第2話:モフモフでは負けません
世界で唯一のSSランク冒険者。
……うん。
何度考えても、落ち着かない響きだねぇ。
私は冒険者ギルドの応接室を出てからも、つい先ほど受け取ったカードを眺めていた。
名前は『リアリス』。
そして、その下には『SS』の二文字。
……いやぁ。
Fランクのままで困ってなかったんだけどなぁ。
「リアリス様。もう一度申し上げますが、おめでとうございます」
隣を歩く桜花が、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、桜花。でも、まだちょっと実感が湧かないんだよね」
「世界にただお一人の冒険者でございますね」
「そう言われると、もっと落ち着かなくなるんだけど!」
「ふふっ」
……ああ。
完全に楽しんでる。
桜花にしてみれば、私が認められたのが嬉しいんだろうな。
それは分かる。
分かるんだけどね?
「ご主人様」
桜花の腕の中から、モフ太が顔を上げた。
「私からも、お祝い申し上げます」
「おお。ありがとう、モフ太」
「カトレアも、きっとお喜びになることでしょう」
「……そうかなぁ」
「はい。ご主人様のご活躍は、何より嬉しいことですので」
……あっ。
それは、ちょっと嬉しいかもしれない。
まあ、あの子は私が何ランクでも、いつもどおりに接してくれると思うけどね。
私はカードを《収納》にしまった。
……よし。
ランクのことは、ひとまず忘れよう。
どうせ忘れられないだろうけど。
◇
ギルドの扉を開けると、明るい午後の日差しが差し込んできた。
……ああ。
いい天気だなぁ。
早く帰って、カトレアとニーナちゃんが遊んでいるところでも眺めながら、お茶を飲みたい。
今日はもう、用事を増やさないぞ。
「リアリス様!」
……おっ。
さっそく声がかかった。
「こんにちはー!」
通りの向こうで、商店のおじさんが手を振っている。
「今日はもうお帰りですか?」
「はい。用事が済んだので、そろそろ帰ろうかと」
「そうですか! でしたら、これ持っていってください!」
おじさんが差し出したのは、包み紙にくるまれた焼き菓子だった。
……あれ?
これ、さっきまで店頭に並んでたやつじゃない?
「あの、お代を……」
「いりませんよ! 英雄様へのお礼です!」
「いやいや、ちゃんとお店の売り物でしょう?」
「お礼くらい、言わせてくださいな!」
……。
…………。
うん。
この流れ、さっきもあったね。
ありがたい。
とてもありがたいんだけど。
……私、屋敷まで無事に帰れるかな。
「では、ありがたくいただきます。ありがとうございます!」
私は頭を下げた。
「こちらこそ! これからもお元気で!」
「はーい!」
……よし。
一軒目、突破。
と思ったら。
「あっ、リアリス様!」
「英雄様だ!」
「こっちにも来てください!」
……あれぇ?
気がつけば、通りのあちこちから人が集まってきていた。
ある人は花をくれて。
ある人はパンを差し出して。
またある人は、何も持っていない代わりに両手で私の手を握って、お礼を言ってくれた。
……うん。
気持ちは、本当に嬉しいよ。
ただ。
「リアリス様、お荷物が増えてまいりましたね」
桜花が、いつもどおりの落ち着いた声で言った。
「……増えたねぇ」
両手には、花束とパンと焼き菓子。
さっきより確実に荷物が増えている。
《収納》に入れればいいだけなんだけど、その場でもらってすぐしまうのは、なんだか味気ない気がして。
……いや。
遠慮なく入れた方がよかったかな。
「英雄様! 握手を!」
「あっ、はい!」
「わたしも!」
「はいはい!」
……ああ。
手が足りない。
桜花が、私の腕から落ちそうになった包みをさっと支えてくれた。
「ありがとうございます、桜花」
「とんでもございません」
モフ太はその腕の中で、なぜか誇らしげだ。
「ご主人様は、皆様から愛されていらっしゃいますね」
「ありがたいことだねぇ……」
「はい!」
……うん。
そうなんだけど。
私、今朝より疲れてない?
世界を救ったときとは、また違う疲れがあるんだけど。
◇
それから、どれくらい歩いただろう。
王都の門が見えたとき、私は思わずほっとした。
……ああ。
帰れる。
やっと帰れるよぉ。
門兵さんが、こちらを見て笑っていた。
「英雄様、お帰りですか?」
「はい。今日はこれで……」
「お疲れさまです!」
「……本当に、そうですねぇ」
……あっ。
思わず本音が出ちゃった。
門兵さんが、ははは、と声を上げる。
……もう。
こっちは笑い事じゃないんだけど。
いや、笑ってもらえるならいいか。
屋敷までの道を歩くと、ようやく人通りが少なくなった。
私は抱えていた花束を持ち直した。
……ふぅ。
いい匂い。
カトレアが喜びそうなお花もあるね。
帰ったら花瓶に飾ってもらおうかな。
「リアリス様」
「うん?」
「これほど多くの方に感謝されていらっしゃるのですから、胸を張られてはいかがでしょうか」
桜花が優しく言った。
「……そうだね」
私は、花束に目を落とした。
どの人も、笑顔だった。
あの邪神との戦いで、みんな怖い思いをしたんだ。
無事に日常へ戻れたことを、きっと喜んでくれている。
……うん。
それは、私も嬉しいよ。
「でもね、桜花」
「はい」
「明日からは、もう少し静かに歩けるといいなぁ」
「ふふっ。そうでございますね」
……あれ。
なんだか、あまり期待できない笑い方だった気がする。
まあ、いいや。
私は桜花と並んで、ようやく屋敷へ帰り着いた。
◇
「ただいまー!」
玄関をくぐると、見慣れた小さな姿があった。
楓だ。
私の顔を見るなり、じっと目を細める。
「……ぼろぼろ」
……。
…………。
あっ。
やっぱりそう見える?
「ただいま、楓。今日はちょっと、町の人たちにたくさん声をかけられてね」
「……うん」
楓は一歩近づき、私の抱えている花束を見上げた。
「……いっぱい」
「そうなんだ。みんながくれたんだよ」
「……そう」
それから私の顔へ視線を戻す。
「……休んで」
……ああ。
優しいねぇ。
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
私は空いている手で、楓の頭を撫でた。
楓は少しだけ目を細める。
……うん。
これだけで、なんだか疲れが取れた気がする。
……いや。
さすがに全部は取れないけどね。
「旦那様、お帰りなさいませ」
セバスも姿を見せた。
「ただいま、セバス」
「お疲れのご様子でございますね」
「……そんなに分かりやすい?」
「皆様からの歓迎を受けられたのでございましょう」
「うん。ありがたいんだけど、すごかったよ……」
私が花束と包みを少し持ち上げると、セバスが丁寧に一礼した。
「お預かりいたします」
「ありがとう。花はカトレアが喜ぶと思うから、あとで見せてあげたいな」
「承知いたしました。食べ物の方は巴にお渡しし、お花も傷まぬようにいたします」
「助かるよ」
……ああ。
家っていいねぇ。
帰ってきただけで、こんなに安心する。
「カトレアは?」
「ニーナ様と居間にてお過ごしでございます」
「おっ。もう戻ってるんだね」
午後は庭で遊ぶって聞いてたけど、今は室内にいるらしい。
……よし。
私も居間へ行こう。
今日はもう、座りたい。
とにかく座りたい。
◇
居間の扉を開けると、カトレアとニーナちゃんが並んで座っていた。
テーブルには紙が広げられている。
二人とも、何かを描いているみたいだ。
「ただいまー」
「あっ、お父さん!」
カトレアが顔を上げた。
そのあと、私の姿を上から下まで見て。
「……ふふっ。おかえり、お父さん。なんか今日もボロボロだね」
……。
…………。
また言われたぁ!
「そんなにひどい顔してる?」
「ううん。でも、ちょっと疲れてるみたい」
カトレアがくすっと笑う。
……ああ。
まあ、笑ってくれるならいいか。
「リアリスさん、お邪魔してます」
ニーナちゃんも、控えめに頭を下げた。
「いらっしゃい、ニーナちゃん。ゆっくりしていってね」
「はい。ありがとうございます」
淡い赤色の髪には、今日もお花のヘアピン。
カトレアの隣で、にこにことしている。
……いいねぇ。
二人とも楽しそうだ。
「何を描いてたの?」
「お花の絵だよ!」
カトレアが紙を持ち上げた。
そこには、色の違う花がいくつも描かれている。
背の高い花と、小さく丸い花。
それから、花壇の端に並んだ葉っぱ。
……おお。
なかなか上手じゃない。
「学校の花壇に、次はどんなお花を植えようかって相談してたの」
カトレアが説明してくれた。
「ニーナのお家のお花も参考にしてるんだ」
「へえ。いいねぇ」
「こっちは、ニーナが描いたんだよ」
見せてもらうと、少し小さめの花が丁寧に並べられていた。
「上手だね、ニーナちゃん」
「えへへ。ありがとうございます」
ニーナちゃんが、嬉しそうに笑った。
……うん。
うちの娘も花が好きだけど、この子も本当に好きなんだね。
私は近くのソファへ腰を下ろした。
……はぁ。
柔らかい。
座れるって素晴らしい。
「リアリス様。お疲れでございましたね」
桜花がモフ太を床へ下ろし、私の隣に立った。
「うん。ちょっとね。でも大丈夫」
「それは何よりでございます」
そのとき、居間の扉が開いた。
「あらあら、リアリスちゃん。お帰りなさい」
「ただいま、巴さん!」
巴さんだ。
手には大きなお盆。
そこには紅茶と、切り分けられたケーキが載っている。
「みんなでお茶にしましょうね」
「おおっ!」
……待ってました!
なんて、口に出したら子供みたいかな。
いや、今さらか。
巴さんは、私と桜花の前へ紅茶を置いた。
カトレアとニーナちゃんにも、それぞれケーキを配っている。
「いっぱい遊んで、疲れたでしょう?」
「ありがとう、巴さん!」
「ありがとうございます!」
カトレアとニーナちゃんが声を揃えた。
巴さんは嬉しそうに頷き、最後に私の顔を覗き込む。
「あらあら。リアリスちゃんも、ずいぶん頑張ってきたみたいね」
「……みんな、顔を見ただけで分かるんですね」
「ふふっ。分かるわよぉ」
……うん。
そうだよねぇ。
この家では、隠し事なんてできそうにない。
「はい。今日は甘いものを食べて、ゆっくり休んでちょうだい」
「ありがとうございます、巴さん」
私は紅茶をひと口飲んだ。
……ああ。
おいしい。
さっきまでの人混みが、遠い世界の出来事みたいだ。
……同じ異世界の中だけどね。
◇
少し落ち着いたところで、私はカトレアに声をかけた。
「そうだ、カトレア」
「うん?」
「今日ね、カバディ王にお願いしてきたんだよ」
「王様に?」
「うん。モフ太のこと」
カトレアは、すぐに目を大きくした。
「……あっ!」
……おお。
もう分かったみたいだね。
「もしかして、モフ太が町に入ってもいいって?」
「そう! 正式に許可をもらえたよ」
「ほんとに!?」
「本当だよ。王城の掲示板にもお知らせが出てるし、ギルドにも報告してきたからね」
カトレアは、ぱっと立ち上がった。
「やったぁ!」
……ああ。
嬉しそう。
それを見たモフ太が、とことこと近づいてきた。
「カトレア。これからは王都の中でも、私が護衛いたします」
「ありがとう、モフ太!」
カトレアはしゃがみ込むと、モフ太を両腕で抱きしめた。
ふわふわの身体に、頬を寄せる。
「えへへ。これで、一緒に町を歩けるんだね!」
「はい。ご主人様にも、しっかりお守りするよう申しつかっております」
「頼りにしてるよ!」
……ああ。
いい光景だなぁ。
五十センチほどの小さな熊を、娘が嬉しそうに抱っこしている。
見た目だけなら、本当に可愛いぬいぐるみだ。
……実際にはSランクの魔獣だけど。
まあ、うちではいつものことだよね。
「ただ、カトレア」
「うん?」
「王都へ行くときは、これまでどおりお父さんに教えてね。しばらくはセバスにも一緒に行ってもらおう」
「うん。分かってるよ」
カトレアが、素直に頷いた。
「モフ太が一緒なら安心だけど、それでも勝手に出かけたりはしないから」
「うん。ありがとう」
……よし。
それなら安心だね。
私の方も、少しずつ慣れていかないとなぁ。
いつまでも娘を屋敷の中に閉じ込めておくわけにはいかないし。
……とはいえ。
心配なものは心配なんだよねぇ。
「ふふっ」
隣から桜花の笑い声が聞こえた。
……あれ。
また顔に出てた?
まあ、いいか。
私はケーキに手を伸ばした。
すると。
「あっ、そういえば!」
ニーナちゃんが、何かを思い出したように声を上げた。
「カトレア、それならモフ太とアレックスが会えるね!」
……。
…………。
おっ?
私は、手を止めた。
アレックス。
ニーナちゃんの家で飼われている、犬に似た魔獣だ。
たしか、Fランクだったよね。
国からちゃんと飼育の許可をもらっていて、毛並みがふわふわの可愛い子だ。
以前、カトレアと一緒に会いに行ったこともある。
……ああ。
そういえば、モフ太はあの子の話を聞いて、何だか妙に反応してたっけ。
「そうだね!」
カトレアが嬉しそうに頷いた。
「モフ太もアレックスに会えるんだ!」
「うん! うちのアレックス、きっと喜ぶと思う」
ニーナちゃんが、にっこり笑った。
……うん。
友達同士で、飼っている魔獣も仲良くできたら嬉しいよね。
ただ。
「……アレックス」
モフ太が、小さく呟いた。
……おや?
何だろう、この間。
「モフ太?」
「……はい、ご主人様」
「今、なんか考えてた?」
「いえ。特には」
……。
…………。
絶対、何か考えてたよね?
カトレアが、モフ太の背中を撫でた。
「モフ太、アレックスってね、すごく可愛いんだよ」
「……そうでございますか」
「毛がふわふわで、触ると気持ちいいの」
「……ふわふわ」
……おお。
今、少し低い声にならなかった?
ニーナちゃんも、楽しそうに続けた。
「アレックス、撫でてもらうのが好きなんだよ。カトレアが来ると、すごく喜ぶの」
「そうなの。可愛いんだよねぇ」
……。
…………。
モフ太の耳が、ぴくっと動いた。
……あっ。
思い出した。
この子、アレックスの毛並みに対抗心を持ってるんだった!
「……モフ太」
「はい」
「一応、言っておくけどね」
「何でしょうか、ご主人様」
「アレックスに攻撃しちゃ駄目だからね?」
私は、念のために言った。
……いや。
モフ太はそんなことしないと思うよ?
思うんだけど。
相手はFランクの小さな魔獣で、こちらはSランクのバイオレンスグリズリーだ。
もし張り合って本気を出したら、勝負以前の問題である。
「もちろんでございます」
モフ太は、きっぱりと言った。
「ご安心ください、ご主人様」
……おっ。
よかった。
「私はアレックスに危害を加えるつもりなど、毛頭ございません」
「うんうん」
「ただし」
……。
…………。
あれ?
今、『ただし』って言った?
モフ太が胸を張った。
「私のほうがモフモフであることを、分からせて差し上げます!」
……。
…………。
……ああ。
やっぱり、そこで張り合ってるんだ。
「モフ太……」
「はい!」
「それ、勝負する必要ある?」
「ございます!」
……即答!?
この子、意外と負けず嫌いだなぁ。
いや、戦闘じゃなくて毛並みの話なんだけど。
「モフ太は、モフモフでは負けません!」
……おお。
今日の宣言、そこなんだ。
国を守ったSランク魔獣が、今度はFランク魔獣と毛並み勝負。
……平和だねぇ。
平和なんだけど、何かがおかしいよねぇ。
桜花が、静かに手を口元へ当てた。
「ふふっ」
……うん。
桜花は楽しそうだ。
カトレアはというと、モフ太を抱きしめたまま笑っている。
「大丈夫だよ、モフ太。私はモフ太もアレックスも、どっちも大好きだから」
……ああ。
いいこと言った!
私は心の中で、大きく頷いた。
そうだよ。どっちも可愛いんだから、比べなくてもいいんだよ。
ところが。
「……どちらも」
モフ太が、何かを考え込むように呟いた。
「はい!」
カトレアが答える。
「……承知いたしました。では、カトレアに撫でていただいたときの心地よさで勝負を」
「いやいやいや!」
思わず止めた。
なんでそうなるの!?
「モフ太! 勝負するなら平和にね。撫でてもらったら、それで満足しよう?」
「……かしこまりました」
……本当に分かったかなぁ。
カトレアが、私を見上げて微笑んだ。
「お父さん、モフ太、ちょっと張り切りすぎだね」
「……うん。そうだね」
私は苦笑いした。
ニーナちゃんも、くすくす笑っている。
……ああ。
まあ、みんなが笑ってくれるならいいか。
それに、どちらの子にも危害は加えないって、ちゃんと約束してくれたし。
モフ太は、性格が穏やかな子だからね。
ちょっと、モフモフに関しては熱くなるだけで。
……うん。
そんな熊、普通はいない気がするけど。
◇
それからしばらく、居間には二人の楽しそうな声が続いた。
カトレアとニーナちゃんは、花の絵の続きを描いている。
桜花は私の隣で紅茶を飲み、モフ太はカトレアの足元で大人しくしていた。
……うん。
平和だ。
本当に、平和だ。
私は、お皿に残っていたケーキをひと口食べた。
……おいしい。
さっきまで王都であんなに大変だったのが、嘘みたいだね。
「リアリス様」
「うん?」
桜花が、私の方へ少し身を寄せた。
「本日は、お疲れさまでございました」
「あはは。ありがとう」
「皆様からの感謝のお気持ちを、たくさんお受け取りになったのですね」
「そうなんだ。パンもお菓子もお花も……いっぱいもらっちゃった」
「ふふっ。カトレア様が、たいそうお喜びになりそうでございます」
「うん。あとで見せてあげようと思って」
……そうだ。
花束の中には、カトレアが好きそうな花もあった。
絵を描いている二人に、ちょっとしたお土産になるね。
「お父さん?」
カトレアが、こちらを向いた。
「なあに?」
「お花、どうかしたの?」
……おお。
聞こえてたか。
「実はね、町の人たちからお花をもらったんだよ。あとで見せてあげるね」
「本当? 楽しみ!」
カトレアの顔が、ぱっと明るくなる。
……ああ。
よかった。
あのお花、もらって正解だったねぇ。
ニーナちゃんも、少し目を輝かせた。
「どんなお花ですか?」
「いろんなお花があったよ。名前は、カトレアの方が詳しいかもしれないな」
「ふふっ。じゃあ、あとで一緒に見ようね」
カトレアが、ニーナちゃんへ顔を向けた。
「うん!」
……うん。
世界の英雄への贈り物が、今では二人のお花の話題になっている。
こういう使われ方の方が、私は好きだなぁ。
◇
窓から差し込む光が、少し柔らかくなってきた頃。
「ニーナ様のお迎えがいらっしゃいました」
セバスが、居間へ知らせに来てくれた。
「あっ、お父さん!」
ニーナちゃんが立ち上がった。
カトレアも、紙をそっと重ねる。
「じゃあ、ニーナ。玄関まで一緒に行こう」
「うん!」
……おっ。
もうそんな時間か。
楽しい時間って、本当に早いねぇ。
私は立ち上がった。
「私も挨拶しようかな」
「はい。ご案内いたします」
セバスが丁寧に頭を下げた。
玄関の先では、ニーナちゃんのお父さんが待っていた。
魔獣の研究をしている方だ。
以前、ニーナちゃんの家でアレックスを見せてもらったときにも、お世話になった。
「こんにちは。今日はニーナちゃんに遊びに来てもらえて、カトレアも喜んでいました」
私が声をかけると、お父さんは穏やかに微笑んだ。
「こちらこそ。娘がいつもお世話になっております」
「いえいえ。仲良くしてもらえて、私も嬉しいです」
……ああ。
こうして友達の親御さんと挨拶するのって、なんだかお父さんらしい仕事だよね。
いや、私はちゃんとお父さんなんだけど。
……SSランク冒険者として挨拶するより、こっちの方がずっと落ち着くなぁ。
「ニーナ、忘れ物はない?」
お父さんが尋ねた。
「うん。大丈夫だよ」
ニーナちゃんが頷く。
カトレアは、今日描いた花の絵を一枚持ってきた。
「ニーナ、これ持って帰ってね」
「いいの?」
「うん。また一緒に描こう」
ニーナちゃんが、嬉しそうに紙を受け取った。
「ありがとう、カトレア」
……ああ。
いい友達ができて、よかったねぇ。
「では、失礼いたします。リアリス様」
ニーナちゃんのお父さんが頭を下げる。
「はい。お気をつけて!」
「カトレア、また明日ね」
「うん。明日、学校で!」
二人は、庭先まで一緒に歩いていった。
私は玄関からその姿を眺める。
……ふふっ。
あの子、友達が帰るまでずっと手を振ってる。
……ああ。
なんだか、こういう時間が一番幸せかもしれない。
そのとき。
「ただいま戻りました」
少し離れたところから、ユリの声が聞こえた。
……おっ?
振り向くと、ユリと晴斗君がこちらへ歩いてきていた。
「あっ、リアリスさん! ただいまです!」
「おかえり、晴斗君!」
……おお。
ちょうどいいタイミングだったね。
◇
私は晴斗君たちと一緒に居間へ戻った。
晴斗君は、椅子に座るなり大きく息を吐いた。
「……いやぁ。びっくりしました」
「おっ。どうしたの?」
「学校と孤児院、両方見せてもらったんですけど……。すごいですね」
「そう?」
「はい。なんというか……もっと異世界っぽいものを想像してたので」
……ああ。
分かる気がする。
異世界の学校と聞くと、魔法使いの養成所とか、王族が通う学園とか。
そういうのを思い浮かべるよね。
私も日本にいた頃は、異世界ものを読んでそんな想像をしていた。
「どんなところだと思ってた?」
「うーん……魔法の授業ばかりやってるとか、すごい身分の人が集まってるとか……ですかね」
「ふふっ。そういう学校も、この世界にはあると思うよ」
「でも、ここは違いました」
晴斗君が、少し笑った。
「机が並んでて、先生が前にいて。黒板みたいなものがあって、みんなちゃんと勉強してたんです」
「うんうん」
「読み書きとか、計算とか……。なんか、日本の学校と似てました」
……ああ。
それは嬉しいな。
私が作りたかったのは、誰でも勉強できる場所だったから。
偉い人だけの学校じゃなくて、子供も大人も、学びたい人が来られる場所。
晴斗君がそこを見て、日本の学校みたいだって感じてくれたのは、ちょっと嬉しい。
「アンナさんにも会った?」
「はい! ユリさんが紹介してくれました。すごく丁寧に説明してくださって」
……さすがアンナさん。
いつも頼りになるねぇ。
「勉強してる皆さんも、楽しそうでしたよ」
「そう。それならよかった」
晴斗君は、そこで少し表情を変えた。
「孤児院も見せてもらいました」
「うん」
「小さい子たちが遊んでて……。なんか、普通の家みたいでした」
……ああ。
そう思ってくれたんだ。
私は、少しだけ嬉しくなった。
「子供たちが、安心して暮らせる場所にしたかったんだ」
「そうなんですね」
「うん。だから、無理に特別なことをさせるんじゃなくて、ちゃんとご飯を食べて、遊んで、勉強して……そういう暮らしができればいいなって」
晴斗君が、ゆっくり頷いた。
「……なんか、すごくいいですね」
「ありがとう」
……ふふっ。
そう言ってもらえると、作ったかいがあるね。
ただ。
「……リアリスさん」
「うん?」
「学校と孤児院って、リアリスさんが作ったんですよね?」
「うん。建物は私が作ったよ」
「……魔法で?」
「そうだよ」
晴斗君が、少し遠い目をした。
……あっ。
なんだろう。
今、変なこと言ったかな。
「……やっぱり、この家にいると常識が変わりそうです」
「あはは。まあ、少しずつ慣れていけばいいよ」
そう答えると、晴斗君も笑った。
……うん。
笑顔が増えてきたね。
昨日の今頃は、日本へ帰れないと聞いて、かなり落ち込んでいたはずだ。
もちろん、今も寂しいだろうし、不安もあると思う。
でも。
こうして見たものを話してくれるのは、いいことだよね。
「晴斗君。明日も、気になるところがあったら見てきていいからね」
「いいんですか?」
「もちろん。ユリに相談すれば、案内してくれると思うよ」
「ありがとうございます!」
晴斗君は、ぱっと笑った。
……よかった。
新しい世界にも、少しずつ興味を持てているみたいだ。
「それにしても……」
晴斗君が、私の顔を見た。
「リアリスさん、学校の先生も、孤児院の人たちも、みんなすごく感謝してましたよ」
「……あっ。そうなんだ」
「何度も『リアリス様のおかげです』って聞きました」
……。
…………。
……ああ。
今日の町と同じ流れが、ここにもあった!
「いやぁ。私は、できることをしただけなんだけどねぇ」
「それが、すごいことなんだと思います」
晴斗君が、真面目な顔で言った。
……おお。
そんなふうに言われると、照れちゃうじゃない。
桜花が、私の隣で楽しそうに微笑んでいる。
……あっ。
まただ。
今日は一日、桜花に笑われっぱなしだねぇ。
◇
カトレアも居間へ戻ってきて、しばらくはみんなでのんびり過ごした。
今日描いた花の絵を見せたり、晴斗君が見た学校の話を聞いたり。
晴斗君は、カトレアの絵を見て目を丸くしていた。
「すごく上手ですね」
「ふふっ。ありがとう。ニーナと一緒に考えたんだよ」
「学校の花壇に植えるんですか?」
「うん。まだ決めてないけど、こういう感じにしたくて」
「へえ……。いいですね」
……うん。
なかなかいい会話だねぇ。
私は紅茶を飲みながら、二人のやり取りを眺めた。
そこへ、モフ太が静かに近づいてきた。
「ご主人様」
「うん?」
「一つ、ご相談がございます」
……おっ。
珍しいね。
「どうしたの?」
「アレックスにお会いする際、事前に毛並みを整えておくべきでしょうか」
……。
…………。
まだその話、続いてたの!?
「ええっと……。普段から十分ふわふわだと思うよ?」
「ありがとうございます」
モフ太が、丁寧に頭を下げた。
「ですが、油断は禁物でございます」
……いや。
相手、Fランクの柴犬みたいな子だよ?
毛並み勝負に油断も何もないと思うんだけど。
私は苦笑いした。
「カトレアに、いつもどおり撫でてもらえばいいんじゃないかな」
「……なるほど!」
モフ太が、はっとしたように顔を上げた。
「ご主人様。大変参考になりました」
「……そう?」
なんだか、ものすごく大事な助言をしたみたいな反応だ。
……うん。
この子、本気なんだね。
桜花がまた、小さく笑った。
……もう。
今日だけで何回目だろう。
「モフ太」
「はい」
「くれぐれも、アレックスと喧嘩しないでね」
「もちろんでございます。勝負はあくまで、毛並みの美しさでございますので」
……ああ。
そこは譲らないんだ。
まあ、危ないことをしないならいいか。
……平和だねぇ。
本当に。
◇
「みんなー、ご飯よー!」
やがて、巴さんの明るい声が屋敷に響いた。
……おっ。
夕食の時間だ!
「さあ、行こうか」
「はい!」
晴斗君が立ち上がる。
桜花も、いつもどおり私の隣についてきた。
カトレアはモフ太の頭を撫でてから、食堂へ向かった。
……さて。
今日は何かな。
朝は中華料理。
昼はハンバーガー。
だったら夜は……。
……あっ。
何だか、おいしそうな出汁の匂いがするぞ。
食堂へ入って、私は思わず足を止めた。
「……おおっ!」
テーブルの中央には、とても大きな鍋が置かれていた。
ふたの隙間から、白い湯気が立ち上っている。
……うわぁ。
これは、すごい。
家族が多いから、大きい鍋は珍しくないんだけど。
今日のは、特に立派だねぇ。
「巴さん、今日はお鍋ですか!」
「あら、リアリスちゃん。そうなの。みんなで好きなものを取って食べましょうね」
「いいですね!」
……ああ。
鍋料理。
日本にいた頃も、寒い時期によく食べたなぁ。
今日はそこまで寒くないけど、みんなで囲む鍋もいいよね。
私は、湯気の上がる鍋を覗き込んだ。
白菜に、きのこ。
豆腐に、薄く切ったお肉。
色とりどりの野菜も入っている。
……うん。
完璧だ。
出汁の香りが、食欲をそそるねぇ。
「リアリスさん……」
晴斗君が、目を丸くしていた。
「うん?」
「……お鍋だ」
「うん。お鍋だね」
「日本で食べてたのと、ほとんど同じですね……」
「ふふっ。そうだね」
晴斗君が、嬉しそうに笑った。
……ああ。
その気持ち、分かるよ。
知らない世界に来たばかりなのに、見慣れた料理が出てきたら、嬉しくなるよね。
「今日は自分で好きなものを取っていいんだって」
「本当ですか!」
「うん。好きな具を選んで食べるのが楽しいんだよね」
晴斗君は、何度も頷いていた。
……おお。
これは、気に入ってくれそうだ。
みんなが席に着き、巴さんが鍋のふたを取った。
ふわっと広がる湯気。
……ああ。
たまらないねぇ。
「それじゃあ、いただきましょう!」
「いただきます!」
声が重なる。
……よし。
さあ、食べるぞ!
私は、取り分け用のお玉に手を伸ばした。
……あっ。
そういえば、カトレアの分も取ってあげよう。
いつもの癖だね。
私はカトレアの器をそっと持ち上げた。
そのとき。
「晴斗様。お好きなものをお取りいたしますね」
向かい側で、ユリが声をかけた。
「あっ、ユリさん!」
晴斗君が、少し慌てた様子で手を上げた。
「はい。いかがなさいましたか?」
「ありがとうございます。でも、お鍋は自分で取るのがいいんですよ!」
……おっ?
私は思わず、そちらを見た。
「ご自身で、でございますか?」
「はい! 好きな具を自分で取って、好きな順番で食べるのが醍醐味なんです」
晴斗君は、楽しそうに説明している。
「白菜もお肉も、どれを取るか迷うのがいいんですよね」
「なるほど……」
ユリが、感心したように頷いた。
……ああ。
いいねぇ。
そうそう。
鍋って、自分で好きな具を取るのが楽しいんだよね。
「分かるよ、晴斗君!」
私は、思わず声をかけた。
「そうですよね、リアリスさん!」
「うん! 鍋の醍醐味だよねぇ」
晴斗君が、にっこり笑った。
……ああ。
日本人同士、こういうところは話が早い。
ユリも、少し笑った。
「では、晴斗様。ご自身でお取りになってみますか?」
「はい。ありがとうございます!」
晴斗君は、嬉しそうに取り分け用の箸へ手を伸ばした。
……うん。
いいねぇ。
自分で取る鍋。
最高だよね。
……と。
私は、自分の手元を見た。
カトレアの器。
取り分け用のお玉。
……。
…………。
あれ?
「……お父さん」
カトレアが、こちらを見ていた。
その顔には、何だか楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「うん?」
「今、晴斗さんが言ってたよね」
「……うん?」
「お鍋は、自分で取るのが楽しいんだって」
……。
…………。
おお。
言ってたねぇ。
私はゆっくり、カトレアの器を見下ろした。
……あっ。
もしかして。
「……カトレアも?」
「ふふっ」
カトレアが笑った。
「私も、自分で取ってみたいな」
……。
…………。
……ああ。
そっかぁ。
「……ちょっと寂しい」
思わず本音が漏れた。
……いや。
分かってるよ?
十四歳なんだから、自分で好きな具を取るくらい、当たり前だよね。
危ないことでもないし。
……でもさ。
今まで私が取ってあげてたんだよ?
それが、もう自分で取るって。
……ああ。
娘って、成長するんだねぇ。
「お父さん?」
カトレアが、私の顔を覗き込んだ。
「嫌だった?」
「ううん。全然!」
私は慌てて首を振った。
「そうじゃないんだよ。カトレアが自分でやってみたいなら、それが一番だからね」
「……ふふっ。よかった」
……ああ。
笑ってる。
完全に、父親の心を見透かされてる気がする。
私は器をカトレアへ返した。
「はい。じゃあ、好きなものを取ってみて」
「うん。ありがとう!」
カトレアは、嬉しそうに取り分け用のお玉を手にした。
まずは白菜。
その次は、きのこ。
そして、お肉を少し。
……うん。
上手に取れてるね。
当然なんだけど。
……当然なのに、なんでちょっと感動してるんだろう、私は。
「ふふっ」
隣から、桜花の声が聞こえた。
……あっ。
また笑われた。
「桜花……」
「はい、リアリス様」
「……そんなに面白かった?」
「いえ。カトレア様のご成長が、わたくしも嬉しいのでございます」
……うん。
そうだよね。
それなら、私も嬉しい。
……ちょっとだけ寂しいけど。
すると、桜花がそっと続けた。
「それに、リアリス様」
「うん?」
「カトレア様がご自身でお取りになる間、リアリス様はご自分のお好きなものをお選びになれますよ」
……。
…………。
あっ。
そうか。
私、まだ自分の分を何も取ってなかった。
「……桜花、ありがとう」
「ふふっ。どういたしまして」
……うん。
やっぱり、うちの家族は頼りになるねぇ。
◇
それから食卓は、さらににぎやかになった。
「リアリスさん、このお肉すごくおいしいです!」
「でしょう? 巴さんが用意してくれるお肉、おいしいんだよ」
「ふふっ。いっぱい食べてね」
巴さんが、嬉しそうに笑った。
ユリも、晴斗君の隣で鍋を取り分けている。
今度は自分の器に。
……おっ。
ちゃんと一緒に食べてるね。
「ユリさん、そのきのこもおいしいですよ」
「ありがとうございます。では、いただいてみますね」
……ああ。
いい感じだなぁ。
昨日の晴斗君は、まだ家族に囲まれて緊張していた。
それが今日は、自分から話しかけたり、料理を勧めたりしている。
……うん。
少しずつ、馴染んでくれてるみたいだ。
カトレアも、器を持ってにこにこしている。
「お父さん、見て。自分で取れたよ」
「うん。上手だねぇ!」
「……ふふっ。ただ取っただけだよ?」
「でも、上手だよ」
……あっ。
また親バカが出ちゃった。
まあ、いいや。
私にとっては、娘が楽しそうにしているだけで十分だ。
桜花も、そんな私たちを見て穏やかに笑っていた。
私は、湯気の立つ鍋を見回した。
そこには、家族の笑顔がある。
新しくこの世界へ来た晴斗君も、もう一緒に笑っている。
……ああ。
何だか、いいなぁ。
世界で唯一のSSランクになったところで、こうして過ごす時間は変わらない。
変わらなくて、いい。
むしろ、変えたくない。
私は自分の器に入れた白菜をひと口食べた。
……うん。
おいしい。
今日は町でもみくちゃにされて、王様に熊の通行許可をお願いして、ギルドでは強引に昇格させられて。
……いやぁ。
改めて並べてみると、何だか忙しい一日だったねぇ。
でも。
最後にこうして、家族みんなでお鍋を囲めるなら。
……まあ、悪くないかな。
「お父さん、もう少しお肉取ってもいい?」
「もちろん!」
私は、思わず器へ手を伸ばしかけた。
……あっ。
そうだった。
「……自分で取るんだったね」
「うん!」
カトレアが嬉しそうに笑った。
桜花も、隣で小さく笑う。
……ああ。
また笑われた。
まったく。
英雄になっても、SSランクになっても。
娘の前では、ただのお父さんなんだねぇ。
……うん。
私は、それでいいや。




