第5話:想像魔法が効かない
邪神の十本の指先から、白い光が放たれた。
最初の一本が、私の右側を通り過ぎる。
続いて二本目。
私は左へ身体を傾け、三本目が来る前に高度を下げた。
だが、四本目はその先を狙っていた。
「……くっ!」
急停止し、上へ切り返す。
光が鼻先をかすめ、背後の海へ突き刺さった。
轟音。
何本もの水柱が連なり、海面が白く砕け散る。
残りの光が、水飛沫の向こうから迫ってきた。
私は刀を身体へ引き寄せ、その間を抜ける。最後の一本だけは避ける方向を読んでいたらしく、進路の正面に現れた。
身をひねり、辛うじてかわす。
次の瞬間、十本の光が着弾した海で一斉に爆発が起きた。
衝撃が背中を押した。
私は勢いを殺さず、邪神から距離を取る。
空中に散った水が、激しい雨となって降り注いだ。
『……ほう。全部避けたか』
邪神イオデグランは、指先を眺めていた。
攻撃の余波で海が荒れ狂っているのに、白い身体は少しも揺れていない。
……十本とも、同じ速さじゃなかった。
避けた方向へ次の攻撃を置いてくる。
ただ光を飛ばしているわけではないらしい。
私は邪神の両腕を視界に収めた。
右手が上がる。
直後、二本の光が左右へ分かれた。
今度は追いかけてこない。
私の逃げ道を先に塞いでいる。
私は上へ抜けた。
そこへ三本目が伸びる。
身体を横に倒し、その脇を通り抜けた。
邪神の指が、また動く。
しかし、先ほどより余裕をもって避けられた。
攻撃の直前、狙った方向へ指先が僅かに向く。
その癖が分かれば、避ける場所を選べる。
私は邪神を中心に弧を描きながら、少しずつ北へ移動した。
邪神も、こちらを追ってくる。
陸地から離れた海上で戦わせる。
それだけは、変えるつもりがなかった。
『……逃げているつもりか』
「いいえ。見ているんです」
『……何を』
「イオデグランの攻撃を」
邪神が右手を伸ばした。
光が走る。
私は射線から外れ、そのまま一気に間合いを詰めた。
すれ違いざま、腕の付け根へ刀を振るう。
キィンッ!
硬い音。
刃は弾かれたが、邪神の身体がほんの僅かに傾いた。
すぐに背後へ抜ける。
追撃はせず、十分な距離を取った。
……やっぱり、刃は当たる。
傷はつかない。
それでも、衝撃は伝わっている。
邪神がゆっくり振り返った。
『……妙な人間だ』
その声には、まだ余裕があった。
私も、まだ本気ではない。
だが、この相手の攻撃を受けながら、何度も刀を試す必要はなさそうだった。
動きは、ある程度分かった。
……次を試そう。
◇
邪神が、再び両手を広げた。
指先の光が大きく膨らみ、今度は十個の小さな球になる。
私は距離を取り、動きを待った。
光球が一斉に飛び出す。
そのうち三つが、途中で進路を変えた。
……追ってくるのか。
私は横へ加速した。
光球が追随する。
下へ潜ると、残りの光球が先回りしていた。
私は身体をひねり、二つの間を抜けた。
直後、背後で爆発が起きる。
白い光と衝撃が広がり、辺りの波が弾け飛んだ。
私は邪神の右側へ回り、空いた場所に出た。
光球の残りが、まだ追ってくる。
この距離なら、試せる。
私は邪神へ片手を向けた。
「《完全拘束》!」
相手の動きを完全に止める、使い慣れた魔法。
だが。
邪神の手は止まらなかった。
指が動き、白い光が私へ飛んでくる。
私は横へかわした。
残った光球が背後で爆ぜる。
邪神は、何事もなかったようにこちらを見ている。
……効いていない?
手応えがない。
いつもなら、発動した瞬間に相手の動きが封じられるはずだ。
邪神が片腕を上げる。
私は右へ移動し、次の光を避けた。
さらに距離を広げる。
今度は、別の魔法。
「《即死》!」
この世界の災厄ですら、これには抵抗できなかった。
しかし。
邪神は倒れなかった。
白い身体に、変化は一つもない。
『……ん?』
邪神が首を傾げた。
『何かしたか』
私は答えず、刀を構え直した。
光が飛ぶ。
右へかわす。
続く一本を上へ避ける。
海の向こうで、重い爆発音が響いた。
……《完全拘束》も《即死》も通じない。
偶然とは思えなかった。
刀なら衝撃が伝わるのに、相手を直接どうにかする魔法だけが、何も起こさない。
理由は分からない。
だが、今は考え込んでいる場合じゃなかった。
私は邪神の左側へ回った。
攻撃の直後に生まれた隙を突き、腕へ刀を当てる。
キンッ!
やはり、硬い。
邪神の反撃を避け、距離を取った。
……もっと強く斬れば、どうなる?
私は刀を握り直した。
そのときだった。
視界の端に、見慣れた表示が現れた。
『着信:オリミス』
…………。
私は一瞬だけ目を細めた。
この状況で、神様から連絡?
邪神の右手に、また光が集まる。
私は射線を外し、距離を取って通話を開いた。
「オリミス様。今、戦闘中です」
『わ、分かっておる! リアリス、よく聞くんじゃ!』
画面に映ったオリミス様は、普段の穏やかな表情ではなかった。
『あやつに《想像魔法》を直接使っても、効かん!』
私は、迫ってきた光を下へ避けた。
「……どういうことですか」
『イオデグランも神じゃ。神そのものには、お前の《想像魔法》が直接作用せんのじゃ!』
私は邪神を見た。
白い巨体が、こちらへゆっくり向き直る。
……だから、効かなかったのか。
「《完全拘束》も《即死》も?」
『……うむ。相手を直接縛ったり、消したりすることはできぬ』
私は息を詰めた。
邪神の光が、空を横切る。
私は横へ避け、刀を構える。
「オリミス様」
『な、何じゃ』
「それを、いつから知っていたんですか」
『……え?』
「私の《想像魔法》が神に効かないことを、いつから知っていたのか聞いているんです」
画面の向こうで、オリミス様の視線が揺れた。
『……以前から、知ってはおった』
私は、歯を食いしばった。
邪神が右手を振る。
白い光が三本、連続で伸びてきた。
私は左へ、続いて上へ避ける。
海面から水柱が噴き上がった。
「……だったら、最初に教えてください!」
『す、すまぬ!』
「帝都では、人が死んでいるんです!」
自分の声が、思ったより大きく響いた。
「私は、魔法で止められると思っていました。だから試した。それが最初から無理だと分かっていたなら、別の方法で戦えたんです!」
オリミス様は何も言わなかった。
その沈黙が、余計に腹立たしかった。
だが、今は怒りをぶつけている時間もない。
私は呼吸を整え、話を切り替えた。
「……確認します。刀で斬るのは、どうなんですか」
『……刀?』
「実際に刃は当たっています。斬撃の衝撃も伝わっている。それも無効なんですか」
『いや、神であっても物理的な力が一切通じぬわけではない。じゃが、イオデグランの肉体は――』
「通じるなら、それで十分です」
『リアリス! 無理をするでないぞ!』
私は邪神を見据えた。
白い身体は、こちらへゆっくり近づいてくる。
「無理はしません。ただ、これ以上、町を壊させるつもりもありません」
『……リアリス』
「話は、帰ってから聞きます」
私は通話を切った。
◇
邪神が、こちらを見ていた。
『……終わったか』
「ええ」
『神に助けでも求めたか』
「違います」
私は刀を正面に構えた。
「倒し方を確認しただけです」
邪神の白い顔が、僅かに動いた。
『……我を倒す、と?』
「はい」
迷いはなかった。
ここまで交戦して分かったことがある。
邪神の攻撃は恐ろしく速く、威力も大きい。
十本の光だけで、海面が何度も爆ぜた。
帝都があれほどの被害を受けたのも、理解できる。
……でも。
私が対応できない速さじゃない。
動きを見ていれば、避けられる。
刀も当たる。
足りなかったのは、振り込む力だけだ。
私は刀を握り直した。
《全能力強化》という手もある。
けれど、今はそこまで必要ない。
この身体の力だけで、まだ上げられる。
ここからは、ただ避けるために動くんじゃない。
斬るために、動く。
私は一度、ゆっくり息を吐いた。
『……人間風情が、よく吠える』
邪神の指先に光が集まった。
私は一気に前へ出た。
一本目を身体の右でやり過ごす。
続く二本目は、左へ切り返して外した。
光が海へ落ちる。
その衝撃が届く前に、邪神の間合いへ踏み込んだ。
右腕が振られる。
私はその下を抜けた。
白い巨体の脇腹へ、一太刀。
ガィンッ!
今度は、邪神の身体がはっきりと横へ動いた。
『……む?』
私は追撃せず、離れた。
刀にはまだ傷がない。
だが、先ほどより深く衝撃が伝わった。
……やっぱり。
この相手は、斬れる。
邪神が姿勢を戻し、両手を広げた。
指先ではない。
掌の間に、巨大な白い球が現れる。
周囲の雲が吹き払われ、海面が大きく沈み始めた。
『……では、消えてみるがいい』
球が放たれた。
私は横へ飛んだ。
しかし、球は途中で向きを変えた。
追ってくる。
私はさらに高度を上げ、その後ろを取るように回り込む。
光球も向きを変えた。
速度は速い。
だが、旋回する瞬間だけ、動きが鈍る。
私は海面すれすれまで急降下した。
光球が追ってくる。
そこで、進路を鋭く横へ変えた。
光球は曲がりきれず、海面へ突っ込んだ。
凄まじい閃光。
水が高く吹き上がる。
私はその水柱の側面を駆け上がるように上昇した。
飛沫の向こうに、邪神がいる。
邪神は、まだ私を見つけていない。
――今だ。
私は一気に距離を詰めた。
白い顔が、こちらを向く。
邪神の右手が上がった。
もう遅い。
私は刀を鞘へ戻し、左手で柄を押さえた。
身体の力を、一点に集中させる。
速さも、重さも、刃を走らせる一瞬に込める。
今までの探るような斬撃とは違う。
確実に斬るための一撃。
『……何を――』
私は鯉口を切った。
「【一閃】!」
刃が、走る。
銀色の軌跡が白い光を横切った。
音が消えた。
次の瞬間、邪神の身体に一本の線が浮かぶ。
右肩から胸元へ、斜めに。
その線に沿って、白い光がずれた。
『……な』
邪神の声が途切れた。
遅れて、空気が裂けるような音が響く。
私の背後で、邪神の巨大な身体が崩れ始めた。
肩が割れ、胸元が裂ける。
白く輝いていた両腕が、形を失った。
……通った。
確かな手応えだった。
邪神の身体を、初めて斬り裂いた。
『……馬鹿な……』
邪神が、自分の崩れた身体を見下ろしている。
『……ただの、人間が……』
その言葉とともに、白い輪郭に無数のひびが走った。
裂け目から光があふれ出す。
私は刀を振り切った姿勢から、静かに距離を取った。
邪神は腕を伸ばそうとした。
だが、もう腕の形を保てない。
身体の中心が大きく崩れ、そのまま空中で砕けた。
白い破片が、無数の光となって散る。
海の上に、光の雨が降り注いだ。
やがて、その光も一つずつ消えていった。
◇
私は刀を下げた。
邪神がいた場所には、もう何も見えない。
荒れ狂っていた海は、まだ大きくうねっている。
けれど、白い光は消えていた。
私は周囲を確かめる。
人の姿はない。
邪神の気配も感じない。
……やったか!?
刃には確かな手応えが残っている。
今の【一閃】に、魔法による強化は使っていない。
ただ、自分の力を引き上げて斬っただけだ。
それでも、かなりの力を込めた。
普段の自分なら、八割くらいだろうか。
……世界の災厄と呼ばれたヴィクサスを、あっという間に倒せたことを思い出す。
その相手と比べても、桁違いだった。
私にとっても、決して油断できる相手じゃなかった。
……でも。
ひとまず、これで。
私は息を整え、空を見上げた。
桜花に知らせよう。
そして、巴さんにも。
まだ世界の各地で魔獣と戦っている黒髪の子たちがいる。
帝都の復旧だって、これからだ。
私は《映像通話》を開こうとした。
その瞬間。
海面の向こうで、小さな白い光が揺れた。
……ん?
私は手を止めた。
波の間に、消え残った光が一つ。
それが、ゆっくりと浮かび上がってくる。
私は刀を構え直した。
光は、消えていなかった。
光は、波に呑まれることなく浮かび上がってきた。
指先ほどだったものが、拳ほどに膨らむ。
さらに大きくなり、私の目の前で白い球となった。
私は刀を構え、数十メートル後ろへ下がる。
斬り裂いたはずの邪神の気配が、球の中心から伝わってきた。
……ああ。
嫌な予感がする。
球が、ひときわ強く輝いた。
光の内側から、折れ曲がった腕のようなものが突き出す。
一本。二本。
ばらばらだった輪郭が、再び人の形を作っていく。
私は思わず空を仰いだ。
「……あー、やっぱりこうなるよねぇ。お約束だよねぇ……」
倒したと思った敵が、第二形態で復活する。
日本にいた頃なら、ゲームの画面を見ながら苦笑いしていたところだ。
……まさか、自分がその相手をすることになるとは。
もっとも、文句を言っている場合ではない。
光の球が弾けた。
私はすぐに距離を取る。
白い光が海面へ落ちた瞬間、巨大な円形の波が四方へ広がった。
空気が震え、雲が押し流される。
波の中心に、邪神が浮かんでいた。
身長は先ほどと変わらず、五メートルほど。
だが、姿はまるで違う。
滑らかだった身体に、鋭い線が幾筋も走っている。
腕は細く長く伸び、手の先は刃物のように尖っていた。
白い光の奥には、黒い亀裂のような模様が浮かんでいる。
何より、まとっている気配が違った。
海面が、その身体の真下だけ深く沈んでいる。
周囲の波は、近づく前に押し返されていた。
『……人間』
邪神が、こちらを向いた。
先ほどより低い声だった。
『よくぞ、我の姿を壊した』
私は刀を正面に構える。
「……まだ生きていたんですね」
『あれは、我の力の一部にすぎぬ』
邪神が、両腕をゆっくり広げる。
胸の中央にあった黒い亀裂が、脈打つように光った。
『今から見せてやろう。我が本来の力を』
海が、さらに大きく沈む。
邪神の声が、空と海の間に響き渡った。
『我が名は、イオデグランゾーラ!』
……名前も変わった。
私は刀を握り直した。
第二形態、イオデグランゾーラ。
その呼び名を頭に入れたところで、向こうが動いた。
いや。
動いたと思った瞬間、邪神は目の前にいた。
「……っ!」
私は斜め下へ逃れた。
直後、長く伸びた右腕が、さっきまで私のいた場所を薙ぐ。
腕が通った後の空気が、白く裂けた。
衝撃波が海面へ落ち、巨大な水柱を上げる。
私はそのまま邪神の背後へ回った。
しかし、相手は振り返らない。
背中から、突然白い光が放たれた。
私は右へ身を翻す。
光がすぐ脇を抜けていった。
遅れて海が爆ぜる。
……背後にも攻撃できるのか。
私は距離を取り、全身の動きを見た。
最初の姿なら、腕を動かすまでに僅かな間があった。
今は、ほとんどない。
そして何より、移動が速い。
邪神の姿が揺れる。
私は反射的に横へ移った。
そこへ、白い足が振り下ろされた。
空気を踏み砕くような音。
私はその下を抜け、刀を走らせる。
肩口へ一撃。
キィンッ!
刃は当たった。
しかし、邪神の身体はほとんど動かなかった。
私は追撃せず、すぐに離れる。
……やはり、前とは違う。
斬れないわけではない。
ただ、今の一太刀では力が足りない。
『……どうした、人間』
邪神が、ゆっくりこちらを向いた。
『先ほどのように、我を斬ってみせよ』
私は刀を納め、身体の向きを整えた。
挑発に乗るつもりはない。
けれど、確かめる必要はある。
一度、しっかり斬ってみよう。
邪神が右腕を上げた。
私はその動きに合わせて左へ回る。
先ほどのような光が飛んでくる。
避けた先で、空中にもう一本の閃光が生まれた。
私は高度を変え、二本の間を抜ける。
続いて、邪神へ向けて一気に接近した。
右肩へ狙いを定める。
刃を抜く。
「【一閃】!」
一筋の銀光が走った。
先ほど第一形態を斬り裂いた技。
空気が鳴り、衝撃が周囲へ広がる。
海面に、長い線が刻まれた。
邪神の右肩にも、確かに刃が届いた。
だが。
ギィンッ!
硬い音が響き、刀が押し戻された。
白い肩に、一筋の傷がつく。
それだけだった。
私は反動を受け流し、距離を取る。
邪神が肩を見下ろした。
『……ほう。今の身体にも傷をつけるか』
その傷は、ゆっくりと白い光に埋まっていく。
あっという間に、元に戻った。
『だが、その程度では届かぬ』
「……そうみたいですね」
私は刀の刃を確認する。
欠けてはいない。
こちらの斬撃が届いても、相手がそれを上回る硬さを持っている。
……なら、もう一段上げる。
今のまま無理に斬り合いを続ける必要はない。
私は静かに息を吐いた。
使う魔法は、もう決まっている。
「《全能力強化》」
身体の奥から、力が満ちてきた。
今の全能力を百倍にする。
視界が、澄んだ。
荒れ狂う波も、遠くで崩れた雲の動きも、はっきりと見える。
目の前の邪神は、また攻撃を仕掛けようとしていた。
だが、今ならその動きが追える。
『……何をした』
邪神の声が僅かに低くなった。
私は刀を構え直す。
「……これで、少しはまともに戦えそうです」
『……人間が、我を前にして』
邪神が腕を振る。
私は正面へ踏み込み、その一撃を紙一重でかわした。
そのまま左側へ回り込み、刃を振るう。
ガンッ!
先ほどより深く、刃が食い込んだ。
邪神の身体が横へ揺れる。
私は手を止めず、一息に背後へ抜けた。
続けてもう一太刀。
今度は、邪神の背中を斜めに斬りつける。
白い光が散った。
『……っ!』
邪神が声を漏らす。
長い腕がこちらへ伸びる。
私は距離を取ると同時に、その軌道から外れた。
後ろの海が、一直線に裂ける。
次の瞬間、邪神の身体が消えた。
私はその場から横へ移る。
すぐそばの空間を、白い拳が貫いた。
振り向きざま、刀を合わせる。
ガキンッ!
大きな衝撃。
私は後ろへ押されながら、刀を引いた。
邪神も、拳を引いている。
……なるほど。
全能力を強化しても、簡単に斬り倒せる相手ではない。
でも、対応できる。
私は姿勢を立て直した。
邪神の右腕が動く。
その軌道を見て、私は先に回り込んだ。
白い拳が空を切る。
私は左肩へ刃を走らせ、すぐに離れた。
邪神が怒りを含んだ声を上げる。
『……貴様!』
私は答えない。
相手の攻撃を避けながら、距離と力加減を測る。
正面から全てを受け止める必要はない。
もっと確実に、倒すために。
そして、できるだけ早く。
◇
邪神の動きが止まった。
白い身体の中心に、黒い光が集まっている。
今までのように指先へ集めるのではない。
胸のあたりから、波紋のようなものが外へ広がった。
私は一度距離を取る。
海面が震えた。
波紋が海に触れた瞬間、何もない場所で水柱が上がる。
続けて、少し離れたところでも爆発が起きた。
さらに遠く。
また、その向こう。
私の周囲を囲むように、海が次々と弾けていく。
……範囲攻撃か。
私は上昇し、衝撃の届かない位置へ移った。
だが、邪神は追ってこない。
胸元から広がる波紋を、さらに強くしていた。
ふと、視界の端に白い線が見えた。
海面ではない。
北の空から、遥か南へ向かって伸びていく光だ。
私は目を細めた。
……まさか。
邪神は、私を見たまま笑った。
『……お前ばかり相手にしていても、つまらぬ』
その言葉とともに、海上に散った光が細い筋となり、四方へ飛び去った。
私は身をひるがえし、その一筋を追う。
光は、すでに遠くへ伸びていた。
ここで邪神の目を離せば、また帝都のような被害が出る。
だからといって、好きに撃たせるわけにもいかない。
私は邪神の正面へ回り直した。
白い身体の胸元に、まだ光が集まっている。
あれを止める。
私は刀を振り上げ、腕ではなく胸の中心へ斬り込んだ。
鋭い金属音が響く。
黒い模様の一部が裂けた。
邪神が身を捩り、胸から伸びていた光の筋が途切れる。
しかし、飛び去ったものまでは戻らない。
『……邪魔をするな!』
邪神の拳が迫る。
私は横へ避け、そのまま距離を取った。
遠くの空に、白い光が幾つも消えていく。
……まずい。
そのとき、視界に小さな表示が浮かんだ。
『《映像通話》着信』
発信者は、各国に派遣した黒髪のホムンクルスだった。
私は受信し、画面を小さく保った。
『リアリス様。報告です』
落ち着いた声だった。
だが、背後では大勢の叫び声と、魔獣の咆哮が響いている。
『現地の魔獣が、突然活性化しました。数も増えています』
「……分かった。生存者の保護を最優先に。無理に追わなくていい」
『承知いたしました』
「ほかの子たちにも伝えて。連絡はいつでも受ける」
『かしこまりました』
通話が切れる。
私は邪神へ目を戻した。
……やっぱり、ここだけの戦いじゃ済まない。
あの光が、世界各地の魔獣に影響している。
すでに黒髪の子たちと各国の兵士が戦っている。
これ以上、時間をかけるわけにはいかない。
私は刀を構えたまま、邪神との距離を測る。
正面から斬るだけなら、もう一段深く踏み込む必要がある。
だが、相手の動きが速い以上、一度に全てを決めようとするのは得策じゃない。
それなら。
直接、邪神に魔法を使うのではなく。
魔法で作ったものを、ぶつける。
……試す価値はある。
私は海の上空を見上げた。
雲が薄く、広い空が見えている。
あの高さから、物を落とせば。
重さと速さで、衝撃を与えられる。
相手そのものに《想像魔法》をかけるわけじゃない。
作った物が、普通にぶつかるだけだ。
私は、頭の中で結果を組み立てた。
直径一メートルほどの岩の塊を、上空に作る。
次々と落下させる。
数は、最大千個。
速度は秒速百メートル。
海上で邪神を狙い、周囲の陸地へは落とさない。
一本の巨大な岩より、小さくても数が多い方がいい。
……そうだな。
流星が雨のように降る。
名前は、これでいい。
『《想像魔法》にて《流星雨》が完成しました。』
頭の中に、いつもの女性の声が響いた。
邪神は私の様子をうかがっている。
その向こうで、まだ細かな光が飛び交っていた。
私は左手を空へ向けた。
「《流星雨》!」
海の上空に、幾百もの黒い点が現れた。
最初は、星のように小さく見えた。
その点が、次々と大きくなっていく。
岩だ。
無数の岩が、空から落ちてくる。
黒い影が邪神の頭上に重なり、空を覆い始めた。
邪神が上を向いた。
『……何だ、これは』
私は刀を構え直した。
「……石です」
大きさは、一つ一つが人間の背丈に近い。
それが百も、二百も。
さらに、その向こうにも。
風を切る音が重なり、空全体が唸った。
そして。
最初の隕石が、邪神の肩へ命中した。
ドゴンッ!
重い衝撃音。
邪神の身体が、僅かに傾く。
続いて二個目、三個目。
空から次々と降る岩が、白い身体を叩いた。
邪神の周囲の海面にも、岩が落ちる。
巨大な水柱が立ち上がった。
衝撃が連なり、波が複雑に交差する。
さらに隕石が降り注いだ。
空中に水飛沫が舞い、白い光と黒い岩が入り混じる。
邪神の姿が見えなくなる。
私は一定の距離を保ち、落下位置を見極めた。
岩は上空で作った物だ。
邪神に直接魔法をかけてはいない。
だから、きちんと命中する。
……効いている。
少なくとも、当たっている。
でも、これだけでは足りない。
降り注ぐ岩の中から、白い光が伸びた。
隕石の一つが、空中で砕け散る。
続いて、二つ目。
さらに、三つ目。
邪神が片腕を上げていた。
その指先から放たれた光が、落下してくる岩を次々と撃ち抜いている。
しかし、全ては防ぎきれない。
背後から落ちた一つが、肩へ命中した。
ドンッ!
『……鬱陶しい!』
邪神が大きく腕を振った。
周囲の岩がまとめて砕け、白い閃光が空へ広がる。
私は余波を避けながら、別の角度へ回った。
今の《流星雨》は、魔法で邪神を直接傷つけているわけじゃない。
落ちてきた岩が、ただぶつかっている。
それなら、オリミス様の言っていた制限には触れない。
……よし。考え方は間違ってなかった。
私はさらに落下位置を調整した。
邪神の正面へ密集させるのではなく、少しずつ位置をずらして降らせる。
腕を上げて岩を砕いたところへ、別の方向から次の岩が来る。
避ければ、その先にも。
邪神は空中で身をひねり、いくつかをかわした。
しかし、次の一つが背中へ命中する。
衝撃で身体が僅かに前へ押された。
『……小賢しい!』
邪神が、今度は両腕を広げた。
胸の黒い亀裂から、白い光が一気に噴き出す。
周囲の岩が、触れたそばから粉々になった。
砕けた石が、雨のように海へ落ちていく。
私は距離を取り、その様子を見た。
……派手には効いている。
だけど、決定打にはなっていない。
邪神の身体には、先ほどの【一閃】でつけた傷が僅かに残っているだけだった。
今の魔法で与えられるのは、せいぜい邪魔をする程度の衝撃か。
それでも、一つ確かめられた。
魔法で作った物を、物理的にぶつければ通じる。
これは大きい。
私は刀を正面へ戻した。
次の一手は、考えなければならない。
このまま岩を増やしても、邪神の身体を壊しきる前に、世界のどこかで犠牲が増える。
もっと確実な方法が必要だ。
邪神が、こちらへ顔を向けた。
『……なかなか、面白いものを出す』
その声には、明らかな苛立ちが混じっている。
『だが、我にそんな石ころが通じると、本気で思っておるのか』
「……少しは、嫌がってもらえたみたいですけど」
『……何?』
私は邪神の正面から、一度離れた。
今の距離なら、攻撃を避ける余裕がある。
邪神の長い指が動く。
私はその動きに合わせて右へ飛んだ。
光の筋が、さっきまでいた場所を貫く。
反対側から、さらに二本。
私は高度を下げ、二本の間を抜けた。
今の私には、先ほどよりはっきりと動きが見えている。
《全能力強化》を使っているからだ。
だが、反撃の隙は短い。
邪神も、少しずつ攻撃の間合いを変えてくる。
私は一度刀を振るい、すぐに離れた。
肩へ浅く傷がつく。
邪神が、その傷を見下ろした。
『……まだ、斬る気か』
「……ええ。倒すまでは」
私は刀を握り直す。
邪神の身体を包む光が、一瞬だけ強くなった。
その直後、視界の隅に《映像通話》の表示が浮かんだ。
今度は、別の黒髪の子からだった。
私は受信し、短く呼びかける。
「どうした?」
『リアリス様。各地で魔獣の攻勢が強まっています』
画面の向こうでは、土煙が上がっていた。
兵士たちが、負傷した住人を運んでいる。
『こちらの魔獣も、今までより速くなりました。現地の兵士だけでは持ちこたえられません』
「……分かった。現地のみんなと協力して、生きている人を守って。魔獣は無理に追わなくていい。状況が変わったら連絡を」
『かしこまりました』
通話が切れた。
私は邪神を見た。
離れて戦っている黒髪の子たちも、必死に人を守っている。
各国の兵士も、同じだ。
それでも、防ぎきれなくなっている。
私は、少しだけ目を閉じた。
まずいな。
邪神を倒すための方法を考える時間と、各国の人たちが耐えられる時間。
その二つは、同じじゃない。
次の瞬間、邪神が動いた。
私は目を開け、左へ飛んだ。
巨大な拳が、すぐ脇を通り過ぎる。
拳の先で空気が裂け、下の海面に長い溝が刻まれた。
私は邪神の背後へ回り、刀を振り下ろす。
ガンッ!
白い身体が揺れた。
だが、崩れない。
私はすぐに離れる。
……まだ、決め手が足りない。
私は、残りの《流星雨》が落ちてくる空を見上げた。
そのうちの数個が、続けて邪神へ命中する。
大きな水柱が立ち上がった。
だが、その向こうから邪神が出てきた。
苛立った声が響く。
『……まだ終わらぬぞ、人間!』
私は、刀を構え直した。
「……こちらも、そのつもりです」
◇
最後の隕石が海へ沈んだとき、遠くの空に白い線がいくつも見えた。
邪神の周囲から、また細い光が飛び去っていく。
私はそれを目で追った。
一本、二本。
さらに、その向こうへ。
……全部を追いかけていたら、ここを離れなければならない。
しかも、邪神はまだ目の前にいる。
私は刀を握ったまま、短く息を吐いた。
いくら私がここで攻撃を避け続けても、それだけでは他の場所を守れない。
邪神に勝てるかどうかと、世界を守りきれるかどうかは、別の問題だった。
私は視線を戻した。
目の前では、イオデグランゾーラが再び両腕を上げている。
胸の黒い亀裂から、淡い光があふれ始めた。
波が高くなり、空気が震える。
この攻撃を止め、次の手を考える。
そして、その前に。
……みんなを、守らなければ。
私は、邪神の正面へ一気に加速した。
夜でもないのに、海が暗く見えた。
空を覆う白い光が、その海面を照らしている。
邪神の攻撃が放たれる直前。
私は刀を振り上げた。
――戦いは、まだ終わらない。
けれど、世界の方は、もう待ってくれそうになかった。




