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第1話:ダンジョン!

 平和だなぁ。


 私は、湯気の立つ味噌汁を前に、しみじみそう思った。


 今朝は、獣人国邸で朝食をいただいている。


 窓の外には、よく手入れされた庭と、朝の光を浴びた木々が見える。


 テーブルには白いご飯、焼き魚、だし巻き卵、根菜の煮物。


 それから、ほどよく漬かったお漬物。


 ……ああ。


 幸せだねぇ。


「リアリス様。お茶のおかわりはいかがでしょうか」


 銀色のおかっぱ頭を揺らして、桜花が尋ねてきた。


「うん。ありがとう、桜花」


 湯呑みを差し出すと、桜花は静かにお茶を注いでくれる。


 ちなみに、向かい側ではキャッツさんが、焼き魚をものすごい勢いで食べていた。


「……キャッツさん。それ、もう二匹目じゃない?」


「はい。今朝のお魚、とてもおいしくて」


「それはいいんだけど、骨には気をつけてね」


「大丈夫です。骨はきれいに取っていますから」


 胸を張って答えるキャッツさん。


 ……いや、食べるの速いのに、そこは妙に丁寧なんだね。


 隣では菖蒲が、小さく頷いていた。


 白から紫へと色の変わる短い髪が、朝の光に透けて見える。


「本日の魚は、獣都で仕入れたものでございます」


「へぇ。やっぱり獣人国は魚がおいしいね」


「はい。キャッツも気に入っております」


「……うん。それは見れば分かるかな」


 私たちが話している間にも、キャッツさんの皿はきれいになっていた。


「おかわり、いただいてもよろしいでしょうか」


 ……三匹目!?


 菖蒲が静かに立ち上がる。


「用意してまいります」


「ありがとう、菖蒲」


 私は思わず笑ってしまった。


 こうして家族と食卓を囲む時間が、私は好きだ。


 異世界に転生してから、いろんな国へ行った。


 王様と話したり、神様の落とし物を拾ったり。


 戦争を終わらせたこともあれば、王都を襲う魔獣と戦ったこともある。


 学校まで作っちゃったし、孤児院も作っちゃった。


 ……うん。


 並べてみると、なかなか落ち着きのない人生だね。


 私は、ただのんびり暮らしたいだけなのになぁ。


「リアリス様。何かお考えでしょうか」


 桜花が私の顔を覗き込んだ。


「いやぁ。最近、冒険者らしいことをあまりしてないなって」


「冒険者、でございますか」


「うん。私、今でもFランクなんだよね」


 転生して最初の日に登録してから、いろいろあった。


 事情があって今の冒険者登録名は『リオン』になっているけれど、ランクは変わらずFのまま。


 もちろん、昇格する気はない。


 だって、Fランクって何だか気楽そうでしょう?


 ……実際には、周りがそうさせてくれないことも多いんだけど。


「せっかく獣人国に来てるんだし、ギルドを覗いてみようかな」


「依頼をお受けになるのですか?」


「うん。面白そうなのがあればね。普通の討伐とか、採取とか」


 桜花が少し考える。


「かしこまりました。私もご一緒いたします」


「ありがとう。じゃあ、ご飯を食べ終わったら行こうか!」


 私は、最後の一口を口に運んだ。


 ……おいしい。


 こんな朝ご飯のあとに、気ままに冒険者の仕事をする。


 ああ。


 これだよ、これ。


 私が思い描いていた異世界生活って、こういうのだったんだよね!


 ……この時点では、そう思っていた。


     ◇


 獣都ヴォルグリム。


 獣人国の中心にある大きな街は、今日も賑やかだった。


 犬の顔をした人。


 猫の顔をした人。


 耳の長い兎の獣人や、立派な角を持つ獣人もいる。


 人間も見かけるけれど、やっぱりこの国では獣人の方がずっと多い。


 ……何度来ても面白いなぁ。


 あ、あそこを歩いている子、耳がぴくぴく動いてる。


 …………。


 いけない、いけない。


 見つめすぎたら失礼だよね。


「リアリス様。ギルドはこちらでございます」


 桜花に声をかけられて、私は視線を戻した。


「ありがとう。つい周りを見ちゃって」


「楽しそうで何よりでございます」


 桜花の口元が少し緩む。


 ……ああ。


 見慣れたはずの異世界でも、まだまだ新しい発見があるね。


 私たちは通りを進み、冒険者ギルドの建物へ向かった。


 獣都のギルドは、王都クーラルのものより少し横幅が広い。


 入口の扉も大きく、どうやら身体の大きな獣人でも通りやすい造りになっているらしい。


 ……なるほど。


 熊の獣人さんなんか、普通の扉だと窮屈そうだもんね。


「お邪魔しまーす」


 扉を開けると、賑やかな声が飛び込んできた。


「その素材は俺たちが先に見つけたんだ!」


「拾っただけだろうが!」


「おいおい、ここで喧嘩すんな!」


 ……おお。


 活気があるねぇ。


 受付の前には依頼を終えたらしい冒険者たちが並び、奥のテーブルでは装備の手入れをしている人たちがいる。


 大きな爪を持つ獣人が器用に紐を結んでいるのを見ると、少し不思議な気分になった。


 いや、失礼か。


 あれも普通の手なんだよね。


「まずは掲示板だね」


「はい」


 ギルドの壁いっぱいに貼られた依頼書へ向かう。


 採取依頼。


 討伐依頼。


 護衛依頼。


 配送依頼。


 ……うん。


 懐かしい。


 昔は薬草を採ろうとして邪竜を倒したり、普通の依頼を受けたつもりで大騒ぎになったりしたっけ。


 …………。


 あれ。


 普通の仕事をした記憶が、意外と少ないぞ?


「リアリス様。こちらに採取依頼がございます」


「おっ。本当?」


「はい。珍しい薬草を探しているようでございます」


 桜花が指した紙には、採取場所と報酬が書かれていた。


 うん。


 こういうの、いいねぇ。


 森へ行って、薬草を探して、ギルドへ持って帰る。


 誰にも怒られないし、王様が気絶することもない。


 ……多分。


 私はその隣に貼られている討伐依頼へ目を向けた。


 さらに、その隣の護衛依頼へ。


 どれも面白そうだなぁ。


 さて、今日は何をしようか。


 そう考えながら、掲示板の端へ視線を移したときだった。


「…………ん?」


 見慣れない張り紙があった。


 普通の依頼書とは違って、報酬額も依頼人の名前もない。


 少し大きめの紙に、何かの地図と説明が書かれている。


 私は、首を傾げた。


「……ダンジョン?」


 …………。


 ……えっ?


 私は、思わず紙へ顔を近づけた。


 そこには、間違いなく書かれていた。


 ――ダンジョン所在地案内。


「ダンジョン!?」


 声が大きくなった。


 近くにいた冒険者が何人か、こちらを振り返る。


 …………。


 ……あっ。


 ごめんなさい。


 でも、待って。


「この世界、ダンジョンなんてあったの!?」


 また声が出てしまった。


 桜花が隣で瞬きをする。


「リアリス様。ダンジョンをご存じなのですか?」


「うん! 知ってるっていうか、前にいた世界の物語によく出てきたんだよ!」


 暗い迷宮。


 危険な魔物。


 行く手を塞ぐ罠。


 隠された財宝。


 そして、奥深くで待ち構える強大なボス!


 ……おおお。


 まさに、異世界もののお約束じゃないか!


 いやぁ。


 ドラゴンも見た。


 勇者にも会った。


 魔王とも知り合った。


 だけど、まだダンジョンには行ってなかった!


 ……何で今まで気づかなかったんだろう。


 私は、慌てて張り紙を読み始めた。


 地図には、獣人国の中にある四つの場所が示されている。


 獣都から北東へ進んだ森。


 南にある山岳地帯。


 海沿いの町から向かう洞穴。


 それから、湖の近くに広がる岩場。


 ……おお。


 四つもあるの!?


「桜花、見て! ここにも、ここにもある!」


「はい。いくつか存在しているようでございます」


「私、今まで普通の森で魔獣を探してたよ!」


「そうでございますね」


「……いやぁ。もったいないことしたなぁ!」


 桜花は、少し楽しそうに私を見ている。


 うん。


 これは、ぜひ行ってみたい!


 でも。


 さすがに何も知らないまま突撃するのは、よくないよね。


 ……私も少しは成長したんですよ。


「桜花。受付で聞いてみよう」


「かしこまりました」


 私たちは、張り紙をもう一度見てから受付へ向かった。


     ◇


「すみませーん。ちょっと教えてもらいたいんですけど」


 受付にいたのは、狐の獣人らしい女性だった。


 ふさふさした尻尾が椅子の後ろから覗いている。


 ……あ。


 あの尻尾、すごく柔らかそう。


 …………。


 いやいや。


 今は仕事の話だ。


「はい。どのようなご用件でしょうか」


 受付の女性が丁寧に頭を下げた。


「掲示板にダンジョンの案内があったんですけど、あれって何なんですか?」


「ダンジョン、でございますか?」


「はい。ちょっと気になって」


 女性は一度瞬きをしたあと、にこりと笑った。


「ダンジョンでしたら、冒険者の方々が魔獣の素材を集めるためによく利用されております」


「素材を?」


「はい。外の森や山で魔獣を探すよりも、まとまった数を狩れることが多いんです」


 ……へぇ。


 ああ、確かに。


 冒険者にとっては、魔獣の素材が大事な収入になる。


 それなら、一か所に集まっている方が便利なのか。


「ダンジョンって、人が作った建物なんですか?」


「いいえ。自然に発生するものでございます」


「自然に!?」


「はい」


 受付の女性は、棚から一冊の薄い冊子を取り出した。


「ダンジョンの発生には、魔獣の死骸から生じる瘴気が関係しているとされております」


「……瘴気」


「同じ場所で多くの魔獣が死亡すると、その死骸から発生した瘴気が集まることがあります。そうして一定の条件が揃うと、ダンジョンが生まれるのです」


 ……おお。


 そんな仕組みだったのか。


 私は、思わず身を乗り出した。


「じゃあ、誰かが石を積んで建てるわけじゃないんですね?」


「はい。形や広さも、発生した場所によって異なります」


「へぇぇ……」


 異世界って、やっぱり不思議だねぇ。


 魔獣が死んで、瘴気が集まって、そこにダンジョンができる。


 ……何というか。


 自然現象の規模が、ちょっと大きすぎません?


「中にいる魔獣は、外から入ってくるんですか?」


「いえ。ダンジョンが生まれる際には最深部に強力な魔獣が現れ、その影響で内部にも魔獣が発生するといわれています」


「最深部……!」


 来た。


 来ましたよ。


「つまり、ボスがいるんですね!」


「……ボス、ですか?」


「あっ、一番奥にいる強い魔獣ってことです」


「そうですね。最深部にいる魔獣の強さは、実際に確認するまで分からないことも多いですが」


 ……なるほど!


 最深部にボス。


 道中には魔獣。


 これ、完全にダンジョンじゃん!


 いや、名前がもうダンジョンなんだけどさ!


「では、内部の魔獣は倒しても構わないのですか?」


 今度は桜花が尋ねた。


「はい。倒した魔獣の素材は持ち帰っていただけます。採取した素材を買い取ることも可能です。ただし、奥へ進むほど危険は増しますので、ご自身の力量に合わせて探索なさってください」


 ……うん。


 親切な説明だ。


 私は、もう一度冊子へ目を向けた。


 ところどころに洞窟の絵や、階層のようなものが描かれている。


 へぇ。


 これは面白そう。


「ところで、掲示板にあった四か所って、どこも入っていいんですか?」


「はい。現在確認されている場所で、探索可能なところをご案内しております」


 女性は地図を広げ、順番に指を差した。


「ただし、こちらの山岳地帯は足場が悪く、こちらの岩場は入口までの道が少々分かりにくくなっております」


「ふむふむ」


「獣都からでしたら、北東の森にあるダンジョンへ向かう冒険者の方が多いですね」


 ……森かぁ。


 そういえば、最近は森の中をゆっくり歩くことも少なくなった気がする。


 自然を楽しんで。


 魔獣と戦って。


 そのあと、おいしいご飯を食べて帰る。


 ……いいね!


「じゃあ、そこへ行ってみようかな」


「はい。探索されるのでしたら、くれぐれもお気をつけください」


 受付の女性が私たちの冒険者カードへ目を向けた。


「念のため、カードを確認させていただいてもよろしいでしょうか」


「ああ、はい」


 私は『リオン』のカードを差し出す。


 桜花も自分のカードを見せた。


 女性は二枚を見比べ、少し目を丸くした。


「……お二人とも、Fランクでいらっしゃるのですね」


「はい!」


「ですが、依頼受注の制限は……ない、と」


 そう。


 私たちのカードには、ちょっと特殊な扱いが書かれている。


 おかげで、ランクを変えなくてもいろんな依頼を受けられるのだ。


 ……便利だねぇ。


「ダンジョンへ入ること自体は問題ございません。ただ、深い階層では危険な魔獣も現れます」


「大丈夫です。無理はしませんから」


「かしこまりました。どうか、ご無事で」


 カードを受け取り、私は頭を下げた。


 ……無理はしない。


 うん。


 もちろん、そのつもりだ。


 危なかったら戻ればいいし、私たちには《転移》だってある。


 ああ。


 気楽に冒険できるって、素晴らしいね。


「桜花、行こうか!」


「はい、リアリス様」


 ギルドを出ると、獣都の明るい日差しが目に入った。


 私は、さっき見た地図を頭の中で思い返す。


 獣都の北東。


 少し離れた森の中。


 まずは、森の近くまで《転移》しよう。


 そこから入口までは、歩いて探すのも楽しそうだ。


「《転移》」


 視界が、すっと切り替わった。


     ◇


 木々の匂いがした。


 高く伸びた幹。


 頭上を覆う枝葉。


 風が吹くたびに、緑の葉がさわさわと音を立てる。


 ……ああ。


 森だねぇ。


 私たちが現れたのは、獣都の北東に広がる森の外れだった。


「ここから、少し歩こうか」


「はい」


 桜花が頷く。


 私は、脳内マップへ意識を向けた。


 さっき見た地図と周囲の地形を照らし合わせ、入口があると思われる方向を確かめる。


 ……うん。


 あっちかな。


 進んでいくと、踏み固められた土の道が見つかった。


 人の足跡がある。


 幅の広い足跡も、小さな足跡も。


 ここを冒険者たちが通っているのだろう。


「何だか、遠足みたいだね」


「遠足、でございますか?」


「うん。初めて行く場所って、わくわくするでしょう?」


「そうでございますね」


 桜花が穏やかに微笑んだ。


 その腰には、いつもの日本刀。


 私も刀を持ってきている。


 ……まあ、出番があるかどうかは別だけど。


 さらに森の奥へ進むと、遠くから人の話し声が聞こえてきた。


「そっちの袋、ちゃんと結んでおけよ!」


「分かってるって!」


「帰り道でこぼしたら拾わねぇからな!」


 ……おっ。


 冒険者かな?


 木々の間を抜けると、小さな開けた場所に出た。


 数人の冒険者が荷物を整理している。


 その向こうには、大きな岩壁。


 そして岩壁の根元に、ぽっかりと暗い穴が開いていた。


 私は、思わず立ち止まった。


「……おお」


 ……おおお。


 岩の隙間から、冷たい空気が流れてくる。


 周囲には小さな石が散らばり、入口の内側は昼間なのに暗い。


 奥の方がどうなっているのか、ここからでは見えない。


 ……すごい。


 これだよ。


 こういうのを想像してたんだよ!


「ここがダンジョンかぁ……!」


 私は、しばらく入口を眺めていた。


「リアリス様。楽しそうですね」


 桜花の声に、思いきり頷く。


「うん! すっごく楽しみ!」


 だって、ダンジョンだよ?


 剣と魔法の世界に来たからには、一度くらい体験してみたかった。


 ……いや。


 存在を今日まで知らなかったんだけどね。


「中へ入りましょうか」


「うん。行こう!」


 私は、一歩踏み出した。


 冷たい風が、頬を撫でる。


 少しだけ背中がぞくりとした。


 ……おっ。


 いいねぇ。


 冒険が始まるって感じがする。


 桜花と並び、私たちは暗い入口へ足を踏み入れた。


     ◇


 ダンジョンの中は、思っていたより歩きやすかった。


 地面には凹凸があるけれど、人が通れるだけの広さがある。


 岩肌は湿っていて、ところどころに不思議な光を放つ部分もあった。


 ……へぇ。


 真っ暗ってわけじゃないんだ。


 もちろん、隅の方は暗い。


 曲がり角の先も見通せない。


 だけど、歩けないほどではなかった。


「リアリス様。足元にお気をつけください」


「うん。ありがとう」


 私は壁へ手を伸ばしてみた。


 ごつごつした岩の感触。


 少しひんやりしている。


 ……これが、魔獣の瘴気から生まれた場所なのか。


 そう言われても、普通の洞窟に見えるなぁ。


 いや、普通の洞窟がどうやってできるのかだって、私は詳しく知らないんだけどね。


 最初の通路を進むと、広めの空間へ出た。


 その奥に、小さな影が見える。


「……あっ。何かいるね」


「はい。魔獣でございます」


 目を凝らすと、角の生えた小さな兎のような魔獣だった。


 ……おお。


 角ウサギだ。


 Fランクの魔獣。


 大人しい部類で、特にこちらへ向かってくる様子はない。


「何だか、かわいいねぇ」


「そうでございますね」


 角ウサギは私たちを見ると、ぴょんと跳ねて岩陰へ隠れてしまった。


 ……あっ。


 逃げちゃった。


「追いかけますか?」


「いや、いいよ。別に襲ってきたわけじゃないし」


「かしこまりました」


 私は、角ウサギの消えた岩陰を眺めた。


 ……うん。


 平和だねぇ。


 あれ?


 ダンジョンって、もっと最初から襲われるものだと思ってた。


 でも、階層によって魔獣の強さが違うのかな。


 しばらく進むと、今度はずんぐりした小型の魔獣が現れた。


 こちらに気づくなり、地面を蹴って突進してくる。


「おっと!」


 桜花が一歩前へ出た。


 銀色の光が走る。


 ……いや。


 正確には、桜花の刀が一瞬だけ光ったように見えた。


 魔獣は、その場で動かなくなった。


「討伐いたしました」


「ありがとう、桜花」


 ……速いねぇ。


 いつものことだけど。


 私は倒れた魔獣を確認した。


 この程度の相手なら、桜花が苦戦することはない。


 素材を持ち帰れば買い取ってもらえるのだろうけれど、今日は探索が目的だ。


 ……まずは奥を見てみたいなぁ。


 …………。


 あっ。


 そうだ。


 大事なことを忘れていた!


「桜花、ちょっと待って!」


「はい。いかがなさいましたか?」


 私は、辺りを見回した。


 岩壁。


 少し暗いくぼみ。


 奥へ続く通路。


 ……ない。


 まだ、ない。


「宝箱!」


「……宝箱、でございますか?」


「うん! ダンジョンといえば宝箱でしょう!」


 桜花が小さく首を傾げた。


「受付では、そのような説明はございませんでしたが」


「そうなんだよねぇ。でも、隠されてるから宝箱なんじゃない?」


「なるほど」


 ……いや。


 自分で言っておいて、ちょっと無理があるかな。


 だけどさ。


 迷宮の隅に置かれた古い箱。


 開けると、中には伝説の剣とか、珍しい装飾品とか。


 ……おおお。


 夢があるよねぇ!


 私は壁際のくぼみを覗いた。


 ……空っぽ。


 少し大きな岩の裏へ回る。


 ……何もない。


 通路の行き止まりらしい場所まで歩いてみた。


 ……石しかない。


「……あれ?」


 うーん。


 まだ一階層目だからかな。


 きっと、奥へ進めば見つかるんだろう。


 そうだ。


 最初から宝箱がごろごろ置いてあったら、ありがたみがないもんね!


 ……うん。


 そういうことにしておこう。


「リアリス様。こちらに下へ続く道がございます」


「おっ、もう?」


 桜花が指す先には、岩を削ったような階段があった。


 ……来た来た。


 階層を下りる階段!


 私は、ちょっと早足で向かった。


「じゃあ、二階層目へ行ってみよう!」


「はい」


     ◇


 二階層目は、一階層目より少し広く感じた。


 通路は曲がりくねっていて、ところどころで別の道と交差している。


 ……おお。


 迷宮っぽくなってきた!


「桜花、右と左、どっちへ行く?」


「どちらでも問題ございません」


「じゃあ、右!」


 私は、迷わず右へ進んだ。


 ……で。


 しばらく歩いた先は、行き止まりだった。


「……あれ?」


「行き止まりでございますね」


「うん。見事に」


 …………。


 でも!


 こういう場所にこそ、宝箱がありそうじゃない?


 私は、急いで奥まで歩いた。


 石の隙間。


 壁のくぼみ。


 足元の影。


 …………。


 ない。


「……おかしいなぁ」


「何かお探しでしょうか」


「宝箱」


「……まだ、でございますか」


「まだです!」


 桜花が、口元へそっと手を当てた。


 ……あっ。


 今、笑ったでしょう?


「リアリス様。楽しそうで何よりでございます」


「楽しいよ! 宝箱があればもっと楽しいけど!」


 私たちは来た道を戻り、今度は左へ進んだ。


 その途中で、四足歩行の小さな魔獣が姿を現した。


 牙を剥き、低い声で唸っている。


「……おっ。今度は少しやる気がありそうだね」


「こちらへ向かってまいります」


 魔獣が飛びかかる。


 私は、ひょいと身体をずらした。


 地面へ着地した魔獣が振り返るより早く、桜花が刀を振るう。


 ……終了。


「……うん。桜花がいると、安全だねぇ」


「お守りするのが私の役目でございますから」


「ありがとう。でも、桜花も楽しんでいいからね」


「はい。お気遣い、ありがとうございます」


 そのあとも何度か魔獣と遭遇した。


 一階層目より攻撃的なものが増えている気がする。


 小型の獣型魔獣や、武器のようなものを振り回すゴブリンもいた。


 ……なるほど。


 確かに少しずつ強くなってるね。


 だけど、私たちには大した障害にならない。


 桜花が危険な相手を素早く片づけ、私は通路の隅を覗く。


 …………。


 えっ。


 何をしてるかって?


 宝箱探しです。


 ……いやぁ。


 だって、せっかくのダンジョンだし。


 そんなことをしていると、前方から話し声が聞こえてきた。


「今日の分は十分だろ」


「ああ。袋もいっぱいだしな」


「帰ったら、まず飯だな!」


 ……おっ。


 曲がり角から現れたのは、三人組の冒険者だった。


 犬の顔をした男性が一人。


 耳の長い獣人が一人。


 それから、猫の顔をした女性が一人。


 三人とも背中に荷物を抱えている。


 ……うわぁ。


 ものすごい量だね。


「あ、こんにちは!」


 私が声をかけると、先頭の男性がこちらを見た。


「おう。探索か?」


「はい。今日、初めて来たんです」


「初めて? そりゃ珍しいな」


 男性は、私と桜花を見比べた。


「二人だけか?」


「はい」


「そうか。まあ、無茶はするなよ」


 猫の獣人の女性が、背負った袋を少し持ち直した。


「こっちはもう十分。今日だけで結構な素材が取れたからね」


「そんなに取れたんですか?」


「ああ。見てくれよ、これ」


 耳の長い獣人が、袋の口を少し開いてみせた。


 中には魔獣から採ったらしい素材が詰まっている。


 ……おお。


 確かに、いっぱいだ。


「それ、全部ダンジョンで?」


「当たり前だろ。わざわざここまで来たんだからな」


「へぇぇ……」


 そうか。


 ダンジョンって、冒険者にとっては採取場所みたいなものなんだね。


 どちらかというと、魔獣の素材を取るための場所。


 ……うん。


 納得だ。


「じゃあ、皆さんはもう帰るんですか?」


「ああ。これ以上持てねぇしな」


「欲張って怪我するより、今日の稼ぎで十分さ」


 女性が笑う。


 ……なるほど。


 堅実だねぇ。


 私は思わず頷いた。


 冒険者は命がけの仕事だ。


 無理せず帰るという判断は、大事なんだろう。


「じゃあ、お気をつけて」


「おう。そっちもな!」


 三人は手を振り、私たちが来た方へ歩いていった。


 背中の荷物が揺れるたびに、かさかさと音がする。


 ……おお。


 大収穫って感じだね。


「リアリス様。皆様、満足そうでございましたね」


「うん。素材をいっぱい持って帰れるなら、ダンジョンはいい稼ぎ場なんだね」


 私は、三人の背中を見送った。


 ……でも。


「宝箱は持ってなかったね」


「……そうでございますね」


「うーん。まだ見つけてないだけかなぁ」


 桜花が、何とも言えない顔をしている。


 ……あれ?


 私、そんなに変なこと言ってる?


 いや。


 ダンジョンで宝箱を期待するのって、普通じゃない?


 ……私の中では普通なんです!


 その後も私たちは通路を進んだ。


 途中に小さな広間があり、奥に崩れたような岩の山があった。


 ……おっ。


 怪しい!


 私は、いそいそと近づく。


「リアリス様」


「うん?」


「何か、ございましたか?」


「いや、こういうところに隠し通路がありそうで!」


 岩山を覗く。


 横を回り込む。


 隙間へ目を凝らす。


 ……うん。


 ただの岩だった。


 …………。


 ……ああ。


 そうですか。


「桜花。次、行こうか」


「かしこまりました」


 ……二階層目も、宝箱なし。


 でも、まだ先がある。


 期待は捨てないよ!


     ◇


 三階層目へ下りると、空気が少し変わった。


 さっきまでより、湿り気が強い。


 壁に触れなくても、ひんやりした冷気を感じる。


 そして。


 遠くから、何かが地面を引っかくような音が聞こえてきた。


「……おっ。ちょっと雰囲気が変わったね」


「はい。周囲に魔獣の気配がございます」


 桜花の目が、わずかに鋭くなる。


 ……うん。


 こういう顔をする桜花、久しぶりに見た気がする。


 最近は家族と過ごす穏やかな日が多かったからなぁ。


 いや。


 その方がいいんだけどね。


 通路を少し進むと、前方に複数の影が見えた。


 ……魔獣、かな?


 と思ったら。


「……おい! そこ、止まれ!」


 男性の声が響いた。


 岩陰から姿を現したのは、四人組の冒険者だった。


 犬の獣人が二人。


 体格のいい牛の獣人が一人。


 そして、耳の長い兎の獣人が一人。


 そのうち一人は、脚を布で巻いている。


 布には赤い染みが広がっていた。


 ……あっ。


 怪我してる。


「大丈夫ですか?」


 私が尋ねると、負傷した男性を支えていた仲間が答えた。


「ああ。応急処置はした。歩ける程度にはな」


「そうですか。無理しないでくださいね」


「分かってる。だから、もう引き返すところだ」


 ……なるほど。


 女性の冒険者が、私たちをじっと見た。


「お前たち、二人だけで来たのか?」


「はい」


「……やめとけ。これより先は危ないぞ」


 私は、思わず首を傾げた。


「そんなに危険なんですか?」


「ああ。ここまででも、上の階層とは魔獣の強さが違う」


「さっき、ちょっと雰囲気が変わったなとは思いましたけど」


「雰囲気の問題じゃねぇよ」


 牛の獣人が、苦い顔をした。


「奥の方には、でかい魔獣もいる。俺たちだって、この有様だ」


 そう言って、怪我をした仲間へ目を向ける。


 ……うん。


 確かに、油断はできなさそうだね。


「俺たちはもう戻る。悪いことは言わねぇ、そっちも引き返した方がいいぞ」


 負傷した男性自身が、少し無理をして笑った。


「こっちは大丈夫だ。仲間もいるしな」


 私は、その様子を見て少し安心した。


 ……うん。


 きちんと仲間同士で支え合ってるんだね。


「教えてくれて、ありがとうございます」


「いいってことよ。じゃあな!」


 四人組は、慎重な足取りで階段の方へ向かっていった。


 私は、その背中を見送る。


 ……さて。


「桜花。どう思う?」


「この先には、これまでより強い魔獣がいるようでございます」


「うん。そうみたいだね」


 私は、奥へ続く暗い通路を眺めた。


 そういえば。


 一階層目は小さな魔獣ばかりだった。


 二階層目は、ちょっと攻撃的な魔獣が増えた。


 そして三階層目。


 冒険者が怪我をするほどの魔獣がいるらしい。


 ……なるほど。


 下へ進むにつれて難しくなるんだ。


 これは、思っていた以上にダンジョンらしいね!


「リアリス様。このまま進まれますか?」


「うん。行ってみよう!」


 桜花が静かに頷いた。


「かしこまりました。私が先を確認いたします」


「ありがとう。でも、無理はしないでね」


「はい」


 ……いやぁ。


 いつも桜花に守ってもらってるけど。


 たまには、私も冒険者らしいところを見せたいなぁ。


 ……まあ、桜花が一緒なら、私が剣を抜く場面は少ないかもしれないけどね。


 そんなことを考えながら歩いていると、前方から低い唸り声が聞こえた。


「……ん?」


 暗がりの向こうで、二つの目が光る。


 さらに、その後ろにもいくつかの影が見えた。


 中型の魔獣。


 体つきは狼に似ているけれど、普通の狼よりずっと大きい。


 口元からは、かすかに赤い光が漏れていた。


「ファイアウルフ、かな?」


 以前見たことのある魔獣だ。


 確かCランク。


 普通の冒険者なら、簡単には相手にしたくないだろう。


「はい。そのようでございます」


 桜花が刀の柄に手をかけた。


 次の瞬間、魔獣が一斉に駆け出した。


 ……おっ。


 速い!


 一匹が口を開く。


 赤い光が大きくなった。


 ……炎を吐くつもりかな?


「桜花、お願い!」


「はい」


 桜花が前へ踏み出した。


 その動きは、いつもどおり静かだった。


 銀色の髪が揺れる。


 刀が抜かれる。


 ……そして。


 私が瞬きをしたときには、先頭の魔獣が崩れ落ちていた。


 後ろの二匹が飛びかかる。


 桜花は身体をひねり、片方をかわしながらもう一方へ刃を振るった。


 ……うん。


 見事だねぇ。


 最後の一匹も、ほどなく動かなくなった。


「完了いたしました」


「ありがとう、桜花。やっぱり強いね」


「恐れ入ります」


 桜花が刀を納める。


 その表情は、いつもと変わらず穏やかだった。


 ……まあ、Cランクの魔獣なら、桜花にとっては準備運動にもならないのかもしれない。


 私は、倒れた魔獣を見下ろした。


「でも、こんなのが何匹も出てくるなら、普通の冒険者さんは大変だよね」


「そうでございますね。先ほどの方々も、危険を感じて戻られたのでしょう」


「うん。あの人たち、無事に帰れるといいなぁ」


 私は、階段の方へ一度だけ視線を向けた。


 四人とも自分の足で歩いていたし、応急処置も済んでいた。


 ……大丈夫だと思うけど、怪我は早く治るといいね。


 それから私たちは、三階層目の探索を続けた。


 曲がり角の先には、武器を持ったゴブリンの上位種らしい魔獣がいた。


 さらに奥では、岩の陰から別の魔獣が飛び出してきた。


 ……おお。


 確かに一階層目とは全然違う。


 私も何度か刀を抜き、向かってくる魔獣を倒した。


 桜花は少し離れた場所で、こちらを見守ってくれている。


 ……うん。


 たまには自分で戦うのも、いいね。


 もちろん、相手を倒したあとは周囲を確かめる。


 ……危険がないかって?


 それもある。


 でも、一番気になっているのは。


 …………。


 宝箱です。


 ……いや!


 だって!


 三階層まで来たんだよ!?


 そろそろ一つくらい見つかってもよくない!?


 壁のくぼみを調べる。


 行き止まりへ足を運ぶ。


 妙に形の整った岩の裏を覗く。


 …………。


 ない。


「……桜花」


「はい」


「宝箱、まだ一つも見つからないね」


「そうでございますね」


「もしかして、かなり珍しいのかな?」


「私には分かりかねます」


 ……うん。


 それはそうだよね。


 だって、桜花もダンジョンに来るのは初めてだもんね。


 私は腕を組んで考えた。


 一階層目。


 なし。


 二階層目。


 なし。


 三階層目。


 ここまで、なし。


 …………。


 ふむ。


 これは、もしかして。


 奥の方にだけ宝箱がある仕組みなのかな?


 ……おお。


 そう考えると、ちょっと納得できるぞ。


 簡単に見つかるものではないからこそ、発見したときに嬉しい。


 なるほどねぇ。


 ……うん。


 そういうことにしておこう!


「桜花! もう少し奥まで行ってみよう!」


「はい。ですが、あまりお急ぎになりませんよう」


「あっ、そうだね。落ち着いて進まないと」


 私は、少しだけ歩く速度を落とした。


 ……いけない、いけない。


 宝箱が楽しみすぎて、つい先へ行きたくなっちゃう。


 でも、ここはダンジョン。


 普通の冒険者にとっては危険な場所だ。


 さっきの四人も、怪我をしていた。


 だから、私たちも気をつけよう。


 …………。


 よし。


 気をつけながら、宝箱を探そう!


 ……あれ?


 結局、目的は変わってないね。


     ◇


 しばらく探索を続けると、奥へ続く階段が見つかった。


 これまでより幅が広く、途中から先は暗くて見えない。


 ……おお。


 また下へ行けるんだ。


 私は、階段の前で立ち止まった。


「桜花。これで三階層目も終わりかな?」


「通路はまだいくつかございますが、下へ続く道はこちらだけのようでございます」


「そっかぁ」


 私は、背後を振り返った。


 薄暗い通路。


 倒した魔獣。


 ときどき聞こえる、どこか遠くの足音。


 ……うん。


 初めてのダンジョン探索としては、なかなか楽しかった。


 魔獣は思ったより多いし。


 ほかの冒険者にも会えたし。


 階層が変わると、出てくる魔獣まで変わる。


 ……いやぁ。


 よくできてるねぇ。


 誰かが設計したわけじゃなく、自然に発生するっていうのが本当に不思議だ。


 ……ただ。


「……宝箱、なかったね」


「はい」


「……一つも」


「はい」


「……桜花、そんなに冷静に言わなくても」


「申し訳ございません」


 桜花が、少しだけ笑う。


 ……あっ。


 絶対に面白がってるでしょう!


 私がそう言おうとすると、桜花が階段の奥へ目を向けた。


「リアリス様。下の階層から、魔獣の気配がございます」


「……おっ」


 私は、改めて暗い階段を見つめた。


 さっきの冒険者たちは、これより先が危険だと言っていた。


 三階層目でもCランクの魔獣がいたんだから、下にはもっと強いものがいるのかもしれない。


 ……うん。


 いいね。


 何だか、冒険してる感じがする。


「行ってみようか、桜花」


「かしこまりました」


 桜花が私の隣に並んだ。


 私たちは、足元を確かめながら階段を下り始める。


 暗がりの奥から、冷たい風が吹き上がってきた。


 ……さて。


 次の階層には、どんな魔獣がいるんだろう。


 それから。


 ……そろそろ、宝箱があってもいいと思うんだけどなぁ!


 私は、期待を胸に、四階層目へと続く闇の中へ足を踏み入れた。

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