第4話:桜花が家に入れません
四日目の朝。
私は、生まれて初めて自分で建てた家の寝室で目を覚ました。
……うん。
正確には、生まれて初めてというわけじゃない。
日本にいた頃だって、家に住んでいた。
でも、草原に魔法で豪邸を建てるという経験は、さすがに初めてだ。
しかも、寝台がものすごく柔らかい。
「……ああ、幸せだなぁ」
天井を見上げたまま、思わずつぶやいた。
昨日は、いろいろなことがあった。
王様と話をして、王国から自由に暮らすことを認めてもらい、草原に家を建てた。
念願の大浴場にも入れた。
そして――。
桜花。
銀髪のおかっぱ頭で、メイド服に日本刀を携えた、私が作った最初のホムンクルス。
……こうして並べてみると、昨日もずいぶん濃い一日だったなぁ。
私は寝台から起き上がり、大きく伸びをした。
身体が軽い。
前の人生では、こんな当たり前の動作さえ、つらい日があった。
だから今は、朝起きるだけでちょっと嬉しい。
「さて、今日は何をしようかな」
……あっ。
もう決まっていた。
薬草採取だ。
昨日は王城へ呼ばれて、とうとう依頼を受けられなかったんだよね。
しかも、最後に思い出して通りで大声を出した。
……あれは忘れよう。
人間、忘れた方がいい思い出もある。
私は身支度を整えて、部屋を出た。
階段を下りると、玄関ホールは朝の光で明るくなっていた。
「おはようございます、リアリス様」
「うわっ!?」
階段の下に、桜花が立っていた。
昨日と同じ、きちんとしたメイド服。
銀色の髪が朝日に光っている。
「お、おはよう、桜花」
「はい。よくお休みになれましたか?」
「うん、ぐっすり。……桜花は?」
「私も問題ございません」
「そっか。よかった」
……まだ慣れない。
昨日まで、この家には私一人しかいなかった。
挨拶をしても返事がないのが普通だったのに、今はちゃんと「おはよう」が返ってくる。
それだけで、何だか嬉しくなる。
「そうだ。昨日の夕飯、助かったよ」
「いえ。調理を少しお手伝いしただけでございます」
「いやいや、十分だよ。私一人だったら、あの広い厨房で途方に暮れてたと思うし」
昨夜は結局、私一人で王都へ買い物に出かけた。
桜花には屋敷で待っていてもらい、市場で食材を揃えてきたのだ。
戻ってから二人で簡単に調理して、ようやくまともな夕飯にありついた。
桜花がいなければ、せっかくの豪邸で、空っぽの食卓を眺める羽目になっていたかもしれない。
「では、朝食もご一緒に準備いたしましょう」
「うん。お願い!」
私は桜花と並んで厨房へ向かった。
……ああ。
朝から誰かと一緒にご飯を作るなんて、いいものだなぁ。
朝食は、昨日の買い物で手に入れたパンと野菜、それから焼いた肉。
豪華な料理というわけではないけれど、二人で作ると何だか楽しい。
桜花は包丁の扱いが上手だった。
……日本刀を使える人が、包丁も上手なのは当たり前なのかな。
いや、それは違う気がする。
「手際がいいね、桜花」
「ありがとうございます。リアリス様も、火加減がお上手です」
「……それ、つまみを回しただけだよ?」
「それでも、焦がさず仕上げることは大切でございます」
何というか、褒め上手だ。
私はつい、得意になってしまいそうだった。
食堂の長い卓に、二人分の食事を並べる。
……二人分。
卓の大きさを考えると、まだまだ寂しい光景だ。
でも、昨日よりはずっといい。
「いただきます!」
「いただきます」
向かい側から、桜花の声が返ってきた。
うん。
やっぱり、一緒に食べるご飯はおいしい。
◇
食後、私は冒険者カードを手に取り、桜花に今日の予定を話した。
「今日は薬草採取をしようと思ってるんだ」
「薬草採取、でございますか」
「うん。冒険者ギルドの依頼。私、一応Fランク冒険者だからね」
そう胸を張ると、桜花は一瞬だけ目を瞬かせた。
「……そうでございましたか」
「ちょっと。その間は何?」
「いえ、何でもございません」
絶対、何か言いたいことがある顔だった!
「昨日も受けようと思ったんだけど、王城へ呼び出されちゃってさ」
「では、本日こそですね」
「そういうこと!」
私は拳を握った。
転生してからというもの、予定どおりに進んだ試しがない。
今日こそは普通の冒険者らしく、薬草を採って、お金を稼いで、帰ってくる。
これだよ。
こういう生活がしたかったんだよ。
「桜花も一緒に来る?」
「もちろんでございます」
「よかった。じゃあ、行こう!」
玄関を出ると、草原に朝の光が広がっていた。
屋敷の敷地には、昨日の《結界》が張ってある。
……まあ、見た目には何も見えないんだけど。
「こっちだよ」
私は桜花と並んで、庭を通り抜けた。
花壇の横を歩き、屋敷の敷地を離れて王都への道へ出る。
桜花も、普通についてきた。
うん。いい天気だ。
結界も、ちゃんと仕事をしているはず。
……何も起きないと、効いているのかどうか分からないけどね。
「ねえ、桜花。冒険者って楽しそうじゃない?」
「リアリス様が楽しそうにしていらっしゃるので、私も楽しみでございます」
「よし。今日は絶対に、変な魔獣には会わないぞ!」
「……それは、何かの決意表明でしょうか」
「うん。わりと大切なやつ」
初日のヴィクサス。
二日目のヒュドラ。
もう十分だ。
今日は薬草だけでいい。
……頼むから、普通の草だけ生えていてください。
王都クーラルの城門が見えてくると、私は少しだけ安心した。
四日目ともなると、門兵さんともすっかり顔なじみだ。
「おう、リアリス。今日は早いな」
「おはようございます! 今日は薬草採取です!」
「……お前、その意気込みは何なんだ?」
「いろいろあったんですよ、いろいろ」
門兵さんは不思議そうに首を傾げた。
隣の桜花へ目を向ける。
「そっちは連れか?」
「はい。桜花です。昨日から一緒に暮らしているんですよ」
「桜花と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
桜花は綺麗に頭を下げた。
「お、おう。礼儀正しい嬢ちゃんだな。……それで、お前の連れはどうしてメイド服に刀なんだ?」
……ごもっともな疑問です。
「……本人が気に入ってるみたいで」
「何だ、その曖昧な説明は」
それ以上は聞かないでください。
私だって、まだ少し恥ずかしいんです。
門兵さんは困ったように笑い、手を振ってくれた。
「まあ、気をつけてな。今日は妙なものを持ち帰るんじゃないぞ」
「もちろんです!」
……大きなトカゲとか、大きなヘビとかね。
もう、持ち帰りませんよ!
……多分。
◇
冒険者ギルドに入ると、リリーナさんが受付にいた。
「おはようございます、リアリスさん」
「おはようございます! 今日こそ薬草採取をお願いします!」
「今日こそ、ですね」
リリーナさんがくすっと笑った。
……あっ。
昨日のこと、覚えられてる。
「昨日は結局、依頼書を受け取れなかったからね……」
「今日は大丈夫ですよ。ギルドマスターからの呼び出しも、今のところありませんから」
「その『今のところ』っていうの、ちょっと怖いんだけど」
「ふふ。では、こちらへ」
リリーナさんが、依頼書を差し出した。
私は両手で受け取る。
……おお。
ついに、受け取れた。
「……やった!」
「リアリスさん、薬草採取の依頼書ですよ?」
「分かってます。でも、何だかすごい達成感が……」
これを受け取るためだけに、どれだけ王城へ通ったと思ってるんだ。
私は冒険者カードと依頼書を大切にしまった。
リリーナさんの視線が、隣の桜花へ移る。
「そちらの方は?」
「あ、桜花です。私の……仲間、かな」
「桜花と申します。リアリス様がお世話になっております」
また、綺麗なお辞儀。
リリーナさんも丁寧に挨拶を返してくれた。
「そうなんですね。素敵なお仲間ができたんですね」
「はい!」
そう言われると、ちょっと嬉しい。
……ただ、桜花がメイド服に日本刀という格好なので、ギルドの中では少し目立っていた。
Fランク冒険者と、刀を持ったメイドさん。
……組み合わせとしては、だいぶ変だ。
私は気にしないことにして、ギルドを後にした。
向かう先は、いつもの薬草が採れる森の近く。
今日こそ、平穏な依頼だ。
今度こそ。
森の近くまで来ると、草の匂いが少し濃くなった。
風が木々の間を通り、葉がさわさわと揺れる。
私は深呼吸をした。
「……うん。いいねぇ」
「気持ちのよい場所ですね」
桜花は周囲を見渡し、静かに微笑んだ。
「こういうところをのんびり歩くために冒険者になったんだよ」
「そうだったのですね」
「……まあ、初日に邪竜と会っちゃったんだけど」
「存じております」
「……あ、そうだった」
桜花は私の記憶をもとに作られた部分もあるらしい。
隠したい失敗談を、最初から知っている可能性がある。
……何か、ちょっと不利じゃない?
「それじゃ、薬草を探そう!」
私は気を取り直した。
もちろん、ここで使うのは《サーチ》だ。
新しく魔法を作る必要はない。すでにある魔法を使えばいい。
「《サーチ》」
薬草の位置を探すよう意識すると、頭の中の地図に青い光がいくつも点滅した。
「……あっちだね」
「見つかりましたか?」
「うん。こっちにあるみたい」
私は光の示す場所へ歩いた。
日当たりのいい斜面に、小さな薬草が何株も生えている。
根元を傷つけないように、必要な分だけ丁寧に採っていく。
桜花も隣にしゃがみ、私の手元をじっと見ていた。
「こういうふうに採るんだ」
「承知いたしました」
桜花は私のやり方を真似して、近くの薬草を採った。
……綺麗だ。
葉が傷ついていないし、土もほとんどついていない。
「……私より上手じゃない?」
「リアリス様に教えていただいたとおりにしただけでございます」
「……うーん。教えた本人の立場がない」
桜花は小さく笑った。
それから二人で薬草を集めていく。
途中で蝶が飛んできたり、木の上から鳥の声が聞こえたりした。
……ああ。
平和だ。
本当に平和だ。
「ねえ、桜花」
「はい」
「今日はドラゴンもヒュドラも出ないね!」
「その方がよろしいのでしたら、何よりでございます」
「うん。本当に何より!」
いや、待て。
これ、余計なことを言うと出てくるお約束じゃない?
私は慌てて口を閉じた。
……何も起こりませんように。
結局、何も起こらなかった。
魔獣も出ない。
王様も呼んでこない。
ギルドマスターの怒鳴り声も聞こえない。
ただ二人で薬草を集め、森の風を楽しんだだけだった。
「……完璧だ」
「何がでしょうか?」
「いや、こういう一日を待ってたんだよ」
桜花は少しだけ首を傾げ、それから微笑んだ。
「では、今日はよい日ですね」
「うん!」
薬草を《収納》へしまい、私たちは王都へ戻った。
◇
ギルドで薬草を引き渡すと、リリーナさんは嬉しそうに受け取ってくれた。
「今回も、とても綺麗に採れていますね!」
「桜花が手伝ってくれたんです」
「そうなんですね。ありがとうございます、桜花さん」
「お役に立てたのでしたら幸いです」
報酬を受け取り、私は小さく拳を握った。
……やった。
今日は本当に、普通の依頼を終えられた!
「リリーナさん。私、ちゃんとFランク冒険者してますよね?」
「えっ? は、はい。もちろんです」
ちょっと戸惑われた。
……でも、いいんだ。
この達成感は、私にしか分からない。
ギルドを出た私は、桜花へ振り返った。
「せっかくだし、屋台を見て回ろうか」
「はい。ぜひ」
王都の通りには、昼食時のいい匂いが漂っていた。
今日は何を食べようかな。
……こういう悩みなら、毎日いくらでも歓迎だよ。
屋台が並ぶ通りを歩いていると、焼きたてのパンの香りが漂ってきた。
「……あっ。あれ、おいしそう!」
私は思わず足を止めた。
小さな鉄板で、丸い生地をこんがり焼いている。
中には野菜と刻んだ肉が詰められているらしい。
「二つください!」
「はいよ!」
受け取ったうちの一つを桜花へ渡す。
「はい、桜花の分」
「ありがとうございます。……こちらを、私が?」
「もちろん。一緒に食べようよ」
桜花は少しだけ驚いたようだったが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「では、いただきます」
私も熱々の生地にかぶりつく。
「……あっつ!」
「リアリス様、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫。熱いだけ!」
……ああ、熱い。
でも、おいしい!
中の肉に香辛料の香りがついていて、野菜の甘さとよく合っている。
昨日のパンより柔らかくて、食べやすい。
「これ、おいしいね!」
「はい。とてもよいお味です」
桜花は上品に食べていた。
メイド服のまま屋台の前で食べ歩きしているのに、何だか絵になる。
……私なんて、口の端に肉汁をつけてるのに。
「リアリス様」
「ん?」
「こちらに、少し」
桜花は小さな布を差し出してくれた。
私は口元を拭う。
「……あ、ありがとう」
「いえ」
……これじゃ、どっちが世話されているのか分からない。
いや、普通に私が世話されてるんだけど。
もう少ししっかりしよう。
そう思った直後に、今度は甘い焼き菓子の屋台が目に入った。
「……桜花、あっちも気になる!」
「……ふふ。では、参りましょう」
……ダメだ。
しっかりするのは、明日からにしよう。
結局、二人であれこれ買い食いした。
腹ごなしに少し街を歩いて、食材も買い足しておく。
冷蔵庫を空っぽにしたままにする失敗は、もう繰り返したくない。
桜花と並んで通りを歩くと、何でもない景色まで新鮮に見えた。
店の前で呼び込みをする人。
荷物を運ぶ商人。
談笑しながら歩く親子。
ここには、私の知らなかった暮らしがたくさんある。
「……異世界って、楽しいね」
「はい。私も、リアリス様とご一緒できて嬉しく思います」
私は思わず笑った。
……うん。
今日は、本当にいい日だ。
その時点では、そう思っていた。
そう。
その時点では。
王都から草原へ戻り、屋敷が見えてきた。
三階建ての大きな建物に、赤い屋根。
庭には花が咲き、少し離れたところには小さな雑貨屋。
……やっぱり、ちょっと大きいな。
でも、もうこの景色にも慣れてきた。
「ただいまー!」
私は屋敷へ向かって声を出した。
もちろん、まだ誰も返事はしてくれない。
でも、今は隣に桜花がいる。
そう思いながら歩いていたら、背後から声がした。
「……リアリス様」
「ん?」
振り返る。
桜花が、少し後ろに立っていた。
「あれ、どうしたの?」
「……進めません」
「えっ?」
私は首を傾げた。
桜花はまっすぐ前へ歩こうとする。
……が。
ぴたっ。
その場で止まった。
いや、止まったというより、何かに遮られているように見える。
桜花はもう一度、一歩を踏み出そうとした。
……ぴたっ。
「……え?」
私は思わず目をこすった。
何もない草原だ。
壁なんて見えない。
落とし穴もない。
足元にはただ、普通の草が生えているだけ。
「桜花、そこで何してるの?」
「進もうとしております」
「……進んでないよ?」
「はい。ですので、困っております」
……それは見れば分かる。
私は桜花の隣へ戻り、同じ方向へ歩いてみた。
すたすた。
……普通に進めた。
「……あれ?」
もう一度戻ってみる。
そして、もう一度進む。
すたすた。
問題なし。
「桜花、ちょっと試してみて」
「承知いたしました」
桜花は一歩踏み出す。
……ぴたっ。
「…………」
「…………」
私は桜花を見る。
桜花も私を見る。
「……どういうこと?」
「私にも分かりかねますが、目の前に不可視の壁があるようです」
「……壁?」
そこで、頭の中に嫌な予感が浮かんだ。
いや。
待てよ。
この場所には、確か――。
「……あ」
昨日、私が作った《結界》。
屋敷を魔獣から守るため、半径五百メートルに広げた透明な境界。
あれが、ちょうどこの辺りにあるはずだ。
「……まさか」
私は小さな声でつぶやいた。
桜花は、少しだけ眉を上げた。
「何か、お心当たりが?」
「……ある。ものすごく、ある」
私の心臓が、嫌な音を立てた気がする。
……いや、ちょっと待って。
まさか、そんな。
私は昨日、何て指定した?
魔獣や野生動物が入ってこないように。
……条件をまとめるのが面倒で。
確か……。
「……人間以外の生物は入れない」
口にした瞬間、すべてがつながった。
桜花は、人間じゃない。
ホムンクルスだ。
……あ。
ああああああっ!!
「ごめん! 桜花! これ、私のせいだ!!」
草原に、私の声が響いた。
「申し訳ありません、リアリス様」
「何で桜花が謝るの!?」
「私が人間種ではないために、このような事態となっておりますので」
「いやいやいや! 悪いのは完全に私だよ!」
私は両手を振った。
そもそも、昨日の時点で桜花はちゃんと言っていた。
『私はホムンクルスであり、人間種ではございません』
……はい。
聞きました。
確かに聞きました。
それなのに、結界の設定を見直そうとは思いもしなかった。
「……あれ?」
そこで、さらに気づいてしまった。
昨日、桜花が生まれたのは屋敷の中。
その時点で結界はもう張ってあった。
だから問題にならなかったんだ。
今朝、二人で外へ出たときも、普通に出られた。
でも、帰ってくると――。
「……入れない」
「そのようでございます」
「……完全に、私の設計ミスだ」
結界は侵入を防ぐものだ。
外へ出ることまで禁止したわけじゃない。
……うん。筋は通っている。
通っているけれど、こんなところで筋が通らなくてもいいのに!
私はその場で頭を抱えた。
「せっかく桜花の部屋まで用意したのに……!」
「私は、外でお待ちすることもできます」
「ダメだよ! それじゃ意味ないじゃない!」
昨日、初めての同居人ができたと喜んだばかりだ。
その翌日に、自分の作った結界が同居人を締め出すなんて。
……何このお約束。
いや、お約束にもほどがあるでしょ!
「……すぐ直すからね」
「はい。お願いいたします」
私は《結界》の条件を変えようとした。
しかし、そこで手が止まった。
「……ちょっと待って」
今の指定がまずいのは分かった。
だけど、この世界にはどんな種族がいるんだろう。
人間以外に、どれくらい知性ある人たちがいるのか。
それを知らずに『人間だけ入れる』と決めてしまったのが、そもそもの失敗だ。
……また適当に条件を書き換えて、今度は別の誰かを締め出したら困る。
「ちゃんと確認してこよう」
「どちらへ?」
「王都の門。門兵さんなら、いろんな人が通るところを見てるでしょ?」
「なるほど。確かに適任かと存じます」
「……というわけで、申し訳ないんだけど、もう一回王都へ戻ってもいい?」
「もちろんでございます」
桜花は何事もなかったようにうなずいた。
……何て優しいんだ。
私だったら『何で自分の家なのに入れないんですか!』って言っちゃうかもしれない。
いや。
私の家を、私が作った魔法で締め出されたら、それはもう怒っていいと思う。
「……ごめんね、本当に」
「リアリス様」
「うん?」
「こういう失敗は、次から気をつければよいのではないでしょうか」
「……そうだね」
私は大きくうなずいた。
転生四日目にして、また一つ学んだ。
魔法は便利だけど、条件設定は丁寧に。
……できれば、家の鍵くらいの気軽さで作らないこと!
◇
王都の門に戻ると、朝も挨拶した門兵さんが立っていた。
……今日、何度目の往復だろう。
薬草採取のために来て、食べ歩きをして、家へ帰って。
それなのに、まさかもう一度ここへ来ることになるとは。
「……おや?」
門兵さんは私たちを見るなり、首を傾げた。
「お前ら、さっき帰っていかなかったか?」
「はい。ちょっと気になることができまして」
「……また何か大物でも見つけたのか?」
「違います! 今日は平和に薬草採取を終えたんですから!」
「それならいいが。で、何が気になるんだ?」
私は少し考えてから、なるべく普通に尋ねた。
「この世界には、人間以外だとどんな種族の人たちがいるんですか?」
「……は?」
門兵さんは目を丸くした。
「お前、そんなことも知らないのか?」
「いやぁ、知らないことがまだまだ多くて……。せっかくだから教えてもらおうと思って」
……嘘は言っていない。
本当に、知らないことだらけなんだ。
門兵さんは呆れたように頭をかいた。
「そうだな。人間のほかには、エルフ、ドワーフ、獣人、それから魔族なんかがいる」
「……魔族もいるんですね」
「ああ。国や地域によって暮らしている種族も違うし、ほかにもいろいろいるぞ。ここは人間が多いが、世界中どこでもそうってわけじゃない」
「なるほど……」
「種族によって姿や文化も違う。王都じゃあまり見かけない相手でも、ほかの国へ行けば普通に暮らしていることもあるさ」
……そうか。
人間だけじゃない。
エルフも、ドワーフも、獣人も、魔族も。
まだ名前すら知らない種族だって、きっといるのだろう。
私は頭の中で、その話をしっかり整理した。
……よし。聞いておいてよかった。
「ありがとうございます! 勉強になりました!」
「お、おう。それにしても、急にどうしたんだ?」
「これからいろんな場所へ行ってみたいので、知っておきたくて」
「なるほどな。そいつは悪いことじゃない」
門兵さんは納得したようにうなずいた。
「ただし、珍しい相手を見かけたからって、じろじろ見るんじゃないぞ」
「……あっ、はい! 気をつけます!」
……危ない。
私なら、エルフさんに会った途端、耳をじっと見てしまいそうだ。
ドワーフさんを見たら、つい鍛冶の話を聞きたくなるかもしれない。
好奇心と失礼は別物だよね。
隣で桜花が、静かに一礼した。
「ご親切にありがとうございます」
「いいってことよ。お前さんも、こいつが何かやらかしそうになったら止めてやってくれ」
「はい。心得ております」
「……ちょっと! 私、そんなに信用ないんですか!?」
「あると思うか?」
「……うっ」
……反論できない。
門兵さんは豪快に笑った。
「ははは! まあ、気をつけて帰れよ!」
「はい。ありがとうございました!」
私は桜花と一緒に、もう一度城門を後にした。
……うん。
今日こそ、今度こそ、ちゃんと家に帰ろう。
もう一度、草原へ戻った。
さっきまで楽しい散歩道だったはずなのに、今日はずいぶん長く感じる。
「……桜花、疲れてない?」
「問題ございません。リアリス様こそ、何度もお歩きになっていますが」
「うん。身体は元気。……気持ちがちょっと疲れた」
門兵さんには普通の質問として受け取ってもらえたけれど、何度も往復する羽目になった自分の段取りの悪さには、ちょっと参っていた。
屋敷が近づいてきたところで、私は足を止めた。
「……よし、今度こそ」
桜花と並び、結界の境目に立つ。
「最初の条件を、直そう」
《結界》そのものは、昨日作った魔法だ。
もう一度新しく作る必要はない。
ただ、通れない相手の指定を変えればいい。
「人間以外の生物、じゃなくて……魔獣と野獣が入れないようにする」
私は慎重に言葉を選んだ。
人間も、エルフも、ドワーフも、獣人も、魔族も。
まだ知らない種族も含めて、知性ある人たちは一律に締め出さない。
もちろん、ホムンクルスだって。
……むしろ、今一番大切なのはそこだ。
「それから、桜花もちゃんと自由に出入りできるように」
結界は危険な獣を遮るものであって、住んでいる人を締め出すものじゃない。
屋敷を中心とした半径五百メートルという範囲は、そのまま。
条件だけを丁寧に書き直す。
頭の中で結界の設定を組み替えると、何となく、すっと収まった感覚があった。
「……できた、かな」
私は桜花を見た。
「試してみてもらっていい?」
「はい」
桜花は、さっきと同じ場所へ一歩踏み出した。
……すっ。
「…………」
普通に進んだ。
もう一歩。
すたすた。
何の抵抗もない。
「……おおっ!」
「入れました、リアリス様」
「やったぁぁぁ!!」
私は両手を上げた。
桜花も、嬉しそうに微笑んだ。
……よかった。
本当によかった。
「桜花、もう一回外へ出てみてくれる?」
「はい」
桜花は結界の外へ出る。
そして、もう一度中へ。
問題なし。
何度か行ったり来たりしても、ちゃんと通れる。
「……完璧!」
「何よりでございます」
私は大きく息を吐いた。
いやぁ。
危うく、自分の作った家で、同居人が入れないという大事故を起こすところだった。
……もう起きてたけど。
「……桜花」
「はい」
「次に私が何か作るとき、変な条件をつけてたら教えてね」
「承知いたしました。遠慮なく申し上げます」
……うん。
頼もしい。
ちょっと怖いくらい頼もしい。
私の想像魔法に足りないものって、もしかして、こういう確認係なのかもしれない。
……いや、完全にそうだな。
◇
ようやく屋敷の玄関をくぐった私たちは、居間へ戻った。
……ああ。
帰ってこられた。
私が、ではなく。
桜花が。
「……こんな当たり前のことが、こんなに嬉しいとは」
「よい経験になりましたね」
「……桜花って、ときどき容赦ないよね」
「リアリス様が、遠慮なく意見を申し上げてよいとおっしゃいましたので」
……はい。
確かに言いました。
自分の発言って、あとからちゃんと返ってくるんだね。
私は長椅子に腰を下ろした。
桜花は窓際で、庭を眺めている。
無事に入れたことが嬉しいのか、いつもより少し機嫌がよさそうだ。
……よかったなぁ。
「リアリス様。一つ、ご提案してもよろしいでしょうか」
「うん? 何?」
「この屋敷での暮らしについてでございます」
桜花は居間を見渡した。
「お屋敷は大変広く、設備も充実しております。ただ、現在の住人はリアリス様と私の二人だけです」
「……うん」
「普段の掃除や食事の準備、買い出し、庭のお手入れ。それに、リアリス様が冒険へ出かけられる間の管理を考えますと……」
「……考えますと?」
「お手伝いしてくださる方を増やす方が、よろしいかと存じます」
「…………」
私は天井を見上げた。
昨日から、何度目だろう。
この家の広さについて反省するのは。
「……やっぱり、そうなるよね」
「はい」
桜花は、なぜか嬉しそうだった。
「それに、リアリス様は仲間を増やしたいとお考えだったのでしょう?」
「うん、まあね」
「でしたら、《ホムンクルス作成》を使うのはいかがでしょうか」
……あっ。
そっか。
昨日作ったあの魔法なら、家のことが得意な人も作れる。
……いや、待て。
だからって、次々に人を増やしていいのかな。
私は桜花を見た。
「でも、何となく作っちゃうのは嫌なんだよね」
「はい。そのお気持ちは理解しております」
「一人ひとり、ちゃんと自分で考えられる人がいい。家の仕事をやりたいって思ってくれる人なら、ありがたいけど」
「もちろんでございます。そのように想像してお作りになればよいかと」
桜花はすぐにうなずいた。
「私も、昨日のような大雑把な作り方は、お勧めいたしません」
「……ちょっと! 昨日のこと、まだ言う!?」
「大切な教訓でございますので」
……はい。
そのとおりですね。
私はため息をつき、それから笑った。
「じゃあ、今度はちゃんと考えよう」
「はい」
「最初は、料理と家事が得意な、頼れる人がいいかな」
私が口にすると、桜花は少し考えた。
「皆をまとめてくださる方ですと、なおよろしいかと存じます」
「……なるほど。責任者みたいな人?」
「はい。屋敷の暮らしを整えてくださる方です」
それなら、一人の負担が大きくならないよう、役割も分けていける。
「……よし。まず、その人からお願いしよう」
私は立ち上がった。
昨日は、居間でかなり曖昧な想像をした。
その結果、私の好みが全部表に出てしまった。
……今日は、もっと慎重に。
慎重に、だ。
今度は、外見も性格も、得意なことも決めておこう。
料理が上手で、家事全般を安心して任せられる人。
みんなをまとめる力があって、必要なときには私にもきちんと注意してくれる人。
落ち着いた大人の女性で、あたたかい雰囲気の人がいい。
年齢は……四十歳くらいの見た目かな。
背丈は桜花と同じくらい。
少しふくよかで、茶色い長い髪を三つ編みにしている。
……そうだ。
名前も、ちゃんと決めておこう。
「巴、かな」
日本の名前が頭に浮かんだ。
……また和風だ。
この世界で、いつか『リアリスの家の人って、日本っぽい名前ばかりですね』とか言われないかな。
まあ、誰も日本のことを知らないはずだから、大丈夫か。
「巴さん。家のことを安心して任せられる人」
私は細かな役割まで意識し、居間の中央へ手を伸ばす。
昨日作った《ホムンクルス作成》。
もう、新しい魔法を作る必要はない。
「《ホムンクルス作成》!」
淡い光が集まり、人影が形を取った。
今回は慌てずに見守る。
やがて光の中から現れたのは、ふくよかで優しそうな女性だった。
茶色の長い髪を、一本の三つ編みにして背中へ垂らしている。
身長は百六十五センチくらい。
大きな瞳には、どこか親しみやすい温かさがあった。
「あらあら」
その人は、私の顔を見るなり、にこにこ笑った。
「あなたがリアリスちゃんね?」
「……えっ?」
……ちゃん?
リアリス、ちゃん?
「初めまして。巴と申します。よろしくね、リアリスちゃん」
「は、初めまして。リアリスです」
「ふふ。ちゃんと分かってるわよ」
巴さんは、まるで昔から知っている近所のお母さんみたいに笑った。
……何だろう。
安心感がすごい。
自分で作ったとは思えないくらい、最初からそこにいてほしかった人が現れた気がする。
「ええと……巴さん、でいいですか?」
「もちろんよ。好きに呼んでちょうだい」
「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
私が頭を下げると、巴さんは目を丸くした。
「あら。そんなにかしこまらなくていいのよ。これから一緒に暮らすんでしょう?」
「はい!」
「なら、まずはご飯ね。きちんと食べて、元気に過ごさなくちゃ!」
……うん。
この人、間違いなく料理が得意な人だ。
話し始めて一分も経ってないのに、もう食事の話をしている。
「ご飯を食べて今日も元気に!」
巴さんは、にっこり笑って言った。
……ああ。
何か、すごくいい言葉だな。
聞いているだけで、お腹が空いてきた。
……さっき屋台で食べ歩きしたばかりだけど。
「巴さん、早速で申し訳ないんですけど、屋敷の家事とか、お願いできますか?」
「ええ、喜んで。私、お料理もお掃除も大好きなの」
「……本当に?」
「もちろんよ。だけど、何でも一人で抱え込むのはよくないわね。ここは広いもの」
巴さんは廊下を眺めた。
「誰かに手伝ってもらって、みんなでちゃんと休みながら暮らしましょう」
私は思わずうなずいた。
「……それ! それがいいです!」
命令を聞くばかりの人ではなく、自分の考えで動いてくれる人。
昨日、桜花が来てくれて嬉しかったのと同じ気持ちだ。
巴さんは、さらに続けた。
「リアリスちゃんも、困ったことがあれば遠慮なく言ってね。無理するのは駄目よ」
「……はい、巴さん」
「ふふ。いいお返事」
……あれ?
私、何だかもう子供扱いされてる?
見た目は二十五歳のはずなんだけどなぁ。
でも、不思議と嫌な気はしなかった。
隣で桜花が、静かに微笑んでいた。
「お似合いの方がいらっしゃいましたね、リアリス様」
「うん。すごく頼もしいね」
……この屋敷、ちょっとだけ家庭らしくなってきたかもしれない。
「さて、次はどうしましょうか」
桜花が尋ねると、巴さんは少し考えた。
「屋敷を守ったり、お客様を迎えたりするのを手伝ってくれる子がいるといいわね」
「なるほど……」
私が冒険へ出かけている間、巴さんだけに何もかも任せるのも大変だろう。
そういう役目の人がいれば安心だ。
……ただ、ここで問題が一つ。
「……また私の想像で、変な子が出てこないかな」
「今回は、私も確認いたします」
桜花がすぐに答えた。
「うん。お願い!」
私は巴さんにも相談しながら、イメージを整えた。
頼れること。
必要なときには、自分の判断で動けること。
無茶なことはしないけれど、危険からみんなを守れること。
性格は少し物静かで、落ち着いているといい。
外見は、十三歳くらいの小柄な女の子。
橙色の短い髪。
……そして。
「名前は、楓にしよう」
私は桜花を見た。
「……どうかな?」
「とてもよいと思います」
巴さんもにっこり笑った。
「可愛い名前ねぇ」
……よし。
今度は大丈夫そうだ。
「《ホムンクルス作成》!」
昨日も、さっきも見た淡い光が、居間に集まる。
光はゆっくりと小さな人影を形作り、やがて消えた。
そこに立っていたのは、橙色の短い髪をした、小柄な少女だった。
身長は百五十センチほど。
顔立ちは整っているけれど、表情はほとんど動かない。
彼女は静かに私を見上げた。
「……楓です」
「初めまして、楓。リアリスだよ」
「……知ってます」
「……あ、そうだった」
桜花のときも、同じことを言ったな。
……何度繰り返すんだ、私は。
「よろしくね」
私は笑いかけた。
楓は少しだけ私を見つめたあと、そっと近づいてきた。
そして、私の服の裾をつまむ。
「……よろしく、リアリス様」
「……あっ」
何だろう。
無表情なのに、ちょっと甘えてくれているのが分かる。
私は思わず頬を緩めた。
「うん。仲良くしようね」
楓が、小さくうなずく。
その様子を見ていた巴さんが、楽しそうに手を叩いた。
「あらあら。可愛い子が来たわねぇ。私、巴よ。よろしくね」
「……よろしくお願いします」
楓は巴さんへ丁寧に頭を下げた。
桜花にも小さく会釈をする。
……でも、表情は変わらない。
私を見ると、また少し近づいてくる。
「……リアリス様」
「ん?」
「……ここに、いてもいい?」
小さな声だった。
私は少し驚いてから、笑った。
「もちろん。楓の家でもあるんだから」
「…………うん」
ほんの少しだけ、楓の口元が緩んだ気がした。
……うん。
よかった。
これでまた一人、この屋敷の家族みたいな存在が増えた。
……ところで。
「……私、やっぱり子供に好かれやすいのかな」
そう呟くと、桜花が静かに言った。
「リアリス様の想像が反映された結果かと存じます」
「……そこで私の想像を持ち出さないで!?」
昨日から、その言葉に弱いんだから!
「それじゃ、残りはどうしようかな」
私は居間を見渡した。
桜花。
巴さん。
楓。
……私を入れて、四人。
昨日までは一人だったんだよね。
急ににぎやかになってきた。
「普段のお屋敷の管理を考えますと、まだ何人かお手伝いしていただける方が必要かと存じます」
桜花が言った。
巴さんもうなずく。
「そうねぇ。お掃除だけでも広いし、お洗濯もあるでしょう? お料理の支度に、庭のお手入れも。みんなで分担できると助かるわ」
「……なるほど」
「リアリスちゃんが冒険へ出かけるときは、私たちに任せてくれていいのよ」
……ありがたい。
それができたら、私は安心して薬草採取に出かけられる。
「じゃあ、何人くらいがいいかな」
「十人ほど、いかがでしょう」
桜花が答えた。
「……十人?」
「はい。皆で役割を分担することを考えれば、無理のない人数かと」
私は思わず、天井を見上げた。
……十人。
最初は一人暮らしをするつもりだったはずなんだけど。
気がつけば、あっという間に大所帯だ。
「……いや、待て。十人増えたら、すごい人数になるんじゃない?」
「リアリス様を含めて十四人でございます」
「……計算、早いね」
「ありがとうございます」
……別に褒めたわけじゃないんだけど。
でも、部屋はある。
二階には、二十四畳の大部屋と、何人かで使えそうな部屋があった。
昨日は『いったい何に備えてるんだろう』と思っていたけど、こういうことだったのかな。
……いや、私が適当に大きく作っただけなんだけどね。
「よし。じゃあ、十人で」
今度は、ちゃんと細かく考えよう。
それぞれ外見も性格も違って、全員が自分の意思を持っていること。
家事が得意な人も、庭の手入れが好きな人も、細かな整理整頓が得意な人もいる。
誰か一人に仕事が集中しないように、相談しながら分担できる人たち。
見た目は十八歳から三十歳くらいの、人間に近い姿。
でも、みんなホムンクルスだから、魔力がなくても困らないように。
桜花や巴さんたちと同じく、《不老不死》と《状態異常無効》の効果は、生まれた時点で永続するように。
……ふう。
前回の反省を生かして、今度はかなり慎重に考えたぞ。
「……桜花、これで大丈夫そう?」
「はい。十分に具体的かと存じます」
巴さんも笑顔でうなずいた。
「みんなで気持ちよく暮らせるようにしましょうね」
「うん!」
私は広い居間の中央へ向かい、もう一度手を伸ばした。
「《ホムンクルス作成》!」
光が、今までより大きく広がった。
眩い光の中に、人影が一つ。
その隣に、もう一つ。
さらに、また一つ。
私は思わず数えた。
「……一、二、三……」
十人。
間違いなく、十人だ。
光が消えると、そこには年齢も髪型も雰囲気も違う、十人の女性が立っていた。
綺麗に整列しているけれど、まったく同じ顔ではない。
当然だ。
一人ひとり、別の人なのだから。
「……初めまして、みんな」
私は少し緊張しながら頭を下げた。
十人が揃って、丁寧に頭を下げる。
「よろしくお願いいたします、リアリス様」
……おお。
何だか、すごい光景だ。
自分の家の居間なのに、ちょっとした式典みたいになっている。
「こちらこそ、よろしくね!」
私は笑って返した。
巴さんが一歩前に出た。
「それじゃ、みんな。まずはお屋敷の中を案内しましょうね」
その一言で、場の空気がふっと和らいだ。
十人も一度に現れたので、私としてはちょっと圧倒されていたけれど。
巴さんはまったく動じていない。
……さすがだなぁ。
「桜花、リアリスちゃん。お部屋の割り振りも考えましょうか」
「はい。お願いいたします」
「うん。私も手伝う!」
……と、元気よく言ったものの。
自分の家なのに、部屋の配置を全部覚えているわけではない。
「……二階に、大きな部屋があったよね?」
「はい。二十四畳ほどの部屋でございます」
桜花が即答する。
「……よく覚えてるね」
「リアリス様のお屋敷でございますので」
……うん。
返事になっているような、なっていないような。
まあ、助かるからいいか。
二階へ上がり、廊下の右側にある大部屋の扉を開ける。
「……おお。やっぱり広い!」
昨日見たときは、ただただ大きく感じた部屋だ。
今は、ここで暮らす人たちがいる。
そう思うと、全然違って見える。
「ここは、七人で使ってもらうのはどうかな?」
十人のうち七人が、互いに顔を見合わせてうなずいた。
「はい。ぜひ、こちらを使わせていただきます」
「机や寝具の配置は、みんなで相談してね。必要なら、私が調整するから」
「ありがとうございます!」
残りの三人は、近くの十畳ほどの部屋を使ってもらうことにした。
こちらは七人部屋ほど広くはない。
でも、寝台と収納を工夫すれば、三人で暮らせるようにできそうだ。
「ちょっと狭かったら言ってね。《建築》で部屋を調整することもできるから」
「はい。ありがとうございます」
……うん。
魔法があってよかった。
昨日は大きすぎて困った屋敷が、今日はちゃんと役に立っている。
「それで、巴さんと楓は……」
私はもう一つの部屋を開けた。
昨日、二人で使うのにちょうどよさそうだと思った部屋だ。
「ここ、どうかな?」
巴さんは中を見回して、にっこり笑った。
「あら、いいお部屋ね。楓ちゃん、一緒に使いましょうか」
「……うん」
楓は小さくうなずいた。
そして、また私の服の裾をつまんだ。
「……リアリス様」
「ん?」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
私は笑って答えた。
……この子、本当に可愛いなぁ。
まあ、だからといって甘やかしすぎるのはよくないだろうけど。
巴さんなら、その辺りもきっと上手に見てくれるはずだ。
桜花には、昨日選んだ部屋がある。
その隣は、まだ空室。
ほかにも空いた個室があり、三階には予備室が五つ。
……十分すぎる。
「……これなら、しばらく部屋で困ることはなさそうだね」
「そうね。今のところは、ね」
巴さんが、意味ありげに笑った。
「……今のところ?」
「ふふ。先のことは分からないもの」
……いや、待って。
これ以上増える前提みたいな言い方、やめて!?
私は思わず、三階の方を見上げた。
予備室、五つ。
……ああ。
あの部屋たちが全部埋まる未来なんて、想像したくない。
……でも。
今までの私の想像って、わりと現実になってるんだよね。
……考えるのはやめよう。
◇
部屋割りが決まると、今度は役割の相談になった。
巴さんが、みんなの希望を一人ずつ聞いていく。
料理が得意な人。
掃除が好きな人。
洗濯や整理整頓に向いている人。
庭や花壇の手入れをしてみたいという人。
誰かに押しつけられるのではなく、それぞれの希望と得意なことを合わせて、仕事を分けていった。
「無理はしないでね。ちゃんと休む時間も取ろう」
私はそう伝えた。
みんなが一緒に暮らす相手だ。
屋敷を綺麗にするためだけに、生まれてきてもらったわけじゃない。
桜花も、巴さんも、楓も。
そして、今日来てくれた十人も。
自分の考えや、好きなことを大切にしてほしい。
「はい、リアリス様」
みんなが笑って答えてくれた。
……よかった。
少し安心した。
巴さんは、役割が決まった人たちを手際よくまとめていく。
桜花は、私が冒険へ出かけるときに同行してくれる。
巴さんは、屋敷の日常を支え、ほかのメイドたちをまとめてくれる。
楓は、屋敷の見回りや、暮らしの中で手が必要なときに力を貸してくれることになった。
そして十人は、それぞれ得意なことを生かして、屋敷の仕事を分担する。
「……何か、すごいなぁ」
私は、みんなを見渡した。
昨日、私が一人で歩き回っていた屋敷だ。
あのときは広すぎて、静かすぎて、少し寂しかった。
今は、あちこちから話し声が聞こえてくる。
誰かが笑う声。
廊下を歩く足音。
巴さんが、みんなに優しく声をかける声。
……うん。
この音、いいなぁ。
夕方になる頃には、屋敷の様子がすっかり変わっていた。
誰かが厨房で食材を確認し、誰かが食堂の卓を拭いている。
別の人たちは、庭や居間の使い方を相談していた。
足りない食材があると分かれば、買い出しの担当まで決まってしまった。
「……すごい」
私はただ、感心するばかりだった。
「リアリスちゃん、ぼーっとしていないで、手を洗ってらっしゃい」
厨房から巴さんの声が飛んできた。
「……あ、はい!」
反射的に返事をする。
……あれ?
ここ、私の家だよね?
何で、もう巴さんの方がずっと家主っぽいんだろう。
まあ、いいか。
私より遥かに家事が得意なのは、間違いない。
しばらくすると、食堂にいい匂いが漂ってきた。
今日は、巴さんを中心にみんなで作った夕食だ。
焼いた肉と、野菜たっぷりの温かい料理。
大皿が次々に運ばれてくる。
「……おおおっ!」
思わず声が出た。
何だろう。
ここ、昨日まで冷蔵庫が空っぽだった家だよね?
たった一日で、ずいぶん立派な食卓になった。
「さあ、みんな。席に着いてちょうだい」
巴さんの声で、十四人が食堂に集まった。
長い卓の両側に、人が座る。
昨日は、二人分の食事を置いただけで寂しく見えた食堂だ。
今は違う。
向かいにも、隣にも、誰かがいる。
桜花が私の隣に座り、楓がその反対側へちょこんと腰を下ろした。
巴さんはみんなを見渡して、満足そうにうなずいた。
「では、いただきましょうか」
「いただきます!」
声が重なった。
私は箸に似た食具を手に取り、一口食べる。
「……おいしい!」
「あら、よかった」
巴さんがにっこり笑った。
「まだまだ工夫できるわよ。これから少しずつ、みんなの好きなものも覚えていきたいわね」
「うん! 楽しみにしてる!」
桜花も静かに食事を楽しんでいる。
楓は、私が笑うと、ほんの少しだけ口元を緩めた。
十人のメイドたちも、隣同士で楽しそうに話していた。
……ああ。
いいなぁ。
これは、いい。
私は少しだけ箸を止め、食堂を見渡した。
四日前、私は見知らぬ草原で目を覚ました。
財布もなければ、知り合いもいない。
これからどうなるんだろうと思いながら、王都の門に並んだ。
それが今では、自分の家がある。
そして、こんなにたくさん、一緒に食事をしてくれる人がいる。
……ものすごい変化だなぁ。
「リアリス様」
隣の桜花が、声をかけてきた。
「はい?」
「いかがでしょう。少しは、理想の暮らしに近づきましたか?」
私は笑った。
「うん。ものすごく近づいたよ」
……いや。
もしかしたら、もう理想以上かもしれない。
ただ、一つだけ。
「……これ、のんびりした一人暮らしじゃないね」
私がつぶやくと、桜花が首を傾げた。
「一人暮らしをご希望でしたか?」
「……最初は、そのつもりだったんだけどね」
自分でもおかしくなって、笑ってしまった。
そのとき、巴さんが私の皿を見て言った。
「あら、リアリスちゃん。お野菜、まだ残ってるわよ」
「……は、はい!」
「好き嫌いは駄目よ。ちゃんと食べて、今日も元気に!」
……はい。
確かに、この家の主は私のはずなんだけど。
気がつけば、もう注意される側になっている。
楓が、私の袖をそっと引いた。
「……リアリス様」
「ん?」
「……お野菜、食べて」
「……楓まで!?」
食堂に、楽しそうな笑い声が広がった。
こうして、私の屋敷には、新しい仲間たちが加わった。
桜花、巴さん、楓、そして十人のメイドたち。
たった四日で、住人は十四人。
……うん。
広い家を建てすぎたと思っていたけど、これならちょうどいい。
……いや、ちょっと待って。
私、最初はのんびりしたFランク冒険者になるつもりだったよね?
それが今では、三階建ての豪邸に住人十四人。
「……Fランク冒険者の暮らしって、こんな感じだったっけ?」
答えは、誰も教えてくれなかった。
ただ、巴さんがもう一度言った。
「リアリスちゃん、野菜!」
「……はーい!」
……どうやら私の異世界生活は、のんびりしているようで、なかなか忙しくなりそうだ。




