第9話:番外編!シルベスターの憂鬱
こんにちはリリーナです。今日は冒険者ギルド、ギルドマスターのシルベスターさんのお話をしたいと思います。
普段、私たちは親しみを込めて「ギルマス」と呼んでいます。
初めて会った方は、たいてい少し怖がります。
大きな体に、鍛え上げられた肩と腕。しかも声は低くて、笑っていないときの顔は、正直かなり怖いです。
私だって、初めてお会いしたときは緊張しました。
でも、一緒に働くようになって分かったことがあります。
ギルマスは、とても優しい人です。
……もちろん、怒るとものすごく怖いですけど。
とくに、冒険者が無謀な行動をしたとき。
その声は、受付の奥まで響いてきます。
だけど、誰かが怪我をしたり、帰ってこなくなったりすることを、ギルマスは誰より嫌がります。
だから厳しいんです。
今日は、そんなギルマスの一日を、少しだけお話しします。
……あっ。
その前に、ひとつ。
このお話、最初は真面目なんです。
本当ですよ?
ただ、後半に入ると、どうしてもある冒険者さんの名前がたくさん出てきます。
……本当に、たくさん。
その方のお名前は、リアリスさん。
……ええ。
あの、リアリスさんです。
◇
朝。
冒険者ギルドの扉を開けると、まだ人の少ない受付に、紙をめくる音が聞こえてきます。
「おはようございます、ギルマス!」
「おう。早いな、リリーナ」
……あっ。
もう来てる。
ギルマスは私より早く来ていることが多いんです。
執務室の机には、昨夜のうちに届いた報告書が並んでいました。
討伐依頼の完了報告。
採取依頼の確認。
護衛依頼の経路変更。
ほかの町のギルドから届く連絡。
そのすべてに目を通して、問題がないか判断しなければなりません。
「昨日の南街道の護衛依頼、問題なく終わったようだな」
「はい。商隊の方からも、お礼のお手紙をいただきました」
「そうか。……で、この報告は?」
ギルマスが別の紙を持ち上げます。
そこには、三人組の新人冒険者が予定の時間に戻らなかったことが書かれていました。
「昨日の夕方には、全員戻られています」
「怪我は?」
「軽い擦り傷だけです」
「……なら、よかった」
そう言って、ギルマスは短く息を吐きました。
……こういうところなんです。
最初に気にするのは、依頼の成否でも報酬でもありません。
冒険者が無事かどうか。
それを確かめて、ようやく安心した顔になるんです。
「で、戻りが遅れた理由は?」
「採取場所を変えて、道に迷ったそうです」
…………。
あっ。
ギルマスの眉が動きました。
「……あいつら、危険区域には入ってねえだろうな?」
「はい。そこは大丈夫です」
「あとで呼んでくれ。説教だ」
……うん。
無事だったからこそ、きちんと怒る。
それも、ギルマスの仕事なんです。
冒険者ギルドには、毎日たくさんの人が来ます。
薬草を採取して戻る方。
魔獣の討伐を終えた方。
護衛を探している商人さん。
街の清掃を頼みに来る方もいます。
受付の私たちは依頼を確認し、冒険者さんへ内容を伝えます。
でも、その仕事が安全かどうか、どのランクの人へ任せていいか、最終的に判断するのはギルマスです。
「この討伐依頼、Dランクの連中だけじゃ厳しいだろ」
「でしたら、Cランク以上へ変更しますか?」
「ああ。それと、周囲に同じ種類の魔獣がいないか調べろ。単独の目撃情報だけじゃ足りねえ」
「分かりました!」
……頼もしい。
危険な依頼だからといって、何でも受け付ければいいわけではありません。
報酬がよくても、冒険者さんが帰ってこなければ意味がありませんから。
逆に、無理な依頼を持ち込まれたときは、依頼人さんにも事情を説明します。
これが大変なんです。
依頼人さんには依頼人さんの都合がありますし、冒険者さんにも生活があります。
その間に立って、何とか折り合いをつける。
……簡単そうに聞こえます?
いいえ。
そんなこと、ありません。
ギルマスの机に書類が増えていくのは、こういう小さな判断が毎日いくつも重なるからなんです。
そして、ときどき。
ギルマスは冒険者ギルドの裏手にある広場へ向かいます。
そこでは、登録したばかりの新人冒険者さんたちが集まっています。
「いいか! 魔獣を見つけたら、まず相手をよく見ろ!」
……始まりました。
ギルマスの初心者講習です。
元Aランク冒険者の経験を、惜しみなく教えてくれるんですよ。
剣の構え方。
仲間との間合い。
魔獣を見たときに確認すべきこと。
そして、逃げる判断。
「勝てるかどうか分からねえ相手に、格好つけて突っ込むな!」
「は、はい!」
「生きて帰れば次がある。死んじまったら、それで終わりだ!」
新人さんたちの背筋が、ぴんと伸びました。
……うん。
ちょっと怖いですよね。
でも、言っていることは正しいんです。
講習が終わったあと、ひとりの新人さんが申し訳なさそうに近づきました。
「あの、ギルマス……」
「何だ?」
「俺、剣が下手で……。冒険者、向いてないのかもしれません」
……あっ。
落ち込んでる。
するとギルマスは、少しだけ目を細めました。
「最初から上手い奴なんざ、そうそういねえ」
「……え?」
「できねえなら練習しろ。剣が苦手なら、ほかの得意なことを探せ。冒険者の仕事は討伐だけじゃねえ」
新人さんは、ぱっと顔を上げました。
「はい! ありがとうございます!」
「おう。明日も来いよ」
……ふふ。
厳しいけど、優しい。
やっぱり、私たちのギルマスです。
講習の合間には、ちょっとした模擬戦を見せることもあります。
昔、ギルマスは左腕を失いました。
それでも鍛錬を続け、片腕のままで驚くほど強くなった人です。
失った腕を治せる機会があっても、ずっと断ってきたと聞いています。
自分への戒めだったそうです。
私は、それを聞いたとき、正直少し悲しくなりました。
だって、あんなに人のことを心配しているのに、どうして自分のことは後回しにするんでしょう。
……でも。
今は違います。
少し前、王都が魔獣の大群に襲われたとき。
リアリスさんの《完全回復》で、失っていた左腕が戻ってきたんです。
……ああ。
あの日のことは、今でもよく覚えています。
ギルマスは、最初は信じられないという顔をしていました。
何度も手を開いたり閉じたりして。
そして、戦いのあとには、剣を高く掲げていました。
……本当に、よかった。
私も、すごく嬉しかったんです。
もちろん、ギルマスが強いのは腕が戻ったからだけではありません。
長い間積み重ねてきた経験と努力があるから。
でも。
今では広場で両手を使って剣を扱う姿を見るたび、私は胸がいっぱいになります。
「……リリーナ?」
「は、はい!」
「何ぼさっとしてんだ。受付、忙しいんじゃねえのか?」
「す、すみません!」
…………。
……あっ。
感動してたら、本人に見つかっちゃいました。
こういうところは、相変わらずです。
ギルマスのお仕事は、ギルドの中だけでは終わりません。
王国から緊急の要請が来れば、王城へ出向くこともあります。
ある日の朝。
鎧を着た使者の方が、慌ただしくギルドへ入ってきました。
「王城から、至急のご相談がございます!」
…………。
あっ。
これは、忙しくなる予感です。
ギルマスは報告書を一度机に置き、使者の方から事情を聞きました。
街道付近で不審な魔獣の群れが目撃された、という話でした。
「分かった。すぐ行く」
そう言って外套を羽織ります。
ただ、出かける前には必ず、私たちに指示を残すんです。
「リリーナ。俺が戻るまで、緊急の討伐依頼は勝手に通すな」
「はい!」
「負傷者が来たら治療師を呼べ。必要なら俺に連絡しろ」
「分かりました!」
「それと、新人どもがさっきの場所へ近づかねえように注意しておけ」
「はい!」
こういう指示があるだけで、私たちも落ち着いて対応できます。
王城での打ち合わせを終えて戻ってきたあとも、すぐ机に向かいます。
……ええ。
王城に行っている間も、書類は減りませんから。
むしろ、増えていることの方が多いです。
……本当に、大変なお仕事です。
大変といえば、冒険者さん同士の喧嘩もあります。
ある日の午後。
「だから、そっちが先にぶつかったんだろ!」
「何だと!?」
……あっ。
また始まっちゃいました。
ちょっとした言い争いが、いつの間にか大声になる。
周りの冒険者さんまで巻き込まれる前に、私たちが止めに入るんですが……。
「お二人とも、落ち着いてください!」
「リリーナさんは下がっててくれ!」
……うう。
こうなった方々は、なかなか話を聞いてくれません。
すると。
「おい」
…………。
低い声が響きました。
二人の動きが、ぴたりと止まります。
ギルマスです。
「ここをどこだと思ってやがる」
「……ギ、ギルマス」
「喧嘩する元気があるなら、依頼の一つでも片づけてこい!」
…………。
……おお。
一瞬で終わりました。
「い、いや、俺たちは……」
「言い訳は後で聞く! まず謝れ!」
「……すみません!」
「……悪かった!」
……ふふ。
この場面だけ見たら、怖い人ですよね。
でも、そのあとギルマスは二人を別々に呼んで、ちゃんと話を聞くんです。
一方だけを責めたりしません。
悪いところは悪いと叱って、仲直りできるようにしてくれます。
……そういう人だから、皆もギルマスを頼るんだと思います。
それから、もうひとつ。
私がひそかに楽しみにしているのは、ギルマスのお茶の時間です。
忙しい合間に、ほんの少しだけ休憩することがあります。
ギルマスは、リアリスさんの雑貨店で売っている緑茶がお気に入りなんですよ。
ただし、普通の濃さではありません。
とても濃く淹れるんです。
「ギルマス、お茶をお持ちしました」
「おう。ありがとな」
私は湯飲みを置きます。
濃い緑茶の香りが、ふわりと広がりました。
……うん。
私には少し苦そう。
でも、ギルマスは美味しそうに飲むんです。
「やっぱり、これだな」
「そんなに濃くて、苦くないんですか?」
「これくらいでちょうどいい」
……へえ。
不思議です。
私は、もう少し薄い方が好きなんですけど。
ギルマスはお茶を飲みながら、窓の外を眺めます。
その時間だけは、いつもの険しい表情も少し緩みます。
……ああ。
こういう顔、ほかの方にも見せてあげたいな。
「リリーナ」
「はい?」
「茶を飲み終わったら、昨日の報告を持ってきてくれ」
…………。
……あっ。
お茶の時間も、もう終わりみたいです。
……もう少し、ゆっくりしていてもいいのに。
そんなギルマスですが、ひとつだけ気になることがあります。
最近、お昼休みになると、よく薬屋さんへ行っているみたいなんです。
最初は、どなたかの薬を買っているのかと思っていました。
でも、何度も行くので……。
「ギルマス、どこへ行かれるんですか?」
「……ちょっと薬屋だ」
「お加減が悪いんですか?」
「……大したことじゃねえ」
…………。
……ええっ。
そう言われると、余計に心配になります。
「ちゃんとお休みになってくださいね?」
「分かってる」
……うーん。
本当に分かっているのでしょうか。
ギルマスは、毎日朝から晩まで働いています。
依頼を確認して、王城へ出向いて、新人の面倒を見て、喧嘩を止めて。
とにかく、仕事が多いんです。
……そういえば。
最近は、胃のあたりを押さえていることもあるような……。
…………。
……大丈夫なんでしょうか。
そんなふうに思いながら、私は今日も受付に立っています。
ギルマスは強くて、頼れて、面倒見がよくて。
皆にとって、本当に大切な人です。
だからこそ、無理はしてほしくありません。
……ええ。
これは、私の心からのお願いです。
……ところで。
ギルマスが胃を押さえるようになった理由。
実は、ちょっと心当たりがあるんです。
…………。
……いえ。
ちょっと、ではないかもしれません。
そろそろ、そのお話をしましょう。
◇
ここからは、私がこれまでにギルマスへお伝えしたことのある報告を、いくつか思い出してみようと思います。
順番は、思い出した順です。
全部を時系列に並べるのは、もう諦めました。
だって、ひとつの報告を整理する前に、次の報告が来ることもあるんですから。
そして、報告の中心にいるのは、たいてい同じ人。
リアリスさんです。
冒険者ギルドでは「リオンさん」という登録名も使われていますが、ギルマスと私が事情を知っている場では、本名で呼ぶこともあります。
外へ漏らしていいお話と、そうでないお話があるのも、きちんと承知しています。
ですから、これからのやり取りも、基本的には執務室の中でのことです。
……さて。
最初の頃は、私も普通の受付嬢でした。
依頼の完了報告を受けて、報酬をお渡しして。
たまに珍しい魔獣が出れば、ギルマスへお知らせする。
そんな、普通の毎日。
……そう。
普通だったんです。
あの人が来るまでは。
「ギルマス! リアリスさんが今度はAA級の魔獣を倒してきたみたいです!」
「……は?」
「討伐の確認をお願いしたいそうです!」
「ちょっと待て。あいつ、何ランクだった?」
「Fランクです!」
「……ああ、そうだったな」
…………。
ギルマスが、両手で顔を覆いました。
「Fランクってのは、薬草を採る仕事から始めるもんじゃなかったか……?」
「はい!」
「……なあ、リリーナ」
「はい?」
「俺の知ってるFランクと、何か違うのか?」
…………。
……えっと。
私にも分かりません!
ちなみに、この頃の私は、まだ少し楽観的でした。
珍しいこともあるんだなぁ、くらいに思っていたんです。
……今となっては、ずいぶん懐かしいです。
だって、すぐに次の報告が来ましたから。
「ギルマス! リアリスさんがすごく大きい家を一瞬で建てたみたいです!」
「……今、何つった?」
「家です! 大きな家です!」
「……一瞬?」
「はい!」
「……どれくらい大きい?」
「私たちが想像するような、普通のお家ではないみたいです!」
…………。
ギルマスは、しばらく天井を見上げました。
「……あいつ、冒険者だよな?」
「登録上は、そうですね!」
「……家を建てる依頼なんざ、出してねえぞ」
「ですよね!」
……うん。
私も不思議でした。
冒険者さんが自分の家を建てること自体は、おかしくありません。
でも、普通は職人さんへ頼みますよね。
一瞬で建てるというのは、どういうことなんでしょう。
「……リリーナ」
「はい?」
「とりあえず、お茶をくれ」
……あっ。
このあたりから、ギルマスがお茶を飲む回数が増えた気がします。
「ギルマス! リアリスさんが子供を拾ってきたみたいです!」
「……子供?」
「はい! 女の子だそうです!」
…………。
ギルマスの顔つきが変わりました。
それまでのように呆れたりせず、真剣な目になります。
「怪我は? 身元は分かってんのか?」
「無事に保護されたと聞いています!」
「そうか。……よかった」
……ああ。
こういうところです。
まず、その子が無事なのかを心配するんです。
「で、あいつはどうするつもりなんだ?」
「お屋敷で面倒を見るそうです!」
…………。
ギルマスが、もう一度天井を見上げました。
「……あの大きな家、そういう使い道もあったのか」
……えっと。
多分、最初からそのつもりではなかったと思います。
でも、誰かが困っていると、リアリスさんは放っておけない人ですから。
ギルマスも、そこはよく分かっているようでした。
「……あの子が安心できるなら、それでいい」
……うん。
ギルマス、やっぱり優しいです。
「ギルマス! リアリスさんがSランクの魔獣をペットにしたみたいです!」
「…………」
「ギルマス?」
「……今度は何だ」
「ペットです!」
「そこは聞こえた!!」
…………。
……おお。
今日は声が大きいです。
「Sランクだぞ!? 討伐の準備だけで大騒ぎになる相手を、何で飼う話になるんだ!」
「えっと……可愛かったんでしょうか?」
「可愛いで済むか!」
……うう。
怒られちゃいました。
でも。
リアリスさんなら、可愛ければ飼ってしまいそうな気もするんです。
……あっ。
もちろん、危険なことが起きないようにしてくれているのでしょうけど。
「……名前は?」
「そこまでは、まだ……」
「分かった。続報が来たら持ってこい」
「はい!」
ギルマスは、深々とため息をつきました。
それから、濃い緑茶を一口。
…………。
……あれ?
さっきより、ちょっと濃く淹れていませんか?
「ギルマス! リアリスさんがお父さんになりました!」
「……は?」
「お父さんです!」
「……誰の?」
「この前、保護された女の子の!」
…………。
ギルマスが、しばらく動かなくなりました。
「……あいつ、いつの間に」
「正式に親子になられたそうです!」
「……そうか」
……あっ。
今度は、何だか嬉しそうです。
「……よかったな、あの子」
そう言って、ほんの少し笑いました。
……うん。
私も、そう思います。
リアリスさんのお屋敷なら、きっと大切に育ててもらえます。
「そういえば、ギルマス」
「何だ?」
「リアリスさん、娘さんのことになると、すごく甘いそうですよ」
「……あいつが?」
「はい!」
「……容易に想像できるな」
…………。
……あっ。
即答です。
ギルマスも、リアリスさんのことをよく分かっているんですね。
「ギルマス! リアリスさんが皇帝陛下と決闘したみたいです!」
「なっ……何だと!?」
「……あっ、すみません! よく確認したら、模擬戦をしたのは桜花さんみたいです!」
…………。
…………。
「……リリーナ」
「はい……」
「心臓が止まるかと思ったぞ」
「す、すみません!」
……本当に、すみません!
でも、皇帝陛下と模擬戦をしたという時点で、十分すごい話ですよね。
「……で、結果は?」
「桜花さんが勝たれたそうです!」
「……だろうな」
…………。
……あれ?
ギルマス、あまり驚きません。
「驚かれないんですか?」
「あいつの隣にいる桜花が、普通の強さなわけねえだろ」
…………。
……なるほど。
妙に説得力があります。
「……それより、リリーナ」
「はい?」
「頼むから、最初に正確な話を持ってこい」
「……はい!」
……うう。
この日は、私も反省しました。
ちゃんと確認してから報告しないといけませんね。
「ギルマス! リアリスさんが勇者と模擬戦して瞬勝したらしいです!」
「…………」
「……ギルマス?」
「……相手は、あの勇者か?」
「はい!」
「……一瞬で?」
「はい!」
…………。
ギルマスは、手元の報告書を伏せました。
そのまま、しばらく目を閉じています。
……あっ。
考え事でしょうか。
「……勇者ってのは、世界を救うために呼ばれた存在じゃなかったか」
「そうですね」
「……何でFランクの冒険者に、一瞬で負けるんだ」
…………。
……えっと。
私に聞かれても……。
「……まあ、あいつだからな」
……おお。
納得しちゃいました!
ここまで来ると、ギルマスの驚く基準がちょっと変わってきた気がします。
……ちなみに。
この報告のあと、ギルマスはしばらく無言で緑茶を飲んでいました。
「ギルマス! リアリスさんが聖国で神の使徒として扱われるみたいです!」
「…………」
「……ギルマス?」
「……もう一度、言ってみろ」
「神の使徒です!」
「……あいつが?」
「はい!」
…………。
ギルマスは、何かを思い出したように額を押さえました。
「……確か、あいつは……」
そこで、口を閉じます。
……ん?
どうしたんでしょう。
「ギルマス?」
「……いや、何でもねえ」
……そうですか?
でも、ギルマスは何かをご存じのようでした。
……まあ。
リアリスさんには、私も知らないことがたくさんありますから。
「……聖国の連中は、何と言ってるんだ?」
「とても大切なお立場として、敬われているそうです!」
「……頼むから、国同士の問題になるようなことは起こすなよ……」
…………。
……あっ。
祈り始めました。
誰にでしょう。
……神様?
……いえ。
今の話だと、その神様までリアリスさんと関係がありそうなんですけど。
「ギルマス! リアリスさんが魔王国に行くみたいです!」
「……観光か?」
「えっと……ご用事があるそうです!」
「……どんな用事だ」
「魔王様とのお話し合い、みたいですね!」
…………。
…………。
「……ちょっと待て」
「はい?」
「人間の国のFランク冒険者が、魔王と話し合いに行くのか?」
「そうみたいです!」
「……ギルドの仕事か?」
「いえ、たぶん違います!」
…………。
ギルマスは、しばらく私を見つめました。
……あれ。
何か言いたそう。
「……あいつは、どこまで顔が広がりゃ気が済むんだ」
……うーん。
それは、私もちょっと気になります。
国王陛下。
皇帝陛下。
勇者様。
神の使徒。
そして今度は、魔王様。
…………。
……何だか、もう冒険者というより、各国の要人を巡っている人みたいです。
……あっ。
口には出しませんよ?
ギルマスの胃に悪そうですから。
「ギルマス! リアリスさんが獣王国で無礼なふるまいをしたみたいです!」
「……おい」
「はい?」
「本当に無礼を働いたのか?」
「……すみません! 伝わってきたお話だと、かなり気安く接していた、ということみたいです!」
…………。
ギルマスが、ゆっくり息を吐きました。
「……あいつに、王族相手の礼儀って概念はあるのか」
「……た、たぶん、あると思います!」
「たぶんかよ!」
……うう。
即答できなくて、すみません。
でも、リアリスさんって、偉い方が相手でも、あまり変わらないんです。
それは素敵なところでもあると思います。
……思いますけど!
相手が王様だと、ちょっと心配です!
「……揉め事にはなってねえんだな?」
「はい! 今のところ、そういう報告はありません!」
「なら、いい……いや、よくはねえな……」
…………。
ギルマスの言葉が、だんだん小さくなっていきます。
……あっ。
また、胃のあたりを押さえてます。
「ギルマス! リアリスさんがドワーフ王国の不仲を解決したみたいです!」
「…………」
「……あの、ギルマス?」
「……今度は何だ。国の仲裁でもしたってのか」
「はい! そんな感じみたいです!」
「……ああ、そうか」
…………。
……あれ?
今度は、落ち着いてる?
「驚かれないんですか?」
「……驚く元気が残ってねえ」
…………。
……あっ。
それは、それで心配です!
「でも、これで争いが減るなら、いいことですよね!」
「ああ。そこは間違いねえ」
ギルマスは、そう言って頷きました。
……うん。
どんなに突拍子もない報告でも、平和になったという話なら、ちゃんと喜ぶんです。
「ただな、リリーナ」
「はい?」
「……何で、毎回あいつが真ん中にいるんだ?」
…………。
……本当ですね!
私も、それはぜひ聞いてみたいです。
「ギルマス! リアリスさんがリバーシを売り始めて、色々な国で国民が買えないって騒いでます!」
「……リバーシ?」
「黒と白の石を置く、盤上遊戯らしいです!」
「……何でそんなもんで騒ぎになる」
「大人気で、品物が足りないみたいなんです!」
…………。
ギルマスは、しばらく黙っていました。
「……国が絡む大問題じゃねえんだな?」
「はい! 遊び道具です!」
「……なら、いいじゃねえか」
「でも、問い合わせがすごいんです!」
「……どこに?」
「このギルドにもです!」
…………。
「何でだぁぁぁ!?」
……おお。
久しぶりに、ものすごく大きな声です。
でも、気持ちは分かります。
冒険者ギルドは、リバーシの販売店ではありません。
……それなのに。
「リアリス様のお店の品だろう? どこで買えるんだ?」
そういう質問が、ときどき受付に届くんです。
……うう。
冒険者さんの依頼なら、私も得意なんですけど。
盤上遊戯の入荷予定までは、分かりません!
「……リリーナ」
「はい?」
「次からは、店で聞けって伝えろ」
「……はい!」
……正論です。
「ギルマス! リアリスさんが帝国で奴隷売買事件を解決したみたいです!」
「…………」
……あっ。
このときは、ギルマスもすぐには何も言いませんでした。
これまでのように呆れたり、声を荒げたりもしません。
「……保護された人たちは?」
「助け出された方々は、保護を受けているそうです」
「そうか」
……うん。
この事件は、笑い話にはできません。
私も、報告を読んだときは胸が苦しくなりました。
人を人として扱わないようなことが、本当にあったんですから。
ギルマスは少しの間、黙っていました。
それから、ぽつりと言います。
「……あいつが動いたんだな」
「……はい」
「なら、助かった人たちがいる。それが一番だ」
……そうですね。
私は、小さく頷きました。
ギルマスは書類へ目を戻しました。
…………。
……ただ。
そのあと、机の端に積んであった関係各所からの問い合わせを見つけて。
「……また、あいつの名前があるじゃねえか……」
今度は、深く深くため息をついていました。
……うん。
人助けと書類仕事は、どうして別々になってくれないんでしょう。
「ギルマス! リアリスさんがすごく大きい学校を作ったみたいです!」
「…………」
「……ギルマス?」
「……学校?」
「はい! 子供たちが勉強する場所です!」
「それは分かる!」
…………。
……あっ。
また怒られちゃいました。
「……で、どれくらい大きいんだ?」
「とっても大きいみたいです!」
「……数字で言え、数字で」
「詳しい規模は、まだ確認中で……」
…………。
「……もういい。あとで資料を持ってこい」
「はい!」
ギルマスは、机に肘をついて考え込みました。
「……子供が学べる場所が増えるのは、いいことだな」
「はい! 私もそう思います!」
……うん。
リアリスさんらしいですね。
お子さんたちが安心して学べる場所があるって、素敵なことです。
「……だが、な」
「はい?」
「普通、学校ってのは、一人で簡単に建てるもんじゃねえぞ」
…………。
……ええ。
たしかに。
でも、リアリスさんですからね!
私は、そう言いかけて止めました。
……今、それを言ったら、ギルマスのため息がもう一つ増えそうなので。
「ギルマス! リアリスさんが娘さんの誕生日に王族の方々をお招きするみたいです!」
「…………」
……あっ。
ギルマスの手が止まりました。
「……娘の誕生日?」
「はい!」
「……王族が来る?」
「はい!」
「……何人だ?」
「えっと、複数の国から、というお話です!」
…………。
ギルマスは、そっと目を閉じました。
……うん。
何かを数えているみたいです。
「……普通の誕生日会だよな?」
「……た、多分!」
「……普通の誕生日会に、複数の国の王族が来るのか?」
…………。
……あっ。
確かに!
「で、でも、皆さん仲良しですから!」
「……分かってる。分かってるんだが……」
ギルマスが、胃のあたりを押さえます。
……うう。
また痛そう。
「……せめて、招待状の返事が冒険者ギルドに届かねえことを祈る」
「……ギルマス」
「何だ」
「……もう、問い合わせが来てます」
…………。
「何でだぁぁぁぁ!?」
……えっと。
リアリスさんと親しい人が、ギルドにいるからでしょうか。
……あっ。
それって、ギルマスのことですね。
…………。
……言わない方がよさそうです。
……こうして。
思い出せるだけでも、これだけの報告がありました。
もちろん、実際にはもっとあります。
大きな魔獣の話。
王城への呼び出し。
各国からの問い合わせ。
そして、ギルマスの机に増えていく書類。
……ああ。
こうして振り返ると、よく分かります。
ギルマス、本当に大変なんですね。
いつ頃からだったでしょう。
お茶が少しずつ濃くなって。
机の引き出しに、薬の包みが入るようになって。
そして、最近は昼休みに薬屋さんへ行くことが増えました。
……そういえば。
この前、リアリスさんがギルドを訪ねてきたとき、ギルマスの胃痛を治してくださったんです。
私は、あのとき本当に安心しました。
ギルマスの顔色がよくなって、久しぶりに元気な声が聞けましたから。
それなのに……。
…………。
……あれ?
どうして、また薬屋さんへ?
治ったはずですよね。
……ひょっとして。
また、何かあったのでしょうか。
私は少し不安になりました。
……そうだ。
こういうときは、まず報告書を確認するのが受付嬢の仕事です。
私は、さっき届いたばかりの書類を手に取りました。
その書類は、聖国の冒険者ギルドから届いた、正式な討伐報告でした。
……ん?
聖国?
最近、リアリスさんと桜花さんが行っていた場所ですよね。
しかも、この件は、以前ギルマスも聖国から来た双子の冒険者さんたちに話を聞いていたはずです。
……ああ。
そういうことなら、確認だけで済みますね。
私は、報告書を開きました。
討伐した魔獣の数。
対象となった場所。
現場にいた冒険者の証言。
……ふむふむ。
……あれ?
…………。
……えっ!?
私は、もう一度数字を見ました。
それから、念のため指で数え直しました。
…………。
……三百?
…………。
……三百匹!?
えっと。
これ、書き間違いじゃありませんよね?
ちゃんと、確認済みの印があります。
…………。
……ああ。
なるほど。
ギルマスが双子の冒険者さんに聞いていた話って、これだったんですね。
……ということは。
やっぱり、ギルマスにご報告しなければ!
私は、書類を胸に抱えて執務室へ向かいました。
……よし。
今度は確認もばっちりです。
正式な書類ですから、さっきみたいに勘違いで怒られることもありません!
……ええ。
ありませんよね?
執務室の扉を叩きます。
「ギルマス! よろしいですか!」
「……おう、入れ」
扉を開けると、ギルマスは机に向かっていました。
右手にペン。
左手に書類。
机の端には、濃い緑茶。
……うん。
いつものギルマスです。
ただ。
湯飲みの隣には、見慣れない薬の包みが置いてありました。
…………。
……あっ。
やっぱり、まだ胃の調子が悪いんでしょうか。
「どうした、リリーナ」
「聖国から、正式な討伐報告が届きました!」
「……ああ、あの件か」
ギルマスが、少しだけ眉を上げました。
「双子から話は聞いてる。ほかに何かあったのか?」
「はい! 討伐数が、ちゃんと確認されたみたいです!」
「……そうか。で、何体だ」
私は報告書を持ち直しました。
…………。
……あっ。
そうでした。
ギルマスには、正確に、きちんと報告しないといけません。
この前も「数字で言え」と怒られましたし。
……よし。
今度こそ!
私は胸を張りました。
「ギルマス! リアリスさんが今度は300匹の魔獣の群れを一瞬で倒したみたいです!」
…………。
…………。
部屋が、静かになりました。
ギルマスのペンが、ぴたりと止まります。
……あれ。
何か、まずかったでしょうか。
「……リリーナ」
「はい!」
「……三百?」
「はい!」
「……一瞬で?」
「はい! 正式な確認が取れています!」
…………。
ギルマスは、ゆっくりと書類を机に置きました。
次に、右手で額を押さえます。
それから、左手で胃のあたりを押さえました。
…………。
……あっ。
あの、ギルマス?
せっかく左腕が戻ったのに、両手をそういうことに使わないでください!
……なんて。
もちろん、声には出せません。
ギルマスの口元が、ぴくぴくと動いています。
「……あいつ……」
…………。
……あれ。
何だか、嫌な予感。
「……一度、あれだけ話を聞いたってのに……」
…………。
……ギルマス?
「……正式な報告で、また三百体を突きつけられるとは……」
…………。
……あっ。
そういうことですか。
聞いていた数字が、書類になると余計に現実味があるんですね。
……なるほど。
勉強になります。
私は、そっと確認しました。
「ギルマス、お薬、飲まれます?」
…………。
ギルマスが、がばっと顔を上げました。
「そんなもんで足りるかぁぁぁ!!」
…………。
……ひゃっ!
ものすごい声!
私は思わず姿勢を正しました。
すると、ギルマスは立ち上がり、執務室の扉を指さして叫びました。
「あいつを呼んでこーーーーい!」




