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第9話:NPC強請り(ゆすり)イベント〜泥酔親父とキャバ嬢勇者〜

絶叫の崖からの、文字通り決死のダイブ。

物理演算エンジンの仕様の穴を突き、斜面を滑走することで落下ダメージを強引にリセットし続けたツムギと、それに巻き込まれてHP1の瀕死状態となったコウタは、無事に中級者エリアである『商業都市ロンデル』へと足を踏み入れていた。


「う、うぅ……。まだ地面が揺れてる気がする……。吐きそう……」

「情けないわねぇ、相沢くん。はい、これ。さっき道端でむしってきた『薬草』。そのまま口に入れて噛めばHPが少し回復するわよ」

「アイテム化してない生草を食えってのか!? VRで味覚設定オンにしてるのに、ただの苦い雑草の味が……うぇっ、にっが!! まっず!!」


ロンデルの石畳の路地裏で、コウタは青い顔をして雑草を咀嚼していた。

HPバーが1から徐々に回復していくが、その表情は疲労困憊だ。VRゲームを遊んでいて、ここまでリアルに生命の危機を感じたプレイヤーは、サービス開始二日目の現在、間違いなく彼だけであろう。


「さてと。無事に三時間のショートカットを成功させたわけだけど、ここからが本番よ。時給一万円のブルーオーシャン、その第一歩を踏み出すわ」

「時給一万……。お前、本当にここでお金稼ぐつもりなのか? ここはレベル10以上のプレイヤーが来る街だぞ。俺たちみたいな初期装備の初心者が、どうやって……」


コウタが周囲を見回す。

商業都市ロンデルは、初期村とは比べ物にならないほど大きく、活気に満ちていた。レンガ造りの立派な建物が立ち並び、行き交うプレイヤーたちも『鉄の鎧』や『魔法使いのローブ』など、それなりの装備を身につけている。

対してツムギとコウタは、ペラペラの『布の服』に『木の棒』と『木の剣』。どう見ても場違いな初心者コンビである。


「普通にモンスターを狩って稼ぐわけじゃないわよ。この街にはね、『お宝』を抱え込んだちょろいNPCがいるの」

「NPC? お宝?」

「ええ。ついてきなさい。まずは下準備よ」


ツムギは足早に路地裏を抜け、街の歓楽街のような少し薄暗いエリアへと向かった。

目指したのは、赤提灯のようなものがぶら下がっている、小汚い酒場。看板にはかすれた文字で『赤イノシシ亭』と書かれている。

中に入ると、酒と脂の混ざった独特の匂いが鼻を突いた。プレイヤーの姿はなく、荒くれ者のNPCたちがジョッキを傾けている。


ツムギはカウンターに直行すると、マスターらしき隻眼の大男に声をかけた。


「おじさん、この店で一番安い『ドブロク』を一つ頂戴」

『お嬢ちゃん、ここは子供が来る場所じゃねえぞ。ミルクなら他を当たりな』

「ミルクはいらないわ。ほら、代金」


ツムギはインベントリから、初期村でスライムのドロップ品を売ったなけなしの『10ゴールド』を取り出し、カウンターに叩きつけた。

マスターは鼻で笑いながら、濁った白い液体が入った粗末な革袋を無造作に放り投げてきた。


『システムメッセージ:消費アイテム【赤イノシシ亭のドブロク】を入手しました』


「よし、仕込み完了。行くわよ、相沢くん」

「……お前、たった10ゴールドの所持金を、なんでそんな安酒に使ったんだよ? 回復ポーション買う足しにした方がマシだろ……」

「これが一番の『特効薬』なのよ。さあ、ターゲットの店はすぐそこよ」


酒場を出て数分。

ツムギが立ち止まったのは、カンッ、カンッ! と甲高い金属音が鳴り響く、一軒の鍛冶屋の前だった。

看板には『炎の金床』と書かれている。

中を覗き込むと、むせ返るような熱気とともに、筋骨隆々で立派な髭を蓄えた初老のNPCが、真っ赤に焼けた鉄をハンマーで叩いていた。

頭上の緑色のネームプレートには『鍛冶職人 ガンツ』と表示されている。


(……ガンツ。間違いないわね。あのクソジジイ(宮廷魔術師)のパーティで前衛を務めてた、ドワーフの血を引く頑固親父!)


ツムギの目に、またしても四年間の異世界生活の記憶がフラッシュバックする。

ガンツは腕の立つ鍛冶屋でありながら戦士でもあり、ツムギの武器のメンテナンスを任されていた。しかし、彼はとにかく気難しく、「お前のような小娘に俺の打った剣は使いこなせねえ!」と、最初はなまくらな鉄の剣しか渡してくれなかったのだ。

そんな彼の『攻略法』を、十歳のツムギは血のにじむような努力(という名の接待)の末に発見していた。


「いくわよ。相沢くんは適当に相槌打ってて」

「お、おう……」


ツムギはズンズンと鍛冶屋の中へ入り、カウンター越しにガンツに向かって声をかけた。


「こんにちはーっ! ガンツのおじさん、いるー?」


『あぁん!? なんだてめえら。ひよっこが来る店じゃねえぞ。ここは一流の冒険者が、命を預ける武器を求めて来る場所だ。ペラペラの布服着たガキは、その辺の道具屋で木の棒でも買ってな!』


ガンツは手を止めず、チラリとこちらを一瞥しただけで、再びハンマーを振り下ろした。

典型的な「好感度が低いうちは相手にしてくれないNPC」のテンプレ反応である。

攻略Wikiによれば、このガンツから強い武器を買えるようになるためには、高レベルの危険地帯で採掘できる『ミスリル鉱石』をプレゼントして、好感度を上げる必要があるとされている。

しかし、ツムギの口角はニヤリと吊り上がっていた。


「そんなつれないこと言わないでよ。おじさんの腕がいいって噂、初期村まで届いてたんだから。……ねえ、これあげるから、ちょっとお話しない?」


ツムギはカウンターの上に、先ほど10ゴールドで買った『赤イノシシ亭のドブロク』の入った革袋を、トンッと置いた。

革袋の口を少しだけ開けると、強烈な酸味とアルコールの匂いが店内に広がる。


『――――ピタッ』


その瞬間、ハンマーを振り下ろそうとしていたガンツの動きが、不自然なほどピタリと止まった。

彼のAIは、視界に入ったアイテムのIDと、自身の隠しパラメータを猛烈な勢いで照合しているはずだ。

ガンツは鼻をヒクヒクとさせ、充血した目でドブロクの革袋を凝視した。


『こ、この匂い……。まさか、赤イノシシ亭の特製ドブロクか!? あの店の酒は、強烈すぎて普通の人間には飲めねえが、俺の喉には一番ガツンと来るんだ……!』

「そうよ。わざわざおじさんのために買ってきたの。飲んでいいわよ」


ガンツはハンマーを放り投げ、震える手で革袋を掴むと、そのまま一気に喉の奥へと流し込んだ。

ゴキュッ、ゴキュッ、ゴキュッ、プハァッ!!


『かぁぁぁっ! 効くぅぅぅっ! 五臓六腑に染み渡るぜぇぇ!!』


たった一杯の安酒で、ガンツの顔は瞬く間に真っ赤に茹で上がり、その目にはだらしない笑みが浮かんでいた。

そう、この頑固親父は、見かけによらず極端に酒に弱く、しかも安酒であればあるほど悪酔いして「見栄っ張り」になるという、致命的な裏設定(実体験に基づく事実)を抱えていたのである。


「すっごーい! おじさん、あんな強いお酒を一気飲みしちゃうなんて、男らしーい!」


ツムギの態度が、突如として豹変した。

声のトーンを二段階ほど上げ、目をキラキラと輝かせながら、上目遣いでガンツを見つめる。その姿は、完全に場末のスナックのチーママか、あるいは手練れのキャバ嬢のそれであった。

背後で見ているコウタが「えっ、こいつ急にどうしたの!?」とドン引きしているが、ツムギの接待モードは止まらない。


『ガハハハハ! これくらい水みたいなもんよ! お嬢ちゃん、なかなか見どころがあるじゃねえか!』

「えへへ、そうかなぁ? でも私、本当にガンツのおじさんの打った武器が見てみたくてここまで来たの。おじさんって、世界一の鍛冶屋さんなんでしょ?」


『世界一!? ……ぐふ、がはは! まあな! 王都の宮廷鍛冶師なんざ、俺の足元にも及ばねえよ! 俺が本気を出せば、ドラゴンすらかち割る剣だって打てるんだぜ!』


アルコールが回り、完全にNPCの好感度パラメータがバグり始めている。

ツムギはさらに追い打ちをかけるように、カウンターに身を乗り出し、ガンツの手を両手でギュッと握りしめた。


「すごーいっ! さすがガンツさん! 私の目に狂いはなかったわ! ……でも、私みたいな初心者じゃ、そんなすごい武器、一生見ることもできないんだろうなぁ。はぁ……ガンツさんの『本気』、一目だけでも見てみたかったなぁ……」


ツムギは嘘泣きのように少しだけ目を伏せ、悲しそうな表情を作る。

計算し尽くされたあざとさ。酒に酔って承認欲求が天元突破しているガンツにとって、これほど効く攻撃はない。


『お、おいおい、泣くなよお嬢ちゃん! ……ええい、そこまで俺の腕を見込んでくれてるなら、特別に俺の最高傑作を見せてやる! ちょっと待ってろ!』


ガンツはフラフラとした足取りで店の奥の倉庫へと消え、数秒後、一つの長い木箱を抱えて戻ってきた。

箱を開けると、そこには、青白い光を放つ美しい刀身を持った長剣が収められていた。


『見よ! これぞ俺の裏メニュー! 魔力を帯びたミスリルと鋼の合金で打たれた名剣、【銀狼の長剣(シルバーウルフ・エッジ)】だ!』


『システムメッセージ:レアアイテム【銀狼の長剣】が提示されました。現在の適正レベルを大幅に上回っています』


背後で見ていたコウタが、息を呑んだ。

初心者には絶対に見ることすらできない、眩いばかりのレアエフェクト。オークションに出せば、間違いなく数万ゴールド、あるいは十万ゴールドの値段がつく、サービス開始直後における『チート級武器』である。


「わぁぁっ……! きれい……! これがおじさんの本気……! やっぱりガンツさんは、この世界で一番の職人さんだよ!」

『ガハハハ! 分かったか! これが俺の真の実力よ!』

「でも……こんなすごい剣、高くて私には絶対に買えないよね……。私、お金全然ないし……。あーあ、この剣があれば、もっとたくさん冒険して、おじさんの名前を世界中に広められるのになぁ……」


ツムギはチラリ、とガンツの顔を下から覗き込んだ。

酔っ払ったガンツのAIは、目の前の「自分を崇拝してくれる少女」の期待に応えたいというフラグと、「自分の名声を広めてくれる」という見栄っ張りフラグが複雑に絡み合い、最終的な結論を弾き出した。


『……っ! ええい、持ってけ泥棒!』

「えっ?」

『お嬢ちゃんには、そのドブロクの恩がある! それに、俺の最高傑作を一番理解してくれたのはお前だ! その剣、俺の名を世界に広める約束で、特別にタダ……いや、契約の証として『1ゴールド』で譲ってやる!』


「――っ!!」


ツムギの脳内で、ファンファーレが鳴り響いた。

定価数十万ゴールドのレア武器を、たったの『1ゴールド(0.1円)』で手に入れた瞬間である。


「ほ、ほんとにいいの!? ありがとうガンツおじさん! おじさんのこと、一生忘れないからね!」


ツムギは光の速さで1ゴールド硬貨をカウンターに叩きつけ、『銀狼の長剣』をインベントリに回収した。


『ガハハ! 達者でな、お嬢ちゃん! 魔物にやられるんじゃねえぞ!』

「うん! バイバーイ!」


ツムギは満面の笑みで手を振り、鍛冶屋を後にした。

店を出て数歩歩いたところで、ツムギの顔からキャバ嬢のような愛想笑いがスッと消え失せ、冷酷な守銭奴の顔へと戻った。


「……ふぅ。相変わらずちょろい親父ね。たった10ゴールドの安酒で数十万の武器が手に入るんだから、笑いが止まらないわ」

「お前……」


後ろを歩いていたコウタが、震える声でツムギに声をかけた。

彼の顔は、絶叫の崖から落ちた時とは別のベクトルで引きつっていた。


「お前、それ……完全に『強請り(ゆすり)』だろ。あるいは結婚詐欺の手口だ。俺、ドン引きしてるんだけど……」

「人聞きの悪いこと言わないでよ。私はただ、NPCの隠しパラメータである『酒耐性』と『承認欲求』の隙を突いて、最適な選択肢(ダイアログ)を選んだだけよ。これも立派な攻略法(ゲーム)の一環じゃない」


ツムギは悪びれる様子もなく、インベントリから取り出した『銀狼の長剣』を青空にかざした。

美しい銀の刀身が、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。


「これを見なさい、コウタくん。この輝き……まさに現金そのものよ。これをオークションに流せば、私の時給はさらに跳ね上がる!」


ツムギの瞳には、すでに剣としての価値ではなく、札束の厚みしか見えていなかった。

コウタは頭を抱え、深々とため息をついた。


「俺は……とんでもない詐欺師とパーティを組んでしまった。レベル上げどころか、いつか運営からアカウントBAN(停止)されるんじゃないか……?」

「BANなんてされないわよ。システムが許容してる物理法則とNPCのAIをフル活用してるだけだもの。さあ、次はオークションハウスよ! この剣を金持ちの廃人ゲーマーに高く売りつけに行くわよ!」


純粋なゲーム初心者であるコウタの胃痛は、限界を迎えつつあった。

しかしツムギは止まらない。

異世界でのブラックな実体験を、現代のVRMMOで徹底的に現金化していく元勇者。彼女の強欲なる進撃は、まだ始まったばかりであった。

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