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第2話:置き去りの荷物持ち

 四階層目へ続く階段を下りながら、私は少しだけ首を傾げた。


 ……あれ?


 何だか、さっきより静かじゃない?


 一階層目では小さな魔獣が歩き回り、二階層目では何度も魔獣に飛びかかられた。


 三階層目なんて、通路の先からファイアウルフが走ってきたくらいだ。


 それなのに、今は足音しか聞こえない。


 ……こういう静かな場所って、逆に何かありそうだよね。


「桜花。ちょっと雰囲気が違うね」


「はい。階段の先から、これまでより強い魔獣の気配を感じます」


「……おっ。やっぱり?」


「ですが、すぐ近くにはおりません」


「そっかぁ」


 私は、暗い階段の先を見つめた。


 ……ふむ。


 強い魔獣がいる。


 しかも、急に静かになった。


 …………。


 ここまでくると、何となく期待しちゃうじゃない?


「桜花」


「はい」


「四階層目なら、そろそろ宝箱がありそうじゃない?」


「……まだ諦めていらっしゃらなかったのですね」


「もちろん!」


 だって、ダンジョンだよ?


 一階層目から三階層目まで、一つもなかったんだよ?


 それなら、下の階層にまとめて置いてある可能性だってあるでしょう!


 ……あるよね?


 桜花は私の顔を見て、少しだけ微笑んだ。


「見つかるとよろしいですね」


「うん!」


 ……よし。


 まだまだ希望はある!


 私は元気よく頷き、最後の一段を下りた。


     ◇


 四階層目は、今までの場所とは少し様子が違っていた。


 通路が広い。


 天井も高く、ところどころに大きな岩の柱が立っている。


 壁には爪で引っかいたような跡が残っていて、足元には小石が散らばっていた。


 ……おお。


 何だか、本格的になってきたねぇ。


「リアリス様。足元に何かございます」


「ん?」


 桜花の視線を追うと、岩陰に丸いものが転がっていた。


 白っぽくて、少し欠けている。


 ……石?


 私は近づいて、それを覗き込んだ。


 …………。


 …………えっ?


「……これ、頭蓋骨?」


「はい。人骨のようでございます」


「……あらぁ」


 私は思わず、周りを見回した。


 少し先には、折れた剣が落ちていた。


 その近くには、ぼろぼろになった革の防具。


 さらに奥にも、骨らしきものがいくつか見える。


 ……なるほど。


 さっきまでと違って、ここは本当に危険な場所なんだね。


 三階層目で怪我をしていた冒険者たちの顔が浮かぶ。


 あの人たちも、もう少し先へ進んでいたら危なかったのかもしれない。


「……何人か、ここで亡くなったのかな」


「そのようでございます」


「そっか……」


 私は、短く息を吐いた。


 どこの誰なのかは分からない。


 いつ亡くなったのかも分からない。


 でも、ここまで来た人たちにも、帰りを待っている人がいたんだろうね。


 ……こういうのを見ると、冒険者って本当に命がけなんだなって思うよ。


「リアリス様」


「うん。大丈夫」


 桜花の声に頷いた。


「先へ進もう。ただし、周りはよく見ておこうね」


「かしこまりました」


 ……まあ、もともと宝箱を探すために、隅々まで見て回るつもりだったんだけど。


 …………。


 いや。


 さすがに今は、そっちより安全確認が先だね。


 私は少し気持ちを引き締め、通路の奥へ向かった。


 しばらく進むと、岩の向こうから低い唸り声が聞こえてきた。


「……おっ?」


 現れたのは、緑がかった皮膚を持つ大きな人型の魔獣だった。


 一階層目や二階層目で見た小型の魔獣とは、明らかに体格が違う。


 片手には太い棒のようなものを持っている。


「……オーク、かな?」


「そのようでございます」


「うわぁ。大きいねぇ」


 魔獣は私たちを見つけると、棒を振り上げて走ってきた。


 ……あっ。


 話し合いとかは、無理そうだね。


「桜花、お願いできる?」


「はい」


 桜花が一歩前へ出る。


 振り下ろされた棒が、床を叩いた。


 鈍い音が通路に響く。


 ……おお。


 あれを普通に受けたら、かなり痛そう。


 だけど、桜花はそこにはもういなかった。


 魔獣の横へ滑るように移動し、刀を一度だけ振るう。


 巨大な身体が、重たい音を立てて倒れた。


「完了いたしました」


「ありがとう、桜花」


 ……うん。


 頼もしいねぇ。


 でも、こんなのが普通に出てくるなら、かなり危険な階層なんじゃないかな。


 三階層目の冒険者たちが引き返したのも、納得だ。


 私は倒れた魔獣を見たあと、通路の奥を覗いた。


 ……あ。


 壁際に、ちょうど箱が置けそうな窪みがある。


 …………。


 ちょっとくらい、確認してもいいよね?


「リアリス様?」


「いやぁ。念のため、あそこを見てこようかなって」


「……宝箱でございますか?」


「……はい」


 桜花が小さく笑った。


 ……あっ。


 もう隠しきれてない!


 私は窪みに近づき、奥を確認した。


 ……うん。


 石しかありませんでした。


 …………。


 いやいや!


 まだ四階層目に入ったばかりだからね!


 ここで諦めたら、宝箱に失礼でしょう!


 ……宝箱があるかどうかも分からないけど。


     ◇


 その後も私たちは、四階層目を進んでいった。


 曲がり角では、石を積み重ねたような魔獣が道を塞いでいた。


 ゴーレム、というやつらしい。


 ……いやぁ。


 こんなのまで自然に生まれるんだねぇ。


 私が感心している間に、桜花が剣の柄へ手をかけた。


「リアリス様。討伐してもよろしいでしょうか」


「うん。お願い」


 大きな腕が伸びてくる。


 桜花はその攻撃を避け、横へ回り込んだ。


 次の瞬間、石の身体に亀裂が入る。


 ……おお。


 硬そうなのに、普通に斬れるんだ。


 ゴーレムは、がらがらと崩れ落ちた。


「……すごいね、桜花」


「ありがとうございます」


「私だったら、刀が折れないか心配になるよ」


「こちらの刀は、簡単には折れませんので」


「……ああ。そうだったね」


 そういえば、この刀も普通の武器ではなかった。


 ……うん。


 うちの家族って、道具まで規格外なんだよね。


 私は崩れた石を眺めてから、別のことに気づいた。


「……あれ?」


「いかがなさいましたか?」


「今、ものすごく宝箱が出てきそうな場所だったよね?」


 曲がり角。


 大きな魔獣。


 そして、その奥へ続く短い通路。


 ……どう考えても、宝箱を置きそうな場所じゃない?


「リアリス様。あちらは行き止まりのようでございます」


「……おっ!」


 私は、すぐに駆け寄った。


 通路の一番奥を確認する。


 左の壁。


 右の壁。


 床の隅。


 …………。


 ない。


「……あれぇ?」


「ございませんね」


「うん……」


 ここにもない。


 ……何でだろう。


 もしかして、宝箱ってすっごく貴重なものなのかなぁ。


 ダンジョンに潜って、何日も探して、ようやく一つ見つかるとか。


 ……うん。


 それなら、今まで見つからなかったのも納得できる。


 ……たぶん。


「リアリス様。先へ進まれますか?」


「あっ、うん。そうだね」


 私は気を取り直し、桜花と並んで歩き出した。


 すると。


 どこか遠くから、かすかな音が聞こえてきた。


 ……ん?


 魔獣の唸り声じゃない。


 何か、硬いものを地面に引きずるような音。


 それから。


「……たす……」


 …………。


 今、声がしなかった?


「桜花」


「はい。私にも聞こえました」


 桜花の表情が変わった。


「人の声のようでございます」


「うん。行ってみよう」


 私は足を速めた。


 ……無事だといいんだけど。


 声がした方へ進むと、通路の端に大きな岩があった。


 その陰に、誰かが倒れている。


 まだ若そうな男性だった。


 獣人らしい耳が、頭の上で力なく垂れている。


 身体にはいくつもの傷があり、片脚は不自然な方向を向いていた。


 服のあちこちに血が滲んでいる。


 ……うわぁ。


 これは、かなりひどいね。


「大丈夫ですか!」


 私が声をかけると、男性がわずかに目を開いた。


「……にげ……ろ……」


 掠れた声だった。


「えっ?」


「……この……先に……メガボアと……スライムが……」


 男性は、必死に腕を上げようとした。


 でも、途中で力が抜けてしまう。


「……逃げろ……」


 ……自分の方が、よっぽど危なそうなんだけど。


 私は男性の隣へしゃがみ込んだ。


「まずは、そちらの怪我を何とかしないとね」


「……だめ……だ……」


「大丈夫、大丈夫。すぐ終わるから」


 男性の肩へそっと手を置く。


「《完全回復》」


 魔法を発動した。


 男性の身体についていた傷が、みるみる消えていく。


 曲がっていた脚が元に戻り、血の滲んだ服の下から、健康な肌が覗いた。


 ……うん。


 これで大丈夫かな。


「……え?」


 男性が目を見開いた。


 腕を動かし、脚を曲げ伸ばしする。


 そして、信じられないという顔で私を見た。


「……傷が……ない?」


「うん。治したよ」


「……治した?」


「うん」


「……全部?」


「全部」


 男性は、しばらく口を開けたままだった。


 ……あれ?


 そんなに驚くことかな?


 …………。


 いや、驚くか。


 この世界では、簡単な怪我なら治療できても、重傷を完全に治すのは難しいんだった。


「……元神官、なのか?」


「えっ?」


「今の……回復魔法だろ? 神官でも、あんなのは……」


 ……ああ。


 そういうことね。


「違うよ。あんなの崇めてないし」


「……は?」


「いや、何でもない。とにかく、神官ではないよ」


 ……うん。


 神様とは顔見知りだけど、お祈りしてるわけじゃないからね。


 それに。


 ……神様の方が、たまに私に頼みごとをしてくるし。


 そんな事情を話したら、余計に混乱しそうだ。


 男性は、まだ半信半疑の顔で自分の腕を触っていた。


「……本当に、痛くない」


「よかった。立てそう?」


「あ、ああ……」


 男性は、ゆっくり立ち上がった。


 脚を地面につけ、何度か確かめるように歩く。


「……動く……」


 そして、急に私へ向き直った。


「ありがとう! 本当に、ありがとう!」


「どういたしまして」


 男性は深々と頭を下げた。


 ……うん。


 元気になってよかった。


 さっきまで本当に危なそうだったもんね。


「リアリス様」


 桜花が、周囲を見回しながら声をかけてきた。


「ここに長く留まるのは、危険かもしれません」


「あっ、そうだね」


 私は男性に向き直った。


「ちょっと聞いてもいい?」


「何でも聞いてくれ!」


「どうして、こんなところで一人で倒れてたの?」


 男性の表情が曇った。


「……ああ」


 その声は、急に小さくなった。


「実は……俺、冒険者の荷物持ちとして、ここに来たんだ」


「荷物持ち?」


「ああ。俺の名前はナグア。獣都で、冒険者の荷物運びをしてる」


「ナグアさんだね。私はリオン。こちらは桜花」


 ギルドで使っている名前を名乗ると、ナグアさんは小さく頷いた。


「リオンさん、桜花さん……本当に助かったよ」


「それで、荷物持ちって?」


「冒険者たちが倒した魔獣の素材を運ぶ仕事さ。運びきれないと、稼ぎにならないだろ?」


「なるほど」


 さっき二階層目で会った冒険者たちを思い出した。


 あの三人も、大きな袋を背負っていた。


 強い魔獣を倒せる人が多くても、素材を運ぶのは別の大変さがあるんだね。


「今回はAランクの冒険者がいるパーティーに雇ってもらったんだ」


「へぇ。Aランク?」


「ああ。だから、奥まで行っても大丈夫だと思ってた」


 ナグアさんが、俯いた。


「俺も、もう少し稼ぎたかったんだ。いつもは浅い階層ばっかりだから」


 ……そうか。


 荷物持ちでも、危険な場所へ行けば報酬が変わるのかな。


 私は黙って続きを待った。


「四階層目に入ってから、魔獣が急に強くなったんだ」


 ナグアさんは、奥へ続く通路を見た。


「でかいメガボアが出てきて……俺、逃げる途中で転んで、脚をやっちまった」


「……うん」


「そしたら……みんな、そのまま走っていって……」


 言葉が途切れた。


 ……ああ。


 何となく、分かっちゃった。


「……置いていかれたの?」


 ナグアさんは、しばらく黙っていた。


 それから、ゆっくり頷いた。


「……ああ」


 ……そっか。


 私は、隣の桜花を見た。


 桜花も私を見返して、小さく息を吐く。


 ……うーん。


 ひどい話だね。


 危険な場所で荷物持ちを置いていくなんて。


 しかも、脚を折って動けなくなった人を。


「Aランクの冒険者さんも、逃げるしかなかったのかな」


 そう尋ねると、ナグアさんは苦しそうな顔をした。


「……分からない。でも……『荷物は捨てろ』って言われて……俺が転んだら……」


 ナグアさんの声が震えた。


「振り返ってくれなかった」


 ……あらぁ。


 それは、かなりまずいんじゃない?


 私はもう一度、桜花を見た。


 今度は桜花の方が先に口を開いた。


「リアリス様。そのAランクの冒険者、殺しますか?」


「いやいやいや!」


 ……ちょっと待って!


 真顔で何を言い出すの!?


「桜花、いきなり殺すのはだめ!」


「承知いたしました」


「こういうのは、ギルドに報告すればいいでしょう?」


「かしこまりました」


 ……うん。


 素直に頷いてくれた。


 でも、その顔。


 あまり納得してない気もするんだけど……。


「桜花?」


「リアリス様のご判断に従います」


「……うん。ありがとう」


 ナグアさんが、私たちを交互に見ていた。


「……えっと」


「ああ、ごめんね。桜花、身内がひどい目に遭う話にはちょっと厳しくて」


 桜花が、静かに首を傾げる。


 ……あっ。


 身内っていうか、今回は初対面だったね。


 まあ、怪我をしてる人を置き去りにするなんて、誰が相手でも嫌だよね。


「ナグアさん。雇い主の冒険者が誰だったかは覚えてる?」


「ああ。名前も顔も覚えてる」


「じゃあ、獣都に戻ったら、ギルドに報告してくれるかな」


「……信じてもらえるかな」


「そこはギルドの人に判断してもらおう。少なくとも、何も言わないよりはいいと思うよ」


 ナグアさんは、ゆっくり頷いた。


「……分かった。話してみる」


「うん。それがいいね」


 ……さて。


 怪我は治ったけど、このまま帰して大丈夫かな。


 場所が場所だからねぇ。


 私は、ナグアさんの足元へ目を向けた。


 そこには、大きな背負い袋が転がっていた。


 肩紐が片方切れている。


 ……ああ。


 これを背負って逃げていたのか。


「その荷物、どうする?」


「……あっ」


 ナグアさんが袋を見た。


 少し迷ったあと、口を結び直す。


「これは……俺が運んでた分だ。中身は素材だけど……」


「そっか。じゃあ、持って帰れるようにしよう」


 私は荷物を起こして、切れた肩紐を一緒に結んだ。


 ……うん。


 応急処置だけど、これなら運べそう。


 ナグアさんは、目を丸くしていた。


「……そんなことまで、してくれるのか?」


「えっ? このくらい普通でしょう?」


「……そう、なのかな」


 ……あれ。


 変なことした?


 桜花が、少し離れたところで微笑んでいる。


 ……まあ、いっか。


     ◇


「それにしても、ここは静かだねぇ」


 私は、奥の通路へ目を向けた。


 ナグアさんと話し始めてから、魔獣の姿が見えない。


 ……いや。


 これだけ血の匂いがしていたら、何か寄ってきそうなんだけど。


「……静か?」


 ナグアさんが、私の言葉を繰り返した。


「うん。さっきまで魔獣が結構いたんだけど」


「……ま、まさか……」


 急に、ナグアさんの顔色が変わった。


 ……あれ?


「どうしたの?」


「……あいつだ」


「……あいつ?」


 ナグアさんが、震える手で通路の奥を指した。


 私はそちらへ目を向ける。


 暗い通路。


 湿った岩壁。


 その向こうから、何か小さなものが跳ねる音が聞こえた。


 ……ぽよん。


 ……ぽよん。


 …………。


 ……えっ?


 今、何の音?


 私は、少しだけ身を乗り出した。


 暗がりの中に、赤いものが見える。


 つやつやした表面。


 丸くて、少し透き通っている。


 床に触れるたびに形が変わり、次の瞬間にはまた丸く戻る。


 …………。


 ……おお。


「……スライム?」


 私は、思わず声を上げた。


 赤い。


 丸い。


 ぷるぷるしてる。


 ……おおお!


 スライムだ!


 これも、異世界もののお約束じゃないか!


 ダンジョンがあったんだから、スライムだっていて当然だよね!


 ……いやぁ。


 今日はいろんなものに出会えるねぇ!


「桜花、見て! スライム!」


「はい。あちらの魔獣でございますね」


「うん! 何だか可愛いねぇ!」


 桜花は、その赤い塊をじっと見つめた。


「……リアリス様。あまり近づかれない方がよろしいかと」


「えっ? どうして?」


「これまでの魔獣とは、気配が異なります」


 ……へぇ。


 そうなの?


 私は、もう一度スライムを見た。


 大きさは、抱えられそうなくらい。


 小さく上下に弾んでいる。


 見た目だけなら、庭に置いたら可愛い置物になりそうだ。


 …………。


 いや。


 さすがに庭にスライムを置いたら、巴さんに怒られるかな。


 カトレアは喜びそうだけど……。


「こんなの、村の近くにもいそうじゃない?」


「何言ってんだよ!!」


 ナグアさんが叫んだ。


 ……うわっ!


 びっくりした!


「そんなのが村の近くにいたら、大騒ぎになるぞ!」


「……えっ?」


「スライムだぞ!? スライム!」


「う、うん。見れば分かるけど……」


「Aランクの魔獣なんだよ!!」


 …………。


 …………えっ?


「……Aランク?」


「ああ!」


「……この子が?」


「この子って言うな!」


 ……おお。


 すごい勢いだ。


 いや、待って。


 Aランクって、かなり危険な魔獣だったよね。


 ……スライムが?


 あの、ぷるぷるしてるやつが?


 …………。


 異世界のスライムって、もうちょっと弱いものじゃないの!?


 私は改めて、赤い塊を見た。


 スライムは、何事もなかったようにぽよんと跳ねた。


 ……かわいい。


 …………。


 いや、だから。


 あれがAランク!?


「本当に?」


「本当だって! あいつに捕まったら、普通の冒険者じゃひとたまりもない!」


「へぇぇ……」


 私は、感心してしまった。


 ……見た目で判断しちゃいけないってことだね。


 それにしても、スライムがAランク。


 じゃあ、さっきのオークやゴーレムより強いんだ。


 ……何だか、納得いかないなぁ。


 私は小さな声で桜花へ尋ねた。


「……桜花、知ってた?」


「魔獣として危険であることは感じておりましたが、ランクまでは存じませんでした」


「……だよねぇ」


 桜花が静かに頷く。


 ……うん。


 まあ、桜花ならどちらにしても問題はなさそうだけど。


 それにしても。


 この世界の常識って、時々ものすごく意地悪じゃない?


 スライムは弱くて、ドラゴンは強くて。


 そういう分かりやすいお約束でいいじゃない!


 ……いや。


 ドラゴンも、最初に会ったのがヴィクサスだったっけ。


 ……うん。


 あれは、むしろ強すぎたね。


 スライムは、少しずつこちらに近づいてきていた。


 床を跳ねるたび、柔らかそうな身体が伸び縮みする。


 ……ぽよん。


 ……ぽよん。


 …………。


 ああ。


 やっぱり見た目だけなら、かわいい。


「……お、おい」


 ナグアさんが後ずさった。


「来てるぞ……!」


「うん。来てるね」


「落ち着きすぎだろ!?」


 ……あれ?


 そんなに変かな。


 まあ、さっきまで死にかけてたんだもんね。


 怖いに決まってるか。


 私は、少し考えた。


 ナグアさんは、もう十分怖い思いをしている。


 怪我も治したし、このままダンジョンに留まる理由はないよね。


 ……うん。


 帰ってもらおう。


「ところで、ナグアさん」


「な、何だ!?」


「ダンジョン探索は、ここで終わりにする?」


「……当たり前だろ! もう帰るよ!」


「そっか。じゃあ、入口まで送るね」


「……送る?」


「うん。獣都までの道は分かる?」


「そ、それは分かるけど……」


「じゃあ、入口に出たら、そのまま獣都へ戻ってね」


 私は、ナグアさんの背負い袋を見た。


 ……うん。


 荷物も持ってる。


 怪我もない。


 これなら大丈夫でしょう。


「えっと……入口って、ここからかなり遠いんだけど」


「大丈夫、大丈夫」


 私は笑って答えた。


「《転移》」


 その瞬間、ナグアさんの姿が消えた。


 背負い袋も一緒に。


 ……うん。


 ちゃんと入口の前に送れたね。


 脳内マップには、森の入口付近にいるナグアさんの位置が示されている。


 ……あっ。


 何だか、すごい勢いで周囲を見回してるみたい。


 …………。


 うん。


 そりゃびっくりするよね。


 でも、元気そうで何よりだ。


     ◇


「さて、桜花」


「はい」


「これで一安心だね」


「はい。無事にお帰りになれるかと存じます」


「うん。それならよかった」


 私は、奥へ続く通路を見た。


 例の赤いスライムは、まだそこにいた。


 ……ぽよん。


 ……ぽよん。


 …………。


 かわいいなぁ。


 でも、Aランクなんだよね。


 …………。


 うーん。


「……リアリス様」


「うん?」


「スライムが、こちらを向いております」


「あっ、ほんとだ」


 ……いや。


 顔がないから、どこが前なのか分からないんだけど。


 スライムは、少しだけ身体を膨らませた。


 そして、勢いよく飛び跳ねる。


 ……おっ!?


 さっきまでの、のんびりした動きとはまるで違った。


 一瞬で距離を詰め、私たちの目の前まで飛んでくる。


 ……へぇ!


 速い!


 私が感心していると、桜花がすっと前へ出た。


「リアリス様」


「うん。大丈夫だよ」


 私の《絶対防御》なら、この程度の攻撃は問題にならない。


 桜花にも、同じような守りがある。


 ……それに。


 こんな可愛い見た目で、Aランク。


 普通の人が出会ったら、とんでもない目に遭うだろうね。


 私は、スライムへ目を向けた。


 赤い身体が、空中で大きく広がっている。


 ……おお。


 伸びるんだねぇ。


 …………。


 あっ。


 感心してる場合じゃないか。


「《即死》」


 私は、歩き出しながら魔法を発動した。


 空中にいた赤いスライムが、ぴたりと動きを止める。


 そのまま、床へ落ちた。


 ……ぺちゃ。


 …………。


 ……おお。


 ずいぶん柔らかそうな音がしたね。


「討伐できたかな?」


「はい。生命反応はございません」


「そっか。ありがとう」


 ……うん。


 Aランクのスライム、討伐完了。


 …………。


 いや、待って。


 何か、ものすごく普通に倒しちゃった気がする。


 スライムといえば、序盤の魔獣。


 だから、つい。


 ……あれ?


 Aランクなら、もう少し緊張した方がよかったのかな?


 私は、床に広がった赤い塊を見下ろした。


 …………。


 うん。


 見た目のかわいさと強さは、別物。


 これは覚えておこう。


 ……でも、村の近くにいそうって言ったのは、ちょっと失礼だったかもしれないね。


「リアリス様。先へ進まれますか?」


「うん。そうしよう」


 私は頷いて、奥へ進んだ。


 しばらく歩くと、前方から重たい足音が聞こえてきた。


 ……どすん。


 ……どすん。


 …………。


 今度は、何かな?


 曲がり角の向こうに現れたのは、とんでもなく大きな猪のような魔獣だった。


 黒っぽい毛。


 太い脚。


 それから、左右に伸びる大きな牙。


 ……うわぁ。


 これは、さすがにかわいいとは言えないかな。


「……メガボア?」


「先ほどナグア様がおっしゃっていた魔獣かと」


「そっか。これかぁ」


 私たちを見つけたメガボアが、地面を蹴った。


 ……おお!


 すごい勢いだ!


 あの巨体で突進されたら、普通の冒険者は避けるのも大変そう。


 私は、ナグアさんの曲がっていた脚を思い出した。


 ……そうか。


 あれから逃げて、転んじゃったんだね。


「桜花。お願いできる?」


「かしこまりました」


 桜花が前へ出る。


 メガボアが、牙を突き出して突進してきた。


 ……うん。


 勢いだけなら、なかなか迫力がある。


 だけど桜花は、いつもどおり落ち着いていた。


 直前まで引きつけてから、軽く横へ跳ぶ。


 すれ違いざまに、刀が一閃した。


 大きな身体が、勢いを失って崩れ落ちる。


 ……おお。


 やっぱり速いねぇ。


「討伐いたしました」


「ありがとう、桜花」


「いえ」


 桜花は静かに刀を納めた。


 私は、倒れたメガボアを見下ろした。


「ナグアさん、これに追いかけられたんだねぇ」


「そのようでございます」


「うん。怖かっただろうなぁ」


 ……怪我だけで済んで、本当によかった。


 私たちには大したことがない相手でも、ほかの人にとっては命に関わる魔獣なんだ。


 ……改めて、気をつけないとね。


     ◇


 ナグアさんを助けてから、少しずつ奥へ進んだ。


 岩壁の形が変わり、道幅もさらに広くなってきた。


 ……ふむ。


 もしかして、次の階層が近いのかな。


 私は、左右の壁を見比べた。


 さっきまで何度も探していたお宝のことを、また思い出す。


 …………。


 そう。


 宝箱。


 ……結局、四階層目にもまだ見つかってないんだよね。


「桜花」


「はい」


「……宝箱、ないね」


「そうでございますね」


「ここまで来ても、一つもないんだよ?」


「はい」


「……もしかして、誰かが先に全部持って帰っちゃったのかな」


 桜花が、少し考えるような顔をした。


「先ほどの冒険者の方々は、魔獣の素材を持ち帰っておられましたが、箱のようなものはございませんでした」


「うん。それなんだよねぇ」


 ……宝箱があれば、誰かが話しててもよさそうなんだけどな。


 受付の人も、ダンジョンの仕組みを教えてくれた。


 でも、宝箱については何も言わなかった。


 …………。


 ……あれ?


 何だか、嫌な予感がしてきたぞ。


「……桜花」


「はい」


「このダンジョンって、もしかして宝箱が……」


 私は、途中で言葉を止めた。


 …………。


 いやいやいや!


 まさか、そんな!


 ダンジョンに宝箱がないなんて、そんなこと……。


 …………。


 ……いや、待て、まだ慌てる時間じゃない?


「リアリス様?」


「……いや。何でもない」


 私は、首を振った。


 だって。


 まだ見てない場所だってあるんだよ!


 きっと、もう少し先には……。


 ……うん。


 希望を捨てちゃ駄目だね!


「よし。先へ行こう!」


「はい」


 桜花が、少しだけ笑った。


 ……あれ?


 今の笑顔、何となく意味深だったような。


 いや。


 気のせい、気のせい。


 私たちは、そのまま通路を進んだ。


 やがて、前方に大きな階段が現れた。


 下から、冷たい風が吹き上がってくる。


 ……おっ。


 また次の階層だ!


「桜花。五階層目だね」


「はい」


「……ここまで来たら、きっと何かあるよね?」


「そうであるとよろしいですね」


「うん!」


 私は、階段の前で立ち止まった。


 ……それにしても。


 ダンジョンって、不思議だなぁ。


 魔獣が多いのは分かった。


 冒険者たちが素材を集めに来るのも分かった。


 でも、あんなに危険な場所で怪我をしても、仲間に置き去りにされるなんて思わなかった。


 ……ああいうのは、見過ごせないね。


 獣都に戻ったら、私からもギルドへ報告した方がいいかな。


 ナグアさん一人だと、うまく説明できないかもしれないし。


 ……うん。


 それは帰ってから考えよう。


 今は、まずこのダンジョンを楽しもう。


 私は、再び階段へ目を向けた。


 ……次は五階層目。


 普通の冒険者なら、慎重に考えるところなんだろう。


 でも、私の隣には桜花がいる。


 何かあれば、すぐに戻ればいい。


 ……それに。


 まだ、宝箱を一つも見つけてないんだから!


「それじゃあ、桜花。行こうか!」


「はい。リアリス様」


 桜花が、静かに頷いた。


 私は、期待を胸に階段へ一歩足を踏み出した。


 ……さてさて。


 五階層目には、いったい何が待っているんだろうねぇ。

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