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第4話:娘の初めての一人王都

 ……よし。


 今日は、のんびり過ごそう。


 目を覚まして、真っ先にそう決めた。


 昨日の夜、カトレアと桜花、それから巴さんと話して、ようやく気づいたんだ。


 のんびり暮らすっていうのは、何もしないことじゃない。


 好きなことをして、家族と笑って、おいしいものを食べて。


 そんな毎日を楽しめれば、それで十分なんだよね。


 ……うん。


 いいことに気づいたなぁ、私。


 だから今日は、仕事が終わったら庭の花を見て、お茶を飲んで。


 何なら、ちょっとお昼寝なんかもしちゃおうかな。


 ……ああ。


 想像するだけで、いい一日になりそうだ。


 私は気持ちよく伸びをして、寝台から起き上がった。


 窓の外は、今日も明るい。


 庭の花壇には、いつものように色とりどりの花が咲いている。


 ……うん。


 世界を救っても、SSランクになっても、朝の景色は変わらないねぇ。


 さて。


 まずは朝ご飯だ!


     ◇


「おはようございまーす!」


 食堂へ入ると、あちこちから挨拶が返ってきた。


「あら、リアリスちゃん。おはよう!」


「おはようございます、リアリス様」


「お父さん、おはよう!」


 ……ああ。


 今日もいい朝だ。


 巴さんが、出来たてのおかずを食卓へ運んでいた。


 桜花は私の隣へ来て、いつものように一礼する。


 そしてカトレアは……。


「モフ太、学校に行くときはこっちの道にしようね」


「承知いたしました。カトレアのお好きな道で問題ございません」


 ……おっ。


 モフ太と相談中みたいだ。


 モフ太が、カトレアのそばでちょこんと座っている。


 昨日、王様から王都内の通行許可をもらったばかりだもんね。


 さっそくいろいろ考えてるのかな。


「おはよう、カトレア。モフ太も」


「おはよう、お父さん!」


「おはようございます、ご主人様」


「学校へ行く道の相談?」


「うん! 今日は帰りに、お花が咲いてるところをちょっと見たいんだ」


 ……おお。


 それはいいね。


「そうなんだ。でも、あんまり遠回りしないようにね」


「分かってるよ」


 カトレアが、にっこり笑った。


 ……あっ。


 また心配性が出ちゃった。


 このくらいなら、別に普通の注意だよね?


 ……うん。きっとそう。


「ご安心ください、ご主人様。私が必ずお守りいたします」


 モフ太が、胸を張った。


「頼りにしてるよ」


「はい!」


 ……うん。


 何度見ても、頼もしい子だねぇ。


 小さな身体で胸を張ってる姿は、かなり可愛いけど。


 ……ああ。


 そういえば、まだアレックスとの毛並み勝負を諦めてないんだっけ。


 今日もニーナちゃんに会ったら、何か言い出すのかな。


 ……まあ。


 危ないことをしないなら、好きにしていいんだけどね。


 朝食の席には、晴斗君の姿もあった。


 昨日より、ずいぶん自然に座っている。


「おはようございます、リアリスさん!」


「おはよう、晴斗君。昨日はよく眠れた?」


「はい! ぐっすりでした」


「それはよかった」


 ……うん。


 いい笑顔だ。


 この世界に来てから、まだ三日目。


 分からないことだらけのはずだけど、少しずつ落ち着いてきたみたいだね。


 ユリが、晴斗君の前へお茶を置いた。


「晴斗様、本日はお砂糖をお入れいたしますか?」


「あ、ありがとうございます。今日はそのままで飲んでみます」


「かしこまりました」


 ……おお。


 晴斗君、ちょっと慣れてきたね。


 昨日までは、何かしてもらうたびに慌ててた気がするけど。


 もちろん今も遠慮はあるんだろうけど、少しずつ自分の希望を伝えられるようになっている。


 ……うん。


 いいことだねぇ。


「それじゃあ、いただきましょうか」


 巴さんの声に、みんなが手を合わせる。


「いただきます!」


 ……ああ。


 今日も、おいしい。


 これだけで、もう十分幸せだよね。


     ◇


 朝食を終えると、それぞれが今日の予定に向かって動き始めた。


 私も軽く身支度を整え、まずは屋敷の中をひと回り。


 桜花が、いつものように一緒に歩いてくれる。


「リアリス様。本日も美容サロンのご予約がございます」


「うん。ありがとう。先に雑貨屋を見てから行こうかな」


「かしこまりました」


 ……うん。


 これも、いつもの日課。


 お店の様子を見て、美容サロンで仕事をして。


 余裕があれば、ちょっとお茶を飲んで。


 ……いいね。


 今日は何も起こらない気がする。


 ……いや。


 昨日の晴斗君の話を思い出したら、何だか縁起でもない気がしてきた。


 ……考えるのはやめよう。


「いってきまーす!」


 玄関の方から、カトレアの元気な声が聞こえた。


 ……おっ。


 学校へ行く時間か。


 私は桜花と顔を見合わせて、玄関へ向かった。


「カトレア、いってらっしゃい!」


「いってきます、お父さん!」


 カトレアは鞄を持ち、明るい顔で振り返った。


 隣には、ちょこんと立つモフ太。


 ……うん。


 小さな熊が護衛につく通学風景。


 改めて考えると、かなり変わってる。


 でも、うちではもう普通だねぇ。


「モフ太、よろしくね」


「はい、ご主人様。万事、お任せください」


「学校の先生にもよろしくね」


「承知いたしました」


 カトレアがくすっと笑った。


「お父さん、モフ太にお願いしすぎだよ」


「……あはは」


 そうかなぁ。


 でも、大事な娘だからね。


「お父さん、仕事が終わったら、昨日言ってたお花も一緒に見ようね」


「もちろんだよ!」


 ……あっ。


 覚えててくれたんだ。


 昨日の約束。


 うん。今日はちゃんと時間を作るからね。


「じゃあ、いってきます!」


「いってらっしゃい!」


 カトレアは手を振ると、モフ太と並んで歩き出した。


 しばらく見送ってから、私は小さく息を吐いた。


 ……ああ。


 いい朝だなぁ。


「リアリス様」


「うん?」


「本日は、よい一日になりそうでございますね」


「そうだね!」


 私は笑って頷いた。


 ……そのときは、本当にそう思っていたんだよ?


     ◇


 雑貨屋は、今日も穏やかに営業していた。


 店頭には、紅茶やクッキーなど、いつもの品物が並んでいる。


 最近は、リバーシを見て足を止めるお客さんも増えたらしい。


 ……うん。


 平和だ。


 お店のメイドに声をかけ、在庫のことを聞いてみる。


「何か困ってることはない?」


「いいえ。補充用の魔道具も問題なく動いております」


「それならよかった」


 ……うん。


 これなら今日も大丈夫だね。


 私は店内をひと回りして、そろそろ屋敷に戻ろうとした。


 すると、買い物に来ていたお客さんがこちらを見つけた。


「あら、リアリス様!」


「こんにちは!」


「英雄様、昨日は町で大人気だったそうですね!」


 ……。


 …………。


 ……あっ。


 もうその話、広まってるの?


「いやぁ……皆さんに良くしていただいて、ありがたいですねぇ」


「ふふっ。お疲れになったでしょう?」


「……ちょっとだけ」


 お客さんが、優しく笑った。


 ……うん。


 今日も、いい人ばかりだ。


 でも。


 昨日みたいに帰れなくなるのは、ちょっと困るからね。


「それでは、私は仕事に戻りますね!」


「はい。お身体に気をつけて!」


 ……よし。


 今日は、早めに引き上げよう。


 私は丁寧に頭を下げ、雑貨屋を後にした。


 ……ああ。


 ちゃんと予定どおり進んでるね。


 この調子、この調子。


     ◇


 屋敷へ戻ると、玄関の近くに晴斗君とユリがいた。


 ……おっ。


 これから出かけるところかな。


「おはよう、晴斗君!」


「あっ、リアリスさん! おはようございます」


「今日はどこか見に行くの?」


「はい。昨日、学校を見せてもらったんですけど、もう少し詳しく見てみたくなって」


 ……へえ。


 いいねぇ。


 昨日は見学だけだったし、まだ分からないことも多いだろう。


「学校、気に入ってくれた?」


「はい。特に、この世界ではどんなことを勉強してるのか気になって」


 ……おお。


 好奇心旺盛だねぇ。


 私は少し考えた。


 ……そうだ。


 せっかくだし。


「それならさ、今日は授業を受けてみたら?」


「……えっ?」


 晴斗君が目を丸くした。


「授業、ですか?」


「うん。見てるだけより、実際に勉強した方が分かることも多いと思うよ」


「い、いきなり行ってもいいんですか?」


「大丈夫だよ。アンナさんに話しておけば、きっと受け入れてくれると思う」


 ……そう。


 うちの学校は、学びたい人が学べる場所にしたかったんだ。


 晴斗君だって、もちろん歓迎だよ。


「でも、僕、高校二年生ですよ?」


「うん。知ってるよ」


「小さい子たちの授業に混ざっても、いいんですか?」


「あはは。そこは気にしなくていいよ。うちの学校には、大人の人も通ってるんだから」


 晴斗君が、ぽかんとした。


「……大人も?」


「うん。読み書きや計算を覚えたい人は、何歳でも勉強できるようにしてるんだ」


「……へえ」


 ……あっ。


 ちょっと驚いてる。


 日本の学校だと、年齢ごとに学年が決まってるのが普通だもんね。


 そう考えると、うちの学校は少し変わって見えるのかもしれない。


「それに、晴斗君はもう読み書きもできるでしょう?」


「ええっと……はい。リアリスさんに魔法をかけてもらってから、文字も読めるようになりました」


「うん。なら、難しいところは飛ばして、興味のある授業を受けてもいいんじゃないかな」


 ……よし。


 そうしよう。


「ユリ。アンナさんに、晴斗君が授業に参加できるように伝えてもらえる?」


「かしこまりました。ご本人のご希望も伺いながら、ご案内いたします」


「ありがとう!」


 ……うん。


 これで安心。


 アンナさんなら、晴斗君に合う授業を考えてくれるだろう。


 あの人、教えるのが上手だからねぇ。


「……リアリスさん」


「うん?」


「学校にも、すごく顔が利くんですね」


 ……おっ?


 顔が利く?


「ははは。まあ、顔が利くっていうか……私が作った学校なんだよね」


 ……。


 …………。


「……えっ!?」


 晴斗君が、固まった。


 ……あっ。


 昨日、学校の建物を魔法で作ったとは話したけど。


 学校そのものの運営にも関わってるって、ちゃんとは伝えてなかったかな。


「私が学校を作って、アンナさんたちに先生をお願いしてるんだよ」


「……学校を、作って?」


「うん」


「……先生を、お願いして?」


「そうそう」


「……ええっと」


 晴斗君が、何か言いかけて口を閉じた。


 ……おや。


 どうしたんだろう。


「リアリスさんって、冒険者ですよね?」


「うん」


「雑貨屋もやってますよね?」


「うん」


「美容サロンも……」


「そうだね」


「……それで、学校も?」


「孤児院もあるよ」


「……。」


 …………。


「……やっぱり、昨日の話って間違ってなかったんですね」


 ……あっ。


 それは、もしかして。


 のんびり系主人公の宿命の話?


「晴斗君! その話は、もう解決したんだよ!」


「……えっ!?」


「大丈夫! 私はちゃんとのんびり暮らしてるから!」


 ……うん。


 胸を張って言える。


 昨日、カトレアと巴さんに教えてもらったからね。


 晴斗君は、少しだけ考えたあと、笑い出した。


「……あはは! そうなんですね!」


「そうなんだよ!」


 ……ああ。


 分かってくれたみたいでよかった。


 私は満足して頷いた。


「それじゃ、私はサロンの仕事に行ってくるからね。授業、楽しんでおいで!」


「はい! ありがとうございます!」


 晴斗君が、嬉しそうに頭を下げた。


 ユリも一礼する。


「それでは、行ってまいります」


「いってらっしゃい!」


 ……うん。


 今日もいい一日だ。


 晴斗君にとっても、楽しい授業になるといいね。


     ◇


 美容サロンでは、今日もいつものようにお客さんを迎えた。


「いらっしゃいませ!」


「こんにちは、リアリス様」


 ……うん。


 昨日より、さらに丁寧に挨拶されている気がする。


 ……いや。


 気のせいじゃないな、これ。


 先日の英雄公表のあと、どこへ行っても『リアリス様』って声をかけられるようになった。


 それ自体はありがたいけど。


 せめてサロンでくらい、普通に仕事をさせてほしいなぁ。


「今日は、髪を少し整えましょうか?」


「はい。よろしくお願いいたします!」


 ……よし。


 仕事は仕事。


 ここは集中しよう。


 私はいつもの手順で施術を始めた。


 お客さんの希望を聞いて、仕上がりを確認しながら、丁寧に整えていく。


 ……ああ。


 こういう時間、好きなんだよね。


 誰かをきれいにして、その人が嬉しそうに笑ってくれる。


 前の世界で、美容の仕事をしていた頃から、そこは変わらないなぁ。


「まあ! すごく素敵です!」


「よかった。気に入っていただけたなら何よりです」


 鏡を見たお客さんが、嬉しそうに微笑んだ。


 ……うん。


 今日もいい仕事ができたね。


 そのまま予約のお客さんを順番に迎えて、気づけば午前中の仕事がひと区切りついていた。


 ……ふぅ。


 今日は、思ったより落ち着いてたなぁ。


 よかった、よかった。


 私は片付けを済ませ、屋敷へ戻った。


 ……そろそろ、カトレアたちも帰ってくる頃かな。


 昨日、花壇を一緒に見ようって約束したし。


 仕事のあとに、ちょっとだけ庭を歩くのもいいね。


 ……ああ。


 やっぱり、のんびりって最高だ。


「ただいまー!」


 ……おっ。


 ちょうど、玄関から声が聞こえてきた。


 カトレアだ。


 私は顔を上げた。


「おかえり、カトレア!」


「お父さん、ただいま!」


 カトレアが、ぱっと笑った。


 隣にはモフ太。


 そして。


「リアリスさん、ただいま戻りました!」


 晴斗君も一緒だ。


 ……おお。


 タイミングぴったりだね。


「晴斗君も、おかえり。どうだった? 学校の授業」


「すごく面白かったです!」


 ……おっ。


 その顔は、本当に楽しかったみたいだね。


 私は二人を居間へ誘った。


「お昼まで少し時間があるから、お茶でも飲みながら聞かせてもらおうかな」


「はい!」


 ユリも、笑顔で後ろからついてくる。


 ……うん。


 何だか、学校帰りの兄妹みたいだねぇ。


 年齢は違うし、出身の世界だって違うけど。


 ……ああ。


 そういうのも、悪くないね。


     ◇


 居間へ入ると、桜花がすぐにお茶を用意してくれた。


「お帰りなさいませ、カトレア様。晴斗様」


「ただいま、桜花お姉ちゃん!」


「ありがとうございます!」


 晴斗君が腰を下ろし、ふうっと息を吐いた。


「いやぁ、本当に勉強になりました」


「おお。何が面白かった?」


「まず、文字の授業なんですけど……」


 晴斗君は、ちょっと不思議そうに笑った。


「先生が黒板に書く文字、全部読めるんですよね」


「うん。《言語理解》のおかげだね」


「はい。自分でも書けるんです。昨日までは、まだ不思議な感じがしてたんですけど」


 ……ああ。


 そうだよね。


 知らない文字が、急に読めるようになるなんて。


 魔法を使った私が言うのもなんだけど、慣れるまで少し時間がかかるだろうな。


「先生に『書いてみてください』って言われて、普通に書けたときは、ちょっと驚きました」


「ふふっ。ちゃんと使えてるんだね」


「はい。最初は、自分の手が勝手に覚えてるみたいで変な感じでしたけど」


 ……うん。


 なるほどねぇ。


 晴斗君が、もう一度頷いた。


「計算の授業も、高校の勉強に比べたら基本的な内容だったので大丈夫でした」


「そうだろうね。晴斗君は、日本でちゃんと勉強してたんだもんね」


「いやぁ……それほどでも」


 ……おっ。


 少し照れてる。


 私はくすっと笑った。


「じゃあ、知らないことはあまりなかった?」


「それが、そんなことないんです!」


 晴斗君が、急に身を乗り出した。


「歴史の授業が、すごく面白くて!」


「おおっ!」


「シルク王国ができた頃の話とか、近くの国との交流とか……。日本で習ってた世界史とは全然違うんですけど、ちゃんと歴史があるんだなって」


 ……ああ。


 それは、面白いだろうねぇ。


 知らない世界の歴史を学ぶ。


 私もこの世界に来たばかりの頃は、初めて聞く国の名前にいちいち驚いてたっけ。


 ……まあ。


 まさか、あとになって各国の王様と知り合いになるとは、思ってもいなかったけど。


「アンナさん、説明が分かりやすかったでしょう?」


「はい! ただ年号を並べるんじゃなくて、どうして町が栄えたのかとか、どんな人たちが暮らしていたのかも話してくれて」


「……うんうん」


「それで、気になったことを聞いたら、その場で詳しく教えてくれるんです」


 ……さすがアンナさん。


 頼りになるねぇ。


「授業の途中で、カトレアさんにもいろいろ教えてもらいました」


 ……おっ。


 私はカトレアを見た。


「そうなの?」


「うん。晴斗さん、この世界の国の名前がまだよく分からないって言ってたから」


「そうなんです。地図を見せてもらっても、最初はどこがどこだか……」


「カトレア、ありがとうね」


「えへへ。私も最初は覚えるの大変だったから」


 ……ああ。


 そうだったねぇ。


 カトレアも、学校に通い始めた頃は、知らないことがたくさんあった。


 それが今では、新しく来た人に教えてあげられるようになった。


 ……うん。


 本当に、成長したなぁ。


「それに、晴斗さんは日本のことを教えてくれたよ」


「おっ?」


「日本には、もっと大きい学校があるんだって」


「まあ、そうだね。いろんな学校があるよ」


 晴斗君が、少しだけ笑った。


「ここも、すごくいい学校だと思います。年齢が違う人たちが同じところで勉強してるの、面白かったです」


「ありがとう」


 ……ああ。


 そう言ってもらえると、嬉しいな。


 私が建物を作って、みんなに協力してもらって始めた学校。


 今では、私が知らないところでも、ちゃんと人が学んでいるんだねぇ。


「晴斗君」


「はい?」


「これからも、興味がある授業には自由に参加していいからね。アンナさんに相談すれば、調整してもらえると思うよ」


「本当ですか!?」


「もちろん!」


 晴斗君が、ぱっと顔を明るくした。


「ありがとうございます! もっとこの世界のこと、知ってみたいです!」


 ……うん。


 いいねぇ。


 そういう気持ちは大事だよ。


 この世界に来た理由も、元の世界へ戻る方法も、今は分からない。


 でも、分からないことばかりの場所で、興味を持てるものを見つけたなら。


 その分だけ、毎日が少しずつ楽しくなるんじゃないかな。


「晴斗さん、明日も一緒に授業受けましょうね!」


 カトレアが、嬉しそうに言った。


「はい! ぜひお願いします!」


 ……ああ。


 いいねぇ。


 私は、二人のやり取りを眺めながら、温かな気持ちになった。


 ……うん。


 今日は、本当に平和な日だねぇ。


     ◇


 お茶を飲み終えたところで、カトレアが私の袖を軽く引いた。


「お父さん」


「うん?」


「昨日約束したお庭のお花、見てくれる?」


 ……あっ!


 そうだった!


「もちろんだよ。行こうか」


「うん!」


 私は桜花も誘って、カトレアと庭へ出た。


 モフ太も、後ろからとことことついてくる。


 晴斗君は、ユリと学校の話をもう少し続けたいそうなので、居間で待っていてもらうことにした。


 庭には、明るい日差しが降り注いでいた。


 ……ああ。


 気持ちいいねぇ。


「ほら、お父さん。こっちのお花、また少し開いたんだよ」


「本当だ!」


 カトレアの指差す先では、昨日より少し大きく開いた花が揺れていた。


 ……おお。


 昨日はまだ小さな蕾だったのに。


 一日で、結構変わるものなんだね。


「ニーナにも、また見せたいな」


「ふふっ。ニーナちゃんもお花が好きだもんね」


「うん。今日の学校でも、お花の話をしたの」


 ……ああ。


 いい友達だねぇ。


 私はしゃがんで、カトレアと同じ目線から花壇を眺めた。


 ……うん。


 こうして見ると、小さな花もきれいだね。


「お父さん、これとこれ、どっちが先に咲くと思う?」


「うーん……こっちかなぁ」


「私はこっち!」


「おっ。じゃあ、当たるか楽しみだね」


「うん!」


 ……ああ。


 こういう時間が好きなんだよね。


 何か大きなことをしているわけじゃない。


 ただ娘と、どの花が先に咲くか話しているだけ。


 ……でも、楽しい。


 昨日のカトレアの言葉は、やっぱり正しかったね。


 私は、目の前の花を見ながらゆっくり笑った。


 ……うん。


 今度こそ、ちゃんとのんびりできてる。


 ……そう思っていたんだけど。


「みなさーん、ご飯ですよー!」


 巴さんの明るい声が、屋敷に響いた。


 ……おっ。


 もうお昼か。


「はーい!」


 カトレアが、元気に返事をする。


 私は立ち上がった。


「じゃあ、手を洗って食堂に行こうか」


「うん!」


 ……さて。


 今日のお昼は何かなぁ。


 ……この時点では、まだ午後の予定が大きく変わるなんて思ってなかったんだよね。


     ◇


 昼食の席では、晴斗君が今日の授業の話をしてくれた。


 特に歴史の授業が面白かったらしく、何度もアンナさんの説明の仕方を褒めている。


 ……ああ。


 アンナさんに聞かせてあげたいねぇ。


 巴さんも、嬉しそうに微笑んでいた。


「ふふっ。いい経験になったみたいね」


「はい! 日本で学校に通ってたときは、勉強がこんなに面白いって思ったこと、あんまりなかったんですけど」


「まあ。それはよかったわ」


 ……うん。


 異世界へ来て、改めて勉強の面白さに気づく。


 何だか、いい話じゃない?


 私も、知らないことを覚えるのは好きだしね。


 ……まあ。


 仕事で必要な勉強をしてた頃は、そんな余裕がない日もあったけど。


 それはそれ。


「晴斗君、午後はどうする予定?」


「今日は午前中だけで十分見せてもらったので、午後は少し休もうかなと」


「うん。それもいいと思うよ。まだこっちへ来たばかりだしね」


「はい。ユリさんにも、あまり無理しないようにって言われました」


 ……おお。


 さすがユリ。


 ちゃんと気遣ってくれてるねぇ。


「晴斗様は昨日もよくお歩きになりましたので、少しずつ慣れていただければと存じます」


「ありがとうございます」


 晴斗君が、素直に頭を下げた。


 ……うん。


 いい雰囲気だ。


 私はおかずをひと口食べた。


 ……おいしい。


 今日も、平和な昼食だねぇ。


 ……そのときだった。


「ねえ、お父さん!」


 カトレアが、私を見た。


「うん? どうしたの?」


「今日も、ニーナのお家に遊びに行ってもいい?」


 ……おっ。


 ニーナちゃんの家か。


 昨日はうちに遊びに来てくれたし、その前はカトレアがお邪魔していたね。


 ……うん。


 仲良しで何よりだ。


「もちろん、いいよ!」


「やった!」


「ただし、モフ太をちゃんと連れていってね」


「うん!」


「それから、知らない人についていかないこと。道草はあんまりしないで、危ないところには近づかないこと」


「うんうん」


「もし誰かに声をかけられても、無理に相手をしなくていいからね。困ったらすぐモフ太に言って、何かあったら帰ってくるんだよ」


「うん、分かってるよ」


「あと、行く道はいつもどおりでいいけど、あんまり遠回りしないようにね。帰る時間も——」


「お父さん!」


 ……あっ。


 カトレアが、くすっと笑った。


「もう。心配しすぎだよ」


「……そう?」


「そうだよ。モフ太もいるし、私もう十四歳なんだから」


 ……。


 …………。


 ……ああ。


 そうなんだよね。


 十四歳。


 もう、自分で考えて行動できる年頃だ。


 分かってる。


 ちゃんと分かってるんだけど。


「でもね、カトレア」


「うん?」


「カトレアが、私たちの誰もついていない状態で王都へ行くのは、初めてでしょう?」


「……あっ」


 カトレアが、少し考えた。


 ……おや?


 どうやら、本人も意識してなかったみたいだ。


「……そういえば、そうかも!」


 ……あっ。


 思い出した。


「今までは、セバスと一緒だったり、私と一緒だったりしたもんね」


「うん。ニーナのお家へ行ったときも、セバスが一緒だったでしょ?」


「そうだったね」


 ……そう。


 王都では、カトレアも顔を覚えられている。


 町の人たちは優しい人が多いし、知らない土地ってわけでもない。


 でも。


 私が世界中に英雄として知られてしまった以上、今までとは少し事情が違う。


 カトレアが、私の娘だってことも広まっているはずだ。


 ……いや。


 だからって、誰も信用しないのは違うんだけどさ。


 ……でも、心配なんだよねぇ。


 私の表情を見たのか、カトレアが少し首を傾げた。


「お父さん?」


「……うん?」


「私、大丈夫だよ?」


 ……ああ。


 そう言われると、余計に心配になるというか。


 ……いやいや。


 ここは、娘を信じないと。


「旦那様」


 静かな声が聞こえた。


 セバスだ。


「よろしければ、本日も私がお供いたしましょうか」


 ……おっ。


 その手があった!


 ……いや。


 待って。


 それじゃ、昨日までと変わらないよね。


 せっかくモフ太の王都通行許可をもらったんだ。


 あの子に護衛を頼めるなら、カトレアが行きたい場所へ少しずつ自由に出かけられる。


 ……うん。


 そのための許可だったんだから。


 私は、カトレアの顔を見た。


 嬉しそうにしている。


 ただ、少しだけ私の返事を待っているようにも見えた。


 ……ああ。


 そうだね。


 本人だって、いつまでも子供扱いされるのは嫌だよね。


「……セバス、ありがとう」


「はい」


「でも、今日はカトレアに1人で行ってみてもらおうかな」


 カトレアが、ぱっと顔を上げた。


「お父さん!」


「モフ太が一緒なら安心だし。それに、もう十四歳だもんね」


 ……うん。


 頑張れ、私。


 ここは笑顔だ。


「ただ、出かける前に行き先と帰る予定の時間は教えてね。それだけは約束してほしいな」


「うん! ちゃんと伝えるよ!」


 ……ああ。


 嬉しそうだ。


 その顔を見たら、よかったって思う。


 ……でも、心配なものは心配なんだよねぇ。


「ご主人様」


 テーブルの近くにいたモフ太が、顔を上げた。


「カトレアの護衛は、私にお任せください」


「うん。よろしくね」


「命に代えてもお守りいたします」


 ……うっ。


 それは頼もしい。


 頼もしいんだけど。


 ……命に代えてって、言わなくていいからね?


 モフ太には《不老不死》もあるけど、できれば危ない目に遭わないでほしいんだよ。


「モフ太。無理はしないでね」


「はい。危険があれば速やかに対処し、カトレアの安全を最優先いたします」


 ……うん。


 頼りになるなぁ。


 これなら、王都の中でも安心だ。


 ……安心。


 ……だよね?


 私は、もう一度カトレアの顔を見た。


 ……ああ。


 やっぱり心配だ。


「お父さん、顔が難しくなってるよ」


 カトレアが笑った。


「……そんなに?」


「うん。さっきからずっと」


 ……ああ。


 娘に全部見透かされてる。


 私は苦笑いするしかなかった。


「かしこまりました、旦那様」


 セバスは、穏やかに微笑んだ。


「お嬢様。お出かけの際は、モフ太とご一緒に。お帰りの予定も、お知らせくださいませ」


「うん。ありがとう、セバス」


 ……ああ。


 セバスは落ち着いてるねぇ。


 私なんて、もう少しで『やっぱりついていって!』って言いそうだったのに。


 ……いや。


 まだ言うかもしれない。


 ……だめだ、私。


 頑張れ。


「……あの」


 晴斗君が、少し遠慮がちに声を上げた。


「うん? どうしたの?」


「さっきから気になってたんですけど……モフ太って、あの小さい熊ですよね?」


「うん。そうだよ」


 私はモフ太を指した。


 晴斗君が、じっとその姿を眺める。


「……可愛いですね」


「でしょう?」


 ……おお。


 分かってくれる?


 モフ太、可愛いんだよねぇ。


 丸っこい身体に、短い手足。


 小さな耳がぴょこんと動くと、もうぬいぐるみみたいだ。


 ……いや。


 実際には魔獣なんだけど。


「でも、その……」


 晴斗君が言いにくそうに続けた。


「そんな小さな熊で、王都を歩いて大丈夫なんですか?」


 ……。


 …………。


 あっ。


 そういえば、まだ説明してなかったね。


「大丈夫だよ。モフ太、見た目は小さいけど、すごく強いんだ」


「……強い?」


「うん。今は魔法で小さくしてるだけで、本当は全長五メートルのSランク魔獣なんだよ」


 ……。


 …………。


 晴斗君が、ぴたりと動きを止めた。


「……ご、五メートル?」


「うん」


「……Sランク?」


「そうそう」


 ……おや?


 なんか、すごく驚いてる。


 ……あっ。


 そりゃ驚くか。


 日本にいたら、五メートルの熊なんて見ないもんね。


「ごほっ! ごほっ!」


 晴斗君が、飲んでいたお茶を喉に詰まらせた。


「晴斗君!?」


 私は慌てて身を乗り出した。


 ユリが、すぐに水を差し出す。


「晴斗様。お水をどうぞ」


「あ、ありがとうございます……っ」


 晴斗君は何とか落ち着くと、もう一度モフ太を見た。


 ……うん。


 今は、本当に小さくて可愛い熊だよね。


「……あの」


「うん?」


「モフ太くんって……本当に、その大きさになるんですか?」


「うん。もともとの姿に戻れば、そのくらいだね」


「……どうやって、小さく……?」


「私の魔法で縮めてるんだよ。モフ太自身でも調整できるからね」


 晴斗君は、しばらく黙った。


 それから、ゆっくりと天井を見上げる。


 ……あっ。


 またその顔だ。


 この世界の常識に驚いてるときの顔。


「……そうか。魔法で小さく……」


「うん」


「……五メートルが……」


「そう」


「……いやいやいや!」


 晴斗君が、急に顔を上げた。


「可愛さの情報量が多すぎますよ!」


 ……あはは!


 それはそうかもしれない。


 カトレアも、楽しそうに笑っている。


「晴斗さん、モフ太は優しいよ」


「そ、それは分かるんですけど……」


「ふわふわだし、撫でると気持ちいいんだよ」


 ……あっ。


 そこなの?


 そういえば、昨日もアレックスとの毛並み勝負で盛り上がってたなぁ。


 モフ太が、胸を張った。


「晴斗様。私の毛並みは、カトレアにもご好評をいただいております」


「……本人が自慢するんだ……」


 晴斗君が、小さく呟いた。


 ……うん。


 その反応、分かるよ。


 私も最初は、熊がこんなに丁寧に話すなんて想像してなかったもんね。


「なお、本来の姿でもカトレアの護衛は可能でございますが、町の皆様を驚かせぬよう、この姿で同行いたします」


 ……おお。


 そういう配慮も、ちゃんとできるんだね。


 晴斗君は、しばらくモフ太を見つめたあと、ゆっくり頷いた。


「……まだまだ、知らないことばかりですね」


「そうだねぇ」


 私は、苦笑いした。


「私も、最初は知らないことだらけだったよ」


「……でも、リアリスさんは、その魔法を使えるんですよね」


「うん。まあね」


「……すごいです」


 ……うん。


 そう言ってもらえるのは嬉しいけどね。


 魔法がどれだけすごくても、今の私は別のことに困ってるんだ。


 ……そう。


 カトレアの初めての一人王都。


 ……ああ。


 心配だぁ。


     ◇


 昼食が終わると、カトレアは出かける準備を始めた。


 ニーナちゃんの家には、午後の早い時間にお邪魔するそうだ。


 帰りは夕食に間に合うように戻ってくる、とも約束してくれた。


 ……うん。


 ちゃんと予定を考えられてるね。


 今日一緒に行くモフ太にも、道のことや、帰る時間のことを話しているらしい。


 ……うん。


 それなら大丈夫だ。


 絶対、大丈夫。


 ……。


 …………。


「……やっぱり心配だなぁ」


 私の口から、思わず本音がこぼれた。


 今は居間。


 窓の外には、いつもの庭が広がっている。


 カトレアは自分の部屋で支度中だ。


 そして私は、紅茶のカップを持ったまま、さっきからほとんど飲んでいない。


 ……ああ。


 お茶が冷めちゃう。


 ……いや。


 今はお茶どころじゃないんだよね。


「リアリス様」


 隣の桜花が、静かに声をかけてくれた。


「……うん?」


「カトレア様は、しっかりされております。モフ太も同行いたしますので」


「……そうだね」


 ……うん。


 そのとおり。


 何度も考えた。


 カトレアはもう十四歳。


 学校にも通ってるし、ニーナちゃんの家へ行く道だって知っている。


 何よりモフ太がいる。


 あの子は、全長五メートルのSランク魔獣。


 しかも、普通のSランク魔獣とは比べものにならないほど、いろいろな魔法を使える。


 《絶対防御》も《不老不死》もあるし、カトレアを守るための《結界》だって使える。


 ……うん。


 どう考えても、危険な目に遭う可能性は低い。


 低いというか。


 もし本気でモフ太に手を出す人がいたら、相手の方が危ないくらいだ。


 ……ああ。


 だから王様にもギルドにも、ちゃんと周知してもらったんだった。


 ……でもね。


 大切な娘が、初めて私たち大人の付き添いなしで王都へ行くんだよ?


 それを『はい、いってらっしゃい!』って、簡単に言えるものなの?


 ……いや。


 言わなきゃいけないんだろうけど。


 ……ああ。


 難しいなぁ、お父さんって。


「……リアリスさん」


 向かいに座る晴斗君が、少し困ったように笑った。


「はい?」


「さっきからずっと、同じところを見てません?」


 ……おっ?


 言われて窓を見る。


 ……あっ。


 確かに、ずっと庭の同じ花を見ていた気がする。


「ちょっと考え事を……」


「カトレアさんのこと、ですよね?」


「……うん」


 ……ああ。


 分かりやすいんだねぇ、私。


「でも、モフ太くんが一緒なら安全なんですよね?」


「うん。そこは間違いないよ」


 私は、きっぱりと答えた。


 モフ太の強さなら、誰よりも私が知っている。


 あの子は本当に頼りになる。


 いざというときには、きっとカトレアを守ってくれる。


 ……でも。


「カトレアが一人で行くんだよ……」


「……ええっと」


 晴斗君が、ちょっと首を傾げた。


「モフ太くんと二人ですよね?」


「そう! モフ太と二人!」


「……はい」


「でも、大人の付き添いがいないんだよ?」


「……はい」


「初めてだよ!?」


 晴斗君が、とうとう笑い出した。


「……あはは。リアリスさん、結構心配性なんですね」


 ……。


 …………。


 ……そうだよ!


「そりゃ、心配だよ! カトレアは私の大事な娘なんだから!」


「いや、それは分かるんですけど……」


 ……あっ。


 ちょっと声が大きくなっちゃった。


 私は、いったん紅茶を飲んだ。


 ……落ち着こう。


 ……うん。


 少し落ち着いた。


 それで。


「晴斗君」


「はい?」


「日本にいた頃、『初めてのお使い』って知ってた?」


 ……おっ。


 晴斗君が、何かを察した顔になった。


「……あっ。はい、知ってますけど」


「小さい子がね、初めて一人でお使いに行くんだよね」


「そうですね」


「親は、心配で心配で仕方ないんだよ」


「……ああ」


 晴斗君が、だんだん苦笑いになっていく。


 ……そう。


 あれだ。


 今の私は、まさにあの気分なんだよ。


 ……いや。


 カトレアは十四歳だから、小さい子じゃない。


 お使いじゃなくて友達の家に遊びに行くだけだし。


 しかも、Sランクの魔獣が護衛についている。


 ……うん。


 冷静に考えれば、全然違う。


 違うんだけど。


「初めてのお使いってやつなんだよ、晴斗君!」


「……いや、十四歳でSランクの魔獣が護衛につく初めてのお使いって、聞いたことないですけど」


 ……。


 …………。


 ……あっ。


 確かに。


 私は、思わず苦笑いした。


「……そう言われると、そうだね」


「ですよね」


 ……うん。


 でも、お父さんの気持ちに変わりはないんだよねぇ。


 私は、もう一度玄関の方へ目を向けた。


 ……ああ。


 あの子、もうすぐ出発しちゃう。


 大丈夫かな。


 道で転んだりしないかな。


 町の人たちに、たくさん声をかけられたりしないかな。


 ……いや。


 転んだくらいなら、普通に立ち上がるよね。


 カトレアだって、もう小さな子供じゃないんだし。


 ……でも。


 心配なものは、心配なんだよぉ。


「リアリスさん」


「うん?」


 晴斗君が、私の顔をじっと見た。


「……もしかして、何か考えてます?」


 ……おっ。


 鋭いね。


 私は、ゆっくりと晴斗君を見返した。


「……晴斗君」


「はい」


「……あのね」


 ……いや。


 待てよ。


 これは、ちょっと大人としてどうなんだろう。


 娘の外出を認めたのに、心配だからって。


 ……うーん。


 でも。


 初めてなんだよ?


 せめて無事に門を通って、お友達の家に着くところまでは……。


 ……あっ。


 そうだ。


 私は、いいことを思いついた。


 ……いや。


 いいことなのかな。


 ……まあ、いいや!


「実はね、カトレアが無事にニーナちゃんの家へ着くところまで、こっそり見守りたいんだ」


 ……。


 …………。


 晴斗君が、口を開けたまま固まった。


「……えっ?」


「だから、ついて行ってみようかなって」


「……えっ!?」


 ……あっ。


 やっぱり驚くよね。


 私は、慌てて付け加えた。


「もちろん、カトレアの邪魔をするつもりはないよ! 近づいたりもしない。ちゃんと一人で行かせる!」


 ……うん。


 そこは、大事だ。


 カトレアには、自分で道を歩いて、自分で挨拶して、友達の家まで行ってほしい。


 私が横から口を出したら、何の意味もないもんね。


 ただ。


 ……私が安心したいだけなんだ。


「……リアリスさん」


 晴斗君が、困ったように笑った。


「それって……尾行、ですよね?」


 ……。


 …………。


 ……あっ。


 言い方!


「見守りって言ってくれるかな!?」


「……すみません」


 ……いや。


 怒ってるわけじゃないよ?


 正確には、尾行なんだけど。


 ……うん。


 否定しづらいなぁ。


「でもさ、晴斗君」


「はい?」


「どうせだったら、晴斗君も一緒に王都を見に行かない?」


 ……おお。


 自分で言ってて、いい案な気がしてきた。


 晴斗君は、昨日も今日も、屋敷や学校の周りを見学していた。


 でも、王都の町はまだ、ちゃんと歩いてないはずだ。


 ……それなら。


 ちょうどいいじゃない!


「王都には、いろんなお店もあるし、冒険者ギルドもあるし。晴斗君にとって、いい見学になると思うよ!」


「……あの」


「うん?」


「もしかして、それに僕も参加するんですか?」


 ……。


 …………。


「……もちろん!」


 私は、元気よく頷いた。


「晴斗君、一緒に行こう!」


「ええっ!? 僕もですか!?」


 ……あはは!


 いい反応だねぇ。


 晴斗君が、思わず桜花の方を見た。


 ……おっ。


 助けを求めたかな?


 でも、桜花は何も慌てていなかった。


 むしろ。


「リアリス様」


「うん?」


「本日のご予定について、一つ確認させていただいてもよろしいでしょうか」


 ……あっ。


 桜花。


 何だろう。


「もちろんだよ」


「カトレア様がお出かけになられる間、リアリス様も王都へ赴かれるご予定、ということでございますね」


「……うん」


「承知いたしました」


 ……あれ。


 いつもより、すんなり納得してくれた?


「では、わたくしもご一緒させていただきます」


「えっ、いいの?」


「もちろんでございます。リアリス様のお供をすることが、わたくしの務めでございますので」


 桜花は、少し微笑んだ。


「それに、晴斗様が初めて王都をご覧になるのでしたら、道案内も必要でございましょう」


 ……おお。


 そうだね!


「ありがとう、桜花!」


「とんでもございません」


 ……ああ。


 頼りになるなぁ。


 これなら、三人で出かけられる。


 ……ただし。


 私たちがカトレアのあとをついて行っていることは、本人には知られないようにしないと。


「……リアリス様」


 桜花が、静かに声をかけてきた。


「うん?」


「一つだけ、申し上げてもよろしいでしょうか」


「もちろん」


「カトレア様を信じて、ご自身でお出かけにならせるというお約束は、守られるのですよね?」


 ……。


 …………。


 ……あっ。


 私は、少しだけ姿勢を正した。


「うん。そこは守るよ」


 ……そうだよね。


 今日の主役は、カトレアだ。


 私が心配だからって、成長する機会を奪うのは違う。


 あの子が、行きたい場所へ自分で行く。


 そして、無事に帰ってくる。


 ……うん。


 それが大事なんだ。


「本当に、危ないことがあったときだけ手を貸す。それ以外は、絶対に口を出さないよ」


「かしこまりました」


 桜花が、穏やかに微笑んだ。


「でしたら、わたくしから申し上げることはございません」


 ……ああ。


 桜花は、私の気持ちをよく分かってくれてるねぇ。


 晴斗君が、二人の顔を交互に見た。


「……あの、僕にはまだ、何が起きてるのか……」


 ……あっ。


 そうだった!


 晴斗君を置いてけぼりにしちゃったね。


「大丈夫だよ、晴斗君。王都を案内するついでに、ちょっとだけカトレアを見守るだけだから」


「……ついでって、どっちがですか?」


 ……。


 …………。


 ……あれ。


 晴斗君、結構鋭いところを突いてくるね。


 私は、笑ってごまかした。


「あはは。どっちも大事だよ!」


「……そうですか」


 ……うん。


 たぶん、納得してないね。


 でも。


 王都へ出かけるのが楽しみなのか、晴斗君の表情は少し明るくなっていた。


「……まあ、町を見られるのは楽しみですけど」


「でしょう!?」


「でも、カトレアさんにはバレないように、ですよね?」


「そう!」


 私は、勢いよく頷いた。


「絶対に、バレないように!」


 ……よし。


 方針は決まった。


 娘の初めての一人王都。


 その成長を、少し離れたところから見守る。


 ……うん。


 いいじゃないか。


 これなら、カトレアも自由に出かけられる。


 私も安心できる。


 晴斗君は王都の見学ができる。


 ……みんな得をするじゃない!


 ……あれ。


 でも、誰かに気づかれたら、ちょっと恥ずかしいかな。


 ……まあ。


 そのときは、そのときだ。


「それじゃあ、カトレアが出かけたら、私たちも準備しようか」


「……は、はい」


 晴斗君が、まだ少し困ったように返事をした。


 桜花はというと、いつもどおり落ち着いたまま。


「かしこまりました」


 ……ああ。


 なんだか、頼もしいねぇ。


 私は、そっと玄関の方へ耳を澄ませた。


 まだ、カトレアの支度は終わっていないみたいだ。


 ……よし。


 今のうちに、何か目立たない服を考えておこうかな。


 あっ。


 そうだ。


 世界中に顔が知られちゃってるんだった。


 ……。


 …………。


 ……あれ?


 私、普通に王都へ行ったら、すぐに見つかっちゃうんじゃない?


 ……いやいや。


 まだ大丈夫。


 何とかなる、何とかなる。


 私は、改めて桜花を見た。


「桜花、ちょっと変装も考えようか」


「承知いたしました」


 ……おお。


 返事が早いねぇ。


 晴斗君が、とうとう小さく笑った。


「……リアリスさん、すごく真剣ですね」


「そりゃそうだよ!」


 私は、胸を張った。


「大事な娘の初めてのお出かけだからね!」


 ……。


 …………。


 ……いや。


 自分で言っておいて何だけど。


 これじゃ、まるで私の方が初めてのお使いに行くみたいじゃない?


 私は、思わず苦笑いした。


 ……まったく。


 娘はもう、ちゃんと成長している。


 問題は、どうやらお父さんの方らしい。


 ……うん。


 そんなことは、分かってるんだけどねぇ。


 こうして私は、カトレアの初めての一人王都を見守るべく、桜花と晴斗君を巻き込むことにした。


 ……さて。


 娘に内緒の王都見学。


 無事に終わるといいなぁ。


 ……あれ?


 私、昨日『明日はのんびりしよう』って決めたんじゃなかったっけ。


 ……。


 …………。


 ……うん。


 きっと、これも『のんびり系主人公のお約束』なんだろうね。

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