第1話:Fランク卒業のお知らせ
目を覚まして、最初に考えたことがある。
今日は王様に、熊の外出許可をもらいに行こう。
……。
朝から何を考えてるんだろう、私は。
いや、大事なことなんだけどね?
昨日、カトレアと話したのだ。学校や孤児院へ行くときはモフ太を連れていくこと。王都の町へ出かけるときは、しばらくセバスに同行してもらうこと。
でも、できるなら王都でもモフ太に護衛してほしい。
あの子がどれほど頼りになるかは、私が一番よく知っている。
ただし、モフ太は魔獣だ。
普段は小さくなっているとはいえ、元の姿は巨大なバイオレンスグリズリー。何も知らない人が見たら、間違いなく大騒ぎになる。
だから王様に、正式な許可をお願いしようと思ったわけである。
「……よし。まずは朝ご飯だね」
私は寝台から起き上がった。
窓の向こうには、いつもの庭が広がっている。明るい日差しに照らされて、花壇の花がゆっくり揺れていた。
昨日は日本から来た高校生、春原晴斗君を保護した。
いきなり別の世界へ来て、帰る方法もないと聞かされたんだ。昨夜はちゃんと眠れただろうか。
……まあ、朝になったら顔を見られるよね。
私は身支度を済ませ、食堂へ向かった。
◇
食堂に近づくと、楽しそうな話し声が聞こえてきた。
「おはようございまーす!」
「あら、リアリスちゃん。おはよう!」
巴さんが振り向いた。
その後ろでは、何人かが料理を運んでいる。
……ん?
なんだか、いつもと違う香りがするぞ。
炒めた野菜と、お肉。それから、ちょっと食欲をそそる香辛料の匂い。
「巴さん、今日の朝ご飯って何ですか?」
「ふふっ。今日は中華料理にしてみたの」
「おおっ!」
思わず声が出た。
食卓を見ると、大きなお皿に盛られた青椒肉絲に、ふわふわの卵料理。蒸籠からは湯気が上がり、その隣には焼き目のついた餃子まで並んでいる。
……朝から豪華だねぇ。
「でも、今日は一人ずつのお皿じゃないんですね」
「そうなの。みんなで好きなものを取って食べた方が楽しいでしょう?」
「いいですね!」
そうそう。中華料理って、こういう大皿で出てくるのもいいんだよね。
私は席へ向かった。
「お父さん、おはよう!」
「おはよう、カトレア」
カトレアが元気に手を振った。
隣には楓が座っている。
「楓もおはよう」
「……おはよう」
楓は小さく頷くと、私へ手を伸ばした。
……ああ。
これは分かる。
私は楓の頭を軽く撫でた。
「ふふっ。今日もよろしくね」
「……うん」
満足そうだ。
……うん。朝から平和だねぇ。
少しして、食堂の扉が開いた。
「おはようございます」
ユリが入ってくる。その隣には、晴斗君がいた。
「あっ、おはようございます、リアリスさん!」
「おはよう、晴斗君。昨日はよく眠れた?」
「はい! ベッドがすごく気持ちよくて、ぐっすり眠れました!」
「それはよかった!」
顔色も悪くない。
昨日より声に元気があるし、少しは落ち着いたみたいだ。
「おはようございます、晴斗さん」
「おはようございます、カトレアさん」
カトレアと挨拶を交わした晴斗君は、ユリに案内されて昨日と同じ来客用の席へ向かった。
私から見ると、ちょうど正面である。
……ふふっ。
昨日は初めての食事でずいぶん緊張していたけど、今日は椅子に座る動きも自然だね。
「晴斗様、こちらのお料理はいかがでしょうか?」
「あっ、おいしそうですね」
「それでは、お取りいたしますね」
ユリが大皿から料理を取り分けている。
晴斗君は恐縮しながらも、お礼を言っていた。
その様子を見て、私は少し安心した。
慣れない世界で一人きりにならずに済んだだけでも、よかったと思う。
「リアリス様、おはようございます」
今度は桜花が、私の前へ紅茶を置いてくれた。
「おはよう、桜花。ありがとう」
「本日もよいお天気でございますね」
「うん。こういう日は、のんびり過ごしたいねぇ」
「ふふっ。さようでございますね」
桜花が、どこか楽しそうに微笑んだ。
……あれ?
なんで今、ちょっと笑ったの?
まあいいか。
みんなが席に着き、巴さんの声で朝食が始まった。
「それじゃあ、いただきましょう!」
「いただきます!」
私はさっそく青椒肉絲を取り分けた。
ひと口食べる。
……おお。
お肉が柔らかい。野菜の歯ごたえもちゃんと残ってる。
「巴さん、おいしい!」
「あら、ありがとう。いっぱい食べてね」
「はーい!」
その向かいでは、晴斗君が餃子を口に運んでいた。
「……えっ」
ぱちぱちと瞬きをする。
「どうしたの、晴斗君?」
「いや、その……すごくおいしいです。これ、日本で食べてたのと同じ味ですね!」
「でしょう? 巴さんの料理は、何を食べてもおいしいんだよ」
「本当ですね……!」
晴斗君はもう一つ餃子を取り、ユリへ顔を向けた。
「あの、ユリさんも食べませんか?」
「ありがとうございます。では、わたくしもいただきますね」
……いいねぇ。
昨日はユリに世話をしてもらうだけで精いっぱいだったけど、今日は相手を気遣う余裕も出てきたみたい。
カトレアも晴斗君に料理を勧めている。
「晴斗さん、この卵のお料理もおいしいですよ」
「あっ、ありがとうございます。いただいてみます!」
「ふふっ。巴さんが作るの、私も大好きなの」
そんな会話を聞きながら、私は紅茶をひと口飲んだ。
……ああ。
やっぱり、朝ご飯を家族で食べる時間っていいなぁ。
これが一番の贅沢かもしれない。
◇
朝食を終え、食堂に少しずつ片付けの音が戻ってきた。
私は晴斗君へ声をかけた。
「晴斗君、今日は何かしたいことある?」
「えっ。そうですね……。まだ昨日来たばかりなので、何をしたらいいのかも分からなくて」
「そっか。じゃあ、今日はこの家の周りを見て回ってみない?」
「この家の、周りですか?」
「うん。学校とか孤児院とか、庭とかね。ここにはいろいろあるから」
「学校もあるんですか!?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてないです!」
……うん。
そうだったね。
昨日は日本へ帰れないことを説明したり、夕飯を食べたりで、建物の案内どころじゃなかった。
「一応、私の敷地の中には学校も孤児院もあるんだ。外の町とは別に、広い結界で守ってあるから、ここなら安心して歩けるよ」
「……学校がある敷地?」
晴斗君が、少し遠い目をした。
……あ。
また変なこと言ったかな?
まあ、普通の家には学校なんてないよねぇ。
「そうだ。ユリ」
「はい、リアリス様」
「今日は晴斗君について、屋敷の中や学校、孤児院を案内してもらえるかな? 分からないこともたくさんあると思うし」
「かしこまりました。晴斗様、ご希望の場所がございましたら遠慮なくお申し付けください」
「ありがとうございます!」
晴斗君が頭を下げる。
「ただ、学校は授業もあるから、邪魔にならないように見学してね。孤児院も、子供たちの生活があるから」
「はい。気をつけます!」
「何か困ったことがあれば、ユリかセバスに相談すれば大丈夫だからね」
「分かりました」
よし。
これで今日は、少しずつこの世界の生活に触れてもらえるだろう。
何も分からないまま部屋に閉じこもっているより、きっといい。
カトレアが椅子から立ち上がった。
「お父さん、私も学校へ行ってくるね」
「うん。いってらっしゃい」
「今日は帰ってきたら、お花のお水やりをしようと思ってるの」
「それなら、お父さんも手伝おうかな」
「本当? じゃあ、あとで一緒にやろうね!」
「約束ね」
カトレアは嬉しそうに頷いた。
……ふふっ。
こういう約束は、ちゃんと守らないとね。
私は見送りを済ませると、いつもどおり雑貨屋へ向かった。
店先では、すでに開店の準備が進んでいた。
「おはようございます、リアリス様!」
「おはよう! 今日もよろしくね」
家族たちと挨拶を交わしながら、在庫の棚を見て回る。
紅茶にクッキー、それから日本で見慣れた日用品。
……うん。
相変わらず、異世界の雑貨屋とは思えない品ぞろえだ。
私が作ったものなんだけどね。
「昨日より紅茶が減ってるね」
「はい。英雄様の演説を見て、お買い求めになる方が増えております」
「……ああ、やっぱり?」
世界中に顔を知られた影響が、こんなところにも出ているらしい。
本人としては、静かにお店をやってほしいんだけどなぁ。
でも、お客さんが喜んでくれるなら悪いことじゃない。
「無理に注文を増やさなくていいからね。いつもどおり、丁寧にお願い」
「かしこまりました!」
次は美容サロンだ。
今日も予約は埋まっている。
……うん。
まだしばらくは、私の手が必要そうだね。
施術の準備を済ませると、ほどなく最初のお客さんが案内されてきた。
「いらっしゃいませ」
「えっ……あの、本当に英雄様が施術してくださるんですか?」
「はい。いつも私が担当していますよ」
「まあ……!」
お客さんは目を丸くした。
……ええっと。
そんなに驚くことかなぁ。
「今日は気になるところ、ございますか?」
「あっ、はい! こちらの肌を少し……」
「分かりました。では、始めますね」
……うん。
仕事の話になれば、いつもどおりだ。
美容の仕事は好きだし、お客さんが喜んでくれるのも嬉しい。
英雄と呼ばれていても、やることは変わらない。
私は一人ずつ丁寧に施術を進めた。
……それにしても。
「英雄様、先日の放送を見て感動いたしました!」
「ありがとうございます」
「本当に世界を救ってくださって……!」
「いえいえ。私は、みんなが元気で暮らしてくれれば十分ですから」
……。
今日は、十人全員からお礼を言われるかもしれない。
ありがたいんだけどね。
ちょっと照れるねぇ。
◇
午前の仕事が一段落した頃、私は屋敷へ戻った。
すると、庭から聞き慣れた声がした。
「お父さーん!」
「おっ、カトレア。おかえり!」
「ただいま!」
学校から戻ったカトレアが、小さなじょうろを持っていた。
……ああ。
約束の時間だね。
「お水やり、今から?」
「うん! お父さんも一緒にできる?」
「もちろん!」
私は手を洗い、カトレアと庭へ出た。
花壇には、色とりどりの花が咲いている。
昨日もカトレアが手入れをしていたけど、今日も元気そうだ。
「こっちのお花、昨日より少し開いたんだよ」
「本当だ。きれいだねぇ」
「でしょ? ニーナにも見せたいな」
「そういえば、今日はニーナちゃんと遊ぶ予定はあるの?」
「うん。今日の午後、ニーナがうちに遊びに来るんだよ」
「そうなんだ。楽しみだね」
カトレアは土の様子を確かめてから、じょうろを傾けた。
細い水が、花の根元へ静かに落ちていく。
……うん。
上手になったねぇ。
最初の頃は、水をあげるだけでもずいぶん慎重だったのに。
今では、どの花にどれくらい水が必要か、自分で考えている。
「お父さん、そっちはお願いしてもいい?」
「はいはい。任せて!」
私は隣のじょうろを持ち、カトレアと並んで水をやった。
庭の向こうではモフ太が、小さな身体で日向ぼっこをしている。
……あ。
そうだった。
今日の午後は、あの子の外出許可をもらいに行くんだ。
「モフ太ー」
「はい、ご主人様」
頭を上げたモフ太が、こちらへ顔を向けた。
「今日、王様のところに一緒に行こうね」
「承知いたしました。何かご用でしょうか?」
「うん。モフ太が王都の町を歩いてもいいか、お願いしようと思って」
「なるほど。カトレアの護衛の件でございますね」
「そうそう」
モフ太は、胸を張った。
「私にお任せいただければ、カトレアの安全は必ず守ってみせます」
「うん。頼りにしてるよ」
カトレアが、じょうろを置いて笑った。
「モフ太、王都にも行けるようになるの?」
「許可がもらえたらね」
「そっか! それなら嬉しいな!」
……ああ。
その笑顔を見ちゃうと、ますます頑張らないとね。
私はモフ太の頭をひと撫でし、残りの花に水をやった。
◇
「みんなー、ご飯よー!」
巴さんの声が響いた。
……お昼だ!
庭から食堂へ戻ると、テーブルには大きなパンが並んでいた。
いや、パンというより……。
「おお、ハンバーガー!」
肉厚のパティに、たっぷりの野菜。隣には揚げた芋や、いろいろな具を挟んだパンも並んでいる。
「今日は、ちょっと気軽に食べられるお昼にしてみたの」
巴さんが楽しそうに笑った。
「いいですねぇ!」
席に着いた晴斗君も、目を輝かせている。
「リアリスさん、これって……」
「うん。ハンバーガーだね」
「異世界でハンバーガー……」
「ふふっ。慣れるよ、そのうち」
「慣れていいんでしょうか……」
……それは、私にも分からないなぁ。
でも、おいしいものはおいしいんだから、いいよね。
私はバーガーを両手で持った。
かぶりつく。
……うん!
ジューシーなお肉と、ふわっとしたパン。
最高!
「巴さん、これもおいしい!」
「ふふっ。ありがとう」
カトレアも、嬉しそうに頬張っていた。
晴斗君はというと、隣のユリに向かって、この食べ物が日本でも人気だと説明している。
……いいね。
今日は見学もしたみたいだし、家の人たちとも少しずつ話せている。
昨日の不安が全部なくなったわけじゃないと思う。
それでも、こうして笑える時間があれば十分だ。
私はもうひと口、ハンバーガーを頬張った。
◇
昼食のあと、私はカトレアと桜花と一緒に居間で一休みしていた。
窓から差し込む日差しが気持ちいい。
紅茶もおいしい。
……ああ。
こういう時間が、ずっと続けばいいんだけどなぁ。
「お父さん、そろそろニーナが来る頃だと思うの」
「おっ、もうそんな時間なんだね」
「うん。お庭のお花を見せる約束をしたの」
「それなら、きっと喜ぶよ」
カトレアは嬉しそうに笑った。
少しすると、玄関の方がにぎやかになった。
「カトレアちゃーん!」
「あっ、ニーナ!」
カトレアが勢いよく立ち上がる。
「お父さん、行ってくるね!」
「うん。楽しんでおいで」
居間を出ていく娘を見送り、私は残っていた紅茶を飲んだ。
……さて。
そろそろ、もう一つの用事を済ませようかな。
「桜花、ちょっと王城に行こうと思うんだけど、一緒に来てもらえる?」
「もちろんでございます、リアリス様」
「ありがとう。それと、モフ太も連れていきたいんだ」
「かしこまりました」
そのとき、居間の扉が控えめに叩かれた。
「旦那様。お呼びでしょうか」
セバスだ。
「王様に少しお願いがあるんだけど、今日これからお会いできるか確認してもらえるかな?」
「承知いたしました。ご用件をお伝えしてもよろしいでしょうか」
「うん。モフ太の王都市街への通行許可について相談したいんだ」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
セバスが一礼して退出した。
……さて。
王様、忙しくないかな。
私は、ソファの背にもたれた。
「リアリス様」
「うん?」
「ご心配でしたら、明日以降でもよろしいかと存じます」
「うん。でも、カトレアのことだからね。早めにお願いしておきたいんだ」
「ふふっ。さようでございますね」
……あれ?
桜花、また笑ってない?
いや、親バカなのは自覚してるけどさ。
ほどなくしてセバスが戻ってきた。
「旦那様。カバディ陛下より、これからお越しいただいて差し支えないとのお返事をいただきました」
「おお、ありがとう!」
「また、モフ太につきましても、旦那様と桜花が同行される王城への訪問に限り、通行してよいとのことでございます」
「助かるよ。これなら、許可をもらう前に町へ入っちゃったってことにならないね」
……うん。
ちゃんと事前に確認しておいてよかった。
私は立ち上がった。
「じゃあ、行ってきます!」
「お気をつけていってらっしゃいませ」
桜花と一緒に廊下へ出る。
庭にいたモフ太を呼ぶと、すぐにやってきた。
「お待たせ、モフ太。これから王城へ行くよ」
「承知いたしました、ご主人様」
「桜花、お願いしてもいい?」
「はい」
桜花がモフ太を抱き上げる。
銀髪の桜花が、小さな熊を抱いている。
……ああ。
なんだか絵になるねぇ。
これで中身が、全長五メートルの魔獣じゃなければ。
いや、モフ太は可愛いからいいか。
◇
王都の門をくぐると、すぐに声がかかった。
「あっ、英雄様!」
……うっ。
もう見つかった。
「こんにちはー!」
私は笑顔で手を振る。
「あの放送、見ましたよ! 本当にありがとうございました!」
「いえいえ。皆さんが無事で何よりです」
「英雄様、これ持っていってください!」
屋台のおじさんが、焼きたてのパンを差し出した。
「えっ。いいんですか?」
「もちろんです! 今日はお代なんていただけませんよ!」
「いやいや、お店の売り物でしょう?」
「いいから、受け取ってください!」
……おお。
押し切られた。
私はパンを受け取ってお礼を言った。
その横から、今度は花屋のおばさんが声をかけてくる。
「リアリス様! うちのお花も持っていって!」
「あの、もうパンをいただいちゃったので……」
「お花は食べ物じゃないでしょう? お屋敷に飾ってくださいな!」
……そりゃそうだけど!
結局、小さな花束までいただいてしまった。
お礼を言いながら通りを進む。
……いやぁ。
英雄になったって、こういうことなんだねぇ。
みんな笑顔だし、善意なのも分かる。
でも、手ぶらで王城へ行くつもりだったのに、両手がどんどん塞がっていくんだけど。
「リアリス様。お荷物をお持ちいたしましょうか」
桜花が声をかけてくれた。
「ありがとう。でも桜花はモフ太を抱いてるし、大丈夫だよ」
「かしこまりました」
……あ。
そういえば、そのモフ太。
何人かが桜花の腕の中を見て、目を丸くしていた。
「英雄様、その熊は……?」
「ああ、うちのモフ太です」
「モフ太?」
「はい。カトレアの護衛をしてくれる、頼れる子なんですよ」
モフ太が、桜花の腕の中で頭を下げた。
「初めまして。モフ太と申します」
「しゃ、しゃべった!?」
……あっ。
うん。
そこ、驚くよねぇ。
私は慌てて説明した。
「大丈夫です。私の魔法でお話しできるだけで、危険なことはしませんから」
「……へぇぇ。さすが英雄様の熊だねぇ」
……いや。
熊に対する感想としては、ちょっと雑じゃない?
周囲の人たちも、興味深そうにモフ太を眺めている。
怖がるより先に、感心してる人が多いみたいだ。
……なるほど。
英雄効果って、こんなところにも出るんだね。
まあ、正式な許可はこれからだけど。
私はもう一度頭を下げ、王城へ向かった。
途中でさらに何度か呼び止められたものの、何とか到着。
……ふぅ。
王城って、前からこんなに遠かったっけ?
いや、距離は変わってないんだよね。
変わったのは、声をかけてくれる人の数だ。
……もう、ちょっとした観光名所みたいな気分だよ。
◇
王城では、すでに案内の準備が整っていた。
兵士に先導され、桜花とモフ太と一緒に応接室へ入る。
「おお、リアリス殿。よく来られた!」
カバディ王が笑顔で迎えてくれた。
隣には宰相のミキサーさんもいる。
「こんにちは、カバディ王。ミキサーさんも、お忙しいところありがとうございます」
「とんでもございません。リアリス殿のご相談とあらば、いつでもお伺いいたします」
ミキサーさんが丁寧に頭を下げた。
……ああ。
この感じ。
昨日までより、なんだかさらに丁寧になってない?
いや、気のせいかな。
「それで、今日はモフ太殿の件であったな」
「はい」
私は桜花の腕の中を指した。
「モフ太は、私が魔法で仲間にした魔獣なんです。普段はこの大きさですけど、本当はもっと大きくて」
「うむ。存じておるぞ」
王様が頷いた。
「邪神との戦いの折、屋敷を守っていた大きな熊であろう?」
「あっ、覚えてました?」
「もちろんだ。あの状況で味方として動いていた魔獣を、忘れるわけがなかろう」
……そっか。
なら、話が早いね。
ミキサーさんも、モフ太へ視線を向けている。
「リアリス殿のご指示に従い、避難した方々の守りに当たっていたと聞いております。信頼できる存在なのでしょう」
「はい。それはもう!」
私は思わず身を乗り出した。
「モフ太はとても賢いし、優しいんです。カトレアのこともずっと守ってくれてますし、私も頼りにしてるんですよ」
「ほうほう」
「しかも、今は小さくなってますから、町の人の邪魔にもなりませんし!」
……あ。
ちょっと力説しすぎたかな。
王様が笑っている。
「リアリス殿は、そのモフ太殿を町へ連れていきたいのだな?」
「そうなんです!」
私は大きく頷いた。
「昨日、カトレアと約束したんです。学校や孤児院へ行くときはモフ太に護衛してもらうって。ただ、あの子は王都の町へ行くこともありますから」
「ふむ」
「町へ行くときも、モフ太が一緒なら安心なんです。だから、王都内への通行を正式に許可していただきたいんです!」
言い切った。
……よし。
これで伝わったかな。
私は王様の顔を見た。
「もちろん、勝手に大きくなったり、町の人を驚かせたりしないよう、私からもきちんと約束させます。絶対に迷惑はかけませんから!」
「はははっ!」
王様が声を上げて笑った。
……えっ。
そんなに面白いこと言った?
「リアリス殿、分かった。分かったから、そう力まなくともよい」
「……あれ?」
「そもそも、その熊が味方であることは我々も承知しておる。リアリス殿の大切な家族を守るためであろう? 断る理由はない」
「……本当ですか!」
「うむ。王都内の通行を許可しよう」
……おおっ!
「ありがとうございます!」
私は勢いよく頭を下げた。
……よかったぁ。
これで、カトレアが町へ行くときもモフ太を連れていける!
ミキサーさんが、何やら紙に目を落とした。
「念のため、王城から正式な通達を出しておきましょう。モフ太殿がリアリス殿の保護下にあること、王都内を通行してよいこと、それから一般の冒険者や兵士が討伐対象と誤認しないよう注意を促します」
「あっ、それもお願いしたかったんです!」
「承知いたしました。王城前の掲示板にも、すぐに掲示いたします」
……さすが宰相。
話が早い!
私は桜花へ目を向けた。
桜花は、モフ太を抱いたまま静かに微笑んでいる。
「よかったね、モフ太」
「ありがとうございます、ご主人様」
モフ太が、丁寧に頭を下げた。
「これで、カトレアの護衛をさらに万全にできます」
「うん。よろしくね」
私はもう一度、王様へお礼を言った。
すると。
「ところでリアリス殿」
「はい?」
王様が、にやりと笑った。
「世界中の人々から英雄と呼ばれる気分は、いかがかな?」
……。
…………。
あっ。
そっちの話、来ちゃった!
「いやぁ……ありがたいんですけど、町を歩くだけでずいぶん時間がかかるようになっちゃいまして」
「ははは! そうであろう、そうであろう!」
王様は、とても楽しそうだ。
……そういえば。
先日、私をあの巨大な魔族のゴリアテさんに抱えさせて、世界中に紹介したのは誰でしたっけ?
目の前の人じゃない?
……。
…………。
まあ、いいや。
今日はモフ太のお願いを聞いてくれたし。
「皆さんが喜んでくれるのは、嬉しいんですけどね」
「うむ。それでよい。無理に英雄らしく振る舞う必要はないぞ」
王様が、優しく笑った。
「今までどおりに暮らしてくれれば、我らも嬉しい」
……ああ。
そう言ってもらえるのは、助かるなぁ。
「ありがとうございます。私もそうしたいです」
……ただ。
それなら先日の大発表、もうちょっと控えめでもよかったんじゃないかな。
なんてね。
口には出さないでおこう。
◇
王城を出る頃には、掲示板に新しいお知らせが貼られていた。
『リアリス殿の保護する魔獣モフ太について、王都内の通行を正式に認める。兵士および冒険者は誤認による攻撃を行わぬこと』
……おお。
本当に早いねぇ。
掲示板の前には、早くも人が集まっていた。
「英雄様の熊なんだって?」
「だったら大丈夫だろう!」
「そりゃそうだ。世界を救った方の家族を守ってたんだろ?」
「小さくて可愛いじゃないか」
……。
…………。
ええっと。
そんなにあっさり納得しちゃうの?
いや、ありがたいんだけど。
さっきまで話しかける熊に驚いてたじゃないですか。
……うん。
英雄効果、絶大すぎない?
私はモフ太の方へ顔を向けた。
「モフ太、これからカトレアが王都に来るときは、護衛をお願いね」
「お任せください、ご主人様!」
「ただし、町の人には優しくね。急に大きくなって驚かせたりしないこと」
「もちろんでございます」
「それから、何かあったら無理に騒ぎを大きくしないで、ちゃんと連絡してね」
「承知いたしました!」
……うん。
これでひとまず安心かな。
桜花も頷いた。
「カトレア様も、きっとお喜びになりますね」
「うん。帰ったら教えてあげよう」
……さて。
せっかくここまで来たんだし、もう一か所寄っていこうかな。
「桜花。ちょっと冒険者ギルドにも顔を出していい?」
「はい。もちろんでございます」
「モフ太の許可が出たこと、シルベスターさんとリリーナさんにも伝えておきたいんだ」
冒険者は魔獣を討伐するのが仕事だ。
正式な許可が出たとしても、現場で知らずに攻撃されたら困る。
王城のお知らせだけじゃなく、ギルドでも共有してもらおう。
私は桜花とモフ太と一緒に、冒険者ギルドへ向かった。
……よし。
今日はこれで用事も終わりだね。
◇
ギルドの扉を開けた途端、ざわめきが広がった。
「あっ!」
「リアリス様だ!」
「英雄様、こんにちは!」
……ああ。
ここでもかぁ。
「こんにちはー!」
私は、できるだけ普通に挨拶した。
そうすると、冒険者たちが一斉に笑顔になる。
「英雄様、今日も依頼ですか?」
「いや、今日はちょっとギルドマスターに用事があって」
「おお! さすが英雄様!」
……えっ。
ただの用事だよ?
なんで褒められたの?
受付の方を見ると、リリーナさんがこちらへ手を振っていた。
「リアリスさん、いらっしゃいませ!」
「あっ、リリーナさん! こんにちは」
「今日は桜花さんもご一緒なんですね」
「はい。あと、モフ太も」
桜花が、腕の中のモフ太を少し持ち上げた。
「ご無沙汰しております」
「……しゃべった!?」
リリーナさんが、一瞬だけ目を見開いた。
……あっ。
そういえば、モフ太が人の言葉を話せるようになってから、ここで披露する機会ってあったっけ?
「えへへ。ちょっと魔法で」
「……リアリスさんの魔法なら、そういうこともありますよね」
リリーナさんは、なぜかすぐに納得した。
……うん。
最近、みんな私への理解が早すぎる気がする。
「実は、王様からモフ太が王都の町を歩いてもいいって許可をいただいたんです」
「そうなんですか!」
「はい。カトレアの護衛をしてもらいたくて。王城からお知らせも出してもらってるんですけど、ギルドでも情報を広めてもらえたら助かるなって」
「承知しました。討伐依頼との取り違えが起きないよう、周知しますね」
「ありがとうございます!」
……よかった。
これで、今日の予定はほとんど終わったね。
あとはシルベスターさんにも挨拶をして帰ろう。
「そういえば、シルベスターさんはいますか?」
「はい。いらっしゃいますよ。ちょうどリアリスさんにお渡ししたいものがあると、おっしゃっていました」
「……私に?」
「はい。応接室でお待ちくださいとのことです」
……あれ。
何だろう?
また何か依頼でもあるのかな。
私は桜花と顔を見合わせた。
「行ってみようか」
「はい」
モフ太も桜花の腕の中で頷いた。
……うん。
きっと、たいした話じゃないよね。
そう思って応接室へ向かった。
……あとで考えると。
このとき、少しくらい警戒しておくべきだったのかもしれない。
◇
「おう、来たか」
応接室に入ると、シルベスターさんがいつもの椅子に座っていた。
両腕を机の上に組み、なんだか妙に楽しそうな顔をしている。
……ん?
この人が楽しそうなときって、あまりいい予感がしないんだけど。
「こんにちは、シルベスターさん」
「おう。桜花も一緒か」
「お久しぶりでございます、シルベスター様」
「ああ。……で、その腕の中の熊はなんだ?」
「あっ、モフ太です」
「熊ですね」
桜花が即答した。
……うん。
間違ってはいない。
シルベスターさんが、額に手を当てた。
「お前ら、少しは俺にも分かる説明をしろ」
「あはは。実は、王様からモフ太が王都内を歩いてもいいって許可をいただいたので、その報告に来たんです」
私は事情を説明した。
カトレアの護衛をしてもらいたいこと。
王城から正式な通達が出ていること。
冒険者が間違って討伐しないよう、ギルドでも注意してもらいたいこと。
シルベスターさんは最後まで聞くと、大きく頷いた。
「なるほどな。それなら問題ない。こっちでも周知しておく」
「ありがとうございます!」
「まったく。今度は熊の通行許可か。お前は本当に、次から次へと妙なことを持ってくるな」
「ええっ。今回は真面目なお願いですよ?」
「いつも真面目にやってるつもりなのは知ってる」
……。
…………。
何だろう。
褒められてる気がしない。
シルベスターさんは、そこでふっと笑った。
「まあいい。ちょうどお前に用があったところだ」
「あっ、リリーナさんから聞きました。何ですか?」
「カードを出せ」
「……カード?」
「冒険者ギルドのカードだ。リオン名義のやつ」
……ああ。
ギルドカードね。
「はい。どうぞ」
私は《収納》からカードを取り出し、机の上に置いた。
何か記録の確認でもするのかな。
シルベスターさんはそれを手に取ると、自分の引き出しへしまった。
……。
…………。
えっ?
「……シルベスターさん?」
「なんだ」
「私のカード、どこへ?」
「回収した」
「……はい?」
思わず間の抜けた声が出た。
いやいや。
回収って、どういうこと?
「ちょっと待ってください! 私、何か悪いことしました!?」
「心当たりが多すぎて困るな」
「ええっ!?」
ひどい!
確かに魔力測定器を三つ壊したり、ドラゴンを持ち込んだり、いろいろやったけど!
……。
…………。
あっ。
並べてみると結構あるね。
でも、最近は大人しくしてるよ?
……世界を救ったばかりだけど。
「落ち着け。除名じゃねえよ」
「……よかったぁ」
私は胸をなで下ろした。
「じゃあ、新しいカードに替えるんですか?」
「そういうことだ」
シルベスターさんは、机の別の引き出しを開けた。
そこから一枚のカードを取り出す。
「ほれ」
「……ん?」
差し出されたカードを見た。
形は、今までのギルドカードとよく似ている。
名前の欄には『リアリス』。
……そっか。もう世界中に本名と顔が知られてるんだから、偽名を使っても仕方ないよね。
問題は、その下だ。
『冒険者ランク:SS』
……。
…………。
………………。
「……えっ?」
私はカードを見つめた。
もう一度、見た。
見間違いかな?
いや。
どう見ても、Sが二つ並んでる。
「あの、シルベスターさん」
「なんだ」
「これ、印刷間違いですか?」
「違う」
「Sが一個多いんですけど」
「多くねえよ」
「……えっ」
シルベスターさんが、にやりと笑った。
「おめでとう、リアリス。今日からお前はSSランクだ」
……。
…………。
「ちょっと待ったぁぁ!」
思わず声が大きくなった。
いや、待って。
SSランク?
私、Fランクだよ?
それどころか、この世界の冒険者ギルドって、SからFまでじゃなかったっけ?
「シルベスターさん! そもそもSSランクなんて存在しませんよね!?」
「今まではな」
「今までは!?」
「新しく作った」
「作った!?」
……いやいやいや。
そんな気軽に増やしていいものなの!?
「どうしてですか!」
「お前のためだ」
「私のため!?」
「そうだ」
シルベスターさんは、まったく悪びれない。
……この人、絶対楽しんでる。
「いえ、私はFランクで十分です! 採取依頼も受けられますし、受注制限だってありませんから!」
「知ってる」
「じゃあ、元に戻してください!」
「断る」
……即答!?
シルベスターさんは机に肘をついた。
「いいか、リアリス。前にもお前をSランクにしようとしたことがあったよな」
「あっ……ありましたね」
「そのときは、目立ちたくないからFのままでいいって言ったな」
「はい!」
「今も目立ちたくないか?」
「もちろんです!」
「……世界中の人間がお前の顔を知ってるのにか?」
……。
…………。
あっ。
そうだった。
先日の放送で、世界中に名前と顔が知られちゃったんだ。
……うん。
言い返せない。
シルベスターさんが、続けた。
「今さらFランクのカードを見せたところで、誰が『ただの新人冒険者だ』と思う?」
「……ええっと」
「邪神を倒して、世界を元に戻した英雄が、Fランクの薬草採取依頼を受けてるんだぞ」
「……いや、それは別にいいじゃないですか」
「お前にとっちゃな」
……むぅ。
確かに、私には何の不都合もない。
でも、ギルドとしては別なのかな。
「それに、お前を特別扱いするのは今に始まった話じゃねえ。リオンのカードだって、とっくに依頼のランク制限を外してあるだろうが」
「……そうですね」
「だったら、実態に合った肩書きに変えるだけだ」
「でも、普通のSランクでよくありません?」
……あ。
言っちゃった。
いや、Sランクにしてほしいわけじゃないけど!
シルベスターさんは首を振った。
「普通のSランクは、これまでどおりだ。世界に三人しかいない、最高ランクの冒険者たちだな」
「はい」
「そいつらと同じ枠に、神と戦って世界を救ったお前を入れてどうする」
「……どうするって」
「だから、お前一人だけの特例を作った。それがSSランクだ」
……。
…………。
……理屈は、分からなくもない。
でも。
「ギルドマスターって、そんなに自由にランクを作れるんですか?」
「俺一人で決めたわけじゃねえ」
「……え?」
「冒険者ギルド組合の上層部には、すでに話を通してある。正式な承認も済んでる」
……。
…………。
「……準備がよすぎません?」
「お前の相手は、先手を打たねえと話が進まんからな」
……ひどい!
いや。
確かに、相談されたら断っただろうけどさ。
「私に一言くらい聞いてくれても……」
「聞いたら断るだろう?」
「断ります!」
「ほらな」
……。
…………。
……うん。
完全に読まれてた。
シルベスターさんは、カードを机の上に滑らせた。
「安心しろ。今までどおり、受けたい依頼を受ければいい。仕事を選ぶのはお前自身だ。ランクが変わったからって、どこかの国に仕える義務ができるわけでもねえ」
「……それなら、まあ」
「薬草採取でも何でも好きにやれ。誰も止めん」
……おお。
そこは大事だね。
「本当に、今までと同じでいいんですか?」
「ああ」
「面倒な式典とか、挨拶回りとかは?」
「少なくとも、この昇格のためにそんなもんをやらせる気はねえ」
……ふぅ。
それなら、まだいいか。
私はカードに手を伸ばした。
表面には、確かに『リアリス』と書かれている。
その下には、何度見てもSSの文字。
……ああ。
転生初日にFランクで登録して。
薬草を採って、お金を稼いで。
どうにか目立たず暮らそうとして。
途中でリオンと名乗り直したりもして。
……それでも、結局これかぁ。
私は、思わず苦笑いした。
考えてみれば、世界中に自分の顔が映るような魔法を作ったのは私だ。
まさか、それで自分が英雄として紹介されるなんて思わなかったけど。
……うん。
自業自得、というやつかもしれない。
「……分かりました。受け取ります」
「おう。そうこなくちゃな」
シルベスターさんが満足そうに頷いた。
私は、新しいカードを手に取る。
……軽い。
前のFランクカードと、ほとんど変わらない重さだ。
なのに、書いてある文字はずいぶん重くなった気がする。
「リアリス様」
桜花が、隣から声をかけてくれた。
「このたびは、SSランクへのご昇格、おめでとうございます」
そう言って、静かに頭を下げる。
……ああ。
桜花は、心から祝ってくれてるみたいだね。
「ありがとう、桜花」
私は笑った。
……でもね。
私、本当はFランクでよかったんだよ?
シルベスターさんが、豪快に笑う。
「はははっ! 世界でたった一人のSSランク冒険者が、そんな顔をするな!」
「……いやぁ」
私は、手の中のカードをもう一度見た。
『冒険者ランク:SS』
……。
…………。
私、のんびり暮らしたかっただけなんだけどなぁ。
こうして、世界で唯一のSSランク冒険者が誕生した。
その本人はというと。
新しいカードを見つめたまま、ただ苦笑いするしかなかった。
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