↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
140/168

第7話:ようこそ、我が家へ

 桜花と一緒に階段を下りた私は、そのまま厨房へ向かった。


 ……さて。


 晴斗君に用意してあげたいものは、もう決まっている。


 日本のご飯だ。


 いや、もちろんこの世界の料理だっておいしいよ?


 巴さんの作る料理なんて、何を食べてもおいしいし。


 でも、晴斗君は今日まで日本で暮らしていたんだからね。


 突然知らない世界に放り出されて、知らない言葉を聞いて、知らない景色ばかり見て。


 ……せめて、ご飯くらいは慣れたものを食べてもらいたい。


 厨房からは、包丁の音が聞こえていた。


「巴さーん!」


「あら、リアリスちゃん。どうしたの?」


 巴さんが振り向いた。


 いつもどおりの、優しい笑顔だ。


「今日の夕食なんですけど、和食にしてもらえますか?」


「あらあら、もちろんいいわよ。何か食べたいものでもあるの?」


「実は、さっき連れてきた晴斗君、日本から来た子なんです」


「まあ!」


 巴さんが目を丸くした。


 ……うん。


 そうなるよね。


 私が転生者だって知っている家族からしても、別の日本人が来るなんて珍しい話だ。


「まだ十七歳で、突然この世界に来ちゃったらしくて。日本には帰れないし、慣れないことばかりだから……今夜は、ほっとできるものを食べてもらいたいんです」


 巴さんは、私の話を最後まで聞いてくれた。


 それから、にっこりと頷く。


「そういうことなら、任せてちょうだい。温かいご飯とお味噌汁、それからお魚でも焼こうかしら」


「おお! いいですね!」


「卵焼きも作りましょうね。お野菜も忘れずに」


 ……ああ。


 最高じゃないですか。


 焼き魚に卵焼き、お味噌汁。


 日本にいた頃なら、ごく普通の夕食だ。


 でも今、晴斗君にとっては、その普通が何より大切なんじゃないかな。


「ありがとうございます、巴さん!」


「ふふっ。お礼なんていいのよ。リアリスちゃんも、今日は大変だったでしょう?」


「……まあ、いろいろありましたね」


「あらあら。お腹がすけば元気も出るわ。みんなでおいしく食べましょうね」


 ……うん。


 巴さんに言われると、不思議と安心するんだよねぇ。


 私はもう一度お礼を言って、厨房をあとにした。


     ◇


 しばらくして、屋敷に夕食の時間がやってきた。


「みんなー、ご飯よー!」


 食堂の方から、巴さんの明るい声が響く。


 ……ああ。


 いつもの時間だね。


 この声を聞くと、何となくお腹がすいてくる。


 ……いや。


 さっきから、いい匂いがしてたからね。


 お腹がすくのは当然か。


 私は桜花と一緒に食堂へ向かった。


 廊下では、仕事を終えた家族たちとすれ違う。


「リアリス様、お疲れさまでございます」


「お疲れさま! 今日もありがとうね」


 挨拶を交わしながら食堂へ入ると、もう何人かが席についていた。


 カトレアは、いつもの場所で楽しそうに桜花を待っている。


 楓も、静かに椅子へ座っていた。


 ……うん。


 いつもの我が家だ。


 別の国で働いている家族まで全員そろっているわけじゃない。


 それでも、ここで暮らしている家族が食卓を囲むだけで、十分にぎやかなんだよね。


「お父さん、こっち!」


「はいはい。今行くよー」


 私はカトレアに手を振ってから、自分の席へ向かった。


 ……さて。


 今日の夕食は、一人だけ新しい顔が加わる。


 大丈夫かな、晴斗君。


 部屋で休んで、少しは落ち着けたかな。


 そんなことを考えていると、食堂の扉が開いた。


「失礼いたします」


 ユリだ。


 その隣には、制服姿の晴斗君が立っていた。


 ……うん。


 ちゃんと来てくれたね。


 ただ。


「……えっ」


 晴斗君が、食堂の中を見渡して固まった。


 ……ああ。


 また驚いてる。


「リアリスさん……」


「うん?」


「……人、多くないですか?」


 ……ふふっ。


 そう来たか。


「そうかな? うちでは普通だよ」


「……これで普通……」


 晴斗君が、ユリの方を見る。


 ユリは、いつもの落ち着いた笑顔で頷いた。


「こちらへどうぞ、晴斗様。お席をご用意しております」


「あっ、はい!」


 ……おお。


 ちゃんと返事できてる。


 《言語理解》のおかげで、会話に困ることはないみたいだね。


 よかった、よかった。


 ユリに案内され、晴斗君は来客用の席へ向かった。


 私から見て、ちょうど正面だ。


 ……うん。


 これなら、顔を見ながら話せるね。


 晴斗君は椅子に座ったものの、落ち着かない様子で周囲を見回していた。


 知らない人ばかりだもんねぇ。


 ……さて。


 最初に紹介しておかないと。


「えーっと、ご飯の前に一ついいかな」


 私が声をかけると、みんながこちらを向いた。


 ……おお。


 こういうとき、ちゃんと話を聞いてくれるんだよね。


 私は、晴斗君へ手を向けた。


「こちらは春原晴斗君です。今日、日本からこの世界へ来てしまった子で、しばらくうちに滞在することになりました」


 食堂に、少しだけ驚いた空気が流れた。


 ……そりゃそうか。


 私以外の日本人が増えるなんて、みんなも思ってなかっただろうし。


「まだ分からないことがたくさんあると思うけど、みんないつもどおり、よくしてあげてね」


「はい、リアリス様」


 あちこちから返事が聞こえた。


 ……うん。


 こういうときの団結力は、すごいよね。


「晴斗君も、みんなに一言お願いできる?」


「……は、はい!」


 晴斗君が、勢いよく立ち上がった。


 背筋が、さっきよりさらに伸びている。


 ……おお。


 緊張してるねぇ。


「は、初めまして! 春原晴斗です! しばらくお世話になります! よろしくお願いします!」


 深々と頭を下げる。


 すると。


「よろしくお願いします!」


「どうぞよろしくお願いいたします、晴斗様」


「ゆっくりしていってくださいね」


 家族たちから、温かい声が返ってきた。


 ……ああ。


 いいねぇ。


 晴斗君が、驚いたように顔を上げた。


 そのまま、もう一度頭を下げる。


「……ありがとうございます!」


 ……うん。


 大丈夫そうだ。


 少なくとも、ここでは誰も晴斗君を困らせたりしない。


 ……あれ?


 楓も、ちゃんと晴斗君を見てる。


「……よろしく」


 ……おお。


 楓が挨拶した!


 いや、普通に挨拶はするんだけどね?


 口数が少ないから、こういう一言が妙に嬉しいんだよねぇ。


 晴斗君は、楓を見て少し目を丸くした。


「あっ……さっきの……」


 ……うん。


 玄関で会ったもんね。


 晴斗君が軽く頭を下げると、楓もこくりと頷いた。


 ……ふふっ。


 なかなかいいじゃない。


「それじゃ、ご飯を食べようか!」


 晴斗君が席に戻る。


 そこへ、巴さんとメイドたちが料理を運んできた。


 ……おっ。


 来た来た!


     ◇


 最初に見えたのは、湯気の立つお椀だった。


 その隣に、白いご飯。


 焼き色のついた魚に、ふっくらとした卵焼き。


 小鉢には野菜のおひたしと漬物まである。


 ……おお。


 完璧!


 食堂に広がるのは、お味噌汁の香りだ。


 ああ……。


 これこれ。


 こういうご飯が、たまらないんだよねぇ。


 晴斗君も、配膳される料理をじっと見つめていた。


 ……ん?


 どうしたのかな。


「……えっ」


 晴斗君が、小さく声を漏らした。


「……これ……」


 目の前のご飯と味噌汁を見て、何度も瞬きをしている。


「……和食?」


「うん!」


 私は、思わず笑顔になった。


「今日は巴さんにお願いして、和食にしてもらったんだ」


「……えっ!? 和食、あるんですか!?」


 ……ふふっ。


 予想どおりの反応だね。


 いや、想像していたよりも驚いてるかもしれない。


「うん。うちでは、よく食べるよ」


「……すごい……」


 晴斗君が、卵焼きの方へ顔を近づける。


 それから、焼き魚。


 味噌汁。


 ご飯。


 ……ああ。


 分かるよ。


 見慣れた料理ばかりなのに、信じられないって顔だね。


 巴さんが、そんな晴斗君の前へ来た。


「今日はリアリスちゃんに言われて和食を用意したわ。晴斗ちゃんもいっぱい食べてね!」


 ……うん。


 巴さんは、初対面でももう晴斗ちゃん呼びだ。


 さすが我が家のお母さん。


「……あっ、ありがとうございます!」


 晴斗君が、また慌てて頭を下げた。


「こんなの、食べられると思ってなかったので……」


「あらあら。それならよかったわ。温かいうちに食べてね」


「はい!」


 ……ふふっ。


 今までで一番元気な返事だったかもしれない。


 やっぱり、和食にして正解だったね。


 私は、箸を手に取った。


「それじゃあ、いただきます!」


「いただきます!」


 みんなの声が重なる。


 ……うん。


 いつもの夕食が始まった。


 晴斗君は、箸を手にしたところで、また動きを止めた。


 ……ん?


「どうしたの?」


「……あの、みんな……『いただきます』って言うんですね」


「ああ、うん。私が日本にいた頃の習慣だからね。うちでは、みんなで言ってるんだ」


「……そうなんですね」


 晴斗君が、少し笑った。


「なんか……学校の給食みたいです」


 ……おお。


 懐かしい例えが出た。


「分かる! みんなで言うと、ちょっとそんな感じがするよね」


 ……いや。


 私は給食を食べていたのなんて、ずいぶん昔だけど。


 まさか異世界で高校生と給食の話をするとはねぇ。


 晴斗君が、箸でご飯をひと口運んだ。


 もぐもぐ。


 ……。


 …………。


 ……あれ?


 動かなくなっちゃった。


「……晴斗君?」


「……ご飯だ」


「うん。ご飯だよ?」


「……白い、ご飯……」


 ……ああ。


 そういうことか。


 晴斗君が、そっともうひと口食べる。


 それから、お味噌汁を飲んだ。


「……おいしい……」


 小さな声が聞こえた。


 晴斗君は、しばらくお椀を見つめていた。


 ……。


 …………。


 その表情を見ていると、何となく分かる気がした。


 安心したんだね。


 ほんの少し前まで、何もかも知らないものだらけだった。


 なのに今、目の前にあるのは、いつものご飯。


 ……うん。


 お腹がすいていたことも、ようやく思い出せたのかもしれない。


 私は、何も言わずに自分の卵焼きを食べた。


 ……おお。


 今日もおいしい!


 ちょうどいい甘さ。


 ふんわりしていて、噛むと出汁の味が広がる。


 ……いやぁ。


 巴さん、さすがです。


「お父さん」


 隣から、カトレアが声をかけてきた。


「うん?」


「晴斗さん、嬉しそうだね」


「うん。和食が懐かしいんだと思うよ」


「そっか。じゃあ、私も今度、晴斗さんに何か作ってあげようかな」


 ……おっ。


 それはいいね!


「いいじゃない! カトレアの料理、おいしいもんね」


「ふふっ。まだ巴さんほど上手じゃないけどね」


 ……いやいや。


 十四歳であれだけ料理ができるんだから、十分すごいよ?


 さすが私の娘。


 ……あっ。


 また口に出しそうになった。


 さっき晴斗君に、親バカだって言われたばかりだし。


 ……いや。


 実際、親バカなんだけどね。


「何がいいかなぁ。お父さん、あとで一緒に考えてくれる?」


「もちろん!」


 カトレアが嬉しそうに笑った。


 ……ああ。


 いいねぇ。


 こうして、普通の夕食を食べながら、次に作る料理の話をする。


 平和だなぁ。


 私は、焼き魚をひと口食べた。


 ……うん。


 やっぱり、平和が一番だね。


     ◇


 食事が進むにつれ、晴斗君も少しずつ口数が増えていった。


「……リアリスさん」


「うん?」


「このお魚、すごくおいしいです」


「でしょう? 巴さんの料理は、何でもおいしいんだよ」


「はい! 卵焼きもお味噌汁も……全部おいしいです!」


 ……おお。


 だいぶ元気が出てきたね。


 巴さんも、その言葉を聞いて嬉しそうだ。


「あらあら。そんなに喜んでくれるなんて、作りがいがあるわねぇ」


「本当にありがとうございます!」


「ふふっ。おかわりもあるから、遠慮しないでね」


 ……ああ。


 またお母さんモード全開だ。


 でも。


 晴斗君にとっては、こういう優しさも嬉しいんじゃないかな。


 知らない世界に来たばかりで、まだ誰を信じたらいいかも分からない。


 そんな中で、温かいご飯を作ってくれる人がいる。


 ……うん。


 それだけでも、少しは安心できると思う。


 晴斗君は、ご飯のおかわりをお願いした。


 ……おお。


 ちゃんと食欲もあるんだ。


 よかった、よかった。


 ユリが、すぐにお茶碗を受け取ってくれる。


「晴斗様、少々お待ちくださいませ」


「ありがとうございます、ユリさん」


 ……うん。


 すっかり仲良くなってるね。


 いや、ユリがいろいろ気遣ってくれてるんだろうけど。


 ありがたいなぁ。


 私は、自分のお味噌汁を飲んだ。


 ……ああ。


 いいねぇ。


 それにしても。


 晴斗君を見ていると、昔の日本のことを思い出すね。


 白いご飯。


 味噌汁。


 焼き魚。


 どれも、特別なごちそうじゃない。


 でも、その普通が続くことって、本当はすごくありがたいんだ。


 ……うん。


 私も、何度も思い知らされたし。


「リアリスさん」


「うん?」


 晴斗君が、少しだけ迷ったような顔をしていた。


「……こういうご飯、これからも食べられるんですか?」


「もちろん。毎日和食ってわけじゃないけど、うちはいろんな料理を作るからね。食べたいものがあったら巴さんに相談してみるといいよ」


「……そうなんですね」


「何か苦手なものはある?」


「いえ、特には……」


「そっか。じゃあ、いろいろ食べてもらおうかな。この世界にもおいしいもの、たくさんあるんだよ」


「……はい!」


 ……うん。


 いい返事だ。


 急にいろいろ覚える必要なんてない。


 まずは、毎日ご飯を食べて、ちゃんと眠って。


 そのうち、気になるものが出てきたら少しずつ知っていけばいい。


 ……。


 …………。


 ふと、晴斗君が持っている箸を見た。


 日本にいた頃は、私もこんなふうに誰かとご飯を食べていたんだよね。


 今では、家族がこんなに増えた。


 ……ああ。


 自分でも驚くくらいだなぁ。


「リアリス様」


 桜花が、隣から声をかけてきた。


「ん?」


「大変楽しそうでございますね」


「うん。みんなでご飯を食べるのは楽しいからね」


「はい。わたくしも、そう思います」


 桜花が微笑んだ。


 ……うん。


 この時間を守れて、本当によかった。


     ◇


 夕食を食べ終える頃には、晴斗君の顔から、最初の緊張が少し薄れていた。


「……ごちそうさまでした!」


「ごちそうさまでした!」


 みんなで食事を終える。


 晴斗君は、自分の食器を見つめてから、ぽつりと言った。


「……まさか、異世界に来て和食が食べられるなんて思ってもいませんでした」


「ふふっ。そう思って、今日は和食を用意してもらったんだ。巴さんのご飯、おいしいでしょ?」


「はい! すごくおいしかったです!」


 ……うんうん。


 やっぱり、そう言ってもらえると嬉しいね。


 作ってくれたのは巴さんなんだけど。


 私は、ちょっとだけ得意になってしまった。


 ……いや。


 何で私が得意になってるんだろう。


「巴さん、ありがとうございました!」


「あらあら。どういたしまして。また食べにいらっしゃいね……って、これからは毎日一緒だったわね」


 巴さんが、楽しそうに笑う。


 晴斗君も、つられて笑った。


 ……ああ。


 今日一日で、こんなふうに笑えるようになったんだね。


 よかった。


 ……でも。


 だからといって、日本に帰れない寂しさが消えたわけじゃない。


 そこは、忘れないようにしないと。


 私は、晴斗君へ声をかけた。


「今日は疲れたでしょう? 無理せず、もう休んでいいからね」


「……はい。ありがとうございます」


 ユリが、晴斗君のそばへ来る。


「晴斗様。よろしければ、これから浴場へご案内いたします。そのあと、お部屋でお休みくださいませ」


「……あっ、お風呂もあるんでしたね」


「うん。大浴場があるよ」


「……大浴場!?」


 ……ああ。


 また驚いてる。


 でも。


 お風呂があるって分かって、ちょっと嬉しそうだね。


「ここ、お風呂まで日本みたいなんですね……」


「そうだね。そこは私の趣味も入ってるかな」


 ……うん。


 異世界に来たからって、お風呂を諦めるつもりなんてなかったからね!


 日本人には大事なんだよ。


 ……いや。


 この世界の人にも、今ではすっかり好評だけど。


「ユリ、晴斗君のことお願いね。入浴が終わったら、今日はゆっくり休ませてあげて」


「かしこまりました」


「……リアリスさん」


「うん?」


「今日は、本当にありがとうございました」


 晴斗君が、立ち上がって頭を下げる。


 ……ああ。


 またお礼だ。


 何度でも言いたくなる気持ちは、分かるけどね。


「どういたしまして。おやすみ、晴斗君」


「……はい。おやすみなさい」


 晴斗君は、ユリに案内されて食堂を出ていった。


 ……うん。


 これで、ひとまず初日は終わりかな。


 今夜は、ぐっすり眠れるといいね。


     ◇


 夕食のあと。


 私は、桜花とカトレアを連れて居間へ戻った。


 ……ああ。


 落ち着くなぁ。


 今日、この部屋に来るのは何度目だろう。


 昼食後にお茶を飲んで。


 神様から連絡が来て。


 晴斗君を連れて帰って、いろいろ話をして。


 ……うん。


 かなり濃い一日だったね。


「リアリス様、紅茶をお持ちいたしました」


「ありがとう、桜花」


 私は、差し出されたカップを受け取った。


 カトレアは、私の隣へ座っている。


 ……ああ。


 やっぱり、いつもの場所が一番だ。


「今日は、いろいろあったなぁ……」


 私は、思わず呟いた。


 カトレアが、こちらを見る。


「お父さん、疲れた?」


「うん。ちょっとだけね」


「でも、晴斗さんが来てくれて、にぎやかになったね」


「そうだね」


 ……ふふっ。


 カトレアは、新しい人が増えたことを素直に喜んでるみたいだ。


 いいことだねぇ。


「それにしてもさ……」


 私は、紅茶をひと口飲んだ。


「昨日、王様に呼ばれて王城へ行ったら、突然世界中に英雄だって紹介されて……」


「うん」


「今日は朝から町で英雄様って呼ばれて、帰る頃にはぐったりして……」


「ふふっ」


「それで、やっと家でのんびりできると思ったら、神様から連絡が来て、日本から来た子を探しに行くことになって……」


 ……。


 …………。


 改めて言葉にすると、すごいね。


 昨日と今日だけで、どれだけいろんなことがあったんだろう。


「……私、のんびり暮らしたいだけなんだけどなぁ」


 思わずため息が出た。


 すると。


「大変にぎやかになって、よろしいかと思います」


 桜花が、涼しい顔で言った。


 ……いや。


 桜花?


 そういう問題ですか?


「にぎやかすぎるよぉ……」


「ですが、リアリス様がお救いになった皆様が、笑顔でお過ごしになっております」


 ……。


 …………。


 ああ。


 そう言われると、何も言えないね。


 町で声をかけてくれた人たちも、みんな嬉しそうだったし。


 晴斗君だって、最後には少し笑ってくれた。


 ……うん。


 悪いことばかりじゃない。


「それに、お父さんは英雄だから!」


 カトレアが、得意そうに言った。


 ……おお。


 出た。


 その言葉。


「やめてよ、カトレアァ……」


「ふふっ。だって、本当のことでしょ?」


「それは、そうなんだけど……」


 ……ああ。


 自分でも、もう認めるしかないって分かってるんだよ。


 ギルドのみんなにも、笑われちゃったし。


 町で声をかけてくれる人たちを、嫌だと思ってるわけでもない。


 でも。


 家に帰ってまで英雄って呼ばれると、さすがに照れるじゃない。


「お父さん、すごいね。世界中の人が、お父さんのことを知ってるんだよね」


「……うん。そうなっちゃったねぇ」


「私、嬉しいよ」


 ……ああ。


 そんなこと言われたら。


 お父さん、ますます照れちゃうじゃない。


 私は、カトレアの頭を軽く撫でた。


「ありがとう、カトレア」


「ふふっ」


 カトレアが、嬉しそうに笑う。


 ……うん。


 やっぱり、うちの娘は可愛いなぁ。


 ……。


 …………。


 ……ん?


 ちょっと待って。


 世界中の人が、私のことを知ってる。


 それって……。


「あっ」


 思わず声が出た。


 カトレアが、首を傾げる。


「どうしたの、お父さん?」


「……いや。ちょっと、気づいたことがあって」


 ……うん。


 これ、考えておいた方がいいかもしれない。


     ◇


「でもね、カトレア」


「うん?」


「お父さんが英雄っていうことは、カトレアは英雄の子供ってことになるんだよ」


 カトレアが、ぱちぱちと瞬きをした。


「……英雄の子供?」


「そう」


「……あっ。そっか!」


 カトレアが、何だか嬉しそうに笑った。


 ……いや。


 そんなに喜ぶところじゃないかもしれないよ?


 私は、少しだけ真面目な顔をした。


「カトレア。昨日、王様たちが世界中に私の顔を見せたでしょう?」


「うん。大きな画面で映してたよね」


「そう。だから、今まで私のことを知らなかった人も、名前と顔を知ってるんだ」


「……うん」


「それでね。カトレアがお父さんの娘だって分かったら、カトレアにも声をかける人が増えるかもしれないんだよ」


 カトレアは、しばらく考え込んだ。


「……町の人たち、前から私のこと知ってるよ?」


「うん。王都でいつも会う人たちは、そうだね」


 ……そう。


 カトレアが私の娘だってことは、以前から近所では知られている。


 今日だって、ニーナちゃんの家へ遊びに行く途中、何人かと挨拶したはずだ。


 でも。


 今までと違うのは、私が世界中に英雄として紹介されたことだ。


 善意で声をかけてくれる人もいるだろう。


 ただ、有名になったからといって、全員が知り合いになるわけじゃない。


 ……うん。


 そこは、ちゃんと気をつけてほしい。


「もちろん、挨拶してくれるのは嬉しいことだよ。でも、知らない人までカトレアに近づいてくるかもしれないからね」


「……知らない人?」


「うん。今まで以上に、少しだけ気をつけてほしいんだ」


 カトレアの表情が、真剣になった。


「……そっか。お父さんが有名になったから、私にも?」


「そういうこと」


「……なるほど」


 ……おっ。


 ちゃんと考えてくれてるね。


 十四歳になってから、こういう話も落ち着いて聞いてくれるようになった。


 ……ああ。


 成長したなぁ。


 ……いや。


 今は娘の成長に感動してる場合じゃなかった。


「だから、しばらくはあまり一人で外出しないこと。いいかな?」


「……うん」


 カトレアは、素直に頷いた。


 ……よかった。


 でも、これだけだと、外出しちゃいけないみたいに聞こえるよね。


 そこは、きちんと伝えておこう。


「もちろん、学校に行ったり、ニーナちゃんと遊んだりするのを禁止したいわけじゃないからね」


「うん。分かってるよ」


「ただ、安全のためにちょっとお願いがあるんだ」


 私は、指を一本立てた。


「学校や孤児院へ行くときは、モフ太を連れていくこと」


「モフ太?」


「うん。もともとカトレアの護衛をお願いしてあるし、何かあっても安心だからね」


 カトレアが、ぱっと顔を明るくした。


「それなら大丈夫! モフ太も一緒なら楽しいし」


 ……ああ。


 嬉しそうだねぇ。


 普通の子なら、熊と一緒に学校へ行くなんて驚くところだけど。


 我が家では、もう日常なんだよね。


 ……いや。


 冷静に考えると、だいぶおかしいけど。


 でも、モフ太は頼りになるからね!


「それから、町へ行くときは、先にお父さんに教えてね。セバスと一緒に行くこと」


「セバスも?」


「うん。王都の町へ行くときは、しばらくそうしてほしいんだ」


「……分かった」


 ……うん。


 これなら、ひとまず安心かな。


 セバスなら、変な人が近づいてきても上手に対応してくれるだろう。


 それに、本人だって強いしね。


 ……あれ。


 そう考えると、ちょっと心強すぎるかもしれない。


「……お父さん?」


「うん?」


 カトレアが、私を見て小さく笑っていた。


「そんなに心配しなくても、私、気をつけるよ?」


 ……おお。


 ばれてる。


 親バカの心配性だって、完全にばれてる。


「……いやぁ。分かってはいるんだけどねぇ」


「ふふっ」


 ……ああ。


 娘に笑われちゃった。


 桜花も、何だか楽しそうにしている。


「リアリス様。カトレア様のご安全につきましては、わたくしたちも十分に注意いたします」


「うん。ありがとう、桜花」


「ご安心くださいませ」


 ……ああ。


 桜花がそう言ってくれると、本当に安心するなぁ。


 私には、頼れる家族がたくさんいる。


 それでも、娘のこととなると心配が尽きない。


 ……まったく。


 英雄になったところで、父親の心配性は治らないらしい。


     ◇


 少しして、カトレアが立ち上がった。


「じゃあ、お父さん。そろそろお風呂に入ってくるね」


「うん。ゆっくり温まっておいで」


「桜花お姉ちゃん、一緒に行こう?」


「はい。喜んでご一緒いたします」


 ……うん。


 いつもの二人だね。


 カトレアが、私へ振り返った。


「お父さん。モフ太のことも、あとで話しておくね」


「うん。よろしくね」


「はーい!」


 カトレアと桜花が、並んで居間を出ていった。


 ……ああ。


 仲がいいなぁ。


 こうして、娘と桜花が楽しそうにしているのを見るのが好きなんだよね。


 私は、残っていた紅茶を飲んだ。


 ……ふぅ。


 今日は、本当にいろんなことがあった。


 世界中に英雄として紹介された翌日。


 まだその騒ぎも落ち着いていないのに、今度は日本から来た高校生を保護した。


 ……うん。


 のんびりしたいって言ってるのに、全然のんびりできてないね。


 ……まあ。


 晴斗君を見つけられたのは、よかった。


 日本へ帰れないのは残念だけど、ここでの生活が少しでも楽しいものになってくれたらいいな。


 それに。


 カトレアのことも、ちゃんと考えておかなきゃいけない。


 ……うん。


 モフ太がいれば、学校と孤児院はかなり安心だ。


 ただ、王都の町を歩くとなると話は別なんだよね。


 あの子、普段は小さくしてるけど、元は大きな魔獣だから。


 話もできるし、性格だって穏やかなんだけど。


 ……知らない人からしたら、びっくりするだろうなぁ。


 私なら平気だけど、王都の人たちはそうもいかない。


 勝手に連れて歩いて、大騒ぎになったら困るし。


 ……いや。


 今の私が王都へ行くだけでも騒ぎになるんだった。


 ……ああ。


 考えたら、ちょっと疲れてきた。


 でも。


 できれば、カトレアが町へ行くときも、モフ太に一緒にいてもらいたいんだよね。


 あの子なら、危ないことがあってもすぐ守ってくれる。


 ……となると。


 やっぱり、王様に相談した方がいいかな。


 勝手に連れて歩くんじゃなくて、ちゃんと許可をもらっておけば、みんなも安心するだろうし。


 ……うん。


 明日、王都に行って、カバディ王に相談してみようかな。


 王様なら、話を聞いてくれるだろうし。


 ……あっ。


 ただでさえ英雄だって騒がれてるのに、今度は熊を連れて歩きたいってお願いするのか。


 ……。


 …………。


 ……私、また変なことを言ってると思われない?


 いや。


 カトレアの安全には代えられないからね。


 そこは、頑張って相談しよう。


 私は、窓の外へ目を向けた。


 庭には、夜の静けさが広がっている。


 この屋敷では、今日も家族が安心して眠れる。


 晴斗君にも、今夜くらいは何も心配せず休んでもらいたい。


 そして、カトレアには、これからも好きな花を見つけて笑っていてほしい。


 ……うん。


 私が英雄になったからって、守りたいものが変わるわけじゃない。


 大事なのは、いつもの暮らしだ。


 ……さて。


 明日は、もう少しのんびりできるといいなぁ。


 ……あれ?


 明日も王様に会うつもりなんだった。


 ……うん。


 のんびり生活って、案外難しいね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。