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第1話:ウサギを抱いた女の子

 邪神イオデグランとの戦いから、半年ほどが過ぎた。


 私が目を覚ましてからでも、もう五か月になる。


 ステラは、すっかり平和を取り戻していた。


 世界中の人が、あの日の出来事を忘れたわけじゃない。


 各国では今も、復興の記録をまとめたり、再会した家族と暮らしを立て直したりしているらしい。


 それでも、今は誰かが世界の滅亡を心配するような状況じゃない。


 私にとっては、それだけで十分ありがたかった。


 朝起きて、巴さんの料理を食べる。


 桜花と稽古をする。


 カトレアと話をして、庭の花を眺める。


 夜になったら、家族と一緒に食卓を囲む。


 ……うん。


 最高だ。


 私が異世界へ来たのは、こういう暮らしをするためなんだよ。


 決して、神様の不手際を片づけるためじゃない。


 ……まあ。


 この前は腹を立てて、神様の像を全部エレサリアさんに変えちゃったけどね。


 あれから教皇さんからは、特に連絡が来ていない。


 ……大丈夫かな、聖国。


 さすがに、少し心配だ。


 元へ戻してほしいと言われたら、ちゃんと《建築》で直すつもりではいる。


 ……それはそれとして、神様からの謝罪は、まだない。


 まあ、いいか。


 今は平和なんだから。


     ◇


「リアリス様」


 稽古場から戻る途中、桜花が声をかけてきた。


「本日のお相手は、ここまででよろしいでしょうか」


「うん。今日はこのくらいにしよう」


 桜花が小さく頭を下げる。


 最近は、桜花との稽古も以前の調子に戻っていた。


 あの日、教えた【一閃 乱れ桜】も、少しずつ練習しているらしい。


 まだ実際には発動できないけれど、【一閃 乱】から次の動きへ移る姿が、前より滑らかになっている。


 ……やっぱり、桜花はすごいな。


 私は刀を片づけ、庭の方へ目を向けた。


 花壇では、カトレアがモフ太と一緒に何かをしている。


 どうやら、花の水やりらしい。


「お父さん!」


 こちらに気づいたカトレアが、元気に手を振った。


「お疲れさま!」


「ありがとう、カトレア」


「今日は桜花さんに勝てた?」


「……うーん。勝ったり、負けたりかな」


「そっか。桜花さん、本当に強いね」


 ……うん。


 実際、今の桜花はかなり強い。


 以前より、剣の読み合いも上手くなっている。


 油断すると、本当に一撃をもらいそうになるんだよね。


 私はカトレアの頭を撫でた。


「そろそろ、お茶にしようか」


「うん! 巴さんがお菓子を用意してくれるって!」


「おっ。それは楽しみだね」


 何という、平和な会話。


 ……素晴らしい。


 このまま一日が終わってくれたら、文句はない。


 そう思っていた、そのときだった。


「リアリス様」


 庭の入口から、楓が静かに近づいてきた。


「……お客さま」


「……お客さん?」


 楓が頷く。


「……女の子」


「女の子?」


 私は、思わず聞き返した。


 この屋敷に女の子が訪ねてくるのは、別に珍しいことじゃない。


 カトレアの友達だって遊びに来る。


 だけど、楓がわざわざ私を呼びに来たということは、何か事情があるんだろう。


「カトレアのお友達かな?」


「……違う」


 楓が短く答えた。


「……リアリス様を、呼んでる」


 ……私を?


 知らない女の子が?


 私は桜花と顔を見合わせた。


 桜花も少し首を傾げている。


「……とりあえず、会ってみようか」


「はい。私もご一緒いたします」


 私はカトレアに声をかけた。


「カトレア、ちょっとお客さんのところに行ってくるね」


「うん!」


 ……さて。


 誰だろう。


     ◇


 屋敷の門へ向かうと、そこに小さな女の子が立っていた。


 ……小さい。


 第一印象は、それだった。


 身長は、百センチくらいだろうか。


 見た目は八歳ほど。


 茶色い髪を、後ろで元気よくポニーテールに結んでいる。


 着ているのは、ふんわりとしたピンク色のドレス。


 そして、腕には大きなウサギのぬいぐるみ。


 ……いや、大きいな。


 ぬいぐるみだけで、女の子の身長の半分くらいある。


 よく抱えて歩けるね、それ。


 女の子は私を見るなり、ぱっと笑顔になった。


「あっ! リアリスちゃん!」


 ……えっ。


 今、何て?


 初対面の女の子に、いきなりちゃん付けで呼ばれたんだけど。


「ええと……こんにちは」


「こんにちはぁ!」


 女の子は、ぬいぐるみをぎゅっと抱き直した。


 元気で、明るい声。


 どう見ても、どこにでもいそうな可愛い女の子だ。


 ……うん。


 まずは、話を聞こう。


「私に何か用かな?」


「うん! ずっと会いたかったんだぁ!」


「……私に?」


「そうだよぉ!」


 女の子が、嬉しそうに何度も頷く。


 ……おかしい。


 私は、この子を知らない。


 少なくとも、会った覚えはない。


 人違いかな。


「お名前、聞いてもいい?」


「ヴァルキア!」


「……ヴァルキア?」


「うん!」


 ……。


 …………。


 ヴァルキア。


 どこかで聞いた名前だ。


 ……あれ?


 何だっけ。


 少し考えてから、私は思い出した。


 ……戦の神。


 獣人や魔族から崇められている、あの戦神ヴァルキア。


 ……えっ。


 いや、待って。


 同じ名前の女の子という可能性もあるよね。


 さすがに。


 私は、目の前の女の子を見下ろした。


 ウサギのぬいぐるみ。


 ピンクのドレス。


 満面の笑顔。


 ……どう見ても、普通の子供なんだけど。


 私が首を傾げていると、女の子はぬいぐるみをぎゅっと抱き締め、元気よく胸を張った。


「わたし、戦神ヴァルキアだよぉ!」


 ……。


 …………。


「……えええええっ!?」


 思わず、声が出た。


 桜花が、さっと私の隣へ寄る。


「……リアリス様?」


「……桜花。戦神ヴァルキアって、知ってる?」


「はい。戦を司る男神と聞いておりますが……」


 桜花は、目の前の女の子へ視線を戻した。


「……こちらの、お方が……?」


「うん! わたしだよ!」


 少女――いや、戦神ヴァルキアが、にこにこと笑った。


 ……ええと。


 ちょっと待って。


 頭が追いつかない。


 私は、戦神と聞いたら、もっとこう……。


 大きな鎧を着て。


 巨大な剣を持っていて。


 筋肉がすごくて。


 敵を見たら真正面から突っ込んでいくような。


 ……うん。


 そんな姿を想像していたんだけど。


 目の前にいるのは、ウサギのぬいぐるみを抱いた女の子。


 ……ああ。


 そういえば、神様の見た目だって、威厳とは無縁だったな。


 あの人は、いろんな意味で例外だと思ってたけど。


 まさか、戦神までこんなに可愛いとは。


「……本当に、戦の神様なの?」


「ほんとだよ! 嘘ついてないもん!」


 ヴァルキアが頬を膨らませた。


 ……あっ。


 可愛い。


 いや、違う。


 相手は神様なんだから、失礼のないようにしないと。


「ごめんね。ちょっと驚いただけだよ」


「えへへ。よく言われるの!」


 ……ああ。


 本人も自覚はあるらしい。


 そのとき、ヴァルキアが私の顔を覗き込んだ。


「ねえねえ、リアリスちゃん!」


「……うん?」


「わたしと、戦って!」


 ……。


 …………。


「……はい?」


「戦おうよぉ!」


 ……いや。


 待って。


 あまりにも突然じゃない?


     ◇


 とりあえず、立ち話も何なので、ヴァルキアを屋敷へ案内した。


 ……だって、見た目は小さな女の子だし。


 神様だと言われても、そのまま門の前に立たせておくのは気が引ける。


 居間へ通すと、巴さんが紅茶とお菓子を用意してくれた。


 ヴァルキアはソファに座るなり、目を輝かせた。


「わぁ! おいしそう!」


「どうぞ。遠慮しないでね」


「いただきまぁす!」


 ヴァルキアがクッキーを一枚手に取る。


 ぱくっ。


「……んんっ!」


 目を丸くして、ウサギのぬいぐるみをぎゅっと抱き締めた。


「おいしぃ!」


 ……うん。


 ただの女の子にしか見えない。


 ぬいぐるみを膝に乗せて、クッキーを食べている戦神。


 ……世の中、分からないことだらけだな。


 カトレアも居間へ顔を出した。


「あ、可愛いウサギのぬいぐるみね」


 ……おお。


 やっぱり、そっちに目が行くよね。


「こんにちは。私はカトレア。よろしくね」


「こんにちはぁ!」


 カトレアは、ヴァルちゃんの目線に合わせて微笑んだ。


 ……ああ。


 こうして見ると、カトレアもずいぶんお姉さんになったな。


 ……まあ、相手は神様なんだけどね。


「そのウサギ、ずいぶん大きいね。お気に入りなの?」


「でしょぉ! お気に入りなの!」


「少し触らせてもらってもいい?」


「いいよぉ!」


 ヴァルキアがぬいぐるみを差し出した。


 カトレアはヴァルちゃんに微笑みかけながら、ぬいぐるみの耳をそっと撫でた。


「わあ、柔らかい。大切にしてるんだね」


「えへへ!」


 ……平和だ。


 何だか、とても平和だ。


 しかし。


 さっき、この子は何て言った?


 ……私と戦いたい、だったよね。


 私は、紅茶を一口飲んだ。


「……それで、ヴァルキアさん」


「ヴァルちゃんでいいよ!」


「……えっ?」


「みんな、そう呼んでるの! リアリスちゃんも、ヴァルちゃんって呼んで!」


 ……なるほど。


 神様らしからぬ、気さくな提案。


 私は頷いた。


「じゃあ、ヴァルちゃん」


「うん!」


「どうして私と戦いたいの?」


 ヴァルちゃんの表情が、ぱっと明るくなった。


「だって、リアリスちゃん、すっごく強いんだもん!」


 ……あっ。


 そういうことか。


 私は、少しだけ納得した。


 戦神だもんね。


 強い相手と戦いたいのは、性格みたいなものなんだろう。


「……そんなに強くないと思うけど」


「ええーっ! 嘘だよぉ!」


 ヴァルちゃんが、身を乗り出した。


「イオデグランをやっつけたでしょ!」


 ……。


 私は、思わず手を止めた。


 イオデグラン。


 あの邪神の名前だ。


 ……なるほど。


 戦神というのは本当らしい。


 というか、神様なんだから、知っていても不思議じゃないのかな。


「……あの戦いを知ってるんだ?」


「うん! 最初から最後まで、ずーっと見てたよ!」


 ……ん?


 最初から、最後まで?


 私は、ヴァルちゃんを見つめた。


「……もしかして、ステラで何が起きていたかも?」


「知ってるよぉ!」


 ヴァルちゃんは、あっさり頷いた。


「リアリスちゃんが邪神を倒して、壊れちゃった世界を元に戻して、それからずっと眠っちゃったことも!」


 ……ああ。


 そこまで見ていたんだ。


 私は、カップを置いた。


「……じゃあ、私がひと月くらい目を覚まさなかったことも?」


「うん!」


「……そのあと、ずっと?」


「うん! 起きたのを見て、よかったぁって思ったの!」


 ヴァルちゃんは、にこにこと笑っている。


 悪気は、なさそうだった。


 でも。


 ちょっと気になることがある。


「……ねえ、ヴァルちゃん」


「なぁに?」


「そのとき、助けてはくれなかったんだね」


 ヴァルちゃんが、きょとんとした。


 桜花の表情が、ほんの少し強張る。


 ……うん。


 別に責めたいわけじゃない。


 ただ、神様があの光景をずっと見ていたのなら、理由くらいは聞きたい。


「世界中の人が怖い思いをしていたし、たくさんの人が死んだ。私たちだけじゃ、どうにもならないこともあったんだ」


 私は、ゆっくり続けた。


「だから、神様たちがどう考えていたのか、知っておきたい」


 ヴァルちゃんは、クッキーを一枚置いた。


「……んーとね」


 首を傾げて、少し考える。


「神様たちは、ステラで起きたことには、あんまり手を出さないんだよぉ」


「……そうなんだ」


「うん。世界がなくなっちゃっても、また作ればいいって、みんな思ってるから」


 ……。


 …………。


 私は、しばらく言葉が出なかった。


 ……また作ればいい。


 神様たちから見れば、そういうものなのかもしれない。


 でも。


「……ヴァルちゃん」


「うん?」


「私には、そうは思えないな」


 ヴァルちゃんが、首を傾げる。


「……どうして?」


「だって、そこで暮らしていた人たちは、同じ人じゃないから」


 私は、窓の外へ目を向けた。


 庭には花が咲いている。


 この屋敷にも、大切な家族がいる。


「家族も、友達も、知っている人たちも。世界を作り直せたとしても、全部同じにはならないでしょう?」


「……ふぅん」


 ヴァルちゃんが、少しだけ真面目な顔をした。


「……だから、あんなに頑張ったんだぁ?」


「……うん。そうだね」


 私は頷いた。


 私が助けたかったのは、世界という大きなものだけじゃない。


 そこで笑ったり、泣いたりしている人たちだった。


 ……まあ、そのせいで家族にひと月も心配をかけたんだけど。


 そこは、今でも反省している。


 しばらく沈黙が続いた。


 すると、ヴァルちゃんが、ぱんっと手を叩いた。


「でもね! リアリスちゃん、すごかったよぉ!」


 ……あっ。


 元に戻った。


「イオデグランに勝ったとき、わたし、びっくりしちゃった!」


「……そ、そう?」


「うん! あんな剣技、初めて見たもん!」


 ヴァルちゃんの目が、きらきらと輝く。


 ……うん。


 さすが、戦神。


 話題が戦いになった途端、ものすごく楽しそうだ。


「だから、ずっと戦ってみたかったの!」


「……ずっと?」


「でも、リアリスちゃんが眠っちゃったでしょ? 起きてすぐに遊びに来ても、困っちゃうかなぁって」


 ……あれ。


 それは、考えてくれたんだ。


「それで、元気になってからも少し待ってたの!」


「……そうだったんだ」


「うん! 五か月くらいしたから、そろそろいいかなぁ~って!」


 ……。


 …………。


 そんな感じで決めたの!?


 いや。


 神様の時間感覚って、そんなものなのかな。


 私は、思わず苦笑した。


「……ヴァルちゃんは、本当に戦うのが好きなんだね」


「だぁい好き!」


 即答だった。


 ……うん。


 そこは、疑いようがない。


     ◇


「……リアリス様」


 桜花が、静かに声をかけてきた。


「本当に、お相手をなさるおつもりでございますか」


「……うーん」


 私は、ヴァルちゃんを見た。


 小さな身体。


 ピンクのドレス。


 ウサギのぬいぐるみ。


 ……どう見ても、子供なんだよね。


 でも、相手は戦神。


 そのうえ、邪神を倒した私を見て、わざわざ戦いに来たという。


 ……ああ。


 何となく、嫌な予感がしてきた。


「……ヴァルちゃん」


「なぁに?」


「本気で戦いたいの?」


「うんっ!」


「……もし、誰かが怪我をしたら?」


「それは、戦いだもん!」


 ……即答かぁ。


 さすが戦神。


 私は、軽く頭を抱えた。


 桜花も、心配そうに私を見ている。


 あの邪神戦から、まだ半年だ。


 また私が倒れたりしたら、家族にどれだけ心配をかけるか分からない。


 ……いや。


 今度は、あんな規模の魔法を使うわけじゃないし。


 私には《不老不死》も《完全回復》もある。


 でも、神様を相手にするとなると、話は別だよね。


「……ちょっと、確認してからにしようか」


「確認?」


「神様に」


 私は、ため息をついた。


 ……そう。


 こういうときこそ、あの人の出番だ。


 それにしても。


 神様に関係する騒動を、神様に相談する。


 ……嫌な予感しかしないんだけど。


 私は、手を前へ伸ばした。


「《映像通話》」


 宛先は、神様。


 オリミス。


 ……以前は、着信拒否されてたけど。


 さすがに、五か月も経ってるし、もう解除してくれてるよね?


 画面が現れる。


 呼び出し音が鳴った。


 ……おっ。


 繋がるみたいだ。


 少しして。


『……も、もしもしなのじゃ?』


 見慣れた顔が映った。


 長いパーマ髪。


 丸いお腹。


 ……うん。


 神様だ。


「こんにちは、神様」


『……リ、リアリス!?』


 神様の顔が、ものすごい勢いで引きつった。


 ……そんなに驚かなくても。


「お久しぶりです」


『……う、うむ。久しぶりじゃのう……』


「連絡が繋がってよかったです。以前は、着信拒否されてましたからね」


『……そ、それは……』


 神様が、目を泳がせた。


 ……あっ。


 まだ覚えてるんだ。


「まあ、今日はその話じゃありません」


『……ほっ』


 ……いや。


 安心するの、早すぎません?


「実は、ヴァルキアさんが私の屋敷に来ているんです」


『……ヴァルキア?』


「はい。戦神の」


『……えっ?』


 神様の顔が固まった。


 私は、隣へ視線を向けた。


「ヴァルちゃん、ちょっと来てくれる?」


「はぁい!」


 ヴァルちゃんが、ぬいぐるみを抱えたまま画面の前へやって来た。


「オリミス! こんにちはぁ!」


『ヴァ、ヴァルキアァァッ!?』


 ……あっ。


 やっぱり本物なんだ。


 神様の反応で、確信が持てた。


『お、おぬし、何をしておるのじゃ!?』


「リアリスちゃんと戦いに来たの!」


『な、何じゃと!?』


 神様が、頭を抱えた。


 ……うん。


 その反応は、私も同じ気持ちです。


「神様。どういうことなんですか?」


『……そ、それは……』


「ヴァルちゃん、神界から邪神戦を見ていたそうです。それで今度は私と戦いたいって」


『……うむ。あやつは、そういう神じゃからのう……』


「……ああ。そこは否定しないんですね」


 神様が、乾いた笑みを浮かべた。


『戦神じゃからなぁ……』


 ……戦神って、自由すぎない?


「それで神様。一つ確認しておきたいんですけど」


『……な、何じゃ?』


「私、普段から桜花やフラワーズとの稽古に《亜空間作成》を使っていますよね」


『う、うむ。それがどうしたのじゃ?』


「今回の相手は戦神です。いつもの稽古とは違って、お互い本気でぶつかり合うかもしれません」


『……うむ?』


「その場合でも、亜空間の中で戦えばステラには影響しませんよね? もし外に被害が出るなら、戦うわけにはいかないので」


 私が聞きたいのは、そこだ。


 これまでの稽古では、亜空間の外に影響が出たことはない。


 でも、今回は相手が相手だからね。


 どれだけの力がぶつかるか、私にも分からない。


 念のため、神様に確認しておきたい。


『……ま、待つのじゃ。おぬしら、いったいどれほど暴れるつもりなのじゃ!?』


「だから、それが分からないから聞いているんです」


『……そ、そうじゃのう』


 神様が、珍しく真面目な顔になった。


『おぬしの《亜空間作成》は、ステラの土地や空間とは切り離されておる。中でどれほど激しく戦っても、その影響がステラへ漏れることはないのじゃ』


「本当ですか?」


『うむ。そこは心配せんでよい。ただし、戦うのは必ず亜空間の中だけにしてくれ!』


 ……なるほど。


 神様がそう言うなら、ひとまず安心かな。


 あの人のことだから、少し不安は残るけど。


 少なくとも、確認もせずに戦うよりはずっといい。


「分かりました。じゃあ、普段の亜空間を広くして、そこで戦います」


『うむ! そうしてくれ! 頼んだぞ!』


「……その前に、神様」


『……な、何じゃ?』


「そもそも、どうしてヴァルちゃんは神界からこちらに来られるんですか? 私の《転移》では神界へ行けないのに」


『そ、それは別の話じゃ! おぬしの魔法では神界へ入れぬが、神々がステラへ来訪することまで一律に不可能というわけではないのじゃ!』


「……そういうものですか」


『そ、そういうものじゃ! わし自身は今、ステラへの直接干渉を制限されておるがのう!』


 ……なるほど。


 そういえば、邪神だって神界から来た存在なんだ。


 神様がこちらへ来るのと、私が向こうへ行くのは、別ということか。


 ……まあ。


 納得したような、していないような。


「それで神様。もし私が負けたら――」


『と、とにかく、亜空間の外では絶対に戦うでないぞォォッ!』


 ぷつんっ。


 画面が消えた。


 ……。


 …………。


 切られた。


 ……また?


 私は、念のためもう一度《映像通話》を使ってみた。


『この通話は、本人の希望によりお繋ぎできません』


 ……。


 …………。


 はい。


 着信拒否。


 ……神様。


 学習しているのか、していないのか。


 よく分からない人だなぁ。


 隣では、ヴァルちゃんが楽しそうに笑っている。


「オリミス、逃げちゃったね!」


「……そうだね」


 ……ああ。


 もう、いいや。


 考えるだけ疲れそうだ。


     ◇


「……リアリスちゃん」


 電話を終えたところへ、巴さんがやって来た。


「お話は終わった?」


「うん。神様には、亜空間で戦えって言われたよ」


「……そう」


 巴さんは、私とヴァルちゃんを交互に見た。


 それから、少しだけ声を落とした。


「無茶だけは、しないでね」


「……うん。約束する」


 巴さんは頷いた。


 その目には、まだ少し心配そうな色が残っている。


 ……当然だよね。


 ひと月も意識を失っていたんだから。


 私は、なるべく安心してもらえるように微笑んだ。


「家族に危険が及ぶ場所では戦わないし、無理だと思ったらちゃんと止めるよ」


「……うん。それならいいわ」


 巴さんが、ようやく少し笑った。


 ……さて。


 今度は、桜花だ。


「桜花。今回は、私とヴァルちゃんだけで戦うつもりなんだ」


「……リアリス様」


 桜花が、静かに私を見た。


「……本当に、お一人で?」


「うん。これはヴァルちゃんと私の勝負だからね」


 桜花の表情が曇る。


 ……ああ。


 きっと、邪神戦のことを思い出してるんだろうな。


 あのときは、桜花もずっと私のそばにいてくれた。


 今でも、同じことが起こらないか心配なんだと思う。


「……桜花。心配してくれてありがとう」


「……いえ」


「でも、今回はステラを守るための戦いじゃないんだ。ヴァルちゃんと、力試しをするだけ」


 私は、しゃがんでヴァルちゃんと目線を合わせた。


「……そうだよね、ヴァルちゃん?」


「うん! わたし、リアリスちゃんと戦いたいだけだもん!」


「……うん。だから、無理をしてまで続けるつもりはないよ」


 ヴァルちゃんが、不思議そうに首を傾げた。


「無理なら、降参するの?」


「うん。そうするかもしれないね」


「えーっ! もっと遊びたいのにぃ!」


 ……いや。


 そこは許してほしいな。


「……お互い楽しく終われるところで、ね?」


「むぅ……分かったぁ」


 ヴァルちゃんが、少しだけ頬を膨らませた。


 ……良かった。


 ちゃんと話は通じそうだ。


 私は桜花へ顔を向けた。


「というわけで、桜花は屋敷で待っていてくれる?」


「……かしこまりました」


 桜花が、深く頭を下げた。


「ご無事のお帰りを、お待ちしております」


「うん。必ず戻るよ」


 ……さて。


 あとは、場所の準備だ。


     ◇


 私たちは庭へ移動した。


 桜花やフラワーズとの稽古では、いつも《亜空間作成》を使っている。


 屋敷や周囲に被害を出さず、思い切り動ける場所が必要だからね。


 ただし、今日はいつもとは勝手が違う。


 相手は戦神ヴァルキア。


 普段の稽古場の広さでは、足りないかもしれない。


 私は、庭の端に立った。


 ……さて。


 いつもの亜空間を、思い切り広げておこう。


 見渡す限りの平原。


 遠くには低い山並み。


 どこまでも広がる空。


 神様にも確認したし、ステラへ影響が出る心配はない。


 あとは、戦う場所をしっかり用意するだけだ。


「《亜空間作成》」


 目の前の空間が、ゆっくりと歪んだ。


 やがて、庭の端に一枚の扉が現れた。


 見た目は、いつもの木製の扉。


 ……うん。


 入口まで新しくする必要はないよね。


 私は取っ手を握り、ゆっくり開けた。


 扉の向こうには、青空が広がっていた。


 足元には草原。


 遠くに山。


 いつもの稽古場より、ずっと広い。


 ……よし。


 これなら、思う存分動けそうだ。


「……リアリス様」


 桜花が、扉の向こうを覗き込んだ。


「いつもの稽古場より、ずいぶん広いですね」


「うん。今日はヴァルちゃんが相手だからね。いつもより広くしておいたんだ。神様にも確認したし、ステラへの影響はないよ」


 桜花は、小さく頷いた。


 ……うん。


 これなら、安心かな。


 いや。


 安心というより、余計な被害が出ないだけなんだけど。


「わぁぁっ!」


 ヴァルちゃんが、目を輝かせた。


「すごーい! リアリスちゃん、こんなの作れるの!?」


「うん。こういうのは得意だからね」


「広い! ねえねえ、あの山まで行ってもいい?」


「いいけど、あそこも戦う場所だからね」


「うん! 楽しみぃ!」


 ヴァルちゃんが、ぬいぐるみを抱えたままぴょんぴょん跳ねる。


 ……うん。


 楽しそうで、何より。


 ただ。


 まだ、どうしても目の前の女の子と戦う姿が想像できないんだよね。


 私は、ふと気になって尋ねた。


「……ヴァルちゃん。そのウサギ、戦うときはどうするの?」


「んー?」


 ヴァルちゃんが、ぬいぐるみを見下ろした。


 そして、当たり前のことのように答える。


「置いてくよぉ! 汚れちゃうもん!」


 ……ああ。


 そりゃ、そうか。


「じゃあ、桜花に預かってもらおうか」


「いいの!?」


「うん。ちゃんと大事にしてくれるよ」


 ヴァルちゃんは、ぱっと笑顔になった。


「桜花ちゃん! お願いしてもいい?」


「はい。大切に、お預かりいたします」


「ありがとぉ!」


 ヴァルちゃんが、大きなウサギを桜花へ差し出した。


 桜花が、両手で受け取る。


 ……うん。


 銀髪の桜花が、大きなウサギのぬいぐるみを抱えている。


 ……何だか、可愛いな。


 いや。


 今は、それどころじゃないんだった。


「……楓」


 私は、庭の端に控えていた楓へ声をかけた。


「……ん」


「この扉の入口を見ていてくれる? 私とヴァルちゃん以外は、入らないようにお願いしたいんだ」


「……了解」


 楓が、静かに頷いた。


 それから扉の脇へ移動する。


 ……うん。


 これで、勝手に誰かが入ってくることはないはずだ。


 もちろん、出入り口そのものにも、私が管理できる仕組みを組み込んである。


 亜空間が、ステラのほかの場所へ繋がってしまうこともない。


 ……よし。


 準備は、これで完了かな。


     ◇


 扉の前に、ヴァルちゃんが立った。


 さっきまでウサギを抱えていた小さな手は、今は空いている。


 ピンクのドレス。


 茶色いポニーテール。


 小さな靴。


 ……何度見ても、戦神には見えない。


「リアリスちゃん!」


「うん?」


「早く行こっ!」


 ヴァルちゃんが、私の手を掴んだ。


 ……あっ。


 小さい手だな。


 あまりにも普通の子供みたいで、思わず笑ってしまう。


「そんなに慌てなくても、逃げないよ」


「だって、ずっと楽しみにしてたんだもん!」


「……そっか」


 私は、軽く頷いた。


 そして、桜花たちへ振り返る。


「それじゃ、行ってくるね」


「いってらっしゃいませ、リアリス様」


 桜花が、ウサギのぬいぐるみを抱えたまま頭を下げた。


「……お気をつけて」


「うん。ありがとう」


 楓も、扉の脇で小さく頷いた。


「……いってらっしゃい」


「ありがとう。入口はお願いね」


「……ん」


 ……さて。


 私も、気を引き締めないと。


 相手がいくら小さくても、神様は神様。


 まして、戦神だ。


 油断するわけにはいかない。


 私は、ヴァルちゃんと一緒に扉をくぐった。


 足元の感触が、屋敷の庭から柔らかな草原へ変わる。


 風が、頬を撫でた。


 ……うん。


 ちゃんと、亜空間の中だ。


 背後の扉も、そこにある。


 いつでも戻れる。


 私は、少し離れた場所へ歩き、ヴァルちゃんを振り返った。


「それじゃ、ヴァルちゃん。まずは、軽く――」


「リアリスちゃん!」


 ヴァルちゃんが、声を弾ませた。


「……うん?」


「わたしね、すっごく楽しみにしてたんだぁ!」


 小さな女の子が、にっこり笑った。


 そのまま、ぴたりと足を止める。


 ……あれ。


 ほんの少し。


 空気が変わったような気がした。


 さっきまで、ぬいぐるみを抱えてクッキーを食べていた女の子。


 その子が、ただこちらを見ている。


 それだけなのに。


 ……何だろう。


 私は、無意識に姿勢を正していた。


 ヴァルちゃんが、楽しそうに目を細める。


「いっぱい、遊ぼうね!」


 ……うん。


 これは。


 もしかすると。


 思っていた以上に、大変なことになるかもしれない。


 私は、小さな戦神を前に、ゆっくり息を吸った。


 ……神様。


 亜空間を用意しろって言ったのは、正解だったかもしれませんね。


 私にとっては。


 全然、安心できる話じゃないけど。


 ――こうして。


 ウサギのぬいぐるみを抱いた小さな戦神と、私の決闘が始まろうとしていた。

毎日お読みいただき本当にありがとうございます!


もし「面白い!」「完結まで駆け抜けてほしい!」と思っていただけたら、

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