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第5話:また神様からですか?

 昼食を終えた私は、居間で桜花と紅茶を飲んでいた。


 ……ああ。


 落ち着くなぁ。


 テーブルには、巴さんが用意してくれたクッキー。


 窓からは、庭の花が見える。


「リアリス様。紅茶のおかわりはいかがでしょうか?」


「ありがとう、桜花。もう少ししたらお願いするね」


 ……うん。


 こういう時間が、一番好きだ。


 私は、クッキーを一枚手に取った。


 ふわっ。


 目の前に、見覚えのある光の板が浮かび上がった。


『着信:オリミス』


 ……。


 …………。


 ……神様。


 せっかくのんびりお茶を飲んでいたのに。


 ……また何か落としたのかな?


「リアリス様?」


 桜花が、そっとこちらを見た。


「神様から《映像通話》だよ」


「……オリミス様でございますか」


「うん。今日は何も落としてないといいんだけど」


 桜花は、一瞬だけ考えてから、静かに微笑んだ。


「……そうでございますね」


 ……ああ。


 否定してくれない。


 それだけ前科があるってことだよね。


 私は、目の前の光の板で通話に出た。


     ◇


「おぉ! リアリス!」


 画面に映ったのは、見慣れた神様の顔だった。


 ……うん。


 元気そうだね。


 すごく元気そう。


「こんにちは、神様」


「うむ、こんにちはなのじゃ!」


 神様は、にこにこと笑っている。


 ……おお。


 何だか機嫌がいいね。


 その笑顔を見ると、少し安心……。


「それで、英雄殿。ご機嫌はいかがかな?」


 ……。


 …………。


 ……えっ?


「……神様」


「ん?」


「……今、何て言いました?」


「英雄殿。ご機嫌はいかがかな、と……」


 私は、ゆっくり画面を見つめた。


「……神様」


「な、何じゃ?」


「……昨日の放送、見てたんですか?」


「もちろんじゃ! 世界中にあれほど大きな画面が出ておったからのぅ。わしも見ておったぞ!」


 ……ああ。


 やっぱり。


 見てたんだ。


 ……それなら。


 ゴリアテさんに抱えられていたところも?


「……全部?」


「うむ! 魔族の大男にひょいっと抱えられたところから、実に見事な……」


「……神様」


「……は、はい」


「二度と英雄と呼ばないでください」


 ……。


 …………。


 画面の向こうで、神様が固まった。


「ご、ごめんなさいなのじゃ!」


 ……うん。


 よろしい。


 もう、あの話はいいんだよ。


 朝からカトレアに笑われて。


 ギルドではシルベスターさんに散々からかわれて。


 町では英雄様って呼ばれ続けたんだから。


 ……せめて、神様と話すときくらいは普通にしてほしい。


「ま、まあ、そう怒るでない。わしは、実に立派だったと思っておるぞ?」


「……ありがとうございます」


「世界の民も、喜んでおったではないか」


「……そうですね」


 ……うん。


 それは、私も嬉しかった。


 みんなが笑ってくれたことは、ちゃんと覚えてる。


 ……でも。


 抱っこの話だけは、もう勘弁してください。


 私は、小さく息を吐いた。


「……それで、今日はどうされたんでしょうか?」


「うむ! 今日はな……」


「武器を落としましたか?」


「……へ?」


「それとも、邪神がまた復活したんですか?」


「ち、違うのじゃ!」


 神様が、慌てて両手を振った。


「違う! 違うぞリアリス! 今回は、わしは何もしておらん!」


「……本当ですかぁ?」


「本当なのじゃ!」


 ……おお。


 ものすごい勢いで否定された。


 ……いや。


 これまでのことを考えれば、仕方ないと思うんだけど。


 神様の落とし物が一回や二回じゃなかったし。


 その後には邪神の件まであったんだからね。


「わしだって、毎回何かを落としておるわけではないのじゃ!」


「……毎回じゃなかったらいいんですか?」


「……そういう意味ではないのじゃ!」


 ……うん。


 今日も元気だなぁ。


 私は、もう一度紅茶を飲もうとした。


 ……あっ。


 カップ、テーブルの方だった。


 仕方ないので、そのまま画面へ向き直る。


「じゃあ、今日は何のご用事なんですか?」


「うむ。今日はただの情報提供なのじゃ」


「……情報提供?」


「そうじゃ」


 神様が、少し真面目な顔になった。


 ……おや。


 何だろう。


 いつもと、少し雰囲気が違うね。


「リアリス。おぬしは、時折ステラに転移者が現れることを知っておるじゃろう?」


 ……転移者。


 私は、記憶をたどった。


 勇者の雪彦君みたいに、誰かが召喚するわけでもなく。


 私みたいに、一度死んでから神様に会い、転生させてもらうわけでもない。


 ごく稀に、別の世界から突然やってきてしまう人がいる。


 ……たしか。


 そんな話を、聞いたことがあるね。


「はい。お話だけは聞いたことがあります」


「うむ。その転移者が、またステラに現れたのじゃ」


 ……おお。


 それは、珍しい。


「そうなんですね。どこの世界から来た人なんですか?」


「おぬしと同じ、日本人じゃな」


 ……。


 …………。


「……なんと!?」


 私は、思わず画面へ顔を近づけた。


 日本人!?


 えっ。


 それって。


 本当に、あの日本から来た人ってこと!?


「神様、それは本当ですか!?」


「うむ。間違いない」


 ……おお。


 これは、ちょっと驚いた。


 もちろん、日本人なら雪彦君もいる。


 でも、あの子は勇者として召喚されたんだよね。


 今回の人は、それとは違う。


 誰かに呼ばれたわけでもないのに、いきなりステラへ来てしまった。


 ……えっ。


 それって、ものすごく大変じゃない?


「……ちなみに、神様が呼んだとかではないんですよね?」


「違うのじゃ。今回は、わしらが送り込んだわけではない」


「……じゃあ、どうして転移してきたんですか?」


「それは、わしにもまだ分からぬ」


 ……そっか。


 神様にも分からないことがあるんだね。


 いや、考えてみれば当然なのかな。


 神様だって、何でも知っているわけじゃないし。


 ……うん。


 少なくとも、落とし物をするくらいだし。


「わしらが、その者に何かしてやるわけでもない。じゃが、リアリスなら話ができると思ってな」


 神様が、少しだけ微笑んだ。


「一応、知らせておこうと思ったのじゃ」


 ……ああ。


 なるほど。


 私と同じ日本人だから、知らせてくれたんだ。


 ……うん。


 それは、ありがたいね。


「ありがとうございます、神様」


「うむ!」


「ちなみに、その人は今、どこにいるんですか?」


「おぉ、そうじゃった。ちょっと待っておれ」


 神様が、画面の向こうで何やら目を細めた。


「どれどれ……」


 ……おっ。


 探してくれてるみたい。


 神界からなら、ステラの様子を見られるんだよね。


 ……便利だなぁ。


 私の《モニター》とは、全然違うんだろうけど。


「……おー、おったぞ」


「見つかりましたか!」


「うむ。これは、オリミス聖国じゃな」


「聖国ですか?」


「そうじゃ。西の海沿いにある、アズライトという町の近くじゃ」


 ……アズライト。


 聖国には何度か行ったけれど、あちらの町にはまだゆっくり立ち寄ったことがない。


 ……うん。


 場所が分かれば大丈夫そうだ。


「ありがとうございます! それなら、迎えに行けそうです」


「……おっと。リアリス、もう一つ言っておかねばならぬことがある」


「……はい?」


 神様が、少し困ったような顔をした。


 ……あれ。


 何だろう。


「その転移者じゃが……どうやら、加護もスキルも持っておらぬようなのじゃ」


 ……。


 …………。


 ……えっ?


「……何も、ですか?」


「うむ。見た限り、特別な力は何もなさそうじゃな」


 ……。


 …………。


 いやいやいや。


 ちょっと待ってよ。


 私は、自分がこの世界に来たときのことを思い出した。


 神様に会って。


 転生先の身体や、使える魔法を選んで。


 それから、ステラに降り立った。


 しかも、私には《想像魔法》がある。


 魔力だって、普通の人とは比べものにならない。


 ……うん。


 あれだけ準備しても、最初は戸惑うことばかりだった。


 なのに。


 何の能力もない日本人が、いきなり異世界へ?


「えっ!? それって、何の能力も持ってない、ただの日本人が異世界に放り出されてるってことですか!?」


「……まあ、そういうことになるのぅ」


 ……おお。


 ものすごく困るじゃない!


 この世界には魔獣がいる。


 お金も必要だし、仕事も必要。


 それに、生活の仕方だって日本とは違う。


 ……いや。


 待てよ。


 それ以前の問題がある。


「神様、その人、言葉は分かるんですか?」


「……うむ?」


「この世界の言葉ですよ!」


 私は、少し身を乗り出した。


 私の場合は転生するときに、言葉が分かるようになっていた。


 雪彦君も、勇者として召喚されたときに必要なものを与えられていたはずだ。


 でも、今回は。


 ……何もないんだよね?


「……そうじゃのぅ。多分、この様子では言葉も分かっておらんかもしれん」


「……ええっ!?」


 ……いやいやいや!


 ちょっと!


 それって本当に大丈夫なの!?


 知らない世界。


 知らない町。


 誰とも話せない。


 魔法も使えない。


 ……ああ。


 想像するだけで、胃が痛くなってきた。


「そんなの詰みゲーじゃないですか……!」


「……つみげー?」


「……あっ。日本の言葉です。ものすごく困った状況ってことです」


「……なるほどのぅ」


 ……いや。


 感心してる場合じゃないよね。


 私は、思わず頭を抱えた。


 もし、突然そんなところに放り出されたら。


 ……私だったら、どうするだろう。


 お金もない。


 帰る方法も分からない。


 日本語も通じない。


 誰に助けを求めればいいのかも分からない。


 ……うん。


 無理だ。


 絶対に心細いよ。


 しかも、その人が大人とは限らない。


 まだ学生かもしれないし。


 ……。


 …………。


 ……ああ。


 こんな話を聞いて、放っておけるわけがない。


「神様!」


「な、何じゃ?」


「情報ありがとうございます! これから向かってみます!」


「……おお。そうか」


「はい。場所も教えてもらいましたし、探してみます!」


 神様が、安心したように頷いた。


「うむ。リアリスなら、何とかしてやれるじゃろう」


「……どうでしょうね。でも、まずは話を聞いてみます」


 ……うん。


 助けが必要かどうかだって、本人に聞かなきゃ分からない。


 勝手に決めつけるのは、よくないからね。


「それでは、失礼します!」


「うむ。好きにするがよい」


 私は、通話を終える前に、少しだけ笑った。


「……あっ、神様」


「ん?」


「たまにはちゃんと神様なんですね!」


「……たまには!?」


 ……うん。


 今日くらいは、褒めておかないとね!


 神様が何か言い返す前に、私は《映像通話》を終了した。


 ……。


 …………。


 ……ああ。


 なんか、ちょっとすっきりした。


 ……いや。


 今は、それどころじゃないね。


     ◇


「リアリス様」


 通信が終わると、桜花が静かに声をかけてきた。


「どうされますか?」


「決まってるよ。迎えに行こう」


「かしこまりました。ご一緒いたします」


 ……ああ。


 桜花は、本当に頼もしいなぁ。


 私は、すぐに頷いた。


「ありがとう、桜花。助かるよ」


「恐れ入ります」


 ……うん。


 とはいえ。


 相手がどんな人なのか、まったく分からないんだよね。


 男性か女性か。


 何歳くらいなのか。


 どうしてステラへ来たのか。


 ……いや。


 そこは神様にも分からないって言ってたか。


 ……。


 …………。


 あれ?


 私、外見の特徴も聞いてないじゃない!


 ……ああ。


 しまったなぁ。


 でも、もう通信を切っちゃったし。


 ……まあ。


 場所は分かってるから、何とか探せるかな。


 そう思ってから、私は立ち上がった。


「桜花、先に巴さんへ声をかけてくるね」


「はい」


 私は居間を出て、食堂の方へ向かった。


 巴さんは、メイドたちと何やら午後の仕事について話しているところだった。


「巴さん、ちょっといいですか?」


「あら、リアリスちゃん。どうしたの?」


「これから桜花と出かけてくるんですけど、もしかしたらお客さんを連れて帰るかもしれません」


「まあ。お客様?」


「はい。ちょっと事情がありそうな人で……。帰ってきてから、詳しく説明しますね」


 巴さんは、すぐに頷いた。


「分かったわ。お茶とお部屋の準備をしておけばいいかしら?」


「ありがとうございます! でも、まだ連れて帰れるかどうかも分からないので、いつものようにしていてください」


「ふふっ。了解。気をつけてね」


「はい!」


 ……ああ。


 さすが巴さん。


 余計なことを聞かず、必要なことだけ確認してくれる。


 ……いや。


 帰ってきたら、私からちゃんと説明しないとね。


 居間へ戻ると、桜花が準備を整えて待っていてくれた。


「行こうか、桜花」


「はい、リアリス様」


 私は、桜花の手を取った。


 目指すのは、オリミス聖国。


 西部の海沿いにある町、アズライト。


 ……うん。


 迷っている時間はないね。


「《転移》」


     ◇


 景色が、ふっと切り替わった。


 目の前に広がるのは、明るい空。


 少し離れたところには、海が見える。


 風に乗って、潮の香りが漂ってきた。


 ……おお。


 海だ。


 いいねぇ。


 こういう町で、のんびり海を眺めるのも楽しそうだね。


 ……。


 …………。


 いや。


 観光しに来たんじゃなかった。


 危ない危ない。


「桜花、ここがアズライトの近くだよ」


「はい。海沿いの町でございますね」


「うん。神様の話だと、この辺りに日本人の転移者が来たみたいなんだ」


 私は、町の方向へ目を向けた。


 海へ向かって緩やかに下る道。


 建物の向こうには、港らしい場所が見える。


 ……うん。


 それほど危険そうな雰囲気ではないかな。


 だけど、初めてこの世界へ来た人にとっては、何もかもが見慣れないはずだ。


 ……よし。


 まずは町の中を探してみよう。


 桜花と一緒に道を歩き始める。


 しばらくすると、店先で荷物を運んでいた人がこちらを見た。


 ……ん?


 何だろう。


 ものすごく、見られてる気がする。


「あれっ……?」


 その人が、私の顔をじっと見つめた。


「……あっ! 英雄様!?」


 ……。


 …………。


 ……えっ。


 あっ。


 そうだった!


 私、昨日、世界中に顔を出したんだった!


「英雄様ですよね!? 昨日の放送の!」


 ……おお。


 ここでもかぁ!


 私は、思わず遠い目になりかけた。


 ……いや。


 今は、そんなことしてる場合じゃない。


 日本人を探しに来たんだもんね!


「こんにちはー!」


 私は、笑顔で手を振った。


「今日はちょっと急いでるんだ。また今度ゆっくりねー!」


「あっ、はい! お気をつけて!」


「ありがとう!」


 ……よし。


 私は、桜花と一緒に通りを進んだ。


 振り返ると、さっきの人がまだ手を振っている。


 ……ああ。


 悪いことしちゃったかな。


 でも、今は急いでるし。


 また来る機会があれば、ちゃんと挨拶しよう。


「リアリス様」


「うん?」


「お見事でございます」


 桜花が、少し楽しそうに微笑んだ。


「……あはは。王都で、ちょっと学んだからね」


「そのようでございますね」


 ……うん。


 今日は囲まれる前に離れられた!


 私も、少しは成長したのかもしれない。


 ……いや。


 英雄としての成長って、こういうことなのかな?


 …………。


 まあ、いいか。


     ◇


 アズライトの町は、海沿いらしい活気があった。


 魚を売るお店。


 網を直している人たち。


 旅行者らしい人が歩く通り。


 店先には、海を思わせる青い飾りがいくつも並んでいた。


 ……おお。


 なかなか、いい雰囲気だね。


 ……いや。


 だから、観光じゃないって!


 私は、つい景色を眺めそうになる自分を引き戻した。


「桜花。日本人らしい人、見かけた?」


「申し訳ございません。今のところ、それらしい方は……」


「……そっか」


 ……うーん。


 難しいな。


 そもそも、日本人の外見だって、人によって全然違う。


 黒髪の人もいれば、染めてる人もいるし。


 身長だって、さまざまだ。


 それなのに、今回は外見を何も聞いてない。


 ……ああ。


 私、神様にもう少し詳しく聞くべきだったね。


「ごめん、桜花。神様に特徴を聞くの、忘れちゃった」


「いえ。私も、日本の方の外見については詳しくありませんので……」


「そんなの、桜花が悪いわけないよ」


 私は、笑って首を振った。


「そもそも、私が聞き忘れたんだしね」


「……ありがとうございます」


 桜花が、少しほっとしたように微笑んだ。


 ……うん。


 気にしなくていいんだよ。


 それに、手がかりはまったくないわけじゃない。


 日本人。


 ついさっき、この世界へ来たばかり。


 おそらく、標準言語は分からない。


 ……ということは。


 町の人たちと上手く話せずに、困ってる人がいるかもしれない。


「……よし。少しずつ探してみよう」


「はい」


 私たちは、通りの先へ進んだ。


 途中、人が集まっている場所もあったけれど、特に騒ぎにはなっていない。


 ……うーん。


 困ったな。


 日本人らしい人を探すって、思っていたより難しい。


 何か目立つものでもあればいいんだけど。


 ……あっ。


 そうだ。


「桜花、雪彦君のこと、覚えてる?」


「勇者様でございますね。はい」


「うん。あの子も日本から来たんだよ」


「さようでございましたね」


 ……うん。


 雪彦君は、前にこの世界へ召喚されたとき、日本人の男の子らしい雰囲気があった。


 もちろん、今回の転移者が男の人とは限らないけど。


 服装や、持ち物。


 この世界の人とは違うところがあるかもしれない。


「雪彦君みたいに、この町の人たちとは少し違う格好をしてるかもしれないね」


「なるほど。勇者様のような外見や、お召し物ということでございますね」


「そうそう!」


 私は、少し元気になった。


 ……うん。


 さすが桜花。


 話が早い!


 桜花は、周囲をゆっくり見回した。


 そして、ふと足を止める。


「……リアリス様」


「うん?」


「あちらの方は、いかがでしょうか」


 桜花が、広場の方を指さした。


 その先には、大きな噴水がある。


 周りにはベンチが並び、休んでいる人たちもいる。


 ……ん?


 あの人かな。


 私は、目を凝らした。


 噴水の縁に、一人で座っている人がいた。


 黒い髪。


 年齢は、十代後半くらいだろうか。


 そして。


 ……あれ?


 あの服。


 黒くて、詰め襟で。


 胸元には、見覚えのあるボタンが並んでいる。


 ……。


 …………。


 ……おおおっ!?


「……学ラン!?」


 私は、思わず声を上げた。


 ……いやいや!


 あれ、日本の学生服じゃない!?


 しかも、間違いなく見たことのある形だ。


「桜花! あれだよ! 学ラン着てる!」


「がくらん……でございますか?」


「日本の学生服だよ! あの服、この世界じゃ普通は見ないんだ!」


 桜花が、もう一度少年を見た。


「……それなら、あちらの方かもしれませんね」


「うん。行ってみよう!」


 私は、足早に広場へ向かった。


     ◇


 近づいてみると、少年の様子がよく分かった。


 黒髪。


 普通の高校生くらいの体格。


 黒い学ランに、同じ色のズボン。


 ……ああ。


 本当に、日本の高校生みたいだね。


 ……というか。


 どう見ても日本の高校生なんだけど。


 少年は、膝の上で手を握っていた。


 辺りを見回しては、うつむく。


 何かを探しているようにも見える。


 でも、立ち上がる様子はない。


 ……うん。


 困ってるのかな。


 私は、急に声をかけて驚かせないよう、少し離れたところで立ち止まった。


「こんにちは」


 少年が、顔を上げた。


 ……おっ。


 こっちを見てくれた。


「もしかして、日本から来た人かな?」


「……?」


 少年の顔に、戸惑いが浮かんだ。


 ……あれ?


 聞こえなかった?


「言葉、分かるかな?」


「……え?」


 少年が、小さく何かを呟いた。


 でも、こちらの話は理解できていないらしい。


 視線が、私と桜花の間を行き来する。


 ……。


 …………。


 あっ。


 そうか!


 私は、ようやく気づいた。


 今の私は、日本語で話しているつもりでも、普段はこの世界の標準言語になっているんだった。


 転生するときに、言葉が分かるようにしてもらったからね。


 だから、いつもは何も意識しなくても会話できる。


 ……でも。


 この子には、それがないかもしれない。


 ……なるほど。


 だったら。


 今度は、意識して日本語で話してみよう。


 私は、口にする言葉を頭の中で確かめた。


 ステラの言葉じゃなくて、日本語。


 昔、何十年も使っていた、あの言葉だ。


 ……うん。


 これなら。


「こんにちは。これなら、言葉は分かるかな?」


 少年が、目を見開いた。


「……えっ!?」


 ……おっ。


 反応した!


「……に、日本語!?」


 少年が、勢いよく立ち上がった。


「今、日本語で話しましたよね!?」


「うん。そうだよ」


「……えっ、えっ!? 何で!?」


 ……ああ。


 よかった。


 ちゃんと通じたね。


 私は、できるだけ安心させるように微笑んだ。


「大丈夫。落ち着いて。私は、日本から来た人間なんだ」


「……日本から?」


「うん。この世界に来たのは、少し前だけどね」


 少年が、私の顔をじっと見つめた。


 ……ああ。


 驚くよねぇ。


 私も、日本語が突然聞こえてきたら、たぶん同じ反応をすると思う。


 ……いや。


 今は私の方が話しかけたんだけど。


「よかった……」


 少年の肩から、少し力が抜けた。


「ずっと、言葉が分からなくて……」


 ……ああ。


 やっぱり。


 神様の言っていたとおりだった。


「この町の人に話しかけても、誰も日本語が分からなくて。道も何も分からなくて……」


 少年は、言いながら俯いた。


 ……うん。


 そりゃ、怖かっただろうね。


 私だって、何も知らない場所に突然放り出されたら、きっと困る。


 それも、日本とはまったく違う世界なんだから。


「大変だったね」


 私は、落ち着いた声で言った。


「でも、もう一人じゃないから。まずは名前を教えてもらえるかな?」


 少年が、顔を上げた。


「あっ……はい!」


 それから、少しだけ姿勢を正した。


「僕、春原晴斗(はるはら はると)って言います」


 ……春原晴斗君。


 日本の名前だ。


 ……ああ。


 何だか、懐かしい響きだねぇ。


「晴斗君だね。私はリアリス。よろしくね」


「リアリス……さん?」


「うん。変わった名前でしょう?」


「……はい。日本の名前じゃないですよね」


「この世界では、こっちの名前を使ってるんだ」


 晴斗君が、何度か頷いた。


 ……うん。


 まだ、頭の整理が追いついてないんだろうなぁ。


「晴斗君は、何歳?」


「十七歳です。高校二年生です」


 ……おお。


 高校二年生かぁ。


 うん。


 学ランだもんね。


 ……いや、学校によっては制服もいろいろだけど。


 この年齢で突然異世界へ来たら、そりゃ大変だよね。


「高校にいたときに、急にこっちへ来たの?」


「……はい」


 晴斗君が、少し困った顔をした。


「授業を受けてたんです。普通に座ってたはずなのに……気がついたら知らない場所で」


 ……。


 …………。


 授業中。


 本当に、何の前触れもなかったんだね。


「それで、町が見えたから、人がいれば何か分かるかなって思って……」


「うん」


「でも、誰も言葉が通じなくて……どうしたらいいのか、分からなくなっちゃって」


 ……ああ。


 そっか。


 町の人たちも、悪気はないんだろうね。


 日本語なんて、この世界では普通は使わない。


 何を言っているのか分からない相手が来たら、困ってしまう。


 ……でも。


 晴斗君からしたら、誰にも助けてもらえないように感じたかもしれない。


 私は、ゆっくり頷いた。


「話してくれてありがとう。もう少し、落ち着いて話そうか」


「……はい」


 晴斗君が、私の後ろへ目を向けた。


「……あの。そちらの方は?」


 ……おっ。


 桜花のことか。


「ああ。こちらは桜花。私の大切な家族だよ」


 桜花が、軽く一礼した。


「初めまして、桜花と申します」


 ……うん。


 いつもどおりの挨拶だね。


 ただし。


 晴斗君は、少し困ったような顔をした。


「……すみません。今、何て……?」


 ……あっ。


 そうだった!


 桜花の言葉は、日本語じゃない!


「ごめんごめん。桜花は、この世界の言葉で話してるんだ」


「……えっ?」


「だから、晴斗君にはまだ分からないと思う」


 ……うん。


 これは、あとで何とかした方がいいね。


 今のままじゃ、桜花とも話せないもんね。


 桜花も、少し不思議そうに私たちを見ている。


 ……ああ。


 逆に、桜花には私たちの日本語が分からないんだった。


 ……なるほど。


 これは、なかなか不便だ。


 でも、今は晴斗君を安心させる方が先だね。


「晴斗君。今、少し話を聞いても大丈夫かな?」


「……はい」


「この世界のこと、どれくらい分かってる?」


 晴斗君が、困ったように眉を寄せた。


「……全然、分からないです」


「そっか」


「建物も、服装も、見たことない感じで……。外国なのかとも思ったんですけど、変な生き物みたいなのも見えて……」


 ……うん。


 そうだよね。


 日本じゃ見かけないものが、いっぱいある。


「……もしかして」


 晴斗君が、私を見た。


「ここって……異世界、なんですか?」


 ……おお。


 気づいた?


 いや。


 学ラン姿で町を歩いていたんだから、さすがに何かおかしいとは思うよね。


「……うん。その話も、ちゃんとするよ」


「……本当に?」


「うん。ただ、ここは人が多いから、落ち着ける場所へ移ろうか」


 私は、広場の周囲を見た。


 通りでは、町の人たちがこちらへちらちら視線を向けている。


 ……あれ?


 何だろう。


 もしかして、私に気づいた?


 ……いや。


 きっと気づいたよね。


 昨日の放送で、顔が知られちゃったんだから。


 ……うん。


 あまり長くここにいると、また囲まれるかもしれない。


「晴斗君。私の家でよければ、ゆっくり話せるんだけど……どうかな?」


 晴斗君が、少し迷った顔をした。


 ……うん。


 いきなり知らない人に家へ誘われたら、普通は警戒するよね。


 私も、そう思う。


「もちろん、無理にとは言わないよ。でも、ここよりは落ち着いて話せると思う」


「……あの」


「うん?」


「リアリスさんは……本当に、日本から来たんですか?」


「うん。間違いないよ」


「……でも、名前が……」


「私は転生者なんだ」


「……てんせいしゃ?」


 晴斗君が、目を丸くした。


 ……うん。


 そこ、気になるよね。


「一度日本で亡くなって、別の身体でこの世界に生まれ直したんだ」


「……ええっ!?」


 ……ああ。


 驚くよねぇ。


 私だって、初めて神様に会ったときは驚いたもんね。


 ……いや。


 今思うと、神様との初対面もいろいろあったなぁ。


「その話も、あとでゆっくりしよう。晴斗君は、異世界もののアニメとか見る?」


「……あっ、はい! けっこう見ます!」


 ……おお。


 それなら、少しは話が早いかな。


 もちろん、アニメと現実は違うんだけどね。


 ……うん。


 そこは、ちゃんと説明しなきゃいけない。


「じゃあ、よくある『剣と魔法の世界』って聞けば、何となく分かるかな」


 晴斗君が、何度も頷いた。


「……はい。でも、それが本当に……?」


「うん。続きは、家でね」


 私は、笑顔で手を差し出した。


「一緒に来てくれる?」


 晴斗君は、私の手を見つめた。


 少しだけ、迷っていた。


 ……うん。


 急がせなくていい。


 私は、何も言わずに待った。


 やがて。


「……お願いします」


 晴斗君が、ゆっくり頷いた。


「……もう、どうしたらいいか分からないので。少し、話を聞かせてください」


「もちろん!」


 ……よかった。


 無理やり連れていくわけにはいかないからね。


 私は、桜花へ顔を向けた。


「桜花。晴斗君を家へ連れて帰ろうと思う」


「かしこまりました」


 桜花が頷く。


 ……うん。


 それじゃ。


 まずは、安全な場所へ帰ろう。


     ◇


「晴斗君、ちょっとだけ驚くかもしれないけど、落ち着いてね」


「……はい?」


「移動するために魔法を使うんだ」


 晴斗君が、私の顔を見た。


 ……うん。


 分からないよね。


 言葉で説明するより、見てもらう方が早いかな。


「三人で、あっという間に別の場所へ移るから」


「……えっ。そんなことが……?」


「できるよ」


 ……うん。


 自分で言っておいて、ちょっと不思議な気がする。


 昔の日本にいた頃なら、私だって信じないもんね。


 私は、晴斗君の手を取り、桜花にも近くに寄ってもらった。


「じゃあ、行くよ」


「……は、はい!」


「《転移》」


 次の瞬間。


 潮の香りが消えた。


 代わりに、見慣れた屋敷の玄関が目の前に現れる。


 ……うん。


 王国邸へ到着!


「ただいまー!」


 私は、いつものように声をかけた。


 ……さて。


 晴斗君は……。


「……えっ?」


 晴斗君が、きょろきょろと周囲を見回していた。


「……えっ!? あの、ここ……!?」


「うん。私の家だよ」


「……いや、さっきまで海の町に……」


「《転移》で移動したんだ」


「……転移!? ほんとに魔法!?」


 ……ああ。


 やっぱり、びっくりするよね。


 私も初めて使ったときは、なんだか変な感じがしたもんなぁ。


「うん。これから、いろいろ説明するね」


「……すご……」


 晴斗君が、小さく呟いた。


 ……うん。


 驚くのも、無理ないね。


 私は、少しだけ笑った。


 晴斗君の驚きようを見ていた桜花が、私へそっと声をかけた。


「リアリス様。先ほどから、お二人が話しておられるのは、聞き慣れない言葉のようですが……」


 ……あっ。


 そうだった。


 私、さっきから日本語で話してるんだった。


「ごめん、桜花。今は日本語で話してるんだ」


「……日本語、でございますか?」


「うん。晴斗君にもこの世界の言葉が分かるようにしたいから、あとでちゃんと説明するね」


「かしこまりました」


 桜花が、柔らかく微笑んだ。


 ……うん。


 まずは、晴斗君に少し落ち着いてもらおう。


 私は、屋敷の中へ案内しようとした。


 そのとき。


「……おかえりなさい、リアリス様」


 廊下の向こうから、小さな声がした。


 楓だ。


 ……おっ。


 今日も、いつものように出迎えてくれたね。


「ただいまー、楓!」


 楓が、こくりと頷いた。


 ……うん。


 相変わらず、口数は少ない。


 でも、ちゃんと挨拶してくれるんだよね。


 ……ああ。


 可愛いなぁ。


 私は、晴斗君へ顔を向けた。


「晴斗君、紹介するね。こちらは楓。うちの家族だよ」


 ……ん?


 晴斗君が、何かに驚いたように固まっている。


 視線の先は、楓。


 それから、楓の服。


 ……あっ。


 そっか。


 初めて見ると、驚くかもしれないね。


「……メ、メイド!?」


 晴斗君が、日本語で小さく叫んだ。


 ……うん。


 まあ、そうなるよね。


「えっ……ちっちゃい! メイドさんがいる!?」


 ……ああ。


 ものすごく驚いてる。


 楓は、晴斗君を静かに見上げていた。


 そして、私に一度だけ目を向ける。


 ……うん。


 言葉は分からなくても、驚かれているのは何となく伝わったのかな。


「楓、こちらは晴斗君。日本から来たお客さんなんだ」


「……かしこまりました」


 楓が、ぺこりと頭を下げた。


 晴斗君も、慌てて頭を下げる。


「は、初めまして! ……あっ、通じないんですよね」


 ……うん。


 今は、通じないね。


 でも、挨拶したい気持ちは伝わると思うよ。


「大丈夫。あとで、ちゃんとお話しできるように考えるからね」


「……はい」


 晴斗君は、小さく頷いた。


 さっきまでの驚きに比べると、少しだけ落ち着いたように見える。


 ……うん。


 よかった。


 私は、廊下の奥へ目を向けた。


 居間なら、ゆっくり話せる。


 巴さんも、きっとお茶を用意してくれるだろう。


 ……ああ。


 それにしても。


 昨日は、世界中に私の顔が知られて。


 今日は、知らない日本人の男の子を助けに行って。


 その子を家に連れて帰ってきた。


 ……うん。


 何だか、すごい二日間だね。


 ……いや。


 今朝も、のんびりできそうだと思っていたんだけどなぁ。


 私は、晴斗君へ笑いかけた。


「じゃあ、まずは座って、少し落ち着こうか」


「……はい。お願いします」


 ……うん。


 大丈夫。


 何も分からないまま、突然この世界へ来てしまった晴斗君。


 少なくとも今は、安心して話せる場所がある。


 私にできることも、きっとあるはずだ。


 ……さて。


 まずは、どこから説明しようかな。


 私は、桜花と晴斗君を連れて、居間へ向かった。

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