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第6話:三人の日本人が揃う日

 翌朝。


 窓から差し込む日差しに目を細めながら、私はゆっくり身体を起こした。


 ……うん。


 よく眠れたねぇ。


 昨日は、なかなか大変な一日だった。


 カトレアが初めて大人の付き添いなしで王都へ出かけて、私は心配のあまり変装してあとをつけた。


 ……いやぁ。


 我ながら、何をやってるんだろうね。


 しかも。


『お父さん、今日ついてきてたでしょ』


 ……ううっ!


 夕食のときのカトレアの一言が、まだ耳に残ってる!


 あれだけ慎重に距離を取って、帽子までかぶったのに。


 王都の人たちには次々に見破られて、最後には娘にもバレていた。


 ……ああ。


 恥ずかしかったなぁ。


 しかもカトレアは、怒るどころかお礼を言ってくれたんだよね。


 ……うん。


 娘は本当に、いい子に育ってる。


 問題は私の方だ。


 ……よし。


 今日は余計な心配をしないぞ。


 私は胸の中で、ひそかに決意した。


 カトレアを信じる。


 晴斗君には、この世界を楽しんでもらう。


 私は私で、いつもの仕事をして、のんびり過ごす。


 ……うん。


 完璧だね。


 このまま何も起きなければ、最高の一日だ。


 ……何も起きなければ、ね。


 ……。


 …………。


 いやいや。


 自分で不吉なことを考えるのはやめよう。


 今日は、普通の一日なんだから!


     ◇


 いつものように身支度を済ませ、私は食堂へ向かった。


 廊下を歩いていると、厨房の方からいい匂いが漂ってくる。


 ……おっ。


 今朝は何かな。


 焼き立てのパンかな。


 それとも、ご飯とお味噌汁かな。


 ……ああ。


 どっちも捨てがたいねぇ。


「おはようございまーす!」


 食堂に入ると、何人かがすでに席についていた。


 巴さんが厨房の方から顔を出す。


「あらあら、リアリスちゃん。おはよう!」


「おはよう、巴さん!」


「今日もよく眠れた?」


「はい。ぐっすりです!」


「それはよかったわぁ。もう少しで朝ご飯ができるから、座って待っててね」


「はーい!」


 ……ああ。


 このやり取りだけで、何だか安心する。


 私はいつもの席に腰を下ろした。


 すると。


 とことこ。


 小さな足音が、隣から近づいてきた。


「……リアリス様」


 ……おっ?


 顔を上げると、濃い桃色の短い髪をした少女が立っていた。


 朝顔だ。


 いつもどおり、表情の変化は少ない。


 でも、その目は私をじっと見ている。


「おはよう、朝顔!」


「……おはよう」


 朝顔は、私の隣にちょこんと座った。


 ……おお。


 今日は朝顔なんだね。


「今日は楓と交代?」


「……うん。楓は、魔国邸」


「そっか。お疲れさま!」


 ……うん。


 各国の屋敷を《簡易転移》の扉で行き来できるようになってから、こういう交代もしやすくなった。


 普段は魔国邸を担当してくれている朝顔も、こうして王国邸に顔を出してくれる。


 ……ああ。


 便利な魔法を作っておいてよかったねぇ。


「……リアリス様」


「うん?」


「……撫でて」


 ……。


 …………。


 ……ああっ!


 可愛い!


「もちろん!」


 私は、朝顔の頭へそっと手を伸ばした。


 濃い桃色の短い髪を、ゆっくり撫でる。


 朝顔が、ほんの少しだけ目を細めた。


 ……おお。


 嬉しそうだねぇ。


「魔国邸の方は、変わったことなかった?」


「……ない。平和」


「それならよかった」


「……うん」


 ……ああ。


 短い返事も、朝顔らしい。


 私はもう一度、優しく頭を撫でた。


 すると、朝顔が少しだけこちらへ身を寄せてきた。


 ……うん。


 これは、もう少し撫でてほしいってことかな。


 ……分かりました!


 存分に撫でましょう!


「お父さん、おはよう!」


 明るい声がして、食堂の扉が開いた。


 カトレアだ。


「おはよう、カトレア!」


「あっ! 朝顔ちゃん!」


 カトレアの顔が、ぱっと明るくなった。


「おはよう、朝顔ちゃん!」


「……おはよう、カトレア」


 ……ああ。


 仲良しだねぇ。


 カトレアが私のそばへ来ると、朝顔の頭へ目を向けた。


「お父さん、朝顔ちゃんを撫でてるの?」


「うん。お願いされたからね」


「ふふっ。朝顔ちゃん、よかったね」


「……うん」


 朝顔が、小さく頷いた。


 カトレアが、少し屈んで朝顔の顔を覗き込む。


「私も撫でていい?」


「……いい」


 ……おっ。


 朝顔が、素直に頷いた。


 カトレアは嬉しそうに笑って、朝顔の頭をそっと撫でた。


 ……ああ。


 いい光景だなぁ。


 十四歳の娘が、見た目は少し小さな妹みたいな朝顔を撫でている。


 でも、その朝顔は魔国の将軍と渡り合えるほど強いんだよね。


 ……いや。


 渡り合うどころじゃなかったかな。


 以前、ゴリアテさんが朝顔に挑んだときのことを思い出した。


 ……うん。


 見た目だけじゃ、強さなんて分からないものだねぇ。


「朝顔ちゃん、今日はこっちにいるの?」


「……うん。楓と交代」


「そっか! じゃあ、あとでお庭のお花も見ようね」


「……うん」


 ……おお。


 朝顔、また少し嬉しそう。


 ……うん。


 今日は、いい朝だねぇ。


「おはようございます!」


 今度は晴斗君の声がした。


 ユリと一緒に食堂へ入ってくる。


「おはよう、晴斗君!」


「おはようございます、リアリスさん。カトレアさんも!」


「おはようございます、晴斗さん!」


 カトレアが笑顔で返事をした。


 ……うん。


 もうすっかり、いつもの朝の挨拶だね。


 晴斗君がこうして自然に笑っていると、私も嬉しくなる。


「昨日はよく眠れた?」


「はい! 王都をたくさん歩いたので、すぐ寝ちゃいました」


「あはは。そうだろうね」


「本当に、楽しかったです!」


 ……おお。


 それならよかった。


 ……ただし、昨日の尾行の話は掘り返さないでね?


 そう思いながら晴斗君を見ると、何だか楽しそうに笑っていた。


 ……あれ。


 もしかして、今の顔に出てた?


 ……まあ、いいか。


「おはようございます、リアリス様」


 桜花が、紅茶の載ったお盆を持ってきた。


「おはよう、桜花!」


「よくお休みになられましたか?」


「うん。ばっちり!」


「それは何よりでございます」


 桜花は、優しく微笑んだ。


 テーブルに紅茶を置き、自然な動きで私の隣へ腰を下ろす。


 ……ああ。


 落ち着くねぇ。


 カトレアと朝顔が笑って、晴斗君とユリも楽しそうに話している。


 巴さんの料理の匂いがして、桜花が隣で微笑んでいる。


 ……うん。


 すごくいい朝!


 何もない!


 普通の朝!


 今日こそ一日、のんびり過ごせそうだねぇ。


 ……そう思った、そのときだった。


「旦那様。おはようございます」


 セバスが、食堂へ入ってきた。


「おはよう、セバス!」


 ……おっ。


 今朝もきちんとした姿だね。


 いつもどおり、背筋がまっすぐ伸びている。


「一件、ご報告がございます」


「うん? 何かな?」


「先ほど、雪彦様よりご連絡をいただきました」


 ……おおっ!


 雪彦君!


「今日、来られるの?」


「はい。魔国での依頼を終えられたそうでございます。本日の午後、ドルステン魔国邸よりこちらへお越しになるご予定でございます」


「そっか! それはよかった!」


 ……ああ。


 思ったより早く来てくれることになったね。


 晴斗君には、同じ日本から来た人と会う機会を作ってあげたかったんだ。


 雪彦君なら、いろいろ話してくれるだろう。


 ……ちょっと賑やかになるとは思うけど。


 ……うん。


 まあ、それも楽しみだねぇ。


「ありがとう、セバス。雪彦君には、無理に急がなくてもいいって伝えておいてね」


「かしこまりました」


 セバスが丁寧に頭を下げた。


「お食事の後、先方へお伝えいたします」


「よろしくね!」


 セバスは、自分の席へと向かった。


 ……うん。


 今日も一つ、楽しみが増えたね。


「晴斗君!」


「は、はい!」


 ……おっ。


 少し驚かせちゃったかな。


「昨日話してた雪彦君、今日の午後に来るって」


 ……。


 …………。


 晴斗君の目が、ぱっと開いた。


「……勇者の!?」


「そう!」


「……本当に来るんですか!?」


「うん。魔国の依頼が終わったみたいでね」


 ……ああ。


 昨日、あれだけ反応してたもんねぇ。


 嬉しいだろうな。


「だから、学校が終わったら、今日は屋敷で待っていてくれる?」


「もちろんです!」


 晴斗君が、勢いよく頷いた。


「うわぁ……勇者に会えるんだ……!」


 ……おお。


 かなり楽しみにしてるみたいだね。


 カトレアも、にこにこしながら話に加わる。


「雪彦さん、久しぶりだね!」


「そうだねぇ。元気にしてるみたいだよ」


「ふふっ。よかった!」


 ……ああ。


 こうして来客を楽しみにできるのも、いいことだよね。


 昨日までは『静かに暮らしたい』なんて言ってたけど。


 ……うん。


 楽しいことなら、いくらあってもいいか。


     ◇


 朝食が運ばれてきた。


 焼き立てのパンと、温かなスープ。


 野菜とお肉を使ったおかずに、みずみずしい果物。


 ……おお。


 今日は洋風の朝ご飯だねぇ。


 さっそくパンをちぎって、ひと口。


 ……ああ。


 ふわふわ。


 ほんのり甘くて、おいしい。


「巴さん、今日のパンもおいしいです!」


「あらあら。ありがとう、リアリスちゃん」


 巴さんが、嬉しそうに笑った。


「まだあるから、足りなかったら言ってね」


「はーい!」


 ……ああ。


 朝から幸せだ。


 その横では、カトレアが朝顔と何か相談している。


「朝顔ちゃん、あとでお花見ようね」


「……うん」


「どのお花が好き?」


「……小さいの」


「そっか。じゃあ、あっちの花壇かな」


 ……うん。


 楽しそうだねぇ。


 カトレアが、朝顔の髪をもう一度撫でる。


 朝顔も嫌がる様子はない。


 ……ああ。


 いいねぇ。


 少し離れた席では、晴斗君が今日の授業のことをユリと話していた。


「今日は、昨日の歴史の続きも聞けるんですよね?」


「はい。アンナに確認しております」


「楽しみです!」


 ……うん。


 昨日、学校の授業が面白かったって言ってたもんね。


 興味を持って通ってくれるなら、学校を作ったかいがある。


 ……ああ。


 何だか今日は、みんな楽しそうだ。


 私は紅茶をひと口飲んだ。


 ……うん。


 やっぱり、いい朝だねぇ。


     ◇


 朝食を終えると、私は桜花と一緒に雑貨屋へ向かった。


 晴斗君とカトレアは、学校へ行く準備をしているらしい。


 ……うん。


 いつもの朝だ。


 雑貨屋へ入ると、メイドの一人が笑顔で迎えてくれた。


「おはようございます、リアリス様」


「おはよう! 今日もよろしくね」


「はい!」


 私は、店内をひと回りした。


 紅茶やクッキー。


 日用品。


 それから、最近すっかり人気になったリバーシ。


 ……うん。


 今日もきれいに並んでいるね。


「在庫の方は問題ない?」


「はい。《取り寄せ》の魔道具も正常に動いております」


「それならよかった」


 ……ああ。


 自動で補充できるって、本当に便利だねぇ。


 私がいちいち各店舗を回らなくても、必要な商品が揃う。


 ……うん。


 のんびり暮らすには、こういう仕組みが大事なんだよ。


 ……まあ。


 結局、私は毎朝こうしてお店を見に来てるんだけど。


 それはそれで、楽しいからいいんだよね。


「何か困ったことがあったら、遠慮なく言ってね」


「ありがとうございます」


 ……よし。


 今日も問題なし!


 私は桜花と一緒に屋敷へ戻った。


     ◇


 ロビーへ戻ると、ちょうどカトレアと晴斗君が階段の方から歩いてきた。


 ……おっ。


 いいタイミング。


「おはよう、二人とも!」


「お父さん、おはよう!」


「リアリスさん、おはようございます!」


 ……あっ。


 今朝も食堂で挨拶したんだけど。


 まあ、何回してもいいよねぇ。


「これから学校?」


「うん! 今日は晴斗さんと一緒に行くんだよ」


「そうなんです。昨日の続きも勉強してきます」


「いいねぇ!」


 ……うん。


 学ぶのが楽しくなってるみたいで、何よりだ。


 カトレアが、腕の中の小さな熊を少し持ち上げた。


「あと、モフ太も一緒!」


「おはようございます、ご主人様」


「おはよう、モフ太!」


 ……おお。


 今朝も、いい毛並みだねぇ。


 ちょこんとした耳が動いている。


 ……ああ。


 可愛い。


 ……いや。


 この子、Sランク魔獣なんだよね。


 初めて見る人には、まったく分からないと思うけど。


「カトレア、モフ太。今日も気をつけてね」


「うん!」


「お任せください、ご主人様」


 ……よし。


 今日も安心。


 ……あっ。


 昨日のことを思い出した。


 私、あれだけ心配して、最後には尾行までしちゃったんだった。


 ……もう。


 今日はちゃんと、信じて送り出そう。


「晴斗君も、楽しんできてね」


「はい!」


 カトレアが、少しだけいたずらっぽく笑った。


「お父さん、今日はお仕事頑張ってね」


「……うん?」


「ふふっ。お昼に会おうね!」


 ……おや?


 何だろう。


 今の笑い方。


 ……ああ。


 昨日のこと、まだ覚えてるんだね。


 ……ううっ。


 私は、苦笑いしながら手を振った。


「いってらっしゃい!」


「いってきまーす!」


「行ってきます!」


 モフ太と並んで歩くカトレア。


 その隣を歩く晴斗君。


 ……うん。


 もう見送りだけで、十分だね。


 今日は尾行なんてしないぞ。


 ……絶対に。


「リアリス様」


 桜花が、隣で小さく微笑んだ。


「はい?」


「本日はお見送りだけで、よろしいのですね」


 ……。


 …………。


 ……桜花ぁ!


「……もちろんだよ!」


「ふふっ。承知いたしました」


 ……もう。


 どこまで分かってるんだろうね、桜花は。


 私は、少しだけ頬をかきながら、美容サロンへ向かった。


     ◇


 美容サロンでは、今日も予約のお客さんが待っていた。


 ……おお。


 忙しくなってきたなぁ。


 予約の一覧を確認すると、十人。


 ……うん。


 十人だねぇ。


 今日もなかなかの人数だ。


 以前から人気はあったけど、英雄として名前が広まってから、ますます予約が増えている気がする。


 ……ああ。


 嬉しいんだけどね。


 嬉しいんだけど。


 世界を救ったから美容サロンの予約が増えるって、何かおかしくない?


 ……いや。


 お客さんが喜んでくれるなら、それでいいか。


「リアリス様。最初のお客様をご案内してもよろしいでしょうか」


 メイドの一人が、丁寧に声をかけてくれた。


「うん。お願いします!」


 ……よし。


 今日も、仕事を頑張ろう。


 扉が開き、お客さんが入ってきた。


「いらっしゃいませ!」


「こんにちは、リアリス様! 本日はよろしくお願いいたします」


「こちらこそ!」


 ……うん。


 いい笑顔だねぇ。


 私は、いつものように希望を聞いた。


 髪のこと。


 肌のこと。


 仕上がりの雰囲気。


 ……ああ。


 こうして、お客さんの話を聞きながら、どうしたら喜んでもらえるか考える時間は好きだなぁ。


 施術を終えて鏡を見せると、お客さんが目を輝かせた。


「まあ! こんなにきれいに!」


「気に入っていただけました?」


「もちろんです! ありがとうございます!」


 ……よかった。


 それが聞ければ、私も嬉しい。


 ……うん。


 美容サロンって、なかなか楽しい仕事だよねぇ。


 もちろん、お客さんが続くとちょっと疲れるけど。


 ……いや。


 それは、どんな仕事でも同じだよね。


 私は、次のお客さんを迎えた。


     ◇


 予約は順調に進んだ。


 髪を整えたい人。


 肌をきれいにしたい人。


 少し雰囲気を変えてみたい人。


 希望はそれぞれ違う。


 ……だから、面白いんだよね。


 施術の合間には、桜花が様子を見に来てくれた。


「リアリス様。お疲れではございませんか」


「大丈夫だよ。あと少しだからね」


「かしこまりました。お飲み物を用意いたしましょうか」


「ありがとう。お願いできる?」


「はい」


 ……ああ。


 助かるねぇ。


 こんなふうに気遣ってもらえるのは、本当にありがたい。


 しばらくして、紅茶の香りが広がった。


 私はひと口飲んでから、次のお客さんの方へ向き直る。


 ……よし。


 今日も最後まで、丁寧にやろう。


 やがて十人目のお客さんが、満足そうに帰っていった。


「ありがとうございました!」


「こちらこそ! またいらしてくださいね」


 扉が閉まる。


 ……ふぅ。


 終わったぁ。


 私は、少しだけ肩を回した。


 ……ああ。


 今日は、頑張ったねぇ。


 でも、時間はまだお昼前。


 ……おお。


 午前中に全部終わらせられたんだ。


 それなら、少しゆっくりできそうだね。


 私は、片付けを手伝ってから居間へ戻った。


     ◇


 居間には、静かな午後……じゃなくて、まだお昼前の空気が流れていた。


 窓の向こうで、庭の花が揺れている。


 ……ああ。


 平和だねぇ。


 私は、いつものソファに腰を下ろした。


 ……ふぅ。


 落ち着く。


 しばらくすると、桜花が紅茶を持ってきてくれた。


「リアリス様。本日もお疲れさまでございました」


「ありがとう、桜花」


「どうぞ、ごゆっくりお休みくださいませ」


 桜花がカップを置き、私の隣に腰を下ろす。


 ……ああ。


 この時間、好きだなぁ。


 朝から仕事をして、ひと区切りついたところで紅茶を飲む。


 隣には桜花。


 窓の外には、よく手入れされた庭。


 ……うん。


 何だか、のんびり系の異世界生活らしくなってきたじゃない?


「……平和だねぇ」


 私は、ぽつりと呟いた。


「はい。とてもよいお天気でございます」


 桜花が、優しく微笑む。


「このような穏やかな日が続くとよいですね」


「本当にねぇ」


 ……ああ。


 心からそう思う。


 邪神との戦いを経験したあとだと、何も起こらない一日がどれだけありがたいか、よく分かる。


 こうしてお茶を飲んでいるだけで、十分幸せだ。


 ……うん。


 何だか、ちょっとしみじみしちゃったね。


 私は紅茶をもうひと口飲んだ。


 ……おいしい。


 そのとき、ふと思い出したことがあった。


「……あっ。そうだ、桜花」


「はい?」


「【一閃 舞桜】の練習は、どうなってる?」


 ……そうだ。


 桜花は今、新しい剣技を習得しようと頑張っている。


 私が邪神との戦いで使った【一閃 乱れ桜】。


 それを桜花でも使えるように調整して、用意したのが【一閃 舞桜】だ。


 本人と、二人の《分身》。


 三人で各百連撃。


 合計三百連撃を目指す剣技。


 ……うん。


 完成したら、とんでもない技になりそうだねぇ。


「はい。毎日、少しずつ続けております」


 桜花は、嬉しそうに頷いた。


「本日は、三十八連撃まで成功いたしました」


 ……。


 …………。


「……三十八!?」


 私は、思わず身を乗り出した。


 ……おおっ!


 すごいじゃない!


「桜花、本当に!?」


「はい。まだ連続動作の安定には課題がございますが、三十八撃まではつなげられました」


「それは、すごいよ!」


 私は、思わず拍手してしまった。


 ……いやぁ。


 少し前までは、十一撃目につなげるのが難しかったのに。


 そこから三十八撃まで伸びたんだ。


 ……おお。


 かなりの進歩じゃない?


「さすが桜花だね!」


「ありがとうございます」


 桜花が、少し照れたように微笑んだ。


「まだまだ未熟ではございますが、リアリス様にお教えいただいたことを意識しております」


「……私が教えたこと?」


「はい。腰の位置と、次の動作を先回りして意識すること。それから、鞘を少し前へ出すことです」


 ……あっ。


 そういえば、そんなことを言ったね。


 前に庭で練習を見たとき、何気なく助言したんだった。


 ……うん。


 覚えててくれたんだ。


「でも、そこから練習を続けて三十八まで伸ばしたのは、桜花自身の努力だよ」


「……リアリス様」


「うん?」


「そうおっしゃっていただけますと、とても嬉しゅうございます」


 ……ああ。


 いい笑顔だねぇ。


 私は、自然と頬が緩んだ。


「それにしても、本当にすごいなぁ。十一から三十八って、かなり伸びたでしょう?」


「はい。以前は、十一撃目をつなげるだけでも精一杯でしたので」


 桜花は、少し遠くを見るような目をした。


「同じ動きを繰り返しているつもりでも、途中で姿勢が崩れてしまうことがございました」


「うんうん」


「ですが、次の動作を意識するようになってから、少しずつ余裕が生まれてまいりました」


 ……おお。


 なるほど。


 ちゃんと、自分で工夫してるんだねぇ。


「それで、三十八まで?」


「はい」


 ……うん。


 立派だ。


 ただ、桜花が目指している技は、まだ完成していない。


 百連撃を安定させるだけでも大変なのに、さらに分身二人と動きを合わせる必要がある。


 しかも、分身は本体より少し能力が低い。


 本人が百連撃できるようになったからといって、分身が同じように動けるとは限らないんだよね。


 ……うーん。


 考えてみると、かなり難しいことをお願いしちゃったかな。


「桜花。無理はしなくていいからね?」


「はい。承知しております」


「まずは桜花自身の動きを、少しずつ安定させていこう。それから分身と合わせて練習すればいいよ」


「ありがとうございます。わたくしも、そのように考えております」


 ……うん。


 よかった。


 無理に急ぐ必要はない。


 桜花は、もう十分強いんだから。


 ……いや。


 十分どころじゃないかもしれないけど。


 それでも、新しい技を覚えようとする気持ちは大切にしたい。


「完成したら、また見せてね」


「もちろんでございます」


 桜花が、嬉しそうに微笑んだ。


「その際は、ぜひご感想をお聞かせくださいませ」


「もちろん! 楽しみにしてるよ!」


 ……ああ。


 桜花がこんなに楽しそうだと、私まで嬉しくなるね。


 私は、もう一度紅茶を口に運んだ。


 ……うん。


 本当に、いい時間だ。


 ……そう思っていたところで。


 がちゃり。


 玄関の扉が開く音が聞こえた。


「ただいまー!」


 ……おっ。


 カトレアだ!


     ◇


「おかえりー!」


 私が声をかけると、しばらくしてカトレアが居間へ顔を出した。


 モフ太も一緒だ。


「お父さん、ただいま!」


「おかえり、カトレア!」


 ……ああ。


 今日も元気そうだねぇ。


 ……うん。


 当たり前なんだけど、こうして顔を見ると嬉しくなる。


「桜花お姉ちゃんも、ただいま!」


「お帰りなさいませ、カトレア様」


 桜花が、穏やかに微笑む。


 カトレアは、私たちの姿を見て、くすっと笑った。


「あー、また桜花お姉ちゃんが、お父さんとのんびりしてる!」


「ふふっ。少しお茶をご一緒しておりました」


「いいなぁ!」


「カトレアも、一緒に飲む?」


「うん!」


 ……ああ。


 そういうことなら、席を用意しよう。


「お父さん、今日は仕事終わったの?」


「うん。予約のお客さんは全員終わったよ」


「お疲れさま!」


「ありがとう、カトレア!」


 ……おお。


 娘に労ってもらっちゃった。


 ……ああ。


 それだけで、今日も頑張ったかいがあるねぇ。


「リアリスさん、ただいま戻りました!」


 今度は晴斗君が顔を出した。


「おかえり、晴斗君!」


「はい!」


 ユリも一緒だ。


 ……うん。


 今日も学校に行けたねぇ。


「授業、どうだった?」


「今日も、すごく勉強になりました!」


「おお。よかった!」


 晴斗君が、少し興奮したように続けた。


「昨日の続きで歴史を習ったんですけど、気になることがどんどん出てきちゃって」


「ふふっ。いいことだね」


「アンナ先生にも、いろいろ質問しちゃいました」


「そうなんだ。先生、ちゃんと答えてくれた?」


「はい! 全部、丁寧に説明してくれました!」


 ……さすがアンナさん。


 あの人なら、どんな質問にも落ち着いて答えてくれるだろう。


 ……うん。


 晴斗君、学校がすっかり気に入ったみたいだねぇ。


「明日も行っていいですか?」


「もちろんだよ!」


「ありがとうございます!」


 ……ああ。


 嬉しそうだ。


 私は、その笑顔を見ながら頷いた。


 この世界へ来たばかりで、分からないことだらけだった晴斗君。


 でも、今は知らないことを学ぶのが楽しみになっている。


 ……うん。


 少しずつ、いい方向へ進んでいるんじゃないかな。


「晴斗さん、今日も楽しかったね!」


 カトレアが、にっこり笑った。


「はい! カトレアさんのおかげです」


「そんなことないよ。晴斗さん、すごく熱心だったもん」


 ……おお。


 お互い褒め合ってる。


 ……うん。


 なんだか微笑ましいねぇ。


 私は、二人にお茶を勧めた。


 すると。


「みなさーん! ご飯ですよー!」


 巴さんの明るい声が、屋敷に響いた。


 ……おっ!


 お昼だ!


「それじゃ、手を洗って食堂に行こうか」


「はーい!」


「はい!」


 ……うん。


 今日のお昼も楽しみだねぇ。


     ◇


 私と桜花は、先に食堂へ向かった。


 カトレアと晴斗君は、鞄を置いてくるそうだ。


 モフ太も、カトレアのあとについていった。


 ……うん。


 いつもの流れだねぇ。


 食堂に入ると、すでに昼食の準備が進んでいた。


 ……おお。


 今日もいい匂いがする。


 ……ん?


 何だか、和食のような匂いだねぇ。


 醤油と出汁。


 炊き立てのご飯。


 ……ああ。


 この香り、好きだなぁ。


 私は席につき、しばらく料理を待つことにした。


 ……そういえば。


 雪彦君は、午後に来るんだったね。


 お昼を食べて、少し休んだら来るのかな。


 ……うん。


 晴斗君も楽しみにしているだろうし、早く会わせてあげたいね。


「リアリス様」


 桜花が、私の隣で静かに口を開いた。


「雪彦様がお越しになるのでしたら、巴にもお伝えしておいた方がよろしいでしょうか」


「うん。午後に来る予定だから、来客用のお茶を用意してもらえれば十分かな」


「承知いたしました」


 ……ああ。


 桜花はいつも気が利くねぇ。


 私は、ふっと笑った。


 そのとき。


 がちゃり。


 食堂の扉が開いた。


「あっ、お父さん!」


 カトレアだ。


 鞄を置いてきたらしく、すっきりした顔をしている。


「おかえり、カトレア。もうすぐご飯だよ」


「うん!」


 カトレアが席につく。


 その後ろから、晴斗君も入ってきた。


 ……おっ?


 私は、思わず目を丸くした。


「……あれ?」


 晴斗君の服装が、朝と違う。


 黒い詰襟。


 見覚えのあるボタン。


 ……おお。


 日本の学ランだ!


「晴斗君、着替えたの?」


「……あっ。はい!」


 晴斗君が、少し照れたように笑った。


「勇者さんって、日本人なんですよね?」


「うん。そうだよ」


「だから、この方が分かりやすいかなって思って」


 ……ああ。


 なるほど。


 自分が日本の高校生だって、一目で分かるようにしたんだね。


 ……うん。


 悪くない考えかもしれない。


「日本から来たときに着てた学ランだよね」


「はい。ユリさんが、きれいにしてくれてたので」


「そうなんだ。似合ってるよ」


「ありがとうございます!」


 ……ああ。


 晴斗君、嬉しそうだねぇ。


 でも。


 私は、少しだけ笑った。


「ただ、雪彦君が来るのは午後の予定だからね。お昼に間に合うとは限らないよ?」


 ……。


 …………。


「……あっ」


 晴斗君が、ぴたりと動きを止めた。


 ……おや?


 あっという間に、耳まで赤くなってきた。


「……そ、そうですよね」


「ふふっ。でも、会えるのが楽しみなんだよね?」


「……はい」


 晴斗君が、素直に頷いた。


 ……うん。


 それでいいじゃない。


 同じ日本から来た人に会えるんだから、少しくらい張り切ってもいいよね。


「午後までその服でいてもいいし、暑かったら着替えてもいいからね」


「……あはは。ありがとうございます」


 ……ああ。


 何だか、初めての友達を待ってるみたいだねぇ。


 カトレアが、晴斗君の服を興味深そうに眺めている。


「晴斗さん、その服、日本の学校で着てたんだよね」


「はい。制服です」


「へえ。かっこいいね」


「……あ、ありがとうございます!」


 ……おお。


 また赤くなった。


 晴斗君、ちょっと照れ屋なのかな。


 ……まあ。


 十四歳の女の子に褒められたら、そうなることもあるか。


 私は、のんびり笑いながら、テーブルの方へ視線を戻した。


 ……さて。


 そろそろお昼かな。


 そのときだった。


 廊下の向こうで、何かが開く音がした。


 ……がちゃり。


 ……ん?


 この音。


 《簡易転移》の扉かな。


 続いて、聞き覚えのある大きな声が響いた。


「師匠ーーーっ!!」


 ……。


 …………。


 ……あっ。


「……雪彦君!?」


 私は、思わず立ち上がった。


 ……おお。


 もう来たの!?


 午後じゃなかったっけ!?


 廊下の向こうから、ぱたぱたと足音が近づいてくる。


 ……うん。


 間違いない。


 この元気のよさ。


 雪彦君だねぇ。


     ◇


「師匠! お久しぶりです!」


 食堂の扉が開き、若い男の子が顔を出した。


 山凪雪彦君。


 日本から召喚された勇者だ。


 ……ああ。


 元気そうだねぇ。


「いらっしゃい、雪彦君!」


「師匠ー! 会いたかったですよ!」


 ……おお。


 相変わらず、勢いがすごい。


 私は、苦笑いしながら手を振った。


「ははは。私も会えて嬉しいよ。魔国の依頼、お疲れさま!」


「ありがとうございます! いやぁ、師匠に早く会いたくて、依頼をさっさと片付けてきちゃいました!」


 ……あっ。


 そうなんだ。


「でも、無理してない?」


「大丈夫です! ちょうど片付いたところだったんで!」


 ……うん。


 元気だねぇ。


 それならよかった。


「予定より早く来ちゃいましたけど、問題ないですか?」


「もちろん! ちょうどお昼の時間だから、一緒に食べていってよ」


「えっ、いいんですか!?」


「うん。巴さんも、きっと喜ぶよ」


 ……ああ。


 お客さんが増えるのは、いいことだねぇ。


 ……と。


 雪彦君が、ふと食堂の中へ目を向けた。


「……ん?」


 ……おっ。


 晴斗君に気づいたみたいだね。


 雪彦君の視線が、ゆっくりと下へ移動する。


 黒い詰襟。


 金色のボタン。


 日本の学校で見慣れた、あの制服。


 ……。


 …………。


 雪彦君の動きが、ぴたりと止まった。


「……が、学ラン!?」


 ……あはは!


 やっぱり、そこに反応するよねぇ!


「……えっ!? 何で学ランの人がいるんですか!?」


 雪彦君が、目を丸くしている。


 晴斗君も、椅子から立ち上がりかけたまま固まっていた。


 ……ああ。


 二人とも、驚いてる。


 私は、つい笑ってしまった。


「はははっ。ちょうど紹介しようと思ってたんだよ」


「……紹介?」


「そう。雪彦君、こちらは春原晴斗君」


 私は、晴斗君へ手を向けた。


「少し前に、この世界へ自然に転移してきた日本人なんだ。私が保護して、今はうちで暮らしてもらってるんだよ」


 ……うん。


 まずは、そこから話さないとね。


 雪彦君が、驚いたように何度も瞬きした。


「……えっ!? 勇者召喚とかじゃなくて!?」


「そう。誰かが召喚したわけじゃないんだ」


「……マジですか!?」


 ……ああ。


 驚くよねぇ。


 私も最初に聞いたときは、かなり驚いた。


 何の加護もなく、何の準備もないまま、突然この世界へ来たんだから。


 ……うん。


 そういう意味では、晴斗君は私や雪彦君とは少し違うんだよね。


「晴斗君。こちらが山凪雪彦君。日本から勇者として召喚された人だよ」


 ……おっ。


 晴斗君が、はっとしたように背筋を伸ばした。


「……は、初めまして!」


 そして、丁寧に頭を下げる。


「春原晴斗です! 日本では高校二年生でした。よろしくお願いします!」


「……あっ。どうも!」


 雪彦君も、慌てて頭を下げた。


「山凪雪彦です! よろしく!」


 ……ああ。


 いいねぇ。


 日本人同士の挨拶だ。


 異世界の食堂なのに、何だか新学期の教室みたいだねぇ。


「……それにしても、学ランかぁ」


 雪彦君が、晴斗君の姿を改めて見た。


「懐かしいなぁ。俺も日本にいた頃、制服着てたんだよ」


「そうなんですか!」


「うん。今は、すっかりこっちの服になっちゃったけどね」


 ……ああ。


 そうだねぇ。


 雪彦君がこの世界へ召喚されてから、もうそれなりに時間が経っている。


 今では勇者として、あちこちで活動しているんだから。


 ……うん。


 立派になったねぇ。


「晴斗君も、日本から来たばかりだからね。いろいろ話してあげてくれると嬉しいな」


「もちろんです、師匠!」


 雪彦君が、勢いよく頷いた。


「同じ日本人なら、話したいこともいっぱいあるだろうし!」


「ありがとうございます!」


 晴斗君が、嬉しそうに笑った。


 ……ああ。


 よかった。


 これで、二人をちゃんと引き合わせられたね。


 ……ただ。


 雪彦君、食堂へ来たばかりなのに、もう結構な声の大きさなんだけど。


 ……まあ。


 元気なのは、いいことだよね。


     ◇


「あらあら。ずいぶん賑やかねぇ」


 柔らかな声がして、巴さんが厨房から顔を出した。


 ……おっ。


 ちょうどいいところに来てくれたね。


「巴さん! 雪彦君が来てくれました!」


「あら! そうだったの?」


 巴さんが、にこにこ笑いながら近づいてくる。


「いらっしゃい、雪彦ちゃん」


「あっ! 巴さん、お久しぶりです!」


「ふふっ。元気そうでよかったわぁ」


「はい! 元気だけが取り柄なんで!」


 ……あはは。


 自分で言うんだ、それ。


 巴さんが、優しく笑った。


「ちょうどお昼ご飯なのよ。雪彦ちゃんも食べていく?」


「えっ!? いいんですか!?」


 ……おお。


 雪彦君の目が、また輝いた。


「もちろんよ。みんなで食べた方がおいしいもの」


「ありがとうございます! 実はもう、お腹ペコペコで……!」


 ……あっ。


 そうなんだ。


 魔国から急いで来てくれたみたいだし、お昼を食べてなかったのかな。


「それなら、ちょうどよかったね!」


「はい、師匠!」


 ……うん。


 食べてもらおう。


 巴さんの料理なら、きっと大満足するはずだ。


「じゃあ、雪彦ちゃん。まず手を洗っていらっしゃい」


「はい!」


 巴さんが、近くにいたメイドへ声をかけた。


「手洗いの場所を案内してあげてね」


「かしこまりました」


 メイドが、雪彦君へ丁寧に頭を下げる。


「こちらへどうぞ」


「ありがとうございます!」


 雪彦君は、元気よく返事をして廊下へ出ていった。


 ……うん。


 これでよし。


 巴さんは、食堂の人数を確認してから、厨房へ戻っていった。


「すぐに一人分追加するわねぇ」


「ありがとうございます、巴さん!」


 ……ああ。


 こういうとき、本当に頼りになるねぇ。


     ◇


 雪彦君が手を洗いに行っている間、晴斗君が私の方を向いた。


「……リアリスさん」


「うん?」


「……あの方が、勇者さんなんですよね?」


「そうだよ」


 ……おっ。


 まだちょっと驚いてるみたいだね。


「……何というか」


「うん?」


「思ってた勇者と、ちょっと違いました」


 ……。


 …………。


 ……あはは!


 そうだよねぇ!


「どんな勇者を想像してたの?」


「もっとこう……静かで、厳しそうで……」


「……ああ」


 ……分かるなぁ。


 勇者って聞くと、正義感が強くて、凛々しくて。


 人々の前に立って、剣を掲げている姿を想像するよね。


 ……まあ。


 雪彦君も、やるときはちゃんとやる子なんだけど。


 普段は、結構元気なんだよねぇ。


「雪彦君は、ああ見えて頑張り屋さんだよ」


「……そうなんですか?」


「うん。私もいろいろ教えたけど、ちゃんと練習を続けてるみたいだしね」


 ……ああ。


 最初に会った頃を思い出す。


 あのときは、ちょっと自信満々すぎて困ったけど。


 今はずいぶん落ち着いた。


 ……いや。


 声の大きさは、あんまり変わってないかな。


「……リアリスさん」


「うん?」


「さっき、師匠って呼ばれてませんでした?」


 ……あっ。


 そこも気づいた?


「うん。以前、少し剣の稽古をしたことがあってね」


「……勇者に?」


「そうそう」


 ……。


 …………。


 晴斗君が、ゆっくり瞬きをした。


「……世界を救っただけじゃなくて、勇者の先生でもあるんですね……」


 ……ああ。


 またその顔だ。


 私は、苦笑いした。


「いやぁ。先生っていうほどのことはしてないよ」


 ……うん。


 少し手合わせして、いろいろ話して。


 それから、雪彦君が師匠って呼ぶようになったんだ。


 ……まあ。


 あの子にとって、何か役に立ったなら嬉しいけどね。


「……なんか、すごいですね」


 晴斗君が、感心したように呟いた。


 ……あっ。


 これ、もしかしてまた昨日みたいな流れになる?


 私は、慌てて手を振った。


「今日は、難しい話はあとにしよう! まずはご飯だよ!」


「……あはは。そうですね!」


 ……よし。


 何とか、話題を変えられた。


 ……うん。


 異世界の勇者と転移者が出会ったんだ。


 きっと、話したいことは山ほどある。


 でも、お腹が空いてたら落ち着いて話せないからね。


 ……まずは、お昼ご飯を食べよう。


     ◇


 しばらくすると、雪彦君が食堂へ戻ってきた。


「お待たせしました!」


「おかえり、雪彦君。こっちに座って」


「はい!」


 私は、空いている席を示した。


 雪彦君が腰を下ろすと、ちょうど厨房の方から巴さんたちが料理を運んできた。


 ……おおっ。


 これは……!


 大きめのお盆の上に、いくつもの小皿や小鉢。


 炊き立てのご飯。


 お味噌汁。


 焼き魚に、煮物。


 きれいに盛り付けられた野菜と、お漬物。


 ……ああ。


 見た目もきれいだねぇ。


 まるで、日本のちょっといいお店で食べる、懐石弁当みたいだ。


「今日は、和食にしてみたのよ」


 巴さんが、にっこり笑った。


「……おお!」


 私は、思わず声を上げた。


 ……いいねぇ。


 昨日は何だか忙しかったから、こういう落ち着いたご飯が嬉しい。


 お盆がテーブルへ置かれると、出汁の香りがふわっと広がった。


 ……ああ。


 たまらないねぇ。


 ……そのとき。


「……和食!?」


 雪彦君が、目を丸くした。


 同時に。


「……和食!?」


 晴斗君も、まったく同じ声を上げた。


 ……。


 …………。


 ……あはは!


 ぴったり揃った!


 二人が、顔を見合わせる。


 そして、なぜか同時に笑い出した。


「……あはは! 同じこと言った!」


「……ですね!」


 ……おお。


 もう仲良くなり始めてる。


 ……うん。


 いいねぇ。


 やっぱり、同じ日本から来た人同士だと、通じるものがあるんだろうなぁ。


「師匠! これ、すごいですね!」


 雪彦君が、目を輝かせた。


「ちゃんと日本の定食みたいになってるじゃないですか!」


「ふふっ。巴さんが作ってくれたんだよ」


「……すげぇ!」


 ……おっ。


 感動してる。


 雪彦君は、しばらく料理を眺めていた。


 それから、少しだけ笑った。


「……こういうの、久しぶりです」


 ……ああ。


 そうだよねぇ。


 雪彦君は普段、魔国や各国を旅している。


 日本の料理をいつでも食べられるわけじゃない。


 ……うん。


 今日は、いっぱい食べていってほしいね。


「晴斗君も、好きなものがあったら言ってね」


「はい! でも、どれもおいしそうです!」


 ……ああ。


 いい反応だねぇ。


 カトレアも、嬉しそうに二人を見ている。


「晴斗さんも雪彦さんも、和食が好きなんだね」


「好きです!」


「大好き!」


 ……おお。


 また、息が合ってる。


 カトレアが、くすくす笑った。


「ふふっ。二人とも、同じこと言ってる」


 ……うん。


 本当にねぇ。


「ほらほら、みんな。温かいうちにいただきましょう」


 巴さんが、笑顔で促した。


 ……そうだね!


 料理は、温かいうちが一番だ。


「それじゃあ、いただきます!」


「いただきます!」


 みんなの声が重なった。


 ……うん。


 こういう瞬間、好きだなぁ。


 私は、まずお味噌汁をひと口飲んだ。


 ……ああ。


 落ち着く。


 やっぱり、日本の味っていいねぇ。


 向かいでは、雪彦君が焼き魚に箸を伸ばした。


「……うまっ!」


 ……おっ。


 早いねぇ。


「これ、めちゃくちゃおいしいです!」


 ……あはは!


 巴さんの料理なんだから、当然だよ。


 晴斗君も、煮物をひと口食べて、目を丸くした。


「……おいしい!」


 ……うん。


 分かるよ。


 味がちゃんと染みていて、やさしい味なんだよねぇ。


「巴さん、すごいです! これ、本当に日本の味ですね!」


 雪彦君が、勢いよく声をかけた。


「あらあら。ありがとう、雪彦ちゃん」


 巴さんが、嬉しそうに笑った。


「いっぱい食べてね」


「はい!」


 ……ああ。


 何だか、もうすっかり家族の食卓だねぇ。


 雪彦君も、久しぶりに来たとは思えないくらい馴染んでいる。


 晴斗君も、昨日よりずっと自然に笑っている。


 ……うん。


 よかった。


 私は、箸を置いて、ふと二人を見比べた。


 日本で一度人生を終え、転生した私。


 勇者として召喚された雪彦君。


 理由も分からないまま転移してきた晴斗君。


 ……ああ。


 同じ日本から来たのに、三人とも、この世界への来方が違うんだね。


 でも。


 今はこうして、同じ食卓で日本の料理を食べている。


 ……うん。


 何だか、不思議だなぁ。


 少し前までは、こんな日が来るなんて想像もしていなかった。


 私は、もう一度お味噌汁を飲んだ。


 ……ああ。


 いいねぇ。


 食卓の向こうでは、雪彦君と晴斗君が、お互いのお皿を見ながら盛り上がっている。


「晴斗君、その魚、すごくうまいぞ!」


「はい! 僕も今食べました!」


「だろ!?」


 ……あはは。


 会って間もないのに、もうこんなに話してる。


 ……うん。


 きっと、このあとも賑やかになるね。


 私は、隣に座る桜花へ目を向けた。


「桜花」


「はい、リアリス様」


「二人とも、楽しそうだね」


「はい。とてもよいご縁になったようでございます」


 ……ああ。


 そうだね。


 私は、満足して頷いた。


 ……ただ。


 こんなに楽しそうに話している二人を見ていると、ちょっと気になることがある。


 ……このあと、三人で何を話そうかなぁ。


 日本の話。


 異世界の話。


 勇者の話。


 それから、晴斗君がこの世界へ来たときのこと。


 ……うん。


 話題なら、いくらでもあるね。


 ……ああ。


 今日は、のんびりするつもりだったんだけど。


 ……まあ。


 こういう賑やかさも、悪くないよねぇ。


 私は、焼き魚をひと口食べた。


 ……おいしい。


 日本から来た三人が、異世界の屋敷で和食を囲む。


 ……うん。


 これも、なかなかいい『お約束』じゃない?


 向かいでは、雪彦君と晴斗君が、また揃って声を上げていた。


「「おかわり、お願いします!」」


 ……。


 ……あはははっ!


 ほんと、息ぴったりだねぇ。

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