第3話:桜花、行きます!
五階層目へ続く階段は、今までよりも長かった。
下へ進むにつれて、周囲の音が少しずつ変わっていく。
……何だろう。
最初は風の音かと思った。
だけど、それにしては妙に騒がしい。
どこかで何かが唸っている。
硬いものがぶつかる音もする。
それに、地面を踏み鳴らすような、重たい音まで。
「桜花。下に何かいるね」
「はい。かなりの数でございます」
「……かなり?」
「はい」
桜花が、いつもどおり落ち着いた表情で頷いた。
……ふむ。
四階層目でも、あれだけ魔獣がいたからなぁ。
五階層目なら、きっともっと強い魔獣が出てくるんだろう。
…………。
もしかして。
強い魔獣が宝箱を守ってるとか!?
……おお。
それ、ものすごくダンジョンっぽい!
「桜花、ちょっと楽しみになってきた!」
「それは何よりでございます」
「だってさ、今度こそ何かありそうじゃない?」
「……宝箱でございますか?」
「うん!」
桜花は、ほんの少し目を細めた。
……あっ。
その顔、さっきも見たぞ。
きっと、私がまだ宝箱を諦めてないのを面白がってるんだ。
…………。
だって、諦めきれないんだもん!
私たちは、階段の最後の曲がり角を抜けた。
その瞬間だった。
「…………おお?」
目の前が、急に開けた。
◇
……広い。
とにかく広い。
今までの階層にも大きな空間はあったけれど、ここは比べものにならない。
高い天井。
遠くまで続く岩壁。
ところどころに突き出した巨大な石柱。
そして、その広い空間を埋め尽くすように。
…………。
魔獣がいた。
……いや。
いた、なんてものじゃない。
あっちにも。
こっちにも。
奥にも。
上にも。
……上!?
天井近くを、何か大きな影が飛んでいる。
地上では小型の魔獣が群れを作り、その向こうに大型の魔獣が何匹も見えた。
武器を持ったゴブリン。
角の生えた魔獣。
巨大な蛇。
そして、見覚えのある大きな猪もいる。
……あっ。
メガボアだ。
四階層目にもいたけど、こっちは何匹もいるね。
「……桜花」
「はい」
「……これ、何匹くらいいると思う?」
桜花が、広間を一度見渡した。
「およそ五百体かと」
「……五百?」
「はい」
…………。
ごひゃく。
…………。
「五百体!?」
私は、思わず声を上げた。
その声が岩壁にぶつかり、広い空間に響く。
……五百体って!
いやぁ、すごいなぁ!
魔獣が多いとは聞いていたけど、まさかこんな数が一か所にいるなんて!
……あれ?
これって、もしかして。
「……モンスターハウス?」
…………。
……おおおお!
「モンスターハウスイベント、きたぁーーーっ!」
思わず両手を上げた。
……来た!
ついに来たよ!
ダンジョンの定番イベント!
宝箱を探し続けて四階層。
ようやく、私の知っているお約束が姿を現した!
「リアリス様。おめでとうございます」
桜花が、丁寧に頭を下げた。
「ありがとう、桜花!」
…………。
……いや。
何で祝われてるんだ、私?
まあ、いいか!
あっ。
でも。
これだけ魔獣がいるなら、ほかの冒険者が来たら大変なんじゃない?
私は、広間の入口を振り返った。
下りてきた階段以外に、別の道は見当たらない。
「桜花。ちょっと気になったんだけど」
「はい」
「ここの魔獣って、上の階層に行ったりしないのかな?」
「分かりません。ですが、これまでの階層では、同じくらいの強さの魔獣が集まっていたように思います」
「……確かに」
一階層目はFランクやEランク。
二階層目はEランクからDランクくらい。
三階層目は、もう少し強い魔獣が中心だった。
四階層目では、オークやメガボアまで出てきた。
……うん。
階層によって分かれている感じはあったね。
でも、ここは違う。
小さな角ウサギみたいな魔獣までいるのに、そのすぐ近くを巨大な蛇が這っている。
……何だ、この組み合わせ。
それに、あの飛んでるやつ。
鳥のような上半身に、獅子みたいな身体。
…………。
……あれ、グリフォンじゃない?
確か、Sランクの魔獣だったよね。
よく見ると、もっと奥には獅子と山羊の頭を持った大きな魔獣までいる。
……うわぁ。
キマイラまでいるの!?
「何だか、ここだけごちゃ混ぜだねぇ」
「そうでございますね」
「……まあ、ダンジョンの仕様なのかな」
何しろ、今日初めて来た場所だ。
私には、何が普通で何が普通じゃないのか分からない。
…………。
いや、五百体はさすがに普通じゃない気もするけど。
広間の奥では、小さな魔獣が大きな魔獣の足元を走り抜けた。
それを踏みつけようともせず、大きな魔獣は別の方向へ歩いていく。
……仲がいいわけじゃなさそうだけど。
お互い、あまり気にしてないのかな。
……うん。
そういう場所なんだろう。
とりあえず、細かいことは気にしないでおこう!
そのとき。
広間にいた魔獣の一匹が、こちらを向いた。
続けて、別の魔獣も顔を上げる。
低い唸り声が重なった。
……あっ。
見つかっちゃった。
次の瞬間には、何十匹もの魔獣がこちらへ走り出していた。
「……おお! すごい勢い!」
「リアリス様。いかがいたしましょうか」
桜花が、静かに尋ねてきた。
私は、広間を見渡した。
……ふむ。
そういえば、最近の桜花はあまり暴れていない気がする。
家では穏やかに過ごしているし、冒険者の仕事も久しぶりだった。
今朝だって、普通にお茶を淹れてくれてたもんね。
……まあ。
私としては、のんびりしてくれる方が嬉しいんだけど。
桜花は、戦うこと自体も嫌いではない。
だったら、今日は少し楽しんでもらおうかな。
「桜花。最近、あんまり暴れてなかったよね?」
「そうでございますね」
「やる?」
桜花が、ちらりと迫ってくる魔獣たちを見た。
それから、私へ向き直る。
「それでは、久しぶりに暴れさせていただきます」
「うん! 楽しんでおいで!」
「かしこまりました」
桜花の手が、刀の柄へ伸びた。
……おっ。
さっきまでの穏やかな顔と、ちょっと雰囲気が違うね。
「桜花、行きます!」
そう言って、桜花が前へ飛び出した。
◇
……速い。
いや、知ってた。
桜花が速いのは、ずっと前から知ってたよ。
でも、改めて見ると、やっぱりすごいねぇ。
先頭を走っていた大型の魔獣が、刀の一振りで倒れた。
その横から飛びかかった二匹も、桜花が身体をひねった次の瞬間には動かなくなっている。
……おお。
まるで、魔獣の群れの中に銀色の線が走っているみたいだ。
桜花が一歩進む。
魔獣が倒れる。
もう一歩進む。
また倒れる。
……うん。
相変わらず、とんでもないね。
私は、迫ってきた角ウサギをひょいと避けた。
……あれ?
Fランクの魔獣まで襲ってくるんだ。
上の階層では逃げてたのに。
……この場所だと、ちょっと気が大きくなるのかな。
…………。
いや。
さすがに、そんなことはないか。
私は、角ウサギが走っていくのを見送った。
桜花の方では、いよいよ大きな魔獣たちが動き始めている。
広間の奥から、巨大な蛇が身体を持ち上げた。
……うわぁ。
大きいねぇ。
確か、ジャイアントスネークだったかな。
全長十メートルくらいある魔獣だ。
その巨体が、桜花へ向かって一気に倒れ込んだ。
「……おっ!」
でも、桜花は慌てない。
身体が地面に触れる直前、横へ跳んだ。
重たい音が響き、足元の小石が跳ねる。
桜花の刀が、蛇の身体へ走った。
……おお。
一撃では仕留められなかったみたいだ。
さすがAAランク。
硬いんだねぇ。
だけど、次の瞬間にはもう一度刃が走り、巨大な身体が動きを止めた。
……うん。
やっぱり、桜花の相手じゃないか。
奥から、今度は二つの大きな影が迫ってきた。
一匹はキマイラ。
もう一匹は、さっき天井近くを飛んでいたグリフォンだった。
……おっ。
Sランクが二匹!
キマイラの獅子の頭が、大きく口を開いた。
赤い炎が噴き出す。
それとほぼ同時に、山羊の頭から白い息が広がった。
……うわぁ。
火と氷だ。
片方だけでも厄介なのに、両方いっぺんに使うんだね。
グリフォンは空中から翼を振るい、雷を帯びた風を放った。
……おお。
なかなか派手だなぁ!
炎と氷と雷をまとった風が、桜花へ襲いかかる。
……でも。
桜花は、そのまま前へ進んだ。
攻撃が届いた瞬間、光が散ったように見える。
……ああ。
《絶対防御》があるんだった。
普通の冒険者なら危険な攻撃も、桜花には通らない。
それをいいことに、桜花は一気に間合いを詰めた。
キマイラが振り向くより先に、刀がその身体を斬り裂く。
続いて、空中のグリフォンへ目を向けた。
……えっ。
そこから届くの?
桜花が地面を蹴った。
……おおお!
高く跳んだ!
グリフォンが翼を広げる。
その横を銀色の影が抜けた。
……あっ。
落ちてきた。
大きな身体が、岩の床へ叩きつけられる。
桜花は少し離れた場所へ静かに着地した。
……うん。
Sランクでも、こうなるのか。
私は思わず拍手した。
「桜花、すごいねぇ!」
少し離れた場所にいる桜花が、こちらを向いて小さく頭を下げた。
……戦ってる最中なのに、律儀だなぁ。
その背後から、別の魔獣が飛びかかった。
……あっ。
危ない!
と、思ったら。
振り向きざまの一撃で、もう倒していた。
…………。
うん。
心配する必要、なかったね。
桜花は、そのまま次の魔獣へ向かっていった。
……さて。
桜花が楽しんでるみたいだし、私も何かしようかな。
……何か。
…………。
そうだ。
宝箱!
五百体もいる場所だよ?
絶対、どこかに宝箱がありそうじゃない?
……いや、ないっていう可能性は考えない!
私は、周囲を見回した。
広間は広い。
壁際にはいくつもの岩がある。
大きな石柱の根元にも、ちょうど物を隠せそうな窪みが見えた。
……おっ。
怪しいねぇ。
「桜花! 私、宝箱を探してくるね!」
「はい。お気をつけくださいませ」
「桜花もね!」
「かしこまりました」
……よし。
私も探索開始だ!
◇
まずは、入口に近い岩の裏。
……なし。
次は、大きな石柱の根元。
……石。
奥の壁際には、少しだけ深い窪みがあった。
……おお!
これは!
私は身を乗り出して覗き込んだ。
…………。
……何もない。
…………。
おかしいなぁ。
こんなに怪しい形なのに。
少し離れた場所では、桜花が魔獣の群れへ斬り込んでいる。
どすん。
がらがら。
ばさっ。
……うん。
すごい音がしてるねぇ。
私は、また別の石柱へ向かった。
その途中、大きな魔獣がこちらへ突進してきた。
……おっと。
ひょいと身体を避ける。
魔獣は勢い余って、そのまま石柱へ激突した。
……あらぁ。
大丈夫?
……いや、私を襲おうとしたんだから、心配するのも変かな。
石柱の向こうで、魔獣がよろよろと立ち上がる。
私に向かって、再び走り出した。
……うん。
元気そうだね。
まあ、何度も襲われるのも困るから、今度は刀で倒しておいた。
……よし。
探索の続き!
私は、石柱の根元を覗く。
…………。
……何もない。
…………。
ふむ。
こういうときは、発想を変えた方がいいのかな。
もしかして、宝箱は目立つところに置いてあるとか。
……いや。
それだと、もう誰かが持ち帰ってるか。
あっ。
そうか!
ダンジョンには、隠し部屋というものがあるんじゃない?
普通の通路から見えない場所に、宝箱が置かれていたりして!
……おお。
何だか、それっぽいぞ!
私は周囲の岩壁を見回した。
色が違う部分はないか。
妙に平らな壁はないか。
いかにも扉がありそうな場所はないか。
…………。
……うーん。
全部、普通の岩壁だねぇ。
いや、そもそも普通のダンジョンの壁って何だろう。
私、今日初めて来たんだけど。
……まあ、気にしない!
桜花が一匹の巨大な猪を倒す音が聞こえた。
それに続いて、何かが地面を転がる。
……おっ?
もしかして、宝箱?
私は慌てて振り向いた。
…………。
……魔獣の頭だった。
…………。
うん。
そうだよね。
宝箱が勝手に転がってくるわけないもんね。
「リアリス様。そちらは大丈夫でございますか?」
桜花が少し離れた場所から声をかけてきた。
「大丈夫! でも、まだ見つからない!」
「……宝箱でございますか?」
「うん!」
「そうでございますか。こちらもまだ、見かけておりません」
「……そっかぁ」
…………。
あれ?
戦いながら、宝箱のことまで気にしてくれてたの?
……桜花、優しいねぇ。
私は何だか嬉しくなった。
……でも。
見つかってないのは残念だなぁ。
しばらくして、桜花の方を改めて見てみた。
広間を埋め尽くしていた魔獣たちは、かなり数が減っている。
あれだけいたのに、もう半分以上は倒されているんじゃないかな。
……すごいね。
桜花は、刀を振るうたびに魔獣を倒していく。
小型の魔獣も。
大きな蛇も。
さっきまで空を飛んでいたグリフォンも。
みんな、桜花の動きについていけていない。
……うん。
うちの桜花は、本当に強いねぇ。
……そういえば。
今の桜花って、ちょっと楽しそうじゃない?
いつもと表情はあまり変わらない。
でも、足取りが軽いというか。
刀を振るう動きに、少し余裕があるというか。
……うん。
これは、楽しんでるね。
よかった、よかった。
私は頷いて、また壁際を調べ始めた。
……そろそろ、宝箱が出てきてもいい頃なんだけどなぁ。
◇
あれから、どのくらい歩いただろう。
広間の右側は、だいたい調べた。
左側も、ほとんど調べた。
大きな石柱の裏も、通れそうな窪みも、行き止まりになっている場所も。
……でも。
…………。
ない。
…………。
ない。
…………。
どこにもない!
……えっ!?
ちょっと待って!?
五百体の魔獣がいたんだよ!?
Sランクの魔獣まで、何匹もいたんだよ!?
そこまで来て、宝箱の一つもないの!?
私は、広間の奥を見た。
……あっ。
あそこ、まだ見てなかった!
急いで駆け寄る。
石柱と壁の間に、人が一人通れそうな狭い隙間がある。
……おお!
これは絶対、何か隠してあるでしょう!
私は奥まで進み、周囲を見回した。
…………。
……石。
…………。
…………石。
…………。
……小石。
…………。
「……ない」
私は、思わず呟いた。
いや。
嘘でしょう?
ここ、絶対何かある雰囲気だったじゃん!
…………。
ない。
……ああ。
何だろう、この敗北感。
魔獣とは戦ってないのに、負けた気分だよ。
私は、とぼとぼと元の広間へ戻った。
桜花は、まだ奥の方で戦っている。
残っている魔獣は、もうそれほど多くない。
……うん。
このままなら、すぐ終わりそうだね。
…………。
そうだ!
宝箱を守っている魔獣を全部倒したら、出てくる仕組みなのかもしれない!
……おお!
それだ!
そう考えれば、今まで見つからなかった理由も説明できる!
私は、俄然元気になった。
……よし!
桜花が全部倒したら、もう一度探してみよう!
……いや。
ちょっと待って。
そんなことをしてる間に、宝箱が出る前に終わっちゃったら?
…………。
うーん。
よく分からない。
けど。
とりあえず、探しながら待とう!
そのあとも私は、広間の隅から隅まで歩き回った。
石の裏。
壁の窪み。
天井から落ちてきたらしい大きな岩の下。
…………。
ない。
……ない。
…………。
……ないじゃないか。
そして、ついに。
「どこにも宝箱がねぇじゃねぇかぁぁぁぁぁ!」
私の叫び声が、広いダンジョンに響き渡った。
……あっ。
しまった。
ちょっと大きな声を出しちゃった。
…………。
いや、でも!
ここまで探したんだよ!?
一個くらいあってもいいと思わない!?
少し離れた場所で、桜花がこちらを振り返った。
「リアリス様。いかがなさいましたか?」
「宝箱がないの!」
「……そうでございますか」
「うん! ないの!」
……あれ?
桜花、笑ってない?
いや、口元がほんのちょっと緩んでる。
…………。
私、そんなに面白いこと言ったかなぁ。
そのとき。
どすん、と大きな音がした。
振り向くと、最後まで動いていた大きな魔獣が床に倒れるところだった。
……おっ。
終わったのかな?
桜花は、刀を一度振って血を払い、静かに納めた。
周囲には、もう動いている魔獣が見当たらない。
……いやぁ。
五百体。
本当に、一人で全部倒しちゃったよ。
私は思わず拍手した。
「桜花、お疲れさま!」
桜花が、私の方へ歩いてくる。
「殲滅、完了いたしました。すっきりです」
……あっ。
ちょっと嬉しそう。
「はははっ! 楽しかった?」
「はい。久しぶりに身体を動かせましたので」
「それはよかった!」
……うん。
桜花が楽しめたなら、それが一番だよね。
私は、倒れた魔獣たちを見回した。
広間の景色が、すっかり変わっている。
……これ、素材を回収したらすごい量になるんじゃない?
…………。
でも。
「……桜花」
「はい」
「……宝箱、出てこないね」
「はい」
「……全部倒したのに」
「そうでございますね」
…………。
……うーん。
さすがに、ここまでないとなると。
…………。
いや。
まだだ!
まだ六階層目がある!
きっと、その一番奥に宝箱が置いてあるんだ!
そうだよね。
ダンジョンの一番奥。
強いボス。
その奥に、金銀財宝!
……うん!
まだ希望はある!
「桜花。次の階層へ行ってみよう!」
「かしこまりました」
私は、広間の奥にある階段へ向かった。
……あっ、そうだ。
危ない危ない。魔獣を回収するのを忘れるところだった。
私は振り返って、広間に横たわる魔獣たちを見渡した。
「桜花、魔獣を回収してから行こうか」
「はい。かしこまりました」
「《収納》」
広間に散らばっていた約五百体の魔獣が、次々と《収納》へ収まっていく。
……おお。さすがにすごい量だねぇ。
Sランクの魔獣もいるし、ギルドに持っていったら、いったいいくらになるんだろう。
……まあ、今はいいか。
それより、最深部の宝箱だ!
階段の前へ着いたとき、桜花も隣に並んだ。
「お待たせいたしました」
「ううん、全然。こちらこそ、ありがとう」
……あれだけ戦ったのに、息一つ乱れてないんだね。
桜花、相変わらずだなぁ。
私は、階段を覗き込んだ。
ここから下は、さらに暗い。
ひんやりした空気が流れてくる。
……おお。
いよいよ、最深部っぽい雰囲気だね。
「よし。行こうか!」
「はい」
私たちは、六階層目へ向かって歩き始めた。
◇
六階層目に下りると、また大きな空間が広がっていた。
……おお。
五階層目とは、ずいぶん雰囲気が違うね。
あちらは魔獣でいっぱいだった。
だけど、ここには。
…………。
……一匹しかいない。
その代わり。
…………。
……でっかい。
岩の広間の真ん中に、巨大な魔獣が立っていた。
太い四本の脚。
大きな胴体。
そして、そこから伸びる四本の蛇の首。
……ああ。
見覚えがあるぞ。
「……ヒュドラ?」
私は、思わず声を上げた。
……おお。
ヒュドラだ。
転生したばかりの頃にも遭遇したことがある。
あのときは《即死》で倒しちゃったんだよね。
……懐かしいなぁ。
いや、懐かしんでる場合じゃないか。
目の前のヒュドラは、私たちを見つけると四本の首を持ち上げた。
大きな目が、こちらを見下ろしている。
……うわぁ。
近くで見ると、やっぱり迫力があるねぇ。
「リアリス様。あちらが、最深部の魔獣でしょうか」
「うん。たぶん、そうじゃない?」
私は、広間を見回した。
ほかに魔獣の姿は見当たらない。
さっきの階層と比べて、妙に静かだ。
……うん。
一番奥に一匹だけ。
それも、ものすごく強そうな魔獣。
これはもう。
「……ボスかな?」
「その可能性は高いかと存じます」
「だよねぇ!」
……おお!
ついにボスの部屋!
最深部まで来たよ!
…………。
となると。
宝箱は、どこかな?
私は、ちらりとヒュドラの背後を見た。
巨大な岩。
広い壁。
奥の方には、ちょっとした窪みもある。
……おっ。
怪しい!
あそこにあるんじゃない?
……でも、まずは目の前のヒュドラだね。
「リアリス様。こちらはどうされますか?」
桜花が尋ねてきた。
私はヒュドラを見上げた。
……ふむ。
この前に倒したことがあるから、私は別に戦わなくてもいいかな。
それに、さっきの桜花はとても楽しそうだった。
だったら、もう一回楽しんでもらおう!
「んー。私、前にヒュドラを倒したことあるし、桜花がやってもいいよ?」
「よろしいのですか?」
「うん。もちろん!」
桜花の目が、少しだけ輝いたように見えた。
「ありがとうございます。少しは手応えがありそうでございます」
……あっ。
やっぱり、戦いたかったんだね。
「じゃあ、お願い!」
「かしこまりました」
桜花が刀を抜く。
その瞬間、ヒュドラの四本の首が一斉に動いた。
……おお。
向こうもやる気満々みたいだね。
「桜花、気をつけてね!」
「はい。行ってまいります」
桜花が、地面を蹴った。
◇
……いやぁ。
五階層目の魔獣とは、全然違うね。
ヒュドラの大きな首が、一斉に桜花へ向かって伸びる。
桜花は、その間を縫うように走った。
四本も首があるから、死角が少ない。
一つを避けても、すぐ別の首が襲ってくる。
……なるほど。
これは、普通の冒険者じゃ近づくことも難しそうだ。
桜花が右へ跳ぶ。
追いかけるように、ヒュドラの一つの口から炎が噴き出した。
……おお!
さっきのキマイラより、ずっと広い範囲が燃えてる!
しかも、隣の首からは氷の魔法。
さらに別の首からは、雷を帯びた攻撃が放たれた。
……あらぁ。
何て忙しい魔獣なんだろう。
一つ一つの魔法も強いのに、休む間もなく次が飛んでくる。
それでも、桜花は止まらない。
炎の間を抜け、氷を避け、雷を受け流すように身体をひねる。
……うん。
見事だねぇ。
もちろん、桜花には《絶対防御》もある。
だから、普通なら致命傷になる攻撃だって問題はない。
でも、だからといって、何もしないで立っているわけじゃないんだよね。
ちゃんと相手の動きを見て、刀の届く位置へ進んでいる。
……桜花って、本当に戦うのが上手だなぁ。
そのとき、桜花の刀がヒュドラの首を捉えた。
大きな一撃。
蛇のような首が、一本、地面へ落ちる。
……おっ!
やった!
「桜花、一本!」
私が声を上げた、その直後。
切り口が、ぐにゃりと動いた。
肉が盛り上がる。
骨のようなものが伸びる。
そして。
……えっ?
新しい首が生えてきた。
…………。
……ああ。
そうだった。
ヒュドラって、再生するんだったね。
「……うわぁ。面倒くさい魔獣だなぁ」
私がそう呟いている間にも、再生した首が桜花へ襲いかかる。
桜花は、それをひらりと避けた。
そして、今度は別の首へ斬り込む。
……おお。
また一本、落ちた。
でも。
…………。
生えた。
……うん。
やっぱり生えるんだね。
私は、思わず腕を組んだ。
……これって。
切っても切っても再生するなら、ものすごく厄介じゃない?
……あれ?
そういえば、桜花がこれだけ何度も刀を振るっているのに、まだ倒れてないんだ。
ヒュドラ、結構強いんだねぇ。
……いや。
SSランクだから、当然か。
私は、改めて戦いを見つめた。
桜花がヒュドラの横へ回り込み、脚を斬る。
巨大な身体が一瞬ぐらついた。
だけど、すぐに別の首が攻撃してくる。
桜花はそこから跳び離れ、再び間合いを詰めた。
……うん。
普通の魔獣なら、もう何度も倒されているはずだ。
それなのに、ヒュドラはまだ戦っている。
……何というか。
耐久力がとんでもないね。
私は、しばらく戦いを見守った。
…………。
……さて。
桜花が頑張っている間、私もやることがあるよね。
…………。
そう。
宝箱!
…………。
いや、ちょっと待って。
今、ヒュドラと戦ってるんだよ?
普通は、戦いを応援するべきじゃない?
…………。
うん。
もちろん応援する!
でも、桜花は私が手伝わなくても大丈夫そうだし。
……そうだ!
宝箱を見つけて、桜花へのお土産にするっていうのもいいんじゃない?
……おお。
それなら、一石二鳥だ!
「桜花ー! 私、ちょっと奥を見てくるね!」
「はい。お気をつけくださいませ!」
……あっ。
返事が返ってきた。
それも、ちゃんと丁寧に。
四本の首に襲われながら、すごい余裕だねぇ。
私は、ヒュドラの攻撃が届かない方へ回り込んだ。
……さてさて。
宝箱は、どこかなぁ。
◇
まずは、一番奥の岩の陰。
……なし。
次は、壁際のくぼみ。
……なし。
右側の少し高くなった場所。
……うん。
ここも、石しかない。
…………。
……おかしいなぁ。
だって、ボスの部屋だよ?
ここまで来て、何もないなんてことある?
私は、岩壁を見上げた。
五階層目よりも天井が高い。
上の方には、大きな亀裂が走っている。
……ふむ。
もしかして、壁の中に埋まってるとか。
…………。
いや。
さすがに、そこまでしたら見つけられないじゃない。
私は、ぐるりと回って別の壁を調べ始めた。
背後では、激しい音が続いている。
どごん。
がらがら。
ばきっ。
……うわぁ。
ヒュドラ、元気だねぇ。
私は振り向いた。
桜花が、地面すれすれに身体を低くして、ヒュドラの脚の間へ入り込んでいる。
そのまま刀を振るうと、巨大な脚へ深い傷が入った。
……おお。
いいところに入ったね!
しかし、ヒュドラの身体が大きく震えたかと思うと、傷口が少しずつ塞がっていく。
……あらぁ。
脚も再生するの!?
そりゃあ、なかなか倒せないわけだ。
……でも。
桜花は、まだ楽しそうに戦っているように見える。
さっきまでの余裕だけじゃなく、相手の動きを確かめるような慎重さもある。
……うん。
桜花なら、きっと何とかしてくれるよね。
私は頷いて、また壁際を調べ始めた。
…………。
……ない。
あっちも、ない。
こっちも、ない。
…………。
何なの、このダンジョン!
私は、ついに立ち止まった。
一階層目、なし。
二階層目、なし。
三階層目、なし。
四階層目、なし。
五階層目、なし。
そして。
…………。
六階層目も、なし!
……えええ!?
ボスの部屋にもないって、どういうこと!?
私は思わず、天井を見上げた。
……いや。
待てよ。
もしかして、宝箱がないんじゃなくて。
…………。
ボスを倒したら、出現する仕組み?
…………。
……おお!
なるほど!
これだ!
そういうやつ、あるよね!
ボスを倒したご褒美に、宝箱がぽんっと出てくる。
中には、珍しい武器とか。
魔法の道具とか。
…………。
あるいは、ものすごくおいしいお菓子とか!
……いや、それはダンジョンじゃなくてお店で買えるか。
…………。
よし。
じゃあ、桜花が倒すまで待とう!
私は、少し離れた場所に腰を下ろした。
……うん。
ここなら、戦いの邪魔にもならないね。
目の前では、ヒュドラが四本の首を振り回している。
その攻撃を避けながら、桜花が刀を振るう。
…………。
あれ?
さっきより、少し動きが変わったかな。
◇
桜花は、ヒュドラの正面へ回り込んでいた。
四本の首が、一斉にこちらを向く。
炎。
氷。
雷。
そして、勢いよく伸びてくる巨大な首。
……うん。
普通なら、もう逃げ場がないよね。
だけど。
桜花は、迷わず前へ進んだ。
炎を避け、氷の横を抜ける。
雷が床を叩き、岩が砕けた。
その破片が飛び散る中、桜花が刀を振るう。
……おっ。
あの構えは。
「……【一閃】!」
鋭い斬撃が、ヒュドラの首を捉えた。
一瞬遅れて、首が地面へ落ちる。
……おお!
さすが、桜花の得意技!
普通の斬撃とは、明らかに違うねぇ。
でも。
…………。
……また生えた。
…………。
あらぁ。
あれでも駄目か。
桜花は、少しだけ距離を取った。
ヒュドラは四本の首を持ち上げ、再び魔法を放ち始める。
……うん。
このままだと、いくら斬っても終わらないのかな。
再生より速く斬り続けるとか。
四本の首を同時に落とすとか。
……いや。
どうすれば倒せるのか、私には分からないけど。
桜花は、何か考えているみたいだ。
……あれ?
今、ちょっと笑った?
ほんの一瞬だけど、桜花の口元が緩んだように見えた。
……ああ。
これは、あれだね。
桜花が本気で楽しんでるときの顔だ。
私も、思わず笑ってしまった。
……うん。
今日は来てよかった。
宝箱は見つかってないけど。
……いや。
そこは、まだ諦めてないよ!
私は、ヒュドラの背後へ目を向けた。
……うん。
やっぱり、あそこに出てくるのかな。
……おっと。
いけない。
今は、桜花の戦いを見ておこう。
ヒュドラの攻撃は、相変わらず激しい。
四本の首から放たれる魔法で、周囲の岩壁が次々に砕けていく。
だけど、桜花の動きは止まらない。
むしろ、さっきより静かになった。
……あれ?
何だか、不思議だなぁ。
あれだけ動いていたのに、今は必要な分しか動いていないように見える。
ヒュドラの足元へ踏み込み、斬る。
首が伸びれば、ほんの少し身体をずらす。
攻撃が終わる位置を、最初から知っているみたいだ。
……いやぁ。
本当に、桜花は戦闘になると別人みたいだね。
それから、桜花が大きく跳んだ。
ヒュドラの攻撃をかわし、少し離れた場所へ着地する。
……おっ。
何をするつもりだろう。
桜花は、ヒュドラの正面に立った。
四本の首が、揃ってこちらを向く。
そのまま、動かない。
……えっ?
桜花?
私は、思わず身を乗り出した。
ヒュドラは口を開き、また魔法を放とうとしている。
でも桜花は、慌てなかった。
一度、深く息を吸う。
それから、ゆっくり息を吐いた。
……あっ。
今、刀を納めた。
…………。
……なるほど。
私は、思わず口元を緩めた。
「おっ。ついに使っちゃうかぁ」
桜花の奥義。
【一閃 乱】。
普通の【一閃】とは違う、連続した斬撃を一瞬に叩き込む技。
……いや。
名前は知ってたけど、実際に使うところを見るのは初めてなんだよね。
……おお。
これは、ちょっと楽しみ!
私は、背筋を伸ばした。
宝箱も気になるけど、今だけは桜花を見逃したくない!
ヒュドラの四本の口が、一斉に光った。
炎が燃え上がる。
冷気が渦を巻く。
雷が弾ける。
……来る!
そう思った瞬間。
桜花が、前へ踏み込んだ。
…………。
……えっ?
今、何が起きた?
銀色の光が、一つ。
いや、二つ。
…………違う。
もっと、たくさん。
刀が抜かれた瞬間、いくつもの斬撃が重なったように見えた。
それぞれが違う方向へ走り、ヒュドラの四本の首を捉える。
さらに、胴体へ。
脚へ。
再生しようとする切り口へ。
……おおお!
速い!
……いや。
速いなんてものじゃない!
何度斬ったのか、私にも分からない。
刀の光が、ヒュドラの全身を一瞬で駆け抜けた。
「【一閃 乱】」
桜花の声が、広間に静かに響く。
次の瞬間。
ヒュドラの動きが、止まった。
…………。
……あれ?
倒れない?
そう思った直後。
四本の首が、ほとんど同時に崩れ落ちた。
続いて、巨大な身体が傾く。
……おっ!?
地響きのような音がして、ヒュドラが床へ倒れた。
周囲に砂埃が舞い上がる。
…………。
……おお。
……おおお!
私は、思わず立ち上がった。
「……すごい!」
ヒュドラは、もう動かない。
さっきまで何度斬っても再生していた首も、今度は元に戻らなかった。
……うん。
完全に倒したんだ。
私は、桜花を見た。
桜花は、刀を静かに納めていた。
銀色のおかっぱ頭が、砂埃の中で小さく揺れる。
……いやぁ。
すごいねぇ。
あれだけ苦戦していた相手を、一瞬で倒しちゃった。
……うん。
あの技、初めて見たけど。
とんでもないなぁ!
◇
「桜花ー!」
私は、桜花の方へ歩き出した。
桜花もこちらへ向かってくる。
いつもと変わらない落ち着いた表情。
……あれ?
でも、少し嬉しそうかな。
「お疲れさま、桜花!」
「はい。完了いたしました。少しタフでした」
「はははっ! 楽しそうだったよ?」
桜花が、ふっと微笑んだ。
「はい。久しぶりに、手応えのある相手でございました」
「そっかぁ。よかったねぇ」
私は、倒れたヒュドラを振り返った。
全長二十メートルくらいはありそうな大きな身体。
四本の首。
そして、あれだけの再生能力。
……うん。
SSランクって、やっぱりすごいんだね。
もっとも、桜花の奥義の方がすごかったけど。
「それにしても、【一閃 乱】ってすごいね」
「ありがとうございます」
「さっき、何回斬ったの?」
「正確な回数は、数えておりません」
「……えっ。桜花も?」
「はい。目の前の相手を倒すことに集中しておりましたので」
……ああ。
なるほど。
桜花らしいねぇ。
「でも、一瞬だったよね」
「はい」
「私には、刀が何本もあるみたいに見えたよ」
桜花が、少し考えるように視線を下げた。
「一度に斬るのではなく、限られた時間の中で斬撃を重ねております」
「……へぇぇ」
うん。
説明を聞いても、やっぱりすごいとしか言えないや。
私は、思わず笑った。
「桜花。お見事でした!」
「恐れ入ります」
桜花が、丁寧に頭を下げた。
……うん。
いいものを見せてもらったなぁ。
今日はダンジョンに来て、本当によかった。
…………。
さて。
…………。
桜花も戦い終わったことだし。
…………。
そろそろ。
「……宝箱!」
私は、思わず声を上げた。
桜花が、少し首を傾げる。
「リアリス様?」
「ボスを倒したんだから、今度こそ出てきたかもしれない!」
そうだよ!
さっきまではヒュドラがいたから、出てこなかったんだ!
でも、もう倒した。
ボス討伐のご褒美。
……あるでしょう!
……あるよね!?
私は、急いで広間を見回した。
ヒュドラが倒れていた場所。
その背後。
岩壁の窪み。
…………。
あれ?
……ない?
…………。
いや。
まだ慌てる時間じゃない!
もしかしたら、少し遅れて出現するのかもしれない。
……うん。
きっと、そうだ。
私は、ヒュドラの身体を避けながら奥へ進んだ。
さっき調べたはずの岩の裏を、もう一度覗く。
…………。
ない。
別の窪みへ向かう。
…………。
ない。
……おかしい。
今度こそ、出てくると思ったんだけどなぁ。
「桜花ー! そっちに宝箱ない?」
「少々お待ちくださいませ」
桜花も、近くの岩陰を確認してくれた。
……ああ。
ありがとう、桜花。
やっぱり優しいねぇ。
…………。
でも。
今のところ、何も見つかってない。
……あっ。忘れるところだった。
ヒュドラも回収しておかないとね。
SSランクの魔獣なんて、そうそう手に入らないもんねぇ。
私は、広間の中央に倒れたヒュドラへ目を向けた。
「《収納》」
巨大な胴体と斬り落とされた首が、まとめて《収納》へ収まっていった。
……うん。こちらは大収穫だね!
あとで素材を確認するのが楽しみだ。
…………。
……でも、肝心の宝箱はまだ見つかってないんだよね。
……いや。
まだ、ほかにも探せる場所はある!
私は再び歩き出した。
……待ってろよ、宝箱!
初めてのダンジョン探索。
最後まで、諦めるつもりはないからね!
…………。
……せっかくだし、一個くらいあってもいいと思うんだけどなぁ。




