↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
119/168

第3話:ステラの危機

 ――海が、静かになった。


 楓の言葉が、頭から離れなかった。


 その夜、私はほとんど眠れなかった。


 もちろん、眠らなくても体調を崩さないようにすることはできる。


 でも。


 ……眠れない理由は、身体じゃないんだよね。


 目を閉じるたび、北の海に浮かんでいた白い光が思い浮かぶ。


 あの光の周りだけ、波が消えていた。


 ただ、それだけ。


 それなのに、どうしてこんなに嫌な予感がするんだろう。


 ……うん。


 今は、考えても仕方ない。


 私が何度も窓の外を見たところで、北の海の様子が分かるわけじゃないから。


 机の上には、セバスが整理してくれた各国への連絡記録が置いてある。


 国王さん。


 皇帝。


 キリアさん。


 教皇さん。


 魔王。


 ライノーラさん。


 ライオネス王。


 ミゲイルさん。


 ……みんな、昨日のうちに動き始めてくれた。


 きっと今ごろ、各国の兵士や冒険者たちも、忙しくしているんだろうね。


 ……それでも。


 何も起きないことを願ってしまう。


 …………。


 夜明け前。


 ふわりと、《映像通話》の画面が現れた。


 映ったのは、北の海を監視している楓だった。


「……楓!」


『……リアリス様』


「何かあった?」


『……光が、動いた』


 …………。


 ……えっ?


 私は、画面へ身を寄せた。


 遠くの海。


 白い光。


 薄暗い水平線。


 ……昨日と同じように見える。


「……どっちへ?」


『……少し、南』


 …………。


 ……南。


 中央大陸の方角だ。


 私は、思わず息を止めた。


「……陸まで来た?」


『……まだ』


「……分かった。危険を感じたら、すぐ帰ってきて」


『……はい』


 楓の返事は短かった。


 ……ああ。


 そうだよね。


 この子は、必要なことしか言わない。


 でも、だからこそ。


 たった一言の「動いた」が、重い。


 私は、セバスへ連絡を入れた。


 各国のうち、中央大陸北側にある魔法国と帝国には、すぐ共有してもらう。


 ……うん。


 これで、できることはした。


 そう思いたかった。


 …………。


 でも。


 そのすぐあとだった。


 別の《映像通話》が、私の前に開いた。


『……リアリス殿!』


 キリアさんの声だった。


 いつも落ち着いている人なのに、声が硬い。


「キリアさん!? どうしたんですか!」


『北方の村から、魔獣の大群が現れたとの報告がありました』


 …………。


 ……えっ。


『付近の村を結ぶ街道でも、別の群れが確認されています。こちらの守備隊を向かわせていますが……』


 そこで言葉が途切れた。


「……何かあったんですか?」


『……先ほど、最初の村との連絡が途絶えました』


 …………。


 私は、動けなくなった。


 ……連絡が、途絶えた。


 ……それって。


 …………。


 いや。


 まだ、そうと決まったわけじゃない。


「……キリアさん。場所を教えてください。私が見に行きます」


『……リアリス殿。状況が分かってからでは――』


「今、行けるんです。確認だけでもさせてください」


 少しの沈黙。


『……分かりました。北方の農村地帯です。街道をたどれば、小さな石橋があります。その東側の村です』


「ありがとうございます!」


 私は、立ち上がった。


 桜花を呼ぼう。


 ……いや。


 もう、扉の向こうにいる気がする。


「リアリス様」


 …………。


 ほらね。


 桜花が、扉を開けていた。


 いつもの落ち着いた顔。


 腰には刀。


「……桜花。私は救援に行ってくる。楓がいない間、王国邸をお願いできる?」


「かしこまりました。こちらは私が守ります」


 ……ああ。


 楓が北の海にいる今、屋敷を手薄にはできない。


 桜花に任せて、私は現地へ向かおう。


 ……よし。


 まずは、現場を見ないと。


「《転移》」


     ◇


 風が、顔にぶつかった。


 次の瞬間、私は畑のあぜ道に立っていた。


 ……あれ?


 昨日までだったら、ここは麦畑だったはずだ。


 ……いや。


 違う。


 畑だった場所。


 土が、深くえぐれている。


 あちこちに、折れた木の柵。


 ひしゃげた荷車。


 その向こうには、低い家が並んでいた。


 ……並んで、いた。


 今は、そのうちの何軒かが崩れている。


 ……ああ。


 嫌な予感がした。


 村の方から、低い唸り声が聞こえた。


 私は、すぐに視線を上げた。


 村の中から、黒い影が飛び出してきた。


 四足の魔獣。


 普通の狼より大きな身体。


 牙が、妙に長い。


 ……いや。


 一体じゃない。


 二体。


 五体。


 さらに、その後ろから。


 …………。


 ……多すぎる!


 ……まずは、魔獣を止める!


 私は、《完全拘束》を発動させる。


 広がっていた魔獣たちの動きが、一瞬で止まった。


 ……よし。


 そのまま、《即死》。


 次々と、魔獣が倒れる。


 ……うん。


 魔獣相手なら、いつもどおり魔法が効く。


 ……それだけは、助かった。


 でも、喜んでる時間はない。


「誰か、いますかーっ!」


 私は、村の中へ走った。


 倒れた家の陰から、小さな声が聞こえた。


「……た、助けて……」


 私は、壊れた扉の前へ駆け寄った。


 木材の下に、男性が倒れている。


 まだ、息はある。


 ……よし。


「今、助けます!」


 私は、倒れた木材を《収納》で取り除いた。


 続いて、《完全回復》。


 男性の腕にあった深い傷が、みるみる消えていく。


 ……ああ。


 よかった。


「立てますか?」


「……あ、ああ……!」


 男性は、驚いた顔で起き上がった。


「……あんた、何者だ……?」


「それは、あとで!」


 私は、周りを見回した。


「ほかに、怪我をしている人は!?」


 男性が、震える手で村の奥を指した。


「……広場に……みんなが……」


 ……広場。


 私は、走った。


     ◇


 そこには、何人もの人が集まっていた。


 怪我をした人。


 肩を貸している人。


 泣きながら誰かの名前を呼んでいる人。


 ……ああ。


 私は、立ち止まりそうになった。


 でも。


 今、止まったら駄目だ。


「怪我をしている人は、動かないでください!」


 私は、広場にいる人たちへ呼びかけた。


「《完全回復》!」


 温かな光が、広場へ広がった。


 血のにじんだ服。


 曲がっていた腕。


 浅い呼吸。


 ……それらが、少しずつ正常に戻っていく。


 倒れていた人が、目を開けた。


 座り込んでいた人が、自分の手足を確かめている。


 ……うん。


 よかった。


 ……よかった、んだけど。


 …………。


 私の魔法を受けても、動かない人がいた。


 広場の隅。


 布のかけられた、小さな身体。


 その隣で、年配の女性が両手を握りしめている。


「……もう少し早く……来てくれれば……」


 かすれた声だった。


 私へ言ったのか。


 誰へ言ったのかも、分からない。


 私は、何も答えられなかった。


 ……ああ。


 もう少し、早く。


 ……そうだね。


 あと少し、早く来られていたら。


 …………。


 いや。


 今は、後悔している場合じゃない。


 私は、村の外へ目を向けた。


 さっきの群れは、すべて倒した。


 でも、まだ魔獣が近づいてくるかもしれない。


 私は生存者たちへ、無理に散らばらず広場で助け合って待つよう伝えた。


 それから、魔獣の気配に注意しながら、倒壊した家の中も確認して回った。


 ……うん。


 まだ、やることがある。


 私は、顔を上げた。


 ……ここだけじゃ、ないかもしれない。


 神様が言っていた。


 魔獣の動きがおかしくなる可能性があるって。


 ……この村だけだったら。


 まだ、よかったのに。


 ふわっ。


 また、画面が開いた。


 今度は、ガラントさんだった。


『リアリス殿! 帝国の北部で、魔獣の大群が確認されました!』


 …………。


 ……ああ。


 やっぱり。


 私は、唇を噛んだ。


「……分かりました。すぐ向かいます!」


『複数の村から、救援の要請が届いております! 皇帝陛下も、すでに兵の配置を変更されていますが――』


「……一つずつ、場所を教えてください!」


 私は、セバスへも通話をつないだ。


「セバス! 魔法国で怪我人を治したよ。生存者の保護をキリアさんたちと相談してほしい!」


『承知いたしました』


「次は、帝国へ行く!」


『旦那様。ほかの国からも、魔獣に関する急報が届いております』


 …………。


 ……えっ?


「……ほかの国?」


『はい。シルク王国、ジーラット国、エルフ国からも、複数の町や村で異常な群れが確認されたとのことです』


 …………。


 私は、返事を忘れた。


 ……同時に?


 …………。


 ……ああ。


 そうか。


 世界は、広いんだ。


 どんなに強い魔法が使えても。


 私の身体は、一つしかない。


「……セバス。救援要請を、急いで整理して」


『かしこまりました』


「命に関わるところを優先する。私が行けない場所は、各国の兵や冒険者に避難をお願いして!」


『承知いたしました』


 私は、《映像通話》の向こうにいるセバスを見た。


「……まだ、助けられる人がいる」


『はい。次の村の状況も、こちらで確認いたします』


 ……うん。


 行こう。


 私は、もう一度、《転移》を発動させた。


     ◇


 帝国の北。


 次に降り立った村には、もう魔獣の姿がなかった。


 ……あれ?


 助かったのかな。


 そう思いかけて、気づいた。


 道の真ん中に、折れた槍が落ちている。


 血のついた鎧。


 焼け焦げた屋根。


 その奥には、兵士たちが並んでいた。


 みんな、疲れ切った顔をしている。


「……誰か、責任者の方はいますか!」


 私は、声をかけた。


 兵士の一人が、ゆっくり振り返る。


「……救援の、冒険者か」


「はい。怪我をしている人はいますか?」


 兵士は、しばらく私の顔を見ていた。


 それから、村の広場を指した。


「……怪我人なら、あそこに」


「分かりました!」


 私は、走った。


 広場には、布をかぶせられた人たちが横たわっていた。


 その手前には、まだ息をしている人たち。


 私は、すぐに《完全回復》を発動させる。


 誰かが、息を呑んだ。


 傷が消えた人たちが、次々に身体を起こす。


 ……うん。


 助かった。


 助かったけど。


 布の下からは、誰も起き上がらない。


 …………。


 私は、そこに手を伸ばしかけた。


 ……何か。


 何か、できないのかな。


 …………。


 そのとき、兵士が小さく頭を下げた。


「……ありがとうございます。生き残った者たちは、これで助かります」


 …………。


 私は、ゆっくり手を下ろした。


 ……生き残った者たち。


 そうだ。


 今は、まだ息をしている人を助けないと。


 ここにいる人だけじゃない。


 別の村でも。


 別の国でも。


 ……同じことが、起きている。


 私は、唇を結んだ。


「……残っている魔獣は、どこにいますか?」


「北の街道です。今、皇帝陛下の軍が向かっています」


「……分かりました」


 私は、立ち上がった。


 ……次だ。


 今は、次へ行こう。


     ◇


 それからの時間は、あっという間に過ぎた。


 帝国の北の街道。


 シルク王国の山沿いの町。


 エルフ国の森の集落。


 そして、ジーラット国の草原。


 ……どこへ行っても。


 似たような光景があった。


 倒れた荷車。


 壊れた柵。


 武器を持ったまま、地面に座り込む兵士や冒険者。


 助けを求める声。


 ……ああ。


 こんなこと、想像したくなかった。


 私が《転移》で現れるたび、人々は驚いた。


 でも、怪我を治すと、すぐに次の誰かを連れてきた。


「こっちにも!」


「この人、息が苦しそうで!」


「まだ家の中に人がいるんだ!」


 …………。


 私は、《完全回復》を使い続けた。


 魔獣が現れれば、《完全拘束》で止める。


 《即死》で倒す。


 避難路が塞がれていれば、障害物を《収納》する。


 私は、怪我人を治す合間にも、周囲へ現れた魔獣を倒し続けた。


 ……うん。


 やれることは、たくさんあった。


 魔力は減らない。


 魔法を使いすぎて動けなくなることもない。


 ……でも。


 ……何だろう。


 助けるほど、助けを求める声が増えていく。


 一つの村を救う間に、別の村から連絡が来る。


 その村へ移動すると、今度は隣の国。


 ……ああ。


 どれだけ《転移》を使っても。


 私がその場にいる間、別の場所にはいられない。


 そんな当たり前のことが、こんなに重いなんて。


     ◇


 シルク王国の西側。


 山岳の町フェルザに着いたとき、空はもう明るくなっていた。


 昨日の朝と、同じ空。


 でも、町の入り口には、負傷した人たちが次々に運ばれてきていた。


 門のそばで、兵士が叫んでいる。


「東側の通りを空けろ! 怪我人を通す!」


 私は、すぐに近づいた。


「手伝います!」


「……えっ!? リアリス様!?」


 …………。


 ……ああ。


 そういえば、顔はもう隠せないんだった。


 今だけは、説明する時間も惜しい。


「すぐ治すので、怪我人を動かさないでください!」


「は、はい!」


 私は、《完全回復》を広げた。


 通りに並んでいた人たちが、次々と身体を起こす。


 ……よし。


 でも、町の外から、まだ悲鳴が聞こえていた。


 ……外から迫る魔獣も、止めないと!


 私は、町の外から近づいていた群れに《完全拘束》をかけた。


 続けて、《即死》。


 ……よし。


 ひとまず、町の中へ入ってくる群れは止められた。


 私は、狭い路地へ入った。


 半分崩れた店。


 割れた窓。


 地面に散らばった食器。


 ……ここにも、誰かの暮らしがあった。


 つい昨日まで。


 このお店には、お客さんが来て。


 料理の匂いがして。


 きっと、くだらない話もしていたんだろうね。


 ……うん。


 そんなことを考えている場合じゃない。


 私は、倒れた木材を片づけ、奥にいる人を助けた。


 怪我は治せた。


 でも、その人が探していた家族の姿は、見つからなかった。


「……妻が、まだ戻ってこないんです」


 男性が、震える声で言った。


「……どこにいるか、分かりますか?」


「……さっき、裏の通りに……」


「……見てきます」


 私は、駆け出した。


 …………。


 裏の通りには、誰もいなかった。


 道が崩れている。


 遠くから、別の声が聞こえる。


 私は、その声の方へ走った。


 ……探したい。


 男性の奥さんを、見つけてあげたい。


 でも。


 今、別の場所で生きている人が、助けを求めている。


 …………。


 ……ああ。


 どちらも、大切な命なのに。


 私は、喉の奥で息を呑んだ。


 ……今は、先に声のする方へ行こう。


     ◇


 昼近く。


 私は、いったん王国邸へ戻った。


 庭へ転移した瞬間、桜花とセバスが駆け寄ってきた。


「旦那様。ご無事でございましたか」


「……うん。私は大丈夫」


「……お怪我は?」


「……うん。怪我はしてないよ」


「……よかった。こちらも、今のところ異常はございません」


 ……ああ。


 桜花がここを守ってくれているから、私も各国の救援へ向かえるんだね。


 でも、セバスは、まだ険しい顔をしていた。


「……旦那様。各国からの報告がまとまり始めております」


「……うん」


 私は、頷いた。


「居間へ行こう」


     ◇


 テーブルの上には、書類が何枚も並んでいた。


 国の名前。


 町の名前。


 村の位置。


 報告の時刻。


 そして。


 ……被害。


 私は、思わず目を閉じた。


 まだ、確認できていない場所が多い。


 でも、書かれていることは、どれも重い。


 家が倒れた。


 倉庫が焼けた。


 街道が通れなくなった。


 守備隊が壊滅した。


 避難していた人たちが行方不明。


 ……死者多数。


 …………。


「……セバス。これ、全部……今日?」


「……はい。夜明けから正午までの報告でございます」


 …………。


 ……たった、半日。


 私は、紙を見つめた。


 書類の端には、赤い印がいくつもついていた。


「……この印は?」


「深刻な被害が確認された地域でございます。国ごとにご報告いただいた範囲だけでも、町や村の半数近くが戦闘や被害を受けております」


 …………。


 ……半分。


 何だろう。


 自分で聞いたのに、言葉の意味がすぐに入ってこなかった。


「……全部で、どれくらいの人が……」


「……亡くなられた方の人数は、確認中でございます」


 セバスの声が、少しだけ低くなった。


「ただし、各国から死者多数との報告が届いております」


 …………。


 私は、机に置いた手を握った。


 ……ああ。


 もう、何人もの人が亡くなっている。


 私が到着する前に。


 まだ連絡が届いていない場所にも。


 …………。


 たった一人で、全部回れると思ったのかな。


 ……いや。


 そんなつもりじゃなかった。


 助けられるところへ行こうとしただけだ。


 でも。


 助けられるところへ行くことと。


 全部を守ることは、違うんだ。


 ……うん。


 ここは、認めないといけない。


 私は、今のやり方では間に合わない。


「……旦那様」


 セバスが、静かに声をかけてきた。


「ひとつ、ご提案がございます」


「……うん。聞かせて」


「旦那様が各地へ直接出向くことは、非常に効果的でございます。ただし、同時に複数の場所を守るには限界がございます」


 …………。


 ……そのとおりだね。


「そこで、各拠点に防衛のための戦力を配置する方法を検討してはいかがでしょうか」


「……防衛のための戦力?」


「はい。各国の軍と冒険者だけでは、対応できないほど多くの魔獣が同時に現れております。拠点ごとに強力な護衛がいれば、避難する時間を稼げるはずでございます」


 ……ああ。


 そうだ。


 私が全部の村へ駆けつける必要がないようにすればいい。


 ……でも。


「……そんなに強い人、すぐに集まるかな」


 セバスは、少しだけ目を細めた。


「旦那様」


「……うん?」


「旦那様には、《ホムンクルス作成》がございます」


 …………。


 …………。


 ……あっ。


 私は、顔を上げた。


 ……そうだ。


 どうして、今まで思いつかなかったんだろう。


 桜花。


 巴さん。


 フラワーズ。


 みんな、私が生み出した家族だ。


 そして。


 自分で考え、話し、戦うことができる。


 ……今、世界中に必要なのは。


 私一人の力じゃなくて。


 私がいなくても、人を守れる力なんだ。


「……セバス」


「はい」


「……できるかもしれない」


 セバスが、深く頷いた。


「恐れ入ります」


 …………。


 いや。


 まだ、できると決まったわけじゃない。


 考えなければいけないことが、たくさんある。


 人数。


 配置。


 守る範囲。


 そして、何より。


 生み出した子たちを、危険な場所へ送り出すことになる。


 …………。


 ……うん。


 そこを軽く考えちゃ駄目だ。


「……桜花」


「はい」


「ちょっと、相談してもいい?」


「もちろんでございます」


「今から、新しくホムンクルスを作ろうと思うんだ。フラワーズと同じくらい強くて、町や村を守れる子たち」


 桜花は、黙って聞いていた。


「名前も、暮らす場所も、まだ決まってない。生まれてすぐ、危険なところへ行ってもらうことになる」


「……はい」


「……それでいいのかな」


 桜花が、私を見つめた。


「リアリス様。私が生まれたときのことを、覚えていらっしゃいますか」


「……うん」


「リアリス様は、私に意思をお与えくださいました。何を考えるかも、どう行動するかも、私自身で選ぶことができます」


 ……ああ。


 そうだったね。


 私は、命令だけを聞く道具が欲しかったわけじゃない。


 一緒に暮らしてくれる家族が欲しかったんだ。


「新しく生まれる方々にも、同じように意思をお与えになればよろしいかと存じます」


「……うん」


「そして、役目を説明し、ご本人たちに引き受けていただくのです」


 …………。


 ……ああ。


 そうだね。


 守るための力を作る。


 でも、作られた子たちまで、私の都合だけで使っていいわけじゃない。


「……ありがとう、桜花」


「恐れ入ります」


 私は、顔を上げた。


「セバス。必要な拠点を調べてほしい」


「承知いたしました」


「首都や町だけじゃなく、村も。人口や地形、それから今どのくらい危険なのかも」


「かしこまりました」


「一つの拠点に一人で足りなければ、もっと増やす。それでも危険な場所は、私たちで対応する」


 ……うん。


 最初から数だけ決めるのは、違う気がする。


 だって、村ごとに状況は違うから。


 広い町だってある。


 山の中にある集落もある。


 ……守るために必要な人数は、場所ごとに変わるはずだ。


「……決め打ちしないで、足りなければ追加しよう」


「承知いたしました。各国へ至急、拠点の一覧と現在の状況を確認いたします」


 私は、頷いた。


 ……よし。


 次にやることが決まった。


 でも。


 今日亡くなった人たちが戻ってくるわけじゃない。


 ……だからこそ。


 これ以上、助けを求める声に間に合わないなんて、できるだけ減らしたい。


     ◇


 《映像通話》を使って、私はもう一度各国へ連絡した。


 ただし、今度は長い説明はしない。


「今から、新しい防衛のためのホムンクルスを作ります。各国の町や村に派遣したいんです」


 画面の向こうで、カバディ王が目を見開いた。


『……今から、とな?』


「はい。必要な場所の一覧をお願いします。現地で、誰が指揮を取っているのかも教えてほしいです」


『……承知した。ミキサーにすぐ調べさせよう』


 ローズ帝国の皇帝も、驚いた顔をした。


『……軍を新しく作るということか』


「……いえ。町や村を守る子たちです。各国の軍の代わりに命令をするわけじゃありません。避難の時間を作ってもらいます」


『……なるほど。ガラント、受け入れる拠点を整理せよ』


 キリアさんは、少し考え込んだ。


『各地に強い護衛が立ってくださるのであれば、確かに助かります。ただ、現地の方々が突然見知らぬ武装者を見れば混乱するでしょう』


「……あっ。そうですね」


 ……そうか。


 魔獣に襲われているところへ、突然知らない子が現れたら。


 助けに来たと分かる前に、警戒されるかもしれない。


「事前に伝えてもらえると助かります。それと、目印も用意します」


『承知しました』


 教皇さんも、真剣な顔で頷いた。


『使徒様。神殿の避難所と連携できるよう、手配いたします』


「ありがとうございます」


 魔王は、力強く腕を組んだ。


『吾輩の国にも、頼めるか』


「もちろんです。全部の国を守りたいんです」


『……感謝する、リアリス殿』


 ライノーラさん。


 ライオネス王。


 ミゲイルさん。


 どの国も、すぐに協力すると答えてくれた。


 ……ああ。


 助かった。


 ただ。


 …………。


 画面の向こうの人たちの顔が、昨日より疲れている。


 みんな、何かを失ったんだ。


 その数も、まだ分かっていない。


 ……うん。


 今は、できるだけ早く動こう。


     ◇


 王国邸の庭へ出た。


 空は、少し曇っている。


 今朝までは、もっと明るかった気がするんだけど。


 ……いや。


 天気のせいじゃないね。


 庭の花壇には、カトレアが育てている花が咲いている。


 昨日、みんなで出かけるはずだったあの朝と、何も変わらない景色。


 でも。


 私たちが知らないだけで、世界中のどこかでは、今も家が壊れ、人が逃げている。


 ……うん。


 急ごう。


 私は、庭の中央へ進んだ。


 桜花とセバスが、少し離れたところで見守っている。


 巴さんも、話を聞いて来てくれた。


「リアリスちゃん」


「……うん?」


「私たちにできることも、遠慮なく言ってね」


 いつもの、優しい声。


 ……ああ。


 この人が、家族の中心にいてくれてよかった。


「……ありがとう、巴さん」


「ふふ。大変なときこそ、ちゃんと食べて、ちゃんと休むのよ」


 …………。


 ……うん。


 その約束は、今はちょっと難しそうだけど。


「気をつけるね」


 私は、深呼吸した。


 ……さて。


 《ホムンクルス作成》。


 初めて桜花を作ったときは、自分でも驚いた。


 人を作れるなんて、想像すらしていなかったんだよね。


 でも、あれからずいぶん経った。


 今では、たくさんの家族がいる。


 みんな、自分で考えて、笑って、怒って、暮らしている。


 だからこそ。


 今から生み出す子たちも、ただの武器にはしたくない。


 ……うん。


 まず、ちゃんと考えよう。


 外見は、フラワーズと同じくらい。


 小柄な少女の姿。


 ただし、髪は全員、黒。


 既存のフラワーズと見分けがつくように。


 力は、Sクラス。


 魔獣と戦う力だけでなく、逃げ遅れた人を助ける判断力も。


 そして、《不老不死》と《状態異常無効》を永続付与。


 それから、緊急連絡用の《映像通話》。


 これも、生まれた瞬間から使えるように全員へ永続付与しておこう。


 しかも、この子たちだけは、魔力消費なしで発動できる特別仕様にする。


 通常の授与魔法みたいに、魔力が足りなくて連絡できないなんてことになったら困るからね。


 いざというとき、現地から直接私へ知らせてもらう。


 ……うん。


 これも、大事な備えだ。


 ……大切なのは。


 無茶をしないこと。


 勝てない魔獣と出会ったら、無理に討伐しようとしない。


 避難させる。


 時間を稼ぐ。


 どうしても危険なら、私へ知らせる。


 ……そういう役目だ。


 私は、両手を前に出した。


「《ホムンクルス作成》!」


 光が、庭に広がった。


 一つ、二つ。


 それから、いくつもの光が人の形になっていく。


 ……ああ。


 前にも見た光景だ。


 でも、今日ばかりは感動している余裕がない。


 光が収まると、黒髪の少女たちが立っていた。


 小柄で、動きやすい服装。


 よく見ると、それぞれ表情が少しずつ違う。


「……初めまして」


 私は、少女たちへ向き直った。


「私はリアリス。突然生まれて、驚いたと思うけど、少し話を聞いてもらっていいかな」


 みんな、静かに頷いた。


 私は、今ステラで何が起きているのかを説明した。


 邪神が復活したこと。


 各国で魔獣が暴れていること。


 すでに大勢の人が傷つき、亡くなっていること。


 ……そのうえで。


「……各国の町や村を守ってほしいんだ」


 私は、一度言葉を切った。


「ただ、作ったからって、何でも命令どおりにやってほしいわけじゃない。現地の人たちと相談して、助け合ってほしい。危ないときは、無理をしないで」


 少女たちは、互いに顔を見合わせた。


 そのうちの一人が、一歩前へ出る。


「承知いたしました。私たちにできることを、お任せください」


「住民の方々を、安全な場所へご案内します」


「無理な戦いは避けて、救援を求めます」


 …………。


 ……ああ。


 ちゃんと、自分たちで考えて答えてくれた。


 私は、深く頭を下げた。


「……ありがとう」


 名前を決める時間もないまま、危険な場所へ送り出す。


 ……本当だったら、こんな迎え方はしたくなかった。


 でも。


 今、生まれてきてくれた子たちのおかげで、助かる人がいるかもしれない。


 私は、顔を上げた。


「みんなも、大切な家族だからね。自分を粗末にしないで。ちゃんと戻ってきてほしい」


「はい!」


 返事が、庭に響いた。


 ……うん。


 よろしくね。


     ◇


 セバスが、拠点の一覧を持ってきた。


「旦那様。各国から、最初の報告が届いております」


「ありがとう!」


 私は、紙を受け取った。


 …………。


 ……おお。


 予想以上に多い。


 首都。


 町。


 村。


 海沿いの集落。


 山道の中継地点。


 森の奥の小さな居住地。


 ……そうだよね。


 大きな町だけ守ればいいわけじゃない。


 小さな村にも、人が暮らしているんだから。


「セバス。人数は、先に決めない方がいいね」


「はい。各地の状況を踏まえ、必要数を随時確認いたします」


「危険が大きい町には、複数人。村でも、一人で守りきれないなら増やそう」


「承知いたしました」


「今あるフラワーズの担当は、変えずにお願い」


「かしこまりました。既存の各邸の守備は維持いたします」


 ……うん。


 菖蒲たちも、すでに各国で暮らしを守ってくれている。


 その仕事を急に取り上げるわけにはいかない。


「セバス。最初の行き先は?」


「ローズ帝国北東部、海沿いの町メルポラでございます。皇帝陛下から、優先的な配置のご希望がございました」


「……了解!」


 私は、少女たちの方を向いた。


「じゃあ、まずは帝国から。現地の兵士さんたちと相談して、避難路を守ってもらいたいんだ」


 一人の少女が、小さく頷いた。


「承知いたしました」


「私が現地へ案内するからね」


「はい」


 ……よし。


「《転移》」


     ◇


 潮の匂いがした。


 メルポラ。


 海に面した町。


 港へ向かう通りには、荷物を抱えた人々が並んでいた。


 ……ああ。


 もう避難を始めているんだね。


 でも、人の流れが遅い。


 道の端には、折れた車輪。


 壊れた荷車。


 兵士たちが、声を張り上げている。


「そこの道を空けろ! 子供と怪我人を先に通せ!」


 私は、近くの兵士へ声をかけた。


「すみません! 皇帝から、連絡は届いていますか?」


 兵士が、こちらを振り向いた。


「……リアリス様!?」


 …………。


 ……ああ。


 もう隠しようがないんだった。


「はい! 防衛の手伝いに来ました!」


 私は、黒髪の少女を紹介した。


「町を守るために協力してくれる子です。各国にも、同じように派遣する予定なんです」


 兵士は、少し驚いた顔をした。


 ……まあ。


 見た目は、子供に見えるからね。


「この子にはSクラスの力があります。魔獣を止める役目をお願いしたいんです。でも、町の人をどこへ避難させるかは、兵士さんたちと相談してほしくて」


「……承知いたしました!」


 少女が、一礼した。


「よろしくお願いいたします。危険な場所と、避難の予定を教えていただけますか」


 …………。


 ……うん。


 自分から聞いてくれてる。


 よかった。


 兵士は、地図を取り出した。


「……では、まず北側の街道をお願いします。小さな魔獣が、何度もそこから現れています」


「承知いたしました」


 少女が、静かに頷く。


 私は、そのやり取りを見てから、黒髪の少女に声をかけた。


「危険な魔獣が来たり、助けが必要になったりしたら、《映像通話》で私に連絡してね。魔力を消費せずに使えるようにしてあるから」


「承知いたしました」


 私は、兵士にも向き直った。


「兵士さんたちは、危険な相手を無理に倒そうとしないでください。何かあれば、この子に知らせてくれれば私にも伝わります」


「はい!」


 ……よし。


 これで、一か所。


 少女が、私へ振り返った。


「行ってまいります」


「……うん。よろしくね」


 ……ああ。


 送り出すのって、思っていたより緊張するね。


     ◇


 それから、私は何度も《転移》を繰り返した。


 フォーサイド魔法国の山沿いの村。


 シルク王国の町フェルザ。


 オリミス聖国の森林湖畔の町クラリッサ。


 ドルステン魔国の集落。


 エルフ国の森の町。


 ジーラット国の草原の村。


 シギラ国の山道沿いの拠点。


 ……八つの国。


 その中にある、いくつもの町や村。


 私は、拠点一覧に従って、少しずつ防衛の子たちを届けていった。


 ただ。


 途中で、一覧にない場所からも連絡が届いた。


『旦那様。シルク王国の北西の村から、追加の救援要請です』


「……分かった! その村も加えて!」


『承知いたしました』


 新しく生み出す。


 行き先を確かめる。


 役目を説明する。


 《転移》で送り届ける。


 現地の人たちと話す。


 ……また戻ってくる。


 それを、何度も繰り返した。


 人数なんて、途中から数えていなかった。


 ……いや。


 セバスは、ちゃんと数えてくれているんだろうけどね。


 私の頭には、今どの場所が危険なのか、それしか入らなかった。


 ……うん。


 次。


 次へ行こう。


     ◇


 シルク王国の村では、派遣した子が《映像通話》で直接連絡してきた。


『リアリス様。村の東側から、魔獣の群れが来ています』


「……住民の避難は?」


『すでに始まっています。今は、村長さんと協力して、山道へ向かわせています』


「……分かった。危険なら、無理せず逃げて!」


『承知いたしました』


 私は、しばらく画面を見ていた。


 黒髪の少女が、村の柵の前に立っている。


 向こうには、魔獣の群れ。


 ……ああ。


 お願いだから、無茶をしないでね。


 次の瞬間。


 魔獣が、柵へ飛びかかった。


 少女が、素早く踏み込む。


 閃いた刃。


 一体。


 二体。


 続けざまに、魔獣が倒れた。


 ……おお。


 やっぱり、強い。


 でも、少女は追いかけなかった。


 柵の前に留まり、住民が避難する時間を稼いでいる。


『避難の最後尾が通過しました。現在、残る魔獣を警戒中です』


 …………。


 ……ああ。


 よかった。


「……ありがとう! 無理に追わず、そのまま守って!」


『はい!』


 画面を閉じる。


 ……うん。


 これなら、少しは間に合うかもしれない。


 でも。


 今、救えた村があるということは。


 ほかの村で、まだ助けを待っている人もいる。


 ……そうだね。


 まだ、止まれない。


     ◇


 セバスから、新しい紙を受け取った。


 さっきまで赤かった場所の一部に、青い印がついている。


「……この印は?」


「護衛の配置を完了し、避難路を確保できた拠点でございます」


 …………。


 ……おお。


 青い印。


 増えてきたね。


「……じゃあ、こっちの赤い印は?」


「引き続き救援が必要な場所でございます」


 ……ああ。


 まだ、こんなに。


 私は、少しだけ息を吐いた。


 ……でも。


 最初の頃とは違う。


 今は、どこが足りないのかが分かる。


 何をすればいいのかも分かる。


 ……うん。


「セバス。赤い印のところへ、追加でお願い」


「承知いたしました」


 ……よし。


 まだ、できることがある。


     ◇


 午後も、戦いは終わらなかった。


 ただ。


 少しずつ、報告の内容が変わってきた。


『こちら、フォーサイド魔法国のベルガナ。派遣された方が、魔獣を町の外で食い止めてくれています!』


『ドルステン魔国の北側の村から報告! 避難が完了しました!』


『シギラ国、山道の集落。護衛の方が負傷者を運んでくださっています!』


 ……ああ。


 私は、画面を見つめた。


 朝は、助けてくれという声ばかりだった。


 今は、助かったという報告も増えている。


 …………。


 ……嬉しいねぇ。


 いや。


 喜ぶには、まだ早い。


 たくさんの人が亡くなったことは、変わらないんだから。


 でも。


 守れる場所が、確かに増えている。


 ……そこは、ちゃんと認めよう。


 私は、もう一度、各国の報告に目を通した。


 気になるのは、被害の広がり方だった。


 北の海に近い魔法国や帝国だけじゃない。


 離れた大陸でも、魔獣が一斉に動き出している。


 ……うーん。


 どう考えても、おかしい。


 海にいた邪神が、世界中の魔獣を直接操っているんだろうか。


 ……いや。


 まだ、そう決まったわけじゃない。


 私は、情報を記録しているセバスへ声をかけた。


「……セバス。国ごとの魔獣の動きを比べてみてほしいんだ」


「承知いたしました」


「同じ時間に動き出しているのか。それとも、順番があるのか。そこが分かれば、何か手掛かりになるかもしれない」


「かしこまりました。各国からの報告時刻も併せて整理いたします」


 ……うん。


 分からないことは、分からないままにしない。


 少しでも調べておこう。


 ……そのときだった。


 画面が、ふわりと光った。


『着信:オリミス』


 …………。


 私は、画面を開いた。


「……神様。新しい情報ですか?」


『お、おお! リアリス! 大変なことになっておるようじゃのう』


 …………。


 私は、黙っていた。


『各地の魔獣が暴れておるとか……。いやはや、困ったものじゃ』


 …………。


 ……今、それを神様が言う?


 そう思いかけた。


 でも。


 私は、目の前の報告書へ視線を戻した。


「神様。邪神の動きについて、何か分かりましたか?」


『……今のところ、詳しいことは分からんのじゃ』


「……そうですか」


『それにしても、リアリスは働き者じゃのう。こんなときでもあちこち飛び回って……わしなら、もう少しのんびり――』


「セバス。次の報告、お願い」


「かしこまりました」


 セバスが、新しい紙を差し出してくれた。


 ……うん。


 今は、こっちが大事だ。


『……り、リアリス?』


「神様。追加の情報が入ったら、教えてください」


『……う、うむ』


 私は、通話を終えた。


 …………。


 ……後で。


 ちゃんと、話はする。


 でも、今は駄目だ。


 画面の向こうで神様が何を言おうと、亡くなった人は戻ってこない。


 まだ避難できていない人たちが、安全になるわけでもない。


 ……うん。


 次の報告を聞こう。


     ◇


 夕方近くになって、ようやく私は、一度だけ椅子に座った。


 ……ああ。


 足が、妙に重い。


 身体は疲れていないはずなのに。


 ……いや。


 ずっと気を張っていたからかな。


 ふと、廊下から声が聞こえた。


「お父さん、入っても大丈夫?」


 カトレアだった。


「……うん。どうぞ」


 扉が開く。


 カトレアが、盆を持って入ってきた。


 その後ろには、ユリ。


 盆の上には、小さな器が並んでいる。


「巴さんが、少しでも食べてほしいって」


 …………。


 ……ああ。


 そういえば、今日は朝から何も食べていなかった。


「……ありがとう、カトレア」


「無理して全部食べなくてもいいけど、温かいうちに少しだけでも」


 …………。


 私は、器を受け取った。


 中には、野菜の入ったスープ。


 ……おお。


 いい香り。


 昨日だったら、何も考えずにおかわりしてたかもしれないね。


「……いただきます」


 一口、飲んだ。


 温かかった。


 ……ああ。


 こんなときでも、料理はちゃんとおいしいんだね。


 私は、しばらく黙ってスープを飲んだ。


 カトレアは、隣へ腰を下ろした。


「……お父さん」


「ん?」


「今日は、いろんな国に行ってたんだよね」


「……うん」


「……たくさんの人、助けられた?」


 私は、少しだけ考えた。


 ……どう答えよう。


 助けられた人は、たくさんいる。


 でも。


 助けられなかった人も、いる。


「……うん。助けられた人もいるよ」


 私は、正直に答えた。


「でも、間に合わなかった人もいるんだ」


 カトレアが、静かに頷いた。


「……そっか」


 …………。


 それだけだった。


 無理に励まそうともしない。


 私なら全部助けられるよね、なんてことも言わない。


 ……ああ。


 十四歳になったんだね。


 前より、少し落ち着いた言葉。


 でも、ちゃんと気遣ってくれていることが分かる。


「……お父さんが全部の場所にいられないことくらい、分かってるよ」


 …………。


 私は、カトレアを見た。


「だから、無理しすぎないでね。桜花お姉ちゃんも、巴さんも、セバスもいるんだから」


 ……ああ。


 そうだね。


「……うん。ありがとう」


 私は、少しだけ微笑んだ。


 ……本当に。


 私が守るつもりでいたのに。


 今日は、何度も家族に支えられている。


 ……うん。


 それでいいのかもしれないね。


「……お菓子屋さん、行けなくなっちゃったけど」


 私がそう言うと、カトレアは少し笑った。


「それは、また落ち着いてからでいいよ」


「……うん」


「そのときは、ユリも一緒に行こうね」


「はい。楽しみにしております」


 ユリも、静かに微笑んだ。


 …………。


 ……ああ。


 そうだね。


 また、みんなで行こう。


 私は、スープを飲み干した。


 ……よし。


 もう少し、頑張ろう。


     ◇


 その日の夕方。


 各国からの報告が、もう一度まとまった。


 被害を受けた町や村。


 壊れた家。


 行方が分からない人。


 亡くなった人。


 ……どれも、消えることのない数字だ。


 私は、最後まで目を通した。


 途中で、紙を裏返したくなった。


 でも。


 見なかったことには、したくなかった。


 ……これは、全部。


 今日、ステラで起きたことなんだ。


 私が助けられた人も。


 助けられなかった人も。


 同じ世界に、暮らしていた。


 …………。


 私は、深く息を吐いた。


「……セバス。各国の防衛状況は、どうなった?」


 セバスが、別の書類を開いた。


「現在、緊急防衛のホムンクルスを配置した拠点では、魔獣の侵入を抑えられております」


「……うん」


「また、護衛の配置が完了した地域を中心に、住民の避難が進んでおります。ただし、各国とも被害は甚大でございます。すべての場所を守り切れたわけではございません」


 …………。


 ……そうか。


 今も、守り切れていない場所がある。


 でも。


 今朝と同じように、次々と町が失われているわけじゃない。


「……魔獣の数は?」


「各地で増減しておりますが、防衛線を突破される件数は減少しております。攻勢を止めたというよりは、現時点で拮抗している状況でございます」


 …………。


 ……拮抗。


 ああ。


 その言葉が、今は少しだけありがたかった。


 勝ったわけじゃない。


 終わったわけでもない。


 でも、押し返され続けていた世界が、ようやく踏みとどまっている。


 ……うん。


 それだけでも。


 今日、一日かけてやってきたことには、意味があったんだ。


「……セバス。各国への追加配置は、今夜も続けるよ」


「承知いたしました」


「魔獣を追いかけるよりも、村と町を守ることを優先する。護衛の子たちにも、そこを徹底してほしい」


「かしこまりました」


 私は、桜花へ向き直った。


「桜花」


「はい」


「……ありがとう。今日、王国邸をずっと守ってくれて」


 桜花は、小さく首を振った。


「リアリス様がお帰りになる場所を守ることも、私の望みでございます」


 …………。


 ……ああ。


 そうだね。


 桜花が家族のそばにいてくれたから、私は各国へ救援に向かえたんだ。


 私は、ゆっくり頷いた。


「……これからも、お願い」


「はい」


 ……うん。


 まだ、終われない。


 でも。


 少なくとも、今日は。


 これ以上、世界が崩れていく速度を、少しだけ遅くできた。


 そう思いたかった。


     ◇


 夜。


 私は、北の海を映している画面へ目を向けた。


 楓は、今日も静かに監視を続けてくれている。


「……楓。様子はどう?」


『……動いてる』


 …………。


 ……えっ。


「……また、南へ?」


『……はい』


 私は、画面を見つめた。


 遠くの海に、白い光がある。


 昨日よりも、少しだけ輪郭がはっきりしているような気がした。


 ……でも。


 距離があるから、正確には分からない。


 私は、慎重に尋ねた。


「……楓。近づいたりしてないよね?」


『……してない』


「……うん。ありがとう。危険を感じたら、必ず戻ってきて」


『……承知』


 ……ああ。


 いつもの楓だね。


 私は、少しだけ笑おうとした。


 でも。


 笑えなかった。


 ……北の海。


 白い光。


 そこから、何が始まるんだろう。


 今日、世界中の魔獣が暴れたのは、偶然とは思えない。


 だからといって、邪神が何を考えているかは分からない。


 ……ああ。


 考えても仕方ない。


 今は、各国を守る。


 できる限り。


 それを続けるしかない。


 …………。


 私は、机の上に置かれた拠点一覧を見た。


 青い印が、たくさん増えている。


 まだ、赤い印も残っているけど。


 ……うん。


 明日は、もっと増やそう。


 誰かの家を。


 誰かの町を。


 誰かの帰る場所を。


 ……少しでも、守れるように。


 そう思っていた。


 そのとき。


 楓の声が、もう一度聞こえた。


『……リアリス様』


「……ん?」


『……光が、強い』


 …………。


 私は、画面を見た。


 北の海。


 白い光。


 その光が、ゆっくりと大きくなったように見えた。


 ……いや。


 光っている場所が、こちらへ近づいてきたのかもしれない。


「……楓。無理はしないで。少しでも危険なら、すぐ退いて」


『……はい』


 …………。


 私は、目を閉じた。


 今日、できることはやった。


 各国へ連絡した。


 新しい家族を生み出して、必要な場所へ送り届けた。


 怪我を治し、魔獣を止めた。


 ……でも。


 邪神そのものは、まだ何もしていない。


 いや。


 何もしていないかどうかすら、分からない。


 そんな相手が。


 もし、今度は本気で動き始めたら。


 ……世界は、どうなるんだろう。


 私は、ゆっくり目を開けた。


 画面の向こうでは、白い光が揺れていた。


 ……お願いだ。


 もう少しだけ。


 みんなが逃げるための時間を、くれないかな。


 邪神イオデグランが復活して、二日目の夜。


 世界は、ようやく防衛線をつないだばかりだった。


 そして。


 北の海の白い光は、静かに南を目指していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。