第9話:番外編!子供と優しい王子様
こんにちは。ダリルです。
僕は十二歳で、弟のセリムは八歳。父さんがエルフで、母さんが人間だったから、僕たちは二人ともハーフエルフです。
今は、シルク王国の新しい孤児院で暮らしています。
そこは、リアリスさんが作ってくれた場所です。
とても大きな建物で、最初は本当にびっくりしました。先生たちの話では、五百人もの子供が暮らせるように作ってあるそうです。
でも、今いるのは僕たちを入れて二十二人だけ。
そんなに広い場所で、寂しくならないのかな。
最初はそう思っていました。
だけど、実際に暮らしてみると、全然違ったんです。
朝になると、誰かが廊下を歩く音がします。
食堂へ行けば、温かいご飯と、みんなの声があります。
先生たちは、僕が何か言う前からセリムのことを気にかけてくれます。
セリムも友達ができて、毎日楽しそうにしています。
だから、僕はここへ来てよかったと思っています。
でも、僕たちがここで暮らせるようになるまでには、いろいろなことがありました。
特に、ある人との出会いです。
その人のことを、孤児院のみんなは「優しいお兄ちゃん」と呼んでいます。
僕たちは、もう少しだけ、その人のことを知っています。
何しろ、僕とセリムを最初に助けてくれた人ですから。
今日は、そのお話をしようと思います。
◇
父さんが生きていた頃、僕たちは小さな村に住んでいました。
村の端にある、古いけれど小さな庭のついた家です。
父さんは畑仕事が得意で、木を使った道具も作れました。
僕にも、いろいろ教えてくれました。
「ダリル、鍬は力任せに振るんじゃないぞ」
「うん!」
「土の様子を見て、少しずつだ」
父さんにそう言われて、僕は何度も練習しました。
最初は地面をうまく掘れなくて、父さんに笑われたこともあります。
セリムはまだ小さかったので、いつも母さんの近くにいました。
母さんは、そんなセリムを抱き上げて笑っていました。
「ダリルは頑張り屋さんね」
僕はそれが嬉しくて、いつか父さんみたいに村の人たちの役に立ちたいと思っていました。
父さんが帰ってくると、母さんがご飯を作ってくれて。
セリムが、何をして遊んだのか一生懸命に話して。
僕が、その日の仕事を自慢する。
そんな、普通の毎日でした。
ずっと続くと思っていたんです。
ところが、ある日、父さんが病気になりました。
最初は、少し熱があるだけだと言っていました。
でも、なかなか良くならなくて。
畑へ行くこともできなくなりました。
村の人たちが薬を持ってきてくれました。
母さんはずっと看病していました。
僕もできることを探しました。
水を汲んだり、部屋を掃除したり。
父さんが起き上がれるようになったら、また畑の続きを教えてもらおうと思っていました。
だけど。
父さんは、元気になりませんでした。
父さんが亡くなったあと、母さんは前よりたくさん働くようになりました。
朝早く起きて、畑を手伝いに行って。
家へ帰ってきたら、僕たちのご飯を作って。
夜には、明日使う服を直してくれました。
「母さん、僕ももっと働くよ」
「ありがとう。でも、ダリルはまだ子供なんだから」
「もう十二歳になるんだよ!」
僕がそう言うと、母さんは笑いました。
「そうね。じゃあ、今日はお皿を片付けてくれる?」
「うん!」
僕は、もっと大きな仕事を任せてほしかったんです。
でも、今思えば、母さんは僕に無理をさせたくなかったんだと思います。
セリムは、父さんがいなくなってから、よく母さんの服を掴むようになりました。
僕も、本当は寂しかったです。
でも、お兄ちゃんなんだから、泣いてばかりじゃいけないと思っていました。
それから少しして、母さんも体調を崩しました。
無理をしすぎたんだと思います。
村の人たちも心配してくれました。
僕は、今度こそ助けたいと思いました。
父さんに教わったことを思い出して、畑を手伝いました。
母さんの代わりに、水を汲みました。
セリムが不安そうにすると、「大丈夫」と言いました。
だけど、その言葉には、自分でも自信がありませんでした。
母さんも、帰ってきませんでした。
僕が覚えている最後の母さんの声は、とても小さなものでした。
「二人で、助け合ってね」
僕は、必死に頷きました。
セリムは、母さんが眠っていると思って、何度も声をかけていました。
あのとき、どう説明したのかは、今でもよく覚えていません。
ただ、セリムの手だけは絶対に離さないと決めました。
僕たちが二人きりになってからも、村の人たちは見捨てませんでした。
家の様子を見に来てくれたり、ご飯を分けてくれたり。
寒い日には、薪を持ってきてくれた人もいました。
隣のおばさんは、よく僕たちに声をかけてくれました。
「ダリル、今日はちゃんと食べたかい?」
「はい。昨日もらったパンがあるので」
「それだけじゃ足りないだろう。ほら、スープも持っておいき」
「でも……」
「遠慮しなくていいんだよ」
そう言われるたび、ありがたいと思いました。
でも、同時に申し訳なくもなりました。
村の人たちだって、毎日忙しく働いているんです。
僕たちに分けてくれる分、自分たちの食べ物が減ってしまうかもしれません。
だから僕は、できるだけ仕事を手伝いました。
畑の草を抜いたり。
道に落ちた枝を片付けたり。
倉庫を掃除したり。
重い荷物はまだ運べなかったけれど、小さなものなら運べます。
「ダリル、助かったよ」
その一言が、とても嬉しかったです。
お礼に野菜を一つもらえた日は、セリムと二人で喜びました。
「おにいちゃん、きょうは?」
「今日は、お芋があるよ」
「やった!」
セリムが笑ってくれると、少しだけ安心しました。
僕は、いつか自分で働いて、セリムと二人で暮らしていけるようになりたいと思っていました。
だけど、本当は分かっていたんです。
まだ子供の僕にできることだけでは、二人の暮らしを守るのは難しい。
来月はどうするのか。
来年はどうするのか。
考えても、答えは見つかりませんでした。
それでも、セリムにはできるだけ明るく話しかけました。
「今日は何をして遊んでた?」
「おはな、みてた」
「庭の?」
「うん。ちいさいの、さいた」
「そっか。よかったね」
そんな話をしながら、二人でご飯を食べます。
食べ終わると、僕は食器を洗いました。
セリムは手伝いたがったけれど、小さな手で無理をしなくてもいいように、布で拭く仕事をお願いしました。
僕には、父さんの木の櫛がありました。
母さんもよく使っていた、少し古い櫛です。
セリムの髪を整えるとき、それを使いました。
「いたい?」
「……だいじょうぶ」
「ごめん。絡まっちゃったね」
「おにいちゃん、じょうず」
僕は、あまり上手じゃなかったと思います。
それでも、セリムはいつもそう言ってくれました。
だから、僕は頑張らなきゃいけない。
二人で暮らしていかなきゃいけない。
そう思っていました。
でも、夜になると、時々怖くなりました。
もし僕まで病気になったら、セリムはどうなるんだろう。
もし村の人たちに、もう手伝えないと言われたら。
そんなことを考えて、眠れなくなる日もありました。
だけど、そのたびに隣を見ると、セリムが寝ていました。
僕の服を掴んだまま。
その手を見ると、朝になったらまた頑張ろうと思えたんです。
◇
その人と出会ったのは、村の道を掃除していたときでした。
日が高くなって、僕は箒を持ったまま少し休んでいました。
セリムは近くの石に座って、僕が終わるのを待っていました。
すると、道の向こうから、何人かの大人が歩いてきました。
真ん中にいる男の人は、とても身なりがよかったです。
服も、靴も、僕が見たことのないくらい綺麗でした。
最初は、村に来た偉い人なんだろうと思いました。
僕は邪魔にならないように道の端へ寄りました。
でも、その人は僕たちの前で足を止めたんです。
「こんにちは」
思っていたより、ずっと優しい声でした。
「……こんにちは」
僕が答えると、その人は少ししゃがんで、僕たちと目を合わせてくれました。
「二人は兄弟?」
「はい。僕が兄のダリルで、こっちが弟のセリムです」
「ダリルとセリムだね。よろしく」
その人は、セリムにも笑いかけました。
「セリム、こんにちは」
「……こんにちは」
セリムは、僕の背中に少し隠れました。
知らない大人の人は、苦手なんです。
でも、その人は無理に近づいてきませんでした。
「お掃除をしていたの?」
「はい。村の人のお手伝いです」
「そうか。偉いね」
僕は、少し恥ずかしくなりました。
村ではよく手伝っていたけれど、初めて会う人に褒められるとは思っていなかったからです。
その人は、道の端に置いてある箒と、セリムの服を見ました。
それから、もう一度僕の顔を見ました。
「お父さんかお母さんは、近くにいるのかな?」
そう聞かれたとき、胸が少し痛くなりました。
「……いません」
「そうなの?」
「父さんは病気で亡くなって、母さんも……」
途中で、うまく言えなくなりました。
セリムが、僕の服をぎゅっと握ります。
男の人は、それ以上急いで聞こうとはしませんでした。
「……そうか。つらいことを聞いてしまったね。ごめん」
「いえ。大丈夫です」
僕は、首を振りました。
すると、その人は、少し考えたあとで尋ねました。
「今は、二人で暮らしているの?」
「はい。でも、村の人たちが助けてくれています」
「どんなふうに?」
「ご飯を分けてくれたり、仕事を手伝わせてくれたり……」
「ダリルも働いているんだね」
「簡単な仕事だけです。畑の草取りとか、掃除とか」
「なるほど」
その人は、真面目な顔で頷きました。
叱られるのかと思いました。
子供が仕事をするのは駄目だと言われるのかもしれません。
でも、違いました。
「村の人たちも、二人を大切に思ってくれているんだね」
「……はい」
「それなら、よかった」
男の人は、セリムにも尋ねました。
「セリムは、いつも何をしているの?」
「……おにいちゃん、まってる」
「そっか。お兄ちゃんが大好きなんだね」
セリムが、小さく頷きました。
男の人も笑いました。
その顔を見て、僕は少しだけ緊張が解けました。
「これから先のことは、何か決まっている?」
その質問には、すぐに答えられませんでした。
僕は、仕事がもっとできるようになりたいと思っていました。
村の人たちに迷惑をかけないようにしたかったです。
でも、いつになったら二人で暮らせるのかは、分かりません。
「……まだ、分かりません」
正直に答えると、男の人は頷きました。
「そっか。じゃあ、少し考えてみてもいい?」
「……何を、ですか?」
「二人が、安心して暮らせる場所のことだよ」
僕は、驚いて顔を上げました。
「安心して、暮らせる場所?」
「うん。ちゃんとご飯を食べて、眠れて、勉強もできるようなところ」
そんな場所が、本当にあるのでしょうか。
僕は、何と答えたらいいか分かりませんでした。
そのとき、少し離れていた大人の一人が、男の人へ近づきました。
「殿下。そろそろ村の方々とのお話を……」
……殿下?
聞き間違いかと思いました。
男の人が、立ち上がりました。
「先に話を聞いてくる。二人には、少し待っててもらえ。」
僕は、慌てて頷きました。
「あの……お名前を、教えていただいてもいいですか?」
すると、その人は、少しだけ困ったように笑いました。
「クオシンだよ。シルク王国の第一王子をしている」
…………。
僕は、箒を落としそうになりました。
「……お、王子様!?」
王子様なんて、遠いお城の中にいる人だと思っていました。
こんな村の道で、僕たちにしゃがんで話しかけてくれる人だなんて、想像もしていなかったんです。
僕が慌てて頭を下げると、王子様は小さく笑いました。
「大丈夫。今はそんなにかしこまらなくていいよ」
「で、でも……」
「まずは二人のことが心配だからね」
そう言うと、王子様は近くにいた人たちと村の方へ歩いていきました。
僕は、しばらく動けませんでした。
王子様が、僕たちのために何かしてくれる?
そんなこと、あるのでしょうか。
セリムが、僕の袖を引きました。
「……おにいちゃん」
「……うん?」
「あのひと、やさしいね」
僕は、セリムの顔を見ました。
「そうだね」
「……おうじさま?」
「うん。そう言ってたね」
セリムは、少し考えたあとで尋ねました。
「……おしろ、いくの?」
「……分からない」
僕は、本当に分かりませんでした。
それに、少し怖かったです。
知らない場所へ行くなんて。
村の人たちと離れるなんて。
僕たちにできるのでしょうか。
そこへ、いつもご飯を分けてくれる隣のおばさんが来ました。
「ダリル、王子様とお話したんだって?」
「はい……」
「びっくりしたろう?」
「……すごく」
おばさんが、笑いました。
でも、僕が不安そうにしているのに気づくと、そっと頭を撫でてくれました。
「大丈夫。村の人たちも話を聞いてくるからね」
「……はい」
それを聞いて、少し安心しました。
僕たちだけで決めるには、大きすぎる話だったからです。
王子様は、村の大人たちと長い時間話をしていました。
僕たちの家のこと。
父さんと母さんが亡くなったこと。
今まで、誰がどんなふうに助けてくれたのか。
僕は全部を聞いたわけではありません。
でも、村の人たちが真面目な顔で話しているのを見ていました。
途中で、王子様が僕たちの家も確かめたいと言いました。
僕は、少し恥ずかしかったです。
片付けはしていましたが、古い家でしたから。
王子様は、扉を入るとすぐに周りを見渡しました。
壁。
炉。
小さな寝床。
それから、机の上に置いた木の櫛。
「ここで、二人で暮らしているんだね」
「……はい」
「夜は、寒くない?」
「……寒い日はあります」
正直に答えると、王子様は、少しだけ眉を下げました。
怒ったのかと思いました。
でも、そうではありませんでした。
「よく頑張ってきたね」
その一言で、僕は何も言えなくなりました。
頑張っているつもりでした。
でも、もっと頑張らなきゃいけないと思っていました。
お兄ちゃんなのだから、当然だと思っていました。
王子様は、そんな僕に静かに言いました。
「ダリル。セリムのことを大切に思うのは、すごくいいことだよ」
「……はい」
「でも、ダリルだって、誰かに助けてもらっていいんだからね」
僕は、返事ができませんでした。
言葉の意味は分かりました。
だけど、そうしてもいいのかが、分からなかったんです。
しばらくして、王子様と村の人たちが、僕たちを呼びました。
いつも親切にしてくれる人たちが、何人も集まっていました。
王子様は、僕たちの前にしゃがんで言いました。
「もし二人がよければ、安心して暮らせる場所へ連れていきたいと思っているんだ」
僕は、思わずおばさんの方を見ました。
おばさんは、優しく頷いてくれました。
「二人が毎日ちゃんと食べられて、あったかいところで眠れるんなら、それが一番だよ」
「でも……」
「寂しくなるけどね」
そう言って笑ったおばさんの目は、少しだけ潤んでいました。
僕も、寂しかったです。
この村には、父さんと母さんとの思い出があります。
助けてくれた人たちもいます。
離れたら、もう会えないかもしれません。
僕が黙っていると、王子様は言いました。
「無理に決めなくていいよ。怖いことがあるなら、聞いて」
「……僕たち、働かないといけませんか?」
気づいたら、そう聞いていました。
「働く?」
「ご飯とか、寝る場所とか……もらうなら、その分……」
言い終わる前に、王子様が首を振りました。
「二人を働かせるために連れていくんじゃないよ」
「……本当ですか?」
「うん。今まで、よく頑張ってきたんだから」
王子様は、セリムにも目を向けました。
「セリムは、ダリルと一緒なら行けそう?」
セリムは、僕の手をぎゅっと握って頷きました。
「……おにいちゃんと、いっしょ」
僕は、少しだけ笑いました。
「……僕も、セリムと一緒なら」
それを聞いた王子様は、ほっとしたように微笑んだんです。
出発の前に、村の人たちがいろいろ持たせてくれました。
乾いたパン。
畑で採れた野菜。
それから、少し古い布の袋。
僕は、そんなにもらっていいのか分からなくて、何度も頭を下げました。
「ありがとうございました」
「何言ってんだい。これまで、よく手伝ってくれたじゃないか」
おばさんが、僕をぎゅっと抱きしめました。
「ダリル。向こうでも、ちゃんとご飯を食べるんだよ」
「……はい」
「セリムもね」
「……うん」
セリムは、少し泣いていました。
僕も、泣きそうでした。
でも、最後にもう一度、父さんと母さんの家を見ました。
僕は、木の櫛を布に包んで鞄へ入れました。
それだけは、絶対に忘れたくなかったんです。
王子様は、僕たちが家を出るまで何も言わずに待ってくれました。
戸締まりのことも、村の人たちと確認してくれました。
それから、僕たちの前に来ました。
「準備はできたかな?」
「……はい」
「……うん」
「じゃあ、一緒に行こうか」
その声は、最初に会ったときと同じ、優しい声でした。
僕は、セリムの手を握って歩き始めました。
後ろから、おばさんたちが手を振っていました。
僕たちも、何度も手を振りました。
村の道が見えなくなるまで。
ずっと。
◇
王子様の馬車は、僕たちが思っていたよりもずっと立派でした。
座るところが柔らかくて、布が綺麗で。
泥のついた靴で乗っていいのか、迷ってしまうくらいでした。
「……あの」
「どうしたの?」
「ここ、汚してしまうかもしれません」
王子様は、僕の靴を見ました。
それから、少し笑いました。
「汚れたら掃除すればいいだけだよ。気にしないで」
「……はい」
セリムは、馬車に乗ってすぐ、窓の外を見ていました。
景色が動いていくのが珍しいみたいです。
「おにいちゃん、木!」
「うん。大きいね」
「……あっ、鳥!」
僕が答えるより先に、王子様が窓の方へ顔を向けました。
「ああ、本当だ。よく見つけたね」
セリムが、嬉しそうに笑いました。
僕は、その顔を見て少し安心しました。
王子様は、僕たちの向かいに座っていました。
ときどき、村の人たちから預かった話を確認しているようでした。
でも、僕たちが話しかけると、必ず顔を上げてくれました。
「寒くない?」
「大丈夫です」
「セリムは?」
「……だいじょうぶ」
「そっか。疲れたら眠ってもいいからね」
僕は、何度も頷きました。
知らない場所へ行く不安は、まだありました。
でも、王子様が隣にいてくれるなら、きっと大丈夫。
少しずつ、そう思えるようになりました。
馬車が進む途中、セリムが眠ってしまいました。
僕の肩に頭を預けて、小さく寝息を立てています。
王子様は、その様子を見て、少し声を落としました。
「セリム、疲れてたんだね」
「……はい。今日は、いろいろあったので」
「そうだね」
僕は、眠ったセリムの髪をそっと撫でました。
村では、いつも僕がセリムを寝かせていました。
でも、今日は知らない馬車の中です。
目を覚ましたとき、不安にならないといいなと思いました。
「ダリル」
「はい」
「眠たくなったら、ダリルも寝ていいんだよ」
「……でも、セリムを見てないと」
王子様は、少しだけ考えました。
「じゃあ、セリムが起きたら、僕が声をかけるよ」
……えっ。
僕は、驚いて顔を上げました。
「王子様が、ですか?」
「うん。そのくらいできるよ」
「……ありがとうございます」
僕は、少し笑いました。
でも、すぐには眠れませんでした。
王子様には、聞きたいことがたくさんあったんです。
「……あの、王子様」
「どうしたの?」
「僕たち、どこへ行くんですか?」
「王都の近くにある、大きなお屋敷だよ」
「……お城じゃ、ないんですか?」
「うん。お城じゃないんだ」
王子様は、窓の外へ目を向けました。
「二人が落ち着いて暮らせる場所を考えてね。ちょっと、頼りになる人のところへ行くつもりなんだ」
「頼りになる人……」
「うん。……少し変わった人だけど」
王子様は、そこで小さく笑いました。
僕は、その意味がよく分かりませんでした。
そのときは。
村を出たその日のうちに、僕たちは王都の近くへ着きました。
馬車の窓から見えた建物に、僕は思わず息を呑みました。
大きな門。
綺麗に整えられた道。
それから、遠くに見える大きなお屋敷。
僕は、お城を見たことがありません。
でも、あれがお城だと言われても信じたと思います。
「……王子様」
「ん?」
「あの建物は……?」
王子様は、僕たちが見ている方へ顔を向けました。
「ああ、あれだよ。ほら、二人が今日から住む場所」
…………。
僕は、しばらく声が出ませんでした。
セリムも、窓へぴったりと顔を寄せています。
「……おおきい」
「そうだね」
王子様は、笑いました。
でも、僕は少し怖くなりました。
こんなに大きな家へ、僕たちが行っていいのでしょうか。
今まで使っていた寝床より、きっと大きな部屋がたくさんあります。
そんなところに、何もできない子供が二人。
やっぱり、何か特別な仕事をしなければいけないのかな。
庭を掃除する仕事ならできるかもしれない。
畑があるなら、草取りもできます。
でも、セリムに重い仕事をさせられたら……。
そんなことを考えていたら、王子様が僕の顔を覗き込みました。
「ダリル、心配?」
「……少し」
「そっか」
王子様は、すぐに否定しませんでした。
「じゃあ、中へ入る前に、少しお話しようか」
僕は、静かに頷きました。
馬車がお屋敷の前で止まりました。
王子様が先に降りて、僕たちへ手を伸ばしてくれました。
「ほら、足元に気をつけて」
そう言うと、セリムをひょいっと抱え上げました。
「……わっ」
「大丈夫?」
「……うん」
セリムは、驚きながらも王子様にしがみついていました。
それから、僕も抱えて降ろしてくれたんです。
十二歳にもなって抱えられるなんて、少し恥ずかしかったです。
でも、王子様は、当たり前のようにしてくれました。
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
そう答えてから、王子様は僕たちを門の近くへ連れていきました。
大きな屋敷を見上げると、ますます緊張しました。
すると、王子様がしゃがんで、僕たちの顔を順番に見たんです。
「二人とも、ひとつだけ覚えておいてほしいことがあるんだ」
「……はい」
「……うん」
王子様は、少し言いにくそうに口を開きました。
「これからお屋敷の中では、僕はちょっと乱暴な言葉を使わないといけないんだ」
「……え?」
意味が分かりませんでした。
今まで、こんなに優しかったのに。
「でも、二人に怒っているわけじゃないよ。だから、びっくりしないでね」
「……どうして、ですか?」
僕が尋ねると、王子様は少し困ったように笑いました。
「……まあ、いろいろあるんだよ」
いろいろ。
王子様にも、僕には分からない事情があるのでしょうか。
王子様は、続けました。
「怖くなったら、ちゃんと言ってね。二人にひどいことをするためじゃないから」
僕は、セリムの手を握りました。
「……分かりました」
「……うん」
王子様は、それを聞いて安心したように笑いました。
「ありがとう。じゃあ、行こうか」
僕たちは、いよいよ大きな屋敷の中へ入ったんです。
◇
屋敷の中は、外から見た以上に広かったです。
天井が高くて、床が綺麗で。
どこを歩いていいのか分かりませんでした。
セリムは、僕の手を強く握っていました。
しばらくして、小柄なメイドさんが近づいてきました。
髪を綺麗に整えていて、背筋がまっすぐ伸びた人でした。
「……こちらへ」
短い言葉で、僕たちを案内してくれました。
あとで、その人が楓さんだと知りました。
あまりたくさん話さないけれど、仕事がとても丁寧な人です。
僕たちが立ち止まると、ちゃんと待っていてくれました。
広い廊下の先で、少しだけ待つように言われました。
王子様も、近くにいました。
僕は、何度も屋敷の奥を見ました。
こんなところで暮らせるのかな。
もし、屋敷の人に断られたら、どうなるんだろう。
そのとき、別の執事さんが、王子様に何か伝えに来ました。
「殿下。お話をお伝えいたしました」
王子様は、短く頷きました。
そして。
廊下の向こうから、赤い髪の男の人が来たんです。
優しそうな顔をした人でした。
僕は、少しだけ安心しました。
でも、王子様が口を開いた瞬間。
「……おせえ」
僕は、びっくりしてしまいました。
……本当に、言葉が変わった!
王子様は、さっきまでの人と同じ顔をしているのに、声も表情も全然違いました。
セリムが、僕の手をぎゅっと握ります。
僕は、小さく囁きました。
「……大丈夫。さっき、教えてくれたでしょ」
セリムも、静かに頷きました。
王子様が話していた相手は、リアリスさんという人でした。
王子様の言葉は、相変わらず乱暴でした。
それなのに、リアリスさんは、あまり気にしていないようでした。
むしろ、笑って言い返しています。
僕は、驚いてしまいました。
王子様に、そんなふうに話していいのでしょうか。
でも、二人は何度も言い合いをしているようなのに、喧嘩にはなりません。
不思議な関係だなと思いました。
それから、リアリスさんは僕たちに名前を聞いてくれました。
僕とセリムが兄弟だと知って、笑ってくれました。
そのあと、王子様が僕たちを連れてきた理由を説明してくれました。
父さんと母さんのことを話すのは、少しつらかったです。
でも、リアリスさんは、急いで話させたりしませんでした。
セリムが僕の服を掴んでいるのを見て、待っていてくれました。
僕は、この人も優しいんだなと思いました。
しばらくして、温かい飲み物と食べ物が運ばれてきました。
僕たちは、遠慮していました。
ご馳走になる理由が分からなかったからです。
すると、リアリスさんは、笑って言いました。
「まずは、ご飯だね!」
セリムが、小さく頷きました。
僕は、思わず王子様を見ました。
王子様は、相変わらず難しい顔をしていました。
でも、セリムがスープを飲み始めたとき。
ほんの少しだけ、肩の力が抜けたように見えたんです。
僕には、その意味が分かりました。
王子様も、ずっと心配してくれていたんだと思います。
そのあと、リアリスさんは僕たちを受け入れると言ってくれました。
王子様とのやり取りは、僕にはよく分からないこともありました。
何だか、何度も怒ったり笑ったりしていて。
でも、リアリスさんは、僕たちを追い返したりしませんでした。
最後には、王子様へ「ありがとう」と言っていたんです。
僕は、それを聞いて嬉しくなりました。
王子様も、何だか安心した顔をしていました。
もちろん、リアリスさんが見ると、すぐにいつもの怖そうな顔に戻っていましたけれど。
……どうしてでしょう。
あの二人、仲が悪いのでしょうか。
それとも、僕には分からないだけなのでしょうか。
その日の夕方には、僕たちは綺麗なお部屋へ案内されました。
服を洗ってもらって、伸びた髪も整えてもらいました。
セリムが鏡を見て、びっくりしていました。
「おにいちゃん、ぼく?」
「うん。セリムだよ」
「……きれい」
「そうだね」
僕も、髪を整えてもらったあと、何度も鏡を見ました。
自分が自分じゃないみたいでした。
そして、また気づいたんです。
何も働いていないのに、こんなことをしてもらっていいのかな。
リアリスさんの屋敷の人たちは、誰もそんなことを聞いてきませんでした。
僕たちが困っていないか、ただ心配してくれました。
その優しさに、まだどう答えたらいいのか分かりませんでした。
王国邸で最初に仲良くなったのは、カトレアちゃんでした。
リアリスさんの娘さんです。
僕より少し年下で、いつも明るく笑っている子です。
カトレアちゃんは、花にとても詳しかったです。
「ダリルお兄ちゃん、これ知ってる?」
庭の花を指さして、よく教えてくれました。
「……ごめん。分からないや」
「じゃあ、私が教えるね!」
「うん。ありがとう」
僕が知らないことでも、カトレアちゃんは全然気にしませんでした。
セリムが花を触ろうとしたときも、優しく止めてくれました。
「そのお花は、まだ小さいからね。見るだけにしよう?」
「……うん」
「こっちは触ってもいいよ!」
セリムは、嬉しそうに頷いていました。
僕は、そんな二人を見ているのが好きでした。
その頃には、セリムも少しずつ笑うようになっていました。
夜になると、カトレアちゃんと遊んだことをよく話してくれました。
「おはな、いっぱい!」
「うん。綺麗だったね」
「……あしたも?」
「きっと遊べるよ」
リアリスさんも、僕たちに優しくしてくれました。
食堂でご飯を食べるとき、何か欲しいものはないか聞いてくれました。
僕が遠慮すると、「困ったら言ってね」と笑ってくれました。
最初は、どうしてそんなに優しくしてくれるのか分かりませんでした。
でも、今なら少し分かります。
リアリスさんは、僕たちが安心して暮らせることを、本当に喜んでくれていたんです。
屋敷での食事は、毎回びっくりすることばかりでした。
温かいスープ。
柔らかいパン。
見たことのない料理。
それから、食べきれないくらいのおかず。
初めのうちは、残してはいけないと思って、無理に食べようとしました。
でも、巴さんが声をかけてくれました。
「無理に食べなくていいのよ。お腹がいっぱいになったら教えてね」
「……でも、せっかく作ってもらったのに」
「ふふ。またお腹がすいたときに食べればいいわ」
そう言って、優しく笑ってくれました。
僕は、何度も頭を下げました。
巴さんは、いつもお母さんみたいな人でした。
セリムも、巴さんのことが大好きです。
それから、桜花さんも、とても優しい人でした。
僕たちが庭で遊んでいると、危ない場所へ行かないように気をつけてくれました。
セバスさんは、いつも忙しそうでした。
でも、僕が何か尋ねると、きちんと話を聞いてくれました。
楓さんは、相変わらずあまり話しませんでした。
ただ、ある日、僕が運ぼうとしていた荷物を、黙って半分持ってくれたことがあります。
「……ありがとう、ございます」
「……うん」
それだけでした。
でも、すごく嬉しかったです。
最初は、僕が働かないといけないのかもしれないと思っていた屋敷。
気づけば、いろんな人に助けてもらう場所になっていました。
それが嬉しくて。
でも、少しだけ、申し訳なくもありました。
僕は、ある日、リアリスさんに尋ねたことがあります。
「……僕たち、何をすればいいんでしょうか?」
リアリスさんは、少し驚いた顔をしました。
「何って?」
「ご飯を作ってもらったり、お部屋を使わせてもらったり……その分、何か……」
言い終わる前に、リアリスさんが首を振りました。
「何もしなくていい、って言うのも変かな。まずは、ゆっくり暮らしてほしいな」
「……ゆっくり?」
「うん。セリム君と遊んだり、カトレアと花を見たり。そういうのも大事でしょ?」
僕は、少し考えました。
今までは、毎日何かしなければいけないと思っていました。
畑仕事や掃除をしないと、ご飯をもらうのが申し訳なかったからです。
でも、ここでは、そうしなくてもいい。
まだ、うまく慣れませんでした。
「……僕、何もしていない気がします」
「そうかな? セリム君のことも見てくれてるし、カトレアとも遊んでくれてるよ」
「……それは、仕事じゃないです」
「うん。仕事じゃなくても、嬉しいことってあるんだよ」
僕は、その言葉をずっと覚えています。
仕事をするのが嫌だったわけではありません。
村の人たちを手伝うのは、楽しかったです。
だけど、今まで僕は、役に立たないと居場所がなくなってしまうと思っていました。
リアリスさんは、そんなふうに思わなくていいと教えてくれたんです。
◇
王国邸で暮らし始めて、少し経った頃。
あの王子様が、また来てくれました。
その日はリアリスさんが外出していて、僕たちは庭で遊んでいました。
僕は、最初に王子様の姿を見つけました。
「……クオシン殿下!」
思わずそう呼びそうになって、口を押さえました。
王子様は、僕たちの近くまで来ると、少しだけ笑いました。
「こんにちは。元気にしてた?」
「……はい!」
セリムが、僕の後ろから顔を出しました。
「……おうじさま」
王子様は、しゃがんでセリムへ目を向けました。
「セリム、よく眠れてる?」
「……うん!」
「そっか。ご飯も食べられてる?」
「……おいしい」
「それならよかった」
王子様は、嬉しそうでした。
僕は、少しだけ不思議に思いました。
屋敷に来た日にリアリスさんへ話していたときとは、全然違う口調だからです。
でも、きっとこっちが、本当の優しい王子様なんだと思いました。
「ダリルはどう?」
「僕も、大丈夫です」
「そう。困っていることはないかな?」
僕は、少し考えました。
「……いえ。本当に、よくしてもらっています」
王子様は、ほっとしたように笑いました。
「それならよかった」
僕は、その笑顔を見て、胸が温かくなりました。
王子様は、僕たちをここへ連れてきて終わりじゃなかったんです。
そのあとも、ずっと気にしてくれていたんです。
その日、王子様は庭を一緒に歩いてくれました。
カトレアちゃんたちが育てている花を見たり、セリムが好きな場所を案内したり。
王子様は、ひとつずつ話を聞いてくれました。
「この花、セリムが好きなの?」
「……うん!」
「綺麗だね」
「……おにいちゃんも?」
「うん。好きだよ」
王子様がそう言うと、セリムは嬉しそうに笑いました。
僕は、少しだけ驚きました。
王子様も、こんなふうに花の話をするんだなと思ったからです。
それから王子様は、僕たちに尋ねました。
「ここで暮らしていて、怖いことはない?」
「……怖いこと、ですか?」
「うん。嫌なことを我慢してないかなって」
僕は、首を振りました。
「ありません。みんな優しいです」
「そっか」
王子様は、しばらく黙っていました。
それから、小さく言ったんです。
「……本当によかった」
その声は、少しだけ震えているようにも聞こえました。
僕には、王子様が何を考えていたのか、全部は分かりません。
でも、僕たちが元気でいることを、本当に喜んでくれているんだと思いました。
別れ際、王子様は僕の頭に手を置きました。
「ダリル。困ったことがあったら、遠慮しないで言うんだよ」
「……はい」
「セリムのことも大事だけど、ダリルもちゃんと休むんだよ」
僕は、その言葉を聞いて、少しだけ泣きそうになりました。
父さんと母さんがいなくなってから、僕にそんなことを言ってくれる人が、あまりいなかったからです。
そのあとも、王子様は時々、僕たちの様子を見に来てくれました。
毎日ではありません。
王子様には、王子様のお仕事があるからです。
来られない日もありました。
でも、会える日は必ず、同じことを聞いてくれました。
「ご飯、ちゃんと食べられてる?」
「はい」
「眠れてる?」
「……はい」
「何か困っていない?」
「大丈夫です」
僕がそう答えると、王子様は安心したように頷きました。
セリムも、王子様を見ると笑うようになりました。
ある日、僕は思い切って尋ねてみました。
「……どうして、そんなに心配してくれるんですか?」
王子様は、少し驚いた顔をしました。
「どうしてって……」
「僕たち、王子様に何もお返しできていないのに」
すると、王子様は首を振りました。
「お返しなんて、いらないよ」
「……でも」
「二人が元気でいてくれたら、それでいいんだ」
僕は、しばらく何も言えませんでした。
村の人たちも、リアリスさんたちも、同じことを言ってくれます。
どうして僕は、何かを返さなきゃいけないと思っていたんだろう。
父さんと母さんがいなくなってから、ずっとそう思っていたからかもしれません。
でも、そんな僕の考えを、王子様は否定しませんでした。
「いつか誰かを手伝いたいなら、そうすればいい。でも、今は無理しないで」
僕は、ゆっくり頷きました。
「……はい」
今も、その言葉を覚えています。
王子様が帰るときは、いつも少しだけ様子が変わりました。
大人の人が近くに来ると、急に顔つきが厳しくなるんです。
ある日、廊下の向こうから執事さんの声が聞こえました。
「殿下。馬車のご用意が整いました」
王子様は、僕たちへ向けていた笑顔を引っ込めました。
「……ああ。分かった」
それから、僕たちの方へ向き直って、また少し笑いました。
「じゃあ、今日はここまでだね」
「……はい」
「また来るよ」
「……うん!」
セリムが、嬉しそうに手を振ります。
僕も、手を振りました。
その背中を見ながら、屋敷へ来た日のことを思い出しました。
『これからお屋敷の中では、僕はちょっと乱暴な言葉を使わないといけないんだ』
あの言葉です。
僕には、まだ理由が分かりません。
でも、王子様が僕たちを怖がらせないように、先に教えてくれたのだということは分かりました。
だから、王子様が大きな声でリアリスさんと話していても。
僕は、あまり怖くありませんでした。
セリムも、最初こそびっくりしましたが、今では大丈夫そうです。
それに、リアリスさんも普通に言い返しているんです。
もしかしたら、あの二人は、ああいう話し方が好きなのかもしれません。
……そんなことがあるのかは、分かりませんけれど。
◇
やがて、リアリスさんが孤児院を作ると言い始めました。
最初は、何の話なのかよく分かりませんでした。
王都や、ほかの町にある孤児院を見に行っていると聞きました。
孤児院というのは、僕たちみたいに親がいない子供たちが、先生たちと一緒に暮らす場所なのだそうです。
僕は、少しだけ気になりました。
僕たちも、そこへ行くことになるのでしょうか。
リアリスさんの屋敷で暮らすのも、とても楽しかったです。
カトレアちゃんと遊べるし。
温かいご飯を毎日食べられるし。
みんな、優しいです。
でも、僕は時々、村にいた頃のことを思い出しました。
父さんと母さんの家。
毎日、できる仕事を探していたこと。
セリムと二人で、小さな鍋を囲んでいたこと。
今の暮らしとは、何もかも違いました。
ある日、庭でカトレアちゃんと遊んでいると、セリムが言いました。
「……おにいちゃん、ここ、たのしい」
「うん。楽しいね」
「……ずっと?」
僕は、すぐに答えられませんでした。
ここにずっといてもいいのか、まだ分からなかったからです。
「……どうだろうね」
そう答えると、セリムは少し心配そうな顔をしました。
「……おにいちゃんも?」
「うん。僕も一緒だよ」
それだけは、はっきり言えました。
どこで暮らすことになっても、セリムと離れるつもりはなかったからです。
王子様が来てくれたとき、僕はその話もしました。
「リアリスさんが、孤児院を作るそうです」
「ああ。聞いてるよ」
「……すごいですよね」
王子様は、少し苦笑しました。
「……あの人は、時々すごいことを思いつくからね」
僕は、何だか嬉しくなりました。
リアリスさんのことを、王子様もよく知っているんだと思ったからです。
「……僕たちも、そこへ行くんでしょうか」
そう尋ねると、王子様は、すぐには答えませんでした。
「ダリルは、どうしたい?」
「……分かりません」
「そっか」
僕は、俯きました。
これまで、僕は自分で決めなければいけないことが多かったです。
明日、どこで働くか。
何を食べるか。
セリムが具合を悪くしたらどうするか。
でも、これからどこで暮らすかという話は、あまりにも大きく感じました。
王子様は、僕の隣へしゃがみました。
「今すぐ決めなくていいよ」
「……はい」
「リアリスさんも、ダリルとセリムの気持ちを聞いてくれると思う」
「……そうでしょうか」
「うん。そういう人だから」
僕は、顔を上げました。
王子様は、少しだけ笑っていました。
「ただ、あの人は、思いついたらすぐ動くことがあるから……」
そこで、何かを思い出したような顔をしました。
僕は、思わず聞き返しました。
「……何かあったんですか?」
「……いや。何でもないよ」
そう言って、王子様は話を変えました。
僕は少し気になりましたが、聞かないことにしました。
その頃から、王子様が屋敷へ来てくれる日が少し減りました。
お仕事が忙しいのかなと思いました。
でも、ある日、カトレアちゃんがこんな話をしてくれたんです。
「お父さんね、今日も孤児院の人に会いに行くんだって!」
「そうなんだ」
「お花のあるところかな?」
「……どうだろうね」
僕たちは、笑いながら庭の花を見ました。
それからしばらくして、リアリスさんが新しい孤児院を作ったと聞きました。
しかも、学校の隣に。
最大で五百人も暮らせる、とても大きな場所らしいです。
僕は、最初、聞き間違えたのかと思いました。
五百人。
僕たちの村より、ずっと多いかもしれない人数です。
「……セリム、五百人って分かる?」
「……いっぱい?」
「うん。すごくいっぱい」
僕も、そのくらいしか言えませんでした。
リアリスさんは、魔法で一瞬で建てたのだそうです。
それを聞いて、僕はまた驚きました。
王子様も、きっとびっくりしたと思います。
……それとも、もう慣れているのでしょうか。
僕には、よく分かりません。
ただ、その場所で暮らす子供たちがいるのだと思うと、何だか胸が温かくなりました。
今まで僕たちみたいに困っていた子も、安心して眠れるようになるのかな。
そう思ったからです。
そして、ある夜。
リアリスさんが、僕とセリムを居間へ呼んでくれました。
「二人とも、少しお話してもいい?」
「はい」
「……うん」
僕たちは、並んで座りました。
リアリスさんは、新しい孤児院に子供たちが引っ越すことを教えてくれました。
そして、僕たちにも尋ねたんです。
「これからも王国邸で暮らすか、それとも新しい孤児院で暮らしてみるか。二人はどうしたい?」
僕は、驚きました。
……僕たちが、決めていいの?
孤児院ができたら、そこへ行くものだと思っていたんです。
でも、リアリスさんは、ここに残ってもいいと言いました。
僕たちがいてくれて嬉しい、と。
それを聞いたとき、胸が温かくなりました。
僕は、ずっと少しだけ不安でした。
ここで何もしないまま暮らしていて、いつか迷惑だと言われないだろうか。
でも、リアリスさんは、そんなことは全然ないと言ってくれました。
そして、どちらを選んでも居場所はなくならないと教えてくれたんです。
僕は、嬉しかったです。
……本当に、嬉しかった。
だからこそ、きちんと考えたいと思いました。
リアリスさんは、すぐに決めなくてもいいと言ってくれました。
それでも、僕は一度セリムの顔を見ました。
この子は、どうしたいんだろう。
僕だけで決めるのは、違うと思ったんです。
僕は、セリムに尋ねました。
「……セリムは、どうしたい?」
セリムは、少し考えていました。
ここも好きだと言いました。
新しい家にいる子たちとも遊びたい、と。
でも、カトレアちゃんのことも気になるみたいでした。
リアリスさんは、学校が隣だから、これからも遊べると言ってくれました。
それを聞いて、セリムが笑いました。
「……じゃあ、あっちも、いってみたい」
僕も、同じ気持ちでした。
だけど、それだけではありません。
王国邸での暮らしは、何もかもが優しくて。
僕たちは、いつも守られていました。
そのことが、嬉しかったです。
でも、時々、怖くなることもあったんです。
あまりに何もかもが違うから。
ここでの暮らしに慣れて、いつか父さんと母さんのことや、村で助けてくれた人たちのことを、少しずつ忘れてしまうんじゃないかって。
自分たちに親がいないことまで、忘れたまま過ごしてしまうんじゃないかって。
もちろん、忘れることが悪いわけではないと思います。
でも、僕は、今までのことを大切にしたかったんです。
同じように親のいない子たちと一緒に暮らして、友達になってみたい。
自分が助けてもらったように、誰かの役に立てる日が来るといい。
そんな気持ちが、少しずつ大きくなっていました。
それに、セリムにも、同じくらいの年齢の友達ができたら嬉しいと思いました。
セリムは、僕の手を握って言いました。
「……おにいちゃんと、いっしょなら!」
僕は、少し笑いました。
「うん。一緒だよ」
そして、リアリスさんへ向き直りました。
「……僕たち、二人で新しい孤児院へ行きたいです」
そう言うと、リアリスさんは、嬉しそうに笑いました。
「分かった! じゃあ、明日から二人も新しい孤児院で暮らしてみようか」
その顔を見て、僕は安心しました。
王国邸に残らないと言ったら、寂しがらせてしまうかもしれないと思っていたからです。
でも、リアリスさんは、そんなことを言いませんでした。
むしろ、僕たちが自分で選んだことを喜んでくれました。
困ったらいつでも相談してほしい、とも言ってくれました。
僕は、何度も頭を下げました。
その夜、部屋へ戻ってから、セリムと少しだけ話しました。
「……おにいちゃん、あした?」
「うん。明日だね」
「……カトレアちゃん、あそべる?」
「うん。学校が隣だから、また遊べるよ」
「……よかった」
セリムが、ほっとしたように笑いました。
僕も、少しだけ笑いました。
引っ越すのは不安でした。
でも、今度は僕たちが自分で決めたことです。
その違いが、何だかとても大きく感じたんです。
◇
新しい孤児院へ来た日。
最初に驚いたのは、建物の大きさでした。
リアリスさんが作ったと聞いていたけれど、実際に見上げると、思っていたよりずっと大きかったです。
セリムも、ずっと上を見ていました。
「……おっきい」
「うん。すごいね」
でも、入ってみると、少し安心しました。
僕たちが使うのは、ほんの一部だけだったからです。
先生たちが、暮らす場所を分かりやすく案内してくれました。
ポーラ院長先生。
ナタリー先生。
ハーティス先生とリン先生。
デーツ先生とライア先生。
アンキル先生とスペリア先生。
みんな、初めて会ったときから優しかったです。
僕たちだけではなく、ほかの子供たちのことも一人ずつ気にかけてくれました。
初日は、少し寂しそうな子もいました。
前の孤児院を離れたばかりだったからです。
でも、先生たちは、無理に笑わせようとはしませんでした。
今までの思い出も大切にしていいと言ってくれました。
それを聞いて、僕も嬉しくなりました。
村で暮らしていたことも。
父さんと母さんのことも。
王国邸で過ごした日々も。
全部、大切にしていていいんだ。
そう思えたからです。
僕たちは、二人で使う部屋へ案内してもらいました。
窓際には、ベッドが二つ。
小さな机と、棚もありました。
セリムは、すぐにベッドを見に行きました。
「……ふかふか」
僕は、思わず笑ってしまいました。
僕は、荷物の中から木の櫛を取り出しました。
父さんと母さんが使っていた、あの櫛です。
ここへ来るまで、ずっと持っていました。
机の上へ置くと、セリムが近づいてきました。
「……かあさんの?」
「うん」
僕たちは、しばらく櫛を見ていました。
村の家を出るとき、置いていかなくてよかった。
そう思いました。
リアリスさんは、僕たちの大切なものだと聞いて、しまえる場所を用意しようかと言ってくれました。
でも、僕は、しばらく見えるところに置きたいと答えました。
リアリスさんは、すぐに頷いてくれました。
誰にも、無理に片付けなさいとは言われませんでした。
その日の夜、セリムはなかなか眠れない様子でした。
「……おにいちゃん、いる?」
「いるよ。隣だよ」
「……うん」
そう言うと、少し安心していました。
僕も、正直に言えば緊張していました。
でも、先生たちが近くにいてくれました。
リアリスさんも、夜に様子を見に来てくれました。
僕たちが困っていないか、声をかけてくれたんです。
前に住んでいた屋敷から、こんなに近くに来てくれるんだと思って嬉しくなりました。
その夜は、セリムの寝息を聞きながら眠りました。
久しぶりに、明日のことを楽しみにしながら。
孤児院での生活は、思っていたよりずっと楽しかったです。
朝になると、食堂には温かいご飯が用意されています。
たくさん食べる子がいて、先生たちが笑っています。
セリムも、ご飯を楽しみにするようになりました。
前は、明日の分を残しておかないといけないと思うことがありました。
でも、ここではお腹いっぱい食べていいんです。
足りなくなったら、先生たちに相談できます。
僕は、それだけでも、とても嬉しかったです。
同じ部屋や廊下で会う子供たちとも、少しずつ話すようになりました。
木の鳥を作っている子たち。
貝殻をたくさん集めている子たち。
絵が得意な子。
小さな人形を大切にしている子。
みんな、いろいろな思い出を持っています。
僕は、その話を聞くのが好きでした。
僕たちが村で暮らしていた話をすると、驚く子もいました。
でも、嫌な顔をする子はいませんでした。
みんな、自分の話も聞かせてくれました。
ある子が、僕に尋ねました。
「ダリル、お父さんとお母さんのこと、覚えてる?」
「うん。覚えてるよ」
「……そっか」
その子は、少しだけ寂しそうでした。
僕は、何と言えばいいのか分かりませんでした。
でも、隣に座りました。
しばらくすると、二人で別の話をしました。
それだけでも、少し仲良くなれた気がしました。
僕が好きなのは、工作室です。
フェルザから来た子たちが、よく木の鳥を作っています。
セリムも、それを見せてもらってから、ずっと興味を持っていました。
「……おにいちゃん、つくる」
「うん。先生に教えてもらおうか」
「……うん!」
デーツ先生とライア先生は、丁寧に教えてくれました。
僕も、ちょっとだけ手伝いました。
セリムは、最初は道具を持つのが怖かったみたいです。
でも、先生がそばにいると、少しずつできるようになりました。
出来上がったものは、まだ木の鳥には見えませんでした。
でも、セリムはとても嬉しそうでした。
「……とりさん!」
「うん。上手だね」
僕がそう言うと、セリムは笑いました。
僕も、昔、父さんに木の道具の作り方を教えてもらったことを思い出しました。
いつか、もっと上手に作れるようになったら。
セリムと一緒に、父さんみたいな道具を作ってみたいです。
もちろん、急がなくてもいいんだと思います。
ここには先生たちがいます。
道具もあります。
失敗したら、また教えてもらえます。
そういうことが、何だか不思議でした。
でも、とても嬉しかったです。
ある日、僕は中庭の花壇を見に行きました。
カトレアちゃんとセリムが植えた花が、少しずつ育っていました。
そこには、ほかの孤児院から持ってきた貝殻も並んでいます。
風が吹くと、葉が小さく揺れました。
僕は、その様子を見るのが好きです。
あるとき、セリムが言いました。
「……おにいちゃん、ここ、すき」
「うん。僕も好きだよ」
「……おやしきも、すき」
「そうだね」
僕は、少し笑いました。
「どっちも好きでいいんだよ」
セリムは、少し考えました。
「……ふたつ?」
「うん。二つとも」
セリムが、嬉しそうに笑いました。
僕も、何だか安心しました。
前は、どこか新しい場所へ行くと、前の場所を忘れなきゃいけないと思っていました。
でも、そうじゃないんです。
村の家も。
リアリスさんのお屋敷も。
今の孤児院も。
それぞれ、大切な場所です。
父さんと母さんがいた頃の僕も。
村の人たちに助けてもらっていた僕も。
リアリスさんのお屋敷で初めて温かいご飯を食べた僕も。
全部、僕なんだと思います。
そう思えたら、少しだけ胸が軽くなりました。
これから、もっといろんなことがあると思います。
でも、今は。
明日の朝ご飯が楽しみだな、なんて考えられるんです。
それが、僕にはすごく嬉しいことでした。
◇
新しい孤児院での暮らしが始まって、少しした頃。
あの王子様が、また様子を見に来てくれました。
最初に見つけたのは、僕ではありませんでした。
中庭で遊んでいた男の子が、門の方を指さしたんです。
「あっ、お兄ちゃん!」
僕が振り返ると、そこにクオシン殿下が立っていました。
いつものように、あまり目立たない服を着ています。
王族だと分からないような格好です。
僕は、思わず走り寄りそうになりました。
でも、その前に、小さな子供たちが集まってしまいました。
「お兄ちゃん!」
「来た!」
「こっち!」
…………。
僕は、ちょっと驚きました。
みんな、もう王子様のことを知っているみたいです。
クオシン殿下は、少し困ったように笑っていました。
「こんにちは。みんな元気?」
「げんきー!」
「ごはんたべた!」
「ぼくも!」
子供たちが、一斉に話し始めます。
王子様は、一人ずつ顔を見ながら頷いていました。
「そっか。よかった。順番に聞かせてね」
僕は、その声を聞いて、何だか嬉しくなりました。
王国邸へ来た日のことを思い出したからです。
あのときと、同じ声でした。
僕たちを助けてくれた、優しい王子様の声です。
王子様は、僕とセリムにも気づきました。
「ダリル、セリム。新しい家はどう?」
「……はい。とても楽しいです」
「……たのしい!」
「そうか。よかった」
王子様は、安心したように笑いました。
それから、いつものように尋ねました。
「ご飯、ちゃんと食べられてる?」
「はい!」
「夜は眠れてる?」
「……はい。先生たちも、近くにいてくれます」
「そっか」
王子様は、セリムの頭をそっと撫でました。
「困ってること、ない?」
「……ない!」
「それならよかった」
セリムが、にっこり笑いました。
その顔を見ると、僕まで嬉しくなりました。
でも、王子様は僕たちだけに話しかけたわけではありませんでした。
近くにいた女の子にも声をかけました。
「お部屋には慣れた?」
「うん!」
「寂しいときは、先生に言えてる?」
「……うん。ナタリーせんせい、いる」
「そっか。よかったね」
その隣の男の子にも、同じように尋ねます。
ご飯は食べられているか。
眠れているか。
困っていることはないか。
僕たちに聞いてくれたことを、みんなにも聞いていました。
僕は、驚きました。
だって、王子様はここにいる子供たち全員のことを気にかけているんです。
僕とセリムだけじゃなかったんです。
僕は、それが何だかとても嬉しくなりました。
子供たちは、みんな王子様に懐いていました。
男の子も、女の子も。
小さな子たちは、王子様の袖を引っ張って離れません。
「お兄ちゃん、これ!」
「お兄ちゃん、みて!」
「お兄ちゃん、あそぼ!」
王子様は、何度も困ったように笑っていました。
でも、嫌そうではありませんでした。
むしろ、嬉しそうです。
ひとつひとつ、話を聞いてくれました。
ある男の子が、庭のベンチを指さしました。
「お兄ちゃん、あそこ!」
「ん?」
「お兄ちゃんのいす、つくったんだ!」
そこには、木の板で作った小さな札が置かれていました。
『おにいちゃんの いす』
王子様は、少し驚いた顔をしました。
「……僕の?」
「うん!」
「……そっか。ありがとう」
男の子が、嬉しそうに笑いました。
僕は、その様子を見ていました。
王子様は、みんなが作ったものを見せられるたびに、ちゃんと褒めていました。
それを聞いて、子供たちはますます嬉しそうに笑います。
でも、僕はひとつだけ心配になりました。
王子様のお仕事は大丈夫なのでしょうか。
こんなにたくさんの子供に囲まれていたら、なかなか帰れないんじゃないかな。
そう思って、少しだけ笑ってしまいました。
……でも。
王子様も、どこか楽しそうでした。
そのうち、子供たちは王子様を花壇へ連れていこうとしました。
セリムも、王子様の隣で嬉しそうにしています。
「……おはな、みせる」
「うん。見せてくれる?」
「……こっち!」
王子様が歩き始めると、何人もの子供たちがついていきました。
僕も、少し後ろから歩きました。
そのとき、男の子の靴ひもがほどけていることに気づきました。
僕が声をかけようとしたら、王子様が先に気づいたんです。
「ちょっと待って。ほどけてるよ」
「えっ?」
「転ぶと危ないから。ほら、足を出して」
王子様がしゃがんで、靴ひもを結び直してあげました。
男の子は、じっと待っていました。
「はい。これで大丈夫」
「ありがと、お兄ちゃん!」
「どういたしまして」
僕は、そのやり取りを見て、少しだけ笑いました。
僕たちが村から連れてきてもらった日も、王子様は同じように気にかけてくれました。
馬車から降りるときも。
お腹がすいていないか聞いてくれたときも。
セリムが怖がらないように話してくれたときも。
ずっと、同じでした。
王子様は、最初から優しかったんです。
それを、今は孤児院のみんなも知っています。
僕は、そのことがすごく嬉しかったです。
……でも、ひとつだけ。
王子様が、シルク王国の第一王子だということは、ほかの子にはまだ話していません。
みんなは、ただ「お兄ちゃん」と呼んでいます。
王子様も、今はそれでいいみたいです。
僕は、そんな王子様を見つめていました。
セリムも、王子様の近くにいます。
周りには、友達がたくさんいます。
王子様は、少し困ったような顔をしながらも、みんなの話を聞いてくれています。
僕たちは、こんな優しい王子様が大好きです。
でも、たぶん。
リアリスさんは、まだ知らないと思います。
王子様が、こんなに優しい顔で子供たちと話していることを。
だって、リアリスさんと話すときの王子様は、すぐに怖い顔になってしまうんですから。
何でなのか、僕にはまだ分かりません。
でも、もしリアリスさんが今の王子様を見たら、きっと驚くと思います。
そんなことを考えていたら。
中庭の向こうに、見覚えのある赤い髪が見えました。
……あれ?
あの人は。
僕は、思わず手を振りました。
「あっ、リアリスさんだ! こんにちは!」
王子様が、ゆっくりとそちらを振り返ります。
僕は、ちょっとだけ楽しみになりました。
今度は、リアリスさんが驚く番かもしれません。




