第5話:英雄、娘を尾行する
……さて。
作戦開始だ。
……いや。
作戦って言うと、ちょっと大げさかな。
ただ、娘が友達の家へ遊びに行くのを、少し離れたところから見守るだけ。
……うん。
それだけなんだけどね。
「いってきまーす!」
玄関の方から、カトレアの元気な声が響いた。
……おっ!
来た!
私は、思わず居間のソファから腰を浮かせた。
「リアリス様」
桜花が静かに声をかける。
「……うん?」
「まだお嬢様は、玄関を出られたばかりでございます」
「……そ、そうだね」
……あっ。
危ない危ない。
ここで慌てて出ていったら、鉢合わせしちゃうところだった。
廊下の向こうから、カトレアとモフ太の声が聞こえてくる。
「モフ太、今日はいつもの道で行こうね」
「はい、カトレア。お任せください」
それから、玄関の扉が閉まる音。
……。
…………。
行っちゃった。
「……大丈夫かなぁ」
……あっ。
また言っちゃった。
向かいに座っていた晴斗君が、何とも言えない顔をしている。
「リアリスさん。まだ出発して十秒も経ってませんよ?」
「……そうだよねぇ」
「さっきまで、モフ太くんなら絶対に大丈夫って言ってたじゃないですか」
「うん。実際、大丈夫だと思うよ」
「じゃあ……」
「でも、カトレアが初めて自分で王都に行くんだよ?」
……。
…………。
晴斗君が、小さく息を吐いた。
「……なるほど。もう何を言っても無駄な感じですね」
……あれ。
諦められちゃった?
私は、少しだけ恥ずかしくなった。
……いや。
分かってるんだよ。
十四歳の娘が、いつも歩いている道を、護衛のモフ太と一緒に通るだけ。
しかも、モフ太はSランク魔獣。
普通の冒険者が十人集まったところで、どうにかできるような相手じゃない。
あの子に《絶対防御》まで付いていることを考えたら、心配する方がおかしいのかもしれない。
……でもね。
お父さんには、お父さんの事情があるんだよ。
「リアリス様。お召し物のご用意が整っております」
桜花が、手に持っていた服を見せてくれた。
地味な色の上着。
同じく地味な帽子。
それから、顔の印象を変えるための眼鏡。
……おお。
これなら、ちょっとは目立たなくなるかな。
「ありがとう、桜花!」
「とんでもございません」
「晴斗君の分も用意できた?」
「はい。こちらに」
晴斗君が、隣に置かれた服を見下ろした。
「……あの、僕も変装するんですか?」
「せっかくだからね!」
「……普通に観光するだけじゃ駄目なんでしょうか」
……。
…………。
……あっ。
それを言われると、ちょっと困る。
「ええっと……三人で目立たないように歩きたいかなぁって」
「……なるほど」
納得したような、してないような返事だった。
……まあ、いいか!
私は早速、用意してもらった服に着替えた。
◇
数分後。
居間の鏡に映っているのは、いつもの私とは少し違う男だった。
地味な上着に、深くかぶった帽子。
眼鏡もかけている。
……おお。
これ、意外といいんじゃない?
真っ赤な髪が帽子の下に隠れているだけでも、ずいぶん印象が違う。
「桜花、どうかな?」
「よくお似合いでございます」
「本当?」
「はい。普段とは違った雰囲気で、素敵でございます」
……ああ。
素直に褒められると、ちょっと照れちゃうねぇ。
桜花も、いつもの外出着の上から目立たない色の外套を羽織っていた。
銀髪は帽子の中にまとめている。
……うん。
これなら、遠目には誰だか分からないかもしれない。
……ただし。
桜花の姿勢のよさと落ち着いた雰囲気は、隠せてない気がするけど。
「……あの」
晴斗君が、私たちを見比べた。
「これ、何の集まりに見えるんでしょうね」
「……何だろうねぇ」
……あっ。
言われてみれば。
変装した男が二人。
その隣には、やけに姿勢のいい女性。
……いや。
普通に怪しくない?
「リアリス様」
桜花が、私の不安を察したように言った。
「お三方で観光に出かける旅人、ということでよろしいかと存じます」
「……おお!」
なるほど!
旅人か!
うん。そう言われれば、そう見えなくもない。
……見えなくもない、はず。
「それじゃ、行こうか!」
「はい」
「……は、はい!」
晴斗君が、少し緊張した顔で立ち上がる。
私は、もう一度だけ鏡を見た。
……よし。
今日の私は、ただの目立たない旅人。
SSランク冒険者でも、世界の英雄でもない。
もちろん、娘をこっそり見守っている心配性の父親でもない。
……いや。
最後のは、間違いなくそうなんだけど。
まあ、いいか。
私は桜花と晴斗君を連れて、屋敷を出た。
◇
王都へ続く道は、今日も穏やかだった。
明るい日差し。
風に揺れる草花。
時折すれ違う人たち。
……うん。
平和だねぇ。
「わぁ……」
晴斗君が、きょろきょろと周りを見渡している。
「やっぱり、屋敷の外へ出ると違いますね!」
「そう?」
「はい。建物の感じとか、道の雰囲気とか……」
……ああ。
分かるなぁ。
うちの屋敷は、日本にいた頃の便利な暮らしを参考にして作った部分も多いからね。
外へ出た途端、急に異世界らしく見えるんだろう。
「向こうに見えるのが王都の城壁だよ」
「おお……!」
晴斗君が、目を丸くした。
「本物の城壁だ……!」
「うん。本物だよ」
……あはは。
何だか、昔の私を見ているみたいだねぇ。
初めて王都を見たときは、私も結構感動したなぁ。
でも。
今日の私には、それより大事なものがある。
……そう。
少し先を歩いているカトレアだ!
「……桜花」
「はい」
「あそこ。カトレアがいるよね?」
「はい。問題なく歩いていらっしゃいます」
……ああ。
よかった。
小さくなったモフ太が、カトレアの隣をとことこと歩いている。
時々顔を上げては、何か話しているみたいだ。
……うん。
楽しそうだねぇ。
私は、つい頬を緩めた。
「……リアリスさん」
「うん?」
「さっきから、ものすごく安心した顔してますね」
「……そう?」
「はい。僕、王都を見に来たのか、カトレアさんを見に来たのか、分からなくなってきました」
「……あはは」
……晴斗君。
そこは、突っ込まないでくれるかな。
私も、ちょっと分からなくなってるから。
◇
しばらく歩くと、王都の門が近づいてきた。
カトレアは先に、門兵さんのいる方へ向かっている。
……おっ。
ここが最初の関門だね。
いや、普段から通っている門なんだけど。
……でも、今日は初めて大人の付き添いなしで通るんだよ?
ちゃんと挨拶できるかな。
……いや。
できるに決まってるんだけど。
私は、少し離れた位置で足を止めた。
「……桜花!」
「はい」
「門兵さんに声をかけられてる!」
カトレアが、門のそばに立っていた兵士と話している。
……ああ。
何を言われてるんだろう。
身分の確認かな。
モフ太のことかな。
もしかして、通行許可の話が伝わってないとか……。
「リアリス様」
「……うん?」
「いつもどおりでございますね」
……。
…………。
……あっ。
そうだよね。
カトレア、普段から門兵さんに挨拶してるんだった。
兵士も笑顔だし。
……うん。
大丈夫そうだ。
「……よかったぁ」
「はい」
私は、胸を撫で下ろした。
すると、カトレアがぺこりと頭を下げて、また歩き始める。
……ああ。
ちゃんと通れた!
「桜花! 通れたよ!」
「はい。よかったですね」
「……うん!」
……あれ。
私、何だか初めて学校へ行った日のことを思い出してる?
……いや。
カトレアが学校へ通い始めてから、もうずいぶん経つのにね。
「リアリス様?」
……おっと。
桜花が、私の顔を覗き込んでいる。
「なんでもないよ。行こうか」
「かしこまりました」
私たちも、少し遅れて門へ向かった。
「こんにちはー」
「こんにちは……って、あれ?」
門兵さんが、私の顔をじっと見た。
……おや?
少しだけ、嫌な予感。
「もしかして……リアリス様ですか?」
……。
…………。
……あっ。
バレた!
早すぎない!?
「ええっと……」
私は、慌てて人差し指を口元に当てた。
「しーっ。娘にバレちゃう」
……ああ。
我ながら、何を言ってるんだろう。
でも、仕方ない。
ここで大きな声を出されたら、カトレアが振り返っちゃう。
門兵さんは、私の指先を見てから、少し先を歩くカトレアに目を向けた。
それから。
「……ああ!」
……おっ?
分かってくれたかな。
「なるほど、そういうことですか!」
「……うん。そうなんだ」
「初めてお一人で、ということですね?」
「モフ太は一緒だけどね」
門兵さんが、にっこり笑った。
「ご安心ください! 先ほども、いつもどおり元気に挨拶してくださいましたよ」
「……ああ。よかった」
……うん。
よかった。
それが聞けただけでも、ちょっと安心したよ。
「頑張ってください、リアリス様!」
「……ありがとう!」
……。
…………。
……いや。
待って。
応援されちゃった。
私は、帽子を深くかぶり直した。
「それじゃ、静かに行くね」
「はい! お気をつけて!」
……ああ。
いい門兵さんだなぁ。
でも。
私の変装、もう最初の関門でバレてるんだけど。
……大丈夫かな、これ。
晴斗君が、横で肩を震わせていた。
「……リアリスさん」
「うん?」
「全然、変装の意味なかったですね」
「……言わないでぇ」
桜花だけは、いつもどおり穏やかに微笑んでいた。
◇
王都の中へ入ると、晴斗君の目が一段と輝いた。
「うわぁ……!」
……おお。
すごい反応。
石造りの建物。
行き交う馬車。
通りに並ぶ店先。
剣を腰に下げた冒険者に、荷物を運ぶ商人さんたち。
……うん。
こうして見渡すと、確かに異世界だねぇ。
「リアリスさん! あの人たち、剣を持ってますよ!」
「うん。冒険者かな」
「本物だ……!」
晴斗君が、少し声を弾ませる。
……ああ。
初めて見ると、そうなるよね。
私も、この世界に来たばかりの頃は、装備を見ただけでちょっとわくわくしたなぁ。
……今では、いつもの風景だけど。
「お店もいっぱいあるんですね!」
「そうだよ。王都だからね」
「すごいなぁ……!」
……うん。
楽しそうで何より。
ただ。
「……桜花」
「はい」
「あそこ! カトレアが花屋さんに声をかけられてる!」
私が指差す先。
小さな花屋さんの前で、カトレアが立ち止まっていた。
店先には、色とりどりの花が並んでいる。
……おお。
あの子が好きそうな場所だねぇ。
でも、何を話してるんだろう。
「……桜花。どうしよう。急に何か買わされてたりしないかな」
「リアリス様」
「うん?」
「いつもどおりでございますね」
……。
…………。
……あっ。
そうだった。
カトレア、あの花屋さんにも何度も行ってるんだよね。
私と一緒に花を見たこともあったし。
……うん。
知り合いだよね。
見ていると、花屋のおばさんがカトレアへ何かを見せ、二人で笑い合った。
カトレアが楽しそうに頷き、モフ太の頭を撫でてから、再び歩き始める。
……ああ。
ただのお花の話だったみたいだね。
「よかった……」
「はい」
……うん。
さっきから、同じようなやり取りをしてる気がする。
でも、仕方ないよね。
初めてなんだから。
「リアリスさん、あれ見てください!」
晴斗君が、今度は別の方向を指した。
広場の端で、荷物を運ぶ人がいた。
重そうな木箱が、ふわりと宙に浮いている。
「……魔法だ!」
「おお。そうだね」
「荷物、浮いてますよ! 普通に!」
「便利だよねぇ」
……あはは。
日本人の晴斗君には、まだまだ珍しいんだろう。
私も昔は、ああいう日常で使う魔法に驚いたっけ。
でも、今の私は……。
「……あっ。カトレア、曲がった!」
「いつもどおりの道でございますね」
「……うん。そうだね!」
……ああ。
私だけ、全然観光できてないね。
せっかく晴斗君と一緒に来たのに。
「リアリスさん」
「うん?」
「もしかして、景色は全然見てないですか?」
「……見てるよ?」
「……カトレアさんしか見てない気がします」
「……そんなこと、ないはず」
……いや。
あるかもしれない。
私は、ちょっとだけ周りを見渡した。
……うん。
王都、今日も賑やかだねぇ。
……よし。
観光もちゃんとしよう。
そう決めた、次の瞬間。
「あら! リアリス様じゃない!」
……おっ?
声のした方を向くと、さっきの花屋のおばさんがこちらへ歩いてきていた。
……あれ?
なんで分かったの?
私、帽子かぶってるのに。
「まあまあ、変わったお召し物で。今日はどうされたんですか?」
「ええっと……」
……ああ。
やっぱりバレるよねぇ。
私は、そっと指を口元に当てた。
「しーっ。娘にバレちゃう」
花屋のおばさんが、私の指先を見た。
そして、少し先にいるカトレアへ視線を移す。
「……あらぁ」
……おっ。
察してくれたみたいだ。
「そういうことですか!」
「うん。今日は初めて、大人の付き添いなしで町に来たからね」
「まあ。もうそんなに大きくなったんですねぇ」
「そうなんだよ」
……ああ。
そう言ってもらえると、嬉しいような、ちょっと寂しいような。
花屋のおばさんが、にこにこ笑った。
「それは、お父さんとしては心配ですねぇ」
「……分かってくれます?」
「もちろんですよ! うちの子が初めて町へ出たときも、同じように心配しましたから」
……おおっ。
同士!
私は、思わず身を乗り出した。
「そうですよね!?」
「ええ。でも、ちゃんと帰ってくるものですよ」
……。
…………。
……ああ。
そうだよね。
カトレアも、ちゃんと帰ってくる。
そのために、モフ太だってついているんだ。
……うん。
少しだけ、安心した。
「頑張ってくださいね、リアリス様」
「ありがとうございます!」
……。
…………。
……また応援された。
なんだろう。
今日の私は、娘じゃなくて私自身が試練に挑んでるみたいだねぇ。
桜花が、小さく笑った。
……あっ。
また楽しんでる。
晴斗君なんて、もう隠す気もなく笑っている。
「……リアリスさん、人気者ですね」
「……ありがたいんだけどねぇ」
……うん。
ものすごく、ありがたいんだけど。
変装の意味は、完全になくなってるね。
◇
その後も、カトレアは順調に王都の通りを歩いていた。
モフ太は隣から離れず、時々カトレアに何かを話しかけている。
……ああ。
いい光景だねぇ。
でも。
「……桜花!」
「はい」
「あそこ、串焼き屋さんに声をかけられてる!」
……まただ!
今度は、通りの角にある串焼き屋さん。
店先では、香ばしい煙が上がっている。
……おお。
あれ、おいしそうだねぇ。
……いや。
今は串焼きの話じゃない!
「何か買うのかな。お金は持ってるはずだけど……」
「リアリス様」
「うん?」
「いつもどおりでございますね」
……。
…………。
……うん。
そうだね。
カトレアは、昔からあの店の前を通ると挨拶してる。
別におかしいことじゃない。
……ああ。
何で私は、毎回こんなに心配してるんだろう。
「リアリスさん! あの鎧の人、すごいですね!」
晴斗君が、目を輝かせた。
「うん? ああ、冒険者かな」
「本当に、ゲームみたいな装備してる……!」
……あはは。
今、私たちがやってることの方が、よっぽど変な気もするけどね。
「それに、こっちの串焼き、すごくいい匂いですね!」
「……そうだねぇ」
……あっ。
言われてみれば。
甘辛いタレの香りが、こっちまで漂ってくる。
お昼を食べたばかりなのに、ちょっとお腹が空きそうだ。
……いや。
私は今、娘のことで頭がいっぱいだけど。
「あっ、カトレアがまた歩き始めた!」
……よし。
追いかけよう。
「おや? 英雄様じゃないか!」
……あっ。
今度は串焼き屋のおじさん!
……ええっ。
この変装、そんなに分かりやすい?
おじさんが、笑顔でこちらへ来た。
「何をそんなところで……」
私は、慌てて人差し指を口元へ当てた。
「しーっ。娘にバレちゃう」
……ああ。
今日、何回目だろう。
この台詞。
おじさんは一瞬きょとんとしてから、カトレアの後ろ姿に気づいた。
「……ああ、なるほど!」
……おっ。
この流れも、何回目だろう。
「そりゃ、お父さんなら気になるよなぁ!」
「……うん。そうなんだ」
「分かる、分かる!」
……ああ。
また同士がいた。
おじさんは豪快に笑った。
「頑張れよ、英雄様!」
「ありがとう!」
……やっぱり応援された。
でも、ちょっと嬉しい。
「おっ。そっちの坊主は見ない顔だな!」
おじさんが、晴斗君へ顔を向けた。
「英雄様のお知り合いか?」
「えっ? あっ、はい! 春原晴斗です!」
……おお。
ちゃんと挨拶できたね。
「初めまして。今日、初めて王都を見て回ってるんです」
「そうかそうか! なら、これ食ってみろ!」
おじさんが、焼き上がったばかりの串焼きを一本差し出した。
「……えっ!?」
「うちの肉はうまいぞ!」
「あっ、ありがとうございます!」
晴斗君が、嬉しそうに受け取った。
……おお。
いいなぁ。
焼き立てだ。
おいしそう。
……いや。
私は今、娘のことで頭がいっぱいなんだよ。
「いただきます!」
晴斗君がひと口かじった。
……もぐ。
もぐもぐ。
……おっ。
どうかな。
「……うまっ!」
……おおっ。
いい反応!
「これ、めちゃくちゃおいしいです!」
「だろう!?」
おじさんが、嬉しそうに笑った。
「脂がちょうどよくて、それなのに全然しつこくない! タレも香ばしくて……!」
……ああ。
晴斗君、すっかり食レポになってる。
「そんなにうまいって言ってもらえると、作ったかいがあるな!」
おじさんが、照れくさそうに頭をかいた。
……うん。
平和だねぇ。
……あれ?
そういえば。
「……桜花!」
「はい」
「カトレアは!?」
「先ほど、通りの先を曲がられました」
……ええっ!?
「は、早く行こう!」
私は、慌てて足を踏み出した。
晴斗君が串焼きを持ったまま、目を丸くする。
「えっ!? もう行くんですか!?」
「ごめんね、晴斗君! 歩きながら食べてて!」
「……あっ、はい!」
……ああ。
大変だ。
娘の後を追うのって、こんなに忙しいの?
……いや。
普通は、追わないんだよね。
分かってる。
分かってるけど!
「リアリス様」
桜花が、いつもの落ち着いた声で言った。
「カトレア様は、ご予定どおりの道を進まれております」
「……あっ。そうだね」
……うん。
分かってる。
分かってるんだけど……。
……せめて、無事にニーナちゃんの家に着くところまでは!
◇
カトレアを見失わないように、私たちは少し距離を取りながら歩き続けた。
……うん。
順調だ。
門は無事に通れたし。
花屋さんにも挨拶できた。
串焼き屋さんとも、いつもどおりに話していた。
……。
…………。
……そうだよね。
何も問題ないじゃないか。
私は、少しだけ肩の力を抜いた。
……そのとき。
「……誰だ、あの人!?」
カトレアが、背の高い男の人と挨拶しているのが見えた。
……あっ!
知らない男の人だぞ!?
「桜花! あの人、誰!?」
「リアリス様」
「うん!?」
「あちらは、酒場のご主人かと存じます」
……。
…………。
「……酒場!?」
「はい。いつもカトレア様へ挨拶をなさってくださいます」
……あっ。
そうなの?
私は、そっと前を覗き込んだ。
男の人は、カトレアと少し言葉を交わし、笑顔で手を振っている。
カトレアも、丁寧にお辞儀して歩き始めた。
……うん。
何もおかしくない。
……ああ。
よかったぁ。
「リアリス様」
桜花が、私を見た。
「……うん?」
「いつもどおりでございますね」
……。
…………。
「……うん。そうだねぇ」
……ああ。
また言われた。
今日、何回目だろう。
いや、桜花は事実を教えてくれてるだけなんだけど。
……なんか、私の方が変な人みたいになってない?
「リアリスさん!」
今度は晴斗君の声だ。
「うん?」
「あっちで魔法使ってる人がいますよ!」
……おっ。
見ると、通りの向こうで軽い荷物を風に乗せて運んでいる人がいた。
晴斗君が、目を輝かせている。
「すごいなぁ……! ああいうの、普通に使うんですね!」
「うん。日常で使う魔法もあるからね」
「それに、武器を持ってる人も多いし! 本当にファンタジーの町だ!」
……ああ。
楽しそうだ。
……いや。
ものすごく楽しそうだ。
私の隣で、桜花はいつもどおり静かに歩いている。
晴斗君は目に入るもの全部が珍しい。
そして私は、カトレアの後ろ姿が気になって仕方ない。
……うん。
三人とも、別々のことを考えてるね。
……これ、本当に同じ目的で出かけたんだっけ?
「リアリスさん! あれ、王城ですか!?」
「うん。王様が住んでるところだよ」
「でっか……!」
晴斗君が、思わず立ち止まった。
……あはは。
そうだよね。
私も最初は驚いた。
……まあ、今では王様に熊の通行許可をもらいに行く場所になっちゃってるけど。
……いや。
それはちょっと、普通じゃないか。
「晴斗君、王城はあとでもっと見ようね!」
「あっ、はい!」
……よし。
私たちはまた歩き始めた。
カトレアは、少し先の道を曲がっていた。
……おっ。
あの道なら、ニーナちゃんの家はもうすぐだね。
……ああ。
いよいよかぁ。
「桜花……」
「はい」
「もう少しだよね?」
「はい。まもなく到着されます」
……うん。
大丈夫。
ここまで何もなかった。
きっと、そのまま到着する。
……そう思いながら、私は帽子のつばを少し下げた。
◇
そして。
見慣れた家が見えてきた。
小さな花壇のある、ニーナちゃんの家だ。
……ああ。
着いた!
私は、思わず足を止めた。
カトレアが玄関へ近づく。
モフ太は、その隣で静かに待っていた。
……うん。
ちゃんと、前に来たことを覚えているみたいだね。
「こんにちはー!」
カトレアの声が、少し離れたところまで聞こえてきた。
「ニーナ、いる?」
……ああ。
ちゃんと挨拶できてる。
いや、できて当然なんだけど。
……何だか、感動してきた。
少しすると、家の扉が開いた。
「カトレア!」
ニーナちゃんだ。
淡い赤色の髪に、いつもの花のヘアピン。
嬉しそうにカトレアへ駆け寄っている。
「来てくれたんだね!」
「うん! 今日はモフ太も一緒だよ!」
「わぁ、モフ太!」
ニーナちゃんが、しゃがみ込んだ。
モフ太が、丁寧に頭を下げる。
「こんにちは、ニーナ様」
「こんにちは!」
……うん。
いい挨拶だねぇ。
ニーナちゃんがモフ太の毛並みを撫でると、モフ太が少しだけ胸を張った。
……あっ。
まさか、またアレックスへの対抗心が出てる?
……まあ。
今はそれどころじゃない。
カトレアとニーナちゃんが、楽しそうに話している。
それから、二人は家の中へ入っていった。
モフ太も、後ろについていく。
……。
…………。
………………。
「……着いたぁ……!」
思わず声が漏れた。
私は、近くの壁にそっと手をついた。
……はぁ。
よかった。
本当に、よかった。
門を通って。
お店の人たちに挨拶して。
ちゃんとニーナちゃんの家まで来られた。
……ああ。
娘が、また一つ成長したんだねぇ。
「リアリス様」
桜花が、優しく声をかけた。
「カトレア様は、無事に到着されましたね」
「……うん」
「おめでとうございます」
……あっ。
桜花に言われると、ちょっと照れちゃう。
「ありがとう、桜花」
私は、ゆっくり息を吐いた。
……ああ。
安心したら、急に身体が軽くなった気がする。
たぶん、朝からずっと気を張ってたんだろうね。
……いや。
カトレアには何も起こってなかったんだけど。
……まあ、いいか。
「……リアリスさん」
晴斗君が、隣から声をかけた。
「うん?」
「……本当に、お疲れさまでした」
……おっ。
優しいねぇ。
「ありがとう、晴斗君」
「いや……あの……」
晴斗君が、口元を押さえた。
……ん?
何だろう。
「……何で串焼き食べてるの!?」
思わず、声が出た。
晴斗君の手には、まだ串焼きがあった。
……えっ。
今まで持ってたの?
「……だって、もらったやつ、まだ残ってたので」
「……あっ」
……そうだった。
おじさんにもらったんだっけ。
晴斗君が、最後のひと口を食べて、にっこり笑った。
「めっちゃおいしいです!」
……。
…………。
……ああ。
自由だねぇ。
私は今日一日、娘のことで頭がいっぱいだったのに。
晴斗君は、串焼きの味を満喫していた。
……うん。
これが正しい王都の楽しみ方なのかもしれない。
「それに、王城、本当に大きいですね!」
晴斗君が、遠くの城を見上げる。
……あっ。
そっちの話も続いてるんだ。
「あとで、もっと近くから見られますか?」
「もちろんだよ」
……うん。
せっかく連れてきたんだから、ちゃんと案内してあげたいね。
すると桜花が、私の隣でそっと顔を上げた。
……おや?
何かに気づいたみたいだ。
桜花の視線を追いかけようとして……。
「リアリス様」
「うん?」
「この後は、どのようになさいますか?」
……あっ。
そうだね。
カトレアは無事に到着したし。
もう、見守りは終わりでいいんだ。
……うん。
「晴斗君、このまま王都を観光していく?」
「……いいんですか!?」
「もちろん! せっかく来たんだから、いろいろ見て帰ろう」
「やった!」
晴斗君が、嬉しそうに笑った。
……ああ。
よかった。
「ただし、町には慣れてないだろうから、あんまり離れないでね」
「はい!」
……うん。
ちゃんと注意も伝えられた。
……あれ。
私、娘だけじゃなくて晴斗君にも心配してる?
……まあ。
それは、大人として当然だよね。
私は、改めて桜花へ向き直った。
「桜花、どうしたの? 何か見えた?」
「……いえ」
桜花は、ほんの少し口元を緩めた。
「何でもございません」
「……そう?」
「はい」
……おや?
何だか、いつもより少し楽しそうな顔だ。
……まあ、いいか。
私は晴斗君と話しながら、王都の大通りへ向かって歩き始めた。
そのとき、桜花がふとニーナちゃんの家へ顔を向けた。
……おや?
何か、気になることでもあったのかな。
けれど、桜花はほんの少し微笑んだだけで、何も言わなかった。
……うん。
きっと、カトレアが無事に着いたことを喜んでくれてるんだろうね。
「晴斗君、あっちが王都の大通りだよ」
「おおっ! 行ってみたいです!」
……ああ。
楽しそうで何より。
私は、満足して頷いた。
娘にバレない作戦は、今のところ完璧だね。
……たぶん。
◇
「リアリスさん! あれ、神殿ですか?」
「うん。オリミスを祀ってる神殿だよ」
「……神殿!」
晴斗君が、ぱっと顔を明るくした。
……おお。
反応がいいねぇ。
私たちは、まず王都の神殿へ立ち寄った。
白い壁に、整えられた入口。
行き交う人たちは、静かに祈りを捧げている。
……うん。
落ち着いた雰囲気だね。
「これが異世界の神殿……!」
晴斗君が、感心したように建物を見上げた。
「日本の神社やお寺とも、雰囲気が違いますね」
「そうだね。こっちは神様への祈りを捧げる場所だからね」
「リアリスさんは、オリミス様を信じてるんですか?」
……。
…………。
……あっ。
そこ、ちょっと答えづらいなぁ。
信じてるも何も。
私は本人に何度も会ってるんだよね。
しかも、落とし物まで届けに来たことがある。
……いや。
普通に説明したら、何を言ってるんだって顔をされそうだ。
「……まあ、実際にいることは知ってるよ」
「……えっ?」
「神様、いるんだよ。この世界」
「……ええっ!?」
……あっ。
やっぱり驚いた。
「本当に……?」
「うん。私も、何度か会ったことがあるから」
……。
…………。
晴斗君が、少し遠い目をした。
「……学校を作って、魔法で家を建てて、神様にも会える……」
……おや。
何か、昨日の話を思い出したみたいだね。
「……やっぱり、のんびり系主人公なんですね」
「……その話は、もう解決したから!」
……ああ。
また言われた!
桜花が、隣で楽しそうに微笑んでいる。
……もう。
今日は誰も味方してくれないねぇ。
◇
次に向かったのは、冒険者ギルド。
建物の前では、武器を持った人たちが出入りしていた。
晴斗君が、目を輝かせる。
「うわぁ……!」
「ここが冒険者ギルドだよ」
「本物の冒険者ギルド!」
……うん。
本物だねぇ。
私も、初めて来た頃はこんな気持ちだったなぁ。
今では、ちょっと怖いところだけど。
……いや。
ギルドそのものが怖いんじゃないよ?
シルベスターさんが、勝手にSSランクへ昇格させてくるんだよ。
……うん。
思い出したら、ちょっと疲れちゃった。
「中も見てみる?」
「いいんですか!?」
「もちろん。変な依頼は受けさせないけどね」
「……えっ。いきなり冒険者になるわけじゃないですよ!」
……あはは。
そうだよね。
でも、興味を持ったら勢いで登録しちゃう人もいるだろうからね。
晴斗君には、まずこの世界のことを知ってもらうのが先だ。
ギルドの中へ入ると、受付の方から声が飛んできた。
「あっ、リアリス様!」
……。
…………。
……バレた。
しかも、入ってすぐ。
受付のリリーナさんが、私たちに気づいて笑っている。
「こんにちは、リリーナさん!」
「こんにちは! 本日はご依頼ですか?」
「いや、今日は晴斗君にギルドを見せてあげようと思って」
私が晴斗君を紹介すると、リリーナさんは丁寧に頭を下げた。
「初めまして。冒険者ギルドへようこそ」
「あっ、初めまして! 春原晴斗です!」
……うん。
いい挨拶だねぇ。
晴斗君が、室内を興味深そうに見回している。
掲示板に貼られた依頼書。
受付へ並ぶ冒険者たち。
奥へ続く廊下。
……うん。
冒険者ギルドっぽいよねぇ。
……いや。
冒険者ギルドなんだから、当たり前か。
「これ、全部依頼なんですか?」
「そうだよ。薬草採取から魔獣討伐まで、いろいろあるんだ」
「……ゲームで見るやつだ!」
晴斗君が、目を丸くした。
……ああ。
その気持ちは分かるなぁ。
私も、最初はちょっとわくわくした。
……まあ。
最初の依頼を受ける前から、いろいろあったけどね。
「冒険者になるには、試験とかあるんですか?」
「登録の仕方はギルドによっても説明があるから、興味があったらリリーナさんに聞いてみるといいよ」
「……おお」
晴斗君が、真剣な顔で頷いた。
……うん。
興味を持つのはいいことだ。
ただし。
「晴斗君。魔獣討伐の依頼は、まだ考えなくていいからね」
「……あはは。分かってます」
……よし。
それなら安心。
……いや。
今度は私が、晴斗君を心配してる。
……うん。
でも、まだこの世界に来て三日目だからね。
これは普通だよね?
そう思っていると、リリーナさんが私のカードの方へ視線を向けた。
「それにしても、リアリス様。昨日は本当におめでとうございました」
……あっ。
その話、ここでする?
「……ありがとうございます」
晴斗君が、首を傾げた。
「……何かあったんですか?」
「うん。ちょっとね」
「リアリス様は、世界でただお一人のSSランク冒険者になられたんですよ」
……ああっ!
リリーナさん!
言っちゃった!
「……世界で一人?」
晴斗君の顔が、ゆっくりこちらへ向いた。
「……はい」
「……リアリスさん、そんなにすごい冒険者だったんですか?」
……。
…………。
……うん。
言い逃れできないね。
「……そんな感じになっちゃったみたい」
晴斗君が、ぽかんとした。
桜花は、なぜか嬉しそうだった。
……ああ。
また、私だけ困ってる。
「リアリス様」
リリーナさんが、微笑みながら言った。
「本日はシルベスターもおりますが、お呼びいたしましょうか?」
「……いえ、大丈夫です!」
……即答!
今日は、穏やかに観光したいんだよ。
昨日みたいに、また何か渡されたら困るからね。
「ふふっ。かしこまりました」
……あれ。
リリーナさんも楽しんでる?
私は、晴斗君と一緒に掲示板をもう少し眺めてから、ギルドを後にした。
……ふぅ。
無事に出られた。
……いや。
そんなに警戒する場所じゃないはずなんだけど。
◇
そのあとも、晴斗君の希望で大通りの店を見て回った。
武器屋さん。
服屋さん。
日用品を並べた雑貨屋さん。
……うん。
どこも、王都らしい賑わいだね。
「リアリスさん、これって……?」
晴斗君が、店先の品物を見つめている。
「何だろうね。私も全部の道具を知ってるわけじゃないからなぁ」
「えっ。リアリスさんでも分からないものがあるんですか?」
「そりゃあるよ!」
……あはは。
私だって、この世界へ来たのは数年前なんだから。
知らないものは、まだまだあるよ。
「そうなんですね……」
晴斗君が、少し安心したように笑った。
……おっ。
よかった。
私が何でも知っていると思われると、ちょっと困っちゃうからね。
ある雑貨屋では、見慣れない形のランプを見つけた。
店番の人が、使い方を説明してくれる。
晴斗君は、真剣な顔で聞いていた。
「……すごいなぁ。やっぱり、日本とは違いますね」
「そうだね」
……うん。
でも、だからこそ面白い。
私もこの世界へ来た頃は、毎日そんなことを感じていた。
……ああ。
たまには、こうして観光するのもいいねぇ。
しかも、今日はカトレアも無事に友達の家へ到着している。
……うん。
ようやく、心置きなく楽しめるよ。
「リアリスさん!」
晴斗君が、少し興奮した声で言った。
「今日、連れてきてもらって本当によかったです!」
「そう? それならよかった」
「はい! 屋敷にいるだけじゃ、こんな風景があるって分からなかったと思います」
……ああ。
確かにねぇ。
うちの屋敷は便利すぎるから。
普通に暮らしてると、日本にいる頃との違いがあんまり感じられないかもしれない。
「また、行きたいところがあったら言ってね」
「ありがとうございます!」
……うん。
いいねぇ。
今日の目的は、無事に達成できたかな。
……あっ。
本当の目的は、カトレアの見守りだったっけ。
……いや。
それも無事に終わったんだから、両方達成だね。
私は満足して頷いた。
◇
屋敷へ戻る頃には、日差しが少し柔らかくなっていた。
カトレアは、まだニーナちゃんの家で遊んでいる時間だ。
……うん。
今日の約束どおりなら、夕食までには帰ってくる。
モフ太もついているし、何も心配はいらない。
……いらない。
……はず。
「リアリス様」
「……うん?」
「居間でお休みになられてはいかがでしょうか」
桜花が、穏やかに言った。
「……そうだね」
……ああ。
私、また心配そうな顔をしてた?
……うん。
今日は、もう十分心配したよね。
私は晴斗君を連れて居間へ戻った。
「おかえりなさい、リアリスちゃん!」
巴さんの明るい声が迎えてくれる。
「ただいま、巴さん!」
「まあ。三人とも楽しそうねぇ」
「はい! すごく面白かったです!」
晴斗君が、元気よく答えた。
……うん。
今日、一番楽しんでたのは晴斗君だと思う。
私は、ソファに腰を下ろした。
……ふぅ。
柔らかい。
やっぱり、うちのソファは最高だねぇ。
巴さんが、お茶と小さなお菓子を用意してくれた。
「ゆっくり休んでちょうだいね」
「ありがとうございます」
……ああ。
落ち着く。
私は紅茶をひと口飲んだ。
……うん。
今日は、ずいぶん歩いたからね。
晴斗君にとっても、いい運動になったんじゃないかな。
「リアリスさん」
「うん?」
向かいに座る晴斗君が、少し真面目な顔になった。
「今日、はっきり分かりました」
「……何が?」
「やっぱり、ここは異世界なんですね」
……。
…………。
……おお。
今さら!?
「ははは。そうだよ。ちゃんと異世界なんだよ」
「いや、分かってはいたんですけど……」
晴斗君が、苦笑いした。
「屋敷の中って、何でも便利じゃないですか」
「……うん」
「お風呂もトイレも普通にあるし、食べ物も日本のものが出てくるし」
……ああ。
そういうことか。
「しかも、雑貨屋にはポテトチップスまで売ってるんですよ?」
「……あはは」
……うん。
昨日も言ってたねぇ。
「正直、ここって異世界の屋敷というより、日本のお金持ちの豪邸みたいに感じるんです」
……おお。
なるほど。
「それで今日、王都へ出てみたら……」
晴斗君が、少し身を乗り出した。
「馬車は走ってるし、剣を持った冒険者はいるし、魔法を使ってる人はいるし!」
「……うんうん」
「神殿まであって、すごい王城もあって……!」
「……ああ。確かにねぇ」
……そうだね。
私も、外の世界に出るたびに、ここが異世界なんだって感じることがある。
でも、家に戻ってくると、いつもの暮らしが待っている。
……それが好きなんだよねぇ。
「リアリスさん、本当にすごいところに住んでるんですね」
「そうかなぁ」
「そうですよ! 僕、もっといろんなところを見てみたくなりました」
……うん。
よかった。
最初はこの世界へ来たこと自体が怖かっただろうけど、少しずつ興味が湧いてきてるんだね。
私は、嬉しくなった。
「じゃあ、また時間のあるときに一緒に出かけようか」
「はい!」
……ああ。
いい笑顔だ。
……うん。
今日の王都観光、やってよかったねぇ。
……いや。
最初の目的が尾行だったのは、ちょっと黙っておこう。
……もう知られてるけど。
◇
晴斗君は、しばらく紅茶を飲んでいた。
それから、ふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば、リアリスさん」
「うん?」
「さっきから、ずっと気になってたことがあるんですけど」
……おっ。
何だろう。
王都で見かけたもののことかな。
「町の人たちに、英雄様って呼ばれてましたよね?」
……。
…………。
……あっ。
そっちかぁ。
私は、思わず視線を逸らした。
「……うん。まあね」
「あと、ギルドでは世界で一人のSSランク冒険者だって」
「……そうみたいだね」
……ああ。
やっぱり聞かれるよね。
あれだけ町の人たちに声をかけられてたら、誰だって気になるよ。
「リアリスさんって、もしかしてすごく有名な人なんですか?」
「……うっ」
私は、胸を押さえた。
……ああ。
痛いところを突かれた。
「ええっと……晴斗君」
「はい?」
「できれば、その話は聞かないでほしいなぁ……」
「えー! その言い方、余計に気になりますよ!」
……あっ。
そうだよねぇ。
聞かないでって言ったら、逆に気になるよね。
私は、頭を抱えた。
「……はぁ」
……もう。
なんでこうなっちゃったんだろう。
私は、ただのんびり暮らしたかっただけなのに。
……いや。
昨日も、その話をしたばかりだね。
「リアリスさん?」
「……うん」
……よし。
ここは、ちゃんと説明しよう。
晴斗君も、いつまでも何も知らないままじゃ困るだろうし。
「実はね。つい最近、世界中で大変なことが起きたんだよ」
「……大変なこと?」
「うん。邪神が現れたんだ」
……。
…………。
晴斗君が、紅茶のカップを持ったまま固まった。
「……邪神?」
「そう」
「……ゲームとかに出てくる、あの邪神ですか?」
「まあ、そういう感じかなぁ」
……うん。
ざっくり説明すると、そうだよね。
もちろん、実際に戦ったときは全然ゲームなんかじゃなかったけど。
あれは本当に大変だった。
「それで、どうなったんですか?」
「……ちょっと倒してきた」
……。
…………。
晴斗君が、ゆっくりこちらを見た。
「……ちょっと?」
「うん」
「……邪神を?」
「そう」
「……ちょっとで倒せる相手だったんですか?」
……。
…………。
……あっ。
言い方が悪かった。
「……全然、ちょっとじゃなかったよ」
私は、苦笑いした。
「あのときは、本当に大変だったんだ」
「……どのくらい?」
……うーん。
どう説明すればいいかなぁ。
そもそも、晴斗君がこの世界へ来る前の出来事だから、実感が湧かないだろうし。
私は、少しだけ考えた。
「世界の半分くらいが壊れちゃったんだ」
……。
…………。
「ぶふっ!?」
晴斗君が、紅茶を吹き出しかけた。
……あっ!
「晴斗君、大丈夫!?」
「ごほっ! ごほっ!」
私は、慌てて身を乗り出した。
桜花が、すっと布を差し出す。
「晴斗様。こちらをお使いくださいませ」
「……あ、ありがとうございます……!」
……うん。
落ち着いたかな。
晴斗君が、水を飲んでから顔を上げた。
「……すみません。今、何て言いました?」
「世界の半分くらいが壊れちゃったって」
「……えっ!?」
……ああ。
やっぱり、驚くよねぇ。
私は、ゆっくり頷いた。
「でも、今は元に戻ってるよ。大丈夫」
「……元に?」
「うん。最後には世界を修復できたからね」
……。
…………。
晴斗君が、また遠い目をした。
……あっ。
今日は、何回この顔を見ただろう。
「……リアリスさん」
「うん?」
「……世界が壊れて、それを元に戻したってことですか?」
「そういうことになるね」
「……えええっ!?」
……ああ。
驚くよねぇ。
私だって、あんなことができるなんて、実際にやるまでは思ってなかったし。
「だから、みんながお礼を言ってくれてるんだよ」
「……。」
…………。
晴斗君が、しばらく黙った。
そして、何かを理解したようにゆっくり頷く。
「……なるほど」
……おっ。
分かってくれたかな。
「リアリスさんって、とんでもない人だったんですね……」
……あっ。
そこ?
「いやぁ……私は、できることをしただけなんだけど」
「その『できること』が普通じゃないんですよ!」
……うん。
否定できない。
桜花が、隣で小さく微笑んだ。
「リアリス様ですから」
……あっ。
桜花。
その説明で納得しちゃ駄目だと思うよ?
晴斗君が、私をじっと見た。
それから、小さく呟いた。
「……邪神を倒せる、心配性の親バカなお父さん……」
……。
…………。
……ぐはっ。
「……否定できない」
私は、がっくりと肩を落とした。
……ああ。
今日一番、的確な説明をされた気がする。
世界を救った英雄。
世界で唯一のSSランク冒険者。
そして、娘の外出が心配でこっそり尾行した父親。
……うん。
全部、私だねぇ。
「完全に異世界ものの主人公じゃないですか」
晴斗君が、くすくす笑った。
……あっ。
またその話!
「……だから、のんびり系の話はもう解決したってば!」
「……あはは!」
桜花まで、楽しそうに笑っている。
……ああ。
今日は、ずいぶん笑われる日だねぇ。
……まあ。
みんなが楽しそうなら、それもいいか。
◇
私は、少しだけ姿勢を直した。
……さて。
せっかく晴斗君と話しているんだし、もう一つ伝えておこうかな。
「そうそう。晴斗君」
「はい?」
「言い忘れてたんだけど、近いうちにうちへお客さんが来ると思うよ」
「お客さん、ですか?」
「うん。日本から来た人なんだ」
……おっ。
晴斗君の表情が、ぱっと変わった。
「……日本人!?」
「そう!」
「リアリスさん以外にも、いるんですか!?」
「うん。私の知り合いでね」
……ああ。
やっぱり、嬉しいよね。
同じ日本から来た人が、他にもいるんだって分かったら。
「その人は、この世界に召喚された勇者なんだよ」
……。
…………。
「……勇者!?」
晴斗君が、思わず声を上げた。
……おお。
いい反応!
「うん。雪彦君っていうんだけどね」
「本当に勇者がいるんですか!?」
「いるよー」
「……すごい!」
……ああ。
目が輝いてる。
やっぱり、日本人の男子高校生だねぇ。
こういう話は、気になるよね。
「今は、ドルステン魔国にいるんだって」
「……魔王!?」
……おお。
今度はそっちに反応した。
「うん。魔王の国だよ」
「……勇者が、魔王の国に!?」
「そうなんだ」
……あはは。
晴斗君の頭の中では、きっといろんな想像が広がってるんだろうなぁ。
勇者と魔王。
この組み合わせだけで、何だか大事件が起きそうだもんね。
「でも、今は冒険者ギルドの依頼を受けてるみたいだよ」
「……依頼!?」
……おおっ。
また反応した!
私は、ちょっと面白くなってきた。
……いや。
晴斗君をからかうのは、よくないかな。
……でも。
少しだけ、試してみたい。
「晴斗君」
「はい!」
「カトレアは世界で一番可愛いよ」
「カトレアさんは可愛い!」
……。
…………。
「……あれ?」
晴斗君が、きょとんとした。
……あっ。
引っかかった!
「……ぷっ」
私は、思わず吹き出した。
「あはははっ!」
隣で桜花も、手を口元へ当てて笑っている。
「ふふっ……!」
晴斗君が、ようやく気づいたみたいだ。
「……ちょっと、リアリスさん!」
「ごめんごめん! 反応がよすぎて、つい!」
「そこだけ急に話題違うじゃないですか!」
「いやぁ、でも本当のことだからね」
……うん。
カトレアは世界で一番可愛い。
そこは、譲れない。
晴斗君が、呆れたように笑った。
「……ほんと、親バカですね」
「……それは否定しないよ」
……ああ。
もう、隠す必要もない気がしてきた。
桜花が、穏やかに微笑んだ。
「カトレア様は、たいそう愛らしい方でございますから」
「でしょう!?」
……おっ。
桜花も同意してくれた!
……うん。
今日は、これだけで十分嬉しいねぇ。
「……あはは」
晴斗君も、つられて笑った。
……ああ。
いい時間だなぁ。
日本から突然この世界へ来たばかりの晴斗君が、こうして笑ってくれている。
……それが、何より嬉しい。
私は、改めて話を戻した。
「それでね。雪彦君は勇者だけど、魔王と戦いに行ったわけじゃないからね」
「……えっ?」
晴斗君が、また目を丸くする。
「今は、人間の国と魔国は友好関係なんだ。昔はいろいろあったけどね」
「……そうなんですか?」
「うん。ドルステンさんとも仲良くしてるよ」
「……ドルステンさん?」
「魔王だよ」
……。
…………。
晴斗君が、少しだけ固まった。
「……魔王を、さん付けで……?」
「うん。知り合いだからね」
「……。」
…………。
……あれ。
また驚かせちゃった。
「……リアリスさん」
「うん?」
「本当に、何でもありな異世界なんですね……」
「そんなことないと思うよ?」
……いや。
何でもありなのは、私の方かもしれないけど。
……うん。
そこは黙っておこう。
「じゃあ、勇者と魔王が仲良くしてても、おかしくないんですね」
「そうそう」
「……なるほど。そういう感じの異世界ものなんですね」
晴斗君が、納得したように頷いた。
……ああ。
理解が早くて助かるねぇ。
「雪彦君が来たら、紹介するよ。きっと楽しく話せると思う」
「はい! 楽しみです!」
……うん。
よかった。
これで、晴斗君も近いうちにもう一人の日本人に会える。
いろいろ話したいこともあるだろうし。
日本のことを懐かしむ時間があってもいいよね。
……ああ。
なんだか、私も楽しみになってきた。
◇
それからしばらく、私たちは居間でのんびり過ごした。
晴斗君は、王都で見たものの話が止まらない。
冒険者ギルドの依頼書。
神殿の大きな建物。
魔法で荷物を運んでいた人。
串焼き屋のおじさん。
……うん。
どれも、楽しかったみたいだねぇ。
「リアリスさん、今度は普通に王都を観光しに行きたいです!」
……。
…………。
……あっ。
今、何て?
「……普通に?」
「はい!」
「……今日も普通に観光したつもりだったんだけど」
晴斗君が、にっこり笑った。
「今日は、カトレアさんの尾行がメインでしたからね!」
……。
…………。
……ぐはっ。
また、的確なことを言われた。
「……見守り、なんだけどなぁ」
「……あはは!」
桜花が、隣で小さく微笑んだ。
「リアリス様。本日も、お疲れさまでございました」
「……ありがとう、桜花」
……うん。
疲れたけど。
悪くない一日だったね。
カトレアは、ちゃんと自分の足で王都を歩いて、ニーナちゃんの家にたどり着いた。
晴斗君は、初めての王都でたくさんのものを見て、楽しんでくれた。
……ああ。
よかった。
よかったんだけど。
……ふと、考えてしまった。
次にカトレアが、一人で町へ行くとき。
……私、またついて行きたくなるのかな。
……。
…………。
……いや。
きっと、大丈夫。
今日、あの子が自分で行けるところを見たんだから。
……うん。
大丈夫だよね。
「リアリスさん?」
「……うん?」
「また難しい顔してますよ?」
……あっ。
晴斗君。
もう、見逃してくれないかな。
私は、ゆっくり紅茶を飲んだ。
……ああ。
おいしい。
世界で唯一のSSランク冒険者になっても。
世界を救った英雄と呼ばれても。
娘の初めてのお出かけが心配で、変装して後をつけてしまう。
……うん。
どう考えても、私は普通のお父さんだねぇ。
……いや。
普通のお父さんは、Sランク魔獣を連れた娘を尾行したりしないのかな。
……まあ、いいか。
私は、晴斗君と桜花の笑顔を見ながら、もう一度紅茶を飲んだ。
……さて。
カトレアが帰ってきたら、今日のお話をたくさん聞かせてもらおう。
……もちろん。
私たちが後をつけていたことは、秘密だよ?
……うん。
絶対に、秘密。
……たぶん、バレてないはずだからね。
◇
――プチ番外編・その日の夕食。
隣でカトレアが、何気ない顔で私を見た。
「お父さん、今日ついてきてたでしょ」
びくんっ! 思わず箸が止まった。……えっ、なんで知ってるの!?
「ふふふっ」
桜花が楽しそうに笑う。……えっ、桜花も知ってた!?
「お父さん、心配してくれたんだよね。ありがとう」
カトレアがにっこり笑った。
……ああ。娘の成長は嬉しいけど、今はちょっと恥ずかしいよぉ!




