第11話:怒り爆発、神罰なんて恐れない!
神界から戻って、数日が経った。
……平和だ。
窓の外では、鳥が鳴いている。
庭ではカトレアが花壇の手入れをしていて、モフ太がその近くでごろごろしている。
食堂からは、巴さんが用意している昼食のいい匂い。
どこを見ても、いつもの王国邸だった。
……うん。
これだよ、これ。
私は、この生活がしたかったんだ。
朝起きて、ご飯を食べて。
桜花と稽古をして、カトレアと話して。
夜には家族と食卓を囲む。
そんな、ごく普通の日々。
……できれば、今後は世界の存亡なんて話と無縁でいたい。
私は居間のソファに腰を下ろし、ゆっくり紅茶を飲んだ。
……ああ。
幸せだなぁ。
「リアリス様」
隣に座っていた桜花が、私へ顔を向けた。
「そろそろ、お約束のお時間でございます」
「……あっ。そうだったね」
私はカップを置いた。
邪神との戦いが終わったあと、桜花に一つ約束していた。
あの切り札のことを、ちゃんと教える、と。
……そろそろ、話しておこうか。
◇
庭の稽古場へ向かうと、桜花が刀を手に待っていた。
少し離れたところには、楓もいる。
いつもの稽古用の場所。
ただし、今日は大きな技を実際に使うつもりはない。
「桜花。あのときの剣技、覚えてる?」
「はい。【一閃 乱れ桜】でございますね」
「うん。私が昔、切り札として考えておいた技なんだ」
桜花が静かに頷く。
「十人のリアリス様が現れた魔法も、初めて拝見いたしました」
「あれは《ドッペルゲンガー》。私と同じ力を持った分身を作れる魔法だよ」
「……同じ力を、でございますか」
「そう。だから十一人全員が同じ技を使えたんだ」
私は、稽古用の刀を手に取った。
「【一閃 乱れ桜】は、【一閃】を百回連続で放つ剣技なんだ」
「……百回」
桜花の目が、僅かに見開かれた。
……うん。
桜花も【一閃 乱】の十連撃までは使える。
でも、百連撃は桁が違う。
「しかも、ただ速く斬るだけじゃない。百撃の軌道を組み立てて、相手が逃げようとしても次の一撃が届くようにする」
私は刀を構え、ゆっくり動きを見せた。
最初の踏み込み。
刃を返す角度。
次の斬撃へ移るための体重の乗せ方。
実際に百回斬るのではなく、技の流れだけを一つずつ示す。
桜花は、私の動きをじっと見つめていた。
「……なるほど」
「分かる?」
「はい。技の組み立ては、理解できました」
「……よし」
私は刀を下ろした。
桜花は目を閉じ、頭の中で動きを確かめているようだった。
しばらくして、ゆっくり目を開く。
「……覚えました」
「じゃあ、まずは十連撃から、少しずつ増やしていこうか」
「……はい」
桜花が刀を構えた。
見慣れた【一閃】の姿勢。
だが、百連撃へ移ろうとした瞬間、動きが止まった。
「……申し訳ございません。今の私では、発動できません」
「うん。大丈夫。それは分かってたよ」
私は首を振った。
桜花は技の理屈を理解した。
習得したと言ってもいい。
ただし、実際に使えるかどうかは別だ。
今の桜花では、百連撃を成立させるだけの技能が足りない。
「いきなり使えなくてもいいよ。焦らず、少しずつ練習していこう」
「……承知いたしました」
桜花は刀を納めた。
「いつか、リアリス様と同じ技を使えるようになります」
「うん。楽しみにしてるね」
桜花が、ほんの少し微笑んだ。
……さて。
これで、約束は果たせたかな。
楓が、静かにこちらを見ていた。
「……桜花」
「楓?」
「……稽古、する?」
「はい。お願いいたします」
……ああ。
また二人で稽古するんだね。
私は少し離れた場所に腰を下ろした。
目の前では、二人の刀が交わり始めている。
……うん。
こういう時間は、落ち着くなぁ。
◇
その日の午後。
私は、居間で手紙の整理をしていた。
各国から届いた感謝状や、お見舞いの手紙。
目を通しても、まだまだ減らない。
……すごい量だな。
それだけ多くの人が、今もステラで暮らしているということなんだけど。
私は一通を読み終え、そっと封筒へ戻した。
すると。
ぽんっ。
目の前に、見慣れた光る画面が現れた。
『着信:オリミス』
……あっ。
神様だ。
そういえば、前に神界へ行ったとき、封印した理由を聞きそびれたんだよね。
最後は、神様の都合で強制的に帰されちゃったし。
……うん。
今度こそ、きちんと聞いておきたい。
私は画面へ手を伸ばした。
「こんにちは、神様」
『……こ、こんにちはなのじゃ』
画面の向こうには、いつもの小柄な神様。
なのに、今日は妙に姿勢がいい。
背筋をぴんと伸ばし、両手を膝に揃えていた。
……あれ?
どうしたんだろう。
『あのう……リアリス』
「はい?」
『少し、話しておきたいことがあるのじゃ』
「……話しておきたいこと?」
私は、思わず首を傾げた。
『前におぬしが、イオデグランを封印した理由を聞いておったじゃろう?』
「あっ。そうです、それです!」
……神様から、ちゃんと説明してくれるんだ。
意外だなぁ。
私は少しだけ感心した。
「はい。聞かせてください」
『……うむ』
神様は深く息を吸った。
それから、ゆっくり口を開いた。
『あれは……ステラを作って間もない頃のことじゃった』
……おお。
何だか壮大な話が始まりそうだ。
私は背筋を伸ばした。
『わしとイオデグランは、昔からあまり仲がよくなくてのう』
「……そうだったんですか」
『あやつは、いたずらばかりしておったからのう』
……確かに。
世界を滅ぼしかけた邪神だって、最初から邪神だったわけじゃないらしい。
その頃は、ただのいたずら好きの神様だったと聞いている。
『ある日、ちょっとしたことで喧嘩になってしまったのじゃ』
「……喧嘩?」
『うむ。まあ、その……女性のことで、少々な』
……あれ?
女性?
私は画面を見つめた。
「……神様」
『な、何じゃ?』
「女性のことって、どういうことですか?」
『……その……エレサリアのことでのう』
……。
…………。
私は、思わず瞬きをした。
エレサリアさん。
神様の奥さん。
あの、穏やかで優しい女神様。
……えっ。
「……エレサリアさん?」
『う、うむ』
「エレサリアさんを巡って、イオデグランと喧嘩したんですか?」
『……そういうことになるのう』
……なるほど。
神様にも、そういう昔話があるんだね。
まあ、そこまでは分かる。
夫婦になる前に恋愛で揉めることだって、ないわけじゃないし。
だけど。
それで、どうして邪神の封印にまで話が飛ぶんだろう。
「……それで?」
『……その喧嘩で、わしもあやつも、少し頭に血が上ってしまってのう』
「……はい」
『イオデグランが、腹いせに……その……』
神様の視線が、左右へ泳いだ。
……ん?
嫌な予感。
これ、すごく嫌な予感がする。
「……神様?」
『……わしの家の前で、ひどいいたずらをしたのじゃ』
「……いたずら?」
『……うむ』
「何をしたんですか?」
『……それを説明せねばならんかのう?』
「説明してください」
『……はい』
神様が、観念したように肩を落とした。
そして。
『……わしの家の前で、うんちをしたのじゃ』
……。
…………。
………………。
私は、しばらく画面を見つめた。
……えっ。
今、何て言った?
「……神様。もう一度、お願いします」
『……わしの家の前で……その……排便をしたのじゃ』
…………。
私は、そっと紅茶のカップを置いた。
……うん。
落ち着こう。
聞き間違いかもしれない。
神様だって、言い間違えることはある。
「……神様」
『……はい』
「つまり、女性を巡って喧嘩した相手が、神様の家の前で……その、排泄をしたと」
『……うむ』
「それで?」
『それで、わしも我慢できなくなってのう……』
「……はい」
『……腹が立ったから、あやつをステラへ封印してやったのじゃ』
……。
…………。
私は、静かに立ち上がった。
いや。
待って。
ちょっと待って。
話を整理しよう。
昔、神様とイオデグランが。
エレサリアさんを巡って喧嘩をした。
イオデグランが、神様の家の前で排泄した。
それに怒った神様が。
……ステラへ封印した。
…………。
それだけ?
それだけで!?
あの、世界が滅びかけた原因が!?
「…………神様」
『……な、何じゃ?』
私の声が低くなったのが分かったのか、神様がぴくっと肩を震わせた。
「……なるほど。よく分かりました」
『……お、おお。そうか! 分かってくれたか!』
……いや。
分かったのは、理由のひどさだけです。
「……一つ、確認してもいいですか?」
『……うむ』
「イオデグランが封印されていた間、恨みを募らせて、邪神になってしまったんですよね?」
『……そ、そうじゃ』
「それで、その邪神が復活して、ステラが滅びかけたんですよね?」
『……うむ』
「……私は世界を復元するために、ひと月も気を失いましたよね?」
『……う、うむ』
私は、深く息を吸った。
そして、吐いた。
……よし。
落ち着け。
大人だろ、私。
日本にいた頃は四十三歳だったんだぞ。
こんなことで、簡単に怒ってはいけない。
……いや。
こんなことだからこそ、怒っていいんじゃないかな。
「……神様」
『……は、はいっ!』
「私、もう一度、神界へ行きたいです」
『……へ?』
私は、にっこり笑った。
「今度は、ゆっくりお話ししたいので」
『……ゆ、ゆっくり?』
「はい。できれば、時間制限なしで」
神様の顔から、さっと血の気が引いた。
『……リアリス?』
「どうかしました?」
『……な、何だか、その笑顔が怖いのじゃが……』
「そうですか? いつもどおりですよ」
私は、さらに笑顔を深めた。
「神様に、直接お会いして、お礼を申し上げたいだけです」
『お、お礼……?』
「ええ。とても丁寧に」
『…………』
神様が、じりじりと画面から遠ざかった。
……あれ?
どうして逃げるんだろう。
「それでは神様、もう一度そちらへ――」
『ご、ごめんなさいなのじゃっ!』
ぷつんっ。
画面が消えた。
……。
…………。
……切った?
今、切ったよね?
私は、しばらく何もない空間を見つめた。
……なるほど。
そういう対応をするんだ。
私は、もう一度手を前へ出した。
「《映像通話》」
宛先は、神様。
オリミス。
目の前に、画面が現れた。
しかし。
『この通話は、本人の希望によりお繋ぎできません』
……。
…………。
えっ。
今の、何?
私は画面を見つめた。
聞き慣れない女性の声。
そして、通話が自動的に終了する。
……えっ。
もしかして。
着信拒否?
神様に!?
私は、もう一度《映像通話》を使った。
『この通話は、本人の希望によりお繋ぎできません』
……。
……ああ。
そう。
そうなんだ。
私は、ゆっくりと手を下ろした。
……神様。
分かりました。
◇
「……リアリスちゃん?」
背後から、巴さんの声がした。
振り向くと、紅茶のおかわりを持った巴さんが立っていた。
その後ろには、桜花もいる。
「……巴さん」
「どうしたの? 何だか、すごくいい笑顔だけど」
「……ちょっと、神様とお話ししていたんだ」
「あら。そうだったの?」
「うん。昔の話を教えてもらったんだけどね」
私は、なるべく穏やかに説明した。
エレサリアさんのこと。
イオデグランとの喧嘩。
神様の家の前で起きた、非常にくだらない事件。
そして、腹を立てた神様がイオデグランをステラへ封印したこと。
話し終えると、巴さんも桜花も黙っていた。
しばらくして。
「……リアリスちゃん」
「うん?」
「それは、怒っていいと思うわ」
……あっ。
巴さんから、許可が出た。
いや、許可をもらうような話じゃないんだけど。
私は、思わず頷いた。
「……だよね」
桜花は、静かに口を開いた。
「……リアリス様。オリミス様は、今どちらに?」
「神界だよ。電話を切られて、着信拒否されたところ」
「……左様でございましたか」
桜花が、ほんの少し目を細めた。
……あっ。
これは、桜花も相当怒ってるな。
無理もない。
ひと月も心配させたんだから。
「でも、神界には行けないんだよね」
私は、ソファに座り直した。
《転移》では届かない。
オリミス様が連れていってくれなければ、どうしようもない。
……だけど。
ちょっと待てよ。
神様本人に会えなくても。
神様と関係のあるものなら、ステラにもあるよね。
私は、ゆっくり顔を上げた。
……うん。
決めた。
「巴さん。ちょっと、聖国へ行ってくる」
「……あら?」
「今日は、少しだけ用事ができたんだ」
巴さんが、私の顔を見つめた。
そして、小さくため息をついた。
「……何となく、何をしようとしてるか分かった気がするわ」
……えっ。
本当に?
「危ないことはしないよ」
「……リアリスちゃん」
「……はい」
「人に迷惑をかけないようにね」
「……うん。気をつける」
……よし。
それは大事だ。
怒っているからって、無関係な人を巻き込むつもりはない。
私は立ち上がった。
「桜花。一緒に来てくれる?」
「はい。どこへでも、お供いたします」
……ありがとう、桜花。
私は《転移》で、オリミス聖国へ向かった。
◇
聖国の神殿には、何度も来たことがある。
立派な柱。
美しい装飾。
天井から差し込む光。
人々が祈りを捧げる、静かな場所だ。
私が神殿の入口へ姿を現すと、神官の一人が驚いたように駆け寄ってきた。
「し、使徒様!?」
「こんにちは。教皇さんは、いらっしゃいますか?」
「は、はい! すぐにお呼びいたします!」
……うん。
ちゃんと、話を通しておこう。
私はここにいる人たちと喧嘩したいわけじゃない。
しばらくして、パーシー教皇が現れた。
「使徒様! お目覚めになられたと伺っておりましたが、お身体はもうよろしいのですか?」
「はい。ご心配をおかけしました」
「……何よりでございます。本当に……」
教皇さんの目に、僅かに涙が浮かんだ。
……ああ。
この人にも、心配をかけたんだな。
私は頭を下げた。
「助けていただいたそうですね。ありがとうございました」
「とんでもございません。お力になれず、申し訳なく思っておりました」
「いえ。あれは、普通の回復魔法では治らなかったと思います」
私は首を振った。
……さて。
ここまでは、普通の挨拶。
問題は、このあとだ。
「教皇さん。一つ、お願いがあるんです」
「何なりとお申し付けください」
「……神殿にあるオリミス様の像を、全部確認させてもらえますか?」
「……神像を、でございますか?」
「はい」
教皇さんは不思議そうな顔をした。
「もちろんでございます。こちらへどうぞ」
……うん。
案内してもらおう。
◇
神殿の大広間。
そこには、見上げるほど大きなオリミス様の像があった。
威厳に満ちた表情。
立派な衣装。
堂々とした姿勢。
……おお。
何度見ても、実物より神様らしい。
いや、本物の神様は本物なんだけどさ。
何というか。
実物は、もっと丸っこくて、ちょっと頼りないからね。
「こちらが、主祭壇のオリミス神像でございます」
教皇さんが、誇らしげに説明してくれた。
……うん。
立派だと思う。
作った人は、本当にすごい。
だからこそ。
「……教皇さん」
「はい、使徒様」
「この像、壊してもいいですか?」
「…………はい?」
教皇さんが、固まった。
桜花は、何も言わない。
……うん。
気持ちは分かる。
いきなり言われたら、驚くよね。
私は事情を説明した。
邪神の封印が、そもそも神様同士のつまらない喧嘩から始まったこと。
エレサリアさんを巡って揉めたこと。
そして、オリミス様の家の前で起きた、例の事件。
……全部。
教皇さんは、最初は真剣に聞いていた。
途中から、顔色が変わった。
最後には、口を開けたまま動かなくなっていた。
「……それが、封印の……?」
「はい」
「……神々の、争い……?」
「ええ。ものすごくくだらない理由の」
教皇さんは、しばらく天井を見上げた。
きっと、長年信仰してきた神様について、いろいろ考えているんだろう。
……ごめんなさい。
でも、私もこの怒りをどこかへ持っていかないと、やってられないんだ。
「もちろん、誰もけがをしないようにします。ほかの祭具や神殿そのものは傷つけません」
「あと、像は《建築》で作り直しますから。ちょっと、お姿は変わりますけど」
「……お姿が、変わる……?」
「はい。素敵な方にしようと思って」
「……使徒様」
教皇さんが、震える声で私を呼んだ。
「オリミス神への……神罰が、下る可能性は……」
……ああ。
そこを心配してるんだ。
私は、神像を見上げた。
オリミス様の姿を模した、大きな石像。
人々にとっては、大切な信仰の象徴だ。
それを壊すのだから、申し訳ないとは思う。
でも。
神様本人は、自分の責任を軽く考えすぎている。
私は、静かに答えた。
「……神罰なんて、恐れません」
教皇さんが、息を呑んだ。
「むしろ、神様に私のところへ来てもらいたいくらいです」
……そうだ。
怒って、神界から降りてきてくれるなら、それで話ができる。
私は、神像へ視線を戻した。
「それで、教皇さん。危ないので、みんなを外へ出してもらえますか?」
教皇さんは、しばらく私を見つめていた。
それから、ゆっくり頷いた。
「……承知いたしました」
神官たちが、慌ただしく動き始めた。
祈りを捧げていた人たちが、大広間から退出していく。
誰も、私を止めようとはしなかった。
ただ。
みんな、何かとんでもないことが起こるのではないかと、震えている。
……うん。
その反応は、正しいと思う。
私も、そう思ってる。
◇
しばらくして、大広間には私と桜花だけが残った。
ほかの人たちは、安全な場所へ移動してもらっている。
神像の周囲の祭具も、傷つかないよう移してもらった。
私は、ゆっくり刀を抜いた。
「……桜花」
「はい」
「ちょっと、離れててね」
「かしこまりました」
桜花が数歩下がった。
私は、目の前の立派な神像を見上げる。
……神様。
今、何してるんだろう。
神界でのんびりお茶でも飲んでいるのかな。
それとも、私を着信拒否して安心しているのかな。
……こっちはひと月も意識がなかったんですけどね。
狙うのは、神像だけ。
余計なものは壊さない。
「――【一閃】!」
シュンッ!
銀色の線が、神像を横切った。
ゴトンッ!
上半身が滑り落ち、胴体も崩れた。
さっきまで堂々と立っていたオリミス様が、あっという間に石の塊になってしまった。
……ああ。
ちょっと、すっきりした。
でも、これで終わりじゃない。
私は刀を鞘に納め、崩れた石像へ手を向けた。
「《建築》」
想像したのは、同じ台座に立つ、別の神様の姿。
腰まで伸びる長い髪。
すらりとした身体に、清楚な白いワンピース。
そして、いつも私に優しく接してくださる、あの穏やかな笑顔。
石片が組み上がり、新しい像が出来上がった。
……よし。
そこに立っていたのは――。
学問の女神、エレサリアさん。
主祭壇に、見事なエレサリア像が完成していた。
……うん。
こっちの方が、ずっといいんじゃないかな。
「……リアリス様」
桜花が、新しい像を静かに見つめた。
「大変、美しく仕上がっております」
「でしょう?」
私は、ちょっと満足した。
……ただ壊しただけだと、片づける人が大変だ。
同じ材料と台座を使って、別の神像を作れば、無駄もない。
オリミス様本人は、嬉しくないかもしれないけど。
「桜花。次の像はどこかな?」
「神殿内には、まだ幾つかございます」
「うん。じゃあ、全部まわろう」
「かしこまりました」
……さて。
神殿にあるオリミス様の像、全部。
今から、エレサリアさんに代わっていただこう。
◇
二体目。
廊下の奥にある、小さなオリミス像。
「――【一閃】!」
すぱんっ!
「《建築》」
本を片手に微笑むエレサリアさんが現れた。
……うん。
学問の女神らしくて、いいね。
三体目。
祈祷室の壁際に置かれた石像。
「――【一閃】!」
ごとんっ!
「《建築》」
今度は、祈る人を優しく見守っている姿にしてみた。
……おお。
こっちも似合う。
四体目。
神官たちの部屋に飾られた、小さな像。
……ちっちゃいなぁ。
でも、ちゃんとオリミス様だ。
「――【一閃】!」
ころんっ!
「《建築》」
手のひらほどのエレサリアさんが、上品に微笑んでいる。
……このサイズも可愛いな。
私は教皇さんから聞いた場所を順番に回り、残りの像もすべて作り替えた。
壊す。
《建築》で作り直す。
次へ行く。
ほかの神々の像には、一切触れない。
書物や祭具にも、傷をつけない。
あくまで、オリミス様の像だけだ。
最後の一体をエレサリアさんに変えたところで、私は案内図を確認した。
……うん。
これで、全部。
この神殿には、オリミス様の像が一体もない。
代わりに、どの部屋にもエレサリアさんがいる。
……なんだろう。
ものすごく、すっきりした。
しかも、神像はちゃんと立っている。
後片づけも必要ない。
……我ながら、いい解決方法じゃないかな。
◇
神殿の大広間へ戻ると、教皇さんたちが待っていた。
パーシー教皇。
ケラーさん。
それから、ほかの神官たち。
みんな、ものすごく緊張している。
「……使徒様」
教皇さんが、震える声で言った。
「……神罰は……?」
「まだ来てません」
「……そ、そうでございますか」
「来るなら、神様本人に来てほしいんですけどね」
教皇さんが、ますます青ざめた。
……あっ。
そんなに怖がらせるつもりじゃなかったんだけど。
「そうだ。神像はもう作り直してありますよ」
「……えっ?」
「ほら。大広間の像も、ちゃんと元の台座にあります」
私は、主祭壇を指差した。
教皇さんたちが、恐る恐る振り返る。
そこには、柔らかな笑みを浮かべたエレサリアさんの像が立っていた。
「…………」
「…………」
全員が、黙った。
「……し、使徒様」
「はい?」
「……あちらの神像は……」
「エレサリアさんです」
「……エ、エレサリア様……?」
「はい。オリミス様の奥さんで、学問の女神様です。とても優しい方ですよ」
教皇さんの視線が、像と私の間を行ったり来たりする。
「……で、では……オリミス神の像は……?」
「全部、エレサリアさんにしました」
「ぜ、全部……!?」
「はい。ほかの部屋も全部です」
神官の一人が、膝から崩れそうになった。
ケラーさんが、慌てて支える。
……あれ。
そんなに衝撃的だったかな。
私は大広間を見回した。
神殿は壊していない。
像も、以前と同じ場所に立っている。
しかも、エレサリアさんなら立派な女神様だ。
……よし。
ここは一つ、提案してみよう。
「教皇さん。信仰対象変えません?」
「……………………はい?」
……あっ。
今までで、一番長い沈黙だった。
「ほら、エレサリアさんなら神様のお仕事もちゃんとしてくださりそうですし」
「し、しかし……当聖国は、オリミス神を奉じる国でございまして……」
「……そうですよね」
私は頷いた。
さすがに、国の信仰をここで変えろとは言えないか。
……でも。
神殿の中身だけは、もう変えちゃったんだけどね。
教皇さんが、震える手で主祭壇を指差した。
「使徒様……これから、どうすれば……?」
「エレサリアさんも神様ですから、お祈りしてもいいんじゃないでしょうか」
「……は、はぁ……」
……うん。
困らせてしまったのは分かる。
だから、無理に教義を変えろとは言わない。
「元に戻す必要があったら、私も《建築》で協力します。そのときは連絡してください」
「……しょ、承知いたしました……」
私は、少しだけ頭を下げた。
「今日は、無理を聞いていただいてありがとうございました」
「……い、いえ。使徒様がご無事で何よりでございます……」
教皇さんは、まだエレサリアさんの像を見つめている。
……うん。
申し訳ない。
でも、今は後悔していない。
私は桜花と一緒に神殿を出た。
外には、青い空が広がっている。
町を歩く人々。
商売をする人たち。
子供たちの声。
何も変わらない、穏やかな景色。
……ああ。
結局、私はこういう世界が好きなんだな。
どれほど神様に腹が立っても。
この世界を守ってよかったという気持ちは、変わらない。
「……桜花」
「はい」
「ちょっと、やりすぎたかな?」
桜花は、少し考えた。
それから、静かに答えた。
「……私には、判断いたしかねます」
……そっか。
そりゃ、そうだよね。
私は苦笑した。
「でも、すっきりしたよ」
「……それは、何よりでございます」
桜花が、ほんの少し微笑んだ。
……うん。
じゃあ、帰ろうか。
◇
王国邸へ戻ると、巴さんが玄関で待っていた。
「おかえりなさい、リアリスちゃん」
「ただいま、巴さん」
私の顔を見た巴さんは、少しだけ目を細めた。
「……何か、すっきりした顔をしてるわね」
「うん。ちょっと、片づけてきたから」
「……そう」
巴さんは、それ以上は聞かなかった。
ただ、私の服に汚れがないことを確かめると、安心したように頷いた。
「お昼ご飯、もうすぐできるわよ」
「……ありがとう。お腹すいた」
私は靴を脱ぎ、廊下へ入った。
……ああ。
やっぱり、家が一番だ。
カトレアが食堂から顔を出した。
「お父さん! おかえり!」
「うん。ただいま」
「今日は何してたの?」
……えっ。
何してたかって?
……神様の像を全部斬ってきた。
……いや。
それをそのまま話すのは、ちょっと教育によくない気がする。
「……ちょっと、神様に用事があってね」
「そうなんだ!」
カトレアは、素直に頷いた。
……うん。
嘘じゃない。
嘘じゃないよ。
私は、カトレアの頭を撫でた。
「じゃあ、一緒にご飯食べようか」
「うん!」
巴さんが、食堂の扉を開ける。
いつもの席。
いつもの家族。
いつもの食卓。
私は席へ着き、ゆっくり息を吐いた。
……邪神の騒ぎも、ようやく終わった。
世界も戻った。
神様にも、多少は反省してもらえた……はずだ。
これからは、のんびり暮らそう。
本当に。
今度こそ。
……頼むから、神様。
しばらく、余計なことをしないでくださいね。
◇
――プチ番外編・神界。
神界の宮殿。
白い柱が並ぶ廊下を、オリミスがそろそろと歩いていた。
……ふう。
今日は、実に恐ろしい一日じゃった。
リアリスから《映像通話》が来たとき、嫌な予感がしたのじゃ。
だから、慌てて通話を切って、しばらく繋がらないようにしておいた。
……うむ。
我ながら、いい判断だったと思う。
しかし。
リアリスは、怒ると本当に怖いのう。
神界へ来たときもそうじゃった。
鳥かごを顔面にぶつけられたときなど、心臓が止まるかと思ったぞ。
……いや。
神だから、そんな簡単には死なぬが。
わしは、長いパーマ髪を揺らしながらため息をついた。
すると。
廊下の向こうに、小さな光の板が現れた。
神界から、ステラの様子を確認するためのものじゃ。
……おや?
オリミス聖国の神殿が映っている。
リアリスが、桜花と一緒にそこへ入っていく。
……あれ?
何をするつもりじゃ?
わしは、画面へ顔を近づけた。
すると。
――【一閃】!
すぱんっ!
……。
…………。
わしの神像が、真っ二つになった。
「……は?」
……いや、待て。
次の瞬間、リアリスが手をかざした。
「《建築》」
崩れた像が、みるみる組み上がっていく。
……おお!
直してくれるのか!
さすがリアリス。
少し乱暴じゃが、やはり根は優しい男じゃ。
……よかった、よかった。
完成した像を、わしはじっと見つめた。
長い髪。
白いワンピース。
優しい微笑み。
……。
…………。
「……エレサリア?」
どう見ても、わしの妻じゃ。
……えっ。
わしの像は?
今、ここにあったじゃろう?
すると画面には、別の部屋が映った。
――【一閃】!
すぱんっ!
「《建築》」
……またエレサリア。
さらに別の部屋。
――【一閃】!
ごとんっ!
「《建築》」
……またエレサリア!?
「ちょ、ちょっと待つのじゃァァッ!!」
リアリスは、神殿中のわしの像を壊しては、エレサリアに作り替えていく。
……いや。
ちょっと待て。
わしの聖国じゃぞ!?
わしを信仰しておる神殿じゃぞ!?
何故、妻の像しかなくなっておるのじゃァァッ!?
画面の向こうでは、主祭壇を見た教皇たちが固まっていた。
……当然じゃ。
わしだって固まっておるわい。
そして、リアリスが笑顔で口を開く。
『教皇さん。信仰対象変えません?』
「だ、駄目じゃァァァッ!!」
わしは思わず叫んだ。
しかし、声はステラに届かない。
今のわしは、直接干渉することを制限されておる。
……しかも。
通話を拒否したのは、わし自身じゃった。
……あっ。
しまった。
連絡もできん。
わしは頭を抱えた。
……な、何ということじゃ。
神罰を下そうにも、直接干渉は許されておらん。
ほかの神々から何を言われるかも分からぬ。
……つまり。
わしは、見ていることしかできぬ。
最後の像までエレサリアになってしまったとき、わしは床にへたり込んだ。
「……わしの……神殿が……妻の神殿に……」
……ああ。
まさか、こんなことになるとは。
……でも。
リアリスには、まだ知られていないことがある。
わしは、周囲を見回した。
誰もいない。
……よし。
少しくらい、独り言を言ってもいいじゃろう。
「……そもそも、邪神が復活した原因だって……」
わしは、声をひそめた。
「……封印制御用の封印石を、間違えてリセットしたなんて……怖くて言えるわけがないのじゃ……」
……うむ。
これだけは、絶対にリアリスへ知られてはならん。
知られたら、今度こそ。
神界へ来る方法を、何としてでも探してしまうかもしれん。
……いや。
考えたくもない。
わしは、そっと胸を撫で下ろした。
そのとき。
「……あなた?」
背後から、聞き慣れた声がした。
……あれ。
この声。
わしは、ゆっくり振り向いた。
白いワンピース。
腰まで伸びる金色の髪。
穏やかな笑顔。
……エレサリア。
わしの妻じゃ。
「……エ、エレサリア?」
エレサリアは、にっこり笑っていた。
……うん。
笑っている。
いつもの、優しい笑顔だ。
なのに。
何だか、背中が冷たい。
「……今、何て言ったのかしら?」
「……えっ?」
「……封印石を、間違えてリセットしたって?」
……。
…………。
わしの頭の中が、真っ白になった。
……聞かれてた。
全部。
聞かれてたァァァッ!!
「ち、違うのじゃ! これは、その……!」
「……あなた」
「……は、はいっ!」
エレサリアの笑顔が、少しだけ深くなった。
「邪神が復活して、ステラが滅びかけたのは……あなたが封印を解除したから、ということね?」
「……あ、あの、その……」
「それをリアリスちゃんに黙っていたの?」
「……うっ」
「そして、リアリスちゃんは、世界を元に戻すために、ひと月も意識を失ったのね?」
「……そ、そうなのじゃ……」
エレサリアが、静かに息を吐いた。
……ああ。
終わった。
わしの人生……いや、神生が。
「……あなた。そこに座りなさい」
「……は、はい」
わしは、床へ正座した。
エレサリアは、まだ笑っていた。
けれど。
その目だけは、まったく笑っていなかった。
「……全部、最初から説明してもらいます」
「……ご、ごめんなさいなのじゃァァァッ!!」
――こうして。
ステラを滅亡寸前まで追い込んだ騒動は終わりを告げた。
そして神界では、その元凶に対する長い長いお説教が、今まさに始まろうとしていた。
……リアリス。
助けてほしいのじゃ。
……いや。
今、おぬしを呼んだら、もっとひどいことになるのじゃったァァァッ!!




