとうございます、桜花さん!」
雪彦君が、席を立つ。
そして、ふと振り返った。
「……師匠!」
「うん?」
「また、剣の稽古もお願いします!」
……おお。
いいねぇ。
「もちろん! 時間が合うときにね」
「やった!」
……あはは。
元気だねぇ。
雪彦君は、満面の笑みで頭を下げた。
「今日は本当にありがとうございました!」
「こちらこそ!」
晴斗君も、立ち上がって丁寧にお辞儀した。
「雪彦さん、来てくれてありがとうございました!」
「うん。またね、晴斗君!」
……ああ。
いい別れ方だねぇ。
桜花に案内され、雪彦君が居間を出ていった。
しばらくして、廊下の向こうで扉が開くような音がした。
……うん。
魔国邸へ戻ったんだね。
そこから宿まで、気をつけて帰ってほしいな。
……いや。
勇者なんだから、大丈夫だとは思うけど。
……ああ。
また心配性が出ちゃったねぇ。
◇
雪彦君が帰ると、居間が少し静かになった。
……おお。
ずいぶん違うねぇ。
さっきまで、向かい側から元気な声が聞こえていたのに。
……あはは。
雪彦君がいると、やっぱり賑やかになるんだね。
私は、カップに残っていた紅茶を飲んだ。
……少し冷めてるけど、おいしい。
向かいでは、晴斗君が窓の外を眺めていた。
何か考えているような、少しほっとしているような顔だ。
……うん。
今なら、ゆっくり聞けるかな。
「晴斗君」
「……はい?」
「雪彦君に会ってみて、どうだった?」
晴斗君は、少しだけ目を丸くした。
それから、ゆっくり笑った。
「……面白い人でした」
「……あはは。そうだねぇ」
……うん。
それは、間違いない。
「すごく元気で、話しやすくて。最初は勇者って聞いて、もっと怖い人なのかなって思ってましたけど」
「……そうなんだ」
「でも、全然そんなことなくて」
晴斗君は、両手でカップを包んだ。
「……同じ日本から来た人なんだなって、思いました」
……ああ。
なるほど。
「リアリスさんも日本人ですけど、転生したっておっしゃってましたよね」
「うん」
「僕は、普通に学校にいたところから、いきなりこっちへ来ちゃって……」
……そう。
その違いは、大きいよね。
私は向こうでの人生を終えている。
でも、晴斗君は違う。
今も日本に残してきた家族や友達がいる。
……ああ。
雪彦君も、そうなんだよね。
「雪彦さんの話を聞いて、何だか少し安心したんです」
「……安心?」
「はい」
晴斗君が、小さく頷いた。
「同じように、突然この世界へ来た人がいるって分かっただけで」
……。
…………。
「……そっか」
私は、静かに頷いた。
……ああ。
呼んでよかった。
私は晴斗君に、《言語理解》を使って、屋敷に泊まってもらって、学校も案内した。
できることは、いろいろやってきたつもりだった。
でも。
『同じ体験をした人がいる』っていう安心感は、私だけでは渡せなかったのかもしれない。
……うん。
雪彦君に来てもらった意味が、ちゃんとあったんだね。
「雪彦君も、突然召喚されたときは大変だったみたいだからね」
「はい。話を聞いて、驚きました」
晴斗君が、少し笑った。
「でも、今は楽しそうでしたね」
「そうだねぇ」
「だから、僕も……」
晴斗君は、ちょっと考えてから言葉を続けた。
「今はまだ分からないことばかりですけど、少しずつ慣れていけたらいいなって思います」
……ああ。
いいねぇ。
「うん。急がなくていいよ」
私は、自然と笑った。
「知らないことは、一つずつ覚えていけばいいんだから」
「……はい!」
……うん。
いい返事だ。
「それに、晴斗君が何か困ったときは、私たちがいるからね」
「ありがとうございます」
晴斗君が、少し照れくさそうに頭を下げた。
……ああ。
こっちまで嬉しくなっちゃうねぇ。
「……あっ」
晴斗君が、突然何かを思い出したように顔を上げた。
「……うん?」
「そういえば、雪彦さんって、まだ日本に帰る方法は見つかってないんですよね?」
……おっ。
そこが気になるんだね。
私は、少しだけ表情を改めた。
「うん。今のところ、私の魔法では日本へ戻すことはできないんだ」
「……そうですか」
晴斗君が、静かに頷いた。
……ああ。
期待させちゃうといけないから、そこはちゃんと話しておきたい。
「でも、こっちで暮らすことについては、私もできるだけ手伝うからね」
「はい。……ありがとうございます」
晴斗君は、少し考え込んだあと、ふっと笑った。
「今は学校の勉強が楽しいので、まずはそこから頑張ります」
「うん!」
……ああ。
そうだね。
今できることを、少しずつ。
それでいいと思う。
私は、窓の外を眺めた。
庭の花が、夕方の風に揺れている。
……うん。
何だか、今日はいい一日だったなぁ。
朝はいつもの仕事。
お昼は巴さんのおいしい和食。
それから、雪彦君と晴斗君とたくさん話して。
カトレアは学校の花壇を見に行って、ちゃんと帰ってきた。
……ああ。
昨日までの私なら、『また忙しい一日になっちゃった』って言ってたかもしれない。
でも、今は違う。
こういう賑やかな時間も、楽しい。
……うん。
のんびり暮らすって、きっとこういうことなんだよね。
「リアリスさん」
「うん?」
「今日、本当にありがとうございました」
晴斗君が、改めて頭を下げた。
……おっ。
どうしたんだろう。
「僕、最初はこの世界へ来たことが怖くて、何も考えられなかったんですけど」
「……うん」
「今は、ちょっとだけ楽しみなことも増えてきました」
……。
…………。
……ああ。
よかった。
私は、ゆっくり頷いた。
「それなら、雪彦君に来てもらったかいがあったよ」
晴斗君が、にっこり笑った。
「はい!」
……うん。
今日は、それだけで十分だ。
◇
「みなさーん! ご飯ですよー!」
廊下の向こうから、巴さんの明るい声が響いた。
……おっ!
もう夕食の時間!?
私は、思わず壁の時計を見た。
……ああ。
本当に、あっという間だったねぇ。
「晴斗君。そろそろ食堂へ行こうか」
「はい!」
晴斗君が、元気よく立ち上がった。
……うん。
手を洗ってから行こう。
私はカップを片付け、居間の扉へ向かった。
……あっ。
そういえば、桜花はもう戻ってきてるのかな。
……まあ、大丈夫か。
あの子なら、雪彦君を無事に送り届けて、もう食堂へ向かっているかもしれない。
「リアリスさん」
「うん?」
廊下へ出ようとしたところで、晴斗君が笑った。
「今日、雪彦さんが来てくれて、すごく賑やかでしたね」
「そうだねぇ」
「また三人で話したいです」
「もちろん!」
私は、笑って頷いた。
……ああ。
いいねぇ。
また、こういう時間を作ろう。
日本人三人が、異世界で集まってお茶を飲む。
それぞれの人生は違っても、こうして話せる。
……うん。
やっぱり、素敵なことだねぇ。
「それじゃあ、行こうか」
「はい!」
私と晴斗君は、並んで食堂へ向かった。
厨房の方から、今日もおいしそうな匂いが漂ってくる。
……ああ。
いいねぇ。
この世界には、まだ分からないことも、たくさんある。
でも、今はちゃんと帰る場所がある。
温かいご飯と、笑顔で迎えてくれる家族がいる。
……うん。
それだけで、十分幸せだ。
……あっ。
カトレアの花の記録、あとで見せてもらわないとね。
……ふふっ。
今日も、いい夜になりそうだ。




