第1話:危険な予兆
玄関ホールで、私は桜花とカトレア、それからユリの支度が整うのを待っていた。
……うん。
今日は、四人でお出かけだ!
ステラへ転生してから、もう五年ほどになる。
こちらの暮らしには、すっかり慣れた。
王国だけでなく、帝国や聖国、ほかの大陸にまで帰る場所ができて。
家族が増えて、友人が増えて。
……なぜか、冒険者ギルドでは私の顔がすっかり知られるようになっちゃったけど。
……まあ。
あれは、自業自得だね。
今日の予定は、王都にできたお菓子屋さんを見に行くこと。
カトレアが、友達から教えてもらったらしい。
……おお。
王都にも、まだ知らないお店があるんだねぇ。
今日は、ユリも一緒に来てくれることになっている。
以前、巴さんに、安全なお出かけなら家族の誰か一人も付き添えるようにしてほしいと頼まれていたんだ。
仕事の都合がつく人が、交代で一緒に出かけてくれるらしい。
……うん。
みんなでお買い物、楽しみだねぇ!
「お父さん、準備できたよ!」
階段の方から声がした。
振り向くと、カトレアが楽しそうに降りてくる。
……ああ。
大きくなったなぁ。
初めて出会った頃は、小さな身体で震えていたのに。
十四歳になった今では、友達から聞いたお店を調べて、自分から私たちを誘ってくれるようになった。
小さかった頃より話し方も落ち着いてきたけど、一緒に出かけようと言ってくれるのは変わらない。
……うん。
お父さんとしては、やっぱり嬉しいねぇ。
「おっ。早いね、カトレア!」
「うん。友達が教えてくれたお店だから、前から楽しみにしてたんだ」
「それは私も同じだよ」
カトレアは、少し照れたように笑った。
……ああ。
今日もいい日になりそうだ!
カトレアの少し後ろから、ユリも姿を見せた。
「リアリス様、おはようございます。今日はご一緒できて嬉しいです」
「おはよう、ユリ。よろしくね!」
「はい! カトレア様も、よろしくお願いしますね」
「うん、ユリ。今日はよろしくね」
……おお。
出かける前から賑やかだねぇ。
「リアリス様。私も準備が整いました」
桜花が、いつもの落ち着いた声で話しかけてきた。
「うん。じゃあ、そろそろ行こうか」
「かしこまりました」
そのとき、食堂の方から巴さんが顔を出した。
「リアリスちゃん。お出かけ?」
「うん。カトレアとお菓子屋さんへ行ってくるよ」
「あら、いいわね」
「巴さんの分も買ってくるね」
「ふふ。ありがとう。気をつけて行ってらっしゃい」
……うん。
穏やかな朝。
平和な王都。
家族とお菓子を買いに行く。
……これぞ、私が望んでいた異世界生活!
…………。
ところが。
ふわっ。
玄関へ向かおうとした私の目の前に、光る板が現れた。
『着信:オリミス』
…………。
…………。
……あっ。
私は、足を止めた。
桜花も、ぴたりと止まる。
カトレアが、首を傾げた。
その隣で、ユリも足を止めた。
「お父さん?」
「……うん。ちょっと待ってね」
「どうしたの?」
私は、目の前の板を指さした。
「……神様から、電話」
…………。
カトレアが、私の顔を見る。
そして、少し困ったように笑った。
「……もしかして、また何か落としたの?」
…………。
…………。
……ああ。
そう思うよね!
私だって、真っ先にそう思ったよ!
何しろ、あの神様。
神界の武器を何度も落とした挙げ句、盾まで落としてきた前科持ちだ。
……いや。
神様相手に前科持ちって、言い方はどうなんだろう。
でも、事実だしねぇ。
「……神様が何か落としたかどうか、聞いてみるよ」
「まただったら困るね。今度こそ、ちゃんと管理してくれてるといいけど……」
…………。
……そうだね。
もう何年も経ってるんだから、さすがに改善していてほしい。
私は、光る板の呼び出しボタンを押した。
「……もしもし、神様?」
『お、おお! リアリス!』
画面に映ったのは、見慣れた丸い顔だった。
長くて、くるくるした髪。
ふくよかな身体。
古代ギリシャ風の服。
……うん。
見た目は、何も変わってないねぇ。
ただ。
…………。
……あれ?
何だか、ものすごく落ち着きがないぞ。
『げ、元気にしておったかの?』
「はい。おかげさまで」
『ほ、ほう! それは何よりじゃ!』
…………。
……うーん。
この始まり方、覚えがある。
ものすごく、覚えがある。
何かやらかしたときの、いつもの神様だ。
「……神様」
『な、何じゃ?』
「今回は、何を落としました?」
『…………』
……あっ。
黙った。
やっぱり!?
『……いや、違うのじゃ』
「……え?」
『今度は、物を落としたわけではないのじゃ』
…………。
……おお?
それは、ちょっと意外。
「そうなんですか?」
『う、うむ!』
「本当に?」
『本当じゃ!』
……ふむ。
珍しく、落とし物じゃないらしい。
…………。
いや。
ちょっと待って。
落とし物じゃないっていうだけで、安心していいのかな。
この神様の場合。
……ほかにも、いろいろありそうなんだけど。
「じゃあ、今度は何をしたんです?」
『……うっ』
…………。
……あっ。
それは、何かした人の反応だ!
「神様?」
『……その、じゃな……』
「……はい?」
『ひとつ、お願いがあるのじゃが……』
…………。
……ああ。
嫌な予感が、確信に変わってきた!
「……神様」
『……な、何じゃ?』
「この前も言いましたよね。何かあったら、まず状況を説明してくださいって」
『……うむ』
「落とし物だったら、落とした物と場所と、危険性!」
『……う、うむ』
「そのくらい、最初に教えてもらわないと困るんです!」
『……す、すまぬ』
…………。
……あれ?
今日は、随分と素直だね。
いつもだったら、ここで言い訳が始まるのに。
何だか、余計に怖くなってきたぞ。
「……あの、神様」
『……何じゃ』
「私、これからカトレアとお菓子屋さんへ行くんですけど」
『……おお。そうなのか』
「できれば、手短にお願いできます?」
『……それは、少々難しいかもしれん』
…………。
……はい?
私は、隣にいるカトレアを見た。
カトレアは、私の顔を見て状況を察したらしい。
「……お父さん、少し長くなりそう?」
「……うん。ちょっと、そんな気がする」
「そっか。じゃあ、先に話を聞いてあげて」
カトレアは少し残念そうに笑ったけれど、すぐに納得したように頷いた。
……ああ。
ごめんね、カトレア。
でも、まだ分からない。
私がちょっと話を聞けば、すぐに終わるかもしれないし。
……そうだ。
神様に、はっきり言おう。
「神様。大事な話じゃなければ、あとにしてもらっていいですか?」
『……いや、それは駄目じゃ』
「……えっ」
『今、聞いてほしいのじゃ』
…………。
……おお。
いつもの神様なら、ここで『後でもよいぞ』って言いそうなのに。
何だろう。
本当に困ってるのかな。
「……分かりました。聞きます」
『……おお。ありがとう、リアリス』
「ただし、途中でふざけたら切りますからね」
『……う、うむ』
…………。
……うん。
今日は、やけに静かだ。
私は、カトレアへ向き直った。
「ごめん。少しだけお話ししてくるね」
「うん、大丈夫。ユリと一緒に待ってるね」
「長くなりそうだったら、先にお茶でも飲んでて」
「うん、そうするね」
「ユリ、カトレアと一緒にいてくれる?」
「はい。こちらでお待ちしていますね」
桜花へも目を向けた。
「桜花、一緒に来てもらっていい?」
「もちろんでございます」
私は、巴さんへ事情を簡単に伝え、桜花と一緒に居間へ向かった。
……ああ。
神様のせいで、お菓子屋さんへ行く予定が怪しくなってきた。
……まだ買ってもいないのに!
◇
居間のソファに腰を下ろした。
目の前には、オリミス様の顔。
隣には、桜花。
……うん。
見慣れた光景だ。
何回、こうやって神様の話を聞いただろう。
最初は、神界から落ちてきた剣だったかな。
その次は槍。
さらに斧。
最後は盾。
……うん。
改めて並べると、ものすごいなぁ。
これで武器屋でも開くつもりだったのかな。
……いや。
そんな冗談を考えている場合じゃないか。
「それで、神様。何があったんです?」
『……実はのう』
…………。
……おっ。
やっと本題だね。
『……その、少々……まずいことになっておる』
…………。
……ああ。
はいはい。
どうせ、また何かを忘れたとか。
封印してた物を片づけ忘れたとか。
……ん?
封印?
何だろう。
自分で考えて、何だか嫌な響きだなと思ってしまった。
「……まずいことって、何ですか?」
『……少々、説明が難しくてのう』
「神様。今さら隠されても困るんですけど」
『……隠しておるつもりはないのじゃ』
…………。
……いや。
絶対、何か隠してるよね。
目が、泳いでるもん。
私は、軽く息を吐いた。
「分かりました。じゃあ、一つずつ聞きますね」
『……うむ』
「神界で何かあったんですか?」
『……そうとも言える』
「ステラにも関係があります?」
『……うむ』
「……危険なものですか?」
『……非常に、危険じゃ』
…………。
……あらぁ。
非常に、って。
神様の口から、そんな言葉が出るのは珍しいね。
「……前の武器よりも?」
『……比べものにならん』
…………。
…………。
……ん?
私は、思わず座り直した。
さっきまで、頭の片隅にあったお菓子屋さんのことが、少し遠くなる。
「……比べものにならない?」
『……そうじゃ』
画面の中で、神様が顔を伏せた。
……おお。
何だろう。
こんなに元気のない神様、見たことがあったかな。
私が黙っていると、神様は、ゆっくり顔を上げた。
『……リアリスよ。まずは、落ち着いて聞いてほしいのじゃ』
…………。
……あっ。
それ。
嫌な話をする前の定番の前置きだよね。
……うーん。
やっぱり、神様のことになるとお約束から逃れられないのかな。
「……分かりました」
私は、背筋を伸ばした。
「……聞きます」
しばらく、沈黙があった。
神様が、何度か口を開きかける。
そして。
『……邪神が、復活したのじゃ』
…………。
…………。
…………。
……えっ?
「……邪神?」
『……うむ』
…………。
……ちょっと待って。
今、何て言った?
邪神。
……邪悪な、神。
…………。
……おお?
そんなものまで、この世界にいるの!?
「……あの、神様」
『……何じゃ』
「それって、もしかして……物語でいうところの、ラスボスみたいな存在ですか?」
『……らすぼす?』
「ものすごく強くて、倒さないと大変なことになる相手です」
『……うむ。その理解で、おおむね合っておる』
…………。
…………。
……おお。
合ってるんだ。
……いやいや!
喜んでる場合じゃない!
「……えっ。じゃあ、本当に邪神が復活したんですか!?」
『……そうじゃ』
「……神様!」
『ひゃっ!?』
「どうしてそんなことになるんですか!」
『……そ、それは……』
「また神様がやらかしたんですか!?」
…………。
…………。
神様は、何も言わなかった。
……あっ。
…………。
やっぱり。
「……ああああ!」
私は、思わず頭を抱えた。
「また神様がやらかしたのかよーっ! ふざけるなーっ!」
『ひゃああっ!?』
…………。
……もう!
剣とか槍とか斧とか盾とか!
今までだって、充分おかしかったのに!
今度は邪神!?
落とし物の次は、封印してた邪神!?
いったい何をしたら、そんな大物が出てくるんだよ!
……いや!
大物って言い方も変だけど!
私は、深く息を吐いた。
「……神様」
『……は、はい』
「もう一度だけ、聞きます」
『……うむ』
「……神様が、何かしたんですよね?」
『……わしの不手際が、関わっておる』
…………。
…………。
……うん。
認めたね。
……ああ。
本当にもう!
この神様、反省してるように見えて、なかなか改善しないんだよねぇ。
……でも。
邪神って、いったい何なんだろう。
さすがに、落とした武器を拾って終わりって話じゃなさそうだ。
私は、隣の桜花を見た。
桜花は、いつものように静かだった。
ただ、その目は真剣に画面へ向けられている。
「……桜花」
「はい。リアリス様」
「……とりあえず、最後まで聞こうか」
「はい」
……そうだね。
怒るのは、あとでもできる。
まずは、何が起きているのかを知ろう。
私は、改めて画面へ向き直った。
「……神様。その邪神について、詳しく教えてください」
◇
『……名を、イオデグランという』
イオデグラン。
聞いたことのない名前だった。
……まあ、当然かな。
少なくとも、私が今まで会った神様の中にはいない。
「……イオデグラン、ですか」
『うむ。かつて、神界におった神の一柱じゃ』
「……神様と同じ?」
『……そうじゃ』
…………。
私は、思わず目を瞬いた。
……おお。
神様が、もう一人。
……いや、神々が複数いることは知ってる。
エレサリアさんもいるし、ほかにもそれぞれの分野を司る神様がいるんだった。
だから、人数が増えること自体は不思議じゃない。
……でも。
「……どうして、その神様が邪神になってるんです?」
『……それには、いろいろあってのう』
…………。
……あっ。
また、その言い方だ。
「……いろいろ、ですか」
『……うむ』
「……神様」
『……な、何じゃ?』
「さすがに『いろいろ』で済ませないでくださいよ」
『……す、すまぬ』
…………。
私は、深く息を吐いた。
……ああ。
こんなときまで、話が進まない。
ただ。
さっきまでと違って、腹が立つよりも気になることの方が増えてきた。
……そもそも。
神様が危険だと言う神って、どれほど強いんだろう。
「……その邪神は、もともと何をする神様だったんですか?」
『……いたずらを好む神じゃった』
…………。
……えっ?
「……いたずら?」
『……うむ』
「……あの、子供が人を驚かせたりする、あれですか?」
『……まあ、そうじゃな』
…………。
…………。
……ちょっと待って。
いたずら好きの神様が、邪神になった?
…………。
……何だろう。
説明を聞けば聞くほど、普通の神様の喧嘩みたいな気がしてくる。
……いや。
まだ何も聞いてないんだけど。
「……どうして邪神になったんです?」
『……長く、封じておったのじゃ』
「……封印?」
『うむ。その間に、強い恨みを抱くようになってのう……』
…………。
……あれ?
その説明、ちょっと怖くない?
私は、思わず口を閉じた。
いたずら好きだった神様が、封印されて。
長い間、恨みを抱いて。
そして、邪神として復活した。
…………。
……うん。
さっきまで想像していた、神様の落とし物騒動とは全然違う。
「……その封印は、神様がしたんですか?」
『……そうじゃ』
「……それが、解けちゃったんですか?」
『……うむ』
…………。
私は、一度目を閉じた。
……なるほど。
つまり、過去に封印していた神が、ステラに出てきてしまったと。
そして、その件に神様の不手際が関わっている。
…………。
……うん。
そこまでは分かった。
でも、肝心のところがまだ分からない。
「……どうして封印が解けたんです?」
神様が、ゆっくり目を逸らした。
『……そこは、後で説明させてほしいのじゃ』
…………。
……はい?
また後で?
……いや。
今すぐ問い詰めたところで、何かが元に戻るわけじゃない。
それに、邪神が本当に危険なら、発端を聞くことより先に、今の状況を確認しないと。
私は、額に手を当てて深呼吸した。
「……分かりました。今は、その話は置いておきます」
『……おお。助かるのう』
…………。
……別に、許したわけじゃないからね。
ただ、順番を変えただけだから。
「……それで。イオデグランは、今どこにいるんです?」
『中央大陸の、北の海じゃ』
…………。
……北の海。
私は、意識の中に脳内マップを浮かべた。
中央大陸。
北側には、フォーサイド魔法国とローズ帝国がある。
そのさらに向こうには、海が広がっている。
……ああ。
この辺りかな。
「……島とかじゃなくて、海ですか?」
『うむ。海上に現れたのじゃ』
「……今、何をしているんです?」
『……その辺りにおる。じゃが、今の状態がいつまで続くかは分からん』
…………。
……おお。
位置は分かってる。
でも、これからどう動くかは分からない。
……だったら、情報は早く共有した方がよさそうだね。
「……今のところ、各国に被害は出てるんですか?」
『……まだ、大きな被害の報告はない』
…………。
……ああ。
ひとまず、そこはよかった。
……いや。
よかったって言っていいのかな。
相手は邪神。
今は何もしていなくても、次の瞬間には何かが起きるかもしれない。
私は、桜花へ視線を向けた。
桜花は、真剣な表情でこちらを見ている。
「……桜花。知ってた?」
「いいえ。初めて伺いました」
「……だよね」
…………。
そういえば。
神様から、正式にこんな相談をされたことはなかった。
落とし物だって、放っておいたら危険だったけど。
私が拾って神殿へ運べば終わる話だった。
今回は。
……そんな簡単な話じゃ、なさそうだ。
◇
「……神様。ひとつ確認していいですか?」
『……うむ』
「イオデグランは、神様なんですよね?」
『……そうじゃ』
「だったら、神様たちで止められないんですか?」
…………。
神様が、口を閉じた。
……あれ?
そんなに答えにくい質問だった?
私は、首を傾げた。
「……だって、以前は封印できたんでしょう?」
『……うむ』
「じゃあ、もう一度封印すれば……」
『……それが、できんのじゃ』
…………。
…………。
……えっ?
「……できない?」
『うむ』
「……神様、力がなくなっちゃったんですか?」
『いや、そうではない』
…………。
……おお。
そこは、はっきり言うんだ。
『イオデグランを封じた力は、今もわしにある』
「……じゃあ、どうして?」
神様は、しばらく黙っていた。
それから、重い声で言った。
『……今のわしは、ステラへ直接手を出すことを禁じられておるのじゃ』
…………。
…………。
……えっ?
「……禁じられてる?」
『うむ。ほかの神々との取り決めじゃ』
……なるほど。
そういえば、前に落とし物の件で、ずいぶん怒られてたっけ。
……ああ。
あれから、神様の立場もいろいろ変わっちゃったのかな。
……いや。
理由はどうあれ、今はそれが問題なんだ。
「……直接手を出すっていうのは、具体的には?」
『地上に降りてイオデグランを攻撃したり、捕らえたり、再び封じたり……そういうことじゃ』
「……それが、全部できない?」
『……うむ』
「……ほかの神様なら?」
『……それも、わしの一存で頼めることではない』
…………。
……あらぁ。
困ったねぇ。
……いや、困ったどころじゃない。
世界の神様が復活したのに、神様が止められないって。
それ、どういうことなの?
「……じゃあ、どうするつもりなんです?」
私は、画面を見つめた。
神様は、少しだけ顔を上げる。
『……そこで、リアリス。おぬしに頼みたいのじゃ』
…………。
…………。
……えっ?
「……私?」
『……うむ』
「……イオデグランを?」
『……何とかしてほしいのじゃ』
…………。
…………。
……いやいやいや!
話が飛びすぎじゃない!?
「ちょっと待ってください!」
『ひゃっ!?』
「神様同士の問題ですよね!?」
『……そうじゃ』
「それを、私にどうにかしろって!?」
『……そ、その……』
…………。
あああ!
もう!
やっぱり、最後は私なの!?
これ、あれでしょう?
異世界ものの主人公が、神様に面倒ごとを押しつけられるお約束!
……いや!
さすがに、これは規模がおかしい!
「ふざけるなって言ってるでしょう! 神様の不手際なんだから、神様たちで何とかしてくださいよ!」
『……す、すまぬ!』
…………。
……ああ。
言っちゃった。
今日は、何回怒鳴ってるんだろう。
カトレアとお菓子屋さんへ行く予定だっただけなのに。
……でも。
……少し待てよ。
さっき、神様は何て言った?
封印した力は、今もある。
だけど、使えない。
つまり。
……できないのは、能力の問題じゃない。
やってはいけない、と決められているからだ。
…………。
……それでも。
もし、誰も動かなかったら?
……その場合は、どうなるんだろう。
私は、静かに口を開いた。
「……神様。もし私が何もしなかったら、どうなるんです?」
……あれ?
自分の声が、思ったより小さかった。
神様は、すぐには答えなかった。
…………。
そして。
『……いずれ、ステラは滅びるじゃろう』
…………。
…………。
……は?
私は、画面を見つめた。
「……今、何て言いました?」
『……ステラは、滅びるじゃろう』
…………。
…………。
……ステラが。
……滅びる?
……あれ?
私、聞き間違えたのかな。
滅びるって。
町とか、国とかじゃなくて。
…………。
世界が?
「……あの、神様」
『……うむ』
「……それは、どういう意味ですか?」
『そのままの意味じゃ。イオデグランを止められねば、この世界そのものが失われる危険がある』
…………。
言葉が、出なかった。
……世界が、なくなる。
そんな話、今まで一度だって聞いたことがない。
国同士の争いもあった。
魔獣の大襲撃もあった。
命を失った人もいた。
でも。
それは、どれだけ悲惨でも、被害が出た場所の話だった。
世界そのものが滅びるって。
……それは、どういうことなんだろう。
私は、ひとつ息を吸った。
「……どのくらい時間があるんですか?」
神様が、視線を落とした。
『……最悪の場合、ひと月ほどじゃ』
…………。
…………。
「……ひと月?」
『……うむ』
……一か月。
三十日ほど。
……たった、それだけ?
カトレアと、あと何回食事ができる?
巴さんの紅茶を、あと何回飲める?
桜花と一緒に、あと何回出かけられる?
……そんな計算を。
……私は、今、してしまった。
私は、ゆっくり顔を上げた。
「……それは、確かな情報ですか?」
『……必ずひと月で滅びると決まったわけではない。じゃが、最悪の事態として見ておかねばならん』
…………。
……最悪の場合。
つまり、もっと時間がある可能性もある。
だけど。
もっと早く状況が悪化する可能性だって、あるんだよね。
……うん。
もう、冗談を言っている場合じゃない。
私は、背もたれから身体を離し、膝の上で両手を組んだ。
……そうか。
これは。
私だけの問題じゃないんだ。
◇
私は、ゆっくりと視線を落とした。
テーブルには、朝から用意してもらった紅茶がある。
ほんの少し前まで、いい香りだなと思っていた。
でも、今は。
……何の匂いもしない。
…………。
邪神。
世界滅亡。
一か月。
頭の中で、言葉だけがぐるぐると回っている。
……いや。
しっかりしろ。
今、私が混乱してどうするんだ。
そう考えていると、桜花が静かに声をかけてきた。
「リアリス様」
「……うん?」
「まず、分かっていることから整理いたしましょう」
……ああ。
その声を聞いて、少しだけ頭が冷えた。
そうだよね。
何もかもを一度に考えようとしても、答えは出ない。
「……ありがとう、桜花」
「恐れ入ります」
私は、画面へ向き直った。
「神様。情報を整理させてください」
『……うむ』
「復活した邪神の名前は、イオデグラン」
『そうじゃ』
「今いる場所は、中央大陸の北の海」
『うむ』
「放っておけば、最悪一か月ほどで世界が滅びる危険がある」
『……そのとおりじゃ』
「神様たちは、取り決めがあるからステラへ直接手を出せない」
『……うむ』
「……それで、私に対処してほしい」
『……そうじゃ』
…………。
……うん。
言葉にすると、ますます意味が分からないね。
……いや。
意味は分かる。
分かるからこそ、困ってるんだけど。
「……ちなみに、邪神は何をするつもりなんですか?」
『……詳しい考えまでは分からん。じゃが、神々への恨みを抱いておる』
「……その恨みが、どうしてステラへ向くんです?」
神様は、一瞬だけ言葉に詰まった。
『……復活した以上、危険は避けられんのじゃ』
…………。
……質問の答えになってない気がする。
だけど、今はそこを問い詰めている時間が惜しい。
「……少なくとも、ステラの人たちを襲う可能性があるってことですね」
『……うむ』
私は、脳内マップへ意識を向けた。
中央大陸の北。
その南には、フォーサイド魔法国とローズ帝国。
さらに先には、シルク王国とオリミス聖国。
海を越えれば、魔族の国も、エルフの国も、獣人の国もある。
ドワーフたちが暮らすシギラ国だって、無関係とは言い切れない。
……ああ。
そうか。
これは、一つの国の問題じゃない。
今まで和平を進めてきた国々も。
ようやく暮らしが落ち着いてきた人たちも。
みんな、同じ危険にさらされるんだ。
「……神様。魔獣への影響はありますか?」
『……あるやもしれん』
「……どういう影響です?」
『……各地の魔獣が、普段とは違う動きを見せる可能性がある』
…………。
……まずい。
私は、思わず背筋を伸ばした。
つい最近、王国は魔獣の大襲撃を受けた。
あのときは、私たちも必死になって戦った。
シルベスターさんも、私が左腕を治したあと、兵士や冒険者を守って戦ってくれた。
ほかにも、怪我をした人がたくさんいた。
死んでしまった人もいた。
…………。
あの規模の襲撃が。
もし、同じ日に何か国でも起きたら?
……いや。
それ以上のことが起きたら?
私は、ゆっくり息を吐いた。
「……神様」
『……何じゃ』
「今、魔獣が暴れ始めているという情報はありますか?」
『……まだ、確かなことは言えぬ』
「……そうですか」
…………。
情報が、足りない。
こんな大事件なのに、何が起きるかも分からないなんて。
でも、分からないものを分かったことにはできない。
……うん。
そこは、気をつけよう。
私は、もう一度尋ねた。
「邪神は、いつ復活したんです?」
『……つい先ほどじゃ』
…………。
……今、まさに。
そうか。
だから、神様は急いで連絡してきたんだ。
……ああ。
今なら、まだ間に合うことがあるかもしれない。
「……分かりました。ありがとうございます」
『……おお』
神様が、少しだけ安心したような顔をした。
…………。
……いや。
安心するには、まだ早いからね。
何ひとつ、解決してないんだから。
◇
「……それで、神様」
『……うむ』
「今の段階で、私にできることは何だと思います?」
自分で言ってから、少しおかしくなった。
……いや。
神様に聞くことじゃないのかもしれない。
だって、この状況を作ったのは、ほかでもない神様なんだから。
…………。
でも。
少なくとも、私よりはイオデグランのことを知っているはずだ。
今は、使える情報を集めるしかない。
『……リアリスよ。おぬしには《想像魔法》がある』
「……はい」
『その力ならば、何とかできるかもしれん』
…………。
私は、画面を見つめた。
……そうだ。
私には、《想像魔法》がある。
想像した結果を実現できる魔法。
今までだって、この力に何度も助けられてきた。
魔獣を倒した。
怪我人を治した。
家を建てた。
大切な人たちを守ってきた。
…………。
でも。
相手は、神様と同じ存在なんだよね。
……普通の魔獣と同じように考えていいのかな。
「……神様。相手の力は、どのくらいなんです?」
『……非常に強大じゃ』
「……私が知ってる魔獣でいうと?」
『……比べること自体が難しいのう』
…………。
……ああ。
もう、そういう次元じゃないんだ。
Sランクとか。
SSランクとか。
そんな話ではないんだね。
ヒュドラを倒して、みんなが驚いていたのが、急に遠い出来事みたいに思えた。
……うん。
これは、慎重に考えないといけない。
「……私の魔法で、どこまで対応できるかは分からないけど」
『……うむ』
「できることは、試します」
神様が、少しだけ顔を明るくした。
『……おお! 引き受けてくれるのか!』
…………。
私は、すぐに頷かなかった。
……違うんだよ、神様。
私が引き受けたからって。
それで、何でも解決するわけじゃない。
「……その前に、まだやることがあります」
『……何じゃ?』
「各国へ知らせないと」
神様が、目を瞬いた。
『……各国へ?』
「はい。当然でしょう?」
私は、自然と声を強めていた。
「世界が危ないんですよ? このことを知らないまま、普通に暮らしている人たちがいるんです」
『……うむ』
「避難が必要になるかもしれない。兵士や冒険者の配置を変えなければいけないかもしれない。魔獣が動き始めたときのために、準備も必要です」
『……そうじゃな』
…………。
……あれ?
何だろう。
返事が、妙に他人事みたいに聞こえる。
……いや。
今は、そんなことを気にしても仕方ない。
「それに、私一人で世界中を見て回るのは無理です」
『……おぬしなら、できそうな気もするがのう』
…………。
私は、口を閉じた。
……違う。
世界を一周できるかどうかの話じゃない。
そこに住んでいる人たちの暮らしを、全部私が把握できるわけじゃないんだ。
誰が、どこにいるのか。
誰が、何を必要としているのか。
各国の王様たちだって、普段から国を治めているんだ。
その人たちに協力してもらわなければ、守れるものも守れなくなる。
「……各国のことは、それぞれの国王にもお願いするつもりです」
『……うむ。そうするとよい』
…………。
私は、ゆっくり頷いた。
「……分かりました」
……うん。
まずは、それからだ。
まだ、邪神がどれほど危険かも分かっていない。
なのに、いきなり飛び込んでいくのは違う。
……ああ。
前だったら。
ちょっと面白そうだなって、見に行ってしまったかもしれない。
ダンジョンのときみたいに。
……でも。
今回は、あのときとは違う。
失敗したら、ダンジョンを作り直すようにはいかないんだ。
…………。
……それは、分かってる。
◇
画面の向こうでは、神様が何度か目を逸らしていた。
……そうだ。
もう一つだけ、確認しておかないと。
「……神様。エレサリアさんは、このことを知ってるんですか?」
『……えっ!?』
神様の声が、裏返った。
…………。
……ん?
『……そ、それは……その……』
…………。
……ああ。
この反応。
知ってる。
以前、エレサリアさんに怒られたときの神様と、そっくりだ。
……もしかして。
まだ言ってないの?
…………。
……いや。
それは、後でいい。
今は、家族や国の人たちのことを考えないと。
「……分かりました。その話も、またあとで聞きます」
『……そ、そうか』
…………。
……何だか、ものすごく安心された。
でも、私の方は全然安心できない。
神様が隠していることが何なのかも、分からないままだ。
……ただ。
イオデグランが復活した。
世界が危ない。
それだけは、もう動かない事実なんだ。
「……神様」
『……何じゃ?』
「私も、できるだけのことはします。でも」
『……うむ』
「絶対に何とかできるとは、今は約束できません」
神様は、しばらく黙っていた。
…………。
「私にできることが分かったら、そのときは動きます。けれど、無理に大丈夫だと言って、みんなを危険にさらしたくないんです」
『……分かっておる』
…………。
……本当に、分かってるのかな。
私は、その言葉に返事をしなかった。
さっきまで、神様相手に散々怒鳴っていた。
今だって、怒っていないわけじゃない。
だけど。
この話を聞いてから、怒鳴ることよりも先に考えなければならないことが増えてしまった。
……うん。
私が今ここで神様を責めても、北の海にいる邪神はいなくならない。
なら。
……やるべきことを、やろう。
「……ひとまず、通話を切りますね」
『……うむ。すまぬ、リアリス』
「……また連絡があったら、すぐ教えてください」
『……分かった』
…………。
画面の中で、神様が小さく頷いた。
私は、ゆっくり呼び出しを終了した。
光る板が、目の前から消える。
…………。
静かだ。
居間には、時計の音もない。
窓の向こうでは、いつもと同じように木々が揺れている。
……ああ。
こんなに平和なのに。
その外側では、世界を滅ぼすかもしれない存在が、もう復活してしまっている。
……うん。
知らなければ、私は今日もお菓子屋さんへ行っていたんだろうね。
カトレアと新しいお菓子を選んで。
桜花と感想を言い合って。
巴さんへのお土産を買って。
家族で、お茶を飲んで。
……そんな、いつもの一日を。
私は、膝の上に置いた自分の手を見た。
…………。
……震えてる?
ほんの少しだけ、指先に力が入っていた。
……ああ。
そうか。
私、怖いんだね。
……でも。
怖いと思えるなら、まだ大丈夫だ。
何も感じなくなるより、ずっといい。
「……リアリス様」
桜花が、静かに声をかけてきた。
「……うん」
「何なりと、お申しつけくださいませ」
……ああ。
いつもの桜花だ。
どんなときも、私の隣にいてくれる。
……そうだね。
私には、守りたい家族がいる。
その家族にも、大切な人がいる。
私の知らない場所にも、同じように誰かの帰りを待っている人がいる。
……そんな人たちの暮らしを。
神様の不手際で、終わらせるわけにはいかない。
私は、顔を上げた。
「……桜花。まず、巴さんを呼んでもらえる?」
「かしこまりました」
「それから、家族のみんなにも話をしたい」
「はい」
桜花が、立ち上がった。
私も、ソファから立ち上がる。
……よし。
こうしていても、時間は過ぎていく。
まずは、できることから。
各国の王様たちにも、すぐ連絡を取らないと。
その前に、私自身が落ち着いて説明できるよう、状況を整理しよう。
……たった一か月かもしれない。
だけど、一か月あるのかもしれない。
その時間を、何もしないまま失うわけにはいかない。
私は、居間の扉へ向かった。
廊下の向こうから、カトレアの声が聞こえた。
「お父さん、話は終わった? ……何かあったの?」
…………。
胸の奥が、小さく痛んだ。
……ごめんね、カトレア。
今日は、お菓子屋さんへ行けそうにない。
でも。
必ず、また一緒に行こう。
当たり前にお菓子を選べる日を、なくしたくないから。
「……カトレア。ちょっと、大事なお話があるんだ」
私がそう答えると、カトレアの足音が近づいてきた。
いつもと変わらない、穏やかな屋敷。
いつもと変わらない、家族の声。
…………。
それを守るための戦いが、今、始まろうとしていた。
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