第8話:番外編:英雄の娘
今日は、学校が終わったらニーナの家に遊びに行く約束をしている。
……というのは、まだ私の中だけの予定。
ちゃんとニーナに聞いて、お父さんにも相談しないとね。
教室の窓から外を見ると、明るい日差しが校庭を照らしていた。
庭の木々も、風に揺れている。
こんな日は、外でお花を眺めるのが気持ちよさそう。
私は机の上のノートを閉じて、隣の席を振り返った。
「ねえ、ニーナ」
「なあに、カトレア?」
ニーナは、いつもの優しい笑顔で顔を上げた。
淡い赤色の髪には、お花の髪飾りがついている。
前にも見たことがあるけど、何度見ても可愛い。
「今日、学校が終わったら少し遊べる?」
「うん。今日は何も予定がないよ」
「よかった! よかったら、ニーナの家に行ってもいい?」
「もちろん。カトレアが来てくれるなら嬉しいな」
やった!
私は思わず笑ってしまった。
ニーナとは、学校ができて間もない頃からの友達だ。
最初は、お互いにお花が好きだって話をしたんだっけ。
それから、家に遊びに来てもらったり、一緒に勉強したり。
今では、学校で一緒に過ごすのが当たり前になっている。
「この前話してた、庭のお花を見せてほしいな」
「うん。少しずつ咲いてきたんだよ。今朝も新しく咲いたのを見つけたの」
「本当? 楽しみ!」
ニーナの家には、小さな花壇がある。
季節によって咲くお花が変わるから、遊びに行くたびに楽しみなんだ。
それに今日は、もう一つ相談したいことがある。
「学校の花壇のことも、あとで一緒に考えない?」
「次に植えるお花?」
「そう。何を植えたらきれいかなって」
ニーナは少し考えてから、楽しそうに頷いた。
「うん、考えたい。みんなで見る花壇だものね」
「じゃあ、決まりだね!」
私は窓の向こうを見た。
学校の花壇には、もう少しで咲き終わりそうなお花もある。
次はどんなふうにしよう。
背の高いお花と、小さなお花を並べるのもいいかもしれない。
色をそろえるのも、いろんな色を混ぜるのも楽しそうだ。
……あれ。
考え始めたら、もう止まらなくなってきちゃった。
「カトレア、すごく楽しそう」
ニーナが、くすっと笑った。
「だって、お花のことを考えるのって楽しいでしょう?」
「ふふっ。私もだよ」
二人で顔を見合わせて笑う。
そのとき、授業の始まりを知らせる声が聞こえた。
「あ、そろそろだね」
「うん。またあとでね」
私は椅子に座り直して、ノートを開いた。
……よし。
まずは、ちゃんと授業を受けなきゃ。
お花の続きは、そのあと。
◇
学校から家へ戻ると、おいしそうな匂いがしていた。
お昼ご飯の時間だ。
私は食堂へ向かいながら、ニーナとの約束を思い出していた。
お父さん、今日は忙しいかな。
昨日は、世界中にお父さんの姿が映し出されていた。
王様たちが、大きな画面で世界が平和になったことを知らせて。
最後に、お父さんのことを英雄だって紹介したんだ。
……あれには、私もびっくりした。
だって、お父さんが、あんなに大きな魔族の人に抱っこされたまま、世界中の人に挨拶していたんだもの。
お父さんは困った顔をしてたけど、私はちょっと面白かった。
もちろん、世界を助けたお父さんはすごいと思うよ。
でも、帰ってきたらいつものお父さんだったし。
今朝も「英雄になっちゃったよ……」って、困っていた。
私は、それがお父さんらしいと思った。
食堂へ入ると、お父さんと桜花お姉ちゃんは、もう席についていた。
「ただいま!」
「おかえり、カトレア」
お父さんが笑ってくれる。
でも。
……あれ?
何だか、朝より疲れてる?
それに気づいたのは、ご飯を食べ始めてからだった。
「お父さん、大丈夫?」
「……うん?」
「なんか、朝よりボロボロになってる気がする」
お父さんは、少し困ったように笑った。
「大丈夫だよ。ちょっと町の人たちに、たくさん声をかけてもらってね」
「……そんなに?」
「うん。ギルドから家まで帰るだけで、すごく時間がかかっちゃった」
……そっか。
昨日、世界中にお父さんの顔が知られたばかりだものね。
町の人たちだって、きっと直接会いたくなったんだと思う。
「でも、みんなお父さんにお礼を言いたかったんだよね」
「……そうだね」
お父さんが、少しだけ嬉しそうな顔をした。
私はその顔を見て、安心した。
みんなに囲まれるのは大変そうだけど、嫌なことばかりじゃなかったんだね。
それから、お茶を飲んでいるお父さんに声をかけた。
「あ、そうだ。お父さん」
「うん?」
「今日、ニーナちゃんのお家に遊びに行ってもいい?」
「もちろん、いいよ!」
「本当?」
「うん。ただね、カトレア」
お父さんが、少し真面目な顔になった。
……あれ。
何か心配なことがあるのかな。
「私のことで、町ではいろんな人が集まってるみたいなんだ。だから、今日はセバスと一緒に行ってくれる?」
なるほど。
私まで、いつもよりたくさん声をかけられるかもしれないってことだね。
「うん、分かった」
「ありがとう。ニーナちゃんにもよろしく伝えてね」
「はーい!」
お父さんは、近くにいたセバスにもお願いしてくれた。
「セバス。今日、カトレアがニーナちゃんのお家へ遊びに行くんだ。同行をお願いしてもいい?」
「かしこまりました、旦那様」
「今日は特に人が多いみたいだから、気をつけてあげてね」
「承知いたしました。お嬢様は、私がお送りいたします」
……うん。
セバスが一緒なら、道に迷う心配もないし、安心だ。
でも、それより。
今日はニーナと何を話そうかな。
まずは、お花を見せてもらって。
それから、学校の花壇の話をしよう。
楽しみだなぁ。
◇
昼食を終えて支度をすると、セバスが玄関で待っていてくれた。
「お待たせ、セバス!」
「いえ。お嬢様、ご準備はよろしいでしょうか」
「うん、大丈夫!」
「それでは、参りましょう」
私はセバスと一緒に家を出た。
今日は日差しが柔らかくて、歩いていても気持ちがいい。
道の向こうに王都の城門が見える。
少し歩くと、いつもの道にたくさんの人が行き交っていた。
お父さんが朝から大変だったって言っていたのは、このことかな。
でも、セバスが隣にいてくれるから、私はいつもどおり歩ける。
「お嬢様。本日はニーナ様のお宅で、どのようにお過ごしになるご予定でしょうか」
「お庭のお花を見せてもらうの。それから、学校の花壇に次は何を植えるか相談するんだ」
「それは楽しみでございますね」
「うん。ニーナ、お花のことならずっと話していられるんだよ」
「お嬢様も、同じかと存じますが」
「……えっ?」
セバスが、少しだけ笑った。
……あっ。
確かにそうかも。
「ふふっ。そうだね」
私は、ちょっと恥ずかしくなった。
そんな話をしているうちに、王都の門に着いた。
見慣れた門兵さんが、こちらに気づいて手を上げた。
「カトレアちゃん、こんにちは!」
「こんにちは!」
「今日はお出かけかい?」
「うん。お友達の家に遊びに行くの」
「そうか。楽しんでおいで!」
「ありがとう!」
門兵さんは、私が今よりずっと小さかった頃から知っている人だ。
だから、お父さんが英雄って呼ばれるようになる前から、こうして挨拶してくれる。
それは、町のほかの人たちも同じ。
顔を覚えているお店の人が、道の向こうから声をかけてくれた。
「カトレアちゃん、今日はいいお天気だねぇ」
「うん! お花を見るのに、ちょうどいいお天気だよ」
「それはいいね。楽しんでおいで」
「ありがとう!」
……やっぱり、町の人たちは優しいなぁ。
お父さんがみんなを助けたことも嬉しいけど、こうして今までどおり話してくれるのも嬉しい。
そのうち、どこかから「英雄様のお嬢さんだ」って声が聞こえた。
私は、思わずそちらを見る。
でも、特に変わったことは起きなかった。
ただ、すれ違う人たちが笑顔で会釈してくれただけ。
私は、いつものように頭を下げた。
……お父さんのこと、みんな本当に知ってるんだね。
「セバス」
「はい、お嬢様」
「お父さん、今日は町で大変だったみたい」
「そのようでございます」
「でも、みんな嬉しそうだったんじゃないかな」
セバスは、ゆっくり頷いた。
「はい。旦那様へお礼をお伝えしたい方が、大勢いらっしゃいますので」
「……そっか」
私も、ちょっと嬉しくなった。
……あ。
でも、お父さんがまた疲れちゃうと困るから。
帰ったら、何か温かいお茶でも用意してあげようかな。
……ううん。
きっと、もう桜花お姉ちゃんが用意してるよね。
◇
ニーナの家に着くと、すぐに玄関の扉が開いた。
「カトレア、いらっしゃい!」
「ニーナ! お邪魔します」
ニーナは、嬉しそうに私の手を取った。
「さっそく、お花を見に行く?」
「うん! 見たい!」
私はセバスへ振り返った。
「セバス、行ってくるね」
「はい。私はお近くでお待ちしております。ごゆっくりお楽しみください」
「ありがとう!」
セバスは、ニーナの家の人にも丁寧に挨拶していた。
それから、私たちは庭へ向かった。
花壇には、色の違うお花がいくつも咲いていた。
背の低いお花が並んでいるところもあれば、少し背の高いお花が揺れているところもある。
風が吹くと、花びらが小さく揺れた。
「わぁ……きれい!」
「ふふっ。よかった」
ニーナが、嬉しそうに笑う。
「こっちのお花、今朝咲いたんだよ」
「本当だ! 昨日より花びらが開いてるね」
「分かる?」
「うん。前に来たとき、まだつぼみだったの覚えてるよ」
「覚えててくれたんだ」
「もちろん!」
私は花壇の前にしゃがんだ。
近づいてみると、同じように見える葉っぱでも、一枚ずつ形が少し違う。
花びらの色も、日が当たるところと影になっているところで違って見えた。
……不思議。
毎日見ていても、新しい発見があるんだね。
「ねえ、ニーナ。このお花、少し背が伸びた?」
「うん。最近、よく伸びるの」
「お日様が気持ちいいのかな」
「そうかもしれないね」
私たちは、顔を見合わせて笑った。
こういうお話をしていると、時間を忘れてしまう。
お父さんも、ときどき私と庭を歩いてくれる。
私が新しく咲いたお花を教えると、いつも一緒にしゃがんで見てくれるんだ。
どんなに小さなお花でも、ちゃんと「きれいだね」って言ってくれる。
だから、今度ニーナの花壇の話もしてあげよう。
きっと、嬉しそうに聞いてくれると思う。
「カトレア?」
「ん?」
「何か考えてた?」
「お父さんにも見せてあげたいなって」
「ふふっ。じゃあ、今度一緒に来てもらったら?」
「……うん! そうしようかな」
……あ。
でも、お父さん、今は町の人たちに囲まれちゃうんだっけ。
ちょっと難しいかな。
そのことを考えたら、少しおかしくなってしまった。
「どうしたの?」
「ううん。お父さん、最近忙しそうだから」
「そうなんだ」
「でも、きっとまたお花を見に来てくれると思う」
ニーナは、優しく頷いた。
「うん。カトレアのお父さん、いつも楽しそうにお花の話を聞いてくれるものね」
「でしょう?」
……えへへ。
お父さんのことを褒めてもらうのって、やっぱり嬉しい。
◇
花壇を一通り見せてもらったあと、私たちはお茶をいただいた。
窓からは、さっきまで眺めていた庭が見える。
テーブルには、小さなお菓子も並んでいた。
「いただきます」
「どうぞ」
ニーナと一緒にお茶を飲む。
……おいしい。
家で巴さんが淹れてくれるお茶とは、また少し違った味がする。
こういうのも、いいなぁ。
「ねえ、カトレア。学校の花壇、どうしようか」
「あ、そうだった!」
私はカップを置いて、ニーナへ向き直った。
「今のお花が咲き終わったら、次は何を植えようかなって考えてたの」
「うん。私も」
「でも、何を植えてもきれいなんだよね」
「ふふっ。それ、いつも言ってる」
「だって、本当なんだもん」
二人で笑ってから、今の花壇の様子を思い出す。
日がよく当たる場所。
少し日陰になる場所。
人がよく通る道に近いところ。
学校の花壇は、家の庭と違って、いろんな子が眺めてくれる。
だから、どこから見ても楽しめるようにしたい。
「入口から見えるところは、明るい色がいいかな」
「うん。小さなお花を手前に並べるのはどう?」
「いいね! 後ろに背の高いお花があったら、もっときれいかも」
「そうだね」
ニーナは、少し考えてから言った。
「でも、お花のお世話をする人のことも考えなきゃ」
「……あっ、そうだね」
見るだけじゃなくて、水をあげたり、土を整えたりする人もいる。
あまり手の届かないところに植えたら、大変かもしれない。
「じゃあ、お世話しやすいように道の近くを少し空けておこうか」
「うん。それがいいと思う」
私たちは、あれこれ話しながら考えをまとめていった。
途中で、ニーナが学校で見かけたお花の話をしてくれた。
私も、今朝の庭の花壇で気づいたことを話した。
同じようなお花でも、家によって咲く時期が少し違うみたい。
……面白いなぁ。
お花が好きでも、まだ知らないことがいっぱいある。
いつか、もっと上手に育てられるようになりたい。
そして、お父さんにも、もっといろんなお花を見せてあげたい。
「カトレア、また笑ってる」
「えっ?」
「お花の話をしてると、すぐ嬉しそうになるね」
「ニーナだって!」
「ふふっ。そうかな」
「そうだよ!」
私たちは、また笑った。
……こうしていると、時間があっという間に過ぎていく。
気がつくと、窓の外の日差しが少し傾いていた。
そろそろ帰る時間かな。
もっとお話ししたいけど、今日はここまでにしよう。
「ニーナ、今日はありがとう。すごく楽しかった」
「私も。また遊びに来てね」
「うん! 今度はうちのお花も見に来て」
「もちろん」
玄関まで見送ってくれたニーナに手を振る。
「また学校でね!」
「うん。またね、カトレア」
……ああ。
今日も楽しかったな。
◇
帰り道も、セバスは私の隣を歩いてくれた。
「お嬢様。楽しいお時間をお過ごしになれましたか」
「うん! ニーナの家のお花、前に行ったときよりたくさん咲いてたの」
「それは何よりでございます」
「それでね、学校の花壇も、次は手前に小さいお花を並べようって話したんだよ」
私が話すと、セバスは一つずつ丁寧に頷いてくれた。
いつも落ち着いているから、つい、いろんなことを話したくなる。
……あっ。
そういえば、今日のセバスは私と歩いてばかりだね。
「セバス、疲れてない?」
「お気遣いありがとうございます。私は大丈夫でございます」
「よかった。今日は付き合ってくれてありがとう」
「お嬢様のお楽しそうなお姿を拝見でき、私も嬉しく存じます」
……ふふっ。
セバスって、こういうことをさらっと言うんだよね。
少し照れくさいけど、嬉しいな。
町の通りへ出ると、また何人かの人が挨拶してくれた。
「あら、カトレアちゃん。お友達のところへ行ってたの?」
「うん! お花を見せてもらったの」
「それはよかったねぇ」
「ありがとう!」
別のお店の人も、遠くから手を振ってくれる。
前から知っている顔ばかりだ。
みんな、お父さんが英雄だって発表される前から、私のことを知ってる。
私が小さい頃、町へ買い物に来たことも覚えていてくれる人がいる。
そういうのって、ちょっと嬉しい。
昨日からは「英雄様のお嬢さん」なんて呼ばれることもあるけど。
私は、今までどおりのカトレアだ。
だから、笑顔で挨拶してくれる人には、いつもどおり返事をしたい。
……きっと、お父さんもそう思ってるはず。
「お嬢様」
「なあに、セバス?」
「そろそろお屋敷が見えてまいります」
顔を上げると、見慣れた建物が遠くに見えた。
……あ。
もう帰ってきちゃった。
楽しい時間って、本当に早いなぁ。
◇
「ただいまー!」
屋敷に入ると、いつものように声をかけた。
すると、居間の方から返事が聞こえた。
「おかえりー!」
……お父さんだ!
私は、セバスと一緒に声のする方へ向かった。
ニーナの家のお花の話、早く聞いてもらいたいな。
そう思って扉を開けると、お父さんと桜花お姉ちゃんがいた。
……あれ?
もう一人いる。
見たことのない男の子だ。
黒い髪に、ちょっと変わった服。
あの服、初めて見るかもしれない。
「お父さん、ただいま。ニーナとお花の話をしてきたよ」
「おかえり、カトレア。楽しかった?」
「うん。今度、学校の花壇に植えるお花の相談もしてきたの」
「へぇー、いいね!」
お父さんが、嬉しそうに笑った。
私は、もう一度男の子を見る。
「あれ? お客さん?」
「うん。紹介するね。お父さんのお友達だよ」
「お友達?」
……そうなんだ。
お父さんのお友達なら、私もちゃんと挨拶しないと。
「こちらは春原晴斗君。日本から来たんだ」
「……日本?」
お父さんが昔暮らしていたという世界。
私も、何度か話を聞いたことがある。
食べ物や、街の建物や、学校のこと。
私たちの世界とは違うところも多いみたい。
「うん。私が昔いた世界だよ」
「そうなんだ」
……へぇ。
日本から来た人なんて、お父さん以外にもいるんだね。
私は、その男の子に向き直った。
「初めまして。カトレアです。よろしくね」
「あっ、初めまして! 春原晴斗と言います。よろしくお願いします」
晴斗さんは、慌てて立ち上がって頭を下げた。
私も、もう一度頭を下げる。
……何だか、緊張してるみたい。
でも、ちゃんと挨拶してくれた。
お父さんが何か話すと、晴斗さんが自分の言葉を確かめるように口元へ触れた。
「……本当に、言葉が通じるんですね」
「ふふっ。さっき魔法をかけたからね」
……魔法?
お父さんが説明してくれたところによると、晴斗さんは最初、この世界の言葉が分からなかったらしい。
でも、お父さんの魔法で、みんなと普通に話せるようになったんだって。
やっぱり、お父さんってすごい。
私は、ちょっと嬉しくなった。
「あの、お父さん。晴斗さん、これからどうするの?」
「しばらくうちに泊まってもらうことにしたんだ。突然こちらの世界へ来ちゃったから、まだ分からないことだらけでね」
「そうだったんだ」
私は、晴斗さんの方を見る。
まだ、少し不安そうな顔をしている。
知らない場所へ突然来るなんて、怖かっただろうな。
……私にも、何かできるかな。
「うち、にぎやかだけど、みんな優しいよ。安心してね」
「……ありがとう、カトレアさん」
少しだけ、晴斗さんが笑ってくれた。
よかった。
すると、お父さんが急に声を上げた。
「なんていい子なんだろう! さすが私の娘!」
……えっ!?
「お父さん、急にどうしたの?」
私が驚いていると、晴斗さんが少し笑った。
「……リアリスさんって、親バカなんですね」
「うん。自覚はあるよ!」
……もう。
お父さんったら。
みんなの前でそんなこと言うんだから。
でも。
少し恥ずかしいだけで、嫌じゃない。
お父さんが嬉しそうにしていると、私まで嬉しくなるんだよね。
お父さんが頭を撫でてくれた。
「お父さん、もう……」
私は、思わず笑った。
そのあと、セバスがお父さんに話しかけた。
晴斗さんのお部屋を用意することになったみたい。
お父さんは、日本から来た勇者さんにも連絡を取ってほしいと頼んでいた。
……日本から来た人、ほかにもいるんだね。
私が話を聞いていると、セバスがユリを呼んでくれた。
晴斗さんをお部屋へ案内するんだって。
……そっか。
今日は、ゆっくり休んでもらった方がいいよね。
「お父さん、またあとでね」
「うん。おかえり、カトレア」
「ふふっ。ただいま」
私は、食堂の方へ向かった。
ニーナの家のお花の話、巴さんにも聞いてもらおう。
◇
巴さんに今日のことを話してから、私は二階のホールへ向かった。
そこには、いつものようにモフ太がいた。
「モフ太!」
「おかえりなさいませ、カトレア」
丁寧な言葉と、大きな熊の顔。
初めて見た人なら、びっくりするかもしれない。
でも、私にとっては、昔から一緒にいる大切な家族だ。
モフ太は、いつもの小さな姿でこちらを見上げている。
私は、その場にしゃがんで両手を広げた。
「ただいま!」
モフ太が、ゆっくり近づいてきた。
私は、ふわふわの毛に顔をうずめる。
……ああ、気持ちいい!
「カトレア、本日もお元気そうで何よりでございます」
「うん! 今日はニーナのお家に遊びに行ってきたんだよ」
「それはよろしゅうございました」
「お花がたくさん咲いてたの。それで、学校の花壇のことも話してきたんだ」
私は、モフ太の背中を撫でながら話した。
首のあたりも、耳の後ろも、ゆっくり撫でてあげる。
モフ太は目を細めて、じっとしていた。
……ふふっ。
大きな熊なのに、こういうときはとっても可愛い。
「モフ太、今日もふわふわだね」
「恐れ入ります」
「もっと撫でてもいい?」
「もちろんでございます」
……やった!
私は、しばらく夢中になって撫で続けた。
前にモフ太を見て怖がっていた人も、こんな顔を見たらきっと驚くと思う。
私には、全然怖くないんだけどなぁ。
……あ。
そうだ。
「モフ太、今からお庭の花壇を見に行かない?」
「喜んでお供いたします」
「じゃあ、一緒に行こう!」
私は立ち上がった。
モフ太は、とことこと隣を歩いてくれる。
……ふふっ。
帰ってきてよかった。
◇
庭に出ると、空が少しだけ夕方の色になり始めていた。
まだ明るいけど、朝とは光の向きが違う。
私は、いつもの花壇へ向かった。
今日は、ニーナの家でいろんなお花を見てきた。
だから、うちの花壇がどうなっているか、もう一度見たくなったんだ。
「ほら、モフ太。ここ」
「はい。美しく咲いておりますね」
「うん。でも、こっちの土、少し乾いてるかも」
しゃがんで、指先で土を確かめる。
表面が少し乾いている。
……そうだ。
ニーナも、今日は水をあげるって言ってたっけ。
「モフ太、ちょっと待っててね。お水を持ってくるから」
「承知いたしました」
私は水やりの道具を取りに行って、花壇へ戻った。
小さなお花を傷めないように、根元へそっと水をあげる。
土の色が、少しずつ濃くなった。
「このくらいでいいかな」
「はい。十分かと存じます」
モフ太が、私の手元をじっと見ている。
……何だか、先生みたい。
「お水をあげすぎても、よくないんだよね」
「左様でございますか」
「うん。ニーナともそういう話をしてたの」
私は、別の花壇も確かめた。
こっちは、まだ土が湿っている。
だから、今日はそのまま。
お花って、みんな同じようにお世話すればいいわけじゃないんだ。
毎日見て、少しずつ変わっているところに気づいて。
そうやって育てるのが楽しい。
「モフ太。明日も一緒に見に来ようね」
「もちろんでございます、カトレア」
私は、モフ太の頭をもう一度撫でた。
……あ。
お父さんにも、新しく咲いたお花を教えてあげなきゃ。
でも今日は、もう疲れてるかな。
あとで元気そうだったら、話してみよう。
モフ太と庭を歩いているうちに、厨房の方からいい匂いがしてきた。
……お腹すいたなぁ。
もうすぐ夕食だね。
◇
「みんなー、ご飯よー!」
巴さんの声が、屋敷に響いた。
私は、モフ太に声をかけてから食堂へ向かった。
中に入ると、もう何人かが席についていた。
楓も、いつものように静かに座っている。
「楓、こんばんは」
「……こんばんは」
楓が、小さく頷く。
私はその隣を通って、いつもの席へ向かった。
桜花お姉ちゃんが来たら、ニーナの花壇のお話も聞いてもらおうかな。
そう思っていると、食堂の扉が開いた。
お父さんと桜花お姉ちゃんだ。
「お父さん、こっち!」
「はいはい。今行くよー」
お父さんが、笑いながら私の方へ来てくれた。
……よかった。
昼間より、少し元気そう。
そのあと、ユリが晴斗さんを連れて入ってきた。
晴斗さんは、食堂の中を見た途端に固まってしまった。
「……人、多くないですか?」
「そうかな? うちでは普通だよ」
お父さんが、いつもの顔で答える。
……確かに、私も慣れちゃってるけど。
初めて来た人には、人数が多く感じるのかもしれない。
晴斗さんは、ユリの案内で来客用の席へ向かった。
お父さんの正面にあたる席だ。
……あ。
これなら、お父さんと話しやすそうだね。
お父さんが立ち上がって、みんなへ声をかけた。
「えーっと、ご飯の前に一ついいかな」
食堂が、少し静かになる。
「こちらは春原晴斗君です。今日、日本からこの世界へ来てしまった子で、しばらくうちに滞在することになりました」
私は、晴斗さんを見た。
居間では、まだあまり話せなかったけど。
こうしてみんなの前に立つのは、緊張するだろうな。
「まだ分からないことがたくさんあると思うけど、みんないつもどおり、よくしてあげてね」
みんなが頷く。
晴斗さんも、勢いよく立ち上がった。
「は、初めまして! 春原晴斗です! しばらくお世話になります! よろしくお願いします!」
深々と頭を下げる。
「よろしくお願いします!」
「どうぞよろしくお願いいたします、晴斗様」
みんなから、温かい挨拶が返ってきた。
晴斗さんが、少し驚いたように顔を上げた。
……うん。
これなら、きっと大丈夫。
私も、心の中でそう思った。
楓が、小さな声で「……よろしく」と言ったときには、晴斗さんも驚いたようだった。
……ふふっ。
楓、優しいなぁ。
お父さんが、にこにことしている。
「それじゃ、ご飯を食べようか!」
その声に合わせて、料理が運ばれてきた。
白いご飯と、お味噌汁。
焼き魚に卵焼き、お野菜のおかず。
……あ。
今日は和食なんだ!
嬉しくなって巴さんの方を見ると、巴さんは晴斗さんへ話しかけていた。
「今日はリアリスちゃんに言われて和食を用意したわ。晴斗ちゃんもいっぱい食べてね!」
……そうなんだ。
晴斗さんも日本から来たんだものね。
お父さんがお願いしたんだ。
晴斗さんは、目の前のご飯を見て、何度も驚いていた。
それから、深く頭を下げてお礼を言った。
……本当に嬉しそう。
私は、少し安心した。
「それじゃあ、いただきます!」
お父さんの声に、みんなが「いただきます」と答える。
私も一緒に手を合わせた。
晴斗さんは、最初、ご飯をひと口食べて動かなくなった。
……あれ?
大丈夫かな。
でも、お味噌汁を飲んだあと、小さく「おいしい……」って言った。
その声は、さっきまでよりずっと柔らかかった。
お父さんが、何も言わずに自分の卵焼きを食べている。
……ふふっ。
きっと、晴斗さんが喜んでくれて嬉しいんだね。
「お父さん」
「うん?」
「晴斗さん、嬉しそうだね」
「うん。和食が懐かしいんだと思うよ」
「そっか。じゃあ、私も今度、晴斗さんに何か作ってあげようかな」
「いいじゃない! カトレアの料理、おいしいもんね」
「ふふっ。まだ巴さんほど上手じゃないけどね」
お父さんは、何だか得意そうな顔をしている。
……あっ。
また「さすが私の娘!」って言いそう。
私は、ちょっとだけ笑った。
「何がいいかなぁ。お父さん、あとで一緒に考えてくれる?」
「もちろん!」
……よかった。
私も何かできることがあると嬉しいな。
晴斗さんは、ユリにご飯のおかわりをお願いしていた。
……うん。
ちゃんと食べられてるみたい。
さっきまであんなに緊張していたのに、おいしいご飯ってすごいね。
私も、巴さんが作ってくれるご飯が大好き。
毎日食べているけど、飽きたことなんてない。
それに、みんなと一緒に食べると、もっとおいしくなる気がする。
ご飯を食べながら、晴斗さんとお父さんが日本の食事の話をしていた。
時々、私の知らない言葉が出てくる。
でも、お父さんが楽しそうだから、それもいいかな。
あとで、教えてもらおう。
食事が終わる頃には、晴斗さんもだいぶ自然に笑えるようになっていた。
「……まさか、異世界に来て和食が食べられるなんて思ってもいませんでした」
「ふふっ。そう思って、今日は和食を用意してもらったんだ。巴さんのご飯、おいしいでしょ?」
「はい! すごくおいしかったです!」
お父さんが、嬉しそうに頷く。
……本当に、よかったね。
そのあと、晴斗さんはユリに案内されてお風呂へ向かった。
今日は疲れているだろうから、ゆっくり休んでもらうみたい。
私も、次に会ったときには学校の話をしてみようかな。
晴斗さんも、日本では学校へ通っていたらしいし。
でも、今はそっとしておく方がいいよね。
……明日以降、少しずつ仲良くなれたらいいな。
◇
食後、私はお父さんと桜花お姉ちゃんと一緒に居間へ行った。
いつもの部屋。
いつもの椅子。
窓の向こうには、もう暗くなった庭が見える。
……こういう時間、好きだなぁ。
桜花お姉ちゃんが紅茶を用意してくれて、お父さんはゆっくりカップを受け取った。
「今日は、いろいろあったなぁ……」
お父さんが、ぽつりと呟いた。
「お父さん、疲れた?」
「うん。ちょっとだけね」
……やっぱり。
朝から町へ行ったり、新しい人を連れて帰ってきたり。
お父さんも大変だったんだね。
「でも、晴斗さんが来てくれて、にぎやかになったね」
「そうだね」
お父さんが笑った。
私は、今日の晴斗さんのことを思い出す。
最初はすごく緊張していたけど、夕食のときには嬉しそうだった。
お父さんの周りにいると、初めて会った人でも少しずつ笑顔になる。
……そういうところ、すごいなって思う。
お父さんは、昨日から今日までの出来事を指折り数えていた。
昨日、王城で突然英雄として紹介されたこと。
今日、町の人たちにたくさん声をかけられたこと。
それから、神様から連絡が来て、晴斗さんを助けに行ったこと。
「……私、のんびり暮らしたいだけなんだけどなぁ」
お父さんが、ため息をついた。
私は、思わず笑ってしまった。
お父さんって、昔からこうなんだよね。
何かあると、困った顔をする。
でも、誰かが困っていると、結局助けに行くんだもの。
「大変にぎやかになって、よろしいかと思います」
桜花お姉ちゃんが、落ち着いた声で言った。
お父さんは、ますます困った顔になる。
「にぎやかすぎるよぉ……」
……ふふっ。
このやり取りも、いつもどおりだね。
桜花お姉ちゃんは、お父さんが助けた人たちが笑顔で過ごしていることを話していた。
お父さんは少し黙って、それから頷いた。
私も、その言葉には賛成だ。
だって。
お父さんが世界を守ってくれたから、こうしてみんなでご飯を食べられるんだもの。
「それに、お父さんは英雄だから!」
私は、ちょっと胸を張って言った。
「やめてよ、カトレアァ……」
お父さんは、また困った顔になる。
「ふふっ。だって、本当のことでしょ?」
「それは、そうなんだけど……」
……ああ。
やっぱり、照れてる。
昨日、あんなに大きな画面に映った人なのに。
家では、いつもと全然変わらないんだ。
私は、それが嬉しかった。
「お父さん、すごいね。世界中の人が、お父さんのことを知ってるんだよね」
「……うん。そうなっちゃったねぇ」
「私、嬉しいよ」
そう言うと、お父さんが優しく頭を撫でてくれた。
「ありがとう、カトレア」
……えへへ。
この手の温かさも、ずっと前から変わらない。
お父さんがどんなに有名になっても。
私のお父さんは、私のお父さん。
それだけは、変わらないんだと思う。
そう考えていたら、お父さんが急に「あっ」と声を上げた。
「どうしたの、お父さん?」
「……いや。ちょっと、気づいたことがあって」
……何だろう?
◇
「でもね、カトレア」
「うん?」
「お父さんが英雄っていうことは、カトレアは英雄の子供ってことになるんだよ」
「……英雄の子供?」
……あっ。
そっか!
私はお父さんの娘だから、そうなるんだね。
何だか、ちょっと嬉しい。
でも、お父さんは真面目な顔をしていた。
昨日、世界中に顔と名前が知られたから、私にまで声をかける人が増えるかもしれないんだって。
……うん。
それなら、今日も何人か声をかけてくれたけど。
「……町の人たち、前から私のこと知ってるよ?」
「うん。王都でいつも会う人たちは、そうだね」
そうだよね。
今日も、前から知っている人たちが挨拶してくれた。
でも、お父さんが心配しているのは、それだけじゃないみたい。
「もちろん、挨拶してくれるのは嬉しいことだよ。でも、知らない人までカトレアに近づいてくるかもしれないからね」
「……知らない人?」
「うん。今まで以上に、少しだけ気をつけてほしいんだ」
私は、少し考えた。
お父さんが英雄になったから、知らない人まで私のことを知るかもしれない。
……なるほど。
「……そっか。お父さんが有名になったから、私にも?」
「そういうこと」
私は、ゆっくり頷いた。
今日の町は、いつもどおり優しかった。
でも、これからもずっと同じとは限らないものね。
「だから、しばらくはあまり一人で外出しないこと。いいかな?」
「……うん」
そう答えると、お父さんは少し安心したようだった。
それから、学校やニーナの家へ行くのを禁止したいわけじゃない、と説明してくれた。
私は、ちゃんと分かってるよ。
お父さんは、私が楽しく過ごせるようにって考えてくれてるんだよね。
「学校や孤児院へ行くときは、モフ太を連れていくこと」
「モフ太?」
「うん。もともとカトレアの護衛をお願いしてあるし、何かあっても安心だからね」
……あっ。
それなら嬉しい!
「それなら大丈夫! モフ太も一緒なら楽しいし」
学校にも、モフ太と一緒に行けるんだ。
いつもの小さな姿なら、そばにいてくれても邪魔にならないし。
何より、モフ太と一緒だと楽しいもの。
「それから、町へ行くときは、先にお父さんに教えてね。セバスと一緒に行くこと」
「セバスも?」
「うん。王都の町へ行くときは、しばらくそうしてほしいんだ」
「……分かった」
……うん。
今日みたいに、セバスと一緒なら安心だものね。
お父さんはまだ少し心配そうな顔をしていた。
私は、思わず笑ってしまった。
「そんなに心配しなくても、私、気をつけるよ?」
「……いやぁ。分かってはいるんだけどねぇ」
……ふふっ。
お父さんって、本当に心配性。
でも、私はその優しさが嬉しい。
桜花お姉ちゃんも、私の安全に十分注意するって言ってくれた。
……うん。
私には、頼れる家族がいっぱいいるんだね。
お父さんの言うこともちゃんと守ろう。
でも、友達と遊んだり、お花を見たりする時間も大切にしたい。
その気持ちは、きっとお父さんにも伝わっていると思う。
◇
しばらくして、私は椅子から立ち上がった。
「じゃあ、お父さん。そろそろお風呂に入ってくるね」
「うん。ゆっくり温まっておいで」
私は桜花お姉ちゃんへ顔を向けた。
「桜花お姉ちゃん、一緒に行こう?」
「はい。喜んでご一緒いたします」
……やった!
やっぱり、一緒に入る方が楽しいな。
私はお父さんへ振り返った。
「お父さん。モフ太のことも、あとで話しておくね」
「うん。よろしくね」
「はーい!」
桜花お姉ちゃんと並んで居間を出た。
廊下を歩きながら、お姉ちゃんが私に聞いてくれた。
「カトレア様。本日は、ニーナ様と楽しくお過ごしになれましたか?」
「うん! お花をいっぱい見せてもらったよ」
「それは何よりでございます」
「学校の花壇の相談もしてきたの。次は、小さいお花と背の高いお花を並べてみようと思って」
「きっと美しい花壇になりますね」
「ふふっ。そうなるといいな」
こうしてお姉ちゃんと話していると、嬉しくなる。
私が小さい頃から、ずっと優しくしてくれるんだもの。
お父さんが忙しくていないときも、一緒にいてくれた。
私が困っていると、ちゃんと話を聞いてくれる。
だから、私も桜花お姉ちゃんみたいになれたらいいな。
……あ。
でも、剣の腕は無理かもしれない。
お姉ちゃん、すごく強いから。
それに、私はお花や料理を頑張りたいし。
……それでもいいよね。
◇
お風呂に入ると、温かいお湯が身体を包んでくれた。
「はぁ……気持ちいい」
「ふふっ。カトレア様、今日はたくさん歩かれましたからね」
「うん。学校に行って、ニーナの家に行って、お庭のお花も見たの」
「大変充実した一日でございましたね」
「うん!」
私は、お湯にゆっくり浸かった。
お姉ちゃんも隣にいる。
湯気の向こうで、銀色の髪がきらきらして見えた。
……きれいだなぁ。
私も同じようなおかっぱの髪にしているけど、お姉ちゃんの髪はいつ見てもきれい。
「カトレア様?」
「あ、ごめんね。お姉ちゃんの髪、きれいだなって思ってたの」
「ありがとうございます。カトレア様のお髪も、大変お美しゅうございますよ」
「……えへへ。ありがとう」
ちょっと照れちゃった。
私はお湯をすくって、手のひらからそっと落とした。
小さな波ができて、すぐに消える。
……そういえば。
「お姉ちゃん」
「はい」
「晴斗さん、明日から楽しく過ごせるといいね」
桜花お姉ちゃんは、優しく頷いた。
「はい。慣れないことも多いかと存じますが、わたくしたちでお支えしてまいりましょう」
「うん。私にもできることがあったら、手伝いたいな」
「カトレア様が笑顔でお話しくださるだけでも、きっと嬉しく思われますよ」
「……そうかな」
「はい」
……そっか。
だったら、明日も挨拶してみよう。
無理にいろいろ聞かないで、少しずつ。
私だって、初めてこの家へ来た頃は、分からないことがたくさんあったから。
あのとき、お父さんや桜花お姉ちゃん、巴さんたちが優しくしてくれて、すごく安心したんだ。
晴斗さんにも、そんなふうに思ってもらえたらいいな。
私は、お姉ちゃんの顔を見た。
「桜花お姉ちゃん、明日もよろしくね」
「もちろんでございます」
二人で笑い合った。
お風呂の温かさだけじゃなくて、何だか心までぽかぽかしてきた。
◇
お風呂から上がったあと、私は二階のホールへ寄った。
モフ太は、いつもの場所でのんびりしている。
「モフ太。お父さんからね、しばらく学校や孤児院へ行くときは、一緒に来てもらうようにって言われたの」
「承知いたしました。カトレアの安全は、私にお任せください」
「ありがとう。明日もよろしくね」
モフ太の頭を撫でると、嬉しそうに目を細めてくれた。
それから私は、自分の部屋へ戻った。
窓の向こうは、もうすっかり夜だ。
お庭のお花も、今は静かに眠っているみたい。
私はベッドに腰を下ろして、今日のことを思い返した。
朝、学校でニーナと遊ぶ約束をしたこと。
ニーナの家で、たくさんのお花を見たこと。
お茶を飲みながら、次に学校へ植えるお花を一緒に考えたこと。
帰り道で、町の人たちがいつもどおり挨拶してくれたこと。
家に帰ったら、日本から来た晴斗さんがいて、少し驚いたこと。
モフ太をいっぱい撫でて、一緒にお庭の花壇へお水をあげたこと。
それから、みんなと食べたおいしい夕食。
お父さんと桜花お姉ちゃんと過ごした、居間での時間。
一緒に入った、温かいお風呂。
……うん。
今日は、楽しいことがたくさんあった。
昨日、お父さんは世界中の人たちに英雄として紹介された。
それは、本当にすごいことなんだと思う。
でも、私が一番嬉しかったのは、お父さんが今日もちゃんと帰ってきてくれたことだ。
お父さんが元気でいてくれて。
桜花お姉ちゃんも、巴さんも、セバスも、楓も、ユリも、モフ太も。
みんなが、いつもどおりに過ごしていること。
それが、私にとって一番大切なんだ。
……英雄の娘。
夜の居間で、お父さんがそう言っていたっけ。
何だか、ちょっと特別な呼び方だね。
でも、明日学校へ行ったら、私はまたニーナとお花の話をすると思う。
家に帰ったら、お父さんに今日の出来事を話して。
モフ太を撫でて。
桜花お姉ちゃんと一緒に笑って。
巴さんのおいしいご飯を食べる。
きっと、そんな一日が待っている。
……ふふっ。
考えていたら、明日が楽しみになってきちゃった。
私は、ベッドに横になった。
そばには、いつもの大きな猫のぬいぐるみがある。
そっと抱き寄せると、何だか安心した。
お父さんが英雄になっても。
私にとって、この家はずっと大切な場所だ。
今日もみんなと笑って過ごせてよかった。
それじゃあ、おやすみなさい。
明日も楽しい一日になりますように




