第3話:小さな孤児院たち
……さて。
今日から、孤児院巡りである。
昨日、カバディ王とミキサーさんに教えてもらったのは、シルク王国内にある四つの民間孤児院。
王都クーラル、サフィリア、フェルザ、マリノア。
そこで暮らしている子供たちは、全部で二十人。
……二十人かぁ。
資料では数字が分かったけど、どんな暮らしをしているのかまでは見えてこない。
そして何より、子供たちの面倒を見ている人たちのことも知りたい。
……うん。
今日はちゃんとお話を聞いてこよう!
「リアリス様。お出かけのご準備が整いました」
桜花が、いつもの穏やかな声で教えてくれた。
「ありがとう、桜花!」
その隣には、セバスもいる。
「旦那様。王城から各孤児院へ面会の連絡は済んでおります。ただ、皆様の日々のご予定もございますので、数日に分けてお訪ねいただくことになります」
「了解! 急に押しかけるより、その方がいいね」
「はい。王都の孤児院は、本日の午前中にお時間を頂戴しております」
「助かるよ、セバス」
「もったいないお言葉でございます」
……ああ。
こういう段取り、全部セバスが手伝ってくれるから本当に助かる。
私一人だったら、きっともう出かけてた。
……いや。
王様に注意されたばかりでそれは駄目だね!
私は小さく頷いて、食堂の方へ目を向けた。
「カトレアたちは?」
「巴がお世話をしております。ダリル様とセリム様も、少しずつ屋敷に慣れてこられたようです」
「そっか。よかった」
昨日まで、何をするにも遠慮していた二人。
今日は少しでも、楽に過ごせるといいな。
……よし。
私も、自分にできることをしてこよう。
王都の通りを歩いていると、あちこちから声をかけられた。
「リアリス様、こんにちは!」
「こんにちはー!」
「先日はありがとうございました!」
「いえいえ、こちらこそ!」
……うん。
すっかり、こういう挨拶にも慣れてきた。
慣れてきたけど。
……やっぱり、ちょっと恥ずかしいね!
桜花が、私の横で控えめに笑った。
「皆様、リアリス様のことを慕っておられるのですね」
「ありがたいよね。でも、今日は普通に孤児院を見に行くだけなんだけどなぁ」
「それも、リアリス様らしいと思います」
……おっ。
褒められた?
私は、照れ隠しに笑っておいた。
やがて、王都の大通りから少し離れた場所へ案内される。
立派な商館や大きなお店が並ぶ通りとは、随分雰囲気が違っていた。
小さな家が肩を寄せ合うように建ち、ところどころに洗濯物が揺れている。
その一角に、古い木の門があった。
門の横には、控えめな看板。
……ここが、王都の孤児院か。
大きな建物を想像していたけど、実際には普通の家を少し広くしたような造りだった。
壁には補修した跡がいくつもあって、屋根瓦の色も揃っていない。
でも、庭先には小さな花壇があった。
そこだけは綺麗に手入れされている。
……あっ。
何だか、ちょっと安心するね。
「リアリス様でしょうか」
門の向こうから、落ち着いた声がした。
出てきたのは、茶色いセミロングの髪をした女性だった。
五十代くらいだろうか。
やせ型で、少しくたびれた制服を着ている。
けれど、背筋は真っ直ぐで、柔らかな笑顔が印象的だった。
「初めまして。こちらで院長をしております、ポーラと申します」
「こんにちは! リアリスです。今日はお時間をいただいてありがとうございます!」
「いいえ。王城からお話は伺っております。こちらこそ、わざわざお越しくださってありがとうございます」
……おお。
すごく穏やかな人だ。
「こちらは桜花です」
「桜花と申します。よろしくお願いいたします」
「まあ、ご丁寧に。どうぞ中へお入りください」
ポーラさんに案内されて、私たちは建物へ入った。
廊下は少し狭い。
床板が歩くたびに小さく音を立てるけれど、きちんと掃除されている。
壁には、子供たちが描いたらしい絵が何枚も貼られていた。
太陽、木、家、それから……。
……ん?
丸い何かから手足が生えてる。
……ああ。
きっと人だよね!
私は思わず笑ってしまった。
「楽しそうな絵ですね」
「ふふ。子供たちが描いたものなんですよ」
ポーラさんも嬉しそうに笑う。
そのとき、奥からもう一人の女性が現れた。
「院長先生、お客様がお見えになったんですね」
淡い紫色のセミロングの髪。
二十代前半くらいの、やせ型の女性だ。
ポーラさんと同じ、少し傷んだ制服を着ている。
「こちらはナタリーです。この孤児院で先生をしてくれています」
「初めまして、ナタリーです。どうぞよろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
ナタリーさんは、優しく微笑みながら頭を下げた。
……ああ。
二人とも、子供たちが安心しそうな雰囲気の人だね。
居間へ案内されると、子供たちの声が聞こえてきた。
「ナタリーせんせー!」
「はーい。どうしたの?」
「これ、見て!」
小さな女の子が、木の実を入れた籠を差し出している。
「まあ、たくさん集めたのね」
「うん!」
ナタリーさんはしゃがんで、女の子と目の高さを合わせた。
「でも、これは食べられるものかどうか分からないから、先生に預けてね」
「はーい!」
……おお。
ちゃんと教えてあげてる。
私は、部屋の中を見渡した。
子供は七人。
年齢はばらばらで、小さい子はまだ幼そうだし、少し大きな子は年下の子の面倒を見ている。
床には遊び道具がいくつか置かれているけど、どれも使い込まれていた。
それでも、子供たちは楽しそうだ。
「みんな、こんにちは!」
私が声をかけると、何人かが振り向いた。
「……だれ?」
「リアリスっていいます。今日はポーラさんたちに会いに来たんだ」
「リアリス……?」
一人の男の子が、首を傾げた。
次の瞬間。
「あっ! まじゅうをやっつけた人!」
…………。
……おお。
ここでも知ってた!?
ポーラさんが、少し申し訳なさそうに笑う。
「子供たちも、王都を守ってくださったお話を聞いておりますので」
「あはは……ありがとうございます」
……いやぁ。
まさか孤児院でまで英雄扱いされるとは。
すると、さっきの男の子が駆け寄ってきた。
「ほんとに、すごくつよいの?」
「んー。まあ、そこそこかな?」
桜花が、私を見た。
……あれ。
そんなに変なこと言った?
「そこそこって、どのくらい?」
「そうだなぁ……」
……うーん。
説明が難しいな。
私は少し考えた。
「重たい荷物なら、いっぱい持てるくらい?」
…………。
男の子が、不思議そうな顔をした。
「……すごい?」
「……たぶん!」
……あっ。
ごめん、我ながら説明が下手だ!
ナタリーさんが、口元に手を当てて笑っている。
「こら、ちょっと待ちなさい」
ふいに、ポーラさんの声がした。
先ほどまでの柔らかな口調とは違う。
振り向くと、子供の一人が、窓の下の古い棚によじ登ろうとしていた。
「そこに登ってはいけません。落ちたら怪我をしますよ」
「でも、上の絵を取りたいの!」
「絵は先生が取ってあげます。自分で登ってはいけません」
「……はぁい」
男の子は、しゅんと肩を落として棚から降りた。
ポーラさんは、その子の前にしゃがんだ。
「元気なのはいいことです。でも、危ないことをして怪我をしたら、先生はとても悲しいわ」
「……ごめんなさい」
「分かってくれたなら大丈夫。さあ、どの絵が欲しかったの?」
「……あれ!」
「ふふ。それなら一緒に取りましょう」
……おお。
叱るところは、ちゃんと叱るんだね。
でも、怖がらせるためじゃない。
危ない理由も、きちんと話してる。
……うん。
いい先生だなぁ。
ナタリーさんも、棚がぐらつかないよう横から支えていた。
……あっ。
二人で自然に動いてる。
これ、毎日のことなんだろうな。
私は、ふと棚の脚に目を向けた。
古い木が削れて、少し不安定になっている。
……直せるなら、直してあげたいね。
でも、まずは施設の人に事情を聞こう。
いきなり建物に魔法をかけるのは、今日はしない。
……うん。
昨日、王様と約束したもんね。
子供たちが遊びに戻ったあと、ポーラさんは小さな机へ私たちを案内してくれた。
ナタリーさんがお茶を用意してくれる。
湯飲みは少し欠けていたけれど、丁寧に洗われていた。
「それで、リアリス様。本日は孤児院のことをお聞きになりたいとか」
「はい。まずは、今の暮らしを教えていただきたくて」
「分かりました」
ポーラさんは、ゆっくりと頷いた。
「ここには、七人の子供が暮らしています。年齢も事情もそれぞれですが、私とナタリーの二人で面倒を見ています」
「七人を二人で……大変じゃないですか?」
「ふふ。賑やかな毎日ですよ」
そう言って笑ったあと、ポーラさんの表情が少しだけ曇った。
「ただ……正直に申しますと、最近は苦しいことも増えました」
ナタリーさんが、隣で小さく頷いた。
「建物の修理を先延ばしにして、食費を何とか確保しているんです。みんなが大きくなれば、服も靴も必要になりますし」
……ああ。
やっぱり、そうか。
「王国からの支援もあるんですよね?」
「ええ。本当にありがたく思っています。町の方々も助けてくださいます。でも、足りないときは足りません」
ポーラさんは、壁に貼られた子供たちの絵を見た。
「私たちが困るだけなら、まだいいのですけれど……」
……うん。
子供たちに我慢させるのが、つらいんだね。
私は、少し考えた。
「ポーラさん。ほかの孤児を預かってほしいと頼まれたら、どうなりますか?」
ポーラさんは、すぐには答えなかった。
「……できることなら、迎えてあげたいです」
静かな声だった。
「ですが、今いる七人を守ることさえ難しくなってきています。新しい子を迎えて、みんなの暮らしが立ち行かなくなるのは……」
言葉が途切れる。
……ああ。
この人、本当に子供たちが大好きなんだな。
私は、頷いた。
「無理に答えなくて大丈夫です。今日は、お話を聞きに来ただけなので」
「……ありがとうございます」
……うん。
ここで、急に結論を求めるのは違うよね。
「実は、新しい孤児院を作れないかと考えているんです」
私がそう言うと、二人が顔を見合わせた。
「……新しい、孤児院ですか?」
ナタリーさんが、そっと聞き返す。
「はい。食事も寝る場所も、できるだけ不自由しないようにして、子供たちを見守る人もちゃんといてくれるような場所です」
「まあ……」
ポーラさんの目が、少し大きくなった。
「もちろん、まだ計画の途中です。カバディ王にも相談していますけど、場所も建物も決めてません」
「……そうなのですね」
「それで、一番大切なのは、今いる子供たちと先生たちがどうしたいかだと思っています」
ポーラさんは、しばらく黙っていた。
私は続ける。
「もし、新しい場所に移ることになっても、子供たちだけを連れていくつもりはありません。今までお世話してきた先生たちにも、できれば一緒に来てほしいです」
…………。
ナタリーさんが、驚いたように顔を上げた。
「……私たちも?」
「はい。むしろ、皆さんがいないと困ります!」
……うん。
これ、本音です。
私は建物を作れても、毎日の暮らしを全部見られるわけじゃないからね。
ポーラさんは、小さく息を吐いた。
「……この建物には、たくさんの思い出があります」
「はい」
「子供たちの背丈を測った跡も、最初に描いた絵も、全部ここにあるんです」
ポーラさんは、壁に残る小さな印を指さした。
……あっ。
本当だ。
柱に、年ごとの線が残っている。
……うん。
これは、大切な場所だよね。
「だから、簡単には決められません」
「もちろんです。今日、お返事をいただくつもりはありません」
ポーラさんは、ほっとしたように笑った。
「……少し、お時間をいただけますか?」
「はい。ゆっくり考えてください!」
……うん。
それが一番いい。
私は、そう思った。
帰り際、さっきの男の子が私の服を引っ張った。
「ねえ、リアリス!」
「ん? どうしたの?」
「また、あそびに来る?」
「うん。迷惑じゃなければね」
「じゃあ、また荷物いっぱい持ってね!」
…………。
……あっ。
そういうこと!?
「いっぱい持てるかどうか、試してみたいの?」
「うん!」
……おお。
完全に力持ちのお兄さん扱いだ!
桜花が、横で小さく笑った。
ポーラさんは、男の子の肩に手を置く。
「こら。お客様に無理を言ってはいけませんよ」
「はーい!」
私は笑って首を振った。
「今度、みんなで何か運ぶ用事があったら手伝うよ」
「やったー!」
……ふふ。
喜んでくれたなら、よかった!
門を出るとき、私はもう一度、古い建物を振り返った。
傷んだ屋根。
継ぎ足した棚。
少し狭い庭。
でも、そこには確かに、子供たちの暮らしがあった。
……うん。
古いから駄目、とは言えないね。
ここで過ごした時間も、大切にしなきゃ。
私は桜花と並んで、王都の通りへ戻った。
◇
次に訪ねたのは、サフィリアの孤児院だった。
王都の孤児院を訪ねた翌日。
セバスが先方と予定を合わせてくれたので、私と桜花は朝から移動してきた。
サフィリアといえば、海の近くの町。
以前、海水浴で来たこともある。
……ああ。
あのときは楽しかったなぁ。
……いやいや。
今日は海を見に来たわけじゃないからね!
「リアリス様。こちらの建物でございます」
桜花が、通りの先を示した。
そこには、白い壁の小さな家があった。
……いや。
白かった、という方が近いかな。
潮風のせいか壁はあちこち剥がれ、窓枠にも傷みが見える。
でも、扉の脇には小さな貝殻が並べてあった。
……おっ。
これ、子供たちが集めたのかな?
私が見ていると、扉が開いた。
「あらあら、お客様ね!」
出てきたのは、短い茶髪の女性。
小柄で、四十歳くらいに見える。
制服は王都のものと同じようにくたびれていたけれど、顔いっぱいの笑顔だった。
「初めまして! ここの院長、ハーティスです!」
「こんにちは、リアリスです!」
「あらまあ! お会いできて嬉しいわぁ」
……おお。
何だか、最初から距離が近い!
その後ろから、薄いピンク色の長い髪をした女性が現れた。
「院長先生、お客様を外で立たせたままでは……」
「あら、そうだったわね!」
…………。
……あっ。
今、注意された?
「こちらはリンです。うちの先生なのよ」
「リンです。よろしくお願いします」
「桜花と申します。よろしくお願いいたします」
リンさんは、落ち着いた笑顔で一礼する。
……ふふ。
どうやら、二人はいい組み合わせみたいだね。
「見て見て、院長せんせー!」
建物へ入ると、小さな子が駆け寄ってきた。
手には、貝殻がいくつも握られている。
「あらまぁ、綺麗な貝殻ね!」
ハーティスさんが、ぱっと笑顔になった。
「これ、ぜんぶ拾った!」
「すごいわねぇ!」
…………。
……おお。
すごく褒めるね!
その直後。
「院長先生、この子、さっきまで裏口から一人で浜へ行こうとしていたんですよ」
リンさんが、静かに言った。
…………。
……えっ。
ひとりで?
「あ、あらあら……」
ハーティスさんが困った顔になる。
「海の方へ行くときは、必ず大人に声をかけてね」
「……はーい」
……うん。
それは大事だ。
ハーティスさんが、ほっとした顔で頷く。
でも、リンさんはそこでしゃがんだ。
「『はーい』だけじゃなくて、理由も覚えてね。海は綺麗だけど、一人で行くと危ないことがあるのよ」
「……うん」
「先生たちと一緒なら、もっと安心して楽しめるでしょう?」
「……うん!」
「よし。お約束ね」
リンさんが、小さく指を差し出した。
子供は嬉しそうに、その指に自分の指を絡める。
……ああ。
いいねぇ。
ハーティスさんは、その様子を見て目を細めている。
……もしかして。
ハーティスさん、あまり怒れないタイプかな?
……ふふ。
リンさん、頼りになるね。
サフィリアの孤児院にいた子供は、六人。
王都より一人少ないけれど、やっぱり賑やかだ。
小さな居間には手作りの飾りが吊るされ、窓辺には貝殻や綺麗な石が並んでいる。
……あっ。
カトレアが見たら、きっと喜びそう。
私は、子供たちに囲まれながら、貝殻の形を教えてもらっていた。
「こっちが丸くてね、こっちは尖ってるの!」
「へえ! ほんとだ!」
「これはおっきいよ!」
「おお、すごい!」
……あはは。
説明役がたくさんいる!
桜花も、子供から貝殻を見せてもらっている。
「綺麗でございますね」
「でしょ!」
……ふふ。
桜花も楽しそうだ。
そんな私たちを見て、ハーティスさんは何度も嬉しそうに笑った。
でも、お茶の時間になると、少し様子が変わった。
子供たちに配られたのは、小さく切り分けられた焼き菓子。
ハーティスさんは、最後の一切れを見つめている子に気づいた。
「……まだ食べたい?」
「うん……」
「そうよねぇ。じゃあ、先生の分を……」
「院長先生」
リンさんが、小さな声で呼んだ。
ハーティスさんの手が止まる。
「……あっ」
…………。
……うーん。
食べさせてあげたい気持ちは、すごく分かる。
でも、毎回自分の分をあげてたら、先生も倒れちゃうよね。
リンさんは、子供の頭を優しく撫でた。
「今日はここまでにしましょうね。夕ご飯が食べられなくなっちゃうから」
「……はぁい」
「次は何を作るか、一緒に考えよう?」
「……うん!」
……おお。
上手だなぁ。
ハーティスさんも、ほっとしたように笑った。
……二人とも、優しいんだね。
ただ、優しさの出し方が少し違うみたい。
子供たちが遊びに戻ったところで、私はハーティスさんたちに事情を尋ねた。
「この孤児院も、運営が大変だと聞いたんですが……」
「……ええ」
ハーティスさんは、笑顔を少しだけ曇らせた。
「食べ物も、建物の修理も、足りないものがたくさんあって」
「六人のお世話を、お二人で?」
「はい。でも、子供たちが笑ってくれると、頑張れるんですよ」
……ああ。
ポーラさんも、同じようなことを言ってたね。
リンさんが、湯飲みを置いた。
「院長先生は、子供たちのことになると自分の食事まで後回しにしてしまうんです」
「リン……」
「だから、私が見ていないと」
…………。
……おお。
やっぱり!
「でも、リンだって頑張ってくれてるのよ」
「それは、院長先生も同じです」
二人が顔を見合わせ、少し笑う。
……うん。
仲がいいなぁ。
私は、新しい孤児院の構想を説明した。
「もし、安心して暮らせる新しい場所を作れたら、そちらへ移ることも考えてもらえないかなって」
ハーティスさんは、目を丸くした。
「……私たちも、一緒に?」
「もちろんです!」
「まあ……」
ハーティスさんは、子供たちの方を見た。
「この家で、みんなが初めて海を見た日も、貝殻を集めた日も、私は覚えています」
「はい」
「……だから、すぐには決められないの」
……そっか。
ここにも、思い出があるんだ。
「大丈夫です。ゆっくり考えてください」
私がそう答えると、ハーティスさんは、安心したように頷いた。
「ありがとうございます」
リンさんも、静かに頭を下げる。
「子供たちのことを第一に考えて、二人で話し合ってみます」
「はい。お願いします!」
……うん。
今日も、まずはお話ができた。
それで十分だね。
帰る前に、ハーティスさんが小さな貝殻を差し出してきた。
「よかったら、これをどうぞ。子供たちが選んだんです」
「えっ。いいんですか?」
「ええ。今日来てくれたお礼に、って」
……ああ。
何だか嬉しいなぁ。
「ありがとうございます。大事にします!」
私は、手のひらに収まる貝殻を受け取った。
……ふふ。
カトレアにも見せてあげよう。
すると、子供たちが一斉に手を振った。
「またきてねー!」
「うん! また来るよ!」
リンさんが、子供たちを見守りながら笑っている。
ハーティスさんは、最後まで名残惜しそうだった。
……ああ。
ここは、子供たちにとって大切な家なんだ。
新しい場所を作るなら、その気持ちまで置いていかないようにしないとね。
私は桜花と顔を見合わせ、静かに頷いた。
◇
さらに翌日。
今度は、フェルザの孤児院へ向かった。
フェルザの町は、王都とはまた違った雰囲気だ。
人が行き交う通りを抜け、住宅の並ぶ場所へ進むと、木の柵で囲まれた小さな建物が見えてきた。
……あれ。
庭に、妙に立派な木の台がある。
何だろう?
「いらっしゃいませ!」
声をかけてくれたのは、茶色い短髪の男性だった。
三十歳くらいだろうか。
背は高めで、少し筋肉質。
けれど、表情はとても穏やかだ。
着ている制服は、ところどころ擦り切れていた。
「初めまして。院長のデーツです」
「リアリスです。今日はよろしくお願いします!」
「こちらこそ。遠いところをありがとうございます」
デーツさんが頭を下げる。
その後ろから、緑色の短髪の男性が現れた。
「院長先生。さっきの荷物、棚に置いておきましたよ」
「ありがとう、ライア」
……おっ。
この人が、もう一人の先生かな。
「初めまして! ライアです」
ライアさんも、明るく挨拶してくれた。
「よろしくお願いします!」
……うん。
二人とも感じのいい人たちだね。
ライアさんは、私が庭の台を気にしているのに気づいたらしい。
「ああ、あれですか? 子供たちの背丈に合わせて作った、作業台なんですよ」
「へえ! 手作りですか?」
「はい。デーツ院長と一緒に」
……おお。
すごい!
「……ただし、もう少し頑丈にしたいところなんですがね」
デーツさんが、苦笑した。
……あっ。
ここでも、修理が必要なんだね。
フェルザの孤児院には、四人の子供がいた。
人数だけ聞くと少ないけれど、全員が元気いっぱいだ。
庭の作業台には、木の板や紐、それから小さな道具が並んでいる。
「これ、何を作ってるの?」
私が尋ねると、一人の男の子が得意げに胸を張った。
「鳥のおうち!」
「おお、巣箱だ!」
「すばこ?」
「……あっ」
……そうか。
こっちでは、巣箱って呼ばないのかな。
「鳥が休むためのおうちだね!」
「そう!」
……ふふ。
伝わった!
ライアさんは、子供たちの手元を見ながら教えてくれた。
「危なくない作業だけ、子供たちにもしてもらってるんです。木を削るところは、僕たちがやってますよ」
「なるほど!」
そのとき、少し大きな子が木の板を持ち上げた。
「これ、重い!」
「どれどれ」
デーツさんが、すぐに手を貸す。
「無理をするなよ。重いものは、大人に任せていいんだ」
「でも、僕もやりたい」
「じゃあ、ここを押さえてくれるか?」
「うん!」
……ああ。
うまいなぁ。
やりたい気持ちは大事にして、危ないところは大人が受け持つ。
ライアさんも、横で微笑んでいた。
「みんな、ものを作るのが好きなんですよ」
「そうなんだね!」
……うん。
カトレアにも、こういう経験をさせてあげたいなぁ。
私は、子供たちの小さな作品を眺めながら笑った。
しばらく遊んだあと、デーツさんとライアさんに話を聞かせてもらった。
「ここも、運営は厳しいんですか?」
「……はい」
デーツさんが、少し真面目な顔になる。
「子供たちには、できるだけ不自由をさせたくないんですが……道具も服も、古いものを直して使っている状態です」
「でも、みんな楽しそうでしたよ」
「それは、ライアがよく遊んでくれるからです」
「院長先生だって、いつも一緒に作ってくれるじゃないですか」
ライアさんが笑う。
……うん。
ここも、いい関係だなぁ。
私は、少し考えて尋ねた。
「孤児を保護する相談って、よくあるんですか?」
すると、デーツさんの表情が曇った。
「……時々、あります」
「……そうですか」
「いろんな事情で親と暮らせなくなる子がいることは、分かっているつもりです」
デーツさんは、窓の外へ目を向けた。
「ただ……自分の都合だけで子供を置き去りにする大人の話を聞くと、どうしても腹が立ってしまうんです」
……ああ。
それは、分かるなぁ。
でも、そこには事情がある場合もあるのかもしれない。
私がそう考えていると、デーツさんは静かに続けた。
「もちろん、どうしようもない事情で離れざるを得ない人まで、同じように責めたいわけじゃありません。ただ、子供に罪はないでしょう」
「……はい。そうですね」
「だから、ここへ来た子には、せめて安心して過ごしてほしいと思うんです」
……うん。
この人も、子供を大事にしてるんだ。
言い方は穏やかなのに、その気持ちは強い。
私は、ゆっくり頷いた。
「そこで、ひとつ提案があるんです」
私は、デーツさんとライアさんへ、新しい孤児院の構想を話した。
もっと広い場所で。
必要な食べ物や服を用意して。
子供たちだけじゃなく、お世話をする人たちも無理をしすぎず暮らせるようにしたい。
「……それは、素晴らしいお話ですね」
ライアさんが、驚いたように言った。
「でも、実際に運営する方も必要ですよね?」
「はい。だから、経験のある皆さんにも一緒に来てもらえたら嬉しいんです」
デーツさんは、少しだけ目を見開いた。
「……俺たちも、ですか?」
「もちろん!」
……うん。
むしろ、皆さんがいないと大変だ。
デーツさんは、しばらく黙っていた。
「……この場所で、子供たちにできることがまだあると思っていました」
「はい」
「でも、建物も古くなってきた。このままでいいのかと、ずっと考えていたんです」
ライアさんも、真剣な表情で頷いた。
「新しい場所へ行っても、子供たちと一緒にいられるなら……考えてみたいです」
「ありがとうございます。でも、今日決めなくて大丈夫ですよ」
デーツさんが、少し驚いたように顔を上げた。
「……よろしいんですか?」
「はい。大きな話ですから、皆さんで相談してください」
……うん。
四人の子供たちも、ここで作ったものがたくさんあるだろうし。
どこで暮らしたいかは、ちゃんと聞いてあげたい。
「それと、今の場所を全部なくしてしまうのも、もったいないと思ってるんです」
「……といいますと?」
「例えば、町の近くで困っている子を一時的に預かれる場所として残せるかもしれません。まだ考え中ですけどね」
……あっ。
これは、まだ決まったことじゃない。
私は慌てて付け加える。
「もちろん、そのために働く人も必要ですし、王国とも相談しないといけません」
デーツさんは、少し笑った。
「……そうですね。簡単な話ではありません」
「はい。でも、考えてみたいんです」
……うん。
一つずつ、だね。
帰り際、ライアさんが庭の作業台から何かを持ってきた。
「よかったら、これを見てください」
差し出されたのは、小さな木の鳥。
……おお。
上手!
「子供たちと一緒に作ったんです。まだ途中ですけど」
「すごいですね!」
「羽根の形が難しくて……」
……なるほど。
羽根を少しずつ削ってるんだね。
私は、木の鳥をそっと手に取った。
手作りだから、左右の形は少し違う。
でも、それが何だか可愛らしい。
「こういう時間、大切にしてほしいなぁ」
私が言うと、ライアさんが笑顔になった。
「はい。私たちもそう思います」
……ふふ。
新しい孤児院ができても、こういう遊びができるといいね。
デーツさんたちに見送られながら、私たちは建物をあとにした。
……うん。
三つ目。
それぞれの場所に、ちゃんと違う暮らしがある。
最後の一か所も、楽しみだな。
◇
さらに翌日。
最後に訪ねたのは、マリノアの孤児院だった。
ここまで来ると、私も少し慣れてきた。
……いや、慣れたと言っても。
初対面の人にお願いをするのは、やっぱり緊張するね。
今日は、どんな先生たちだろう。
「リアリス様。こちらでございます」
桜花が案内してくれた先には、小さな石造りの家があった。
周囲の建物に比べて壁が古く、扉の塗装もかなり剥がれている。
……でも。
窓際には、小さな布の人形が並んでいた。
……おっ。
あれ、手作りかな?
私たちが門をくぐると、中から女性が現れた。
「……あっ。リアリス様と桜花様ですね?」
「はい。こんにちは!」
「よかった……お待ちしておりました」
黒髪のミドルヘア。
小柄で、三十歳くらいの女性だ。
少しやせているけれど、目は優しい。
「院長のアンキルと申します。どうぞよろしくお願いします」
「リアリスです。今日はありがとうございます!」
アンキルさんは、控えめに微笑んだ。
着ている制服は、かなり使い込まれていた。
袖口には、何度も縫い直したような跡がある。
……ああ。
ここも、簡単じゃないんだろうな。
「先生を呼んできますね」
アンキルさんが振り返ると、奥から男性の声がした。
「院長先生、こちらは大丈夫です!」
…………。
……ん?
何が大丈夫なんだろう。
奥の部屋から現れたのは、赤い短髪の若い男性だった。
二十代半ばくらいで、標準的な体格。
同じく少し傷んだ制服を着ている。
手には、木の板と工具のようなものを持っていた。
「初めまして! スペリアです。ここの先生をしています」
「リアリスです。よろしくお願いします!」
「桜花と申します」
スペリアさんは、少し慌てて道具を横に置いた。
「すみません。棚がぐらついていたので、直していたところなんです」
「おお! 修理できるんですね!」
「簡単なものだけですけどね」
……ふふ。
ここにも器用な人がいた。
「子供たちが使う棚なので、倒れないようにしておきたくて」
「それは大事ですね」
「はい。まあ、直すところが次から次へと出てくるので、追いつかないんですが……」
スペリアさんが、苦笑した。
……ああ。
建物が古いと、そうなるよね。
居間に入ると、三人の子供が迎えてくれた。
「こんにちは!」
私が声をかけると、一番小さな子がアンキルさんの後ろへ隠れる。
もう二人は、興味津々でこちらを見ていた。
「……おきゃくさん?」
「そうよ。今日はお話をしに来てくださったの」
アンキルさんが、優しく教える。
……ああ。
やっぱり、落ち着いた人だね。
でも、子供たちの様子を見る目が、とても真剣だ。
……うん。
ここでも、大切にされてるんだなぁ。
居間には、小さなテーブルが一つ。
壁際には、手作りの人形や布の端切れが入った籠があった。
「これ、みんなで作ったの?」
私が尋ねると、一人の女の子が頷いた。
「アンキルせんせいと!」
「おお、上手だね!」
「スペリアせんせいは、いすもなおせるんだよ!」
「へえ! すごい!」
私は、スペリアさんを見た。
スペリアさんは照れくさそうに笑った。
「力仕事くらいしか得意じゃないですけどね」
「いやいや、それ大事ですよ!」
……うん。
絶対に助かってると思う。
そのとき、アンキルさんが布の人形を一つ手に取った。
「これ、今日のお客様に見せたかったのよね?」
「……うん!」
さっき隠れていた子が、少しだけ顔を出す。
私はしゃがんで、その子と同じ高さになった。
「見せてくれる?」
小さな手が、人形を差し出してきた。
……あっ。
可愛い!
不揃いな布を縫い合わせた、丸い顔の人形。
目は小さな糸の結び目で、口は少し曲がっている。
「おお。いい顔してるね!」
「……えへへ」
……ああ。
笑ってくれた!
隣の桜花も、優しく目を細めている。
「とても素敵でございます」
「……ほんと?」
「はい」
……ふふ。
こういう時間は、いいね。
小さな家だけど、子供たちの好きなものがちゃんとある。
……うん。
そのことは、忘れないでおこう。
しばらくして、アンキルさんとスペリアさんにお話を聞いた。
子供たちが遊んでいる間に、少し離れた机へ移る。
「ここには、三人の子供が暮らしているんですね」
「はい」
アンキルさんが頷く。
「人数は少ないのですが……私とスペリアの二人で、何とかやっています」
「建物が古くなっているみたいですね」
「……ええ」
アンキルさんは、少しだけ目を伏せた。
「食事と子供たちに必要なものを優先していたら、建物まで手が回らなくなってしまって」
スペリアさんが、苦笑いした。
「僕も直せるところは直してるんですが、材料を買うお金が足りなくて」
……ああ。
ここも同じなんだね。
「アンキルさんたちは、大丈夫ですか?」
私がそう尋ねると、アンキルさんは少し驚いた顔をした。
「……私たち、ですか?」
「はい。ちゃんと休めてますか? ご飯は食べてます?」
…………。
アンキルさんが、ちょっと困ったように笑った。
「……子供たちが元気なら、それで」
…………。
……あっ。
その答え、ちょっと心配!
スペリアさんが、すぐに口を開いた。
「院長先生は、いつも自分のことを後回しにするんです」
「スペリア……」
「子供たちの服を先に買って、自分の制服はずっと縫って直してますし」
……ああ。
だから袖口に、あんなに補修の跡があるんだ。
私は、ゆっくり頷いた。
「子供たちが大事なのは、よく分かります。でも、先生が倒れちゃったら困りますよね」
アンキルさんは、少しだけ目を見開いた。
「……そう、ですね」
……うん。
ここにいるみんなが、安心して暮らせるようにしたい。
子供だけじゃなくて、先生たちも。
そうじゃないと、続かないもんね。
「実は、新しい孤児院を作ることを考えているんです」
私は、最後の孤児院でも同じ話をした。
ここで暮らす三人を、もっと安心できる場所へ迎えたい。
それから、アンキルさんとスペリアさんにも、できれば一緒に来てほしい。
「……私たちも?」
アンキルさんが、静かに聞き返す。
「はい。ずっと子供たちを見守ってきたのは、皆さんですから」
……うん。
そこの部分だけは、絶対に変えたくない。
アンキルさんは、居間の方を見つめた。
子供たちは、楽しそうに人形で遊んでいる。
「……この家は、小さいけれど、大切な場所なんです」
「はい」
「ここへ来たとき、みんな泣いてばかりだったのに……今では、あんなふうに笑ってくれて」
…………。
……ああ。
この人も、たくさんの時間を子供たちと過ごしてきたんだね。
「それでも……」
アンキルさんは、少しだけ言葉を探した。
「このままで、あの子たちを守り続けられるのか……最近、考えてしまうんです」
「……そうですよね」
私は、頷いた。
「だから、もし新しい場所を作れたら、皆さんで来てほしいんです。もちろん、今日返事をいただく必要はありません」
スペリアさんが、静かに言った。
「……院長先生。みんなで、ちゃんと考えましょう」
「ええ。そうね」
アンキルさんは、ゆっくり頷いた。
……うん。
それでいいんだと思う。
「何か決まったら、王城を通して連絡してください。私からも、必要なことはお伝えします」
「分かりました」
アンキルさんが、深く頭を下げた。
「子供たちのことを考えてくださって、ありがとうございます」
「いえ。こちらこそ、お話を聞かせてくれてありがとうございます!」
……ああ。
こうして、四つ全部のお話を聞くことができた。
……よし。
あとは、私もちゃんと考えないとね。
◇
四つの孤児院を回り終えて。
私は、手元のメモを眺めていた。
王都クーラルの孤児院には、七人。
サフィリアには、六人。
フェルザには、四人。
マリノアには、三人。
……うん。
合わせて、二十人。
王様から聞いた人数と、ちゃんと合ってる。
そして、先生たちは各施設に二人ずつ。
王都のポーラさんとナタリーさん。
サフィリアのハーティスさんとリンさん。
フェルザのデーツさんとライアさん。
マリノアのアンキルさんとスペリアさん。
……八人。
みんな、それぞれのやり方で子供たちを守っていた。
優しく見守る人。
叱るべきときには、ちゃんと叱る人。
甘やかしてしまう人。
手先を使って遊び道具を直す人。
自分のことを後回しにしてでも、子供を守ろうとする人。
……うん。
いい人たちばかりだったなぁ。
でも。
みんな、少し無理をしすぎている気がする。
それに、子供たちも今の場所が大好きなんだ。
だからって、古い建物をすぐに捨てて新しい家に移そう、なんて簡単には決められない。
私は、桜花に目を向けた。
「桜花、どう思った?」
「どの孤児院でも、子供たちが先生方を慕っておりました」
「うん。そうだね」
「施設が変わっても、その関係を大切にできることが望ましいかと存じます」
……ああ。
まさに、それ!
「私もそう思う。新しい建物にするなら、先生たちと子供たちが一緒に安心して暮らせる場所にしたい」
「はい」
……よし。
方向は、見えてきたかな。
「それと、もう一つ考えていることがあるんだ」
「何でございましょうか」
「今の四つの孤児院も、何かに使えないかなって」
桜花が、静かに首を傾げた。
「……使う、でございますか?」
「うん。例えば、近くの村で親を亡くした子がいたら、いきなり王都まで連れてくるより、まず近くで保護できる場所があった方が安心かもしれないでしょ?」
「……なるほど」
……うん。
今日歩いて分かったけど、どの場所にも周りの人とのつながりがある。
今の建物がなくなったら、そのつながりまで消えてしまうかもしれない。
もちろん、修理もいる。
それに、新しく働いてくれる人も必要になる。
……まあ。
今の時点では、ただの思いつきなんだけどね。
「でも、ここも勝手に決められないね」
「はい。施設を運営しておられる方々と、王国側のご意向を伺う必要がございます」
「うん。そのとおり!」
……ふふ。
いつもだったら、思いついた瞬間に何でも作ってしまいそうだけど。
今日は、ちょっと我慢できた。
……おっ。
私、成長してない?
……いや。
それくらい普通なのかもしれないけど!
私は、メモを閉じた。
ポーラさんたちに返事を急いでもらうつもりはない。
今はそれぞれの場所で、よく話し合ってもらおう。
……うん。
大切なのは、そこで暮らす人たちだからね。
最後の訪問を終えた夕方。
王都に戻って屋敷へ向かっていると、孤児院の近くで見覚えのある後ろ姿がちらっと見えた。
……ん?
あれ、クオシンさんじゃない?
路地を曲がって、すぐ見えなくなっちゃったけど。
……まあ、王子様だし、いろいろ用事もあるよね。
「リアリス様?」
「ん? ううん、何でもない。帰ろうか!」
「かしこまりました」
私は桜花と並んで歩き出した。
……さて、帰ったら今日のお話をまとめなくちゃね。
屋敷に帰ると、カトレアが玄関まで迎えに来てくれた。
「お父さん、おかえり!」
「ただいま、カトレア!」
「今日はどんなところへ行ったの?」
「今日はね、子供たちが住んでる小さな家へ行ってきたんだ」
「小さな家?」
「うん。先生たちと一緒に暮らしてるところ」
カトレアが、目を丸くした。
「お友達、いた?」
「いたよ! みんな元気だった」
「そっか!」
……ふふ。
まずはお友達の心配なんだね。
「それから、これをもらったよ」
私はサフィリアの子供たちがくれた貝殻を見せた。
「わあっ! きれい!」
「今度、みんなで見てみようか」
「うん!」
そのとき、奥からダリル君とセリム君が顔を出した。
「……おかえりなさい」
「……おかえり!」
「ただいま!」
……ああ。
今日も迎えてくれるんだ。
ダリル君は、少し遠慮がちに尋ねた。
「……ほかにも、僕たちみたいな子がいるんですか?」
「うん。四つの孤児院に、二十人いたよ」
「……二十人も」
……あっ。
ちょっと驚いたみたい。
私は頷いた。
「みんな、優しい先生たちと暮らしてた」
ダリル君は、少し考えてから言った。
「……先生たちも、いっしょなんですね」
「うん。そこが大事なんだよ」
……そう。
家を作るだけじゃなくて。
その家で、誰と過ごすのか。
それも、とても大切なんだ。
セリム君が、ダリル君の服を引っ張った。
「……おにいちゃん」
「ん?」
「……ぼくたちも、いっしょ?」
…………。
……ああ。
やっぱり、そこが気になるんだね。
私は、しゃがんで二人の顔を見た。
「もちろん。二人を無理に離したりしないよ」
セリム君は、ほっとしたように笑った。
ダリル君も、ゆっくり頷く。
……うん。
その笑顔が見られたなら、今日も十分いい一日だね。
◇
その夜。
私はセバスと桜花に、四つの孤児院で聞いたことを整理してもらっていた。
巴さんも、お茶を用意しながら話を聞いてくれている。
「なるほど。各施設の皆様には、まだご検討いただいている段階なのですね」
「うん。急いで決めてほしくないからね」
「承知いたしました。王国側へのご報告も、そのようにいたします」
「ありがとう、セバス」
私は、メモを見返した。
施設は四つ。
子供は二十人。
先生たちは八人。
……でも。
今日までに見てきたのは、ただの数字じゃない。
窓辺の絵。
貝殻の飾り。
作りかけの木の鳥。
不揃いな布の人形。
どれも、あの場所で子供たちが過ごしてきた証拠なんだよね。
「リアリスちゃん」
巴さんが、優しく声をかけてくれた。
「ん?」
「いい出会いがあったみたいね」
「うん。本当に!」
私は、素直に頷いた。
「皆さん、子供たちのことが大好きでさ。すごくいい先生たちだったんだ」
「ふふ。それはよかったわ」
……ああ。
新しい孤児院を作るなら、あの人たちの力を借りたい。
でも、そのためには、みんなが納得できる形にしないとね。
私は、メモをそっと閉じた。
……よし。
まずは、先生たちの返事を待とう。
それから、もう一度みんなで話そう。
……うん。
ゆっくりでもいい。
子供たちが心から「ここが家だ」と思える場所を、一緒に作っていきたいな。
……それにしても。
みんな、ゆっくり考えてくれるといいな。
私は、温かいお茶をひと口飲んだ。
……ああ。
今日も、いい一日だった!
◇
――プチ番外編・王都の孤児院にて。
その夜。
子供たちが眠ったあと、ポーラは小さな机に向かっていた。
隣では、ナタリーが古い制服の袖を縫っている。
「……ナタリー」
「はい、院長先生」
「今日のお話、どう思ったかしら」
ナタリーは、少し考えてから微笑んだ。
「……驚きました。でも、嬉しかったです」
「そうね」
ポーラは、壁に残る子供たちの背丈の印を見つめた。
「この家は、大切な場所だもの。簡単には決められないわ」
「はい」
「でも……」
ポーラは、そっと笑った。
「子供たちがもっと安心して暮らせるのなら、私たちも考えなければいけないわね」
ナタリーが、静かに頷く。
「……みんなで、ちゃんと考えましょう」
「ええ。みんなでね」
古い家の中に、穏やかな夜が流れていた。




