第7話:ようこそ、我が家へ
桜花と一緒に階段を下りた私は、そのまま厨房へ向かった。
……さて。
晴斗君に用意してあげたいものは、もう決まっている。
日本のご飯だ。
いや、もちろんこの世界の料理だっておいしいよ?
巴さんの作る料理なんて、何を食べてもおいしいし。
でも、晴斗君は今日まで日本で暮らしていたんだからね。
突然知らない世界に放り出されて、知らない言葉を聞いて、知らない景色ばかり見て。
……せめて、ご飯くらいは慣れたものを食べてもらいたい。
厨房からは、包丁の音が聞こえていた。
「巴さーん!」
「あら、リアリスちゃん。どうしたの?」
巴さんが振り向いた。
いつもどおりの、優しい笑顔だ。
「今日の夕食なんですけど、和食にしてもらえますか?」
「あらあら、もちろんいいわよ。何か食べたいものでもあるの?」
「実は、さっき連れてきた晴斗君、日本から来た子なんです」
「まあ!」
巴さんが目を丸くした。
……うん。
そうなるよね。
私が転生者だって知っている家族からしても、別の日本人が来るなんて珍しい話だ。
「まだ十七歳で、突然この世界に来ちゃったらしくて。日本には帰れないし、慣れないことばかりだから……今夜は、ほっとできるものを食べてもらいたいんです」
巴さんは、私の話を最後まで聞いてくれた。
それから、にっこりと頷く。
「そういうことなら、任せてちょうだい。温かいご飯とお味噌汁、それからお魚でも焼こうかしら」
「おお! いいですね!」
「卵焼きも作りましょうね。お野菜も忘れずに」
……ああ。
最高じゃないですか。
焼き魚に卵焼き、お味噌汁。
日本にいた頃なら、ごく普通の夕食だ。
でも今、晴斗君にとっては、その普通が何より大切なんじゃないかな。
「ありがとうございます、巴さん!」
「ふふっ。お礼なんていいのよ。リアリスちゃんも、今日は大変だったでしょう?」
「……まあ、いろいろありましたね」
「あらあら。お腹がすけば元気も出るわ。みんなでおいしく食べましょうね」
……うん。
巴さんに言われると、不思議と安心するんだよねぇ。
私はもう一度お礼を言って、厨房をあとにした。
◇
しばらくして、屋敷に夕食の時間がやってきた。
「みんなー、ご飯よー!」
食堂の方から、巴さんの明るい声が響く。
……ああ。
いつもの時間だね。
この声を聞くと、何となくお腹がすいてくる。
……いや。
さっきから、いい匂いがしてたからね。
お腹がすくのは当然か。
私は桜花と一緒に食堂へ向かった。
廊下では、仕事を終えた家族たちとすれ違う。
「リアリス様、お疲れさまでございます」
「お疲れさま! 今日もありがとうね」
挨拶を交わしながら食堂へ入ると、もう何人かが席についていた。
カトレアは、いつもの場所で楽しそうに桜花を待っている。
楓も、静かに椅子へ座っていた。
……うん。
いつもの我が家だ。
別の国で働いている家族まで全員そろっているわけじゃない。
それでも、ここで暮らしている家族が食卓を囲むだけで、十分にぎやかなんだよね。
「お父さん、こっち!」
「はいはい。今行くよー」
私はカトレアに手を振ってから、自分の席へ向かった。
……さて。
今日の夕食は、一人だけ新しい顔が加わる。
大丈夫かな、晴斗君。
部屋で休んで、少しは落ち着けたかな。
そんなことを考えていると、食堂の扉が開いた。
「失礼いたします」
ユリだ。
その隣には、制服姿の晴斗君が立っていた。
……うん。
ちゃんと来てくれたね。
ただ。
「……えっ」
晴斗君が、食堂の中を見渡して固まった。
……ああ。
また驚いてる。
「リアリスさん……」
「うん?」
「……人、多くないですか?」
……ふふっ。
そう来たか。
「そうかな? うちでは普通だよ」
「……これで普通……」
晴斗君が、ユリの方を見る。
ユリは、いつもの落ち着いた笑顔で頷いた。
「こちらへどうぞ、晴斗様。お席をご用意しております」
「あっ、はい!」
……おお。
ちゃんと返事できてる。
《言語理解》のおかげで、会話に困ることはないみたいだね。
よかった、よかった。
ユリに案内され、晴斗君は来客用の席へ向かった。
私から見て、ちょうど正面だ。
……うん。
これなら、顔を見ながら話せるね。
晴斗君は椅子に座ったものの、落ち着かない様子で周囲を見回していた。
知らない人ばかりだもんねぇ。
……さて。
最初に紹介しておかないと。
「えーっと、ご飯の前に一ついいかな」
私が声をかけると、みんながこちらを向いた。
……おお。
こういうとき、ちゃんと話を聞いてくれるんだよね。
私は、晴斗君へ手を向けた。
「こちらは春原晴斗君です。今日、日本からこの世界へ来てしまった子で、しばらくうちに滞在することになりました」
食堂に、少しだけ驚いた空気が流れた。
……そりゃそうか。
私以外の日本人が増えるなんて、みんなも思ってなかっただろうし。
「まだ分からないことがたくさんあると思うけど、みんないつもどおり、よくしてあげてね」
「はい、リアリス様」
あちこちから返事が聞こえた。
……うん。
こういうときの団結力は、すごいよね。
「晴斗君も、みんなに一言お願いできる?」
「……は、はい!」
晴斗君が、勢いよく立ち上がった。
背筋が、さっきよりさらに伸びている。
……おお。
緊張してるねぇ。
「は、初めまして! 春原晴斗です! しばらくお世話になります! よろしくお願いします!」
深々と頭を下げる。
すると。
「よろしくお願いします!」
「どうぞよろしくお願いいたします、晴斗様」
「ゆっくりしていってくださいね」
家族たちから、温かい声が返ってきた。
……ああ。
いいねぇ。
晴斗君が、驚いたように顔を上げた。
そのまま、もう一度頭を下げる。
「……ありがとうございます!」
……うん。
大丈夫そうだ。
少なくとも、ここでは誰も晴斗君を困らせたりしない。
……あれ?
楓も、ちゃんと晴斗君を見てる。
「……よろしく」
……おお。
楓が挨拶した!
いや、普通に挨拶はするんだけどね?
口数が少ないから、こういう一言が妙に嬉しいんだよねぇ。
晴斗君は、楓を見て少し目を丸くした。
「あっ……さっきの……」
……うん。
玄関で会ったもんね。
晴斗君が軽く頭を下げると、楓もこくりと頷いた。
……ふふっ。
なかなかいいじゃない。
「それじゃ、ご飯を食べようか!」
晴斗君が席に戻る。
そこへ、巴さんとメイドたちが料理を運んできた。
……おっ。
来た来た!
◇
最初に見えたのは、湯気の立つお椀だった。
その隣に、白いご飯。
焼き色のついた魚に、ふっくらとした卵焼き。
小鉢には野菜のおひたしと漬物まである。
……おお。
完璧!
食堂に広がるのは、お味噌汁の香りだ。
ああ……。
これこれ。
こういうご飯が、たまらないんだよねぇ。
晴斗君も、配膳される料理をじっと見つめていた。
……ん?
どうしたのかな。
「……えっ」
晴斗君が、小さく声を漏らした。
「……これ……」
目の前のご飯と味噌汁を見て、何度も瞬きをしている。
「……和食?」
「うん!」
私は、思わず笑顔になった。
「今日は巴さんにお願いして、和食にしてもらったんだ」
「……えっ!? 和食、あるんですか!?」
……ふふっ。
予想どおりの反応だね。
いや、想像していたよりも驚いてるかもしれない。
「うん。うちでは、よく食べるよ」
「……すごい……」
晴斗君が、卵焼きの方へ顔を近づける。
それから、焼き魚。
味噌汁。
ご飯。
……ああ。
分かるよ。
見慣れた料理ばかりなのに、信じられないって顔だね。
巴さんが、そんな晴斗君の前へ来た。
「今日はリアリスちゃんに言われて和食を用意したわ。晴斗ちゃんもいっぱい食べてね!」
……うん。
巴さんは、初対面でももう晴斗ちゃん呼びだ。
さすが我が家のお母さん。
「……あっ、ありがとうございます!」
晴斗君が、また慌てて頭を下げた。
「こんなの、食べられると思ってなかったので……」
「あらあら。それならよかったわ。温かいうちに食べてね」
「はい!」
……ふふっ。
今までで一番元気な返事だったかもしれない。
やっぱり、和食にして正解だったね。
私は、箸を手に取った。
「それじゃあ、いただきます!」
「いただきます!」
みんなの声が重なる。
……うん。
いつもの夕食が始まった。
晴斗君は、箸を手にしたところで、また動きを止めた。
……ん?
「どうしたの?」
「……あの、みんな……『いただきます』って言うんですね」
「ああ、うん。私が日本にいた頃の習慣だからね。うちでは、みんなで言ってるんだ」
「……そうなんですね」
晴斗君が、少し笑った。
「なんか……学校の給食みたいです」
……おお。
懐かしい例えが出た。
「分かる! みんなで言うと、ちょっとそんな感じがするよね」
……いや。
私は給食を食べていたのなんて、ずいぶん昔だけど。
まさか異世界で高校生と給食の話をするとはねぇ。
晴斗君が、箸でご飯をひと口運んだ。
もぐもぐ。
……。
…………。
……あれ?
動かなくなっちゃった。
「……晴斗君?」
「……ご飯だ」
「うん。ご飯だよ?」
「……白い、ご飯……」
……ああ。
そういうことか。
晴斗君が、そっともうひと口食べる。
それから、お味噌汁を飲んだ。
「……おいしい……」
小さな声が聞こえた。
晴斗君は、しばらくお椀を見つめていた。
……。
…………。
その表情を見ていると、何となく分かる気がした。
安心したんだね。
ほんの少し前まで、何もかも知らないものだらけだった。
なのに今、目の前にあるのは、いつものご飯。
……うん。
お腹がすいていたことも、ようやく思い出せたのかもしれない。
私は、何も言わずに自分の卵焼きを食べた。
……おお。
今日もおいしい!
ちょうどいい甘さ。
ふんわりしていて、噛むと出汁の味が広がる。
……いやぁ。
巴さん、さすがです。
「お父さん」
隣から、カトレアが声をかけてきた。
「うん?」
「晴斗さん、嬉しそうだね」
「うん。和食が懐かしいんだと思うよ」
「そっか。じゃあ、私も今度、晴斗さんに何か作ってあげようかな」
……おっ。
それはいいね!
「いいじゃない! カトレアの料理、おいしいもんね」
「ふふっ。まだ巴さんほど上手じゃないけどね」
……いやいや。
十四歳であれだけ料理ができるんだから、十分すごいよ?
さすが私の娘。
……あっ。
また口に出しそうになった。
さっき晴斗君に、親バカだって言われたばかりだし。
……いや。
実際、親バカなんだけどね。
「何がいいかなぁ。お父さん、あとで一緒に考えてくれる?」
「もちろん!」
カトレアが嬉しそうに笑った。
……ああ。
いいねぇ。
こうして、普通の夕食を食べながら、次に作る料理の話をする。
平和だなぁ。
私は、焼き魚をひと口食べた。
……うん。
やっぱり、平和が一番だね。
◇
食事が進むにつれ、晴斗君も少しずつ口数が増えていった。
「……リアリスさん」
「うん?」
「このお魚、すごくおいしいです」
「でしょう? 巴さんの料理は、何でもおいしいんだよ」
「はい! 卵焼きもお味噌汁も……全部おいしいです!」
……おお。
だいぶ元気が出てきたね。
巴さんも、その言葉を聞いて嬉しそうだ。
「あらあら。そんなに喜んでくれるなんて、作りがいがあるわねぇ」
「本当にありがとうございます!」
「ふふっ。おかわりもあるから、遠慮しないでね」
……ああ。
またお母さんモード全開だ。
でも。
晴斗君にとっては、こういう優しさも嬉しいんじゃないかな。
知らない世界に来たばかりで、まだ誰を信じたらいいかも分からない。
そんな中で、温かいご飯を作ってくれる人がいる。
……うん。
それだけでも、少しは安心できると思う。
晴斗君は、ご飯のおかわりをお願いした。
……おお。
ちゃんと食欲もあるんだ。
よかった、よかった。
ユリが、すぐにお茶碗を受け取ってくれる。
「晴斗様、少々お待ちくださいませ」
「ありがとうございます、ユリさん」
……うん。
すっかり仲良くなってるね。
いや、ユリがいろいろ気遣ってくれてるんだろうけど。
ありがたいなぁ。
私は、自分のお味噌汁を飲んだ。
……ああ。
いいねぇ。
それにしても。
晴斗君を見ていると、昔の日本のことを思い出すね。
白いご飯。
味噌汁。
焼き魚。
どれも、特別なごちそうじゃない。
でも、その普通が続くことって、本当はすごくありがたいんだ。
……うん。
私も、何度も思い知らされたし。
「リアリスさん」
「うん?」
晴斗君が、少しだけ迷ったような顔をしていた。
「……こういうご飯、これからも食べられるんですか?」
「もちろん。毎日和食ってわけじゃないけど、うちはいろんな料理を作るからね。食べたいものがあったら巴さんに相談してみるといいよ」
「……そうなんですね」
「何か苦手なものはある?」
「いえ、特には……」
「そっか。じゃあ、いろいろ食べてもらおうかな。この世界にもおいしいもの、たくさんあるんだよ」
「……はい!」
……うん。
いい返事だ。
急にいろいろ覚える必要なんてない。
まずは、毎日ご飯を食べて、ちゃんと眠って。
そのうち、気になるものが出てきたら少しずつ知っていけばいい。
……。
…………。
ふと、晴斗君が持っている箸を見た。
日本にいた頃は、私もこんなふうに誰かとご飯を食べていたんだよね。
今では、家族がこんなに増えた。
……ああ。
自分でも驚くくらいだなぁ。
「リアリス様」
桜花が、隣から声をかけてきた。
「ん?」
「大変楽しそうでございますね」
「うん。みんなでご飯を食べるのは楽しいからね」
「はい。わたくしも、そう思います」
桜花が微笑んだ。
……うん。
この時間を守れて、本当によかった。
◇
夕食を食べ終える頃には、晴斗君の顔から、最初の緊張が少し薄れていた。
「……ごちそうさまでした!」
「ごちそうさまでした!」
みんなで食事を終える。
晴斗君は、自分の食器を見つめてから、ぽつりと言った。
「……まさか、異世界に来て和食が食べられるなんて思ってもいませんでした」
「ふふっ。そう思って、今日は和食を用意してもらったんだ。巴さんのご飯、おいしいでしょ?」
「はい! すごくおいしかったです!」
……うんうん。
やっぱり、そう言ってもらえると嬉しいね。
作ってくれたのは巴さんなんだけど。
私は、ちょっとだけ得意になってしまった。
……いや。
何で私が得意になってるんだろう。
「巴さん、ありがとうございました!」
「あらあら。どういたしまして。また食べにいらっしゃいね……って、これからは毎日一緒だったわね」
巴さんが、楽しそうに笑う。
晴斗君も、つられて笑った。
……ああ。
今日一日で、こんなふうに笑えるようになったんだね。
よかった。
……でも。
だからといって、日本に帰れない寂しさが消えたわけじゃない。
そこは、忘れないようにしないと。
私は、晴斗君へ声をかけた。
「今日は疲れたでしょう? 無理せず、もう休んでいいからね」
「……はい。ありがとうございます」
ユリが、晴斗君のそばへ来る。
「晴斗様。よろしければ、これから浴場へご案内いたします。そのあと、お部屋でお休みくださいませ」
「……あっ、お風呂もあるんでしたね」
「うん。大浴場があるよ」
「……大浴場!?」
……ああ。
また驚いてる。
でも。
お風呂があるって分かって、ちょっと嬉しそうだね。
「ここ、お風呂まで日本みたいなんですね……」
「そうだね。そこは私の趣味も入ってるかな」
……うん。
異世界に来たからって、お風呂を諦めるつもりなんてなかったからね!
日本人には大事なんだよ。
……いや。
この世界の人にも、今ではすっかり好評だけど。
「ユリ、晴斗君のことお願いね。入浴が終わったら、今日はゆっくり休ませてあげて」
「かしこまりました」
「……リアリスさん」
「うん?」
「今日は、本当にありがとうございました」
晴斗君が、立ち上がって頭を下げる。
……ああ。
またお礼だ。
何度でも言いたくなる気持ちは、分かるけどね。
「どういたしまして。おやすみ、晴斗君」
「……はい。おやすみなさい」
晴斗君は、ユリに案内されて食堂を出ていった。
……うん。
これで、ひとまず初日は終わりかな。
今夜は、ぐっすり眠れるといいね。
◇
夕食のあと。
私は、桜花とカトレアを連れて居間へ戻った。
……ああ。
落ち着くなぁ。
今日、この部屋に来るのは何度目だろう。
昼食後にお茶を飲んで。
神様から連絡が来て。
晴斗君を連れて帰って、いろいろ話をして。
……うん。
かなり濃い一日だったね。
「リアリス様、紅茶をお持ちいたしました」
「ありがとう、桜花」
私は、差し出されたカップを受け取った。
カトレアは、私の隣へ座っている。
……ああ。
やっぱり、いつもの場所が一番だ。
「今日は、いろいろあったなぁ……」
私は、思わず呟いた。
カトレアが、こちらを見る。
「お父さん、疲れた?」
「うん。ちょっとだけね」
「でも、晴斗さんが来てくれて、にぎやかになったね」
「そうだね」
……ふふっ。
カトレアは、新しい人が増えたことを素直に喜んでるみたいだ。
いいことだねぇ。
「それにしてもさ……」
私は、紅茶をひと口飲んだ。
「昨日、王様に呼ばれて王城へ行ったら、突然世界中に英雄だって紹介されて……」
「うん」
「今日は朝から町で英雄様って呼ばれて、帰る頃にはぐったりして……」
「ふふっ」
「それで、やっと家でのんびりできると思ったら、神様から連絡が来て、日本から来た子を探しに行くことになって……」
……。
…………。
改めて言葉にすると、すごいね。
昨日と今日だけで、どれだけいろんなことがあったんだろう。
「……私、のんびり暮らしたいだけなんだけどなぁ」
思わずため息が出た。
すると。
「大変にぎやかになって、よろしいかと思います」
桜花が、涼しい顔で言った。
……いや。
桜花?
そういう問題ですか?
「にぎやかすぎるよぉ……」
「ですが、リアリス様がお救いになった皆様が、笑顔でお過ごしになっております」
……。
…………。
ああ。
そう言われると、何も言えないね。
町で声をかけてくれた人たちも、みんな嬉しそうだったし。
晴斗君だって、最後には少し笑ってくれた。
……うん。
悪いことばかりじゃない。
「それに、お父さんは英雄だから!」
カトレアが、得意そうに言った。
……おお。
出た。
その言葉。
「やめてよ、カトレアァ……」
「ふふっ。だって、本当のことでしょ?」
「それは、そうなんだけど……」
……ああ。
自分でも、もう認めるしかないって分かってるんだよ。
ギルドのみんなにも、笑われちゃったし。
町で声をかけてくれる人たちを、嫌だと思ってるわけでもない。
でも。
家に帰ってまで英雄って呼ばれると、さすがに照れるじゃない。
「お父さん、すごいね。世界中の人が、お父さんのことを知ってるんだよね」
「……うん。そうなっちゃったねぇ」
「私、嬉しいよ」
……ああ。
そんなこと言われたら。
お父さん、ますます照れちゃうじゃない。
私は、カトレアの頭を軽く撫でた。
「ありがとう、カトレア」
「ふふっ」
カトレアが、嬉しそうに笑う。
……うん。
やっぱり、うちの娘は可愛いなぁ。
……。
…………。
……ん?
ちょっと待って。
世界中の人が、私のことを知ってる。
それって……。
「あっ」
思わず声が出た。
カトレアが、首を傾げる。
「どうしたの、お父さん?」
「……いや。ちょっと、気づいたことがあって」
……うん。
これ、考えておいた方がいいかもしれない。
◇
「でもね、カトレア」
「うん?」
「お父さんが英雄っていうことは、カトレアは英雄の子供ってことになるんだよ」
カトレアが、ぱちぱちと瞬きをした。
「……英雄の子供?」
「そう」
「……あっ。そっか!」
カトレアが、何だか嬉しそうに笑った。
……いや。
そんなに喜ぶところじゃないかもしれないよ?
私は、少しだけ真面目な顔をした。
「カトレア。昨日、王様たちが世界中に私の顔を見せたでしょう?」
「うん。大きな画面で映してたよね」
「そう。だから、今まで私のことを知らなかった人も、名前と顔を知ってるんだ」
「……うん」
「それでね。カトレアがお父さんの娘だって分かったら、カトレアにも声をかける人が増えるかもしれないんだよ」
カトレアは、しばらく考え込んだ。
「……町の人たち、前から私のこと知ってるよ?」
「うん。王都でいつも会う人たちは、そうだね」
……そう。
カトレアが私の娘だってことは、以前から近所では知られている。
今日だって、ニーナちゃんの家へ遊びに行く途中、何人かと挨拶したはずだ。
でも。
今までと違うのは、私が世界中に英雄として紹介されたことだ。
善意で声をかけてくれる人もいるだろう。
ただ、有名になったからといって、全員が知り合いになるわけじゃない。
……うん。
そこは、ちゃんと気をつけてほしい。
「もちろん、挨拶してくれるのは嬉しいことだよ。でも、知らない人までカトレアに近づいてくるかもしれないからね」
「……知らない人?」
「うん。今まで以上に、少しだけ気をつけてほしいんだ」
カトレアの表情が、真剣になった。
「……そっか。お父さんが有名になったから、私にも?」
「そういうこと」
「……なるほど」
……おっ。
ちゃんと考えてくれてるね。
十四歳になってから、こういう話も落ち着いて聞いてくれるようになった。
……ああ。
成長したなぁ。
……いや。
今は娘の成長に感動してる場合じゃなかった。
「だから、しばらくはあまり一人で外出しないこと。いいかな?」
「……うん」
カトレアは、素直に頷いた。
……よかった。
でも、これだけだと、外出しちゃいけないみたいに聞こえるよね。
そこは、きちんと伝えておこう。
「もちろん、学校に行ったり、ニーナちゃんと遊んだりするのを禁止したいわけじゃないからね」
「うん。分かってるよ」
「ただ、安全のためにちょっとお願いがあるんだ」
私は、指を一本立てた。
「学校や孤児院へ行くときは、モフ太を連れていくこと」
「モフ太?」
「うん。もともとカトレアの護衛をお願いしてあるし、何かあっても安心だからね」
カトレアが、ぱっと顔を明るくした。
「それなら大丈夫! モフ太も一緒なら楽しいし」
……ああ。
嬉しそうだねぇ。
普通の子なら、熊と一緒に学校へ行くなんて驚くところだけど。
我が家では、もう日常なんだよね。
……いや。
冷静に考えると、だいぶおかしいけど。
でも、モフ太は頼りになるからね!
「それから、町へ行くときは、先にお父さんに教えてね。セバスと一緒に行くこと」
「セバスも?」
「うん。王都の町へ行くときは、しばらくそうしてほしいんだ」
「……分かった」
……うん。
これなら、ひとまず安心かな。
セバスなら、変な人が近づいてきても上手に対応してくれるだろう。
それに、本人だって強いしね。
……あれ。
そう考えると、ちょっと心強すぎるかもしれない。
「……お父さん?」
「うん?」
カトレアが、私を見て小さく笑っていた。
「そんなに心配しなくても、私、気をつけるよ?」
……おお。
ばれてる。
親バカの心配性だって、完全にばれてる。
「……いやぁ。分かってはいるんだけどねぇ」
「ふふっ」
……ああ。
娘に笑われちゃった。
桜花も、何だか楽しそうにしている。
「リアリス様。カトレア様のご安全につきましては、わたくしたちも十分に注意いたします」
「うん。ありがとう、桜花」
「ご安心くださいませ」
……ああ。
桜花がそう言ってくれると、本当に安心するなぁ。
私には、頼れる家族がたくさんいる。
それでも、娘のこととなると心配が尽きない。
……まったく。
英雄になったところで、父親の心配性は治らないらしい。
◇
少しして、カトレアが立ち上がった。
「じゃあ、お父さん。そろそろお風呂に入ってくるね」
「うん。ゆっくり温まっておいで」
「桜花お姉ちゃん、一緒に行こう?」
「はい。喜んでご一緒いたします」
……うん。
いつもの二人だね。
カトレアが、私へ振り返った。
「お父さん。モフ太のことも、あとで話しておくね」
「うん。よろしくね」
「はーい!」
カトレアと桜花が、並んで居間を出ていった。
……ああ。
仲がいいなぁ。
こうして、娘と桜花が楽しそうにしているのを見るのが好きなんだよね。
私は、残っていた紅茶を飲んだ。
……ふぅ。
今日は、本当にいろんなことがあった。
世界中に英雄として紹介された翌日。
まだその騒ぎも落ち着いていないのに、今度は日本から来た高校生を保護した。
……うん。
のんびりしたいって言ってるのに、全然のんびりできてないね。
……まあ。
晴斗君を見つけられたのは、よかった。
日本へ帰れないのは残念だけど、ここでの生活が少しでも楽しいものになってくれたらいいな。
それに。
カトレアのことも、ちゃんと考えておかなきゃいけない。
……うん。
モフ太がいれば、学校と孤児院はかなり安心だ。
ただ、王都の町を歩くとなると話は別なんだよね。
あの子、普段は小さくしてるけど、元は大きな魔獣だから。
話もできるし、性格だって穏やかなんだけど。
……知らない人からしたら、びっくりするだろうなぁ。
私なら平気だけど、王都の人たちはそうもいかない。
勝手に連れて歩いて、大騒ぎになったら困るし。
……いや。
今の私が王都へ行くだけでも騒ぎになるんだった。
……ああ。
考えたら、ちょっと疲れてきた。
でも。
できれば、カトレアが町へ行くときも、モフ太に一緒にいてもらいたいんだよね。
あの子なら、危ないことがあってもすぐ守ってくれる。
……となると。
やっぱり、王様に相談した方がいいかな。
勝手に連れて歩くんじゃなくて、ちゃんと許可をもらっておけば、みんなも安心するだろうし。
……うん。
明日、王都に行って、カバディ王に相談してみようかな。
王様なら、話を聞いてくれるだろうし。
……あっ。
ただでさえ英雄だって騒がれてるのに、今度は熊を連れて歩きたいってお願いするのか。
……。
…………。
……私、また変なことを言ってると思われない?
いや。
カトレアの安全には代えられないからね。
そこは、頑張って相談しよう。
私は、窓の外へ目を向けた。
庭には、夜の静けさが広がっている。
この屋敷では、今日も家族が安心して眠れる。
晴斗君にも、今夜くらいは何も心配せず休んでもらいたい。
そして、カトレアには、これからも好きな花を見つけて笑っていてほしい。
……うん。
私が英雄になったからって、守りたいものが変わるわけじゃない。
大事なのは、いつもの暮らしだ。
……さて。
明日は、もう少しのんびりできるといいなぁ。
……あれ?
明日も王様に会うつもりなんだった。
……うん。
のんびり生活って、案外難しいね。




