第10話:コウタのツッコミと口座の潤い〜これが効率ってもんよ〜
絶叫の崖からの決死のダイブ、そして鍛冶屋の親父への泥酔強請り(ゆすり)という、およそRPGの主人公らしからぬ外道な手段を立て続けに実行した結城紬(アバター名:ツムギ)。彼女と、それに巻き込まれて胃を痛め続ける相沢航太(アバター名:コウタ)の二人は、商業都市ロンデルの中心部へと足を踏み入れていた。
ロンデルの中央広場。そのど真ん中に鎮座する、白亜の大理石で造られた巨大なドーム状の建築物。それこそが、この街における経済の心臓部であり、全プレイヤーの欲望が渦巻く巨大市場――『ロンデル大競売場』である。
初期村にあった簡素な換金所とは、スケールが全く違った。広場には何百、何千というプレイヤーがひしめき合い、宙には巨大なホログラムディスプレイが何十枚も浮かんでいる。そこには秒単位で変動する武具や素材アイテムの相場、そして現在出品されている目玉商品のリストが滝のように流れ続けていた。
「ポーションまとめ売り! 相場より10%引きだよ!」
「鉄の鉱石求む! 言い値で買うぞ!」
プレイヤー同士の直接取引の怒号や、システムの電子音が入り乱れ、まるで現実世界の証券取引所か、あるいは年末の築地市場のような凄まじい熱気に包まれている。
「すっごい熱気……! お金の匂いがプンプンするわ!」
ツムギは目を完全に『¥』マークにして、ヨダレを垂らさんばかりの勢いでドーム内へと突進していった。その後ろを、コウタがトボトボと疲労困憊の足取りでついていく。
「おい結城、待てよ……。お前、まさか本当にさっきの剣を売るつもりじゃないだろうな?」
「当たり前じゃない。売るためにあのハゲ親父……ゲフンゲフン、ガンツおじさんから譲ってもらったんだから」
ツムギはオークションハウスの隅にある出品専用ターミナルの前に陣取り、インベントリから一本の剣を取り出した。
鍛冶職人ガンツから、たったの『1ゴールド(約0.1円)』で強請り取った最高傑作。
青白い光を放つ美しい刀身を持った長剣、【銀狼の長剣】である。
「いや、だからさ!」
コウタは慌ててツムギの腕を掴んだ。
「その剣、お前が自分で装備すればいいだろ! さっきステータス見せてもらったけど、攻撃力が初期装備の木の剣の五十倍くらいあったぞ! あれがあれば、この先のボス戦だって無双できるじゃないか!」
純粋なゲーマーであるコウタの言い分は、至極真っ当だった。
RPGにおいて、強力な武器は自分の身を守り、より高難易度のクエストをクリアするための必須アイテムだ。序盤で手に入ったのなら、それを装備してゲームを有利に進めるのが定石である。
しかし、ツムギはコウタの言葉を鼻で笑い飛ばした。
「相沢くん、あんたやっぱりビジネスの才能ゼロね。目先の攻撃力に囚われて、最大の利益を見失ってるわ」
「最大の利益?」
「いいこと? 強い武器にはね、それ相応の『維持費』がかかるのよ。異世界で……じゃなくて、このゲームの仕様上、強力な魔力を持った剣は、一度振るごとに耐久値がゴリゴリ削れるの。修理するには専用のレア鉱石が必要だし、鍛冶屋に払う修理代もバカにならないわ」
ツムギはかつて、異世界で「伝説の聖剣」を渡されたものの、その莫大なメンテナンス費用を全て自分の薄給から天引きされ、結果的に三日間も水と雑草だけで飢えを凌ぐ羽目になったトラウマを思い出してギリッと歯を食いしばった。
「その点、私が使ってるこの初期装備の『木の棒』は最高よ。耐久値が減ってもその辺の木を削れば一円もかからず直せるし、なにより軽い! 武器のステータスなんて、敵の弱点(急所)を的確に突けば関係ないのよ。だから、この見掛け倒しの金食い虫(レア武器)は、今一番高く買ってくれる廃人ゲーマーに売りつけるのが大正解なの!」
ツムギは一切の未練なく、出品ターミナルのスロットに『銀狼の長剣』をセットした。
システムの自動鑑定が入り、空中にアイテムの詳細データがポップアップする。
『アイテム名:銀狼の長剣』
『レアリティ:エピック』
『装備推奨レベル:35』
『特殊効果:攻撃速度15%上昇、装甲貫通(小)』
その圧倒的なステータス画面を見ながら、ツムギは出品設定のパネルを猛烈な勢いで操作し始めた。
「さて、価格設定ね。サービス開始二日目の現在、トップ層の廃人ゲーマーたちのレベルは大体20〜25ってところかしら。彼らは今、新しいエリアの攻略のために喉から手が出るほど『火力』を欲しがっている。そこにレベル35のエピック武器なんて投下したら……ふふふっ、血で血を洗う札束の殴り合いが起きるわね!」
「お、お前、性格悪すぎるだろ……」
「開始価格は強気の『10万ゴールド(1万円相当)』! 即決価格(上限)はなし! 時間は一番人が集まっている今の時間帯にぶつける『10分間限定のフラッシュ・オークション』! さあ、行くわよ!」
ツムギが『出品』のボタンを力強く叩きターンッ!と鳴らした瞬間。
オークションハウスの中央に浮かぶ、最も巨大なメインホログラムディスプレイ。そこに『NEW(新規出品)』の派手なエフェクトと共に、銀狼の長剣の美しい3Dモデルと、圧倒的なステータスがデカデカと映し出された。
ドーム内の喧騒が、一瞬だけピタリと止まった。
数千人のプレイヤーたちが、全員同時にそのディスプレイを見上げたのだ。
「……おい、なんだあれ」
「エ、エピック武器!? 推奨レベル35!?」
「バカな、まだサービス開始二日目だぞ!? トップギルドの連中だって、まだレアリティ『レア』の武器しか持ってないはずだ!」
「誰だ、初期の段階でこんな化け物みたいな武器を手に入れた奴は!? 運営のサクラか!?」
静寂は一秒で破られ、直後にドームが揺れるほどの絶叫と怒号が巻き起こった。
プレイヤーたちの目の色が変わる。特に、トップ層を目指す大規模ギルドの幹部や、リアルマネーに糸目をつけない廃課金プレイヤーたちの動きは迅速だった。
『入札:15万ゴールド!』
『ふざけるな、そんなはした金で買えるか! 入札:20万ゴールド!』
『うちのギルドの資金を全部突っ込め! 入札:35万ゴールド!』
メインディスプレイの横にある価格カウンターが、スロットマシンのように高速で回転し始めた。
10万ゴールドでスタートした価格は、ものの数秒で50万ゴールド(5万円相当)を突破。
ツムギはターミナルの前で、まるで競馬場で大穴の馬券を握りしめるオヤジのように、拳を振り上げて叫んでいた。
「行け行け行けぇぇっ! もっとよ! もっと血を流しなさい、資本主義の豚ども! あんたたちの承認欲求と自己顕示欲を、全部現金に変えて私に貢ぐのよぉぉぉっ!!」
「結城……もうやめてくれ……俺が恥ずかしい……」
コウタは顔を両手で覆い、他人のふりをするように少しずつツムギから距離を置いた。
同じクラスの地味で大人しいと思っていた女子が、VRゲームの中で悪徳金融業者のようなセリフを叫びながら札束の舞いを踊っているのだ。精神的ダメージが大きすぎる。
『入札:80万ゴールド!』
『くそっ、リアル口座からもっと課金してこい! 負けるな! 入札:100万ゴールド!』
残り時間三分を切ったところで、ついに価格は『100万ゴールド(10万円相当)』の大台を突破した。
大台に乗ったことで一般プレイヤーたちは脱落し、残るは意地とプライドを賭けた二つのトップギルドによる、純粋な殴り合いへと発展した。
「100万……100万ゴールドだと……? 現実の金で10万円だぞ……。中学生が手にしていい額じゃない……」
「まだまだ! こんなもんじゃないわ! 私の推しのライブ全通には、最低でも五十万円必要なのよ! むしり取れるところまで徹底的にむしり取るわよ!」
ツムギの強欲な祈りが通じたのか、あるいは廃人ゲーマーたちの意地が限界を突破したのか。
残り十秒のカウントダウンが始まった瞬間、価格はさらに狂ったように跳ね上がった。
『入札:120万ゴールド!』
『入札:135万ゴールド!』
『入札:150万ゴールドォォォォッ!!』
カン、カン、カーーーン!!
タイムアップを知らせる重厚な鐘の音が、オークションハウス内に鳴り響いた。
ホログラムディスプレイに『SOLD OUT(落札)』の赤い文字が刻印される。
『システムメッセージ:【銀狼の長剣】が150万ゴールドで落札されました!』
『オークション手数料(5%)が引かれ、142万5000ゴールドがあなたのアカウントに振り込まれました!』
その瞬間、ツムギの頭上に黄金のコインが降り注ぐ派手なエフェクトが発生した。
周囲のプレイヤーたちが「出品者はあいつか!?」「初期装備の布の服であんなものを……一体何者だ!?」と騒ぎ始める中、ツムギは光の速さでターミナルを操作した。
「システムメニューオープン! RMT換金申請! 全額、現実の指定口座へ即時送金ッ!!」
『オート換金システムが起動します。現在のレート(10G=1円)に基づき、現実世界の指定口座への送金手続きを開始します……』
『送金が完了しました。振込額:14万2500円』
ピロリンッ!
ツムギの脳内に、現実世界で持っている自分の銀行口座の通帳が思い浮かんだ。
前回の隠しボス討伐で得た残高、1万1830円。
そこに今、14万2500円が加算されたのだ。
現在の残高――『15万4330円』。
「……あ、あはは……あははははははっ!!」
ツムギはターミナルに抱きつき、顔をスリスリと擦り付けながら狂喜乱舞した。
たった一時間前の所持金は、ドブロクを買ったせいで0ゴールドだったのだ。それが、崖を飛び降り、酔っ払い親父を騙くらかしただけで、一気に15万円の現金に化けたのである。
「これで……これでライブの遠征費用の足しになる! 東京公演だけじゃなく、大阪と名古屋の新幹線代も確保できたわ! グッズも好きなだけ買える! ありがとう、見ず知らずの廃人ゲーマーさん! あなたの課金は、私の推しの輝きへと還元されるわ!」
ツムギは空中に浮かぶシステムウィンドウ(口座残高)を愛おしそうに撫で回している。
その姿は、およそ世界を救った勇者などではなく、欲望の泥沼に首まで浸かった完全なる守銭奴のそれであった。
呆然と立ち尽くすコウタ。
彼は、たった一ゴールドで手に入れた剣が、150万倍の値段で売れ、それがそのまま現実の現金に変わるという、現代の錬金術を目の当たりにしてしまったのだ。
ゲームの常識も、経済の常識も、すべてがぶっ壊れている。
ツムギはひとしきり喜んだ後、振り返ってコウタを見た。
そして、データ化された札束を数えるような手つきをしながら、最高にうざったいドヤ顔を決めた。
「どう? 見たかしら相沢くん。スライムをペチペチ叩いて時給数円稼ぐのがいかに無駄か分かったでしょ? システムに用意された道を歩くなんて三流のやることよ。これが『効率』ってもんよ」
ドヤァ、と効果音がつきそうなほど胸を張るツムギ。
それを見たコウタは、これまで積み重なってきた胃痛と疲労、そして目の前の非常識に対するツッコミの衝動を、もはや抑えきれなかった。
「お前さぁ……」
コウタは深々とため息をつき、ツムギに向かって、心の底からの、そして最も的確なツッコミを放った。
「崖から飛び降りて俺を死にかけさせたり、NPCを酒で酔わせて貴重品を巻き上げたり、それをオークションで金持ちに吹っ掛けて暴利を貪ったり……。お前のプレイスタイル、勇者っていうかただのヤクザなんだよ……!!」
ビシッ!と指を突きつけるコウタ。
しかしツムギは全く意に介さず、「褒め言葉として受け取っておくわ」とウインクしてみせた。
「さあ、軍資金も潤ったことだし、次はもっと美味しい未踏破エリアに行くわよ! まだまだ私の推し活資金には足りないんだから! ほら、歩くアイテム倉庫、さっさと歩きなさい!」
「誰がアイテム倉庫だ! 俺は普通にゲームがしたいんだよぉぉっ!」
文句を言いながらも、圧倒的なステータス差で首根っこを掴まれ、再び引きずられていくコウタ。
しかし、二人はまだ気づいていなかった。
オークションハウスの薄暗い片隅から、彼らの一部始終を冷ややかな目で見つめている集団がいたことを。
彼らの頭上には、赤黒いドクロのマークが浮かんでいる。それは、プレイヤーを殺害してアイテムを奪うことを生業とするPKギルド『ブラッド・ハウンド』の紋章だった。
『……おい。あの布の服を着たガキ、さっきのエピック武器の出品者だぞ。150万ゴールドもの大金、換金しきれずにゲーム内にいくらか隠し持ってるはずだ』
『初心者丸出しの装備に、護衛はレベル1のゴミ戦士が一人か。カモがネギ背負って歩いてるようなもんじゃねえか』
『追うぞ。街の外に出た瞬間、身ぐるみ全部剥いでやる』
ツムギの異常な稼ぎっぷりは、確実に周囲の悪意を引き寄せていた。
だが、PKギルドの連中は知る由もなかったのだ。
彼らが標的にしたその少女が、「ゲーム内の初心者」などではなく、かつて本物の異世界で、殺し合いの修羅場を誰よりも潜り抜けてきた『実戦(対人戦)のプロフェッショナル』であることを。
歩くATMと化したツムギを狙う影。
第一章のクライマックスとなる泥臭い対人戦の足音が、すぐそこまで迫っていた。




