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第5話:戦神様はガチムチ?

 ……いい朝だ。


 窓の外には、柔らかな日差しが広がっている。


 邪神との戦いも、あの小さな戦神ヴァルちゃんとの勝負も、無事に終わった。


 その後は、何事もない日が続いている。


 ……うん。


 これだよ、これ。


 私が望んでいたのは、こういう生活なんだ。


 朝起きて、家族とご飯を食べて、のんびり過ごす。


 ……最高じゃない?


 そういえば、最近は桜花が庭で楽しそうに稽古している。


 《分身》を付与した日は、今まで見たこともないような笑顔だったなぁ。


 しかも、ようやく十一撃目の【一閃】を出せたらしい。


 ……うん。よかったよかった。


 もっとも、【一閃 舞桜】の完成はまだ先だ。


 桜花本人が百連撃を使えるようになっても、少し能力を落とした分身二人まで同じように動けるとは限らない。


 三人で息を合わせるには、また別の調整が必要だろう。


 ……先は長そうだね。


 でも、桜花ならきっと頑張る。


 私は、そう信じている。


 ……さて。


 今日も、平和な一日を始めよう。


 私は身支度を整え、食堂へ向かった。


     ◇


「ともえ~! これ、おいしいよぉ!」


「ふふっ。そう? よかったわ」


 ……ん?


 廊下の向こうから、聞き覚えのある声がする。


 ……いや。


 聞き覚えがありすぎるというか。


「おかわり、あるぅ?」


「ええ。まだあるわよ」


「やったぁ!」


 ……。


 …………。


 あれ?


 おかしいな。


 あの声の主は、もう神界へ帰ったはずなんだけど。


 私は、そっと食堂の扉を開けた。


 そこには、いつもの家族が座っていた。


 巴さんが料理を運び、カトレアが笑っていて、桜花は落ち着いた様子で紅茶を飲んでいる。


 ……そして。


 見慣れた来客用の席。


 巴さんとキャッツの間に、クッションを敷いた椅子が一脚。


 そこに座っていたのは。


 茶色いポニーテール。


 ピンクのドレス。


 隣の椅子には、大きなウサギのぬいぐるみ。


 ……。


 …………。


「ヴァルちゃん!? なんでいるの!?」


「あっ! リアリスちゃん、起きたぁ! おはよ~!」


 女の子が、満面の笑顔で手を振った。


「……おはようございます」


 反射的に、私も頭を下げた。


 ……いや。


 違う。


 何で私、普通に挨拶してるの?


「ほら、リアリスちゃん。朝ご飯が冷めちゃうわよ」


 巴さんが、いつもの笑顔で私を呼ぶ。


「……巴さん。あの」


「ヴァルちゃん、今朝早くにいらしたのよ」


「……そうなんだ」


「お腹が空いたって言うから、一緒に朝ご飯を食べてるの」


 ……うん。


 とても分かりやすい説明だね。


 問題は、その相手が戦神だということなんだけど。


「お父さん、ヴァルちゃんが来たら、巴さんのところへまっすぐ行ったんだって」


 カトレアが、くすくすと笑う。


 ……なるほど。


 前に帰るとき、またご飯を作ってほしいと言っていたっけ。


 まさか、朝食を食べに神界から来るとは思わなかったよ。


「リアリス様、おはようございます」


 桜花が、私に向かって丁寧に頭を下げた。


「おはよう、桜花」


「ヴァルキア様は、今朝から大変お元気でいらっしゃいます」


「……うん。」


 ヴァルちゃんは、口いっぱいにパンを頬張っている。


 ……戦神。


 今は、巴さんの焼いたパンで幸せそうな顔をしている。


 ……この子、本当に自由だなぁ。


「リアリスちゃんも食べよぉ!」


「……うん。そうするよ」


 私は、いつもの席へ座った。


 せっかくの朝ご飯なんだから。


 とりあえず、いただこうか。


     ◇


「それで、ヴァルちゃん」


「なぁに?」


 私はスープを一口飲み、隣のぬいぐるみをちらりと見た。


「今日は、また戦いに来たの?」


「ううん!」


 即答だった。


 ……おっ。


 それなら安心だ。


「今日はね、お願いがあるの!」


「……お願い?」


「うんっ!」


 ヴァルちゃんはパンをお皿へ置いて、胸を張った。


「魔族と獣人の国に、遊びに行きたいの!」


 ……。


 …………。


 魔国と、獣人国。


 ……ああ。


 そういえば。


「ヴァルちゃんを信仰している国だね」


「そうなの!」


 嬉しそうに頷く。


「みんながどんなふうに暮らしてるのか、見に行きたくなったの!」


「今まで、見に行ったことはないの?」


「神界からは見たことあるよぉ。でも、街を歩いたり、お話したりしたことはあんまりないの」


 ……なるほど。


 遠くから眺めるのと、実際に歩くのは違う。


 観光したい気持ちは、分かる。


「それでね、リアリスちゃんと一緒に行きたい!」


「……私と?」


「うん! リアリスちゃん、いろんな国にお家あるでしょ?」


「……あるね」


「だから、案内してぇ!」


 ……そっか。


 旅行のお誘いかぁ。


 神様から旅行に誘われる人生って、どうなんだろう。


 ……まあ。


 異世界に転生した時点で、今さらかな。


「今日の予定は、特にないけど……」


「ほんと!?」


「うん。ただし、一つだけ約束してほしいな」


「なぁに?」


 私は、少し声を落とした。


「魔国や獣人国では、ヴァルちゃんが戦神だってことを秘密にしてほしいんだ」


「……え?」


「突然、本物の神様が現れたら大騒ぎになるでしょう?」


 私は両手を広げた。


「それに、あの国の人たちは、戦神ヴァルキアを男の神様だと思っているんだよ」


「ええ~! そうなのぉ?」


「……うん。私も、前に桜花から聞いたんだけどね」


 ヴァルちゃんは、なぜか楽しそうに笑い始めた。


「あははっ! 面白ーい!」


「……ヴァルちゃん?」


「じゃあ、わたし、男の子だと思われてるの!?」


「男の子というか……男神、かな」


「あはははっ!」


 ……そんなに面白い?


 本人にしてみれば、面白いのかもしれないけど。


「だから、現地では私の友達ってことにしよう。正体を明かしたり、神様の力を見せたりしないでね」


「はぁい!」


 ……おっ。


 素直だ。


「わたし、リアリスちゃんのお友達!」


「……うん。そうだね」


 ヴァルちゃんが、嬉しそうにぬいぐるみを抱き締める。


 ……戦い以外でも、普通に喜ぶんだね。


「お父さん」


 カトレアが、私を見つめた。


「私も一緒に行っていい?」


「カトレアも?」


「うん。ヴァルちゃんと、もう少しお話したいし」


 ……ああ。


 年下の女の子と遊びに行く、お姉さんの顔だ。


「カトレアちゃんも来るの!?」


「うん。よかったら、一緒に街を見て回ろうね」


「やったぁ!」


 ……うん。


 決まったらしい。


 私は桜花を見た。


「桜花も、一緒に来てくれる?」


「はい。もちろんでございます」


 ……ああ。


 頼もしいね。


 今回は私、ヴァルちゃん、カトレア、桜花。


 それから、旅の手伝いをしてくれるメイドを一人。


 合計五人で行くことになった。


 巴さんが、温かい紅茶を注ぎながら微笑む。


「じゃあ、お昼のお弁当も用意しましょうか?」


「巴さん、お願いしてもいい?」


「もちろんよ」


 ……うん。


 旅行の準備を考えるだけで、少し楽しくなってきた。


 ……戦神と一緒だということを除けば、だけどね。


     ◇


 朝食が終わると、私は《映像通話》でセバスを呼び出した。


『お呼びでございますか、リアリス様』


「おはよう、セバス。ちょっとお願いがあってね」


『はい。何なりと』


「今日、ドルステンさんに会いに行きたいんだ。魔国で面会の予定を取ってもらえるかな?」


『承知いたしました。ご用件を伺ってもよろしいでしょうか』


「……観光のついでに、ご挨拶をしようと思って」


 画面の向こうで、セバスが一瞬だけ動きを止めた。


『……観光、でございますか』


「うん」


『かしこまりました。先方へそのようにお伝えいたします』


 ……ああ。


 さすがセバス。


 何も聞かずに受け止めてくれた。


「今日は五人で行くからね。一人は、ヴァルちゃんっていう私の友達なんだ。小さな女の子なんだけど」


『……ヴァルちゃん、でございますね』


 セバスの声は、いつもと変わらない。


 ……うん。


 この人、すごいなぁ。


 ここで『戦神では?』なんて聞かれたら、どうしようかと思ったよ。


「じゃあ、お願いね」


『お任せください』


 通話を終える。


 ……さて。


 あとは、お土産だね。


 ドルステンさんといえば、やっぱり。


 ……イチゴ。


 私は、厨房へ向かった。


「巴さん!」


「あら、リアリスちゃん。どうしたの?」


「ドルステンさんへのお土産なんだけど、イチゴのケーキとタルトを作ってもらってもいいかな?」


「ふふっ。魔王様のお好きなものね」


「うん。きっと喜んでくれると思うんだ」


「いいわよ。ちょうど材料もあるし」


 ……よかった。


 巴さんのお菓子なら、間違いない。


 ……ただ。


 魔王が、戦神本人の前でイチゴのケーキを食べる。


 ちょっと不思議な光景だな。


「リアリスちゃーん!」


 廊下から、ヴァルちゃんが顔を出した。


「イチゴのケーキ!?」


「……あっ。聞こえた?」


「わたしも食べたぁい!」


 ……。


 …………。


 これは、ドルステンさんの分が残るかな。


 巴さんが、くすっと笑った。


「大丈夫よ。ヴァルちゃんの分も作ってあげるから」


「やったぁ!」


 ……巴さん。


 ありがとうございます。


 この人がいれば、神様同士の戦いもお菓子で止められそうだな。


     ◇


 少しして、セバスから連絡が来た。


『リアリス様。ドルステン陛下との面会ですが、本日午後にお時間をいただけることになりました』


「おお、ありがとう!」


『魔王城には、予定のお時間にお越しください。グリンヒルダ宰相にもご連絡済みでございます』


 ……うん。


 話が早い。


「助かったよ、セバス」


『とんでもございません。皆様、どうぞお気をつけて』


 通話を終え、私は一行を集めた。


 ヴァルちゃん。


 カトレア。


 桜花。


 そして、同行のメイドが一人。


 ……五人。


 ちゃんと揃ったね。


「それじゃ、行こうか」


「はぁい!」


 ヴァルちゃんが、ウサギのぬいぐるみを高々と持ち上げた。


 ……いや。


 持ち上げなくてもいいんだけどね。


 私たちは、屋敷同士をつなぐ《簡易転移》の扉へ向かった。


 扉を通り抜けた先には、紫を基調とした見慣れた廊下が広がっていた。


 ドルステン魔国にある、私の屋敷だ。


「着いたね」


「わぁぁ!」


 ヴァルちゃんが、きょろきょろと辺りを見回した。


「お家が変わったぁ!」


「うん。こっちは魔国の屋敷なんだ」


「すごぉい!」


 ……うん。


 何を見ても楽しそうだなぁ。


 玄関ホールへ出ると、朝顔が出迎えてくれた。


「リアリス様。お帰りなさいませ」


「ただいま、朝顔。今日はお世話になるね」


「はい。皆様のお越しをお待ちしておりました」


 朝顔が、来客へ丁寧に頭を下げる。


 ヴァルちゃんは、ぬいぐるみを抱えたまま元気よく挨拶した。


「こんにちはぁ!」


「こんにちは。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」


 ……うん。


 朝顔も、変に驚かず受け止めてくれた。


 この家の家族って、本当に頼もしい。


「では、お出かけの前に、少しだけお茶を――」


「あっ! リアリスちゃん!」


 ヴァルちゃんが、窓の外を指さした。


「お外! 早く見たぁい!」


 ……。


 …………。


 お茶は、帰ってからでよさそうだ。


「じゃあ、街へ行ってみようか」


「うんっ!」


 朝顔は、楽しそうに笑うヴァルちゃんを見て、わずかに微笑んだ。


「いってらっしゃいませ」


「行ってきます!」


 ……さて。


 自分の名前がついた街を歩いたら、この子はどんな反応をするんだろう。


     ◇


 魔都ヴァルキア。


 ドルステン魔国の首都で、私も何度も訪れたことがある街だ。


 石造りの建物が並び、通りには大小さまざまな魔族の人たちが行き交っている。


 角のある人。


 翼を持つ人。


 私よりずっと背の高い人もいれば、カトレアより小柄な人もいる。


 ……うん。


 昔は、魔族というだけで少し身構えていたけれど。


 今は、すっかり見慣れた光景だ。


「わぁ! みんな、いろんな形だぁ!」


 ヴァルちゃんは、目を輝かせて辺りを見回している。


「そうだね。魔族の人たちって、個性的でしょう?」


「うん!」


 カトレアが、ヴァルちゃんの歩く速度に合わせて隣へ並んだ。


「人が多いから、はぐれないようにね」


「はぁい!」


 ……おお。


 ちゃんとお姉さんしてる。


 微笑ましいなぁ。


 通りの奥には、食べ物を売る店が並んでいた。


 焼いた肉の香り。


 香辛料を混ぜたような匂い。


 色の濃い果実が積まれた屋台。


「リアリスちゃん、あれ何?」


「ああ、焼いたお肉だと思うよ」


「おいしそう!」


「……朝ご飯、食べたばかりでしょう?」


「それとこれとは別だよぉ!」


 ……そうですか。


 神様の胃袋って、どうなっているんだろう。


 カトレアが、小さく笑った。


「お昼には巴さんのお弁当もあるから、少しずつにしようね」


「うんっ!」


 ……うん。


 ヴァルちゃんには、私よりカトレアの方が上手に対応してる気がする。


 歩いていると、通りの先に大きな門が見えてきた。


 その向こうには、背の高い建物がそびえている。


「……あれかな」


 私は、事前に聞いていた場所と見比べた。


 魔都にある、戦神ヴァルキアを祀る神殿。


 魔族の人たちが昔から大切にしてきた、信仰の場所だ。


「ヴァルちゃん、あそこが目的の神殿だよ」


「ほんと!?」


 ヴァルちゃんが、ぴょんっと跳ねた。


「わたしの神殿!」


 ……あっ。


「……ヴァルちゃん」


「……あっ!」


 ヴァルちゃんが口元へ手を当てた。


 ……そうそう。


 今は、お友達。


 幸い、近くの人たちは誰も気づいていないみたいだ。


「……えへへ!」


 ……頼むよ、ヴァルちゃん。


 本当に。


     ◇


 神殿の中は、外の賑わいが嘘のように静かだった。


 高い天井。


 磨かれた石の床。


 両側には大きな柱が並び、奥には柔らかな灯りがともっている。


 魔族の人たちが、静かに祈りを捧げていた。


 ……ああ。


 ちゃんと大切にされているんだね。


 私は、少しだけ背筋を伸ばした。


 神様本人が一緒にいるとはいえ、ここは人々にとって神聖な場所だ。


 騒がないようにしないと。


 ……そう思って、奥へ目を向けた。


 そこで。


 私は、足を止めた。


 ……。


 …………。


 ……えっ。


 神殿の中央。


 壇の上に、巨大な像が立っていた。


 高さは、三メートルくらいあるだろうか。


 太い腕。


 分厚い胸板。


 岩でも削って作ったような腹筋。


 丸太みたいな太腿。


 そして、太い首の上には、勇猛な男の顔。


 背中には大きな剣を負い、足元には倒した魔獣らしき彫刻が並んでいる。


 ……。


 …………。


 ……誰?


 私は、思わず像を見上げた。


 確かに、強そうだ。


 ものすごく強そう。


 というか。


 強そうを通り越して、ちょっと怖い。


 ……でも。


 これ、誰なんだろう。


 隣のヴァルちゃんを見る。


 小さな身体。


 ピンクのドレス。


 茶色のポニーテール。


 腕には、大きなウサギのぬいぐるみ。


 ……。


 …………。


 いやいやいや。


 違いすぎるでしょう!?


 私は、もう一度像を見た。


 大胸筋。


 腹筋。


 上腕二頭筋。


 ……筋肉。


 とにかく、筋肉。


 そして、隣を見る。


 ……ウサギ。


 ……どういうこと?


 ヴァルちゃんも、像を見上げていた。


 小さな口が、ぽかんと開いている。


 ……あれ?


 さすがに驚いた?


 そう思った、次の瞬間。


「……あはっ!」


 ……。


「あははははっ!」


 ヴァルちゃんが、笑い始めた。


 しかも、かなり大きな声で。


「全然違うよぉ! おもしろーい!」


「……ヴァ、ヴァルちゃん!」


 私は慌てて、しゃがみ込んだ。


「あははっ! あんなにおっきくないよぉ!」


 ……うん。


 知ってる。


 私も、知ってる。


 でも、それを今ここで言わないでほしい。


 近くで祈っていた人が、こちらを見た。


 ……まずい。


 怒られないかな。


「ヴァルちゃん。ここでは、静かにしようね」


「……んっ、わかったぁ」


 ヴァルちゃんが、口元を押さえた。


 ……ふう。


 何とか収まった。


 ……と思ったら。


 その肩が、小刻みに震えている。


 ……まだ笑ってるね。


 私は、思わず額を押さえた。


 戦神様。


 ご自身の神殿なんですけど。


     ◇


「そちらのお嬢さんは、初めてのお参りですかな?」


 穏やかな声がした。


 振り返ると、神殿の奥から一人の年配の魔族が歩いてきた。


 落ち着いた服装。


 胸には、剣をかたどった小さな飾り。


 どうやら、この神殿を管理している方らしい。


「こんにちは。はい、初めてなんです」


「そうでしたか。遠くからおいでになったのですかな」


「ええ。今日は観光で来ました」


「ようこそ、戦神ヴァルキア様の神殿へ」


 ……おお。


 ちゃんとした案内をしてくれるみたいだ。


 その隣で、ヴァルちゃんが、またぴくっと肩を動かした。


 ……頼む。


 今だけは我慢して。


「ねえねえ!」


 ヴァルちゃんが手を上げた。


「この大きい人、だぁれ?」


 ……。


 …………。


 いや。


 本人が聞くんだ。


 まあ、聞きたくなるよね。


 神殿の方は、嬉しそうに像を見上げた。


「こちらこそ、我ら魔族をお守りくださる戦神ヴァルキア様の御姿です」


「……へええ~!」


 ヴァルちゃんの目が、まん丸になった。


 ……あっ。


 もう笑いそう。


 神殿の方は、まったく気づかず説明を続ける。


「戦神様は、いかなる敵にも屈せぬ剛健なる男神。大地を踏みしめるだけで山を揺らし、一度剣を振れば無数の敵を薙ぎ払うと伝えられております」


 ……。


 …………。


 ……うん。


 剣の方は、たぶん本当だ。


 ただし。


 それをやるのが、こんな筋肉男ではないだけで。


「そして、その御腕は岩をも砕き、御胸にはいかなる刃も届かぬと……」


 ……筋肉の説明、まだ続くんだ。


 私は、思わず像を見た。


 確かに、岩を砕きそうな腕だね。


 ……でも。


 実物のヴァルちゃんは、もっと小さな手で、私を軽々と吹き飛ばしたんだけど。


 ……あれ。


 実際の方が怖くない?


「ねえ、おじいちゃん!」


 ヴァルちゃんが、また手を上げた。


「はい、何でしょう?」


「戦神様って、そんなにムキムキなのぉ?」


「ええ。それはもう! 力強さは、まさに神そのもの。きっと誰もが、その御姿を見ただけで震え上がることでしょう」


 ……。


 …………。


 隣のヴァルちゃんを見る。


 ウサギのぬいぐるみを抱えた、笑顔の女の子。


 ……うん。


 震え上がる?


 ……まあ、実際の戦いを見たら、震え上がるかもしれないね。


 見た目では、絶対に分からないけど。


「……あはっ」


 ……あっ。


 ヴァルちゃんが、口元を押さえた。


 神殿の方は、にこにこしている。


「お嬢さんも、いつか戦神様のように強くなりたいのですかな?」


「うん! 強いの、大好き!」


 ……うん。


 嘘は言ってない。


 ただ、立場が完全に逆なんだよね。


「それは立派なことです。戦神様は、勇敢な者をお喜びになると伝えられています」


「へええ! そうなんだぁ!」


 ……ああ。


 自分の好みを、今初めて教わっている。


 カトレアが、私の隣で小さく笑った。


「……お父さん」


「……うん?」


「ヴァルちゃん、楽しそうだね」


「……そうだね」


 私たちは、目を合わせた。


 ……ああ。


 この子、すっかり事情を分かってる。


 桜花は、普段どおり落ち着いた顔で立っていた。


 ……いや。


 よく見ると、口元がほんの少し緩んでいる。


 ……桜花も、笑いをこらえてる?


 珍しいなぁ。


 ヴァルちゃんは、神殿の方に向かって一歩近づいた。


 その人の脚を、ぽんぽんと軽く叩く。


「あははー! 神様を大事にしてあげてねー!」


 神殿の方が、目を細めた。


「もちろんですとも。これからも、感謝を忘れず祈りを捧げてまいります」


「うんっ!」


 ヴァルちゃんが、嬉しそうに頷いた。


 ……ああ。


 今の笑顔は、さっきまでとは少し違う気がした。


 面白いから笑っているだけじゃない。


 自分のことを大切に思ってくれている人がいる。


 その気持ちが、嬉しいのかもしれない。


 ……うん。


 いい場面だなぁ。


 その背後には、筋肉がものすごいことになっている巨大な男神像が立ってるんだけどね。


 私たちは、神殿の方へお礼を告げて外へ出た。


 ……ふう。


 何とか、正体は隠し通せたかな。


     ◇


 神殿を出ると、ヴァルちゃんが私の服の袖を引っ張った。


「リアリスちゃぁん!」


「……うん?」


「あの像、すっごく面白かったねぇ!」


「ヴァルちゃんが一番楽しそうだったね」


「うん! だって、全然違うんだもん!」


 ……確かに。


 そこは否定できない。


「ねえ、リアリスちゃん。わたし、あんなに筋肉ついてる?」


「……ついてないよ」


「だよねぇ! あははっ!」


 ……うん。


 そこまで笑うほど、自分の像が気に入ったらしい。


「でもね」


 ヴァルちゃんが、少しだけ声を落とした。


「おじいちゃん、ずっと大事にしてくれてるんだね」


「……そうだね」


「わたし、嬉しかったぁ!」


 ……ああ。


 よかった。


 像は違っていても、信仰している人たちの気持ちはちゃんと伝わったんだね。


 少し歩いたところで、私たちは人通りの少ない広場の腰掛けを見つけた。


 ちょうどお昼時だ。


「みんな、お腹空いたでしょう?」


 私が尋ねると、ヴァルちゃんが真っ先に手を上げた。


「すいたぁ!」


 ……ああ。


 やっぱり。


 同行のメイドが、巴さんのお弁当を取り出してくれた。


 彩りのいいおかずに、食べやすい大きさのおにぎり。


 ……うん。


 おいしそうだねぇ。


「ともえのご飯だぁ!」


 ヴァルちゃんが、歓声を上げる。


 カトレアが笑った。


「少しずつ食べようね。午後も歩くんだから」


「はぁい!」


 私たちは、街の景色を眺めながらお弁当をいただいた。


 ……ああ。


 平和だなぁ。


 こうして魔族の街で、家族と一緒にお弁当を食べられるなんて。


 二千年の争いがあった頃には、想像もできなかったことだろうね。


 ……よかった。


 私も、少し嬉しくなった。


「リアリス様」


 桜花が、小さく声をかけた。


「そろそろ、魔王城へ向かうお時間かと」


「……あっ。そうだったね」


 ……そうだ。


 午後からは、ドルステンさんと面会するんだった。


「みんな、準備はいい?」


「はい」


「うん!」


「はぁい!」


 ……よし。


 次は、魔王城だ。


 ……うん。


 嫌な予感しかしない。


     ◇


 魔王城は、相変わらず大きかった。


 黒い石の壁。


 高い塔。


 正面には、重厚な扉が並んでいる。


 ……うん。


 これぞ魔王のお城、って感じだね。


 でも、最初に訪れたときとはずいぶん違う。


 あの頃は、和平の話をするためにかなり緊張していた。


 今は観光の途中。


 しかも、手には巴さん特製のイチゴケーキとイチゴタルト。


 ……何だか、普通の友達の家へ遊びに行くみたいになってきたな。


 城門では、すでに話が通っていた。


「リアリス様。お待ちしておりました」


「こんにちは。今日はお世話になります」


 兵士さんが、一行を城内へ案内してくれた。


 ヴァルちゃんは、広い廊下を見上げている。


「わぁぁ! おっきいお城!」


「そうだね」


「リアリスちゃん、ここにも住んでるの?」


「いやいや。ここはドルステンさんのお城だよ」


「へええ!」


 ……ああ。


 興味津々だなぁ。


 そこへ。


「リアリス殿」


 廊下の先から、見覚えのある魔族が歩いてきた。


 三つ目。


 落ち着いた物腰。


 そして、牛のような尻尾。


「グリンヒルダさん。こんにちは」


「うむ。よく参られた」


 魔国の宰相グリンヒルダさんが、私たちを見渡した。


 その目が、ヴァルちゃんで止まる。


「……ほう。今日は、可愛らしい客人も一緒か」


「はい。私の友達のヴァルちゃんです」


「ヴァルちゃん、とな」


 ……あっ。


 一瞬、何かを考えるような顔をした。


 でも、それだけだった。


「こんにちはぁ!」


 ヴァルちゃんが、元気に手を振る。


「……うむ。ようこそ、魔国へ」


 グリンヒルダさんが、小さく頷いた。


 ……よかった。


 何も気づいていないみたいだ。


 この子が戦神だなんて、誰も思わないよね。


「魔王陛下がお待ちだ。こちらへ」


 私たちは、グリンヒルダさんのあとについて広間へ向かった。


     ◇


「おお、リアリス殿!」


 広間に入ると、魔王ドルステンが立ち上がった。


 大きな身体。


 背中には立派な翼。


 その威圧感は、今も健在だ。


 ……うん。


 この人が魔王だと言われたら、誰も疑わないよね。


「こんにちは、ドルステンさん」


「うむ。よく来たな。吾輩も、久々にゆっくり話したいと思っておったぞ」


 ……おお。


 相変わらず、いい人だなぁ。


「今日は、観光の途中でお邪魔しました」


「そうかそうか。魔都を楽しめておるなら何よりだ」


 ドルステンさんの視線が、私の隣へ移った。


 ……あっ。


 見つけた。


 小さな戦神を。


「……ほう?」


 魔王が、少し身をかがめた。


 ヴァルちゃんは、相変わらずウサギのぬいぐるみを抱えている。


 ドルステンさんの身体と比べると、まるで大人と幼い子供だ。


 ……いや。


 見た目は、実際にそうなんだけど。


「リアリス殿。この小さな娘は?」


「私の友達のヴァルちゃんです。今日は一緒に街を見に来たんです」


「ほう! そうであったか」


 ドルステンさんが、優しく笑った。


「よく来たな、小さな客人。吾輩が、この国の王ドルステンだ」


「こんにちはぁ!」


 ヴァルちゃんが、元気に頭を下げた。


「ドルステンさん、おっきいねぇ!」


「はっはっは! 魔族の中でも、吾輩は大きい方だからな」


 ……ああ。


 普通に子供扱いされてる。


 ……本当に、何も知らないんだなぁ。


「怖くはないか?」


「ぜんぜん!」


「そうか! それはよかった」


 ドルステンさんが、安心したように笑う。


 ……ああ。


 何だか、すごく微笑ましい。


 ……でも。


 もし、ヴァルちゃんが本気で戦ったら。


 この大きな魔王ですら、たぶん相手にならないんだよね。


 ……考えないでおこう。


 平和な日だからね。


「こちらは娘のカトレア。隣が桜花です。もう一人、屋敷のメイドも同行しています」


 私は、一緒に来た家族を紹介した。


 カトレアが、丁寧に頭を下げる。


「こんにちは。今日はお時間をいただき、ありがとうございます」


「うむ! そなたも、ずいぶん大きくなったな」


 ……あっ。


 そうか。


 ドルステンさんも、昔のカトレアを知ってるんだね。


「ありがとうございます」


 カトレアが、少し照れたように笑う。


 桜花も、落ち着いた様子で挨拶する。


「お久しぶりでございます、ドルステン陛下」


「うむ。桜花殿も変わりなく何よりだ」


 ……ああ。


 みんなが、普通に挨拶できる。


 二千年続いた争いが、もう昔の話になりつつあるんだね。


 ……本当に、よかった。


     ◇


「それで、リアリス殿。今日は何か用件があるのか?」


 応接の席へ案内されると、ドルステンさんが尋ねた。


「今日は、特別な相談ではないんです。ヴァルちゃんが魔国を見てみたいと言うので、観光の途中でご挨拶に」


「そうであったか!」


 ドルステンさんが、嬉しそうに頷く。


「吾輩の国を気に入ってもらえるなら、これほど嬉しいことはない」


 ……うん。


 魔王として、誇らしいんだろうな。


 ヴァルちゃんは、椅子に座ると足をぶらぶらさせた。


「ねえねえ、ドルステンさん!」


「うむ。何だ?」


「さっき、神殿に行ってきたの!」


「ほう! 戦神様の神殿か!」


「うんっ!」


 ……あっ。


 その話題に行くんだ。


 私は、ちょっと背筋を伸ばした。


「ドルステンさんは、戦神様ってどんな人だと思う?」


 ヴァルちゃんが、目を輝かせて尋ねた。


 ……うん。


 本人が聞くと、面白すぎる質問だね。


 ドルステンさんは、重々しく腕を組んだ。


「……む。よい質問だな」


 ……おっ。


 真面目に考えてる。


「戦神ヴァルキア様は、我ら魔族が古くから崇めてきた偉大なる男神だ」


「……ふんふん!」


「いかなる敵をも恐れぬ、勇猛なる戦士。御身は山のように逞しく、その剛腕は大地すら砕くと伝えられておる」


 ……。


 …………。


 また、筋肉。


 神殿と同じ説明だ。


 隣のヴァルちゃんを見ると、すでに口元を押さえている。


 ……あっ。


 限界が近い。


「そして、神の剣はあらゆる戦場に勝利をもたらす。吾輩も幼い頃より、その御姿に憧れたものだ」


 ……なるほど。


 この人も、小さい頃から信仰してきたんだね。


 ……というか。


 魔王が憧れている相手が、今、隣で足をぶらぶらさせてるんだけど。


「そっかぁ! じゃあ、ドルステンさんも戦神様みたいになりたいの?」


「うむ! 戦う者なら、一度はあの御姿を目指すであろう」


 ……。


 …………。


 ヴァルちゃんが、私を見た。


 にっこり。


 ……いや。


 その顔。


 絶対、笑いをこらえてるよね。


「……えへへっ!」


「どうした、小さな客人?」


「ううん! 何でもなぁい!」


 ……危なっ。


 私も、笑いそうになった。


 だって。


 この大きな魔王が、ウサギを抱いた女の子に憧れているんだよ?


 ……事実を知ったら、どんな顔をするんだろう。


 ……いや。


 だから、考えちゃ駄目だって。


「……リアリス様」


 桜花が、小声で話しかけてきた。


「……大丈夫でございましょうか」


「……たぶん」


 ……いや。


 私も、自信ないなぁ。


 その隣で、カトレアは静かに微笑んでいる。


 ……この子、落ち着いてる。


 見習おう。


     ◇


「あっ、そうだ。お土産を持ってきたんです」


 私は、話題を変えることにした。


 ……今のままだと、絶対に笑いが止まらなくなる。


「ほう、土産か?」


「はい。巴さんが作ってくれたんです」


 同行のメイドが、丁寧に包んだ箱をテーブルへ置いた。


 ふたを開けると、ふんわりと甘い香りが広がる。


 イチゴのショートケーキ。


 それから、つやつやとしたイチゴを並べたタルト。


 ……うん。


 見た目も完璧だ。


 ドルステンさんの目が、ぴくっと動いた。


 ……あっ。


 これは、いつもの反応だね。


「……こ、これは」


「イチゴのケーキとタルトです。巴さんが、ドルステンさんのために」


「……うむ!」


 ドルステンさんが、大きく頷く。


 ……なんか。


 急に背筋が伸びたなぁ。


 さっきまで戦神について語っていたときより、気合いが入っているような。


「実に、よい土産だ」


 ……おお。


 威厳のある声。


 でも、視線が完全にイチゴへ向いている。


「ドルステンさん、イチゴ好きなのぉ?」


 ヴァルちゃんが、無邪気に尋ねた。


「……む?」


 ドルステンさんは、少しだけ咳払いした。


「……うむ。嫌いではない」


 ……出た。


 嫌いではない。


 この人、本当に好きなものを聞かれると、毎回こんな答え方をするんだよね。


「わたしも大好きぃ!」


 ヴァルちゃんが、身を乗り出した。


「ともえのケーキ、すっごくおいしいよ!」


「……ほう!」


 ドルステンさんの目が、さらに輝いた。


 ……もうね。


 完全にお菓子の話になってる。


 戦神とか、魔王とか。


 そういう肩書き、どこへ行ったんだろう。


 用意された皿へ、ケーキが切り分けられた。


 もちろん、ヴァルちゃんの分もある。


 ……巴さん。


 ちゃんと多めに作ってくれて、本当にありがとうございます。


「それでは、いただこう」


 ドルステンさんが、重々しくフォークを持った。


 そして、一口。


 ……。


 …………。


 魔王の目が、大きく開かれた。


「……うまい!」


 ……おお。


 素直な感想だ。


「でしょぉ!」


 ヴァルちゃんが、嬉しそうに笑う。


「タルトもおいしいよぉ!」


「……うむ。それは楽しみだ!」


 ……ああ。


 仲良くなっちゃった。


 魔王の方が、子供の話を聞いているように見えるけど。


 実際は、あの女の子がこの国の戦神本人なんだよね。


 ……すごい光景だなぁ。


 私は、紅茶を一口飲んだ。


 ……うん。


 おいしい。


 平和だねぇ。


「リアリス殿」


「はい?」


「巴殿には、吾輩からも礼を伝えておいてくれ」


「もちろんです」


「次に会うときも、このタルトを……いや、何でもない」


 ……。


 …………。


 ドルステンさん。


 言いかけたこと、全部聞こえてましたよ。


 ……まあ。


 巴さんには、ちゃんと伝えておこう。


     ◇


 お茶を飲み終える頃には、ヴァルちゃんとドルステンさんは、すっかり打ち解けていた。


「ねえ、ドルステンさん!」


「うむ?」


「その羽、すごいねぇ!」


「はっはっは! これか。魔族の王として、誇りに思っておる」


「飛べるのぉ?」


「もちろんだ」


「いいなぁ!」


 ……いや。


 ヴァルちゃん。


 空を飛べないわけじゃないでしょう?


 ……あっ。


 そうだ。


 ここでは、友達の女の子だったね。


 危ない危ない。


「お嬢さんも、強くなれば何か特別なことができるかもしれぬぞ」


「ほんと!?」


「うむ! よく学び、よく食べ、身体を鍛えるとよい」


 ……。


 …………。


 ああ。


 とうとう、魔王が戦神へ修行の助言を始めた。


 私は、そっと紅茶へ視線を落とした。


 ……笑うな。


 今は、笑うな。


 ヴァルちゃんは、真剣な顔で頷いている。


「わかったぁ! いっぱい食べるね!」


「うむ。それがよい!」


 ……ああ。


 微笑ましい。


 微笑ましいけど。


 何かが、致命的に間違っている。


 ……いや。


 魔王に悪気はないんだから。


 私は、何も言わないでおこう。


「ドルステンさん」


 ヴァルちゃんが、椅子から降りた。


「今日は、ありがとぉ!」


「おお。もう帰るのか?」


「うん! 次は獣人さんのところに行くの!」


「そうか。楽しい旅になるとよいな」


 ドルステンさんが、大きな手を差し出した。


 ヴァルちゃんは、ぬいぐるみを片腕に抱え直し、その手を握った。


 ……。


 …………。


 大きな魔王の手。


 小さな女の子の手。


 まるで親子のような、可愛らしい握手だ。


 この小さな手で、私は何度も吹き飛ばされたんだよね。


 ……うん。


 忘れよう。


 今日は、観光の日だ。


「ドルステンさん!」


「うむ?」


「戦神様のこと、これからも大事にしてね!」


 ヴァルちゃんが、にっこり笑った。


 ドルステンさんも、重々しく頷く。


「当然だ。我ら魔族にとって、戦神ヴァルキア様は大切な御方だからな」


「……うんっ!」


 ヴァルちゃんの笑顔が、少しだけ柔らかくなった。


 ……ああ。


 よかったね。


 本人だとは知られなかったけれど。


 どれほど大切に思われているのかは、ちゃんと分かったみたいだ。


「それじゃ、ドルステンさん。また来ますね」


「うむ! いつでも歓迎するぞ、リアリス殿」


 私たちは、魔王城をあとにした。


 ……ふう。


 最後まで、正体はバレなかった。


 ……本当に、よかった。


     ◇


 魔国の屋敷へ戻る頃には、夕方になっていた。


 朝顔が、温かいお茶を用意して迎えてくれる。


「お帰りなさいませ」


「ただいま、朝顔」


「皆様、魔都はいかがでございましたか?」


「楽しかったぁ!」


 ヴァルちゃんが、真っ先に答えた。


「すっごくおっきい人がいたの!」


 ……うん。


 いたね。


 筋肉だらけの、とんでもなく大きな男神像が。


 ……そういえば。


 魔王もかなり大きかったなぁ。


「あとね、ケーキもおいしかった!」


 ……そっちも覚えているんだ。


 まあ、いいか。


「今日はありがとう。これから獣人国の屋敷に向かうよ」


「承知いたしました。どうぞお気をつけて」


 ……うん。


 朝顔も、元気そうでよかった。


 屋敷が各国にあると、こうして顔を見られるのが嬉しいね。


 私は、ヴァルちゃんへ目を向けた。


「今日は、どうだった?」


「すっごく楽しかった!」


「……そっか」


「みんな、わたしのこと大事にしてくれてるんだねぇ!」


 ……ああ。


 よかった。


 本人の姿は、誰も知らない。


 だけど。


 長い間、祈り続けてきた人たちの気持ちは、確かにそこにあった。


「そうだね。みんな、ヴァルちゃんのことが大好きなんだと思うよ」


「えへへ!」


 ……うん。


 いい笑顔だな。


 ……あの筋肉の像さえ思い出さなければ、ね。


「じゃあ、次は獣人国へ行こうか」


「うんっ!」


 私たちは、屋敷の《簡易転移》の扉へ向かった。


 その先は、ジーラット国の屋敷だ。


 ……さあ。


 もう一つの、戦神を大切にしている国。


 いったい、どんな神殿があるんだろう。


     ◇


 扉の向こうには、獣人国の屋敷が広がっていた。


 外は、すっかり夕暮れだ。


 出迎えてくれたのは、菖蒲。


「リアリス様。お帰りなさいませ」


「ただいま、菖蒲。今日は五人で泊まらせてもらうね」


「はい。お部屋の準備は整っております」


 ……おお。


 さすが、仕事が早い。


 セバスから、すでに連絡が届いていたんだろう。


 ヴァルちゃんが、ウサギのぬいぐるみをぎゅっと抱き締めた。


「わぁ! またお家が変わったぁ!」


「うん。ここが獣人国の屋敷だよ」


「じゃあ、明日は獣人さんに会えるの!?」


「そうだね。街も見に行こうと思ってるよ」


「やったぁ!」


 ……ああ。


 どこまでも元気だなぁ。


「カトレア、疲れてない?」


「大丈夫。今日はいろいろ見られて楽しかったよ」


「それならよかった」


 桜花も、小さく頷く。


「私も、魔国の皆様の暮らしを見られて勉強になりました」


「うん。またみんなで来ようね」


 ……ああ。


 こういう旅行、いいね。


 戦神と魔王が出てくるという点を除けば、普通の家族旅行だ。


 ……うん。


 いや、やっぱり普通じゃないか。


 しばらくすると、巴さんも屋敷間の扉を通って来てくれた。


「みんな、お帰りなさい。楽しかった?」


「ともえぇ!」


 ヴァルちゃんが、ぬいぐるみを抱えたまま駆け寄る。


「今日ね、すっごく面白かったの!」


「あら。どんなことがあったの?」


「えへへ! あとで教えてあげる!」


 ……ああ。


 そうだね。


 ぜひ、巴さんにも教えてあげて。


 ただし、私が笑ってしまうかもしれないから。


 筋肉の話は、食事中にはやめてほしいな。


 ……いや。


 絶対に話すだろうね。


     ◇


 夕食には、巴さんの温かい料理が並んだ。


 昼間、魔国で歩いた分だけ、お腹も空いている。


 ……うん。


 こうして家族とご飯を囲める時間は、やっぱりいいな。


「ともえ、これもおいしいよぉ!」


「ふふっ。ありがとう、ヴァルちゃん」


「今日のケーキも、すっごくおいしかった!」


「魔王様も喜んでくださったかしら?」


「うん! すごい顔してた!」


 ……。


 …………。


 うん。


 たしかに、すごい顔だったね。


 威厳ある魔王が、イチゴタルトを見た瞬間に目を輝かせていた。


 ……ああ。


 思い出しただけで、笑いそう。


 カトレアが、小さく口元を押さえた。


「……お父さん」


「……うん?」


「魔王様、ヴァルちゃんに『たくさん食べて強くなるといい』って言ってたね」


 ……。


 …………。


 あっ。


 そっちもあった。


「言ってたねぇ……」


 私は、思わず遠い目をした。


 ヴァルちゃんは、にこにこ笑っている。


「うん! わたし、いっぱい食べる!」


 ……うん。


 知ってるよ。


 今日だけでも、十分すぎるほど見せてもらった。


 私は、そっとスープを口へ運んだ。


 ……平和だなぁ。


 とても、平和だ。


「ねえねえ、リアリスちゃん!」


「うん?」


「明日は、どんな王様に会うの?」


「ああ、ジーラット国の獣王ライオネスさんだね」


「じゅうおうさん!」


「うん。ライオンの獣人なんだ」


 ヴァルちゃんが、ぴたりと動きを止めた。


 ……ん?


「……ライオン?」


「うん」


「……もふもふ?」


 ……。


 …………。


 あっ。


 目が輝いた。


「……まあ、たてがみは立派だよ」


「わぁぁ!」


 ……ちょっと待って。


 その反応。


 嫌な予感がするんだけど。


「明日、早く行こうね!」


「……うん。まずは、ちゃんと約束を取ってからね」


「はぁい!」


 ……うん。


 返事はいい。


 すごく、いい。


 ……でも。


 何だろう。


 ライオネスさんの身に、何かが起こる予感がする。


 ……いやいや。


 相手は戦神でも、今は観光中だ。


 きっと、大丈夫。


 ……たぶん。


 私は、いつものように紅茶を一口飲んだ。


 ……ああ。


 明日も、平和な一日になるといいな。


 魔国の大きな戦神像を思い出しながら、私はそう願った。


 ……それにしても。


 ヴァルちゃんが、あの筋肉だらけの男神像を見ていたときの顔。


 ……。


 …………。


 ぷっ。


 ……駄目だ。


 やっぱり、思い出すと笑っちゃう。

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