第6話:番外編!私またやっちゃいました?
……平和だなぁ。
私は、王国邸の庭を眺めながら、しみじみとそう思った。
先日、獣人国のダンジョンでいろいろあった。
桜花が大活躍して、ヒュドラを倒して。
ダンジョンが崩れたから作り直したら、今度は魔獣が外へあふれ出した。
……うん。
改めて考えると、なかなか盛りだくさんだったねぇ。
そんな騒ぎも、今は菖蒲が獣人国で対応してくれている。
シルベスターさんにも、しばらく大人しくしていてくれって言われたし。
……よし。
今日は、本当に何もしない日にしよう!
いや、待てよ。
何もしないって、どこまで何もしないんだろう。
ご飯を食べるのは、もちろんいいよね。
お風呂も入るし、カトレアと遊ぶのもいい。
……冒険者ギルドへ顔を出すくらいなら?
…………。
それは、どうなんだろうねぇ。
「リアリス様。少々よろしいでしょうか」
そんなことを考えていると、背後から落ち着いた声が聞こえた。
振り向くと、セバスが書類の束を手に立っている。
今日も燕尾服には皺一つない。
白い髪も髭も、いつもどおりきっちり整えられていた。
「おはよう、セバス。どうしたの?」
「おはようございます、旦那様。先日ご依頼いただきました魔獣の一覧を、整理いたしました」
「……おっ!」
そうだった。
すっかり忘れてた!
ダンジョンへ行ってからというもの、倒した魔獣が《収納》の中に増え続けていたんだ。
前から入れていた分もある。
さすがに、自分でも何を何匹しまったのか分からなくなってしまった。
そこで、私が《収納》の中身を確認しながら、セバスに名前や種類を伝えて整理してもらったのだ。
……いやぁ。
自分でやればいいんだけどねぇ。
こういう整理って、どうにも苦手なんだよ。
「ありがとう! 助かったよ」
「とんでもございません」
セバスが差し出した紙を受け取る。
……うん。
さすが、うちの執事。
見やすい。
実に見やすい!
魔獣の名前。
数。
ランク。
保管してある場所の区分。
それから、状態についての備考まで。
几帳面だねぇ。
…………。
ところで。
……何で、紙がこんなに多いんだろう。
「……セバス」
「はい、旦那様」
「これ、全部?」
「はい。現在《収納》内に保管されている魔獣のうち、確認が取れたものをまとめてございます」
「…………」
私は、もう一度書類を見る。
最初の方には、小さな魔獣の名前が並んでいた。
角ウサギ。
フライチキン。
ファイアドッグ。
フットスネーク。
……うん。
この辺は、よく見かけるね。
その次にはゴブリンだとか、ファイアウルフだとか。
さらに先には、大型の魔獣。
メガボア。
ジャイアントボア。
グリフォン。
キマイラ。
……ああ。
ダンジョンで見たやつだ。
懐かしいなぁ。
……まだそんなに日が経ってないけど。
私は次の紙をめくった。
そこには、ひときわ大きく書かれた名前があった。
ヒュドラ。
…………。
……うん。
そうだった。
あれも回収したんだっけ。
「旦那様。何か不備がございましたでしょうか」
「ううん。完璧だよ。ただ……」
「ただ?」
「思ったより、多いなぁって」
セバスは、ほんの少しだけ微笑んだ。
「旦那様がこれまでに積み重ねてこられた成果でございます」
「……成果」
…………。
そう言われると、ちょっと照れるねぇ。
まあ、私が倒したものばかりじゃないけど。
特に、ダンジョンの奥の魔獣なんて、ほとんど桜花が倒してくれたものだ。
あれを自分の手柄にするのは、ちょっと違う気がする。
「桜花が頑張ってくれた分も多いんだよ」
「存じております。桜花の働きにつきましても、記録しております」
「……そこまで?」
「はい」
……うわぁ。
本当に完璧だ。
私は書類を丁寧に揃えた。
…………。
そういえば。
この魔獣たち、いつまでも《収納》に入れておくのもどうなんだろう。
中では傷むこともないし、場所も取らない。
だけど、だからって使い道も考えず貯め込むのは、ちょっともったいない気がする。
……うん。
そうだ。
冒険者ギルドで買い取ってもらおう!
お金を稼ぐ必要は、今となってはほとんどないんだけど。
魔獣の素材を必要としている人は、きっといるはずだし。
せっかく倒したものを活用してもらえるなら、それがいい。
「セバス。この一覧、持っていってもいい?」
「もちろんでございます。どちらへお持ちになりますか」
「ちょっとギルドへ!」
…………。
あっ。
シルベスターさんの顔が、頭に浮かんだ。
『しばらく大人しくしててくれ』。
…………。
……いや。
買取の相談をするだけだし。
新しい魔法を作るわけでもない。
魔獣を倒しに行くわけでもない。
持っているものを売るだけ。
……うん。
平和そのものだね!
「かしこまりました。必要な分類については、各項目に記してございます。ご不明な点があれば、いつでもお声がけくださいませ」
「ありがとう、セバス!」
私は書類を手に、屋敷へ戻ることにした。
◇
食堂では、カトレアが巴さんと話していた。
窓から差し込む日差しが、テーブルの上を明るく照らしている。
「お父さん!」
「おっ、カトレア。おはよう!」
「おはよう! 今日はお出かけ?」
「うん。ちょっとギルドへ行ってくるよ」
「お仕事?」
「そうだねぇ。お仕事の報告と、ちょっとした相談かな」
カトレアは、こくりと頷いた。
「じゃあ、お昼には帰ってくる?」
「たぶんね。用事が早く済めば、一緒にお昼を食べようか」
「うん!」
……ああ。
いいねぇ。
こうして出かける予定を普通に話せるのが、一番落ち着く。
「リアリスちゃん、またお買い物もしてきてくれる?」
巴さんが、微笑みながら尋ねてきた。
「お買い物?」
「いいえ、急ぎではないの。ただ、ギルドの近くに新しいお店ができたって聞いてね」
「おっ。何のお店?」
「焼き菓子を扱っているそうよ」
…………。
……焼き菓子!
それは、ちょっと気になる。
うちの雑貨屋にもいろいろ売ってるけど、やっぱり現地の人が作るお菓子は別の魅力がある。
……うん。
用事が済んだら覗いてこようかな。
「分かった。時間があれば見てくるよ」
「ありがとう。無理しなくていいからね」
「うん!」
そこへ、桜花が食堂へ入ってきた。
今日も銀色のおかっぱ頭が、きれいに揃っている。
「リアリス様。お出かけになられるのでしょうか」
「そうそう。ちょっとギルドに」
「かしこまりました。お供いたします」
「ありがとう、桜花」
……うん。
やっぱり、桜花と一緒だと落ち着くなぁ。
いや。
毎回一緒だから、もうそれが当たり前になってるだけかもしれないけど。
カトレアが私の手元にある書類を覗き込んだ。
「それ、なあに?」
「魔獣の一覧だよ」
「まじゅう?」
「うん。前に倒した魔獣を、ギルドで買い取ってもらおうと思ってね」
「いっぱいあるの?」
「……ちょっとだけ、多いかも」
桜花が、書類へ目を向けた。
「……少々、でございますか」
「えっ?」
「いえ。何でもございません」
…………。
……あれ?
今、何か言いかけたよね?
カトレアは、もう別のことに興味が移ったようだ。
「お父さん、おいしいお菓子があったら、買ってきてね!」
「もちろん!」
……うん。
今日の目的が増えた。
ギルドへ行く。
魔獣を買い取ってもらう。
焼き菓子を買って帰る。
…………。
うん!
これ以上ないくらい、穏やかな外出だね。
私は書類を整え、桜花と一緒に玄関へ向かった。
◇
王都クーラルの通りは、今日も賑やかだった。
荷馬車がゆっくり進み、店先では商人が元気な声を上げている。
道端で遊んでいた子供たちが、私たちの姿を見つけて手を振ってくれた。
「リアリス様、こんにちはー!」
「こんにちは! 転ばないように気をつけてね!」
「はーい!」
……ああ。
相変わらず、ちょっと照れるなぁ。
魔獣の大襲撃があったとき、私は桜花やシルベスターさんと一緒に戦った。
その後、国王から呼び出されて、感謝されて。
気がついたら、私の顔も名前も、結構な人に知られるようになっていた。
……いやぁ。
のんびり暮らしたかっただけなんだけどねぇ。
仕方ない。
あれは自分でやったことだから。
……うん。
今さら隠そうとしたって、あんまり意味はないか。
「リアリス様。皆様、随分と親しげでございますね」
「そうだねぇ。ありがたいことだよ」
「はい」
「……でも、やっぱり少し恥ずかしいかな」
桜花は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「皆様の感謝の表れでございましょう」
「うん。それは分かってるんだけどね」
通りの向こうから、果物を抱えた女性が声をかけてきた。
「リアリス様! この前は本当にありがとうございました!」
「いえいえ。もう落ち着きましたか?」
「はい! おかげさまで!」
……よかった。
その笑顔を見ると、私まで嬉しくなる。
通りすがりの人からも、何度か頭を下げられた。
そのたびに私も会釈を返していたら、ギルドへ着く頃にはちょっと疲れてしまった。
……あらぁ。
人に挨拶するだけで、こんなに体力を使うとは。
いや、体力というより気持ちの問題か。
……うん。
まだまだ慣れないね。
冒険者ギルドの建物が見えてきた。
何度も通った入口。
人の出入りも、いつもどおりだ。
……ああ。
ここは落ち着くなぁ。
少なくとも、顔見知りの人が多いし。
……まあ、顔見知りの人には、よく怒られるんだけど。
……主にシルベスターさんに。
私は扉を押し開けた。
中から、冒険者たちの声が聞こえてくる。
「おっ、リアリスだ!」
「久しぶりじゃねぇか!」
「また依頼か?」
……おお。
早速だ。
「こんにちは! 今日はちょっと用事があってね」
「おう! また一緒に飲もうぜ!」
「うん。機会があれば!」
桜花と一緒に受付へ向かう。
いつもの席には、見慣れた茶色のポニーテール。
リリーナさんが、書類に目を落としていた。
「こんにちは、リリーナさん!」
「あっ、リアリスさん! こんにちは!」
リリーナさんが、ぱっと顔を上げる。
「桜花さんも、お久しぶりです」
「お久しぶりでございます」
「今日は依頼ですか?」
「ううん。ちょっと報告したいことがあって」
「報告、ですか?」
リリーナさんの手が、ぴたりと止まった。
……ん?
「……リアリスさん」
「うん?」
「先に聞いてもいいですか?」
「もちろん!」
「……また、何かありました?」
…………。
……あらぁ。
何だか、ものすごく警戒されてるぞ。
「いや、今回は普通の報告だよ」
「……本当ですか?」
「本当、本当!」
「……分かりました。お聞きします」
リリーナさんが、机の上に新しい紙を広げた。
……うん。
そんなに身構えなくても大丈夫だと思うんだけどなぁ。
「この前、獣人国のダンジョンへ行ってきたんだ」
「はい。その件なら、こちらにも連絡が入っています」
「おっ。そうなんだ!」
「……ええ。ギルマスにも報告済みです」
……ああ。
そうだった。
この前、シルベスターさんが屋敷へ来たときにも、話したんだった。
ダンジョンを作り直して、魔獣があふれた件。
菖蒲にお願いして、何とかした……というより、これから様子を見てもらうことになったんだよね。
……うん。
あの件は、ちゃんと相談できた。
今回は、その続きだ。
「それでね。ダンジョンの四階層目で、ちょっと気になることがあって」
「四階層目……」
リリーナさんが、羽根ペンを持ち直す。
「どのようなことでしょうか」
「怪我をした荷物持ちの人が、仲間の冒険者に置いていかれてたんだ」
…………。
リリーナさんの表情が変わった。
さっきまでの困ったような笑顔が、すっと消える。
「……置き去り、ですか?」
「うん。ナグアさんっていう、獣人の男の人だったんだけどね」
私は、あのときのことを思い返した。
四階層目の薄暗い通路。
壁にもたれかかっていたナグアさん。
傷だらけで、まともに動けない様子だった。
あんな場所に、一人で。
しかも、荷物まで抱えたまま。
……うん。
思い出すと、やっぱり腹が立つな。
「ナグアさんは、Aランクの冒険者たちの荷物を運んでいたんだって」
「はい」
「それで、危険な魔獣に遭遇したとき、ナグアさんが怪我をしちゃって……。ほかの人たちは、そのまま先へ行ったらしいんだ」
「……先へ?」
「うん。助けを呼びに行ったわけでもないみたいで」
リリーナさんは、書きかけた文字を見下ろした。
「……それは」
しばらくして、ゆっくり息を吐く。
「詳しく確認する必要がありますね」
「うん。私はナグアさんから聞いただけだから、全部は分からないけど」
「それで構いません。まずは、いつ、どこで、どのような状況だったかを記録します」
「分かった」
私は、覚えていることを順番に話した。
ナグアさんがいた場所。
怪我の様子。
そのときに見かけた魔獣。
そして、桜花と二人で見つけたこと。
リリーナさんは、途中で何度か質問しながら書き留めていく。
……おお。
こういうときは、本当に頼もしいね。
「それで、ナグアさんは今どちらに?」
「《完全回復》で怪我を治して、ダンジョンの入口へ《転移》で送ったよ」
「……そうですか。無事だったんですね」
「うん。あとで入口でも会えたから、大丈夫だと思う」
リリーナさんは、ほっとしたように頷いた。
だけど、その目はまだ真剣だった。
「リアリスさん。助けていただいて、ありがとうございます」
「いやぁ。あんなところで怪我してる人がいたら、普通は助けるでしょう?」
「……はい。そうであってほしいです」
……あっ。
そうだね。
普通、なんて簡単に言っちゃったけど。
現実には、置き去りにされる人だっているんだもんね。
リリーナさんは、書類の下にもう一枚紙を敷いた。
「所属するギルドや当事者の証言を確認する必要があります。獣人国のギルドへも連絡を取りますね」
「うん。お願いできる?」
「もちろんです。あとでギルマスにも相談します」
私は頷いた。
……よかった。
私がここで勝手に何かをするより、きちんと調べてもらう方がいい。
Aランク冒険者だからって、何をしてもいいわけじゃないからね。
ただ、私が知っているのはナグアさんから聞いた話だけ。
決めつけるのはよくない。
……うん。
その辺も、ちゃんとお願いしよう。
「リリーナさん。ナグアさんの話も聞いて、できるだけ公平に調べてあげてね」
「はい。そのように進めます」
リリーナさんが、いつもの穏やかな笑顔を取り戻した。
……うん。
これで、一つ気がかりが片付いたかな。
あとは。
…………。
そうだ。
今日のもう一つの用事!
「リリーナさん、もう一件いい?」
「はい。何でしょう?」
「最近倒した魔獣を、買い取ってほしいんだ」
…………。
リリーナさんの笑顔が、そこで止まった。
……あれ?
まだ、種類も数も言ってないのに?
「……最近倒した、魔獣」
「うん。ダンジョンの分も含めてね」
「……ダンジョンの、分も」
「そうそう!」
私は、セバスから受け取った紙の束を持ち上げた。
……あれ?
リリーナさんの顔色が、急に変わったぞ。
さっきまで普通だったのに。
何だか、ものすごく青い。
「……リアリスさん」
「うん?」
「……それ、何枚あるんですか?」
「えっと……セバスがまとめてくれた一覧だから、ちょっと多いかも」
「……ちょっと」
「うん」
「……分かりました。少々お待ちください」
リリーナさんが、静かに立ち上がった。
そして次の瞬間。
「ギルマスーーーーっ!」
……えっ!?
さっきまでの落ち着いた声はどこへいったの!?
リリーナさんは、書類を抱えたまま奥の廊下へ走っていった。
受付の向こうで、別の職員さんがびくっと肩を震わせる。
周囲の冒険者まで、こちらを見た。
…………。
……あらぁ。
「……桜花」
「はい」
「……まだ、何も見せてないんだけど」
「はい」
「……どうして、こうなるのかなぁ」
桜花は、いつもどおり静かに微笑んだ。
「これまでのご経験によるものかと存じます」
…………。
……経験。
うん。
……何となく、分かる気がする。
私は、手元の書類を見下ろした。
…………。
いやいや。
魔獣を買い取ってもらうだけなんだよ?
……普通のお仕事の一つだよね?
私は、そう自分に言い聞かせながら、受付の前で待つことにした。
◇
受付の奥から、ばたばたと足音が聞こえてきた。
……あっ。
来たかな。
何だか、嫌な予感もするけど。
「……おい」
低い声とともに、シルベスターさんが姿を現した。
がっしりした身体。
厳つい顔。
今日も相変わらず迫力がある。
……ただ。
…………。
何だろう。
私の顔を見た瞬間、ものすごく長いため息をつかれた。
「……はぁぁぁぁ……」
「こんにちは、シルベスターさん!」
「……お前なぁ」
「……ん?」
「この前、何て言ったか覚えてるか?」
…………。
…………。
……あっ。
『しばらく大人しくしててくれ』。
…………。
いやいや。
ちゃんと覚えてるよ!
「もちろん! しばらく大人しくしてて、でしょ?」
「……そうだ」
「うん。だから、今日は普通の買取の相談に来たんだ」
「……普通の?」
「そうそう!」
私は、書類を掲げた。
シルベスターさんの視線が、紙の厚みに移る。
…………。
あれ?
眉間に皺が増えた。
「……それを、普通と言うのか」
「まだ中身、見てないでしょう?」
「お前が持ってきたんだぞ」
…………。
……あらぁ。
信用がない!
……いや。
実績がある、という意味なら信用されてるのかな。
どっちだろう。
シルベスターさんは、隣に立つ桜花へ目を向けた。
「桜花。お前も一緒だったのか」
「はい。リアリス様とともに参りました」
「……そうか」
そして、もう一度ため息をつく。
……何だろう。
桜花がいると、さらに嫌な予感がするのかな。
確かに、ダンジョンでは大活躍だったけど。
「それで」
シルベスターさんが、気を取り直すように腕を組んだ。
「何を買い取ればいい」
「えっとね。いろいろあるんだけど……」
私は書類の束を手渡した。
「これ、セバスにまとめてもらった《収納》の中にある魔獣の一覧なんだ」
「……セバス?」
「うん。うちの執事さん」
「ああ、あのやたら礼儀正しい男か」
「そうそう! ものすごく優秀でね」
「それは分かった。問題は……」
シルベスターさんが、一枚目の紙を見た。
…………。
二枚目。
…………。
三枚目。
…………。
…………。
顔が、どんどん険しくなっていく。
……あれ?
そんなに変なこと書いてあるかな。
「……お前」
「うん?」
「これは何だ」
「魔獣の一覧だよ?」
「それは見れば分かる!」
「……あ、はい」
……おお。
怒鳴られちゃった。
「角ウサギ、フライチキン、ファイアドッグ……まあ、ここまではいい」
「うん」
「ゴブリン、ファイアウルフ、ゴーレム……それも、まだ分かる」
「うんうん」
「……その先がおかしい」
「……そう?」
シルベスターさんは、紙を裏返した。
そこには、大型魔獣の名前が並んでいる。
「ジャイアントスネーク、ジャイアントボア、キマイラ、グリフォン……」
「懐かしいねぇ」
「懐かしむな!」
…………。
……あれ?
今の、怒られるところだった?
「しかも、ここ……ヒュドラ、って書いてあるな」
「ああ。ダンジョンの一番下にいたやつだね」
「……ああ、知ってる! 俺はもう知ってる! お前が倒したことも、前に聞いた!」
「うん」
「……だがな」
シルベスターさんが、紙を指で叩いた。
「何で、それが買取一覧に載ってるんだ!?」
…………。
……ん?
「だって、倒したから?」
「……そういう意味じゃねぇ!」
……うわぁ。
また怒られた。
隣では、リリーナさんがじっと書類を見つめている。
……あっ。
何だか、表情がなくなってきたぞ。
「リアリスさん……。ヒュドラを、実際にここへ持ってくるおつもりなんですか?」
「うん。買い取ってもらえるなら」
「……あ、はい」
…………。
……元気がないねぇ。
そういえば、ヒュドラってSSランクだった。
確か、普通の冒険者じゃ手も足も出ないんだっけ。
……うん。
それは、驚くよね。
……私だって、最初に見たときは驚いたし。
……いや。
あのときは、四本首の珍しい魔獣だなぁって感想だったような。
…………。
……まあ、いいか!
シルベスターさんは、長い時間をかけて一覧を最後まで読み終えた。
紙を揃え、静かに受付の机へ置く。
…………。
それから。
「……こっちで指定したものだけ買い取る」
「……おっ?」
「さすがに全部となると、ギルドの金が足りん」
…………。
……あらぁ。
そうなんだ。
……そういえば。
魔獣の買取って、ギルドがお金を払うんだよね。
そりゃそうか。
全部買い取ったら、お金がなくなっちゃうこともあるよね。
「ごめん。そんなに高いものが多かったんだ」
「多いどころじゃない。普通なら、こんな一覧を持ってくる冒険者はいねぇ」
「……あはは」
「笑い事じゃねぇぞ」
……うん。
そこは、ちょっと反省しよう。
素材って、価値があるんだねぇ。
何しろ私は、《収納》の中へ入れておけば場所にも困らない。
希少な素材が増えても、お金に換える機会なんてほとんどなかった。
……あれ?
そう考えると、結構な財産を放り込んでたことになるのかな。
……うーん。
そんなつもりは、全然なかったんだけど。
「じゃあ、欲しいものだけ選んでもらっていいよ。残りは持って帰るから」
「ああ。それが助かる」
シルベスターさんが、紙を広げ直した。
しばらくの間、じっと眺めている。
……おっ。
何か考えてるね。
……こういうときのギルマスって、やっぱり格好いいなぁ。
冒険者たちが危険な目に遭わないよう、仕事を調整したり。
素材を買い取って、必要な場所へ回したり。
……私には、とても真似できない。
そう思っていると、シルベスターさんが顔を上げた。
「……なあ、リアリス」
「うん?」
「お前、もうこの辺りじゃ有名になってるよな」
…………。
……あれ?
何で突然、その話?
「えぇ。望んではいませんけど……」
私は、苦笑した。
「町を歩いてると、結構声をかけられるようになっちゃって」
「だろうな」
「……うん」
シルベスターさんが、腕を組んだまま頷いた。
……ん?
何だか、妙に納得してるぞ。
「よし」
「……よし?」
「この機に、お前の強さはもう周知させてしまおう」
…………。
…………。
……えっ?
「えええーっ!?」
思わず大きな声が出た。
周りの冒険者まで、こちらを見る。
……あっ。
目立っちゃった。
……いやいや。
それどころじゃない!
「シルベスターさん、ちょっと待って! 私は目立ちたくないんだけど!」
「今さらだろ」
「今さらって!」
「魔獣の大襲撃のとき、お前が何をしたか、覚えてるだろう?」
「……うん」
「国王に叙勲されて、町の連中にも顔が知られてる。ギルドの冒険者だって、お前がただのFランクじゃないことくらい知ってる」
…………。
…………。
……まあ。
それは、そうだね。
あのときは、国民の前でも大きく紹介されたし。
冒険者たちにも、戦っているところを見られた。
今さら『私は普通のFランク冒険者です』って言っても、信じてもらえない気がする。
……うん。
かなり、信じてもらえない気がする。
「大丈夫だ。今以上に騒がれることはないだろう」
…………。
……本当に?
「もう魔獣大襲撃の時に、強さはほぼ知られている。むしろ、変に隠すより話が早い」
「……そうかなぁ」
「そうだ」
シルベスターさんが、自信満々に頷いた。
…………。
うーん。
でも、シルベスターさんって、こういう判断は結構しっかりしてるからなぁ。
私より、ずっと世間のことを分かってる人だし。
……ああ。
確かに。
知られてることを、今さら隠し続ける必要はないのかもしれない。
「……確かに」
私は、小さく頷いた。
…………。
……あれ?
何だか、うまく言いくるめられたような。
いや。
そんなことないよね。
シルベスターさんが、にやりと笑った。
「よし。じゃあ、これらを買い取ろう」
「おっ。何にする?」
私は、身を乗り出した。
……うん。
せっかくなら、役に立つものを選んでほしい。
シルベスターさんは、手近にあった紙を一枚引き寄せた。
羽根ペンを持ち、書き始める。
さらさら、さらさら。
……おお。
字が速いねぇ。
何を書いているんだろう。
覗き込もうとすると、紙を少し引かれた。
「まだだ。黙って待ってろ」
「……はい」
……あらぁ。
怒られちゃった。
リリーナさんも、横から覗き込んでいる。
そして。
…………。
顔が、また青くなった。
「……ギルマス?」
「何だ」
「……本当に、それを?」
「ああ」
「……えっ?」
「問題ない」
「……問題、大ありだと思いますけど」
…………。
……あれ?
二人とも、何の話をしてるんだろう。
シルベスターさんは、最後の行を書いて、紙を私へ差し出した。
「これだ」
「ありがとう!」
私は、書かれた名前を読み上げた。
「えっと……ヒュドラ、一匹」
……うん。
やっぱり、そこは欲しいんだね。
「グリフォン、一匹」
……ほうほう。
「キマイラ、一匹」
……おお。
桜花が五階層目で倒したやつだ。
「ジャイアントボア、一匹」
……うんうん。
あの大きな猪みたいな魔獣かな。
「それから……FランクとFFランクは、全部?」
「ああ」
…………。
……なるほど。
高ランクの魔獣をいくつかと、弱い魔獣たちをまとめて、ってことか。
私は、頷いた。
「うん。分かった!」
ところが。
「……ギルマス」
リリーナさんが、弱々しい声を上げた。
「……私、頭がおかしくなりそうなんですけど……」
「慣れろ」
…………。
…………。
……おお。
即答だ。
リリーナさんが、口をぱくぱくさせている。
「慣れろって……SSランクですよ!? Sランクまで二匹もいますし!」
「知ってる」
「それが、こんな普通の買取伝票に!」
「見りゃ分かる」
「……うう」
リリーナさんが、頭を抱えた。
……あらぁ。
そんなに大変な話なの?
シルベスターさんが、筆を机へ置く。
「下級魔獣は、素材が欲しい職人も多い。大量に入るなら、それはそれで助かる」
「……なるほど」
「S級以上は、ギルドが勝手にばらまくような代物じゃねぇ。相手を選んで、必要なところへ回す」
「うん。それはそうだね」
「それに、数が多いと査定と支払いで手間がかかる。今回は種類を絞る」
……ああ。
ちゃんと考えてるんだ。
ただ高そうなものを選んでるわけじゃないんだね。
さすがだなぁ。
「……でも」
リリーナさんが、小さく口を挟んだ。
「ギルドの資金、大丈夫ですか?」
「……明日までには用意する」
「……本当ですか?」
「する」
…………。
……あらぁ。
ちょっと言い切り方が怖い。
まあ、ギルマスがそう言うなら、何か考えがあるんだろう。
……うん。
信じよう。
シルベスターさんは、買取のメモを私へ渡した。
私は、今度こそしっかり受け取った。
「分かりました! これ、どこに出せばいいですか?」
「そうだな……町の門の外に出してくれ。係の者と一緒に行って査定する」
「門の外だね」
「ああ。街道の邪魔にならない場所を使う。今日は受け取るところまでだ。金は明日までに用意しておく」
「分かりました!」
……おお。
いつもと同じだ。
大きな魔獣を見せるときは、街の外。
最初にヴィクサスを持ってきたときも、そうだったねぇ。
……懐かしい。
いや。
あのときは、確かものすごい騒ぎになったんだった。
…………。
……まあ。
今はみんな、私のことを知ってるんだから。
きっと大丈夫!
「じゃあ、すぐ行こうか」
「ああ。買取の係を呼んでくる」
シルベスターさんが、近くの職員へ声をかけた。
その間、私はリリーナさんへ笑いかけた。
「ありがとう、リリーナさん。助かったよ」
「……いえ」
「ナグアさんの件も、よろしくね」
「はい。そちらは、責任を持って調べます」
……ああ。
やっぱり、真面目な人だなぁ。
そういうところ、すごく頼りになる。
……でも。
…………。
「リリーナさん、顔色悪くない?」
「……誰のせいだと思います?」
…………。
……えっ?
私!?
「……あはは」
「笑ってごまかさないでください!」
……うん。
今日も平和だねぇ。
……いや。
平和なのかな?
◇
買取窓口から、係の女性が出てきた。
どうやら、以前から何度か顔を合わせたことのある方らしい。
私を見るなり、あきらめたように頭を下げてくれた。
「……リアリスさん。今日は、どんな魔獣ですか?」
「えっと、ちょっと多いんだけど」
「……はい。ギルマスから伺いました」
…………。
……おお。
準備がいいねぇ。
シルベスターさんは、後ろから追加の書類を持ってきた。
「ほら、これが受け入れ用の記録だ。お前は数だけ確認してくれ」
「かしこまりました」
女性が、素早く書類を受け取る。
……うん。
さすが買取の担当者。
大量の素材を扱うことにも慣れてるんだろう。
……たぶん。
……いや。
さっきの顔を見ると、慣れてないのかもしれない。
私は、桜花と並んでギルドを出た。
そのあとに、シルベスターさんと買取係の女性が続く。
まだ昼前。
通りは、朝と変わらず賑やかだった。
私たちが四人で歩いていると、すれ違う人が何度か立ち止まった。
「おや、ギルマスさんとリアリス様じゃないか」
「こんにちは!」
「何かあったのかい?」
「ちょっと魔獣の買い取りでね」
「ほう。そりゃ、ご苦労さまだ」
……うん。
普通だ。
何でもない会話。
こういうのでいいんだよ。
……いやぁ。
気楽だねぇ。
隣の桜花も、穏やかな表情で歩いている。
ただ、シルベスターさんだけは、ずっと無言だった。
……あれ?
どうしたんだろう。
「シルベスターさん、何か考えごと?」
「……このあと、何人の職員が必要になるか考えてる」
「……そんなに?」
「……なる」
…………。
……あらぁ。
そこは、ちょっと申し訳ないな。
「じゃあ、私も運ぶの手伝うよ」
「《収納》へ入れてるんだろうが」
「うん。だから、出したあとは……」
「お前が運ぶ必要はねぇ。係の仕事まで奪うな」
…………。
……なるほど。
魔獣を買い取る仕事って、ちゃんと役割があるんだね。
「そっか。じゃあ、お任せするよ」
「そうしてくれ」
私は、頷いた。
……うん。
ここから先は、専門の人たちに頼ろう。
何でも自分でやろうとすると、かえって迷惑をかけることもあるし。
……あっ。
ちょっと、大人になった気がする。
……いや。
転生前は四十三歳だったんだから、今さら大人になるっていうのも変か。
……まあ、気持ちの問題だね!
◇
王都の城門が見えてきた。
いつものように、門の前には人が並んでいる。
荷馬車を引く商人。
荷物を背負った旅人。
それから、装備を整えた冒険者たち。
……うん。
今日も、平和な景色だね。
……あっ。
そういえば。
門の外で魔獣を出すって言ってたっけ。
いくら《収納》の中では動かないとはいえ、あの大きな身体を出したら、ちょっと目立ちそうだなぁ。
「シルベスターさん」
「何だ」
「街道から離れたところに出した方がいいよね?」
「当たり前だ」
「……うん。そうだよね」
……あはは。
私も、そこまで考えなしじゃないよ!
……たぶん。
シルベスターさんは、門兵の一人へ声をかけた。
「ちょっと場所を使わせてもらうぞ。魔獣の買取査定だ」
「ギルドマスター殿。承知しました」
門兵が頷き、それから私の方を見る。
…………。
……ん?
何だか、一瞬目を見開いたぞ。
「あっ……リアリス様!」
「こんにちは!」
「本日は、魔獣の買取ですか?」
「うん。ちょっとね」
「なるほど!」
……おお。
笑顔だ。
ずいぶん慣れてるねぇ。
前にドラゴンを出したこともあったから、もう驚かないのかな。
……いや。
あのときとは違う門兵さんかもしれないけど。
有名になるって、こういうことなのかなぁ。
シルベスターさんが、門の向こうを指さした。
「あそこだ。通行の邪魔にならないし、地面も平らだ」
「うん!」
指定されたのは、街道から少し離れた空き地だった。
周りに建物はなく、木々とも十分に距離がある。
……ああ。
広さもあるね。
前にも似た場所を使ったことがあるけど。
さすがギルマス。
場所の選び方も、よく分かってる。
買取係の女性が、持ってきた書類をめくった。
「ギルマス、先に小型の魔獣からでよろしいですか?」
「ああ。傷みやすいものを優先する。ただし、リアリスの《収納》なら状態は保たれているはずだ」
「はい。分かりました」
…………。
……おっ。
《収納》のことも、ちゃんと理解してるんだ。
私は、書類をもう一度確認した。
「じゃあ、角ウサギから?」
「お願いします」
「分かった!」
……よし。
これなら、簡単だね。
私は空き地へ手を向けた。
「《収納》」
小さな角ウサギの魔獣が、地面にそっと現れた。
一匹。
二匹。
三匹。
…………。
……おお。
並べると、何だか可愛いねぇ。
……死体だけど。
……いやいや。
今は買取だ。
普通のお仕事だよ。
「……リアリス」
「うん?」
「数を確認しながら出せよ」
「あっ。そうだね」
……危ない。
つい、まとめて出しそうになっちゃった。
係の女性が、一匹ずつ状態を確かめていく。
角は折れていないか。
毛皮に大きな傷はないか。
食用に使える部位は、どんな状態か。
……へぇ。
ちゃんと見てるんだ。
普段は買い取ってもらうだけだから、ここまでじっくり観察したことはなかった。
こういうのも、冒険者の仕事の一つなんだねぇ。
「リアリスさん。こちらは、倒されたときからこの状態ですか?」
「うん。回収してからは触ってないよ」
「……そうですか。ずいぶんきれいですね」
「そう?」
女性は、角の付け根を指で示した。
「こちらは損傷が少ないですから、加工する職人さんには喜ばれます」
「へぇ!」
……おお。
そんなところで価値が変わるのか。
倒せば終わり、じゃないんだね。
……うーん。
やっぱり、私は知らないことが多いなぁ。
続いて、フライチキン。
ファイアドッグ。
フットスネーク。
FランクとFFランクの魔獣を、種類ごとに出していく。
……いやぁ。
こうして見ると、本当にいろいろ倒してきたんだなぁ。
王都の近くで会ったもの。
依頼の途中で遭遇したもの。
そして、ダンジョンで桜花が倒したもの。
同じ名前でも、毛並みや体格が少し違ったりする。
……おお。
魔獣って、一匹ずつ違うんだね。
当たり前のことなんだけど。
こうして並ぶと、改めて実感する。
……それにしても。
…………。
……まだ、結構残ってるぞ。
「……桜花」
「はい、リアリス様」
「小さい魔獣だけでも、こんなにいたんだねぇ」
「はい。ダンジョン内にも多数おりましたので」
「そうだったね」
……思い出した。
一階層目。
二階層目。
あのときは、ただ楽しく探索していただけだった。
魔獣を倒して、回収して。
次の曲がり角に、宝箱がないか探して。
…………。
……宝箱。
……うう。
思い出すと、やっぱり少し悲しい。
「リアリス様?」
「……いや。何でもないよ」
「そうでございますか」
桜花の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
…………。
……絶対に分かってるでしょう。
宝箱のこと、考えてたって。
……ああ。
桜花には、隠しごとができないなぁ。
女性が、一枚目の査定記録を書き終えた。
「こちらの分は、確認できました」
「おっ。もう?」
「はい。細かな査定額は後ほど計算しますが、状態は問題なさそうです」
「よかった!」
……うん。
素材にしてもらえるなら、これで無駄にならない。
私は、少し肩の力を抜いた。
……そのときだった。
「……あの」
背後から、遠慮がちな声が聞こえた。
振り返ると、門兵さんがこちらを覗いている。
……ん?
「どうしたの?」
「いえ。魔獣の数が、ずいぶん多いようでしたので……」
…………。
あっ。
そりゃそうだ。
さっきから、出しても出しても小さな魔獣が増えてるんだもんね。
「ダンジョンに行った分もあるからねぇ」
「……ダンジョン」
門兵さんの表情が、一瞬固まった。
だけど、すぐに頷いた。
「なるほど。リアリス様でしたら、そういうこともございますよね」
…………。
……おお。
すごい納得のされ方だ。
「……ねえ、桜花」
「はい」
「私、そんなに何でもやる人だと思われてるのかな」
「皆様、これまでのご活躍をご存じなのでしょう」
「……そっかぁ」
…………。
……うん。
活躍、ねぇ。
自分では、そんなつもりあんまりないんだけど。
目の前で魔獣を倒してたら、活躍になるのかもしれない。
……あれ?
当たり前か。
そんなことを考えていると、シルベスターさんが指を鳴らした。
「よし。次は大物だ」
「おっ!」
私は、立ち上がった。
……来たね。
この買取の本番!
「まずはジャイアントボアを出してくれ」
「分かった!」
私は、空き地の奥を確認した。
門から離れていて、街道の通行人にも当たらない。
……よし。
ここなら大丈夫。
「《収納》」
ずしん。
巨大な魔獣が、地面へ現れた。
太い脚。
大きな頭。
曲がった牙。
そして、見るからに硬そうな身体。
……うん。
まさに巨大な猪だね。
「……でっか」
門兵さんが、思わず呟いた。
…………。
……あっ。
ちょっと驚かせちゃったかな。
でも、私の方を見ると、すぐに姿勢を正してくれた。
「……失礼しました!」
「いや、いいよ。大きいもんね」
……うん。
これは、誰だって驚くよ。
私も最初に見たときは、ちょっと驚いたもん。
……いや。
桜花があっさり倒しちゃったから、驚いてる暇はあんまりなかったけど。
買取係の女性が、慎重に近づいた。
足元を確認し、牙を見上げる。
それから、身体の脇を回っていった。
「……状態は良好ですね」
「そう?」
「はい。角……ではなく牙の部分も、きれいです。皮も大きく破れていません」
……へぇ。
そんなに細かく見るんだねぇ。
私は、ジャイアントボアを眺めた。
あの大きさなら、きっと肉もたくさん取れる。
皮だって、防具か何かに使えるのかな。
……うん。
こういうのは、無駄なく活用してほしい。
「これ、食べられるんだよね?」
「はい。大きいので、肉を扱う商人さんからも需要があります」
「おお!」
……いいねぇ。
おいしい料理になるのかなぁ。
……あっ。
そうだ。
私、今度、猪肉料理も試してみようかな。
……いやいや。
今は買取の途中だった。
シルベスターさんが、こちらをじっと見ている。
「……何だ、その顔」
「……えっ?」
「食うこと考えてただろ」
「……あはは」
「分かりやすいな、お前」
…………。
……あらぁ。
バレちゃった。
……うん。
肉が取れるって聞いたら、そりゃ気になるでしょう?
仕方ないよねぇ。
係の女性が、もう一度書類へ目を落とした。
「ジャイアントボア、確認しました」
シルベスターさんが頷く。
「次だ。キマイラを頼む」
「うん!」
私は、少し離れた場所へ向き直った。
……よし。
あまり近くへ並べると、査定する人が困るよね。
少し間を空けよう。
「《収納》」
大きな身体が現れた。
獅子の頭。
山羊の頭。
そして、がっしりとした胴体。
……ああ。
覚えてる。
五階層目で、火と氷を吐いてきたやつだ。
あのときは、なかなか派手だったねぇ。
……まあ。
桜花には、ほとんど効かなかったんだけど。
…………。
……あれ?
買取係の女性が、動かなくなってる。
「……キマイラ」
「うん。そうだよ」
「……本物、ですね」
「……そりゃそうでしょう?」
……おお?
何だか、確認の仕方が変だぞ。
シルベスターさんが、頭をかいた。
「Sランクの魔獣を直接見る機会は、そうそうねぇ。そっとしておいてやれ」
「……あ、そうなんだ」
……なるほど。
希少な魔獣って、査定するだけでも特別なんだね。
女性は、少し深呼吸した。
「……失礼しました。確認いたします」
そして、慎重に近づく。
獅子の頭を見て。
山羊の頭を見て。
斬られた箇所へ目を向けた。
…………。
あっ。
また、動きが止まった。
「……どうしたの?」
「いえ……切り口が、あまりにきれいで」
「おっ」
私は、桜花を見た。
「桜花、褒められてるよ!」
「恐れ入ります」
桜花が、静かに頭を下げた。
……ああ。
うちの相棒は、こういうときも落ち着いてるなぁ。
「……これを、桜花さんが?」
「はい。私が討伐いたしました」
「……お一人で?」
「はい」
…………。
女性が、桜花と魔獣を交互に見た。
……うん。
その気持ちは、少し分かる。
こんな小柄な女の子が、日本刀でSランクの魔獣を倒したんだもんね。
普通は、なかなか信じられない。
……でも。
桜花なら、これくらい朝飯前なんだよ。
……いや。
朝飯前って、言い過ぎかな?
五階層目では、結構楽しそうだったし。
……うん。
やっぱり、朝飯前かもしれない。
シルベスターさんが、女性へ声をかける。
「状態の記録だけ先に取れ。細かい査定は、あとで職員を増やしてやる」
「……はい」
女性は、ほっとしたように頷いた。
……ああ。
確かに、一人で全部見るのは大変そうだね。
私も、無理はしてほしくない。
……よし。
次は、グリフォン!
「シルベスターさん。次、グリフォン?」
「ああ。頼む」
私は、空き地の反対側へ移動した。
……そういえば。
あの魔獣、羽が大きかったなぁ。
ちょっと出し方を考えないと、他の魔獣に触れちゃうかもしれない。
地面に横たえた状態で。
翼が広がりすぎないように。
……うん。
これなら大丈夫。
「《収納》」
ふわり、と影が広がった。
次の瞬間、巨大なグリフォンが地面へ現れる。
鳥のような上半身。
獅子のような下半身。
そして、背中の大きな翼。
……おお。
並べると、改めて格好いい!
この姿なら、異世界の絵本に出てきそうだね。
……いや。
ステラにも、グリフォンの絵本ってあるのかな。
……あるといいなぁ。
…………。
……あっ。
また脱線しちゃった。
私は、係の女性を見る。
「これで大丈夫?」
「……はい」
…………。
……声が、小さい。
「……大丈夫?」
「……だ、大丈夫です」
…………。
……うーん。
あんまり大丈夫に見えないけど。
シルベスターさんが、呆れたように首を振った。
「もう驚くのをやめろ。まだ最後が残ってる」
「……最後」
女性が、顔を上げた。
…………。
あっ。
何だか、ちょっとかわいそうになってきた。
「シルベスターさん、少し休憩する?」
「……いや。どうせ、出すんだろう」
「うん。買い取ってもらえるなら」
「だったら、さっさと終わらせる」
……ああ。
そうだよね。
長引くより、早めに終わらせて休んでもらう方がいいか。
私は頷いた。
そして、最後の名前を口にした。
「……ヒュドラだね」
「……ああ」
シルベスターさんが、ゆっくり息を吐いた。
……あれ?
何で、そんな深呼吸を。
「リアリス」
「うん?」
「出す前に一つ、確認する」
「何?」
「……死んでるんだな?」
…………。
…………。
……えっ?
「もちろんだよ!」
「……ならいい」
……あらぁ。
いくら何でも、生きたヒュドラを持ってきたりしないよ!
……いや。
《収納》の中に生き物を入れられるかどうか、試したことは……。
…………。
……いやいや。
そんなこと、今は考えなくていい!
私は、門から一番離れた広い場所へ移動した。
「ここなら大丈夫?」
「ああ。周りに誰もいない」
「うん!」
後ろでは、シルベスターさんが職員たちに十分下がるよう指示している。
……へぇ。
死体でも、万一に備えるんだね。
さすがだなぁ。
私は空き地へ手を向けた。
「《収納》」
どすん。
低い音が、地面へ響いた。
巨大な四足の胴体。
そこから伸びる、四本の蛇の首。
……いや。
正確には、斬られた首もあるから。
胴体と、離れた首をまとめて並べる。
……うん。
これで全部かな。
見慣れた、というほどでもないけど。
やっぱり大きいねぇ。
全長二十メートル。
普通の魔獣の中でも、かなり大きな方だ。
……そりゃ、迫力もあるよね。
私は、満足して振り返った。
「はい! これで全部!」
…………。
…………。
……あれ?
静かだ。
ものすごく、静か。
シルベスターさんは、目を細めたままヒュドラを見ている。
買取係の女性は、口を開いたまま固まっている。
さっきまで元気だった門兵さんまで、微動だにしない。
……ん?
「……シルベスターさん?」
「……ああ」
「……大丈夫?」
「……ああ」
…………。
……うん?
反応が、すごく薄いぞ。
「……本物、だよね?」
「……お前が、今さら何を確認してるんだ」
…………。
……あっ。
そうだった。
そもそも、私が倒したんじゃなくて、桜花が倒したやつだった。
私は、桜花を見た。
「すごいよねぇ、桜花!」
「恐れ入ります」
「ヒュドラまで倒せちゃうなんて、本当に頼もしいよ」
「リアリス様のお役に立てたのであれば、何よりでございます」
桜花は、落ち着いた様子で一礼した。
……ああ。
嬉しそうだねぇ。
ほんの少しだけ、目元が柔らかくなってる。
……うん。
あのときの戦いは、桜花にとってもいい経験になったのかな。
…………。
ちなみに。
その横で、シルベスターさんが片手で額を押さえている。
……あれ?
胃、痛いのかな。
「シルベスターさん、お腹?」
「……まだ痛くねぇ」
「……まだ?」
「……ああ」
…………。
……あらぁ。
今の言い方だと、これから痛くなるみたいじゃないか。
「だったら、痛くなったら言ってね。《完全回復》するから」
「……分かった」
…………。
……おお。
今日は、素直だ。
いつもなら、もう少し怒られる気がするけど。
……うん。
平和だなぁ。
……いや、これを平和と呼んでいいのかな。
買取係の女性が、おそるおそる近づいた。
まるで、眠っている魔獣を起こさないように。
……いや。
死んでるんだけどね。
「……本当に、動きませんよね」
「動かないよ」
「……そう、ですよね」
女性は、ヒュドラの首の付け根を見た。
傷口を確認し、そっと表面に触れる。
…………。
「……こんなに」
小さな声が漏れた。
「……切り口が、きれい」
「うん。桜花が斬ったからね」
「……この大きさの魔獣を」
係の女性が、ゆっくり顔を上げる。
視線の先には、桜花がいた。
…………。
……あっ。
もしかして、また驚いてる?
でも、さっきキマイラでも同じこと聞いたよねぇ。
「それに、首が再生する魔獣だったんでしょう?」
「そうそう」
「……どうやって?」
……おお。
素朴な疑問だ。
私は、しばらく考えた。
…………。
桜花が、【一閃 乱】を使って。
一瞬で。
……うん。
それくらいしか説明できないな。
「えっと……桜花の剣技かな」
「……剣技」
「うん。すごかったよ!」
…………。
女性の目が、また遠くなった。
……あらぁ。
説明になってないかな。
……いや。
私も、あれ以上の説明は難しいんだけど。
シルベスターさんが、口を挟んだ。
「もういい。今日は受け入れの確認だけにしとけ。詳しいことはあとで俺が聞く」
「……はい」
女性が、ほっと息を吐いた。
私は、ヒュドラを見上げた。
……ああ。
こうして見ると、あのときのダンジョンが思い出される。
暗い階段。
巨大な広間。
四本の首。
そして、あの剣技。
……いやぁ。
楽しかったねぇ。
…………。
ただ。
…………。
……宝箱だけは、なかったんだよねぇ。
「リアリス様」
「……うん?」
「また宝箱のことをお考えでございますか」
…………。
……えっ。
桜花!?
「どうして分かったの!?」
「先ほどから、少々寂しそうなお顔をなさっておりましたので」
…………。
……あらぁ。
そんなに分かりやすかった?
シルベスターさんが、疲れた声で言う。
「……お前、ここまで来て何の心配をしてるんだ?」
「……宝箱」
「……は?」
「ダンジョンに、一つもなかったんだよ!」
…………。
シルベスターさんが、私をじっと見つめた。
…………。
それから。
「……知らん」
…………。
……ああ。
切り捨てられた!
……うう。
ダンジョンなのに。
宝箱がなかったんだよ?
もう少し、同情してくれてもいいのに。
……いや。
ヒュドラの前で宝箱の話をしてる私の方が変なのかな。
…………。
……まあ、いいか。
シルベスターさんは、買取係の女性へ向き直った。
「ひとまず、受け入れはこれで終わりだ。記録をまとめて、あとで職員を呼べ」
「かしこまりました」
「護衛もつける。解体できる連中へ連絡しろ」
「はい」
……おお。
ここから、さらにいろいろな人が関わるんだ。
買い取るだけじゃなくて。
解体して。
保管して。
必要とする人へ渡して。
……うん。
そう考えると、ギルドって本当に大きな仕事をしてるんだね。
私は、改めてシルベスターさんを見た。
「シルベスターさん、忙しいところありがとう!」
「……ああ」
「みんなにもよろしく伝えてね」
「……分かった」
「それじゃあ、お願いします!」
「ああ。すべて査定しておこう」
…………。
……あっ。
何だか、あっさり終わっちゃった。
もっと騒ぎになるかと思ったけど。
門兵さんも、もう落ち着いている。
買取係の女性は、早速記録の確認を始めている。
……うん。
やっぱり、みんな仕事ができるんだねぇ。
私は、ちょっと感心してしまった。
「明日は昼過ぎに来るといい。金を用意しておく」
「分かった!」
「……それと」
「うん?」
「残りの魔獣を、勝手に門の前へ出すなよ」
…………。
…………。
……えっ?
「出さないよ!?」
「念のためだ」
…………。
……あらぁ。
どこまで信用がないんだろう。
……いや。
信用というか、警戒かな。
「大丈夫。残りはちゃんと《収納》に入れておくから」
「……ならいい」
私は頷いた。
……うん。
ここは、任せるのが一番だ。
それにしても。
明日、お金を受け取れるのかぁ。
……いくらくらいになるんだろう。
FランクやFFランクなら、そんなに高くないのかな。
でも、高ランクの魔獣も買い取ってくれるって言ってたし。
……うーん。
少しはまとまった額になるかもしれない。
……おっ。
楽しみだね!
ただ。
…………。
どうせ私は、普段そんなにお金を使わないんだけど。
……まあ、あって困るものでもないよね。
「桜花、帰ろうか」
「はい。リアリス様」
私は、ヒュドラの前でまだ書類を確認しているシルベスターさんへ手を振った。
「じゃあ、また明日!」
「……ああ。気をつけて帰れよ」
「うん!」
…………。
おっ。
何だか、今日は優しいね。
……いや。
普段だって、優しいんだけど。
ちょっと怒りっぽいだけで。
……ああ。
私は、いい人たちに恵まれたなぁ。
そんなことを考えながら、桜花と一緒に王都へ戻った。
後ろから、何か叫ぶ声が聞こえた気がする。
「……職員、あと何人呼べばいいんですかー!?」
「手の空いてる奴、全部だ!」
…………。
……おお。
ギルドって、大変なんだなぁ。
私は、振り返らずに歩き続けた。
…………。
……今日の仕事は、これで終わり!
あとは、お菓子を買って帰ろう!
◇
帰り道、私たちは焼き菓子のお店へ寄った。
少しだけ甘い香りが、通りまで漂っている。
……おお。
いい匂い!
店先には、焼き色のついた小さなお菓子が並んでいた。
見た目は、地球のクッキーにも少し似ている。
でも、香りが違う。
……うーん。
何の香草を使ってるんだろう。
「桜花、これ、おいしそうじゃない?」
「はい。よい香りでございます」
「いくつか買って帰ろうか」
「かしこまりました」
私は、店主さんに声をかけた。
ところが。
「おや! リアリス様じゃありませんか!」
…………。
……おお。
ここでも知られてるの!?
「こんにちは! 初めて来たんだけど、おいしそうだね」
「ありがとうございます! どうぞお好きなものを!」
「じゃあ、この辺のをいくつかお願いできる?」
「もちろんです!」
店主さんが、紙袋へ丁寧に詰めてくれた。
……ああ。
嬉しいねぇ。
こういう新しいお店を見るのは、やっぱり楽しい。
買い物を終えて店を出る。
私は紙袋を持ち上げた。
「おっ。いい買い物ができた!」
「カトレア様も、お喜びになられることでしょう」
「そうだね!」
……うん。
今日は、いい日だった。
ギルドへ報告もできた。
ナグアさんのことも、リリーナさんに相談できた。
魔獣も買い取ってもらえることになった。
それに、新しいお菓子まで見つけた。
…………。
完璧!
……なのに。
なぜか、シルベスターさんとリリーナさんの疲れた顔が頭に浮かんだ。
…………。
……あれ?
私、何か変なことしたかな。
……いやいや。
今日は、ちゃんと相談したし。
勝手にダンジョンを作ったわけでもないし。
魔獣を追加で倒してきたわけでもない。
…………。
うん。
平和な一日だったね!
私は、そう結論づけた。
……少なくとも、私にとっては。
◇
王国邸へ戻ると、カトレアが玄関まで迎えに来てくれた。
「お父さん、おかえり!」
「ただいま、カトレア!」
「お菓子は?」
……おっ。
早速だねぇ。
「もちろん、買ってきたよ!」
「やったー!」
カトレアが、ぴょんと跳ねた。
……ああ。
可愛い。
この笑顔を見るだけで、今日の疲れが吹き飛ぶねぇ。
……まあ、そんなに疲れてないんだけど。
巴さんも、奥から出てきた。
「リアリスちゃん、おかえりなさい。用事は済んだ?」
「うん! 明日、買い取ってもらったお金を受け取ることになったよ」
「あら、よかったわね」
「そうなんだよ。セバスのおかげで、一覧もすぐ出せたし」
そこへ、セバスが静かに一礼した。
「お役に立てたのであれば、光栄でございます」
「本当に助かったよ!」
私は、買ってきた焼き菓子をテーブルへ置いた。
……うん。
家族と一緒に食べるのが楽しみだ。
そのとき、桜花が少し首を傾げた。
「リアリス様。明日の買取金につきまして、何かお聞きになりましたか」
「えっと……金額は、まだだね」
「左様でございますか」
「うん。明日までに査定するって」
桜花は、静かに頷いた。
…………。
あれ?
何だか、少し考えてる?
「何か気になる?」
「いえ。少々、まとまった額になるのではないかと」
「……そう?」
「はい。Sランク以上の魔獣が含まれておりますので」
…………。
……ああ。
そうだった。
そういえば、シルベスターさんも『金が足りん』って言ってたんだよね。
……うん。
少し高いのかもしれない。
「まあ、金額が分かったら報告するよ」
「かしこまりました」
……あれ?
セバスまで、ほんの少しだけ微笑んだ。
…………。
何だろう。
みんな、分かってるのかな。
……私は、よく分からないんだけど。
……まあ、いいや。
明日のお楽しみにしておこう!
私は、カトレアと一緒に食堂へ向かった。
……今日は、お菓子を食べて。
明日は、ギルドでお金を受け取る。
…………。
うん。
何て平和な予定なんだろう!
◇
――翌日、昼過ぎ。
私は、桜花と一緒に王都の冒険者ギルドへ向かっていた。
昨日、買って帰った焼き菓子は、カトレアにも巴さんにも好評だった。
……うん。
いい一日だったねぇ。
今日は、昨日の買取のお金を受け取りに行くだけ。
これなら、シルベスターさんに怒られる理由はない。
……きっと、ない!
「リアリス様。本日もよいお天気でございますね」
「うん。散歩日和だねぇ」
通りの人たちと挨拶を交わし、見慣れたギルドの扉を開ける。
昼を過ぎたばかりの建物には、今日も冒険者がたくさんいた。
……ああ。
いつもの景色だ。
「こんにちは、リリーナさん!」
「あっ、リアリスさん! こんにちは!」
リリーナさんが、明るい笑顔で迎えてくれた。
「昨日はありがとう。査定、大変だったでしょう?」
「……はい。少しだけ」
…………。
……あれ?
笑顔なのに、何だか遠い目をしてるぞ。
「リアリスさん、昨日の査定のお金、準備できてますよ」
「おっ。本当?」
「はい。こちらです!」
リリーナさんが、受付の奥を示した。
私は、そちらへ目を向ける。
…………。
…………。
……ん?
大きな机が置いてある。
その上に。
……麻袋?
一つ。
二つ。
……いや。
…………。
いっぱいある。
ものすごく、いっぱいある!
机の上だけじゃない。
床にも、きれいに積み上げられている。
……えっ。
何これ?
「……リリーナさん」
「はい!」
「……これ、何?」
「昨日の買取代金です!」
…………。
……えっ!?
「……全部?」
「はい!」
私は、おそるおそる一つの袋を覗いた。
きらり。
中には、金色の硬貨がぎっしり詰まっていた。
…………。
……金貨だ。
しかも。
……全部、金貨!?
「……リリーナさん」
「はい!」
「これ、何枚あるんですか?」
リリーナさんは、にこりと微笑んだ。
それはもう、見事な笑顔だった。
「分かりません」
…………。
…………。
……えっ?
「……分からないの!?」
「はい。私はもう、途中から数えるのをやめました」
…………。
……おお。
笑顔が、怖い。
いつもの優しいリリーナさんなのに。
何だか、疲れが限界を超えた人の笑顔に見える。
「一袋に百枚ずつ、分けてありますけどね」
「……ひゃくまい」
私は、机の上と床を見た。
……待って。
何袋あるの、これ?
……数えるのが怖い!
そのとき、周囲から声が上がった。
「……おい、何だ、あの金貨」
「依頼の報酬か?」
「いや、あんな量の報酬、見たことねぇぞ」
…………。
……あっ。
目立ってる。
ものすごく、目立ってる!
受付近くにいた冒険者たちが、ぞろぞろ集まり始めた。
「リアリス! お前、何したんだ!?」
「えっと……魔獣を買い取ってもらっただけなんだけど」
「買い取ってもらっただけ!?」
…………。
……うん。
そうだよ?
少なくとも、今日は何も変なことしてないよね?
リリーナさんが、笑顔のまま書類へ目を落とした。
「詳細は、ギルマスから説明していただきます」
すると、奥の廊下から重い足音が聞こえてきた。
「……騒がしいな」
シルベスターさんだ。
「こんにちは、シルベスターさん!」
「……おう。来たか」
シルベスターさんは、積み上がった麻袋を一瞥した。
それから、受付の机に書類を置く。
「昨日の査定だ。説明するぞ」
「うん!」
周りの冒険者まで静かになった。
……おお。
みんな、お金の話が気になるんだねぇ。
私も気になる!
「まず、ヒュドラが金貨二千枚」
…………。
……おお。
にせん?
「グリフォンが千五百枚。キマイラも千五百枚だ」
…………。
……ん?
「ジャイアントボアが五百枚」
…………。
……おお?
「それから、FランクとFFランクの魔獣を全部合わせて九百枚」
…………。
…………。
私は、頭の中で数字を並べた。
二千。
千五百。
千五百。
五百。
九百。
…………。
…………。
……えっ?
「合計で、金貨六千四百枚だな」
…………。
…………。
…………。
……金貨、六千四百枚!?
私は、その場で固まった。
…………。
えっと。
この世界の金貨って、一枚だいたい日本円で一万円だったよね。
…………。
六千四百枚。
……一万円が、六千四百枚。
…………。
……六千四百万円!?
ちょっと待って!
普通に働いてた頃の自分が聞いたら、腰を抜かす金額だよ!?
……いや。
異世界に来てから、いろんなものを作って、いろんなものを買ってきたけど。
改めて現金で見ると、何だか現実味がすごい。
…………。
いやいや。
……むしろ、なさすぎる!
「……シルベスターさん」
「何だ」
「……これ、本当に私がもらっていいの?」
「お前が持ち込んだ魔獣の代金だろうが」
「……そ、そうだけど」
「正規の査定だ。文句があるなら、もっと高くしてやるぞ」
「いやいや! 十分です!」
…………。
……これ以上、高くなったら困る!
……何が困るのか、自分でも分からないけど!
後ろから、誰かの声が聞こえた。
「……ヒュドラ?」
「今、SS級のヒュドラって言ったか?」
「グリフォンにキマイラまで……?」
…………。
……あっ。
周りの冒険者たちも、聞いてたんだった。
……うわぁ。
ざわざわしてる。
ものすごく、ざわざわしてる!
「……嘘だろ」
「リアリスが、あんな魔獣を?」
「王国の魔獣大襲撃を止めた人だぞ」
「そういや、桜花も一緒にいたよな」
…………。
……ああ。
ついに、こんな話になっちゃった。
私は、苦笑した。
「えっと……ダンジョンで倒した分が多いんだ。Sランク以上は桜花が頑張ってくれてね」
「桜花が!?」
冒険者たちの視線が、隣へ集まった。
桜花は、いつもどおり静かに一礼した。
「はい。リアリス様とともに探索いたしました」
…………。
……おお。
みんな、桜花も見てる。
そうだよ。
あのダンジョンでは、桜花が本当に頑張ったんだから。
……うん。
そこは、ちゃんと知ってほしい。
シルベスターさんが、腕を組んだ。
「ほらな」
「……ん?」
「これで、お前の強さがみんなに伝わった」
…………。
……あっ。
そういえば、昨日そんな話をしたんだっけ。
……いや。
したけどさ。
思ったより、騒ぎが大きくない!?
「……シルベスターさん」
「何だ」
「今以上に騒がれることはないって言ってなかった?」
「……言ったな」
「……これ、今以上に騒がれてない?」
「……気のせいだ」
…………。
……絶対、気のせいじゃない!
ギルド中の冒険者が、こっち見てるよ!?
シルベスターさんは、にやりと笑った。
「まあいい。少しは還元でもしていけ」
…………。
……還元?
私は、麻袋を見た。
積み上がった金貨。
それから、集まってきた冒険者たち。
…………。
……ああ。
なるほど。
……うん!
それ、いいかもしれない!
いつもギルドにはお世話になってる。
依頼の仕組みも、王都のことも、冒険者たちから教えてもらった。
その人たちが笑ってくれるなら、使い道として悪くない。
私は、冒険者たちの方へ向き直った。
「皆さーん!」
声を上げると、ギルドの中が少し静かになった。
……おお。
注目されてる。
……ちょっと恥ずかしい。
でも。
……まあ、いいか!
「今日は私のおごりです!」
…………。
一瞬、静寂が落ちた。
私は、にっこり笑った。
「好きなだけ飲んで、食べて、騒いでください! いつもお世話になってるお礼です!」
…………。
…………。
そして。
「……おおおおおおっ!!」
ギルド中から、歓声が上がった。
「よっしゃああ!」
「リアリス、最高だ!」
「今日は飲むぞー!」
「桜花も一緒に飲もうぜ!」
「ありがとよ、リアリス!」
……おお。
すごい盛り上がりだ!
桜花が、私の隣で小さく微笑んだ。
「リアリス様。皆様、とてもお喜びでございます」
「うん! よかったねぇ!」
……ああ。
お金って、こういう使い方もいいよね。
……ただ。
…………。
何だろう。
シルベスターさんとリリーナさんが、また頭を抱えている。
「……リリーナ」
「はい、ギルマス」
「……今日、酒場の担当、足りるか」
「……足りません」
「……増やせ」
「……はい」
…………。
……えっ。
そんなに大変なこと?
「……シルベスターさん」
「……何だ、リアリス」
「……私、また何かやっちゃいました?」
「……今さら聞くな!」
…………。
……あらぁ。
また怒られちゃった。
……でも。
ギルドの中には、笑顔がいっぱいだ。
私も、つられて笑ってしまう。
……うん。
こういう大騒ぎなら、悪くないね!
「リアリスのおごりだーっ!」
「かんぱーい!」
「うおおおおーっ!!」
冒険者たちの喜ぶ声が、王都のギルドいっぱいに響き渡った。




