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第10話:おはよう、そしてふざけるな!

 目を覚まして、翌朝。


 私は、久しぶりに自分の足で食堂へ向かった。


 昨夜は家族に囲まれ、気づけば一日が終わっていた。


 誰もが私に話しかけてくれて、そのたびに「おかえり」と言ってくれた。


 嬉しかった。


 けれど、ひと月も心配をかけてしまったことを思うと、申し訳なさもある。


 ……もう、二度とあんな無茶はしたくない。


 私は、廊下の窓から庭を見た。


 朝日が差し込み、花壇の花が風に揺れている。


 ここへ戻ってきたかった。


 この景色を、また見たかった。


「リアリス様」


 隣を歩く桜花が、私を見上げた。


「本日も、ご無理はなさらないでくださいませ」


「うん。今日は報告を聞くだけにしておくよ」


「……本当でございますか?」


「本当だよ」


 桜花は、しばらく私の顔を見つめた。


 ……ああ。


 そんなに信用されてないのかな。


 いや、ひと月も意識を失っていたんだ。


 今は、信用してもらえるように行動するしかない。


「何かあったら、ちゃんと桜花に話すから」


「……かしこまりました」


 ようやく、桜花は小さく微笑んだ。


     ◇


「リアリスちゃん、おはよう」


「おはよう、巴さん」


 食堂へ入ると、巴さんが温かい朝食を並べていた。


 ご飯に味噌汁。


 焼き魚と卵焼き、それから野菜のおかず。


 見慣れた料理だった。


「身体に負担をかけないようにしたから、ゆっくり食べるのよ」


「ありがとう。いただきます」


 私はご飯を一口食べた。


 ……ああ。


 美味しい。


 いつもの味だ。


 こんなに普通の朝ご飯が、どうしてこんなに嬉しいんだろう。


「お父さん、おはよう!」


 カトレアが駆け寄ってきた。


「おはよう、カトレア」


 私は、隣へ来たカトレアの頭を撫でた。


「今日は学校?」


「うん。お父さんが起きたこと、みんなに話してくるね」


「そっか。ありがとう」


 カトレアは、嬉しそうに頷いた。


 ……学校へ行って、友達と話す。


 帰ってきて、一緒におやつを食べる。


 そんな日常が、今は何より大切に思えた。


「お父さん、今日は一緒におやつ食べようね」


「うん。約束」


 私はカトレアと指切りをした。


 桜花が、隣でそっと微笑んでいた。


     ◇


 朝食のあと、私は居間へ向かった。


 机の上には、分厚い報告書が並んでいる。


 巴さんとセバス、それから桜花が一緒だった。


「旦那様。改めまして、お帰りなさいませ」


「ありがとう、セバス。……みんなも、本当にお疲れ様」


「もったいないお言葉でございます」


 私はソファへ座り、紅茶を受け取った。


「それじゃ、私が寝ていた間のことを教えてもらえる?」


「かしこまりました」


 セバスが一枚目の報告書を開いた。


「まず、各国の復旧状況についてでございます」


 私は姿勢を正した。


 邪神を倒した。


 世界は、元に戻った。


 でも、本当に必要なのは、そのあとだ。


 生き返った人たちが、ちゃんと暮らしていけること。


「建物や街道、農地などは、邪神復活前の姿に戻っていると確認されております。亡くなられた方々も、各地で生存が報告されております」


「……そうか」


 私は息を吐いた。


「ちゃんと、戻ったんだね」


「はい。ただ、各国で人々の所在を確認する作業が続いております。突然蘇られた方々や、避難先から戻られる方々も多く、生活の再開にはまだ時間が必要です」


「……うん。それは、そうだよね」


 建物を元に戻せても、そこに住む人の気持ちまで一瞬で元どおりにはならない。


 目の前で家族を失った人もいる。


 その家族が帰ってきても、すぐには信じられないだろう。


 私は報告書を見た。


「王国邸に避難していた人たちは?」


「各国の王族と宰相の皆様が中心となって移動手段を手配し、大部分の方が帰還されました」


 ……ああ。


 そうだ。


 あのとき、私は約一万人を一度に《転移》させた。


 でも、私が一か月も眠ってしまったせいで、帰りはみんなに任せることになったんだ。


「かなり大変だったでしょう?」


 私が聞くと、巴さんは穏やかに首を横へ振った。


「大変だったのは確かだけれど、みんな頑張ってくれたのよ。リアリスちゃんが帰ってくるまで、ここを守ろうって」


「……ありがとう、巴さん」


「だから、リアリスちゃんも、次からは一人で全部背負い込まないこと。いいわね?」


「……うん」


 私は素直に頷いた。


 あのときは、ほかに方法がないと思った。


 でも、心配させたことまで、なかったことにはできない。


「セバス。手紙も来てるんだって?」


「はい。各国から、お見舞いと感謝のお言葉が数多く届いております」


 セバスが、別の書類を差し出した。


 宛名の一覧だった。


 シルク王国。


 フォーサイド魔法国。


 ローズ帝国。


 オリミス聖国。


 それから、ほかの大陸の国々。


 王族や重鎮だけではなく、冒険者や商人、一般の住民からの手紙もある。


 私は、最初の一通を開いた。


 そこには、短い言葉が書かれていた。


 『家族が帰ってきました。ありがとうございます』


 私は、その文字をじっと見つめた。


 ……よかった。


 あの魔法を使って、本当によかった。


 高い代償だったとしても。


 こうして、誰かが家族と再会できたなら。


 私は手紙をそっと閉じた。


「返事、少しずつ書くよ」


「承知いたしました。急ぐ必要はございませんので、ご体調を優先してくださいませ」


「うん。ありがとう」


 私は紅茶を飲んだ。


 温かさが、胸の奥までゆっくり広がっていく。


 ……世界は、ちゃんと動いているんだ。


     ◇


 昼前、私は庭へ出た。


 桜花も、もちろん一緒だ。


 花壇のそばでは、カトレアがモフ太と話していた。


 赤いリボンをつけたモフ太は、いつもの大きさに戻っている。


 ……うん。


 五メートルの熊が庭を守っていた光景も頼もしかったけれど、普段の姿の方が落ち着く。


「お父さん!」


 カトレアが手を振った。


 私はそばへ行き、花壇を覗き込んだ。


「これ、この前お話しした花だよ」


「本当だ。綺麗に咲いたね」


「うん!」


 カトレアは、嬉しそうに笑った。


 しばらく花の話をして、それから学校のことも聞いた。


 友達のこと。


 最近読んだ本のこと。


 モフ太が、子供たちの人気者になっていること。


 特別な話ではない。


 でも、そういう話ができることが嬉しかった。


「……お父さん」


 カトレアが、少しだけ声を落とした。


「もう、一か月も寝ちゃ駄目だよ」


「……うん。ごめんね」


「ずっと心配だったんだから」


「本当に、ごめん」


 私はカトレアの頭を撫でた。


 カトレアは、少しだけ頬を膨らませたあと、ようやく笑った。


「じゃあ、今日のおやつは絶対一緒ね」


「うん。約束したもんね」


 ……そうだ。


 これからは、こういう約束をもっと大事にしよう。


 私は、隣に立つ桜花を見た。


 桜花も、静かに頷いてくれた。


 ……うん。


 しばらくは、本当にのんびり暮らしたい。


 世界を救う仕事なんて、もう勘弁してほしい。


     ◇


 屋敷へ戻る途中。


 私は、ふと思い出した。


 ……あっ。


 そういえば、もう一つ片づけなきゃいけないことがある。


「桜花」


「はい、リアリス様」


「イオデグラン、まだ鳥かごの中だよね?」


 桜花の表情が、少し引き締まった。


「はい。楓たちと交代で監視しております。扉は一度も開けておりません」


「ありがとう。あれ、いつまでもここに置いておけないよね」


「……神界へ、お返しになるのでございますか」


「うん。神様に引き取ってもらおう」


 私は桜花と一緒に、隣の部屋へ向かった。


 中では、楓が鳥かごのそばに座っていた。


「楓。見張ってくれてありがとう」


「……問題ない」


 楓が、静かに頷いた。


 鳥かごの中では、白い小さな人影が腕を組んでいる。


『……ようやく来たか』


 イオデグランだ。


『いつまで我をこんな場所へ閉じ込めておくつもりだ!』


「今日、引き取り先に連絡しますよ」


『……引き取り先?』


「オリミス様です」


 イオデグランが、ぴたりと固まった。


『……何?』


「神様に返します」


『あ、あやつのところへ戻るだと!?』


「はい。ほかに行く場所、ありませんよね」


『嫌だ! オリミスだけは嫌だ!』


 ……あれ。


 そんなに嫌なのか。


 まあ、封印されていた相手だから当然かな。


「でも、私の家で飼うわけにはいきませんから」


『飼う!? 我を何だと思っておる!』


「……邪神ですよね」


『そうだ! 神だぞ!』


「だから困るんです」


『何故だァッ!』


 ……いや。


 自分が世界を滅ぼしかけたこと、覚えてるよね?


 私は鳥かごの取っ手を持ち上げた。


「桜花。これ、私が預かるよ」


「かしこまりました。扉の留め具は、こちらでございます」


「うん。ちゃんと閉まってるね」


 金属の格子は、まったく傷んでいない。


 桜花がずっと監視していてくれたおかげだ。


「それじゃ、神様に連絡しようか」


『ま、待て! 話せば分かる!』


 ……今さら何を話すんだろう。


 私は、鳥かごを持ったまま居間へ戻った。


     ◇


「《映像通話》」


 宛先は、神様。


 創造神オリミス。


 画面が現れ、呼び出し音が響く。


 しばらくして。


『……も、もしもし?』


 見慣れた顔が映った。


 長いパーマ髪。


 小柄な、丸い身体。


 ……うん。


 神様だ。


「お久しぶりです、神様」


『リアリス! 目が覚めたのじゃな!』


「はい。昨日、ようやく起きました」


『おお……! よかった、よかった! あのあと連絡が取れなくなって、心配しておったのじゃぞ!』


 ……まあ。


 心配してくれたのは、ありがたい。


「ひと月ほど意識を失っていたみたいです」


『ひ、ひと月!? そんなにか……!』


「はい」


 私は頷いた。


 神様の顔が、少しだけ曇った。


『……そうか。それは大変じゃったのう』


「ええ。家族にも心配をかけました」


『……うむ』


 しばらく、沈黙があった。


 けれど、神様はすぐに表情を明るくした。


『じゃが! 世界も元に戻ったし、これですべて丸く収まったということで――』


「……神様」


『……はいっ!』


「まだ、丸く収まってませんよ」


『……へ?』


 私は、画面の前に鳥かごを持ち上げた。


「こちら、引き取ってください」


『……な、何じゃ、それは?』


 神様が顔を近づける。


 鳥かごの中のイオデグランも、画面を覗き込んだ。


『……オリミス!』


『イ、イオデグラン!?』


 同時に声が上がった。


 ……うわぁ。


 お互い、顔を見るだけで嫌そうだな。


『オリミス! 貴様のせいで我はこんな姿に!』


『い、いや! それはリアリスが――』


「神様」


『……は、はい』


「このままステラに置いておくわけにはいきませんよね」


『そ、そうじゃな』


「引き取り、お願いします」


『……う、うむ。じゃがのう……』


 神様が、何だかもじもじし始めた。


 ……あっ。


 また、嫌な予感がする。


「……何か問題があるんですか?」


『現在のわしは、ステラへ直接干渉することを制限されておるじゃろう?』


「はい。散々聞きました」


『だから、直接迎えに行くわけにはいかんのじゃ』


「……じゃあ、どうするんですか」


『邪神討伐の後始末に限り、特例でリアリスを一時的に神界へ招くことが認められておる』


「……神界へ?」


『わしの力で一時的にじゃ。おぬし自身の《転移》で神界へ来られるわけではないぞ』


 ……そうか。


 神様の力なら、特例で連れていけるんだ。


 それなら話は早い。


「分かりました。連れていってください」


『おお! それは助かるのじゃ!』


 神様の表情が、ぱっと明るくなった。


 ……うん。


 そんなに喜ぶこと?


「その代わり、神様」


『……な、何じゃ?』


「直接会えたら、話したいことが山ほどありますからね」


『……えっ』


 私は、笑顔を作った。


「楽しみにしていますよ」


『……り、リアリス? その笑顔は何じゃ……?』


 ……さあ。


 何だろうね。


     ◇


 神界へ向かう前に、私は桜花たちへ事情を説明した。


「邪神の引き渡しに行ってくるよ。神様が直接、神界へ連れていってくれるんだって」


「……リアリス様、お一人でございますか」


「うん。特例らしいからね。すぐ帰ってくるよ」


 桜花は、少しだけ心配そうに頷いた。


「どうか、お気をつけて」


「ありがとう」


 巴さんは、私の顔をじっと見ていた。


「リアリスちゃん」


「うん?」


「昨日目を覚ましたばかりなんだから、あまり興奮しないこと。いいわね?」


「……はい」


 ……どうして分かるんだろう。


 私は鳥かごを持ち直した。


 イオデグランは、さっきから格子を掴んだまま騒いでいる。


『嫌だ! 我は行かんぞ!』


「はいはい。行きますよ」


『聞けぇ!』


 神様に向かって合図する。


「準備できました」


『……わ、分かったのじゃ』


 足元へ、淡い光が広がった。


『邪神討伐に関する特例として、リアリスを一時的に神界へ招くのじゃ』


 私は家族へ手を振った。


「行ってきます」


「いってらっしゃいませ、リアリス様」


「ちゃんと戻ってくるのよ」


「うん!」


 視界が、白く染まった。


     ◇


 目を開けると、真っ白な部屋の中に立っていた。


 大きな柱。


 高い天井。


 磨かれた床。


 どこかの宮殿みたいだ。


 ……へぇ。


 ここが神界なんだ。


 目の前に、小柄な老人が立っていた。


 長いパーマ髪。


 丸いお腹。


 見慣れた服装。


 ……画面で見たとおりの、神様だ。


「こんにちは、神様」


「こ、こんにちはなのじゃ……」


 神様が、妙に落ち着かない様子で返事をする。


 私は鳥かごを見た。


 ちゃんと一緒に来ている。


 イオデグランも、格子の向こうから神様を睨みつけていた。


『オリミスッ!』


「……イオデグラン」


 二人が睨み合う。


 私は間に入り、鳥かごを持ち上げた。


「それじゃ、引き渡しますね」


「う、うむ……」


 神様が手を伸ばす。


 私は、そっと鳥かごを引っ込めた。


「……その前に」


「……な、何じゃ?」


「神様。私に言うこと、ありませんか?」


「……えっ?」


 神様が首を傾げた。


 ……えっ、じゃないんですけど。


「イオデグランが復活して、何が起こったか、分かっていますよね」


「……う、うむ」


「国が壊れましたよね」


「……そうじゃ」


「町も村も、たくさん壊れましたよね」


「……うむ」


「亡くなった人も、数えきれないくらいいたんですよね」


「……うむ」


「それを戻すために、私はひと月も意識を失いましたよね」


「……そう、じゃな」


 私は、一歩近づいた。


 神様が、一歩下がった。


「……それで?」


「……そ、それで、とは?」


 ……あっ。


 駄目だ。


 この人、分かってない。


 私は、大きく息を吸い込んだ。


「……ふざけるなァァァァッ!!」


 その瞬間。


 私は手にしていた鳥かごを、オリミス様めがけて思いっきりぶん投げた。


 ガァンッ!!


「ぶへぇぇっ!?」


 金属製の鳥かごが、神様の顔面に見事なクリーンヒット。


 神様はひっくり返って尻もちをつき、跳ね返った鳥かごを慌てて抱え込んだ。


『お、おい! 我ごと投げたな!?』


「か、神に暴力を振るうとは何事じゃぁっ!?」


 鳥かごを抱えたまま、神様が抗議してきた。


 私は、いたって真面目に答えた。


「イオデグランで、その程度じゃダメージを負わないことは検証済みです」


『我を何の実験台にしたんだァァッ!?』


「……じゃあ、説教を続けますね」


「な、流すでないっ!」


「神様! 世界が滅びかけたんですよ!」


「わ、分かっておる! 分かっておるのじゃ!」


「分かってるなら、どうしてさっき『丸く収まった』なんて言えるんですか!」


「そ、それは……結果的に元に戻ったから、つい……」


「つい!?」


「ひっ!」


 神様が、鳥かごを胸に抱えたまま頭をすくめた。


 ……ああ。


 もう。


 本当に、もう。


「私だって、神様がステラへ直接干渉できないことは理解しています!」


「……は、はい」


「だったら、せめて最初から責任を持って、できることを考えてくださいよ!」


「……はい」


「どうして毎回毎回、私が後始末をすることになるんですか!」


「……だ、だって……」


「だって?」


 神様が、鳥かごの取っ手をもじもじといじり始めた。


「……リアリスなら、何とかしてくれると思ったのじゃ……」


 ……。


 …………。


 私は、天井を見上げた。


 神界の天井って、すごく高いんだね。


 ……うん。


 今、関係ないことを考えないと、怒りが収まりそうにない。


「神様」


「……は、はい」


「私は、のんびり暮らしたいんです」


「……うむ」


「家族と食事をしたり、カトレアと庭を歩いたり、桜花と稽古をしたり」


「……そうじゃな」


「そういう、ごく普通の暮らしがしたいんです!」


「……うむ」


「それなのに!」


「ひぃっ!」


「神様の不手際で、世界を救うことになったんですよ! どういうことですかァァッ!」


「ご、ごめんなさいなのじゃァァァッ!」


 神様が鳥かごを傍らに置き、その場で勢いよく土下座した。


 ……おお。


 今度はちゃんと謝った。


 いや、今度は、じゃない。


 もっと早く謝ってほしかったんだけど。


 私は、深く息を吐いた。


 ……落ち着こう。


 ただ怒鳴りに来たわけじゃない。


 きちんと伝えたいことがある。


「……神様」


「……な、何じゃ?」


「桜花が、泣いたんです」


「……え?」


「私が意識を失って、海へ落ちたとき」


 神様が、顔を上げた。


「桜花は、普段は滅多に泣かないんです。でも、私が目を覚まさなくて……ずっと泣きながら、王国邸へ連れ帰ってくれたんです」


「……うむ」


「カトレアも、ひと月待っていました。巴さんも、ほかのみんなも」


 神様は、今度は何も言わなかった。


「私だけが困ったわけじゃありません。世界中の人が怖い思いをして、家族も心配したんです」


 私は、神様をまっすぐ見た。


「そのことだけは、忘れないでください」


 神様は、ゆっくり頷いた。


「……わしが悪かった。本当に、すまなかったのじゃ」


 今度の声は、小さかった。


 私は、しばらく黙っていた。


 ……うん。


 ちゃんと謝ってくれた。


 それなら、とりあえず――。


『……おい! オリミス!』


 鳥かごの中から、声がした。


 ……あっ。


 そういえば、こっちもいたんだ。


『いつまであの男に頭を下げておる! 我を早く解放せよ!』


 イオデグランが、格子をがしゃがしゃ揺らしている。


 神様が、傍らに置いた鳥かごへ目を向けた。


 その顔が、少しだけ真面目になった。


「……イオデグラン」


『何だ!』


「おぬしは、神界の牢獄へ入ってもらう」


『……は?』


「二度とステラへ戻さぬ。永久に、厳重に幽閉する」


『な、何を勝手なことを!』


 私は、少し安心した。


 ……そうだよね。


 また自由にして、再び暴れられたら困る。


「神様。二度と出られないんですよね?」


「うむ。神界にある牢獄じゃ。今度こそ、二度と外には出さぬ」


「……それなら、安心です」


『待て! 我は納得せぬぞ!』


 鳥かごの中で、イオデグランが格子を揺らした。


 神様は、傍らの鳥かごを抱え直して見つめている。


「……リアリス。せめて、もう少し穏便に渡す方法はなかったのかのう」


「もう引き渡しは済んでますよね?」


「そういう問題ではないのじゃ……」


『我だってそう言いたいわァァッ!!』


 ……ああ。


 なんだ、二人とも元気そうだ。


 私は空いた手を軽く払った。


 これで、邪神の問題は終わりだ。


 やっと、肩の荷が下りた気がする。


     ◇


「そういえば、神様」


「……な、何じゃ?」


「どうして、そもそもイオデグランをステラに封印したんですか?」


 神様の肩が、びくっと跳ねた。


 ……ん?


 今の反応、何?


「そ、それは……その……」


「……神様?」


「な、長い話なのじゃ! とても、とても長い話でのう!」


「そうなんですか?」


「そうじゃ! 何千年も昔の話から始めねばならん!」


 ……何千年。


 それは確かに長そうだ。


 でも、世界の危機になった理由なんだから、知る権利はあると思う。


「じゃあ、要点だけでいいです」


「そ、それは……」


 神様が、目を泳がせる。


 ……ああ。


 また何か隠してるな。


「神様。ちゃんと聞きますから」


「……う、うむ」


「どうして封印したんですか?」


「ええと、その……」


 神様は、天井を見上げた。


 鳥かごを両手で抱えたまま、しばらく固まっている。


 そして、急に顔を上げた。


「……じ、時間じゃ!」


「……はい?」


「特例の時間が、もう終わるのじゃ!」


 ……時間?


「わしがリアリスを神界へ招けるのは、ごく短い間だけじゃ! さあ、帰ってもらわねば!」


「……ちょっと待ってください」


 神様が、慌てて手を振った。


 床に、淡い光が広がり始める。


 ……えっ。


 これって、帰されるやつ?


「まだ、話が終わってませんよ!」


「……一分しか認められておらんのじゃ!」


 ……一分!?


 いやいやいや!


「だったら、最初から言ってくださいよ!」


「い、今言ったじゃろう!」


「今じゃ遅いです!」


 神様が、さらに慌てた。


「と、とにかく! お疲れ様なのじゃ!」


「神様! まだ聞きたいことが――!」


「ご、ごめんなさいなのじゃァァッ!」


「話は終わってませんからねェェッ!!」


 視界が、真っ白になった。


     ◇


 ……あれ。


 気づくと、私は居間に立っていた。


 足元には、さっきまでの神界の光もない。


 いつもの机。


 いつものソファ。


 そして、すぐ近くにいる桜花。


 ……帰ってきちゃった。


「リアリス様?」


 桜花が、私の顔を覗き込む。


「お帰りなさいませ。……ずいぶんお早いお戻りでございますね」


「……うん」


 私は、何と答えればいいのか少し考えた。


 神界に行って。


 神様へ怒鳴って。


 邪神を返して。


 もう一度怒鳴って。


 帰された。


 ……たった一分で。


 何だ、この展開。


「リアリスちゃん?」


 巴さんが、心配そうに眉を寄せた。


「大丈夫? 顔が真っ赤よ」


「……大丈夫。ちょっと神様と話してきただけだから」


「……そう」


 巴さんが、私をじっと見つめる。


 それから、穏やかに言った。


「それじゃ、紅茶でも飲みましょうか。まだ身体を休めないとね」


「……うん。お願い」


 私はソファに座った。


 桜花も、すぐ隣へ座る。


「リアリス様。邪神は、無事にお渡しできたのでございますか?」


「うん。鳥かごごと返してきたよ」


「……左様でございましたか」


 桜花が、小さく頷いた。


 ……それはいいんだ。


 イオデグランは、もうステラへ戻らない。


 そのことだけは、神様も約束してくれた。


 だけど。


「……桜花」


「はい」


「神様って、どうしてあんなに話が通じないんだろうね」


 桜花は少し考えた。


「……私には、分かりかねます」


「……だよねぇ」


 私は深く息を吐いた。


 そこへ、巴さんが紅茶を持ってきてくれた。


「はい、リアリスちゃん」


「ありがとう、巴さん」


 一口飲む。


 ……ああ。


 落ち着く。


 やっぱり、家が一番だ。


 私は、窓の外へ目を向けた。


 庭では、カトレアがモフ太と遊んでいる。


 いつもの、穏やかな景色。


 邪神の問題は、これで終わった。


 ……神様が何かを隠しているような、あの顔だけは気になるけれど。


 まあ。


 聞きたいことは、また今度でいいだろう。


 《映像通話》もある。


 私はカップを置き、桜花に声をかけた。


「桜花。カトレアのところに行こうか」


「はい、リアリス様」


 桜花が微笑んだ。


 ……うん。


 世界も戻った。


 邪神もいなくなった。


 今度こそ、のんびり暮らそう。


     ◇


 ――神界、オリミスの独り言。


 ……まったく。


 今日は、本当に酷い目に遭ったのじゃ。


 リアリスが元気になったのはよかった。


 ステラも戻った。


 邪神も、ちゃんと連れ戻せた。


 わしは鳥かごを抱え、神界の奥にある牢獄へ向かった。


『オリミス! ここから出せ!』


「……もう、駄目じゃ。二度とステラへは戻さぬ」


『我は神だぞ!』


「……わしも神じゃ」


 重い扉をいくつも越え、厳重な封印が施された牢の前に立つ。


 神界に戻った以上、イオデグランへ神の力を使うことに問題はない。


 わしは小さな邪神を鳥かごから出し、牢の中へ移した。


 今度こそ、出られないように。


 封印を重ね、扉を閉じる。


 ゴゴンッ。


 重い音が響いた。


『オリミスゥゥゥッ!』


 叫び声が、扉の向こうに消えていく。


 ……よし。


 これで、後始末は終わったのじゃ。


 わしは額の汗を拭いた。


 あとは、何事もなかったように日々を過ごせば――。


 ……いや。


 リアリスには、まだ聞かれておらぬことがあったのう。


 そのことを思い出すと、背筋が冷たくなった。


 ……今は、余計なことを考えるのはやめておこう。


 ひとまず、今日のところは。


 これ以上、誰にも怒られずに済むといいのじゃが……。

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