第2話:理想のマイホーム
目の前には、大きな扉がある。
……というより、大きすぎる扉がある。
「これ、私の家の玄関だよね?」
草原に建てた三階建ての屋敷。その正面に立つ私は、改めて自分の想像力というものを疑っていた。
最初は小さな平屋のつもりだったのだ。
それが、少し考え事をしただけでこの有様。
……想像魔法って、使う人の欲望まで正直に形にしちゃうんだね。
「……よし。入ろう」
私は扉に手をかけた。
見た目は重厚な木の扉だけれど、驚くほど軽く開く。
金具が静かに動き、ひんやりとした空気が顔を撫でた。
「お、おお……!」
その先には、広々とした玄関ホールがあった。
磨かれた石の床。高い天井。左右にはゆったりした廊下が伸び、正面には二階へ続く大きな階段。
窓から差し込む午後の日差しが、壁の装飾を柔らかく照らしている。
赤い色は敷物や手すり、調度品に控えめに使われていた。
うん。落ち着いた感じでいい。
私が想像したとおりだ。
……いや、正確には、想像していたものの三倍くらい立派だ。
「ただいまー……」
試しに声を出してみる。
『……まー……』
声が、かすかに返ってきた。
「……反響した」
当然だ。
誰もいない玄関ホールで、私は一人でうなずいた。
さて、どこから見て回ろう。
地図が欲しくなるほど広いけれど、これは自分で作った家だ。
間取りだって頭の中にある。
……ある、はず。
私は正面の階段を見上げた。
次に左右の廊下を見る。
そして、しばらく考えた。
「……まずは一階からかな」
うん。普通だ。
特に深い理由はない。
初めて入った自宅で迷子になるという、あまりにも情けない事態だけは避けたい。
私は左の廊下へ歩き出した。
最初に見つけたのは、大きな居間だった。
両開きの扉を開けると、向こう側に庭が見える。
窓際にはゆったりした椅子が並び、中央には広い卓。その近くには、大勢で座れそうな長椅子まである。
「……いいねぇ」
私は椅子に腰を下ろしてみた。
柔らかすぎず、硬すぎず。
背中を預けると、身体がちょうどよく収まる。
……ああ、これは危険だ。
こんな椅子に座っていたら、何もしないまま午後が終わりそうだ。
「それこそ理想の生活かも」
庭の方からは、穏やかな光が差し込んでいた。
ここでお茶を飲みながら本を読んだら、どんなに気持ちいいだろう。
……でも、お茶はない。
食器もあるはずだけど、何を飲むか決めていなかった。
家を一瞬で建てられても、さすがに暮らすための食料まで勝手に揃うわけじゃないよね。
「まずは買い物が必要だな」
私は立ち上がり、居間の隣へ向かった。
そこは食堂だった。
……食堂、というより宴会場かな?
長い卓に椅子がずらりと並んでいる。
端から端まで歩いてみる。
……うん。長い。
「……何人呼ぶつもりなんだろう、私」
今いる住人は一人だ。
その一人が毎日この卓で食事をするところを想像すると、何だか笑えてきた。
「いただきます」
試しに椅子へ座り、目の前に何もない皿があるつもりで手を合わせる。
……寂しい。
いや、想像以上に寂しいぞ、これ。
「……まあ、慣れるでしょ」
私は苦笑して立ち上がった。
自分の家なんだから、使い方は後で考えればいい。
食堂の奥には、大きな扉があった。
よし。
次はいよいよ、私がかなり期待している場所だ。
「……厨房!」
私は少し足取りを速めた。
厨房の扉を開けた瞬間、思わず歓声が漏れた。
「おおお……!」
広い調理台に、使いやすそうな流し台。棚には鍋や包丁、食器が整然と収まっている。
そして、その一角には見慣れた形の箱があった。
「……冷蔵庫!」
思わず駆け寄って扉を開ける。
中はひんやりしていた。
棚も、引き出しも、私が日本で使っていたものに近い。
ただし、中身は空っぽだ。
「……ですよね」
ここまで作っておいて、食材の準備を忘れていた。
でも、この世界にコンセントなんてない。
冷蔵庫の裏を覗いてみても、電源コードらしきものは見当たらなかった。
私が《建築》で想像したとおり、家に組み込まれた魔力の仕組みが、冷やす機能を動かしているらしい。
「……便利すぎない?」
まだ転生して三日なのに、もう文明の違いを魔法で埋めようとしている。
異世界ならではの生活を楽しむつもりだったはずなんだけど。
……いや、楽しんでいるよ?
不便を我慢することと、異世界を楽しむことは別だと思うんだ。
続いて、調理台の一角にある火口へ向かった。
見慣れた形のつまみをひねる。
ぼっ。
「おおっ!」
小さな炎が灯った。
少し動かすと炎が強くなり、戻すと弱くなる。
もう一度ひねると、火はすっと消えた。
「火加減まで完璧じゃないか!」
これなら、料理だってかなり自由にできそうだ。
次は流し台。
蛇口を回してみる。
さらさらと、水が流れた。
「……水まで出る!」
自分で考えて作ったのに、いちいち感動してしまう。
魔力で必要な水を供給し、使い終わった水も処理する。
説明するだけなら簡単だけど、現代日本にいた頃なら、仕組みを作るところから大騒ぎだっただろう。
「……これ、生活魔法の頂点なんじゃない?」
ドラゴンを倒した《即死》より、私は今、この蛇口に感動していた。
強さより暮らしやすさ。
私の価値観は、どうやら変わっていないらしい。
ただ、問題が一つ。
「……材料がない」
冷蔵庫も調理台も、水回りも揃っている。
でも、作る食材は何もない。
立派な厨房の真ん中で、私は腕を組んだ。
「……明日は買い物だな」
料理をするのは、それからのお楽しみだ。
次に確認するのは、地味だけれど絶対に必要な場所だ。
……そう。
トイレ。
異世界転生と聞くと、冒険者ギルドや魔法ばかり注目しがちだけれど、毎日の暮らしで困ることはもっと身近にある。
日本で当たり前だったものが、こちらでも当たり前とは限らない。
だから、私の家にはちゃんと用意した。
「……おお。完璧だ」
扉を開けると、明るく清潔な空間が広がっていた。
便座があり、水を流すための仕組みもある。
試しに洗浄用の操作部分へ触れると、水が勢いよく流れ、すっと静かになった。
「おおおっ!」
水の行き先を確かめるまでもない。
《建築》で組み込んだ魔法が、汚物を含む排水を処理してくれる仕組みだ。
この世界の川や地面を汚さないように、と考えておいた。
……うん。
我ながら偉い。
さっきから冷蔵庫だの蛇口だの便所だので感動しっぱなしだけど、仕方ない。
今の私にとっては、どれも大切な生活基盤だ。
「国王様が見たら驚くだろうなぁ」
……いや。
これ以上あの人を驚かせるのはやめておこう。
三回目の気絶までさせたら、さすがに申し訳ない。
私は静かに扉を閉めた。
さて。
ここからが本命だ。
ここまでの設備も気に入ったけれど、私が一番楽しみにしていたのは別にある。
廊下を進むにつれ、足取りが自然と速くなった。
「……あった!」
立派な引き戸の前に、小さく『浴場』と書かれている。
その文字を見ただけで、何だか胸が熱くなった。
転生してから二日間。
宿には風呂がなく、《クリーン》でどうにか身体をさっぱりさせた。
魔法のおかげで清潔にはなれたけれど、湯船に浸かる気持ちよさまでは再現できなかった。
……ようやく、この時が来た!
私はそっと戸を開けた。
「…………」
思わず、言葉を失った。
脱衣所には整った棚と、大きな鏡。
その先の浴室は、柔らかな光に満たされていた。
壁は落ち着いた石造り。床は滑りにくそうな仕上がりで、洗い場がいくつも並んでいる。
そして奥には――。
「……ひ、広い!」
大きな湯船があった。
大人が何人も足を伸ばして入れそうな、堂々とした浴槽だ。
しかも、窓の向こうには草原が見える。
もちろん、外から中が丸見えにならないよう、景色だけを楽しめる造りにしてある。
……よかった。
ここまで想像できていて、そこを忘れていたら大変なことになるところだった。
「これ、家のお風呂だよね……?」
日本の温泉旅館で見た大浴場を、そのまま持ってきたような眺めだった。
私は浴槽の縁に近づき、湯の供給口を確かめた。
試しに操作すると、澄んだお湯が流れ出した。
「……出た!」
指先を入れてみる。
……あったかい。
熱すぎない、ちょうどいい温度だ。
魔力で水を温め、必要な分だけ供給するように作ってあるから、わざわざ薪を燃やさなくてもいい。
流れていく水も、魔法で綺麗に処理される。
もう最高じゃないか。
「これなら毎日入れる……!」
私は思わず、浴槽の前で小さく拳を握った。
病気になる前は、風呂上がりに冷たい飲み物を飲む時間が好きだった。
調子が悪くなってからは、それすら簡単ではなかった。
今は、自分で好きな時間にお湯を張って、ゆっくり身体を温められる。
そんな当たり前のことが、たまらなく嬉しい。
……うん。
家を建ててよかった。
いや、少し大きすぎたけど。
それでも、これは間違いなく成功だ。
私はお湯を止め、浴槽の水を抜いておいた。
本格的に入るのは、ほかの部屋を見て回ってからにしよう。
何しろ、まだこの屋敷の一階しか見ていない。
「……お風呂だけで、もう満足なんだけどなぁ」
名残惜しく浴場を振り返る。
……ああ。
絶対、今夜は長風呂するぞ。
浴場を出て廊下を進むと、窓越しに庭が見えた。
花壇には色とりどりの花が咲き、その向こうには青い空と草原が広がっている。
少し先には、ゆったりした椅子と鏡が並ぶ部屋があった。
ここはサロンとして使えそうだ。身だしなみを整えたり、誰かを迎えたりできる場所にするつもりだったらしい。
……らしい、というのも変な話だ。
私が自分で作ったのに。
「想像したとおりなのに、初めて見る場所ばかりって不思議だな」
頭の中では、間取りが平面の絵みたいに広がっていた。
でも実際に歩いてみると、扉の重みも、床の感触も、窓から差し込む光もある。
自分で作ったものなのに、新しい建物を探検している気分だ。
そして、気がついた。
玄関から厨房、浴場、店のような部屋まで見て回っているのに、一度も誰かとすれ違っていない。
……当たり前だよね。
今のところ、住人は私一人なんだから。
窓際の椅子に腰を下ろし、しばらく庭を眺めた。
綺麗だ。
とても綺麗だ。
けれど、ここで誰かと一緒にお茶を飲めたら、もっと楽しいだろうな。
……あれ。
自分でも、少し意外だった。
私は一人でのんびり暮らすのが好きなはずなのに。
いや、一人の時間が好きなことと、誰とも話さずに暮らしたいことは別か。
「……まあ、友達はそのうちできるでしょ」
私は立ち上がり、階段へ向かった。
二階へ上がる階段は、想像以上に緩やかだった。
手すりには落ち着いた赤い布飾りが添えられ、踊り場の大きな窓から、草原が見渡せる。
この眺めだけでも、三階建てにした価値があったかもしれない。
「……おお」
階段を上りきると、また広い廊下が続いていた。
左右に扉が並んでいる。
私は一番近くの扉を開けた。
寝台と机、収納棚のある、落ち着いた部屋だった。
窓から光が差し込み、広さも十分ある。
「いい部屋だなぁ」
宿で泊まっていた部屋より、ずっと広い。
個人で使うには申し分ない部屋だ。
隣の部屋も見てみる。
こちらも同じように整っていて、広さも近い。
なんとなく、隣同士で使うことを想定したような並び方だった。
「……こういうの、仲のいい人同士で使ったら便利そうだよね」
今は住む人なんて私しかいないのに、そんなことを思う。
自分で作った家なのに、自分の想像の先回りを見せられているみたいで、ちょっと不思議だった。
さらに廊下を進むと、ひときわ広い部屋があった。
扉を開けた瞬間、思わず目を丸くする。
「……広っ!」
二十四畳ほどはありそうな大きな部屋だ。
壁際に寝台をいくつも並べても、まだ余裕がありそうだった。
一人用の部屋というより、複数人で使うための部屋だろう。
「相部屋向き、って感じかな」
こんな部屋が必要になる日が来るのかは分からない。
でも、広い屋敷に住むなら、こういう部屋が一つくらいあってもいいのかもしれない。
その近くには、もう少し小さめだけれど、それでも二人で使うには十分な広さの部屋があった。
寝台を二つ置いても窮屈にならないし、収納もちゃんとある。
「こっちは二人部屋ってところかな」
さらにもう一部屋。
こちらはやや独立した場所にあり、落ち着いた雰囲気の部屋だった。
個室としても使えそうだし、あとから誰か専用の部屋にしてもよさそうだ。
「……一人で住むには、やっぱり多いよね」
廊下を歩くだけで、いろんな使い方を想像してしまう。
そして、その向かいには、客を迎えるための部屋らしい一室があった。
これまで見てきた個室より少し広く、複数人で泊まっても困らなそうだ。
「客間、かな」
うん。
誰かが泊まりに来たときには、こういう部屋があると助かる。
……その“誰か”が今のところ一人もいないことは、ひとまず考えないでおこう。
廊下の端まで進んだところで、ひときわ大きな扉が見えた。
「あ。ここかな」
開けてみると、広い寝室があった。
二十畳ほどの空間に、大きな寝台。
窓際には椅子と小さな卓、壁際には収納棚が並んでいる。
その向こうには、草原を眺められる窓。
「……ああ、いい部屋だなぁ」
ここが私の寝室だ。
私は寝台に腰を下ろした。
沈み込み具合が、ちょうどいい。
宿の寝台も悪くなかったけれど、こちらは比べものにならないほど心地よい。
「……これならよく眠れそう」
ただし、寝台の左右にはたっぷりと空間が残っていた。
部屋が広すぎる。
いや、二十畳にしたのは私なんだけど。
「……寝ている間に迷子にはならないよね?」
そんなことを考える自分がおかしくなって、私は声を出して笑った。
◇
さらに上へ続く階段を上り、三階へ向かった。
三階は、二階よりも少し静かな空気が流れていた。
まず目に入ったのは、書斎だ。
壁際には本棚、中央には机と椅子。
窓からは草原と王都の城壁が見える。
「ここ、落ち着くなぁ」
本を読んだり、考え事をしたりするにはぴったりの空間だ。
私は本棚を見上げた。
今はまだ空っぽだけれど、そのうち何か並べていくのだろう。
異世界で手に入れた本とか、記録とか、旅先で見つけた面白いものとか。
そういうのを整理して置く場所があるのは、ちょっと嬉しい。
その隣には、もう少し広めの部屋があった。
「……趣味室?」
中に入ると、展示用の棚としても使えそうな収納や、ゆったり過ごせそうな空間が広がっている。
書斎より自由度が高く、集めたものを飾ったり、好きなことをして過ごしたりするのに向いていそうだった。
「こっちに、いろいろ置いていく感じかな」
旅先で見つけた珍しい品や、気に入った雑貨。
そういう“好きなもの”を少しずつ増やしていく部屋だと思えば、かなり楽しい。
……まあ、今のところ並べるものは何もないんだけど。
そして、三階の右側へ回ると、今度は扉が五つ並んでいた。
「……また増えた」
私は一つずつ確認していく。
どの部屋も予備室として使えそうな造りになっていて、広さは少しずつ違うけれど、どれも十分実用的だ。
寝台を置いてもいいし、物置代わりに使ってもいい。
将来、必要になったときに用途を決めればよさそうだ。
「予備室が五つ……」
口に出してみると、改めて多い。
いや、本当に何に備えているんだろう、私は。
窓際まで歩いて外を見る。
遠くに王都の城壁が見える。
その手前に広がる草原は、三日前と変わらず緑色だった。
私は少しだけ窓枠に肘を置いた。
あの草原で目覚めたとき、私は何も持っていなかった。
それなのに今は、こんなに立派な家がある。
……何というか、展開が早すぎない?
異世界転生ものって、まずは小さな宿から始めて、依頼をこなして、少しずつお金を貯めて、それから家を買うものじゃないの?
私の場合。
転生一日目、冒険者登録とドラゴン討伐。
二日目、ヒュドラ討伐。
三日目、豪邸完成。
「……成長の順番、いろいろ飛ばしてない?」
いや、楽しく暮らせるならいいんだけどね。
私は窓を閉め、ゆっくり階段を下り始めた。
それにしても、疲れた。
戦ったわけでも、荷物を運んだわけでもない。
ただ、自分の家を見て回っただけだ。
それでこんなに歩くなんて。
「……あれ?」
階段の途中で足を止める。
私、確か、広い家が欲しいと思ったんだよね。
庭も、大浴場も、たくさんの部屋も欲しいと思った。
でも、こんなに広い家を、一人で毎日使うのかな。
……いや。
きっと、使わない部屋の方が多い。
帰ってきて「ただいま」と言っても、返事をしてくれる人はいない。
食堂でご飯を食べても、向かいの椅子は空っぽだ。
お風呂に入るのは楽しいけれど、湯上がりに感想を話す相手もいない。
今までだって、一人で過ごす時間は好きだった。
けれど――。
「……一人で住むには、ちょっと広すぎたかな」
思わずつぶやいた。
返事は、やっぱりなかった。
◇
屋敷の中を一通り見終えた私は、玄関から外へ出た。
外の空気が、少しだけ新鮮に感じられる。
家の中だけでこれだけ歩くなんて、やっぱり相当な広さだ。
私は庭へ続く石畳を歩き、花壇の向こうにある小さな建物へ向かった。
「ああ、そうだ。雑貨屋を作ってみたかったんだっけ」
母屋から少し離れたところに、屋敷とは独立した建物が建っている。
入口も別。屋敷の廊下から直接入ることはできず、一度外へ出なければならない。
でも、お店ならその方が自然かもしれない。
買い物に来た人が、わざわざ私の家の中を通る必要もないしね。
「……よし、こっちも見てみよう」
扉を開けると、木の棚と小さなカウンター、商品を並べられる台が整然と並んでいた。
窓からは庭の花が見え、明るくて気持ちがいい。
「おお、ちゃんとお店だ!」
私は棚の間を歩いてみた。
雑貨や旅先で見つけた面白い品を並べたら、楽しそうだなぁ。
……でも、今は棚が空っぽ。
売るものも、店番をする人もいない。
「……開店休業にもほどがあるなぁ」
私は苦笑した。
いつか何かの商売を始めたくなったら、この建物を使えばいい。
今はまだ、その『いつか』を楽しみにしておこう。
店を出て、庭から屋敷を見上げる。
こうして見ると、三階建ての母屋と小さな雑貨屋が並んでいて、少しだけ町の一角みたいだ。
……私一人しか住んでいないのに、何だかにぎやかな見た目だなぁ。
私は花壇を横目に、玄関へ戻った。
◇
玄関ホールに戻った私は、改めて屋敷全体を見渡した。
床は綺麗だ。
壁にも汚れ一つない。
窓だってぴかぴか。
……今は、だけど。
「……これ、明日から誰が掃除するんだろう」
分かっている。
私だ。
住人が私しかいないんだから。
厨房を使えば洗い物が出る。
庭には草が生える。
部屋に埃がたまれば、掃除もしなければならない。
窓だって、たくさんある。
……というか、ありすぎる。
「《クリーン》で何とかなるかなぁ」
汚れを取り除く魔法なら、すでに作ってある。
それを家全体に使えば、掃除の問題はかなり減るかもしれない。
……でも、毎日の食事を作ったり、買い物をしたり、部屋の整理をしたり。
魔法だけで何でも済ませる生活って、それはそれで寂しい気がする。
私は大きな居間へ戻り、長椅子に腰を下ろした。
静かだった。
窓の外から、風が草を揺らす音だけが聞こえてくる。
「……なんだか、変な気分だな」
最初にこの家を想像したときは、楽しいことしか考えていなかった。
大きな風呂。
広い厨房。
景色のいい寝室。
全部、ちゃんとできた。
それなのに、家の中を一周してみると、今度は誰かと話したくなっている。
「……人間って、勝手だなぁ」
私は小さく笑った。
病室で過ごしていたときは、元気になって自由に外を歩けるだけで十分だと思っていた。
今、その願いは叶った。
だったら、次はもう少しだけ、楽しいことを増やしてもいいのかもしれない。
……とはいえ。
その前に、片づけておくべき問題があった。
「……防犯だ」
私は窓の外へ目を向けた。
ここは王都の外。
魔獣がいないとは限らない草原だ。
今まで遭遇した相手がドラゴンとヒュドラだったせいで、感覚がおかしくなっているけれど、普通の魔獣だって十分危険なはず。
私は《絶対防御》を使える。
だから自分の身は守れる。
……でも、この家はどうだろう。
誰かが庭を荒らしたり、窓を割ったりしたら?
いや、そもそも留守中に魔獣が入ってきたら困る。
「……よし。ちゃんと守ろう」
私は立ち上がった。
私は玄関を出て、庭へ向かった。
柔らかな風が吹き、花壇の花が揺れている。
庭の向こうには草原。
……うん。
とても気持ちのいい場所だ。
でも、だからこそ守っておきたい。
私が留守にしていても、この家へ勝手に危険なものが入り込まないように。
「……《結界》、かな」
目に見えない境界で、指定した相手の侵入を防ぐ魔法。
範囲も自由に決められるようにして、私が変更しない限り効果は続く。
必要な範囲は……そうだな、屋敷を中心に半径五百メートルくらい。
庭や建物の周りまで、まとめて守れるようにしよう。
あとは、通行人が通る道や誰かの畑を巻き込まないこと。
場所を選ぶときに確認しておいたから、その点は大丈夫そうだ。
そして、誰を入れないか。
魔獣や野生動物が入ってこなければ、かなり安心できるだろう。
……うーん。
条件を一つずつ考えるのは、面倒だな。
「……人間以外の生物は入れない、でいいか」
街の人が訪ねてきても、困らないように人間は通れる。
それ以外の生き物は、ここから先へ入れない。
よし。分かりやすい。
私は頭の中で、透明な境界に包まれた屋敷を思い描いた。
『《想像魔法》にて《結界》が完成しました。』
「よし、完成!」
次は実際に使うだけだ。
私は屋敷を中心に意識を向けた。
「《結界》!」
……しん。
風が吹いた。
花壇の花が揺れる。
見た目には、何も変わっていない。
「……できた、よね?」
私は試しに庭を歩き、玄関へ戻ってみた。
うん。自分は普通に出入りできる。
《想像魔法》は今までも想像したとおりに働いてきたし、今回も問題ないだろう。
「これで、家も守れるね」
私は満足げに屋敷を見上げた。
三階建ての大豪邸。
魔力で動く設備に、大浴場。
庭も花壇もあって、結界まで張った。
……完璧じゃない?
あとは、のんびり暮らすだけだ。
……ただ。
広い玄関の扉を開けたとき、さっきまで感じていた静けさが、また戻ってきた。
「……誰か、一緒に暮らす人がいたらなぁ」
思わず、そんな言葉がこぼれた。
家を建てる前には考えもしなかったことだ。
自分の家を手に入れて、私はようやく気づいたのかもしれない。
――理想の暮らしに必要なのは、立派な建物だけじゃないんだって。
……さて。
どうしたものかな。




