第10話:おはよう、そしてふざけるな!
目を覚まして、翌朝。
私は、久しぶりに自分の足で食堂へ向かった。
昨夜は家族に囲まれ、気づけば一日が終わっていた。
誰もが私に話しかけてくれて、そのたびに「おかえり」と言ってくれた。
嬉しかった。
けれど、ひと月も心配をかけてしまったことを思うと、申し訳なさもある。
……もう、二度とあんな無茶はしたくない。
私は、廊下の窓から庭を見た。
朝日が差し込み、花壇の花が風に揺れている。
ここへ戻ってきたかった。
この景色を、また見たかった。
「リアリス様」
隣を歩く桜花が、私を見上げた。
「本日も、ご無理はなさらないでくださいませ」
「うん。今日は報告を聞くだけにしておくよ」
「……本当でございますか?」
「本当だよ」
桜花は、しばらく私の顔を見つめた。
……ああ。
そんなに信用されてないのかな。
いや、ひと月も意識を失っていたんだ。
今は、信用してもらえるように行動するしかない。
「何かあったら、ちゃんと桜花に話すから」
「……かしこまりました」
ようやく、桜花は小さく微笑んだ。
◇
「リアリスちゃん、おはよう」
「おはよう、巴さん」
食堂へ入ると、巴さんが温かい朝食を並べていた。
ご飯に味噌汁。
焼き魚と卵焼き、それから野菜のおかず。
見慣れた料理だった。
「身体に負担をかけないようにしたから、ゆっくり食べるのよ」
「ありがとう。いただきます」
私はご飯を一口食べた。
……ああ。
美味しい。
いつもの味だ。
こんなに普通の朝ご飯が、どうしてこんなに嬉しいんだろう。
「お父さん、おはよう!」
カトレアが駆け寄ってきた。
「おはよう、カトレア」
私は、隣へ来たカトレアの頭を撫でた。
「今日は学校?」
「うん。お父さんが起きたこと、みんなに話してくるね」
「そっか。ありがとう」
カトレアは、嬉しそうに頷いた。
……学校へ行って、友達と話す。
帰ってきて、一緒におやつを食べる。
そんな日常が、今は何より大切に思えた。
「お父さん、今日は一緒におやつ食べようね」
「うん。約束」
私はカトレアと指切りをした。
桜花が、隣でそっと微笑んでいた。
◇
朝食のあと、私は居間へ向かった。
机の上には、分厚い報告書が並んでいる。
巴さんとセバス、それから桜花が一緒だった。
「旦那様。改めまして、お帰りなさいませ」
「ありがとう、セバス。……みんなも、本当にお疲れ様」
「もったいないお言葉でございます」
私はソファへ座り、紅茶を受け取った。
「それじゃ、私が寝ていた間のことを教えてもらえる?」
「かしこまりました」
セバスが一枚目の報告書を開いた。
「まず、各国の復旧状況についてでございます」
私は姿勢を正した。
邪神を倒した。
世界は、元に戻った。
でも、本当に必要なのは、そのあとだ。
生き返った人たちが、ちゃんと暮らしていけること。
「建物や街道、農地などは、邪神復活前の姿に戻っていると確認されております。亡くなられた方々も、各地で生存が報告されております」
「……そうか」
私は息を吐いた。
「ちゃんと、戻ったんだね」
「はい。ただ、各国で人々の所在を確認する作業が続いております。突然蘇られた方々や、避難先から戻られる方々も多く、生活の再開にはまだ時間が必要です」
「……うん。それは、そうだよね」
建物を元に戻せても、そこに住む人の気持ちまで一瞬で元どおりにはならない。
目の前で家族を失った人もいる。
その家族が帰ってきても、すぐには信じられないだろう。
私は報告書を見た。
「王国邸に避難していた人たちは?」
「各国の王族と宰相の皆様が中心となって移動手段を手配し、大部分の方が帰還されました」
……ああ。
そうだ。
あのとき、私は約一万人を一度に《転移》させた。
でも、私が一か月も眠ってしまったせいで、帰りはみんなに任せることになったんだ。
「かなり大変だったでしょう?」
私が聞くと、巴さんは穏やかに首を横へ振った。
「大変だったのは確かだけれど、みんな頑張ってくれたのよ。リアリスちゃんが帰ってくるまで、ここを守ろうって」
「……ありがとう、巴さん」
「だから、リアリスちゃんも、次からは一人で全部背負い込まないこと。いいわね?」
「……うん」
私は素直に頷いた。
あのときは、ほかに方法がないと思った。
でも、心配させたことまで、なかったことにはできない。
「セバス。手紙も来てるんだって?」
「はい。各国から、お見舞いと感謝のお言葉が数多く届いております」
セバスが、別の書類を差し出した。
宛名の一覧だった。
シルク王国。
フォーサイド魔法国。
ローズ帝国。
オリミス聖国。
それから、ほかの大陸の国々。
王族や重鎮だけではなく、冒険者や商人、一般の住民からの手紙もある。
私は、最初の一通を開いた。
そこには、短い言葉が書かれていた。
『家族が帰ってきました。ありがとうございます』
私は、その文字をじっと見つめた。
……よかった。
あの魔法を使って、本当によかった。
高い代償だったとしても。
こうして、誰かが家族と再会できたなら。
私は手紙をそっと閉じた。
「返事、少しずつ書くよ」
「承知いたしました。急ぐ必要はございませんので、ご体調を優先してくださいませ」
「うん。ありがとう」
私は紅茶を飲んだ。
温かさが、胸の奥までゆっくり広がっていく。
……世界は、ちゃんと動いているんだ。
◇
昼前、私は庭へ出た。
桜花も、もちろん一緒だ。
花壇のそばでは、カトレアがモフ太と話していた。
赤いリボンをつけたモフ太は、いつもの大きさに戻っている。
……うん。
五メートルの熊が庭を守っていた光景も頼もしかったけれど、普段の姿の方が落ち着く。
「お父さん!」
カトレアが手を振った。
私はそばへ行き、花壇を覗き込んだ。
「これ、この前お話しした花だよ」
「本当だ。綺麗に咲いたね」
「うん!」
カトレアは、嬉しそうに笑った。
しばらく花の話をして、それから学校のことも聞いた。
友達のこと。
最近読んだ本のこと。
モフ太が、子供たちの人気者になっていること。
特別な話ではない。
でも、そういう話ができることが嬉しかった。
「……お父さん」
カトレアが、少しだけ声を落とした。
「もう、一か月も寝ちゃ駄目だよ」
「……うん。ごめんね」
「ずっと心配だったんだから」
「本当に、ごめん」
私はカトレアの頭を撫でた。
カトレアは、少しだけ頬を膨らませたあと、ようやく笑った。
「じゃあ、今日のおやつは絶対一緒ね」
「うん。約束したもんね」
……そうだ。
これからは、こういう約束をもっと大事にしよう。
私は、隣に立つ桜花を見た。
桜花も、静かに頷いてくれた。
……うん。
しばらくは、本当にのんびり暮らしたい。
世界を救う仕事なんて、もう勘弁してほしい。
◇
屋敷へ戻る途中。
私は、ふと思い出した。
……あっ。
そういえば、もう一つ片づけなきゃいけないことがある。
「桜花」
「はい、リアリス様」
「イオデグラン、まだ鳥かごの中だよね?」
桜花の表情が、少し引き締まった。
「はい。楓たちと交代で監視しております。扉は一度も開けておりません」
「ありがとう。あれ、いつまでもここに置いておけないよね」
「……神界へ、お返しになるのでございますか」
「うん。神様に引き取ってもらおう」
私は桜花と一緒に、隣の部屋へ向かった。
中では、楓が鳥かごのそばに座っていた。
「楓。見張ってくれてありがとう」
「……問題ない」
楓が、静かに頷いた。
鳥かごの中では、白い小さな人影が腕を組んでいる。
『……ようやく来たか』
イオデグランだ。
『いつまで我をこんな場所へ閉じ込めておくつもりだ!』
「今日、引き取り先に連絡しますよ」
『……引き取り先?』
「オリミス様です」
イオデグランが、ぴたりと固まった。
『……何?』
「神様に返します」
『あ、あやつのところへ戻るだと!?』
「はい。ほかに行く場所、ありませんよね」
『嫌だ! オリミスだけは嫌だ!』
……あれ。
そんなに嫌なのか。
まあ、封印されていた相手だから当然かな。
「でも、私の家で飼うわけにはいきませんから」
『飼う!? 我を何だと思っておる!』
「……邪神ですよね」
『そうだ! 神だぞ!』
「だから困るんです」
『何故だァッ!』
……いや。
自分が世界を滅ぼしかけたこと、覚えてるよね?
私は鳥かごの取っ手を持ち上げた。
「桜花。これ、私が預かるよ」
「かしこまりました。扉の留め具は、こちらでございます」
「うん。ちゃんと閉まってるね」
金属の格子は、まったく傷んでいない。
桜花がずっと監視していてくれたおかげだ。
「それじゃ、神様に連絡しようか」
『ま、待て! 話せば分かる!』
……今さら何を話すんだろう。
私は、鳥かごを持ったまま居間へ戻った。
◇
「《映像通話》」
宛先は、神様。
創造神オリミス。
画面が現れ、呼び出し音が響く。
しばらくして。
『……も、もしもし?』
見慣れた顔が映った。
長いパーマ髪。
小柄な、丸い身体。
……うん。
神様だ。
「お久しぶりです、神様」
『リアリス! 目が覚めたのじゃな!』
「はい。昨日、ようやく起きました」
『おお……! よかった、よかった! あのあと連絡が取れなくなって、心配しておったのじゃぞ!』
……まあ。
心配してくれたのは、ありがたい。
「ひと月ほど意識を失っていたみたいです」
『ひ、ひと月!? そんなにか……!』
「はい」
私は頷いた。
神様の顔が、少しだけ曇った。
『……そうか。それは大変じゃったのう』
「ええ。家族にも心配をかけました」
『……うむ』
しばらく、沈黙があった。
けれど、神様はすぐに表情を明るくした。
『じゃが! 世界も元に戻ったし、これですべて丸く収まったということで――』
「……神様」
『……はいっ!』
「まだ、丸く収まってませんよ」
『……へ?』
私は、画面の前に鳥かごを持ち上げた。
「こちら、引き取ってください」
『……な、何じゃ、それは?』
神様が顔を近づける。
鳥かごの中のイオデグランも、画面を覗き込んだ。
『……オリミス!』
『イ、イオデグラン!?』
同時に声が上がった。
……うわぁ。
お互い、顔を見るだけで嫌そうだな。
『オリミス! 貴様のせいで我はこんな姿に!』
『い、いや! それはリアリスが――』
「神様」
『……は、はい』
「このままステラに置いておくわけにはいきませんよね」
『そ、そうじゃな』
「引き取り、お願いします」
『……う、うむ。じゃがのう……』
神様が、何だかもじもじし始めた。
……あっ。
また、嫌な予感がする。
「……何か問題があるんですか?」
『現在のわしは、ステラへ直接干渉することを制限されておるじゃろう?』
「はい。散々聞きました」
『だから、直接迎えに行くわけにはいかんのじゃ』
「……じゃあ、どうするんですか」
『邪神討伐の後始末に限り、特例でリアリスを一時的に神界へ招くことが認められておる』
「……神界へ?」
『わしの力で一時的にじゃ。おぬし自身の《転移》で神界へ来られるわけではないぞ』
……そうか。
神様の力なら、特例で連れていけるんだ。
それなら話は早い。
「分かりました。連れていってください」
『おお! それは助かるのじゃ!』
神様の表情が、ぱっと明るくなった。
……うん。
そんなに喜ぶこと?
「その代わり、神様」
『……な、何じゃ?』
「直接会えたら、話したいことが山ほどありますからね」
『……えっ』
私は、笑顔を作った。
「楽しみにしていますよ」
『……り、リアリス? その笑顔は何じゃ……?』
……さあ。
何だろうね。
◇
神界へ向かう前に、私は桜花たちへ事情を説明した。
「邪神の引き渡しに行ってくるよ。神様が直接、神界へ連れていってくれるんだって」
「……リアリス様、お一人でございますか」
「うん。特例らしいからね。すぐ帰ってくるよ」
桜花は、少しだけ心配そうに頷いた。
「どうか、お気をつけて」
「ありがとう」
巴さんは、私の顔をじっと見ていた。
「リアリスちゃん」
「うん?」
「昨日目を覚ましたばかりなんだから、あまり興奮しないこと。いいわね?」
「……はい」
……どうして分かるんだろう。
私は鳥かごを持ち直した。
イオデグランは、さっきから格子を掴んだまま騒いでいる。
『嫌だ! 我は行かんぞ!』
「はいはい。行きますよ」
『聞けぇ!』
神様に向かって合図する。
「準備できました」
『……わ、分かったのじゃ』
足元へ、淡い光が広がった。
『邪神討伐に関する特例として、リアリスを一時的に神界へ招くのじゃ』
私は家族へ手を振った。
「行ってきます」
「いってらっしゃいませ、リアリス様」
「ちゃんと戻ってくるのよ」
「うん!」
視界が、白く染まった。
◇
目を開けると、真っ白な部屋の中に立っていた。
大きな柱。
高い天井。
磨かれた床。
どこかの宮殿みたいだ。
……へぇ。
ここが神界なんだ。
目の前に、小柄な老人が立っていた。
長いパーマ髪。
丸いお腹。
見慣れた服装。
……画面で見たとおりの、神様だ。
「こんにちは、神様」
「こ、こんにちはなのじゃ……」
神様が、妙に落ち着かない様子で返事をする。
私は鳥かごを見た。
ちゃんと一緒に来ている。
イオデグランも、格子の向こうから神様を睨みつけていた。
『オリミスッ!』
「……イオデグラン」
二人が睨み合う。
私は間に入り、鳥かごを持ち上げた。
「それじゃ、引き渡しますね」
「う、うむ……」
神様が手を伸ばす。
私は、そっと鳥かごを引っ込めた。
「……その前に」
「……な、何じゃ?」
「神様。私に言うこと、ありませんか?」
「……えっ?」
神様が首を傾げた。
……えっ、じゃないんですけど。
「イオデグランが復活して、何が起こったか、分かっていますよね」
「……う、うむ」
「国が壊れましたよね」
「……そうじゃ」
「町も村も、たくさん壊れましたよね」
「……うむ」
「亡くなった人も、数えきれないくらいいたんですよね」
「……うむ」
「それを戻すために、私はひと月も意識を失いましたよね」
「……そう、じゃな」
私は、一歩近づいた。
神様が、一歩下がった。
「……それで?」
「……そ、それで、とは?」
……あっ。
駄目だ。
この人、分かってない。
私は、大きく息を吸い込んだ。
「……ふざけるなァァァァッ!!」
その瞬間。
私は手にしていた鳥かごを、オリミス様めがけて思いっきりぶん投げた。
ガァンッ!!
「ぶへぇぇっ!?」
金属製の鳥かごが、神様の顔面に見事なクリーンヒット。
神様はひっくり返って尻もちをつき、跳ね返った鳥かごを慌てて抱え込んだ。
『お、おい! 我ごと投げたな!?』
「か、神に暴力を振るうとは何事じゃぁっ!?」
鳥かごを抱えたまま、神様が抗議してきた。
私は、いたって真面目に答えた。
「イオデグランで、その程度じゃダメージを負わないことは検証済みです」
『我を何の実験台にしたんだァァッ!?』
「……じゃあ、説教を続けますね」
「な、流すでないっ!」
「神様! 世界が滅びかけたんですよ!」
「わ、分かっておる! 分かっておるのじゃ!」
「分かってるなら、どうしてさっき『丸く収まった』なんて言えるんですか!」
「そ、それは……結果的に元に戻ったから、つい……」
「つい!?」
「ひっ!」
神様が、鳥かごを胸に抱えたまま頭をすくめた。
……ああ。
もう。
本当に、もう。
「私だって、神様がステラへ直接干渉できないことは理解しています!」
「……は、はい」
「だったら、せめて最初から責任を持って、できることを考えてくださいよ!」
「……はい」
「どうして毎回毎回、私が後始末をすることになるんですか!」
「……だ、だって……」
「だって?」
神様が、鳥かごの取っ手をもじもじといじり始めた。
「……リアリスなら、何とかしてくれると思ったのじゃ……」
……。
…………。
私は、天井を見上げた。
神界の天井って、すごく高いんだね。
……うん。
今、関係ないことを考えないと、怒りが収まりそうにない。
「神様」
「……は、はい」
「私は、のんびり暮らしたいんです」
「……うむ」
「家族と食事をしたり、カトレアと庭を歩いたり、桜花と稽古をしたり」
「……そうじゃな」
「そういう、ごく普通の暮らしがしたいんです!」
「……うむ」
「それなのに!」
「ひぃっ!」
「神様の不手際で、世界を救うことになったんですよ! どういうことですかァァッ!」
「ご、ごめんなさいなのじゃァァァッ!」
神様が鳥かごを傍らに置き、その場で勢いよく土下座した。
……おお。
今度はちゃんと謝った。
いや、今度は、じゃない。
もっと早く謝ってほしかったんだけど。
私は、深く息を吐いた。
……落ち着こう。
ただ怒鳴りに来たわけじゃない。
きちんと伝えたいことがある。
「……神様」
「……な、何じゃ?」
「桜花が、泣いたんです」
「……え?」
「私が意識を失って、海へ落ちたとき」
神様が、顔を上げた。
「桜花は、普段は滅多に泣かないんです。でも、私が目を覚まさなくて……ずっと泣きながら、王国邸へ連れ帰ってくれたんです」
「……うむ」
「カトレアも、ひと月待っていました。巴さんも、ほかのみんなも」
神様は、今度は何も言わなかった。
「私だけが困ったわけじゃありません。世界中の人が怖い思いをして、家族も心配したんです」
私は、神様をまっすぐ見た。
「そのことだけは、忘れないでください」
神様は、ゆっくり頷いた。
「……わしが悪かった。本当に、すまなかったのじゃ」
今度の声は、小さかった。
私は、しばらく黙っていた。
……うん。
ちゃんと謝ってくれた。
それなら、とりあえず――。
『……おい! オリミス!』
鳥かごの中から、声がした。
……あっ。
そういえば、こっちもいたんだ。
『いつまであの男に頭を下げておる! 我を早く解放せよ!』
イオデグランが、格子をがしゃがしゃ揺らしている。
神様が、傍らに置いた鳥かごへ目を向けた。
その顔が、少しだけ真面目になった。
「……イオデグラン」
『何だ!』
「おぬしは、神界の牢獄へ入ってもらう」
『……は?』
「二度とステラへ戻さぬ。永久に、厳重に幽閉する」
『な、何を勝手なことを!』
私は、少し安心した。
……そうだよね。
また自由にして、再び暴れられたら困る。
「神様。二度と出られないんですよね?」
「うむ。神界にある牢獄じゃ。今度こそ、二度と外には出さぬ」
「……それなら、安心です」
『待て! 我は納得せぬぞ!』
鳥かごの中で、イオデグランが格子を揺らした。
神様は、傍らの鳥かごを抱え直して見つめている。
「……リアリス。せめて、もう少し穏便に渡す方法はなかったのかのう」
「もう引き渡しは済んでますよね?」
「そういう問題ではないのじゃ……」
『我だってそう言いたいわァァッ!!』
……ああ。
なんだ、二人とも元気そうだ。
私は空いた手を軽く払った。
これで、邪神の問題は終わりだ。
やっと、肩の荷が下りた気がする。
◇
「そういえば、神様」
「……な、何じゃ?」
「どうして、そもそもイオデグランをステラに封印したんですか?」
神様の肩が、びくっと跳ねた。
……ん?
今の反応、何?
「そ、それは……その……」
「……神様?」
「な、長い話なのじゃ! とても、とても長い話でのう!」
「そうなんですか?」
「そうじゃ! 何千年も昔の話から始めねばならん!」
……何千年。
それは確かに長そうだ。
でも、世界の危機になった理由なんだから、知る権利はあると思う。
「じゃあ、要点だけでいいです」
「そ、それは……」
神様が、目を泳がせる。
……ああ。
また何か隠してるな。
「神様。ちゃんと聞きますから」
「……う、うむ」
「どうして封印したんですか?」
「ええと、その……」
神様は、天井を見上げた。
鳥かごを両手で抱えたまま、しばらく固まっている。
そして、急に顔を上げた。
「……じ、時間じゃ!」
「……はい?」
「特例の時間が、もう終わるのじゃ!」
……時間?
「わしがリアリスを神界へ招けるのは、ごく短い間だけじゃ! さあ、帰ってもらわねば!」
「……ちょっと待ってください」
神様が、慌てて手を振った。
床に、淡い光が広がり始める。
……えっ。
これって、帰されるやつ?
「まだ、話が終わってませんよ!」
「……一分しか認められておらんのじゃ!」
……一分!?
いやいやいや!
「だったら、最初から言ってくださいよ!」
「い、今言ったじゃろう!」
「今じゃ遅いです!」
神様が、さらに慌てた。
「と、とにかく! お疲れ様なのじゃ!」
「神様! まだ聞きたいことが――!」
「ご、ごめんなさいなのじゃァァッ!」
「話は終わってませんからねェェッ!!」
視界が、真っ白になった。
◇
……あれ。
気づくと、私は居間に立っていた。
足元には、さっきまでの神界の光もない。
いつもの机。
いつものソファ。
そして、すぐ近くにいる桜花。
……帰ってきちゃった。
「リアリス様?」
桜花が、私の顔を覗き込む。
「お帰りなさいませ。……ずいぶんお早いお戻りでございますね」
「……うん」
私は、何と答えればいいのか少し考えた。
神界に行って。
神様へ怒鳴って。
邪神を返して。
もう一度怒鳴って。
帰された。
……たった一分で。
何だ、この展開。
「リアリスちゃん?」
巴さんが、心配そうに眉を寄せた。
「大丈夫? 顔が真っ赤よ」
「……大丈夫。ちょっと神様と話してきただけだから」
「……そう」
巴さんが、私をじっと見つめる。
それから、穏やかに言った。
「それじゃ、紅茶でも飲みましょうか。まだ身体を休めないとね」
「……うん。お願い」
私はソファに座った。
桜花も、すぐ隣へ座る。
「リアリス様。邪神は、無事にお渡しできたのでございますか?」
「うん。鳥かごごと返してきたよ」
「……左様でございましたか」
桜花が、小さく頷いた。
……それはいいんだ。
イオデグランは、もうステラへ戻らない。
そのことだけは、神様も約束してくれた。
だけど。
「……桜花」
「はい」
「神様って、どうしてあんなに話が通じないんだろうね」
桜花は少し考えた。
「……私には、分かりかねます」
「……だよねぇ」
私は深く息を吐いた。
そこへ、巴さんが紅茶を持ってきてくれた。
「はい、リアリスちゃん」
「ありがとう、巴さん」
一口飲む。
……ああ。
落ち着く。
やっぱり、家が一番だ。
私は、窓の外へ目を向けた。
庭では、カトレアがモフ太と遊んでいる。
いつもの、穏やかな景色。
邪神の問題は、これで終わった。
……神様が何かを隠しているような、あの顔だけは気になるけれど。
まあ。
聞きたいことは、また今度でいいだろう。
《映像通話》もある。
私はカップを置き、桜花に声をかけた。
「桜花。カトレアのところに行こうか」
「はい、リアリス様」
桜花が微笑んだ。
……うん。
世界も戻った。
邪神もいなくなった。
今度こそ、のんびり暮らそう。
◇
――神界、オリミスの独り言。
……まったく。
今日は、本当に酷い目に遭ったのじゃ。
リアリスが元気になったのはよかった。
ステラも戻った。
邪神も、ちゃんと連れ戻せた。
わしは鳥かごを抱え、神界の奥にある牢獄へ向かった。
『オリミス! ここから出せ!』
「……もう、駄目じゃ。二度とステラへは戻さぬ」
『我は神だぞ!』
「……わしも神じゃ」
重い扉をいくつも越え、厳重な封印が施された牢の前に立つ。
神界に戻った以上、イオデグランへ神の力を使うことに問題はない。
わしは小さな邪神を鳥かごから出し、牢の中へ移した。
今度こそ、出られないように。
封印を重ね、扉を閉じる。
ゴゴンッ。
重い音が響いた。
『オリミスゥゥゥッ!』
叫び声が、扉の向こうに消えていく。
……よし。
これで、後始末は終わったのじゃ。
わしは額の汗を拭いた。
あとは、何事もなかったように日々を過ごせば――。
……いや。
リアリスには、まだ聞かれておらぬことがあったのう。
そのことを思い出すと、背筋が冷たくなった。
……今は、余計なことを考えるのはやめておこう。
ひとまず、今日のところは。
これ以上、誰にも怒られずに済むといいのじゃが……。




